はてなキーワード: ブラックアフリカとは
しょうごくんの話
https://note.mu/shogo622/n/n99e40d665438
を読んで、
四半世紀前の学生の頃を思い出したよ。
生まれて初めてパスポートとって、いきなり一人でバックパッカー気取りで
旅行代理店の人に
「インドか、俺も若いころさ、スリランカにフェリーで渡ったことがあるんだよ、懐かしいな。君は初めての海外旅行?気をつけろよ。これからメシでもどう?」
と助言をいただいた。これから初めてインドに旅立つ若者に万感の思いがあったんだろう。
「いえ、これから待ち合わせがあるんで」
「そう・・誰?まあいいや、じゃあ、ま、気を付けてね」
あの時、何の待ち合わせだったかを彼に具体的に話していれば、あんな目には合わなかったな、とあとで後悔することになった。
そのときすでに、当時流行っていたいわゆる「トランプ詐欺」にまんまと引っ掛かってしまっていたからだ。
代理店に行く前、道を歩いていたら日本人だろ?と声を掛けられ、あとでチケット取り終わったら日本に住んでいる妹と電話で話してくれ、とかなんとか、すっかりそそのかされて、
待ち合わせをすることになっていたのだ。
そして、代理店を出て、待ち合わせ場所にいき、そいつの車に乗り込むや、まんまとバンコクの郊外へ連れ去られてしまった。
トランプのゲームをする前から、部屋の外で人の気配を感じるなど、ただならぬ雰囲気を感じ取ったので、ブルネイの石油商人を名乗る怪しげな対戦相手が登場して間もなく、決意して
振り返ると「おい、ちょっと待て」といってバイクのヘルメットをかぶりかけている恐ろしい形相の男がいた。
外は雷が鳴っていて豪雨だったが、死ぬほど走って道端を歩く人をみつけて助けを求め、タクシーを呼んでもらった。
バーツが足りなかったので、その人にお借りした(ま、返せなかったのでこれも詐欺か)。心臓のバクバクがやんだのはタクシーが空港についたとき。
旅の始まりがこんな調子だったので、トランジットのバンコクの空港で一人反省会。
トランプ詐欺がアジア地域で定番中の定番と知ったのは帰国してからのこと。
その後、カルカッタ。
緊張のあまり、リキシャのおつりが1ルピー足りないくらいで血が上った。カネに関して、無駄にナーバスになっていた。
インドをゆっくりと南下するなかで、ヨーロッパやアメリカ人バックパッカーにいろいろと旅行の注意点やテクを教えてもらった。
あるドイツ人の兄ちゃんは、飲み終わったペットボトルを私に見せて、
「いいか、覚えとけ。インドじゃ、飲料水も用心しないといけないんだ。俺は飲み終わったら、いつもこうやって、ナイフで底に穴を空けて再利用させないようにしてるんだ。」
苦笑いした。ま、人それぞれ何かしら痛い目にあって、その人なりの経験でサバイバルしているんだということがわかってきた。
半月くらいすると、ようやく緊張がとれてきた。
知り合った韓国人旅行者とも話をした。トレッキングにいった友人が拉致されたらしく、今も行方不明で心配だ、と話していた。
プリーで沈没中の日本人とも時々話をした。ドラッグ情報交換のサロンのようになっていたのが印象的だ。
その後、あちこち経て、スリランカへ到着。チェックインするなり、宿のおかみが小声で、少年は欲しいか?と聞いてきたので、??と怪訝に思っていたところ、その後
一部欧米人旅行者の、現地の少年少女に対する気持ちの悪い性癖を目の当たりにして、オエっとなったあたりで始めての海外旅行を終えて無事帰国した。
*******
卒業してからは、仕事柄、世界中飛び回っている。個人の旅行でもね。
欧米はもちろん、アフリカ、アジア、アラブ、中南米もいく。残念ながら中国はまだない。
しょうご君の例を出すまでもなく、本人の備え次第で「危険への暴露」は異なってくる。
重債務貧困国で、水道は泥水みたいな劣悪な環境であっても、観光客がおらず、
そうはいっても、リアル北斗の拳と揶揄されるホンジュラスやエルサルバドルの都市部とかね。ある意味、ヤバい。
地方部のマラスの支配地域のほうが、麻薬ルート上にあって支配が確立しているだけに、まだしも安全だったりする。
首都はレストランでメシを食っていたらいきなり強盗とか、タクシー営業のみかじめ料のいざこざでバーンとかはあるにしても、
例えばナイロビなどに比べると、ものすごく安心する。お金を安心して下せるレベル。
アフリカの一部地域では、銀行を出る瞬間、かなり緊張することが多い。
それと、ブラックアフリカの遺伝子というのか、血の気の多さに圧倒されることも。
現地の駐在員や日本の公的な機関から、乗っている車が交通事故を起こしたときの注意点として、耳を疑うようなアドバイスをもらったことがある。
たとえ事故がこちらの責任であっても、ポリスに連絡などせず速やかに現場を立ち去れ、というのだ。つまりひき逃げしろと。
なんどか交通事故を目撃したことがあったので、直感的にすぐ理由が分かったんだけどね。
事故の直後、野次馬がわらわらと寄ってきて、こいつが悪いのか!と加害者と目された側に対して、タコ殴りの暴行を加えるということが日常茶飯事なのだ。
結局のところ、それぞれの地域で、それぞれのシチュエーションで、異なる社会的な背景のある危険性があり、一概に殺人発生率やテロ、治安の悪さだけでは語れない。
それと自分自身の備えとして、現地の政治経済の概況くらいは把握できるよう情報収集ができないと、どの国にいっても危なっかしい。
言葉もね。スペイン語などローカル言語で最低限、警察に自分の立場、欲求を説明できるくらいの能力がないといざというときマズイ。
また先進国だからと安心していると、フランスのパリでいきなり恐喝されるかもしれないし、
ロスで一杯飲んだ帰りに拉致られるかもしれない。
グレイハウンドのバスのトイレに行こうとしたら、中からナイフを持った無賃乗車の男に「シッ!」と睨まれるかもしれない。
朝食を食べにホテルの部屋を出た隙に、さっきまでメールを書き途中だったパソコンがとられるかもしれない。
あるいは、池袋を歩いていたら暴走車両に、、、なんてこともあるかもしれないしね。
国名は書かないけど、アメリカから敵視されている国のなかには、案外と親日的な国であり、かつ人々も穏やかで
いろいろ書いたけど、
みたいな助言は、おこがましくてできないけれど、
経験っていうのは、その国に行かないと経験できないことでもあるので、
めげずにいろいろ旅すればいいんじゃないと思うね。
いい増田。
そういう子にしか目が行かない事にも注目したい。
大体外国の女の子というとそういうイメージしかないんだから仕方ない。
しかもそういう女の子って肌が黒いってイメージがあんまり沸かないんだよなぁ。
せいぜいアラビア系の浅黒いエキゾチックな美少女までしか見た覚えがない。
だけど、アニメで見た黒人系の美少女っていわゆるブラックアフリカンじゃなくて
ホワイトアフリカンとかブラックアメリカンな肌のきれいな黒人美少女で
大体髪の色がシルバーだったり瞳の色が青だったりして少なくとも
公の黒人って感じではないんだよね。
GATEのヤオなんて黒人っぽいけどダークエルフで髪はシルバーなんだよなぁ。
そう考えるとダークエルフ系の美少女はたまに見かける事はあっても
殆どの場合、ロシアの妖精とかフランスの儚げな美少女またはフランス人形みたいな感じの子が大半。
これって日本人が白人主義に染まってるというより白人の美少女主義だからじゃないかって思う。
美少女=白人の白い肌で金髪で青い瞳というのは古くからの日本人の好みだったと認識してきたけど、
未だかつて黒人美少女で代表的なのがない時点で、日本人は黒人の美少女には興味というかそもそも関心がないんだろうぜ。
現に俺は全く関心がないんだからな。
★この前読んだ日経によれば、2100年の世界各国人口、ナイジェリアが9億人に達する予想らしい。
そのほか、西アフリカのサウスサハラ、ブラックアフリカな国々が、軒並み人口数億人になってる。
一方のアジア諸国は、中国が人口をどんどん減らし、東南アジアは「タイの出生率1.4、ベトナム1.8」なので、これまた減少する。
インドがどうなるかはわからないが、2100年には、世界人口の重心はアジアからアフリカにシフトすることが確実。
★これが1900年頃の世界人口分布マップだと、いわゆる「帝国主義の列強」の母国の人口シェアが、相当高いんだよね。
この100年で、列強側の人口はほとんど増えなかったが、アフリカ側は数倍になった。
あと100年で、さらに加速する。
★だから、1800~1900年代に、列強が軒並みアフリカとかを「植民地」に出来てしまったのは、勿論軍事力の差が一番の理由ですが、
「列強側が、人口が多かった」の要因もあったと思う。今だと信じられませんが
★ちなみに、「満州は日本の事実上の植民地になった時点で、人口はわずか数百万しかなかった」と聞いてビックリした記憶がある。
だから戦前の人は「満蒙開拓団」で満州で農業開拓に行ってたんだな。
単に出生率が高いだけじゃない。
日本人が30歳でようやっと次世代を出産するのに対し、ナイジェリアは20歳で次世代を出産。増殖スピードが1.5倍
日本だと、60歳で「おばあちゃん」になり、子供2人孫4人なのに対し、
ナイジェリアだと、60歳で「ひいおばあちゃん」になり、子供5人孫25人ひ孫125人
ひ孫125人だと、いちいちひ孫の誕生祝いなんかしている余裕はないし、そもそも「ひ孫の顔や名前を、覚えきれてるか、疑問」
「人口の過半数が子供」という社会は、こういう社会なんだろうなあ
日本から見たら、「なぜナイジェリアは、ひ孫が125人もいるの?」だし、
ナイジェリアから見たら、「なぜ日本は、孫が4人しかいなくて、60歳なのにひ孫もいないの?」だろうな
明治維新の3000万人が、100年で12000万人になったというのは、そういうこと。
逆に言えば、2100年、ナイジェリアのラゴスが世界最大都市になってるだろうな。人口1億人都市とか。
★明治維新時の全人口が、今の日本では1都3県に集約されてるのか。
よく考えてたらすごいな。
因みに縄文時代の日本の全人口は、横浜日産スタジアム収容人員程度しかなかった(8万人)
★未來の人口大国ナイジェリアに、日本はほとんど関心示さないが、ちゃんと中国は接近している。
大学時代の話。
ある日学寮で数人の寮生と共に留学生と雑談をしていたとき、彼の出身地が話題に上った。
恥ずかしながら浅学なもので、アルジェリアという国がどういう国なのか、想像が及ばない。
モロッコあたりならこう、『カサブランカ』のイメージで、いやそれだってフィクションの中の一都市でしかなくて失礼な話だが、まあ、なんとなく。
誰ぞ気の利いた話題をひねりだせないもんかと他の学生に目を向ける。
え? どこやっけそれ。
しかもひとりではない。仮にも旧帝国大学の学生のくせして、アルジェリアの位置を把握していない人間がぼろぼろいやがるのだ。
まあ、慣れているのだろう。アルジェリア人の彼は自国の位置を説明してくれる。だがまだ終わらない。
あろうことか目の前に居るアルジェリア人の彼が黒人でないことに驚くのである。
なに言ってんだこいつ。
アフリカ北岸は古くはローマ帝国の版図でその後はずっとイスラムの支配圏だったろうに。
選択科目の関係で習ってないにしても、ではまさかハンニバルが黒人だとでも言うのか。
だが俺が呆れかえるより早く、周囲の人間が膝を打つ。あ、ほんとだなんでなんで。
ヨーロッパとは内海である地中海を隔てているに過ぎず、シリアと地続きで、黒人の版図との間にはサハラ砂漠が立ちはだかるあのアフリカ北岸なのだ。
自分の周囲にホワイトアフリカとブラックアフリカの区別のつく人間がひとりもいないという事実に愕然としつつ考える。
旧帝の一角たる国立大ですらこのザマだ。私学など恐るべき状況に違いない。
三教科入試など序の口、幼稚舎エレベーターやら帰国子女枠やら意識高い高いAO枠やらの跋扈する人外魔境である。
ここに至ってようやく俺は気付く。
高学歴の人間に教養を期待するのはてんで的外れである、ということに。
しょせんデータベースとして蓄えられる知識なんぞより、それら知識の有機的結合から導き出される中学生でも納得できるような当然の推論の組み合わせ(つまるところ要するにまあ教養)のほうがはるかに広範囲に及ぶ。
あれはお受験というふるいに対して、どれだけ最適化されているか、抜け道近道を知っているかでしかないのだ。
結局、学歴とは能力の指標というよりも既得権益の可視化という性格のほうが強いのだ。
名前を書けば最寄の高校に入学できるクソド田舎の公立中学から始まって、ずいぶん長い間くだらない幻想に囚われていた。
こんな程度のことに気がつくのに馬鹿みたいに時間をかけてしまった。
おかげで論理的思考だとかリベラルアーツに努力値極振りしていた俺は当然の結果として就活に失敗するのである。
なおこの後クッソド田舎な地元の飲食店でバイトして、自分の先入観からずれた発言はどんなに滾々と事例をあげて諭そうと一顧だにしない低学歴の人間にふたたびカルチャーショックを受けるのはまた別の話。
ブロックができないからと言って圧倒的多数の人々は国際語を使う必要もないんだから。
ええ。そこはその通りですよ。
「これは「グローバル化」ではなく世界の「ブロック化」であり、つまり「英語」は「国際語」のうちの最大勢力ではあっても支配言語ではなくなってしまうわけです。要するに英語の影響力は弱まる。
「高度な英語力を身につけられるのはエリート層にとどまり、それに対する非エリート層の不満は経済発展につれて急激に高まることは容易に想像できる。
とか書いてるので、それに対する反論。ブロック化されない、もしくは庶民は国際語を使わないから、どっちも英語の影響力低下にはつながらないでしょ?という話。
2009年で15億。12億はちょっと古い数字では?
12億はちょっと古かったようですね。ただ地域別内訳と将来人口見てもらえば判るけど、アラブ圏とインドネシアという非英語圏有力候補がムスリム人口に占める割合は1/3程度ですよ。このムスリム圏の1/3と東アジアくらいしか非ヨーロッパ語圏かつ英米影響が少ない、という地域はないのです。これで人口の過半数とかないですよ。せいぜい4割、将来的には主な人口増はインドとブラックアフリカですから、この割合はどんどん下がりますよ。
現状では非英語圏になってる、南インドやアフリカの仏語圏でも国際共通語の必要性は増してくるだろう。その時に選ばれるのは「英語」であると予想すると
なんでアフリカの「仏語圏」がわざわざ英語を共通語にするわけ?どう考えても仏語の方が蓋然性高いでしょ。
一番英語に不自由しなさそうなスカンジナビアの地域連合でさえ、英語じゃなくてその地域の言語を公用語にしてるよ。
同様に、中南米ではスペイン語とポルトガル語はそのままでもそれなりに通じ合えるのに、わざわざ英語が持ち込まれる可能性もないよね。
本来非ヨーロッパ語圏の地域でも、多言語すぎるブラックアフリカや英語の影響が強いコモンウェルス系(インド、マレーシアとかね)なんかは英語圏になっていく、と考える方が妥当でしょ、って話。
例えば、東アフリカの5カ国に話者がいるスワヒリ語が独自のスワヒリ語ブロックを作れると思う?東アフリカは国際共通語の必要が増すにつれて英語圏になっていくと思うよ。
例えば南インドのドラビタ語圏で「タミル語を共通語に」とかになるとは思えない。南インドの人々が共通語の必要に迫られた時に選ぶのはヒンディー語ですらなく、英語だと思わない?
タミル語とかスワヒリ語とかは高等教育の語彙が日韓中あたりに比べたら整備されてないから一概に言えないけど、その地域がどれだけ強くなるか、全てはそれにかかってるんじゃないのかな。一時的にそれらの地域で英語が使われることはあるかもしれないが、人口、経済規模、教育水準あたりが整備されるなら当然のごとく現地語に置き換わっていくと思うよ。エリートしかわからない言語と非エリートでも身につけられる言語なら当然後者が選ばれるだろうからね。
ドラビダ系とか話してる庶民が近い将来英語が通じるようになるとも思えないのでいくら公用語だからと言ってインドの十数億を丸ごと英語圏扱いするのは無理があるのでは?
今の話じゃなくて、これからの話だよ?
現状では非英語圏になってる、南インドやアフリカの仏語圏でも国際(地域間)共通語の必要性は増してくるだろう。その時に選ばれるのは「英語」であると予想すると、印欧語圏のほとんど、世界の6割が英語圏になるだろう、ってことね。この印欧語圏をベースとした英語共通語化の流れに抵抗が強いのは、非ヨーロッパ系のある一言語が少なくとも一国の共通語となるくらいには普及していて、英語の影響力も小さい国くらい。そう考えると人口ベースで1/3くらい、国ベースだと40国かそこらくらいしかないんだよ。
本来非ヨーロッパ語圏の地域でも、多言語すぎるブラックアフリカや英語の影響が強いコモンウェルス系(インド、マレーシアとかね)なんかは英語圏になっていく、と考える方が妥当でしょ、って話。例えば、東アフリカの5カ国に話者がいるスワヒリ語が独自のスワヒリ語ブロックを作れると思う?東アフリカは国際共通語の必要が増すにつれて英語圏になっていくと思うよ。
もちろん南インドの庶民層が流暢な英語を話す日が来るとは思えないけど、それは元増田が言う「英語支配の時代は来ない」と言うだけの話。英語の地位が低下するとするなら、非英語が地域をある程度横断しての共通語に選ばれなきゃならないんだけど、例えば南インドのドラビタ語圏で「タミル語を共通語に」とかになるとは思えない。南インドの人々が共通語の必要に迫られた時に選ぶのはヒンディー語ですらなく、英語だと思わない?
人口増加率から言えばアラブマレーとかイスラム圏だけで3分の一いくし、中国も加えれば過半数になるはず。インドアフリカも英語ばかりでないこと考えればむしろ英語圏が3分の一くらいのはず。
ちょっと統計の数字が不正確かな。イスラム人口は12億ってところで、1/3に程遠い。その大半は非アラブ人で、ムスリム圏の中には北インドやハウサ始め、英語圏に取り込まれそうな地域が多数あるよ。英語の国際共通語としての地位が簡単に固まりそうにないのは東アジア、アラブ語圏、東南アジア(旧英米領除く)くらいでしょ。世界人口の1/3ちょっとくらいで、中国の人口増が鈍化してる現在、この割合は減る方向だよ。(ところでアラブマレーって何だ。聞いたことないぞ)
元増田です。ああ、そういう風に取られるかと思ったので補足。
私が「英語の時代」と言ったのはそういうことではなく、現在先進国の人間が誰でもその国の公用語を「国語」として、日常会話から高度な話題に至るまで読み書きできるようなことが英語において起こりうるということはないということです。中国語圏での北京語、アラブ圏での古典アラビア語、スイスでのフランス語、そういったものの地位に英語が就くことは無理です。その外の世界では英語をしゃべる集団が社会の中に形成されていないし、テレビやラジオで聞きかじっていれば身に付くなんてのはヨーロッパのゲルマン語圏でもなければ無理。
そして、エリートが英語の読み書きを寡占する状態なんてのは続きません。アンデルセンが偉人たる所以の一つは、作品を「デンマーク語で」書いたこととされています。当時デンマークでは、上流階級はフランス語、中流階級はドイツ語を話していてデンマーク語は下層階級の言葉のように扱われていたわけです(現代で敢えて近い例をこじつければ、台湾での北京語、客家語・台湾語、その他少数民族語の状況ぐらいでしょうか)が、こうした努力によってデンマーク語が独仏語にも劣らない機能を獲得することができたわけです。
「英語の支配」とは帝国主義まっさかりの19世紀に世界が逆転することです。そんなことを長く世界が許すはずはないでしょう。そして英語一極支配を肯定している「現地人」はそのうち必ずや顰蹙を買うことにも気づくべきです。
相対的少数派の東アジア、アラブ、東南アジアの大半なんかの人々だけが英語の支配する世界から取り残されていくと考えるべきです。
それだけの人間が世界の人口に占める比率は決して小さくないどころか非常に大きいわけですが。過半数になりこそしないかもしれないが、大雑把に見て3割は堅いでしょう。
となれば、たとえばアラブが(古典)アラビア語、東アジアが漢文、東南アジアがマレー語あたりで固まったとしてもこれは「ガラパゴス」とは言えず、むしろ現在の経済発展の流れが続くならばEUを上回る経済圏が出現することになる。これは「グローバル化」ではなく世界の「ブロック化」であり、つまり「英語」は「国際語」のうちの最大勢力ではあっても支配言語ではなくなってしまうわけです。要するに英語の影響力は弱まる。
ちなみに現在でもヨーロッパ人は「EUの共通語は英語よりもむしろフランス語」と意識している人は少なくないし(建前としては全言語が共通語)、アラブ圏での古典アラビア語は中国での北京語のようなもので、この地域の経済発展に伴ってこれらの言語の力が強まりこそすれ弱まることはないはずです。また、ブラックアフリカでもスワヒリ語やズールー語、東南アジアでもマレー語やインドネシア語の力が同様に強まるはずです。その方が自分たちの固有の文化(多くの場合言語も)に近いわけで、「近代語」をエリートに独占されずに誰でも学べる形になるわけですから(国民国家の出現と教育制度の整備に伴い、読み書き能力をエリートが寡占していた状態の破壊が進んだことを思い出してください)。
日中韓なんかでは確かに「そのような流れは一般化しえない」かもしれないけど、そんな地域は少数派なんだよ。地図帳と統計資料見ようぜ。インドとアフリカの人口なめんなよw
あなたに言われなくてもその程度の数字は知ってますけどね、日中韓の人口もなめんなよということです。こういう物事というのは多数決で決まるものじゃないのでね。
スペイン語、フランス語、ロシア語、ウルドゥー語etc.の「そこそこの努力で英語力を得られるインド・ヨーロッパ語族の言語を(少なくともエリート層は)日常的に使ってる地域」なんだよ。
残念ながら同じインド・ヨーロッパ語族であっても、ヒンドゥー語やウルドゥー語やペルシャ語は英語と文化が違いすぎて、もはや英語は「学びやすい言語」とは言えない。「難しいとは言えない言語」程度だ。トルコ語は日本語と文法が類似しているというが、日本人がトルコ語を理解するためには、イスラム教やオスマン朝のことをかなり体で理解しなければ礼儀作法といった文化コードまで含めたレベルでの習得は極めて困難だろう。それと同じ壁が存在する。
あなたも言ったように、高度な英語力を身につけられるのはエリート層にとどまり、それに対する非エリート層の不満は経済発展につれて急激に高まることは容易に想像できる。
http://anond.hatelabo.jp/20100828124034
・無理なものを無理強いしてもしょうがない
ことは同意見です。
しかしながら、「東アジアとアラブ圏が英語習得に特別に不利であること」が英語覇権を覆す理由になるとは思えません。
植民地の遺産であれ何であれ、印欧語による支配は世界の過半の地域で既に確立されてしまっており、母語が印欧語もしくは
ブラックアフリカのように印欧語が商業用語として定着している「日中等に比べれば英語が学びやすい国」が多数派だからです。
印欧語話者にとっては、「学びやすい英語が国際語であること」に大きな不満はないでしょう。ならば世界の過半の人々は英語の
共通語化の方向を支持していくと考えるのが自然かと。相対的少数派の東アジア、アラブ、東南アジアの大半なんかの人々だけが
英語の支配する世界から取り残されていくと考えるべきです。(ちなみにマレー・インドネシア語は世界有数の文法等が単純な
言語なので、どの言語話者にとっても比較的学びやすいだけで、英語の習得のしやすさが表の逆にならない例外です。)
これを「不平等だ!」と騒いでも、現実の前には「だからどうした」という話で、日本は国際社会でのハンデをきっちり認識した上で、
不利な勝負をしていくしか道はないと思います。