はてなキーワード: 発熱とは
人間関係でトラブルがあってここ1か月ほどストレスフルな状態が続き、信頼できる友人に相談していよいよ解決に乗り出そうとしていたところで急に体調不良になり病院で検査を受けたところとある病気が発覚。
ひとまず様子見で療養と言われて帰ったがその晩に発熱と酷い下痢を起こして苦しみ、翌朝大きな病院に行って詳細な検査を受けたら前日言われた病気に加えて別の病気も指摘される。
どちらも命に関わるとかではないし多くの人が人生の中で経験するものみたいけど、その二つが同時に襲ってくるなんて聞いてない。。。
最初に書いた人間関係のトラブル解決も先送りにせざるを得ないからストレスは続くし、二日間で検査に結構なお金がかかったうえに後日再検査を受けることになってるからさらに出費が確定しているし、踏んだり蹴ったりだ・・・悲しい。
前日、突発的な業務が立て込んでしまい、始業時間1時間以上前からの出社を命じられた。
また、客先へ報告に行くことになったので、3時間の残業も命じられた。
そのため、非常に疲れてしまい、今日は休みたいとしか思えなくなった。
起きると体も頭もだるい。
私「私です。今日、頭痛がするのでお休みしてもよろしいですか」
私「私です。今日、頭痛がするのでお休みしてもよろしいですか」
前いた部署では病気休暇の申請はチャットアプリでOK。電話で事務員が出たとしてもそのまま部署長に伝言してくれる。
長期間になるとさすがに医師の診断書が必要だが、数日なら何もいらなかった。
一方今の部署は今いる部署は病気休暇の時の手続きがめんどくさい。
チャットアプリがないので電話による事前連絡が必須だ。事務員が出た場合伝言はしてもらえない。
「休みたいんですけど」というや否や「部署長に変わりますね」と言われてしまう。気まずい。
休むのが多いと部署長から「仕事の進捗大丈夫?」とか「休みの日遊びすぎたんじゃないの」とか詰められるので面倒。
さらに1時間の取得でも診断書の提出が必須となっている。一応物的証拠があるので疑われない、という見方もできるのだが…。
さて、証拠づくりに動くか。
初めは診断書のひな型をダウンロード・編集して出そうと思ったが、保険証の利用履歴を調べられたら面倒だ。
1カ月前も同じことをしたので、そんなに頻繁に行くと医者も疑ってくるだろう。
総合病院の受付にて。
係員「では、内科の問診票を書いてください」
少しすると係員が来て「最近、インフルとコロナが再流行してるので、一旦熱を測ってもらえますか」と。
熱を測ると平熱だったものの「発熱外来で抗原検査を受けてきてもらえますか」。警戒されているようだ。
ついでに「前金として5千円をお預かりします。陽性の場合お帰りいただき後日の会計となります」とも。
発熱外来へ。再度の体温測定の後抗原検査を受ける。鼻に綿棒を突っ込んで粘膜をえぐり取るアレ。痛い。
思わずせき込んでしまう。看護師も「綿棒を抜くのでゆっくり息を吐きましょうね~」と慣れている様子。
あれ、検体採取は片方の鼻だけでいいのか。
おまけに血圧測定と血中酸素濃度測定(人差し指をはさむやつ)もした。
ウィルスを調べるなら抗原検査よりもPCR検査の方がいいんじゃなかったっけ?
