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2023-04-01

築50年都内マンション様相 身寄りのない高齢者の補足

身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。

 

 コメントで、築50年、1970年代に作られたマンション様相についてイメージしずらい方がいるようなので書いてみようと思いました。

 

 このマンション1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取り3LDK私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。

 小学校入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれ班長レストランせがれが副班長スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋社長理工系技術者保育士共産党員福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋おやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油砂糖がないときは借りに行ったりというつあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域情報を過剰に共有していた。マンション商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったか情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。

 おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者ほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり住民がいぶかしがるような時代だった。独身者アパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民マンションに住むという構造だったのだと思う。商店街コンビニレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しか資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京未来を信じていた時代だったのだと思う。

 その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由暮らし謳歌していた。文化的地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。

 そんな2000年代。わが地元マンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化たからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンション世帯四方にあり、衛星放送アンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたときマンション理事会が開かれるという。私は屋上衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話インターネットに繋いでいた時代の話だ。

 「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンション構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下であるエレベーターマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段けが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人住み込み管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心いたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦住民とは打ち解けている。数年前、管理会社方針住み込みでの雇用は打ち切るとなったときマンション自治会自治会費で管理人室を買い取り、管理人雇用することになったとのことだ。そのとき声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込み管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠管理人介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人裁量判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。

 

 とりとめなくなってしまった。地域先生の話をひとつ

 マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球サッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭大人行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師夫人が、先生師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき野球サッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。

 たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生最近どうなのという話題は常にあがる。先生スーパー下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。

2023-03-27

駐在さん(警察官)のおかげで狂った親を簡単入院させられた

自分田舎には「駐在所」という警察官家族住み込みで働いている交番みたいのがある。

そこに勤める警察官は近所の人から大体「駐在さん」と呼ばれている。

当時そこにいた30代前半の若い駐在さんとその奥さんに助けられた。

当時80の父親。昔からおかしいかったが歳をとるにつれて妄想引きこもり暴言が増えていった。

ただ身体はしっかりしていた。

近所の人とトラブルを起こすようになってきた(100パーこっちが悪い)

一緒に暮らしている母親は元気で世話焼きだった。昔からなんかある度に頭を下げに行っていたらしい。

私は結婚して県外に嫁いで、たまに母に子供を見せに帰っていた。

2歳の子供を連れて妊娠中に帰ると母が腕を骨折していた。

父と揉み合いになって転んでおったらしい。

ただ母は誰にも言うな、お父さんのことは私がどうかするからと言っていたが、今後のことを考えると不安で吐きそうだった。

私は妊娠後期で産休に入っていた。上の子供は小さい、夫も私も仕事を変えてまで介護に帰るのは現実的ではなかった。

しかしあまり心配で、1週間ほど泊まることにした。

私が吐きそうでも子供は騒ぐので公園に連れて行った。

そしたら同じ年頃の子を連れた駐在さんの奥さん出会った。

なんというか「感じが良い」という表現がぴったりの人だった。

出会って3日目くらいで父親のことを話してしまった。

するとそれはやばいですね、夫に話していいですか?と言ってくれたので是非とお願いした。

そこから早かった。

駐在さんが家に来た。母と話して何かあったらすぐ連絡すると言うことになった。

地域の包括支援とも繋いでくれた。

その後私は自分の家に帰り出産し、生後半年にまた実家に帰った。

から駐在さんは定期的に様子を聴きに来てくれていると聞いた。

駐在所に遊びに行ったら奥さん子供と出てきて、前のように遊んでくれた。

それからすぐに、母から父が入院したと連絡があった。

暴れたので駐在さんに来てもらった、駐在さんの方で行政とやりとりして措置入院することになったと言うことだった。

前に相談したのが効いたのか、駐在さんが仕事ができる人だったのか、多分両方であっという間だった。

実家に帰った時にお礼を言いに行ったら駐在さんと奥さん子供たちが出てきてコーヒーを淹れてくれた。

母は父が家にいる頃より明るくなった。

地域サロンなんかにも参加するようになった。

私も夫も住む場所、職を替えずに済んだ。

次に駐在さんに会いに行くと、転勤があったらしくもう他の人に代わっていた。

奥さんは転勤ばかりで大変な仕事だろう。

本当にお世話になりました。

2023-03-22

anond:20230322155756

まぁまぁまぁ、そりゃあね

 

