「土産」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 土産とは

2019-04-09

anond:20190409151431

京都土産で一番おいしかったのは、京都タワーで買ったけど形が違うだけでどこの観光地にもありそうなチョコクッキー

2019-03-31

趣味ってなんて答えればいい?

明日から新社会人なすけどさよー

趣味ってなんて答えればいいですのよー

アニメゲーム映画ネットぐらいしか弾無しよー

どうすんのよー

あとお土産どうするよー

新人って土産いるのよー?

2019-03-30

anond:20190326100702

4期が「通例だと」厳しいから置土産的に残すってのは大いにありそうだな、あとは野となれ山となれで

もちろん自民幹部から突き上げは待ったなしだが国民は支持する、国民安倍首相のことを救世主として見てるから

それこそ自民党が安倍に何らかの制裁でも加えようものなら「安倍を守れ」デモが起きる、そのくらいのとこまで来てるのが今の日本だよ、金のある北朝鮮みたいなもん

2019-02-14

anond:20190214160107

弊社はかつて義理チョコを配るにあたり、個々人で配ってたんじゃ出費もかさむし、広いフロアで客、他社、他部署利害関係者は多いし、と合同出資で全員に配る みたいな流れになった

で、ホワイトデーには男性からお返し、っていう

それでも圧倒的に元が取れなかった

そして出費が地味に痛かった

お客さんからもらったから返さなきゃ、とホワイトデーデパートで良さげなクッキー返すとかやってた、もう男女関係ない

客の男性に配って女性の方はスルーとかまずできないし

結局、収集つかない感じになってなんとなく無しになった

増田一人が土産もの配るくらいの状況ならいいのでは

anond:20190214020331

よく分からない

勝ち目のなさに見切りつけて自分の身かわいさに逃げる話なんて中世から戦いの時には世界中で見られるよ

自分立場で得られる情報家族とか優先するのも人間てそんなものだよ

敵が迫って上層部さっさと引き上げて下っ端がしんがり撤退戦とかよくあるよ

攻めて来た敵に自分たちだけ逃げて領地明け渡して領民放置とか普通にあるよ

敵側に内通して自分だけ助かろうとするのも白旗あげて情報土産に仲間売って交渉するのも今でも世界中で見られるよ

英雄行為一般的じゃないから称えられるし自己犠牲尊いとされるのもそうだよ

日本人はって言ってるけど世界中どこでもそんなもんだよ

三十六計逃げるに如かずは中国兵法書からだよ

みんな都合が悪くなって自分家族の身が危なければ他人なんかどうでもいいんだよ

同じ国や民族人間を虐げるのも見捨てるのもよくある話だよ

世界中何かしらそういう話を持った国や民族の子孫だよ

一部の人たちが英雄的な行動を取っただけなのを象徴のように言われるのもどこでもあるよ

人間に期待しすぎてる上で日本人だけに現実を見たんだろうけど人間はみんなそんなもんだよ

日本人が都合悪くなったら逃げるんじゃなく人間がそんなもんなんだよ

人間に夢見すぎだよ

それとも日本人に夢見てたのかな

勝てる戦争とか言ってるみたいだし過大評価というかそこは右翼的だよね

大いなる祖国失望した人という感じがある

全体主義的だし

国とか民族というものに執着しているようだし

自分問題日本人特性責任転嫁して言い訳に使ってるだけだよ

でもそれは日本人じゃなく世界中に見られる人間特性で結局は個人に戻るものだよ

勝てる戦争とか勝てたわけないじゃん

2019-02-08

物産展意図がわからない

現地に行かなくても土産が買えるって意味のある事なの?

2019-02-06

anond:20190206001045

そんなことより北海道土産といえば昔はバター飴だったんだけど

今それほど人気がないのはどうしちゃったんだよ

anond:20190206100627

これ。

土産で貰っても大して嬉しくないが、おかげ横丁で食べた赤福は確かに美味かった。

anond:20190206001045

そんなに渇望して、食べるもんではないと思う。

テンションとしては、「へー  何?伊勢土産なんだ。

赤福・・・  古くさっ  単なるあんころ餅じゃん。

一個だけ食べてみるか。 

おっ  なかなかうまいじゃん。  パクパク  パクパク・・・

気づいたら、3つ食べてる。」ぐらいのものだと思う。

甘過ぎないあんこが、いい感じなんだと、思う。

赤福ってそんなに美味いんか?

