はてなキーワード: 本土とは
「日本、そんな無防備で大丈夫か?」に対する楽観的な答えとしてかつて「日本は世界経済で大きな役割を占めるので滅びたら大変だ。だから守ってもらえる」という説があったが、今や日本は貧困国に落ち、国際社会における日本のプレゼンスは完全に消えた。
金の切れ目が縁の切れ目。金だけが存在価値だった日本から金がなくなったらただの役立たずだ。
だから明日中国やロシアや北朝鮮が日本に核兵器を撃ち込み、攻め込んで毒ガスを撒き地雷を敷き詰め日本人と日本の文化を根絶やしにしたとしても、国際社会としては特に痛痒を感じない。日本があってもなくても世界経済に影響がない。
アメリカからすると日本を取られると中国ロシアあたりに「次は君だ」されるが、本土からは遠いし守ってもあまりいいことがないのでわざわざ多大なコストを払って守るほどでもない。いわば鶏肋なのである。
空前の規模を誇るペルシアの軍団は紀元前480年、テルモピュレーの戦いにおいてギリシア陸軍の主力であるスパルタ軍を激戦の末に破り、スパルタの王であるレオニダス一世を戦死させた。スパルタ軍という防波堤を失ったギリシア本土は容赦なく侵攻され、ギリシアの中心都市であるアテナイがペルシア陸軍によって陥落するに至り、アテナイの軍人テミストクレス率いるギリシア海軍は絶望していた。「帰る国が無いのに、このまま戦ったところで何になる?」と。
しかし、彼らのリーダーであるテミストクレスだけは絶望していなかった。
絶望に染まる軍人たちの中で、彼は唯一希望を手放していなかった。彼は言った。「さあ、世界を取り戻しにいこう」と。
◇
ペルシア戦争の戦乱の始まりをどこに求めるかは諸説あるが、紀元前480年以降のペルシア軍の大規模侵略より10年前、先駆けて起こったマラトンの戦いにおいて既に戦端は開いていた、とする説が有力である。
紀元前490年、マラトンの戦いにおいて沿岸に押し寄せたペルシア軍を、アテナイ軍を主力とするギリシャ連合軍は完膚なきまでに破った。二倍に比するペルシア軍に対して、旺盛な士気を原動力に戦ったギリシア連合軍は、5000人以上にものぼるペルシア軍の戦死者に対して、僅かに戦死者200人足らずに留まる圧倒的な戦果を以てペルシア軍を退けたのである。勝利に沸くギリシアの民衆は口々にギリシアの精強な陸軍を讃え、自らの勝利を誇った。それほどまでに完璧な勝利だったのである。
一方、自軍主力の三割を一挙に失ったペルシア軍は撤退を始める。ギリシア世界のアジアに対する完全な勝利であった。
しかしただ一人、アテナイの政治家であり軍人でもあるテミストクレスだけは絶望していた。
◇
アテナイはギリシアの中心都市であるが、しかしこの都市が円熟を迎えるまでに辿った経緯は涙を誘う。ギリシアにはいわゆる都市国家と呼ばれる、一つの都市が国家を成す統治形態で政治が行われていたのだが、これら都市国家が成立する以前の、ギリシアの暗黒時代においてはギリシア半島(ペロポネソス半島)には大量の異民族が流入しており、戦乱の嵐が吹き荒れていた。
そのような戦乱のさなか、開闢におけるアテナイがいかにして生き延びたのか?
