はてなキーワード: 省みるとは
マスメディアが負けたとか、SNSの勝利だとかいろいろ言われている。
いちおうメディア業界に20年ほどいるので、いま感じていることを書いてみるよ。ちなみに某放送局で、主に制作側の仕事をしている。キー局ではない。在阪局でもなく兵庫県民でもないので県知事選挙の有権者の判断に何か言いたいわけでもない。
個人的にはこれがいちばん厄介だと思っている。中には思想的に偏っていたり政治的意図を持って番組を作る人もいるかもしれないが、自分の観測範囲では多くの人が公平に不偏不党な報道をやってる、と自己認識をしているように見える。
その割に、例えば選挙では明らかな泡沫候補は扱いが小さかったり、そもそも触れなかったりする。
「主な候補」の演説内容を報道するときは、「秒数を揃える」ことで公平性を保っている、ということになっている。ところが、当然ながら演説している候補者はそんなに都合よく同じ分量でスピーチをしないので、結果的に「印象的だと制作者が判断した部分」を切り貼りしてなんとか秒数を揃えている。切り貼りの結果、意味のわかる文章に整っていればまだいいが、よくわからないところで切れていたりする。秒数を優先するとそういう編集になることも多い。この切り取り方に意図が介在しないわけがないのだが、こういう手法をもって「自分たちは公平に報道を行っている」と思っていたりする。
秒数の話は一例だが、編集によって意図が介在していることに無自覚で、形式的な公平性で法令遵守していることにして、自分たちを省みる機会が少ない。
庶民よりのコメンテーターを起用したり、大きくデフォルメしたイラストや図表を用いるのがこれ。実際、肌感覚としてもう若者はほとんどテレビにもラジオにも触れていないので、どうしても中高年層から上の世代に向けた放送になる。選挙みたいな話題だとどうしても解説役を置くことになるが、それもできるだけ「わかりやすく」「庶民の関心があるテーマで」という方向の力学がはたらく。単純に言えばそうしないと数字が取れない。思ったように数字が上がらないと、「もっとわかりやすくしなければ」という方向で検討されてしまう。視聴者、庶民をバカにしているとまでは思わないが、中には「どうせ難しいことを言っても視聴者はわからない」という意識を持った制作者もいたりする。
メディアには序列があって、囲み取材などでも発言の順番に不文律がある(決められている場合もある)。いまだに、新聞やテレビはこの序列の上位にいるという意識が強い。その根拠として、「ネットメディアは素人が発信していて信頼性が無い」と思っていたりする。それはまあ当たっていなくもないと思うが、さらに「信頼性の面で、自分たちのほうが支持されて当然」という認識からネットメディアを軽視する傾向が強い。その割に、制作コストも乏しく人も足りないので、番組制作をネットのコンテンツに頼ろうとする。視聴者が減ってる自覚もあるので、自社でもSNSだとかYouTubeだとかいろいろやってみるが全然見られず、制作現場に無駄な手間だけが増えていたりする。
構造的に夜勤もあれば臨時や時間外の仕事もあったりするのでブラック化しやすく、どんどん人が辞めていく。特に制作現場はノウハウが継承されない。その割に全社的に人が足りてないので熟練のスタッフを突然異動させたりもする。新規採用もやってるが、若者に人気がない。ネット他の媒体に広告費を取られて収入も減り、さらに制作コストが乏しくなっている。少ない人数で多くのコンテンツを作らないといけないので、クオリティも下がる、という悪循環。最低限の規定演技をこなすことに忙殺されていて、遊び心のある企画をやってみよう、というような余裕がない。報道についても「秒数を揃える」みたいなルールを守って「怒られないようにする」が精一杯なんじゃないかな。チャレンジングな取り組みはより一層やりにくくなっている。
業界外の人が感じていることとそんなに大きくは違わないかもしれない。中にいると楽しいことややりがいも感じてこなかったわけではないが、このまま業界が変わらなければどんどん面白く無くなっていくなあ、と思っている。
スマホゲームの勝利の女神のニケには課金をグッと我慢している『ステラーブレイド』コラボで早くイヴがきてー!ってなったら課金する勢になるんだぜ!って思いつつ、
私が推し見なく省みることもなく惜しみなく課金するジャンルあったわ!
