はてなキーワード: 本土とは
よくある地方都市の場合、そこで就職しても田舎村社会によって同じ人しか会わない可能性しかない
このため別の地方都市へ移住する必要はあるが、同じ地域でも効果は薄いため、地域レベルで移る必要がある(隣の地域でも薄くなるので、1つ地域を跨いでおくとより出会う可能性は無いだろう)
今居る地域 | 移る地域の目安 | 備考 |
九州 | 中部地方より北東 | 近畿地方でも和歌山や奈良、福井あたりでも可能性はある |
四国 | 中部地方より北東 | |
中国 | 中部地方より北東 | |
近畿 | 東北地方・北海道ぐらい | OSAKAのせい |
中部 | 九州+沖縄地方・北海道 | JR東海の東海道新幹線や中央新幹線で確率が上がってしまっている |
関東 | 中国・四国・九州+沖縄地方 | 中部でもJR東日本のせいで出会う可能性がある |
東北 | 中部地方より南西 | |
北海道 | 中部地方より南西 |
東京や大阪などの巨大都市に移住しても出会うことは少ないが、これは統計学的に人数の分母がおかしいだけで、またそれだけ分子(同じ地域から移住してくる同級生)も居ることは留意すること
本当に出会いたくないのであれば、そうした巨大都市も避けて別の地方都市へ移動する、というのが最適と言える
なお島や本気の山奥の場合だと、そもそも本土などに上陸するのが大変という場所もあるため、そのあたりのコストパフォーマンスとも検討すること
自分の人生を妨害された同級生、つまりはEnemy(敵)となる存在は、いつの時代も先に情報を入手するのが世界の常識である(ロシア・ウクライナも、アフガニスタンも、第二次世界大戦だってそう)
どう安全に手に入れるかはここで書いてしまうとその手法がブロックされるので各自で調べておくこと
このぐらいの調査ならググってもカスな状況にはならずに済むはずだゼ
情報を入手すれば自分がどのサービスやどの場所に行くべきか、行っちゃダメかがわかるはずだ
あまりにも行けない場所が多すぎるのなら、前述の移住でそのリスクを大きく減らせばよい
警察に相談しなくても、相手はそこまで追跡できるほどヒマじゃないゼ(ただしネットのおもちゃになっている場合はどこでもWANTEDなのでまずはそれにならないようにする行動が必要だがナ)
ましてや自分の人生設計で同級生が躓きポイントになるかどうか、そしてそいつと遭遇しても本当に敵となるのかなどの検討からスタートすべきかもしれない
ここ3年で読んだ漫画をまとめたぞ!
教えて欲しいぞ!
コーポ・ア・コーポ
これ描いて死ね
フールナイト
天国大魔境
違国日記
1978年のまんが虫
ゴーグル
最果てのソルテ
緑の歌 - 収集群風 -
超人X
迷宮クソたわけ
133cmの景色
20時過ぎの報告会
adabana 徒花
BLACK LAGOON 掃除屋ソーヤー 解体!ゴアゴア娘
mon*mon
アトム ザ・ビギニング
アフターゴッド
アラバスターの季節
ウスズミの果て
うみそらかぜに花
シャングリラ・フロンティア ~クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす~
ゾミア
ダーウィン事変
ひとでなしのエチカ
ミューズの真髄
ルリドラゴン
三十路病の唄
三拍子の娘
亡びの国の征服者
令和のダラさん
八月九日 僕は君に喰われる。
列士満
合コンに行ったら女がいなかった話
呪術廻戦
国境のエミーリャ
地獄楽
大雪海のカイナ
戦争は女の顔をしていない
日本三國
昴とスーさん
服を着るならこんなふうに
朱色の仮面
片喰と黄金
瓜を破る
純猥談
結末の国のアトー
葬送のフリーレン
虎は龍をまだ喰べない。
血界戦線 Back 2 Back
結論はタイトルに書いてあるが理由をできるだけ簡単に説明しよう。
食文化において「常食」となりうるには次の3つの条件を満たす必要がある。
