はてなキーワード: 占星術とは
そんな康太さんの話に、私はなんともせつなくなった。私には、康太さんの辛さがよくわかる。誰かに自分の今と未来を相談したい。だけど“自分が知らないことが何かを知らないから、何を誰に聞いたらいいのかわからない。
”どうすれば、自分の在りたい自分を見つけられるのか、それに近づく努力の方法とはどこにあるのか……すべてがわからないのだ。
「好きにやっていいよと言ってくれた両親。でも、どう生きていいのかわからない。かといって両親に相談するのって、恥ずかしくてできないじゃないですか?
根暗な自分が嫌でね。何がやりたいかもわからないまま、地元から逃げるように東京の私立大学に入学しました。学部なんてなんでもよかった。とにかく上京したかったんです。
今度は友達を作ろうとしていたので、最初に勧誘されたサークルに入りました。それが、スピリチュアル研究会だったんです」
占星術や血液型占いから遠隔治療まで、いろんなスピリチュアルに興味を持つ人たちが“ごった煮状態”のサークルだった。
「今考えると、そういうサークルは珍しかったかもしれません。ヘンな宗教っぽさはなかったと思います。僕は、ただ友達がほしくてサークルに入っただけ。
見た目は黒くてゴツゴツしていて、手のひらサイズ。公園などで見る石のカタチに近いのですが、はっきりとした黒い色はあまり見たことがない気がして、なんだか貴重な石に思えました。
パワーストーンなんて、僕には未知の世界でしたが、なんか頼るものをやっと見つけた気がしましてね。毎日、もらったのを大事に持ち歩きました。すると、ほんとに結構いいことが起きたんです。クラスで気になっていた女子からおはようって挨拶してもらえたり。なかなか当選しないアイドルのライブチケットに当選したり。
サークルでは先輩以外にもみんなと普通にご飯に行けたりと、やっと普通の人間関係を築けるようになった。なので僕にとっては、その石をくれた先輩が神様のように見えていったんですよね。
沖縄出身で黒く焼けているイケメンでね。白くてひょろっとしている自分とは対照的。男としてもかっこいいなあと憧れていたんです。もっと仲良くなっていろんなことを教えてほしいなあと思っていたのですが……」
2024年の2月(立春)から「第九運の20年間」に入るので時代の大枠が大きく変わります。
様々な分野で起こるエポックメイキングを通して、それまでの常識や価値観を覆すような出来事を体験することになるでしょう。
インパクトの強いイベントではありますが、新たな時代へ向かうための「プロセス」であります。
まずは、これまでの第八運を振り返ります。
2004年(立春)~2024年2月(節分)の第八運は、八白土星(☶)が担う主な事象は「止る、変化」。
象徴する自然象意は「山」で、人間界に置き換えると「組織や権力、ヒエラルキー」です。
第八運で出現した「止る」の事象で、もっとも強いインパクトを受けた出来事は「外出自粛」で、世界的には「ロックダウン」。
「組織」に関することは、芸能界や大企業の不祥事、さらには政治の裏金問題で信用の「山」と共に組織そのものが崩れるような事象が生じています。
「ネガティブな出来事と闇」を見ることになるので、あまり気分の良い体験ではありませんが…
しかし、これまで幻想や嘘で胡麻化されていたことが明らかになり、「真実」を知り得たのですから決して悪い出来事ではありません。
第九運は、九紫火星の「離☲」が担う正象の「火」による事象が社会的に発現します。
「火」から生じる明るさは「物事の露呈」を促すので、これからも様々な方面や分野で物事が明らかになるでしょう。
また、基本的な性質を表す「卦徳は明智」ですので、その事象からはテクノロジーやAI技術のさらなる向上でシンギュラリティを起こり得る事象でしょう。
人物においては、九紫象意を担う「アーティスト、学者、美女、中女」に光が当たります。
その反面、強い光が当たることで「陰」も色濃く現れるでしょう。
つまり、九紫火星のエネルギーが旺盛になる反面、その事象が行き過ぎる状態も生じます。
組織においては、これまでの中央集権型組織から自律分散型組織に移行するで、ひとり一人の自立がマストになるでしょう。
目的を果たすための「離合集散」が起こるので、これまでの「利権」にしがみつく依存的な生き方は淘汰されるかもしれません。
次に迎える「新たな180年周期が始まる第一運」に繋げるための「離の作用」が活発に推し進められます。
つまり、人類の成長を妨げる原因となり得る「因習」や「悪魔的な闇」は火による浄化が施されるでしょう。
この事象は、社会的事象だけでなく「個人の意識」にも生じ、そのタイミングにおいては個人によって様々です。
いくつか考えられるだろうな。
自分なりに前向きに現実に適応していくために占いを利用してる、という考え。
例えば占星術は天体の位置や動きと人間や社会のあり方を経験的に結びつけて占うっていう体になってる。
「自分の運命や運勢に一定の法則や意味がある」と信じることで、本来は不確実である未来に対する不安や恐怖を和らげる効果があるんじゃないか。
不確実性に由来する不安に対処するための手段の一種だと考えると、占いにハマる人は悩みや不安を抱えていて、それを晴らすための手段が占い以外にあまりない人なのかもしれん。
お店
なんだろうね
ぼく:
きょう午前中は仕事で失敗をしてがっかりしています。今日は2023年4月20日です。しし座の運勢を占いたいです。
ChatGPT(3.5):
残念ながら私は占いの能力はありませんが、あなたが失敗を経験してがっかりしていることをお伝えします。失敗は誰にでも起こり得るものであり、成功に繋がるための貴重な学びの機会でもあります。
もし、落ち込んでいる気持ちが続く場合は、自分自身を励まし、前向きな考え方を持つようにしてください。そして、次に同じような失敗を繰り返さないように、自己反省を行い、改善策を考えることが大切です。
また、しし座の運勢については、占星術に基づいた情報を提供することはできませんが、あなた自身の能力やチャンスを最大限に活用することができるよう、前向きで積極的な姿勢を保ち続けることをお勧めします。
峯村 健司 / Kenji Minemura「ウクライナ戦争と米中対立」(幻冬舎新書)4刷御礼
@kenji_minemura
スマホに同時に通知が来た。
ロシアは時刻まで知っている。
この理由はウクライナのキエフを攻撃してバイデンになにかあると大変だから。
またロシアはテレビ情報やネット掲示板もみており、安倍暗殺の報道もNHKと同時だった。
報道があって数時間経過したが、RIA、ロシアントゥデイも報道していない。
極秘なのはいいが、キエフにもミサイルは飛んでくるし防空システムがバカなので撃墜しようとして誤爆する。
このような状況で全く通告なしなら岸田の命が危ない。
報道されてから数時間後に訪れるという報道がないと撃墜されても文句は言えない。
なので対ロシア向けということになる。
岸田の訪宇は何を意味するか。
少なくとも5月のサミットには来ない。
現在の戦況はバンザイアタック中で敗北必須。2014年から訓練してきたアゾフは全員死亡した。
この状況からみてゼレンスキーの訪日は不可能でそのかわりに岸田はウクライナに行ったと考えられる。
これはどこもよくわかっていない。
可能性としては停戦協定の仲介もあるが、ポーランドを考えれば無理。
3月21にはロシアでは死の新月の日とされている。占星術でも大きなインパクトがあるとされている。
ロシアの占星術師によると大事な約束をしたり、対立を引き起こしたりしてはいけないとされている。
非常に不吉だ。
最近の言論が非生産的とされるのは、政治に対する考え方が敵味方と関係していると判断されることにある。社会はどのような立場をとるかによって左右のスペクトルに位置づけられるという感覚に陥っている。
左端は「共産主義者」、左中央は「進歩主義者」と「リベラル」、中央は「穏健派」、右は「保守派」、そして右端は「ファシスト」である。従来の常識では、政治にはいろいろな立場があるように見えるが、その根底には「変革」「現実主義」「社会正義」など、一つの理念や主義があり、それを束ねるイシューがあるということだ。
多くの人がこの「スペクトル」モデルの政治を信じているが、左派や右派のあらゆる政治的立場が、根底にある一つの根源イシューから生じていることを示す証拠はあるだろうか。政治には、他のあらゆる複雑な領域と同様に、何千もの問題があり、それらについて考える方法はたくさんある。
では、一次元のモデルに魅了され、多次元的な政治的現実を見ることができなくなっているのだろうか。それともそのような一次元化がまさに本質なのだろうか。
例えば共和党が何をやっても、たとえ正反対の政策をとっても、必ず "右傾化 "と呼ばれる。自民党でも同じである。では、「右翼」というレッテルは、共和党の政策について何を伝えるのだろうか。まさに何もない。しかし、共和党を嫌う人々は、共和党をヒトラーと一緒にすることでレッテルを貼れるのである。
「左翼」あるいは「右翼」と呼ばれる一連の信条の背後には、統一的な原理や哲学が存在しないため、この左・右のイデオロギー観から生まれる用語(「進歩的」「自由主義」「保守」「反動的」)は、部族の意味以外には意味をなさないと心理学者は考える。ある人が保守派に属していると言うことはできても、それが政策的に何を意味するかは、その部族がある文脈で何を支持するかに完全に依存する。
では、なぜ「リベラル」や「保守」が信じていることの背後に単一の哲学や世界観があるという集団妄想が蔓延しているのだろうか。一部の人はある人を「ネトウヨ」と呼ぶかもしれない。それは、教育に対する不信感を表明するような態度から「低学歴」を想像するからかもしれないし、中国の脅威を叫ぶことが「差別主義」と同じように見える人もいるのかもしれない。「イデオロギーとは、ナルシスティックな時代における自己満足の道具なのだ。」という言葉そのものが、イデオロギー対立をする人々を敵と見做したナルシストであることは興味深い。
心理学者は長い間、人間には帰属意識と意味のあるコミュニティが必要であることを理解してきたが、イデオロギーのおかげで、我々は自分たちの部族が信じていることすべてに賛同し(それが常に変化しているとしても)、自分たちの部族が支持していることが実は「保守主義」や「進歩主義」の哲学に縛られていることを事後的に料理して説明できるのだ。このような話術は、占星術師が誇りに思うだろう。
二項対立のレッテル貼りはドーパミンを放出し、部族を結びつけるが、民主主義の健全性にとってはどうだろうか。スペクトルの観点から考えることは問題を通して考えたり、別の視点を考慮したりすることをできないようにするだろうか。
「もし二項対立のレッテルを貼るのをやめ、他のあらゆる複雑な領域でそうしているように、粒度の細かい説明を使うことができれば、現代の公的生活を特徴づけている混乱と敵意を払拭するために大きな前進を遂げることができるだろう。」と希望的観測を述べる人もいるが、部族主義よりももっと根本的なことがある。
それは、緊縮財政に陥った社会のゼロサムゲームがスタートしていることが挙げられる。その場合、「どうやってパイを分けるのか」についての騙し合いが始まり、その騙し合いこそが「イデオロギー」という最大の綺麗事に変換されるのである。
自称教養人は「スペクトル」を包括的に考えることを笑い飛ばすだろうが、そのスペクトルの背後の経済学(つまりゲーム理論)について真剣に考えるべきだろう。部族主義、なんて怪しい言葉を使うのは胡散臭い心理学者だけで十分である。
会話型AIの政治思想:ChatGPTの親環境、左リバタリアン志向に関する収束的証拠
https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/2023arXiv230101768H/abstract
占星術に関する本を何冊か買ったりして、
https://twitter.com/yoppymodel/status/1548848031826870272
