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はてなキーワード: 空襲とは

2019-04-04

空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」

この精神て今の日本もつづいてるよな

2019-03-19

埼玉とか南京とかアウシュヴィッツとか

なんか見てると言語の壁に近いものを感じる。

埼玉はまあどうでもいいんだけど。

南京とかアウシュヴィッツが無い、捏造って言ってる人って結局今言われてるような、って意味で言ってるのがほとんどに見える。

でもそれを受けてありましたって人はそれ自体の有無として憤ってる場合が多いように思う。

原爆捏造って言われたらどう思うかって言い方をしてる人も見たけどあー捏造って言ってる人の話通じてないんだなって思った。

どっちが正しいとかじゃなく客観的に。

だって見てたら捏造って言ってる多くの人の言い分はどうも実際の罪より大きな罪だと騙られているって理不尽さを前に挙げたものでそれに対しての反論としてはあんまりよく分からない。

アメリカだって原爆5発落としたとか1000万人が死んだとか空襲は敵国日本を憎み殲滅する意図で主に民間人を殺す目的レジャーのようにやったとか言われたらまあ普通に捏造だそれは違うって否定するんじゃない?って思うし。

国として主張してる、とする事に対して大きく離れたり証拠が精査されていなかったりバイアスがかった想像が含まれていそうな事ならって意味で。

捏造派が主張してるのはそういう事なんだし。

捏造派の立場や展開する言い分が正しいって事じゃなくて是非とか証拠の有無とか信用性とかじゃなくあくま論理構造立場の話として。

感情面の事なんて反証し様なんてないけどそれでもそれは違うって言うと思うし実際アメリカさんも南京虐殺じゃないって言ってる人がよく言うやつと同じように大空襲民間への攻撃問われて事前に逃げろってビラ撒いたし軍に関連するかしないかなんて分かりようがないんだからって言ってるわけで。

当然復讐意図で行われたものだって人もいるけど。

からってその違うって否定アメリカが当時民衆を殺した事を何とも思ってない証拠だって言うのは飛躍してるなと思う。

殺人で5人殺した奴に10人殺したって言ったらそんな事実ない捏造だ、って反省してようが元々の罪を認めてようが言うだろうしそういう話だと思う捏造派が言ってるのは。

繰り返すけどそれが正しいって話じゃないよ主張の論理の話。

でもそれに対して憤り、悲しむ人はその否定は全ての否定だって捉えたり人を殺す事自体の恐ろしさを説いたり殺したって事実に向き合うべきだっていうような事を言ってる。

そこで言うなら加害側とされる方が確実な証拠反論として出せないならそこを違うと否定するのは倫理的傲慢である、とかそういう類の話だと思うんだけど。

あるところで認知バイアス的。

ただただ噛み合ってないなって思う。

証拠とか証言とかそれぞれが実際どうかとかじゃなく外野から見てて言い分がキャッチボールドッジボールどころか相手の頭高く遠投し合ってるなって印象。

相手ボール取れないから目端で追いながらこれがあなたの投げたボールですってポケットから自分ボール出して相手に投げてる感。

個人的には中国とかドイツとか日本とかユダヤとか埼玉とか高須とか関係なく、実際それをやったのなら中身が違っても否定するな、その違うって主張はやった事を認めてないのと同じだって論は意味分かんないなって思うけど。

実際の証拠があろうと無かろうと本当に10人殺してようと5人だろうと関係なく発想自体に法倫理的に引いてしまう。

けどその否定であり自身の正しさの主張ってその要素自体に中身関係なく被害者感情は煽られ傷つけるものなんだそれは酷い事なんだこれ以上何を傷つけようって言うんだって考えは理解はできる。

でもやっぱりそれが理不尽だ公正でない確実な証拠がない事なら語るべきではないって言い分も分かる。

語るべきでないとする事に対しての100%やってない、は100%やった、と程度は同じだと思うけど。

遠投してないでキャッチボールすればいいのにって思う。

わざと取れない方向に投げてる人も多い気はするけど。

2019-03-12

anond:20190312092321

世界みんなのためでした、みたいなコジツケで心を慰めたりしないでいい程度の当たり前ではあったんだろうな。

 

他の空襲がよかったというより、核がいかに悪かったかみたいな

anond:20190312002938

新興東京民は、大空襲震災関東大)も知らずのほほんと暮らしているくらいだから

あと5年もすればさすがに風化するだろ

2019-01-27

屍臭の記憶

これを読まれている方の中で、屍臭というものを実際に嗅がれた方がどれ位おられるのか、ちょっと予想ができない。家族、友人等の死を経験し、その遺体荼毘に付されるまで傍におられた方は複数おられるだろうと思う。しかし、そこに屍臭を意識させるような手抜きの仕事を、この国の葬祭業の方々がするとも思えない。だから実際のところ、そのような経験があっても、そこで屍臭を感じられた方はおられなかろうと思うわけだ。

私はこれまでに二度、強烈に屍臭を経験することがあった。あの臭いは、間違いなく、経験した者にとって一生忘れ難いものだ。不快だし、そう何度も体験したいものではない。そのことは体験する前から今に至るまで変わりはないのだけど、その臭いの向こう側にあるものまで体験すると、屍臭に向かう姿勢とでもいうのか……そういうものが確実に変わったような、そんな気がするのだ。人生観が変わった、などと大袈裟なことを言うつもりはないけれど、そのときの話を記録がてら書いておこうと思う。

初めてそれを感じたのは、高校に通っていた頃のことだった。私の通っていた高校は、太平洋戦争末期に空襲で焼かれるまで天守閣が建っていた場所で、四方を崖に囲まれた、自然要塞のような高台に建てられている。登校するときには、深い谷にかけられた橋を渡ってすぐの正門を通るのだけど、学校の周囲の崖のあちこちに獣道のような抜け道があるので、授業時間中や放課後時間には、その道を通って麓のコンビニに買い物に行ったりするのが日常だった。

時々、鉄道の駅まで出る必要があったのだが、本来ルートで行くと毎回かなりの回り道で、友人に面倒だとこぼすと、グラウンドネットの破れ目から崖を斜行して下の道に出る抜け道を教えてくれた。春先でまだ雑草も深く繁茂しておらず、これは便利な道を教えてもらった、と、毎回のようにそこを通って駅に抜けていたのだった。

そして、夏が近付いてきたある日。一週間ぶりにその抜け道を通ると、何とも言えない厭な臭いがしたのだ。蛋白質の分解された臭い。それも、肉だけでなく、皮や毛や、通常なかなか分解されないものまで分解された挙句のような尋常ならざる臭いが、崖の獣道に立ち籠めている。雑草結構な高さに繁茂していて、辺りにその源らしきものは見えない。日が経つ毎にその臭いはどんどん濃くなって、私の服や髪に染み付いてしまうのではないかというような粘着性すら感じさせる。私は確信したのだ。辺りの何処かの草に隠れて、何かの骸が転がっているに違いない。しかし、とにかく質・量共にそれまで一度も体験したことのない、凄まじい臭いだったので、小さな動物……鼠とか蛇とか……がただ死んでいるだけとは到底思われなかった。

道を教えてくれた友人にもこの話をしたのだが、彼は笑って取り合ってくれなかった。それに、と彼は言う。俺最近あそこ全然使わないからさ、調べる機会もないんで、まあそんなに気になるなら自分で調べればいいじゃん。ひどい奴だと思ったけれど、まあ自分からわざわざ積極的に屍臭の源を探しに行く奴もいないだろうから、彼を責めても仕方ないだろう。

もう季節は真夏になっていた。熱風と熱線が渦巻くような崖の獣道を通る度に、私は時々、わざわざ道沿いの茂みに踏み込んでみたりもした。しかし源は見当たらない。ただ、その酷い臭いけが常に辺りに立ち籠めている。その臭い我慢して近道をするか、遠回りして臭い回避するか……その選択がある時点で逆転し、私はまた遠回りして駅に出るようになった。しかし、その源が何なのか、ということが、私の頭から消えることはなかった。

私は疑っていたのだ。その源が人間ではないかと。受験意識する時期だったので、公営図書館勉強室にこもることが増えていたのだが、休憩を取ろうと勉強室の外に出ると各種新聞の閲覧スペースがある。行方不明者等の情報が出ていたりしないかと、必ず地方欄に目を通すことが習慣になった。成人だったら、あれ位では済まないかもしれない。女性の方が体は小さいだろうが、女性脂肪組織が多い分屍臭もきついという話を何処かで読んだ。ということは、あれは子供なのではあるまいか……図書館で休憩する度に、私は新聞子供行方不明記事を探している。我ながら何をやっているんだろうと思ったけれど、もう新聞の陳列を見る度にあの臭いを思い出し、記事を探さずにおれなかった。

そして季節は晩秋になった。駅に出る日に、いつもよりも学校を出るのが遅くなった。ちょっと考えた。もう夏も過ぎたし、あの臭いも薄れているかもしれない。グラウンドネットの破れ目は何も変わっておらず、そこをくぐって崖に出ると、あれ程繁茂していた雑草も、盛りのときの半分もない程に枯れてしまっている。私は崖の獣道を進んでいった。傾斜のきつい崖なので、スキーの斜滑降のような進路になるように道は形成されている。ターンする角に来て、ふと何気なく、いつもと違う進路の正反対、崖を斜め上に見上げるような向きに目を向けたとき視野に初めて、あの屍臭の源が飛び込んできた。

それは一頭の犬だった。もう骨に皮が少し被っただけという外観で、その周囲には蛆なども見当たらなかった。大きな犬で、おそらくドーベルマンとかレトリーバーとか……それ位の大きさの骸だった。ドーベルマンレトリーバー全然違うだろう、とか言われそうだが、変色して干涸びたその骸からは、それ以上のことは分からなかったのだ。もう臭いはあまりしていない。私は急いでいたのも忘れてそこにしばらく立ち尽した。あの夏の頃、臭いの源を発見したら大声で叫んでしまうに違いないと思っていた。しかし、今のこの落ち着きは何なのだろう。本当に、自分でも驚く程に、心は静かだった。ああ、人じゃなかったんだ、それはそれで良かったけれど、こいつ、どうしてここに骸を晒していなければならなかったんだろう。野良犬というのもほとんど見ないようになった頃で、こんな大きな犬がそこらをそううろうろしているとも思えなかった。ひょっとしたら、飼い犬が亡くなった誰かが処置に困ってここに骸を捨てたのだろうか。死を看取るまで犬を飼っていた人がそんなことをするというのも変な話なのだけど、他に説得力のある理由を思いつかなかった。

あの臭いがし始めた頃から、こいつはここにあった。そして、あの燃えるような夏の間、道を外れて鬱蒼と草に覆われた中、あの強烈な屍臭を放ち、蛆等に組織をついばまれながら時間が過ぎていった。そしてその臭いも薄められ、ここにこいつはまだある。本当は埋めてやりたかったが、手元にその用意もないし、そのときにようやく自分が急いでいたことを思い出した。クリスチャンの私は十字を切り、天の国で平安と安息のうちにありますように、とだけ祈ってそこを去った。何日かして再びそこを通ってみたら、もう骸はなかった。誰かが気付いて、埋めるか他に持っていくかしたのだろうか。そこまでやってやれなかったことが心残りだったが、せめて祈ることができただけでも、少しはましだったか、と今も思う。

そして二度目。それは、ある自動車関連企業のお膝元である某県の地方都市に住んでいたときのことだった。私は単身者複数入居している安アパートに住んでいた。よくあるプレハブ二階建の長屋みたいな造りで、外の階段で二階の並びに上がるような、室内は6畳とユニットバスみたいな、そんなアパートである。私にとってそこは家というよりただ寝る為だけの場所で、仕事が終わるとそこに入って寝て、朝はシャワーを浴びてそこを出る……そんな毎日を過ごしていた。おそらく、他の部屋に暮していた人々も、私と同じような日常を過ごしていたに違いあるまい。

そんなある日。部屋を出たときに、ふと厭な臭いがした。ゴミのせいか……と最初は考えた。私の部屋は一番階段に近い二階の部屋で、階段真下のスペースがゴミ置き場になっていた。仮に凄まじい悪臭を放つゴミが捨てられていたら、そういう臭いを部屋のドアの前で感じることもあるかもしれない。鍵を締めて階段を降り、ゴミ置き場の前に立ってみたけれど、そもそもその日はゴミ収集日ではなかった。そこまで行く経路上に、ゴミから出た汁等がこぼれたような形跡もなかった。気のせいか、あるいは自分臭いの源なのか……服などをチェックしてみたけれど、どうも自分ではなさそうだ。

翌日、そしてその翌日、と、その臭いは更に強くなっていく。深夜近くに帰宅して、周囲の住人の迷惑にならないように注意しながら二階の並びを歩いてみると、どうも自分の部屋から少々奥に行った辺りでその臭いが一番強くなっているような気がする。隣か、そのまた隣か……しかし、どういう生活をしていたらこんな臭いがするのか。それにしても、この臭いにはどうも心当たりが……と、そこでようやく思い当たったのだった。これは、あの臭いだ。高校の獣道で嗅いだ、あの臭いだと。明日になったら管理会社電話しようと決めて、部屋に戻って寝た。

そして翌朝。出勤の支度をしていたらチャイムが鳴って、ドアを開けると警官が立っている。

「あのー、変な臭いとか、されませんでしたか

と訊かれ、実は何日か前から……という話をして、

「あの、何かありましたか。私もここの住人なので、差し支えない範囲で教えていただけませんか」

と言うと、警官は言いづらそうに、この部屋の二つ隣で、住人の女性が亡くなられていたんです、何かご存知のことはありませんか、と言う。しかし、隣室の住人の顔もよく知らないような状況で、その更に向こうの住人のことなど知る由もなかった。

職場でその話をすると、皆さん興味本位で色々と仰る。うわー気持ちいねーもう引っ越した方がいいんじゃない?……まあ、よくあるパターンだ。そりゃあ、家の近くで人が亡くなっていたというのはそれなりにショックだったわけだけど、私は違うことを考えていたのだった。自分と同じように独りで暮していた人なのだろう。あの部屋のドアは結構密閉性が高いので、ああい臭いが出てくるまでには相応の時間がかかったに違いない。その間、その人はずっとそこに骸を晒していたわけだろう。これはその女性ではなく、自分に起きたことだったかもしれないのだ。その間にはおそらく何も違いはあるまい。ひょっとしたら、私が骸を晒し、あの臭いを発していたのかもしれないのだ。そう思ったら、興味本位の人と一緒に騒ごうなどと、考えられるはずがないのだ。

皮肉ものだ。屍臭の向こうに、かつてあった生とその現状があるのを思い知らされ、そして私がそのときたまたま傍観者だったというだけで、いつ私が骸を晒す側にならないとも限らない、ということを思い知らされたのだ。私はその晩、帰宅してからその部屋の方を向いて、あの犬のときと同じように祈った。それ位しかできなかった。調子の悪いときに出喰わすことができていたら、とも思うけれど、それはもうどうしようもない。ただ、高校とき体験に、同じ人間という更なるリアリティを裏打ちされて、私の中に今でもこのとき記憶は強烈に残っている。去年は有名人でも亡くなる人が本当に多かったわけだけど、誰かが亡くなる度に、私はこれらのことを思い出すのだ。

2019-01-24

認知症になったおばあちゃんの話

最初に言っておきたいのは、これから語るすべてのことはつくりばなしであるということ。人間が泣いたり笑ったりするのに、それが本当のことかどうかなんて関係がないと思うんだ。

おばあちゃんは常々「死んだらすべて終わり。生きているもの大事。」と言っていた。空襲で死んだ友達最期言葉が「お前の人生大事しろ」だったからだという。死んだ友達のぶんまで生きようと戦後必死に生きてきた。

それが認知症になったら「私は天国にいるけれど死んでいない」と言い始めた。正直、何を言っているのか分からなかった。わけのわからないことを言うようになったおばあちゃんに苛立つこともたくさんあった。ご飯しましょうと言ってウンコを食べ始めたこともあった。

ある日、おばあちゃん荻窪に行きたいと言った。荻窪のどこに行きたいかと聞くとアメ横だという。おばあちゃんそれは荻窪じゃなくて上野でしょうというと「ああ、そうかい」と言ったので上野に連れていった。上野は思い出の場所だと常々言っていた。

ところが、上野駅に着いて駅舎を見せると狂ったように「浮浪児がいる、浮浪児がいる」と叫び始めた。それは単に戦争の嫌な体験を思い出したというより、目の前に本当に浮浪児がいるような振る舞い方だった。おばあちゃん幻覚を見ているのだろうかと思った。

かつておばあちゃん闇市の話なども楽しげに語ってくれていた。それらも若い頃の思い出として語るぶんには楽しかっただけで、そのときには物凄く不愉快なことだったのではないかと思った。

私には本当のおばあちゃんがどんな姿をしていたのか分からなくなってしまったけれど、おばあちゃんと一緒に遊んだとき写真は大切にとってある。

2019-01-23

anond:20181229143044

それはロシアが完全に敵だった時代の話でしょ

日本は周囲が完全に海だから韓国比較して空母として各段に使いやす

韓国は陸続きだからトンネル掘られたり近くにいつの間にか塹壕ができていたり管理が難しい

韓国は陸で他とつながってるから戦争を逃れて北へ逃げる人が出て苦情が出かねない

日本だったら潜水艦以外の方法でこっそり接近する方法はないし人が逃げることもできないから最悪エネミーがやったことにして空襲で口封じすればいい

2019-01-18

anond:20190118114143

空襲?何言ってんだ?

前線で飢えと傷に苦しんでるのは男だっただろ。

2019-01-12

anond:20190112215642

今まで文化的に生きてたのを「悪は死ね!」と何千人も殺して、そんでいなかの文化ガチ死亡。生きるので精一杯になり餓死者を出しまくる。

イザベラ・バードの書いた本とか読むと「まじかよ政府サイテーだな!」ってなるぞー

まあ昭和がいいとは思わんけど市街地空襲メリケンだし

2019-01-10

anond:20190110022935

品川もいい所だよ。広い100年単位の緑も残ってるし、

まあ多分それは自然じゃないそうじゃないって言い続けてる人には自然じゃないんだろうけど

あのせまーい昭和空襲を逃れた街並みと川に浮かぶ屋形船江戸時代シロナガスクジラ?が流れ着いて蛭子吉兆だと祀られた鯨塚、平成初期っぽい静かな住宅街横浜にも東京各所にも出やす交通網、ゴジラ

2018-12-23

anond:20181223195030

なんで米軍日本国民敵対させたいの

戦争を決めたのも大勢戦地死ね命令したのも空襲原爆を知っていて非難禁止したのも全部日本軍部

2018-11-18

anond:20181118215514

プラトーンでは隊長自分の陣地を空襲しろ命令して「これが本当の戦争だ」で終わらなかったっけ

2018-11-12

母親としてヒロシマナガサキについて我が子に教育することの大事さ。

1、むかーしむかし、ここに大日本帝国という国がありました。

2、その国は戦争に勝ったら、色々好き勝手やろうと思っていました。

3、その国は他国他民族迷惑をかけました。戦争中も好き勝手やっていました。

4、多くの国はあきれはて、怒りました。

5、怒った中には、日系のアメリカ人もいました。

  日本人原爆を落とされました。大空襲も受けました。

  大日本帝国戦争に負けました。

6、他国の人の中には「自業自得だ」と歓声を上げるものもいました。当然でしょう。

7、敗戦後、大日本帝国という国はなくなりました。

  「神様だ」と自称していたペテン師は「実は人間でした」と白状しました。

8、そして裁判が始まりました。旧大日本帝国の人の中には「不公正な裁判だ」と

  抗議する人もいましたが、”戦争に勝ったら”どころか、

 ”戦争中”ですら好き勝手やっていた日本人が「不公正だ」と主張したのだから、みんな大笑いです。

9、世界の人は「こんな馬鹿たこはいまだかつてみたことがない」と笑い転げました。

おしまい

せめてこれくらいは、しっかりと教育しておきたい。

3人の我が子が世界平和に寄与してくれることを願いつつ。

2018-11-11

anond:20181111010409

明らかに空襲が続いたあたりで「なんでもいいから早く戦争終わって」的な空気が流れてたろ

戦争エアプか

2018-11-09

anond:20181109001102

万歳三唱しながら空襲で爆死するのが日本人の誇り

敵に反撃しようとわ思わない

anond:20181109000029

わかる~。昨日の空襲とき防空壕で一緒だったトメさんも似たようなこと言ってたぁ。

anond:20181108235908

空襲で死にたくないなら自分を変えろ

それが嫌なら目を閉じ耳をふさいで、口を開けてその場に伏せろ

2018-11-06

anond:20181106101241

ラジオの受信機はあって空襲予告を聞くことができたけど

憲法9条がないせいで防空法という法律があって逃げたらお前の配給ないよで空襲から逃げれなかった

大勢が大やけどして放射能で死んだ

anond:20181106093747

憲法9条がなかったら徴用賠償の反撃で空自釜山空襲してる

憲法9条なんてあるから自国名誉や国際条約を踏みにじられても黙ってなきゃならん。

なくていいよあん法律

憲法9条がなかったら徴用賠償の反撃で空自釜山空襲してる

平和憲法があるおかげで自衛隊暴走することも第三次世界大戦が火ぶたを切ることもない

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