これらを満たしている日本の常食といえばおにぎりやライスを含む米、コンビニやパンやで売られるパン、ラーメンやにおける麺、コンビニやイタリアンでのパスタ、複合的なものでは通常バーガーやフィレオフィッシュバーガーや牛丼などが代表される。
①昨今では牛肉が買い負けしがちだが牛肉を使ったファーストフードで常食されているため、牛肉をファーストフードで扱うという問題自体はクリアされている。現実としてステーキチェーン店や個人店が存在する。
②こちらも同様にステーキチェーン店は新旧で入れ替わりこそあるものの増加傾向にある。まだ十分とは言えないがステーキ店自体の増加は時間が解決するはずだ。
③ここが特に深刻な問題を抱えている。まず一般的な日本人はステーキという料理そのものを理解していない。
ステーキは肉そのものの品質・下処理・焼きである料理の3要素によって大きく味を変える。
安い肉であっても下処理や焼きが最適であればそれなりの味に変わるのがステーキだ。
しかしステーキを常食していない一般的な日本人は、大多数の人間は、この筋を取る下処理や指定された焼き加減を忠実に守る重要性を理解していない。
この料理としてのステーキの良し悪しを理解できないのが多数派、という事実が後述する問題につながる。
何か祝い事や給料日にステーキでも食べるかと考える人はいるだろうが、日本人がわざわざラーメンや焼肉よりもステーキを選ぶ確率は低い。
グループで食べるのにも個人で食べるのにも普段から食べ慣れているラーメンの方が信頼性も高く店舗数もバリエーションも多い。
価格帯であればラーメンとさして変わらないほどの価格設定がされる安めのステーキチェーンですらラーメンを競合と捉えると勝つのは難しい。
つまり候補としてラーメンを押しのけるようなステーキを常食したいと思っている人間はステーキそのものが好きな日本人である。
そういった人間が現在のステーキチェーンの躍進を支えている原動力であるが、現在は少数派であることも認めざるを得ない。
ステーキチェーンのリピート率ではステーキ好きの方が多いが店の売上に対しては新規客や低頻度の客の方が多いのだ。
ハッキリ言ってステーキチェーンの提供するステーキのレベルは非情に低い。
レアで注文すると中は生であっても冷え切った状態で提供されたり、レアで注文したのにミディアムで出てくるなんて珍しくもない。
肝心の肉は脂身は良しとして筋が残りまくっており、噛み切れずにペーパーに吐き出すのは当たり前。
下処理の段階でスジを取り除く工程はトリミングと言われるが、そもそもトリミングをできる料理人が店舗に常駐していない、もしくは分量を減らさないようにケチっている。
当然、肉の最適な焼き加減を見極める技術を持つ料理人もいるわけがない。そのため、あるチェーン店では誰にでもできるレアをデフォルトにして、あとは客に鉄板で焼かせるようにしている。
なお、頼んだ焼き加減ではない状態を確認させて見せてみても、バイト店員は「レア」も「ミディアムレア」も「ミディアム」も「ウェルダン」も理解していないから意味が無い。
マニュアルで「ミディアムレアがお勧めですが」と生体自動音声を流しているだけで言葉の意味を一ミリも理解していない。
ホールもバイト。焼いてるやつもバイト。オーナーも店長も不在。誰も知らないのだ。
彼らに訴えたところで肉はレアに戻らないし何も解決しないし再発防止もされない。
下処理と焼きの技術を一定のレベルに保障する沖縄発のチェーン店が存在するが、それは本場のノウハウを日本本土に持ってきている成功である。
他のチェーン店はとにかく肉の質や値段、店員をどう安く雇うかしか頭にないからクオリティは下がり続ける一方だ。
ところがこんなレベルの低いステーキが出ても、大半の日本人は肉が鉄板の上で焼かれているのなら「なんでもステーキ」に見えるわけだ。
