はてなキーワード: ディスタンスとは
誰一人マスクをつけていない日曜の山手線の車内を眺めながら思う。
コロナってまじなんだったん…。
私の周り今でもちょいちょいコロナ出てるけど、別に普通に生活回ってるよ。
あの頃のマスクの同調圧力に、パーテーションに、ワクチンに、自粛に、ソーシャルディスタンスに、まん防に、どれだけの効果があったの。ワクチン打ったってマスクしたってみんなコロナになってたやん。意味なかったんじゃね?
ま、個人的にはコロナは良いことしかなかったから別に良いんだけどさ。
私の勤める業界はコロナのお陰でむしろ業績上がったし、リモートワークが普及して働きやすくなった。GoToキャンペーンも活用した。
むしろカムバックコロナだわ。最近の東京人多すぎてうざい。あの頃の静寂が恋しい。
ぶっちゃけ2類にしちゃったからややこしかっただけで、最初から5類にしてインフル同等の扱いで普通に生活してればそれでよかったんじゃねーの?
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https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1529874.html
ブクマのたくさんついてるこれ。普段使いとかには良いんだと思うけどさ。でも人間がウォーキング、ジョギング、ランニングする理由ってまあ健康志向じゃん。
その時にこういう楽々走れます系履いてカロリー消費や体の負荷減らして意味あるのかな?タイパ(走った時間に対して)やディスパ(走った距離に対して、ディスタンスパフォーマンス)がめちゃ悪そう。
楽に走れて気持ちいい気分味わってでも全然カロリー消費してません、みたいな。健康志向でない本当に走り自体を楽しむ趣味っつうか。
確かに、「傷つく男が出るかも」って言ってる人はあちこちにいるのに。
でも、実際に傷ついてるっぽい男の人は不思議と一人もいなかった。
時間かけてハテナを巡ってみたけど結局一人も見つからなかった。
ゴキエナだと思われてると想定しろ、って言ってるだけ。
セルフイメージの話ですらないぞ。
…
フィクションと現実を混同して傷つく想像上の男を、実際にナンパされて傷つくソロキャンパー女性よりも優先して保護する意味がわからん。
私も、存在しない男の人を保護して、ソロキャンパー女性を見捨てるのは、なんか変だと思う。
■でも僕はゴキエナじゃない
女の子は僕をゴキエナだと見てくる… と思っておく。
でも本当は僕はゴキエナじゃない。
自分では分かってる。
なら、… 分かってもらうにはどうすればいいの?
この増田さんは女性に分かってもらおうとしてるけど、傷ついてるとまでは………… うーん。
腹にグサリと来た………。気をつけていたつもりだけど、改めて反省する。俺は、40代のおひとりさま男性だ。彼女どころか女友達もいないし、女性と手を繋いだことさえない、いわゆる弱者男性。別に何も特別なことじゃない。
…
それでもソロ男性電車ソーシャルディスタンスが発生する——…電車で隣に座ってた女の子がそっと腰を浮かして離れる現象は、よくある。
この増田さんもソロ男性ソーシャルディスタンスを紹介してるけど、感情は全然見えない。嘆いてるような描写がない。傷ついてる…………のかなあ?
腹にグサリと来た………。気をつけていたつもりだけど、改めて反省する。俺は、40代のおひとりさま男性だ。彼女どころか女友達もいないし、女性と手を繋いだことさえない、いわゆる弱者男性。別に何も特別なことじゃない。
あなた!
この日記を今スクロールしてる、あなただって弱者男性でしょ。ならば共感してくれると思う。
❶ 俺は昔バックパッカーだったので、小型のマルチフューエルストーブとチタンのコッヘルを携行してキャンプに行くことがある。ただし、大人になってからはゆったりとした大型のテントとパイプチェアを持ってく。で、近くに女性ソロキャンパーと思しき人が設営してるな… と思ったら、俺がストーブ類を出した瞬間に速攻で撤収して行った………。なるほど、この装備では多人数調理はやりにくい。他の同サイズテントは夫婦だが、ソロ男性の俺には当然女性の同伴はない。それを確認したんだ……。
❷ 夜中の電車で漫画をスクロールしてると、ガタガタと音がした。ふと顔を上げると隣に座ってたはずの女性が車両を移動しようと焦ってドアを開けようとしてた。そのときはトイレに行きたいんだろう……と納得してたけど。電車の車内は最初こそ人はチラホラいたが、だんだん下車して行き、いつの間にか俺と彼女の二人になってた…………。
ジェントル❷・ソロ男性は電車に乗るなら、人数管理に注意して。
❸ 数年後、夜中にマンションのエレベーターで女性と二人きりになった。すると彼女が突然ボタンを連打し始めた。ビックリしたけどすぐ降りて走っていったので、きっと部屋バレしたくなかったんだろう。夜中に鉢合わせる男性に部屋番号なんて知られたくないだろうから。
弱者男性への一般的なアドバイスに素直に従って、ヒゲや鼻毛は常に剃り、夏の終わる頃に服は煮沸消毒している。それでもソロ男性電車ソーシャルディスタンスが発生する——…電車で隣に座ってた女の子がそっと腰を浮かして離れる現象は、よくある。今回のアドバイスが優れているのは、「男である自分は女性からゴキブリとハイエナを足して二で割ったような存在に見えてるはず」と自省することで、これらのジェントルがただちに導出される点だ。他人からどう思われてるか? を意識すると自然と取るべき行動がわかる。俺も自室でゴキブリに遭うと真っ青になるよ。キモいはただの感想じゃなくて、キモい = 心理的安全性を奪われた悲鳴 なんだな。勇気を出して教えてくれた彼に、ありがとうと言いたい。
余裕がある女性・ソロ男性・弱者男性諸氏は、普段気を付けてるあなたのジェントル(男として女性を脅かさないように注意してること)を教えてほしい。
霜降り明星の粗品さんが、「テレビのギャラ安すぎる」「YouTubeの収入の方が多い」と話している動画を見かけ、やっぱりそうなんだぁと納得してしまった。
これは以前聞いた話なんだが。。。
テレビ番組って、コロナの時、ソーシャルディスタンス確保のためにスタジオ収録の出演者減らしてたでしょ?
あの時テレビ業界で何が起きてたかというと、どうやら、番組制作者が芸能事務所に対して「お宅の所属タレント、一気に複数人使いますから、ギャラは“まとめ割”でお願いします」って交渉の仕方してたらしいんだよね。
コロナ禍でタレント需要が減り、背に腹は代えられなくなってた事務所側は、それをOKせざるを得なかった。
だからあの頃、1つのバラエティ番組に吉本の芸人だけいっぱい出てたりとか、同じアイドルグループのメンバー同士がひな壇固めてたりとかしてたんだって。
言いたいことはタイトルで言い切ってしまったので、以下は蛇足である。
5/8で新型コロナが5類感染症に移行となる。時を同じくしてWHOの緊急事態宣言も終了となり、世界的に猛威を振るったパンデミックもひとまずは収束と言えると思う。
自分なりにこの3年を振り返ってみて、楽しかったと思えるファクターはいくつかある。
台風だの大雪だのに不謹慎なワクワク感を覚える人はそれなりにいると思うが、まさにそれの最上級。世界的なパンデミックという、一生に一度遭遇できるかどうかの非日常イベント。
何気ない国際ニュースのひとつとして武漢の新型肺炎(当時は肺炎がフォーカスされていた)が報道されたのが19年の12月末だったと思うが、年の瀬の賑やかさに紛れて不穏なニュースがカットインされる、まさにスリラー映画やSF漫画の導入にありそうなシークエンス。
年を越して2020年、武漢の状況が悪化するにつれて報道の扱いも大きくなってきても、この時点でまだ大多数の人は対岸の火事、せいぜいが以前のSARSや新型インフルのような、それなりの騒ぎにはなっても所詮は限定的な影響で終息すると考えていたと思う。
「これは何かが違う」と思い始めたのは1月下旬、中国全土への拡大から欧州に飛び火し、日本国内でも感染者が報告されたあたりからと記憶している。
マスクが品薄になり、テレビでは連日クルーズ船内の状況がトップニュースに。都市封鎖などという物騒な(しかし蠱惑的な響きの)言葉も飛び交うようになってきた。
日常がじわじわと崩壊していく感覚は極めてスリリングで、眉間に皺を寄せ、表向き深刻を装いつつ、内心に抑え難い高揚感があったことを覚えている。
自分の状況でいえば、2月から在宅勤務が推奨されることになり、急遽work form homeの日々が始まった。並行して外出自粛の風潮が広がり、4月にはついに緊急事態宣言。生活のすべてが自宅に集約されることになった。
幸いなことにコロナ前年に家を買ったばかりで、自宅に引き篭もることに不便がないどころか、快適な自宅を24時間満喫できることは僥倖であったと言える。
とはいえリモートワークに耐えられるだけの設備はなく、当初はダイニングテーブルでPCを開いていた。1ヶ月もせずに硬い椅子に腰が悲鳴を上げたことでオフィスチェアを購入。不用品を片付け、部屋を空け、家具を購入して4月ごろには快適な仕事環境を整備した。
仕事中に仕事そっちのけねデスク整備のブログを参照し、Amazonやヨドバシでアイテムを精査しながら少しずつ環境を整えるプロセスは楽しかった。
通勤という概念の消失は、日常生活に不可逆的な変化をもたらした。これまで通勤に費やしていた毎日往復1.5時間が突如として可処分時間としてカウントされることになったのみならず、「起床してひとまず勤務開始、2〜3のチャットを返したら顔を洗い、洗濯。カメラオフのオンラインMTGに出席しながら朝食」とか、「勤務終了後、夕食を食べてまったりしていたら、メールの返信忘れを思い出した。PCを開いてメール送信だけを行い再び勤務終了」といった極めて柔軟な動きが取れるようになった。
通勤含め10時間近くを毎日無意味に拘束されるオフィス勤務にはもう二度と戻りたくない。
この三年間、世界はコロナを中心に回っていた。政治や経済は当然のこと、社会活動や家族の営み、個人の価値観に至るまでがこの未曾有の疫病に激しく揺さぶられた。
コロナ禍の初期には「ソーシャルディスタンス」が合言葉となり、これまで当然と疑わなかった人と人の近距離での接触が絶対悪となった。
他人との物理的な接触、特に人混みに対する忌避感が急速に醸成された。
飲食店は休業を余儀なくされ、観光地は軒並み閑古鳥が鳴き、興行という興行が中止になり、ついにはオリンピックが延期となった。
全国民に微妙にサイズが合ってないマスクが届き、(結局、その旗振りをした首相を除き、あのマスクを着用している人を見たことがない)、その後10万円が振り込まれた。
公衆衛生と経済停滞のチキンレースの中で、緊急事態宣言が出て、まん防が出て、東京アラートで東京タワーの色が変わった。GoToが始まって終わり、ワクチン接種と副反応は国民の共通体験となった。そして、そのすべてで国民を巻き込む大論争が展開された。
毎週のように状況が変わり、トピックが移り変わる状況には飽きることがなかった。
他にも、欧米諸国での大混乱や中国のゼロコロナ政策を対岸の火事的に眺めることや、未だ謎めいている発生源やそれにまつわる陰謀論の百花繚乱など、不謹慎ながら楽しんでしまったトピックは尽きない。
無論、COVID-19という疾病がなくなるわけではないし、現に今でも着々と感染者は出ている。これからも残り続けるだろう。
ただ、人類史に確実に残るであろう「コロナ禍」というタームは終わる。長かった非日常が終わり、日常が戻ってくる。
それ自体は歓迎すべきことでありまったく異論はないのだけど、一抹の寂しさがあることもまた事実であり、2023年5月6日時点の思いとして増田に残しておく。コロナ禍は楽しかった。
ホリエモン様はやはり神であらせられた。
2022年。コロナ禍は3年目を迎え、市民は皆疲弊している。ソーシャルディスタンスを守るが故に人と人との精神的距離は開いてしまった。マスクによって個人と世界は隔たれ、市民は内向的で個人主義になってしまっている。空いた時間はネットに籠る。家で1人でのんびりしていたい。外の幸せなど求めない。その先に待っているのは何か。虚しい世界である。画面とばかり向き合って動物としての本能的欲求を全く満たせない、冷たく機械的な世界である。
では何がいけないのか。マスクである。マスクなんかあるから表情での会話も成り立たず人間社会が崩壊しつつあるのである。我々はもうマスクを外すべき頃合であろう。勇気を出すべきだ。コロナウィルスよりも恐ろしい病に完全に罹ってしまう前に、我々はマスクを外さなければならない。
2年前からノーマスクを訴え続けていた1人の神がいる。その名も堀江貴文。
堀 江 貴 文 餃 子 屋 出 禁 事 件
神が餃子屋にノーマスクで入って揉めた事件であるが、この事件を通して神は市民に訴えていたのである。
さぁ今こそマスクを外そうではないか。マスクを外すということはつまり21世紀のルネサンスに他ならない。人間性を取り戻すのだ。ネット民のおまいらなら出来る。ニートもノーマスクで外に出てみよう。ホリエモン神に従って、世界の空気を吸おうではないか!!!
2020年にコロナ禍に入り、感染しないように様々な対策が取られた。
検温、手洗い、消毒、マスク着用、ソーシャルディスタンスの確保、三密の回避、などは個人の私生活でも実施可能で、業種を問わず多くのお店で今もなお実施され続けている対策である。
それはひとえにで売り上げを落とさないように、そして「あそこはコロナ感染者が出入りしている」のような風評被害が発生することをおそれてのものだ。
上記のような趣旨が前面に出すぎた結果、「コロナにかかってはいけない」「コロナにかかること(によって職場に欠員を生じさせること)はけしからん」といった考えばかりが強調され、転じて「コロナはダメだがただの風邪やインフルエンザならいい」というムードができつつある。
(私の周りでは)
実際はコロナでもそれ以外の原因でも、欠員が生じて現場が苦しむ構図はまったく同じである。
100%完璧に回避することはできないものの、「コロナでさえなければいい」みたいに安直に考えるのではなく、普通に体調不良にならないように努めてほしい。
コロナ禍以降、大量に退職者は出るわ、傷病によって欠員は出るわで、よく潰れないなというレベルにまでひっ迫した状態である。
最も憂うべきは、残された私たちが欠員者の分まで余分にはたらいているのに何ら報われることがないことだな…つらみが深い。