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はてなキーワード: トランジットとは

2021-09-09

anond:20210909175740

イギリスから帰ってくるときトランジットで立ち寄ったフランクフルトで軽く観光して

たまたまあってたクリスマスお祭りみたいなのでホットワイン飲んで帰ってきたけど

電車時間通りに来るし、ホームレスは一人もみなかったし、ドイツ語話せなくてもみんな親切だったし、

道にゴミは落ちてないし、物価普通だし、スリ詐欺物乞いもいなかったし、電車は静かで快適だったし、めちゃくちゃよかったぞ

ロンドン物価クソたけえわ道きたねえわ電車は来ないわで散々だった

2021-05-12

インド株をめぐる湾岸アジア諸国の水際対策が加速

UAEクウェート5月10日バングラデシュスリランカパキスタンネパールから入国12日より制限する措置を発表。

サウジアラビア(4月下旬)に続き、湾岸主要国での入国制限が強化された。

ついにドバイ出稼ぎ労働者を止めたか、という印象。


アジア諸国では、タイマレーシアシンガポールは先週、すでに上記から入国制限済み。

日本人視点からすれば、これらの国の制限は、主要航空会社ハブ空港であることから本邦帰国へ向けたトランジットができなくなってきたことを意味する。主要空路ではカタールがまだ残っているが時間問題だろう。

先週、外務省インドから邦人帰国を呼びかけたが、いよいよ他の南アジア諸国から邦人帰国が困難になってきた。

例えばバングラデシュからは、カタールスリランカが両方とも入国制限したらアウトだ。陸路インド側は閉鎖。ミャンマー側は残されているものの。。。


なお、インド株については、すでに韓国(4/19)、日本(4/22)、香港(4/30)、マレーシア(5/2)、シンガポール(5/3)で確認されている。

さらに今週10から12日にかけ、アジア各国から続々とインド株の報告が上がった。

タイスリランカインドネシア、フィリピンカンボジアの5か国をネット記事確認することができた。

特に気になるのは、インドネシア。ラマダン明けのイード祭、人の流動を押さえられるかが鍵だ。

中国の援助対象国のアジアアフリカでは、チャーター機入国する大量の中国労働者コントロールも見過ごせない課題だ。


湾岸諸国南アジア東南アジア諸国が相次いで入国制限を取るなか、ここにきて、

日本の水際対策の緩さがさらに際立ってきた。

いまだにインドパキスタンネパールの3か国に6日間の隔離義務付けるのみ。


こうした状況下、本日12日、インド株が日本国内で70件確認されたとのこと。

インドの変異ウイルス 国内で70件確認 水際対策万全に 厚労相 | 新型コロナ 国内感染者数 | NHKニュース

件数的には、上記アジア諸国報道では、多くとも10件(例えばインドネシア)だったので、日本、ぶっちぎり独走状態なんですが。。

政府分科会の尾身会長は、インドなどから入国者を国が確保する宿泊施設にとどめる期間について「理想的には、14日間にしたほうがいいと思うが、施設を用意できないとか、住民の協力が必ずしも得られないなどということで6日間と決めていただいた。今後も入国してくる人を少なくすることが求められる」と述べました。

諦め、はや! 何それ?ひょっとしてわざといれてるの?



正直、一刻の猶予もなく、昨年武漢からヨーロッパ感染が拡大したときと同じ緊張感を思って水際対策をしてもらいたい。

あのときを思い出せ。武漢チャーター機まで送ったじゃないか

全体で73か国・地域上陸拒否を行った2020年4月初旬を思い出せ。あのときの熱意はどうした。あの頃、覚えいるかな、防護服来て飛行機に乗ったものだ。

五輪延期を決定するまではグダグダしていたくせに、突然、掌を返したように鎖国に走ったじゃないか

西は湾岸諸国、東はアジア香港まで、広く出稼ぎ経済圏を往来している人の流動をとめる動きが加速する中、少なくともこれらの諸国から日本への到達自体が困難になっている状況。

そのような状況が続けば、オリンピックは無理だし、無理してやってはいけないイベントだ。もし仮に、東京オリンピック開催を念頭において(忖度して)、水際対策をわざと緩めにしているのだとすれば許しがたいことだ。


なお、これまで鉄壁なガードをしてきたベトナム

ここ数日、新規感染者数の記録を塗り替える急増。4月下旬以降、市中感染は580件。

いよいよ今年の流行アジアが主役、という様相を呈してきた。


オリンピック、いろいろな事情があろうと思うが、

現時点で、アジア諸国のどの国も第二のインドになりかねない状況。

ため池は落ちたら助からない、そういう気持ちでの早めの判断が望まれる。

緊張感、気持ち、そういう言葉は嫌いだが、政府がそれで動いてくれるなら、そういう言い方でお願いさせてもらう。

*先ほど入った速報で、日本入国する前14日以内に、インドパキスタンネパールの3か国に滞在歴のある外国人は、定住者や日本人配偶者など在留資格を持つ人であっても、14日午前0時から当分の間、特段の事情がないかぎり、入国拒否する方向で最終調整、とのこと。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210512/k10013026731000.html

在留資格を持つ人も対象ということでかなり踏み込んだもので一歩前進だが、日本人ビジネス往来もやめさせたほうがいいし、インド確認された国をもっと広く網を張ったほうが良い。昨年2月トランプ中国から入国拒否を決め、意気揚々と成果を自慢した直後、ニューヨーク感染爆発そしてロックダウン。それは規制していなかったヨーロッパから持ち込まれものだったという教訓も思い出してもらいたい。

2021-05-10

バングラデシュラマダン明け、感染症対策の試練を迎えている。

ここ10日ほどの増減では、バングラデシュ感染減少が鈍化しているのがわかる。

増減率グラフから脳内近似曲線で単純に外挿すると来週には増加に転じてしまう。

不吉な予感しかない。

*なお、この記事バングラデシュ感染状況をウォッチする記事の3回目です

前回https://anond.hatelabo.jp/20210504165055


ふたつの不吉なニュース

おりしも昨日、インド株関連が懸念される2つのニュースがあったばかり。

ひとつは、バングラデシュでついにインド株が確認されたというニュース

https://time.com/6047019/india-coronavirus-bangladesh/

5月8日(土)、バングラデシュ保健当局は、インド確認されたコロナウイルス変異株が初めてバングラデシュで検出されたと発表した。詳細は明らかにされていない。この数週間、バングラデシュで解析されたサンプルでは、南アフリカの亜種が主流だったが、これらの変異株は、より容易に拡散し、第一世代ワクチン変異株に対してあまり効果がないのではないか懸念されている。

一刻も早いワクチン接種が急がれるが、当のワクチン供給国のインド供給を停止する事態に陥ったままだ。

もうひとつニュース日本とも関係する。

日本帰国者なかにバングラデシュで行動歴のある陽性者が見つかった、というニュース

https://this.kiji.is/764055688978251776

バングラデシュから日本にたどり着く経路は相当限られてきているので、どの経路で入国してきたかは定かではない。

バングラデシュ政府による国際便の停止は継続中のはず。

陸路インドかな。。いずれにしても、出国前にPCR検査を受けることが義務付けられていることから

PCR検査から漏れ感染者だった可能性もあるが、現地空港や機内、トランジット先、成田ゲートの

わずかの移動時間に、感染した可能性も否定できない。

上記インド確認ニュースと合わせると、3行しかない短いニュースなかに、恐ろしい未来が見えてくる。

蟻の一決というアレだ。

ラマダン明けの帰省ラッシュ

そんななか、バングラデシュはいよいよラマダンが終わる。

バングラデシュでは、ラマダン断食)の終わりを祝うイードラマダン明けのお祝い)を迎え、帰省する人々でごった返している。

https://www.afpbb.com/articles/-/3345815

この写真は、ガンジス川沐浴するインド光景と同様、おぞましいものだ。

町中の様子は写真はないか?と思ってツイッター検索すると、こんな感じ。

https://twitter.com/taslimanasreen/status/1391048425060257792

望遠の圧縮効果を加味しても、どうみても芋洗いな状態

ちなみにバングラデシュは、ロックダウンを16日まで延長、依然、警戒を続けている。

4月初めには7千人を超えた新規感染者数もここ数日は2千人をきっている。当局イードを警戒しているからこそロックダウンの延長を決定しているのだろう。

いずれにしても、ラマダンロックダウンへの疲れ、イードへの期待、

これらが人々の緩みにつながっているのは間違いない。


日本の水際対策潜在的リスクダークホースとなる二つの隣国

日本政府は、インドに加え、隣国パキスタンネパールの3か国からの水際対策を強化。

入国者への隔離措置を6日間とした。

見出しをみた瞬間、ユルい!緩すぎる!と叫んだ人も多いに違いない。

水際対策問題点はここ(APPLE文体増田)がわかりやす

1000倍わかりやすい、水際対策の重要性 #わかるコロナ

隔離措置もっともっとリソースを割けるはず。

私の結論からいうと、水際対策対象リスト問題確認できた感染者の情報をもとに実施するのでは遅すぎる。

情報が不確かであっても、地域全体の状況から、ありうる未来予測して予防的に行うべきだ。

今の水際対策のままだと、インドばかりみていて、両サイドがら空き状態

特に見落とされていると思うのが、まさに私が注目しているバングラデシュ

感染爆発が収束しているようにみえるがゆえに上記3か国のリストから漏れているが、社会経済のつながりは

ネパールと同様、相当高い。

さらに、もう一か国重要な国がある。

それはスリランカだ。

スリランカ現在感染が急拡大している。

https://ourworldindata.org/covid-cases

分析された実効再生産数はここ数日およそ1.6。1.25あたりを推移するインドよりも高い。

新規感染者の増加率もインドより急こう配。百万人当たりの新規感染平均値日本の倍以上、先日水際対策を強化したペルー並の値。

こうした周辺国インド感染連鎖を考えるうえで重要視点は、出稼ぎ経済だ。

労働力の国際移動をもうちょっと分析する必要があるのではないか

スリランカは西は中東湾岸諸国、東は韓国に至るまで、出稼ぎ労働者の送り出し国。

日本との関連でいえば、攘夷派で名高い入管当局収容していたスリランカ女性を死亡させた事件

海外出稼ぎ労働者を送り出す一方で、スリランカ外国人労働者を受け入れてもいる。

それはスリランカの主要輸出品である茶の生産だ。

特に南インドとの歴史的なつながりも深く、多くのヒンドゥー出稼ぎスリランカに来ているという実態がある。


ところで前回の記事で、バングラデシュ感染がそれほど爆発的になっていない背景を、社会階層の分断が少ないことも一因なのでは、と分析というか想像してみた。分断というのは階層人種によって死亡率に大きな差があるアメリカ典型的な事例。つまり黒人ラティーノ医療へすぐにアクセスできないことが多く、また感染リスクの高い職種に就くことが多いなどのことを指している。バングラデシュでは、ことに感染対策については、例えば結核にしてもNGO機能していて、地域住民へのリーチアウトがしっかりとできている国なのだドヤ顔するとすぐ感染が急上昇、という法則があるのであまり言いたくないが。

社会階層の分断とコロナ

同じ視点スリランカに当てはめてみると、

結論からいって、社会階層の分断政策ウルトラ強力に推進している、政治的に危うい状況がみえてくる。


ラージャパクサ大統領選挙勝利2019年)がひとつの大きな転換点だった。ラージャパクサ兄弟という視点でいえば返り咲きだ。

ゴーターバヤ・ラージャパクサ - Wikipedia

同大統領就任後、中国との関係強化を露骨に進めているスリランカ

中国はやったぜとばかりにオセロをひっくり返すかのように、他ドナーを蹴散らし、次々に融資を強化、権益を強めている。

コロンボ港湾事業象徴的だ。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM2707Y0X20C21A4000000/

日本の援助をはじめ、各国ドナーは後退を余儀なくされているのは知っていたが、

内政的にもイスラム抑圧を進めるなど危うい面が表面化してきた模様だ。


社会階層の分断によって、ある種のエスニックコミュニティ社会階層へのリーチアウトができず、実質アンタッチャブルになることで感染コントロールできない、という分析ブラジルスラムでの感染爆発で経験したことだ。

これは想像だが、スリランカ感染爆発が、もし仮に南インドから出稼ぎ労働者ヒンドゥー)で、今なお、社会的少数者として不利益を被っているヒンドゥー感染対策放置されている、あるいは見過ごされている、とするならば、スリランカの今後の状況はとても厳しいものになるのではないかと思う。

新規感染者の増加率はここ数日、若干低下してきた様子なのが安心材料ではあるが。。

2週間くらい経った5月下旬スリランカバングラデシュも水際対策を強化、というニュースをみないように、先手先手の対応を祈っている。


++++5月12追記+++++

UAEクエートが10日、

バングラデシュスリランカパキスタンネパールから入国12日より制限する措置を発表。

湾岸諸国で主要空路ではカタールがまだ残っているが時間問題だろう。

タイマレーシアシンガポールも先週、すでに上記から入国制限済み。

なお、インド株については、すでに韓国(4/19)、日本(4/22)、香港(4/30)、マレーシア(5/2)、シンガポール(5/3)で確認されている。

さらに今週10から12日にかけ、アジア各国から続々とインド株の報告が上がった。

タイスリランカインドネシア、フィリピンカンボジアの5か国をネット記事確認することができた。


南アジア諸国の主要な出稼ぎ先が相次いで入国制限を取るなか、

インドパキスタンネパールの3か国に6日間の隔離義務付けるのみの日本水際対策の緩さがさらに際立ってきた。

正直、一刻の猶予もなく、昨年武漢からヨーロッパ感染が拡大したときと同じ緊張感を思って水際対策をしてもらいたい。

2021-05-01

シンガポール南アジア全域から入国トランジット全面禁止踏切

Singapore to bar visitors from Bangladesh, Nepal, Pakistan and Sri Lanka - CNA

シンガポール政府は4月30日、過去2週間にバングラデシュスリランカネパールパキスタン滞在歴のある渡航者の入国トランジット禁止すると発表した。この措置は、5月2日から適用される。

南アジアは、東は香港シンガポール、西はドバイなど、東西出稼ぎ経済圏をもった地域だ。

シンガポールバングラデシュインドから出稼ぎ労働者を多く受け入れている国のひとつ

出稼ぎ労働者問題は、日本でいえば、技能実習生受入問題に相当し、日本の水際対策ユルユルなのも

ここに原因がある。

しかし、ここにきてシンガポール南アジアとの国境の扉を完全に閉じる経済的インパクト日本とはくらべものにならない。

からこそ、もう手遅れ気味のギリギリ決断になっての政府決定となったのだろう。

インド変異株をインドだけの問題と捉えるのであれば甘いだろう。

ひとの流動性観点から経済圏を広くとらえ、南アジアを中心に、中東東南アジアなど幅広く、水際対策の強化をする時期だ。

南アジアほぼすべての国でインドと同じタイミング感染が急拡大している状況をしっかり分析すべき。

(なぜかバングラデシュだけ一旦急拡大した新規感染者数が、ここ3週間、緩やかに減少を始めている、という現象も含めて。ラマダンだけでは説明がつかない)

日本政府厚労省外務省

ナマケモノみたいな超スロー対応、たいがいにしろ

2021-02-19

anond:20210219194916

旅行雑誌かな。

ちょっと高めの旅行雑誌だと、よっぽど興味ある国や地域のじゃないと買わないから、バックナンバー見られるんなら暇つぶしいくらでも見てられそう。トランジットとかああいうの。

2020-12-31

2020年12月ハワイに行った話。(後編)

(前編 anond:20201231031127 より)

ハワイから出国前準備

行きと同じように、出発24時間前にハワイ州の健康情報登録サイト離島ホノルルフライトに搭乗出来るように健康状態登録。後で分かるけれど米国内で空港の外に出ることはないのでこれはあまり意味がなかった。

同時に厚生労働省から指示されている入国時の質問Webhttps://arqs-qa.followup.mhlw.go.jp/#/)という手続き実施

12月中旬の時点ではGoogleから検索ではこのサイトにたどり着けず(今はたどり着ける)、成田で配られた紙に書かれたURLを打ち込んでアクセスアンケートに答えてQRコード発行。

これがハワイ州の手続きサイトと比べてかなり貧相。スマートフォンからアクセスしか想定してない作りになっているし、質問項目の設定も前項目で該当しないはずのものを聞いてきたりと、使っていて不安を感じる作りになっていた。

発行したQRコードハワイ州のサイトとは違ってメールで送ってくれず、仕方ないのでPC画像保存したのを転送した。

なお、帰国の搭乗前はPCRの検査不要。(米国本土から乗り継ぐ場合必要らしい)

ハワイ出発

恋人と出来るだけ早く収まるといいね、早く日本に帰ったりまた遊びにこれるといいね、と話しながら空港チェックイン

そもそも飛行機に乗る人が少ないので空港スタッフが凄い暇そう。

日本に帰るとわかると日本からきたの!へえ!こちらの方はこちらにお住まい!それは寂しいね!二人の写真を撮ってあげるわ!写真を撮ってくれた。ハワイの人いい人だ。

見送りが見えなくなって飛行機に乗り込んで半泣き。ホノルル行きの機内のお客さんは乗っている間もしっかりマスクをつけていた。本当に意識が変わったよアメリカ人

成田行きの機内は前後3列誰もおらず、横もはるか向こうの窓際に一人いるだけ。二重に付けたマスク食事以外は外さずに過ごした。

こんなに空いている国際線初めて乗った。前方の座席は少し混んでた模様。

入国

入国前の成田に到着する飛行機では「健康カード」と書かれた紙が配られました。厚生労働省の検疫所と署名があり上部に「入国される方へ検疫所よりおしらせ」とタイトルがふられていて14日間以内に新型コロナウイルス感染症特に流行している地域から入国する人が必要手続きについて書かれていました。

以下内容要旨の抜粋

1.特に流行している地域からいたことを必ず検疫官にお申し出ください。

2.入国した次の日から起算して14日間は指定された場所で待機し、外出せず、人との接触を控え、公共交通機関を利用せず滞在場所記載して検疫官に共有し、健康状態毎日チェックして、熱や咳や出たら指定医療機関にて受信してください。

というものでした。また同居の家族の人も十分に配慮するようにとか、相談センターや窓口の電話番号外国語での医療機関の案内などのQRコード記載されていました。

日本到着後

成田に到着。降機した後、速やかに専用の待合室(エリア?)に全員通されて検査しました。

壁や柱のあちらこちらに

検査前30分は飲食はしないでください。

と書かれた紙が貼られてて、記されていた翻訳

Don't eat! Don't drink!