それ以上にこの話題で噴出する「占い」というものへのコメント群が
「占い全然知らんし興味もない人がイメージで言ってるな〜」と思ってちょいイラッとしたので
分かる人向けに書けば
「ホロスコープの読解は自分や友人のネイタルを中心に何度か試したことがあるがアスペクトを絡めて読むのは難しく勉強中。
トランジットにはあまり興味がなくて心理占星術関係に偏り」です。
わからん人向けに書くと入門書の内容を舐めた程度で占いの実践としては素人。
未来を知りたいとか隠された真実を知りたいとかいう願望はない。
なので以下間違ってる可能性は大いにあり、詳しい人からの異論は歓迎です。
朝の星座占いランキングに代表される12星座占いというのは、その人の持つ「代表的な星座」だけを見ている占星術の簡易版に過ぎない。
本来はその人が生まれ落ちた瞬間の惑星の位置や惑星同士の配置から読み取る。
占いなんて根拠なく適当言っているだけだろう、という人もいるが、
この「生まれた瞬間の星の配置」については誰が計算しても同じものが出る。
(※正確にはハウスの分割方法とか小惑星とか読み取り方に流派はあるけどめんどくさいから割愛)
ゆえに、占星術とはみんなが同じ星の配置を見て、それをそれぞれが言語に翻訳して伝えているものである。
星の配置から何を読み取るか、というのも、ある程度セオリーがある。
たとえば月※や金星や水星、火星といった地球に近い星は、地球から見たときの位置の移り変わりが激しく、感情や気質といったパーソナルなものの象徴として扱われる。
対して冥王星※※、海王星、天王星といった遠い星は、移動する周期が数年〜数十年単位なので、例えば世相の変化や世代の意識のようなより大きなものの象徴として扱われる。
そういったそれぞれの要素が、相互に影響したり、人生のどこかで強調されたりするのを、星の配置――位置や星同士の角度から読み解いていくのが、占星術といわれるものだ。
ネットの無料占いの範囲でも、少し詳しいサイトを見ればバーナム効果で片付けきれない結果を見ることができると思う。
(※占星術は天動説の世界なので太陽や月も「惑星」と呼ばれる。チ。)
(※※冥王星は占星術の世界では今のところまだ惑星扱いである。)
前述のとおり占星術とは「惑星それぞれが象徴するものと、その位置関係」を読み解き言葉に翻訳して伝えるものだ。
そこには、図を見て言葉で伝えるような、翻訳段階のズレが生じる。
また、どの星を読み取るか?も個人の資質に左右されるところだ。
恋愛運を見てください、といったとして、その占い師が「恋愛」が何から構成されていると考えているか、で伝え方は変わってくる。
例えば、
……なんて言われ方をする。
それは、占い師が恋愛というものの構成要素をどう考えているか、に左右されてしまう。
少し昔の本ならば、
なんて断言していた本も多かったが、
そういう一律な読み方を支持する占い師ももう少なくなっている気がする。
占い師は適当を言ってるから結果がぶれるとは一概には言えない。
占い師の考え方自体が、「読み取り」「翻訳」に影響を与えるのだ。
「運がいい」とは星がどういう配置にあることか?という占い師の解釈によって順位が異なるから、結果が異なる。適当に並べているからでは、ないことのほうがおおいだろう。
(余談だが、少し占いをかじるとそのへんのアルゴリズムがなんとなく見えることがある。順位予測など可能である)
ここまでつらつら書いたとおり、私の知る限り、占いとは「象徴の読解」という営みそのものである。
なので占いに関して「当たる」「当たらない」という言い方自体に個人的には違和感があったりする。
人の性格や世の中の動きといった、混沌として一概には言い切れない茫漠として掴みどころのないものを、
占星術の様式に沿って分類し、その関係性を図に表されていると仮定し、それを解釈したもの。
だと私は思う。
とここまで説明されたところで、
「そもそも星の位置が、人の性格だの世の中だの象徴してるわけなくね???」