北海道在住なので、赤福というものを食べたことがない。

5年ほど東京に住んでいたこともあるのだが、その頃は「ただのあんころ餅だろ」としかわず、興味がなかったのだ。土産で持ってくる人もいなかったので食べる機会もなかった。

ネットメディアなどで絶賛されている様子を頻繁に見聞きするようになったのは、北海道に戻ってきてきてからだ。

土産で貰って嬉しいものナンバーワン赤福」「あんこは嫌いな方だったのですが、人生で初めてあんこを美味しいと思いました」「まさかここまで旨い餅がこの世に存在するとは」「新宿百貨店赤福を購入して持ち歩くと通りすがる人が片っ端から『どこで買ったのか』と訪ねてくる。みんな好きなんだな」とか、赤福の話は必ず絶賛である

様々なご馳走をたらふく食っているであろう芸能人ですらも、「結局一番好きなのは赤福」という。

なんだ?ただのあんころ餅ではないのか?俺が思っている「あんころ餅」のはるか上をいくあんころ餅がこの世に存在するのか?

赤福こそ食ったことはないが、あんころ餅なんて何度も食ったことがあるぞ。だけど、「極上にうまい」なんて一度も思ったことがない。

そこまで皆が美味い旨い言うのなら、騙されたと思って一度だけでも食べてみたい。そう思って「こういう時のネット通販だ」と赤福公式サイトを開くと、

「お届けできない地域

なんと、俺の住む街はお届けできないというのだ。北海道札幌近郊しか送らないという。40年間も製造偽装してたくせに、何言ってんだ、ちくしょう

いてもたってもいられず、地元で売ってるあんころ餅を買ってみたが、そこまで美味しくない!想像通りの味!

俺は、別に和菓子は嫌いではない。むしろあんこ大好物であるおはぎおしるこには目がない大の甘党である

それなのに、であるあんころ餅は見た目以上のインパクトというか、見て想像した味を超えてきたことは一度もない。故に美味しいと思ったことが一度もない。「ま、こんなもんだろ」としか思わないのである

それが赤福はどうだ、みんながみんな一致団結して絶賛である。唯一まずいと酷評してる奴は、大概「そもそも甘いものが好きではない」ときた。そら、お前は美味しいと思わなくて当然だろ。

赤福赤福赤福

どうにも気になって【赤福】という二文字けが頭の中をぐるぐると回り続けて終わらなくなってきた頃、朗報を耳にする。

再来週、札幌デパート赤福を売るというのだ。

再来週か…

来週札幌への出張があるのだ。だが、再来週は出張の予定は1件もない。

赤福だけ買いに札幌に行けばいいじゃないか内地のおめーらは考えるだろうけどな。北海道とはクッッッソ広い大地だ。試され続けてきただけのことはある。

うちから札幌まで、JRで往復6000円だ。高速バスなら往復4000円だが、この積雪が酷い今高速バスに乗るなんて馬鹿のすることである自殺行為である

うーん、あんころ餅買うだけに往復4時間6000円…いや、雪が酷い今は往復6時間だ。

札幌に親しい友人が住んでりゃいいが、札幌の友人は皆上京してしまった。しかもみんなエリートときたもんで、海外出張ばかりでそもそも日本にいない連中ばかりである

なんでエリートに囲まれた俺だけ北海道田舎で安い給料でヒイヒイ言ってるのか理解できないが。

それにしても、近くにあるようで中々手に届かない赤福

赤福赤福赤福

食べたいのに食べられない、どうしようもない歯がゆさだけを抱えて時間が過ぎてゆく。

なあ、赤福ってそんなに美味いんか?