と丁寧さも礼儀正しさも30分という情報も含まれないものだったので、公式の場の翻訳適当さに日本に帰ってきた感じがしました。

本当は写真を取りたかったのだけど完全に撮影禁止エリアだったので我慢

入国時の抗原定量検査

健康状況の対面確認 → 検体取得 → 書類確認・結果通達 → 入国

の順番で行われました。

接触型の体温計で体温測られながら、どこから帰ってきたか、咳はないか、熱はないか、などの質問をうけました。コロナ特に流行っているとされる国と地域ほとんど全世界)だと抗原検査にまわされます。(回されない場合があるのだろうか)

  • 検体取得

検体とは唾液。事前の待列の案内に、唾液腺を刺激するマッサージ方法が書かれていました。こちらは日本語でも英語でも正しく書かれているようでした。

順番が来ると管理番号が発行されて、番号の貼られた検査キット(プラで出来てる漏斗とシリンダーの簡易セット。大体10ccくらい?の唾液の量のあたりに黒い線が引かれている)が渡され、唾液を入れるために選挙投票用紙を書くような広さのブースに入って、漏斗に向かって唾を垂らす方法ブースには酸っぱいものを思い浮かべましょうと梅干しレモン写真が貼られてたけど、「クエン酸」とか「ビタミンC」とか「アスコルピン酸」とか書かれている方が垂涎ものだと思う。元々唾液量は非常に多いと歯科医お墨付きをもらっているので、ブースの後ろをウロウロしていた唾液量を確認する係の人に光を当てながら確認してもらってOKを貰い、出口で検査員に渡しシリンダー立てに立ててもらう。

出発24時間前に登録したアンケートが発行したQRコードと、パスポート入国前に配られた前述の健康カード確認してもらい、厚生労働省からのご連絡、と書かれた紙を渡されます

二週間の健康状態確認を行うのに、LINEアプリ電話番号登録方法についての案内について書かれています

(前のQRコード発行時にどちらかを選ぶ。)LINE使ってないので電話番号登録できるのはよかった。ここで次の待機列で座る場所を番号で指定されます

廊下に二列にソーシャルディスタンスを保った状態で並んだ番号のついたパイプ椅子に着席。この座席は空いても再利用されないようになっていました、

フライト自体人数が少なく、列に並んだ人も91人。ウロウロと歩き回る人や、マスクしてる以上に具合が悪そうな人もいたりして、周りで咳をする人がいると、みんなが振り返ってその人を見るという状況で気分は罪人。なんとなくバツ悪い感じで待っていると、館内放送管理番号の下4桁が日本語と英語でそれぞれ読み上げられて検査室で結果を聞くスタイルで、ドキドキしながら40分程待機。

結果は陰性。

陰性だと信じていても、嫌疑かけられて証明する迄の間はやはり嫌なもので、結果を聞いてホッとした。

陰性だとわかると健康カードネガティブを表す(-)が貼られて、不思議デザインの模様が入ったオレンジ色の紙を渡されます。(青い紙もあるらしい)

この紙を見せてやっと入国手続き荷物受け取り→税関申告(犬が頑張ってた)→ゲートの外へ!

待機列に並んだのが20:04で結果を受け取ったのが20:50だからやはり実質1時間前後はかかるみたい。

成田空港入国出国手続きエリアは2年前より明るく綺麗にハイテクになってて、

2020イベントに向けてこんなに頑張って整えてたのになぁって思うととても寂しい。

早くコロナが収まってなんの障壁もなくこの場所が使われる日が来て欲しい。

帰宅手段

陰性証明は貰ったものの、トランジットホノルル空港や機内で感染してても未だ結果には現れないので14日間は公共交通機関は使えません。

それにも関わらず。 待機列で前にいた同じ便で帰国したはずの女性は1階の京成線ホームへ向かうエスカレーターに消えていくし、(どうなったか知らない)この日予約していた空港ホテル(陰性証明があると泊まれる)は若干遠いので行き方を空港にいたお巡りさん複数)に聞いたら「遠いからそこのタクシー使っていけばいいですよーっ」笑顔マスク付き)で言い出す始末。タクシーって公共交通機関ですよね?ダメじゃない?帰国者だよ?と言い返したらお巡りさんが全員黙ってしまった。千葉県警察大丈夫日本の水際対策効果について不安を覚えつつ、40キロ荷物ガラガラ引っ張ってホテル迄歩いて行きました。

何故成田に一泊したかというと自力レンタカーで帰るためでした。

成田レンタカーショップ時短営業で軒並み到着便と同時刻に閉店してたので、次の日に出直して車を借りるため。

レンタカーも調べてみたら大手トヨタレンタカーは乗り捨てに対応していなかったけど、タイムズレンタカー系列店舗への乗り捨てだったら陰性証明書の提示で利用出来るとのことで予約しました。

が、ここで待ったがかかります

朝の京葉道は危ないんじゃないかとか、普段ペーパードライバーなのに大丈夫かとか、アメリカ道路ルールを見た次の日に日本ルールにすぐに戻るのか、などなど言われてても意に介してなかったのですが、から書留が送られてきて、事故に遭って千葉県医療従事者に迷惑かけるようなことがあってはいけないと現金が入っていました。散々悩んで帰国者用のタクシーサービス成田から定額)に3日前で申し込みました。同時にキャンセルしたタイムズさんごめんなさい。成田から東京都23区外、大体25000円から40000円が相場レンタカーが乗り捨て代金込みで16000円だったので送金がなかったら無理でした。

帰宅

既に成田に一泊していたので、自宅に帰ってから14日間が自宅退避になります

外に不要にでてはいけないし、お店にも入るのは憚られるし、公共交通機関は使わないでくださいとのことです。

予めこの14日に備えて買い置きしていた食材や、ネットスーパー宅配便食事はまかない、ゴミ捨てだけは敷地内なのでOKということにして、ベランダ仕事の合間に日光浴と宅配の受け渡し以外は一切外に出ていません。

帰国後14日間は保健所から連絡を行って健康状態確認しているとのことでしたが、自動音声の電話LINEに切り替わったとのことで、次の日から電話を待ちわびてました。が、かかってきたのは帰国後3日後からでした。内容は毎日かわらず、厚生労働省から海外から帰国した方への電話であること、14日以内の健康状態確認していること、熱はないか家族も熱はないか。せき、喉の痛み、鼻詰まり、鼻水、強いだるさ、息苦しさ、その他の風邪症状は無いか。という質問と、出来るだけ安静にして不要不急の外出を控えて手洗いと消毒を徹底してください、という内容を毎日大体お昼ごろにかかってきて言われました。一回出られなくて毎日かかってくる番号に折り返して登録しようとしたら、折返しでは受け付けられません、と冷たく言われました。電話に出なかったことでどんな罰則がくるのかビクビクしていますが今の所何も言われてないです。

本日

昨日でやっと自宅退避が終了して大晦日今日から外に出られます。14日間で合計歩数が20000歩行ってなくて本当運動不足が怖い。正月から散歩します。

最後

恋人に会いに行くなんていうと聞こえはいいかもしれないけれど、今この時期には褒められた行動では全然ないです。バカかと思う。

この時期に移動する人は、やむに止まれぬ家庭の事情があるか、やっとハワイに行けるぜヒャッハー!!SNS!!映え!!という、やむに止まれぬ病な人のどちらしか居ない印象だし。

恋人は現地で在宅勤務やりつつ元気そうで、久しぶりに一緒にご飯を食べ庭を散歩してゲームをして、この一年が無かったかのように普通に過ごせました。すごい安心しました。

出来たら毎日一緒にいたいけど、今のところはいつでも話せる・文字や画面を共有できる技術の発達に本当に感謝しつつもう暫く我慢できそう。令和万歳

そんな感じの数多にある遠距離恋人に会いに行く旅行記の一つでした。

ここまで読んでくれた皆さんありがとう

コロナで会えない人に連絡を入れてみるといいよね。今日のうちに。

良い2021年とよい2020年の最後の日を。Stay safe!

2020年12月ハワイに行った話。(前編)

2020年12月ハワイに入るためにやる必要があったことのメモ

ことのはまり

2020年1月仕事の都合で米国に行ってしまった恋人に会いに行く4月チケットを購入したのは1月3週目のこと。その前週から中国感染症流行っているニュースが入りあれよあれよという間に予約したフライトが飛行しない事になり、日程変更の為にサポートに問い合わせどつながらず、アメリカサポート経由で別の日のチケットを手に入れたのも束の間、出発18日前の3月26日よりハワイ州への入境が完全制限され、フライト欠航が決行。

一晩失意で枕を涙で濡らしているのを、どこ吹く風の恋人に慰められつつ、在宅勤務でほとんど家に出ることないまま様子を見続けてやってきた秋9月の末。フライト自体ほとんどない状態、にも関わらず収束することを願って12月チケットをゲット。この予約した羽田便も11月になる前の週にはキャンセルされたけれど、入境後の行動規制が出発72時間前に取得したPCR検査の陰性証明書を所持している人には免除され成田便は飛ばすことが分かったので、急いでハワイアンに電話して飛ぶ予定の便に切り替えました。

あとは12月に無事に飛ぶのを待つばかり。感染者数も抑えられてきているのでこのまま収束を超期待。(ここまでが10月末)

事前準備

チケット購入

羽田便が成田便に変わった。対処済み

PCR検査実施

出国というか搭乗のためにPCR検査の陰性証明書必要なのだけど、ハワイで14日間の自宅退避を免除するには別途指定機関で発行されたPCRの陰性証明書が取得が必要

対象クリニックはこちら。

https://www.allhawaii.jp/covid19/prepare/certificate/

他の診断やってないんじゃないかって位小さなクリニックで、取得。ハワイの他、グアム中国入国の両方の証明書を発行していた。ビジネス

ハワイグアムが大体26000円で中国用のが30000円を超えていたと思う。

来客も英語を話す人か中国語を話す人で(勿論日本語も)受付の人はどうやら中国語と英語日本語がわかる様子だった。

出発前々日の午後に仕事を早退して検査して、出発前日の終業後に発行された証明書を取りに来るスタイル

検査前のアンケート項目は熱の有無や風邪の症状以外に、

三密をここ14日間避けていたか外食14日していないか、狭い空間で人と話したりしていないか。等。リモート勤務で友達存在すら危ぶまれているので楽勝。

検査にはパスポートフライト番号、保険証を持っていけばOK

次の日に受け取った陰性証明書は、前日の検査結果から陰性を証明する、と医者の手によって書かれたハワイ州の規定の紙が用意されていて、自筆名前と住所と生年月日と出発日・フライト名を書く感じ。