でも食費、家賃を雇い主持ちで住み込みだったらいくらになるかはちょっと気になるな

屋内で着る用の制服支給したら10万くらいで何とかなりそうな気もする

 

でもこの場合、最低おちんぎんってどういう計算になるんだろうか

東南アジアって住み込みメイド(老若男女問わない)を格安で雇えるから

専業主婦仕事金額換算したら1000万!なんか鼻で笑われるわな。

anond:20230322154718

まあ文化の差だよな

需要が多ければ価格競争が発生する

フィリピン物価日本の5分の1と考えても住み込みで月給4万円(家賃無料食事付き)の仕事は高給取りではないけど、

向こうじゃ中流家庭でもメイドを雇うからなり手は絶えない

anond:20230322154234

親父がフィリピンに別荘持ってて住み込みメイド雇ってたけど月額8000円くらいだったな

anond:20230321125524

俺は富豪になったら住み込み若いメイドを雇って最終的には恋に落ちて結婚しようと思っていたから調べたんだけど

住み込み場合待機時間も時給が発生するから、時給1500円だと一日36000円、一ヶ月30日で108万、一年で1296万になる

専業主婦がこれに当てはまるかというと、まあ微妙だが

男が損をする事が自らの得になると思っているのが女なのかもしれない

RTで回ってきたこ記事を読んで驚いた。

自分が以前に書いた日記引用されていたからだ。


福祉を奪われる男たち|男子の利用を拒否する子ども食堂

https://note.com/neroreport/n/nc2486046cb39


記事コメントの一部に不穏なものがあった為、消した。

(引用されている「赤の他人の男が損をするのを願うのが女という性か」については、第三者勝手転載したものである別に怒ってはいないが)



あれから現状は変わってはいる。寧ろ悪化した。

利用者に「好評な」レディースデーは、回数を増やす事になった。

それだけ毎日の様に通う少年達が、食という最低限の福祉にすらありつけなくなった。


更に割合を増やす事を主張する人もいたが、さすがに自分がブチ切れて支援者も巻き込み騒いだ結果、それ以上の悪化は防げた。

しかしそれ以来、ある事ない事、他スタッフ支援者(主に女性)に、陰口を叩かれる様になった。

ミソジニー某氏シンパ扱いされている様だ。

団体迷惑にならぬ様に記事を削除したが、正直今では後悔している。

自分が関われなくなる可能性もある。

そうなると、よく通っているあの子や彼はどうなるのだろう?

それが心配で仕方が無い。


別に未成年少年に重点的に支援しろ、とまでは思っていない。

男女問わず生活に困っている人間特に自らではどうしようもない未成年は救われるべきだ。

但しそれは一律、平等に。それが大前提だと思っていた。

性別」という自分ではどうしようも無い所で、区別され差別される。

そんな事はあってはいけなかったのに。

一部の異常な差別者と、彼女ら・彼らに影響されてしまった人達のせいで、結果的福祉の前提を崩壊させてしまった。

本当に申し訳なく思っている。

しか責任を取って活動から身を引けば、男子福祉から排除する抑止力が小さくなる。

それも避けたく、結果的活動を続けてしまっている。後ろめたい思いをしながら。



貧困ネグレクト家庭に育ち、ロクな学歴も無く不況社会に放り出された過去自分は、生活困窮者だった。

住み込み仕事給料未払いの上追い出され、20そこそこで健康的に働ける体があるにも関わらず、炊き出しにありつかなければ飢えをしのげなかった、

そこから何とか福祉に繋がらなければ嘘偽り無く死んでいたであろう自分は、間違いなく生活が困難だっただろう。


それでも当時は、皆が辛い時代だった。

から男女差別がどうこうは何も思わなかった。考える余裕すら無かったと言われればそれまでだが。

しかし今は、女性に対する様々な支援は、寧ろ手厚く過剰なまでに溢れている一方で、男性に対してのそれは女性ほどは少ない。

寧ろあっても、様々な立場から邪険にされ妨害され、支援福祉を受けられないケースも多々ある。

先の日記で嘆いた様な、男性への福祉意図的カットする様な胸糞悪い事実現場で起きている。

抗議をしても、最早あるのかどうかも分からない、福祉支援必要人達には間違いなく存在しない、

ありもしない「男性特権」があるのだから(支援など)無くても問題無いだろうと、抗議の声すら大声で感情的反論を喚かれ、かき消されてしまう。

女性よりも上回る権利など欲していない、ただ平等に、同じものが欲しいという、ただそれだけなのに。


レディースデーに「好評」をした女性達の歪んだ笑顔が忘れられない。

女性安心して、女性だけで食事を出来て満足しています」と。

あれがフェミニズムなのだろう。

自らが得をしなくても、男を排除したい。それが女の得に繋がる、という歪んだ思想

男の加害性があるのならば、これこそが女の加害性なのだろう。



若く多感な時期に、生活困難に追い込まれ挙げ句、「性別」というどうしようも無い性で差別され区別され、

最低限度の支援からも追い返された人達に対し、救われる側の性を恨むな、羨むなとは、俺には言えないし言う資格も無い。

彼らもいずれは大人になり、社会に出ていく。

彼らが社会一定を占めた時、女性への過剰な支援に対し大目に見る事が出来ると思っているのだろうか?

男性から」と救いを求める手を跳ね除けられ、一方で諸手をあげて歓迎されながら救われる「女性」を横目で見てきた人達が。


今、差別をしている者達では無く、関係無い人達が次に差別される側になる。

今、フェミニズムと共に植えてばらまいている怨恨の種は、後の世代女性を脅かす存在に成長するのかもしれないという暗澹たる将来への絶望がある。

そして、恐らくこの声は、自ら「だけ」が差別される側だと思いこんでいる差別者の側にいる女達と、彼女らに味方をする者達には決して届かないという絶望も。

2023-03-21

anond:20230321142001

専業主婦は、その家政婦さんに住み込み24時間対応365日の仕事を頼んでるわけだよね。その間他のことができないし就労できないんだから

それは週1で来てもらう人が多いとかでしょ?

そんな無茶な依頼をするなら、年間1314万円払うべきですよねって話で

お前学生めっちゃバカだな。バカから多分年収の話とサービスの対価の話の違いがわからないんだよ

バカって頭悪すぎてキモいから話すのやめるわ

anond:20230321125004

いまどき住み込みとかは聞かんけど住み込みメイドとかだったら1000万行くんか?

素朴に考えるとプロ業者の準備時間込みの給料作業時間だけで割って常に予定ギッシリの前提で計算してそうだけど、そういう無茶な計算やったりしてないよねさすがに・・・(?)

ところで俺は会社経営してるんだが、イーロンマスク2022年報酬は2350億円だったらしいんだわ

俺も2350億円の報酬もらえるかなぁ

2023-02-22

anond:20230222032209

雇うのなら家政婦でよくね?

若くて料理上手で推し萌え共通してて本当にかわいい子が生活保護うけてて

マジで家政婦になってほしい

けど月額14万円の生活保護がないとだめらしい

住み込み家賃生活費全部もちにするからもうちょっとやすくならないか

月に5万円くらいお小遣いあげるから一緒にくらして家事手伝ってとかじゃだめかな

妹が増えたみたいなやつやりたい

2023-02-16

anond:20230216132858

男が人生ですべきことは「良い家柄の娘と結婚する」ことと「陛下から勲章を頂く」こと。

確率勲章を貰うには、官僚学者の2点が固い。定年した地方自治体幹部や定年教員も貰えるが「良い家柄の娘と結婚する」が達成できないので官僚学者

地方出身次官学者は県立や府立高校卒も多いが都内なら筑駒開成麻布ほとんど。公立なら日比谷一択。よって中学受験必須

俺は中学受験もさせない田舎の家庭に生まれ田舎年寄りには評判のよい自称進学校に進み、質問すると怒鳴り返してくる嘱託数学教員のせいで国立理系を諦めなければいけなかった。元増田よりはネームバリューのある都内の私文を出て、コンプレックスを引きずり就活に失敗。ハロワ土木介護を紹介されて鬱になりそうだったが、法曹になって「上方婚」と「陛下から勲章を頂く」を狙うことにした実家住み込み書生ニート

2023-02-08

anond:20230208074326

パチンコラブホの清掃は敷地内で完結だけど、規則正しい生活は本人次第かな

あと今も住み込みで雇うようなとこあんのかな

工場だと独身寮があるとこはまだあるけど

住み込みで、衣食住用意されてて外に出る必要なくて、簡単仕事して、規則正しい生活を送る。

そんな所ないかなって思ったら、これほぼ受刑者じゃね?

2023-01-30

anond:20230129222853

激安スーパーを徒歩でめぐるのが苦にならない人で、

最近まで卵は10個100円のクーポンしか買わないっていってた。

(今はクーポンあっても180円でしかも配布数が激減したらしくて心配

自炊してない人に説明すると、卵10個100円っていってたころのうち(田舎)のまわりの底値が159~180円

クーポン180円になったころはうちの近所では220円くらいになってた

   

卵以外にもちゃんとした海産物が激安で買えるスーパーとか肉が安いスーパーとか徒歩範囲スーパー特質をめちゃ把握してた

子供のころから親が毒親経済DVしてきて高校くらいになると月額1~3万円のお小遣いで月間の90食を賄えとかいわれてたらしい

安くておいしいものにこだわりがあってソーセージ干物自作するのが苦にならず冷凍庫自作の加工済み食材でいっぱい

(でも寝込んだら解凍する気力もなくなるらしい)

すごい才能だから住み込み家政婦や漫画家のメシすたんとができるし、

飯炊き目当ての契約結婚したい男性もありなんじゃっていろいろ進めてるけどあまり気が進まないらしい

(たしかに体と心が弱いので急に休む場合もあるし、

密室になる職場いやがらせとかされたらまた大変だとは思う)

2023-01-29

鈴木邦男と朝まで生TVネット団塊叩き、三島切腹関係

鈴木邦男が亡くなってしまった。ご冥福をお祈りする。

鈴木陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである

また風桶式に鈴木が居ねばネット団塊叩きも無かったんであるちょっと説明しようと思う。

 

新興宗教2世六本木道場

鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動学生運動に身を投じ、全共闘左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題宗教二世だったのだな。

この道場乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6

今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。

日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後右翼運動胎盤みたいな場所なんである安倍政権日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会安倍政権日本会議関係問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。

この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家教祖谷口雅春の著書を出版して思想教義を広める為に設立された出版社だ。しかフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。

 

余談だが防衛庁(当時)の庁舎2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである六本木赤坂物価より安い上に生長の家道場防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。

ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者売店使用することは出来なくなった。

六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格パンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。

 

盾の会と森田必勝

1970年三島由紀夫市谷駐屯地東部方面総監部占拠割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。

この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞退職してしまう。(デモでの狼藉解雇されたとの話)

鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。

 

余談だが、小泉政権時代男性女性判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女学生時代右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動プリンス立場だった森田との交際の噂もあったとの事である

1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。

 

黒塗り街宣車軍歌最初に止める

鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれ新左翼に対抗する為に生まれ政治権力癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手新左翼自体が、日本共産党暴力路線放棄する事に反発して生まれもので、要するに暴力vs.暴力

最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車旭日旗日章旗軍歌を流すというスタイルが定着した。

鈴木代表を務める一水会も黒塗り街宣車軍歌を流して通行人威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。

という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バス国防色止めたのも同じ動機だ)

すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。

 

ただ、話を聞いて貰えないスタイル流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くとき相手が折れてやり易い訳だ。

更に活動費というのは支持者の寄付機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。

するとシノギ手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼スタイル模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンバスの方がいい。こういうのを警察用語右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。

 

激突全共闘新右翼から朝生

鈴木はこういう威圧じゃなくて議論対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。

そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である

 

この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想ポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。

 

そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。

そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。

それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗テレ朝に持ち込んだ企画朝生だったんである

当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNN放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。

 

こういう経緯だから最初の頃の朝生体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原最近朝生は最早保守左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘新右翼討論会成功で行けると踏んだのが朝生なのだから

そしてこの討論会鈴木の左右を超えた交流議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから鈴木存在朝生を産んだと言って差し支えないんである

 

元気になった全共闘上がりへの反発

こういう風に鈴木活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立て必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書である

この動きに対し、同世代松原隆一郎文藝春秋社の雑誌諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者全共闘叩きをする記事を寄せた。

まりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代増田もそう)の日本支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイル確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人プライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代わがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。

 

些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。

 

鈴木赤報隊

最後現在統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件赤報隊に関して。

1990年代新右翼を名乗る男の脅迫柳美里サイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木SPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。

すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである赤報隊情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊情報は二度と官憲提供しないと書いてそれきりになってしまった。

結局赤報隊鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである

 

ヤクザ人権デモ

ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介鈴木ヤクザ人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトロー人権とは笑止」などと言われてしまった。

2023-01-13

anond:20230113180013

昔は確かに社員会社住み込みゲームを作っていた、みたいのがあったけど

それは自宅よりも会社環境が色々な意味で優れていたと言う側面もあったわけで

ていうか、自宅の10倍の価格PCで開発していたとか、ゲーム機が一通りあったり場合によっては数十万円のAC筐体まで置いてあって自由に遊べたとか、コンシューマの開発機材でゲフゲフとか

そういう、むしろ会社から出たくなくなるような環境の中で自由にやれてたわけで、それが今や10万円も行かないような安ゲーミングマシンあてがわれ小さなシングルだかデュアルモニターにらめっこしながら、ゲーム作ってるんだか部品作ってるんだかわかんない状況なんかで誰が定時以上働く気になるんだ

と、友人が

2022-12-20

anond:20190406014934

タクシー運転手

免許代は会社が持ってくれたりする(ただし2年勤務した場合などの条件あり)

歩合制の部分が高いので、やる気と技術がないと難しい

介護仕事

人手不足なので資格無しでも入れると思う

ただゆくゆくは資格必要。あときついのに給料安い

エアコンの設置・取り外し

就職簡単。でもこれも体力等キツい。ずっとやれる仕事ではない。ただ給料はいいよ

工場派遣

給料は稼げるし住み込みもあり。ただこれもきつい。精神病

2022-12-11

anond:20221211173455

中卒で単純労働できる場所がたくさんあった時代感覚で、今や建設業工場でもある程度の教育があること前提でなんだかんだ資格必要だったりただの体力バカでは迷惑って感じになってる社会少年の働き口を考えちゃうとこうなるんだろうなみたいなのはあるよな。

女の子は中卒で軽工業工場住み込みお手伝いさんみたいな仕事普通にあった時代ではないか風俗売春に流れちゃう、というのは正しく理解されてるんだけど。

2022-12-04

『困窮している若い女性、子供』では無く『少年』を助けるのが物凄くしんどい

自分はよくありがちなボッシーのネグレクト家庭で育った。

高校の時からバイト奨学金で何とか学費と食費を稼いで卒業した。

常日頃からカネカネうるさい母や、家に帰ると彼氏とやらとよろしくやってる様な家にすっかり嫌気が差し

バイトが無い日でも似たようなダメ家庭育ちの連中とつるんで公園とかでたむろう、典型的健康優良不良少年になっていた。


もっと自分達はせいぜいイキってタバコ吸うぐらいだったけど(バイト先の先輩に良くして貰う、覚え良くする為に、そういう文化に染まっていたのもある)

もっと悪い仲間や先輩だと、万引きとかカツアゲしてたのもいたし、女子女子万引き+援交(当時の呼び名)って感じだった。

そんなのとも(悪い遊びに誘われるのは上手く避けつつ)普通につるんでいたのだから倫理観は色々バグってたと思う。


高校卒業後は親元を堂々と離れ、住み込み仕事とかで何とか食いつなぎつつ、ある時から正社員としてのキャリアスタートさせて今に至る。



自分自身経験から、夜の街を出歩く少年少女達が少なからず困窮してるしその脱出方法も分からないケースが多いというのは身をもって知っているか

幾つかの団体を手伝って(ノウハウも覚える目的もあった)、協力してくれる人達も集めて困窮する若い少年をメインで助ける活動をやろう、とした所で躓いている。


何というか、自分経験でも『女性子供』を助ける為、という題目なら通る筈の事が、『少年男子』では途端に通らなくなる。

世間の目も、女性子供対象とした救済活動をしていた時とは違っていた。

「どうして男を助けなければいけないのか、優先するべきは子供若い女性では?」みたいな事はしょっちゅう言われた。

拒絶されるだけならまだしも、女性職員等に感情的な酷い言葉を浴びせられた事も一度や二度では無かった。

(傾向的には男性相手だとドライ・冷酷に拒絶される、女性相手だと感情的否定される、という事が多かった)


自分はまだ諦めて無いけど、こういった現実を目の当たりにして、心折れる事は全然あると思う。

実際問題金も人手も労力もかかるし、いつまでも手弁当支援も無く補助もロクに活動も出来ないんじゃ、サークル感覚では続けられないと思う。

(諸々の過程活動から抜けた人も少なくないし、引き止めようにも引き止められないのが現実だった)

女性がメイン対象支援が多々あるのに対し、男性へのそれは圧倒的に少ない。理由の一つがこれだと思う。

少しでも良いかパイを分けて欲しい、難しいのならせめて拒絶はしないで欲しい、けれどそれすら難しい。


困窮する女性子供を救うのは社会的にも意義がある事だと思うんだけど、どうしてその中に『少年若い男性』を含めてくれないのだとつくづく思う。

ダメな家庭や貧困で苦しんでいるのは女子男子も変わらないし、夜の街を彷徨って変なのと繋がってしまったり、暴力犯罪に晒されるのだって一緒だ。

男子なら丈夫だから働けるからだいじょうぶでしょ」じゃ無いんだよ。


まあそんな愚痴は置いといても、支援どころか邪魔すらされる若年者向けの救済活動は本当にしんどい。

別に称賛を得たくてやっている事では無いが、色んな所で否定され(「何故女性を助けようとしないのか」と差別主義者みたいに非難される事もままある)拒絶されるのは普通に辛い。

自分の食えない飯なら灰でも入れてやる。」という諺だかネットミームを思い出す様な人間と少なからず出くわすと、人の悪意と向き合うのが過去体験と繋がってしまって精神的に病みそうになるのが分かる。

(これはこういった活動をしている人達にとってはあるあるかもしれないけど)

そんな人間が一方では女性対象活動には熱心に支持・支援しているみたいな話を聞くと、思わず世を恨みたくなってしまう。


男性の事は男性が助けるべき」という意見ネットでもリアルでも良く聞くが、では実際に男性である自分達が(同士には女性もいるけど)

困窮している少年若い男性を助けようと行動しても、当たり前の様に邪魔されたり、拒絶されたり、「先に子供女性を助けろよ」などと非難されるのが現実だ。

(そしてそれを言うのは大概女性女性の味方に立つ男性というのが胸糞悪い事実でもある)



「男なら放っておいても良い」というのは、個人的には完全に間違っていると思う。

自分の周りだと、当時つるんでいたダメ家庭の困窮育ちの仲間達で、比較的まともな道に戻れたのは自分含めて4割ぐらいだと思う。

残り3割は今も非正規で歳も歳だから正規職のアテも無くてその日暮らしだ。

反○のと繋がってしまってそっちの道に行ってしまい、何をしているか知りたく無いのもいる。

ケチ犯罪を犯して逮捕されて、そのまま行方知れずのヤツもいた。

連絡も行方も知らない何人かは、恐らく自殺していると思う。便りがないのは息して無いからだろう。冷たいし悲しいがこれが現実だ。

困窮し救済もされずに貧困に陥る元少年が増えるのは、近い未来社会負担不安を増やす事でもあるし、巡り巡って社会全体が困る事になるだろう。


もし仮に「女性社会形成する一員では無いのから責任は無い」と言うのであれば話は別だけど(もちろん実際にはそんな事は全然無いだろうけど)

社会を安定させる為にも、社会支援で救済すべき『困窮している、困っている若年層』の中に、『少年若い男性』を含んで欲しいと願っている。

これは男性がやるべきとか女性には関係無いという問題では無い、『社会全体』の問題だ。





追記:勢いで愚痴鬱憤を書き捨てたつもりだったので、こんなに反応あるとは思っていなかった。

個別に反応は出来ませんが、なるべくまとめてみます



未成年だとさすがに男子から除外される事は少ないけど、それでもせいぜい中学生ぐらいまでで、それ以降は区別される。そこでセーフティーネットから溢れ落ちるケースが多い。

シェルターも長年殺人未遂レベル暴力含めたDVで抑圧され続けて逃げてきた『50歳の母と25歳の娘』を受け入れる所は沢山あるけど『45歳の母と20歳の息子』だと、難しくなる。

実質女性専用とまでは行かないが、男女「年齢」問わず受け入れられる所は、少ない。ブクマ等でもある様に、男性被害から逃げてきたケースが多いからだ。(女性からDV加害されたケースもあるだろう、とは思うが)

それでも女性保護者なり血縁者なりと共に逃げて来てくればまだマシで(他と連携出来る)、単独で駆け込まれたとしたら……残念ながら、駆け込み寺にはなってくれない所の方が多い。

少年男性も受け入れてくれる所は少しずつ増えてはいるが、数は圧倒的に足りない。DVシェルター=女性の為のセーフティーネット、という世間一般認識宣伝も大きい。


何というか、「男なら体も大きいし抵抗出来るだろう」というジェンダーバイアス世間一般に強くあるのも感じる。

家庭で長年抑圧され続けても男ならば抵抗出来るのか?と思うが、現場現実を知らない人間からしたら「そうでしょ?」になるのだろう。同じ体験しろとは言えないが、想像力や優しさを少しでも働かせて欲しいと思う。

男性が怖くて逃げてきた女性の為にも、男性専用のシェルターももっと増えて欲しいのだが、「男なら抵抗出来る」「DV暴力加害するのは男」というジェンダーバイアスが、大きな壁として立ち塞がっているのが現状だ。



自分が関わっている(いた)、見聞きしている活動範囲だと、未成年場合は男女問わず受け入れる様にしている。自身も困窮する少女女性は少しでも救済したい。

少年若い男性だけ』を救う為にも、性別わず受け入れる方向にする他無いのだが、「何故女性を(優先して)救済しないのか」という批判を受ける事は多い。受け入れない、とは言っていないのにね。

先にも書いた様に『困窮した若い女性子供』を助けるという名目があれば受け入れられる事が、『困窮した若い人達』とし、助けるべき『人達』の中に『少年若い男性』を含めようとすると、受け入れられない。


(少年含めた)男性の困窮者は「救いたい形」をしていないから、助けてを求めていないから、という意見も聞くし、残念ながらそういった現実もあるのも事実から否定はしない。

しかし、困窮した少年や若年層が更に歳を重ねると、それこそ福祉へ繋げようとするには、仕事も家庭も失いどん底まで落ちてから、になってしまう。

ガラス天井ならぬ鉄の地下室に閉じ込められたままだと、それすら出来ない。

人は貧すれば鈍する犯罪や、自死という最悪の道を辿ってしまう、その手前で何とか救いたい。(自分みたいに何とか立ち直れる人達ばかりでは無い)

けれども難しい。「男性への救済」に対しては冷たく厳しい世間の壁が立ち塞がる。辛い、しんどい。そんな愚痴を書き捨てていた。

(優先すべきは女性子供であるという意見も非常に分かる。でもせめて同率位か、次点にして欲しい。今は何段階も下げられ後回しにされているのが現状だ)



自分体験ベースでも活動を通じて見聞きした話でも、基本的に困窮する家庭は環境家族関係も悪い事の方が多い。ネグレクト虐待を受けているケースも当然多い。

夜の街でたむろする少年達は(少女も)、周囲に「信頼出来る大人」「所属出来る場所(家庭)」が無いから、「同類の(非行)少年達」「悪い大人達」と繋がりやすく、そのまま居場所となってしまう。

その世界から抜け出せない者達が、最終的には社会を脅かす存在搾取する側となってしまう。そしてその被害に遭うのが、主に少女子供なのだ。(もちろんそこには少年も多数含まれる)

困窮し夜の街を彷徨う『少女』だけでなく『子供達』として『少年』を救う事は、長期的には被害者側となる少女女性も救う事に繋がる、と少なくとも自分は信じている。

そんな事を語って説得しようとした事もあったが、最終的には差別者呼ばわりされた事もあった。『女子供』を優先して救わないのが差別者であるならば、自分差別者でも良いか少年も含めて救いたいよ。



愚痴も入って攻撃的な表現も多いと思うので、団体名などは差し控えさせて頂きたいです。(自分主催では関わっていない所も多いので)

けれど、少しでも社会の事を思うのであれば、自分理念と行動に共感出来る団体があれば、少しでも支援をしてあげて欲しいと心から思います

自分正業もあるし家族理解もあるから手弁当でもやれているが、主に経済的理由活動から手を引かざるえない人もいた。

応援言葉だけでも、力になるとも思いますよろしくお願い致します。

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