アテナイは極めて痩せた厳しい土地であった。地中海性の気候の中、雨量は少なく、養えるだけの人口は決して多くない。要するに、戦乱の時代においては重要性の極めて低い土地だったのである。そのため、アテナイは暗黒時代における異民族の侵略において、常に見逃され続け、戦乱からは遠ざけられ、その地盤と地歩を少しずつ伸長させてきた。最終的には、ギリシアにおける最も優秀な文化都市としての地位を確立するに至ったのである。
さて、そのような経緯もあり、スパルタやアテナイ、あるいはテーベといったギリシアの主要都市は基本的に国力に乏しく、幾ら軍制を整えたところで養える軍隊には限界があった。当時のアテナイの人口については諸説あるが、最盛期における人口は十万人程度だったと言われ、まともな軍隊として機能する人員は精々一万人を上回る程度だったであろう。
一方、ペルシアは現在におけるアフリカ、中東、中央アジア、南アジアの北部にまで跨る大帝国であり、根本的な軍事力、そして人口においてはギリシアに対して天地の差があった。そのような地政学的要因をテミストクレスは紀元前480年以前から看破しており、このまま仮に戦争が継続すれば、最終的にギリシアが間違いなく敗北するという未来を予見していたのである。
しかし、テミストクレスは絶望してばかりではいなかった。来るべきペルシア本軍の大遠征に向けて、着々と準備を開始した。
彼が最初に行ったのは、海軍備の増強である。これは正に慧眼であり、ギリシアの絶望的な状況を打破する最善手にほかならなかった。
無論、軍事力が精強なペルシアの海軍備は相当なものであり、実際、ペルシア戦争が激化した際の艦船の保有数は、ギリシアが保有する400隻足らずの軍艦に比べ、ペルシア軍のそれは3倍から4倍の1500隻以上(輸送船を含む)に達していた。ギリシア軍は結局のところ、陸軍備においても劣り、海軍備においても劣っていたのである。そのため、不足している海軍備の増強に多少着手したところで、いずれ来る黄昏を打破する目覚ましい一手にはなり難い――そう目するギリシア市民や政治家も決して少なくはなかった。というか、そもそもギリシア軍は精強な陸軍を抱えているのだから、海軍備の増強は不要であると楽観論に耽るギリシア市民が圧倒的だった。テミストクレスは頭を抱えた。
テミストクレスは異常者であった。常に真実を見ることしかできない目を持ち、常に真実しか思考できぬ頭脳を持ち得ていた。
テミストクレスは十年に渡って、世界の終りをただ一人、真摯に見据えていた。やがてギリシアは滅びる。しかし、その寿命を一秒でも長く保つこと、その呼吸が、須臾の間なりとも長く伸びることを目指し続けていた。また、テミストクレスは軍人である前に政治家であった。そのため、テミストクレスは数多くの権謀術数を駆使することを厭わなかった。彼の謀略が活かされるのは、決して外敵に対してばかりではない。むしろ、同じくギリシアに属する味方勢力に対して、しばしばその陰謀は向けられていた。
ともかく、海軍備の増強に前向きでないアテナイ首脳部を説き伏せるためにテミストクレスは一計を案じる。海軍備の増強に消極的であったアテナイ首脳を説得するために、テミストクレスは同じくギリシアの海洋都市国家であるアイギナと呼ばれる都市国家の脅威を説いたのである。
アイギナはギリシア世界においては珍しく、海軍備を主体とする軍制を整えた都市国家であった。地理的にはアテナイの属する沿岸から僅かに南下した地点に位置しており、当時のアテナイ首脳や市民にとっては、遠くアジアの大国ペルシア帝国よりも、海洋国家アイギナはよほど身近な脅威に映っていた。テミストクレスはその心理を利用したのである。まずはこの手近なライバルとなり得るアイギナの脅威を喧伝することで、テミストクレスは徐々にアテナイ首脳の意識を海軍備の増強へと向けさせることに成功した。
さて、この時アテナイが新造した艦船の数は200隻程度で、かつて備えていた旧式の軍艦の凡そ十倍にあたる新型の艦船を建造しおおせたのである。とは言え、先述の通りそれでもなおペルシア軍の海軍備に比べれば、アテナイの所有していた軍艦の数は圧倒的に劣っていた。それでも、テミストクレスの企てた長期的な戦略は間違いなく最善のものであったと言えた。結果的に、海軍備の増強という手段以外にペルシアを打倒し得る勝ち筋は無かったのである。
何故か。
ペルシア軍は強大な軍事力を動員するだけの国力を備えていた。軍事力、インフラを整備する技術力、そして、兵士を養うために必要な兵糧を創出する農業力、それらの総合力において、ペルシアは明らかにギリシアの力を上回っていた。しかし、そのような強大な力は、反面ある種の脆弱性を抱えることにもなる。テミストクレスはそこに目を付けた。
テミストクレスが着目したのは、ペルシア軍における高度な兵站戦略である。ペルシア軍は圧倒的な数の軍隊を抱えるが故に、その大軍を支えるための兵站戦略を整備していた。中継都市や本国から創出した食料を、効率的に前線へと運び届けるインフラを整備し、兵の士気が低下しないための細心の注意を払っていた。
しかし、ギリシアが属するバルカン半島並びにペロポネソス半島の海岸線は長く、その補給路は長大に達し、沿岸の陸路は決して効率の良い輸送ルートとは言えなかった。陸路における兵站戦略が決して最善のものでないことを、ペルシア軍は理解していたのである。したがって、ペルシア軍の兵站は必然的に海路に依存していた。
艦船による食料の輸送は、陸上のそれに対して圧倒的に効率的である。大軍を支えるために行われる、ペルシア軍の必然的な兵站の形態を、実際にペルシア軍が襲来する十年前の段階で、テミストクレスは明察していた。更には、そのペルシア軍が抱える唯一の弱点を攻撃するための、唯一の手段を十年前から整備し続けていたのである。