出発日欄を間違えて生年月日で書きかけて、書き損じで再発行手数料500円が追加で取られた。

ハワイ州の健康情報登録

ハワイに来る人は前日の健康情報を所定のデータベース登録する作業義務付けられています

https://travel.hawaii.gov/#/trip

これは日本人だけではなくすべてのハワイ州への来訪者が必要

オアフ島だけでいいかと思いきや、オアフから尋ねる離島までの間の登録も別途必要だった。

登録する来島理由について、再移住トランジット観光、友人・家族への来訪、エッセンシャルワーカー、航空機乗務員、とあって、この場合は友人家族への来訪を選択

ステイ先に、ホテルホステルコンドミニアム、自宅、時間貸しスペース、B&B、友人親戚宅、の他にキャンプサイト・ビーチやシェアルームと言う選択肢があって、この状況下でビーチとかキャンプサイト選ぶ人いるのかなとか疑問に思ったり。

健康情報登録では熱はないか、解熱剤は飲んでいないかインフルエンザ予防接種は打ったか、どこか別の国から移動した14日間の自宅待機期間ではないか、14日の間にハワイ州以外の自国ではない所に旅行していないか、などの登録必要

フライトごとにこの健康情報登録必要サイトにはPCR検査文書登録できる場所があって、ハワイ認定の陰性証明書pdfにしてアップロードされていると到着時に空港を出る時の手続き項目が減って非常に簡単に出られます

これが終わるとQRコードが飛んでくるので、入国空港から出る時の手続きで、パスポートと一緒に見せればよい様子。

ESTA登録

これは通常のアメリカ入国でも必要。ちょうどパスポートを切り替えてESTA登録も切れてしまってたので、再登録

SNS登録箇所が以前はTwitterFacebookだったのに、LinkedInInstagram が追加されてた。

当然この手の情報はどれも持っていないので登録していません。はてなは無かった。

ESTA登録後の初回は有人審査必要になるとかで、結局有人入国審査もやりました。

保険加入

どんなに万全を期しても罹ったら現地の医療機関を使わざる負えずなにかあった時の医療費が怖いのでとりあえず3000万まで保証してくれる会社のにしました。結構高いです。4500円。

※やらなきゃいけないことの詳細は

ここ(https://www.allhawaii.jp/covid19/prepare/)に全部書いてあった。

すべて自前で調べてから気づいたのでもっと早く知りたかった。

日本出発

家の冷蔵庫の中身を減らして、残りは帰国後14日間外出しない間に食べられるものを残し、不織布のマスク(VFE99%)の上に布マスク(中に不織布フィルターが入れられる物)を重ね付けて出発。当初の予想も外れて東京新規感染者数は増え続け、この日は250人弱。

この時期にわざわざハワイへ向かいたい人は、現地で生活がある極限状態日本人の買い出しかビジネス家族いるかで持ち込み荷物の多さを感じるような人ばかりかと思いきや、小さなスーツケース必要最小限の装備のカップルや、地方から出てきてホノルルで何をして遊ぶという話で盛り上がっている親子連れや、ゴルフに行く様子の人もいて、不要不急の出国カジュアルに実行する為にPCR検査をする人が居るのに本当にびっくりした。私も引きこもる予定だけど、不要不急の出国者側の人間なんだろうなってここで気づいた。

空港はこのハワイ便に乗る人と他の便待ちの人がいるくらいで、全く人がいなかった。旅行代理店のエリア座席のところは前の方に空港職員の人がお弁当広げて食べている位、誰も居なかった。三密は全く無いけどレストラン街もほぼしまってて(土産屋もしまっている)いつも入るお店もやってない。出国手続きをした先の免税店レストランも一切閉まっており、自販機で買った乳酸菌飲料の糖分でかろうじて空腹感をごまかす。おにぎりを食べている集団に羨ましくなりながら、搭乗待ちの間に携帯アメリカのeSIMを設定したりしてた。

機内

もともと間引きでの座席提供。大体半分くらいは予約不可席で選べなくなっています。隣の四人席には人が一人しかいなく、気がついたら4席使って横たわって寝てた。

当初は機内食は食べるのをやめようと思ってたけど、機内の空気の循環は良いことや、空腹でおかしくなりそうだったので、ありがたく与えられた糧をいただく。

食後は、前の席にいる老人夫婦(多分片方別の席)がたまに咳をする(喘息っぽい音)上に時折マスクを外す。読書灯つけっぱなしで席移動して寝る、など普通に迷惑人達なので映画を見て過ごす。目の前の座席が咳したあたりで、ダブルマスクの上にプラスチックのフェースカバーを付けてた。流石に読書灯つけっぱなしで移動されたのが鬱陶しかったので注意したら、装着してたマスクを外して謝ろうとし始めた。やめてほしい。

乗り換え

オアフ島から別の島に移らないといけないので乗り換え。入国審査入境健康検査(熱はないか、喉は痛くないか、などの口頭アンケートQRコードの提出)してから一旦国際線ターミナルを出て国内線へ。米国人もマスクしているし、地面にはこれでもかというほどキーディスタンスを守らせるためのシールが貼られていた。時期をずらしてバカンスにきてたっぽい米国内の人がちらほら居た。結構普通に国内を動いているメリケン

国内線の搭乗検査身分証明書旅券)とマスク外して顔を見せるなどをして無事次の便に。食事をしようと思ったけれどホノルル空港内の飲食店ほとんど動いておらず、BURGER KINGもこの日はやってなくて、スタバカロリー高そうな飲み物を頼んだ。土産物屋は一軒のみ営業してたけど、ほとんどお客さんは入っておらず。

離島到着。軍服着た人に囲まれながら、再度事前登録QRコード見せて健康状態アンケートを受けて、やっと空港の外へ!


滞在

恋人空港に迎えに来てた。

久しぶりの恋人かわいい!元気そう!かわいい

あーよかった。きてよかった。生きててよかった! 

めっちゃ暑い恋人かわいい

1年ぶりに会う恋人狂喜乱舞エキサイティングしつつ、恋人の家で居候。しあわせ。恋人とのご飯。しあわせ。

最初数日間は様子を見ていたけれど特にコロナの初期症状もないので、たまにスーパーに買い物に行ったり散歩に行ったりドライブして海を見たりしてました。

一回だけガラガラの店内でご飯食べた以外は周りの人と距離非常に保たれたアウトドアか家でご飯飛沫感染リスクかなり低め。

それ以外は延々と仕事する恋人の後ろでゲームしたりお茶のんだり仕事メール読んだりしてた。完全に邪魔してた。休暇とってよかった。

そうこう濃厚接触している間に帰国の日が近づいてきました。

(後編 anond:20201231031222 に続く)

2020-08-12

anond:20200812132510

そんな感じだよな。

私がトランジットで仲良くなった中国人も、国内googleSNSが使えないことについて何の不満も持ってなかった。

政治的なことを書きたい人(侮蔑的ニュアンス)には不満だろうけど、科学情報などはちゃん検索できる」と言ってた

2020-07-28

シャルル・ド・ゴールウンチ

かつてヨーロッパ旅行してたときパスポート紛失で旅程が大幅に狂った結果、目玉のひとつだったフランスが乗り換えだけになってしまたことがあった。

かの有名なシャルル・ド・ゴールにせっかく降り立ったのに、二時間足らずのトランジットだけ……俺は悔しかった。

しかったので便所に行って半ばむりやりウンコをした。

人生ではじめてパリに行き、ウンコかましてすぐ去った。俺より俺のウンコのほうが長くパリにいた。

それって、素敵じゃない?

2019-07-27

しょうごくんの話

https://note.mu/shogo622/n/n99e40d665438

を読んで、

四半世紀前の学生の頃を思い出したよ。

まれて初めてパスポートとって、いきなり一人でバックパッカー気取りで

タイインドスリランカに行った。

総理大臣海部の頃だったかな、細川の頃だったかな?

バンコクインド行のチケットを受け取りにいったときに、

旅行代理店の人に

インドか、俺も若いころさ、スリランカフェリーで渡ったことがあるんだよ、懐かしいな。君は初めての海外旅行?気をつけろよ。これからメシでもどう?」

と助言をいただいた。これから初めてインドに旅立つ若者に万感の思いがあったんだろう。

「いえ、これから待ち合わせがあるんで」

「そう・・誰?まあいいや、じゃあ、ま、気を付けてね」

あの時、何の待ち合わせだったかを彼に具体的に話していれば、あんな目には合わなかったな、とあとで後悔することになった。

そのときすでに、当時流行っていたいわゆる「トランプ詐欺」にまんまと引っ掛かってしまっていたからだ。

代理店に行く前、道を歩いていたら日本人だろ?と声を掛けられ、あとでチケット取り終わったら日本に住んでいる妹と電話で話してくれ、とかなんとか、すっかりそそのかされて、

待ち合わせをすることになっていたのだ。

そして、代理店を出て、待ち合わせ場所にいき、そいつの車に乗り込むや、まんまとバンコク郊外へ連れ去られてしまった。

トランプゲームをする前から、部屋の外で人の気配を感じるなど、ただならぬ雰囲気を感じ取ったので、ブルネイ石油商人を名乗る怪しげな対戦相手が登場して間もなく、決意して

バイバイ!といって部屋から飛び出した。

振り返ると「おい、ちょっと待て」といってバイクヘルメットかぶりかけている恐ろしい形相の男がいた。

外は雷が鳴っていて豪雨だったが、死ぬほど走って道端を歩く人をみつけて助けを求め、タクシーを呼んでもらった。

バーツが足りなかったので、その人にお借りした(ま、返せなかったのでこれも詐欺か)。心臓バクバクがやんだのはタクシー空港についたとき

旅の始まりがこんな調子だったので、トランジットバンコク空港で一人反省会

トランプ詐欺アジア地域定番中の定番と知ったのは帰国してからのこと。

その後、カルカッタ

緊張のあまり、リキシャのおつりが1ルピー足りないくらいで血が上った。カネに関して、無駄ナーバスになっていた。

インドゆっくりと南下するなかで、ヨーロッパアメリカ人バックパッカーにいろいろと旅行の注意点やテクを教えてもらった。

あるドイツ人の兄ちゃんは、飲み終わったペットボトルを私に見せて、

「いいか、覚えとけ。インドじゃ、飲料水も用心しないといけないんだ。俺は飲み終わったら、いつもこうやって、ナイフで底に穴を空けて再利用させないようにしてるんだ。」

苦笑いした。ま、人それぞれ何かしら痛い目にあって、その人なりの経験サバイバルしているんだということがわかってきた。

半月くらいすると、ようやく緊張がとれてきた。

知り合った韓国人旅行者とも話をした。トレッキングにいった友人が拉致されたらしく、今も行方不明心配だ、と話していた。

リー沈没中の日本人とも時々話をした。ドラッグ情報交換のサロンのようになっていたのが印象的だ。

その後、あちこち経て、スリランカへ到着。チェックインするなり、宿のおかみが小声で、少年は欲しいか?と聞いてきたので、??と怪訝に思っていたところ、その後

一部欧米人旅行者の、現地の少年少女に対する気持ちの悪い性癖を目の当たりにして、オエっとなったあたりで始めての海外旅行を終えて無事帰国した。

学生の頃にこういう経験したのは、いい勉強だったと思う。

*******

卒業してからは、仕事柄、世界中飛び回っている。個人旅行でもね。

欧米はもちろん、アフリカアジアアラブ中南米もいく。残念ながら中国はまだない。

どの国や地域危険ですか?とたまに聞かれる。

しょうご君の例を出すまでもなく、本人の備え次第で「危険への暴露」は異なってくる。

油断していると、ヨーロッパアメリカも相当に危ない。

観光地特に、ホケーっとした観光客を狙ってくるのでね。

しろ観光客の少ない地域安全だったり。

債務貧困国で、水道は泥水みたいな劣悪な環境であっても、観光客がおらず、

東洋人が珍しいような国では比較安全に歩けたりすることも。

そうはいっても、リアル北斗の拳揶揄されるホンジュラスエルサルバドル都市部とかね。ある意味ヤバい

地方部のマラスの支配地域のほうが、麻薬ルート上にあって支配確立しているだけに、まだしも安全だったりする。

首都レストランでメシを食っていたらいきなり強盗とか、タクシー営業みかじめ料のいざこざでバーンとかはあるにしても、

それでも大型ショッピングモール安心感結構高い。

例えばナイロビなどに比べると、ものすごく安心する。お金安心して下せるレベル

アフリカの一部地域では、銀行を出る瞬間、かなり緊張することが多い。

それと、ブラックアフリカ遺伝子というのか、血の気の多さに圧倒されることも。

現地の駐在員や日本公的機関から、乗っている車が交通事故を起こしたときの注意点として、耳を疑うようなアドバイスをもらったことがある。

たとえ事故こちらの責任であっても、ポリスに連絡などせず速やかに現場を立ち去れ、というのだ。つまりひき逃げしろと。

なんどか交通事故を目撃したことがあったので、直感的にすぐ理由が分かったんだけどね。

事故の直後、野次馬がわらわらと寄ってきて、こいつが悪いのか!と加害者と目された側に対して、タコ殴り暴行を加えるということが日常茶飯なのだ

結局のところ、それぞれの地域で、それぞれのシチュエーションで、異なる社会的な背景のある危険性があり、一概に殺人発生率やテロ治安の悪さだけでは語れない。

それと自分自身の備えとして、現地の政治経済の概況くらいは把握できるよう情報収集ができないと、どの国にいっても危なっかしい。

言葉もね。スペイン語などローカル言語で最低限、警察自分立場欲求説明できるくらいの能力がないといざというときマズイ。

また先進国から安心していると、フランスパリでいきなり恐喝されるかもしれないし、

ロスで一杯飲んだ帰りに拉致られるかもしれない。

グレイハウンドバストイレに行こうとしたら、中からナイフを持った無賃乗車の男に「シッ!」と睨まれるかもしれない。

朝食を食べにホテルの部屋を出た隙に、さっきまでメールを書き途中だったパソコンがとられるかもしれない。

空港警官わいろ要求されるかもしれない。

あるいは、池袋を歩いていたら暴走車両に、、、なんてこともあるかもしれないしね。

国名は書かないけど、アメリカから敵視されている国のなかには、案外と親日的な国であり、かつ人々も穏やかで

街を歩いていて、ものすごく安心感のある国もあるね。

いろいろ書いたけど、

私自身が、最初海外旅行インド一人旅だったので、

心構えとある程度の経験がないと、一人で行っちゃいけないよ

みたいな助言は、おこがましくてできないけれど、

経験っていうのは、その国に行かないと経験できないことでもあるので、

めげずにいろいろ旅すればいいんじゃないと思うね。

いい増田

2019-02-20

anond:20190220130423

この場合の「オペレーション」っていうのは防弾チョッキ着てヘルメット被って

帯銃して防弾装甲&防弾ガラス装備したトランジットチャーターすることだぞ

2019-02-17

「旅慣れてる」の基準って?

10カ国に行って一度もスリに遭ったことがない」みたいなまとめ見て思ったんだけど、何カ国以上だと旅慣れてるなあっていう印象になるの?

ぶっちゃけ自分は、10カ国...だけで語れる?と思ってしまった。


マウントしたいわけじゃなく

仕事海外行く人はもっと行ってる(これを言っちゃあおしまいか)

・中長期旅行者や移動好きは1度の渡航で何カ国も巡る

トランジット入国&数時間だけ観光する派は数稼げちゃう

と思うから

逆に、3カ国しか行ったことないけどそのうち1カ国に1年住んでたとかだとまた印象変わるよね。同じ国に何度も行ってる人もいるか

あと全部ツアーガイド付きバス移動とかだとうーん?と思うかも(でも年取ったらそういうことするかもしれないし否定はしたくない!)


かくいう自分は、大陸ならではの地続き移動が大好きなので、鉄道移動できるなら1度に3カ国ぐらい行く。

フランスから隣国へ1泊だけとか、アメリカからメキシコ日帰りとか、トランジット半日だけぶらつくとか、行ったことあると言っていいのかレベル滞在も含んで、30カ国になる。

もう一度言うが、マウントじゃない。渡航経験は多くないのに数だけ稼いでしまタイプだと思う。

からなんとなく言いづらく、旅行好きを自称したことがない。

人の旅行話を聞きながら会話して初めて「なんで黙ってたの!?」と言われることもある。逆にバックパッカーの人とかだと「ふーん。まあまあ行ってるね。」みたいな感じ。

だいたい海外旅行好きって言うのは恥ずかしくて言いづらい。うまく言えない。。お金がかかる趣味からともすれば嫌味っぽいし。

あと自分女性なんだけど、旅行に関して男性ってマンスプレイニングしたがるので非常に疲れる。(キラキラ女子っぽい旅行をしていないかどうか執拗に確かめようとする)


本題に入ろう。

実際、旅慣れてる基準というか、履歴書趣味欄「旅行」って書けるぐらいの経験って何カ国以上になるんだろう?

読書映画鑑賞なんかといっしょで、経験時間がかかるものこそやっぱり量が1つの基準になると思うのでぜひ聞きたい。

(こんなことで旅行を測っても仕方ないというのは百も承知なのですが、就活に使えるものなのかどうか知りたい)

自分なりにざっと考えるとこんな感じかなあ。

【下記のどれか1つでも満たす】

・1度に半年以上の滞在もしくは旅行経験したことがある(除:仕事

・年齢と同じ数以上の国を訪れたことがある(同じ国に複数回訪れた場合も、再度カウントできるものとする)

【下記に該当するものは除外する】

・フルパッケージツアー経験しかない

公共交通機関を使ったことがない

旅行中に現地人との交流(買い物時の挨拶店員とのちょっとした会話〜交渉含む)を一切したことがない

2017-11-29

インスタグラムとは、プリクラである

インスタグラムとは、プリクラである

プロフィール画面は、プリクラ帳。

タイムラインはプリ交換。

自分学生だった頃に、

ぶ厚いプリクラ帳を持って、

「プリ交換しよ^^」って

言ってくるおじさんがいたら、どう思うか。

通報だろうが。

そういうことだ。

ここ数日、

「おじさんに『インスタ映え』は可能か」

ということについて考えていた。

結論

「かなりむずかしい」

キー局代理店に勤めている連中は、

案外、キラキラした投稿をしない。

自己顕示欲は、普段仕事で満たされている」

と言っていたので、まあ、そうなのかもしれない。

守秘義務もあるのだろう。

でも、大多数の一般おじさんだって

自己顕示欲を満たしたい。

そんなおじさんの投稿内容は、

メシ 筋トレ

子供写真 同窓会

海外出張トランジット

(字余り)

が9割。

残り1割は、野球サッカーフジロック

年賀状でいいよ、もう。

2017-11-08

放浪している俺を励ましてくれるアニソンを探していた

アイカツいいじゃん!

……未来トランジット

……Dreaming Bird

……うぐっ

2017-10-29

travel note

9/25-9/29、夏季休暇を取得し、憧れの国ドイツ旅行してきました。

前夜。

トランジットのため成田から北京国際空港へ。海外で初めて口にした食べ物ピザハットピザ政治的事情から各SNSにはアクセスできず、乗り継ぎまで人生の貴重な8時間出国せず空港内で過ごしました。

中国国際航空を利用しました。何故か機内モードでも電子端末は一切電源を消すよう命じられたため、退屈な機内でした。本を読んでは眠くなるため機内ではほぼ寝てました。また機内食はお粗末なもので、一緒に出されるパンフルーツの方がずっと美味しく感じました。

9/25

フランクフルト国際空港着💢やはりメルケル氏が当選していました。

新秋のドイツは気温10~15度と寒いので、空港から降りてきた薄着の漢民族は凍えていたようです。

ドイツ鉄道が発行している「ジャーマンレイルパス」を事前に購入していたので、ヴァリデーションを済ませフランクフルトからベルリンへ移動。しかしながら自由席指定席もほぼ満席状態で、後から乗った私は車内で立ち往生してしまうことに。ベルリンまでの移動時間はおよそ4時間半。全日一等席に乗れる権利を有していたのに惨めな旅だと思っていたら検札に来ていた乗務員が空いている自由席を見つけてくれ、さらに隣に座っていたウルリッヒミューエ似のおっさんスーツケースを上の棚に入れるのを手伝ってくれました。この時感謝気持ちを述べた言葉ドイツに来て初めて使用したドイツ語でした。

ベルリン

インターシティホテルベルリンにチェック。このホテルは2日間滞在していた。一人で予約しているのに何故か掛け布団が二つあったのが気に障りましたが快適に過ごせました。いかんせん成田搭乗から今まで風呂に入る機会が無かったので、ガラス張りのシャワー室でシャワーを浴びる。

行ったところ。

ブランデンブルク門。言うまでもなく、ベルリンの壁象徴する建造物。これを見るためにドイツに来たと言っても過言ではないくらい見たかったもの。なお、この日から8日後に東西統一27周年を迎えました。東西融合を祝して、記念に橋を架けました。興味深かったのが、門周辺はイギリスフランス等各国の大使館がひしめき合っていて、門の直ぐわきにアメリカ大使館では警備員が厳めしく立っていたました。そして、『舞姫』で豊太郎が闊歩したウンター・デン・リンデン通り沿いを100m程歩くと今度はロシア大使館が見えてくるのですが、アメリカ大使館の2倍の敷地で厳重な警備と邸宅さながらの荘厳さがありました。当時ソ連東ベルリン統治する上で、東側諸国リーダーたる威信を発揮しようとしていたかがうかがえますね。

次。DDR Museumという旧東ドイツ博物館。じっくりねっとり展示品を舐め回すように見ながら1時間半くらい経ったところで閉館のアナウンスが。まだ全部見終わってないんですが。

アレクサンダー広場ベルリンテレビ塔、に行く前に広場周辺でカリーヴルストを夕食。正直ケチャップは苦手なのですが、これはケチャップと合いますねぇ!!!!これだけでお腹一杯になってしまいました。

テレビ塔。夜景を期待してわざわざ22時に入場したのですが、ちょっと想像と違っていましたね。

2日目。朝から特急に乗ってチェコに行こうとしたのですが寝過ごしました。ただ、片道の移動時間がこれまた5時間も掛かるので仮に朝一の列車に乗っても、宿泊の都合上、日帰りで帰るとなるとろくに滞在できず一日を列車で過ごしかねないスケジュールでもあったので、正直フイにして後悔はしませんでした。

テレビを点けたらチャンピオンズリーグバイエルンアンデルレヒト試合が中継されていました。2-0でバイエルンが快勝していて流石FCバイエルンでした。

昼。電車に乗ってシュタージ博物館へ。これも東ドイツ関係。『善き人のためのソナタ』にも出てきた建物写真ネクタイは、よく見ると小さな穴が開いていて、この穴を通してカメラ反体制派の行動を盗撮していたというのですから恐ろしい。

夕方オーバーバウム橋からシュプレー川沿いの「イースト・サイド・ギャラリー」を見学。これも東ドイツ時代遺産写真男性二人(ブレジネフとホーネッカー)が交わしているアツいキスは決して男色を表しているのではなく、共産圏における挨拶の一つだという…。その後はポツダムに移動しサンスーシ宮殿見学するつもりでいましたが、気付いたら閉園時間が近付いていたため断念。片道1時間電車を引き返すことに。

夜。ポツダムプラッツレストランで夕食。ベルリンピルスナーを堪能。ドイツビールは飲めるけど、日本ビールは何であんな苦くて不味いんでしょうか。クネーデルズッペ。ブイヨンベースに牛レバーの肉団子というシンプルスープ料理なのですが、これが非常に美味しかったです。スープ料理で初めて感激しました。最後ベルリン名物アイスバイン塩漬け豚肉を茹でたもので美味しかったのですが、ボリュームに屈し食べきれずギブアップ。すいませんでした。

帰路。連邦議事堂。丁度議会選挙の直後だったのか館内見学の予約が取れず外から見学

ホテル内。ビールを飲みながらテレビドルトムントレアルマドリード試合を観戦。やはりピルスナーは飲みやすい!それでいて1.03ユーロ(約137円)という驚きの安さ。なお試合は3-1でレアルドルトムントボコボコにしてました。

3日目。6時にチェックアウトを済ませ、西方シュトゥットガルトへ。メルセデス・ベンツミュージアム見学しに。ルイス・ハミルトンは好きじゃないですが、メルセデス・ベンツは好きです。前からSLS AMGやAMG GTのロングノーズのボディが気に入らなかったのですが、300SL等歴代の車種を見ていくにつれてこのノーズが力強さが感じられるようになり好きになりました。あと、AMG GTって写真で見るより意外と車体が小さかったです。

博物館を後にし、ケルンへ移動。2時間程移動してケルンホテルマテルヌスハウスチェックイン。受付は愛想が良く好感を持てましたが、部屋がツインダブルベットで虚しさがこみ上げてきました。加えて、もともとコンベンションホールホテルにした作りなのか、浴室の作りが人工的でこれまたムードダウン。

ケルン大聖堂。二つのアーチがそびえるゴシック様式ローマ・カトリック教会ブランデンブルク門と並んで見たかったものその2。駅からライン川を渡った先が撮影ポイントで、道行く外国人スリの恐怖に怯えながら100枚くらい写真を撮っていました。

夕食。『地球の歩き方』にも掲載されている有名店なレストラン。ここではケルシュという地ビールを堪能。フルーティーな味わいで飲みやすいけど、水だと揶揄されてもいいくらい苦味が薄く刺激が弱い。でもボクは好き。

4日目。最終日。朝食はフルーツポンチばかり食べてました。ゆっくりしてからチェックアウトを済まし、フランクフルトへ。

フランクフルト証券取引所。入口前に雄牛と熊の銅像ブルベア。DAXは8月以降ずっとブルってやがる!館内ツアーガイドドイツ語で何を言ってるかさっぱり判らなかったです。取引所を後にし、しばらくフランクフルト金融街を闊歩してからフランクフルト国際空港へ。ドイツ旅行はこれにて終わり。

魔の5日目。トランジット北京行の便がまさかの遅延で予定の日本行の便に乗れず。後にトランジットカウンターに行って出発便を振り替えればよいとわかったのですが、何せ初めての事態でかなりアプセット。何とか便を振り替えてもらいましたが、中国人の話す英語が判らず聞き取るのにかなり苦労しました。

19時頃羽田空港着。成田じゃなくてよかったです。ここでクイズ東京に着いて一番最初に食べたものは?そうですね、ラーメンですね。

初めて一人で行く海外旅行でしたが、正直旅行というより社会科見学に近いものでした。博物館で2時間も3時間も過ごすのでもし人と一緒に来ていたらうんざりするでしょうし、この点は一人でよかったです。完全に自分時間が流れていました。

しかしながら、やはりトラブルがある時はやはり一人で対処しないといけないですし、当然コミュニケーション外国語なので言葉がわからないと辛いものがありますね。幸い身振り手振り肉体言語でも伝わるのでこの点は何とかなることはありますが。意外にも滞在期間中一切日本語を喋らなかったのが精神的に辛かったです。

また行きたいですね。今度はルフトハンザ航空の直行便ファーストクラスで。

2017-08-27

何で同じ電車に乗るの?少しお金我慢すればすいている交通機関使えるのに

私は昨年の夏にソウル市内を訪れた。目的としては慰安観光などがある。勧告独自料理文化、そして歴史資料館などを見学した。その、ソウル市内を見て驚いたのが、公共交通システムが高度化されている事だ。都市鉄道における踏切廃止ホームドアの整備はもちろんのこと、都市鉄道地下鉄バスの乗り継ぎ料金が廃止されていて、スマート公共交通が実現されている。日本ではつい最近まで満員電車問題が取り上げられていたが、日本場合は同じ鉄道でも運賃バラバラな上に、バス地下鉄との乗り継ぎ運賃が設定されているために、混雑の緩和を難しくしている。