2019-02-03

宮城周遊

郡山は雨だ。

文字通り真っ暗な車窓に、水滴が張り付いている。

新白河行きの列車は、郡山10分ほど停車するらしい。

ホーム上の喫煙所煙草を吸って、戻ると間もなく発車した。

少しでも遅れると困る。このまま大宮まで在来線を乗り継いでいかなければならない。

グーグルからの通知で、宇都宮から遅れているとの情報を受け取る。

日付が変わる頃には家に着いていたい。

明日仕事だ。

土曜の7時過ぎ、平日なら都内方面へ向かう大宮駅の在来線ホームにいるはずだが、この日は打って変わり、新幹線ホームにいた。

手には仙台行きのやまびこ号の特急券

金曜の夜のうちに、鳴子温泉の宿を取っていた。

昨晩熟睡できたおかげか、頭はすっきりしている。

少なくとも午前中には宿に着いてしまう、余裕を持ちすぎた旅程だった。

出発の5分前に新幹線は入線した。構内のブックエクスプレスで買った本を読みながら発車を待つ。

宇都宮福島を通り過ぎ、あっという間に仙台駅に着く。

雪が降っていた。

西口ペデストリアンデッキの隅々には黒く汚れた雪がそこかしこに避けてあった。

本来なら、鳴子温泉にまっすぐ向かうのであれば、古川行きの特急券を用意するのが一般的だが、気分の変わりやすい私は、なんとなく先のことを見越して仙台行きでやめておいた。