つまり、海上の兵站を破壊し、ペルシア陸軍を機能不全にすること。それが、それだけがギリシアがペルシア軍を打倒するための唯一の方策であった。
◇
少子化すれば、移民は、ほぼ自動的に、カトリックだらけになる。
カトリックの屑工作員と、カトリックの言いなりになる屑マスゴミ、欧米のゴミ諜報機関は、全て、そのための使い捨て奴隷。
ほぼ全ての、卑劣な男性差別、オタク差別的な報道や、ネット上のステマは、九州と東北のカトリック工作員による仕業。
フェミ・ホモ・イケメンプロパガンダも、全てはこいつらが作っている。
それで、数えきれないほどの女が、大なり小なり、カルト去勢フェミ願望を持った、糞キモオタ腐女子のキモいガールになり果てた。
カトリック工作員が、完全に未来永劫赦されない罪を犯し、ほぼ全ての女が、少しずつそれに加担した。
バチカンに都合が良くない限り、中国の人口増加を、彼らが許すはずはない。
しかし、現実において、欧米は、人口が増加し続ける中国を、抑制するどころか、全力で投資し、増長させ続けた。
もし中国工作員が、フェミホモ男性・オタク差別工作をやってたとするなら、中国共産党は、紛れもなく、カトリック教会の傀儡で間違いない。
直接的に操っているのはイギリスだろうが。
過去に何度も書いたように、イギリスは、あらゆるカトリック工作員によって、傀儡とされている。
イギリスがプロテスタントの国、なんていうのはデタラメも良いところで、そもそもルターからして、カトリック出身の工作員であり、トマス・クロムウェルなんか、ローマ教皇庁で、枢機卿に仕えていたような輩であり、彼のどこをどう切り取っても、反カトリックの思想も動機も見出せず、完全にスパイだ。
他の、殆ど全てのプロテスタント指導者も、始めからカトリック出身の工作員である。
NHK出身者の作ったNHKをぶっ壊せ党も同じだが、組織に失望して寝返る、のは良いとして、そいつがいきなり、運動の全てを司り、支配し出すのは、完全におかしい。
その工作員の育成手法は、九州・東北・中共、全て共通している。
まず、自国民の生活を破壊し、出稼ぎしないと食っていけないように追い込み、難民同然の移民にする。(311、九州台風、中国の自滅的なコロナ対策を見よ)
そして、移民した先で、案の定、餓死寸前まで行ったところに、同郷組織のような連中がやってきて、取り込む。
あるいは、教会の、慈善部隊や福祉団体のような面を被った、工作員養成機関が、これを美味しく頂く。
ある国に敵対する国や勢力に、この工作を教え込ませ、教会の代理としてさせる。
それが連中のやり口だ。
これを許してるのは、安部・麻生をはじめとした、九州のカトリック売国権力者ども。
中国工作員は知らないかもしれないが、九州は、隠れキリシタンの浸透地域。
これは日本史の常識だが、中国工作員は、日本史なんて知らないだろうな。
多分、「九州は本土から遠くて、実は中国に身売りしたいから、隠れ反日なんだマンセーwww!!!」とか思って、安部・麻生みたいな連中の言いなりになってるんだろう。
カトリックが過半数になり、直接支配された後のザマは、メキシコが一番わかりやすい。
一部のカトリック権力者が、マフィアと組み、国民全てを奴隷として、殺し・犯し・搾取する。
カトリック権力者も、イタリアの貴族階級の枢機卿たち以外は、しょっちゅう首がすげ変わる。
中南米には、人権と、政治的な特権階級はなく、全てはその時その時で、バチカンに、最も都合の良い奴が選ばれ、信者の組織票により、民主的に権力を得る。
用なしになれば、どんなに尻尾を振ろうが、秒で殺される。
「地獄ですな」
「それは……」
遠慮の欠片もない物言いに面食らいながら、
と問いかけた。遠藤は豊かな眉の下からほんの一瞬時江を見据え、うむと唸っただけで答えなかった。その後すぐに客室係が上がってきて荷物の仕分けを見てほしいと遠藤を連れて行ってしまったので、それ以上の追求はできなかった。
「地獄か」
実を言えば遠藤の意見に時江も全面的に賛成だった。ウラジオストックは十二歳までの子供時代を過ごした思い出のある街だったが、名古屋城下はもとより郊外の農村でも、あそこと比べてしまえば極楽浄土と言えよう。時江が過ごした日本人街は地熱により冬でも凍らぬ湖を囲むように形成されており、周囲を幕府軍に守られていたし本土から物資も余るほど供給されていた。
しかしシベリア杉の林を抜けて一歩その外に出ると、そこには凍った森と痩せた農地が互い違いに続いているばかりだった。物々交換のために市を開けばロシア領の農奴たちが油や農具を求めて十分に育ちきっていない作物を持ってきたが、その多くは老人や女子供だった。若い男たちは農作業で手が離せないから、というわけではない。ロシア領では男児が生まれてなんと二歳になった春に軍隊の訓練学校に取られてしまう。そこで集団教育されて、病気や怪我をして不具になったり学業の成績が極めて悪いと村に戻されてくるが、そうでなければ四十歳の定年まで西部の戦線で従軍するのが普通という話だった。だから農奴の少女たちは恋を知らずに育つ。時期が来ると数少ない種の枯れていない不具か年長の男から選んでその子を身籠り、畑仕事に明け暮れながら女の子が生まれてきますようにと天に祈るのだ。それと比べれば自分は恵まれていると、当時の時江は信じて止まなかった。
しかしそれにしても、と幼い頃の時江は疑問に思ったものだった。そんなにまでして兵を集めて、西ではいったい、軍隊は何と戦っているんだろうか?