上司が寿司を奢ってくれるというからついていくと、外国人がカリフォルニア巻きなどといって創作の寿司を日本人に出せば、なんだこれは?と訝しむだろう。
カリフォルニア巻きレベルのド酷いステーキを出しても大半の日本人は喜んで食べるのだから、違いの分かる少数のために下処理や焼きに時間と金と人を使うメリットがないのだ。売上的には。
そうやって客のレベルが低いせいで酷いステーキは酷いステーキのまま提供され続けることになる。
しかし、本当にステーキが常食に成り上がるためには、リピーターを増やさなければならない。
今のままではリピーターはさらに高い価格設定のステーキハウスに移ってしまう。もしくは自宅で楽しむか。
新規や低頻度でステーキの良し悪しが分からないような層だけをターゲットにしているチェーン店は、別の新しい競合に簡単に奪われてしまう。
地に足がついた食文化になるためには、ステーキの良し悪しが分かってしまうようなリピーターを増やさなければならないが、そのための技術も人も金もノウハウもない。
今のままではステーキが好きで今のステーキチェーン店に通いつめることで、いずれリピーターは自分の食べているステーキのレベルが低いことに勝手に気づく。
そうなるとさらに上を求めるか、コスパ重視で自宅ステーキの2択しかない。
そしてステーキを常食化に失敗したせいで、同業だけでなく他業のラーメンや焼肉とミーハーな客の取り合いをせざるを得ない。
それが日本のステーキ業界という実に宙ぶらりんな業界の正体である。
レビューにどれだけ筋だらけや焼きすぎ焼けてないと低評価がついたところでビクともしないのは、舌馬鹿の売上を当てにしている形態のため改善が不可能だからだ。
メディアに出てくるステーキ紹介も肉汁や柔らかい話しかしない、この程度の食文化では常食になるはずがない。
もし、ステーキを本当の意味で常食へと成り上がらせるだけの知識と力を兼ね備えたチェーン店が誕生すれば、今のステーキ業界を圧巻して簡単に覇権を握ることができる。
これからのステーキ業界に必要なのは「どんなステーキが良いステーキなのか」という啓蒙を店が行い、客が地道に教育されることでリピーターを増やしていくしかない。
でなければ日本にステーキ常食の未来などない。牛丼や焼肉や焼き鳥には一生勝てない。
これらは店も客も底辺でもある程度良し悪しが分かってしまうため、同業で競争社会が成立するからだ。
適当にやってたら間が悪く人的資源を使い果たしたタイミングで隣国が敵として参戦してきて詰んでしまった。次回プレイに向けてメモ書き。
NF「地方選挙」を取れるようになったらすぐに取って、それ以後のNFを取って自治度を上げていく。
自治領まで上げると、NF で「飢餓の恐れ」を解除できるようになってバッドイベントを回避できる。それ以外はあんまり効果はない。
この後は、自治領に留まってダラダラするかさっさと独立するかを決めてNFを取って行った方がよい。中途半端にするとただ遅いだけになる。
NFで日々の自治度獲得を上げた後は、結局戦争で貢献して自治度を稼ぐのが一番いい。レンドリースには全然工業力が足らないし、資源の輸出は受けてくれない。駐在武官の派遣は忘れてたけどいいかもしれない。
初期状態では中道80%くらいで始まる。政治力が余った時期があったので、ディシジョンで民主主義を削って安定度の足しにしようとなんかやっていた。しかし自治度が上がって自治領になると、指導者の変化と同時にイベントが発生して政体の構成が大きく入れ替わって無駄になる。そのため、わざわざディシジョンを実行しなくてよい。
長期的には独立した方がいいが、独立してしばらくは人的資源・工業力共に減少してしまう。今回のプレイではこれらが必要な時に独立してしまい、軍が維持できなくなって酷いことになった。
徴兵可能人口増加と消費財減少は強い。これらは取ってから独立してもいいかもしれない。工場がもらえるNFは独立を目指すなら効果の割に時間がかかりすぎる。自治領に留まるつもりなら暇つぶしにいいかも。
序盤は自治度を上げるNFを取りつつ適当に内政。大戦開始前に20師団ほど出してリビア国境に並べた。編成は燃料を食わないようにしておいた。対枢軸戦が始まってイタリアが参戦したら行動開始。リビアのイタリア軍を殲滅して貢献度稼ぎする。その後はイタリア領東アフリカに走り、アフリカにいる枢軸軍を殲滅。この時点でイタリア軍死傷者の半分以上がインドのせいになっていた。アフリカが終わった時点で 1941年になったところだったので、対日開戦に備えて軍を戻す。ここまではいい感じだったが・・
日本が対米開戦したので対日戦に参加できるようになり、日中戦争と、よせばいいのにフィリピンに援軍を送って本土を空っぽにしてしまう。フィリピンに送った軍で抵抗を試みるが、日本はいろいろなところから上陸を仕掛けてくるので支えきれず、結局フィリピンは降伏。なんとか粘って一島を沿岸防衛する形で耐えたが、海上封鎖されて出られなくなってしまう。これと並行して戦争で稼いだ自治度があったので独立してしまい、徴兵可能人口と工場が減ってしまって追加の軍を出せなくなる。徴兵法を上げなきゃ、と思ったところでシャムが大東亜共栄圏に参加して参戦してしまった。全裸の領土を殴られているのに見ていることしか出来ず投了。
沖縄の焦土作戦、本土空襲、原爆、硫黄島やインパールの玉砕、魚雷、帰れない飛行機
こういうものを支持して成立させたのは当時の頭の悪い体育会系の陸軍
今だってスポーツ選手を議員にしようとか言ってるアホや頭のわるい元ラグビー部員が政治家やってる
こういう反知性主義者たちのトップダウンが吉本やakbに数十億も助成金出させたりしてる
知性、洗練されたもの、勉強、成長を促すもの、アート、音楽、ハイコンテクストな何もかもを嫌い、
わかりやすい道化とポルノを好む連中がトップに立ち続け、そういうのを支持してるのがこの国の国民である。
しかもそのスポンサーのエセ右翼の老人はまだ戦前回帰だなどと抜かし、軍拡なんて言ってる
ミサイルを高額で買わされ、お隣の国にはODAやら宗教団体への献金やらパチンコ利権で金を流す
何でか?
マンハッタン計画で原爆製造に関わった研究者を描く「オッペンハイマー」とバービー人形の実写ハリウッド映画である「バービー」が同日公開されることとなり、
これを知った人々により、オッペンハイマーやバービーを演じた役者をコラボさせた「Barbenheimer」というミームが生まれた(本記事でネタバレはありません)。
原爆のキノコ雲を背景にバービーが笑顔で写るミームや、ピンク色のキノコ雲のミームが投稿されて話題になると米国のバービー映画公式Xアカウントが反応した。
この動きは瞬く間に日本人の視界に入ることとなり、Xでは「広島や長崎の原爆投下に対する配慮がない」「ミームに対して公式が触れること自体不適切」
「9.11のミームを作って何を思うか問いたい」など批判が巻き起こる事態となった。騒ぎからまもなく、バービーの日本公式Xアカウントは謝罪した上で、
どのミームも明らかに、全く異なるジャンルの映画が同日公開されることを揶揄した内容だった。そこに「広島」や「長崎」というキーワードはなかったし、
原爆によって失われた命を揶揄する表現もなかった。(「原爆のキノコ雲を背景に半分骨になったバービーが笑顔で佇んでいる」というような画像があったとしたら、
それは初めて原爆投下によって被害を受けた人たちを揶揄するミームと認識して差し支えなかっただろう)
それにも関わらず、過剰な批判をしているXアカウントには違和感があった。特に「9.11のミームを作って何を思うか問いたい」といった批判は、Barbenheimerよりも明らかに攻撃的なミームを作ろうとする姿勢だった。
米国のインターネット、Redditや4chといった掲示板から生まれるネットミームは、そもそも高尚な文化ではない。「フェアユース」を拡大解釈して自由気ままに著作権コンテンツを面白おかしく改変して投稿する文化だ。
著作権や肖像権どころか、人権の配慮がそもそも存在していない。面白い事象、キーワード、画像であれば、ルールは存在しない。面白ければすべてよしだ。まともな人間ならミームに触れることすら避けたほうがよいレベルだ。
(日本でたとえると「淫夢語録」やそれから派生したコンテンツ全般が該当するだろう)
にも関わらず、「広島や長崎への配慮が足りていないミームを作る米国人の原爆に対する知識はこんなもんか」といった批判や「歴史的過去から振り返ると不適当だ」という批判が繰り返された。
これらはナンセンスだ。ネットミームはそういうものなのであり、誰にも伝わらない批判だ。「ナンセンス?いや、そんなネットミームをやるなよ」と感じるのも自然ではある。
だが、米国インターネットにおける一つの文化だから、Xにいる少数の日本人がそう考えたとしても消え失せることはないのだ。
一連のミームを見て批判した人たちが感じた苦しみや悲しみは本物だったかもしれない。だが、もう少し、ネットミームの作成者が何をどこまで考えて作っているのか、
考えを馳せてみてもよかったのではないだろうか。またすでにバービーの公式アカウントが謝罪しているし、これ以上拳を振り上げ続けることは、誰のためにもならないだろう。
そして今回のケースでは、戦争を善悪二元論に基づいて批判を展開していたケースが多いのも印象的だった。原爆投下被害を受けた日本が、米国側の民間人大量殺戮を批判する「善」であり、
原爆投下した米国を「悪」を前提としてミームを批判しているように感じられた。視点を変えれば、日本軍の侵略行為を止められた原爆は「善」であり、民間人の犠牲も厭わず防衛戦争を繰り返した
日本軍を「悪」という視点をもとに賛同したり批判したりすることもできるだろう。またこの単純な善悪二元論に基づけば、奇襲攻撃をかけた真珠湾の戦いは明らかに日本側が「悪」であり、
米国側は奇襲攻撃を批判する「善」に当たる。中国や韓国など東南アジア諸国で日本軍が起こしたことは大局的には「善」だったのかもしれないが、被害を受けた人、家族を失った人から見れば「悪」である。
では、沖縄本土での総力戦は誰にとっての「善」で、誰にとっての「悪」だったのか? 枚挙にいとまがないが、そもそも戦争において起きた事象をこうした単純な善悪二元論で評価し、
それに基づいた姿勢で批判するのは問題だと感じた。「勝てば官軍負ければ賊軍」の精神そのものだ。敗戦を経て学んだのは、極端な善悪二元論が罪もない人々や、日本軍兵士の犠牲を増やしたことではなかったのか。
ミームを賛同したり批判したりする人たちは、原爆製造に関わったドイツ人のオッペンハイマーを「善」あるいは「悪」のどちらで見るのだろうか。
太平洋戦争を起こした日本という当事国に住んでいるのにも関わらず戦争の歴史を「善」と「悪」でしか見られない人が増えたのだなと残念に思った。
小笠原諸島が日本に返還された1968年頃から漁師たちの間で普及し始めた。まもなく島内の一般住民も日常的に使用するようになり、「ギョサン」という愛称で呼ばれるようになった。その後、島を訪れる人たちの間でも小笠原名物として知られるようになり、小笠原ギョサンのユニークさに目をつけて紹介したテレビ番組『出没!アド街ック天国』小笠原編(テレビ東京、2000年6月放送)など、マスメディアでも紹介されるようになった。
日本各地で普通に売られていたものの、安さと丈夫さが取り柄の実用性重視だったこの履き物が、お洒落アイテムとして本土に紹介されたのは2002年頃のことである。関西地区のダイバーズショップが本土では最初にギョサンを取り扱った。アイドルグループ「嵐」の大野智がテレビ番組の企画で着用した影響もあったためか、女性客を中心に売れ行きが伸びている[2]。グアムでの販売も試みられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%82%B5%E3%83%B3
https://rongkk.com/nanikore-2019-4-7-6/
あとこの映画で始業式の様子が写ってる。
中学校は生徒が1人だが、学校には校長、教頭、担任、副担任、養護助教諭の5人の先生がいて、給食は新くんのお母さんが作っている。島に同世代の子どもがおらず、新くんは放課後 毎日のようにお父さんと海釣りをし、釣った魚を自分でさばいて夕食に食べる生活をおくっている。学校生活では、定期的に本土の運動会やクラブ活動に参加して本土の生徒と交流もしており、時には本土の友達が島に遊びに来ることもある。島では、新くんが淋しくないように島民の方々が学校の行事に積極的に参加、島の住民みんあと多くの時間を一緒に過ごしてくらしてきた。
Midas先生が相変わらずキレキレのコメントをしていてすごいなと眺めている
https://b.hatena.ne.jp/entry/4739219734844955237/comment/Midas
近代化の過程で(本土だと昭和40年代あたりを最後に)男が結婚し相手に子供が生まれたのをトリガーに『父親である』責務に耐えれず分裂病を併発し「私は女」と主張しだし自死する症例が多く報告されてるが典型的なそれ
りゅうちぇるは若い時から若者らしからぬ正論をまっすぐ発信する好青年で、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと言える人だったと記憶している
そして妻と子をまっすぐ深く愛していたことに疑いはない
それなのに、自分の存在や立ち位置がわからなくなってしまって離婚した時点で、何か深い悩みというか苦しみがあったのだと思う
ブコメにも
Midas 近代化の過程で(本土だと昭和40年代あたりを最後に)男が結婚し相手に子供が生まれたのをトリガーに『父親である』責務に耐えれず分裂病を併発し「私は女」と主張しだし自死する症例が多く報告されてるが典型的なそれ
こんなコメントがあって、それが正しいことなのか本当に典型的なことなのかは知らないけど、とても納得できる話だと思う
増田自身も二児の父ではあるのだけど、子供が生まれたときに自分の存在価値がなくなったような、人生の目的は終わってこれから余生なんだなとか、そういう感覚にすごくなった
これは重圧のせいではないのかもしれないから、反対のことかもしれないけど
とにかく子が生まれることで男としての自分のアイデンティティが揺らぐ感覚はめちゃくちゃよくわかる
なので、SNSの誹謗中傷がどんなものだったか、それについて彼自身がどう感じていたかなんて知る由もないわけだけど、別にSNSだけが彼の苦しみではなかったろうと思う
SNSのアンチが増えたのは離婚後からだと思うけど、離婚したときにはすでに彼は戻れないところまで苦しみが進んでいたろうことは想像に難くない
そうでなければあれほど愛していた妻子と離れるはずはないもの
彼のまっすぐな意見表明、まっすぐな生き方が反発を招いたのは理解できるし、だからこそ矛盾をはらんだその生き方を許せない人もいたんだと思う
でもそれが周囲から見えるようになっていた時点で、彼自身の問題は進んでいたのだろう
人は矛盾を持っていて当然で、その矛盾した気持ちに折り合いをつけるのは難しい
彼はその矛盾した気持ちに従って生きてみようとしただけで、自分勝手な振る舞いというより自分が生きるため、自分を守るために必要なことだったのだろう
結局、誰も苦しんだ彼を救えなかった、という話だと思う
ぺこさんも、離婚するのが良いことなのか、離婚後もどういう関係でいればいいのか、彼のことを考えて、彼を救いたいと思って行動してたろう
最終的には救えなくて残念だったけども