「東ベルリン」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 東ベルリンとは

2021-11-21

ドイツナチス切断処理して責任放棄しているというデマの成立につ

ドイツナチスが絡むと必ず出てくる言説で、ここでもやはり大量に見られる。

はてなブックマーク欅坂46立憲民主党議員も…「ナチスをもてあそぶ日本人」にドイツ人がドン引きする理由 | 文春オンライン

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/50047

 

なんかズルいなあ。現ドイツナチスとは別で第2次大戦は全てナチスが悪いっと言ってる感じ。昭和天皇責任から逃げなかった。

コイツ祖父や祖祖父世代ナチスを指示したかナチスがああなった。ナチスに全てをおっ被せているのは否定できないだろうよ。

ナチスこそが全ての原因で邪悪悪魔国民はその被害者という形にしないと成り立たないのがドイツ。想起するあらゆるもの排除っていうスタンスは、他のジェノサイド等の件では全く見られない特殊もの

戦争責任ナチス押し付けたからこそ、「我々一般ドイツ人とは違う狂信的な集団」として極端にタブー視する必要があるんじゃないか穿った見方をしてしまう。

そりゃ「ナチス党を絶対悪においてドイツ人が悪い訳では無い」というスタンスからな。だから謝罪賠償もしない。外から見ると「ナチスドイツ」だけどな。

 

ちょっとこのデマがどこで生まれたか解説したい。

この言説の出元はズバリ西尾幹二である。といっても西尾が「西ドイツ(当時)はナチス切断処理して反省拒否している」と言ったのではない。

 

敗戦40年ヴァイツゼッカー演説と受容

前年に西ドイツ大統領に選出されたヴァイツゼッカー1985年連邦議会で後に有名となる演説を行った。西ドイツ大統領米国米国政体モデルにした韓国のようなものと違い、首相の上に立つが実権力は少なく元首のような役職だ。

この演説は「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」の節が有名で、要するにナチス蛮行責任戦後ドイツ人は引き受けねばならない、蛮行に手を貸していないと言い張るのは許されないとの内容だ。

この演説岩波の『世界』が取り上げて掲載し、後には数百円のリーフレットも発売した。「戦争への反省モデルケース」としての評価であるのは言うまでもない。

因みに『世界』は敗戦後に相当な影響力を持った論壇誌だったが、経済成長全共闘進歩派攻撃などによって影響力は下がっていた。だがこのヴァイツゼッカー演説掲載反響を呼び、リベラル人士に挙って引用されるようになった。

 

ところで複数人編集されるwikipediaヴァイツゼッカーの項は、演説内容が「悪いのはヒトラーナチズムであり、ドイツ国民民族被害者である」だったとの節と、「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。」との引用文が併置されるという面白い状態になっている。

 

西尾批判

この盛り上がりに対し、ドイツ文学者西尾幹二文藝春秋社『諸君』で批判を加えた。

演説文章をよく読んでみると、ドイツ国民の直接の罪は回避されている」「ナチスの罪はドイツ国民個人に無い事が前提となっている」という内容だ。

そして「日本戦争犯罪と違ってナチスの罪は人道に対する罪であって国家のもの犯罪国家責任の取りようが無い」。

責任が取れない種類のものを引き受けると言っているのだから欺瞞だ、という事だ。

 

これは文章解釈であり、悪意を持てば文章は逆の意味解釈する事も出来る。(「ナチスの手口に学べ」は反語だ、など)

それは言語堕落だが、西尾がそう評価されなかったのはニーチェ思想を専攻とする文学者の実績があった為だ。例えば中央公論の『世界の名著』シリーズニーチェ編纂解説西尾である実態が無い〇〇総研勤務や過去論文紀要に全くない文学研究者バイト以外職歴不明動画投稿者ばかりで構成される昨今の保守論壇と当時は全く違った。

それ故、西尾批判は「無邪気な戦争責任論への懐疑」として評価されていた。ヴァイツゼッカー演説リテラル文字通り)の内容は、云わば民族原罪論のようなものなので、それに対してニーチェ視点から欺瞞を突きつけたくなるのは無理もない。

