はてなキーワード: ちまいとは
そうして人生が腐り果てた結果に対して「過去の自分から懺悔を聞かされる」人生がどこまでも続いていく。
本当に辛い……。
俺はどこで間違えたんだろう……。
割りと聞き分けのいい子供だったので「残さず食べて大きくなろう」と親がいうものだからどんなに味覚に合わないものでも必死に食べていた。
好きじゃなかったはずのニンジンやピーマンがいつの間にか私の好物であることにされ、親戚の集まりに行くと従姉妹連中が私の皿にニンジンを次々に投げ込んできて、私はそれを黙々と食べ続けていた。
そんな人生がずっと続いていた。
でも心の中では本当に辛かったから、即物的な快楽に身を委ねることが多かった。
将来のために頑張って受験勉強をして、とにかく今すぐ気持ちよくなりたいからゲームやオナニーをしまくった。
スポーツや趣味と言える思い出はなくただただ学生時代は勉強してオナニーしてゲームしていただけだった。
でも勉強は苦手だったんだよな。
自分事として勉強に向かってないから、全く興味が湧かなくていつだってただただ苦しいだけで全然頭に入らなかった。
二流の中学に入って、エスカレーターして、そのあとは3流の大学に入り、3流の人間なりに「将来」を考えて公務員に就職することを選び、今は毎日後悔している。
過去の自分なりに頑張って積み上げたはずの「未来」の姿は、ただただ辛い辛いと毎日言いながら意味を感じられない仕事をするだけの人生だった。
今を考えることを無視しすぎた。
「未来の自分」はいつか「今の自分」になるし、「今の自分」が「過去の自分」になったとき過去を変えることはもう出来ない。
未来のためにすり潰される苦痛の中でそれを紛らわすための痛み止めのような行為ばかりをして過ごした過去が無数に積み上がっていく。
今もただただ辛い……安定しているだけの仕事だけど、その安定は「苦行のような人生」が安定して続くことしか居意味してねえ。
何も見えねえ。
俺の人生は完全に失敗した。
「今を生きた結果として、素晴らしい過去と、それなりの未来が手に入った」という形に人生をどうにか作り込めなきゃ行けなかったんだ。
頑張ってニンジンを食べ続けた結果、好きなんかじゃないと今更言う事も出来ずに親戚中からディスポーザーにされていた幼少期がそのまま自分の人生の延長線なんだ。
しんどすぎる……なんでこんな人生になったんだろう……。
今からどうやって軌道修正すれば良いのか全く思いつかない……。
自分が何をしたいのかもよくわからないし、それほど辛くもなく出来ることで金を稼げそうなものはない。
ダラダラゲームをしてダラダラとネットで駄弁るぐらいしか出来ねえ。
程度の低い人間は程度の低い人間としかコミュニケーションの機会を得られないっていう階級固定のシステムがだいぶインターネットでも強くなってきた。
そしてそのことにはもう辟易している。
若さから来る勢いと柔軟さを失って、下ネタとパワハラの押収に頼ることしかできなくなった人間とのコミュニケーションはもうしたくない。
職場で無理やりつきあわされるのだけでもう十分だ。
インターネットに疲れたと言ってる人の気持ちがやっと分かってきた。
「ウェーイ!肩パンウェーイ!」「ちょwww今季の深夜アニメがマジシコwwww」みたいなコミュニケーションを50年も100年も続けられるのはある種の天才なんだよ。
多分大抵の人は人生において下劣さとか高潔さとか清純とか外道とか善良とかそういう属性を貫いて生きることさえ出来ないんだろうな。
同じキャラを続ける才能がないんだ。
多分俺の悩みも、30年続けてきた「将来の自分のために」を旗印として粛々と過ごしながら溜まったストレスはシコシコして吐き出す生き方にいい加減飽きたんだ。
恐ろしいな……公務員何て「ダラダラと同じ生き方を続ける権利が得られること」だけがメリットみたいな仕事を選んじまってこんなことになるとは。
でも今更辞めるのは怖いんだよ。
俺は要領が悪いからさ、たった10年そこらでももうショーシャンクの爺さんみたいになっちまったんだ。
外は怖いんだ。
自分が本当は人の役には立てないのを認めたくねえ。
業務処理能力として身につけたと言い張ってるものが単にくだらん身内ルールに対しての慣れでしかないことを直視したくねえ。
でもこんなことをあと30年も続けるなんて気が狂っちまいそうだ。
つい1時間前に帰ってきたような生活をもうずっと続けてるんだ。
疲れたよ……せめて時間が欲しい……仕事をしている時間が安らぎもなく楽しみもないならせめてそれ以外の時間を作るための時間をくれ……。
俺は本当に人生を間違えたと思う。
今なあらハッキリ分かる。
安直な道を進んだ俺の罪だ。
罰が重すぎること以外は納得している。
やっちまいましたな先輩。
なあなあどっかにコンビニ店長さんやせめて店員さんは居ないんですかねえ?
季節モノの商品って本当面倒だと思いません?
手間考えたらまともにロイヤリティが出てるとはとても言えないでしょうよ。
正直コンビニなんかにいる人間に野心なんてないから、ちょっと手間はかかるけどお金は多く入るなんて商品求めちゃいやせんでしょ。
結局得してるのは本部だけですってこと。
ガンプラなんて買いにコンビニ来る人がそもそもお得な客な訳あるかいそもそも。
それだけ買ってお帰りですよガンプラだけね。
まあそりゃね油で汚れたら箱が痛みますもんね。
ならこっちがもう転売してやろうじゃねえのって。
実際それで考えたら悪い商売じゃないわけよ。
まあ一応本部に向けてのポーズとしてちょっとぐらいは売りますが、ちょっと以上は売りませんよ。
ポーズとして最低限をやったらあとはこっちが稼ぐ版で問題ないと思うんですよ。
そもそもの社会道徳をぶっ壊してるのは誰かを問えば明らかじゃないのさ。
悪いのはコンビニの世界に本当は存在しちゃいけない商品を持ってきたほうでは?
出ちまいましたね答ってやつが。
そういうことでここはお開きとしましょうや。
そうやって相手の行動に「自分の裏」みたいな感情を挟むのはあんまり良いことだとは思わんけどな
相手が自分にかけられた言葉や身の回りの状況で判断した結果行動するわけじゃん
それを見てその動作が予定通りだったり他にもそうなる事例を知っていてそれに合致したとかそうなる準備をしておいてそれが予定調和したとかで面白いと思ったりするわけでしょ
用意をしていてその通りになったので「釣り」って言ってみたりとかさ
自分がそれを仕組んだ予定どおりだったから不満や不快になることはないという安全圏を確保しておいたってね
それで問題意識から遠ざけて楽しめるレベルに自分がいるってしておくとかね
とりあえず状況とそぐわない感情があるってところに余裕を感じるだろうけどそれって判断を遅らせるだけだと思うんだわ
ビル火災で緊急警報で外に出ろっていわれて焦ってあわてて暴れろってことでもないけど余裕ぶちかまして笑えるって言うのも違うよね
当事者のそれってそれぞれそんな評価する側の他人の感情に関係なく事実は存在していてそれを知る人間それぞれにはその数だけの判断があるわけじゃん
騒ぐ人とかあきらめる人とかとんちんかんなこと言う人とか笑う人とかいろいろいるよね
その行動選択を占いやなんかと一緒で根拠がなくて自分の中の基準や運にまかせて予定調和で自分を救っていたら ほんとに救われたいときにその手段が運か気分になるんじゃない?
自分の安全マージンやリソースを楽しさで削ってるようなもんだといえばタバコとか酒とか危険運転と同じ系統だと感じるね
他の人間に知られなければ問題ないし事故が起きなければどれも問題にはならないってことは保険と同じでそうだと思うよ
でも確率というか前提条件は確実にたまっていってその結果の範囲もどんどん広くなっていっているのは確実だって思うんだわ
それをしていた人間としていなかった人間がおなじ場面に居合わせた時どっちが問題を押し付け合った時どっちがなにを持たされるかってね
もちろん対峙したならば前提の有無は関係なく同じ結果をもたされる前提のない人もいるだろうけどそれって巻き込まれじゃないかな
自分のありあまる業みたいな前提条件の積み重ねがたまたま同席したそれを回避できていたはずの人にまで持たせてしまうようなイメージ
まあわかるよ
遊びでしたとか本気じゃなかったとか釣りでしたとか 予定調和でしたありがとうございます とかさ
それで自分の本心とかそういうのに触れて自分が期待したところに行かなかったとき傷つくのつらいからそこにクッションはさむのわかるよ
そういうのさ 不安定なお皿の食べ物をつまむときとか手袋してものを運ぶときとかみたいに直接じゃなくて保護したり横着した中間マージンをかませるとさ
バランスくずれたとき持ち直せずひっくり返って大失敗になったりしない?
直接しっかり持っていたら落とさなかったのに横着したり直接ふれないようにしてたのが災いしてひっくりかえって大失敗とかなったりしたことない?
自分の気持ちとか判断基準とか価値観にいちまいクッション重ねてたらさ
べつに失敗ばかりの人生で恥のすくない自覚で生きていきたいって主義ならそれもありだと思うよ
俺はそういう失敗は自己嫌悪の素なのでせめて失敗を人のせいにして自分が軽くなるように自分の本気で当たったが相手には届かなかったとしてる
巻き込んじゃった時にまきこまれた人になにもいえなくなってしまうのとか何も感じないとかそういう結果になるところに自分がいっちゃうデザインを今自分はしたくないって思うわ
前から「不正した作品をやたらプッシュする会社だな」って思ってたんですわ。
キャラはおろか、連作短編のトリックが他の連作短編と四つもかぶってるとかありえないでしょ。
盗用した作者がそれを認めて刊行されてる本の内容を書き換えたのに
それを知らせたのはパクられた側のTwitterで、盗用した本人はダンマリとかありえないでしょ。
小説家になろうで「とても人気があったから」書籍化されたのに、
複数アカウントによる不正でポイント取ってたとかありえないでしょ。
で、悪くなかった。
確かにアラは目に付きまくるが、まあ本来2時間で終わるさらば宇宙戦艦ヤマトを、2クールで作れと言われたらあれ以上にやるのは難しいだろうな、という感はあった。
自分は「2」は見てないのでそっちとの比較はしないが、個人的には2199よりも満足感が高かった。
というか、自分は2199の随所に不満があり、そっちで期待値を爆下げしてたので、2202が意外と悪くなく感じたのだろう。
2199の何に不満を持ったかと言えば、真っ先に思い浮かぶのが「波動砲封印」。これである。
なんかイスカンダル姉妹が二人とも波動砲嫌いで、何でも昔イスカンダルが波動砲で宇宙に覇を唱えた事を悔いているからとか。
しらねえよアホ。それをやったのはイスカンダルであって地球じゃねえ。
なんでお前らの反省で地球が縛りプレイしなきゃなんねーんだよ。
波動砲封印したせいで外敵に敗れて地球が滅びたらお前責任取れんのか?
沖田艦長は何か使わない約束しちゃったけど、あれほとんど戦争終わってたからOKしただけだろ。バラン星より前にそれ言われてたらOKしたかよ。沈むぞヤマト。
まあそんなこんなで波動砲封印しちゃって、その悪影響が2202まで引きずってたわけだが、
ご存じのとおり、2202の後半なんて数百発の波動砲が飛び交う波動砲天国である。(というか、波動砲くらいしか相手に有効な攻撃が無い)
2202の冒頭では、「波動砲を使いたくない古代と、波動砲を使いたい地球連邦軍」という対比になっていたが、
「波動砲がなきゃ敵に勝てないと骨身にしみてる古代と、かすっただけでも比喩抜きで地球が木端微塵になりかねない波動砲を封印したい地球連邦」という図式の方が自然だ。
波動砲撃ちまくりになったら困るのは地球なのだ。この辺、旧作のさらばでも何も考えずに波動砲艦隊作った辺り、幾ら核兵器の比喩とはいえ扱いが雑だなあという感が強い。
まあ、それはともかく、通常兵器では殺していいけど波動砲では殺しちゃダメ、というイスカンダル姉妹の独特の価値観は、普通の空襲で死んだ人は特集しないくせに広島長崎で死んだ人は毎年特集して語り継いでる日本へのオマージュかと思われるがとにかくアホらしい。
人道を掲げるならいっそのこと「兵器は何一つ使うな」くらい言えば良いものを、そこまで言えない辺りに底の浅さがにじみ出ている。
だいたい、あの姉妹はイスカンダルの座標すら地球に教えてくれず、試練とかふざけたことを言ってて、本当に地球を救う気があるのかも怪しいのだが、
この辺の高貴なるイスカンダルの高貴なるお遊戯は旧作には出てこないわけなので、2199で追加された新設定であると思うと腹立たしさも倍率ドンである。
まあ、リメイク作品の作り手の常として、「旧作を極力リスペクトしつつ、旧作の矛盾点は解消したい」という欲があった事は想像に難くないので、「なんでイスカンダルとガミラスが二重星だと最初に言っといてくれんのや」という旧作の不満点を解消しようとしてそうなったのだろうが、
そんなちまい矛盾を解消するためにスターシャを人類に試練を課す女みたいな妙な位置づけにして世界観をぶっ壊してしまうのは本末転倒ではないのか。
旧作のひおあきら版なんて、スターシャ様はイスカンダルを爆破してガミラスを巻き添えにする烈女ぶりを見せており、そこまで献身的に助けてもらっちゃうと、さらばで地球連邦の増長ぶりに腹を据えかねた古代の怒りも理解できるのである。
イスカンダルは自分を犠牲にしてまで地球を救ってくれたのに、テレサのメッセージを他人事としてブッチするとか、地球はそこまで恩知らずかという古代の怒り、失望、そういったものも理解できるわけで、それがさらばのラストで「今度こそ地球は目覚めるだろう」という、地球文明自体の成長と、そのためのヤマトの犠牲という図式に収まるわけなのだが、
リメイク版では2199のイスカンダル女がイスカンダル価値観を押し付けてくる傲慢さを見せつけているせいで、その辺の図式がパァである。
というか、イスカンダルもガミラスも本来異星人であり、地球と理解し合える部分なんて「点と点」でしかないのが当たり前なのだが、2199では何を血迷ったのかガミラスと地球の戦いを、ガミラスが恒久平和を目指してるとか、地球側から先制攻撃したとか、お前、「戦争はどっちにも正義がある」的なDD論を持ち込もうとしてるやろというSFも糞もない地球的価値観を設定をぶち込んできたのだ。
このガミラスの地球人化は話が進むにつれてどんどん進行し、なんかドメルが良い家庭人的な扱いになってたりとか、かわいい少女宇宙人がでてきたりとか、もう目も当てられないほど地球的なガミラス像が展開されている。
旧作も最終的にそういう方向に行ってしまうのだが、少なくともデスラーが「愛」とか馬鹿な事を言い出すのは新たなる旅立ち以降の話であって、話が通じないから大砲で会話するという異文化コミュニケーションの基本は旧作の方が押さえていたと言えるだろう。
あと古代守の特攻シーンもなあ。旧作の、負け続けて逃げ続けて、負け疲れた人がとうとうブチ切れて「死んでやる」と言い出したような救い難さがなりを潜めて、皆で笑顔で軍歌を合唱しながら特攻である。戦争やった事ない人の軍人ロマンやな、という感が強い。(私も戦争やった事なんてないけど)旧作の方が「負けっぱなしの軍人が死に場所を求めた」感があって、良い感じにやるせなかったのだ。この辺は「バカめ」も同じで、あれは本来、指示を受けた通信手の方でも真意が理解できないタイプの、どんだけ負けまくっても諦めない男・沖田十三がどんな人間かを示すセリフのはずなのだが、2199では部下の方も心得顔で得意満面の返答である。スタッフにバカめと言ってやれ。
あとはもう、戦争やってんだか青春やってんだか分からんお前ら本当に軍人かと言いたくなるようなヤマト学園ぶり(これは2202にも引き継がれている)とか、まあ色々あって2199には大変失望させられた。
テレサの位置づけが微妙過ぎて、なんなのあの人って感が強かったのとか、なんか「一日稼げば一日分の艦隊作って持ちこたえられる」みたいな事言ってた割に、最後バルゼー艦隊が何の抵抗も受けずに地球上空を押さえちゃったの何でなのとか(なんか私が見落としたんだろうか・・・)、トランジット波動砲とかいうの、他の地球艦にも装備して2,3発撃ち込めば終わってたんじゃないのとか、斎藤の名セリフとか無理やりねじ込んでキーマンとか華々しく死なせた割に、あの特攻なんも意味ねーじゃんというかもう、そこで死なせるなら加藤と同じ場所でも良かったじゃんとか、加藤も加藤で、お前そんな選択はいくら何でも無いやろとか、お前そんな死亡フラグ立てまくる事ないやろとか、まあ、色々言いたいことはあるのだが、
旧作の海原雄山みたいな傲慢な爺さんであったズォーダーや、キャラ立ってたくせに退場シーンすら存在しないサーベラー(関係ないけど、アメリカだと古代×サーベラーのカップリングが割と鉄板だとか20年ばかし前に聞いた覚えがある)なんかに大胆な設定を付与して、旧作とは全然別物ながら「異質な異星人」として存在感出しまくってたのが大変良かった。この辺、地球人化が著しいガミラス人とは対照的である。
旧作で存在した「アンドロメダを征服した帝国が首都星一個破壊されたくらいで終わるわけないやろ」という矛盾点(これはガミラスもそうだけど)を、ゴレムとかいうシステムで解消した事とか、旧作の地球連邦艦隊のあまりにアレな負けっぷりが解消されてたのも良い。
時間断層とかいう取って付けたような設定も、当初は「一年でそんなに復興するわけないだろ」という旧作の矛盾点を解消するためだけのギミックかと思ったら、終盤ではそれをフル活用して「勝てないけど負けない」という異形の戦術を編み出す所までSFしてくれたのは意表を突かれて大満足だった。独自の設定を前提として、現実ではありえない合理性を編み出してこそSFである。小賢しいワームホールとか波動なんちゃら理論なんか幾らそれっぽいのを出そうが、そんなものはSFではない。別の合理性を構築してこそSFなのだ。
2202については、双方の戦法がデタラメである事を批判する声もあるようだが、もともと「知らない文明同士の戦争」でまともな戦法なんてあるわきゃ無いのである。とりあえず隠し玉を用意しつつ、ちまちま突っついて相手の手の内を探る以外の何ができる。相手がどんな兵器持ってるか分からないのに、陣形とか笑止である。密集陣形が良いのか、散兵戦術が良いのか、機動戦術が良いのか、野戦築城が良いのかなんて、相手がどういう兵器を持っててどんくらいの数がいるのか分からなければ、判断できるわけもないのだ。
ガミラス戦争でガミラス側が陣形を多用できたのは、ガミラスが地球側の戦力を読み切っていたからと、相手がヤマト1艦だけだったからであろう。
そもそも、地球もガトランティスもワープ持ってるのだから、先に手の内を晒した方が著しく不利なのだ。どこでもドア持ってるやつ同士の戦いで陣形が何の意味があるというのか。
有効な戦法があるとすれば、「あとどれだけ増援が来るか分からない」という状態を維持することで、相手方に全力を出させない事くらいだろう。全力攻撃で目の前の相手を殲滅しても、その隙をついた後だしジャンケン攻撃で我が方が殲滅を食らっては意味がないからだ。要するに戦力の逐次投入が最適解だ。
という事で、ガトランティスの戦法のなさっぷりは別に不満は無い。
山南も良いキャラしてて、特に前半の「イスカンダルに行った連中は浮世離れしてて・・・」みたいな発言は良かった。確かに、あの世界では銀河系の外まで行った地球人はヤマトの諸君だけであり、ほとんどの地球人は太陽系の外どころか、生まれた星の外に出た経験がある人すらどれだけいるか怪しいレベルなのだ。
そのせいで、ヤマトの諸君の感覚と、一般的な地球人の感覚にはかなりのズレがあると考えるべきで、上記の発言はその辺の地球人側の感覚を端的に表している。
感想文のすすめ
感想を書くのが好きな人によるBL二次創作への感想文の書き方です
「私はこうしてる」という雑談です。親切なハウツーじゃないので役には立たない。
★基本
「〇〇(作中の内容)が△△でした(良かったです)」
「〇〇(作中の内容)が△△で(どうだった)□□でした(良かったです)」
まずはこれ!!!!
とりあえず、内容を一読して、一番印象に残った箇所、読みながら最もニヤニヤしてしまった場面についてコメントをする。
「桃太郎が生まれるシーンがパワフルでめちゃくちゃ笑いました!」
まあこんな感じかな
ここに軽い挨拶、その他全体への感想を添えれば体裁が整う。そうでなくても、「良かったです」だけでも伝えたら、救われる命は多い
④作者に対するファンレター
はっきり分けることは難しいし、一つだけってこともないかと思いますが、その作品のどの部分に良さを感じて筆を執ったのかということです
①「桃太郎が鬼退治に行くの、めちゃくちゃわかる」「仲間を連れてく発想はなかった」的なやつです。「犬がきびだんごを食べるシーンが愛らしく、悶えました」なんかも。
②「嵐の夜に、仲間と小舟で漕ぎ出していくシーン、手に汗握りました…!」「イケメンと動物とのふれあいシーン、眼福なりぃ!」とか?
③「人物描写がリアルで読み応えがありました」「ふたりのまったりとした空気感が好き」など。
ただ、3万字の小説に対して「雰囲気が好きです」と一言だけ言われたりすると、(も、もうちょっとなんか…あるやろ!?面白くなかった?ごめん…)となるので、全体への褒めってサブかも…。
④むしろこれを望んでる作家も居ると聞く。いつもtwitter見てます!頑張ってください!そういうやつ。
以上のポイントで、細部や全体を見て感じたこと、これは!!!と思った部分を書き起こします。
感想文を書くときは、頭の中の言葉を研ぎ澄ませて、読んで感じた感情にぴったりの単語を探しましょう。
私はこの作業が特に好きです。ぴったりの言葉が見つかったら気持ちよくない?
稀に、一言一句が、コマの全てがツボ、大好きという作品に出会うと思うのですが、その時はその旨も書きましょう。感想が長くなりすぎて気持ち悪くなるので。
とりあえず心のままに書きなぐったら、まあそれだけで十分すごいんですが、書き足したり直したりします。
ま、百歩譲って作者が喜ぶかは適度なところで置いてもいいです。感想を読んだ作者がどう思うかまでは予想しきれないからです。でも書いた人の品性が疑われそうな禁句は除いたほうがいいです。
禁句の例
「続きが読みたいです!」の一言のみ。
わかる〜!!!続きもっと読みたい、永遠に読んでたいくらい最高だったってこと〜!!!!!私もよくなる〜!!!!
でもとりあえず、「すっげ〜よかった!」を先に書いてあげてください。プロならまだしも、シロートが生活仕事の合間を縫って書いてるので、すぐにケツを叩かれると泣きたい気分にもなろうものです。
続きがある旨書いてあったら、最後に添えてもいいかも。でも続きの催促はあくまでサブ。
必殺技のような気がしますが、マロなんかのメッセージ、つまり書き手の反応が見える場で言われると困る人が多いと思う。嬉しいけど、受け入れちゃうと調子に乗ってると思われちゃうかもしんないし…。
あと、これを言うなら、定期的にあなたが一番です!というアピールをしていく必要も出てくると思いませんか?大変ですよ…。
これは極端な例ですけど、例えば鬼退治を通してボス鬼に奴隷のようにこき使われていた部下鬼を開放した、というサブプロットをまるまる読み落とす(鬼は全員悪という思い込み等)みたいなミスはしないようにしたい……と思います………せめてキャプション等を読んで、書いた人の意図からずれないようにしたい…
これはマジで自戒…アホなのでやりかねないし、多分作家は指摘してくれない…
他を下げて自作を上げられると、どんな顔していいのかわからなくなると思う………
同人作品より公式とか、カプの比較のほうが多いかも。本気の愛があるゆえにやっちまいがち。けどこれもほんとあるあるで、界隈に不満が多いときにやっちまいそうになりますわね。今の界隈は大丈夫ですが、自戒です。
「上手いですね」
これは……………微妙〜…………
嬉しい人、いると思う。実力志向の人とか、絶対嬉しいと思う。上手く伝えられればとんでもねえ誉になる。
でも、上手いって言ってくるお前は誰やねん、何勝手に順列つけてくれとんねん、という反発心をもたれる可能性もある。私なら、口ではありがとうと言いつつ、(でも商業作家とか大手に比べればゴミじゃん?)と思うと思う。言われたことないけど。
作家が欲しがってるかどうかわからない時は「うまい」より「好き」としておくほうが平和。リスクヘッジです。
作者が喜ぶか
喜ばせるというよりは、不快にさせないと言った方が正しいかも。
キャプションと本人のプロフを読み、可能であれば作品投下後のツイートも見る。
ただこればっかりは相性もあるので、完璧は不可能だと思う。でも、相手の気持ちを想像して嫌な気持ちにさせないよう推敲する作業には意味があると思います。
・嘘は絶対に書かない
話を盛るのはいい。でも、好きじゃないものを好きとは書かない。おあいそはバレます。印象悪いし、悲しませることになる。
作品をじっくり読んでいると、作者がこだわって書いたであろう部分が見つかることがあります。そこは言及する。
特に刺さっていないシーンでも、「臨場感がすごかった」「圧倒された」など、「好き」ではなくとも関心した旨書く。言葉か見つからないときは書かない。
把握するのが難しければ仕方ないけど、わかるなら、作家の解釈と違うことを感じたら書かないほうが無難。怒らせたり、最悪筆を折られたりすると申し訳が立たない。
知人ならともかく、知らない人にはあまり極端なことや過剰なことは書かない。
最後に
読者も色々だが、作家も色々。
こちらがどれだけ心を尽くして感想を書いても、相性が悪かったり、こちらの気付かぬ手落ちがあって相手を不快にさせることはある。
感想そのものがいらない人、特定の褒め言葉で怒り出す人、何を言っても過剰に謙遜する人、そもそも何も聞いていない人、私に褒められても塩対応するくせに、絵馬にほめられると急にはわわし始める人……。
ま、…………そっか〜〜〜〜!!!!!!!!!とお相手はミュートなりブロックなりしてブラウザは閉じ、お気に入りのお茶でも飲んで、今日は寝て全部忘れましょう。二度と送らなければOK〜!!インターネットで他人に期待するのが間違い。
はてなーは
俺ビックリしたよ。
絶対コイツらともう作品の感想語りたくないって本気で思っちゃったもの。
たまにいるじゃん映画終わったあとの感想語っても、自分は凄い自慢に持ってくことしか考えてないから話しててめっちゃつまらないし噛み合わない奴ら。
それにしたって遠目で見てる分にはマウント合戦のための知識自慢が参考になったりするけど、もう今のはてなーって何の論拠もなく自慢だけするんだよね。
これはあの映画のこういう場面を参考にしていて、あのセリフはどこそこからの引用なんだって話ぐらいはしてから偉そうにしろって。
「自分は凄くセンスがある」っていう自分本位の大前提をいきなり持ち出して「それに沿っているからこの作品はセンスがある(ソレに沿ってないからセンスがない)」だけ言ってドヤっていく。
こんなん幼稚園児がママに「今日のカレーは甘すぎた(辛すぎた」と言ってるのとなんら変わらねえから。
それでなんで「ふふーん俺様の完璧なレビューが決まっちまいましたね」って顔してるのが完全に意味不明。
しかも何が意味不明って他人の脳みそに考えてもらう癖のついた人達が「あっ、じゃあ俺もその感想に乗っかります」って一口馬主みたいに☆入れまくってトップブコメに押し上げてること。
お前それでいいのか?
ドン引きと失望、いや侮蔑や嘲笑が主成分になっている感情が次々湧き上がってきた。
そうなんだ。
前からちょっと変な人達だと思ってたけど、この程度の連中のくせにあんなにも偉そうだったからいつもいつも物凄く歪で的外れだったんだなって確信に変わった。
本当に気持ち悪いよ。
書き込む前に自分のコメントが、他人から見て意味不明じゃないかを確認した方がいい。
自分の顔を鏡で見ないで手慣れで化粧をして、それをチェックもせずに街を出歩くようなもんだよ。
気づかないうちに眉毛片方切り落としてるのに本人だけが分からないで会社に行ってるような状態だよ。
それを見て「ぷぷぷ、本当にお似合いですね」と言われて「そう?いつもどおりだけど」って澄ましてるような気恥ずかしさ。
共感性羞恥だっけ。
君たちの言い方だと。