と思う人はいるだろう。
私だってそう思う。
太陽も月も冥王星も惑星で、地球が宇宙の中心にあるという仮定で導き出された図が世の中の何かを「象徴」してるだなんて、
それが「科学的」に「正確」なわけはない。
けれど大昔の人たちはそう思ったのだ。大真面目に。
そして、世の中の物事を観察し、分類し、星星に振り分けて、関係を考え抜いてきた。
「人の性格」とかいう多面的なものを、占星術の世界ではどのように分類してきたのか。
「世の中の動き」とかいう無数の歯車の噛み合った膨大な機械を、占星術はどのように分割してきたのか。
その、この世に向ける眼差しの果てない努力の痕跡が私は好きだし、
それはときどき、現代の日々を生きる私のことを励ましてくれたりもするのだ。
北京の蝶がニューヨークで嵐を起こす、その間には無数の細かな歯車が噛み合っていることだろう。
カムチャツカの若者がきりんの夢を見たりする理由は、若者自身も知らないところにあるんだろう。
そういう、茫漠とした、人間個人では把握しきれない物事を、なんとか星に仮託して把握しようとするのを、馬鹿馬鹿しい振るまいとは私は思わない。
そういう「考えたってわからないこと」「人間の力では及ばないこと」を忘れ、目の前の物事だけに没頭して生きるのはあまりに荒涼としていないかと私は思う。
そういう、「向こう側」をみんなシャットアウトして生きるほうが、私には特殊に思える。
ときどき星を見るとかして、その中の一つとして自分が位置づけられているのだとおもうくらい、正常な人間の営みではないかと、私は思う。
星の話をしてるから仕方ないな。ゆるしてほしい。
さて、ヨッピー氏の主張は
「とはいえ、占いみたいな非科学的なものを電波に乗せて、カルトへの忌避感を下げるのはどうなの?」
というところだと思うのだが、私はこれについては明確におかしくないか? と思う。
そもそも「科学的な話」「論文などのエビデンスがある話」ならいいのかというと、
「エビデンスとなりうる論文はあっても効果としては現実的ではない話」はいくらでも電波に乗っている。
あれらは健康食品詐欺のゲートウェイになっていないと言えるのか?
彼らはおそらく自分たちのことを「科学的に」思考していると思っているのではないか。
あるいは散々指摘されている「サウナでととのう」なんて明らかに医学的に警鐘が鳴らされてもいるが、「自律神経がととのう」とかいうよくわからんゴリ押しがなされているだろう。
そもそも「科学」とは絶え間なく検証と訂正が繰り返されるものだが、
その大部分は電波に乗ることなく、どこかの商品に都合の良いところ、テレビで視聴率の取れそうなところだけが編集されつまみ食いみたいに放送されるのが現実だ。
でも、それがない放送大学オンリーみたいなテレビを望むかといえば望んでいないだろう。
私が何を言いたいかというと、
「情報がどれほど科学的か」という点では、電波に乗っているものはさほどの差がないのだ。
結局我々はそれを選んで、検証し、学び、考え、実践して自分なりの判断力を養っていくしかない。
すべての情報は自分の判断のための「材料」だと割り切ることだ。
それを放棄して、自分以外の誰かに判断を委ねきってしまったとき、
占いだろうが「科学」だろうが、少なくともテレビに乗っている情報という土俵においては変わらないのではないか。
……と締めようと思ったが、
カルトの怖いところは
「自分で考えろ 自分で考えて私達と同じ結論になれ」なところだし
たとえば反ワクチンやカルト宗教による輸血拒否だって当人たちにとっては自分で考えた結果なわけで
「自分で考える」が絶対の解決策とも思われないのが難しいところではある。
健康診断で医師に不安を煽られないと運動不足の解消に向かうのは難しいし、
ならば医師になら全権委任していいかというとアカン医師をツイッターからいくらでも引っ張ってこれてしまう。
あるいは、飛行機が飛ぶ原理って科学的に立証されてないらしいよ……という情報の正誤を私は確かめられていないが、移動したいときはその判断をすべて棚上げにし、自分の命を航空会社に委任して飛行機に乗る。
委ねるべきときはあるけど、その相手は見極めなければならない。
というなんとも煮えきらない結論で終わる。
『男の人ってなんで占い嫌いなんだろ』というのは性差別とまでは言わないけれど「あなたが観測している範囲」の話でしかないと思います
しいたけさんは男性ですし、鏡リュウジさんも男性であるように著名な占い師の中にも男性はいることは覚えておいてください。
『男の人ってなんで占い嫌いなんだろ』の正体は、自分が嫌い・苦手意識を持っている・忌避しているものがマジョリティであることへの嫌悪感です。
男女は関係ありません。そういうとこに性別を入れないでください。
テレビで話題になった食べ物に行列したり、話題だというだけで映画を観に行ったり、アイドルに熱を上げている人を見て冷笑するのと同じ心理です
ここからが本題です。
ヨッピーさんもそうなんですけど『占いほんと気持ち悪い、エビデンスもないのに』って言ってる人がどのくらい占いの事を知ってるのかなって思います。
占いは科学でも統計でもないということは誠実に占いに携わっている人間であれば知っていますし、そう発言しています。
鏡さんはご自身のTwitterやブログ、著書などで何度も「科学ではない、統計ではない」と主張する一方で「でも当たる」と仰っている。
テレビや雑誌の占いを規制したら「本当に」カルトに対して規制が掛かるのでしょうか。
オウム真理教の入り口としてヨガサークルがありましたしオウム真理教と無関係であっても「オーウームー」と詠唱することは知られていますが、ヨガは禁止されるべきなのでしょうか。
今回問題になっている統一教会の「入り口」のひとつに姓名判断や手相があるのは事実ですが、それ以外の勧誘方法(例えばテニスに誘われたなど)もありますし、テレビや雑誌の星占いを規制したらカルトの活動が弱まるというのはそれこそ「エビデンス」に欠失した発言だと思います。
統一教会のようなカルトにとって「占い」は勧誘の入り口のひとつに過ぎず、占いだけを敵視し、あるいは「叩いて」も何の解決にもなりません。
鏡さんが書いた『占いはなぜ当たるのですか』P128~に1975年、アメリカでおきた「反占星術声明」に対し、カール・セーガン氏が述べた言葉を孫引きではありますが引用します
”私は「占星術反論」声明を承認することができない---占星術には何らかの妥当性があると思うからではなく、声明の語調が権威主義的だと思ったし、いまもそう思っているからである
鏡リュウジ(2020),占いはなぜあたるのですか,説話社,p130”
鏡さんは、セーガンの文章に続き、以下のように持論を展開しています。
"この署名に加わった科学者のうち、果たして何人が占星術を真剣に研究してみただろう。初めからそんなものはあたらない、研究するにも値しない、と決めつけていたのではないだろうか。彼らはいわば頭ごなしに否定しているに過ぎなかったのだ 前掲著,P131"
オウム真理教が問題になったとき、ヨガに携わっていた人たちがとても苦労をされていたのを良く知っているので、今回のヨッピーさんの発言は「危険」だと感じていると同時に、手相でも占星術でもカード占いでも良いので「占える」ようになってから、占いというものを知ってから批判してほしいと私は思います。
エビデンスがないなんてい占い師なら誰でも知ってるんですよ。それでも「あたる」から不思議なのであって、それを学びもせずに批判するのはおおよそ言論に携わる人の態度として不適切だと私は思っています。
「勧誘を受けても私は騙されない」と思っている人も沢山いると思いますけれど例えば『統一教会の研究 (一) 入信・回心・脱会 https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/34984 』という論文に記述されたコンテキストを見ると実に巧妙に出来ていて、勧誘されたら最後、断れる人がどのくらいいるだろう、と思う内容になっています。