それ、
私辞書好きで、
最近は一通り辞書が揃ってきたので買う事も少なくなってきたけど、
これまあ簡易版だけど
簡易版じゃないのは多分私買えないぐらいな値段なんじゃないかしら?
でもこの簡易版ですら破格の値段のプライスで安ーい社長!ってもう夢グループの人みたいに言っちゃいそうで買っちゃったのよね。
うきうき!
そんで、
まあそれもあったらあったで欲しいけれど、
そうなると
なんか紙の辞書欲しいなぁって思いつつ、
「あ!先生ごきげんよう!」って歯医者さんの先生とバッタリ街角であった祭に小脇に辞典を抱えていたら
なんかそう考えると
辞書を引く時間も現代社会の人間には無いのかしら?って思っちゃうのよ。
周辺視野で調べようとしていない項目を見付けて、
へーこんな言葉があったのね!って
お利口さんの代表格のトミーフェブラリーさんの掛けているような赤い縁取りのメガネをクイッと持ち上げてさらに利口さをアップさせる所作もするの。
一応さ、
私の事務所のデスクの机の上のまるでそれは机上の理論かも知れないけれど、
辞書は1冊ぐらいは置いてあるのよ。
でもインテリアね。
なんか最近思うのは人間は最短距離を目指しすぎているかも知れないわって思うの。
辞書も引く時間が無ければそりゃー本だって読む時間ないじゃない。
でもなぜか不思議と勝利の女神のNIKKEで遊ぶ時間はあるという、
最近は
朝早く起きてサクッとデイリーミッションをクリアしてってのが日課になってしまったので、
その間にいろいろとお湯を沸かしたりお湯を飲んだりして
って違う違うそうじゃ無いのってマーチンも言いそうなぐらいそれは誤魔化されていて質が上がったように思っているけれど、
ただたんにニケで遊んでるだけじゃない。
そんな不思議をさておき、
早速量産型のニケだけで部隊を組んだんだけど火力が全然無いわよね。
うーん、
これはこれで辛いけど縛りね。
あと本当に徹底して
お気に入りのI-DOLLのフラワーにプロダクト12も最近お気に入りに加わって部隊を組んでいるの。
プロダクト12はマシンガンで今まで使ったことのない武器だったので、
300発装填のその300発を一気に掃射するのは爽快よ!
1発1発は弱いけれど、
マシンガンいいわー!
そのさー
強すぎない?
なんか、
日々こなす課題的なミッションの戦闘では使わざるを得ないけれど、
そこでそのレアニケの火力を知るのよ!
え?こんなに強いの?って。
でも、
私の主要メンバーは変えたくないし、
そんなに強いメンバーのニケを加えても簡単に進んじゃいそうなのももったいないので
つーか
そもそもとして
でもまだまだ火力が足りなくってーって
放置しておけばレヴェルアップの資材が貯まって回収すれば時間任せで少しずつは一応は強くはできるので、
ほんと早くイヴきてー!って感じ。
こんなにニケには頑なに「イヴが登場するコラボ企画を待つまで課金は絶対にしない」って言う確固たる意志を括弧でくくって言うようなぐらい強い意志!
でも辞書には弱いので
かきーん!って音はしないけれど、
破格よ!
麻痺してるわね。
だからなんかそれなのにニケで160円課金いかがですか?ジュエルお得ですよーって可愛いキャラクターに言われちゃっても高いなーって思っちゃうのよね。
この何かのジャンルに関しては金銭感覚がおかしくなるってのあるわよね。
まだニケに対しては保てていると思うわ。
『ステラーブレイド』のコラボ企画でNIKKEにイヴが来たら知らないけれど。
平静を保てているのはニケにまだイヴが来てないだけなのよ。
でね、
なんかチラッと見かけたインターネッツ動画で日本語の「凄い」を色々と言い換えると表現ユタカになるます!って内容があって、
それってただただ類語辞典のことの内容いってるだけじゃね?って
さも
自分が凄いって言葉の言い換えを開発した感じであるけれどのような気がするけど
って斬っちゃうわ。
なーちゃって。
一応はまだニケへの課金はまだよ!とずーっと耐えている感じね。
その耐えている反動ではないけれど、
うふふ。
秋の炊き込みご飯のおにぎりがいつ限定で無くなるか期間も定かではないけれどそもそもとしてこれって秋限定なの?って
なにもアナウンスされてなく、
私が勝手に炊き込みご飯のおにぎりは秋限定!って思っている節があるので、
一人限定感に煽られている感じで買っちゃった炊き込みご飯のおにぎり美味しくいただいたわ。
あ!
秋味秋って
秋だわー!
知らず知らずのうちに秋発動してしまったわ。
朝起きたら飲み頃70℃のお湯が湯水のように沸いているのよ!
今日はポッカレモン果汁を加えてレモン風味のホッツ白湯ストレートレモンウォーラーってところね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
非常に長文です。読み辛ければ申し訳ない。
昨日、個人の意見や感想が身近な上に大量に見られる現代で、情報の取捨選択ができず、それらの大量の他人の意見に沈黙できないのは病的だ、と書いている人を見かけた。
はっとして、そしてまさに自分のことだ、と思った。
自分は、自身の考えを第三者の前で表明しないと自身が歪んでいくようだと思い込むようになって久しい。
表明する内容も、ジェンダー論や人間性の話など、答えの無い人それぞれ考え方が異なるものばかりだ。
そんなことを発表せずとも幸せに生きている人は多くいるにも関わらず、自信を省みるともはや強迫観念の域に達していると自分でも思える。
「あくまで自分は」を常套句に、ネットの海に放り込まれた誰へ向けるかも明確ではない見知らぬ人の呟きに対して「自分はこう思う」と表明し続けている。
今思うと、今まで表明してきても良い反応も悪い反応も帰ってこなかった。
周りの一生懸命に真っ当に生きて人生を楽しんでいる(ように見える、きっと苦労も経験してきている)人たちは、そんな表明をせずとも健全な精神を得ている。
自分は、交流があまり無い人や関係が続いている親しい人からは元気で親しみやすいと言われる。
場が沈黙するくらいならと、自分から話し始めることは当たり前。
一人での旅行は当然楽しめるし、初めてやる仕事の教えを乞いに上司に声をかけることもどんどんする。
そんな陰キャにしては歪で悩みの種の一因でもある自分の性格を形成する根底にあるものは、家庭環境が大きい。
両親が家にいる事は少なく、父親は仕事で別に住居を構えており、電話もメールも年に数回するかどうかだった。
母親は子育てをしながらも家事を全て一人でこなし、子供の手間が減ってからはパートタイム程度に留めていた仕事を夜勤有りのフルタイム勤務に切り替えた。
上のきょうだいが居るが、訳あって母を伴い施設や病院に行くことも多かった。
そして、五体満足な自分が一人。
自分は基本的に家では一人のことが多く、家に母親が居ても人を呼ぶ余裕など当然無い。
でも小学生の頃の自分は、記憶が曖昧ながらもそれらに悩んだ記憶はあまりない。
なぜならそんな自分には何も与えられなかったわけではなくて、小学生の頃にパソコンを買い与えられていたからだ。
みんなは携帯やスマホで家に帰ってからもゲームをし合っている。
撮った写真をすぐにSNSに載せて、それに反応をして笑っている。
中学生の自分は学校でそれらが行われているのを見ているしかなかったが、急いで家に帰ってパソコンを付ければその輪に自分も加わることができた。
そのためか多少不便を強いながらも自分をハブるような友人はおらず、楽しい生活を送ることができた。
関係がほとんど自然消滅していった今でも、当時の友人達には感謝が尽きない。
問題はその後だった。高校時代から陰りが見え始め、交友関係に失敗する経験をし始めるようになった。
高校生になってしばらくしてから電話機を買い与えられたため、問題はそこではなかった。
きょうだいは居ても、母親が居ない時は部屋が別なのもあり最低限の必要な会話しかしない。
誕生日も年齢も電話番号も覚えていないくらいに関係の薄い父親。
家族に話しかける機会があまりなく、また話しかけた時に相手が迷惑だと考えることを意識してしまい、最低限の会話しかしなくなった。
そしてそのうち、話さないことが当たり前になり、自分も家族への興味が失せてしまって、それ以降話すきっかけを取り戻せていないのを今でも明確に認識している。
家庭での居心地の悪さを自覚しているなら、中学生の頃のように自分から行動を起こせばよかったのに、その発想は頭に浮かばなかった。
家族であるにも関わらず、邪険にされない楽な方へと逃げて、結果的には家族を見捨てたようなものだ。
腹を痛めて産んだ実の子供を邪険にする母親がいるにも関わらず、自分の母親は素っ気ない実子が生きるためにとてつもない努力をしていた。
きょうだいとは喧嘩する事はあれ、きょうだい自身は普通のレールを歩めない体であるにも関わらず心の余裕を持ち、こちらを邪険にすることはなかった。
それらを見てきたのに、自分は自分自身した行動で残った事は、何も行動を起こさず逃げたという事実だけだった。
そんな流れで、学校以外で人と会話をする機会がほとんどなくなった。
家庭で静かに一人で失敗をして学ばず、その孤独感から本ばかり読んで人間関係を学んだ気になりそれを実践していた声の大きい自分は、学校の友人達はさぞ面倒な相手だったことだろう。
鈍感で距離を取られていることに気付かず近寄ってきて、意思のキャッチボールができず一方的に話すことを対話だと思い込んでいて、小説では省略されるリアルの付き合いで起こるやり取りが円滑にできない、そんな人間が煩わしく思われるのは当たり前のことだ。
それでも周りの人達は直接的な何かを言ってくるわけでもなく、それとなくいつものメンツからは省きながらも、さまざまなグループに属する人達がちらほらと自分と浅い付き合いを続けてくれていた。
10代の頃から、10代の頃でも、周りの人達は頭を使い、時にはぐっと我慢をして自分のような化物をいなしながらも人間関係の折衝をしていた。
自分はずっと気付けておらず、当時を振り返って自分の察しの悪さと無神経さを心から反省できるようになったのは社会人になってからだった。
こんな歳になってから自分の愚かさがわかったってどうすればいいんだよ、と思った。
一人で旅行をしても楽しめるのは、目的意識がありそれが一人である必要があるというわけではなくて、一人だと好き勝手できて気楽だから。
周りが緊張している中でも率先して話せるのは、他人の感情を軽視し興味を持てていない無神経さから来ている。
そして悩みに悩んで失敗し続けて今も絶賛落ち込んでいる人間関係の軋轢を作りがちな原因は、自分が人生の中で選択してきた間違いを間違っていると認めるどころか認識すらしてこなかった思い込みの強さと、視野の狭さと愚かさだ。
この日記の冗長さだって、きっと自己保身をしたい気持ちから来ている。
自分を形成しているものがこんなにも身勝手で出来上がっていること、自分自身ですら他人から煙たがられて当然だと感じていることに、今までの人生はなんだったんだと足元が崩れていくような感覚がしている。
自分の自己肯定感が薄く、でもそれをカバーするように間違いを疑わないほどの思い込みで自信を保ち、それを全世界に発信して非難を受けない事で認められたと思い込む。
初対面で自分のことを元気で親しみやすいと感じただろう人達が、その後親しくなっても半数以上に軋轢が生まれ険悪なまま別れることになるのは、相手が誰であれ、こちらのファーストインプレッションと異なる偏りすぎた二面性とそれを隠さなくなっていくことに幻滅したであろうことは確かだ。
家族ですら放り捨てるようなコミュニケーションの取り方、距離感を掴むのが上手くないのに一方的な形で距離感を操作しようとして不安にさせてくる行動、「あくまで自分は」と言って予防線を張りながら自分の偏った意見を非難されないように堂々と述べる。
これをされて、なぜ相手が親しみを感じて喜ぶと思うのか?
さらにそれだけではなく、ただ相手を不安にさせるに留まらず、それを行なった自分自身もそれらの行動に対し利点がほとんどなかった。
その場その場で一時的な自尊心は満たされても、継続しないから自分の立場は悪くはなれど良くはなっていかない。
本で見たような、親しい友達と特別な関係を持ち合い楽しく過ごしたいという自分の理想を得るための行動とあまりにも乖離していることにやっと気付いたのだ。
目標もなく結果も出ない行動は、本当に無益どころか無駄でしかない。
どうしたらいいのかわからなかったが、より落ち込むとしても今までの自分の行動とその意図と、それに対して起きた周りの反応を振り返った結果がこの日記だ。
自分がこのままではいけないと感じ、ではどうするべきかと散々自分の失敗を省みて出した結論は「努力して愚痴を控え、愚痴を言う原因になる交友関係は広く浅くに留め、自分の成果に数えられることに挑戦する」というとりあえずの目標を持つことにした。
これは周りに迷惑をかけず、また他人から自分のことを深く意識されることも減らし、「また自分が同じような失敗をして落ち込まないために自分自身を見つめる必要があるでしょ、またいずれ誰かと深く交流することもあるかもしれないでしょ」と自分に言い聞かせ、自分自身が認められるような形で自分の価値を上げ、自分に合っていそうなその過ごし方に慣れて、余裕のない自尊心の低さからくる失敗をする自分から離れるための挑戦だ。
自尊心が低く余裕がないと、自分を最優先で守ることに固執し、脇目も振らず逃げを選ぶことになって、手元に残るのは周りに不快をまき散らし逃げ回った自分だけだったのは結果が物語っている。
そして徒労をする度に落ち込み、自尊心はどんどん低くなっていくのだ。
孤独感は感じても、自分の言動が人と深く交流することに向いていないのであればその先は失敗しかない。
深い仲の人がいなくとも問題なく生きていける世の中で、それを利用して自分を見つめ直す事ができることを心からありがたいと思う。
もう遅いのではと感じても、生きていくのならば必ず自分のような意志を持った誰かと関わる必要があり、その際に失敗が減ることで友人関係を長く続けられるという経験はいずれ自分の心に余裕をくれることになるのではないだろうか。
「匿名でない自分自身が皆の前で堂々と考えを表明する」ことに固執していた一人の人間が自分の視野の狭さや醜さを認め、自分が変わる挑戦の最初の一歩として、匿名でここに残させてください。
がむしゃらに書き殴ってしまった長文にも関わらず、反応ありがとうございます。
自分はまさにこのような自分は〜だけどといった不必要な主張を、匿名でもない趣味のアカウントでしてしまっていたんですよね・・・自分のことを腫れ物だと考えている人はきっと多い。
自分のための会話ばかりして長文でお気持ちを吐いてしまう所は直したいと強く思っいます。
保身ばかりを考えた会話や主張をせずとも胸を張って生きられるように、この日記以降は吐き出す習慣を無くし、感化されやすい情報の多いSNSを見る時間を減らすなど少しずつ環境を変えていくつもりです。
コメントを読んで、慰めてくれる方や汚点をスルーして付き合いを続けてくれている人達をこれ以上幻滅させないよう意識していこうと思いました。
コメントでご意見をくださった方々、本当にありがとうございました。
九州の男性に対する差別の話を聞いて思ったことをちょっと書く。
コメント何かを見てると日本人同士でさえそういった不毛な話し合いになるのだから差別は難しい。
・在日韓国人の中で悪事を働いているのは一部なのだから、それをもって全体が悪だと考えるのは差別である。
これは間違い。それは差別だよと教えることはできても、差別をやめろとか差別されたから殴り返すというのは間違い。
差別はなにもないところから生まれないし、人間もすべての差別に自覚ができているわけではない。
だから差別をする側の人間には、それが差別だと教えることができても、差別をした事自体を責めるのは間違ってる。
大体の人はここを勘違いしている。
差別は良くないけど、差別をした人間だけを責め続けても差別は解決しない。
責めるべき相手を間違えている。
・わたしが悪事を働いていないとしても、同じ在日韓国人なのだから悪事を働いている人間に働きかけるべきだ。
これも間違い。わたしはわたしで、悪事を働く在日韓国人とは関わりのない他人。他の在日韓国人の悪事の責任を他の在日韓国人が背負う必要は一切ない。
例えば日本人が日本人の犯罪に責任を感じてるところなんてほとんど見たことない。国内でもそうだし国外でもそう。
オリンピックで金メダルを取ると同じ日本人として誇らしいというのに、犯罪者を見て恥ずかしいと思ったとしても責任を感じてどうにかしなきゃいけないという話になっているのはほとんど聞いたことがない。
それくらいおかしいことを言っている。
・ではどうするべきか。
責めるべきは在日韓国人全体でもなく、差別した側の人間でもなく、悪事を働いた在日韓国人を放置している他の在日韓国人でもない。
では誰か。
それを在日韓国人という属性のせいにせず、とにかくその個人に責任を問うべきであり、その個人が自らの行動を省みるしかない。
それをもって、だからベトナム人を入れるべきではなかったというのは、わかっての通り完全な差別である。
すべてのベトナム人が犯罪を犯すわけではないし、かといって犯罪を犯したことがないベトナム人が、日本人に差別をしないでくれと言っても仕方がない。
国籍によって倫理観の違いはあれど、そんなものは日本人同士にだっていくらでも違いがある。
そうなれば、犯罪を犯したベトナム人を粛々と裁いて日本での犯罪の重さを自覚させていくことしか効果は期待できない。
その犯罪に対する刑が軽いなら、外国人関係なく世の中の流れに合わせて重くしていけばよいことだ。
日本人だけ軽いままで外国人だけ重くするなんてことはただの差別でしかない。
九州の話に戻って言えば、そういった男尊女卑の文化があった事自体が事実として、それをもって全体に言及すれば明らかに差別である。
かといって差別した側を責めたところで、現状は変わっていかない。
そうなれば、現行で男尊女卑の文化のまま生きている人間たちが、気づいて、変わっていくことが最も効果が高い。
くわえて、差別された側の人間だって、それが差別だと証明するような生活を送ることもできる。
言葉で反論するのではなく、行動で示して差別する人間達に対して知らんぷりをしていれば良い。
自分がしたことはまさにそれで、日本で生きることとは何かということだけを考えて、正しく生きてきた。
差別されたことを理由に一度でも自らの悪事を肯定してしまえば、それはもう差別ではなく事実になってしまうからだ。
こういう考えの人が一人でも増えれば差別のもととなる批判の原因がなくなり、やがて中身のない思い込みだけで差別をする人間だけが残る。
差別となる原因すらないのに差別を続けていれば、それはもう差別を越えてデマや虚偽の拡散という悪意でしかない。
そうなれば、それは罪となり、差別される側の人間が行動を起こすまでもなく社会によって正されることになる。
伝わるだろうか。
まず、無職の増田に白羽の矢が立ったというのは、責任感の欠如から来ている。お姉ちゃんが困っているから助けるのは素晴らしいことだが、なぜそもそも無職でいたのかを深く考えるべきだ。無職であった期間に、将来の計画を考えたり、自己成長を意識するべきだった。
次に、自分が独身のくせに赤ん坊を2人も育てて、大変だったと書いているが、それは当たり前のことだ。育児の大変さを体感して初めて気づいたのは良いが、それまでの自分を省みるチャンスだと思う。なぜもっと早くにこうした経験を積んでおかなかったのか。世間の常識や他人の苦労に鈍感だったのかもしれない。
