はてなキーワード: 定量とは
百歩譲ってギャンブル的だとしても、「ただの」ギャンブルと言えるほど単純に頭の悪いものではない
というかギャンブル的な射幸性が強かったら共産党が許さないだろう
一見ギャンブル的なランダム性が強い普通のガチャのように見えて、運によるブレを極力少なくする仕様になっているのよ
これは、基本の排出率を非常に低くすることでランダム性を逆に低くしている巧妙な手法で
最初のうちはまずでないが、天井付近になると急激に確率上昇していき天井-10あたりの地点で大半の人が排出する、という形になる
これに天井カウントの次回ガチャバナーへの引き継ぎが加わればまさに「かけた分だけ確実に充実する」堅実な疑似定量配布仕様と言える
従来の国産ガチャゲの仕様も廃課金レベルに膨大なガチャ試行を前提とすれば「かけた分だけ確実に充実する」とは言えるが、収束するまでの規模感がまるで違う
この確率変動はマスクデータになっているんだが、ユーザー統計から事実上明らかになっている
国産ガチャゲは業界団体による公開義務みたいなもんがあったはずで、その自主規制のせいで、かえってこういう健全方向へのガチャ仕様の抜本的改革がしづらくなっている
国産ガチャゲでは大当たりの率を高くすればするほどユーザーが喜ぶんだが、それは要するにランダム性を高めて射幸心を煽るものになってしまう
だから運良く引かれても経営が傾かないように、フェスだのなんだのと言って高排出期間とそうでない期間を作ったりするし
一週間無料10連だのといってヤクの売人ムーブをしてガチャ中毒になってもらいつつ運格差をバラマキによる試行回数で埋めてもらい溜飲を下げさせようとする
中華ガチャゲではそもそも天井前に引けることがまずない代わりに、そういう嫌らしいことをせず、トータルコストを低めの2万ほどに抑えており、ついでに排出ポイントがほぼ分かっているため平穏な心で回せて必要な予算も推定しやすい
国産ガチャゲでは天井前に少ない連数で引けることがしょっちゅうあるが、確率設定がゆるくても所詮一桁%なので運が悪いと天井まで6万7万コースになってしまうしSNSでの引けた自慢が精神的に堪える構造になり、ヤケの追い課金や「爆死」が発生する
最終的に無課金微課金で得られるキャラクター由来コンテンツへのアクセス可能度合いは大差ないものの、中華の方がより計画的に狙ったキャラクターを取得していくために排出を自己管理できるゲームらしさがある
その上キャラクター取得由来以外のコンテンツの質が(開発費が潤沢になりがちな分だけ)中華の方が優れているのでゲーム体験全体としてはより優れたものになる
そういうゲーム体験に価値があると感じているから、キャラ取得コストの妥当性を認める人が多くなり、幅広いユーザーから薄く広くの集金モデルが可能になっているわけ
一昔まえの国産ガチャゲでは逸般人レベルに金を持った0.数%の「太客」の理性をいかに崩せるかが収益性の肝になっていて、無料ユーザーはその餌でしかなかったが、そういう時代ではもうないわけよ
円滑に社会生活を送る上で必要な素養という意味での性格の良さはある程度定量化できるんじゃないかと思う。
世の中には三つの話があると思っていて、
1.倫理学や人類文化学や政治学や法学等を含めた、専門家が調査や学説や歴史等に基づいて、学術的な定義を積み重ねて行う学術的議論(これは体系的な知識が必要で、素人が簡単に参入できない)
2.データや文書や遺伝子検査血液検査などの単なる事実の集合(+専門家による解釈)
で、いわゆるオタクやネット民は1と3を混同した話し方をしていることがよくあるので物凄く気になるんだよな。
1と3は明確に相容れないものなので。
正義とは何か、差別とは何か、などの議論は基本的には1の領域である。
なぜならネット民は差別に関する定義の変遷、思想の変遷、歴史や諸問題、学説、論文、法制度、各国や各種団体の対応、社会問題に関する体系的知識を専門知として得ているわけではないから。こういった学説や論文は査読や批判反論、再反論など長い道のりを経て、洗練されてから1つの学説としてのポジションを獲得する。
