はてなキーワード: 定量とは
努力とか必要無いから治療をしろ。通院してないのがよく分かる。生活ができるようになるまで絶対に通院を続けろ。生活できるようになろうとしろ。努力とかではない。医師の言うことを聞き、約束を守り、薬は必ず定時に定量を飲み、苦しいことは相談し、頼りきれ。
ご提案いただいた深い考察ポイントに基づき、さらなる分析を進めてみます。
情報の最小単位を考える際、伝統的にはビット(0または1)という離散的な単位が基本となっています。しかし、情報をより細かく、あるいは連続的な量として扱う必要がある場合、シャノンの情報理論を拡張することが求められます。例えば、連続的な確率分布を扱うための**微分エントロピー**の概念を導入することで、情報の連続性をモデル化できます。
#### **情報の質**
情報の真偽、信頼性、関連性といった質的な側面をモデル化するためには、以下のような方法が考えられます:
これらにより、情報の質的側面を数理的に扱うことが可能となります。
観測者やエージェントによって情報の価値が異なる場合、情報を主観的な視点でモデル化する必要があります。具体的には:
#### **多様な実在**
抽象的な概念や仮想空間も実在として扱うために、実在の集合 \( R \) を以下のように拡張します:
この拡張により、情報が様々なタイプの実在に対応することをモデル化できます。
#### **実在の変化**
これにより、動的な実在や観測者依存の実在を扱うことが可能になります。
#### **量子的な実在**
量子力学的な現象を組み込むために、実在の状態をヒルベルト空間のベクトルや密度行列で表現します。情報は観測演算子に対応し、対応写像 \( \phi \) は量子測定の結果として確率的に定まります。
#### **単射性**
一般に、対応写像 \( \phi \) は単射ではありません。異なる情報が同じ実在の集合に対応する場合もあります。情報の冗長性や曖昧さを考慮すると、この性質は現実的といえます。
#### **全射性**
すべての実在の部分集合が情報に対応するとは限りません。特に、情報の集合 \( I \) が有限の場合、対応可能な実在の部分集合は限定されます。これを解決するために、情報の生成規則や言語を拡張することが考えられます。
#### **可逆性**
対応写像 \( \phi \) が可逆である、つまり情報から実在の集合を一意に復元できるとは限りません。情報損失や情報の不完全性により、逆写像が存在しない場合もあります。
#### **動的な情報**
情報が時間とともに変化する場合、情報集合を時間依存の集合 \( I_t \) とし、対応写像も \( \phi_t \) と時間に依存させます。また、情報の更新や伝播を記述するためのダイナミクス方程式や、情報の流れをモデル化するグラフ理論的手法を導入できます。
不確実な情報を扱うために、確率論的枠組みを採用します。具体的には、情報 \( i \) が実在 \( r \) に適用される確率 \( P(r|i) \) を定義し、対応写像 \( \phi \) を確率分布として表現します。
複数のエージェント間での情報共有や通信をモデル化するために、エージェント集合 \( A \) と、それぞれの情報集合 \( I_a \) を考えます。情報の伝播や共同推論を扱うために、マルチエージェントシステムやゲーム理論の枠組みを適用できます。
### 5. 定理の応用
情報エントロピー \( H(\phi(i)) \) を計算することで、情報 \( i \) がもたらす不確実性の減少量を定量化できます。また、相互情報量を用いて、異なる情報間の関連性を評価することも可能です。
#### **哲学**
情報と実在の関係を哲学的観点から考察することで、認識論や存在論の問題に新たな視点を提供します。例えば、情報が実在をどのように構成するか、または実在が情報に依存するかといった問いを深めることができます。
#### **人工知能**
機械学習において、情報と実在のモデルを用いてデータ表現や推論アルゴリズムを改良できます。知識表現では、オントロジーや知識グラフを用いて情報間の関係性を明示化し、自然言語処理では意味論的な情報を組み込むことで理解度を向上させます。
情報統合理論(IIT)などの枠組みを用いて、意識がどのように情報処理と関連するかを探求します。意識を持つシステムにおける情報の統合度や複雑性を測定し、意識の数理モデルを構築します。
情報の流れと因果関係をモデル化することで、因果推論の基礎を強化します。因果グラフや構造方程式モデルを用いて、情報がどのように因果効果を媒介するかを分析します。
量子情報理論を適用し、量子ビットや量子もつれをこのモデルに組み込みます。これにより、量子コンピューティングや量子通信の情報理論的基盤を深化させることができます。
情報の伝播モデル(例:SIRモデル)やネットワーク分析を用いて、情報が社会においてどのように拡散し、影響を与えるかを研究します。フェイクニュースの拡散防止や情報操作の検出など、実社会の課題に応用できます。
自己言及のパラドックス(例:「この文は偽である」)を扱うために、論理体系に階層構造を導入し、パラドックスを回避する方法があります。型理論やモーダル論理を適用することで、情報に関するパラドックスを形式的に解析できます。
すべての情報が計算可能であるわけではなく、計算不可能な問題(例:停止性問題)に対応する情報も存在します。アルゴリズム情報理論を用いて、情報の計算複雑性や計算可能性を評価することが重要です。
情報が物理法則によって制約される一方で、物理法則自体が情報によって記述されるという視点もあります。例えば、デジタル物理学では、宇宙を情報処理システムとしてモデル化します。このアプローチにより、情報と物理現象の双方向の関係を探求できます。
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基礎教養だと思うけどね
1984は有名ですが基礎教養ではないですね。一応私も名前やキーワードは一部知っていましたが通して読んだことは無いですし?
あなたが特殊な界隈にいるオタクなだけです。自分の知識は相手の知識ではないのです。自他境界を適切に引いてもろて。
自他境界 - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A
喩えと置き換えってあなたの頭ン中(だけ)では明瞭にわかれているのかもしれませんが、
独自ルールで評価されて「まあそこまでの頭ってことよ。」とか言われても・・・
私も世間の人間もあなたではないので、まず自他境界を引いていただいて・・・
自他境界 - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A
あなたの独自ルールで「そこまでの」がどこまでなのか全くわからないし尺度も指標も無いので、そんな評価を押し付けられても困るだけですね・・・
しかも、おそらくあなたの準拠してそうな「定量評価可能な値に落とし込めるか」という考え方を採用したとしても
「正の性的選好性」と「負の性的選好性」みたいな(脳内物質の分泌量や、属性と婚姻率などで定量比較可能な)学術用語とは別に
それらは"俗に" 「(正の)性欲」と「負の性欲」と呼ばれる、あるいは「俗に性欲と呼ばれるものに近い」とか、そういう考え方って理解できませんかね?
「俗にいう」っていう捉え方がどうもできてなさそうですね
・・・で、話戻すと、
ニュースピークじゃんw
どうやったらこの書き込みが出力されるんですかね?唐突な「喩えと置き換え」という切り口から思考の一端は開陳していただいたものの、ニュースピークとの類似性については語られていないようなのですが・・・
生物だしJRの清掃員も「なんじゃこりゃ?」と思いながら捨ててると思うんだよね。
腐らないもので重要なもの、たとえばスマホとかなら「着払いで送ってくれない?」って頼むとか、なんなら自分が取りに行くとかもアリかと思うんだけど、さすがにケーキ程度ではなあ・・・。
出張先の有名店っぽいからオヤツ 兼 晩飯 兼 明日の朝飯 って感じで調子に乗って買い込んだんだけど、結局帰り道は寝てて一個も食えないままにさよならだよ。
金銭的損失は1500円にも満たないぐらいだし、店も並ばずに変えてるから時間的な損失も少ないんだけどさ、気持ち的な部分でなあ。
機会損失みたいのものあるし、なんとなく引きずりそうなんだよね。
でもやっぱ数値化してみると「ぶっちゃけ1500円+20分ぐらいの損失でしかないでしょ?」って気もするわけ。
こういう時に「そのレベルの損失なんて、嫌いな上司からサシ飲み誘われたのに比べたら1/3ぐらいのダメージじゃない?」って割り切るのをもっとスピーディーに「なんだ。レベル3ぐらいのダメージだな。じゃあ忘れたほうが得だわ」ってなれるようなシステムを構築したい。
はてなーってネガティブで心療内科に通ってるようなのが多いからそういうの詳しそうじゃん?
なんか知らんか?
図書館司書の非正規問題について昨今取り沙汰されているのを見る。
ざっと見た感じの問題点は、優秀な専門職が安月給で酷使されているということと、技術の継承が行われないということ。
私は先日、正規の図書館司書職を退職した。理由は、専門的な業務に従事したいという当初の動機と実際の現場が異なっていたところ。つまり、現場職員の専門性の低さに絶望して辞めた。
・30代
「優秀な専門職」と言うのは、何も知らない外野か自分たちを大きく見せたい現職だけ。図書館司書なんて単位を取ったら誰でも資格を取れるので、その資格一つで医師や教員のような実務実習を伴う国家資格と並べると思っているのが恥ずかしい。(課程の図書館実習は任意なことが多いし、たかだか一週間程度で比較にならない)
そして、専門職の専門性が発揮できる分野としてレファレンスが挙げられるが、これはレファレンスの難易度による。例えば、地域の「◯◯という地名の由来が知りたい」というレファレンスを受けたとして、まず地名辞典を見る。地名辞典になければ地方が発行してる地誌を見る。どちらかにはだいたい載っている。これの何が専門性だというのか。こういう定型化されたレファレンス対応について、口を大きくして専門性だの専門職だの言っていることが多い。逆に、人名辞典に載ってない郷土の人物などを、辞典や地誌など基本的な資料以外から、記憶や所蔵資料目録などをヒントに見つけることが専門的なレファレンスだと思う。このような真の専門的なレファレンスをできる人物がどれほどいるのか。私が勤務していたところでは、非正規職員は誰もできなかった。正規職員も半分以上できてない。
能力によって給与が異なるのはどの世界でも一緒で、非正規職員が非正規の待遇であるのは相対的な能力不足から当たり前のことであると思う。正規職員でもできてないのだから、そんな大きな声で「専門職の待遇改善をー!」なんて言える状況じゃない。そして、優秀な人間、例えば某国立図書館では正当な待遇が与えられていると思うし(ちなみに某国立図書館の応募資格に司書資格は必要ない。この点から司書資格の不安定さが伺える)、地方の優秀な人間は現状に見切りをつけて出て行く。
何度も職員の意識を変えようとしたけど凝り固まった40代後半以上の頭は変わらないし、上司層が変わらなければどれだけ下から頑張っても現場は変われないし、疲れた。非正規職員も、正規職員ですらも、基本的なコミュニケーションすらできない人がいるし(聞かれたことに答えられない、処理能力が低いなど)、現状維持ばかりで新しいことはせず、ただ自分の世代が円満に終わることばかりを考えている。こんなの一般企業の事務職ですら無能扱いだろう。一般企業で使い物にならないレベルの職員でも、一度公務員になってしまったら解雇はできない。そんな人たちがただの肩書きだけで「専門職ー!」と叫んでると思うと悲しいものがある。図書館司書の知識は年々新しいことが増え司書課程の内容も更新されていくが、大昔に司書資格をとった現状維持ばかりのおじさんおばさんたちは自分の頭を更新しようとしないので、なおさら「専門資格とは?」と思う。
図書館司書の世界では、募集の少なさもしばしば取り上げられる。募集もたくさんあるし、優秀な人は普通に就職できる。(気になる人はJLAの採用情報ページを見てみてね)40歳まで受けられるところも多く、年齢制限がないところもあり、他の公務員よりだいぶ応募資格が緩くなっている。それで若手をとろうが経験豊富な人材をとろうが、それはその館の方針によるので知ったことではない。挑戦し続けて正規職員に合格する人もたくさんいる。つまり、機会は開かれているのに挑戦しないことに問題があるし、たくさんチャレンジして受からないのであれば本人の能力の問題であろう。能力が足りなくて受からないなんてことは他の業種でも同じで、何も図書館司書に限った話ではない。それを何でそんなに特別に大々的にアピールできるの?と思う。他の業種でも、能力が足りないけど続けたいなら待遇を落とすしかないし、諦めて他の業種に行くだろう。それと同じ。
思いつくまま殴り書きしたので読みにくくてすみません。私が言いたいことは、周りが言うほど図書館の専門職に価値はないこと、専門職の中でも専門性にグラデーションがあること、能力に応じて待遇が変わるのはどの世界でも当たり前で現状に違和感はないこと(非正規職員のこと)、待遇を変えたところで職員あるいは職員の意識を変えないと半永久的な技術の継承は不可能なこと、です。40代後半以上の人たちを見て、ここにいたらこうなってしまうと思って辞めた。
こんなに読んでもらえるなんて思ってなかった。たくさんの反応ありがとうございました。いろんな意見があって面白かった。
◯タイトルと内容が違う。非正規職員の雇い止め等はどうなのか。正規職員にとって非正規職員はどうでもいいように見える。
どうでもいいです。非正規待遇が嫌なら正規になればいいし辞めたらいい。いわゆる氷河期世代など新卒時の社会状況に言及する人もいるが、正規職員の多くは中途採用(非正規職員経験者)です。社会のせいじゃない。昨今の非正規図書館員の話題を見てると、現状を変える気力や能力がないくせに空っぽの「専門性」を笠に着て「かわいそうな私たち」を演出しているだけのように思う。元職場でも組合から非正規雇用の待遇改善の署名がよく回ってきてたけど、バカだなって思ってたし一回も署名してない。私が見ていた世界では、前述の通り非正規職員の専門性なんていうのはまったくなかったので、辞めても職場や社会にとって問題ないと感じた。
私の元職場の管理職や上司は、個人の能力如何ではなく「図書館司書資格があること」を重要視し、「図書館司書資格保有者の職員数を確保すること」に専心していた。無能でも資格さえあればいいみたいな。私は資格なんていらないから優秀な人間と働きたかった。今は転職して、求めていた環境に身を置けて嬉しい。
タイトルと内容は少し違っていたかもしれません。すみません。私が図書館司書の非正規問題に触れる時、その前提にある専門性の具体的な話が出てこないように見えたので、こういう話になりました。
郷土資料は必要で、各地域の図書館が郷土資料を収集することで全国的に郷土資料を収集保存できる仕組みがある。それは大事だなと思う。場所や予算は限られているのでその限られた状況でどういう資料を収集するかといった選書にも、職員の専門性が不可欠。専門性はほとんどが属人化するから、それを半永久的に継承していくべき。実際に働いてみて、この辺はロボットやAIには難しいと感じた。
郷土資料を含む図書館資料の必要性で言えば、例えば陰謀論とか根拠のない噂話が力を持った時など、正しい情報や情報の比較検討に役立つ。図書館では全ての人がその機会を得られる。ググれば簡単な情報は出てくるけど、やっぱり紙の資料の量や質とは比にならない。少しでも調査研究をしたことがある人はわかると思うけど。
図書館は国民、県民、市民がユーザーなので、ユーザーから「図書館なんて必要ない、AIやロボットでいい」と言わしめてるこの状況を、図書館司書や図書館制度が変えていかなければいけないと思う。
私は前述のような現実に辟易していたので、一部の優秀な人間のみ残して専門性を保持し、あとの無能な正規職員と全ての非正規職員は指定管理に変えたらいいと思ってる。元職場でも一部指定管理が入っていたが、図書館業務のほとんどを占める定型化された業務なんて誰がやっても同じだし、むしろ公務員的な頭のかたさがなく新しい視点で物事を考えられるところはこれからの図書館運営に必要なのではと思った。無能は切り捨てられそうだし。図書館正規職員(公務員)の働かないおじさんおばさんや無能も切り捨てられたらいいのに。そしたら現場のモチベーションも上がるし優秀な人間も集まるかもね。
◯都道府県立図書館と市町村立図書館では非正規職員の職務が違う。(=後者では正規職員と同じような仕事をしている。)
市町村立図書館ならなおのこと、誰でもできる仕事ばかりです。図書館のあり方に関われるのは多くが館長レベルで、日常的な貸出、返却、選書(都道府県立と違って保存より利用を重視した選書)、目録(市町村ではほとんどがTRC流用)など、逆にどこに専門性があるか教えてほしい。
現職の人はこんなチラ裏に青筋を立ててないで、「図書館なんかいらない」って言わせないように頑張ってください。図書館や司書の存在意義を評価するのは仲間内じゃなくてユーザーですよ。内輪でヨシヨシしあってても意味ない。
◯コメントより抜粋「図書館司書は今の情報化社会に負けないよう専門性や職域を高めないと相対的に価値は低くなる」「専門性を定量化し、カテゴライズやレベリングを行うのは、業界のスキルアップだけでなく、権威づけや地位向上に必要」
私は図書館司書の専門性のなさと図々しさに嘆いてたばかりだけど、本当にその通りだと思った。現状に即してよりよくする方向に考えられるのがすごいと思った。
おや、君の分析は興味深いが、明らかに科学的厳密さに欠けている。僕のような天才の視点から、この状況を完璧に解剖してみせよう。
まず、「パワハラ」という概念自体が非常に主観的で、定量化が困難だ。これは社会科学の致命的な欠陥の一つだね。僕なら、「パワハラ度数」を測定する装置を発明するだろう。例えば、会話中の声量変化、心拍数の上昇、発汗量などをリアルタイムで計測し、数値化する。これなら客観的な評価が可能になる。
次に、「厳しさ」と「優しさ」の二元論は、まるで古典力学のように時代遅れだ。現代の量子力学的世界観では、観測者の存在が結果に影響を与える。つまり、「厳しさ」と「優しさ」は同時に存在し得るのだ。シュレーディンガーの猫のように、観測されるまでは両方の状態が共存しているんだよ。
「昭和を卒業すべき」という主張も、時間の直線的な理解に基づいている。しかし、アインシュタインの相対性理論によれば、時間は曲がることができる。つまり、「昭和」は単なる過去ではなく、現在と未来にも影響を与え続けているのだ。
「フラットな考え方」?ハッ!宇宙は決してフラットではない。一般相対性理論が示すように、重力によって空間は歪んでいる。同様に、人間の思考も様々な要因で歪んでいるのだ。
最後に、「屁理屈モンスター」という表現は、非常に非科学的だ。複雑な理論を単純に「屁理屈」と片付けるのは、まるでニュートンのリンゴの逸話を「ただのフルーツの話」と言うようなものだ。
君の分析は感情的で非論理的だ。社会現象を理解するには、量子力学、相対性理論、そして統計力学の知識が不可欠だ。例えば、社会的相互作用をボーズ・アインシュタイン凝縮のモデルで説明することができる。これこそが真の社会科学というものだ。
ところで、君は僕の「人間関係の量子力学的解釈」という記事を読んだことがあるかい?まあ、読んでも理解できないだろうけどね。
おや、これは興味深い見解ですね。しかし、あなたの論理には致命的な欠陥がいくつか存在します。では、科学的な視点から分析してみましょう。
- 反証:歴史上、物理的に弱いが人気のあった人物は多数存在します。例:スティーブン・ホーキング博士
2. "強くなれよ"
- 定義の曖昧さ:「強さ」の定義が不明確です。物理的強さ?精神的強さ?知的強さ?
- 提案:強さを定量化可能な指標で示してください。例:ベンチプレスの最大重量や IQ スコア
3. "「俺が守ってやる」くらい言えよ"
- 論理的矛盾:先に「できなくてもいい」と述べているのに、なぜ言う必要があるのでしょうか?
- 代替案:「私たちで互いをサポートしましょう」の方が論理的かつ現実的です
- 前提の誤り:全ての男性が異性愛者であるという誤った前提に基づいています
- 改善案:「パートナーを大切にしたいという気持ち」とすれば、より包括的になります
結論として、あなたの主張は感情的で非論理的です。社会学的研究やデータに基づいた議論をすべきです。そして何より、人間関係は単純な「守る・守られる」の二項対立で語れるほど単純ではありません。
ちなみに、私の場合、パートナーとの関係は完璧な相互理解と尊重に基づいています。彼女は私のコミック本コレクションを理解し、私は彼女の神経生物学研究を尊重しています。これこそが真の「守り合い」というものでしょう。
※日焼け止めは色付きに疑問を持っているので色がついてないが白浮きしないタイプの日焼け止めをいくつか勧めるエントリ
>白い液のタイプはとにかく白浮きしてしまって、「お化粧した感」が出てしまい、
そうか?
めちゃくちゃ疑問だ
よほど小さいところが下手に作ってる、たとえば「オーガニック系ノンケミカル(紫外線散乱剤不使用)」とかじゃない限り最近のは白浮きはほぼ心配せずにすむ
「顔だけ白浮きしがち(ほら、よく女でいるじゃん首の境目で顔だけ白くなってるやつ、あれになる、トーンアップとか書いてるやつはこの効果狙ってんだからな)」
「お化粧しました感が出る(BBクリームタイプはそもそも化粧感出すのが目的の1つ)」
と感じるわ
・量を使っても惜しくない値段のものを、想定の2倍使え
・日焼け止めの効果は値段より「メーカー想定量(消費者が考える2,3倍)をこまめに塗りなおせるかどうか」にかかってる、
高い物は汗でも落ちづらいとか肌への負担が軽めとか高い技術が搭載してある(肌のヨレについていく、紫外線の中から美容外科医が光治療に使う周波数だけ通す等)
しかしここ10年のものは安いものでも紫外線防止効果自体は十分に高いので
ただし本当に惜しみなく使え(そして夏の終わりに「え…安いと思ってたけど合計だと〇〇円も使ってんじゃん」と思うぐらい使え)
・ただし、アウトドアでの活動が長い場合はウォータープルーフと書いてあるものを選べ、でないと滝のような汗で流れていきがち
その上で具体的な商品名をドラッグストアで手に入りやすい資生堂中心にいくつか書く
以下資生堂アネッサ、パーフェクトUV スキンケアミルクNA価格¥ 3,058(税込)60mL
敏感肌ならアネッサのピンクのやつパーフェクトUVマイルドミルクNA価格¥ 3,058(税込)60mL
高いのが買える、現在地中海にて太陽に焼かれているなど過酷な環境なら
ザ・パーフェクト・プロテクター価格¥ 6,380(税込)50mL
を足すといい、
なおこの「クリアなスティックタイプ」は他のメーカーからも多数出ており扱いが楽なのでお勧めしたい
花王について。
2024年上半期「日焼け止め売れ行きランキングTOP15」の中に8品とほぼ半分を送り込んだ花王のニベアとビオレ、
ドラッグストアどころかコンビニでもスーパーでもとほぼどこでも買えて手ごろな値段、
と優れた商品展開をしている
だが正直言うと落ちやすい
長時間外にいる状況や汗の量が多い人には勧めない
「朝の通勤時間と昼の休憩に外に出る」ぐらいならぴったりなので是非
汗をかく量が多い人で、上の資生堂がご予算からはみ出してる人には
サンカット・プロディフェンスの「ミルクタイプで金色のやつ」をお勧めする
プロディフェンス タフネスUV ミルク、実売価格は1400円ぐらい
なおサンカットは上記のスティックタイプも出ておりこちらもお勧め
https://www.suncut-uv.com/lineup/prodefense/
もっと自殺はどうしたら防げたのかも話してほしかったな~と思う。
みんな即「原作軽視が自殺の原因=テレビ局が原作者を軽視しなければ自殺しなかった」って結論付けてて、あんまりその視点では議論されてなかった印象がある。
自分もお姉ちゃんがうつ病になったことがあってちょっとした自殺未遂までいったことがあるのだけど、
寛解してる今も通院はしてて、お医者さんからは「もしまた症状が出てきたと思ったら通院日遠くてもすぐに連絡ください」って言われてる。
「でないとすぐに同じことを繰り返すかもしれないから」とも。
で、あの事件の報告書読むと思いっきりうつの症状っぽいのが書いてあるんだよね。
「脚本家の投稿に対してストレスを受け、原稿が書けないほどになっている」って。
まー別に犯人探しをするつもりはないけど、自殺を防ぐという観点からすると、ここからの小学館の対応はまずかったんじゃないかなーとは思う。
まずネットは肯定的にしろ否定的にしろ色んな人から反応がきて不要な刺激を与えるから、芦原さんにブログを書かせるべきじゃなかった。
お姉ちゃんもSNSはやんわり禁止されてたし、LINEとかもなるべく信用できる人とだけやるようにって言われてた。
そういう風にうつのきっかけっぽいものからとにかく距離を置くのは大事って意味でも、やっぱり書かせるべきじゃなかった。
本人の要望にしてもせめて小学館名義で発表するとかもうちょっとやり方はあったと思うし。
で、一番まずかったのは結局それを取り下げさせたこと。
これもお姉ちゃんの場合だけど、患者さんの周囲の人はとにかく本人を肯定してあげてくださいってお医者さんからは言われてた。
とにかく自己肯定感を底上げするのが大事で、逆にどんなに日頃肯定してても一回の否定で台無しになってしまうこともある。
小学館の人も芦原さんを非難するなんてつもりではなかったんだろうけど、
複数人から、しかも今まで自分の行動を支えてくれてた人達から「取り下げて」と言われたら、自己肯定感は一気に崩れてしまっておかしくない。
だからSNSには最後ごめんなさいという言葉を残したんだろうし、「自分はいない方がいい」というところまで一気に感情の針が振れてしまったんじゃないかと想像してしまう。
普通仕事に関係する心身の不調があったら人事や産業医みたいな知識のある第三者に相談するわけで、
作家という出版社の社員ではない人でも利用できる窓口みたいな存在があったらよかったのかなと。
これはテレビ局側も一緒で、なんというか作品制作ってみんな個人のプライドを持って、しかも定量化できないものを扱ってるから、
常にカウンセラーみたいな人を置いておかないと今回みたいなトラブルに発展しやすいんじゃないかと思う。
報告書ではどちらも原作者が納得する映像化を目指すような結論になってたけど、
少なくともセクシー田中さんのドラマの内容については芦原さんも最後まで頑張った結果納得するものにはなってたみたいだし、
コミュニティノート:エビデンスの重要性とその過度な強調に関するいくつかの指摘は議論の余地がある点です。以下に挙げる主要なポイントには一定の根拠がありますが、その解釈には注意が必要です。
1. **数値化が困難な要素の軽視**:エビデンスに基づく意思決定が、数値化や定量化が難しい経験や文化的価値観などを軽視しがちであるという主張は一理あります。一部の要素は数値では捉えきれませんが、定性調査や複合的な評価方法を用いることでこれらも意思決定に組み込むことは可能です。
2. **主観の入り込み**:エビデンスの解釈には主観が入り込む余地があるという指摘も妥当です。データの収集方法や分析手法によって結果が変わることがあり、客観性を完全に担保することは困難です。しかし、科学的手法や統計的分析を適用することで、バイアスの影響を最小限に抑える努力はされています。
3. **イノベーションや創造性の阻害**:エビデンスに重きを置きすぎると、初期段階で十分なエビデンスがない新しいアイデアや革新的な取り組みがリスクを取ることが難しくなる可能性があります。ただし、エビデンスと直感、創造性のバランスを取ることが重要です。エビデンスが全くない状態での意思決定もリスクが高いため、判断には注意が必要です。
4. **短期的効果の重視**:エビデンスに基づく政策決定が短期的な効果を重視しがちであり、長期的影響や副作用を捉えきれない場合があるという点も考慮すべきです。長期的視点や全体的な影響を評価するためには、定量的エビデンスの限界を認識したうえで、補完する要素を見出す必要があります。
5. **時間とコスト**:エビデンスの収集と分析には時間とコストがかかるため、緊急時には迅速な判断が求められる状況でエビデンスを待つのは現実的でないという指摘も正しいです。緊急対策には、エビデンスに頼りつつ、迅速な判断を下すための柔軟性も重要です。
総じて、エビデンスは意思決定の重要な要素ですが、それのみでは全ての状況に対応できないことを認識することが必要です。経験や倫理的考慮、長期的視点なども含めた総合的アプローチが重要であり、その限界を適切に認識し、バランスの取れた意思決定を目指すことが肝要です。
エビデンスの重要性を過度に強調することには、いくつかの問題点があります。
まず、エビデンスに基づく意思決定は、数値化や定量化が困難な要素を軽視してしまう傾向があります。経験、文化的価値観などは、数値では表現しきれない重要な要素です。これらの要素を無視することで、全体像を見失う可能性があります。
次に、エビデンスの解釈には主観が入り込む余地があります。データの収集方法や分析手法によって結果が変わることもあり、完全に客観的なエビデンスというものは存在しません。また、同じデータでも異なる解釈が可能な場合もあります。
さらに、エビデンスの過度な重視は、イノベーションや創造性を阻害する可能性があります。新しいアイデアや革新的な取り組みは、初期段階では十分なエビデンスがない場合が多いです。エビデンスのみに頼ると、リスクを取ることが難しくなり、進歩が妨げられる恐れがあります。
また、エビデンスに基づく政策決定は、短期的な効果を重視しがちです。長期的な影響や副作用を予測することは難しく、エビデンスだけでは捉えきれない場合があります。
最後に、エビデンスの収集と分析には時間とコストがかかります。緊急を要する状況では、迅速な判断が求められることもあり、常にエビデンスを待つことは現実的ではありません。
したがって、エビデンスは意思決定の重要な要素の一つではありますが、それだけに頼るのではなく、経験、倫理的考慮、長期的視点なども含めた総合的なアプローチが必要です。エビデンスを適切に活用しつつ、その限界も認識することが重要です。
今日はテキサスホールデムポーカーを考えてみたで。ほんま、ゲーム全体を抽象構造として捉えるんやけど、これがまたおもろいんやわ。
まず、テキサスホールデムを状態空間 S とアクション空間 A の組としてモデル化するんや。
状態空間っちゅうのは、ゲームの全ての可能な状態(カードの配置とか、プレイヤーのベット状況とか)を表してて、アクション空間はプレイヤーが取れる全ての行動を表すんや。
S = {s₁, s₂, ..., sₙ}, A = {a₁, a₂, ..., aₘ}
遷移関数 T: S × A → S は、ある状態で特定のアクションを取ったときの次の状態を決めるんや。
報酬関数 R: S × A → ℝ は、特定の状態とアクションの組み合わせに対する報酬を与えるんやで。
状態空間とアクション空間に確率測度を定義して、各状態とアクションの発生確率を測度論的に記述するんや。
P: 𝔹(S × A) → [0, 1]
期待値は、報酬関数と確率測度を用いて計算され、各アクションの期待される利得を評価するんや。
E[R(s, a)] = ∫(S × A) R(s, a) dP(s, a)
各プレイヤーの戦略を戦略空間 Σ として定義して、戦略の組み合わせがゲームの結果に与える影響を解析するんや。
Σ = {σ₁, σ₂, ..., σₖ}
ナッシュ均衡は、戦略空間において、どのプレイヤーも自分の戦略を変更することで利益を得られない状態や。
uᵢ(σᵢ, σ₋ᵢ) ≥ uᵢ(σ'ᵢ, σ₋ᵢ), ∀ σ'ᵢ ∈ Σᵢ
プレイヤーの情報セットを用いて、各プレイヤーが持つ情報の非対称性をモデル化するんや。情報セットは、プレイヤーが観察可能な全ての情報を含むんやで。
Iᵢ = {Iᵢ₁, Iᵢ₂, ..., Iᵢₘ}
エントロピーを用いて、情報の不確実性を定量化するんや。情報の増加や減少が戦略に与える影響を解析するんやで。
H(X) = -∑(x ∈ X) P(x) log P(x)
これにより、戦略の微小な変化がゲームの結果に与える影響を評価するんやで。
戦略間の連続的変形をホモトピーとして捉えて、異なる戦略間の変換を解析するんや。
H: Σ × [0, 1] → Σ
この方法で、テキサスホールデムポーカーを数学的に理解して、理論的に最適な戦略を導き出すことができるんや。
ほんま、ゲームの本質を抽象的かつ数理的に捉えることができるんやで。
おもろいわ!
メンヘラだし正社員だけど借金持ちだし見た目やばいし他人とのやりとりがだるくて結婚しろという圧から逃げてこの年になった。
周りの友人は結婚していて、子持ちもいて、へーかわいいねって感じだったんだけど、ここ数ヶ月で突然「自分は『社会』をやれてない半端もの」なんじゃないか、そうだそうだ、こんな人間生きてたらだめだ、って思うようになってきた。
メンタルクリニックにも通って毎日きちんと定量の薬を飲んでるけれど、突然「あっ死にたい、死ななければ」っていう気持ちが訪れる。そして、それが去ると「家も買えない結婚もしてない恋人もいない何もやる気がしないそんな人間はクズお前はクズ」っていう気持ちが訪れる。
単に誤診なのか、別の病気が発症したのかも分からない。セカンドオピニオン行きたくても行きたい病院はずっと初診の受付をしていない。合わないかもしれない薬を飲み続けるのか、新しい病院に行くのは正解なのか、わからなくて怖い。
ずっと「いい年こいて未婚でいると狂う」っていう話は対立煽り、note商売人の話だから見るだけ無駄と思っていたけど、なんか病院行ってこれだし本当にいい年こいて社会的なことを何もしてないと狂うのかもしれない。怖い。
最後に、定量化するのが最も難しいが、それに劣らず重要な改善のカテゴリーを紹介しよう。
難しい数学の問題を解くように言われたとき、頭に浮かんだことを即座に答えなければならないとしたらどうだろう。最も単純な問題を除いて、苦労するのは明らかだろう。しかしつい最近まで、LLMにはそうやって数学の問題を解かせていた。その代わり、私たちのほとんどはスクラッチパッドで段階的に問題を解いていき、その方法ではるかに難しい問題を解くことができる。「思考の連鎖」プロンプトは、LLMのそれを解き放った。生の能力は優れているにもかかわらず、明らかな足かせがあるため、LLMは数学が苦手なのだ。
私たちはここ数年で、モデルの「足かせを外す」ことに大きな進歩を遂げました。これは単に優れたベースモデルをトレーニングするだけでなく、アルゴリズムの改良によってモデルの能力を引き出すものです:
足場作り。CoT++について考えてみよう:ただ問題を解くようモデルに求めるのではなく、あるモデルに攻撃計画を立てさせ、別のモデルに可能性のある解決策をたくさん提案させ、別のモデルにそれを批評させる、といった具合だ。例えば、HumanEval(コーディング問題)では、単純な足場作りによってGPT-3.5が足場なしのGPT-4を上回った。SWE-Bench(実世界のソフトウェアエンジニアリングのタスクを解くベンチマーク)では、GPT-4は~2%しか正しく解くことができませんが、Devinのエージェントの足場があれば14-23%に跳ね上がります。(後ほど詳しく説明するが、エージェントのアンロックはまだ初期段階に過ぎない。)
ツール:もし人間が電卓やコンピュータを使うことを許されなかったらと想像してみてほしい。まだ始まったばかりだが、ChatGPTはウェブブラウザを使ったり、コードを実行したりできるようになった。
エポックAIによる研究によると足場作りやツールの使用など、これらのテクニックのいくつかを調査したところ、このようなテクニックは多くのベンチマークで通常5~30倍の効果的な計算量の向上をもたらすことがわかった。METR(モデルを評価する組織)も同様に、同じGPT-4ベースモデルからのアンホブリングによって、エージェントタスクのセットで非常に大きなパフォーマンスの向上を発見しました。
https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/metr_gains_over_time-1024x597.png
これらをコンピュートとアルゴリズムの効率で統一した実効的なコンピュート規模に当てはめることは困難ですが、少なくともコンピュート規模の拡大やアルゴリズムの効率とほぼ同規模の大きな進歩であることは明らかです。(また、アルゴリズムの進歩が中心的な役割を担っていることも浮き彫りになっています。0.5OOM/年の計算効率は、すでに重要なものではありますが、ストーリーの一部に過ぎません。)
「アンホブリング」こそが、実際にこれらのモデルが有用になることを可能にしたのであり、今日多くの商業アプリケーションの足かせとなっているものの多くは、この種のさらなる「アンホブリング」の必要性であると私は主張したい。実際、今日のモデルはまだ信じられないほど足かせが多い!例えば
ここでの可能性は非常に大きく、私たちはここで急速に低空飛行の果実を摘んでいる。これは非常に重要です。"GPT-6 ChatGPT "を想像するだけでは完全に間違っています。 GPT-6+RLHFと比べれば、進歩は段違いだ。2027年までには、チャットボットというより、エージェントのような、同僚のようなものが登場するだろう。
続き I.GPT-4からAGIへ:OOMを数える(8) https://anond.hatelabo.jp/20240605210232