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はてなキーワード: 陸路とは

2023-03-12

関西出身ワイちゃんが気づいたこと。

東京にいると軽井沢東北に移動するのが安くなるポイント制度がある。北海道沖縄飛行機で安く行けるが。陸路を行く大阪神戸は高いっていうか、東京大阪間みたいな超メジャー路線割引などないため。通常価格で高く感じる。

そんで出身でもなければ関西に何があるかわからない上に、単にリラックスしたいだけの人なら割高の地域旅行する気は起きないと。

 

東京から大阪神戸京都に行くのは、沖縄北海道とかのどこよりも心理的ハードルが高い。草はえる。

反面大阪には国際線のある空港が二つある上に周辺圏に歴史的遺産が多い。

ので、大阪神戸京都国際線からやってきた外国人観光客で山盛りになっているのだな。国内旅行者は少ないのだなと思いました。

 

じゃあ関西の人どこに遊びに行くんですか?ってことなんだけど。大阪在住なら京都神戸は日帰り可能なので泊まらないしな…。強いていうなら兵庫オーベルジュハッスルするとか。和歌山の美しい海を見に行くとかかな?

 

この話は逆も然りで大阪から軽井沢金沢新潟に行くのは心理的障壁が高い。

2023-01-25

anond:20230125024514

うそう、陸路輸送とかできないし、放射性物質ベッタリの廃棄とかどうしろとってなるわな

2022-09-25

マンデ族はマンデ語を話す民族である

マンデ族は、特に西アフリカ西側に多く存在する。マンデ族は主に東マンデと西マンデの2つのグループに分けられる。

西マンデ族の一派であるマンディンカ族マリンケ族、バンバラ族、ディウラ族)は古代西アフリカ最大の帝国建国したと言われている。マンデ族には、ソニンケ族、スス族、リグビ族、ヴァイ族、ビッサ族などの小集団がある。

マンデ族は、沿岸熱帯雨林からサヘル地帯まで、さまざまな環境に住んでいる。料理文化信仰も多様で、主に言語グループによって組織されている。現在、彼らはイスラム教徒が多く、カースト制度に従っている。

サヘル地域に住むマンデ族、マンディンカとソニンケは、個々の部族所属を超越していると言われている。マンデ族の影響は、歴史的にすぐ近くの地域はるかに超えて、サヘルとサバンナに住む他の近隣イスラム西アフリカグループへと広がっていった。マンデ族はニジェール川を下るか、または陸路貿易を行い、ガーナ帝国マリ帝国、カアブ、ワスールーの拡大とともに軍事的征服を達成した。

マンデ語を話さないフラ人、ソンガイ人、ウォロフ人、ハウサ人、ヴォルタ人は、程度の差こそあれ、マンデ族の世界観衣服、その他の文化財(共通文字建築料理社会規範)と密接に連携している。

2022-09-22

飛行機チケット買えないなら

陸路ウクライナに逃げれば良いんじゃないの?

2022-08-21

もしも昭和アイドル田村ゆかり全国ツアーがあったら(という鉄

プロローグ

もうすぐ神楽坂ゆか生誕祭である昭和アイドルっぽさを感じさせる彼女は、もともとは「田村ゆかり」という名前デビューしたと記憶している。

ところで、たまたま先日購入した1978年10月「ゴーサントオ」の時刻表復刻版がある。

https://jtbpublishing.co.jp/topics/CL000461好評の「時刻表復刻版」第6弾 特急時代の幕開け!「ごお・さん・とお」(1978年10月号)ダイヤ改正号 『時刻表復刻版 1978年10月号』 2022年5月23日(月)発売 | 株式会社JTBパブリッシング

https://www.amazon.co.jp/dp/4533149782/

この年は音楽番組ザ・ベストテン」の放送開始の年でもあり、「レッツゴーヤング」「トップテン」「ヒットスジオ」といった番組ゴールデンタイムを彩った時期でもある。キャンディーズ解散し、レコード大賞ピンクレディーが獲得し、山口百恵活躍していた。

いま挙げたようなレジェンドともいうべき女性アイドルたちが全国ツアーを開催していたかどうかは定かではないが、もしもそんな昭和時代に我らが田村ゆかり全国ツアーがあったなら、皆どういう感じで移動していたのだろうか…などと、時刻表を見ていてふと考えてしまったのが懐古鉄オタの性というもの

そんなわけで「もしも昭和トップアイドル田村ゆかり全国ツアーをやっていたら王国民はどうやって民族大移動したのだろうか?」というテーマこそ壮大ながら実際は老眼に抗って縮刷版の時刻表にらめっこして連敗した駄文をそっと放流したいと思った所存。

今年もツアーはあったが、過去最大25公演を誇る2021年の*Airy-Fairy Twintail*の開催地からいくつか選んで当時の時刻表に沿った旅程を考えてみたい。

なお毎日運転ではない季節列車臨時列車は極力排した。仕方ないね

1

初日大宮公演だった。

当時はソニックシティはまだなく、大宮商工会館なる施設が同じ場所にあったらしい。1979年にはサザンオールスターズが公演しているらしいので、昭和トップアイドルもひょっとしたらステージに立っていたかもしれない。

https://www.livefans.jp/venues/1204

この頃は上野東京ライン湘南新宿ラインも、埼京線さえも存在しなかった。国電京浜東北線103系東北本線高崎線115系で到着した大宮駅の片隅には首都圏色の川越線気動車が、反対側には東武野田線の吊り掛け駆動車が見られたはずだ。

2

鉄道旅行的に見せ場になるのが金沢松本公演。

北陸新幹線のないこの時代東京から金沢に向かうメインルート信越本線だった。

上野発916の特急白山1号」に乗れば、長野経由でおよそ7時間後の1611には金沢駅に着き、前の年に落成したばかりの本多の森ホールにどうにか開演時刻ギリギリに間に合う計算だ。少し余裕を持ちたいなら上野819発の特急はくたか1号」で1504金沢着。こちらは長岡経由である

翌朝、今度は金沢から松本に向かう。筆者はAFTでは北陸新幹線長野まで乗り、そこから特急「しなの」に乗り換えて松本に向かったが、この時代は乗り換えなしの列車がある。それが金沢949発、おそらくキハ58の、時刻表ピンクのページによれば堂々10両編成の急行列車。後ろ3両が松本行き急行白馬」、中ほど4両は秋田まりで前寄り5両は青森までロングランする急行しらゆき」だ。間違わずに後寄り3両に乗れば、途中の糸魚川青森秋田行き「しらゆきから切り離され、進行方向を変えて大糸線に入って1435松本着だから公演には余裕を持って臨むことができる。編成分割をする糸魚川では正午を挟んで8分停車するからえびめしなど駅弁を買う余裕もあっただろう。

ただ、逆にいうとそれしか手段はない。ましてキハ58はいわゆる「直角椅子」のクロスシートでリクライニングも方向転換もできない。7時間近くも乗っていたらそれだけで相当疲れてしまう。

さら松本公演が終わった日曜の夜。筆者はAFTのときは最終「しなの」で長野に出て一泊し、翌朝の北陸新幹線で出勤した。しかしこの時代なら松本2056の普通列車新宿行きがある。423に新宿駅に着くから一度帰宅してシャワーを浴びて着替えて出勤する余裕は十分にある。ただしこれもまた「直角椅子」どころかおそらくセミクロス115系だったろうから、少しでも居住性を求めたければ2359発の急行アルプス18号」のグリーン車に乗れば良い。新宿着は500だから余裕を持って出勤できるのは言うまでもない(出勤した後のことは例によって保証できない)。

3

新幹線はすでに博多まで開通していたし、熊本空港には全日空の3発ジェットトライスター東亜国内航空DC-9が就航していたが、鉄道好きとしては1645東京1058熊本着の西鹿児島行き「はやぶさ」か、1700東京発1123熊本着の「みずほ」を推したい。食堂車で夕食・朝食の2食をいただくのんびりとした旅である

ただ、昨今の「サンライズ」などとは違って当時の寝台特急にはシャワー室はなかった。「はやぶさ」「みずほ」には個室もなければ女性専用車もなかったから、今や全国民の1/4に迫らんとする女性王国民の遠征には不向きだったかもしれない。まして当時の長距離列車喫煙可能が当たり前で各ボックスシートの窓際に灰皿が標準装備されていた。