哺乳瓶を洗う、一日中抱っこする、オムツ替えをするという「大変さ」に気づけただけましだ。だが、それを「全く寝られないしで意味わからんくらい大変」としているけれど、これは実際に育児をしている全ての親が経験していることだ。言い訳や愚痴を吐く前に、もっとその現実をしっかりと受け止める必要がある。
さらに、「みんな知ってた??なあ?知ってたならなんで教えてくれなかったんだよ!」と書いているが、これは他人への依存や責任転嫁だ。子どもの可愛さについては、他人に教えてもらうものではなく、自分で見つけるものである。自らの無知を他人のせいにするのは大きな間違いだ。
それから、無職が子どもを欲しがることについても触れているが、そこに少しの自覚はある。しかし、「バイトくらいはするようになったけど、ニートもフリーターも世間的には同じような扱いだよな」とどこか他人事のように書いている部分が問題だ。責任感を持ってコツコツと将来に向けた努力をするべきだ。それは単に仕事を見つけることだけではなく、自分自身の成長と向き合うことだ。
最後に、家庭を築きたいと言っているが、それ以前に自己改革と自立が求められる。家庭は全ての基盤が整って初めて築けるものだ。今のままではその基盤が不足していることを自覚し、行動に移すことが必要だ。
ノルウェーには死刑がなくて、さすがにこの時は死刑の議論が巻き起こったらしいが、結局彼は死刑にならずに刑務所の中でプレステ2で遊んでるらしい
たぶんなんだけど、「私たちの社会がよくなかったからこういう事件を起こしてしまったのだ」というような受け止め方をしてるんじゃないかと思う
よりよい社会を作れてたらこんな悲劇は起きなかった、これはよりよい社会を作れなかった我々への罰、自然災害のようなもの…そういう感じなんじゃないかな。知らんけど
翻って国連で中世と評された司法制度の日本では、自分たちで自民党のもとに自己責任社会を作り上げ、その哲学のもとにお前みたいな底辺労働者をさげすむ社会が作り上げられていましたとさ
自己責任というなら底辺にぶっ殺されるのも自己責任なんだよね。なんでボディーガード雇ってないの?って話じゃん
まあ中世ジャップランドの民には自分を省みることなんて芸当できないので、そういう事件があったとしても単に怒りの声をキーキーあげるだけだろうね
妊婦だからセックスを断っていたら、性欲を持て余した旦那が不倫したという
あの人は旦那に不倫されて辛い、子供にお金がかかるのに使い込まれて辛いとサイトに書いていた
これが増田の書き込みならそんな愚痴をしても問題はないが、あの人は家族の実名も顔写真も出していた
本人の名前だけは、それが可愛くなくてあまり好きではないからと苗字だけ出して下の名前は別にしていたが
同情コメントがつく一方で、子どものためにもそういうこと書いちゃいけないと注意をされたが、あの人は注意を「アンチ」だと切り捨てた
あの人は膣性交は胎児に障るかもしれないから控えていたが、アナルを解禁したことで夫と和解した
夫は「お前にはもう愛情はない、でも子供のことは責任があるから成人するまでは別れない」と、不倫した側なのに謝らずにそう言ったという
あの人のサイトの魚拓は断片的にしか残っておらず、不倫とアナル和解のくだりは残っていないが、2ちゃんねるで注目されていたので全文転載されていた
夫の金遣いが荒かったため長男の出産費用の捻出に苦労しており、当初はクリスマスに生まれる予定だったのに早まりそうなことにあの人は焦っていた
経済的、精神的に不安定な時期が続き、乳児院に長女を連れて行かれた時期もあった
実際にひどいアンチもついてはいたが、全部をアンチのせいにする癖はもう治らないんだろうな
個人情報やセンシティブな情報を全て書いてしまう、すぐに噛みつく、反論されたら中傷だと騒ぐ、喧嘩ばかりするから引かれて仕事に悪影響が出る
それをずっと繰り返している