一応これから発熱する可能性があるのでそうなったら再度受診せよとのこと。あるわけないって。
戻るや否や、「頭痛ですと内科ではなく脳神経外科の管轄になると思われるので聞いてみますね」
え?脳神経外科ってくも膜下出血とか脳梗塞とかそういうのじゃないの。
一体どうなってるんだ、と思いながらも脳神経外科へ。
私「しばしば頭痛になるので、そろそろ診察を受けた方がいいと思い来ました」
脳神経外科医「この時期頭痛の人が多いんですよ。一応MRIを撮ってみますね」
係員「では、検査室へお越しください」
検査室にて。
だから違うって…。まぁ自覚症状のない脳腫瘍とかもあるしいいか…と思いながら待機。
MRIは強力な磁石を使うため金属類は全部NGだが、金属がないはずの衣類も脱がなければいけないらしい。こうして私は人様の前でパン一に。
そんなにかかったっけ。確か前やった時は1分強で終わったような。
(後で調べたら、15分は最短時間であり、状況によっては90分かかることもあるとか)
やたらとピーピーガーガーうるさい機械だった。狭くて薄暗い空間が落ち着いたけど(閉じ込められるのは勘弁してほしいが)。
検査を終え診察室に戻る。当たり前だが、何の異常もない。
私「(は?)」
脳神経外科医「気圧によるものと思われるので市販の頭痛薬で様子をみてください」
受診終了。抗原検査に加えMRIという大げさなことをしたので2時間・料金は〆て9千円。
診療明細書には内科の文字はなく、代わりに「脳神経外科」というとんでもないものが載ってしまった。
事実は小説より奇なりとはいうが、もし部署長とかに聞かれたら受診の経緯を正直に話そう。事実だから。
結論。ずる休みしたいとき、証拠づくりをするなら精密検査に対応していない個人医院を選ぼう。やる気のない医者ならなおよい。
罪悪感は全くない。休みたくなったらまた休もう。有給休暇を減らさずに合法的に休めるなんて最高だぜ。
午後はやることがないので、カラオケでも行ってデレマス・シャニマスの曲でも歌ってくるか。アイカツもきらりん☆レボリューションもいいかも。
私たち夫婦は3歳の子どもがおり、これまで育児と家事を公平に分担してきました。具体的には、平日は私が朝の保育園送りを担当し、夕食の準備と掃除を担当。妻は保育園のお迎えと入浴の担当でした。休日は交代で子どもと過ごし、もう一方が家事をこなすようにしていました。
先週、妻が体調を崩し(発熱と倦怠感)、実家に子どもを連れて帰省しました。妻の休養が必要なことは理解していますが、問題は帰省後の対応です。以前同じように帰省した際は、私が日中訪問して子どもと遊ぶ時間を確保できていました。
しかし今回、妻から「体調が悪いため1週間は一切の連絡に応じられない。土日も対応できないため、子どもとの面会も不可」と一方的に告げられました。育児の分担者として、また父親として、突然子どもと会えなくなることに大きな不安を感じています。
義母に相談しましたが、「妻の判断を尊重するべき」との回答で、建設的な話し合いができませんでした。毎日の育児に関わってきた父親の権利や気持ちが完全に無視されている状況です。
このような一方的な子どもとの面会制限は、共同養育者としての私の立場を損なうものだと考えています。妻の体調不良への配慮は必要ですが、それと子どもとの面会は別の問題として話し合える余地があるはずです。
皆様のご意見をお聞かせください。特に以下の点について伺えれば幸いです:
自分の年収は750万くらい、妻は収入源が複数あって詳細は本人も把握できてない気がするが、児童手当が所得制限(特例給付)に引っ掛かる程度。
自分一人の年収ではあり得ない家と生活だと思っているので、当然感謝はしているし尊敬もしている。ただ正直これに関してはお互い様というか、妻が高収入故に発生している苦労もある(家事育児の負担など)し、何よりも週4在宅で日々の育児や子どもの急な発熱等に対応しつつそこそこ稼いでいる自分の努力も現在の生活に寄与していると考えている。
特別な理由がない限り、週に1回は必ずすることに決めている。毎回導入のためのムードを作ったりしていた時期もあったが止めた。理由は盛り上がったときにしかセックスしないのではセックスまでのハードルが高くなりすぎるからだ。セックスは夫婦の重要なコミュニケーション『手段』であって、目的ではない。普段子どもたちを含めた家族としてのコミュニケーションが中心になりがちな子持ち夫婦が、男女として向き合ってコミュニケーションを取るための貴重な機会がセックスであり、ハードルをあげてセックスを目的化するのはよくないと感じた。
ではセックスを通じて不満が解消するか否かについて言うと、当然解消する部分も多くあるだろう。一時的に夫婦のどちらかに対して定常範囲を超えた負荷が掛かり不満が溜まった状態であったとしても、それは単純な相手に負荷をかけた加害者と負荷をかけられた被害者としての関係性ではなく、相手も事情があった中での結果でしかない。理屈の上で納得しても感情の面で処理が追いつかない場合に、セックスという手段で自分が相手にとって大切な存在であると確認できることは感情の落とし所として十分だと思う。
よって元増田の気にしている、夫にとっての自分の価値が性的魅力に依存する部分が大きいというのは杞憂であって、実際にはコミュニケーションによって不満が昇華されると言うだけなのではないかと思う。
スポイトでエネルギーを自律的に吸い取るようなイメージでお願いします。
大きなスポイトを使えば沢山吸い取れる
例えばね、扇風機は強弱のボタンがある、強にすればより沢山電力を消費する。
これは想像できると思う。
「過電流」を上流から既定値以上のエネルギーを無理やり押し込めれるようなイメージの人がいる。
ちゃう、シンク側(消費側)がもっと沢山もっと沢山と吸い取ろうとするから「過電流」が起きる
これの目的は発電所、電柱から変な電気が流れてきたときに家の中の電化製品を守るため、にあるのではない。
家の中の電化製品がぶっ壊れて「もっと頂戴、もっと頂戴」が過剰になると
まずそんな沢山の電流はケーブルが保たない、発熱して火事になる、
だから下側の故障の影響を上に波及させないために強制的に切断するためのものです。
今日は是非ともこれだけは覚えて帰ってくれ
https://anond.hatelabo.jp/20240830213900
これに触発されて書いてみる。
嫁:かなり激務。平日子供が起きてる時間に帰宅することはほぼない
嫁は週末も緊急トラブル対応に追われたりしているし、それ以外の外出(通院、美容系、最低限の友達との外出等)で週6ワンオペが常態化。
正直、「増田がフルリモートワークなので、多くの共働き家庭に比べたら、育児は楽勝だろ」と思ってました。
間違ってました。
楽勝なんてことは全くないです。
子供が歩くようになるまで、10kg弱の赤ちゃんをひたすら抱っこで移動。
特に上の子は歩くのが遅かったので、1歳4か月で歩き始めたくらいだったと思うので重かった。
筋トレが趣味の増田でも、10kgを常に抱えることは大変だった。
土日だけ、高い高いして遊んであげることと、育児のすべてを担う大変さはまるで違う。
慢性的にズーンとした疲れがくる。
たまに、「グキッ」と肩や腰をやってしまうわけだが、それでも抱っこから解放されるわけではない。
歩くようになると多少楽になる。
「おいで」と言ったら移動してくれるし。
とはいえ、抱っこは続く。
ただし、重い子どもをずっと膝にのせてると、腰が徐々に破壊されていく。
男性なんて、妊娠出産の身体的負担はゼロなわけど、それでも育児のダメージはデカい。
育休ゼロ、実家の助けゼロで出産後から育児してる母親はバグってる(誉め言葉)。
子供と過ごしていると、ずっとあくせく家事育児をしていても「あれ、今の1時間何してたっけ?」と、何も進んでいないときが多々ある。
実際には、
・読んであげるが、2,3ページで飽きたので、その絵本を片づける
・また飽きたので片づける
以下、無限ループ。
これを一時間みたいな。
その間、自分的には「一生懸命、育児と片付けをした」つもりなのだが、実際は何も進んでいない。
うちは、元々夫婦の寝室が分かれていた。
今は、子供と寝るのは交代制。
子供と寝ると、まったく安眠出来ない。
うちは夜泣きが酷いわけではないと思うが、寝言で「うにゃー」みたいなことを大きな声で言ったり。
「子供の声って、親は目が覚めるようにDNAにインプットされてるのか」ってくらいすぐ目が覚める。
そして、寝相が良くない。
不意に顔や腹にかかと落としがくる。
仕事の疲れがたまり、慢性的な身体の不調を抱えながら、夜中起こされる生活はきつい。
大体、何かしなければいけないことがある。
・子供が発育が順調なのかをググって確認したり、育児本を見たりする時間
・良い季節なので、子供をおでかけに連れて行ってあげたい
・季節が変わったので、子供の服・靴を買いに行かなければならない
・子供が大きくなったので、新しい家具(たとえば子供椅子)が必要になった
等が、それぞれ概ね3か月おきに発生する。
当然、自分たちの服の買い物、美容室、家電が壊れたから新調などのやることもある。
そうすると、どちらかがワンオペになり、平日以上の負担になる。
フルリモートワークの増田からすると、基本的に土日の方がよほど大変。
大変。
食事も朝食や昼食なんて、大人だけなら10分で終わるかもしれない。
それを付きっ切りになったりする。
それと、「大人のいる生活にとって片付いてる部屋」と「子供がいるうえで片付いてる部屋」は違う。
腰より低い高さの扉のない収納が無力化する。
同様に、「大人だったら触らない」部屋の隅や角の汚れも綺麗にする必要性が出てくる。
例えば、大人だけの生活ならテレビ台なんて年に一度程度拭けば十分かもしれないが、そういう訳にもいかなくなる。
部屋がすごく狭くなる。
常に散らかる。
もうね。やばいね。
こども体調壊しすぎ。
その深刻さを理解しておらず、まったく除菌等をしなかったら、家族全員うつった。
結局一晩吐き続けた。
確か、その翌日、嫁も発症して履いてた。
それほどのパンデミックは他にはないが、定期的に熱を出す。
2,3か月に一度は38.5℃以上出して、夜間病院や土日の緊急病院に行ってるように思う。
緊急病院ばかり行ってるが、保育園でもらう病気って大体週末に発症する気がするわ。
うちの場合、こういう緊急事態では義実家が助けてくれて、預かりに迎えに来てくれる。神。
助けてもらえなかったら、マジで詰む。
助けてもらえない場合、体調不良の上に、寝れない、休めない、肩腰痛いってなるんだろうな。
子供用のベッドに無理やり寝転がる以外は、ひたすらパイプ椅子。
うちは簡易ベッドも無かった。
参考用:https://www.asahi.com/articles/ASR6Z5TCXR6VULLI00B.html
でも、子供が号泣して、他のイライラがたまると、爆発が多発する。
そして、子供が寝た後は、夜中静かに過ごすため、夫婦の会話も控えめになる。
すれ違ってるような感覚がすごく増す。
一応、増田も子供が生まれる前は、午前様も続くような仕事環境だったので、キツイ仕事経験もあるつもり。
育児はメンタル面で追い込まれることはないのが、仕事との大きな違いだけど、休めない点は同じだった。
仕事以上に、「なんだこれ?」みたいな徒労感は大きいときもある。
あとyoutube等で丁寧な暮らしをしてる子持ちママさんヤバいよ。
あんなの無理だよ。
すごすぎ。
正直、上の子が生まれる前までは「専業主婦で産後鬱?え?育児なんて誰だって出来ることでしょ?」と真剣に思ってた。
ただ、実際に体験してみると、「あ~そりゃ、産後鬱になる人もいるわ」って実感した。
「産後の恨みは一生」はマジだと思う。
最後に、これだけ悪いところを並べても、「だっこーーーー」と、自分の胸元に走ってくる姿で、子供の悪いところ全てが消し飛ぶことだけは付記しておく。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/419548cf821381487a39a980b347fc15b11dfa44
運びとなり、恥ずかしい話で
御蔭でございます。恐縮至極に
は頂けないでしょうか。私には
かもしれませんがー・・・。
志を合わせて一歩一歩平和に
突き進み、日々務めることを
心に戒めます
不安だ
鬱病だ
外が怖くて玄関のチェーンをかけようとして、今夜俺が死んだら発見する人が大変になると思ってやめた
30歳、年収400万、貯金200万、恋人も家庭も家も車も何もない
恋人がいた時期もあった、同棲とかしてみた時期もあった、俺の生活に他人が混ざり込むのは苦しくて無理だという結論になった
インターネットに友人はいる、本名は知らないけどどの辺に住んでるかは知ってるくらいの
暗闇の中の一本道を歩いてて、どんどんどんどん道幅が狭くなっていって、これじゃまずいと思いつつもどうしたらいいかわからない、「こうしたらいいよ」を理由付けて跳ね除けてる、ずっとそんな感じだ
早く踏み外して落ちてぐちゃぐちゃになりたいのにそれが怖くて仕方ない
今30で、35、40になったら今以上にどうしようもなくなってるんだろ