50万円のEVと話題沸騰した宏光ミニEV、ヨーロッパですでに販売されているらしい(実際はまだ一般向けに販売できてないという噂も)
で、価格はいくらなのかというと、€16000(今だけ€3000引きで€13000)
え?高くね?日本円で200万(いまだけ180万)だよ?
日産のサクラは航続距離1.5倍、4人乗りで240万(補助金なし)って考えるとひろみっちゃん大して安くなくね?
日本と欧米は大体規制は同じだからたぶん日本でもこれくらいの価格になるも思うから、なんか夢から覚めた気分
ただ、この宏光ミニEVは欧州の規制に合わせるためにラトビアで魔改造されたものらしいので、その魔改造を中国本土でやれば人件費分は安くなるかもしれない
てか、最低限規制満たすために魔改造150万分(ひろみっちゃん3台分)も必要とか、中国本土の人たちの安全は大丈夫なんですかね?
いきなりですが、自分は
考えています
多くの人が平和が大事だ、先人が文字通り血を流して勝ち取った平和なんだから
この世界に誇れる平和主義は守り通さなければ、今の生きている人の命を守らなければと言っています。
でも自分はそれについては、アドラー心理学で言うところの人生の嘘が多分にふくまれており、
結局皆死にたくないからポジショントークで言ってるだけだと思います。
つまり死にたくない、未来の人とか知らんとか、そういう情けない考えが本音なのに、
それにもっともらしく上に書いてあるような平和主義がいかに大事なのかをくくりつけて、嘘をみえなくしてる、
そういうふうに自分は思うのです。
それは自分は正しくなくて、今の生きている人間以上に大事なものがあるんじゃないかと思ってます。
それが日本の未来であり、威信であり、尊厳です。上の情けない考えには、そういうものを守るという
アリとかハチとかって全体で一個の生物なので、こんな感じで老いたアリとかは捨てられるし
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14130977279
ハチだって仕事をシフトで変えてるらしいんですが、徐々に仕事を危険なものにシフトしてるらしいです
(ダーウィンが来る、かなにかでやってました)
進撃の巨人でアルミンが死ななくちゃいけないのが仕事なら、しょうがない、死ぬのは嫌だけど、、って言ってたり
ハンターハンターで幻影旅団のリーダーが、ノブナガ、お前やウボォーは特攻だ、死ぬのも仕事の1つに含まれているって
言ってました。
そういうのを考慮して今の日本を見ると、あー死ぬ覚悟がないから大義がなくて、腑抜けてるんだなって思います。
正直プーチンとかは非難されてると思うんですけど、国としては正しいと思います。
戦争で死んだり、世界から非難されるかもしれないけど、それよりも国家の利益が大儀だからそれを優先したって
ことですよね?それ自体は普通だと思います。むしろ国家に大義が消失してる今の日本のほうがよっぽど異常じゃないっすか?
今の日本人が犠牲になったり、戦争で悲しい思いをするくるかもしれないですけど、
国の威信とか未来とか、そういうものがなくなっては国が消滅してしまうので、
立ち上がるのに必要だったけど
成長した今は、寧ろ今後の成長のための足かせになってるのでは?
守れるのか?
って思うんですよね。
Apexで安置の強ポジ取って
何も牽制しなかったら、どうなるか?
当然でしょ?ってこと
なぜそれがわからない?
これでもわからないというのであれば
ようやく気づくんじゃないの?
本当は今の人間の命よりも、大事な守らないといけないもんがあるんじゃないの?ってこと
そこに大義はありますか?ないですよね?じゃあダメですよね?ってこと
いつ始まるのかはわからないけど、おそらく
これはもう間違いない
大義を優先すること
でも平和平和行って、エゴを無視するのも同じくらい悪では?ってこと
全てはバランス
実際に戦争をするっていうのをやりつつも
これが正解ではないでしょうか?
極端から極端に移動するのって大体悪手。大体間違ってる
痩せよって思って
極端に食べ物抜いてガリガリになってる、、、みたいなのが今の日本
そういう悪手を取ってしまうんだと思う
まあそこまで原爆が強烈だったってことかな
戦争成分を入れる
具体的にはまずはサイバー戦争を始めましょう
冷やし中華始めました、のノリでサイバー戦争をガチでやっていきましょう
明治維新ではないけど
占領直後の性的暴行や強姦の件数については確定していないが、藤目ゆきによれば上陸後一ヶ月だけでも最低3,500人以上の女性が連合軍兵士によって被害をうけ、その後も1947年に283人、1948年に265人、1949年に312人の被害届けが確認されているがこれらは氷山の一角であり、藤目は占領とは「日本人女性に対する米軍の性的蹂躙の始まり」でもあったと述べている[8]。
その後も在日米軍による犯罪は続き、1952年5月から1953年6月の警察資料でも殺人8、過失致死435、強姦51、暴行704など合計4476件の犯罪が報告されており、1954年2月には宇治市大久保小学校4年生の女子児童が強姦されたあとに陰部から肛門まで刃物で引き裂かれる事件が発生し、ほかにも4歳の幼児が強姦され、危篤状態になった事件や、突然狙撃されて死亡した事件などが多発した[9]。
日本占領後、多くの市民は連合国軍の上陸によって日本女性が強姦されることを恐れていた。こうした懸念から、内務省警保局をはじめ各省庁および都道府県庁は、女性らに自宅待機、避難、日本人男性から離れずいるようにとの注意喚起、また米兵との接触を回避するよう勧告をしている。
米軍が最初に上陸するものと推測された神奈川県では、県警は若い女性や少女に避難勧告をしている[10]。内務省警保局の情報にも「神奈川県ハソノ特質上敵ノ最初ノ上陸地点タルベシトノ想像モアリ「敵ハ十八日ニ神奈川ニ上陸スル」ノ流言多シ」とあり、戦争関連の諸文書が一斉に焼却廃棄されるなか、行政機関当局にも相当の混乱があったことが窺える。主要港湾を擁する横浜市では、幹部職員の全員逮捕処刑を前提として、緊急措置として市民のうちの婦女子の疎開避難、女子職員の全員解雇などを決定し、これをきっかけとして丹沢方面への疎開騒ぎが広まっていた。
これに呼応し、政府は内務省警保局長名で特殊慰安施設協会(RAA)の設立について全国都道府県に打診し、東京都下の料理飲食業組合、芸子置屋同盟、待合業組合連合会など7団体代表者により、特殊慰安施設協会が急きょ設立され、協会を通し「性の防波堤」となる志願女性を募集した[11]。これにより、各所に「進駐軍将兵慰安施設」が設置され、一例として横浜の大阪商船ビル、日本造船大丸谷寮、箱根、江ノ島の新設施設などがこれに利用された。GHQ当局は1946年1月に、「非民主的であり、女性への人権侵害である」との理由から施設の閉鎖と公娼の禁止を宣言したが、占領軍兵士を相手とする「私的」売春は継続され、兵士たちの間で性病が蔓延した[12]。
ジョン・ダワーによれば、特殊慰安施設協会設置の効果もあり、占領軍の規模と比較すると日本政府の想定よりは強姦の発生率は低かったが、同時に性病の集団感染も引き起こした。一例としては、検査の結果1個師団の70%が梅毒、50%が淋病の陽性反応を示したため、これを主因として売春施設は閉鎖されることとなった[12]。
公娼施設の廃止後、強姦の発生率は約8倍に増加し、ダワーの調査によるとRAAが活動終了した1946年以降、日本人女性に対する占領軍将兵による強姦件数は一日平均40件から一日平均330件に急増した[13]。これに対してブルマは、「毎日40件以上の強姦が行われた可能性があるが、ほとんどの日本人は、アメリカ人は恐れていたよりも規律的だと認識していただろう」と述べている[14]。
テレーズ・スヴォボダは、慰安施設閉鎖後に強姦の報告件数が急増した事から、兵士に対する慰安婦の提供が強姦事件抑制に一定の効果があった事を認めている。スヴォボダはまた、一例として慰安施設の営業開始前に、待ちきれなくなった数百人の米軍兵士が二棟の施設に乱入し、そこにいたすべての女性を強姦した事件についても言及している[15]。 また、スヴォボダによると特殊慰安施設協会の廃止後少なくとも二件の大規模な集団強姦事件が発生している。
東京都の事例
スヴォボダおよび田中の調査によれば、1946年4月4日の深夜、3台の軍用トラックに便乗した米兵50人が東京都大森区(現・大田区)の中村病院に侵入し、号令の笛とともに約一時間の間に女性患者40人、女性職員37人を回姦凌辱した[16]。被害者のうち、2歳の幼女は事後床にたたきつけられ死亡したほか、止めに入った男性職員一名が殺害された[16]。
名古屋市の事例
また、田中によると、同1946年4月11日に名古屋市の住宅街に侵入した30人から60人の米軍兵士が地域内の電話回線を切断後、各家屋に同時に侵入し、10歳から55歳の女性を強姦している[17]。
マイケル・S・モラスキー(日本文学、日本語学研究者)によると、日本の警察の報告を読むかぎり、強姦やその他の重大犯罪は海軍を中心に広まっており、横須賀基地と横浜周辺における占領後最初の数週間の犯罪件数が突出しているが、日本本土全体では一般的ではなかった[18][19]。
上述のように、駐留米軍兵士による拉致、強姦、殺人は日本全体には波及していないものの、警察記録と報道記録が示している通り、凶悪犯罪を犯す兵士の多くが、1945年に日本に上陸し、最初の数週間の間に記録的件数の犯罪行為をおこなっており、占領最初の10日間だけで1336件の強姦事件が報告され、その後も9月一か月間の横浜市内での強姦事件は119件にのぼっている[20]。ダワーによれば、被害者が数人以内の場合には警察に報告すらされなかった。[21]
北海道の事例
歴史家の竹前栄治、ロバート・リケッツらは、米空挺部隊が上陸後、札幌市内において略奪、強姦、酔ったうえでの日本人への暴行などを働くことはまれではなく、強姦被害者の中には自殺した者も少なからずいたと述べている[22]。
ロバート・アイケルバーガー第8軍司令官は、非番の兵士から女性を保護するために日本人が自警団を組織した際、第8軍の装甲車に協力を命じ、事件の首謀者を逮捕したことを記録している。しかしダワーによれば、一方で強姦事件の中には警察に報告されないものもあった。
竹前とリケッツらによると、オーストラリア、英国、インド、ニュージーランド軍の一部によって構成され、中国及び四国の9県を占領していたイギリス連邦占領軍 (BCOF)も、また多くの強姦に関与していた。
オーストラリア軍は1946年に広島県呉市に上陸するとすぐジープで若い女性を拉致し強姦していた。被害者がほぼ毎晩助けを求めて泣き叫ぶのを聞いていたが、占領軍による犯罪行為の報道は封殺されていた[22]。中には、一人の少女が20人以上の兵士に回姦される事件もあった[23]。
イギリス連邦占領軍の公式報告では軍所属の将兵が1946年5月から1947年までの期間に57件、1948年1月から1951年9月の間に、さらに23件の強姦を犯し、有罪判決を受けたされる。しかしながら、1946年2月から4月にかけての英連邦占領軍による占領当初の重大な犯罪の公式統計は存在しない[24]。オーストラリアの歴史家ロビン・ゲルスターによれば、イギリス連邦占領軍の重犯罪公式統計は米国と同様に過小評価されているが、これには日本の警察が被害報告を占領軍に提出していない場合があり、これにより英憲兵隊が調査を行わなかった事も少なからず影響していると述べている[25]。
ジョン・ダワーによれば、GHQ当局は1945年9月から1952年の占領終了までの間、幅広い検閲(プレスコード)を日本のメディアに対して実施しており、開始当初には左翼活動や軍国主義、超国家主義的な思想といった思想分野が差し止め対象となっていたが、占領開始から数か月後にはこの範囲を大きく逸脱し、占領軍による強姦などの重大犯罪や社会問題も幅広く検閲の対象となっていた[26]。
竹前栄治とロバート・リケッツによると、占領軍は、1945年9月10日付連合国軍最高司令官総司令部令「占領活動に敵対的な全ての報告・統計発行物の違法化にむけた報道発表と事前検閲に係る規則」を定め、強姦などの重大犯罪に関する報道を統制していた。占領終了後、一部の日本の雑誌はアメリカの軍人が犯した強姦件数を発表している[22]。
中国本土では、比較的早い時期に新型コロナの封じ込めに成功し、以降は全国的には安定した状況となり、散発的な市中感染確認例が度々出現する程度だったが、今年(2022年)に入って以降はオミクロン変異株及びその亜種(いわゆる「ステルスオミクロン」等)の流入を受け、一部地域で比較的大規模な再流行が出現している。
中国の国家衛生健康委員会(NHC)が4月27日朝に公式サイト上で公表した情報によれば、同月26日の中国本土における新規市中感染確認者数は1818人(前日から90人減)だったとのこと。内訳は、上海市1606人、江西省56人、吉林省51人、北京市31人、黒竜江省25人、浙江省16人、江蘇省8人、内モンゴル自治区7人、山東省6人、河南省3人、湖南省2人、四川省2人、河北省1人、山西省1人、安徽省1人、福建省1人、重慶市1人。このうち上海市の1253人、吉林省の31人、浙江省の15人、江蘇省の4人、山東省の3人、江西省の1人、四川省の1人の計1308人が無症状から感染確認に転じた事案。中国本土で市中感染確認例が出現するのは193日連続、4桁となるのは46日連続。
もうとっくになくなってる元陸軍人の俺の祖父は海軍と沖縄人が大嫌いだった。祖父は太平洋戦争中は憲兵将校として市ヶ谷にいたらしい。しかし各地で前線指揮官になっていた帝大生士官たちがあまりにひどい有様でバタバタ死んでいくので、本来前線に出ない佐官も再び前線に立つようになった。尉官の時に満州で前線指揮の経験があった祖父も沖縄に行ったのだが酷かったそうだ。
本来軍が基地として使う予定の壕が沖縄の現地民でごった返している。ここに入れろと喚いて強引に入ってきたらしい。帝大生指揮官たちは気弱なところがあって入れてしまったそう。沖縄の人間たちが戦前準備を怠け過ぎてロクな壕ができてなかったのが原因。もう沖縄には逃げる場所なんてほとんどなかったそうだが、ここに置いておくわけにはいかない。それでなんとか祖父たちが兵士に命じて無理やり追い出したらしい。その時祖父たちは沖縄の人たちがおにぎりや揚げ菓子みたいな大量の食糧を持っていたことが気になった。後から現地を調査してわかったのが沖縄は本来納めるはずの食糧を全く国に収めず隠していて、町ぐるみで徴兵逃れをしていたこともわかった。つまり本土の人間に比べて戦争に協力する気が全くなかった。極め付けは後から来た将校たちから「阿南閣下たちが何やらずっと会議している。もしかしたら降伏かもしれん」という話が漏れた時。あろうことか沖縄の人たちの何人かは「Welcome」「Help」『Hello』と英語で書かれた米軍へのアピール用の垂れ幕とかを秘密裏に作ってた。発見した祖父たちは激怒して民宿か何かをやってたその現地民たちを顔が変形するくらい殴って半殺しにしたらしい。
そんで戦争が終わってみると、結局責任のほとんどを陸軍がかぶることになった。なぜかといえば陸軍が必死に戦っているうちに海軍部はアメリカとコンタクトをとりながら、太平洋戦争への海軍の関与を示す書類を次々と処分していたから。
祖父は佐官と言っても重要な会議なんかに関わる立場になかったし、占領地での勤務もなかったため短期間の公職追放のみで処罰や逮捕はなかった。その後いろんな仕事をして最後は知り合いの作った貿易会社に落ち着いた。それから孫の俺が産まれたんだが、祖父は陸士の同期や軍での部下には物凄く気にかけていたが、決して沖縄の人間と海軍人を許さないまま亡くなった。
・製造業の国内回帰は「人が足りない」「給料が安すぎる」ので無理
・それでもやりたいなら?
円安が継続するとすれば、日本国内に工場を作った方が利益が出ると考える気がするのだが、そこらへんはどうなのだろうか。
昨今の円安も相まって最近再びよく目にするようになったが結論から言えば不可能
国内企業が海外で雇用している現地法人常時従業者数は約420万人
仮に10%が国内に回帰するとしても42万人だが、日本国内の労働人口は減少が著しい
国内の製造業就業者数については、2002年の1,202万人から2020年には1,045万人と、約20年間で157万人減少し、全産業に占める製造業就業者の割合も減少傾向。
さらに完全失業率は2.7%という低水準であり、既存製造業の維持でさえ手一杯だ
海外事業活動基本調査 第50回 調査結果(2019年度実績)
現地法人に関する集計表 2-2 11 常時従業者数、12 常時従業者数内訳、13 売上高、14 売上高内訳、15 仕入高及び仕入高内訳、16 営業費用及び営業費用内訳、17 経常利益、18 法人税等
ここから企業が海外で雇っている労働者1名当たりいくら払っているかを計算する
販売費・一般管理費 2659954百万円(841集計企業数)
常時従業員1人当たりの販管費 2659954 / (921 / 841) / 513807 = 517万円
販売費・一般管理費 1819962百万円(2952集計企業数)
常時従業員1人当たりの販管費 1819962 / (3164 / 2952) / 1066305 = 170万円
販売費・一般管理費 1254706百万円(2096集計企業数)
常時従業員1人当たりの販管費 1254706 / (2235 / 2096) / 1238434 = 101万円
年収170万円で働く日本人を100万人、年収101万円で働く日本人を123万人増やすことが可能か?
当然不可能だ
共和党のトランプのときはもちろん民主党のバイデンでさえ、貿易赤字と雇用者保護を理由に許してくれないだろう
21世紀に入り製造業の国内生産と輸出が衰退した日本とは対照的に、ドイツは現在でも国内に強大な製造業を抱えている
日本と同様に少子高齢化に悩むドイツはなぜ労働力を工面できたのか
理由は主に2つある
1. EU
単一通貨ユーロ導入による通貨安と、ヨーロッパという世界最大の統一市場の獲得
2. 労働力
ドイツの総人口に占める外国人人口の割合は帰化した外国人の比率は「22.5%」だ
はたして日本国民がさらに大規模な外国人移民の受け入れを希望するだろうか
まあ不可能であろう
久々に怒りの感情が湧き上がってきたので発散も兼ねて書く。
https://ygoza.hatenablog.com/entry/2022/04/07/102424
この記事を読んだ。
怒りの対象は、ここに挙げられている「沖縄へのヘイト」の項目だ。主に3点が気に障った。
・「沖縄」を利用しているだけに感じられる
私は沖縄の人間だ。なのでこれらの点は、すごく感情に響く。一つ一つ書いていく。
前提として、昔は本土では沖縄人は社会的弱者だった、と認識している。マイノリティで、差別の対象であり、先人たちは苦しい思いをした。
だが、今は、そんなことはない。そのはずだ。沖縄人が日本社会で生きていくのになんの支障もない。
ただ、それでもやはり、年配の人と話すときには少し緊張する。彼らは沖縄人を土人と呼ぶ空気の中で生きてきたはずで、それが残っているかもしれないから。幸い、実生活では差別を感じたことがない。
でも、ここでは、具体的に、沖縄へのヘイトを社会的弱者へのハラスメントとして挙げた。今でも、そう思ってるのだという裏書きに等しい。
まぁ、わかるよ?人種差別と同列に書いてるわけだし、「あらゆる差別」と同じような意味で書いたんだよね?でも、当事者にとっては、看過しにくい違いだとおもう。沖縄人への差別反対、はありがたくても、沖縄人という社会的弱者への差別反対、は、なんか嫌だ。
当該記事の番号でいうところの6.は、強いて言うなら「過激な基地反対派」への中傷であり、沖縄というよりは政治的主張を根拠にカテゴライズされる人々への攻撃。7.は、ツイート中では明文化してはいないが、穿って読めば、沖縄独立運動を画策する中国の関与を勘ぐる陰謀論。8.は、「あなたたち」への決めつけであり、このあなたたちも政治的主張で括られてる集団を想定してるように読める。(前後のツイートがわからないが、「米兵の性犯罪、いい加減にしてほしい」に対してのリプライなら自分とは相容れないと思うが、沖縄へのヘイトか?というと…)
どこかで、「沖繩人はほぼ全員特定の政治的主張を持っている」という発言があれば、上記は沖繩人への発言になりうるけど、それもないし、むしろ気になるのは、これを摘示した側の「この『特定の政治的主張を持つ集団』が沖縄代表だ、と思ってる」という意識の現れに見えることだ。
なので、攻撃に感じない言葉たちを「勝手に」攻撃だとされているように思えてしまう。
③「沖縄」を利用しているだけに感じられる
これらの項目は、最終的に受信者を非難するために使われている。正しく、沖縄の人間の被害を代弁してくれているならありがたい。
だが、上記で述べてきたように、二重の違和感がある。そして、それがあるがゆえに、頻繁に本土に利用されてきた歴史から、「またか」の思いを禁じえないのである。