別に仙台から東北本線陸羽東線を乗り継いで行っても問題ない。

また、結果的にその通りになったのだが、仙山線に乗り迂回しながら鳴子温泉にも行ける。

コートポケットの中には行き先指定乗車券ではなく、乗り降り自由周遊券が収まっている。

これでふらふらと時間の許す限りどこまででも行ける。

宿には、17時にチェックインを予約していた。

雪を見たら必ずどこかに行きたくなる。

仙台に降った雪にそそのかされ、仙山線山寺を目指すことにした。

山形県境を超えると、雪が濃くなった。

車窓には白色が占める割合が高くなり、車輪が雪を踏みしめる音が聞こえる。

1年前も、ほとんど同じ時期に山寺へでかけた。

大学卒業を控えた、卒業論文を書く合間の旅だった。

私は学生身分から社会人になったが、仙山線のこの風景は何も変わってはいない。

立石寺までの道のりや、参道茶屋雰囲気、何もかもそのままだ。

昔のことを考えていたらなぜか気恥ずかしくなり、1時間滞在した後、すぐに山形方面を目指した。

あの頃は、貧乏学生新幹線なんて使えず、全て鈍行での旅程だった。

羽前千歳新庄と乗り継ぎ、ようやく鳴子温泉に着いた。

駅前では旅館のおかみさんボートを手に掲げ、待っていてくれた。

一晩お世話になる宿は、とても素晴らしいものだった。

ネット口コミ通りのご飯、こじんまりとした雰囲気

なによりも、お湯が最高であった。

鳴子の湯は、湧き出る箇所によってその特色が全く異なる。

今回の宿は、これでもかというほど白く濁りきり、硫黄匂いで脱衣所どころか、宿全体が溢れていた。

2階建てですべてが和室こたつストーブ。更には湧き出る源泉の温度を利用したヒーターが備えてあった。

夕食後は湯に浸かり、酒を飲んで、気付くと朝を迎え、あっという間にチェックアウトをしていた。

駅前喫茶店コーヒーを飲み、列車を待った。

小牛田行きの気動車に乗り込む。目指すは女川だ。

かつての震災実家青森の私は、知っておくべきことではないかという観念があった。

女川駅前からまっすぐに海岸まで伸びる道。

整然としている。真っ先に思い浮かんだ感想

列車の中で見た女川までの車窓は、やはり想像していたとおりだった。

テレビで見た光景がそのまま拡がっていた。

しかし、女川駅前は違っていた。

復興の力とはすごいものだ。震災直後の町の有り様は、詳細には私にはわからないが、一つだけ言えるのは、さっきまで見ていた車窓とは全く異なっていた、ということだ。

地元の人、観光客公共施設、そこで働く人たち。

これこそが活気だと感じた。

もちろん、横目には未だに復興前途の痛ましい風景がある。

だか、確実にここには人が住んでいる。そういう気分にさせた。

私はその後、今日何度目かの温泉に浸かり、土産を買い、ただの観光客という身分でそこにいた。

観光客でいられるということは、よく考えてみれば、それはもう立派な町だ。

間違いなく東北は立ち直ってきている。一部分の一瞬を切り取っただけを見た私が言うのは甚だ軽薄で軽率であるが、そう思わずはいられなかった。

一年前、仙台から鈍行で東北本線を上ったことがやけに懐かしくなり、私は300km超の道のりをゆったりと列車に揺られている。

この文章を書いている間に、すでに新白河に到着した。

残りの時間は少し眠ろうと思う。仙台で少し買いすぎてしまった酒がもう底を尽きた。

なんとまあ奔放で堕落した2日間だっただろう。

明日二日酔いがやってこないことを祈る。

2019-01-26

一人で動物園に行ってきた。

先日のことだ。

夜勤明けで久しぶりに頭がおかしくなりそうなくらい疲れたので、おかしくなった頭でそのまま一人で動物園に行った。

仕事を含めるとその動物園に行くのは5回目くらいだと思う。平日だったので、未就学児を連れた家族ほとんどだった。社会不適合者がこんなところにいてすいませんと思いながら切符を買って入り口のゲートを潜ろうとしたら、モギリのおばちゃんにじっと見つめられる。「ん?」という顔をしたら、「日本人?」と聞かれた。汚らしいダウンジャケットを着て黒髪眼鏡風貌だったのでしょうがないよなぁと思いつつもめちゃくちゃ傷ついた。「あ、日本人です」と愛想笑いで答えたけど、無視すりゃ良かったな。

出鼻を挫かれつつ、動物園見学。さっきも書いたが平日の昼間は家族づれが多い。社会不適合感は強くなるけど、カップルで溢れてる休日よりは幾分かマシだった。

ここの動物園個人的オランウータンが一番面白い。大抵、ガラス張りの檻の1番近くまで来てくれている。この日もガラスの前でのんきに座っていた。が、いかんせんわりと客がひっきりなしに来る。自分が横にずれたつもりでも、こんな平日の昼間から動物園にいる社会不適合者には近づきたくないのか後ろに並ばれるので2周目でまだ見ようと思いしょうがくその場を離れた。

最近リニューアルされたばかりという割にはまだ工事自体は終わってないらしく、一部の道が塞がっていた。山を切り開いたからかわりと起伏が激しい動物園なので夜勤明けの肉体には厳しい。ただ、散歩コースと考えるとそれなりに見るものがあって道も登り降りあって面白いのかもしれない。

2週目に立ち寄ったオランウータンはちょうどハンモックに移動するところを観察できて面白かった。前回は舌を出して口の中の豆を何度も見せてくれたっけ。

帰りの土産屋で700円くらいするペンギンキーホルダーを買おうとしたが、自分レジに向かおうとしたタイミング店員レジから消えたので、まあいっかと思い結局買わなかった。

おわり。

館山土産

房洋堂の花菜っ娘を選ぶ人が多いけど、個人的にはピース製菓のちいずさぶれをプッシュしたい。

デブに与えてはいけないレベルで、マジでウマい。

2019-01-20

四国、寝台

寝台では浅く眠っただけだった。起きるとそこは横浜駅を発車したばかりで、車内は人々がまばらに朝の眠気を横たえていた。

金曜、仕事が定時を少し回って終わった。

エンジニアとして現場研修をしている私は、帰路につくためバスから電車へと乗り換える赤羽駅にいた。

――どこか遠くへ行きたい

そう思いたち、改札を抜ける前にみどりの窓口へと向かった。

「22時東京発、寝台券はまだありますか」

用意されたのは、琴平行きの座席特急券。それを手にしたあと、大宮にある自宅へ一旦戻って、身支度を始めた。

最低限の替えの着替えと、歯ブラシタオル文庫本リュックサック突っ込み、口座から少しだけ金を引き出し、気付くと東京駅9番線ホームサンライズ瀬戸を待っていた。

人生初の寝台列車だ。

入線してきた赤色薄茶色の車体に乗り込み、間もなく発車したサンライズ瀬戸号の車窓へ目を向ける。

通過する品川駅にはまだ多くの通勤客が帰路を急ぐ。彼らを裏切るかのようにして、私は東京を離れた。

小学生遠足ときのように、興奮で眠りは浅く、然し心地の良い揺れはまるで子守唄のようだ。

沼津を過ぎるまではそんな調子で、しかし体がいよいよ慣れたのか、それから岡山出雲市行きと分割するまでぐっすり眠った。

瀬戸大橋線に入り、車窓には瀬戸の島々が並ぶ。それまで横になっていた私は、その時を待っていたかのようにすぐさま体を起こし、洗面台で丁寧に顔を洗い、歯を磨いた。高松では多くの乗客が下車し、それから延長運転を行う琴平行きの車内は伽藍であった。

定刻で琴平に到着したサンライズ瀬戸は、しばらくホームに身を横たえ、旅を始める我々を見送っていたように思えた。

観光案内所も閉まっている。まだ9時前だった。

急ぐ必要もない私は、とりあえずその足で気の向くままに、初めて足を踏み入れた四国の道を歩き出した。

金比羅山の長大で急な階段参道はやはり足に堪えたが、御本宮からの眺めを見てそれも消えてしまった。

初詣からまだ数週間足らずで再びお参りをするのは変な気分だったが、この旅の無事を願い、参道列に加わり手を合わせる。

いきあたりばったりでこのあとの予定も何一つ決まってはいない。不思議とそれが心地よかった。

来た道をそのまま下り琴平駅に戻る間に土産の品をいくつか買った。飴、手ぬぐい(今治のものだ)、饅頭

すれ違う人々は意外にもスーツ姿の団体が多く、1人の私は割に目立った。それもまた不思議と気分を高揚させた。

琴平から土讃線上り特急に乗り、松山を目指す。

予讃線に乗り継ぐ多度津駅で近くの食堂に入り、日替わりの昼食を注文した。

予想はしていたが、メニューにはナチュラルうどんが設定されていた。かき揚げおにぎりと一緒にいただく。もちろんとても美味しかった。

予讃線下り松山行きの特急いしづちしおかぜ自由席は半分ほど埋まっていた。

空いている窓側席に腰を下ろし、金比羅山で蓄えた疲労をしばしの間、癒やす

文庫本を開いてすぐ眠ってしまい、松山駅の到着案内で目を覚ますことになった。

松山駅を降りると、失礼ながら想定していた風景とはだいぶ違った街並みが広がった。

すぐそば伊予鉄道路面電車が走り、人々が休日らしい顔持ちで道を往きかっていた。

バスターミナルにて1Dayパスを購入し、中心市である大街道電停に向かう。

大街道電停松山城の目と鼻の先にあり、電停を降りる瞬間、目に入った。

琴平駅では松山方面に向かうか、高知方面に向かうか一寸悩んだのだが、松山に来て正解だったようだ。非常に立派な天守閣だった。

城を横目にマンホールカード収集のため坂の上の雲ミュージアムに赴き、1時間ほど観賞したのち、喫茶店に入りたばこを吸った。

道後温泉行きの時刻に合わせて喫茶店を出て、再び路面電車に乗り込む。

きっとこのまま温泉宿に泊まるのだろう。車内は温泉客でほぼ席が埋まっていた。

道後温泉街は本当に賑わっていて、改めて今日土曜日だということを私に再認識させた。

――少し急がなければ。

人混みを縫うようにアーケードを抜け、道後温泉本館で湯に浸かった。

復路の寝台が高松駅を21時半前に発車する。

琴平駅のみどりの窓口ですでに確保していた、その列車のことを念頭に置きながら、再び路面電車に乗り、JR松山駅前電停で降りる。

駅前キオスクで少しのビールつまみを購入し、もうすぐ発車する高松行きの特急に乗り込んだ。

もうこの旅も終わりだ。

余韻と若干の寂しさを感じながら、日が暮れかかっている四国風景を見て、ビールを飲んだ。

2時間以上瀬戸内海のふちを走りきり、降り立った高松駅は、高層ビルがいくつかそびえ立つ、立派な港町だった。

連絡船時代面影をほんの少しだけ残したホームでまたうどんを食べ、キオスクビールつまみを買い足す。最後の晩餐ともいえるような光景だった。

もう少し、ここにいたかったな。

そんな気持ちを奪い去るようにして、寝台特急サンライズ瀬戸高松を出発。途中の岡山出雲市から来た列車と連結し、東京に私を運んだ。




追記

座席特急券

往路はノビノビ座席を、復路はソロ寝台券を取りました。

座席特急券」と書いたのは、ノビノビ座席について、寝台券必要がなく座席として発券される特急券というニュアンスを込める為です。

高知について

今回でサンライズが大好きになったので、また近いうちに乗って、高知城も見てみたいです。

あと、四万十川も。

2019-01-10

今でも思い出す酷かった勤め先

フェイクありで書く。

某名所の土産を売る通販サイト仕事

求人サイトにはそんなこと書いてなくて、ショッピングサイト運営とあったから応募した。

採用されてから知って「これグレーなんじゃないの?」と思うも口にできず。

社内の雰囲気も悪い。

社長パワハラ酷すぎ。お前の脳みそ空っぽだな!なんてみんなの前で怒鳴る。とりあえず何でも怒鳴り散らす。

社長の住居兼職場タイプで、社長の子供たちが仕事場に遊びにくるので、構われたら子守しなければならない。奥さんはいるけど、やってこない。オムツ替えしたこともある。

奥さんがたまに姿を見せては、いつもありがとねー♪と悪気なく言ってる。

社長の子供たちの誕生日にはスタッフ総出で祝わなければならない。プレゼント代1500円取られた。合わせると万はいく。何を買ったのか?

スタッフの間の空気も悪い。ベテランスタッフに教えられたことをやったら、社長に違う!と怒られた。しかベテランさんは目の前にいたにも関わらず、庇ってくれず、あとで謝罪もなし。

ベテランスタッフも怒鳴り散らす。しか美人には甘い。ミスしてもニコニコ笑顔。他には怒鳴る。

研修らしいことなんてなくて、ついていけなくなって怒鳴られた同期は次の日辞めてた。

そもそも採用占い師に聞いて決めたらしい。

親には、どんな仕事でも3年は続けなさいと言われたが、ここはすぐ辞めてよかった。

たった1人、良い人がいたが、今頃どうしているだろうか?

子守をしながらも、まだ怒鳴られ続けているのだろうか?

2019-01-07

anond:20190107123604

ええんやで。

そういう面倒割と分かるので

俺は面と向かって土産するとお値段的なもの推し量られるのがイヤなので「ご自由にどうぞ」にするし

面と向かってもらうと「相応のものを返さねば」ってプレッシャー感じちゃうんだよね、勝手

2019-01-05

anond:20190102214331

増田がどう立ち回るべきか聞いてるんだろ?

シカトされてるメンバーには増田が「彼氏から」って言って土産持っていけばいいだけじゃん。

オキニ以外のメンバーとうまくやりたいのは増田であって彼氏ではないのだから当然。

ばれないようにうまくやるのが「人間関係構築するのか下手」じゃない人間の腕の見せ所ですよ。

ばれないようにする自信がないなら彼氏の行動に増田自信が頭にきていると彼氏に言ってせめて増田のやることを黙認、話合わさせろ。

2019-01-03

沖縄旅行1日目

年末年始会社の同期と二人で四泊五日の沖縄旅行に行ってきた。

初めての沖縄がとても楽しかったので、清算のための出納洗い出しをかねて日記を書く。

出発は12/27。朝9:00前くらいの羽田発のJAL 便。

席だけあわせて別々に決済した。11/19の予約で二席連続で窓側いけた。一人25,490円。

11:30に那覇空港について、レンタカー屋に連絡して迎えにきてもらう。

普段は好きな車に乗っているので、沖縄ではなんでもいいやと思って楽天トラベルで一番安いのを探したところ、

いたことのない地元レンタカー屋の軽が一番安かったので、かりてみた。

丸五日間で24,480円。noc保障はついてない ベーシックプラン

少し空港から遠かったけど、ペッパーに貸渡約款を説明させてたり不人気っぽい車を仕入れていたりと工夫があって面白かった。

借りた軽は29年式でナビがついてるスライドドアの軽。車内が広くてよかった。

ただ、金額的には大手コンパクト1日千円ちょいくらしか変わらないので、

次はトヨタとかニッポンレンタカーの小型車でもいいかなと。

意外と高速乗った+風が強かったのでハイルーフの軽は辛かったというのもある。

車を借りて最初に向かったのは昼ごはん。玉家本店というところでソーキそばを食べた。

ソーキうまい。感動。三枚肉とのミックスの大盛りで700円くらいだったはず。安い。感動。

よもぎテーブルの上に丼に入っておいてあって、同期はめっちゃかけて食べてた。

俺は味に飽きたら入れようかなと思ってたんだが、気付いたら食べきっていた。美味かった。

その後は読谷村にある日航アリビラというリゾートホテルに向かって、早めにチェックインをした。

一番安い低層階の朝食付きプランを予約してたんだけど、最上階にアップグレードしてもらえた。部屋がひろくて、眺望も良くて嬉しかった。

その日は朝から同期が、飛行機のラゲッジからタイニーな女の子荷物を出してあげたりとか、勝手に転がってった他人スーツケースを止めたりとか、なんか良いことをしてたのでそのおかげかなって話をした。

荷物を置いた後、ビーチを散歩して、近くの御菓子御殿本店にいって紅芋タルトを買った。

ここで仲の良いほかの同期へあげる用に、2人で土産を買った。10個入り1,080円のいい感じのサイズ

夕飯は軽めでいこうかという話になり、嘉手納町のゴーディーズというハンバーガー屋でハンバーガーを食べた。

てりたま的なやつにした。量が多かったので食べきれるか不安がよぎったが、

味が濃すぎなくてすごく食べやすかった。また食べたいものひとつ。セットで千円ちょいくらいだったはず。

同期が頼んだオプショントッピングハラペーニョは、ピクルス的なものが輪切りで提供された。

ハラペーニョ実体を初めて見たりと思って観察していたのだが、唐辛子だぞと笑われた。

めしに一個もらったけど美味しかった。手でつまもうとしたらフォークのほうが良いとのこと。

手で触ったあとに目を擦ったりするとやばいらしい。アメリカンも大変だな。

帰りがけにスーパーに寄った。

旅行に出たときに、スーパーの品揃えをみて東京にないものを探すのが好きなんだけど、

お握りの具に油みそという見慣れないものを見つけたので、ビンのものを探して買い、ホテルの部屋で泡盛と一緒につまんでみた。

刻んだ豚肉が入っていて、甘塩っぱい味噌で美味。気づいたら同期がほぼ食べていた。

ホテルの部屋からイルミネーションみたいな明かりがみえて、なんだろうと思って検索したら電照菊というものだった。

菊を夜中も照らしながら育てることで、促成栽培をするらしい。

この近くでは盛んに行われているようで、見えた明かりはとても綺麗だった。


最後風呂に入ってバスルームの広さに驚きつつ、1日目終了。

二日目以降も気が向いたら書く。

2018-12-09

anond:20181209225210

あー!なるほど、その発想はなかったわ。でも、黒いビニール袋に入れるのが一般的かと思ってたわ。紙袋つけてくれるの?土産屋で付けてくれる「お渡しの時用ですぅ」みたいな?

2018-12-08

中国人相手爆買い代行儲かり過ぎワロタ(笑)

あいつらどっなら金がそんな出てくるのか百万ぐらい使っていく

そんなに自分で買ってたら大変だから、身内に配るような土産を変わりに爆買いして現地に送るだけ

1日で5万円は稼げる

恥を捨てればいくらでも金が手に入る時代に、政治文句ばっか言ってる馬鹿共本当滑稽だわ

2018-11-28

中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学合格した

 参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。

 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが)

まずは生い立ちから

 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関受診したところ、聴力も問題なく知的障害自閉症)との確定診断。

 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳交付)。

 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園

 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園

 保育園の間は、ずっと会話は不成立。

まずテレビを捨てました。

 3歳でビデオデッキ操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。

 確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。

 テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。

 しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。

 たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡CDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)

 テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターDVDは視聴可)

小学校先生に恵まれました

 発語はあるが会話は成立しないのですから小学校は当然にしてストレート特別支援学級です。

 集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)

 「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運安心すると精神状態が落ち着くんですね。

 特別支援学級教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。

 言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます

 予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。

 伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます

ほぼ毎週のように外出しました

 息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロ距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。

 電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効から打ち明けますが、1区分切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります

 地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。

 実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネル最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない

 ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから

 特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから

JRウォーキング企画に連れ出しました

 家族での外出のほか、JR沿線企画するウォーキングに猛烈に参加しました。

 参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。

 他の子達と同様、かならず電車最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞのローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。

 あと英語ナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。

 10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。

 食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。

パソコンに息子用のアカウントユーザー権限)を作って使わせました

 ヤフーキッズブラウザデフォルトにしたのと、使用時間制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。

 パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんプリキュア(笑)

 年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメ芸能関係Wikipedia更新もやってたみたい。

 基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。

 時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。

 まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することな喧嘩させる選択(妹相手喧嘩練習をしておけ、と)

5年生くらいか運動会で息子が見つけれなくなりました

 3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。

 その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。

修学旅行に息子だけで行けました

 小学校入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。

 無事に一人で(同級生と)行ってきました。

 プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。

卒業式

 養護教諭フォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。

中学特別支援学級

 奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級希望

 2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。

 しか女の子! だけど家庭の事情引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています

 その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。

同学年の女の子を好きになる

 気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意

性的なことをやったわけじゃありません)

 当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります

混合授業を希望する

 中学校の特別支援学級担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。

 3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生相談

 数学理科は進度が全く違うという理由NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK

 7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっとギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。

 JRウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名都市位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。

 理科小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。

偏差値40弱の普通高校合格する

 その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格

 たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。

義務教育期間・無遅刻無欠席を達成

 9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。

 ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。

 4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチ登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。

 温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)

 よって、うちの子たちは本当に頑丈です。

高校普通学級で頑張る

 中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。

 小学中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。

 同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。

 とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります

 年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。

 迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動かに参加したわけだけど、先生命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子自分言葉挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。

JRウォーキング企画に一人で参加するようになった

 高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRウォーキング企画に一人で参加することを許可

 前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。

 コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃん自分交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長

大学見学会大学進学に目覚める

 学校行事か何かで、家から最も近い私大偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてもの学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。

最後文化祭の劇で一躍ヒーロー

 高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。

 劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。

 名探偵コナンナレーション意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。

 審査表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラス最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。

指定校推薦という優遇枠でありながらも大学合格しました

 進路指導先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学出会たからです」なのだから仕方ない。

 いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格絶望的だろう、と先生から言われ、最初最後のチャンスということで指定校推薦に応募

 そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)

 第一希望学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコン仕事はできるのよ。

 劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。

 

社会で自立できるか知らないが

 高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。

 完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。

 ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。

 仕事に就けるかどうかは分からないが、とにかく社会に出るまで大学生の身分に甘んじて時間稼ぎしてろよ、と

2018-10-22

anond:20181022165907

子供の頃、地元銘菓をお客さんから頂いたりして食べたことの有るものが、地元土産になっていたから、地元土産は食べたことの有るもの

ところが、例えばスキー場だとかの売店等で売られているどーでもいーような土産は、地元民はほぼ喰わないから、地元土産は食べたことのないもの

今売られてる土産だってそんな風に分けられるだろ。

東京バナナは喰った事無いな、東京千葉に住んでたけど客が挨拶代りに持ってきたことがないからな。

千葉落花生...

俺も今住んでるのは千葉県だけど、落花生なんて喰わねーわ。たいして旨くも無いのに結構高いし、

貰った側でもきっと値段の判別は付かなくて、何だこんなものと思われるのがオチから土産にしない。

殻付の落花生1kgで3~4,000円だったら、牛肉食うだろみんな!!

anond:20181022141750

名古屋市民だがたしかサンワの鳥手羽土産屋でしかたことない。本当の鳥手羽風来坊山ちゃん

名古屋市民はグルメなので手当たり次第に喫茶店居酒屋しけこむだけで市内どこでもおいしい料理が食べられる。(マズイ店は陰口によってすぐつぶれる

わざわざ乾物とか密封包装にして自分で手間暇かける必要を感じない。

よって名古屋土産ものはわりと砂漠ういろうエビせん、寿がきやの袋ラーメンマーズカレー、あと菓子類くらいだ。

近県のものをよこどりした赤福とか天むすとかうなぎひつまぶしとかCoCo壱番屋とかあんかけスパのたれとかつけてみそかけてみそもあるけどやっぱり手料理が一番うまいので。

あっでも、駄菓子は日持ちする名古屋産なんだよなー。クッピーラムネ駄菓子屋の串フライ味噌カツ味など。1000円出したら1キロくらい買えてなんか土産としての有り難みが(払う側として)ないんだよなー で結局名駅クリスピードーナツかって東京にもあるんだよねって言われる。

ごめんな!グルメ県で!安いがうまいんで駄菓子でもどうぞ!

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん