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はてなキーワード: 年賀状とは

2017-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20170613210316

写真屋としてひとこと。

増田スマホがどうと言う前から写真プリントの売上はずっと右肩下がりだった。

デジカメが普及してからな。

1年間の売上で最も大きいのは年賀状。次に喪中はがき

トナーで刷る場合もあればインクジェットで刷る場合もある。もはや写真だけで食っていけると考えている写真屋なんていないよ。

2017-05-27

サンデー漫画家

久米田康治畑健二郎:作中にアニメ漫画のパロネタを入れまくる

東毅エヴァ同人を描いていた

青山剛昌ファンからもらった年賀状の返事に進撃キャライラストを描いていた 自身どうぶつの森アカウント公式アプリ艦これプレイ状況をよく話す 武蔵建造記念にイラストを描いたらしい(未公開) ちはやふるにハマりから紅を作る

椎名高志二次創作絵をツイッターにぽいぽい上げまくる 最近ではかばサーを描いていた 24年組漫画で育ったのでそこらの若い腐女子よりBLに詳しいとか言いながら他アニメBL妄想ツイートする

あと誰だっけ藤木俊か誰かがデビュー後なのに二次創作同人コミケ出展してたような

知ってる範囲でこれだから他の漫画家もたくさん似たようなことやってそう

いまだに土下座事件が有名だけど漫画家の方は案外同人に寛容なイメージ

他誌はどうなんだろうか?ジャンプ漫画家とか二次創作するオタク氏ねみたいな感じなんだろうか

2017-05-02

日本礼賛コピー国民思想とは無関係

「私、日本人でよかった」という惹句のついたポスター京都の町に貼られている問題だが、

この惹句は決してコピーライターイデオロギーを含んだものではないと思う。

ただ単に、ニワカな人がそれをごまかすために派手な言葉を使ってしまっただけのことだ。

「ちゃんと年賀状、ちゃんと大人」「日本よ、これが映画だ」等も同様の例だろう。

 

日本経済成長に伴って教養の無い高学歴者が大量に生まれそいつらが勘違いして

クリエイティブの場にでしゃばり始めたせいで、広告言葉が無残に劣化してしまった。

昔に脚光を浴びた「街の遊撃手」なんかも、俺に言わせれば凡人の陳腐な発想に過ぎない。

馬鹿コピーライターのしたり顔が想像できて、その道化ぶりはむしろ共感性羞恥案件だろう。

 

http://blog.livedoor.jp/idolookami/archives/44261826.html

アイドル業界も度々無教養広告屋被害に遭っているが、これは社会右傾化左傾化とは

一切関係が無い。格差が穏やかな社会副作用として、文化的弱者学歴を手に入れてしまうせいだ。

2017-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20170421215211

俺達夫婦自営業をやっているんだけど、共通の知り合いに学会員がいるのさ。

んで、選挙のたびに電話が掛かってくるから自分には支持している政党候補者

いるから協力できないよ、御免ねって断ってきたんだよ。


そんな選挙が近づいた選挙期間前のある日、突然、知らない男を連れて

そいつが俺の自宅にアポ無し訪問してきやがった。

俺は説伏にきたと思って怖かったよ。勿論、応対しなかったけどなw

で、そのことを妻に伝えたわけ。あまりにも非常識だと思ったからさ。

そしたら、妻からそいつに話しが行ったんだろうな。

毎年、年賀状のやりとりをお互い夫婦連名の宛名でしてたのに

それ以降、そいつから来る年賀状宛名には俺の名前がなくなったわw


それだけじゃない、俺たちが経営している店舗にまで、誰それをお願いしますって

しかけてくるのよ。

で、それを見ていたお客さんが「こちらのお店は特定宗教関係があるんですか?」

って不安そうにスタッフに尋ねてきたりっていう被害が発生してるんだよ。


こんなの受け入れられるかって~の。

これが信仰だって言うのならクソくらえってんだ!

2017-04-11

不安過ぎて先に進めない。

5年つきあった人と結婚した。

付き合ったりお互いの家を行き来するのはよかったけど

同棲するのに,一人の時間がなくなるとか

色々な習慣が違うのが恐くて不安だった。

顔合わせをした。

結納は向こうの親がしたがらなかった。

うちの親は何もいわなかった。

うちは父親と疎遠な姉しかいない。

向こうは祖父母,両親,弟まで出てくるという。

妻を亡くし,疎遠で姉が出てこない

独りぼっちの親父を採点されているようで不安になった。

同棲してから婚姻届を出すのも恐かった。

名字がかわる手続きとか,実家とのつながりとか

何よりも,付き合いが淡泊で,親族の少ない実家に比べて

いつも居間家族みんなで揃っているという義実家

絶対になじめないのが不安だった。

結婚式を挙げようとしている。

うちの親は報告をすると,いやなことだけ端的に言う。

義親は,何でも良い好きにしなさいと言うけれど,報告をすると後出し文句を言う。

何を決めるにも,両方の祖父母,両親,弟の許可がないとできない。

旦那はそれが当たり前のようで何も言わない。

家族から」という。

年賀状義実家から届いた。

「うちにとって初めての娘」と言われた

「うちの味を覚えてもらわなきゃ」と言われた。

私の「うち」は,病気をして一人の父と犬が待つ,あのもの悲しい家だ。

わいわいと家族が全部出てくる家ではない。

よく言うけれど「家」と結婚したんじゃない。

そして今度は「次は孫が増えるね」といわれた。

増える予定も見通しもない。むしろやっと二人で計画を練っている。

まさか「孫」とやらも全員の許可をとる必要があるのだろうか。

不安になってきた。

フィーバーかいう,可愛い名前をつけてごまかしているだけの

おんぎせがましい押しつけがあるときく。

性別名前,着る服,おむつがどうこう,病院はどこ,

全部言われるのではないか

不妊だと勝手に悩まれて,子宝寺のリストを送ってきそうで不安だ。

不安不安不安過ぎて,ついに不安神経症なのではと職場で言われた。

昔はこんなに不安そうにしてなかったのにね,と。

自分は変わってしまったのだろうか。

あの(私からみたら)大家族の波にのまれて。

2017-04-03

昔のイジメ加害者に会うべきか

https://togetter.com/li/1096750

これ見て思いだした。

自分結構やり返す方だったせいか、不良みたいなのから狙われても、あまりイジメが長引くことはなかった。「あいつはつまんねえ」みたいな感じだったのかも。それでも、狙われてたときの辛さは未だに腹立たしいし、悔しいし、思い出したくもない。

地元は狭い世界から、未だに中学生くらいの人間関係で生きている連中が大勢いる。それこそ、爆サイ地元スレッドを読めば、これあいつのことだな、とわかるような書き込み結構な頻度で見つかる。内容は誰のほうが強いとか、あの女はやらせてくれるとか、やっぱり中学生の頃と同じ。

そんな奴らと二度と関わりたくないが、一回だけと思って、お盆帰省中地元同窓会に出たことがあった。

そこで繰り広げられていたのは、中学時代そのままのヒエラルキーに基づいた「いじり」という形のイジメのものであった。一気飲みの強要セクハラが加わってる分、余計に胸糞が悪い。イジられる側は来なきゃいいのにと思ったが、気弱なカズオによると家も未だに近所だし、聞くとまだ昔のような上下関係が続いているらしい。俺の中で何かが弾けた。

次の年、俺はまた同窓会の場にいた。

ヴィトンの鞄と、ロレックスを身に着け、会場のつぼ八的な店にBMWで乗り付けた。(前の年に、飲み会だというのにクルマで来る輩が少なからずいるのには唖然とした)

すると連中の目の色が変わった。俺は自分の今は明かしていなかった(SNSの類も一切やってない)ので、せいぜい「東京で働いてる」くらいの情報しか持っておらず、羽振りの良さに驚いたのだろう。いじめっ子取り巻きだった女性からLINEの交換要望と、彼女はいるのかという質問がひっきりなしで、そのストレートさには閉口した。

男たちは、冴えないガリ勉だったはずの俺がちやほやされるのに苛立っていたようで、酔いが回って夜も遅くなり、残ってるのが元いじめっ子クズ野郎たちだけになった頃には案の定因縁をつけてきた。

女たちが、やめなよ、と言うのを聞いてますます激昂した奴らをなだめるように、俺は「まあまあ、もう大人なんだし」とスカして見せた。

するといよいよ引き下がれなくなったのか、土下座して飲み代を全部払え、と言ってきた。

俺は窓から外を見て、パトカー的な赤色灯が光るのを確認してから

「お前らダセえんだよ!いつまで中学ときと変わらねえ、クソガキやってんだ!」

と、つぼ八的な店に響き渡る声で叫んだ。

俺が突然豹変したのと、普段は通らないパトカーが登場した(つぼ八的な店に駐車場があるのも、地元警察となあなあでやっている話なのは暗黙の了解)ので、連中は混乱して完全に固まってしまった。

「これが最後だ……二度と!俺の前に出てくんな!」

自分から同窓会に来といて何たる言い草かと思うが、まあ劇的な絶交宣言というのをやりたかったわけだ。警察がいるのに喧嘩を始めるほどのバカ達ではなかったのが幸いし(執行猶予中の奴もいた)、固まっている連中を尻目に、俺は幹事の男(スネ夫ポジション)の胸ポケットに万札をねじ込むと、つぼ八的な店を後にした。

店を出てBMW助手席に乗り込むと、運転席のカズオが車を出した。タイミングがどうだったかと気にするカズオ

完璧だったわ。パトライトバッチリだ。」

都合よく来たパトカーなんてものはなくて、正体は俺からの着信に合わせてカズオが点けたパトライト(前の日にドンキホーテで購入)だ。

あいつら帰れんのかな、全員酔っぱらいなら言い逃れ出来ないから、パトカーが来てると思ったら店から出られないぜ。店にも迷惑かかるなあ。

カズオはお人好しだ。

「さあなあ。タクシーでも代行でも呼べばいいんじゃない

はいたって冷徹だ。こんなことしてなんになったのか。あんな縁切り宣言で俺が過去を断ち切れたというのか。

あんまり意味なかったのかも」

言いながら腕からデイトナを外して後部座席ヴィトンに放り込む。

そりゃないぜ、クルマモンハンやるのも飽きたよ。

と、カズオが笑いながら言う。翌月から県外で働くというカズオに、最後に連中になにかしてやろうぜ、と焚き付けたのは俺だ。店に来るときは後部座席に隠れててもらったりと、小細工に協力してくれた。

「付き合ってもらってありがとな」

その後、カズオとは会っていないが、結婚して子供が産まれたらしく、子煩悩年賀状のやり取りが毎年続いていた。(近年はこっちが海外にいるのでさすがに途絶えてるが)

クズ野郎どもは相変わらずクズ野郎のままで生きているらしい。

俺は、俺のほうが圧倒的に社会的成功を収めていて、収入が高く、気の利く美人な妻とかわいい子供に囲まれて、責任ある仕事果たしている、と思っている。だから俺はアイツラより人として価値がある。俺のほうがあいつらより幸せになる権利がある。あいつらは俺と金輪際関係ないところで野垂れ死ねばいい。そのくらい思わないと過去に受けた仕打ちに対する俺の中の折り合いがつかない。

時折、爆サイやらを覗くのはあいつらがミジメに落ちるところまで落ちたという情報がないか探しているからだ。

イジメに端を発する、そんなどす黒い感情を隠して今日も生きている。(四六時中ではないが、フラッシュバックするときはいつも黒い思いが巡る)

直接には何もしない。だから誰にも文句は言わせない。あいつらへの呪詛は俺のものだ。

2017-04-02

やりたいことが見つからない。

子供の頃からずっと やりたいことなんかなかった

周りの人の言う通りに高校大学

偏差値で選んだ。

自分意思で何かを決めているようで、

周りの価値観に従っているだけだった。

人が決めた基準に従って、正解っぽいものを選んできただけで

正解を選び続けてきたはずなのに、

何一つ本当に欲しいものを手に入れられていないことに愕然とする。

大して興味のない仕事を続け、居場所のない職場に行くために乗りたくない満員電車に乗り

いつかは辞めてやると思い続け、はや6年が過ぎてしまった。

辛い。

周りの友達結婚をして、家庭を持ち、子供を育てている。

容赦なく愛娘を囲む家庭の写真を載せた年賀状を送りつけてくる。

”これが幸せ”という価値観の通りに生きられていない人間精神に異常をきたす寸前である

しかしたら、私はいつの間にかレールから外れてしまっていたのだろうか。

ちゃんと大学に通って就職活動をして、新卒入社した会社に勤め続けて、レールに乗った人生を送っていると思っていた。

なのに一向に幸せになれる気がしない。

私は気づかないうちにレールから外れてしまっていたのだろうか。

2017-03-28

経済的問題で友人の結婚式に出席できなかった

http://anond.hatelabo.jp/20170325194531

このエントリを見て思うのは、経済格差は確かに友情を維持していくのに問題となりうるということ。

大学時代の友人と、まさにこのような関係に陥って結局友情を途絶えさせてしまった経験自分にもある。

大学卒業後、正社員として働いた彼女

大学中退してフリーターをしていた私。

彼女から結婚の報告を受けたのは、長らくのフリーター生活中に借金を重ね、自転車操業も立ち行かなくなり債務整理をした頃だった。

遠方で行われる結婚式

交通費の半分は向こうが持ってくれるといえども、往復で2万くらいはかかる。

祝儀に3万円。出席するなら服装髪型、靴やバッグなどに一番少なくしても1万円くらいはかかるだろう。

結婚式の招待状を出してもよいか、と聞かれて即答できなかった。

貯金がないどころか、借金がかさんでいるから行けないと正直に言うのが恥ずかしいし、せっかくのハレの行事に水を差すような気がした。

返事を少し待ってもらって、行けないことを伝えた。ありもしない用事でっち上げた。

せめてもの気持ちとして、ご祝儀に1万円を送った。

それから数年、年賀状をやり取りし、彼女には子供も生まれた。

年賀状に書かれた「今年こそは会いたいね!」という彼女手書き文字を見ると、心が痛んだ。

人生の節目でもある結婚式に出席できなかったという後ろめたさ。

それに耐えられなくなり、年賀状の返事も出さなくなった。連絡は途絶えていき、友情は残らなかった。

2017-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20170314181833

批判的なコメントが思ったよりもついていてびっくりなのですが、いや、なんというか、ヘンな女が愚痴ぐち言ってるようにしか聞こえないのかもしれませんが、

ただ単にバレンタインみたいな行事が好きなだけなのです。誰かにプレゼント渡すのとかお土産とか渡したり渡されたりするの楽しいんです。

そういう行事が好きじゃない奴もおるのです。結構一杯おるのです。

きじゃない奴は大抵得意でも無いのです。

プレゼント受け取るのもお返し考えるのも負担しかないんですよそういう人達には。

あんたが好きで楽しくてもそうじゃない人を問答無用で巻き込んだらあかんじゃないですか。


特にバレンタインなんか、普段まりさない人でも、感謝気持ちを伝えたりとか、そういうことが自然にできる数少ないイベントからかなり楽しみにしてしまうんです。

気持ちはわかりますけどそういうの楽しまない人も居るんです。

渡すとみんな「わー!ありがとー!」みたいなリアクションしてくれるから、やっぱり今年もチョコあげてよかったって思うし、自分彼氏職場からチョコを持って帰ってきたときには、チョコだったり包装のセレクトとかから彼の職場の女の人の気持ちがわかって楽しかったりもするんですよ。

あなたはそういう神経が発達しててチョコからいろんな情報読み取れてしかもそれがポジティブ楽しいんでしょうけど

その神経が発達してない人は受け取ったもの意味も図りかねるし、お返しにどんなもの妥当かもわからないし、

なれないから買うのも大変な労力だし、とにかく負担なんですよ。


お返し目的チョコ配ってるなんて気持ちは一切ないけど、せっかく、たまに聞く「バレンタイン禁止!」みたいな殺伐とした雰囲気職場じゃないのに、もったいないなーっていう感じでした。

あんたは純然たる善意でやってるのは分かるので責めたりしたくないですけど

でもあんたは自分と違う種類の人間に対する察しや配慮が足らんのと違いますか。

あなたチョコにいい反応示さない人は、

別にあなたのことが気に食わないのではなく、あなたと同じ感性をしてないんですよ。

かくいうぼくのとこも法律事務所ですが代表の「虚礼廃止」の方針お中元年賀状もやりとりしません。

代表誕生日にも何にも贈りません。やめろっていわれたので。

サツバツとしてるんじゃ無くて、そういうこと楽しまないだけです。

たぶん、彼には彼なりの主義主張があるのかもしれません(でも、ぽや~とした雰囲気の人なのでそんな感じもしないのですが・・・)。

これもずいぶん人間洞察が浅いなと言う感じがしま

ぼや~とした雰囲気の奴のほうが大体こだわりありますよ(この場合はこだわりの問題じゃ無いけど)

http://anond.hatelabo.jp/20170314181833

長男気質からなのか

小学生の頃から社会人の今に至るまで

年賀状クラスメイト職場の同僚全員に出し

義理チョコには義理チョコを返すように心がけていた。

しかしながら5年に1回ぐらいは

調子にのってチョコなんて配って何を企んでいるんだ。

勘違いも甚だしいし下心見え見えで気持ちが悪い。しね」

という内容の影口を叩かれていることを知ってしまう。

実際に聞いたこともある。

思えば1月1日にくる年賀状も多くて7枚。

平均3.78枚。

ももう今年で27歳になります

これからは分をわきまえて

年賀状上司しかさないし

義理チョコを誰かに渡すこともしません。

人間として人らしく社会に受け入れてもらえるよう

分をわきまえて慎ましい暮らし精進していく所存なので

どうかお手柔らかに。

2017-03-04

この間、中学とき担任食事したときの話

増田20代前半 中高一貫校を経て大卒会社員オタク

T先生=50代 担当教科は国語ハゲオタクではない(はず)

先生とは卒業してから年賀状のやり取りをしていたり、たまに飲んでいたりしてたが、俺が忙しくなり、なかなか連絡が取れなかった。

仕事もひと段落したので先生に連絡してみたら、積もる話もあるからと、学校の近くのファミレスで会うことになった。

席に着くなりT先生が聞いてきたのは、

「お前、幼女戦記ってアニメ見てるか?」だった。

飲んでた水を噴出しそうになったよ。確かに先生アニメに抵抗はないと昔いっていたけど、まさかそんな上級者向けアニメを見てたとは知らんかった・・。

先生いわく、ツイッターフォロワー映画監督に教えられたらしい。

先生「あの主人公女の子、本当に合理主義者だね。ああいタイプはなかなかいないよ。」

俺「そうですよね。1話見ただけだと戦闘狂に見えますけどね。」

先生「そういえば、質問なんだが、あれに存在Xってやつが出てくるだろ。あれと2話の男が電車にひかれるシーンとどんな関係があるんだ?」

えっ、それわからないのに幼女戦記見てたの?と二回目の噴出しタイム

俺「え、先生存在Xが電車にひかれそうになったあの男を、いったん死なせた後にターニャ・デグレチャフちゃんに転生させたんですよ。」

先生「なるほどな。んで、飛ばされたのは第一次世界大戦時代だよね。」

俺「確かに見た目はそうですけど、決定的に現実第一次大戦と違うところがありますよ。」

先生「う~ん、(10秒考えた後に)わからん。」

俺「魔法ですよ!」

先生「あ~、確かにな。」

この会話をして、自分いかオタク世界にどっぷりはまっていたかオタクの常識一般人非常識だということを思い知らされた。

先生「そういえば前に勧めてくれた艦隊これくしょんアニメ、つまらなかったぞ。6話でダウンした。」

ここで3回目の噴出しタイム。あの苦行を6回も経験するとは。ちなみに原作はまったくやってないらしい。

俺「たしか艦隊これくしょんの話はしましたけど、あくまゲームの話でアニメお勧めしてません!」

先生「そうだったっけか。話がまったくわからなかったし、キャラちんぷんかんぷんだったぞ。」

ああ、本当に申し訳ないことをしました。この場を借りて誤ります。すいませんでした!

この他にも面白い話はたくさんしたが、あまり長くなってもあれなのでここでは割愛させていただく。

最後に、「増田お勧めアニメは何かないか?必ず見るから」といわれたので、「けものフレンズ」と「ガールズandパンツァー」を教えた。

生徒と深夜アニメの話で盛り上がれる教師って、やっぱり最高だと思う(唐突)。

 

2017-02-26

喪主喪主ホットライン

あみんお尻の拭けなかったお(兄|じ)さんだよ。

俺も歳をとったね。うんとった。どれくらいとったかというと母が死んだくらいとった。

そうなんだよ、この前母がなくなったのね。

みんな知ってると思うから言うけど、俺一人っ子なのね。

もともとは姉がいたけどいろいろあって今は一人っ子なのね。

でほらさ、うち一家離散しちゃってんじゃん。

父母姉俺だったけど、

はいろいろあっていなくなっているし、その十年後くらいに父母は別居して、

父と実家に残った俺は、けっきょく父が嫌んなってさ、大学卒業してすぐ東京出てそれっきりって感じじゃん。

だけど俺においては両親の連絡先だけは知っててさ。

「だけは」っていうのは文字通り「だけは」でさ。

連絡なんて5年に1度もしなければ、実家に帰る、別居先に会いに行くなんてことも当然なくてさ。

まあ不完全ながらも一家離散しちゃってるわけですよ。

数学も離散したの扱っていこうぜってジャンルあるらしいし、

「家族」って形式にもそういうことってあってもおかしくないわけさ、ってのがあってさ。

あいいや。

でだ、喪主をすることになるわけですね。

配偶者がやるパターンってのもあるわけだろうけど、

ほら、母と父は別居状態からである俺がやる流れになるわけですね。

個人死生観は「死人に口なし」という感じの考えなので、

葬儀」というものは畢竟親族のためにあるんだ、ってな勢いで考えていたわけさ。

ほんとに非情に思えるかもしれないけれど、これはけっこう本心なんだよね。

お金の話しようか。

喪主っつったって単に火葬しておしまいなんて話だったらそこまでお金からないわけじゃん。

それでいいじゃんって思ったわけですよ、当初は。

だってそんな金もってるわけじゃないし、葬儀屋みたいなのいい噂聞かないしさ。

「こっちは一人っ子だし喪主だ」なんて大義名分背負ってるから

その俺が「そんな大層な葬儀必要なくね」って思ってんだからいいだろって思ったわけですよ。

でもまあ「そうじゃなかったしそいつはちっと浅はかだったかな」って話をするね。

母が死んだ病院ってのはもともと母の勤め先だったんだよね。

これは俺、その場で知ったんだ。

というか彼女がどこで何していたか、出ていったあとの20年くらい詳しい話を俺は知らないんだよね。

からああそうなんだって思った。

で病室片付けたあと遺体葬儀場の霊安室に運ぶって段になったときに、

病院関係者が、つまり母の元同僚が見送りに来てくれたのね。

忙しい病院だよ。そんな暇ないはずなのにそれだけでも十数人くらいは来てくれたのね。

俺はまったくあったことない人だよ。

でも俺の母のことを思ってきてくれて涙をしているというのを目の当たりにしたときに、

なんか俺は間違っていることをしたんじゃないか、しようと思っていたんじゃないかって気になった。

整理するね。

俺の死生観ってのはこの状況を見ても実のところ全く変わらなかったんだけど、

でも「葬儀」を私物化してた、しようとしていたことは間違っていると思えたんだよね。

だって離散家族なんだよ。

その「家族」のいままでなんもしてこなかった「息子」とやらがいきなり現れて、

喪主」という大義名分を振りかざして、

今ここで見送ってくれている人たちをないがしろにしていいのかなって思ったわけですよ。

「ああこれ俺たしか喪主なんだけど、これはこの人達代理でやるべきなんだよな」

とか、もっと言えば

「この人達こそが葬儀運営したいんだろうけど、世間の仕組み上、確定された『喪主である俺に一任する他ないんだよな」

とか感じたということなんだよね。

「何をすべきか」がわからいからこういう状況になっちゃってんだけど、

でも「これしたらまずいよね」はさすがにわかるんだよね。

たぶんこの場に見送りに来れない人もいただろうし、

遠くからでも葬儀に出たいという人がいるかもしれないだろうし。

いやあったこともない人たちだし、そんなもの憶測しかないんだけどさ、

でもそれで誰かの、少なくとも母と時間を共有した人の人生を、不容易に傷つけない方向で考えるべきなんだろうね、

って思ったんですよ。

それじゃあ喪主の話するね。

1. 葬儀プラン決める

2. 返礼品オプション外す

3. その分通夜ぶるまいはする

4. 葬儀連絡を母の知人にする(98%くらい、俺は全く知らない人たちだ)

1. は一番安いのにした。そこは本質関係ないと思ったから。

今回はこの場を設けることが重要でありミッションだったからね。

2. は礼を失するという話があるやもしれんけど、

思い出してほしいのは「今まであなたが参加した葬儀で返礼品あったか

「なかったとしたら別感情を抱いたか」ってことなんだ。

で俺個人としては「そんなこと気にする人いないでしょ」って結論だった。

あとお金の話(大好きなんだ)すると、

香典平均5000円/1人」って情報葬儀屋から聞いていて、

その計算すると「香典5000円 - 返礼品2000円 = 3000円」とかになるわけ。

しか葬儀屋は「返礼品は日持ちするからキャンセルありで補充可能」って感じで、

バンバン持ってこようとするわけ。

どうなるかっていうと会葬者x2000円の出費が変動費で乗ってくるということなんだよね。

これだと費用読めないからさ、なのでやめてくれって話にしたんだよ。

3. は2の逆なのね。これは費用が読めるんだ。

人数分の食事がでればいいわけだし、

香典はこっちに当てさせてもらうほうが正しいと思ったんだよね。

葬儀」って多分悲しむよりかは同窓会的に楽しい会話の中に、

故人を登場させてもらうって場所なのかなって思うんだよな。

からここをケチりたくなかったというのはあるんだ。

4. これが一番たいへんだったこと。

なのでお前さんがたが喪主をする側か亡くなる側かはしらんけれども、

とにかく「葬儀呼びたい人リスト」はつくれといいたい。

まじで。

このご時世メーリングリストで一発やんか。

なんで年賀状あさって簡易住所録つくって、

ちょっと誰呼べばいいか分かる人いませんかー」ってプチ個人情報漏洩しなきゃいかんのじゃ。

はいえ、これを難儀するのは俺が親不孝だった証明しかないですね。

という感じで式に臨んだ結果、120人くらい来てくれたわけだ。

最期最期まで母のそばにいてくれたような人や、

前日御見舞きて「花見行こうね」って言ってくれた人を、

とりこぼすことなく呼べたのでよかったという感想だった。

この期間中、よくしてくれた母の元同僚の方にも「ほんとうによかった」といってもらえた。

この言葉聞いて、人として危うい選択をするところだったけど、俺は間違わずにすんだかな、と思った。

自分自分の尻をふけるような大人になりたい」なんて言ったけどさ、

まだまだ全然拭けないよね。喪主なんて助けてもらってばかりだったよね。

最後に言いたいのはね、こんな俺が言うのもあれなんだけど、

「家族」一般的にも実質的にも大事かもしれないけど、

「同僚」や「友達」以上の存在でなければならないってことではないと思うのね。

逆説的に言えば「家族」以上の「同僚」や「友達」がいる形はあっていいんだよね。

それらは比較するべきでなくて、並列に存在して全部大事でいいんだよね。

から家族離散」してるからといって「家族葬儀を簡略化していいってわけじゃない」ってこと。

俺はそれを今回知れたってことを、みんなに教えたかったんだよね。

2017-02-24

世の中に年下が増えていく時の寂しさ

・まわりを見ると大人だらけだった

世界自分中心に回っていると思っていた

・はやく大人になりたかった

・いつの間にか大人と呼ばれる年齢になっていた

・同じ年の友人に、結婚している奴が多くなってきた

子供が産まれました、の年賀状が来るようになってきた

自分兄弟の子供の結婚式に出席した

・でも、結婚式より、葬式に出る回数の方が増えてきた

TVに出ている人間は、自分より年下ばかりだ

・いつの間にか、次の世代、次の次の世代が主役になっていた

自分一人で長生きしてもなぁ…

2017-02-19

しかった母親新興宗教に入信したら

容赦無くハエたたきで私の尻を叩く鬼に変貌した。

サタンだね!!」

という訳分からん理由説教がはじまる。チンピラのインネンでもそこまでじゃないぞ、と思うくらいに理論破綻具合がすごい。

アニメを見た。

ギャグ下品マンガを読んだ。

友達と寄り道して遊んだ

世の中で流行っている歌を歌った。

そんな理由で。

これらは全部「サタン」らしい。

「歯ァくいしばんな!」

というヤンキープロレスラーしか言わないようなセリフ小学生の時から散々聞いた。我が家ガチンコファイトクラブか?

尻を叩いたという報告は母の教育係のようなおばさんに逐一なされていたようだ。

後日「なんでお母さん怒ったか分かる?

あなたサタンのよくない影響を受けないために怒ったのよ。」

フォローが入るからだ。

いやいや、知らんがな。

私の友達はじゃあみんサタンなんですか?日本国民サタンなんですか?やべーっすね!

何より、ケツをはたくなら、自分の手だろ。心はもちろん、自らの手を痛めるほうがはたくほうの愛だろ。

それをなんと、まぁ、ハエたたきで。私のプリティヒップハエじゃねーぞ!!!

なんて反論できるわけもなく、幼い頃の私はただ怯えて泣いていた。

怒られないように、と今でも気づけば石橋叩いてクラッシャーになっている。この頃の負の遺産じゃな…。

毎週夜だの昼だの2時間以上ある集会に参加を強いられ、寝たり話を聞いてなかったり、ノートソフトクリームうんことか落書きをしていたりすると会場備え付けの尻叩きグッズで尻をスパーン。

休みの日は学校友達も住んでるような地域布教活動をさせられ。

「なにしてんの?」と聞かれた日には「お、お散歩…かな…」と苦し紛れに答えていた。

校歌国家は歌えないので先生に「信仰自由」を告白し、騎馬戦はできず、クリスマス七夕も祝えない。友達からもらった年賀状も返せない。さぞかし冷たいやつだと思われてただろうな。

人に救いを説く小学生女児の心、一番救われるべきだったのはそこではなかっただろうか…。

小学生ながらストレスで重度の脱毛症を患ったこと、明るかった性格がみるみる暗くなり、不登校になってしまったことなど、親から見ると宗教に入ってからの私の変化は喜ばしくなかったことだろう。

そんな日が何年も続いて、中学生になったある日。夜の集会に出席するため、いつものごとく会場へ向かうはずの母の車は、全くの別方向へ。

着いたのはショッピングモール

そこにあるゲームセンターで好きなだけ遊ばせてもらった。母も、いつもはやらないクレーンゲームで大きなぬいぐるみを取ってくれたりした。

いつもはさせてもらえない「サタンの」遊びに私は戸惑いつつもいたく喜んだ。

普通ってこんなに楽しいんだ…!

もう私はサタンでも構わない…!!

たっぷり遊んだショッピングモールの外に出て、月の綺麗な夜、私は子供らしく上機嫌に走り回っていた。

なんで今日集会をサボったのか。

その理由はあえて聞かずにいた。

だって来週も集会になんか行きたくない。ずっとこんな風に普通を楽しめればいい。

宗教ことなかいっそもう忘れちゃえばいい!

そう思ってふと母親を見ると、静かに母親は泣いていた。

その日から熱心だった母はゆっくり宗教を離れて「元信者」になった。

宗教で娘は不幸になり、自分幸せも結局見つからずじまいだった。

今でもあの宗教の話は、親子の間ではしない。したくもない。

宗教はやめればそこで終わりなわけではない。信じていた頃の記憶強迫観念信仰は根強く残り続ける。

母も私もしばらくはその苦しみと闘っていた。かなり時間はかかったが、元の心を取り戻しつつある。

しかしこれからも、心のどこかでしこりのように宗教後遺症が残るのだろう。

母にはただただ、何かに縋ることなくとも、これからも静かに幸せであってほしい、そう願うのみだ。

2017-02-13

なぜ企業は擬似家族的な扱いを強いるのか

バレンタイン年賀状社員旅行もいらない。

もっとドライでいいよ。

なんでそこまでやるのか理解できない。

2017-02-11

教師との恋愛という罪の告白

 先生出会ったのは、わたし中学生の時です。彼は大学院卒業後、国語非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。

 当時のわたしは、授業中は寝ているか教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。

 気持ちが変わったのは、制服シャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強楽しいと思うことができたのです。

 いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプわたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。

 先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたし地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。

 いや、違うかもしれません。分からない問題先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたし先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。

 たったの半年程度で、わたし順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。

「1位を取ったらデートしてください」

 先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席優等生の顔が浮かんでいたのだと思います先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。

 300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたし学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。

 わたしは、先生とのデート権利をかけて彼女一方的勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。

 誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたし先生からメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。

 わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキー職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。

 映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想い今日最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。

 しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生気持ちを手に取るようで、その真剣眼差しに促されるように、わたしは「はいはい」と頷いていました。

 先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄しか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さなから過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。

 先生わたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入り教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。

 高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。

 そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。

共犯者だよ、君も捕まる」

 そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。

 わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから

 物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日先生学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたし学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。

 先生は、主任校長にだけわたしたちの関係告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたし校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。

 先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女関係を辞めました。

 先生わたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断たからです。

 春休みわたし毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。

 高校3年生の時、知り合いか先生都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生いるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかたからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。

 なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。

 先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。

 わたしの家には毎年、主任校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですからわたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。

 はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたし片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。

 冬になり、主任校長一人暮らしになったわたし年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。

 2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきますわたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールはいわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧しか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。

 

 はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きていますわたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。

 しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。

 せんせぇ、さようなら

 はいさようなら

 いつか終わりを迎える日に、罪を抱えた半身の行方を知らずに眠ることが、わたしはできそうにないのです。

2017-02-08

連絡するね

3年位会ってない友人から年賀状が来たので

今年は会えたらいいね、とLINEを返したら

連絡するね、と返事が来た

でもそのあとはもちろん何もない

連絡するね、は連絡しないでね、という意味だと先日ドラマでみたけれど

こっちから連絡しちゃいけないのかなやっぱり

○日暇だったら会おうよとか言っちゃいけないのかな

とか考えてたらだんだん眠くなってきた

2017-02-01

結婚したら年賀状書く習慣なんなの

かつて私から年賀状送っても、メールで済ましてたり返事しなかった人たちが、こぞって年賀状送ってくる。

結婚してないこちらとしては、もう葉書で返信するのがめんどくさい。

ヤル気なくて後回しにしてて、今ギリギリ寒中見舞い慌てて書いてるけど、やっぱりめんどくさい。

2017-01-31

葬式をやらないとあとで弔問対応が大変」という意見について

これ、実体験を書いておく。

葬式やらないと後で弔問客がポロポロ来て大変だよ、という話。

これはある意味本当である意味嘘。

自分場合

娘(=私、子供なしのDINKS結婚して家を出たので親とは別居)30代

死んだ父親(子供は私のみ、75で死亡)

残された母親(68歳)

父親はすごく顔が広く、というか浅く広くというタイプだったので葬式をやったら大変なことになるし、

私自身がコミュ障かつ共働き旅行趣味なので親の云々に対応する気力がないので、

とにかく人に会わずに済む密葬にした。

父親には2つ年が離れた弟がいたのだけど、私自身その叔父とそんなに仲も良くなかったので呼ばなかった。

私と、旦那と、母親だけの密葬。むしろ直葬に近かった。

で、死亡連絡はどうしよう?と思ったのだけど、ここだけ頑張った。

とにかく父親スマホに入っている連絡先と年賀状リストに入っている連絡先に

「死んだ日」と「墓の場所

だけ記載して送付。

(墓に何度も行くのが面倒なので火葬の翌日に納骨)

母親は疲れているし娘は仕事多忙なので弔問は一切お断りします。もしどうしてもと言うなら墓へ行くか、墓の方角に向けて手を合わせていただければ幸いです」

とあわせて記載

メールを送り終わったところで父親スマホは解約、自宅の電話父親しかほぼ使っていなかったので固定電話は解約。(残されてる母親と私の連絡はケータイで十分)

お墓の場所を書いた(田舎の寺があるので、その寺の場所を書いておいた)のが効果的だったようで、父親にかなり恩義がありどうしても線香を上げたかった人ははるばる飛行機まで乗ってお墓に出向いてくれたようだった。

父親の友人と言われても私や母親には他人しかないので、その人たちの対応をするのは葬式であれ弔問であれやる気が出ないので、行きたければ勝手にどうぞ、そのかわり私たちは会うつもりはないし時間をかけたくないです、というスタイルにさせてもらった。

人間、手を合わせる先があれば割りと納得したようで、お墓参りしてくれる人はたくさんいたけど自宅に連絡してきたり押しかける人は一人もいなかった。

(電話が繋がらないので訪問アポも取れないので来ない、幸いなことに父親の人脈にはアポ無しで飛び込んでくるようなアホはいなかったよう)

葬式しなくない、けど、あとで弔問客来られるのもウザい、という人は試してみてもいいと思う。

おかげさまで親が死んだあともほぼ対応に追われず、親が死んだ一ヶ月後に予定していた旦那との長期旅行も予定通り行けた。

せっかく予約して楽しみにしてた旅行なので行けて本当に良かった。

葬式しないとあとが大変だよ、というのは葬式業者セールス文句だと思った方がいい。

2017-01-30

年賀状マタニティフォト写真送ってくる人がいた

他人からどう思われるかとか気にしないんだろう。

人の目を気にしてしま自分からすると少し羨ましく感じる。

2017-01-25

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妻に子どものお迎え、夕飯、遊び、風呂、寝かしつけを押しつけて飲み会行くな。

ライン一通で責任放棄するな。

そのくせFacebook年賀状子どもできました、育ちましたとドヤ顔するな。

つもりつもって妻は一生恨む。

2017-01-20

年賀状の負の連鎖

年賀状を好きで送ってる人はいないよね。

相手からくるからしかたなく送ってる。

その証拠に、年賀状を返さなかったら100%こなくなる。

それでも来るのは商売がらみのDMみたいな年賀状だけ。

普通に考えたら、年賀用なんて習慣はどんどんやる人が少なくなって消滅するはずだけど、なくならない。

それは、過去に何十年もいやいや年賀状を書いてきた人が、この苦役自分世代で終わらせない、次世代の連中も苦しめてやるって意識でやってるからなんだろうな。

2017-01-15

家に高速インターネット回線通ってない若い

普通にいるんだなぁ。

スマホがあるからインターネットにはすぐにアクセスできるし

パソコンもあるにはあるから年賀状パソコンで作ったりしてるけど

パソコンからインターネットできないらしい。

2017-01-13

年賀カレンダーを早々捨てる

自営業なのでお取引から年末カレンダーをいただく。各所からまりサイズ様式も違う30本位が集まる。もちろん使い切れないので、今日はそれらの廃棄作業をしていた。金具を取って、紙ゴミに出す。まだ一ページもめくられていないカレンダー

自宅は好きなものを買ってかけている。というより、普段スマホで予定管理しているかカレンダー自体がそう要らない。もうみんなそうなっているのでは。

結論として、お年賀カレンダー習慣派年賀状より早くやめたほうがいいんじゃないかな。そこで何が代案になるかですが、マステどうでしょうか、マステ会社ロゴ入りとか出来るでしょ今。

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