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2019-04-29

anond:20190429102212

https://this.kiji.is/486469103325873249

この記事とかさ、マスコミそもそも分かってないんじゃないの?

娘と準強制性交父親無罪

抵抗不能認定できず

2019/4/4 18:34

©一般社団法人共同通信社

 2017年愛知県内で抵抗できない状態の実の娘=当時(19)=と性交したとして準強制性交罪に問われた男性被告に、名古屋地裁岡崎支部が「被害者抵抗不能状態だったと認定することはできない」として無罪判決求刑懲役10年)を言い渡していたことが4日、分かった。判決3月26日付。

 公判検察側は「中学2年のころから性的虐待を受け続け、専門学校学費負担させた負い目から心理的抵抗できない状態にあった」と主張。弁護側は「同意があり、抵抗可能だった」と反論した。

2019-04-02

anond:20190402150010

2019-03-28

今日も女は嘘松

願望すぎる

2019-03-27



私の提案は、キャンペーンを展開しクラウドファンディング現実のものとなるように持っていくこと。

お金をどう渡すか?ですが、真帆さんと友達になります



支援といいつつ「つながり」求めてるじゃねーか

こういうのは止めないと駄目だろ

今日腐女子はキッツ

なんでホモ漫画って言われて怒るんスか?

[][]2019年3月26日火曜日の増減

サイト\日付2019-03-202019-03-212019-03-222019-03-232019-03-242019-03-252019-03-26合計説明
Nature ttps://www.nature.com/17715167619128イギリス 科学学術
Science Magazine ttp://science.sciencemag.org/10005-1-11712アメリカ 科学学術
Cell Press ttps://www.cell.com/20000002240アメリカ 生物学学術
Physical Review Letters ttps://journals.aps.org/000000-2402アメリカ 物理学学術
PNAS ttp://www.pnas.org/00100002137アメリカ 科学学術
Wiley Online Library ttps://onlinelibrary.wiley.com10200023860アメリカ 科学学術
The Lancet ttps://www.thelancet.com/001014002514イギリス 医学学術
ScienceDirect ttps://www.sciencedirect.com/30111018827オランダ 学術誌、エルゼビア傘下
Taylor & Francis ttps://www.tandfonline.com/0000-100884イギリス 学術
PLOS ttp://journals.plos.org/1000000951アメリカ オープンアクセス科学学術
arXiv ttps://arxiv.org/6336551026316アメリカ オープンアクセス科学学術
MDPI ttp://www.mdpi.com/0000200178スイス オープンアクセス学術
EurekAlert! ttps://www.eurekalert.org/700000012022アメリカ 科学ニュースサイト
PHYS.ORG ttps://phys.org/00010001650イギリス 科学ニュースサイト
Science Daily ttps://www.sciencedaily.com/00000003163アメリカ 科学ニュースサイト
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Scientific American ttps://www.scientificamerican.00000011882アメリカ 科学雑誌
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Brookings ttps://www.brookings.edu/0000000326アメリカ シンクタンク
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[]2019年3月26日火曜日増田

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2019-03-26

今日、この日から、あたらしい日本のみ

この日記には、とても特別意味があります。なぜなら、単なる世代交代をしているわけではなく、東京から国民である皆さんへ、世代の主役を取り戻しているからです。

まりにも長い間、東京にいる一部の人たちだけが社会から利益恩恵を受けてきました。その代償を払ったのは残りの国民です。東京繁栄しましたが、国民はその富を共有できませんでした。政治家などは潤いましたが、職は失われ、会社は閉鎖されました。権力層は自分たちを守りましたが、日本国民を守りませんでした。彼らの勝利は、皆さんの勝利ではありませんでした。彼らは首都東京で祝福しましたが、日本全土で苦しんでいる家族への祝福は、ほとんどありませんでした。

すべての変革は、この場所からまります。今、ここで始まっているのです。なぜなら、この瞬間は皆さんの瞬間だからです。皆さんのものです。今日、ここに集まっている皆さん、地球のどこかでこれを見ている皆さんのものです。今日という日は、皆さんの1日なのです。これは皆さんの日記です。そして、この今の日本の国は、皆さんの国なのです。

本当に大切なことは、どの勢力実験を握るかということではなく、政府国民により統治されることです。2019年3月26日のこの記事は、国民がこの国の治める日として、これからずっと記憶に刻まれるでしょう。この国の忘れ去られた人々は、もう忘れ去られることはありません。誰もが皆さんに耳を傾けています。何千万の人々が、歴史的運動に参加しています

今まで日本の人々が見たことのない動きが起きています。この動向の中心にあるのは、とても強い信念です。それは、国は国民奉仕するために存在しているということです。日本国民は、学生子供たちのために素晴らしい学校を望んでいます。また、家族のために安全を、自分自身のために良い仕事を望んでいます。正しい人々、そして、正しい国民がそう望むのは正当で、当然のことです。

しかし、多くの市民には、異なる現実存在しています家族子供学生貧困憎悪に苦しみ、産業は錆びき、日本全国に墓石のごとく散らばっています労働低賃金かつ劣悪で、輝かしい成人たちは、社会活躍できていません。犯罪差別病気があまりにも多くの命を奪い、花開くことのない可能性をこの国から奪っています

こうしたこの国の殺戮は、今ここで終わります。今、ここでです。

私たちひとつ国家であり、彼らの痛みは、私たちの痛みです。彼らの夢は、私たちの夢です。そして、彼らの成功は、私たち成功です。私たちは、ひとつの心、ひとつ故郷ひとつの輝きに満ちた運命を共有しています今日、私がした就任の誓いは、すべての国民の忠誠の誓いです。

何十年もの間、私たち日本産業犠牲にし、他国産業を豊かにしてきました。他の国々の教育を援助してきました。一方で、日本教育は、悲しくも枯渇しています私たちは他の国の生活を守っていますが、自分たち生活を守るのを拒んでいます外国に何兆円ものお金投資しましたが、日本インフラ絶望に陥り、腐っています。他の国々を豊かにしましたが、自国の富、力、自信は、地平線のかなたへ消えて行きました。ひとりずつ、貧しい若者移民になり、あるいは自殺者となり、この国を去りました。数百万人の日本労働者が置き去りになることなど考えもしないで、そうしたのです。平均的な日本人の環境が、その家庭から奪われ、日本のあちこちないし世界のあちこちに再分配されました。

しかし、それは過去です。今、私たち未来だけを見据えています私たち今日、ここに集まり、新しい決意を発し、すべての街、すべての日本都市、すべての政党にそれを響かせます今日、この日からまります。新しいビジョン日本を治めるでしょう。今日、この日から、あたらしい日本のみになります新しい時代のはじまりです。

経済福祉政治生活についてのすべての決定は、日本労働者と家族利益のために下されます他国暴挙から国境を守らなければなりません。彼らは私たち資源産業生産し、私たち資産産業を盗み、私たち仕事破壊しています保護こそが偉大な繁栄と力に繋がるのです。

私は全力で皆さんのために戦います。決して失望させません。日本は再び勝利します。これまでにない勝利です。雇用を取り戻し、国境回復し、富を取り戻し、そして、夢を取り戻します。このすばらしい国の隅々に必要最大限のインフラを整備します。生活保護を受けている人たちに仕事を与え、日本労働者の手と力で国を再建します。貧しい学生教育を与え、日本を再び輝きのある国にします。

私たちは2つの単純なルールに従います日本国民は常に日本社会に向き合っていくことです。世界の国々と友好的な善意関係を築きますが、すべての国には自国利益を優先させる権利があることを理解した上で、そうします。私たち自分たち生き方をすべての人に押し付けることはしませんが、模範として輝やかせたいと思っています私たちはすべての人が追随するような輝きを放つでしょう。私たちは古い同盟関係を強化し、新たなものを形づくりますマフィアのような悪質なアウトローに対し国民を結束させ、日本から完全に根絶させます

私たち政治の基盤は、この国への完全な忠誠心です。国への忠誠を通し、私たちはお互いへの忠誠を再発見するでしょう。愛国心に心を開けば、偏見など持たないはずです。私たちは隠さずに思っていることを語り、相違について討論しますが、いつも団結を求めなければなりません。国民が団結すれば、誰もこの国を止めることはできません。

恐れることはありません。私たちには未来保障されています。そして、私たちはこの先の未来保障されているでしょう。私たち学術界や社会の素晴らしい人たちに未来保障されています。そして、最も大切なのは未来国民が常に追求し続けることです。

最後に、私たちは大きく考え、さらに大きな夢をみなければなりません。この日本で、私たちは分かっていると思うのですが、国家は、努力してこそ存続するのです。口ばかりで行動が伴わない人間をこれ以上受け入れることはできません。彼らは文句ばかり言って、何もしていません。意味のないお喋りは終わりを迎える時です。今、行動の時が来ています。それはできない、と言うのはやめましょう。どんな課題も、心を開き、戦うという精神を持てば、乗り越えられます。失敗することはありません。私たちの国は再び繁栄し、栄えるでしょう。

私たちは、新しい時代誕生に立ち会っています。この世界神秘を解き明かし、未来産業テクノロジーを利用する準備をしています。新しいこの国の誇りは、私たちの魂を揺さぶり、視野を高め、分断を埋めるでしょう。今こそ、思い出す時です。成人男性、成人女性未成年者、誰であろうと、同じ愛国心の赤い血が流れています私たちは同じ輝かしい社会享受しています。みんな同じ偉大なこの社会に忠誠を誓っているのです。子供ビル文化の発信地の都市部で生まれようと、緑豊かな田舎で生まれようと、同じ夜空を見上げ、同じ夢を心に抱き、同じ全知全能の創造主によって生命の息吹が吹き込まれます

ですから国民の皆さん、すべての街に住んでいる同胞の皆さん、それが近くても、遠くても、小さくても、大きくても、山から山まで、海から海まで、この言葉を聞いてください。皆さんは再び無視されることは決してありません。皆さんの声、希望、夢が、この国の歩む道を決めるのです。そして、皆さんの勇気善意、愛が、その道を永遠に照らすのです。

一致団結して、私たちはこの国を再び強い国にしましょう。この国を再び富める国にしましょう。この国を再び誇り高い国にしましょう。この国を再び輝きのある国にします。そうです。ともに力を合わせ、この国を再び偉大な国にします。ありがとうございます

2018-03-27

ゴミみたいな処女喪失しました

https://anond.hatelabo.jp/20180219213038

前回これを書いた人間です。1ヶ月前処女喪失しました。結果的にはクソみたいな心境です。後悔しています。私みたいな色狂い軽率ソバカ女がこれ以上増えないように、あと自戒の意も込めて増田に記しておきます

まず、喪失のお相手はいとうせいこうみたいなおじさんじゃなくて、”自称”32歳会社社長フジモンみたいな顔をした男性で、送られてきた写真のウェイ感に正直イラッとしました。フジモンは月20前後での所謂愛人契約を持ち掛けてきました。は???釣り???って思ったんですけど実際インターネットを探すとそういう事をしている人はたくさんいたし、結局釣られて行ったホテルで今振り込んだからって確認画面を見せられたので(今思えば確実にフェイクだ)ああそういう世界もあるんだなと納得してしまいました。いやでもまともな社長ならあんなクソみたいな掲示板愛人探ししないよね。

あの増田を書いた後に性癖合致する結構まともな(クソみたいな掲示板で女漁りしている時点でまともではないけど)男性と知り合い、その人に処女を売るつもりでいた為、挿入はさせられないと伝えたところ2倍の金出すとかほざいてきまして

「金ならある!あと、人の物だったならプレミア➕もえる笑」

この時点で相当な糞なのは明確だったので、マジで会わなければよかったな、しねと今になって思います。見返すとマジでカカオ文章クソムカつくわ。

初めはお試しで良いとの事だった為に挿入されるつもりは甚だなく、適当気持ちよくしてもらって適当にしゃぶればいいだろう…みたいな、そんな気持ちでいました。しかし流されやすい性分というか、多分マゾなので心のどこかでそうなる事を望んでいたのかもしれません。いつの間にか間抜けに開いた足の間に、男性器が充てがわれていました。

挿入時には流石に鈍い痛みや痺れを感じ、気持ちよくない!と思いましたが、奥を10回と突かれないうちにそれは快感へと変わっていきました。足を折り曲げられ、全てを今日会ったばかりの相手晒しながら性器を突かれる感覚に、脳が痺れ、だらしのない声が口から止めどなく漏れて、恥ずかしさに死にそうな気持ちになりながらも、ひたすらに気持ちが良くて、もう頭が真っ白でした。ぼんやりエロ漫画かよと思いました。このまま死ねいかなと思いました。死ねませんでした。死ねてたらよかったのにね。

ホ別ゴム有が条件だったのですが、薬のせいで自分はタネ無しだからという理由ゴム無しでセックスをさせられました。1度目はてっきり着けているものだと思っていたのですが、2度目に裸の状態のそれが女性器に擦りつけられているのが見えて判明しました。もう少し強く抗えばよかったのかもしれませんが、男性器を擦りつけられると何も言えなくなり、気持ち良くされたい一心で受け入れていました。性病にならなくて本当によかったです。

最初現ナマ分割払いを提案しましたが却下(会社人件費で出すからみたいな理由だった気がする)、1回目のセックスが終わった2月26日に15万円を振り込んでもらえる予定でした。しかし26になっても、27になってもお金は振り込まれはいませんでした。この時点で私も大分怪しみ、そこそこに言及してみたのですが上手くかわされ(1ヶ月間違えてたというようなスクショを見せられたけど振込確定画面とかじゃなくて入力画面だった。しね) そんなに疑うならやめよっか💦(汗がクソムカつく)みたいなトークも貰っていたんですけど、バカ女は本当にバカ女だったのでちょろっと騙されてその後月末までに二回セックスする事になります

一週間後くらい、あまりに金の事を気にしている様子が相手に伝わったのか、今度手渡しするよというような事を言われました。時間と日にちも設定し、私は職場の方に頼み込んで昼休みを合わせて向かいました。しかし、待てども相手からの連絡は来ず、昼休みが終わる頃に「ごめん寝てた💦」とトークが。その時ばかりは一生寝てろクソがと素直に思いました。思い返せばそれもどうせ嘘だったんだろうなと思います。なんでその時点で切らなかったんだろう。自分馬鹿さ加減により一層イライラしてきた。

じゃあ次会うときお金持って来て札束ビンタしてくださいとカカオを送るも「確定申告あるから月末までお金持ち出せない💦」理由なんていくらでもあるんだ。

生理が来て一回休み

生理明け昨日3月26日生理明けで死ぬほどムラムラしてたので抱かれました。バカみたいに喘ぎました。尻を叩かれて悦びました。予めカカオで振込は今日振込の明日扱いになるかもしれないか明日朝に確認してと言われました。いくら都銀から地銀でもそれはないだろと思っていましたが、もう何でもよかったです。マジでもうクソみたいな人生だなと思いました。

そして本日3月27日 案の定振り込まれていませんでした。相手に連絡を取るも返信がありません。ああ結局こうかと思いましたしある程度覚悟はしていましたがやっぱり糞ムカつくもんはムカつくのでこの文章を打っています。しねやブタゴリラ。どうせと口では言っていても今日の朝まで少しだけ期待していた私もいて、新しいパソコン買おうかななん家電量販店に下見に行ってたりしたので余計にクソムカつきます

社有車だという車のナンバーだけは控えていますが、相手本名も何もわからないのでどうしようもありません。相手人生舐め腐ってる若いバカ女に灸据えたったwww処女奪えたし安く生挿入セックスも出来てラッキーwwwwまた違う女引っ掛けるかwwwwくらいに思っているんでしょう。その通りです。馬鹿なのは私です。怪しい瞬間はいくらでもあったのに目を逸らし続けたクソバカ女。わかってはいますが言わせてください。

自称定禅寺通りオフィスを構えている32歳社長さんへ

苦しんで死ね

Mより

[]2018年3月26日月曜日増田

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人(232), 自分(194), 増田(117), 話(105), 今(100), 仕事(77), 日本(75), 時間(74), 好き(69), 問題(66), 関係(63), ー(62), 前(61), 意味(57), 気(56), 人間(55), 安倍(54), 社会(52), 普通(50), 同じ(50), 会社(49), 必要(47), ネット(47), 男(46), あと(46), 気持ち(45), https(45), 相手(44), 子供(43), 最近(43), こんな(43), 女(42), 他(42), 手(41), 感じ(41), 女性(40), 日本人(37), ゴミ(36), 無理(36), 頭(34), 結局(34), 結婚(34), 場合(32), 世界(32), 総理(32), 結果(32), ~(32), 生活(31), 言葉(31), 金(31), 被害(31), 人生(30), 個人(30), 国(30), 家(30), 可能(29), 猫(29), 今日(28), 国籍(28), 一緒(28), バカ(28), 自己(28), 目(28), 昔(27), レベル(27), いいん(27), 存在(27), 全部(27), 名前(27), 家事(27), 毎日(26), 嫌い(26), お金(26), 理由(26), 別(26), 親(26), http(26), 理解(24), 嫌(23), 子(23), 責任(23), 記事(23), 選手(23), 仕方(23), 絶対(23), anond(23), 意見(23), 朝(22), 現実(22), com(22), 内容(22), 最初(22), 一番(22), ダメ(22), 顔(22), 興味(21), 友達(21), 説明(21), 色々(21), 精神(21)

頻出固有名詞

増田(117), 日本(75), 安倍(54), 晋(16), アメリカ(14), 森友(14), 自民党(12), カンボジア(11), 大坂(10), 中国(10), 東京(10), 財務省(8), 韓国(8), ブラジル(7), ワイ(7), キモ(7), 大阪(6), ドイツ(6), なおみ(6), ナチス(6), ヤフー(6), event(5), 産経新聞(5), 朝日(5), インド(5), 新宿(5), 鳩山(5), web(4), 野口(4), 民主党(4), 英(4), 足立(4), 産経(4), タモリ(4), all(4), 法務省(4), 菅(4), 米(4), 日(4), twitter(4), 朝日新聞(4), 昭和(4), 三浦(4), 裕之(4), Mac(4), アジア(4), Wikipedia(4), 加計(4), ONE(4), philevents(4)

2018-03-26

[]ホットエントリーに入るまでの時間ヒストグラム

はてなブックマークファーストブクマされてからホット(人気)エントリーに初めて入るまでの時間度数

集計期間 2018年3月23日 2010分 〜 2018年3月26日 2010分、3日間(72時間10分)

集計対象2018年3月23日 2010分以降ファーストブクマされたエントリーに限った

ファーストブクマから時間(時間台)度数
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ファーストブクマから1日以内にホットエントリーに入るエントリーが圧倒的に多い。

関連: anond:20180326004606

[]新着エントリーに入るまでの時間ヒストグラム

はてなブックマークファーストブクマされてから新着エントリーに初めて入るまでの時間度数

集計期間 2018年3月23日 2010分 〜 2018年3月26日 2010分、3日間(72時間10分)

集計対象2018年3月23日 2010分以降ファーストブクマされたエントリーに限った

ファーストブクマから時間(時間台)度数
0293
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2012
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データを取得し始めてからファーストブクマが付いたエントリーに限ったため72時間以上のデータはないが、ファーストブクマから20日ほど経っているのに新着エントリーにいるエントリー存在した。リニューアル前にあったファーストブクマから7時間ほどで新着エントリーに入れなくなる制限は緩和されたと思われる。

ファーストブクマから1日以内に新着エントリーに入るエントリーが圧倒的に多い。

関連: anond:20180326004606

[]ホットエントリーに入るには何個のブクマ必要

ホットエントリーに初めて入った時点のブックマーク

集計期間 2018年3月23日 2010分 〜 2018年3月26日 2010分、3日間(72時間10分)

集計対象2018年3月23日 2010分以降ファーストブクマされたエントリーに限った

ブックマーク度数
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ホットエントリ入ならず1539

10分間隔のデータ取得なのでもう少し少ないブックマーク数でホットエントリー入りしていた可能性はある。

154ブクマ集めるまでホットエントリー入りできなかったのは「「どうして今までそれで生きてこれたのか」となんども思った京大での六年間について - 日記

5ブクマホットエントリーできたのは「アニメ『ポプテピピック』第12話・パロディ元ネタ解説 - 特になし」と「3億円の札束で頬をビンタしたい」(増田)

関連: anond:20180326004606

2018-01-13

この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven Beethoven.jpg 基本情報 別名 楽聖 生誕 1770年12月16日頃 出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン 死没 1827年3月26日(56歳没) オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン ジャンル 古典派音楽 活動期間 1792 - 1827 ベートーヴェンのサイン ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。 目次 [非表示] 1 生涯 2 作風 2.1 初期 2.2 中期 2.3 後期 3 後世の音楽家への影響と評価 4 芸術観 5 思想 6 人物 6.1 名前 6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー 7 死因また健康について 7.1 聴覚障害について 8 親族 9 弟子 10 代表作 10.1 交響曲(全9曲) 10.2 管弦楽曲 10.3 協奏曲、協奏的作品 10.4 室内楽曲 10.5 ピアノ曲 10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 10.7 宗教曲 10.8 歌曲 11 著作 12 伝記 13 脚注 14 参考文献 15 関連項目 16 外部リンク 16.1 録音ファイル 16.2 伝記 生涯 ベートーヴェン(1803年) 1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。 1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。 1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。 20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。 1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。 40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。 1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。 作風 初期 作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。 中期 1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。 中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。 これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。 後期 1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。 後世の音楽家への影響と評価 ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。 ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。 中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。 一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。 芸術観 同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。 ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。 思想 ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。 また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。 政治思想的には自由主義者であり、リベラル進歩的政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。 その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。 人物 身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。 基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。 当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。 潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。 性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。 師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。 パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。 テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。 交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。 聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。 死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。 これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。 メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。 彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。 パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。 コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。 名前 原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。 日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。 姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。 vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。 偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。 ベートーヴェンフリーメイソンリー 詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照 死因また健康について 慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。 ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。 1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。 聴覚障害について 難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。 耳硬化症説 伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。 又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。 先天性梅毒説 「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。 鉛中毒説 上載の死因また健康についてを参照。 メッテルニヒ政権説 ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。 有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。 デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。 完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。 親族 祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版) フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。 祖母:マリア・ヨゼファ 父:ヨハン 母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。 弟:カスパール・アントンカール 甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。 弟:ニコラウス・ヨーハン 同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。 弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。 弟子 カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。 フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。 ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。 ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。 アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。 代表作 詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照 交響曲(全9曲) 第1番 ハ長調 op.21 第2番 ニ長調 op.36 第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13] 第4番 変ロ長調 op.60 第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13] 第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12] 第7番 イ長調 op.92 第8番 ヘ長調 op.93 第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13] 管弦楽曲 『レオノーレ』序曲第1番 op.138 『レオノーレ』序曲第3番 op.72b 序曲『コリオラン』ハ短調 op.62 交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91 『命名祝日』序曲 op.115 『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113 『献堂式』序曲 ハ長調op.124 協奏曲、協奏的作品 ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12] ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61 ロマンス第1番 ト長調 op.40 ロマンス第2番 ヘ長調 op.50 三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56 合唱幻想曲 ハ短調 op.80 室内楽曲 弦楽四重奏曲(全16曲) 第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1 第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2 第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3 第10番 変ホ長調(ハープ) op.74 第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95 第12番 変ホ長調 op.127 第13番 変ロ長調 op.130 大フーガ 変ロ長調 op.133 第14番 嬰ハ短調 op.131 第15番 イ短調 op.132 第16番 ヘ長調 op.135 弦楽五重奏曲 (全3曲) ヴァイオリンソナタ(全10曲) 第5番 ヘ長調 『春』 op.24 第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47 チェロソナタ(全5曲) ピアノ三重奏曲(全7曲) 第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1 第7番 変ロ長調『大公』 op.97 その他の室内楽曲 ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17 六重奏曲 op.81b 七重奏曲 変ホ長調 op.20 管楽八重奏曲 op.103 ピアノ曲 ピアノソナタ(全32曲)   第8番 ハ短調『悲愴』 op.13 第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13] 第15番 ニ長調 『田園』 第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2 第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53 第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13] 第26番 変ホ長調『告別』 op.81a 第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106 第30番 ホ長調 op.109 第31番 変イ長調 op.110 第32番 ハ短調 op.111 その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等) 創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34 創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35 『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78 『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80 創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76 ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120 アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57 幻想曲 op.77 ポロネーズ ハ長調 op.89 7つのバガテル op.33 11の新しいバガテル op.119 6つのバガテル op.126 バガテル『エリーゼのために』 WoO.59 本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 歌劇『フィデリオ』 op.72c 劇付随音楽『エグモント』op.84 劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113 バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43 オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85 カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112 別れの歌 皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87 宗教曲 ミサ曲 ハ長調 op.86 ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]  修道僧の歌 歌曲 アデライーデ op.46 汝を愛す 鶉の鳴き声 新しい愛、新しい生 口づけ 追憶 懺悔の歌 モルモット(旅芸人) 連作歌曲集『遥かなる恋人に寄す』 op.98 曇りのち、快晴 著作 『ベートホーヴェンの手紙』 外山楢夫訳、新しき村出版部、1926年。 『ベートーヷンの手紙』 中西武夫訳、啓明社、1928年。 『ベートーヷン書翰集』 中西武夫訳、啓明社、1930年。 『ベートーヴェンの手紙』第1編、鈴木賢之進訳、音楽世界社〈楽聖書簡叢書〉、1936年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫 2579-2581〉、1940年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎選訳、岩波書店岩波文庫〉、1950年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫〉、1957年、改訂増補版。 - 附:

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

Ludwig van Beethoven

Beethoven.jpg

基本情報

別名 楽聖

生誕 1770年12月16日

出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン

死没 1827年3月26日(56歳没)

オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン

ジャンル 古典派音楽

活動期間 1792 - 1827

ベートーヴェンのサイン

ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。

目次 [非表示]

1 生涯

2 作風

2.1 初期

2.2 中期

2.3 後期

3 後世の音楽家への影響と評価

4 芸術観

5 思想

6 人物

6.1 名前

6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー

7 死因また健康について

7.1 聴覚障害について

8 親族

9 弟子

10 代表作

10.1 交響曲(全9曲)

10.2 管弦楽曲

10.3 協奏曲、協奏的作品

10.4 室内楽曲

10.5 ピアノ曲

10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

10.7 宗教曲

10.8 歌曲

11 著作

12 伝記

13 脚注

14 参考文献

15 関連項目

16 外部リンク

16.1 録音ファイル

16.2 伝記

生涯

ベートーヴェン(1803年)

1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。

40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。

作風

初期

作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。

中期

1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。

中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。

これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。

後期

1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。

後世の音楽家への影響と評価

ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。

中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。

芸術観

同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。

ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。

思想

ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。

また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。

政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。

その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。

人物

身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。

基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。

当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。

潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。

性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。

ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。

パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。

テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。

交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。

聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。

死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。

これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。

メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。

彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。

パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。

コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。

名前

原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。

日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。

姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。

vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。

偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。

ベートーヴェンフリーメイソンリー

詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照

死因また健康について

慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。

ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。

1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。

聴覚障害について

難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。

耳硬化症説

伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。

又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。

先天性梅毒説

「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。

鉛中毒説

上載の死因また健康についてを参照。

メッテルニヒ政権説

ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。

有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。

デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。

完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。

親族

祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版)

フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。

祖母:マリア・ヨゼファ

父:ヨハン

母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。

弟:カスパール・アントンカール

甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。

弟:ニコラウス・ヨーハン

同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。

カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。

弟子

カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。

フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。

ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。

ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。

アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。

代表作

詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照

交響曲(全9曲)

第1番 ハ長調 op.21

第2番 ニ長調 op.36

第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]

第4番 変ロ長調 op.60

第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]

第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]

第7番 イ長調 op.92

第8番 ヘ長調 op.93

第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]

管弦楽曲

『レオノーレ』序曲第1番 op.138

『レオノーレ』序曲第3番 op.72b

序曲『コリオラン』ハ短調 op.62

交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91

『命名祝日』序曲 op.115

『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113

『献堂式』序曲 ハ長調op.124

協奏曲、協奏的作品

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61

ロマンス第1番 ト長調 op.40

ロマンス第2番 ヘ長調 op.50

三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56

合唱幻想曲 ハ短調 op.80

室内楽曲

弦楽四重奏曲(全16曲)

第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1

第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2

第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3

第10番 変ホ長調(ハープ) op.74

第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95

第12番 変ホ長調 op.127

第13番 変ロ長調 op.130

大フーガ 変ロ長調 op.133

第14番 嬰ハ短調 op.131

第15番 イ短調 op.132

第16番 ヘ長調 op.135

弦楽五重奏曲 (全3曲)

ヴァイオリンソナタ(全10曲)

第5番 ヘ長調 『春』 op.24

第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47

チェロソナタ(全5曲)

ピアノ三重奏曲(全7曲)

第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1

第7番 変ロ長調『大公』 op.97

その他の室内楽曲

ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17

六重奏曲 op.81b

七重奏曲 変ホ長調 op.20

管楽八重奏曲 op.103

ピアノ曲

ピアノソナタ(全32曲)  

第8番 ハ短調『悲愴』 op.13

第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13]

第15番 ニ長調 『田園』

第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2

第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53

第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]

第26番 変ホ長調『告別』 op.81a

第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106

第30番 ホ長調 op.109

第31番 変イ長調 op.110

第32番 ハ短調 op.111

その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)

創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34

創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35

『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78

ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79

創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80

創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76

ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120

アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57

幻想曲 op.77

ポロネーズ ハ長調 op.89

7つのバガテル op.33

11の新しいバガテル op.119

6つのバガテル op.126

バガテル『エリーゼのために』 WoO.59

本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。

オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

歌劇『フィデリオ』 op.72c

劇付随音楽『エグモント』op.84

劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113

バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43

オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85

カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112

別れの歌

皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87

宗教曲

ミサ曲 ハ長調 op.86

ミサ・ソレムニス ニ長調 [12] 

修道僧の歌

歌曲

アデライーデ op.46

汝を愛す

鶉の鳴き声

新しい愛、新しい生

口づけ

追憶

懺悔の歌

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2017-04-06

入学式直前に娘が誘拐された

別居中の妻に、小学校入学式の1週間前に6歳の娘が誘拐された。

3年前に不倫して勝手に出ていった妻。

3歳の娘を育てるため、残業も全て断り、保育園の送り迎えもお弁当の準備も全てやった。

途中で娘を返せと言われたが、裁判所の結果、監護権は夫である私に認められて、裁判の結審も秒読みだった。

離婚調停調停員や弁護士の勧めもあり、月2回の宿泊を伴う面会交流実施してきた。

そんな状況から数年が経過して、娘が6歳になり、翌週に入学式を迎えた3月26日日曜日夕方事件は起こった。

待ち合わせ場所で待機してるが、時間になっても来ない。そのとき、見たことがない携帯電話番号から着信があった。

電話相手は妻だった。

「娘は返さない。帰りたくないと言ってるので、私と住みます」それだけ言って彼女一方的電話を切った。

依頼してる弁護士事務所電話したが、休日のため連絡つかず、とりあえず警察電話した。

警察官事情説明したが、警察では何もできないと回答があった。

児童相談所にも連絡した、警察署にも内容証明告訴状も送付したが、身の危険がある訳でなく、力づくではないという理由捜査はできないと言う。

通学するはずだった小学校入学手続きに行くと、教育委員会を通じて転校生手続き済みだと言われてしまった。

弁護士相談したところ、人身保護請求の申立をしてくれる事になった。請求が認められると、相手側は子供裁判所に連れて出頭する必要があり、拒否した場合罰則逮捕されるらしい。

非常に強制力がある法律なので、棄却されることも多いらしい。弁護士が言うには、子の引渡し仮処分審判結果を以て、執行官が行う強制執行相手が抵抗して失敗した場合の最終手段で申立をするのが本来の手順である説明を受けた。

日本考えて!!

本日、娘と一緒に入学式に行く予定だったのに、直前で誘拐されて、戻ってくるかも判らないなんて。

連れ去りした側に罰則がなく、事実上の連れ去ったもん勝ちになってる現在法律を考え直してほしい。

いつか戻ってくることを信じてるけど、新品のランドセルや新しい洋服に囲まれ生活が辛い。日本真剣に考えてほしい。

※追記1

娘は6歳なので、ひとりで行き来していたのでは、面会交流は引渡しもお迎えも電車の改札手前で行ってました。

※追記2

娘の本心はわからない。しかし妻からの連絡は一方的に、「帰りたくないと言っている」のみで切電されたのみでした。

2016-03-26

id:kanoseかい気持ち悪いネットストーカー

はてぶのアフィブロガー 2016年3月26日

サテライトサイトはこれ

新卒フリーランス早稲田卒業したのでキャンピングカー生活始めます

http://www.jimpei.net/entry/waseda


誘導先はこれ

新卒フリーランス若者に思うのは「会社という組織を利用しないのはもったいない」ということ

http://www.goodbyebluethursday.com/entry/freelance

記事の書き方も同一人物が書いた感じ。

ランサーズクラウドワークスで書かせたんだろう。

この2つのブログは同一人物が管理してるよね。

いい加減こういうことするブロガー消えてくれないかなー。

2015-07-29

久米宏民間放送に捧げた祈りとは

2004年3月26日ひとつニュース番組最終回を迎えた。

ニュースステーション

日本報道番組の在り方を良くも悪くも変え、様々な毀誉褒貶を浴び、時の政権すらこの番組論調を気にかけ、時には過剰とも言える反応を示し、時には番組への圧力とも言える行動に出たことがあった。

そんな存在感を持った番組。なぜ、それほどまでにこの番組存在感を得たのか。豪華なオープニング、綺麗で都会的な美しいセット、CG模型を使ったわかりやす解説。様々な要素が絡み合って番組が成立しているのは当然のことだが、ニュースステーションニュースステーションたらしめていたのはたったひとりの男だったと思う。

久米宏ニュースステーションのメイン司会者である

通常、報道番組のメイン出演者は「キャスター」と呼ばれるが久米は自らの番組での立場を聞かれると必ずこう答えた。「私はニュース番組司会者です」。

あくまでも司会者として「番組の成立」に重きを置く姿勢を暗に示しているこの言葉こそ、久米宏の持っている特異さを表している。他の報道番組キャスターとして出演する人は新聞社放送局での記者経験を持っており「ジャーナリスト」として放送していたが、久米あくまでも「司会者」としての立場を離れず、番組をいかに盛り上げ視聴者を満足させるかに重点を置いた。この姿勢こそが視聴者からの支持につながり、番組の影響力を増大させたのだろう。

ニュースは伝わらなければ意味を成さない。どんなに価値のあるニュースも観てもらえなければどうしようもないのだ。久米宏は「ジャーナリスト」ではなく「アナウンサー」としての経験からそれを痛いほど理解していたに違いない。

久米ニュースステーション自分関係について語るとき、必ず「番組」が主語であり「ジャーナリズム」や「報道精神」といった重苦しいものについては語らなかった。

しかし同時に久米は、非常に強い反骨精神の持ち主であり、反戦思想の持ち主でもあった。こうした精神番組にも反映され、時に政権からの激烈な反応を呼び起こすことがあった。だが久米はこうした反応さえも久米番組の推進力に変え、視聴者を平日22時台のANN系列に引き付け続けることができた。

日本ニュース番組を変えた男、久米宏

彼が番組に自ら幕を引くその日。放送終了まで残り1分少々というときに語りだした民間放送への思い。「アナウンサー」でもない「ジャーナリスト」でもない、ひとりの放送マンとしての思いが凝縮された言葉がある。

戦後70年の夏に、戦後日本の大きな分岐点が訪れている今だからこそ、この言葉をもう一度「放送人」たちに思い出してもらいたい。

このー……民間放送はアレなんですよね、原則としてスポンサーがないと番組成立しないんです。そういう意味じゃ民間放送というのはかなり脆弱で、弱くて、危険ものなんですけど、僕この民間放送が大好きというかもう、愛していると言ってもいいんです。

なぜかと言うと日本民間放送原則として戦後、全て生まれました。

日本民間放送民放戦争を知りません。

国民戦争に向かってミスリードしたという過去民間放送にはありません。これからもそういうことがないことを祈っております

2015-01-28

夢に出てくる某漫画

数か月前、某漫画アニメ化済み)を古書店に売り払った。

好きな漫画だったが、某所でステマ疑惑が持ち上がっていた漫画だったためである

そういうものを部屋の中に置くこと自体我慢ならなかっただけあって、売り払った後の気分は爽快であった。

しかしその1カ月後、近所のコンビニに某漫画の新刊が置かれているのを目にし腰が抜けた。

そのころから、夢の中に件の漫画に関する事物が(時折だが)登場するようになった。

そして今日も件の漫画を読む夢を見た。

件の漫画を再び手にすることのないよう書店にはなるだけ近寄らないようにしている。

また、ブラウザにも件の漫画に関する用語が表示されないよう設定している。

にも拘らず件の漫画が夢に出てくるとは、ある種の呪いにかけられているのだろうか。

 

2015年2月6日追記)

一週間以上件の漫画が夢に出てくることはなかった。しかし今度は漫画登場人物2人と遊んでいる夢を見た。

そろそろ頭の病院に行く頃合いなのだろうか。

 

2015年2月8日追記)

今度は神奈川県内某駅近くの店で件の漫画本(古本)が売られている幻覚を見た。

正直もう手の打ちようがないような気がする。

 

2015年3月12日追記)

また夢の中に例の漫画が出てきた。フルカラーだけど作画崩壊していた。

2週間ぐらい前に紀伊国屋英語翻訳された例の漫画を見たからだろうか。

ステマ漫画なんか国恥でしかないのに。

 

2015年3月18日追記)

また夢の中に出てきた。もう嫌だ。

 

2015年3月24日追記)

例の漫画が数冊コンビニに並べられている夢を見た。

もうどうすればいいか分からない。

しかたらこ漫画関連でチキンレースしているのも大きいかもしれない。

あと近くのセブンイレブンで去年10月、例の漫画がこれ見よがしに売られていた。

その光景が頭から離れないのも、この夢を見た要因であるような気がする。

 

2015年3月26日追記)

例の漫画原作とするアニメDVDブルーレイが売られている夢を見た。

そういえばそのアニメブルーレイも、原作漫画本とともに売り払ったことを思い出した。

2014-09-15

[]統治下の国会

さて蔬菜配給制度も、價格の面から見まして再三再四に亘り、或いは強化したり、或いはこれを緩めたりいたしまして、片山内閣になつてからも、去る六月には殆んど自由に近い程緩和し、一般消費者に喜ばれたのでありましたが、七月の中旬に至りまして、又その筋の指示と称しまして、急に嚴重なる取締になつたのであります。その結果、配給品は有難迷惑だとさえ言われるような鮮度の古い不良品ばかりが時折配給され、これが補給として闇取引の助長を來しておるのであります。而も闇で買う分量の方が配給の分量の何倍かになつておりまして、取締に対する保儉料も含めて相当高い値段でお互いびくびくしながら取引をしておるということになりましては、人心に極めて面白からん影響を及ぼしておるものとして、一刻も速やかにこれが是正を図らねばならないと存ずるのであります

参 - 本会議 - 19号

昭和22年08月04日

追加豫算もたいへん遲れまして――これも大部分において、その筋等の關係において非常に遲れたのでありましたが、まことに恐縮している次第であります。なおそれと同時に提出すべきこの税法の改正法律案が、さらに數日の遲れを見たことであります。これも實は政府といたしましても非常な努力をいたした次第でございますが、その筋との關係、その筋内部の關係におきましてなお數日遲れまして、まことに恐縮に存ずる次第であります

衆 - 財政及び金融委員会 - 39号

昭和22年11月25日

御當局の仕事もはかばかしく進んでおりましたので、私ども地方民も安心しておりましたが、殘念なるかな、今年になりましても路線が敷かれないのでありますそれから御當局につきましていろいろ調査してみましたところが、殘念ながらこれはその筋の關係によりまして、今年度において仕上るということはめんどうだということがわかつた。まことにこれは殘念のこの上もないことである

衆 - 運輸及び交通委員会 - 41号

昭和22年12月04日

國会は、この水害に復旧問題民族の興亡にも関するというような大問題であるというような立場からいたしまして、この機会において、どうしても超党派的の立場をもつて、この問題を打開しなければならぬという考えから、去る一月三十一日の衆議院本会議においては、満場一致をもつて決議案を決定したのであります。この國会を背景として折衝されましたならば、その筋といえども、決してこれをさいぎるはずはないと思います

衆 - 国土計画委員会 - 3号

昭和23年03月26日

終戰直後、たとえば私の知つている限りにおいても、満州などにおける日本の相当の大事会社がその職員のサラリーを拂うことができなくなつて、満州土着の日本人から金を借用して、それによつて職員のサラリーを支拂つておつたという事実があるのでありますたまたまそれらの人々が引揚げて参りまして、支店長の借用書を持つているのであるが、拂つてくれない。そこで私は私の子供がせわになつておつたような関係上頼まれて、その会社に交渉してやつたことがある。ところがその筋から支拂うことを禁ぜられているということを理由に、なかなか拂わなかつたのであります。私は会社の金をもつて支拂うことがその筋から禁ぜられているためにできないというのならば、どういう方法をもつてなされようと、非合法なことを要求するわけには何かないが、少くとも支店長が困つたときに、事情を訴えて金を借りた、その行為に対して、何らか報ゆるところがあつてしかるべきである

衆 - 外務委員会 - 10

昭和24年05月14日

陸上においての取締りでも、往々にして行き過ぎがしばしば見受けられるのでのあります。たとえば経済警察列車内を検査する場合に、列車を停止させて、大勢の乗客に迷惑をかけて、そうして乗客の所持品を検査しておる。これは最近においては非常に運輸交通に障害を興えるものとして、いわゆる取締りの行き過ぎだということで、禁止せよというその筋から意向も出ております

衆 - 運輸委員会 - 23

昭和24年05月19日

大蔵大臣自分の考えでやつていると言われますが、都合のいい時分には自分の考えでやつていると、いつも御答弁になる。少し都合が惡くなるというとその筋が……と、こうおいでになる。

衆 - 予算委員会 - 8号

昭和25年02月04日

只今の御説明では、やはり引上げるごとについて政府も相当お考えになつておるようでありますが、やはりその筋のほうとの交渉によつて思つたようにならんというように、最後はそういうふうに考えられますが、私どもそう見て差支えありませんか。

財源の面もございますが、財源の面と只今おつしやいましたような関係方面との両方の面からいたしまして、只今の段階では通常郵便貯金を引上げるにはちよつと困難な状態にありますが、できるだけ資金の吸収も図りまして、関係方面との面も或る程度いたしまして、将来は可能なる限りその方向に動きたいと存ずる次第でございます

参 - 郵政委員会 - 6号

昭和26年03月30日

一つお尋ねしたいのは、厚生省が本当の厚生省立場において、この省令をお出しになつたものか、或いはその筋から何らかの指示があつてお出しになつたか、こういう点をお尋ねしたいと思います

今の御質問にお答えしたいと思います。この改正は終戰直後に、厚生省としても何とかしなくてはいけないという考えがありましたところへ、たまたまその筋から早くやれと、それでなお一応の原案が示されましたので、それを一応検討いたしまして、大部日がかかりましたんですが、かようなことになりまして、なおこの改正いたしたいということにつきましても大かたの折衝はいたしておりますので、早急に直すべきところは直したい、かように考えております

参 - 農林委員会 - 37号

昭和26年05月23日

最初政府はその地方行政調査委員会議の委員の顔触れにつきましても大体選定をいたしまして、そうして内定をいたしたんでありまするが、その筋からこういうレベル人間では駄目である、これは非常に大きな規模を持つた組織でなければならん、即ちこの大戰後設けられたアメリカにおける行政改革のためのフーバー委員会前大統領であつたフーバー氏を委員長としたフーバー委員会に該当するような権威のあるものでなければならないというので、すつかり政府内定いたしておりました委員の御破算がありまして、そうして今日神戸先生のごとき第一流の方々が集まられて、そうしてこの審議をやつて頂くことになつたのであります

参 - 内閣地方行政・農林・… - 1号

昭和26年05月30日

2014-03-26

小保方さん、米国脱出説も… またまた不都合新事実が判明

夕刊フジ 3月26日(水)16時56分配信

(・・・)

真相を知る小保方氏は、米国逃亡説も流れるなど雲隠れ中だ。

(・・・)

そんななか、26日発売の週刊文春が興味深い内容を報じた。同誌が3月中旬に、取材依頼のメールを小保方氏に送ったところ、数時間後に返信があり、その返信メール分析すると、発信源が北米だったという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140326-00000010-ykf-soci

これって、所属機関アドレスに来たメールGmail転送して、そのままGmailから返信してるだけじゃないだろうか。。。

2014-01-19

ヤフーメッセありがとう

3月26日サービス終了だそうで。

うわー懐かしい。

利用者の激減が理由らしいが、確かに最近めっきりログインしてなかったな。

一応PCインストールはしていたけど。

アラサー女の私、中・高・大学生次代、ヤフーメッセンジャーには随分とお世話になった。

海外友達とやり取りしたり。

チャット部屋で同年代友達と仲良くなったり。

チャット地方部屋でナンパ待ち→即会い→ラブホエッチ、とかさ。笑

チャットルームを出会いの場として使ってた人はかなりいたと思う。

普通友達から、即エッチの相手まで、いろんな相手が見つかった。

恋しくて誰かと話したい夜、メッセ経由でよくチャット部屋に行った。

20代部屋にログインしたら、いろんな人からPM(プライベートメッセージ)がくる。

そこから仲良くなった同世代暇人大学生と、明け方まで話し込んだり。

実際に会った人も結構いた。

キャリア自衛官医大生、理系院生

ごちそうさまでした。

うそう、19の頃はここであった人と半年くらい付き合ってたわw

てか、ロストバージンヤフーメッセ出会った30歳♂だった。

ほんっとにお世話になりました、メッセさん。

私の青春は、ヤフーメッセンジャーとともにあったといっても過言ではない。

ありがとうメッセ

ひっさびさにログインしてみようかね。

2013-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20130328132254

うそう。

普通に考えるとそういう意味でとらえることが多いと思うけど

陸上為末大さんのツイート

を見て「運も実力のうち」からこういうことを連想する人もいるんだなぁと思って。

同じ言葉だけど普通の捉え方と微妙ニュアンスが違うんじゃないかと思います

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