はてなキーワード: ナーバスとは
今でも思い出すことがある
所謂地方のFランと呼ばれる大学であったが、無事に希望の学部に入学し、そのまま見学の流れでサークルに入った。
サークルの内容は話に関連しないため割愛するが、なかなか雰囲気の良いサークルだったと思う。
男女比は3:7程で女性が多く、メンバーは全員大人しめで、サークルの時間外でも部室に置いてある誰かが持ち寄ったカードゲームで遊んだり、その流れでご飯を食べに行ったりしているようだった。
ようだった、というのは自分がその会に参加したことなかったからだ。
サークルでは週に2回ほど活動があり、自分はその活動が終わると一番はじめに部室を後にしていた。
それが何回も続けば、あの子はああいう子なんだと分かってくるだろうし、特に帰宅に関して言及されることは無かった。サークルの時間外で遊んだりすることはないが、メンバーとの関係も良好であったし、サークルの活動は楽しかった。
ただ一度、自分が1回生の頃に4回生の先輩からご飯に誘われたことがある。
「このあと皆でご飯行くんだけど、𓏸𓏸さんも行かない?奢るよ」
4回生の先輩はサークルの代表をしている人だった。(あとから知ったが、普通は3回生が代表をするものらしい)
いかにもお人好しという言葉がしっくりくる人物で、同じサークルの一学年下にかわいい彼女がいた。
教職を目指しており、毎日忙しない中でサークルにも顔を出している。凄い人だ。
恐らく、自分のことを気にかけて声をかけてくれたのだろう。
でも、自分の中で「奢る」という言葉が引っかかり、離れなかった。
らしい、というのは他の同期がその先輩にどんなバイトをしようか相談しているのに聞き耳を立てていた時に得た情報だった。
でも、何故か「奢る」という部分に許し難いものを感じ、
「先輩、バイトされてないですよね?前に、仕送りで生活されてるって、仰ってましたよね?自分、先輩のご両親にご飯、ご馳走になりたくないです。すいません。」
と断ってしまった。
その前後のことはもう記憶が無いが、その受け答えの事実だけハッキリと記憶に残っている。
そうして、こうなんというか、少しナーバスになってしまった日に限って思い出すんだ。
あのとき、言葉を押さえ込み素直に奢られていれば良かっただろうか。
身の回りの人間はほぼ全てインストールしているのではないか?と思うほど、圧倒的な普及率を誇っている。
当然自分もダウンロードしてみた。正直睡眠データは二の次で、好きなポケモンの寝顔が見たかったというだけ。(大体理由なんてそんなもんだろうが)
どんな感じなんだろう?と少し高揚感を抱きながら眠りについたため、8時に起床すればいいところを5時半に目覚めてしまうほど。
ふんふん、なるほどね。きのみを集めてもらってカビゴンにね…ほー、よく出来てるけど朝の時間にはちょっと忙しいな。
ここで2回目の起動。
うとうとと緩慢な動きを見せるポケモンたちの姿が目に入った。
「ポケモンたちが疲れてるみたい。たくさん休んで元気を回復してあげよう」(こんな感じの内容だったと思う)
自分がきちんと睡眠を取らなければ、その日1日しんどい状態でピカチュウとフシギダネ(チュートリアルで貰えた2匹)はきのみを拾い続けるのか?
寝なければいけない。
それが思考いっぱいを埋め尽くした。
たかがゲームの存在に本気すぎないか?という意見はごもっともだ。
しかしどうも自分は架空のキャラクターに入れ込みすぎるきらいがある。
いじめを受け不登校気味になった時、社会からの隔絶を感じ閉じこもっていた自分を救ったのはどうぶつの森だった。
あとは普通に漫画とかゲームとか小説とか、割と入り込んでしまう。
そんな自分の感性だから、約束の時間に眠りポケモンたちにきのみを拾ってもらうというシステムは少々重荷だった。
多分精神状態が良ければ、頑張って寝なきゃ!ぐらいだったのだろう。
しかし残念ながら現在、心療内科に通い薬を貰う生活を半年ほど続けていた上に、ちょっとナーバスな時だった。
『寝れなかったらどうしよう』
『ポケモンスリープで眠るを押したけど、バックグラウンド処理は良くないらしいからもうさわれない』
『寝付けないからASMRとかせせらぎとか聞きたい』
もう完全にパニックだった。
ベッドの上で苦しみもがき、襲い掛かろうとしてくるパニック発作を寝る前に飲んだ薬で抑え込んでるような感覚。
そのおかげで悟れたのだ、自分が今パニックに陥っていることを。
ポケモンスリープの眠る状態を解除し、一目散にアプリを落とした。
約束の時間通りベッドに入ったが、時間はとうに1時間以上経過していた。
それ以来、眠るをしなかった日が出来てしまったためアプリを付けれないでいる。
どういう仕様なのか正直よく分かっていない。
自分が寝ていなくてもポケモンたちは疲れをとっていると思うのだが、ネロリ博士に「貴方が寝てないからポケモンも疲れが取れてません」と言われたら、多分発狂出来る。
マジでパニックを起こしたショックやらポケモンたちへの罪悪感で今日一日寝込んだ。ポケモンスリープ閉じたらちゃんと寝れたから大丈夫。
これまで怒ってましたが白状します
某ブログに「俺的糞アニメvol1 魔法少女育成計画」という記事を書いていたことがありました(現在削除済)
理由…月刊ニュータイプ2017年1月号の記事の中で胸糞悪いシーンが掲載されてそれで激怒して作った
白状続き
記事内容…「魔法少女ものはVガンダムやエヴァに肖ったシリアス路線よりも勇者シリーズやワタル、グレンラガンみたいな王道路線に回帰するべきだ」と書きました…すみません😟
白状ラスト
私は現在レンタル屋新規入荷ラインナップの件でナーバスになっているのです。
そのため来年以降の「異世界」がキーワードになってるなろう系に不快感を示しています
あと先々月にアンチなろう系と友達になりました。m(_ _)m
白状真の終盤
あと「秋の新規シリアス枠は宝石といぬやしきと血界で十分だ」との理由で王様ゲームがツタヤでごり押しされることを恐れ、
ダイナミックコードも腐女子属性兼ヤシガニ属性だという理由で不快感を示しています
だが私は完全な闇には染まっておらず
一時期左京区に住んでたが、あのあたりでBBQする一家がいたら文字通り煙たがられそうなもんだよな…と思いながら読んだよ。
川の上流は鹿や蛍が居るから人が荒らすのを嫌がってるような場所も多いし、山が近いと匂いにつられて猿や猪が降りてきたりするから危ないとも言ってた。
山と川にそんな近くないのかもしれないけど、北区方面もそんな変わらんのじゃない?
自分も京都住む所じゃないなと早々に退散したけど、窓から放尿はやべーとしても、その家主のおじさんが「いけずな人」かどうかは難しいとこだと思うけどねえ…。
あと偽の車掌や、フライングキレ野郎は京都じゃなくてもいる。ナーバスになってんのかもしれないけど、全部京都のせいだ!というには増田は繊細ヤクザっぽいので1度切り替えた方がいい。その近隣住民と他の人間は地続きなわけじゃないぞ。
昨年秋に結婚式を挙げた。
半年ほど前から式場を見学してどこでやるか決め、色々準備もがんばって自分なりの良い式にできたと思う。
でも妹の出席は無かった。
いまだに気持ちの整理がつかないので吐き出すつもりで書く。
結婚式の日取りを考える時に最初に大体の時期を家族に伝え、出席できるか連絡した。
「半年後くらいに式をやるつもりだけど来れそう?既に予定がある日があったら教えて欲しい」みたいな感じで。
妹からの返事は「来月転職と引っ越しがあるからわかんない」だった。
正直言って結構混乱した。
転職と引越し同時は確かに大変だろうけど、3〜4ヶ月後に式は普通に出られないか…?
その日は引越し当日だから無理!みたいな話なら全然わかるけど、まだ具体的な日取りも伝えてないのに行けるかわかんないってそれはちょっとひどくないか?
というか身内の式って普通よっぽど険悪じゃない限り出席するもんじゃないか?
まぁ大して話すわけでもないしそんな仲良くないとは思ってたけど、もしかしてめちゃくちゃ嫌われてるのか?
これくらいの疑問が駆け巡った。
こっちはおまえの式のためにわざわざ予定空けるつもりねーから!くらいの意味に取った(今思うとこれはちょっとナーバスすぎたと思う)
「こっちもそのうち結婚するつもりで、相手の地元に引っ越すんだ」とのこと…。
えっ…!?あっそうなんだ…知らんかった…。
じゃあこっちから結婚おめでとうとか言ったほうが良いか…いや私の式の話って終わったの!?
確か前に家族に紹介してきた人とは別れたって聞いたし結婚相手は私が知らない人だよな…誰だよ…。
ていうか結婚するから転職&相手の地元に引越しって大丈夫かよ…なんかトラブルあった時生活基盤ごと移してたら絶対大変だろ…。
ここから式の日取りについて突っ込んで相談することは気が引けて、かといって妹の結婚を祝うメッセージを送る気にもなれず返信せず放置した。
その間に「妹が式に参加しないかも」という件を結婚相手にも相談した。
仲良くないとしても冠婚葬祭くらいは普通に出席してくれても良いんじゃないの、そんな対応されるのは正直びっくりと言われた。
私もそう思う。
で、2週間程度忙殺されている間に妹の方から連絡が来た。長文メールで。
要約すると
・こちらの結婚報告に祝う言葉もよこさないのは何のつもりなのか? 軽んじているにも程がある。失礼すぎて信じられない。ふざけんな
・式の予定は一応空けておくが、もし残業や休日出勤があればそちらを優先するからそのつもりで
このメールを見て「いや軽んじているにも程があるのはどっちだよ!」となった。
「結婚式の出席は行けるかもわかんないしあとから仕事の予定入ったらそっちを優先するけど結婚祝いメッセージは迅速に送れよ」って本気で言ってんのか!!?
なんかもう付き合えねーわと思った。
来たくもない結婚式にこっちが頭下げて出てもらったとして何の意味があるのか。
そんな扱いされても私はあちらの結婚を尊重して祝わないといけないのか。
そんなに存在が不愉快ならもう関わらないほうがお互いのためだろ…。
で、最終的に「結婚おめでとう。正直今回のやり取りでこちらも相当腹に据えかねてるから式にはわざわざ来てもらわなくて構わない。そちらが式を挙げる場合も呼ばないでくれ。どうしても必要なら時以外は関わらないほうがお互いストレスじゃなくて良いと思う。返信不要」と言う意味のメッセージを返し、以降一切やりとりはない(こちらから着信拒否したしLINEもブロックした)
正直せいせいした。
前からわがままで末っ子気質で家族でなければ近寄りたくないタイプだった。
(向こうもこっちを陰キャの堅物で気に食わないと思ってたろう)
でももっと良いやり方はあったのかなと思わなくもない。
自称・連鎖販売取引についてちょっと知ってるレベルのワイが、ここ数日世の中をざわつかせている話題について酔った勢いでササッと書くで
「アムウェイみたいなビジネスモデルは、日本社会の価値観と致命的に相性が悪い」
ってところに行き付く
そのためには会社のバックグラウンドを説明せなアカンのやけど、
本家アメリカのアムウェイ社は1950年代に二人の若者によって設立されたんや
当時はテレビ放送の普及とモータリゼーションの進行によって、市民が広告を目にする機会が激増した
そんな中で新興企業が同じことをやっても、とてもじゃないが敵わないと判断した米アムウェイ社は、
結果的にこれは大成功し、特にアメリカでは優良企業の一つとして扱われている
NBAオーランド・マジックは創業者の一人がオーナーやったし(数年前に死去し、現在は子孫がスポーツ関連会社を作って受け継いでいる)、
本拠地もネーミングライツを取得してアムウェイ・センターって名前になってる
そのくらい有名な会社や
で、こんだけの会社がなぜ日本でメタクソ叩かれてるかというと、
さっき言った「口コミ」に原因があるとワイは考える
ここまで読んで、もう既に気付いている人も多いかもしれんが、
せやからアメリカ国内でも民主党のリベラル派とか、マイノリティ層なんかには嫌ってる人も多いわけ
キリスト教の教義に基づいた人道支援活動に力を入れてる面もあるから、一概に悪いとは言えないんやけどな
(渋谷にある日本アムウェイ本社ビルも、渋谷区の災害時緊急避難民受け入れ所として登録されてるし)
じゃあ、話を日本に戻すけど、
日本にキリスト教が伝わった16世紀や、キリスト教禁止が解かれた明治初期に、
日本で布教活動を行った伝道師たちがどんだけ苦労をしたかは、もはや説明する必要が無いくらいやな
ずっと昔から敵対してたイスラム圏を除くと、ここまでキリスト教の教えが浸透しなかったのは、世界でも日本はじめ数えたほうが少ないくらいやし
しかもクリスマスだハロウィンだと、祭りみたいなオイシイところだけ文化の一部として普及し、
結果的にはイエスも八百万の神の一柱として取り込まれてしまう有様や
そんな日本で、キリスト教の伝道っぽい手段で何かを広めようとしたらどうなるか?
言うまでも無いわな
その結果、黒いやり方に手を染めてでもどうにか金を稼ぎたい、ということになる
何かしら日本向けにビジネスモデルを再構築しなければならない段階まで来ているのではないか
というのがワイの意見や
悪質な会員には会社サイドもかなり手を焼いているようなので、
アムウェイのお客様相談窓口にその会員の氏名(と分かれば会員番号も)を密告するのが一番手っ取り早い
そうすると会社側で会員資格剥奪なり何なりの処分をしてくれるはず
今回の行政処分で内部的には相当ナーバスになってるはずやからな
もしその先にビジネス関係なく嫌がらせだ何だをされるようであれば、そこからは警察の出番やな
以上、親がアムウェイで馬鹿を見たワイが個人的に調べて好き勝手書いた結果や
あとは好きに議論してくれ
親子丼、竜田揚げやチキンカレーにサラダ、豆腐、みそ汁などがついていて全体的なバランスがいい。また、季節後の限定メニューも豊富で、夏には汁なし担々麺、冬には麻婆豆腐がある。
しかし、近頃の値上げのあおりを受けて告知なく二百円ほど値上げ。店の前のメニューを撤去したうえでの行為だったので、店に入ってから慌てることになった。
卵はなしでヒレカツやエビフライをのっけた丼。オニオンドレッシング付きのサラダやみそ汁がついてくる。米がちょっと多いので少なめにして頼むとちょうどいい。最近はちょっとした米の量ですぐに満腹になり、午後が眠くなってしんどい。加齢か?
一年近く行っていない。刺身もあれば唐揚げもあり、シラス丼もあるが個々も米の量が多い。天ぷら丼もあるがそこまでおいしいわけでもない。
ここも一年近く行っていない。八百円ほどでコロナ禍のときもしっかり営業していたが、なじみのお客さとの会話でこんなことを言っていた。
「こっそりやってるんだよ」
コロナ禍でナーバスになっていた自分はそれ以来足を向けていない。もちろん死活問題だから責めるつもりはない。
よほど空腹でなければいかない、というかここ一年近く行っていない。
一度高めのうどんと寿司とてんぷらのセットを食べてみたいと思っていたが、ランチ営業を取りやめてしまったらしい。
前はステーキ屋だった。
質より量といった感じ。同僚と行ったがあまり好きではない。
太い麵と濃いめんつゆが特徴。ここ最近は千円以内で収まるちくわ天蕎麦ばかり頼んでいる。そろそろ飽きてきた気もするが、時折無性に食べたくなる。このあいだは久しぶりにあたたかい蕎麦にしたが身体が温まって幸せだった。大盛りが無料なのも嬉しい。そろそろ年齢的に大盛りが厳しくなってきた気もするが、天ぷらがいっぱい載っているのでその分蕎麦が欲しい。
ランチ営業の日程が安定しない。以前は単品で蕎麦を頼めたが、最近は丼と蕎麦のセットだけになってしまった。炭水化物は好きだがこれだけ多いとちょっと辛い。
立ち食いだけれども蕎麦の香りがいい。天ぷらは少し硬いがおいしいし安い。
ただ、たくさん天ぷらを乗っけると千円を超えるので、それなら前述の田舎蕎麦屋さんのほうがいい。
チェーン店で味に不満はないがどこか安っぽい。現に安くてそれなりの味だが、麵つゆが濃すぎる。
いつもラーメン屋に行く前に通っていてスルーしている(重言)。春菊の天ぷらがおいしそうだから今度行ってみよう。
全然行ってない。さっきのチェーンの立ち食い蕎麦の店もそうだが、ランチではゆっくりしたい。食べたらさっさと店を出るというのは、気持ちのゆとりがない。ランチ先で食事が来るのを待ちながら本を読むのが幸せなのだ。
前回言及して以来、二回目は行っていない。
いつもバリ硬にしていた。半年ぶりに行ったらまたメニューが変わっていた。段々しょっぱくて脂っぽいものが食べられなくなりつつある。店員さんちょっと不愛想だったし。
店が移動した。確か青菜を大盛にできるオプションがなくなっていた。
代わりに野菜多めのセットがあったので頼んだらニンニクがたっぷりだったのでブレスケアを買う羽目に。おいしいことはおいしいが、やっぱり濃いものが食べられなくなりつつある。
もうすっかり足が遠のいている。
ところで、地下街で高級ラーメン屋さんのイートインがあったので食べてみたらおいしかったけども想定外に高かった。
以前はラーメンを頼むとチャーシューが本格的だと呟いた。それに焼きそばや酢豚、春巻きなどが楽しめていた。しかし、ここもまた値上げのあおりを受けて百円から三百円(!)の値上げ。店員さんが親切なのに足が遠のくのは残念だがやむを得ない。
好きな食材を選んで投入し、辛さを選べる。食材を選ぶ楽しみはあるが、そこまで春雨が好きではなく、代替の卵麺もすごくおいしいわけではない。注文してから早く店を出たほうがいい雰囲気なのもリラックスできないし、そのうえ職場から遠い。
一度しか行ったことがない。パンダ印が高くなったから今度のぞいてみるか。
同僚と行ったが安いがそこまでおいしいわけではない。
ちょっとべちゃっとしているけども春巻きとか餃子が食べられたのは嬉しい。
汁なし麺がおいしい。ただし脂っぽい。だから最近は頼んでいない。サラダのキクラゲがあまり好きじゃないし、デザートに苦手なトウモロコシが入っていることがある。ただし百五十円追加でスープをトムヤムスープにアップグレードできる。これがおいしい。
店長らしいおばちゃんが親切でたまに大盛りにしてくれる。タイカレーも鶏肉がしっかり入っている。タンパク質が欲しいときはカオマンガイかガパオライスにする。ただし、米が結構多い。
後、最近はデザートが甘すぎると感じることがある。ココナッツミルクにタピオカらしきものが入っていておいしいのだが、満腹になりすぎる。仕事が疲れてきた頃に食べられるといいのだけれども。
元は雀荘らしい。店内にその名残で雀卓と麻雀牌が置いてある。QRコードで注文する。
ガパオライスの味がより辛いというか、中華の醤を使ったような味でおいしい。鶏だしのスープはお替り自由。意外と女性客が多い。職場の人間関係の愚痴がたまに聞こえてくる。
牛肉のフォーがおいしいし、生春巻きもおいしい。ただしちょっとしょっぱいかな。
田舎蕎麦屋さんの側にある。ここもバインミーがおいしかった覚えがある。
おじさんがやや不愛想だが親切。シャイなのかもしれない。
遠いのと別の店を見つけたので最近行っていない。
タイ料理も出すが、味はいい加減ではなく、タンドリーチキンやビリヤニも出す。ゆっくりできる店。
郷土料理のセット(ダルバート)が食べられるのはポイントが高い。ラムカレーもヤギカレーもおいしい。
ただしここも若干の値上げをした。
新しく見つけた店だ。中東風の揚げ餃子やシシカバブだけのセットがあってユニーク。
嫌なことがあったときにはよくこの店で食べている。
羊肉の専門店で夜間には羊の脳の料理を出すという。BSEとかあったので心配になったが、スクレイピーがヒトに感染した事例は知られていないそうだ。
少し脂が多いか。
カレーの周囲にいつも南アジア風の漬物がついているので味に変化があって飽きさせない。
日替わりカレーがあるのも嬉しい。
サムゲタンやビビンバがおいしいが、いつも混んでいて店に入るのに五分以上待たされるのがつらいので最近は行っていない。
おいしいがテーブルの上が脂っぽく、ビビンバはもうちょっと肉が欲しい。
一人焼肉に適しているし、同僚を連れて行ってもよかったのだが、ランチ営業をやめてしまった。
ここも一人焼肉ができるし、焼き肉丼のセットもある。おいしいが焼肉屋さんその一よりは高い。
肉が脂っぽいが良質なので胃もたれしない。ただし、立ち食いの性質上落ち着かないし、良質の肉でも段々脂がつらくなってきた今日この頃。
サラダバー付き千円ランチがなくなって数年、消費税と共に値上げし、さらに価格高騰で再値上げ。もう三百円以上値上げしているんじゃなかったか。まったく足を運べていない。
いいところのレストランで余った肉の端切れを使ったミートソースが評判だが、昔ほどミートソースが好きではなくなってきている。オニオンスープがおいしい。学生がよくいる。
職場の飲み会で一度来て以来。最近は全然行っていない。一年前の記事で書いて以来そのまま。
ランチがパニーニだけになって以来全然行っていない。この前見たらハッピーアワーで酒を出していた。
おいしい。サラダのドレッシングが好きなのと、食後の紅茶・コーヒーがつくのが高評価。同じメニューでも時間差で出してくれるとコース料理を食べている気分になって幸せ。ただし結構混んでいるので入れるかどうかは運しだい。
チェーンで野菜を食べたいときに重宝している。最近はすぐ満腹になるのでサイドメニューのポテトは省くことが多い。とはいえ自炊の野菜の量にはかなわないし、タンパク質がやや不足するか。ヨーグルトとか牛乳とかがメニューにあるといいのだが。長居はできる。
食パン二切分のサンドイッチを売っている。サンドイッチは安いがコーヒーは高いのでおそらくそっちで稼いでいる。量があまりにも少ないので全然行っていない。
無性に魚が欲しいときはここのお世話になっている。ただし野菜がみそ汁の中のワカメとショウガだけなのが難点。
最近何となく行っていない。立ち食い寿司屋さんの魚のほうが何となく新鮮に感じる。
海鮮丼にうどんがついてくる。味はまあまあだが炭水化物がかぶる。
ファストフードじゃなくてちゃんとしたバーガーを出す店もいくつかあるが、最近は昼間からポテトを食べる元気がない。
おいしいが大通りを渡らないといけないので若干面倒くさいのと、幾分高い。
いくつかあるが、どうしても量が少ないので辛い。タンパク質も足りない。
ストリップ小屋の跡地にできている。ここもQRコードで注文する。
すごくおいしいわけではないが値段は安い。ハロウィンに行ったときはお菓子をくれた。
野菜が猛烈に食べたくなったときによかったのだが、近頃は混雑しているので断念している。
高級なパンを買い、近くのサラダ屋さんでサラダを追加し、職場で食べる。たまには職場で食べるのもいい。
普段外食しているのは外に出たほうが気分転換になるからだ。弁当に切り替えても外への散歩は続けるかもしれない。歩数が稼げるし。
日本人好みの薬膳カレーで、野菜の溶け込んだカレーに唐揚げを添えて食べるのが好きだったが、コロナ禍でつぶれた。
バーか何かの昼営業でチキンカレー一品のみ。漬物などもおいしかったが、採算が取れなかったためか撤退。
実際野菜しか出てこない料理ってどんなものかと思って足を運んだ。味はフムスやファラフェル(つぶした豆、豆のコロッケ)があり、食欲は満たされる。割高だがたまにはいい。
マダムのたまり場だったがつぶれてしまい、スペイン料理屋さんになった。営業は夜だけ。
店員さんが親切で、ケバブがおいしかった。残念ながら店が移転、その後にできたのが豚丼屋さんという皮肉。ここもおいしかったがスーツが豚脂のにおいになってしまう。そのせいで敬遠していたのだが、そのせいかここもつぶれた。
テレワークが増えたせいであまり開拓できておらず、同じ店をうろうろしてばかりだ。
値上げばかりでしんどい。
オフ会で会った港区出身現住、三十代後半白いニットのふわふわ女。
ボランティアが趣味でガキが二人いて、洒落たレストランでメシを食うのが好きらしい。
あと『困ってる人へアドバイスした素敵なあたし♡』の感情の公然猥褻オナニーも趣味。
私は田舎出身、関東現住、二十代前半の独身女である。趣味は書道・読書、特技はメシ作り。好きなおかずは機械姦モノである。
家族が大好きで笑顔を見たくて美味しいものや便利なもの(お金)をプレゼントするのも好きだった(義務だった)。
母親はうつ病でよく自殺未遂する。気を引くのが趣味。座右の銘は『一緒に死のうね』。父親はアル中で趣味は子ども虐めること、5ちゃんねる。
私が子どもの時は給食費も学費もほぼ払わず、服は両親がゴミ捨て場から拾ってきた服を着ていた。
今思うとお手本のような毒親だった。
大人になってからは下宿して働いていたけれど、時々4人家族集まってなごむ実家が好きだった。暴言を吐かれても好きでいたかった。
それでも親から包丁・弟から鉄バットを向けられると家族愛より死の恐怖が勝ってしまう。
両親への仕送りを止めることを伝えると以下の書類を要求された。
ロクでもない奴が両親だったむなしさを知った。
こんなちょっぴりナーバスな時、元々約束があったオフ会で港区ババアに軽すぎるアドバイスされるとさすがにイラついてしまった。しばらく服を新調していなかったので身なりの隙があったのもしれないけれど。
ただ生まれた時から地位も余裕も普通の家族を持っている人たちとの差に絶望していても人生は止まらない。私がうつ状態だろうが解離で記憶がぶっとびがちだろうと楽に死ねないのだから生きていくしかない。抗うつ薬が仕事のパートナーになった。
生活力が低いことに気付いたので、まともな料理の仕方・片付け・都会での身の振り方を勉強した。YouTubeのおかげで当たり前が勉強しやすくてラッキーだった。節約につながった。
上京して一年働いて百万貯金した。生活保護をすすめられた女でもなんとでもなれた。正社員のキャリアも続けられた。
経済的な不安も少なくなり、自信も取り戻しつつあった。それでも港区ゆるふわババアの一言が忘れられなかった。
たった五分話しただけ、失礼でどうでもいいはずの奴への憎しみが頭から離れなかった。
今はどうでもいいはずの怒りをどうにかしたくて虐待支援員養成講座を申し込んで支援側の勉強をした。
この勉強は大正解だった。私はあの一言にどうしてひどく傷つけられたように思えたか理屈で理解できた。
支援者と相談者の立場に差があるから、気をつけて話を聞いたり、話をしましょうということだ。
港区女と私は支援者と相談者ではなかったが、裕福で都会出身で家族がいるマジョリティで成功者からの言葉は、貧しく田舎出身の孤独なマイノリティに刺さった。勝ち組負け組、意識しないようにしていても勝ち組から言われたことは正しいように無意識で感じてしまった。
彼女が何を考えていたのかは知らない。でも勝ち組の彼女から一言がつらかった。私は何もできず、恥ずかしい生き物だと烙印を押されたようでつらかったと自分の本当の感情を認められたら怒りは消えた。
貯金もあり余裕ができてきた今、友達とバーで飲んだり、お高めのデザインが良いトレーニングウェアを買ったりと人生の楽しさを噛み締めている。
普通の人から見ればキャリアも生活も足りないように私は見えるのだろうなと思う時もある。自分の常識知らずなことな欠点がイヤで夜に発狂することもある。
港区の彼女を考える。SNSの投稿と五分話しただけでは彼女のことは全くわからない。どんな性格なのか、どんなことが好きなのか。分からない。
聞きたくないことを聞かないし
ただ生きていくのだろうなと雨を見ながら思う。
私が彼女を知りたいと思うことはもうない。
恋人が昔そういうものを気軽に使って借りては返してを繰り返していたそうで、
同棲したてルンルンだったはずの私と恋人は一気に修羅場状態だ。
本人がいうには、20代の頃は稼ぎも散財もどっちもバカバカ多くて、出費が多い月などは気軽に借りて返していたそうだ。
金額は元本が数十万で、延滞遅延金が倍になるほど忘れててそれをあわせた返済額は数十万。
それで今、恋人と別れるかどうかめちゃくちゃナーバスになって悩んでいたんだけれどね。
そういえば、そういうのを気軽に使う人ってどういう気持ちで使ってるんだろう?と思ったので聞いてみたい。
消費者金融とか、クレジットカードのリボ払いとか、キャッシング枠とか、自分はこれまで選択肢としてあがりもしなかったので、
そういう価値観を持ち合わせていないから「即・拒否!!!別れるしかない!!!」と思ってたんだけど、教えてくれる人がいるなら聞いてみたい。
ヤフーファイナンスとかで相談しているこの手の質問の回答って「別れる」とか「一緒に払う覚悟があれば」とかばっかり出てくるけど、
そういうものを使っていても別れず結婚したり幸せなカップルもいるのか?
昔の話にできる人は、なぜやめたのか、どうして今やってないのか…
消費者金融とか、クレジットカードのリボ払いとか、キャッシング枠とか。
そういうものを気軽に使っていた時代がある人の経験談が聞きたい。
そういうのが恋人に見つかったけど続いてるよ〜っていう人もいたらぜひ聞いたみたい。
おねがいだ。私に教えてほしい。
恋人が昔そういうものを気軽に使って借りては返してを繰り返していたそうで、
同棲したてルンルンだったはずの私と恋人は一気に修羅場状態だ。
本人がいうには、20代の頃は稼ぎも散財もどっちもバカバカ多くて、出費が多い月などは気軽に借りて返していたそうだ。
金額は元本が数十万で、延滞遅延金が倍になるほど忘れててそれをあわせた返済額は数十万。
それで今、恋人と別れるかどうかめちゃくちゃナーバスになって悩んでいたんだけれどね。
そういえば、そういうのを気軽に使う人ってどういう気持ちで使ってるんだろう?と思ったので聞いてみたい。
消費者金融とか、クレジットカードのリボ払いとか、キャッシング枠とか、自分はこれまで選択肢としてあがりもしなかったので、
そういう価値観を持ち合わせていないから「即・拒否!!!別れるしかない!!!」と思ってたんだけど、教えてくれる人がいるなら聞いてみたい。
ヤフーファイナンスとかで相談しているこの手の質問の回答って「別れる」とか「一緒に払う覚悟があれば」とかばっかり出てくるけど、
そういうものを使っていても別れず結婚したり幸せなカップルもいるのか?
昔の話にできる人は、なぜやめたのか、どうして今やってないのか…
消費者金融とか、クレジットカードのリボ払いとか、キャッシング枠とか。
そういうものを気軽に使っていた時代がある人の経験談が聞きたい。
そういうのが恋人に見つかったけど続いてるよ〜っていう人もいたらぜひ聞いたみたい。
おねがいだ。私に教えてほしい。
創価中高ですごした増田(https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。
今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期・青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構なインパクトがある出来事のような気がする。
たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。
増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。
うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。
父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。
私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的な悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。
このシステムがまずすごいよなと思う。自発的な意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権的蹂躙っちゃそうだろという気がする。
入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプルな理由)
私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリに活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。
地域の役員…地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。
人がたくさん集まってて、同年代の子どももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだり絵本よんだりしてるくらいの感じ。
ちなみにこのころは、まだ学会は日蓮正宗に破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。
戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。
母が地区の役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。
家が創価学会の会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇の二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶でしかない。
家に人がたくさん来るのがシンプルに楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。
嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。
会合の最初にみんなで法華経方便品自我偈をとなえたあと、唱題する。
低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国の言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。
あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。
会合・座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト。月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。
家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。
https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8
朝この曲で起きてました。奇特すぎ。
役職についてる人がいるとはいえ、子どもの目には会員同士の関係はあくまでフラットな感じに見えていた。
今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。
しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。
母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。
ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。
一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。
入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日に文化会館で指導があった。
指導は学校で音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的な合唱曲の練習をしていた。
「たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポは別にいらない…。
小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。
創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃんは外国の歴史上の偉人をリスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。
小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。
なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。
このときの練習は普段の練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。
あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。
今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向の宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。
なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補。
練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき「自分でやるっていったんだから、責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通のダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。
学会二世には「選挙は祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。
実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたして投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。
でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。
私は自分の友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。
とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。
話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。
完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。
あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラスに候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。
若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。
今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?
小学生のころから国語と社会(歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり、日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。
母の蔵書である古典文学全集や解説書、文学系文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。
円地文子が清少納言と枕草子を解説している文章のリリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。
腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語の現代語訳を読んで、平経正と守覚法親王の関係(都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え。
絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語や随筆の舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。
しかし学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社に積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。
寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。
教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様の名前が書いてあるのに謎すぎる。
(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)
私は母に、はるか昔から善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産、歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。
訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。
そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。
世間一般は学会に偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。
中学の友達が立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち。
政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。
でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動で生活が破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。
(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。
ちなみに、法華経の方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経の日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)
読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)
日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。
教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。
一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験程合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるといかそういうもんでもないらしいがよくわからない。
上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。
ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。
さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強はシンプルにおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるから楽しかったし、普通に合格した。
でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。
高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。
信教の自由であるとか、折伏や新聞啓蒙、選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。
やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分はあんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。
親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。
高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生の二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。
けっこういるのにおどろいた。
多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。
学会員の間では、創価大学は超絶いい大学、東大にも負けない日本最高峰の大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。
めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。
活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期からの刷り込みとしか言えないと思う。
偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。
当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。
同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。
親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。
そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。
ちなみに大学には創価学会のサークルがあって普通に活動していた。
極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会のサークルは普通に野放しになっていた。
どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。
この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。