オタクの言う「定義」は、『その辺の人が特に専門的体系的知識もなく関係ないまま、ただ個人的になんとなく考えてたこと』だったりするので、こんなネット空間に触れていたら大衆の知性がどんどん落ちていくのではないかと危惧している。
内容が「人による」「人の考え方次第」の域を出ない素人談義にすぎない。1なら定義はズレないし内容が人によるとか人次第にはならない。
議論が可能な程度に統合された意見ではない。単なる積年の感想だ。
差別という言葉を日常的に聞いたことがあって辞書で引いたレベルの知識量で適当に使ってるだけの耳学問だろう。
専門家は123を完全に区別して使っているが、ネットの有象無象は123を混同しており、そんなネットの有象無象の意見をさらに参照・引用して(例:HNマスダ氏は○○○を唱えているが、のように)メチャクチャなネット談義が活発に行われている。
誰の判断なのだろう?この人の?個人的にいいと思う、悪いと思う、こう思う、なら分かるのだが、ここでも断定されている。
1と3が区別できてないのだろうと思う。
そこを取り違えて自分たちが行っている安全のための差別をさも自分たちが正義かのように語るのが危険なわけでさ。そうして差別は拡大していくんですよ。
拡大するかどうかにつき、この人に差別史の知識はないだろう。やはり、1と3が混同されている。
この後も似たような語調が続くのであるが、
例えばすでに存在する学説の引用であるならまだわかるのだが、市井の人がなんとなく自分なりに定義することや感想を持つことを、定義とは言わないし、見解とは言わないのだ、ということをネットに親しむ人は分からなくなってしまうのではなかろうか。
人の認知は必ず歪むし人は利己的である。3のように誰でも思ったことを言うだけなら、マッド気質の人が殺人の自由を主張することだって意見になってしまうし、適当なことを意見として言うことも可能だ。定量化もされていないままの意見は議論にはならない。
だから、3は3として、体験や感想は体験や感想として重視され尊重されるが、1とは区別しないと社会全体がまともな議論のできない国へと変わっていってしまう。
その社会的な損失を考えると頭が痛い。
そういや有機水銀ってどうやって処理してるんだろ?って思って調べてみたら
環境基本法第十六条第一項に基づく「環境省告示第59号」に示された基準
アルキル水銀:検出されないこと
ってあるから、一瞬排出は不可、厳密に処理しなきゃいけないんだな、って思ったけど
いや100%完全に処理なんてありえるか?と思ってもうちょっと見てみたら
例えばアルキル水銀の場合、公定法として“昭和46年12月環境庁告示59号付表2”及び“昭和49年9月環境庁告示64号付表3”が定められていますが、その定量限界は“0.0005mg/L”と示されています。.
(中略)
しかしある排水サンプルのアルキル水銀濃度が0.0001mg/Lであったとしても、公定法に従うと0.0005mg/L未満であり“検出されない(不検出)”となります。
そうしてるかは知らないけど、つまりアルキル水銀もできる限り処理して、処理しきれなかった部分は0.0005mg/L未満になるように薄めれば公共用水域に放出していいってことなんかな。
化学に詳しい人教えて。
なんか定期的に「図書館司書の待遇悪すぎ!」という記事がはてな村はてさ民会でバズっては
反左翼・新自由主義連合に「そもそも図書館司書なんてなりたいやつ多すぎ、市場価値無い、図書館自体が電子化など先進技術についていけない無駄なハコモノ」とぶっ叩かれるのを繰り返し観測する。
どっちサイドも「欧米先進国ではどうなん?」という普段大好きな切り口に全く興味がないんだよね。なんでどうして。
個人的には欧米の図書館司書専門職位は修士課程相当が基準だって話が気になる。
これは労働供給過剰、市場価値低い、技術力低いという問題への対応力の差になるだろうか。
欧米で図書館司書の正規職になろうとすると、日本で言うと筑波とかでとれる図書館情報学の修士、要するにmaster of library and information science相当のものが必須とされている。
図書館は欧米アカデミアでは歴史的にかなり重要視されていた影響で、電子化の時代もとくに大学図書館を中心にけっこう独立性や利権を保っている。