しかしもう少し前の1970年頃に青春時代を過ごした我が母親によれば、当時のスキー列車はいつも満席で男女問わず通路デッキ新聞紙を敷いて座り込んだというから、たくましい遠征女子も実は相当数いたかもしれない。

4

新潟仙台は帰り道がポイントになる。

東北上越どちらも新幹線はこの時代は絶賛工事中。開通は4年後の1982年だ。しか上越線には「とき」東北本線には「ひばり」というエル特急が毎時1本ペースで運転されていたから往路はどうにでもなる。

新潟の帰路、私は最終新幹線に飛び乗れたが、この当時なら2300新潟発の急行佐渡8号」で506上野着か、横になりたければ2312の秋田から来る急行天の川」で555上野着。新津まで普通列車で出ておいて040発の急行鳥海」で642上野着でもいい。

仙台からは公演後だと2320発の急行「新星」がおすすめだ。仙台駅には早々と入線しており2130から発車前の寝台を利用できるのが嬉しい。上野到着は536だから一度帰って身支度を整える余裕もありそうだ。このほか、仙台2257→上野519の青森常磐線経由の急行十和田2号」や、座席車なら仙台2336→上野542の急行「いわて4号」も便利であろう。なお急行十和田」はこのあとも4号・6号が仙台に停車するし、特急ゆうづる」2号・4号も利用できる。

そうして考えてみると、まだまだ高速道路網が未熟だったこの頃、寝ている間に移動できる安価手段鉄道しかなかったのだということを改めて感じさせられる。1970年代でも長距離バス運行されていたが、都内新潟高速道路でつながったのは1985年仙台は87年。歴史でいえば線路の方がはるかに長い。

なおこの当時、上野仙台特急ひばり」で4時間以上かかっていたので、羽田空港から仙台空港への航空便全日空により1日4往復運航されていた。

5

ならばその先はどうか? 札幌公演に行くにはこの当時でも飛行機が当たり前の選択になってきていた。筆者は81年の夏に北海道の親戚を訪ねる旅に出たが、祖父母に連れられて上野から青函連絡船を経て親戚の住む苫小牧まで20時間ぐらいかかったように記憶している。まだ青函トンネルは開通していなかった。

それでは札幌公演に陸路海路で挑むとすればどうなったであろうか?余裕を持って開演に間に合わせるならこのルートである

2140上野特急ゆうづる5号]705青森or2221上野特急はくつる]711青森

青函連絡船5便 730青森→1120函館

1140函館特急おおぞら5号釧路行き]1550札幌or1145函館特急おおとり網走行き]1558札幌

急行自由席に乗れる周遊券を利用するなら上野1908→青森617の「八甲田」や函館1150→札幌1630の稚内行き「宗谷」も良い選択肢であろう。

やはり北海道は遠い。時間に余裕のない向きは素直に飛行機を利用すべきであろうが、千歳空港国鉄の駅が接続されるのは2年後の1980年のこと。この時刻表の時点では札幌駅前からバスに乗るのが普通手段であった。

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そして福島公演はエクストリーム出勤の宝庫であった。終演後の福島駅発上野行きを見てみると、

2350 急行「あづま4号」437

025 急行出羽」502

043 急行「新星」536(寝台あり)

056 急行「いわて4号」542

155 急行津軽2号」605着(寝台あり)

このほかに夏休みシーズンだけに季節列車臨時列車運転されていたと思われるので、かなりの席数が利用可能であったと推察される。

座席車特急はいわゆる「直角椅子であるが、寝台車連結の急行列車では短時間でも横になって移動できる利点がある。これは現代夜行高速バスでも(実際に運行されてはいるが)まだまだ一般的ではない。バス鉄道車両よりも小さくて何両も連ねて運転されるわけもないから、寝台は不可能ではなくても困難が多いのであろう。

7

国鉄監修時刻表を見る限りでは、東名阪バス国鉄ハイウェイバスしか掲載されていない。関西公演からの帰り道は2240大阪駅→815東京駅の「ドリーム2号」か2200京都駅→643東京駅の「ドリーム4号」しか見当たらない。

鉄道ならば京都2237の特急出雲2号」、同015発の「出雲4号」なら700には、大阪2358の特急瀬戸」や同005の特急あさかぜ2号」でも730には東京駅に着けるからエクストリーム出勤勢の強い味方になり得たと思われる。なんなら関西勢と感想を語り合いつつ酌み交わす余裕は十分にある。しかもこれらは当然寝台車であるから、予約さえ取れれば会場内外で充実至福のひと時を過ごしたのちに千鳥足でベッドに潜り込んで目覚めれば東京駅も間近に迫り、どうかすればまだ夢見心地のまま出勤せざるを得ないベストコンディションを通り越した邪悪な何かを感じずにはいられない有様である

なぜ新幹線ではなく在来線を推すのかと問われれば、その当時の東京行き最終「ひかり116号」は新大阪2034発であるからフェスティバルホール(当時は改築前)から終演後直ちに最寄りの四つ橋線肥後橋駅に走ったとしてもけっこうタイトな時刻設定であることが第一に挙げられる。梅田の地下に慣れない関東勢四つ橋線西梅田を出て乗り換えに手間取ると、最終の新幹線は慈悲もなく出発してしまう…それは正直恐ろしい。

エピローグ

筆者は鉄道好きで鈍行やら夜行やら多少は乗ってきた経験ノスタルジーがあるので満更でもない旅行だなとほくそ笑みつつこ文章を書きつけてはいるが、冷静に考えてみれば当時は今よりずっと不便で居住環境は悪かったように思う。なりふり構わぬ男性特に体力に自信のある若者にはなんということはない行程だったと思うが、女性にはあまり優しくない環境だったし、筆者も若い頃は大きな鞄を抱えて夜行連泊するような旅をしてきたけれど今この歳になってふたたび体験するのは懐古趣味差し引いてもためらいが多めに残る。

とはいえ不便で時間のかかる旅を楽しみたい向きが今もなお大勢いるのは承知している。そんな黒鉄の人々に机上タイムトラベル提供できたら幸いかなと。ただそれだけ。

本文に田村ゆかりは出てこずに時刻表を読み解くだけだったが、10月横浜で公演があるのでよければバス飛行機よりも鉄道を乗り継いで参加して紀行文と公演感想文を読ませてくだされば筆者はDouble Fascinationになれる。

それはともかくできる限り多くの客席を埋めて盛況の公演としたいので、関心のある方は下記から申し込みいただければ幸甚に存じます

https://l-tike.com/concert/mevent/?mid=282963

2022-06-29

改憲のポインツ 緊急事態とは?(3分で読めます) anond:20220628171805

1.例えば朝鮮戦争が再発し、韓国日本人8000人を避難させようとしても

現行憲法では民間しか領空に飛ばせません。

しかも「危険性がある場合を除く」です。

2.平時米軍の食料・弾丸等を国内輸送できます。(横須賀港~舞鶴陸路等)戦時中は出来ません。

3。負傷失血してる米兵公海にいても、日本の船は助けられません。

集団的自衛権の外だからです。(戦争に加担する行為

4.あとはお前ら頼んだ

2022-06-26

世界の終りにおいて、世界を救った男テミストクレス(2)

anond:20220626003343


 十年の時が経った。

 満を持したペルシア軍の大遠征が始まる。十年前のマラトンの戦いの規模を遥かに上回る戦力(十五万人程度と言われている)を前に、ギリシア世界は当然のごとくパニックに陥った。

 しかし、ギリシア軍は自国陸軍主体を成す重装歩兵に絶大な信頼を置いており、特にギリシア連合軍の雄たる都市国家スパルタは、強大な軍事力を背景にペルシア軍に対する陸上決戦を提案し、その決戦をスパルタ自身に主導させようと画策する。しかし、テミストクレスがそこで動いた。

 テミストクレス海上決戦以外に活路が無いことを、十年前から看破し、その準備を着々と進めていた。そのため、軍事力を背景に陸上決戦を主張するスパルタ陣営を確実に抑え込む必要があった。また、スパルタの主張する決戦案は、バルカン半島南方コリントス地峡において、複数都市国家犠牲にすることによって最終的な決戦に持ち込む、一種焦土作戦の体を成しており、当然ながらテミストクレスはそのようなスパルタ立案を容れることができなかった。そのため彼は当時ギリシア市民に信頼されていたデルフォイ神託を利用することに決める。

 ギリシア諸侯要請に対してデルフォイから下った神託は以下のようなものであった。『陸上決戦を避け、木の砦を頼れ』。

 テミストクレスは、この『木の砦』こそが、アテナイが着々と準備を進めていた軍艦なのだと主張し、海軍によってペルシア軍を打倒する海上決戦案にギリシア諸侯意識誘導することに成功する。また、自軍立案妨害され立腹するスパルタに対しては、海上決戦の際の軍事的イニシアチブを譲ると確約することによって、何とか説き伏せることにも成功した。

(なお、艦船保有数の関係アテナイ海上決戦においてスパルタに対して大きな影響力を持っていたため、スパルタあくま形式的海上決戦の総司令官に任命されたに過ぎなかった)

 また、このデルフォイ神託は、恐らく事前にテミストクレス賄賂を贈ることによって歪曲された結果であると、後世の歴史家たちによって推測されている。


 以下は歴史の辿った事実の列挙であるギリシア連合軍は、陸路においてスパルタ陸軍、また海路においてアテナイ海軍が主力をなす軍隊を、それぞれ沿岸の主要な陸路海路に布陣させ、海峡と山際の隘路という大軍の利を発揮させにくい地形を戦場に選ぶことで、ペルシアの侵攻を食い止める作戦に出た。

 しかし、要衝であるテルモピュレーにてスパルタ軍は味方の裏切りに遭い、精強を誇ったスパルタ陸軍は時のスパルタであるレオニダ一世の指揮の下で壮絶に奮戦したものの、全滅を遂げる。その情報を聞きつけたギリシア海軍は、実質的指揮官であるテミストクレスの指示の元、南下、後退し、最終的にはアテナイに程近いサラミス海峡へと撤退することによって、当初の予定通り最終的な海上決戦にてペルシア海軍撃滅することを画策していた。

 しかし、ここでテミストクレスの元に悪いニュースが届く。

 テルモピュレーを突破したペルシア陸軍が急速に南下を続け、アテナイへと到達し、故郷が陥落したというニュースであった。

 ギリシア諸侯において絶大な信頼を誇っていたアテナイの陥落に、周囲からテミストクレスに対して注がれる視線は冷ややかであった。しかし、テミストクレスは冷静であった。事前に彼はアテナイ市民サラミス島やその他の土地疎開させていたため、人的な被害殆ど出なかったことが幸いした。テミストクレス諸侯に対して、アテナイ保有するギリシア海軍の半数以上に及ぶ軍船存在を主張し、未だアテナイはその国土を失っていないと説得すると、依然軍議における主導権を確保したままに、海軍を南下させ続けた。やがて、テミストクレス率いるギリシア海軍は、サラミス海峡の隘路に布陣し、静かにペルシア海軍の来襲を待った。


 ペルシア海軍の来襲と共に、膠着状態スタートする。

 この際、テミストクレスペルシャの首脳陣と使者を交わすことで内通していた。ギリシャ陣営の内部情報ペルシャへと流し続けていたのである

 テミストクレスは誰も信用していなかった。敵に対しても、味方に対しても、一切の信用を持たなかった。この内通が、ペルシア侵攻の初期の段階から行われていたという説さえ存在している。

 テミストクレスは膠着状態が続く中で、ギリシャ陣営内において撤退論、転進論が巻き起こっていることをペルシャであるクセルクセスへと伝えると、さらサラミス海峡の出口を塞ぐことができれば、艦隊撤退不可能となり、必ずやギリシア海軍撃滅され、ペルシア軍は勝利栄光に浴することができるだろう、とクセルクセスを焚き付けていた。また、テミストクレスクセルクセスに対して、海上決戦の際にはアテナイギリシア陣営裏切りペルシア勝利に手を貸すことを約束していた。テミストクレスの思惑通り、クセルクセスサラミス海峡へと向かわせていた七百隻の主力艦隊を二つに分けると、二百隻に海峡の出口を包囲させ、また残りの五百隻を以てサラミス海峡に立て籠るギリシア海軍撃滅しようとした。テミストクレスは謀略によって、まんまと敵艦隊を二つに分断したのである

 敵艦隊が二手に別れたことを知ったテミストクレスは、ギリシア諸将に対して海峡が包囲されていると伝えると、撤退や転進は不可能であり決戦のみが活路であると諸将を誘導した。そのようにして諸将の士気を奮起させたテミストクレスは、海峡へと侵入してくる五百のペルシア艦船を静かに待ち受けた。


 当初、ペルシア海軍海峡の奥深くで待ち受けるギリシア海軍発見した際に、攻撃を急がず機を見計らっていた。内通者であるテミストクレス情報通り、アテナイが離反しギリシア海軍が劣勢に立たされるのを待ったのである

 しかし、ペルシア軍の目に映ったのは異様な光景であった。ギリシア陣営の旗の上に、戦意鼓舞するための戦場ラッパの音色が鳴り響き、そしてギリシア艦船が淀みなく戦陣を整え始めたのである

 それでもペルシア軍は攻撃を保留し続けた。ペルシア軍は最後までテミストクレス情報に踊らされ続けた。


     ◇


 テミストクレスの号令一下、突撃を開始したギリシア艦隊の前に、ペルシア軍には動揺が走った。テミストクレスが離反するという事前の情報との乖離も影響した。密集体形で海峡の奥深くへと侵入していたペルシア艦隊は、有効な機動を取ることができず見る見る間に壊走を始める。更には、後方から押し寄せたペルシア艦隊の援軍までもが、ペルシア前衛艦隊撤退を妨げることとなった。

 ペルシア海軍は大混乱へと陥り、急速に戦闘能力を喪っていった。ギリシア海軍勝利が決定づけられたのである


     ◇


 主力艦隊の大部分を喪失したペルシア軍は、このサラミス海峡の戦いの敗戦を重く受け止め、海上部隊の撤退決断する。テミストクレスが当初画策していた、海上兵站を寸断する計略は成功し、ペロポネソス半島への侵略を行っていたペルシア陸軍も急速にその影響力を喪っていった。最終的に、ギリシア連合軍の反撃によってペルシア陸軍ギリシア世界から追い出され、十年を費やしたペルシア帝国の大遠征は失敗に終わり、ギリシア世界の完全勝利となったのである


 当然、この勝利立役者となったのは英雄テミストクレスであった。テミストクレスはまさしく英雄であり、一度は終わってしまった世界、喪われた故郷を彼は取り戻した。ペルシア戦争の勝利はひとえに彼の超人的な洞察力、長期的な戦略立案能力、謀略や陰謀を駆使し敵と味方をコントロールする政治力、それらの能力によって成し遂げられた勝利であった。

 とは言え、テミストクレスはあまりにも優秀すぎ、また、あまりにも自分能力を過信し過ぎていた。

 最終的に、テミストクレスギリシア世界にとっての危険人物である判断され、政治的指導者地位から失脚させられ、かつての仇敵であるペルシアへと亡命している(相変わらずペルシアと内通を行っていた)。その後、ペルシア軍によってギリシア攻撃責任者へと任命されるのだが、母国に弓引くことをよしとせず、毒を呷って自決したと言われている。

 テミストクレスは間違いなく英雄であり、凡庸人間とは違う視野を持って生きた人物であった。とは言え、狡兎死して走狗烹らるという言葉の例に漏れず、自国から危険視された英雄最期は、あまりにも物悲しい。

世界の終りにおいて、世界を救った男テミストクレス(1)

 ギリシャ世界ペルシア軍の大遠征において黄昏に瀕していた。

 空前の規模を誇るペルシア軍団紀元前480年、テルモピュレーの戦いにおいてギリシア陸軍の主力であるスパルタ軍を激戦の末に破り、スパルタの王であるレオニダ一世戦死させた。スパルタ軍という防波堤を失ったギリシア本土容赦なく侵攻され、ギリシアの中心都市であるアテナイペルシア陸軍によって陥落するに至り、アテナイ軍人テミストクレス率いるギリシア海軍絶望していた。「帰る国が無いのに、このまま戦ったところで何になる?」と。

 しかし、彼らのリーダーであるテミストクレスだけは絶望していなかった。

 絶望に染まる軍人たちの中で、彼は唯一希望を手放していなかった。彼は言った。「さあ、世界を取り戻しにいこう」と。


     ◇


 ペルシア戦争の戦乱の始まりをどこに求めるかは諸説あるが、紀元前480年以降のペルシア軍の大規模侵略より10年前、先駆けて起こったマラトンの戦いにおいて既に戦端は開いていた、とする説が有力である

 紀元前490年、マラトンの戦いにおいて沿岸に押し寄せたペルシア軍を、アテナイ軍を主力とするギリシャ連合軍完膚なきまでに破った。二倍に比するペルシア軍に対して、旺盛な士気原動力に戦ったギリシア連合軍は、5000人以上にものぼるペルシア軍の戦死者に対して、僅かに戦死者200人足らずに留まる圧倒的な戦果を以てペルシア軍を退けたのである勝利に沸くギリシア民衆は口々にギリシアの精強な陸軍を讃え、自らの勝利を誇った。それほどまでに完璧勝利だったのである

 一方、自軍主力の三割を一挙に失ったペルシア軍は撤退を始める。ギリシア世界アジアに対する完全な勝利であった。

 しかしただ一人、アテナイ政治家であり軍人でもあるテミストクレスだけは絶望していた。

 いずれギリシア絶対に負ける、と


     ◇


 アテナイギリシアの中心都市であるが、しかしこの都市が円熟を迎えるまでに辿った経緯は涙を誘う。ギリシアはいわゆる都市国家と呼ばれる、一つの都市国家を成す統治形態政治が行われていたのだが、これら都市国家が成立する以前の、ギリシア暗黒時代においてはギリシア半島ペロポネソス半島)には大量の異民族流入しており、戦乱の嵐が吹き荒れていた。

 そのような戦乱のさなか、開闢におけるアテナイいかにして生き延びたのか?

 それは、あまりにも乏しい資源によってであった。

 アテナイは極めて痩せた厳しい土地であった。地中海性の気候の中、雨量は少なく、養えるだけの人口は決して多くない。要するに、戦乱の時代においては重要性の極めて低い土地だったのである。そのため、アテナイ暗黒時代における異民族侵略において、常に見逃され続け、戦乱からは遠ざけられ、その地盤と地歩を少しずつ伸長させてきた。最終的には、ギリシアにおける最も優秀な文化都市としての地位確立するに至ったのである

 さて、そのような経緯もあり、スパルタアテナイ、あるいはテーベといったギリシアの主要都市基本的に国力に乏しく、幾ら軍制を整えたところで養える軍隊には限界があった。当時のアテナイ人口については諸説あるが、最盛期における人口は十万人程度だったと言われ、まともな軍隊として機能する人員は精々一万人を上回る程度だったであろう。


 一方、ペルシア現在におけるアフリカ中東中央アジア南アジア北部にまで跨る大帝国であり、根本的な軍事力、そして人口においてはギリシアに対して天地の差があった。そのような地政学的要因をテミストクレス紀元前480年以前から看破しており、このまま仮に戦争継続すれば、最終的にギリシアが間違いなく敗北するという未来を予見していたのである

 しかし、テミストクレス絶望してばかりではいなかった。来るべきペルシア本軍の大遠征に向けて、着々と準備を開始した。

 彼が最初に行ったのは、海軍備の増強である。これは正に慧眼であり、ギリシア絶望的な状況を打破する最善手にほかならなかった。

 無論、軍事力が精強なペルシア海軍備は相当なものであり、実際、ペルシア戦争が激化した際の艦船保有数は、ギリシア保有する400隻足らずの軍艦に比べ、ペルシア軍のそれは3倍から4倍の1500隻以上(輸送船を含む)に達していた。ギリシア軍は結局のところ、陸軍備においても劣り、海軍備においても劣っていたのである。そのため、不足している海軍備の増強に多少着手したところで、いずれ来る黄昏を打破する目覚ましい一手にはなり難い――そう目するギリシア市民政治家も決して少なくはなかった。というか、そもそもギリシア軍は精強な陸軍を抱えているのだから海軍備の増強は不要であると楽観論に耽るギリシア市民が圧倒的だった。テミストクレスは頭を抱えた。


 テミストクレスは異常者であった。常に真実を見ることしかできない目を持ち、常に真実しか思考きぬ頭脳を持ち得ていた。

 テミストクレスは十年に渡って、世界の終りをただ一人、真摯に見据えていた。やがてギリシアは滅びる。しかし、その寿命を一秒でも長く保つこと、その呼吸が、須臾の間なりとも長く伸びることを目指し続けていた。また、テミストクレス軍人である前に政治家であった。そのため、テミストクレスは数多くの権謀術数を駆使することを厭わなかった。彼の謀略が活かされるのは、決して外敵に対してばかりではない。むしろ、同じくギリシアに属する味方勢力に対して、しばしばその陰謀は向けられていた。 

 ともかく、海軍備の増強に前向きでないアテナイ首脳部を説き伏せるためにテミストクレスは一計を案じる。海軍備の増強に消極的であったアテナイ首脳を説得するために、テミストクレスは同じくギリシア海洋都市国家であるアイギナと呼ばれる都市国家の脅威を説いたのである

 アイギナはギリシア世界においては珍しく、海軍備を主体とする軍制を整えた都市国家であった。地理的にはアテナイの属する沿岸からかに南下した地点に位置しており、当時のアテナイ首脳や市民にとっては、遠くアジア大国ペルシア帝国よりも、海洋国家アイギナはよほど身近な脅威に映っていた。テミストクレスはその心理を利用したのである。まずはこの手近なライバルとなり得るアイギナの脅威を喧伝することで、テミストクレスは徐々にアテナイ首脳の意識海軍備の増強へと向けさせることに成功した。

 さて、この時アテナイ新造した艦船の数は200隻程度で、かつて備えていた旧式の軍艦の凡そ十倍にあたる新型の艦船を建造しおおせたのである。とは言え、先述の通りそれでもなおペルシア軍の海軍備に比べれば、アテナイの所有していた軍艦の数は圧倒的に劣っていた。それでも、テミストクレスの企てた長期的な戦略は間違いなく最善のものであったと言えた。結果的に、海軍備の増強という手段以外にペルシアを打倒し得る勝ち筋は無かったのである

 何故か。


 ペルシア軍は強大な軍事力を動員するだけの国力を備えていた。軍事力インフラを整備する技術力、そして、兵士を養うために必要な兵糧を創出する農業力、それらの総合力において、ペルシアは明らかにギリシアの力を上回っていた。しかし、そのような強大な力は、反面ある種の脆弱性を抱えることにもなる。テミストクレスはそこに目を付けた。

 テミストクレスが着目したのは、ペルシア軍における高度な兵站戦略であるペルシア軍は圧倒的な数の軍隊を抱えるが故に、その大軍を支えるための兵站戦略を整備していた。中継都市本国から創出した食料を、効率的前線へと運び届けるインフラを整備し、兵の士気が低下しないための細心の注意を払っていた。

 しかし、ギリシアが属するバルカン半島並びにペロポネソス半島海岸線は長く、その補給路は長大に達し、沿岸陸路は決して効率の良い輸送ルートとは言えなかった。陸路における兵站戦略が決して最善のものでないことを、ペルシア軍は理解していたのである。したがって、ペルシア軍の兵站必然的海路依存していた。

 艦船による食料の輸送は、陸上のそれに対して圧倒的に効率的である大軍を支えるために行われる、ペルシア軍の必然的兵站形態を、実際にペルシア軍が襲来する十年前の段階で、テミストクレス明察していた。更には、そのペルシア軍が抱える唯一の弱点を攻撃するための、唯一の手段を十年前から整備し続けていたのである

 つまり海上兵站破壊し、ペルシア陸軍機能不全にすること。それが、それだけがギリシアペルシア軍を打倒するための唯一の方策であった。

 そして、それを理解していたのはテミストクレスだけであった。


     ◇


anond:20220626003448

2022-06-15

日教組被害を受けた僕ら」の歴史的経緯

これとかもそうだが未だに日教組による教育被害が云々という言説がまだ見られるんだが。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sivaprod/status/1536206227939950592

 

この際ちょっとその言説の経緯をまとめておくよ。

この言説のキーマン小林よしのりなんだがそこに至るまでを説明しないといけない。

 

日教組批判が激しくなったのは1980年代後半から

日教組昭和22年に結成されて昭和30年代には組織率8割以上を誇って…というのはWikiとかで勉強してくれ。

右翼による日教組批判特に熾烈を極めるようになったのは1980年代の後半からなのである

街宣車大音量日教組日教組!と怒鳴っているので一般の人の日教組知名度はこの辺りで上がった。そもそもノンポリの人は学校先生組合なんて知らんもんである。但し右翼一般受けは悪かったので日教組評価は下がらなかった。

また日教組集会を開くと周囲に街宣車が多数集結して大音量軍歌を流し音圧を競うようになった。

すると近所の会社仕事が全くできない。電話どころか窓を閉めても耳を塞がないといけないような状態だ。

でも日教組知名度が低く、どこで集会をやってるかも判らないので右翼の評判が下がるだけだった。

 

こういう極端な抗議行動が流行した背景には当時の政治的社会的状況があった。

その一つは「デタント」で、もう一つは「任侠右翼の増加」である

ソ連敵性喪失

右翼が何と戦っていたかというと、その最大の敵はソ連だった。これは街宣右翼だけじゃなくて神道系の右翼統一教会も皆同じだ。

だが1985年ゴルバチョフ書記長就任するとどうにもならないほど疲弊したソ連改革政策ペレストロイカ推し進める。最初は大した変化はなかったが、チェルノブイリ原発事故以後は情報公開も進め、世界を巻き込みながら怒涛のように変化していく。

それによって西側ではゴルバチョフ歓迎ムードが高まり、要するに憎むべき敵性国家で無くなっていったのである

更にソ連共産党活動を停止し、遂にはソ連が無くなってしまった。

これは右翼陣営勝利のはずだが、困ったのは攻撃する敵を喪失してしまった事で、自分らのアイデンティティの根幹の喪失でもあった。鈴木邦男ソ連崩壊時に「これは僕らの問題だ」と語っている。アイデンティティ喪失に苦しむのか、敵の乗り換えをしてアイデンティティを保持するかという含みがある。結局鈴木は敵の乗り換えには乗らなかった。

 

また、街宣車での街宣はやりすぎて体制側に対策が出来てしまった。

まず憲法違反の疑いもある静穏保持法が施行されてしまったので外国公館などの特定箇所で大音量を出すと逮捕される。

またソ連大使館前の道路街宣車が近づくと全交通遮断される。言っておくがソ連大使館前の道は外苑東通りという都バスも走る幹線道路である。当時は街宣車のせいで道路遮断されたりそれで周囲が交通マヒしたり運行経路が決まっているバス20分以上立往生なんて事はザラだった。

 

こんな風に最大の敵であるソ連がやたら腰が低く物分かりが良くなった上にソ連大使館に街宣掛ける事も出来ない。

だとしたら残存敵性勢力である日教組に向かうしかない。

という事でこの時期に日教組悪質性が増加したのではなく、ソ連の変化とデタントの為に日教組批判が熾烈となったのである

 

任侠右翼参入増による右翼街宣車の大増加

まずそもそも右翼だが、元はヤクザとの明確な区切りは無かった。これは土建屋、鳶や水商売テキ屋も同じだった。

区切りを引いたのは警察である

戦後右翼は、例えば児玉誉士夫など体制癒着しそれは米国従順という事でもあった。

1960年代末に左翼学生運動が盛んになるとこれに対する体育会右翼学生組織されていった。新右翼と呼ばれる。

新右翼の特徴は反ソ反共ながらも反体制反米である事だった。これは当時の世相や全共闘運動に影響を受けている。

ここを境に右翼系の政治結社誕生して行く。そしてそれらは「街宣車軍歌を流し辻説法をする」というスタイル確立していく。

この街宣車は最初旧軍自衛隊国防色(カーキと灰色バトルシップグレイ)だったのが後述の事情威圧感の強い黒塗りになっていく。

よく「街宣右翼」とネットの一部で言われるが、1980年から右翼政治結社街宣車スタイルをみな踏襲しており、それ以外はないような状態だった。ヤクザっぽいがはじめの方の新右翼にはヤクザとの殊更の関係はない。

因みに日本会議中央の人士らはこういう街宣ではなく、就職しないで大学に残り学生運動を続けた人たちである

 

80年代になると校内暴力学校が荒れ、ツッパリ型不良が大増殖して暴走族も大増殖した。また暴走族右翼感染が進んだ。特攻服旭日旗暴走族の印となったのもこの頃だ。不良or大人への反抗=右翼ファッションだったのである

更に暴走族ヤクザ構成員リクルートの場になる。

こうして右翼≒不良≒ヤクザが緊密化したところで任侠右翼の街宣参入が増えたのだが、もっと大きい商機的な問題があった。

 

思想右翼の主な資金源というのは機関紙販売である。これは志を同じくする人からの購買もある。

が、もう一つのパターン不正思想的に看過できない行いをした法人へ抗議街宣をして、その手打ちとして機関紙の購買を取り付けるという方法がある。

ヤクザが参入する主目的後者の方で、民事介入暴力の支払い手段として機関紙購買を取り付ける為に政治結社を立ち上げるのである民事介入暴力というのは殴ったり蹴ったりじゃなくて、企業商業活動暴力団が威圧をもって参入する事だ。

企業恐喝街宣車を利用するのだ。国防色より威圧感がより強い黒塗りが主流になっていったのはこの為だ。

暴力手段行使されないようにみかじめ料として機関紙を購読する会社も多く、大変な出費になっていた。

 

因みに総会屋も同じことを70年代にやっており、機関紙/誌の執筆者編集者需要が高まり学生運動就職が困難になった学生運動家が多数その仕事に就いた。総会屋の多くは内容には口を出さなかったので社会不正糾弾する記事を書きまくり総合誌ブームが起きたが、80年代初頭の商法改正総会屋が潰されると大方廃刊

だが技能を身に付けた者は大手メディアフリーランスとして雇用された。リベラル/左翼ライターには総会屋の手先出身結構居たのである

 

こういう訳で街宣右翼業界は膨れ上がり、日教組集会8月9日反ソデーには黒塗りのハイデッキバスが大挙して集合し爆音軍歌を流すようになった。それまでのライトバンやタウンエーススピーカーつけてる貧乏右翼とは大違いだ。

ハイデッキ観光バスというのは6000万円以上する。それの座席を取っ払ってラウンジ型にしてシャンデリアやカラオケ自動車電話冷蔵庫バーカウンターをつけて車検を通したら1億を超える。それに自民党共産党のようなプロの街宣用スピーカーアンプを搭載して、北方領土の日にはフェリー陸路釧路とかの空港回送しておくのだ。組員は飛行機で向かってバスに乗り納沙布岬に向かって「露助この野郎」とかやって帰るんである

しか一社あたり3台とか6台とか持ってるのだ。沢山来すぎて根室渋滞になるほどだ。当時の任侠右翼の羽振りの良さが判るだろう。

 

ハリウッド映画でもジャパニーズヤクザ描写されていた頃で、特に企業活動への威圧的介入は警察問題視されていた。

そこで暴対法施行される事になる。これは大抵の暴力団を社会的に殺す大変大きな力がある法律だった。

伊丹十三ミンボーの女には暴力団が右翼街宣車企業恐喝に来るシーンがある。この映画暴対法施行直後に公開されたので同法施行で先を案じているヤクザを大いに怒らせる事になって伊丹ヤクザに襲撃されて重傷を負ってしまった。

余談だが、この時伊丹を襲撃した組は後にJR東本社前の土地を巡って殺人事件を起こした。JR東本社道路に面しておらず、また同社は本社付近建物を次々に押えているのだが、購入すれば都道と面して建築基準が大幅緩和されるその土地に手を付けなかった。それほどヤバい土地だったのだな。

 

ちょっと長くなったが、「えせ右翼在日朝鮮人右翼の評判を下げる為になりすましてる」とか噴飯物の事をいう人が多く居る界隈なので一応説明した。

えせ右翼とは一般には上記のように民事介入目的ヤクザ運営して構成員も被る政治結社の事だ。もっと硬い警察用語では「右翼標榜暴力団」という。

 

90年代右翼不遇の時代 

こうして

1.バブル的に増加した任侠右翼暴対法により急速縮小

2.ソ連消滅により敵を喪失

となってソ連勝利したはずなのに右翼/保守業界というのは停滞してシュリンクしてしまう事になる。

そして当業界では超直的なそれに代わって冷戦後政治リアリズムを中心に多様性がある論説が流行するようになった。産経新聞コラム「斜断機」が柔軟で面白くて単行本化されてしまうような時代だ。因みに吉本隆明の門下生が多く書いていた。

そんな中で反共反ソイデオロギー一本の人らには居場所が無い。ソ連無き後に残った残存敵性勢力日教組をひたすら叩きながら閉じた業界で腐っていたのである

当時は欧州もみな社民政権リベラル人気で冷戦後世界情勢にも楽観的だった時代だった。 

 

 

 

続き→https://anond.hatelabo.jp/20220615180755

2022-06-13

anond:20220609131448

 新潟まで陸路二日、そこから朝鮮海運の船に割り込んで海路で六日。ようやくウラジオストック到着の報を聞き、甲板に出ると雪がちらついていた。その冬時江が初めて目にした雪であった。

 まだ岸までは五キロメートルほどあったが、灰色景色に沈む懐かしい街が小さく見えていた。しかし懐かしいのは地形ばかりで、港には見慣れぬ高い塔が立ち枯れた林のようにいくつも屹立し、その先端からは黒雲のような煙を絶え間なく吐き出していた。

「あれがぜんぶ煙突か」

発電所です。燃料は石炭で、北樺太にあるのと同じものですな」

 無意識につぶやいた言葉に応じたのは、大太鼓のように太く響く男の声だった。白髪時代遅れの髷に結い、顔の下半分は髭に埋もれた野武士のような容姿だが、ほんの少し前までこの国の老中だった男、遠藤である

「四郎左衛門。あまり寒いところへ出てきては体に障るのではないですか」

「私はすでに四郎左衛門ではありませぬ」

「……そうでした。遠藤殿」

 思わず在職中の感覚で呼びかけてしまい、時江は気まずく言い直した。遠藤、かつての遠藤四郎左衛門蓬莱は本人の言う通り、頼みもしないのに城を下り、この旅に随伴してきた物好きな男だ。

開国して間もない頃、研修にてシベリアを回りました」

「それは初耳です。ウラジオストックへも?」

「無論です」

「どう思いました」

 そう尋ねたのは、ふと、遠藤自分故郷をどう見たか、興味が湧いたからだ。しかし帰ってきたのは時江の思いもよらぬ答えだった。

2022-05-16

東京から湯治に行きたい

1週間くらい。

オンドル?で横になって腰と首を癒やしたい。

おすすめのところがあったら教えて

[追記] 早速コメントありがとう。できれば関東から陸路で数時間で行けるところがいいかな.. 由布院別府も好きです。

2022-05-01

anond:20220501004441

陸路で岬までいけないっての今回の事故で初めて知った

2022-04-27

anond:20220427141703

ロシア資源

 ロシアエネルギー資源産出国なので、ほかの資源輸入国は陸続きだったりする距離的に購入が容易なロシアから購入したい

ウクライナヨーロッパ玄関

 ウクライナパイプラインがぶち抜けばロシアヨーロッパ直接取引ができる

資源国を頼ってる国は多い

 愛国を唱えて親ロシアになるのは、自国エネルギー供給問題を低減したいからすり寄るに他ならない

ロシアが他の国に攻め込んだら

 ウクライナパイプライン造成地にしたいだけなので更地になっても問題ないが他の国を攻め落とす理由はない

 むしろ資源のお客さんなのでパイプライン供給顧客になってくれたらいい

 最終的にはその取引倫理的問題はなかったことにする予定

〇ただしポーランドお前は別だ

 アメリカ海外派兵で軍備循環を終えて国内生産に移ったタイミング外国には派兵も出費もできない状態を見計らっての開戦

 とはいえ外国が直接的に対ロシア武力を持ち込める陸路ポーランド おまえは独立国家としてロシアへの道を阻む役割しろ

 でなければエネルギー資源供給とめたり値上げしたりするぞ

〇結局木材とかの資源ロシアだよりだろ?

 この不況さらに上塗りをしてきてつらいだろ?ロシア産がほしいだろ?交渉にのってやるぜ?こまってる国民をほおっておけない愛国心をみせてみな?➡右で愛国親ロシア

結局強いもの一人勝ちするのではなくて、弱い国が一強にすがってるだけなので一人犠牲者がでてもだんまり決め込むしかないむしろ持ち上げ気味だってこと

金も時間もかかる自国生産力を伸ばさず通貨偏差で外国の安い商品を高く売るだけの資本主義の極みを成長とかいって通貨の発行量だけあげてた政治の答え合わせの時期が来た

2022-04-10

anond:20220410112309

なぜ室蘭だけなのか、港湾機能であれば苫小牧の方が圧倒的に上だし優先目標苫小牧だろ、港湾機能能力差を知らない時点でイメージだけで語ってるよね?

数十年単位軍事リソースを消費している今のロシアがどうやって北海道中の軍事重要拠点陸路破壊ができると言うのか

50年後の話をしているならば一部は納得できるものの50年後の日本ロシアがどうなってるのか正直わからんな!

anond:20220410103832

ウクライナ弾道ミサイルが少ししか使われてないのは理由が分かりませんが,普通は開戦と同時に主要な軍事施設を無力化するのに使います

同様に北海道攻略に使うなら,道南鉄道破壊して本州と切断,室蘭攻撃して港湾破壊,内陸の道路破壊して交通遮断航空基地を無力化ってところですか

ロシア経済的に何発撃てるのかは最近ハテナと思わなくもないですが,このくらいはできるんじゃないですか

道東から陸路石狩方面に来るには沿岸部を通るしかないという状況ならば,哨戒機で進軍の状況を監視して迎撃するのは簡単になります

いや道東から石狩方面に行く道なんかなんぼでもあるべと思うかも知れませんが,何年か前に大雨でJR止まってかつ橋が1個流された時,マジで通れる道があと一カ所しかないという状況がありました.戦車が通れる道が内陸に少ないので,何カ所か攻撃すれば助けに来るのが難しくなります.面制圧と言うほどのことをしなくてもいいわけです.

日本海戦で頑張るか戦術ロケット一生懸命配備する必要があります

2022-03-31

徴兵制を敷いてる韓国って実質的日本の盾になってるよな?

日本仮想敵国って中国ロシア北朝鮮でその国と陸路でつながってる

同盟って韓国だし、

これって日本右翼左翼はなんで言及しないの?

2022-03-27

ロシア人もっと突っ込んだこと聞いてみたかブクマカに教えてやる

前編https://anond.hatelabo.jp/20220327224432

3/21

友達アメリカは今でもウランロシアから買っている。ロシア軍事力ある意味認めているのだ」

増田「それが軍事力を認めたってことになるの? ただウランが取れるってだけじゃない?」

友達「そうだね」

増田「(何を納得したんだろう)」


3/20

増田ロシア中東歴史的につながりはあるの?」

友達モンゴルが300年間ロシア支配していた」

増田「ああタタールくびき。でもモンゴルって中東だっけ」

友達中東だ」

増田「(……)」

増田「(あーなるほど、モンゴル帝国は中東を版図に収めてたこともあるのね)」

友達「他にはあまり覚えていない。露土戦争最近シリア内戦くらいだ」

増田「そう。文化的に近いところはあるの?」

友達「同じロシアでも文化が違うからなんともいえない。なにしろ広い。

シベリアはいつも東側だった。ずっとモンゴル中国などアジアとは密接な関係にある」

増田朝貢とかしてたの?」

友達「tribute to what?」

増田「(してないようだな)」

友達シベリア歴史の半分はSiberian khanateだ」

増田「そう(シビル・ハン国っていうんだ。へえ、地域名の由来もモンゴルなのね)」(注:増田世界史あんまり知らない)

友達「その後シベリアコサックでいっぱいになった。ただいつも中国とは関わりが深かった」

増田「そう」

友達日本シベリア征服しようとしたこともある。シベリア出兵だ」

増田「あー。聞いたことはあるけど内容は知らない」

友達ロシア内戦が起こっている隙に日本シベリアを奪って緩衝地帯にしようとした。

これでシベリア経済崩壊し、日本孤立した。今のロシアのように」

増田「それまでシベリア経済はよかったの?」

友達シベリアはそれでもロシアの一部だったし、赤軍内戦に勝ったときシベリアを多少は良くしようとしていた」

増田「そう」


増田ロシアの人の下の名前って全部決まってて新しく作らないんだね」

友達「そうだ」

増田「●●さんの名前もそうなんでしょ」

友達「ああ」

増田日本だとこうじゃないからさ。歴史上の人物とか見ててもかぶる名前の人はあまりいない」

友達「そうか」

友達ロシア名前のうちいくつかは時代遅れになったり、古すぎて新しい言葉に馴染まなくなったりした」

増田「(言葉に馴染むってなんだ…?)」

友達「いくつかは禁忌となった」

増田「へー面白い

友達「たとえばadolfなどだ」

増田「高貴なる狼。意味も音も字の見た目もカッコよくて好きだなあ。とはいえこういうカッコよさの感覚は私と別の言語圏に住む●●さんでは違うんだろうな」(注:言語圏以前に個人差もあるのは見逃してほしい)

友達「だがその名前は殺されてしまった」

増田「いつか復活する日はくるのかな」

友達「来ない」

増田「断言するのね」

友達「する」

友達「Adolf Freidbergというロシア作家戦後Arkadiy Davidovichに改名せざるを得なかった」

増田苗字も変えたの?」

友達ドイツのもの戦後ソ連で嫌われた」

増田「ああ…」

増田「ВладимирとВолодимирは見たところ同じ名前だよね?」

友達「そうだ」

増田プーチンとゼレンスキー名前が同じなのはちょっと感じ入るところがある。今後どういう扱いになるのかなあ(聖と邪をあわせもつなんかすごい名前とか?)」

友達「これはごくありふれた名前から特に何もならないだろう。adolfは多少珍しかった」

増田「そうか」

増田「(なるほど、なるほどね……。これをつまらないと思うのはローマ剣闘士を見て楽しんでいた市民と同じ心性なんだろう)」

増田「(そういえば民主主義独裁とは理論上は相容れない物ではないというか…代議士が1人しかいなくて任期も長い民主主義というのはありうる。それは別に独裁じゃないけど。どうせ大衆心理が1人の英雄を追い求めてしまものならば、最初から独裁に似せておけばむしろ本物の独裁になりにくかったりしないだろうか)」

増田「(……)」

増田「なんだよスペインには今もアドルフいるじゃん!!」


友達ウクライナ人の一部は馬鹿ロシア人と同じだ。日本人のことを『ジャップ野郎』『目が細い奴ら』と呼んでいた」

増田「ゼレンスキー核兵器には触れたんだよ? 核兵器を知ってて広島長崎を知らない政治家がどこにいるっていうの? いや、いるだろうけど」

友達「惑わされないでくれ。ウクライナ人ロシア人に大した違いはない。彼らも人種差別者になりうる。今回は彼らが被害者だというだけだ」

増田安心してよ、惑わされてなんてない。

(これのことかhttps://jp.reuters.com/article/ukraine-discrimination-students-idJPKBN2L40H8 )」

友達「それでも私はウクライナの人々の悲劇に心を痛めている。この無価値戦争は誰も幸せにしていない」

増田文化も血もすごく近い国の人たちの性格がそんなに違うわけない」

友達ウクライナ人は彼ら自身ロシア人と区別しようとしている。『ウクライナロシアじゃない、我々は兄弟じゃない、ロシア人はすべて切り刻まれるべきだ』と。

ウクライナにも西洋もも幻想は抱いていない。小さい頃はアメリカ世界一素晴らしい国だと思っていたが幻滅するばかりだ。アジア人は正直者だ」

増田「悪いけど私は基本的に嘘と隠し事で生きてきたんだ」

友達「全体的な傾向のことを言っている」


3/23

増田悪魔みたいなジャケット着てみたいけど多分似合わないだろうな」

友達「誰に?」

増田同時通訳日本語にとても不慣れに聞こえる」

友達「そうみたいだ」

増田「ざけんなゼレンスキー

友達「"screw you, zelensky"?」

増田「(よう道徳小人間。ところであれは『国土は最大なのに道徳は最小』だからなんか面白くなるけど仮に『国土も最小だし道徳も最小』だったら他の面積が小さい国々から嫌がられそうなの非対称だ)

うん。ていうか●●さん演説聞いてたんだ。あい原爆についても空襲についても何も言わなかったよね?」

友達「ゼレンスキーNATO戦争に引き入れたがっている。つまり第三次世界大戦だ」

増田「そうみたいだね」

友達NATO馬鹿ではないからそれはわかっている。 プーチンNATOが参戦を決めたら核を撃つと言った」

増田「それがゼレンスキー原爆についても空襲についても何も言わなかったことになんか関係あるの?」

友達「かもしれない。ゼレンスキー発言はどれも同じような内容だから最近は聞いていない。いつもNATOに飛行禁止区域武器供与を求めている」

増田「そういえば聞いてわかるの? 日本語にはそういう言語ないんだよね」

友達ウクライナ語は聞けば8割か9割くらい理解できる。ロシア話者はみんなウクライナ語がなんとなくわかるし、なんならポーランド語ちょっとはわかる」

増田「そう。日本語圏ネットはゼレンスキー演説でもちきりだよ」

友達「正直なところゼレンスキーはどう見ても西洋の駒だからまり興味がない。言動運命も知ったことか。

それよりもウクライナロシア一般市民の身を心配している。ただ早く戦争が終わってほしい」

増田「●●さんがゼレンスキーに興味がないのはわかったけど喋らせてよ本当に腹が立ったんだ。

ゼレンスキーアメリカ議会で真珠湾の話をしたんだ。

これはわかる。宣戦布告なしで攻撃を仕掛けるのは国際法違反からその真珠湾の怒りを思い出してくれというのはよくわかるさ(日本軍はほかにもいろいろやらかしてるし)」

友達「ゼレンスキーNATOを参戦させるためならなんでも言うだろう」

増田「でも民間人を襲った原爆空襲だって国際法違反だ。どうして『原爆を思い出せ』『広島長崎を思い出せ』がないんだよ。これじゃ不公平だ」

友達ウクライナ人も、そして多分西洋人もそれのことを大して気にしていない。彼らがした他の戦争犯罪と同じように考えているのだろう。歴史は勝者によって書かれる」

増田「これがもし仮に日本の落ち度を批判してきたなら納得したんだよ。日本政府北方領土を取り返そうと20年くらい無駄な援助を重ねてきた前科がある。

そこを糾弾して強く改心と協力を求めてきたなら空襲原爆に触れなくてもきっと納得してた。なんでだろうね?

(そういえばドイツだって大量にソ連移送される被害を受けたことがあるんだからこちらに言及することもできたのにあくまドイツの加害のことを言ったんだった)

でもゼレンスキー日本をおだてて持ち上げてずっと友好的な態度だったにもかかわらず触れなかったんだ。それがすごく侮辱的で軽んじてると思った。口先でお世辞は言って、日本人への赤い血がしたたるような感情は見せてくれなかった」

友達北方領土日本にあげたい」

増田「この売国奴が」

友達まさか。私の心を捧げた国を売りはしないさ」


3/24

友達制裁が終わらないと日本に行けないことに今気がついた。銀行一定の残高がないとビザが作れないのに銀行制裁にあっているからできない」

増田「ああ(制裁銀行カードは複雑すぎてなにがなんだかよくわからない)」

友達制裁がこの先解除されるかどうかもわからない」

増田「他の国もダメ?」

友達「どこもロシア人を求めていない。カザフすら国境を閉じてしまった」

増田「あれ? 私がどうやっても無理な感じ?」

友達結婚していれば出られただろうな」

増田「本当にダメなの? どうやっても?」

友達「いくつかの企業従業員国外脱出させる手助けをしている」

増田「じゃあ私がそっちに行くのは」

友達飛行機が飛んでないい」

増田「(ならどこかの国経由で……)陸路は?」

友達「もしかすると、あるかもしれない」


3/24

増田スーパーに物はある?」

友達砂糖以外なら大体」

増田「(ネットで見たの本当だったんだ)」


3/24

増田ウクライナの人々はロシアがどういう扱いを受けることを望んでいるか気になっている。人々というか政府というか」

友達ロシアは死んでほしいと思ってるだろう」

増田「疑問点は2つある。一つは国民同士の関わりが深いこと。●●さんにもウクライナ人友達がいるだろう」

友達「今やほとんどのウクライナ人ロシア人を憎んでいる」

増田ロシア人が全員死ぬボタンがあったとして●●さんの友達は押すだろうか」

友達「押さない」

増田「なんでそう言い切れる」

友達「そういう人ではないから」

増田「(しまたこの人は命の価値は誰でも一緒とか言ってるんだった。私としては『ロシア人の家族や友人や恋人がいるウクライナ人ロシア人全体が嫌われるのを望まないだろう』……『友達は私を殺したくないかボタンは押さないだろう』の意味で言ったけど●●さんは多分『友達は人を殺したくないかボタンは押さないだろう』の意味で言ってて話が通じてない)

二つ目ロシア人とウクライナ人が似ていることだ。日本人と中国人と韓国人がよく海外でごっちゃにされてるようにロシア人とウクライナ人区別もつかないだろう。ロシア人が嫌われるとウクライナ人とばっちりを食らいかねない」

友達「だからそのボタンを押すウクライナ人はそこそこいるだろう」

増田「なるほど(中途半端に殺すと民族対立になるが全員殺してしまえば丸く収まるのはアメリカ黒人ネイティブアメリカン――全員は殺されてないが――を見ればすぐにわかることだ)」


3/25

友達IT技術者のロシア国外への移動が禁止される」

増田「そう」



例をあげるならば、ロシア政治指導部は、きわめて当然のことながら、外国勢力さらには具体的にどのような組織個人ロシアの弱体化を狙って行動しているかに、関心を持った。この問題に関する正しい答えを出すことはきわめて重要である。EISは、この問題について詳細な調査分析を行ない、「現在のところ、米国及びその他の先進西側諸国国家政策にはそのような方針を示すデータはない」と政治指導部に報告した。(「クレムリンの5000日」エヴゲニー・プリマコフ著 鈴木康雄訳)

彼がEISの長官を務めたのは1991-1996年です。

西側諸国ロシアへの方針について恐らく世界で最も詳しかった人のひとりでしょう。ただ本当のことを書いているかどうかは私には判断できかねます

この時代の他の国家の状況についての情報も知るべきでしょうが、さきほども書いた通りこの回顧録すら読み終えられていません。


anond:20220314114812

増田国葬もやってたみたいだけどなんで今まで死んでたこと知らなかったの?」

友達政治家などどんどん変わるのに全員わかるわけがない」

増田国葬ってすごく大々的に報道されるもんじゃない?」

友達「そうでもない。普通ロシア人は政府なんかに興味がない。

テレビ最後に見た国葬エリツィンので、最後に見た普通葬式マイケル・ジャクソンのだ」

増田「(うちの学校では今のマイケル・ジャクソンは96代目とかいう噂が流れてたなあ)

そうなんだ。なんでエリツィンのは報道されたのにプリマコフのはされなかったんだろう」

友達エリツィン大統領だったがプリマコフ首相だった。それにプーチンプリマコフを好きではなかった」

増田「なんで嫌いだったと思うの?」

友達プーチンパラノイアだ。あの長いテーブルは知っているか?」

増田「知ってる知ってる。なら国葬したり銅像建てたりしてるのは見せかけのポーズなのかな?」

友達「もちろんだ。スターリンが死んだ時からずっとそうだ」

増田「そうなんだ」

とはいえ友達ほとんどテレビを見ないらしいのでテレビに関する情報は怪しいと思っています

BBCでもロイターもついでにNHKでも、ロシア国外ニュースいくらでも読んでいる人なので恐らくたまたまでしょう。

メディア規制については確実に私より詳しいので安心してください。


anond:20220315124930

(1)友達の話を聞くに相当小さい頃からずっと英語ロシア国外ニュースを見ていたらしいので多分プーチン万歳と思ったことがほぼなさそうです。

(2)もし友達がその方法を知っていたら、聞かなくても教えてくれているでしょう。


anond:20220319004812

1)答えではありませんが、エロ同性愛イラスト普通に載っているのを不思議に思っています。あれ匿名ですらないのに。

2)小中高一貫は初めて知ったときびっくりしました……。

前編にも書いた通り、彼はロシア人はウォッカビールも飲むものだと思っているようです。

増田「失礼な質問かもしれないけど聞いてもいいかな」

友達「いい」

増田「『英語など外国文化を知らないようなロシア人はあまり謝らない傾向がある』と聞いたんだけど本当にそんなことがあるの?答えたくなければ答えなくてもいいよ」

友達「まともに教育を受けていなかったりしつけられていなかったりするロシア人は謝らない。外国文化とは無関係だ」

増田「ふーん 他の国と大して変わらないだろうということでいい?」

友達「変わらない。russians are the same as everyone else」

増田「そう」

友達英語話せるやつではないやつたちとも接点が多いようです。

ただし在露邦人あなたのほうが信頼性が高いかもしれませんね。私にはわかりません。

ところで、友達はごく当たり前のように人に謝ります


anond:20220313160453

スラブ民族がどうこうとか正教会がどうこうとかについては友達からは何も言われていません。


anond:20220313152839

「オルブライト? へー初めて聞いた」と思っていたら亡くなりました。

それはともかく面白そうなので Permalink | 記事への反応(3) | 22:43

2022-03-14

ユニクロ批判する前にやる事あんだろ

訪朝経験がある米国社会科学研究評議会レオンシーガル氏も18年9月、「北朝鮮ミサイルモーターをウクライナから買っている。自分たちで作っていない」と語っていた。長年、北朝鮮問題担当した日本政府の元当局者も「完成品か、あるいは工作機械ロシアを経由して陸路で輸入した可能性が高い」と語る。

2022-03-10

戦闘機スティンガージャベリンの値段

戦闘機一台20億円

スティンガー400万円 戦闘機一台で500台

ジャベリン1000万円 戦闘機一台で200台

戦闘機ぶち込んで壊されるより、ジャベリンスティンガー陸路で大量供給したほうが安上がりという判断かもなぁ。

そうして泥沼にして、ロシア企業の大量倒産金融危機ハイパーインフレにしたほうがロシアを弱めることができる。弱体化すれば常任理事国剥奪可能かもしれない。更にロシア生産品を他の国で作れば、作れた国は大儲けできる。

ウクライナには過酷だけど、ウクライナロシア以外の国にとっては、ロシアが完全に弱体化して二度と侵略戦争起こさないようにするのと、ロシアが持っていた客を自分の国の客にできたほうが得だしな。

2022-03-04

anond:20220304182050

劣勢だから降伏するようなタイプの人はもう国外脱出しとるやろ。

陸路で逃げられるんやし。

留まって戦った上で不利な条件飲んで降伏する意味ってなに?

どうせ民族浄化されるし国外逃げて難民になる方がよくない?

結局今現地に残って戦ってる人たちはたぶん死ぬまで止まらずに戦うと思うぞ。

2022-03-03

anond:20220303205458

ヒントをもらったのでググってみたらすぐ見つかった。そりゃそうよね。

元増田の予想や現在ウクライナ人分布との違いは、やむにやまれず出ていくわけだから北米なんかより陸路で行ける近隣諸国比率が多くなってるね。これもまたそりゃそうだわな。

2022-02-25

ウクライナ陸路隣国脱出出来なくもないけど日本詰んでない?どこからどこへ逃げられる?

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