 

但し、

民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります

の様な一文を持って「集団が免責されてる」という辺りはニーチェもへったくりもなく単に低質なデマだ。あとで触れるがこれをやり始めたのは小林よしのりだ。この文章は「当時にも残虐行為タッチしていない人間は居たがその罪は国民は免れない」という意味からだ。

から西尾哲学的文脈好意的評価する時、こういう所は無視して、ユダヤキリスト教道徳類似した欺瞞を指摘した、と評することが多い。

だが西尾ニーチェ専攻にも拘らずにルサンチマン駆動させられやすく、「切断処理を表明する演説」論者にのせられてそう言っちゃうのよな。で、論壇が経歴不明バカ宗教右翼で埋まってパージされると冷静さを取り戻す、というのをずっと繰り返している。

言説の変容

90年代前半までとその後の保守論壇というのは質が全く違って、例えば引用したブコメで言うと、

から謝罪賠償もしない。

とかは今は普通に見られるが、当時ならあり得ない。何故といって日本交戦相手の米英仏豪に謝って賠償金を払っただろうか?勿論していない。

フィリピン以外の賠償金は全てチャラにして貰った。特に米国自国民間企業に対しても対日債務は諦めるようにした。ドイツも同じスキームだ。

そして日本はそれら交戦相手連合国にチャラにしてもらう代わりに戦場となった主に東南アジアに対して復興後の開発援助を約束した。これらの戦後処理を全てやったのは自民党であって、それ故保守論壇人士の方が戦後処理に詳しかった。だからドイツ交戦国に賠償していない」なんて事は相当のバカじゃなきゃ言わなかった。それはどこも一緒だから

 

こういう訳で当初は「ニーチェ研究者文章解釈」として評価されていた西尾言説が、「ドイツナチス切断処理して反省拒否する立場である」という風に化けて行く。

この決定的な曲がり角は先にも言った小林よしのりなのだが、小林を論壇に引き込んだのは西尾なのだ。だから西尾小林やそのフォロワー後者の言説を流布して行くのを黙認していた。

その後西尾宗教右翼教科書運動を乗っ取られてパージされてしまい、「彼らの運動論は左翼のそれだ」と批判する羽目になるのだが、彼らを引き込んで論壇の真ん中で活動させたのも西尾だったのだな。

 

という訳で「ドイツナチス切断処理して反省しない立場」節の原初西尾で、それが解釈ではなくて「表明したという事実」に化けていったのである

 

メルケル来日恐慌

2015年メルケル来日した際、朝日新聞で講演して安倍政権歴史認識批判する場面があった。

講演、インタビューに態々選んだのが朝日新聞というのは明確なメッセージだ。

これにネットの一部は沸騰してドイツ叩きが盛んになった、という事があった。

何故そんなに逆上したかと言えば、一部で「常識」となっているドイツナチス切断処理論と反対の立場から冷や水ぶっかけられたからだ。

仕舞にはメルケル極左に振れているという噴飯もの意見も多く見られた。メルケル所属するCDUは保守政党である

 

このナイーブ恐慌状態集団で信じていた事を現実が裏切る事で起きていたので、これぞまさにルサンチマンだ。

ニーチェ思想に沿って生まれ解釈が30年経って反ニーチェ的なナイーブに転化していたというのは寓話的だと思う。

当たり前だが、メルケルドイツナチス切断処理なんて立場を表に出した事は無い。統一ドイツの成立条件見れば当たり前だ。

ドイツ戦争責任切断なんて出来る訳ないだろ

西ドイツEC加盟国だったが東ドイツはそうではない。統一は他の加盟国承認必要だった。

そしてベルリンというのは統一の前日、最後まで連合国占領下にあった。

ソ連勝手東ベルリン自分勢力下としてしまったが、米仏英はそんな事認めていない。法的には最後まで共同統治であった。

まりベルリン占領はこれら4国の承認が無い限り解けない。もしヴァイツゼッカーナチス切断処理してドイツ責任無しという演説をしたら、東西ドイツがその態度だったら、ベルリン首都に出来ただろうか?

そしてEUの顔役が出来ただろうか?

当たり前すぎてバカらしい。

 

珍妙な変な「定説主義」みたいなのを皆で信じる前に常識で考えてはどうだろうか?

そして現実主義を謳うものほど現実に対してナイーブというのはニーチェ研究テーマとすべき事象だと思う。

2021-01-26

世界まともそうな政界女性リーダー

ドイツ メルケル首相 66歳

 東ベルリン科学アカデミー 物理学博士号

 

アメリカ イエレン財務長官 74歳

 イェール大学 経済学博士号

 元ハーバード大学経済学助教授

台湾 蔡 英文総統 64歳

 ロンドンスクールオブアカデミー 法学博士号

 元国立政治大学及び東呉大学教授



個人的に興味があって調べてみたけど

みんな女性初、みんなアカデミア出身なんだな

博士号って大学行って大学院で修士2年やって博士3年やって論文通ってとれるんだっけ?すごいな

他にもこの人すごいよ!とかいれば教えてほしい

2020-03-26

anond:20200326231617

西ベルリン東ベルリンでもはっきり感染者数に違いがあるみたい。

グローバリゼーションの始まりの合図となったベルリンの壁崩壊が、30年の月日を経てこんな形でその歴史を想起させるとは...

2017-11-12

映画『アトミックブロンド英国百合男子(MI6幹部)の熱い尋問

東西冷戦末期、1989年ベルリン。「壁」崩壊前夜のこの街で西側諸国スパイ情報KGBの手に渡ってしまう。それを奪還すべく、ロンドンから一人の凄腕女スパイ世界史に残る大イベントを迎えんとする狂騒の街へと送り込まれた――。

と、『アトミックブロンド』はベルリンでの任務から帰還した女スパイシャーリーズ・セロン)が上司のMI6幹部から事の顛末尋問される形で進行する回想劇なのだが、タバコを吸いながらふてぶてしい態度で語られる女スパイ武勇伝のまぁド派手なこと。

まずベルリンに到着して数分でドンパチ(出会って4秒で合体かよ)。

その後も次々と修羅場が訪れるも、複数人で襲いかかってくる男どもをタマキン蹴り上げながら、ほとんど素手でバッタバッタとやっつける女スパイ

まるで軽快さのない痛々しいアクションシーンに顔を歪めつつ、次第に慣れてきた観客は気づき始める。「ははーん、シャーリーズ・セロンが男のタマキンを蹴り上げたいだけの映画だな」

そんな男には容赦のないセロンもカワイコチャンにはめっぽう弱い。夜の盛り場出会ったキュートフランス娘に「これは即ハメボンバーですわ」とメロメロセロン。辛抱たまらクラブトイレで濃厚キス。「スパイの用心深さはどこにいったんだ」と呆れる観客を尻目に滞在中のホテルにお持ち帰りして、「ほな、お先にアタイらのベルリンの壁崩壊しますわ」とばかりに濃厚レズセックスを繰り広げる。

男に対してはあんなに厳しいのに女同士だとここまで激甘なのかとばかりのネットリ系プレイで、観ているだけで糖尿病になりそう。これにはMI6幹部も「その話kwsk」と身を乗り出し尋問に熱が入る。「さすが紳士の国」と観客は心のなかで日英同盟即日発効。

その後も「モブ厳」ならぬ「タマキン厳」シーンは続く。西ベルリンから東ベルリンへと潜入した女スパイ入国直後に尾行され(スパイのくせに気づかれすぎだろ)、とっさに入った映画館尾行を撒こうとする。非常ベルを押して混乱がおきた隙に逃げ込んだ先は、映写幕の裏。

映画投影された映写幕をバックに格闘を繰り広げる女スパイタマキン蹴り上げノルマをきっちりとこなしつつ、「あの映写幕に突っ込むんやろなぁ」という観客の予感にキッチリと応え、頭から突っ込んで映写幕をブチ破る女スパイ

これには私たち観客も阿吽の呼吸で「そのためのヤシの木かよ」と自分たちの観ている映写幕にツッコミを入れないわけにはいかない。

※参考資料:そのためのヤシの木とは (ソノタメノヤシノキとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%81%AE%E6%9C%A8

その後も、次々と襲い掛かってくる男どもの顔面タマキン攻撃をくわえ、奪い取った銃で頭をぶっ放し、弾が切れたら銃のグリップで頭を殴りつけ、タマキンを蹴り上げる。

「そんなのないよあり得ない」と思いながらも、激動のど真ん中にある東西ベルリン舞台にしていることもあって「それがありえるかも」と思わせる力技で物語は進み、緊張感を保ったまま最後まで持っていく。

とまあ基本的にはご都合主義なんだけど、いちおうは男女のパワー差を考慮して、女スパイがエレガントに軽く一撃でやっつけるということはしない。普通に反撃を食らって、顔に大きなアザを作り、脳震盪を起こしてフラフラになりながらも戦い続ける姿は悲壮感すら漂ってくる。(それでも「素手で何人もの男をやっつける時点でご都合主義だろ」と言ってしまえばそれまでなんだけど)

それに、キュート女性を目の前にしてスパイ失格レベルで知能を低下させている様を描いており、「男と変わんねぇじゃねえか」と観客に突っ込ませる余地も与えてくれている。

とにかく非現実的な「完璧女性像」を作り上げて観客をシラけさせるということはしていないので、そのあたりは良くできていると思った。

ともあれ、モラハラ上司元カレなど身近にいる男のタマキンを蹴り上げたい! と日々ストレスを抱えて生きている女性は「ぷいきゅあがんばえー!」のノリでシャーリーズ・セロン応援できるし、心の日英同盟締結済みの紳士諸君(同士よ!)にも十分楽しめる映画となっている。ヘテロ男はお呼びでない。

【以下蛇足

今まであまり映画を見てこなかったけど、最近にわか映画欲が湧き出し、映画館に足繁く通うようになった。

それで思ったのは、「アメリカ人はいつまでソ連に怯えているんだろう」ということだ。

ドリーム』は、「ソ連ミサイル撃ってくるの?」と怖がる3人の娘に「だいじょうぶ、母ちゃんNASAでがんばるからね」となだめて寝かしつけるも、ソ連の前にまず自国差別と戦わないといけない黒人シングルマザー細うで繁盛記だし、

バリーシール』は「ソ連はこんなヒドい国なんですよ!」と国際社会アピールするためにもっとヒドいことをするアメリカと、そんな母国に利用される小悪党パイロット(元トップガン)という話だ。

そして『アトミックブロンド』も言ってしまえば、西側スパイ情報KGBの手に渡りソ連に殺される……!」と怯える人たちの話であり、結局アメリカ人冷戦が終わって何年経とうと「ソ連こわい」映画をこれからも作り続けるんだろうな。

ちょっと前に観た『ダンケルク』もナチスに怯えるヨーロッパ映画だし、日本人は「悲惨戦争翻弄される庶民映画を、中国人は「我らの大陸を土足で踏みにじった野蛮な日帝映画を作り続けることだろうし、やっぱり戦争ってよくないな(なんだそのまとめ)。

とにかく、劇場映画を観るのはとても楽しい。単にデカい画面と音というだけでなく、何というか「体験している」という感じがあって良い。しばらくは映画館通いの日々が続きそうだ。みんなのオススメ最新映画を教えてくれ。

2017-10-29

travel note

9/25-9/29、夏季休暇を取得し、憧れの国ドイツ旅行してきました。

前夜。

トランジットのため成田から北京国際空港へ。海外で初めて口にした食べ物ピザハットピザ政治的事情から各SNSにはアクセスできず、乗り継ぎまで人生の貴重な8時間出国せず空港内で過ごしました。

中国国際航空を利用しました。何故か機内モードでも電子端末は一切電源を消すよう命じられたため、退屈な機内でした。本を読んでは眠くなるため機内ではほぼ寝てました。また機内食はお粗末なもので、一緒に出されるパンフルーツの方がずっと美味しく感じました。

9/25

フランクフルト国際空港着💢やはりメルケル氏が当選していました。

新秋のドイツは気温10~15度と寒いので、空港から降りてきた薄着の漢民族は凍えていたようです。

ドイツ鉄道が発行している「ジャーマンレイルパス」を事前に購入していたので、ヴァリデーションを済ませフランクフルトからベルリンへ移動。しかしながら自由席指定席もほぼ満席状態で、後から乗った私は車内で立ち往生してしまうことに。ベルリンまでの移動時間はおよそ4時間半。全日一等席に乗れる権利を有していたのに惨めな旅だと思っていたら検札に来ていた乗務員が空いている自由席を見つけてくれ、さらに隣に座っていたウルリッヒミューエ似のおっさんスーツケースを上の棚に入れるのを手伝ってくれました。この時感謝気持ちを述べた言葉ドイツに来て初めて使用したドイツ語でした。

ベルリン

インターシティホテルベルリンにチェック。このホテルは2日間滞在していた。一人で予約しているのに何故か掛け布団が二つあったのが気に障りましたが快適に過ごせました。いかんせん成田搭乗から今まで風呂に入る機会が無かったので、ガラス張りのシャワー室でシャワーを浴びる。

行ったところ。

ブランデンブルク門。言うまでもなく、ベルリンの壁象徴する建造物。これを見るためにドイツに来たと言っても過言ではないくらい見たかったもの。なお、この日から8日後に東西統一27周年を迎えました。東西融合を祝して、記念に橋を架けました。興味深かったのが、門周辺はイギリスフランス等各国の大使館がひしめき合っていて、門の直ぐわきにアメリカ大使館では警備員が厳めしく立っていたました。そして、『舞姫』で豊太郎が闊歩したウンター・デン・リンデン通り沿いを100m程歩くと今度はロシア大使館が見えてくるのですが、アメリカ大使館の2倍の敷地で厳重な警備と邸宅さながらの荘厳さがありました。当時ソ連東ベルリン統治する上で、東側諸国リーダーたる威信を発揮しようとしていたかがうかがえますね。

次。DDR Museumという旧東ドイツ博物館。じっくりねっとり展示品を舐め回すように見ながら1時間半くらい経ったところで閉館のアナウンスが。まだ全部見終わってないんですが。

アレクサンダー広場ベルリンテレビ塔、に行く前に広場周辺でカリーヴルストを夕食。正直ケチャップは苦手なのですが、これはケチャップと合いますねぇ!!!!これだけでお腹一杯になってしまいました。

テレビ塔。夜景を期待してわざわざ22時に入場したのですが、ちょっと想像と違っていましたね。

2日目。朝から特急に乗ってチェコに行こうとしたのですが寝過ごしました。ただ、片道の移動時間がこれまた5時間も掛かるので仮に朝一の列車に乗っても、宿泊の都合上、日帰りで帰るとなるとろくに滞在できず一日を列車で過ごしかねないスケジュールでもあったので、正直フイにして後悔はしませんでした。

テレビを点けたらチャンピオンズリーグバイエルンアンデルレヒト試合が中継されていました。2-0でバイエルンが快勝していて流石FCバイエルンでした。

昼。電車に乗ってシュタージ博物館へ。これも東ドイツ関係。『善き人のためのソナタ』にも出てきた建物写真ネクタイは、よく見ると小さな穴が開いていて、この穴を通してカメラ反体制派の行動を盗撮していたというのですから恐ろしい。

夕方オーバーバウム橋からシュプレー川沿いの「イースト・サイド・ギャラリー」を見学。これも東ドイツ時代遺産写真男性二人(ブレジネフとホーネッカー)が交わしているアツいキスは決して男色を表しているのではなく、共産圏における挨拶の一つだという…。その後はポツダムに移動しサンスーシ宮殿見学するつもりでいましたが、気付いたら閉園時間が近付いていたため断念。片道1時間電車を引き返すことに。

夜。ポツダムプラッツレストランで夕食。ベルリンピルスナーを堪能。ドイツビールは飲めるけど、日本ビールは何であんな苦くて不味いんでしょうか。クネーデルズッペ。ブイヨンベースに牛レバーの肉団子というシンプルスープ料理なのですが、これが非常に美味しかったです。スープ料理で初めて感激しました。最後ベルリン名物アイスバイン塩漬け豚肉を茹でたもので美味しかったのですが、ボリュームに屈し食べきれずギブアップ。すいませんでした。

帰路。連邦議事堂。丁度議会選挙の直後だったのか館内見学の予約が取れず外から見学

ホテル内。ビールを飲みながらテレビドルトムントレアルマドリード試合を観戦。やはりピルスナーは飲みやすい!それでいて1.03ユーロ(約137円)という驚きの安さ。なお試合は3-1でレアルドルトムントボコボコにしてました。

3日目。6時にチェックアウトを済ませ、西方シュトゥットガルトへ。メルセデス・ベンツミュージアム見学しに。ルイス・ハミルトンは好きじゃないですが、メルセデス・ベンツは好きです。前からSLS AMGやAMG GTのロングノーズのボディが気に入らなかったのですが、300SL等歴代の車種を見ていくにつれてこのノーズが力強さが感じられるようになり好きになりました。あと、AMG GTって写真で見るより意外と車体が小さかったです。

博物館を後にし、ケルンへ移動。2時間程移動してケルンホテルマテルヌスハウスチェックイン。受付は愛想が良く好感を持てましたが、部屋がツインダブルベットで虚しさがこみ上げてきました。加えて、もともとコンベンションホールホテルにした作りなのか、浴室の作りが人工的でこれまたムードダウン。

ケルン大聖堂。二つのアーチがそびえるゴシック様式ローマ・カトリック教会ブランデンブルク門と並んで見たかったものその2。駅からライン川を渡った先が撮影ポイントで、道行く外国人スリの恐怖に怯えながら100枚くらい写真を撮っていました。

夕食。『地球の歩き方』にも掲載されている有名店なレストラン。ここではケルシュという地ビールを堪能。フルーティーな味わいで飲みやすいけど、水だと揶揄されてもいいくらい苦味が薄く刺激が弱い。でもボクは好き。

4日目。最終日。朝食はフルーツポンチばかり食べてました。ゆっくりしてからチェックアウトを済まし、フランクフルトへ。

フランクフルト証券取引所。入口前に雄牛と熊の銅像ブルベア。DAXは8月以降ずっとブルってやがる!館内ツアーガイドドイツ語で何を言ってるかさっぱり判らなかったです。取引所を後にし、しばらくフランクフルト金融街を闊歩してからフランクフルト国際空港へ。ドイツ旅行はこれにて終わり。

魔の5日目。トランジット北京行の便がまさかの遅延で予定の日本行の便に乗れず。後にトランジットカウンターに行って出発便を振り替えればよいとわかったのですが、何せ初めての事態でかなりアプセット。何とか便を振り替えてもらいましたが、中国人の話す英語が判らず聞き取るのにかなり苦労しました。

19時頃羽田空港着。成田じゃなくてよかったです。ここでクイズ東京に着いて一番最初に食べたものは?そうですね、ラーメンですね。

初めて一人で行く海外旅行でしたが、正直旅行というより社会科見学に近いものでした。博物館で2時間も3時間も過ごすのでもし人と一緒に来ていたらうんざりするでしょうし、この点は一人でよかったです。完全に自分時間が流れていました。

しかしながら、やはりトラブルがある時はやはり一人で対処しないといけないですし、当然コミュニケーション外国語なので言葉がわからないと辛いものがありますね。幸い身振り手振り肉体言語でも伝わるのでこの点は何とかなることはありますが。意外にも滞在期間中一切日本語を喋らなかったのが精神的に辛かったです。

また行きたいですね。今度はルフトハンザ航空の直行便ファーストクラスで。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん