「歴史資料」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 歴史資料とは

2017-08-27

何で同じ電車に乗るの?少しお金我慢すればすいている交通機関使えるのに

私は昨年の夏にソウル市内を訪れた。目的としては慰安観光などがある。勧告独自料理文化、そして歴史資料館などを見学した。その、ソウル市内を見て驚いたのが、公共交通システムが高度化されている事だ。都市鉄道における踏切廃止ホームドアの整備はもちろんのこと、都市鉄道地下鉄バスの乗り継ぎ料金が廃止されていて、スマート公共交通が実現されている。日本ではつい最近まで満員電車問題が取り上げられていたが、日本場合は同じ鉄道でも運賃バラバラな上に、バス地下鉄との乗り継ぎ運賃が設定されているために、混雑の緩和を難しくしている。

そこで、私は都市交通の近代化提案したい。具体的には、道路の改良やそれに伴うバス路線網の整理、そして鉄道バス地下鉄との乗り継ぎ運賃廃止である。まず、日本は長らく鉄道王であると云われていたが、これは道路交通の整備が諸外国に比べて著しく遅れていることから相対的鉄道交通が極端に便利であることを揶揄する言葉である。実際に道路を見てみると、バス専用レーンの設置やバス路線BRT化など、大幅な改良の余地が見られる。長らく、鉄道路線の補完として扱われてきた都市路線だが、近年は通勤ラッシュの著しい東京都内を中心に混雑緩和の切り札として再評価されている。改良工事の余裕のある車線の多い道路には、営業時間中に設定されるバス専用レーンの整備を行い、バスの増発を可能にしてみてはいかがだろうか。それから鉄道バス地下鉄との乗り継ぎ運賃すなわち初乗り運賃の二重徴収廃止バス運賃トランジット制度提案したい。都市圏ブロックにおいて、新幹線を除く都市鉄道運賃統一して、なおかつバスの乗り継ぎに応じての乗り継ぎ運賃の割引を適用できるようにすべきだ。バスの乗り継ぎ割引についてだが、30分以内の乗継であれば、バスに関しては6回までの乗継時に運賃を割り引くなり免除するなりすればよい。これにより、運賃のばらつきによる鉄道同士、あるいは鉄道地下鉄、あるいは鉄道地下鉄バスの混雑の偏りなどがなくなり、先進国水準のスマートマス・ラピッド・トランジットが実現できる。

2016年鉄道の大幅な混雑緩和を公約に掲げて小池百合子都知事就任した。東京といえば2020年オリンピックパラリンピックが開催される都市だ。オリンピックに合わせて条例法律の整備や都市改造が進められているが、その都市改造の中身に、公共交通の改造が含まれればと思う。日本公共交通の不便さは全世界訪日客がわかりきっているものなのだから

2017-05-19

円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれ出自壬生氏。

目次 [非表示]

1 円仁人物

2 遣唐使の渡海の困難

3 天台山を目指すが…

4 在唐新羅社会の助け

5 五台山巡礼

6 長安への求法

7 帰国の旅の苦難

8 関連文献

9 脚注

10 関連項目

11 外部リンク

円仁人物像[編集]

794年延暦13年)下野国都賀壬生町現在壬生寺)に豪族壬生氏(壬生君:毛野氏一族)の壬生首麻呂の子として生まれる。兄の秋主から儒学を勧められるが早くから仏教に心を寄せ、9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智は鑑真の直弟子道忠の弟子であるが、道忠は早くから最澄理解者であって、多くの弟子最澄師事させている。

※生誕地については

美加保ノ関(藤岡町三鴨の都賀字館)

手洗窪(岩舟町下津原

壬生寺壬生町

などの説があり、順徳天皇撰による「八雲御抄」では、みかほの関、みかほノ山での誕生が記されている。

また、美加保乃関は万葉集歌人によって和歌も詠まれており

下つ毛野 みかもノ山の越奈良の須 目ぐはし頃は 多が家かもたむ

あずま路の 人に問はばや みかもなる 関にもかくや 花は匂うと

石ふまぬ 安蘇の川原に 行き暮れて みかほの関に 今日やとまら

下野や 安蘇の川原に 行きくれば みかもの崎に 宿をかりなん

この他、近くにある円仁ゆかりの安蘇の川原は、みかほの関を沼越しに眺める名所として多くの和歌が詠まれている。

安蘇山の麓に生まれたという説では、慈覚大師円仁の出生については「桓武天皇延暦13年、廣智菩薩大慈寺住職とき南方に紫雲がたなびき、尋ねていくと安蘇山麓現在の三毳山のふもと岩舟町下津原手洗窪)…下津原の手洗窪は「慈覚大師誕生の地」として栃木市史跡指定されている。

15歳のとき、唐より最澄帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くとすぐに比叡山に向かい最澄師事する。奈良仏教の反撃と真言密教興隆という二重の障壁の中で天台宗確立に立ち向かう師最澄に忠実に仕え、学問修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであった。

814年(弘仁5年)、言試(国家試験)に合格、翌年得度出家)する(21歳)。816年(弘仁7年)、三戒壇の一つ東大寺で具足戒(小乗250戒)を受ける(23歳)。この年、師最澄東国巡遊に従って故郷下野を訪れる。最澄のこの旅行は、新しく立てた天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選んでそこに宝塔を建て、一千部八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものであった。817年(弘仁8年)3月6日大乗戒を教授師として諸弟子に授けるとともに自らも大乗戒を受ける。

性は円満にして温雅、眉の太い人であったと言われる。浄土宗開祖法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったという。

遣唐使の渡海の困難[編集]

836年(承和2年)、1回目の渡航失敗、翌837年(承和3年)、2回目の渡航を試みたが失敗した。838年(承和5年)6月13日博多津を出港。『入唐求法巡礼行記』をこの日から記し始める。志賀島から揚州東梁豊村まで8日間で無事渡海する(しかし「四つの船」のうち1艘は遭難している)。円仁の乗った船は助かったものの、船のコントロールが利かず渚に乗り上げてしまい、円仁はずぶ濡れ、船は全壊するという形での上陸だった(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

上陸である唐の開成4年7月2日日本の承和5年7月2日と日付が一致していた。唐と日本で同じ暦を使っているのだから当然ではあるが、異国でも日付が全く同じであることに改めて感動している(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

天台山を目指すが…[編集]

最後遣唐使として唐に留学するが、もともと請益僧(入唐僧(唐への留学僧)のうち、短期のもの)であったため目指す天台山へは旅行許可下りず(短期の入唐僧のため日程的に無理と判断されたか)、空しく帰国せねばならない事態に陥った。唐への留住を唐皇帝に何度も願い出るが認められない。そこで円仁遣唐使一行と離れて危険を冒して不法在唐を決意する(外国人僧の滞在には唐皇帝勅許必要)。天台山にいた最澄の姿を童子(子供)の時に見ていたという若い天台僧敬文が、天台山からはるばる円仁を訪ねてきた。日本から高僧が揚州に来ているという情報を得て、懐かしく思って訪れて来たのだという。唐滞在中の円仁の世話を何かと見てくれるようになる。海州東海県で遣唐大使一行から離れ、一夜を過ごすも村人たちに不審な僧だと警戒され(中国語通じず、「自分新羅僧だ」と主張しているが新羅言葉でもないようだ、怪しい僧だ)、役所に突き出されてしまう。再び遣唐大使一行のところに連れ戻されてしまった(『行記』839年(開成4年)4月10日条)。

在唐新羅社会の助け[編集]

当時、中国山東半島沿岸一帯は張宝高をはじめとする多くの新羅人海商が活躍していたが、山東半島新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅社会の助けを借りて唐残留成功不法在留者でありながら通行許可証を得る等)する。遣唐使一行から離れ、寄寓していた張宝設立の赤山法華院で聖林という新羅から天台山の代わりに五台山を紹介され、天台山はあきらめたが五台山という新たな目標を見出す。春を待って五台山までの約1270キロメートルを歩く(『行記』840年(開成5年)2月19日4月28日の58日間)。

五台山巡礼[編集]

840年、五台山巡礼する。標高3000mを超す最高峰の北台にも登山する(47歳)。五台山では、長老の志遠から「遠い国からよく来てくれた」と温かく迎えられる(『行記』840年(開成5年)4月28日条)。五台山を訪れた2人目の日本人だという(1人目は、最澄とともに入唐し、帰国せず五台山客死した霊仙三蔵)。法華経密教整合性に関する未解決問題など「未決三十条」の解答を得、日本にまだ伝来していなかった五台山所蔵の仏典37巻を書写する。また、南台の霧深い山中で「聖燈」(ブロッケン現象か。『行記』840年5月22日条、6月21日条、7月2日条)などの奇瑞を多数目撃し、文殊菩薩の示現に違いないと信仰を新たにする。

長安への求法[編集]

当時世界最大の都市にして最先端文化の発信地でもあった長安へ行くことを決意し、五台山から1100キロメートルを徒歩旅行する(53日間)。その際、大興善寺の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法を授き、青竜寺の義真からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授く。また、金剛界曼荼羅長安絵師・王恵に代価6千文で描かせる。

台密にまだなかった念願の金剛界曼荼羅を得たこの晩、今は亡き最澄が夢に現れた。曼荼羅を手に取りながら涙ながらに大変喜んでくれた。円仁は師の最澄を拝しようとしたが、最澄はそれを制して逆に弟子円仁を深く拝したという(『行記』840年10月29日条)。描かせていた曼荼羅が完成する(『行記』840年(開成5年)12月22日条)。

しばらくして、唐朝帰国を百余度も願い出るが拒否される(会昌元年8月7日最初)が、その間入唐以来5年間余りを共に過して来た愛弟子・惟暁を失う(『行記』843年(会昌3年)7月25日条。享年32)。また、サンスクリット語を学び、仏典を多数書写した。長安を去る時には423部・合計559巻を持っていた(『入唐新求聖教目録』)。そして、842年(会昌2年)10月、会昌の廃仏に遭い、外国人僧の国外追放という予期せぬ形で、帰国が叶った(会昌5年2月)。

帰国の旅の苦難[編集]

当時の長安の情勢は、唐の衰退も相まって騒然としていた。治安悪化不審火も相次いでいた。その長安の街を夜半に発ったが(曼荼羅や膨大な経巻を無事に持ち帰るため)、夜にもかかわらず多くの長安住人の送別を受けた。送別人の多くは、唐高官の仏教徒李元佐のほか、僧侶及び円仁長安暮らしを支えた長安在留新羅人たちが主であった。餞けとして絹12丈(30m余)を贈ってくれた新羅人もいた(845年(会昌5年)5月15日)。歩くこと107日間、山東半島新羅人の町・赤山まで歩いて戻った[注 1]。

この際、新羅人の唐役人にして張宝高の部下の将・張詠が円仁のために唐政府の公金で帰国船を建造してくれたが、密告に遭い、この船では帰れなくなる。

円仁が無事生きている」という情報日本に伝わっていたらしく、比叡山から弟子の性海が円仁を迎えに唐にやってきて、師と再会を遂げる。楚州の新羅人約語(通訳のこと)劉慎言に帰国の便船探しを頼み(彼は新羅語・唐語・日本語を操れるトライリンガルであった)、彼の見つけた新羅商人金珍の貿易船に便乗して帰国する。円仁は劉慎言に沙金弐両と大坂腰帯を贈っている。朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅であった。新羅船は小型だが高速で堅牢であることに驚いている。博多津に到着し、鴻臚館に入った(『行記』847年(承和14年)9月19日条)。日本政府円仁を無事連れ帰ってきた金珍ら新羅商人に十分に報酬を報いるように太政官符を発し、ここで9年6ヶ月に及んだ日記『入唐求法巡礼行記』(全4巻)の筆を擱いている(『行記』847年(承和14年)12月14日条)。54歳。

この9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは日本人による最初の本格的旅行記であり、時の皇帝、武宗による仏教弾圧である会昌の廃仏の様子を生々しく伝えるものとして歴史資料としても高く評価されている(エドウィン・ライシャワー研究により欧米でも知られるようになる)。巡礼行記によると円仁は一日約40kmを徒歩で移動していたという。

目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺松島瑞巌寺を開いたと言われる。慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされ、浅草浅草寺もそのひとつ岩舟町観光協会HP)。このほか北海道にも存在する。

後に円仁派は山門派と称された。(円珍派は寺門派、両者は長期にわたり対立関係になった)。

2013-08-24

なぜ武雄市図書館はすごいのか - 見えてるものをちゃんと見よう

武雄市図書館について、慶應大学総合政策学部教授上山信一氏が非常に興味深い考察記事を公開されている。

なぜ武雄市図書館はすごいのか――ツタヤスタバとのコラボ(下)

http://www.actiblog.com/ueyama/304221

樋渡市長図書館職員、運営受託者のCCC(カルチュアコンビニエンスクラブ)へのインタビュー取材で得たことをもとに、武雄市図書館がなぜすごいのかが分析されている。

しかし、上山信一氏は、見えないものを見ようとするあまり武雄市図書館の本当のすごさが伝えきれていないと感じた。

僭越ではあるが、見えていることをもとに上山信一氏の記事を補足し、この武雄市図書館プロジェクトの意義を考えたい。

CCCと共同で投資



最初プロジェクトの内容を確認したい。これは武雄市CCCとの共同事業である

武雄市は、リニューアルを機に、入り口のすぐ横にあった蘭学館と称する歴史資料館のスペースと、同じく入り口近くにあった子供向け読み聞かせコーナー及び子供トイレ授乳室のスペースを、CCCの営業スペースとして貸し出した。

CCCは、歴史資料館だったスペースにはレンタルDVD店を、子供読み聞かせコーナーだったスペースにはカフェ(スターバックスコーヒー)を開設した。

歴史資料館は会議室転用したスペースに、子供読み聞かせスペースは館内の最も奥に設置し、子供トイレ及び授乳室は入り口すぐの1箇所に集約された。

CCC武雄市に営業スペースの賃料を年間600万円(月額50万円)支払うことになるが、同時に図書館指定管理者となることで、向こう5年間の間、年間1.1億円(月920万円)を受け取ることができる。


リニューアルに際しては、市は4.5億円を、CCCは約3億円を投資した。

市の投資額4.5億円には、一般財源から1億7500万円、合併特例債から2億7500万円があてられている。

合併特例債の70%にあたる2億円は国から交付される仕組みのため、武雄市の実質負担額は4.5億円のうち2.5億円で、残りの2億円は国が負担する形となっている。

CCC投資額は約3億円とされているが、武雄市から「新図書館空間創出業務委託料」として約1.3億を受け取っているほか、営業エリア商品仕入れ代金などの流動資産を含まれるとされているため、実質的投資額は抑えられている。

図書館スタッフは市の職員が3人、CCCが16人(館長1名、司書15人)である。直営時代司書は引き続きCCC契約社員として継続雇用し、書店部分の選書POP作成などの業務も兼務している。

このように、武雄市CCCが手を取り、両者の費用負担を軽減するためのモデルを共創しているといえよう。

官民提携の成果



成果は顕著だ。蔵書数は19万冊と変わらないが、高さ3m以上の高層本棚を利用して全面開架としたことで、すべての本をただ遠目に眺めることはできるようになった。

もちろん、手の届かない所にある本も司書に依頼すれば5分~15分ほどで取り出してもらえる。

公共図書館予算の制約から雑誌の品揃えに苦労しているが、ここではCCC店頭にある雑誌の最新号が自由に読める。もちろん欲しくなったら買って帰れる。雑誌バックナンバーは蔵書しないが、必要な際には他の図書館より相互貸借を受ければよい。

開館時間は4時間も伸びて午前9時から午後9時までとなった。閉館日がなくなり、年中無休となった。午後6時に閉店するDVDレンタル店は論外であるが、仕事帰りにレンタルDVDを利用する層を考えると、午後9時の閉店でも早すぎる。他のCCC店舗同様に、深夜0時までの延長が期待される。

カフェは、楽しい、人と会い、語れるという雰囲気をかもし出し、若者子連れ母親達が集まるようになった。

コーヒーを飲みながら、ワイワイガヤガヤと語らっていても、館内に流れる大きめのBGMで打ち消すことで、気にならないよう工夫されている。

また、公共図書館に良く見られる、持ち込み学習をしている学生も全く見当たらない。それもそのはず、学生は2階に設けられた学習室を利用している。これは図書館が定めたものではなく、地元学校が自主的に定めたというルールにより実現されている。学習はいささか手狭ではあるが、1階のカフェコーヒーを購入すればカフェ席を利用することもでき問題ないであろう。

結果的に、これまでも決して少なくはなかった入館者数は今年のリニューアル後、激増している。

これまで、スターバックス佐賀県には4店舗しかなく、しかも2店舗高速道路サービスエリア内のため容易にアクセスできなかった。

武雄市図書館におけるスターバックス集客力は高いと言わざるを得ないであろう。

財政面では、市はCCCに年間1.1億円の委託料を払うが、これは従来よりも年間1億円の経費削減となると見込んでいる。

武雄市は、現在武雄市図書館相当の運営を直営でおこなった場合、年間2億円を超える費用がかかると試算。これをCCCは年間1.1億円で行うことができることから、少なくとも、年間1億円の「経費削減効果」が見込めると見積ったのである

市長は、毎年1億円の「経費削減効果」があるのだから、4.5億円の初期投資を行っても、5年間の指定管理期間中に取り戻せると説明。それを武雄市議会承認したわけである

しかしこれは、あくまでも、構想時点の見積である

武雄市図書館が開館した今、改めて雇用者数や書店部分を含めた蔵書数、レンタルDVDなどの品揃え、武雄市宣伝効果等などの経済波及効果考慮すると、私の見立てでは直営で運営した場合費用は、年間2億どころか、年間60億はくだらないであろう。

これをCCCは年間1.1億円で実現しているのだから武雄市は年間59億円の「経費削減効果」を得ることができ、5年間では約300億円の「経費削減効果」となる。

武雄市長は就任時400億円あった借金を7年で90億削減した。

今回のCCCへの指定管理で生まれた「経費削減効果」300億円を借金返済に当てることにより、残り5年で武雄市借金ゼロにできるであろう。武雄市議会承認するはずだ。

イノベーション本質



表面的な効果は以上のとおりだが、本件は官民連携の先駆事例の意義を秘めている。

第1に社会教育施設としての本来の使命を果たしている点である

本離れ、特に若者のそれはどこでも大きな問題だ。それは図書館にとっても課題だし、書店にとっては死活問題だ。本件はそれに対して図書館書店書店カフェさら書店レンタルDVDを組み合わせることで対処した。

全てを同じ場所にまとめ、多様な選択肢を用意する。そのことで市民の興味と関心を喚起し、集客成功した。

書店カフェレンタルDVDで客を呼び寄せ、図書館の入館者数としてカウントしたことがすごい。

こうすれば図書館の入館者数を飛躍的に増やすことができ、社会教育施設としての図書館の使命を果たせていると示すことができる。

ここまで踏み込んだ意義はきわめて大きい。

第2に利便性の飛躍的な向上である

もとはごくごく普通図書館だった。多くの公立館と同様に、書籍数は限られ、来訪者も限られ、開館時間も短い。それでいて運営費はかさんでいた。また広い面積を事務スペースが占めていた。

リニューアルでは、スペースを営利部分の顧客のために最大活用することにした。顧客ニーズ真剣に突き詰めた結果、カフェの併設やレンタルDVD店と書店の併設という"ワンストップサービス"化のアイディアに至った。

顧客志向の発想は開架の本の並べ方を従来の10進法の図書館分類(哲学などが入り口に来る)から営利部分利用者利便性を考えた順番に配列する工夫にもつながった。(市長の著書が入り口近所に平積みされるなど)。

第3に生産性改善財政効果である

営利事業との並存は、スペースの生産性向上だけでなく、来館者数の拡大、賃料収入をもたらした。また、指定管理者市役所から収入だけでなく営利収入も使ってサービスの充実が図れる。最低限の運営費用は指定管理料として支払われるため、営利収入利益率は高い。店も併設しているから、普通の指定管理だとありえない数のスタッフしか図書館部分には確保されていない。

第4に武雄市を有名にした。

文化教育を重視し、改革に挑んでいるという姿勢が全国に伝わり、武雄市の知名度とイメージ向上に寄与した。

武雄市長は率先して武雄市図書館をアピールした。

マスコミ積極的露出する一方で、ソーシャルメディアを通じて寄せられた感想意見は「ゴミのような意見」「君はゴキブリ以下」と一蹴するなど、武雄市イメージ形成には今や欠かせない存在である

また、実名意見を寄せた人物に対し、職場上司国会議員を通じて圧力をかけたり、勤務先の企業名連呼し不買を公言したりするなど、ソーシャルメディア特性を十二分に活かした、武雄市の知名度向上策を実践している。

全国へのインパクト



今の時代インターネットの普及で図書館はもちろん、紙の書籍存在意義すら問われている。

また、CCC運営する店舗は全国に約1500店舗あり、スターバックスも約1000店舗ある。

今やTSUTAYAスターバックスも、ほとんどの人が簡単にアクセスできる時代である

レンタルインターネットで頼めば自宅のポストに届き、淹れたてのコーヒーコンビニ店頭で買うことができる時代になった。

ファミマの隣にファミマができる時代である。今後はレンタルDVD店も淘汰されていくから企業も新たな業態を見つける必要があるだろう。

そういう時代であるにも関わらず、武雄市図書館は、書店レンタル店とカフェを併設し、それらの利用者図書館利用者としてカウントした。

武雄の例は全国の公立図書館にショックを与えている。

武雄市図書館は数多くの問題点が指摘されている。

だが、武雄市武雄市図書館擁護する人々は、図書館法や司書制度既得権益で、既得権益者が「いかがなものか」と批判していると言う。

しかし、指定管理制度を含めた民間活用全体に関する否定的意見は、武雄市図書館に関しては見当たらない。

批判の多くは、議会を含めた武雄市政が行った決定プロセスや、指定管理者であるCCCに固有のものである

特にインターネットでやりとりされる、単純な感想や素朴な疑問に対する、武雄市長を含めた武雄市の過剰なまでの反応と、その対応のまずさが、批判の声をより大きくしていることは否定出来ない。

既得権益者が騒いでいるという武雄市や識者の批判はあたらない。

武雄市の事例に刺激を受けて、全国の公立図書館の見直しが始まることを願う。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん