「ことのは」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ことのはとは

2019-09-06

結婚普通ことのはずなのになんでお祝いするんだ

俺が何気なく過ごしてるこの普通毎日も祝福されてしかるべきなのでは…

今日も俺は普通の一日を過ごしたぞ

祝ってくれ

2019-08-18

はてな地方叩きはイケハヤのせい

地方に住むことは日本にとっては良いことのはずだが

それをイケハヤがやってることが気に入らない。

から地方を叩くことでイケハヤ否定しようとしている。

2019-07-23

anond:20190723101929

https://www.gamespark.jp/article/2019/01/10/86544.html

一番有名なのは台湾の「食用少女

食品擬人化キャラ店舗経営をするだけの全年齢萌えゲーなのに複数回にわたって理由の通知なくリジェクトされ、最終的にキャラの外見年齢をほんの少し上げたら通過

児童労働」が宗教右派の怒りに触れたのではないかと噂されているが推測にとどまる

このルールはまったく一貫しておらず、審査員ガチャの運が悪ければ健全萌えゲーでもアウト、運が良ければ露骨エロゲーでもセーフと悪名高い(なおエロ自体Steamでは認められている)

 

https://techraptor.net/content/the-expression-amrilato-steam-release

最近日本産ゲームだと「ことのはアムリラート」(エスペラント語百合テーマにした全年齢ノベル)が審査上の謎の理由によりSteam版のみ一時無期延期

「"マイノリティ性的消費"だと通告されたがまったくばかばかしい。そんな内容は含まれていない」「昨今の審査プロセスますます不可解になってゆく」と海外パブリッシャがコメントして賛同の声が集まった

その後無事無変更でリリース

 

https://www.oneangrygamer.net/2019/06/google-removes-dodge-club-pocket-from-app-store-due-to-cleavage/87123/

Google Playの例では、このポップな絵柄のゲームが「一番右のキャラの胸にほんのり谷間が描かれている」を理由に突然販売停止

3DSでは普通に販売

2019-07-11

anond:20190709193632

挙げられている例文は文法的に正しくないものの,そこまで否定されるものではないと思う.

なぜなら,文法的正しさは言葉の適切さを評価するための限られた一側面でしかいから.

鉄道の車内アナウンス場合言葉の適切さを評価する観点には,例えば,文の短さ(簡潔さ),敬意の表現文法的正しさがある.

これら全てを完璧に満たす文を作るのは難しい.

結果,重視する条件によって最適な表現は異なる.

携帯電話ゲームをしながらの歩行」
「周りのお客様とのトラブル怪我をされる恐れがあり」
  • 「周りの客様とのトラブルや、怪我につながる恐れがあるため」:○短い/×敬意なし/○正しい文法
  • 「周りのお客様とのトラブル怪我をされる恐れがあり」:○短い/○敬意あり/×誤った文法
  • 「周りの客様とのトラブルにつながったり、怪我をされたりする恐れがあるため」:×長い/○敬意あり/○正しい文法

※敬意あり/なし

1文目「怪我につながる恐れ」は,普通体を使用している(敬語でない).

客観的事実として」怪我人が発生することを恐れている,つまり,例えば鉄道の遅延や乗務員対応コストなど,鉄道会社の不利益が生じて欲しくないという含意が相対的に強い.

これに対し,2文目「怪我をされる恐れ」は尊敬の「れる・られる」を使用している.

聞き手である乗客個人が」怪我をすることを恐れている,つまり乗客自身不利益が生じてほしくないという含意が相対的に強い.

また,この乗客への敬意を文法的に正しく表現しようとすると,例えば3文目のようになり,文が長くなってしまう.

要するに,文法的正しさ以外の観点考慮すれば,上述の候補文は,全て一長一短がある.

一方で,(例え文法的に正しくなくとも)全ての文で,その意味は推論可能であり,使用可能である

実際,車内アナウンスの内容は事前にある程度予想がつくだろうから,極論すれば「携帯ゲームトラブル怪我禁止」という単語が含まれていれば,おおよそ言いたいことはわかってしまう.

その上で,この鉄道会社は,おそらく文の簡潔性を重視している.

鉄道乗客は,必ずしも車内アナウンスに傾聴しているとは限らず,周囲の乗客との距離感,手元の端末,降車後の予定などに注意が向けられていることの方が多いだろう.

「丁寧な印象で,かつ,聞き取りのための認知負荷が小さいアナウンス」を追求した結果,文法的正しさが犠牲になり,このアナウンス文になったのではないか,と思う.

話し言葉にとって文法的正しさはごく限られた一側面だ

話し言葉とは音声で伝わる言葉書き言葉とは文字で伝わる言葉とする.

話し言葉書き言葉の差は,自由に聞き直せる/読み直せるかどうかと,記録として機能するかどうかだ.

話し言葉はその場で消えていく空気振動だ.だから,一つの発話を聞き終えた時,自由に聞き直せない.また,録音しなければ,記録としても機能しない.

書き言葉は文末まで読んだ時,文頭に戻って読み直すのは自由だ.また,論文や本など,記録として機能することが多い.

話し言葉は発話を聞き終えた瞬間に十分理解されることが望ましいので,簡潔性が重要だ.

一方,記録として機能する書き言葉は,その内容の正確性が重要だ.書き言葉は読み直せるので,多少簡潔でなくても問題は生じにくい.

まり話し言葉は,書き言葉に比べて,正確性よりも簡潔性が重視されやすい.

私たちが幼少期に自然に獲得するのは話し言葉だ.

私たちが後に学校教育書き言葉文法規範)を習うのは,自然に獲得される話し言葉と比べて,要求される条件(例えば,正確性)が異なるからだ.

ただし,教育規範を与えるからと言って,話し言葉が,あらゆる場面で書き言葉のようであればあるほど(文法的であればあるほど)正しい,ということは意味しない.

なぜなら,上述のように,話し言葉書き言葉では要求されるものが違うからだ.

もっと言えば,話し言葉/書き言葉の違いに限らず,言葉使用される一つ一つの状況次第で,要求される条件は全く異なるからだ.

敬意を表現する,親しみを表現する,簡潔に表現する,微妙ニュアンスをほのめかす,話者の印象を制御する,など,言語使用の際に要求される条件は無数にある.

文法的正しさを犠牲にした時に,替わりに有益なことが実現できる場合もある.

例えば,散文詩広告キャッチコピーに対し「非文法的だ」と非難する人は少ないだろう.要求されるものが,文法と異なることが自然理解できるからだ.

同様に,バスアナウンスは,文法的であるよりも簡潔であることが求められる状況だった(と判断された),というそれだけのことのはずだ.

文法的に正しく話す人の印象

正確な表現は長くなりやすく,状況によっては,聞き手に過度な認知負荷を要求する.

正確に,書き言葉のように話す人は,状況によっては,聞き手認知負荷の軽減よりも,自分自身が「正しい」ことを優先しているとも捉えられかねない.

このため,「他人より自分を優先しそうだ」「他人の間違いにもうるさそうだ」「間違いを指摘したら面倒そうだ」といった印象に繋がる可能性がある.

やはり,文法話し言葉にとって絶対的規範ではない.

身の回りの非文法的表現を,単なる文法能力の欠如による産物と決めつけるのではなく,

何らかの合理性に基づく可能性のある産物として受け止め,どういう目的であえて文法を破っているのか,という背景に対する興味と想像力必要だ.

2019-07-10

anond:20190710124221

いいえ、それは男という大きなくくりではなく、あなたことのはずです

2019-07-03

日本は優しなくて能力がない人にやさしい

優しくて能力が高い人は国が優しくしなくても成功する。

ただし、優しくなくて能力が高い人に国やさしいと

優しくない人が増えて優しくて能力が高い人を駆逐する可能性はある。

それ以上に日本問題なのは

優しくなくて能力が低い人に無茶苦茶優しいこと。

パワハラって無能力かつ優しくないってことのはずなのに

なぜか日本ではとても優遇される。

なぜかというとこういう人間は目上の者にはこびへつらうから

部下を信用しないトップはこういう人間を好む。

優しくて能力が低い人には日本はとても厳しい。

能力が引く人は、優しさを捨てたほうがいい。

優しくなるのは能力たかくなってからでいい

2019-06-25

ヤマカンみたいな人が爆死するのつらい

実績もあって知名度もある人が爆死するなんて世知辛すぎる

新作の評価ものすごくて大逆転みたいなことにもならなそうだし

というか新作の評価がぜんぜん聞こえてこないのが悲しい

なんで実績ある人がこんなに苦労するのか

実績をエサにいい仕事を集めて無双するのが個人事業主の夢だろうになんでそれができないんだ

ネットで話題になるのも本来はいことのは

ネットで話題になって知名度あがる→仕事くる→さらに実績が積む

っていうのが黄金ループのはずやろ

なんでそれができないんや

世知辛すぎて悲しい

2019-05-06

若手俳優Sくんに関して、闇落ちしかけたやばいオタクの手記

ワンクッション。

俳優Sくんと私との出会いと私の思いを綴っただけです。各方面配慮はありません。

登場する友人とはリア友で、Sくんファンでもありますが最推しは別の俳優さんです。彼女に頼まれ、この文章を公開することを決断しました。名前や日付は操作していますが内容は事実です。もう一度言います、各方面配慮はありません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2017年10月7日

普段そんなにテレビを見ない私が偶然目にしたのは、某芸能事務所若手俳優グループ結成記者会見だった。なにこれ?私のタイプイケメンがいっぱい並んでるんですけど?!とTwitterで呟いたところ、友人からLINEが飛んできた。「それ私の推しいるんだけど、今度の初イベント行かない?」なんかよく分からなかったし知らない世界だったが、彼女の誘いならと同意した。

事前にネットで調べて、メンバー確認した。舞台特撮に出ている人気俳優さんもたくさんいたが、私にとっては知らない俳優さんばかりだった。ただ顔写真を眺める中で、すごく顔がタイプ俳優さんがいた。S、と名前があった。デビューしたてで実績はないようだが、なぜかフロントメンバーにいた。彼をチェックしてみるかと軽い気持ちで、私は友人と共にグループの初イベントに臨んだ。


2017年12月10日

イベント当日。Sくんは慣れていない様子で、ほとんど喋らなかった。先輩の俳優さんがいっぱいいたからかもしれないが、マイクのないところで仲のいい俳優さんと話したりしていて、あまり前に出ることはなかった。こういうの好きじゃないんだろうか。芸能人向いてないんじゃないだろうか。そうとさえ思った。正直、あまり印象はよくなかった。

その日は終了後にハイタッチ会があり、私はSくんのターンで思い切って声をかけた。「めちゃめちゃイケメンですね!」時間も短かったし、そんなようなことを言ったと思う。彼は苦笑いのような微妙な表情を浮かべた。ただそれだけのことだった、彼だってデビューして初めてのイベントで慣れていなかっただろうし疲れていたのかもしれない。私の声のかけ方がいけなかったのかもしれない。でも私はすごくショックだったし、怖かった。


2018年1月28日

つの間にかグループファンクラブに入っていた私、友人に連れられ2ndファンイベント。Sくんは前回よりも慣れてきた様子で、笑顔が見られた。先輩俳優との絡みも増え、特技のギターや歌の披露も前回より緊張が少ないように見えた。

そして客降りの時だった。隣りの友人が手を振ったとき、Sくんはこっちに手を振り返してくれた。2人でびっくりしたし、すごく嬉しかった。だが私は前回の恐怖が拭えず、ハイタッチ会では彼に何も声をかけることができなかった。


2018年3月18日

そして3rdファンイベント事件はおこった。よくあるオタク勘違いだよと言われるかもしれない。でも少なくとも私と友人の2人の中では確信している大事な思い出だから、許してほしい。

それはサインボールを客席に投げ入れるコーナーだった。私達は運良く割と前方の席で、運良く斜め前辺りにSくんが立った。私達はSくんに手を振った。Sくんは私達を見てくれた。そしてこっちに向かってボールを投げてくれた。軽いボールは惜しくも私達から少しズレたところに落ちた。ドンと響くような悲しみをこらえSくんの方を見ると、彼は私達に向かって、ごめんねというように手を合わせた。私はボールを取れなかった悲しさよりも、嬉しさで泣きそうだった。もちろん彼は私達のことなんか覚えていないだろうけど、私にとってはあの1stの彼がここまでしてくれたことが感激だった。

その日のハイタッチ会で、私はまた思い切って声をかけた。「めちゃくちゃかっこいいですね!応援してます!」彼はありがとうと、今度はさわやかな笑顔を返してくれた。


その後もSくんの初舞台となるグループ旗揚げ公演を見に行ったり、(事務所のやり方が最悪で密かにボイコットしたこともあったけど)ブロマイドやグッズを買ったりした。だが無名の彼の露出は多くなかった。彼はSNSをあまり更新しないタイプだったし、私はもっといろいろなSくんの姿を見たかった。早く現場でSくんに会いたかった。早く売れて有名になってほしかった。

そんな中で発表されたのが、とある人気2.5次元舞台への出演決定だった。本当に驚いた。原作ほとんど知らなかったが、彼の役が人気キャラであることくらいは知っていた。発表のときにみんなが「誰?!」となっているのを見て、「見てろよ」と私はニヤニヤした。

それから必死原作勉強してチケットを探した。運良くお譲りいただけて公演を見たとき、あのSくんがこんな大きな舞台で輝いているのがとても嬉しくて誇らしかった。歌の上手いSくんの声がイベントホールではなく劇場に響くのがとても嬉しかった。iTunesCDで彼の歌を聞けるのが、雑誌に彼の名前と姿が載るのが、とても嬉しかった。


2019年4月13日

Sくんは続編の公演へも同役で出演が決まっていた。最速先行もFC先行も落ちて伝手をたどり、友人と2人、なんとか劇場にたどり着いた。だが観劇の前にもまた戦場だった。ランブロ文化は滅びろ。人気キャラを引き当てても、彼演じるキャラブロマイドとの交換がとにかく見つからない。選べるタイプのグッズもまず彼のキャラ完売うそだろ。比べるのはあれだが、原作ではもう一人のキャラの方が人気だった。そのキャラを演じる俳優さんも、Sくんより歴もファン数も圧倒的に上なはずだった。私は既に泣きそうになりながら野口英世を羽ばたかせた。

もちろん劇はとても楽しかったが、ここでは感想を省かせてもらう。

最後の客降りだった。Sくんは客席に降りずにステージ上だった。そして私は彼が板の上から最前列に紙吹雪を振りまくのを見た。私は3階席で泣いた。彼がとても遠くなってしまったようで、堪えきれなかった。お芝居を見にきたのであって、こんなことで泣くのはおかしいと思った。劇場に入れなかった人もたくさんいるはずなのに泣くのはおかしいと思った。でも耐えきれなかった。

オタクとしてこんな真っ黒な気持ちになったのは初めてだった。Sくんには売れて有名になってほしいと思っていたし、思っている。でも売れないでほしいと思ってしまった。なんでこんな人気キャラ役なんだとも思ってしまった。彼が売れて人気が出ることはファンとして喜ばしいことのはずなのに、純粋に喜べなかった。そんな自分自分でショックを受けた。こんなことを思ってしまうなんて、ファンとして恥ずかしいと思った。 いやファンを名乗ったらいけない気がした。

今の私は3rdイベの思い出にすがり、デビュー最初イベントブロマイドを持っていて、初舞台初日を見たという事実を振りかざしてマウントを取りたがる、真っ黒なオタクしかない。


それでも私は、ちょっとマイペースコーヒーブラックが好きで温度低そうだけど熱いものを持っていてぱっちり二重な彼が、やっぱり好きなんだ。

アーティスト志望だったはずがなぜ2.5次元なのかという疑念もある。Sくんが本当にやりたいことができますように。心や体の調子を崩したりしませんように。いつか彼名義のCDを買える日が来ますように。そう願う気持ちだけは純粋でいたい。事務所さん頼みますよ。

それから、できれば今のところ以外の事務所でお願いします。

2019-04-11

anond:20190411135759

「行く気が起きない」のと「行くのを禁止されている」って全然違うことのはずなのにな。

リベラリストなので後者基本的よろしくないと思ってるんだけど、リベラルを謳いながら差別差別と認めない連中はほんと何なんだ……

2019-03-17

歳上に求めるもの

かに好かれることって本来嬉しいことのはずなのに、自分尊敬したり気になってたりする人が露骨こちらに好意を示してくると興ざめする

この程度なのか、と極めて身勝手失望を覚えて自然と心の距離が開く

いや、年下ならいいんだよ、それでも可愛いから

歳上なのに好意のチラつかせ方のハウツーも持ってないとすごくがっかりする

好意を示せばそれだけで相手好意を示すと考えるのはずいぶん幼稚な恋愛観じゃないか

生き方とか考え方とか、そういうところに好意を持てないと一時の好き嫌いだけじゃ大人は一緒にいられないだろ?

いきなり全部奢ったり特別扱いしたり、そういうこと(好意)で相手気持ちを釣ろうとするのは大人じゃない。今までの人生で何を学んできた?


…まあ、求めすぎなんだよな。俺が相手に。

2019-01-29

プリキュア出産批判する人たちへ

日頃、フェミニストの方々が、アニメ漫画などの女性の描き方が気になると意見を出している。

はじめに言うと、私はおおむね、それらに賛同している人間だ。

ただ、今回だけはちょっと言いたい。

この前『HUGっと!プリキュア(はぐプリ)』の最終回主人公・野乃はなが出産したことに対し、「女の子出産しろと刷り込んでいる」とか、「未来でも無痛分娩じゃないなんて、自然分娩を強いている」といった意見が出たからだ。


それらの意見を言っている方々の多くは、はぐプリをきちんと観ずに、「主人公出産した」ということしか知らないんじゃないだろうか。

はなが母親になるより先に会社社長になっており、「結婚出産によって何かを犠牲にした」様子がないこと、はなの仲間がそれぞれの道を歩み、その時点で母親になる予定がないことなどを、きちんと知った上で批判しているのだろうか。

もし知っていたのなら、主人公からけしからん社長かどうかなんて関係ない、とにかく出産させるな、と言いたいのだろうか。

主人公には、母親に「ならない」自由はあっても、「なる」自由はないということだろうか。

はぐプリは、様々な社会問題を扱ったことでたびたび話題になった。その中にはジェンダーや、生き方自由を取り上げたものもあった。今さら「女の生き方を強いている」なんて、ありえない。はなは自分意思で働き、出産した、それではいけないのか?

無痛分娩も、まるで何の苦労もなく産めるわけではない。いきむ必要はあるし、人によってはそれなりに痛い。はなが苦しんでいたからといって、自然分娩かどうかは分からない。仮に自然分娩だったとして、無痛分娩できない事情があったのかもしれない。

フェミニストが「自然分娩こそが偉い」という風潮を批判し、無痛分娩を推奨していることは私も知っているし、賛同もする。だが、推奨する本人が「いきんでいるか無痛分娩ではない」などと言ってしまったら、自分でもよく知らないもの無責任に推奨していると思われかねない。

もし、出産が完全に楽ちんなもののように宣伝されたら、それこそ「子供を産め」という圧力が強まるのではないか?どうせ楽なんだから産め、と。

自然分娩でなくてもいい」というメッセージは、はぐプリでは帝王切開が出てきた回で既に描かれている。そうしたストーリーを経た上で、はながどんな出産をしようが、それははなの意思だろう。

女性がいまだ「子供を産め」と言われる風潮の中にあって、女の子向けアニメ出産を描くことに反応してしま気持ちも分かる。

だが、産みたい人も世の中にはいるし、産んだ人への差別もまた存在する。産みたい人、産んだ人への前向きなメッセージだって必要じゃないだろうか。憎むべきは「子供を産め」という風潮であって、出産のものは良いことのはずだ。

それに、はなの出産の様子――フェミニストが「自然分娩」と決めつけたあの描き方を観て、必ずしも出産に憧れる子供ばかりではないだろう。痛そうだから嫌だ、という子もいるのではないか(怖い思いをした子には、もちろん正しいフォロー必要ではある)。

はぐプリがあれほど様々なことに挑戦した姿勢は、あの最終回で全部ムダになってしまうのだろうか?私はそうは思わない。よほど問題のある描き方だったならまだしも、たかが「主人公出産した」だけのことだ。

多分、「それを描くならここまで描いてほしい」という基準が、批判した方々の中に存在しており、はぐプリはその基準に照らすと物足りなかったのかもしれない。

しかし、物足りないからあれは女性蔑視の作品だ、と言うのはさすがに言い過ぎだし、あまりにもこれまでのストーリー無視した批判だと思う。

逆に聞きたい。はぐプリはありとあらゆる問題を語らなければならなかったのか?はぐプリという作品一つにそこまで要求するのか?

プリキュア自体、もう15年も続くシリーズで、主人公だけ見たって色んなキャラクターがいる。もともとプリキュア多様性を示してきたはずだ。

もうはぐプリは終わってしまったのだ。はぐプリが物足りなかったと言うのなら、はぐプリを「ダメだ」と批判するより、「これから作品にはこういうメッセージが欲しい」と要望を出す方が、よほど世の中を変えていくのではないか

はぐプリが始まる前から、「育児」を描くことに不安の声は出ていた。私はストーリーを観ていくうちにその不安が消えたが、今批判している方々は飛び飛びの情報しか追っていないように思う。

もし全部観た上で、それでも「出産を刷り込んでいる」と言うのなら、もう私は何も言わない。

そもそも育児出産も描くな、そこからおかしい」と言う人は……分かったから、これ以上はぐプリに関わらないことをお勧めする。


繰り返すが、私はフェミニストアニメ漫画に対して抱く不満は、理解しているし、賛同している。

だが、ストーリーを追わず批判するのは、あまり良いこととは言えない。ただでさえ「フェミがうるさい」なんて言われているのに、墓穴を掘るのはもったいない。私はフェミニスト意見もっと尊重されればいいと思う。だからこそ、今回の批判はとても残念だった。

それと、普段フェミ」の意見に反発している方々へ。

もともと私は、よく分からないものはすぐに批判しないようにしているので、今回、自分の好きな作品批判されたか手のひら返ししたわけではない。女性の描き方で気になることはたくさんあるし、フェミニスト賛同する姿勢も変わらない。それだけはお断りします

2019-01-25

anond:20190125173213

それそれ俺が聞きたいのは

そうだとしたらもし株式会社を作るってなったら

独善的に儲かる会社じゃなくて

株価が安定して良い投資案件になるってことのは重要になってるくるじゃん

事業内容よりもどんな会社であるかの方が重要なら別に事業内容がイノベーティ(笑)であるよりも

ありきたりな商売だけど会社に魅力があるってほうが大切だったりするのかなと思ったんよ

2019-01-15

無題

代謝しかしてない日が増えた

少し考えてみた

去年の今頃までは、遊びの予定が立ったら、たとえ締切日まで余裕があっても、レポートをそれまでに終わらせることができていた

かに今はめんどくさいが、その日は気兼ねなく遊びたい

先の報酬を考えて行動することができていた

今は、締切日の前日になって終わってなくても、徹夜すらできない

終わってない いいや 出さんでも

そう思って、目先のめんどくさいに気を取られるばかり

ついに、昨日は卒論を出さなかった

なんでかは自分でもよくわからないけど終わってなかった

どころか、一文字も書いてなかった

テーマ9月には決まっていたし、

文献も10個くらいは読んだ しか英語

でもなんでかよくわからないが

書けなかった 書くことは決まっているのに

ずっと好きなことがあった

大学に入って、多少頻度は落ちたが

それでもテストレポートから解放されて真っ先にやりたいと思うことはそれだった

部活執行代になって忙しくなって、めっきりその機会が減った

でも、それはマイナスではなかったと思う

何かそれの他に、一生懸命打ち込むことがあったのはよかった

でも最近、好きなことのはずなのに、やってても全然楽しいと思えなくなってしまった

以前は確固としてあった理想形が全く見えなくなってしまっていることに気が付いた

周りの人々にも恵まれ

友人も、決して多くはないが、素晴らしい人々に巡り合えた

共通趣味を持つ友人は、大学に入ってからほとんどできなかったが、特に苦ではなかった

もともと、趣味他人と共有したり、趣味コミュニケーションの道具にすることが好きではなかったからだ

一人で楽しみたいタイプだった

まれからこれまで、本当に嫌な人に出会たことがない

剥き出しの悪意に晒されたり、理不尽に踏みにじられたりしたこともない

誰しも人見知りな私のことを認めてくれた

しかしたら、表面的な付き合いなのかもしれないが、

それでも、私は他人と接していて、他人によって、嫌な気持ちになったことがない

自分うんざりしてへこむことはしょっちゅうだけど)

私の知り合いに、両親、友人知人、バイト先の人々、教師から病院先生に至るまで、悪い人は一人もいなかった

みんな親切だった

自分で言うのもなんだが、私は世間から見れば非常に恵まれ位置にいると思う

学歴、家庭環境、友人、恋人、人並みの容姿

自分環境に不満を持ったことはほとんどなかった

思春期少年らしく、容姿については相当悩んだが、今はさほど気にしていないつもりだ

自分の様子がおかしいと気づいたのは、

部活引退して就職か、進学かを迷っていた時だった

自分にはまるでやりたいことがない

焦った

とりあえず並行してどちらの準備もしたが

色々調べたり、友人と話すうちにその焦りがどんどん自分の頭を食っていった

みんなやりたいことがある

もしくは明確でなくても、ちゃん方向性を定めて、舵を切り始めている

少なくとも、『ある』フリをして、

自分の将来を言語化することができている

私も必死で考えて、何かにこじつけようとした

やりたいことは何だろう

興味があることは?

関わりたいことは?

やりたくないことは?

好きなことは何だ?

将来何をしていたい?

何が欲しい?

この時、誰かに相談していればまた違ったのかもしれない

でも、誰にも相談できなかった 

他人の目を誰よりも気にする そういう性分だから

なんだこいつ、まるで中身がないと思われるのが怖かったんだと思う

実際空っぽなのは自分が一番わかっていたことだった

このころから、夜になってひとりで部屋にいると、涙が止まらなくなることが増えた

部屋にいると、どこまでも自分で、自分しかいなくて、自意識に押しつぶされそうになる

声をかけてくれる人はいなくて、気を紛らわしてくれるものもない

ネットを見ればキラキラして一生懸命自分より若い子ばかりでつらい

結局誰にも相談せずに、まだ働きたくない、この気持ちだけで進学を決めた

勉強するうちにまた気持ちも定まってくるだろうという甘い気持ちがあった

けど、ちゃんと、興味ある分野が見つかった

勉強も、おもしろかったし、はかどった

でも今、卒業できなくなってしまった

夜になると涙が止まらないし

意味もなくYouTube動画ちゃう

そしていま、やりたいと強く思うものがついになくなった

どうすればいいんだろう

かに話せばきっと呆れられる 早く人生をどうにかしなきゃ、そう思うけど、体が動かない

今日はついに、大好きな先生の授業を初めてさぼった 最終回なのに

幼いころから、人にお悩み相談をするのがすごく苦手だった

悩みのないふりをして、ほとんど自分の中で消化してきたし実際できてた

それで問題なかった

から4月から今まで意味もなくほぼ毎日泣いてるけど、誰にも言ってない

恋人にも親にも友人にも言ってない

わかんない、こういうこと言うと、同情をひこうとか、健気アピールに見えてしまうのかもだけど、本当に、

ひとりじゃないときは、飄々として、何も考えていない人っぽくあろうとしてる

不真面目で、明るくて、てきとうで悩みのない人間を演じている、つもり

というかそういう人間だと自分でも思い込んで、それで悩みを消化していたんだろう

事実最近まで自分は不真面目でテキトー人間だと思っていた

でも、そうやって問題根本的な解決をせずに逃げてきた、その負債に今苦しめられてるんだろうな

自分が6歳の時に弟が事故で亡くなった

かにしかったけど、つい最近まで、この出来事自分の今に影響してるとは思ってなかった

なんでかっていうと難しいけど、弟が亡くなってからも両親は今まで通りに接してくれていたし

学校も少し休んだけど、すぐ復帰した

それまで通りの日常はすぐに戻ってきたし、何より自分は幼かったから、あまりわかってなかったもんだと思ってたのかも

何より、それから十数年生きてきて、それによる自分不具合は一度もなかったか

だけどよく考えたら、事故現場に私もいたし、そのあと友達の家で私だけ一時待機でご飯食べてたのも、

お母さんが「頑張ったんだけどね、」って迎えに来たのも、

棺を飛行機に乗せるために木板でまわりを固めてるのを見て可哀想って誰かが言ってたのも、

謎にガラス張りだった葬儀場の周りにいた野良犬も、幼稚園同級生が来たお葬式も、

全部覚えてる 小学校低学年以前の記憶ほとんどないのに、そこだけ鮮明なのは、やっぱり強烈な記憶だったからだろう

それに、弟が亡くなってから私は一度も両親の前で泣いていない

これだけは断言できる

泣いちゃだめだ、悲しんだらダメだって思った記憶がある

当時発症してた小学生特有の謎の天邪鬼の影響も多少あると思うが

今までの日常を失いたくないという一心で、何も気にしてないフリをしなきゃ、と思ってたのかもしれない

自分さえ我慢すれば、自分ちゃんとすれば、すぐに日常が戻ってくると考えていたのかもしれない

まあ正直この辺の思考回路は今の自分と照らし合わせて想像したものから、本当のところはわからない

ただ自分がもともと、感情をむき出しにしている人間出会うとかえって冷静になってしまタイプ人間だった、というだけかもしれないし

とにかく、ここ半年ぐらい考えていたことは、

この経験が今の、人に相談事をするのが苦手で、自分の中で決着をつけようとする自分につながっているのではないか、ということ

現在無気力代謝マシーンであるゴミ人間自分まで、この経験帰結させようとは思ってないけど

でも、全部を全部、自分のせいだと思うのはしんどいから

こういう不可避の経験に無理やりでも結びつけないと、やってられないです どーしよ

2019-01-10

anond:20190110124808

あなたも命の危険を冒しながら骨髄を提供したんだろうに。

あなたももう成人なんだから、その兄とは距離を置いた方がいいと思います

余談ですが、私の父も急性骨髄性白血病で、三年弱の間闘病しましたが、

三度目の入院他界しました。

私もドナーとして調べてもらおうと思いましたが、無駄だと言われました。

骨髄移植には年齢制限が有り、患者ドナー共に55歳だったかと思います

しかし人によってはそれでも移植手術を行う人もいるようです(歌舞伎役者の方、いましたね)。

生きていられる事さえありがたいことのはずなのに、副作用の事で逆恨みするなんて、

とんでもないことだと思います

あなたあなた幸せを掴むことを考えなければいけませんよね。

2019-01-08

愛されるよりも愛したいマジで

これはプラス評価な気がするが、逆にして

愛するよりも愛されたいマジで

にすると途端にメンヘラというかマイナス評価な感じに変わるのはなぜだろう。

多くの人間が心の底で望むことのはずなのに。

2019-01-07

前職の上司取締役になっていた

県内会社要覧という冊子を何気なく見てたら見つけた。

俺はその上司に嫌われていたことに結構後になって気づいていた。

もうとっくにやめた会社のことだからどうでもいいことのはずなのに、

からめちゃくちゃ気分が重くなった。

なんでだかわからんけど。

2018-12-31

ありふれた忘年会の翌朝の感想

友人たちとの飲み会。あれこれ事前に話したいことに思いを巡らせていたせいか、思惑と違うことに僅かな戸惑いを感じながらも二次会まで楽しく騒いで過ごした。

明くる朝は祭りのあとの最悪な気分でベッドにしばらく横たわっていた。人とあって話せば話すほど孤独感が増す。それぞれの考え方とそれぞれの人生があり、みんなが肯定的に生きていることは喜ばしいことのはずなのに、寂しさや期待はずれを感じている。視線は随分と離れて、すれ違ってしまった。

結果でしか理解してもらう材料提供できない。当たり前だが、そうではないことを期待してしまっていたのだろう。だからこそ孤独なのだ依存がなく、互いに独立して成立しているのだから六本木プログラマ風のサラリーマン同士の食事中の会話に感じるよそよそしさと同類のものだ。

一人の人間として自立すればするほど、友人や仲間との付き合いがつまらなくなるのかもしれない。相手が退屈なのではなく、依存が無さすぎるから

生活仕事仕事に関する考え方は相当に独立し自立してしまったが、対人に関してはあまり変化なく、依存的な態度のままなのだろうな、自分は。それが自分にとっての面白さの要なのか。

2018-12-07

anond:20181207172646

まあまあいいじゃねえか!

かいことは。。

み、水卜をみうらと読めなかったのも細かいことのは、恥ずかしい!

くっそまた思い出しちまった!!!

2018-11-13

anond:20181113125611

同じくwikipediaにあるとおり

時代人間山科言継は『言継卿日記』において「仏法破滅」「王法いかがあるべきことか」と焼討した事への不安と動揺を吐露し、宮中においても信長の焼き討ちを『御湯殿上日記』において

ちか比(ごろ)ことのはもなき事にて、天下のため笑止なること、筆にもつしかたき事なり

批判されている。

なんだから、当時から非難されていなかったというわけではないし、

勢力とB勢力の戦い以上の意味は無いような気もする。

といえば原爆だって日本アメリカの戦い以上の意味は無い」ような気もする。

2018-10-18

20年以上前子供の頃にイギリスにいた時の話

馬鹿がびっくりするほど多かった。

地方の元炭鉱町ということもあってか、基本的知的水準が低かった。

10歳で掛け算が曖昧な友人が何人もいた。

そもそも授業が妙だった。

8歳の頃はひたすらエジプト歴史文化を習っていた記憶がある。

その時ですら「なんでエジプトなんだ。もっと他に順を追って習うことあるだろ。自国歴史とか。」と思ってたけどひたすらエジプトだった。未だに謎だ。

算数は進捗別に何班かに分かれて、プリントが配られてそれを解くという方式

どれも簡単なのだけれど山程問題があるので時間内ですべて解きることのはできなかった。

クラスの4分の1くらいが所属する一番下の班はもちろんまだ四則演算だ。

パソコンの授業もあったが、授業というよりパソコンに触れることがメインだった。具体的にはゲーム

原始的なエアシュミレーターと、文字入力で進めるアドベンチャーゲーム。一台しかないので時間制限あり。

生物の授業はビデオを見て感想を書く。内容は面白いのだけれど、難しい英単語が多くて理解に苦労した。

そして級友がイラズラしてきて邪魔でうるさい。

自分英語勉強を一切させられずに地元学校に放り込まれたのでコミュニケーションには難儀した。

言葉が通じないので、異邦人へのちょっかいには暴力で返す。泣くまで蹴る。親が何度か呼び出された。

それでも最終的には友達が何人もできた。英語は大して上達しなかったけれど。

あの年代男子はみなフットボールの上手い下手でカーストが組まれていた。

フットボールの上手なやつは上位カーストで、それ以外の価値あんまりなかった。

女の子馬鹿だった。学力的には男よりも馬鹿だった。ときどきパンツを見せて見た男子からかっていた。

その割に実際のエロいことには奥手で、実際女子に対してパンツを覗くなどのエロ行為を働くと友達から英雄視された。

キリスト教的な性に対する教育が家庭で行われていたのかもしれない。

教会の息子も友達にいたけれど、平均よりも少し頭が良いくらいで、まあ馬鹿だった。

「僕は大人なったら父のあとを継ぐよ」と言っていたけれど、あの程度でなんとかなるものなのだろうか。

中国人の子供の一人は算数がずば抜けてできるらしく、飛び級していた。それを全校生徒の前で褒められていた。

イスラム系の子供は全員シカトあるいはイジメにあっていた。

気のいいやつもいたけれど、話をすると周りからシカト対象になるのでほどほどにしていた。

性格の穏やかなユダヤ教徒とやつと仲良くして、他の生徒との橋渡しをしたら先生にえらく褒められた。

当時は宗教的価値観がわからなかったので「あいつはジュー(ジュイッシュ)だからやめとけ」という友達言葉意味がわからなかった。

まあ言った本人も何がダメなのかわかってなかったと思う。聞いても回答がなかったから。たぶん親から何か言われたんだろう。

一番仲が良くてナイスガイフットボールの上手い友達がいた。

家も裕福だったし、あの調子ならたぶんフットボール選手になっただろうと思って検索してみたらチーム所属中に性的スキャンダルを起こしていた。

彼らは今や30代半ば。

そんな彼らの住む国が明らかに頭の悪い動きを示しても、何もおかしいことはないんだ。

2018-10-14

一部腐女子観劇マナーについて

当方過激派固定の腐女子です。

とは言えそれを言及するほど踏み込んだマナーでもなく当たり前のことのはずですが、

同人グッズを公式の場に持ち込むのは止めてください。

昨年、漫画原作の某2.5次元舞台でそういう腐女子を見つけてしまい、肝心の舞台が全く楽しめず、途中で帰りました。

当方過激派固定で、向こうが逆カプだったという私怨もあるかも知れませんが、

2.5次元とは言え公式の場で、同人グッズを持ち込むのは当たり前にルール違反だと思います

昨今のノベルティやグッズはお洒落で、普通に使えたりもしますが、

からと言って公式の場に持ち込むのは有り得ません。

オタクじゃなければ気付かない、と言われればそれもそうですが、

2.5次元舞台を見に行く人でオタクじゃない方が少ないと思います

かなり私怨入ってますが、未だに許せないので書きました。

愚痴すみません

老後に何千万の貯蓄が必要っていうけどさ

そのために若くやりたいことがたくさんある時期に節制しまくることになんの意味があるのだろう。

たらればだけどさあ。

定年したときに、全く貯蓄がないのはさ、だめだとは思うよ。でもさ、年収ベースが下がってて、税金やら物価は上昇、終身雇用形骸化して退職金に頼りきれる保証もなく、金融商品を取扱う会社がばったり倒れることもある、こんな世の中で老後に何千万の貯蓄を!なんてさ。

悠々自適のために若いうちに我慢しまくらなくてはいけないって、ひどくない?

つらくない?

たぶん、近い将来定年制度がなくなったり、緩和されたりし、老人雇用枠をひろげて「働けなくなるまで働く」という選択肢もできるのだと思う。

長寿は素敵なことのはずなのにな。

願わくば健康寿命が重視されるようになりますように。

2018-09-28

布団、目覚め、

1秒でも長く布団の中に篭っていたい。そう願う。

今日仕事という鎖につながれている。抗う

しかし、抗いがたい。

会社刑務所と同一視する。だけどそれは錯誤。

囚人ではない、社会人だ。

とっくに目覚めている。本当に?

悪夢ではないのか。現実だった。

もう行かねばならない。もう動かねばなるまい。

義務という歯車が動き出した。もう止まらない

布団から脱出する決意と後悔。

仕事の荒波にもまれことのはいつだって慣れない。

こちらは泥船。そう泥船だ。夜までずっと耐えるだろう。

今日が終わるころ、海岸まで流されて辛うじて一命をとりとめる。

日常だ。ただの出来事だ。

よし、それを忘れて出勤だ。玄関をくぐろう。

行こう。

2018-08-20

anond:20180820013243

親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから子供同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。

これがよくわからないんだよな。

今日子供別に同性愛者じゃなくても結婚できなかったりしたくなかったりなんて昔に比べたらよくあることのはずなのに

なぜ同じように結婚してくれると信じているのかが不思議だ。

2018-07-07

anond:20180707150628

演歌は創られた伝統」というのは要するに、「演歌はニセモノの日本の伝統だ」ということですよね。

「ニセモノ」というのは、「ホンモノ」があるから成り立つわけです。ホンモノが明確ではないのであれば、ニセモノも明確ではないということになる。

だとすると、

演歌はニセモノの日本の伝統だ」という主張をするためには、

「これがホンモノの日本の伝統だ」という主張が必要不可欠なはずです。

これは正しい。

まずそもそも日本」という単位自体ナショナリズムのものといっていい。

ゲルナーは『民族ナショナリズム』において"政治的単位民族単位を一致させようとする政治的原理"をナショナリズムと捉えた。

日本の伝統と言ってしまうと必然的にそうなる。

肯定する場合でも否定する場合でも主語日本にしてしまうとそうなる。

国家及び民族主語にして語る時点でナショナリズム的と言っていい。

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」

ということを自明であるかのように語る人がいっぱいいるけど、全然自明じゃないです。

もし仮に、日本は古来から文化的排他的海外のものを寄せ付けなかった、とかい歴史的事実存在するのであれば、

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」というのは正しいと思います

でも実際には、そんな歴史的事実存在しないんですよ。

箏も三味線も、もともとは海外ナウい楽器だったし、雅楽ももともとは海外ナウい音楽ジャンルだったわけす。

仏教インド発祥だということはだれでも知ってることのはずです。

ようするに、もともと海外のもの伝統になる、ということは日本では古来から普通のことだったわけです。

というか世界的に見てもそれが普通なんですよ。


この段落は非常に雑だし、前提がおかしい。

当該社会集団が何を選択的に残し、何を排除たか。何をナウいと考え、何をダサい判断たか

その価値判断は誰によるものか。どういう思想によるものか。

そういった当該社会集団による意図的選択連続としての受容史を単なる伝播、自然淘汰と読み違えている。

インド仏教日本仏教は全く違いますよね。

また、楽器で例えるなら韓国伽耶琴と日本の琴は全く違いますよね。

ダルシマーヤンチンは全く違いますよね。

文化は伝播してもそのまま伝わるわけではなく、ある種の選択判断が生じている。

雅楽だって日本韓国昔ながらのスタイルのままだと主張しているが、実際には微妙な違いがある。

その価値判断伝統の名の下にくだすのがナショナリズム的言説でしょ。

たとえばですよ、

正月によくかかる「春の海」という曲はたいてい「伝統音楽」の棚においてあります。この曲は洋楽邦楽ハイブリッドです。形式的には完全に西洋音楽です。

から

「春の海は形式的には洋楽から日本の伝統じゃないよ」

という意見もあります。でも同時に、

作曲者バリバリ邦楽演奏家なんだから日本の伝統じゃん」

という意見もあるわけです。

で、このふたつのどちらが客観的に正しいかということを実証することは不可能です。人それぞれ価値観が違う、としか言いようがない。

いやそもそも音楽学者で《春の海》をそういった視点分析する奴は今日びいないです。

伝統かどうかというのはもはや何の問題提起にすらならないんですよ。

なぜならその枠組み自体幻想だという前提で読むからね、まともな音楽学者は。

伝統」とはなんなのか、「日本」とはなんなのか、「音楽」とはなんなのか、

とういうような哲学的な問いにきっちり答えないといけないはずなんですよ、もし演歌はニセモノだと言いたいのであれば。

「創られた伝統」という概念と「創られたわけではない伝統」という概念は、どこがどういうふうに違うのか、

ということを哲学問題として、きっちり論理的説明しなきゃいけないはずなんですよ。でも、そんな作業してる音楽学者なんていないですよね。いたら教えてください。


とっくに議論されています伝統の創出についてはホブズボウムがまず前提。

ヘルダー、ダールハウスタラスキン、ヴィオラリーマン、リッサ、アドラーも読んでどうぞ。

特に19世紀ヨーロッパナショナリズム芸術関係が盛んに論じられていたので、

この分野の先行研究として学びがある。ロシアスペインフィンランドハンガリーなどなど。

繰り返すけど伝統って自然に生じるものではなくて、外と相対化されて初めて気づくものだし

伝統自体共同体による幻想なんだよね。

割と最近テレビラジオ地方地方性を駆逐したのではという話もあって面白い

北海道沖縄も、東京の発信する音楽文化に染まってしまったという話で、

それが国家音楽民族音楽だと大衆勝手に読み替えられているという話ね。

音楽って人間社会性そのものだよねってのはブラッキングの『人間音楽性』の指摘だが、

そういう純粋なる民族性の罠にはまってないですか。増田

あれ、演歌の話どこいった。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん