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2018-03-30

サイエンスZEROナンバリングメモ

NHK Eテレの『サイエンスZERO』は以前、公式サイト確認すると第何回かわかるナンバリングが振られていた(再放送カウントされない番号)のだが、

No. 576「最新報チェルノブイリ福島環境編~」2017年03月19日

最後に、No. 577以降はなぜかナンバリング表記が消えたらしいことに気がついた。録画ファイルの整理で必要だったので、これ以降の回にもナンバーを振ったのを以下に並べておく。

577「“折り紙”大進化宇宙から医療まで」2017年03月26日

578「ゲームの最新技術 異世界現実!?2017年04月09日

579「防災から医療まで活用8Kスーパーハイビジョン2017年04月16日

580「幸せを呼ぶ!?ウェアラブルセンサー新時代2017年04月23日

581「シリーズゲノム編集(1)生命を作り変える魔法の新技術2017年05月07日

582「シリーズゲノム編集(2)がんを根治!?医療で始まる大革命2017年05月14日

583「7つの地球大発見!?“トラピスト1”惑星系」2017年05月28日

584「若きエンジニアが集結!NHK学生ロボコン直前スペシャル2017年06月4日

585「最新報告!探査機ジュノーが明かす木星の謎」2017年06月11日

586「CO2削減の切り札アンモニア研究最前線2017年06月25日

587「大火災に備えよ!消防技術最前線2017年07月02日

588「七夕天の川銀河の姿に迫る」2017年07月09日

589「生物×機械 融合研究最前線2017年07月16日

590「学生ロボコン裏側スペシャル2017年07月23日

591「リスクあぶり出せ! インフラ点検最前線2017年07月30日

592「ライブ配信ますますパワーアップABUロボコン直前SP2017年08月20日

593「軽い!強い!燃えにくい!夢の新素材 新マグネシウム合金2017年08月27日

594「小さな大洋日本海からの警告」2017年09月3日

595「アスリート進化データ×テクノロジー最前線2017年09月17日

596「ミクロ限界を超えろ!解き明かされる生命神秘2017年09月30日

597「“宇宙開発革命民間ロケットの挑戦!」2017年10月01日

598「異常気象に立ち向かえ 異分野からの挑戦!」2017年10月08日

599「自動車までできる すごいぞ!タフポリマー2017年10月15日

600「奇想天外!笑って考える科学 イグ・ノーベル賞20172017年10月22日

601「“人類の夢の技術”(1)タイムマシンは実現するのか!?2017年11月05日

602「“人類の夢の技術”(2)病の克服!iPS細胞 ゲノム編集」_2017年11月12日

603「超リアル!? テクノロジー×アート最前線2017年11月19日

604「30年目の高専ロボコンを300倍楽しむSP2017年12月02日

605「家電が狙われる!?新たなサイバー犯罪の脅威」2017年12月03日

606「ノーベル賞2017 重力波が切り開く新天文学2017年12月10日

607「ノーベル賞2017 クライオ電子顕微鏡新薬誕生!?2017年12月17

608「“点と線”で世界をとらえる アイデア勝負 3次元認識2018年01月14日

609「巨大海黒潮2018年01月21日

610「見えないモノを見る! ひもとかれる歴史の謎」2018年01月28日

611「シリーズ原発事故17)“デブリ”は取り出せるのか?」2018年02月4日

612「あなたの知らない土星真実 偉大な写真家 探査機カッシーニ2018年02月11日

613「おいしい!のカギ 食感のひ・み・つ」2018年02月25日

614「ロボット物流を変える! 完全自動化への挑戦」2018年03月04日

615「おいしい日本酒乾杯! 味の司令塔 こうじ菌」2018年04月01日

ここで番組改変。

616「発見山城アドベンチャー2018年04月08日

617「カガクの“カ”#1 旬!な現場に潜入」2018年04月15日

618「カガクの“カ”#2 北極海Saya生物2018年04月22日

619「巨大空間発見!解き明かされる秋芳洞のヒミツ」2018年04月29日

620「世界記録更新!驚異の超深海魚2018年05月06日

621「カガクの“カ”#3 基礎科学ミライ2018年05月13日

622「カガクの“カ”#4 AI映像技術常識破りのシルク2018年05月20日

623「驚異の進化!最新プロジェクションマッピング2018年05月27日

624「カガクの“カ”#5 仮想通貨ロボコン直前」2018年06月03日

625「量子コンピューターでも解読不可能!?新しい暗号誕生なるか」2018年06月10日

656「長良隕石 太陽系のヒミツに迫る」2018年06月17

657「寄生生物世界を変える!」2018年06月24日

658「宇宙夜話 #0 とことんオーロラ2018年07月01日

659「こじるり緊急報告!沖縄サンゴ礁2018年07月08日

660「生命維持の要 エクソソーム」2018年07月22日

661「1分で充電完了!?誕生!夢の全固体電池2018年07月29日

662「カガクの“カ”#6 超臨界地熱発電内視鏡AI2018年08月05日

663「夢の再生医療 現実へ」2018年08月12日

664「キノコが雨を降らす!?空の微生物学気象ナゾに挑む」2018年09月02日

665「シリーズ原発事故(18)新技術で挑め!見えざる廃炉リスク2018年09月16日

666不思議な図形で脳のナゾに迫る!」2018年09月30日

2018-03-27

ゴミみたいな処女喪失しました

https://anond.hatelabo.jp/20180219213038

前回これを書いた人間です。1ヶ月前処女喪失しました。結果的にはクソみたいな心境です。後悔しています。私みたいな色狂い軽率ソバカ女がこれ以上増えないように、あと自戒の意も込めて増田に記しておきます

まず、喪失のお相手はいとうせいこうみたいなおじさんじゃなくて、”自称”32歳会社社長フジモンみたいな顔をした男性で、送られてきた写真のウェイ感に正直イラッとしました。フジモンは月20前後での所謂愛人契約を持ち掛けてきました。は???釣り???って思ったんですけど実際インターネットを探すとそういう事をしている人はたくさんいたし、結局釣られて行ったホテルで今振り込んだからって確認画面を見せられたので(今思えば確実にフェイクだ)ああそういう世界もあるんだなと納得してしまいました。いやでもまともな社長ならあんなクソみたいな掲示板愛人探ししないよね。

あの増田を書いた後に性癖合致する結構まともな(クソみたいな掲示板で女漁りしている時点でまともではないけど)男性と知り合い、その人に処女を売るつもりでいた為、挿入はさせられないと伝えたところ2倍の金出すとかほざいてきまして

「金ならある!あと、人の物だったならプレミア➕もえる笑」

この時点で相当な糞なのは明確だったので、マジで会わなければよかったな、しねと今になって思います。見返すとマジでカカオ文章クソムカつくわ。

初めはお試しで良いとの事だった為に挿入されるつもりは甚だなく、適当気持ちよくしてもらって適当にしゃぶればいいだろう…みたいな、そんな気持ちでいました。しかし流されやすい性分というか、多分マゾなので心のどこかでそうなる事を望んでいたのかもしれません。いつの間にか間抜けに開いた足の間に、男性器が充てがわれていました。

挿入時には流石に鈍い痛みや痺れを感じ、気持ちよくない!と思いましたが、奥を10回と突かれないうちにそれは快感へと変わっていきました。足を折り曲げられ、全てを今日会ったばかりの相手晒しながら性器を突かれる感覚に、脳が痺れ、だらしのない声が口から止めどなく漏れて、恥ずかしさに死にそうな気持ちになりながらも、ひたすらに気持ちが良くて、もう頭が真っ白でした。ぼんやりエロ漫画かよと思いました。このまま死ねいかなと思いました。死ねませんでした。死ねてたらよかったのにね。

ホ別ゴム有が条件だったのですが、薬のせいで自分はタネ無しだからという理由ゴム無しでセックスをさせられました。1度目はてっきり着けているものだと思っていたのですが、2度目に裸の状態のそれが女性器に擦りつけられているのが見えて判明しました。もう少し強く抗えばよかったのかもしれませんが、男性器を擦りつけられると何も言えなくなり、気持ち良くされたい一心で受け入れていました。性病にならなくて本当によかったです。

最初現ナマ分割払いを提案しましたが却下(会社人件費で出すからみたいな理由だった気がする)、1回目のセックスが終わった2月26日に15万円を振り込んでもらえる予定でした。しかし26になっても、27になってもお金は振り込まれはいませんでした。この時点で私も大分怪しみ、そこそこに言及してみたのですが上手くかわされ(1ヶ月間違えてたというようなスクショを見せられたけど振込確定画面とかじゃなくて入力画面だった。しね) そんなに疑うならやめよっか💦(汗がクソムカつく)みたいなトークも貰っていたんですけど、バカ女は本当にバカ女だったのでちょろっと騙されてその後月末までに二回セックスする事になります

一週間後くらい、あまりに金の事を気にしている様子が相手に伝わったのか、今度手渡しするよというような事を言われました。時間と日にちも設定し、私は職場の方に頼み込んで昼休みを合わせて向かいました。しかし、待てども相手からの連絡は来ず、昼休みが終わる頃に「ごめん寝てた💦」とトークが。その時ばかりは一生寝てろクソがと素直に思いました。思い返せばそれもどうせ嘘だったんだろうなと思います。なんでその時点で切らなかったんだろう。自分馬鹿さ加減により一層イライラしてきた。

じゃあ次会うときお金持って来て札束ビンタしてくださいとカカオを送るも「確定申告あるから月末までお金持ち出せない💦」理由なんていくらでもあるんだ。

生理が来て一回休み

生理明け昨日3月26日生理明けで死ぬほどムラムラしてたので抱かれました。バカみたいに喘ぎました。尻を叩かれて悦びました。予めカカオで振込は今日振込の明日扱いになるかもしれないか明日朝に確認してと言われました。いくら都銀から地銀でもそれはないだろと思っていましたが、もう何でもよかったです。マジでもうクソみたいな人生だなと思いました。

そして本日3月27日 案の定振り込まれていませんでした。相手に連絡を取るも返信がありません。ああ結局こうかと思いましたしある程度覚悟はしていましたがやっぱり糞ムカつくもんはムカつくのでこの文章を打っています。しねやブタゴリラ。どうせと口では言っていても今日の朝まで少しだけ期待していた私もいて、新しいパソコン買おうかななん家電量販店に下見に行ってたりしたので余計にクソムカつきます

社有車だという車のナンバーだけは控えていますが、相手本名も何もわからないのでどうしようもありません。相手人生舐め腐ってる若いバカ女に灸据えたったwww処女奪えたし安く生挿入セックスも出来てラッキーwwwwまた違う女引っ掛けるかwwwwくらいに思っているんでしょう。その通りです。馬鹿なのは私です。怪しい瞬間はいくらでもあったのに目を逸らし続けたクソバカ女。わかってはいますが言わせてください。

自称定禅寺通りオフィスを構えている32歳社長さんへ

苦しんで死ね

Mより

[]2018年3月26日月曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
009015307170.139.5
01417470182.279
02448066183.355
0344355080.719
0412109591.349
05153257217.157
0691507167.448
07305773192.466
0849364874.457
0995914296.253
1010712085112.958
1110915105138.663
129811615118.554.5
13118953780.845.5
141821617588.949.5
152071924793.049
1610510553100.548
1711318079160.063
1811813580115.158
19839516114.763
2010615407145.360.5
2110311120108.047
228010690133.658
2311112895116.260
1日2069244419118.153

頻出名詞

人(232), 自分(194), 増田(117), 話(105), 今(100), 仕事(77), 日本(75), 時間(74), 好き(69), 問題(66), 関係(63), ー(62), 前(61), 意味(57), 気(56), 人間(55), 安倍(54), 社会(52), 普通(50), 同じ(50), 会社(49), 必要(47), ネット(47), 男(46), あと(46), 気持ち(45), https(45), 相手(44), 子供(43), 最近(43), こんな(43), 女(42), 他(42), 手(41), 感じ(41), 女性(40), 日本人(37), ゴミ(36), 無理(36), 頭(34), 結局(34), 結婚(34), 場合(32), 世界(32), 総理(32), 結果(32), ~(32), 生活(31), 言葉(31), 金(31), 被害(31), 人生(30), 個人(30), 国(30), 家(30), 可能(29), 猫(29), 今日(28), 国籍(28), 一緒(28), バカ(28), 自己(28), 目(28), 昔(27), レベル(27), いいん(27), 存在(27), 全部(27), 名前(27), 家事(27), 毎日(26), 嫌い(26), お金(26), 理由(26), 別(26), 親(26), http(26), 理解(24), 嫌(23), 子(23), 責任(23), 記事(23), 選手(23), 仕方(23), 絶対(23), anond(23), 意見(23), 朝(22), 現実(22), com(22), 内容(22), 最初(22), 一番(22), ダメ(22), 顔(22), 興味(21), 友達(21), 説明(21), 色々(21), 精神(21)

頻出固有名詞

増田(117), 日本(75), 安倍(54), 晋(16), アメリカ(14), 森友(14), 自民党(12), カンボジア(11), 大坂(10), 中国(10), 東京(10), 財務省(8), 韓国(8), ブラジル(7), ワイ(7), キモ(7), 大阪(6), ドイツ(6), なおみ(6), ナチス(6), ヤフー(6), event(5), 産経新聞(5), 朝日(5), インド(5), 新宿(5), 鳩山(5), web(4), 野口(4), 民主党(4), 英(4), 足立(4), 産経(4), タモリ(4), all(4), 法務省(4), 菅(4), 米(4), 日(4), twitter(4), 朝日新聞(4), 昭和(4), 三浦(4), 裕之(4), Mac(4), アジア(4), Wikipedia(4), 加計(4), ONE(4), philevents(4)

2018-03-26

[]ホットエントリーに入るまでの時間ヒストグラム

はてなブックマークファーストブクマされてからホット(人気)エントリーに初めて入るまでの時間度数

集計期間 2018年3月23日 2010分 〜 2018年3月26日 2010分、3日間(72時間10分)

集計対象2018年3月23日 2010分以降ファーストブクマされたエントリーに限った

ファーストブクマから時間(時間台)度数
013
133
238
334
419
514
616
713
810
921
108
1113
126
135
143
153
166
170
181
191
200
210
220
231
240
250
260
270
280
290
301
310
320
330
340
350
360
370
381
中略0
720

ファーストブクマから1日以内にホットエントリーに入るエントリーが圧倒的に多い。

関連: anond:20180326004606

[]新着エントリーに入るまでの時間ヒストグラム

はてなブックマークファーストブクマされてから新着エントリーに初めて入るまでの時間度数

集計期間 2018年3月23日 2010分 〜 2018年3月26日 2010分、3日間(72時間10分)

集計対象2018年3月23日 2010分以降ファーストブクマされたエントリーに限った

ファーストブクマから時間(時間台)度数
0293
1219
2149
3130
4115
584
672
765
870
950
1064
1152
1231
1338
1427
1531
1622
1723
1829
1914
2012
2122
2214
2318
248
2510
2610
270
287
293
306
315
327
333
344
359
365
379
386
393
404
412
428
432
447
456
463
472
484
496
503
510
520
532
541
551
563
570
581
591
601
610
621
630
641
650
661
670
680
690
700
710
720

データを取得し始めてからファーストブクマが付いたエントリーに限ったため72時間以上のデータはないが、ファーストブクマから20日ほど経っているのに新着エントリーにいるエントリー存在した。リニューアル前にあったファーストブクマから7時間ほどで新着エントリーに入れなくなる制限は緩和されたと思われる。

ファーストブクマから1日以内に新着エントリーに入るエントリーが圧倒的に多い。

関連: anond:20180326004606

[]ホットエントリーに入るには何個のブクマ必要

ホットエントリーに初めて入った時点のブックマーク

集計期間 2018年3月23日 2010分 〜 2018年3月26日 2010分、3日間(72時間10分)

集計対象2018年3月23日 2010分以降ファーストブクマされたエントリーに限った

ブックマーク度数
10
20
30
40
52
62
79
85
98
1011
118
1213
1310
148
1510
1613
179
187
1911
207
2110
2214
236
2414
255
266
272
287
295
305
313
324
334
342
354
363
371
383
392
403
411
420
430
441
451
461
470
480
490
500
512
525
534
542
552
560
570
580
590
602
中略0
671
中略0
881
中略0
1541
ホットエントリ入ならず1539

10分間隔のデータ取得なのでもう少し少ないブックマーク数でホットエントリー入りしていた可能性はある。

154ブクマ集めるまでホットエントリー入りできなかったのは「「どうして今までそれで生きてこれたのか」となんども思った京大での六年間について - 日記

5ブクマホットエントリーできたのは「アニメ『ポプテピピック』第12話・パロディ元ネタ解説 - 特になし」と「3億円の札束で頬をビンタしたい」(増田)

関連: anond:20180326004606

2018-01-13

この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven Beethoven.jpg 基本情報 別名 楽聖 生誕 1770年12月16日頃 出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン 死没 1827年3月26日(56歳没) オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン ジャンル 古典派音楽 活動期間 1792 - 1827 ベートーヴェンのサイン ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。 目次 [非表示] 1 生涯 2 作風 2.1 初期 2.2 中期 2.3 後期 3 後世の音楽家への影響と評価 4 芸術観 5 思想 6 人物 6.1 名前 6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー 7 死因また健康について 7.1 聴覚障害について 8 親族 9 弟子 10 代表作 10.1 交響曲(全9曲) 10.2 管弦楽曲 10.3 協奏曲、協奏的作品 10.4 室内楽曲 10.5 ピアノ曲 10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 10.7 宗教曲 10.8 歌曲 11 著作 12 伝記 13 脚注 14 参考文献 15 関連項目 16 外部リンク 16.1 録音ファイル 16.2 伝記 生涯 ベートーヴェン(1803年) 1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。 1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。 1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。 20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。 1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。 40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。 1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。 作風 初期 作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。 中期 1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。 中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。 これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。 後期 1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。 後世の音楽家への影響と評価 ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。 ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。 中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。 一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。 芸術観 同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。 ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。 思想 ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。 また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。 政治思想的には自由主義者であり、リベラル進歩的政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。 その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。 人物 身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。 基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。 当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。 潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。 性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。 師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。 パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。 テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。 交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。 聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。 死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。 これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。 メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。 彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。 パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。 コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。 名前 原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。 日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。 姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。 vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。 偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。 ベートーヴェンフリーメイソンリー 詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照 死因また健康について 慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。 ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。 1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。 聴覚障害について 難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。 耳硬化症説 伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。 又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。 先天性梅毒説 「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。 鉛中毒説 上載の死因また健康についてを参照。 メッテルニヒ政権説 ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。 有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。 デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。 完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。 親族 祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版) フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。 祖母:マリア・ヨゼファ 父:ヨハン 母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。 弟:カスパール・アントンカール 甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。 弟:ニコラウス・ヨーハン 同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。 弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。 弟子 カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。 フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。 ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。 ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。 アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。 代表作 詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照 交響曲(全9曲) 第1番 ハ長調 op.21 第2番 ニ長調 op.36 第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13] 第4番 変ロ長調 op.60 第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13] 第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12] 第7番 イ長調 op.92 第8番 ヘ長調 op.93 第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13] 管弦楽曲 『レオノーレ』序曲第1番 op.138 『レオノーレ』序曲第3番 op.72b 序曲『コリオラン』ハ短調 op.62 交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91 『命名祝日』序曲 op.115 『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113 『献堂式』序曲 ハ長調op.124 協奏曲、協奏的作品 ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12] ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61 ロマンス第1番 ト長調 op.40 ロマンス第2番 ヘ長調 op.50 三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56 合唱幻想曲 ハ短調 op.80 室内楽曲 弦楽四重奏曲(全16曲) 第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1 第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2 第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3 第10番 変ホ長調(ハープ) op.74 第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95 第12番 変ホ長調 op.127 第13番 変ロ長調 op.130 大フーガ 変ロ長調 op.133 第14番 嬰ハ短調 op.131 第15番 イ短調 op.132 第16番 ヘ長調 op.135 弦楽五重奏曲 (全3曲) ヴァイオリンソナタ(全10曲) 第5番 ヘ長調 『春』 op.24 第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47 チェロソナタ(全5曲) ピアノ三重奏曲(全7曲) 第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1 第7番 変ロ長調『大公』 op.97 その他の室内楽曲 ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17 六重奏曲 op.81b 七重奏曲 変ホ長調 op.20 管楽八重奏曲 op.103 ピアノ曲 ピアノソナタ(全32曲)   第8番 ハ短調『悲愴』 op.13 第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13] 第15番 ニ長調 『田園』 第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2 第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53 第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13] 第26番 変ホ長調『告別』 op.81a 第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106 第30番 ホ長調 op.109 第31番 変イ長調 op.110 第32番 ハ短調 op.111 その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等) 創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34 創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35 『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78 『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80 創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76 ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120 アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57 幻想曲 op.77 ポロネーズ ハ長調 op.89 7つのバガテル op.33 11の新しいバガテル op.119 6つのバガテル op.126 バガテル『エリーゼのために』 WoO.59 本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 歌劇『フィデリオ』 op.72c 劇付随音楽『エグモント』op.84 劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113 バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43 オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85 カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112 別れの歌 皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87 宗教曲 ミサ曲 ハ長調 op.86 ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]  修道僧の歌 歌曲 アデライーデ op.46 汝を愛す 鶉の鳴き声 新しい愛、新しい生 口づけ 追憶 懺悔の歌 モルモット(旅芸人) 連作歌曲集『遥かなる恋人に寄す』 op.98 曇りのち、快晴 著作 『ベートホーヴェンの手紙』 外山楢夫訳、新しき村出版部、1926年。 『ベートーヷンの手紙』 中西武夫訳、啓明社、1928年。 『ベートーヷン書翰集』 中西武夫訳、啓明社、1930年。 『ベートーヴェンの手紙』第1編、鈴木賢之進訳、音楽世界社〈楽聖書簡叢書〉、1936年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫 2579-2581〉、1940年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎選訳、岩波書店岩波文庫〉、1950年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫〉、1957年、改訂増補版。 - 附:

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

Ludwig van Beethoven

Beethoven.jpg

基本情報

別名 楽聖

生誕 1770年12月16日

出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン

死没 1827年3月26日(56歳没)

オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン

ジャンル 古典派音楽

活動期間 1792 - 1827

ベートーヴェンのサイン

ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。

目次 [非表示]

1 生涯

2 作風

2.1 初期

2.2 中期

2.3 後期

3 後世の音楽家への影響と評価

4 芸術観

5 思想

6 人物

6.1 名前

6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー

7 死因また健康について

7.1 聴覚障害について

8 親族

9 弟子

10 代表作

10.1 交響曲(全9曲)

10.2 管弦楽曲

10.3 協奏曲、協奏的作品

10.4 室内楽曲

10.5 ピアノ曲

10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

10.7 宗教曲

10.8 歌曲

11 著作

12 伝記

13 脚注

14 参考文献

15 関連項目

16 外部リンク

16.1 録音ファイル

16.2 伝記

生涯

ベートーヴェン(1803年)

1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。

40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。

作風

初期

作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。

中期

1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。

中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。

これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。

後期

1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。

後世の音楽家への影響と評価

ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。

中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。

芸術観

同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。

ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。

思想

ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。

また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。

政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。

その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。

人物

身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。

基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。

当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。

潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。

性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。

ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。

パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。

テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。

交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。

聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。

死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。

これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。

メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。

彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。

パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。

コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。

名前

原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。

日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。

姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。

vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。

偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。

ベートーヴェンフリーメイソンリー

詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照

死因また健康について

慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。

ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。

1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。

聴覚障害について

難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。

耳硬化症説

伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。

又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。

先天性梅毒説

「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。

鉛中毒説

上載の死因また健康についてを参照。

メッテルニヒ政権説

ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。

有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。

デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。

完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。

親族

祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版)

フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。

祖母:マリア・ヨゼファ

父:ヨハン

母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。

弟:カスパール・アントンカール

甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。

弟:ニコラウス・ヨーハン

同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。

カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。

弟子

カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。

フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。

ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。

ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。

アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。

代表作

詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照

交響曲(全9曲)

第1番 ハ長調 op.21

第2番 ニ長調 op.36

第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]

第4番 変ロ長調 op.60

第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]

第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]

第7番 イ長調 op.92

第8番 ヘ長調 op.93

第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]

管弦楽曲

『レオノーレ』序曲第1番 op.138

『レオノーレ』序曲第3番 op.72b

序曲『コリオラン』ハ短調 op.62

交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91

『命名祝日』序曲 op.115

『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113

『献堂式』序曲 ハ長調op.124

協奏曲、協奏的作品

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61

ロマンス第1番 ト長調 op.40

ロマンス第2番 ヘ長調 op.50

三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56

合唱幻想曲 ハ短調 op.80

室内楽曲

弦楽四重奏曲(全16曲)

第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1

第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2

第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3

第10番 変ホ長調(ハープ) op.74

第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95

第12番 変ホ長調 op.127

第13番 変ロ長調 op.130

大フーガ 変ロ長調 op.133

第14番 嬰ハ短調 op.131

第15番 イ短調 op.132

第16番 ヘ長調 op.135

弦楽五重奏曲 (全3曲)

ヴァイオリンソナタ(全10曲)

第5番 ヘ長調 『春』 op.24

第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47

チェロソナタ(全5曲)

ピアノ三重奏曲(全7曲)

第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1

第7番 変ロ長調『大公』 op.97

その他の室内楽曲

ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17

六重奏曲 op.81b

七重奏曲 変ホ長調 op.20

管楽八重奏曲 op.103

ピアノ曲

ピアノソナタ(全32曲)  

第8番 ハ短調『悲愴』 op.13

第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13]

第15番 ニ長調 『田園』

第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2

第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53

第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]

第26番 変ホ長調『告別』 op.81a

第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106

第30番 ホ長調 op.109

第31番 変イ長調 op.110

第32番 ハ短調 op.111

その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)

創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34

創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35

『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78

ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79

創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80

創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76

ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120

アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57

幻想曲 op.77

ポロネーズ ハ長調 op.89

7つのバガテル op.33

11の新しいバガテル op.119

6つのバガテル op.126

バガテル『エリーゼのために』 WoO.59

本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。

オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

歌劇『フィデリオ』 op.72c

劇付随音楽『エグモント』op.84

劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113

バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43

オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85

カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112

別れの歌

皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87

宗教曲

ミサ曲 ハ長調 op.86

ミサ・ソレムニス ニ長調 [12] 

修道僧の歌

歌曲

アデライーデ op.46

汝を愛す

鶉の鳴き声

新しい愛、新しい生

口づけ

追憶

懺悔の歌

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2017-04-06

入学式直前に娘が誘拐された

別居中の妻に、小学校入学式の1週間前に6歳の娘が誘拐された。

3年前に不倫して勝手に出ていった妻。

3歳の娘を育てるため、残業も全て断り、保育園の送り迎えもお弁当の準備も全てやった。

途中で娘を返せと言われたが、裁判所の結果、監護権は夫である私に認められて、裁判の結審も秒読みだった。

離婚調停調停員や弁護士の勧めもあり、月2回の宿泊を伴う面会交流実施してきた。

そんな状況から数年が経過して、娘が6歳になり、翌週に入学式を迎えた3月26日日曜日夕方事件は起こった。

待ち合わせ場所で待機してるが、時間になっても来ない。そのとき、見たことがない携帯電話番号から着信があった。

電話相手は妻だった。

「娘は返さない。帰りたくないと言ってるので、私と住みます」それだけ言って彼女一方的電話を切った。

依頼してる弁護士事務所電話したが、休日のため連絡つかず、とりあえず警察電話した。

警察官事情説明したが、警察では何もできないと回答があった。

児童相談所にも連絡した、警察署にも内容証明告訴状も送付したが、身の危険がある訳でなく、力づくではないという理由捜査はできないと言う。

通学するはずだった小学校入学手続きに行くと、教育委員会を通じて転校生手続き済みだと言われてしまった。

弁護士相談したところ、人身保護請求の申立をしてくれる事になった。請求が認められると、相手側は子供裁判所に連れて出頭する必要があり、拒否した場合罰則逮捕されるらしい。

非常に強制力がある法律なので、棄却されることも多いらしい。弁護士が言うには、子の引渡し仮処分審判結果を以て、執行官が行う強制執行相手が抵抗して失敗した場合の最終手段で申立をするのが本来の手順である説明を受けた。

日本考えて!!

本日、娘と一緒に入学式に行く予定だったのに、直前で誘拐されて、戻ってくるかも判らないなんて。

連れ去りした側に罰則がなく、事実上の連れ去ったもん勝ちになってる現在法律を考え直してほしい。

いつか戻ってくることを信じてるけど、新品のランドセルや新しい洋服に囲まれ生活が辛い。日本真剣に考えてほしい。

※追記1

娘は6歳なので、ひとりで行き来していたのでは、面会交流は引渡しもお迎えも電車の改札手前で行ってました。

※追記2

娘の本心はわからない。しかし妻からの連絡は一方的に、「帰りたくないと言っている」のみで切電されたのみでした。

2016-03-26

id:kanoseかい気持ち悪いネットストーカー

はてぶのアフィブロガー 2016年3月26日

サテライトサイトはこれ

新卒フリーランス早稲田卒業したのでキャンピングカー生活始めます

http://www.jimpei.net/entry/waseda


誘導先はこれ

新卒フリーランス若者に思うのは「会社という組織を利用しないのはもったいない」ということ

http://www.goodbyebluethursday.com/entry/freelance

記事の書き方も同一人物が書いた感じ。

ランサーズクラウドワークスで書かせたんだろう。

この2つのブログは同一人物が管理してるよね。

いい加減こういうことするブロガー消えてくれないかなー。

2015-07-29

久米宏民間放送に捧げた祈りとは

2004年3月26日ひとつニュース番組最終回を迎えた。

ニュースステーション

日本報道番組の在り方を良くも悪くも変え、様々な毀誉褒貶を浴び、時の政権すらこの番組論調を気にかけ、時には過剰とも言える反応を示し、時には番組への圧力とも言える行動に出たことがあった。

そんな存在感を持った番組。なぜ、それほどまでにこの番組存在感を得たのか。豪華なオープニング、綺麗で都会的な美しいセット、CG模型を使ったわかりやす解説。様々な要素が絡み合って番組が成立しているのは当然のことだが、ニュースステーションニュースステーションたらしめていたのはたったひとりの男だったと思う。

久米宏ニュースステーションのメイン司会者である

通常、報道番組のメイン出演者は「キャスター」と呼ばれるが久米は自らの番組での立場を聞かれると必ずこう答えた。「私はニュース番組司会者です」。

あくまでも司会者として「番組の成立」に重きを置く姿勢を暗に示しているこの言葉こそ、久米宏の持っている特異さを表している。他の報道番組キャスターとして出演する人は新聞社放送局での記者経験を持っており「ジャーナリスト」として放送していたが、久米あくまでも「司会者」としての立場を離れず、番組をいかに盛り上げ視聴者を満足させるかに重点を置いた。この姿勢こそが視聴者からの支持につながり、番組の影響力を増大させたのだろう。

ニュースは伝わらなければ意味を成さない。どんなに価値のあるニュースも観てもらえなければどうしようもないのだ。久米宏は「ジャーナリスト」ではなく「アナウンサー」としての経験からそれを痛いほど理解していたに違いない。

久米ニュースステーション自分関係について語るとき、必ず「番組」が主語であり「ジャーナリズム」や「報道精神」といった重苦しいものについては語らなかった。

しかし同時に久米は、非常に強い反骨精神の持ち主であり、反戦思想の持ち主でもあった。こうした精神番組にも反映され、時に政権からの激烈な反応を呼び起こすことがあった。だが久米はこうした反応さえも久米番組の推進力に変え、視聴者を平日22時台のANN系列に引き付け続けることができた。

日本ニュース番組を変えた男、久米宏

彼が番組に自ら幕を引くその日。放送終了まで残り1分少々というときに語りだした民間放送への思い。「アナウンサー」でもない「ジャーナリスト」でもない、ひとりの放送マンとしての思いが凝縮された言葉がある。

戦後70年の夏に、戦後日本の大きな分岐点が訪れている今だからこそ、この言葉をもう一度「放送人」たちに思い出してもらいたい。

このー……民間放送はアレなんですよね、原則としてスポンサーがないと番組成立しないんです。そういう意味じゃ民間放送というのはかなり脆弱で、弱くて、危険ものなんですけど、僕この民間放送が大好きというかもう、愛していると言ってもいいんです。

なぜかと言うと日本民間放送原則として戦後、全て生まれました。

日本民間放送民放戦争を知りません。

国民戦争に向かってミスリードしたという過去民間放送にはありません。これからもそういうことがないことを祈っております

2015-01-28

夢に出てくる某漫画

数か月前、某漫画アニメ化済み)を古書店に売り払った。

好きな漫画だったが、某所でステマ疑惑が持ち上がっていた漫画だったためである

そういうものを部屋の中に置くこと自体我慢ならなかっただけあって、売り払った後の気分は爽快であった。

しかしその1カ月後、近所のコンビニに某漫画の新刊が置かれているのを目にし腰が抜けた。

そのころから、夢の中に件の漫画に関する事物が(時折だが)登場するようになった。

そして今日も件の漫画を読む夢を見た。

件の漫画を再び手にすることのないよう書店にはなるだけ近寄らないようにしている。

また、ブラウザにも件の漫画に関する用語が表示されないよう設定している。

にも拘らず件の漫画が夢に出てくるとは、ある種の呪いにかけられているのだろうか。

 

2015年2月6日追記)

一週間以上件の漫画が夢に出てくることはなかった。しかし今度は漫画登場人物2人と遊んでいる夢を見た。

そろそろ頭の病院に行く頃合いなのだろうか。

 

2015年2月8日追記)

今度は神奈川県内某駅近くの店で件の漫画本(古本)が売られている幻覚を見た。

正直もう手の打ちようがないような気がする。

 

2015年3月12日追記)

また夢の中に例の漫画が出てきた。フルカラーだけど作画崩壊していた。

2週間ぐらい前に紀伊国屋英語翻訳された例の漫画を見たからだろうか。

ステマ漫画なんか国恥でしかないのに。

 

2015年3月18日追記)

また夢の中に出てきた。もう嫌だ。

 

2015年3月24日追記)

例の漫画が数冊コンビニに並べられている夢を見た。

もうどうすればいいか分からない。

しかたらこ漫画関連でチキンレースしているのも大きいかもしれない。

あと近くのセブンイレブンで去年10月、例の漫画がこれ見よがしに売られていた。

その光景が頭から離れないのも、この夢を見た要因であるような気がする。

 

2015年3月26日追記)

例の漫画原作とするアニメDVDブルーレイが売られている夢を見た。

そういえばそのアニメブルーレイも、原作漫画本とともに売り払ったことを思い出した。

2014-09-15

[]統治下の国会

さて蔬菜配給制度も、價格の面から見まして再三再四に亘り、或いは強化したり、或いはこれを緩めたりいたしまして、片山内閣になつてからも、去る六月には殆んど自由に近い程緩和し、一般消費者に喜ばれたのでありましたが、七月の中旬に至りまして、又その筋の指示と称しまして、急に嚴重なる取締になつたのであります。その結果、配給品は有難迷惑だとさえ言われるような鮮度の古い不良品ばかりが時折配給され、これが補給として闇取引の助長を來しておるのであります。而も闇で買う分量の方が配給の分量の何倍かになつておりまして、取締に対する保儉料も含めて相当高い値段でお互いびくびくしながら取引をしておるということになりましては、人心に極めて面白からん影響を及ぼしておるものとして、一刻も速やかにこれが是正を図らねばならないと存ずるのであります

参 - 本会議 - 19号

昭和22年08月04日

追加豫算もたいへん遲れまして――これも大部分において、その筋等の關係において非常に遲れたのでありましたが、まことに恐縮している次第であります。なおそれと同時に提出すべきこの税法の改正法律案が、さらに數日の遲れを見たことであります。これも實は政府といたしましても非常な努力をいたした次第でございますが、その筋との關係、その筋内部の關係におきましてなお數日遲れまして、まことに恐縮に存ずる次第であります

衆 - 財政及び金融委員会 - 39号

昭和22年11月25日

御當局の仕事もはかばかしく進んでおりましたので、私ども地方民も安心しておりましたが、殘念なるかな、今年になりましても路線が敷かれないのでありますそれから御當局につきましていろいろ調査してみましたところが、殘念ながらこれはその筋の關係によりまして、今年度において仕上るということはめんどうだということがわかつた。まことにこれは殘念のこの上もないことである

衆 - 運輸及び交通委員会 - 41号

昭和22年12月04日

國会は、この水害に復旧問題民族の興亡にも関するというような大問題であるというような立場からいたしまして、この機会において、どうしても超党派的の立場をもつて、この問題を打開しなければならぬという考えから、去る一月三十一日の衆議院本会議においては、満場一致をもつて決議案を決定したのであります。この國会を背景として折衝されましたならば、その筋といえども、決してこれをさいぎるはずはないと思います

衆 - 国土計画委員会 - 3号

昭和23年03月26日

終戰直後、たとえば私の知つている限りにおいても、満州などにおける日本の相当の大事会社がその職員のサラリーを拂うことができなくなつて、満州土着の日本人から金を借用して、それによつて職員のサラリーを支拂つておつたという事実があるのでありますたまたまそれらの人々が引揚げて参りまして、支店長の借用書を持つているのであるが、拂つてくれない。そこで私は私の子供がせわになつておつたような関係上頼まれて、その会社に交渉してやつたことがある。ところがその筋から支拂うことを禁ぜられているということを理由に、なかなか拂わなかつたのであります。私は会社の金をもつて支拂うことがその筋から禁ぜられているためにできないというのならば、どういう方法をもつてなされようと、非合法なことを要求するわけには何かないが、少くとも支店長が困つたときに、事情を訴えて金を借りた、その行為に対して、何らか報ゆるところがあつてしかるべきである

衆 - 外務委員会 - 10

昭和24年05月14日

陸上においての取締りでも、往々にして行き過ぎがしばしば見受けられるのでのあります。たとえば経済警察列車内を検査する場合に、列車を停止させて、大勢の乗客に迷惑をかけて、そうして乗客の所持品を検査しておる。これは最近においては非常に運輸交通に障害を興えるものとして、いわゆる取締りの行き過ぎだということで、禁止せよというその筋から意向も出ております

衆 - 運輸委員会 - 23

昭和24年05月19日

大蔵大臣自分の考えでやつていると言われますが、都合のいい時分には自分の考えでやつていると、いつも御答弁になる。少し都合が惡くなるというとその筋が……と、こうおいでになる。

衆 - 予算委員会 - 8号

昭和25年02月04日

只今の御説明では、やはり引上げるごとについて政府も相当お考えになつておるようでありますが、やはりその筋のほうとの交渉によつて思つたようにならんというように、最後はそういうふうに考えられますが、私どもそう見て差支えありませんか。

財源の面もございますが、財源の面と只今おつしやいましたような関係方面との両方の面からいたしまして、只今の段階では通常郵便貯金を引上げるにはちよつと困難な状態にありますが、できるだけ資金の吸収も図りまして、関係方面との面も或る程度いたしまして、将来は可能なる限りその方向に動きたいと存ずる次第でございます

参 - 郵政委員会 - 6号

昭和26年03月30日

一つお尋ねしたいのは、厚生省が本当の厚生省立場において、この省令をお出しになつたものか、或いはその筋から何らかの指示があつてお出しになつたか、こういう点をお尋ねしたいと思います

今の御質問にお答えしたいと思います。この改正は終戰直後に、厚生省としても何とかしなくてはいけないという考えがありましたところへ、たまたまその筋から早くやれと、それでなお一応の原案が示されましたので、それを一応検討いたしまして、大部日がかかりましたんですが、かようなことになりまして、なおこの改正いたしたいということにつきましても大かたの折衝はいたしておりますので、早急に直すべきところは直したい、かように考えております

参 - 農林委員会 - 37号

昭和26年05月23日

最初政府はその地方行政調査委員会議の委員の顔触れにつきましても大体選定をいたしまして、そうして内定をいたしたんでありまするが、その筋からこういうレベル人間では駄目である、これは非常に大きな規模を持つた組織でなければならん、即ちこの大戰後設けられたアメリカにおける行政改革のためのフーバー委員会前大統領であつたフーバー氏を委員長としたフーバー委員会に該当するような権威のあるものでなければならないというので、すつかり政府内定いたしておりました委員の御破算がありまして、そうして今日神戸先生のごとき第一流の方々が集まられて、そうしてこの審議をやつて頂くことになつたのであります

参 - 内閣地方行政・農林・… - 1号

昭和26年05月30日

2014-03-26

小保方さん、米国脱出説も… またまた不都合新事実が判明

夕刊フジ 3月26日(水)16時56分配信

(・・・)

真相を知る小保方氏は、米国逃亡説も流れるなど雲隠れ中だ。

(・・・)

そんななか、26日発売の週刊文春が興味深い内容を報じた。同誌が3月中旬に、取材依頼のメールを小保方氏に送ったところ、数時間後に返信があり、その返信メール分析すると、発信源が北米だったという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140326-00000010-ykf-soci

これって、所属機関アドレスに来たメールGmail転送して、そのままGmailから返信してるだけじゃないだろうか。。。

2014-01-19

ヤフーメッセありがとう

3月26日サービス終了だそうで。

うわー懐かしい。

利用者の激減が理由らしいが、確かに最近めっきりログインしてなかったな。

一応PCインストールはしていたけど。

アラサー女の私、中・高・大学生次代、ヤフーメッセンジャーには随分とお世話になった。

海外友達とやり取りしたり。

チャット部屋で同年代友達と仲良くなったり。

チャット地方部屋でナンパ待ち→即会い→ラブホエッチ、とかさ。笑

チャットルームを出会いの場として使ってた人はかなりいたと思う。

普通友達から、即エッチの相手まで、いろんな相手が見つかった。

恋しくて誰かと話したい夜、メッセ経由でよくチャット部屋に行った。

20代部屋にログインしたら、いろんな人からPM(プライベートメッセージ)がくる。

そこから仲良くなった同世代暇人大学生と、明け方まで話し込んだり。

実際に会った人も結構いた。

キャリア自衛官医大生、理系院生

ごちそうさまでした。

うそう、19の頃はここであった人と半年くらい付き合ってたわw

てか、ロストバージンヤフーメッセ出会った30歳♂だった。

ほんっとにお世話になりました、メッセさん。

私の青春は、ヤフーメッセンジャーとともにあったといっても過言ではない。

ありがとうメッセ

ひっさびさにログインしてみようかね。

2013-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20130328132254

うそう。

普通に考えるとそういう意味でとらえることが多いと思うけど

陸上為末大さんのツイート

を見て「運も実力のうち」からこういうことを連想する人もいるんだなぁと思って。

同じ言葉だけど普通の捉え方と微妙ニュアンスが違うんじゃないかと思います

2012-03-30

維新リスト捏造問題の経緯まとめと雑感

維新側の建前と実態が錯綜していて複雑なので簡単にまとめてみた。基本的には「表向きの」経緯で、括弧書きは考察

2011年5月捏造犯氏が大阪市交通局嘱託職員に採用される。嘱託職員のため労組には加入していない

2011年11月維新ダブル選挙に勝利

2011年11月捏造犯氏が維新杉村市議に接触、交流が始まる

2012年1月頃、捏造犯氏が維新政治塾に応募

2012年1月23日交通局の職員証更新のために作られた「職員証発行対象者リスト」を元に、捏造犯氏が労組の内部文書を捏造する。公式には捏造犯氏の独断で行われたとされる

2012年1月28日、上記捏造文書を杉村市議メールで送付(※捏造のもの杉村氏が関与していないという建前での話)

2012年1月31日捏造犯氏が捏造文書を印刷したものを「原本」と称し杉村市議に送付(※同上)

2012年2月6日杉村市議捏造文書をマスコミに公開。橋下市長を始めとして党・マスコミ挙げての大批判キャンペーンが始まる。ここまで維新マスコミ共に裏取り作業は一切行われていない

維新内部では不自然な点が多く捏造ではないかという声が上がっていたが、維新大阪市議員幹事長の美延氏が公開を決定。杉村氏・橋下氏・美延氏などは捏造に全く気づいておらず職員に尋ねたり労組を問いただすまでもなく本物であると思い込んでいたという建前になっている(※問題に直接関与していない維新議員は疑念があったと後から言っているケースが多い、後述)

2012年2月7日労組は文書が捏造であると反論。また、「交通局内の事務で使われる職員番号や給与の支払先などが含まれている」(※労組が知らない情報だし、リストに使われている意味もない)、「法律上組合に所属出来ない管理職を含め、非組合員リストに含まれている」(※元が職員証管理リストなので部門丸ごと全員入っていた)、などが捏造の根拠として指摘される

この時点で識者の間に捏造の可能性が高いという認識が広まる。労組問題を(維新側の依頼で)調査している第三者委の野村弁護士までもが抗議するが無視される。マスコミ捏造説を完全スルー

2012年2月9日、当問題を受けて大阪市職員に対し思想調査アンケート実施される。労組法曹界などから違法性が指摘される

2012年2月9日交通管理職退職金凍結が検討開始(※管理職が片っ端から含まれていた問題を「捏造の証拠」ではなく「本来労組に入れない管理職がヤミ加入していた証拠」だと維新が主張したため)

2012年2月10日市議会にて杉村市議質問に立つ。信憑性が非常に高く、捏造しようがない、として労組を激しく非難(※どうしてそう思ったのかは不明)

2012年2月17日、職員思想調査の違法性を認め、調査が凍結される

2012年3月2日労組捏造文書について被疑者不明で文書偽造の刑事告発

2012年3月14日維新の会が「労組への情報漏洩」について守秘義務違反刑事告発(※これは捏造犯氏を告発したものではなく、「文書が本物」であるなら「職員番号や給与の支払先などを労組に漏らした犯人」が存在するはずであり、その「労組への情報漏洩」を告発したもの。もちろんそんな事件も犯人も実在しない)

2012年3月26日交通局の全PCログを調査した結果、捏造犯が特定される(※いつもの維新ならこれも「労組ログ改竄した」とか主張しそうなものだが、セキュリティ企業による情報漏洩対策用のログツールによる追跡なので完全に詰んでしまった)

 

いくつか明らかにおかしな点と、疑問点がある

捏造は本当に捏造犯氏の独断によるものなのか。杉村氏に捏造文書が渡ったとされるまでの経緯が明らかになっていない

維新内部ではどの程度この文書が捏造であるという認識があったのか。杉村氏や橋下氏はともかく、直接関与していない維新議員からは「当時から捏造だと思っていた」との声が今更上がっている。一体どういうことか

議会で文書が間違いなく真正であるとして労組を強く非難しており、また文書を根拠に刑事告発までしている

もし「捏造である」という認識が当時からあったのならば、良くて名誉毀損場合によっては維新自体が捏造事件の共犯となるので偽計業務妨害になる(告発被疑者不明で行われているため虚偽告訴罪(誣告罪)は免れるだろう)

・今更「捏造だと思ってました」とか言ってる連中が口だけで、実は維新全員本気であれを本物だと思っていたなんてことになると、それはそれで酷い馬鹿の集団ということになって問題。ただしこちらの方が法的にはマシである(これなら維新犯罪者ではなくただの馬鹿という扱いに持ち込める)

・橋下氏は「濡れ衣を晴らしたのは維新のおかげ」と言っているが、維新捏造犯を特定することに対して何一つ協力していない

少なくとも14日の時点でもまだ維新的には文書は真正であり「組合員の中にいるはずの(ということにしないと維新的に都合が悪い)労組への情報漏洩犯を告発する」などとやっている

そもそも論として杉村氏は捏造犯氏(当時は「内部告発者氏」)を最初から知っていた。にもかかわらず、交通局が全PCログ調査して捏造犯氏を特定という経緯を辿っている時点で、庇う維新と追う(労組の苦情を受けた)交通局という構図である。橋下氏の発言は完全にウソである

 

以下私的雑感。

杉村氏が捏造犯と共謀したかどうかは微妙なところであろうと思われる。五分五分ではなかろうか。

一方、橋下氏が捏造のものに関与した可能性はというと、それはかなり低いだろう。さすがにリスクが高すぎる。

捏造と気づいたタイミングだが、恐らく2月7日の時点で維新内ではほぼ全員がこれは捏造だと気づいていたのではないだろうか。

当該問題に対する労組の反論は極めて妥当であり、まともな感覚で見れば労組が本気で捏造に怒っているのは明らかだった。労組の反論に対する維新の反論、つまり「職員番号などが含まれている→組合員労組情報漏洩した証拠だ」だの「非組合員が含まれている→ヤミ加入の証拠だ」だのはあまりに無理筋であり、さすがに言ってる維新自分で信じてはいなかっただろう。

問題の中核となる杉村氏や橋下氏以外は3月30日現在「当初から捏造だと思っていた」と証言しており、杉村氏や橋下氏だけが突出して馬鹿だというのでなければ初期からみんな分かっていたと考える方が妥当だ。

まり2月7日以降は維新捏造であることを知りながら、労組を陥れるためにウソを上塗りし続けてきたと考えられる。

これは道義的にも法的にももちろんアウトであるが、政局的・政争的にどうかというとあながち間違いだったとは言えない。

というのは、維新は完全にマスコミを抱き込んでおり、これほどに材料の揃った3月14日の段階ですらまだ本物だと強弁して世論を信じさせることに成功していた。労組がどう反論してきても労組側に悪魔の証明を強いて水掛け論に持ち込めば、メディア露出の機会が圧倒的に多い維新の側が絶対有利になる。

維新にとって大きな誤算だったのは情報漏洩対策の操作ログ存在だろう。本当は操作ログが出てきても「労組改竄したんだ」とでも言い張るつもりだったのではないか。もしこの操作ログが外部(民間)セキュリティ企業によるものでなければ、この件も水掛け論に持ち込んでウソはつき通せたと思われる。

今後の維新に対する追求だが、メディアの興味が既に薄れつつあることを考えると嵌め得(市民捏造文書を信じたまま)になる可能性が高いと思われる。ただ、維新側の口裏合わせが上手く行っていないのはあまり良くない。全員が口を揃えて「本物だと信じ切っていました」と言わないとそこが綻びになる可能性がある。

2011-04-02

東電の被災対応記事をば

東電計画停電被災地避難所電気止める「考慮しなかった」

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110314-OYT1T00710.htm

4日に行われた計画停電では、千葉県旭市など、被災地も含まれ、避難所停電した

東京電力は14日夜の記者会見で、停電エリアを選定する際に「被災地かどうかは考慮に入れなかった」とし、

結果として非常に申し訳ない」と謝罪した

2011年3月14日19時47分 読売新聞


東電、手間がかかるからと「鉄道だけ電力供給は不可能」とウソ報告

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110315-OYT1T00535.htm

計画停電2日目の15日、首都圏鉄道ダイヤは依然として大きく乱れているが、

停電区域に当たった各鉄道変電所への送電可能となったことなから、前日よりも運休路線は減少した

14日には、多くの駅前に乗客の行列ができ、ホームの混雑で電車の運行がさらに遅れたが、混乱は一部改善された。

国土交通省によると、同省や鉄道事業者各社は14日、東京電力協議し、計画停電から鉄道の除外などを要求した

東京電力は当初、「鉄道変電所だけに電力を供給することは無理」としていたが、

国交省技術担当者が、停電区域の変電所ピンポイント送電することは技術的に可能と指摘。

「手間と時間がかかる」などと難色を示していた東電を説得した

送電量は限定されるものの、計画停電の影響を受けない変電所への送電が実現したことで、

15日の運行ダイヤは大幅に改善。今後も、安定的なダイヤを組めるようになった。

同省は「間引き運転など、影響はまだ大きいが、ダイヤがころころ変わるような混乱は少なくなるとみられる。

利用者は、運行情報をよく確認、検討してから外出して欲しい」としている。

JR東日本ではこの日、首都圏在来線で、始発から運転する路線を前日の5路線から22路線に増やすなど運行ダイヤ改善された。

東海道線横須賀線も朝から運転した。運転計画も、14日の午後11時20分には発表できた。

東京駅では、前日の交通網の乱れから、通常より1時間以上早く家を出るなど、自衛策をとる通勤客の姿が多く見られた。

区間運休が続く西武新宿線を利用している杉並区男性会社員(44)は、前日の混乱ぶりを踏まえて午前4時半に起床。

最寄りの上井草から鷺ノ宮駅まで約1時間かけて歩き、電車に乗った。

午前8時半頃に東京駅に着いた男性は、「こんな事態なのでしょうがない」とあきらめ顔だった。

2011年3月15日15時56分 読売新聞


東電、被災世帯に2月と同額の3月分電気料金を請求

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110325-OYT1T00998.htm

東日本巨大地震後、一般家庭などの電力使用量を調べる東京電力の検針員が、被災世帯を含む9都県の計306万軒で3月分の検針ができず、

2月分と同額の電気料金を「暫定料金」として各世帯に請求していることが25日、分かった。

東電の措置は電力供給の約款に従ったものだが、利用者への周知が不十分として、経済産業省は、東電に対して改めて説明するように指導した

東電は、3月分の検針ができなかった世帯に対し、2月分と電気使用量が同じという前提で料金を請求しているとの通知はがきを発送したという。

しかし、通知はがきには、供給約款で災害発生時に暫定料金を請求できることになっている点などは記載されていなかった。

東電によると、4月分の検針で、3月分と4月分の電気使用量の合計を確定させ、3月分の料金を徴収しすぎていた場合には、4月分料金で補正する。

被災地では、検針ができるようになるまで暫定料金が続く。

2011年3月26日12時52分 読売新聞


東電、避難住民受け入れゼロ東北電力中部電力対応

http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-110329X768.html

東京電力福島第1原発福島県大熊町双葉町)の放射能漏れ事故から2週間以上がたった。

県内外の自治体や個人による避難住民受け入れや支援活動が進む中、保養施設や社宅を多数保有する東電による受け入れは29日午前の時点で行われていない。

事故対応に追われているものの、日常生活崩壊した周辺住民に当事者として迅速な支援をしていない姿勢は強い批判を浴びそうだ。

原発事故政府は20キロ圏の住民に避難指示を出し、20~30キロ圏の住民にも自主避難を求めた。

これを受け、多くの住民が安全な地域へ逃れたが、避難所ホテルに滞在するなど、精神的、経済的負担を強いられている。

一方、東電は12都県21カ所に社員用の住宅や保養施設を所有。この中には多くの人を受け入れられる施設もある。

しかし、原発事故計画停電対応に追われ、福島第1原発周辺住民への受け入れは行われていない。

東電による避難住民支援が遅れる一方で、他の電力各社は自社施設での被災者受け入れを始めている。

東北電力地震発生当日の11日から女川原発宮城県女川町石巻市)敷地内の体育館に、約240人の周辺住民を受け入れた。

中部電力自治体から要請があれば、社宅650世帯分と保養施設90室で受け入れる方針を示している。

福島第1原発から20~30キロ圏にある同県葛尾村から福島市内に避難した白岩忠雄さん(79)は、

東電施設が活用されていないことについて「避難生活を余儀なくされている村民から見れば、考えられないことだ」と厳しい口調で話した

東電は取材に対し、支援が遅れたことを認め、「今後、被災者の援助に最大限努力する」とコメント

近く、新潟県柏崎市内の社宅を避難住民に提供する方針を明らかにした。 

時事通信社


東電、しぶしぶ被災者受け入れるも避難所の「使用料」徴収

http://www.sanspo.com/shakai/news/110401/sha1104010504014-n1.htm

全国各地で被災者の受け入れが進む中、原発事故当事者である東京電力が、

保養施設や社宅を多数保有するにもかかわらず、わずかな人数しか受け入れていないことが31日までに分かった。

東電は12都県に21の社宅や保養施設、461の独身寮や厚生施設を所有しているが、

31日までに被災者提供されたのは、新潟県柏崎市にある社宅24世帯のみだ。

同じ電力会社でも、東北電力地震発生当日の11日から女川原発宮城)敷地内の体育館に、約240人を受け入れた。

中部電力も、社宅650世帯分と保養施設90室で受け入れる方針を示しており、その差は際立つ。

また、東電グループ企業が運営するリゾートホテルでは料金を徴収していることも判明

新潟県リゾートホテル「当間高原リゾート ベルナティオ」(十日町市)も154室に約520人の収容が可能だが

市役所を通じた受け入れは36人まで。「直接お申し込みいただいた方は大人お1人さま1泊3食で6000円、

市役所から要請を受けた被災者については同じ条件で無料となります」(広報担当者)。

東電本社では「今後も、弊社施設による被災者の皆さまの受け入れ拡大を検討して参ります」(広報部)としているが、

“消極的”としかみえない東電姿勢に疑問の声が上がりそうだ。

(紙面から

2011-03-29

2010-11-24

北鮮の狙い

北鮮が戦火を開いた。

南鮮の哨戒艦3月26日に撃沈した時にケジメをつけていればというのは、後知恵であろう。

だが、実際に南鮮の哨戒艦を沈めた北鮮海軍に対して、明確な処分を行わなかった為に、彼等はアピールをエスカレートさせたわけである

今回の砲撃は、北鮮海軍の独走ではなく、北鮮指導部の意図的な行為である可能性が高い。

 

中国から物資を脅し取る為の方便として、南鮮への攻撃が使えると哨戒艦撃沈事件から学習したのであろう。

哨戒艦撃沈を上海万博の為に中国が揉み消してくれ、しかも、おとなしくさせる為に補給物資を大量にくれた。おかげで、金正恩大将お披露目の特別配給を配る事が出来た。

 

これが前例になり、再び南鮮相手に派手な事をやり、中国が揉み消してくれて、しかも補給物資をくれるかどうかを確かめる為の行為だろう。

中国ウラン濃縮に協力してくれているという特別な関係を公表し、世界にその事実が広まったタイミングで砲撃をやらかしたというわけである

船を沈め、島を砲撃した。そこまでしても、中国が揉み消してくれたうえに補給物資を寄越すのであれば、以後は、南鮮への攻撃が定期的に行われる事になる。

 

揉み消してくれず、補給物資もくれないのであれば、次はソウルを攻撃するであろう。

その時に原爆を使用し、それが中国の協力によって作られた原爆を使用したと公表すれば、北鮮には大きなメリットがある。

 

つまり、北鮮は中国に対して、それが嫌なら揉み消した上に補給物資を寄越せと恫喝している。

中国が大国になったのであれば、南鮮程度が相手ならば無理を通せる筈であるというのが、中国を言いなりに扱き使ってやろうという北鮮の狙いであり、

正月北朝鮮政府からの、国民への特別配給に間に合うというのがこの時期に行われた理由だ。

2010-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20100520183000

その「初動」は別のものを指してるだろ

初動云々の話のとき、きちんと指導のもと殺処分も行われていて、前回よりも政府対応は早かったのだ、と言う人も居れば

これは宮崎県から口蹄疫発生の連絡が国に行ってからの対応4月20日

こうして一月放置されていて、政府としては既に手遅れだった、と主張する人も居る。

これは3月26日に本来1例目になるはずだった患畜発見されてからの状況

政府対応」と呼ぶかどうかはともかく、「発覚」してからの移動禁止措置とか消毒措置とかは早かったと思うよ。

末期的な状況下からスタートしてはいるが、「4/20以降の拡散」はかなり抑えられていると思われる。もちろんキャリアがどこにいるか分からない以上、完全に抑え込めているわけでもないだろうが、今回の頑張りっぷりは2000年の時とは比じゃない。

近隣県なんて直接口には出さないけど4月上旬から既に厳戒態勢で、宮崎県の局地で抑えられているなんてはなっから信じてない対応だったしな。

つーか殺処分はスムーズに行われているなんて言ってる人いたっけか?そもそも初動的な対応で言うと殺処分は第一ではなくて、まず徹底的な移動禁止と消毒でエリアを分断することが重要だし。

2010-05-19

口蹄疫最初発見日が今更報道され始めたな

http://sankei.jp.msn.com/life/body/100518/bdy1005181048003-n1.htm

http://www.nikkei.com/news/headline/related-article/g=96958A9C93819490E3EAE2E2938DE3EAE2E7E0E2E3E29F9FE2E2E2E2

実は海外機関への報告や海外報道ではとっくの昔に出ていたことなんですが、やっと国内メディアでも出始めた模様。

何故か「3月末」と報道されていますが「3月26日」です。何故ぼかしてるんだろう。

この3月26日の個体は何故か口蹄疫検査を受けずにスルーされ、この時取得した検体が4月22日になって初めて検査に回され4月23日国内6例目(←確認日ベースなので)の陽性確認となりました。

県から農水省に報告が行ったのが4月20日(または4月19日の夜)で、移動禁止措置などは即日発動しましたが、この時点で既に少なくとも25日間放置されていたことになります。

ちなみにこの事実は6例目の公式発表の時点で(こっそりと)明らかにされており、英語ソースでは4月末の時点で問題視されていました。明らかに国内報道は手控えられていたと考えられます。

 

この辺りの報道の流れは謎が多いです。これが今になるまで国内メディアに上がらなかったことについて「政府による」報道管制があったのかというといまいち疑問符が付きます。

というのは、上記事実は今回の感染拡大は宮崎県から政府に連絡が行く遥か前に失策が原因であることを示しており、更に言えば失策というのは好意的な解釈であり、はっきり言ってしまえば隠蔽の可能性を強く示唆しています。一方で政府野党マスコミなどから「政府失策で(4月20日を起点に)感染拡大を招いた」という批判を受けており、上記事実をさっさと報道させてしまえば批判は避けられたはずです。

メディア自主規制していたか、宮崎県の方から自粛を求めていたのか、もしくは政府が敢えて汚名を被ったのか、その辺はよく分かりません。

政府以外の当事者は、国に報告されるまでに最低でも25日も放置されていたなんて事実には目をつぶっておいた方が何かと都合が良いという、責任問題的な、参院選挙的な、話題盛り上げ的な、事情があったことも間違いないでしょう。また、後の補償問題を考えると政府汚名を被った方がスムーズですが、今の政府が自ら汚名を被るほど余力あるかというと疑問です。

 

悪者探しはともかく、事態は深刻です。

25日も放置されるということは3次感染4次感染という段階まで広まった状態で政府ボール飛んでおり、この条件ではもとより制圧はかなり困難です。早期発見により感染牛が全て発見済みであれば(殺処分に至らなくとも)移動禁止などの措置で封じ込め可能ですが、今回のように最初から既に激しく感染拡大している状態だとそうも行きません。

政府は当初移動禁止と殺処分で封じ込めようとしていましたが、現在ワクチン接種を検討しているそうです。これは県内全頭殺処分の次に深刻な重大決断になりますが、初期条件が酷すぎるので最もマシな手段はそれしかないのかもしれません。ワクチン接種した場合、全滅を免れる代わりにかなりの長期間に渡って宮崎畜産麻痺します。またはワクチン接種牛を食用とすることを認めるような法改正を行うのかもしれませんがこれはこれで容易ではありません。

 

ただ、ワクチン接種に踏み切るしかないとして、理屈では分かっていても政治的にそこに踏み切れるかどうかは微妙です。

責任問題補償問題が発生しますし、特措法が必要になった場合政局的な観点で野党が反対する可能性が高いでしょう。

自民党時代であれば腹を括って宮崎県の隠蔽を糾弾しつつ最終手段に走る決断は出来たかもしれませんが、民主党にその決断力があるかというと率直に言って微妙です。また今の自民党現状認識を狂わせ事態を混乱させるためだけにいるような(30年前の社会党みたいな)状態で率直に言って単に邪魔なだけです。

このまま、まとまらずに更に悪い状態に追い込まれるんじゃないでしょうか。

2010-04-07

はてなブックマークより一次情報把握が遅いマスコミ存在価値なし

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100407/crm1004071220012-n1.htm

埼玉県飯能市坂元正丸峠付近で犬猫約100匹の死骸(しがい)が捨てられていた事件で、

>県警生活環境2課と飯能署は7日、廃棄物処理法違反不法投棄)の疑いで、

>同県三芳町藤久保、元同町議ペット葬儀業「花園ペット祭典」経営

阿部容疑者(71)を逮捕、自宅兼店舗などを家宅捜索した。

この事件、昨日(4月6日)辺りからマスコミで急に取り上げられたが、

自分は4月2日の時点で知っていた。

この告発ブログ自体は

http://itabasinoinutati.blog47.fc2.com/blog-entry-92.html

3月29日にあったもの。

>それは、板橋の犬屋敷の件で、聞きたいことがあり、猟友会のOさんに電話をした時の言葉でした。

>「え?聞いた事がない。どういうことですか?」

>「5~6年前は、散乱した骨が沢山あったんだ。4年前くらいかな。黒い袋に入った動物遺体が毎週のようにあるんだよ。」

> そんな話から、始まりました。 その週末、私は現地に向いました。

>聞いた場所に着き、遠くから見るとゴミ袋らしいものが見える。でも降りていけない。

猟友会のOさんが「案内するから待ってて」との連絡があり、獣道なるものを教えて頂き、降りていきました。

>少し進むと、散乱した袋が沢山散らばっています。

>破けた袋から頭を出している犬、お尻を出している犬、ふっくらした袋。

>その袋を開けてみると、水色の洋服を着たシェルティ-でした。

>「え?何?何?」頭が混乱しました。

>ブリ-ダ-? 葬儀社? こんなに沢山なら・・業者???

>その日は、数枚の写真を撮り帰りました。

>天候が悪い日が続き、2週間後、知人5人と私で現地に向いました。

>新しい袋や布にくるまれた動物遺体が、また、増えていました。

>水色の洋服を着ていたシェルティ-の袋の中には、金の折鶴がありました。

>お尻の見えていた子は、キャバリアでした。綺麗にトリ-ミングされ、お正月リボンをつけていました。

シェルティ-の顔を見ようと、身体の向きを変えると、アゴから胸にかけ血だらけ。蛆もわいていました。

>Mix犬に純血種、生々しい遺体、猫のアゴの骨や犬の骨が沢山。オムツをした遺体

合同葬に出した犬達が、ダビに付されず、ここに放棄されたのでしょう。

>それも、長年・・・。

>飼い主さん達は、今も尚、他の子達と一緒に埋葬されていると思って、手をあわせている事でしょう。

犯人を見つけたい・・・警察捜査をお願いしました。

3月26日、報告した場所の遺体を回収、全部で80体。

マイクロチップが入っている犬もいない、手がかり無し。。

>埋葬してあげたい・・・県知事市長県庁市役所 etc お願いしました。

3月25日、 話し合いの結果、飯能市は、生ゴミと一緒に焼く事しか出来ません。

県庁動物指導係は、センタ-の炉では妬くことが出来ない。

>センタ-には、保護した犬猫達がいるので、当たり前です・・。

>生ゴミと一緒に焼くなんて出来ない。。

> 私達が引き取るしかないのでしょう。

>飼い主さんがわかれば、犯人もわかります。

>何か、手がかりがないものでしょうか。

このブログが4月1日時点ではてなブックマークに1件登録され、4月2日の段階で3件登録された。

はてなブックマークは3件に達すると「新着ブックマーク」の表示がされるので、

新着ブックマークを定期的にチェックしている自分は、4月2日の早い段階でこの情報に遭遇できた訳である。

・・・要は何が言いたいのか、というと、

マスコミの最大の価値は、世の中に知られていない一次情報の発掘なのに、

 今回、完全にブログはてなブックマークに先を越された」という事実

どうも、マスコミ自体、ブログを受けて「動き始めた」節がある。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100406/crm1004060126001-n1.htm

埼玉県飯能市正丸峠の山中に、犬約100匹の死(し)骸(がい)が

>遺棄されていたことが5日、ペット業界関係者への取材で分かった。

>遺棄されていた犬は子犬から成犬まであり、多くは犬用の服を着ていたり

>毛並みが整っていたりするため、飼い犬だった可能性が高いという。

>県警でもこうした事実を把握、廃棄物処理法違反などの疑いで調べている。

>犬の死骸が遺棄されているのを確認したのは、東京都内ペットサロン関係者

>2月上旬、知人から「正丸峠に5、6年前から犬の死骸が捨てられている」との話を聞き、

>2月14日と25日に同店の店員らが現場を訪れると、

>辺り一面に黒いポリ袋などに入った犬の死骸が散乱していたという。

>死骸は半分以上がマルチーズシベリアンハスキーなどの純血種。

道路わきのがけ下に5、6キロにわたって捨てられていた。

>同店では2月25日に飯能署に相談、3月4日には市にも相談。

>県警と市によって同月26日に犬約80匹分計約510キロの死骸を回収したが、

>同31日には再び新たな15匹の死骸が捨てられているのが見つかった。

・・・完全にブログの内容の後追いになっている。

という訳で、自分は犬の運命云々より、「マスコミはてなブックマークに敗北した」という

事実に、感慨深いものを感じる。

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