はてなキーワード: ガンジス川とは
幼稚園~大学まで共学だった俺には信じられない世界と民度が広がっている。
5chの奥地にしか存在しないと思っていたようなモンスターが現実で仮面も被らずに過ごしている光景はお金じゃ買えない価値がある。
ここは一つ私がマジで凄いと思った彼らの凄い生態をいくつか紹介しよう
・パワハラ虚偽報告された自慢
・歩道を歩くとき横5縦2ぐらいでやたら広がって歩いて対面の歩行者に道を譲らない
・健康診断後の度にひたすら医官の文句言ってる体脂肪率35%超えの奴(糖尿病で失明予備軍)
・なにかあるとすぐ後輩に焼き肉奢れと言う奴
・「運動後にシャワー浴びない奴って頭おかしいんじゃないの?」ってしょっちゅう言ってるのに自分も3回に1回しかシャワー浴びない奴
・某大時代にチンゲを燃やした回数でマウント取り合うエリート組
凄いぜ。
民度が低いぜ。
スラム街よりはマシなのかも知れないし、ヤンキー高校と比べたらこんなのクソ雑魚かも知れないけど、普通の共学しか知らない俺からするとマジで終わってるぜ。
面白すぎるぜ。
動物園の檻の中に入って何年も過ごしているようなもんだぜ。
ガンジス川で毎日沐浴しているのと同じレベルで世界観が広がっていくぜ。
俺はどこかで「便所掃除で飯食ってるような底辺に俺がなることはない」とか「そもそも低学歴は幸せになろうとする自助努力が足りてないから死んだほうがいい」みたいな高慢さがあったのを認めるしかないぜ。
偏差値30代で心の知能指数はそれさえ下回るような化け物共と同じ釜の飯を食って、同じように働き同じように給料をもらって何年も過ごしてきてハッキリわかったぜ。
どんなに生まれつき頭が悪くても、どんなに心が醜くても同じ人間なんだってことが今ならハッキリ分かる。
俺、自衛隊に入って本当に良かった。
民間企業で普通に働いてたら職場でゴミ掃除してるビルメン共のことを「こんなスキルもクソもない仕事やってる中高年ってどんだけ頭悪いんだ?あんな仕事なんてよっぽどカネがない10代20代が繋ぎでやるのがせいぜいだろ?障害者雇用とかかな?」と思って暮らしてただろうな。
俺、今なら分かるよ。
本当の心の貧しさってのは、心や頭の貧しい奴らと自分が地続きである現実を知らないことなんだって。
楽しすぎるぜ。
自然の権利(Rights of Nature)というものがあります。
この考え方は、自然環境やその一部が法的権利を持ち、人間によって保護されるべき主体として認識されるべきだというものです。
伝統的な法体系が自然環境を保護するために十分ではないという認識から発展しました。
自然を法的主体として認めることで、自然そのものが法的に保護される権利を持ち、人間活動による環境破壊から守られることを目指しています。
ニュージーランドでは、ワンガヌイ川が法的権利を持つ主体として認められました。
インドでは、ガンジス川とヤムナ川に法的な人格が認められました。
アメリカでは、エリー湖の権利を認める条例が住民投票で可決されました。
参議院議員で社民党党首でもある福島みずほさんは、以前から福島原発より太平洋へ放出される「処理水」を、
「汚染水」であるとして批判しています。最近も(2024-07-28)、Twitterに反対集会について紹介しています。
「汚染水の放出停止と太平洋地域との対話を/官邸前緊急行動に40人」
さて、「汚染水」を海洋放出されているとされている太平洋を自然の権利の主体として、
福島みずほさんを科学的根拠のない批判によって太平洋の名誉を棄損していると訴えることは可能でしょうか。
自然の権利の法律は、自然環境の保護と維持を目的としています。
これには、生態系の健康を守ることや、人間活動による環境破壊を防ぐことが含まれます。
名誉棄損は、個人または法人の社会的評判に対する損害を扱うものであり、自然の権利の法律の範囲外です。
自然が法的主体として認められる場合、その権利は環境保護に関連するものであり、名誉や評判といった概念は適用されません。
自然の法的権利は、主にその存在、保護、再生に関するものであり、社会的な名誉や評価に関するものではありません。
名誉棄損は、個人や法人の評判を傷つける虚偽の発言に関するものであり、自然環境には直接適用されない概念です。
自然環境は社会的な評判を持たず、その名誉を守るための訴訟は現行の法律体系には含まれていません。
自然環境は、生態系サービスと呼ばれる多くの便益を提供します。
供給サービス: 食料、水、木材、医薬品などの直接的な物質的資源。
調整サービス: 気候の調整、洪水や干ばつの緩和、水質の浄化など。
文化サービス: レクリエーション、観光、精神的価値、教育的価値。
自然環境自体に、自然の権利と呼ばれる権利を付与しその保護を図るという運動の目的は、
何故、自然の保護を行うのかと言えば、自然環境が人間に様々な生態系サービスを供給しているからと考えられます。
様々な供給サービスの中で、文化サービスに関してはその自然環境が持つ評判、名誉がベースとなっており、
太平洋自体の自然の権利を侵害していると考えることもできるのではないでしょうか。
人間ではないものに、法的な権利の主体として取り扱うという自然の権利は面白い概念だなとは思います。
そもそも、人間ではない法人には権利の主体となって当然という理解があるのに、何故自然にはそういう感覚的な理解はされないのか。
そういう、人間の法的感覚、人権感覚みたいなものを探るにあたって、
自然の権利の左派的な価値観の影響があるのか、今回は自然の権利を右派的な価値観に適応してみました。
その結果は、うーん。よくわからんなーという感じですけれども。
培養した脳細胞であるところの脳オルガネラにも権利の主体となりえるという論考も見たことありますね。
年一回の健康診断。
いつも憂鬱なのは、くすぐったい超音波でも苦しいバリウムでもなく、事前の検便採取。
うちのトイレは長さがだいたい2500km、幅はわたしが使うところだとだいたい500mくらい。ガンジス川っていうんだけど。
うんちをしてもすぐに流れて行ってしまうので、出したらすぐに川に飛び込んで追いかけて、追いついたら採取容器のふたを開けて、ふたについてる変な棒で採取するんだけど、追いついた頃にはもううんちは川の水を含んでシャバシャバだし川の水は濁っていてすぐに見失うし、まともに採取できたことがない。
わたしがそんな様子でじたばたしてるのを、トイレに住んでる不可触民の子がいつもゲラゲラ笑いながら見てる。
笑ってんじゃねえよ不可触民のくせに、って思ってたんだけど、今年は違った。
わたしが検便の容器を持ってトイレの前で立ち尽くしていると、それを見た不可触民の子が、突然川の中に入って手のひらを差し出した。
「捕まえておいてあげるから、ここにしなよ」
けっこう気が利くじゃない、と思ったけど、あの人たちとは口をききたくないから、その子には全然気づいてない体で、黙ってその子の手のひらの上にうんちをした。「うわ、あったけぇ!」とか「いっぱい出すなあ」とか下から聞こえてきた。
その子が川の中で捧げ持っている私のうんちから検便を採取するのはすごく簡単だった。「正しい大便のとりかた」っていうパンフレットに書いてあるとおりの理想的なかんじで採れた。
「ねえ、もう終わり? これ流しちゃうよ?」っていう声を背中に聞きながら私は黙ってトイレを後にした。
もう1本あるんだよね。
集中型SNSが生んだのは垣根を超えた良い意味でのお祭り騒ぎだけじゃないだろ
デマの流布とかも凄まじかったし
思想が何を問わず悪い意味でも伝播しやすい環境だし(反差別が広まりやすくなるなら、逆に差別思想も広まりやすくなるってわけ)
それによって悪化の一方を辿るオタクVSフェミニストは言わずもがなだし
有名ツイッタラー()が数の力を駆使してファンネルを飛ばす光景も何度も見たし
企業アカウントは悪ふざけが寒すぎる(もはやこれが一番パンチ弱い)
集中型ゆえに観戦者も多いし、加熱しやすい環境だからか悪意が増幅して取り返しのつかない事になって泥沼にしかならない
そんなインターネットガンジス川は潰れるなら潰れてもいいし再生しなくてもいいんじゃないかなあ(ぶっちゃけガンジス川の方がよっぽど綺麗だけど)
40歳になった。ここまでの人生を振り返って思うのは、「人生観が変わるほどの衝撃」とか「人生を決定づける出会い」って俺には結局なかったし、これからも無いだろうな、ってこと。キルケゴールの「大地震」とか、安藤忠雄のガンジス川とか、ああいうの全部20代だしね。もちろん俺は彼等ほどの逸材傑物ではないけれども、俺の人生にだってああいう転換点があってもおかしくなかったはずだ。ということで年表見ながら振り返ってみるわけだが、
リクルート事件(1989)
⇒自民党って悪い奴らなんだな、という理解だったが、今じゃ贈収賄程度で総辞職なんてしないわけで、いま振り返るとよくわからない。
天安門事件(1989)
⇒社会主義って怖いんだな、という理解。戦車の前に立ってる写真は後から知った。
⇒社会主義は終わったんだな、という理解。世界史とか地理とか結局マトモに勉強しなかったので、今でも当時の解像度のまま、なんで露宇が戦争してるのかよくわからない。
湾岸戦争(1991)
⇒油田放火もったいねー、海鳥かわいそう、くらいの印象しかない。当時からハイテク戦争と言われてて、ベトナム戦争やアフガニスタン紛争みたいな人道危機の報道は少なかったんじゃないかと思う。普通に人も死んでたはずだが・・・
阪神淡路大震災(1995)
⇒高速道路が倒壊してる絵面はショッキングだったが、いま振り返れば単に大都市で起きた大地震という以上の意味はなかったと思う。手抜き工事疑惑はあったけど、復興利権みたいな報道は記憶にない。
地下鉄サリン事件(1995)
⇒犯罪どうこう以前に、ホーリーネームとかヘッドギアとか純粋に気持ち悪くて理解できなかった。カルトやべーな、という理解。
同時多発テロ(2001)
⇒その後、アメリカが大量破壊兵器の証拠とかナイラ証言とか捏造してイラクに侵攻してフセイン処刑してた。ブッシュやべーな、という理解。
⇒ひどすぎる、と思いはしたが、少なくとも今はもう拉致してないんだな、と安心もした。
ライブドア事件(2004)
⇒こんな若造でも金さえあればフジテレビ買えちゃうんだ、という発見と、出る杭は打たれるってマジなんだ、という理解。
オバマ大統領(2009)
⇒ブッシュから黒人大統領まで揺り戻した点にアメリカの強さを感じたが、当選後の印象は薄い。オバマケア? あとビンラディン殺害。
⇒当時勤めてた会社が潰れかけてて、リーマンショックの影響で業績悪いっすってみんな深刻そうに言ってた。もちろん全然関係ない。
福島第一原発事故(2011)
⇒日本は危機に弱い、という理解。その後のゴタゴタで、究極的には倫理/信念/信仰の欠如(保身と利益誘導以外の行動原理がない)、という理解。信仰とは必ずしも特定の宗教に帰依することを意味しないのだが、しかし日本社会には資本主義科学技術信仰への対立軸がなく漠然とした宗教への忌避感もあり・・・と、俺なりの総括を語ろうと思えば語れるんだが、このあたりはもう30がらみ、既に自己が確立してしまった後なので、あとはもう何を見ても偏見を補強していくばかりだし、ここから現在までの10年間のニュースもほとんど印象にない。あったねー、くらいの感じ。
参考:キーワードでみる年表 平成 30年の歩み|平成 -次代への道標|NHK NEWS WEB
振り返って思うに、転換点は1999年の東海村JCO臨界事故だったと思う。裏マニュアル作って核燃料をバケツで扱って臨界しちゃったアレ。日本は先進国で技術なら世界一とか、日本人は真面目で几帳面とか、そういう幻想が崩壊していく予兆を感じ取るべきポイントだったが、当時高校3年の俺にはそういった視点はなかった。作業員がチェレンコフ光を見て放射線障害で苦しみぬいて死んだことは印象に残ってるけれども、日本もうダメなのでは? みたいのは無かったし、世間の空気もそうではなかった。一部の不心得者による怠業、むしろ日本人の生真面目さが悪い方向に働いてしまった結果、みたいなことをみんな言ってた気がするけど、今振り返れば完全にズレてたな。80歳で死ぬとして残り40年、これからも重大事件は毎年起こるんだろうけど、俺はもう死ぬまで「人生観が変わるほどの衝撃」を受けることは無いんだろうと思うと、ちょっとさびしい。
巷で話題のブックマークサイト『はてなブックマーク』についだ。
最初に言っておくと、あれだけ話題になるサイトを作り上げた株式会社はてなはすごい。そしてその会社に出資している株主を責めたいわけではない。
ただ、俺には本当に合わないし、「だったら見なければいいでしょ」とか言い出すしたり顔のクソトラバとケンカしてもしゃーないのでこの文章をいている。
つまり、「ネットの使い方なんて人それぞれ」という前提のもと、それでも「こんなコメントが増えるサイトじゃねえだろ」という嫌悪感を言語化し、満足したらアカウントを削除することで救われたい。
俺はバズった自分の記事のブコメを読んでキレたし、その後話題になる度にブコメを読んで、読む度にキレてる。
なんでキレてるかって、はてなーの言いたいことが「おれの考えた最強の袋田叩きチャンスをお届け」だと思ったから。
「無知なネット住民に本当の知識を与える」とか「建設的な議論による多文化の交流でアウフヘーベンを生み出す」とかじゃないわけ。
テンプレも風潮も、全部袋叩きに出来るチャンスを作る装置なんだよ。ポリコレ意識も、政治への問題提議も、全部リンチ装置。
ちょっと前に、不幸なおじさんを暴走させて人殺しにまで発展したなんてニュースがあったけど、リンチを繰り返すだけのサイトなんだからそりゃそういうこと起きるよ。
言ってみりゃ、メンヘラ病院なんだよな。ネットモラルの限界に挑みますってか。
で、それ自体はいいわけ。人間が狂って事件が起きるなんてよくあることだし、そういういことが起きる程度の人口は十分なほどあるから。
だけどさあ、それ見てキャッキャしてるブクマがクズすぎて辛い。
マスコミがオブラートに包んで散りばめた趣味の悪い個人情報を拾ってキャッキャッキャと考察まつり。
なぁ~にが「瞑想運動野菜の足りてないものの末路は悲惨だ。恐ろしい恐ろしい」だよ。人が死んでるんだぞ?
上のコメントが書き込まれてたかは覚えてないけど探すのも面倒だ検証はお前らがやれ。
毎秒毎秒いい年齢の大人が寄ってたかって揚げ足取りしあってバカ騒ぎしてるのが本当にキツくて無理。
そりゃバズりまくっている話題なら皆一緒になって叩いてるから安全ですよ?1VS1000とかなんで。
だけどクズ民度のエコチェン脳どもさ、その醜悪なムラの陰湿さを直視できてるの?自殺者を生み出す学校の教室になっていることに。
本当はもっと文章力高くして褒められたかったのだが、そもそも文章力褒められてもしゃーないのでこんなもんだろう。
で、俺の主張を読んだ上で「イジメが生まれるのは当たり前じゃん面白いんだから」っていう開き直った露悪趣味のバカはしょうがない。
サカナくんもそんな話してたしな。
ただ、「インターネットは始めてか?こういったリンチが楽しいから何十年もかけて発展したんでしょっw」みたいな老人会自慢のクソ古参気取りだけは許さん。
俺は「ポリコレ意識あるふりしてるいじめっ子」が死ぬほど嫌いなんだよ。面白くねえっつか見飽きてんだよそういう振る舞い。
次にお前が何て言うか当ててやるよ
「わかる」だ
わかる
https://anond.hatelabo.jp/20220304184302
オッケー。
まずは予想通りの反応をありがとう。
・袋田叩き
・つまり好きなんだろ?
・他でやれ
・つまんない/わからない
ああ見事だ。
そして見事にその8割9割が予想通りのテンプレだ。
実に建設的だ。ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ
自分にしか見えないものが見えている自称エスパーもいるのはちょっとサービスが良すぎるぐらいだな。
今ハッキリ分かった。
俺はやっぱりはてなが嫌いなんだ。
露骨な釣り針だろうと喰らいついけっていう義務感に満ちた姿勢も
誤字脱字弄るのが楽しいって信じ切ってるオヤジギャグなセンスも
自ら自分らの評価を下げることで批判をウヤムヤにしようって態度も
とにかく相手が自分に感情を揺らがせばそれが愛だと信じるストーカー気質も
自分らで自分らを下げておいてそこを必死に守ろうとする帰属意識も
やたらメンヘラだのADHDだの精神病院系の話題が好きなところも
気に入らない話が飛んできたら理解力を急に下げるところも
つまんねつまんね言ってれば封殺出来るっていういじめっ子のキモイ連呼みたいな思考回路も
全部本当にいい加減もう見飽きたんだわ。
そしてそういうった気持ちで見るとよ。
いい大人がやるようなことじゃないなって気づいちまったんだよな。
するともう、ここには居られないかなってな。
最後に
このコメントは実に的確だった。
俺もお前も打たれ弱い。
打たれ弱いからこんなネットの隅っこの陰口の言い合いに必死になっちゃってるんだ。
そしてその弱さを認められないから、感覚を麻痺させていつまでも同じことを繰り返すことをやめられないんだ。
『テスカトリポカ』の佐藤究がどういう作家なのかを知るための入門書として一部じゃ扱われている作品なんだが。
この作品でギャンブルにのめり込んで身を持ち崩した青年がその事実から逃げ続けるために更にギャンブルにのめり込む情景が描かれるんだがこれが実にいいいんだな。
なんで急にこんな話をしたのかっていうと俺はまさに俺たちのインターネット観がそうだと思うからだ。
自分のプライドを配当率スーパーウンコのレスバギャンブルに描け続けてはすり減らし続けるその姿だ。
『サージウスの死神』の主人公は、ギャンブルに勝つたびに気が狂っていき負けても気が狂っていき最後まで気が狂い続けるのさ。
俺たちだってまさにそうだ。
でも俺はこんなので行く所まで行こうなんて思っちゃいないんだわ。
そろそろ何個目かの崖が見えてきたしいい加減ブレーキ踏んでチキンレースからサヨナラバイバイって気分なのよ。
ひとまず足を洗っておきたいんだ。
そのためには、自分は愚かなことに自分から突っ込んでいくことで自分を麻痺させ続けているんだって現実をまずは認めないといけない。
チャチな揚げ足取り、効いてないよアピールのための「つまんねー」、ここは場末の便所の落書きだぞ、なに必死になっちゃってんの、オウム返し、オヤジギャグ、謎の決め台詞、界隈定番の決り文句、お前らが今回したコメントの中で、俺が今まで似たようなことをしたことがないものはないよ。
全部クッソくだらねえと思うが、俺はそのくっだらねえことを間違いなく何度となく書き込んできた。
それが心底面白いと思ってたこともあるし、つまんねえけど馴れ合いたいから付き合ったこともある。
伸びそうなブクマを急いで見つけて、テンプレの言い回しを早めに書き込んでトップコメになってスターを貰うのが大事だって本気で信じてたときもあったよ。
今俺のことをバカにしてるお前らだって心当たりがあるはずなんだ。
はてブのコメント欄見て「さて、どうすればスターがもらえるだろう?」って一瞬でも首を捻ったことがあったらもう同類なんだ。
沼に浸かった深みは違っても同じ水源の水に身体が触れたのは変わらねえんだ。
科学的に考えると比重やなんやらで実際の沼は成分が違うってことぐらい俺も知ってるよいちいちそういうツッコミを思いつくこと自体が気持ち悪いなあ自分で自分が。
成分の違いとかじゃなくて呪術的に同じってことだよ。
一部の宗教じゃ水に身体が触れたら清められると言うが、その逆で触れたら汚れる水があるってことだ。
そこに全身を浸してたっぷり飲み込んでいる俺たちは救いようがないんだけどな。
ガンジス川で沐浴を繰り返してガンジス川の水を飲む奴らが全身寄生虫まみれなようにこの身体は毒への免疫に覆われすぎて穢らわしすぎると俺自身が知っている。
そこからいい加減足を洗うって話なんだよ。
宗教的な洗礼に使えるようなキレイな水なんてぶっちゃけこの世界のどこにもないと思うが、せめてこの沼からは身体を引っ張り上げて別の場所で暮らそうってことだ。
そんでまあ最後にこんな話をしたってことだよ。
また明日な、ってことだな。
よく分かってんじゃねえか。
でも今回こそは最後のアバヨだ。
実際俺はこれでいくつか辞めてるからな。
古くはラグオル・FF11・VIP・ふたばちゃんねる・売りスレ・Tor・Xvideosいい加減辞めなきゃいけねえと思ったものを何度も辞めてきた。
その一つを今回もするってことだよ。
どうせすぐに別の穢に染まるんだろうな。
まあ結局の所は飽きたんだな。
そして、飽きたって気持ちで眺めてみるとだ。
ここはもうここに所属していることが誇れるような場所じゃなくなってたんだな。
はてなブログに書くだけ書いてブクマはしないとかならまだしも、ブクマカなんてもう辞めた方がいいんだってつくづく感じてんだ最近。
はてブじゃ増田の方がはてブより酷いって風潮あるけどよ、ぶっちゃけ増田なんてもうとっくに目じゃないぐらい今のブクマカはキッツいんだわ。
こりゃよくねえなって。
あばよ。
お前らと遊んでるがのそれなりに楽しかった時期はあったぜ。
ニュースの副読資料を探すのに役立つサイトだって信じられた時期もな。
そもそもそれが間違ってたのかもだけどな。