たとえば理系アカデミシャンが大好きなarXivはロスアラモス国立研究所の物理学者が始めたが、現在はコーネル大学図書館が管理運営している。
ちなみに日本ではミラーサーバが京大基礎物理研にあったけど予算不足で停止。まあこれ自体きついが、図書館が管理しないで研究所がやるというのはやはり差だろう。
他にも欧米では「科学・芸術・文学情報のオープン化・電子化」という図書館情報学の重要課題について、各地の図書館がプロジェクトにおいて中心的な役割を果たしている。
ちゃんと予算がついてやっているのは国立国会図書館ぐらいだろう。東大図書館ですらオープン化・電子化の取り組みはまばらだ。まあ予算がないんだろう。
逆に欧米ではそういう専門性を必要とするプロジェクトの実行権やポストを各地の大学図書館が握っており、それを推進するために専門性を持った職員を必要としていると。
こういうでかいプロジェクトに関わることができれば技術力はつきそうではある。
しかし、じゃあ欧米圏での図書館司書専門職位の経済的待遇がいいか。というとなかなか微妙だ。
よく米国で話題になる「修士学位ごとの年収中央値」では下位常連である。
登録がいるが下のサイトで情報を見ると2021年の修士学位のなかで下から五番の年収中央値で、約5万3千ドル。
https://www.statista.com/statistics/226674/worst-masters-degrees-for-jobs-in-the-united-states/
とはいえこの年の全米の年収中央値は5万1千ドルなので、一応上回っているし、労働時間や負荷も考えたらそこまで悪くない待遇ともいえるか。
修士課程を取った人間でそれ以上の条件(正規職に就職してるとか、公的機関に雇われてるとか)がないサンプルの中央値なので、学位の時点で市場価値自体がある程度保証されてるということになる。
では、直ちに欧米では図書館司書の年収は日本より高い!といえるかというとそうではない。
アメリカ図書館協会によると図書館職員全体の年収は2万ドル-3万ドルがほとんど。
図書館司書専門職位をもって「司書」を名乗れるのは修士を持っている人間だけ。
当然それだけで業務は回らないので、窓口スタッフやら配架やら、日々の業務をやるのは結局パートタイマーって感じ。
日本では「司書」としてひとくくりにされてる層が末端までやってるわけだが、この層が単に「司書」を名乗れなくなるのが米国。
比較対象となる、日本の図書館司書は年収中央値が公的データで出てこなかったのだが、求人サイトで中央値を出してるところを眺めるとおおむね300万円台みたいだ。
あと、米国での図書館司書専門職位のような専門性のある仕事を確実にやってるであろう数少ない日本の組織、国立国会図書館の常勤職の年収を見てみると
だいたい中央値500万円ぐらいらしい。国家公務員行政職と同じ給料という扱いみたいだ。昇給もするし退職金他の福利厚生もしっかりある。
なんか、日本と米国の年収の違いを差っ引くと、大体の仮説ができそうだ。
(1)日本も欧米も一部の専門職は安定雇用で、全職業の中央値と同じぐらいかそれ以上にもらえる。それ以外の業務はパートタイマーで年収は低い。
(2)この構造自体は変わらないうえで、専門性を要求するプロジェクトやポストの数が欧米のほうが多い。
(3)だから日本の司書制度に高度な専門性を課した場合、(1)は変わらず(2)は変わる可能性がある。
飽きてきたので仮説を検証するための詳しい定量データを集めるのはやめる。
ただ、結局のところ欧米型にすると、「図書館司書」としてそれなりの待遇を受けられる人間は増えて
その層は技術力もあり、市場価値も最低限は保証され、需給のバランスもとれるが
待遇はそこまで変わらないという事になりそうだな。
高校で懇切丁寧に教わった数学もろくにできるようにならなかった人たちが、離散数学を勉強してコーディングに活かせるわけがない。
学習能力が低い人(といっても普通の人)は、陳腐化しやすい場当たり的なことしか勉強できないの。
Flashで書いたアプリはもうまったく動かないし、その頃に覚えたブラウザごとの挙動の違いなんてもうどうでもいい。
クライアントとサーバの役割分担に対する考え方だって、もう役に立たない。
それは他の職種でも一緒?
違うよ。
たとえば経理で、IFRSでも役に立つような会計学は、誰でも勉強して理解できるわけじゃない。
だけど、商業高校で教わる程度の簿記の知識が、10年20年程度では陳腐化しない。
定量化して比較するのは困難だけど、普通に接点があれば、ICTの知識が劣化する速度と程度が段違いなのは誰でもわかる。
わからないっつーなら、関係ないところで関係ない仕事をしていればいいんだよ。
余計なことに首を突っ込むな。
例のプール付き公営公園で"健全"や"卑猥"という指針が出され、この指針に定数も定量も無いなぁと感じたのだけれど、それよりも気になったのが「18歳未満のグラビア撮影を禁止にしたらどうか?」という試み的な提言をされている方が結構居るのが気になった。
ざっくりわかりやすくいうと、人物をメインの被写体として撮影することをポートレート撮影と言うのだけれど「18歳未満のグラビア撮影を禁止にしたらどうか?」を試み的に提言している人はグラビア撮影とポートレート撮影をどうやって線引きするんだろうか?
個人的におそらくは無理だと思われる。
何故ならグラビア撮影はポートレート撮影という大きなジャンルに含まれる小ジャンルであり、ポートレート撮影の近接用語は景色を撮影する風景撮影や、香水瓶や人形やガジェットなどを撮る小物撮りなどであり、ポートレート撮影というのははてな界隈で言うところの主語デカ問題だからだ。
グラビア撮影はご存知の通り、別に水着や下着、肌面積の多い女性だけを撮るというものではなく、少年青年漫画雑誌の表紙もグラビア撮影だし、露出とは真逆にライダースーツを着込んでバイクにまたがっている人物を撮影するのもバイク雑誌ではグラビア撮影である(バイク界隈のグラビア撮影には峰不二子的な方向性もあるけれど全体で言えば少数派だ。何故なら峰不二子に比肩できる女性はそう居ないから)。
いや撮り鉄のように特定の被写体が好きな連中も居るけれど、実際のところ撮り鉄が列車ばかり撮ってるのか?と言われると大半の撮り鉄は主な被写体が列車なだけで、奴らは列車の無い風景も撮っているだろうし旅先のメシも撮っているはずだ。
カメコとしてイメージしやすいアイドルの追っかけだってそうだろう。何なら筆者には妻も子も居るし、筆者の主な被写体は妻と子である。妻と子で培った撮影経験をアイドルの撮影に応用していると言っても過言ではないだろう。それくらい妻と子を撮ってる。
カメコへ共通する特徴は何なのか?と言えば、キモデブでオタクなおっさんではなくカメラと撮影の知識だろう。カメコなんだからそりゃあカメラを趣味にしていない連中よりはちょっと詳しい。
近年じゃスマホカメラの性能があがり誰も彼もが気軽に写真を撮るようになったが、女の子をより可愛らしく綺麗に撮るという点ではスマホカメラってちょっと不向きだよなという印象をカメコならば誰しもが持っているだろう。
スマホカメラのレンズはいわゆる広角レンズが大半であり、広角レンズは歪みが大きくて太って写る。標準体型がデブになり、デブはよりデブになる。それがスマホカメラのレンズだ。
世の中にはポッチャリ好きが居るというのは非常に重要な指摘だが今回はそこを問題にはしていない。今の自分よりもスマホカメラは太って見えやすいということを問題視しているのだ。
じゃあどうするべきなのか?と言えばズームするわけだ。最近のスマホカメラは多眼になっているので最も拡大できる望遠レンズを選択して撮影する。
ポイントはデジタルズームは使わないことだな。デジタルズームは単に画像ピクセルを拡大しているだけなのでレンズの歪みに影響しないので意味がない。
望遠レンズは広角レンズと比較して歪みが少ないので、痩せて写るわけではないが広角レンズにように太って写りにくい。
まだ女の子を可愛らしく綺麗に撮るポイントはある。1枚の写真へ全身を収める場合は顔を中心にではなく腰を中心に撮るのだ。
顔を中心に撮るとレンズというのは多少なりとも歪みが発生し、レンズの中央はレンズの端へ向かって歪んでいくので顔がデカくなり首より下が小さく写る。
自分の顔がデカいと悩んでいる女の子が居るとしたらレンズの中央で撮るというのは更にコンプレックスを強調する結果となるわけだ。顔はレンズの端へ持っていけ。
更に良いことがある。腰をレンズの中心に添えることで、前述した歪みから腰の部分が多少広がり相対的に上半身と下半身が細くなる。つまり小顔足長になり女性らしい身体の曲線が強調される。
ほんの少し下から煽るように腰を中心に撮影すると小顔脚長効果が更に増すぞ。
胸が小さめなのが悩み?いや一部に需要あるぞ?えっそういうの良いから大きく写す方法を教えろ?
逆に広角レンズを使え!広角レンズは歪みが大きいため、広角レンズで胸を中心に据えて顔もレンズの端に写るように近接撮影しよう。相対的に胸デカ小顔の写真が撮れる。これは逆にスマホカメラが有利だな。
ここに書いた写真撮影術を使えばマッチングアプリのプロフィール写真とかもちょっとは印象良くなるんじゃないか?需要あるか知らんけど。
カメコはこういう知識がある。撮り鉄は主な被写体が列車なのでポートレート撮影の知識がアイドルカメコと比較すると少々乏しいだろうけど、このくらいは知っている。逆に撮り鉄は雄大な自然とか真っ直ぐなものを歪み少なく真っ直ぐ撮る方法とかに詳しいぞ。
このようにカメラと撮影にちょっと詳しいヤツが疑問に思うわけだ、グラビア撮影とポートレート撮影をどうやって線引きするんだろうか?と。
何が健全で何が卑猥か?なんてポッチャリ好きや貧乳好きが居る世界で一定の線引きなんてできるわけがなく、世の中にはおそらく女性用リクルートスーツが性癖ですみたいなヤツとか、北海道とかに居そうなコートで厚着してモコモコになってる女の子良いよねとか言うヤツが必ず居る。そういう連中に取ってみればリクルートスーツもモコモコなコートのポートレート撮影も卑猥な写真になるのさ。
この世界には衣服を燃やす様子を映したアダルトビデオが存在するんだぞ?もちろん女性、というか男性を含めて人間、何なら生物は一切出てこない。本当に服が燃え上がる様子だけが淡々と流れる映像だ。ハイレベルすぎて理解が追いつかないがアダルトビデオとして実際に販売配信されている(一説には服が燃える映像がアダルトビデオとして販売されている事自体に意味があるらしい。こんにちわ宇宙猫)。
最後に蛇足だが、筆者の妻は不定期に筆者が撮影した妻自身の写真をセレクトし「これ遺影に使ってね」と言ってくる。カメコ冥利に尽きるよね。
ガチャが渋いってのはわかってないな、原神とか触れてないクチだろ? 世界的に受け入れられてるあのゲームとガチャアルゴリズムは同じだよ。
日本ソシャゲの「引けるかも」で射幸心煽ってギャンブル中毒に誘導するガチャゲーとは根本的に設計思想が違うんだよ。
最近の中華ゲーはな、基礎率をめちゃくちゃ低くして最低保証付近でしか排出しない(天井付近で確率上昇していく)仕組みにすることで、ランダム性が低い、運に左右されないガチャになってるわけ。
ガチャのふりをした定量配布システムとも言えるな。星4はたいてい9連目か10連目にしか出ないし、星5は75~85連あたりで出る。それ以外はほんと稀だからそもそも期待しなくなるわけ。
だから掛けたお金のぶんだけ確実に充実するし、多少運でバラついてもかなり収束しやすい。
天井カウントも引き継がれるから爆死した(=石が無駄に消えた)という感覚も生まない、ヤケクソ追い課金みたいなのも仕組みを理解してれば起こらない(予算が推定できる)。
無課金微課金でも計画的に天井タイミングを調節すれば狙ったのを取りにいける。
月1体くらい確保狙う程度なら子どものお小遣いレベルでいける。めちゃくちゃ良心的で健全なんだよ。
その代わり配布しない。国産の射幸性高いガチャだと石バラマキしてヤクの売人ムーブして中毒になるカモを増やすキャンペーンを(ハニバとか妙な時期を作り出してまで)頻繁に展開する必要があるが、
設計思想が健全だからこそ無駄にバラマキもせず、一見渋く見えるが課金した人が後悔しないいつでも気持ちよく課金できる仕組みになってるわけ。
ひとはなぜつまらないことでへそをまげるのか
時間の無駄なので怒っているひとに向き合ってはいけない。その怒りは早ければ1時間後、遅くとも1ヵ月以内にはなくなっている。
怒りを忘れた頃、怒りをぶつけたひとはもう生きていないかもしれない。
リスクを特定する、というアプローチよりも脆弱性を特定する、という入り方のほうがよい。
似た概念だが、蓋然性や確率のニュアンスの強いリスクよりも、脆弱性のほうがより【原因】のニュアンスが強く、原因を因数分解しやすい。つまり問題解決志向だから。
それなのにリスクという視点でとらえた瞬間、定量化できるのかのような錯覚に陥る、
それは事業を行うために割り切るからに過ぎないことを忘れているのだ。
ハザードと脆弱性がともに暴露される、としてリスクを定義する珍妙さは、定量化できるものだけを見える化しているにすぎない。
落としどころは重要だけど、今そういう話をしていたわけじゃないよね。
いいから原神はすぐにでも始めろ。
これはスマホゲーだがPC・コンシューマーゲー相当かそれ以上のクオリティのもので実際PCかPS5でやったほうが映える。ガチャがある=ソシャゲに見えるが実態はソシャゲではない、常識がまるで違う上位の概念の何かだ。オーパーツ級と言って良い。
ソシャゲと違って毎日必死にイベント走らなきゃならんような疲労感もない。大抵は期間内なら遅れて始めても1日集中すれば終わるようなものでありつつ、毎回異なる凝ったミニゲームやキャラの魅せ方で制作費のかけ方の違いを見せつけてくれる。コンシューマ的なタイパと充足感がある。アップデートごとに追加されるマップやシナリオのボリューム・質・そして頻度もいままで20年ネトゲを渡り歩いてきたが見たことのないレベルで開発リソースの桁違いさを感じさせる。それもそのはずでおそらくゲーム史上もっとも金をかけて運営されてるオンラインゲームだ。初期開発費110億、年間運営開発費220億×3年とされている。
ガチャもガチャではない。定量配布制とでも言うべきシステムだ。溜めたなけなしの石で出なくて萎えて辞めるみたいなことが、特殊なガチャシステムを理解していれば起こらない。変動確率制で、ベースの排出率は極めて低くなっていてまず出ないが、74連目あたりから急上昇していき80数連でまず出る。名目上の天井は90となっているが90を叩いた人を見たことがない。そこまで行くのに手持ち石0からの全課金としても2万、ただこの初回の天井はピックアップキャラが出るかは50%で、ここで外して恒常星5を引くと次の天井で確定、そしてピックアップは常に1人なので最大でも4万、平均3万で引ける。これはスマホゲーの相場からしてべらぼうに良心価格。さらにこの天井カウントは次回のガチャバナーへと引き継がれる。つまり、無駄石が存在せず、大爆死というものが原理上起こらない。そのため、一見ガチャ風だがランダム性(=射幸性)が低く、適切にペース配分すれば狙ったところで確実に引いていける。このリアルラック格差をほぼ排除できるシステムによって精神的な安定感がすごい。ガチャに対する過剰な不安なく本筋の物語や探索を満喫するモチベーションが維持される。
また本作のマップデザイナーは死ぬほど優秀で先へ進めば進むほど入り組み方がヤバい。シナリオもかなり巧妙に作られていて世界観の読み解きに世界中の人を引き付けている。
なので一旦ブランクをあけてしまっても、暴力的なまでの量と質の味の違うガムやら飴やらクッキーやらを基本無料で受け取ることができる。元素反応システムの奥深さも寄与して、味がないガムに極めてなりにくいゲームと言える。
お金がないし時間もないのでキャラが全然充実しなくても問題ない。イベントでお試しで使える機会が多々あるので、所有はできなくともキャラクターに親しむことはできる。星4キャラでも遜色なく強い。元素を理解すれば詰まることはない。
もう本格的にゲームする時間がない。大丈夫だ。公式YouTubeの動画を追っているだけでも凝ったムービーやエピソード動画、ワクワクさせるアップデート前番組、有料配信でもおかしくないはずのオーケストラコンサートなどが定期的にアップされる。大筋のキャッチアップは容易だ。
なんか心が疲れちゃった。問題ない。幻想世界テイワットの風景は壮観で、目的もなく歩き回るだけでも癒されるスポットに事欠かない。トゥーンシェーディングでこれほど印象的に世界やキャラを精緻に描写しているゲームは見た覚えがないほどだ。
これほど公式からの供給に恵まれたゲームコミュニティがいまだかつてあっただろうか。いやない。HoYoLABというコミュニティフォーラムを公式に持っているゲームだが、もっと早く始めていればという声が毎日のようにあがってくる。
はじめどきを探っているようなチキンムーブをしている暇はない。全力でコミットしに来い。世界で一番売れている二次元ゲームにはそれなりの理由がある。俺はちゃんと布教したからな。ではさらばだ。シュバッ!