そこで、私は都市交通の近代化提案したい。具体的には、道路の改良やそれに伴うバス路線網の整理、そして鉄道バス地下鉄との乗り継ぎ運賃廃止である。まず、日本は長らく鉄道王であると云われていたが、これは道路交通の整備が諸外国に比べて著しく遅れていることから相対的鉄道交通が極端に便利であることを揶揄する言葉である。実際に道路を見てみると、バス専用レーンの設置やバス路線BRT化など、大幅な改良の余地が見られる。長らく、鉄道路線の補完として扱われてきた都市路線だが、近年は通勤ラッシュの著しい東京都内を中心に混雑緩和の切り札として再評価されている。改良工事の余裕のある車線の多い道路には、営業時間中に設定されるバス専用レーンの整備を行い、バスの増発を可能にしてみてはいかがだろうか。それから鉄道バス地下鉄との乗り継ぎ運賃すなわち初乗り運賃の二重徴収廃止バス運賃トランジット制度提案したい。都市圏ブロックにおいて、新幹線を除く都市鉄道運賃統一して、なおかつバスの乗り継ぎに応じての乗り継ぎ運賃の割引を適用できるようにすべきだ。バスの乗り継ぎ割引についてだが、30分以内の乗継であれば、バスに関しては6回までの乗継時に運賃を割り引くなり免除するなりすればよい。これにより、運賃のばらつきによる鉄道同士、あるいは鉄道地下鉄、あるいは鉄道地下鉄バスの混雑の偏りなどがなくなり、先進国水準のスマートマス・ラピッド・トランジットが実現できる。

2016年鉄道の大幅な混雑緩和を公約に掲げて小池百合子都知事就任した。東京といえば2020年オリンピックパラリンピックが開催される都市だ。オリンピックに合わせて条例法律の整備や都市改造が進められているが、その都市改造の中身に、公共交通の改造が含まれればと思う。日本公共交通の不便さは全世界訪日客がわかりきっているものなのだから

2017-05-15

さっき見た夢

妻と一緒に海外へ草を食べに行くことになった。

今回は仁川トランジット時間があるので空港を出てキノコ狩りに行くことに。

空港で旧友と会った。俺と妻は軽自動車で、旧友はバイクで、一緒に向かう。

しばらく行くとガソリンがなくなったのでセルフ式ガソスタに入る。

旧友は現金がないとのことで俺が入れる。

旧友のバイクに、悪意なく角砂糖を入れる。

俺の軽自動車には軽油を入れる。

給油が終わって出発、しばらく行くとバイク調子が悪いとのことで再びガソスタに。

店員のいるガソスタだったので様子を見てもらうと、今日中には直らないとのこと。

じゃあと言って妻と二人でキノコ狩りに。

途中車の調子が悪くなり動かなくなった。

歩いて旧友がいるガソスタに向かう。

すると旧友の姿が見えない。近くの温泉街にいると店員から聞く。

温泉街に歩いて行くと、宿に住み込みで働くことにした旧友がいた。

「オレはここで働く。でも一緒に連れてきた猫はここで飼えない。お前が連れて行ってくれ」

キャリーがなくリュックに詰めて行こうとするが、

一度入ったがすぐに出てきてしまう。

よく考えたらリュックに入れるのはかわいそうだから置いていこう。

旧友の気持ちに応えられなくて申し訳ない。

飛行機時間に間に合うかあやしいバスに乗って仁川に戻る。

そのまま目的国へ。

事前に聞いていなかったが当地の友人たちとアフタヌーンティパーティに出席することに。

会場に着いてからドレスコードがあることに気づき、友人に怪訝な顔をされる。

しかも参加費用が足りない。手元にあるキノコを道端で売って工面する。

草も買った。紙も買った。会場に戻ると怪訝な顔をされる。

そりゃそうだ。

ホテルに帰ろうと言った妻の顔を見ると、妻ではなく元カノだった。

覚醒

2016-11-18

あの人に依頼したかった連載タイトル

わたしがまともなギャラを用意できるメディア編集者なら、あの人にいくつかの連載を依頼したかった。わたしはいまその立場ではなくて、あの人は唐突に早逝した。だからわたしはもう誰にもこのタイトルで書いてくださいと頼みに行くことはない。

「着替えるようなインテリアときどき来客または滞在者、あるいはその想定」

アクセサリという凶器ときどき狂気

「意外と広い東京の、どこが『わたし東京』ですか?」

トランジットルーム

「cosmetic's love and hate

香水とそのための場所(ただしあなたのベッドを除く)」

あなた禁じられた遊び

流行の波には乗らずひとつまみ」

「もう話しても差し支えない誰かの話」

「苺、バターチョコレート

「失敗した買い物についてたくさん話しましょう、それからみんな捨てましょう」

2016-07-26

静岡空港の売上を2倍にせよ

なんとなくネットサーフィンしてたら、表題問題が書いてあって「そんなの無理だろ」思ったんだけど風呂入ってたら案が出てきたので書く。

(※売上2倍のみなのでとりあえず利益はおいておく)

静岡空港の売上を2倍にするってことは、静岡空港の横に第2静岡空港をつくる規模感の話だなと認識した。

まりはそれだけ人と飛行機を集めなければならん。

ぐるぐる考えた結果、多分ハブ空港化し、かつ静岡空港の周りをトランジット遊びエリアにして航空会社WIN, 乗客WIN, 遊び場増えて静岡WINをつくるのがベストな気がしてきた。

以下頭のなかを説明する。

空港の売上ってのは、①テナント料②飛行機離発着料(空港使用料)の2種類。どちらも結局は空港に来た人が払うものから、やっぱり飛行機の便を増やして、人を増やすしか方法がない。

ちなみに①と②を比べると、②が遥かにインパクトデカイって書いてたから、勝手に①が2割、②が8割にする。

さて、じゃあ静岡空港が他の空港(羽田とか)と違う所が何かって言うと、静岡自体にはあんまり用事ない。それに対して多分離発着料が安い気がする。地価やすそうだし。

そんなところに飛行機増やそうとすると、「静岡に来る」目的の人の利用する飛行機は増やせなくて、「静岡を経由してどっかいく」目的の人を増やせばいいんじゃないかと。

航空会社メリットとしては、海外便の場合静岡(日本)で一回トランジットすると給油できるから燃費良くなる便が出てくるはず。また、成田離発着するより費用が安くなる。

乗客にとってはトランジット目的なら成田でも静岡でも一緒。静岡空港作戦としては、トランジット中に一旦入国してもらって日本で遊ぶ環境を整えたほうが面白いと思う。

静岡東京名古屋にも割と出やすくて、近くには富士山もある。JAPANESE TEAもある。日本人からすれば辺鄙だけど、日本に来たら東京から広島まで2週間で観光ちゃうような海外の人にとっては、1時間半くらいで東京に出れる静岡トランジットとしては十分ななんじゃない?

また、静岡空港の周囲に遊ぶエリアを作ってあげれば、6時間トランジットあれば入国して遊べます!みたいなプランが作れるよね。

飛行機路線って、色々入り組んでるけど「このパターン旅行がしたい人はこれがベスト経路!」みたいなターゲット絞った路線を作ってしまって、かつ若干の時間調整にハブ空港観光場所化しちゃうのって割とニーズ有ると思うんだ。

今の売上を2倍にしようと思ったら、今のテナント料を値上げして0.2×1.5=0.3, 飛行機数1.5倍で0.8×1.5=1.2, 足らずまいの0.5を周囲の観光資源からテナント料貰っちゃうなんてどうでしょうか。

今なん路線あるのかわからないけど、もう4路線くらい増やして、めざせ空港規模1.5倍、売上2倍計画

とまぁ絵空事を書いたとして、ガチで2倍にするならやっぱり空港を広げなきゃだめだろうなぁ。そうなると投資判断の腰が重そうだなぁ。

と、ここまで考えておいて順番が逆ですが静岡空港について調べてみよう。

外コンとかで働く人はこんなのすぐ思いつくんだろうな。

2015-08-01

明日のお天気です。2ヵ月空港生活のちロシア国籍取得でしょう。

36歳の安保鉄也(アボ・テツヤ)氏は5月1日観光ビザ(現時点で既に切れている)で首都に飛んできた。同月29日、氏は東京へ帰らなければならなかった。しか自分の便のレギストレーションを通過し、搭乗券を受け取ったところで、出発ホールに残ることを決めた。

人によれば、政治的動機による行動である。「我々はいまだに米国占領されているかのようだ」。ラジオ「Vesti.fm」の取材に氏はこう述べている。

「分かりますか。私はこういう人生のほうがいいんですよ。飢えた方が。誰もがウソをつき、欺瞞だらけの場所に帰るよりはね。私は大手の日米企業で働いてました。私は多くのものを内部から見ていました。でもジャーナリストですのでそれについては書けません」と鉄也氏。

当人によれば、信念のために、偽りの罪で投獄されたことさえあるという。今、首都空港ターミナルが彼にとっての家になった。どうやってこの人物が生活しているのか分からない。しかし金銭が少ないのは分かっている。ホテル代も食費も足りないのである空港職員ももう彼に慣れてしまった。うわさでは、誰かが食物を与えさえしているらしい。

ターミナルEを歩いていくと、夕方、背広がかかっているのだ。なんだかもう慣れてしまった。あいつ一体どうやってここに存在しているんだろうね、と同僚たちと話している。ここのめしは高いから」。

安保鉄也氏はロシアに留まる希望だという。「言ってしまえば、いま私はこんなことを考えてばかりいますロシア国籍を取得できたらな、と。もう政府に申請も書きましたよ。そのへんのお巡りさんに渡したら、返事を待つように言われました」。

当人自分スノーデン氏になぞらえているという。スノーデン氏は政治的動機から故国を逃げ出し、1月以上にわたり同じシェレメチエヴォのトランジットゾーンで過ごした。

こういうことはモスクワ以外でも起きることのようで、イラン人シャルル・ド・ゴール空港に18年間滞在したことがある。このイラン人は抗議行動への参加がもとで国を追われた。彼の半生をテーマにした「ターミナル」という映画がある。監督スティーブン・スピルバーグ、主演はトム・ハンクス

http://jp.sputniknews.com/russia/20150731/670828.html

2013-03-20

僕とストリッパー女の子の話。

飛行機トランジットを待っていて暇なので、ちょっと昔のことでも書いてみようと思う。数年前、この空港にはじめて来たとき、僕は今とはまったく違う人間だった。あの頃の僕は、希望理想好奇心に満ちあふれていた。でも今は? 僕の心は冷たく凍っている。そしてこれには訳があるのだ。

僕は父親を早くに亡くし母子家庭で育ったが、まじめに勉強したので成績はいつも一番だった。そのまま東大法学部に入ったあとも、僕は常に一番だった。東大主席卒業したとき、母はどれほど喜んだことだろう。その後、僕は外務省に入省し、上層部の大きな期待をうけて、ドイツ大使館派遣されることになった。当時のベルリンはいまだ東西ドイツ分断の爪あとも生々しく、その一方で、新たな統一国家を創りあげるのだという若々しいエネルギーにもまた満ち満ちていた。その高揚感に僕は目を見張り、自分が今歴史のまっただ中にいるのだということに感激を覚えた。僕はドイツ語フランス語がとてもよくできたので、大使館でも重宝された。そして、これはすでに上層部の許可を得ていたのだが、大学に籍を置き、仕事の合間にはさらなる勉学に精を出した。

あっという間に三年がすぎた。僕は相変わらず真面目に働き学んでいたが、心の何処かに落ち着かないものがあった。激動の時代を経たベルリン大学にはさまざまな思想が渦巻いていた。その気風にあたって、僕の心になにがしかの変化が生まれたようだった。それまでの僕は、ただ真面目に生きてきただけだった。母親は僕を歩く辞書にしたかったのだろうし、今、官僚となった僕は歩く法律であることを求められている、そんな気がした。僕が、自分の頭で物を考えること、そんなことは求められていなかった。そのことに気付き、僕は少しずつ別のことを学び始めた。歴史文学を学ぶことで、自分なりの思想を作り上げようとしはじめた。

上層部人間がそれをおもしろいと思うはずもなかった。彼らは僕が機械歯車であることを望んでいたのだから。そもそも僕は同僚たちの間でも受けがよくなかった。彼らが飲み歩いて遊んでいるとき、僕はそれに加わらず、ひたすら勉強していたのだから上層部の不興と、同僚たちの嫉みによって、大使館のなかでの自分立場は危うくなってきていた。

僕が遊び歩かなかったのは、実のところ、僕が臆病だったからというだけだ。僕は子供の頃からずっと優等生だった。僕はまるで処女みたいなものだった。僕はただ極端な臆病者だったのだ。少しでも道を踏み外すのが怖かった。だから敷かれたレールの上を必死で走ってきたのだ。ばかにされてもしかたがないと思う。だが、うらやまれるのは納得がいかない。僕は遊ぶことができなかった。旧東ベルリンのすさんだ地域で、けばけばしい化粧をした娼婦たちに声をかけられても、それを買う勇気すらなかった。

ある日のこと、家に帰る途中ベルリンの壁に程近い、そんな貧しい地域を通りかかった。教会廃墟の前で、一人の少女が泣いていた。十五、六歳に見える。ジーパンはは着古されているけれど清潔で、パーカーのフードからこぼれる髪は、明るい金髪だった。僕の足あとに気づいて振り返ったその顔を、どう表現したらいいのだろう。真っ青な目は清らかで憂いをたたえていて、その長いまつげからは今まさに涙のしずくが滴り落ちようとしていた。

僕は思わず声をかけていた。

「どうしたのですか。なにかお助けしましょうか」

彼女は驚いて僕を見つめたが、僕が真摯なのがわかったのだろう、こう答えた。

「助けてください。パパが死んだのに、お葬式をあげるお金がないの。私が言うことを聞かないから、ママは私を殴るの」

僕は彼女うなじを見つめていた。

「こんなところで泣くのはおやめなさい、人目もあることだし」

「ごめんなさい、あなたはいい人ね。頼りにしていたオーナーに、借金を断られたんです。私は彼のところでもう二年も働いているのに。身体で払えと言って来ました。ねえ、お金を貸していただけませんか。かならずお給料からお返ししまから……」

彼女は涙ぐみながら上目遣いに僕を見た。なんともいえず色っぽかった。

僕は財布にたいした現金を持っていなかったので、時計を外して彼女に渡した。

「これをお金に替えなさい」

彼女は感動してポロポロと涙をこぼしながら、僕の頬にキスをした。

その後、彼女は僕が渡した名刺を頼りに僕のアパートを訪ねてきた。僕たちは頻繁に会うようになった。やがて、このことは同僚たちにも知れ渡るようになった。僕が場末ストリッパーと交際していること、もともと僕を快く思っていなかった連中は、それをあることないことで脚色して大使の耳に入れた。僕が学問をつけ生意気なことをいうようになったことが気に入らなかった上層部はこれをいい機会と僕を免職した。

本当は、このころ僕たちはまだ身体の関係をもっていなかった。彼女とその家族社会主義下の東ベルリンで貧しくも慎ましく生きていたが、壁崩壊後の資本主義の流入で食べるにも困る状況に陥った。そんな時新しくできたストリップクラブストリッパーとして働かないかと声をかけられたのである。昼は稽古、夜の舞台とこき使われて、そんななかでも努力が実り二番人気まで上り詰めたが、それでも少ない給料家族を養うのにはとてつもない苦労があったようだ。

僕が首になったことを伝えた日、僕たちははじめて結ばれた。はじめて見たその日から僕は彼女のことを愛していたのだけれど、その気持ちを抑えこもうとしていた。僕の免職をきいて悲しみに震える彼女の姿をみて、僕ははっきりと自覚したのである彼女を愛している、と。

僕は困窮した。給料はとめられ、滞在許可の期限も切れようとしていた。そんなとき僕を救ったのは、Aという友人だった。

Aは大学時代の同期で大蔵省に勤務していたが、僕が困り果てているのを人伝てに聞いたらしい。知り合いの新聞社編集長に頼んで、僕をその新聞社特派員という形にしてくれた。なんとか滞在許可を延長できたものの、給料は雀の涙であった。今度は彼女が僕を助けてくれた。僕はアパートを引き払い彼女の家に転がり込んだ。僕は彼女と、彼女母親の住む部屋で、互いの少ない給料を持ちあってそれでも楽しい日々を過ごした。僕はもう学問にも本にも見向きもしなくなった。けれど、いわゆる世俗的なもの、今まで見向きもしなかった、見ないようにしていた世界が、僕の前に広がった。

冬が来た。ある日僕はAから電話をもらった。今、大蔵省次官に同行しベルリンに来ているという。「君の名誉を回復するチャンスだ」、彼はそう言った。彼女にそのことをいうと小躍りして喜んで、戸棚に仕舞いこんであった僕のスーツに念入りにアイロンをかけて着せてくれた。Aが与えてくれた仕事次官通訳翻訳だった。そして、ロシアへの出張の同行を打診された。まとまったお金が入ったので帰ってくるまでの生活費として、僕は彼女にそれを与えた。彼女の体調が優れないようなので、それが気がかりだった。

ロシアへの出張はすばらしいものだった。なによりも国際政治舞台に再び立っているということが、僕の心を高揚させた。彼女のことを忘れていたわけではない、けれども、僕は迷い続けていた。日本に帰ってふたたびキャリアを積み重ねることができたなら……

ようやく出張から帰ったその瞬間まで、僕はそんなことを考えていた。けれど、彼女が戸口から飛び出して抱きついてきたその時、そんな迷いは吹き飛んでしまった。彼女とともに生きよう。僕は彼女を愛しているんだ……部屋のテーブルには、編みかけの靴下があった、それも、ミニチュアのような靴下だった。彼女幸せそうに微笑みながらいった。「どう?」

数日後、僕は次官に呼ばれた。彼は言った。君の能力はすばらしい。ポストを用意するから日本に帰ってこないかね。

僕はとっさに思った。このチャンスを逃したら、僕はこのまま落ちぶれて、日本に帰ることもできず、異国に散ることになってしまう。その瞬間、僕は、「光栄至極です」と言っていたのだった……

真冬のウンター・デン・リンデンを、僕はさまよい歩いた。僕の肩には厚く雪が積もった。固く凍った路面で、何度も滑り膝を着いた。ようやく家に帰ったとき、僕はまるで死人のような有様でそのまま床に倒れこんでしまった。

それから数日間の記憶はない。高熱を出してうわ言をいっているのを、彼女必死に看病してくれていたらしい。そんなときAが訪ねてきて、僕が次官に帰国の約束をしたことを告げた。意識を取り戻したとき、僕は彼女の変わり様に驚愕した。Aは彼女精神的に殺してしまったのだった。彼女は、「なんていうこと、そこまで私を騙していたなんて」と叫び、倒れてしまったのだという。ふたたび目をさましたときには、もう正気を失っていて、僕の名を呼んで罵ったり、髪をかきむしったり、小さな靴下に頬ずりをしてさめざめと泣いたりするばかりだった。

僕のほうの病気はすっかり治った。日本に帰国する際には彼女母親に、幾ばくかの金を与え、可哀想な彼女の胎内の子供のことも頼んでおいた……

Aほどいい友達はいない。それは確かだ。でも、僕は心のどこかで彼のことを憎んでいるような気がするのだ。

 
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