「ヤーリッシュ・ヘルクスハイマー反応、ヘルクスハイマー反応(Jarisch-Herxheimer reaction, JHR)とは、梅毒やレプトスピラ症、回帰熱などの治療などのためにペニシリンなどの抗菌薬を投与した結果、梅毒などの起因菌が体内で大量に死ぬことによって、患者に発熱などが起こることである。名称は、アドルフ・ヤーリッシュ (Adolf Jarisch senior, 1850-1902) と カール・ヘルクスハイマー (Karl Herxheimer, 1861-1944) にちなむ。
症状
ヤーリッシュ・ヘルクスハイマー反応の症状としては、次のようなものが知られている。
全身の倦怠感
頻脈
体温の上昇
呼吸切迫
血圧の低下
通常は投与後1-4時間前後から始まり、24時間で軽快する。病原の細菌が大量に死滅・破壊されて、細菌内部の毒素が血液に混入することが原因と見られている。この機序から明らかなように、他の感染症の治療の目的で抗菌薬を投与した時にも起こりうる反応である。例えば、梅毒患者に対してヘリコバクター・ピロリの除菌を行った場合などが挙げられる[1][注釈 1]。
」
タイトル通りの内容でそれ以下でも以上でもない。彼氏が私に隠れて風俗へ行き、そこで梅毒をもらってきて、それが私にも移ったという話である。フェイクも入れながら語っていく。
駄文ですがお付き合い頂けたら幸いです。
私22歳 大学生
付き合って約10ヶ月。
事の発端は先々月初め
「なんか最近下にできもの?みたいなのがあって痛いんだよね。」という彼氏の発言である。
それは心配だと思い2人で色々調べ、ヘルペスじゃないか?という結論に至った。
そして病院にも行ってもらった結果、確かにヘルペスだと診断された。(とんでもない誤診だったわけだが)
性器ヘルペスは感染していても60パーセントの人が無症状のため気が付かないそうだ。ウイルスの量が少なかったり違う型のウイルスを持っていて免疫があることが原因らしい。
また、まれに銭湯やサウナでも感染することがあるという。ということは、私が過去の恋愛で、ウイルスに感染してしまい、無症状のまま彼に移し、彼が発症してしまったということもありうるし、彼はサウナや銭湯によく行く人なのでそこで貰った可能性もある。はたまた彼は元恋人に移されてしまい、期間が空いて発症したのかもしれない。そう考えて特に何か疑うということはしていなかった。そして病院でもらった薬を飲み、塗り薬を塗り、一生付き合っていくことになる可能性のある病気だということも把握した上で、今回のことは残念だったね。治療に専念しよう。〇〇ちゃんも念の為病院へ行ってほしい。避妊も(きちんとしているが)しっかりしようという結論で終わった。そして彼のできものも徐々に治っていった。
先月の4週目、事件は起こった。
ご存知でない方のために説明すると、薔薇疹とは梅毒にかかって1ヶ月〜3ヶ月経つと出る淡い赤色の発疹だ。これが彼の腕にとんでもない量出た。
彼はすぐ病院(性器ヘルペスだと診断したのとは別の)へ行った。LINEで「梅毒だろうと診断された。検査結果が明明後日でる。おそらく陽性だと思う。本当にごめんなさい。7月に会社の人に連れられて夜のお店に一度だけ行った。」と私に連絡してきた。
私は一限を受けており、あと30分、早く終わらないかなーなどと思っていた時にこのLINEである。目も頭も覚めた。
え、風俗??梅毒??痛いって言ってたよね??ヘルペスの時調べたけど梅毒の潰瘍って痛くないんじゃなかったっけ?てかヘルペスって診断ミスされてんじゃん??てことは私もなってるかもしれないよね?え、風俗????????会社の人に連れられて?????それが本当なら誘ったの誰だよキモイなおい??え、あたし梅毒なの?????えーーーー風俗??どうしようどうしよう
という具合の感情だった。
なんてことない顔して一限から3コマ授業を受けた自分を褒めたたえたい。
とりあえずそのLINEには
「なるほどね。分かった。私も検査行くよ。」
と返した。我ながらなぜこんなに冷静なのか分からなかった。
こういう時どうなるのが普通なのか分からないかった。もっと相手に怒ってもっと悲しんで、大泣きして怒鳴り散らして絶望するのが普通の人の反応な気がしたが、何故かそうできなかった。
直ぐにかかり付けの婦人科を予約し、次の日に検査をすることにした。
そこからはもう梅毒について調べ倒した。感染力が強い。完治はする。しかし、抗体が残るため、この先子どもが欲しいと思ってブライダルチェックなどを受けたら必ず、感染歴があることがパートナーにバレる。要は体に履歴が残るのだ。絶望。そしてなんと梅毒にかかっているとhiv感染の可能性も跳ね上がるそうだ。最悪だ。
もし運悪く彼がHIVにも感染していたら?避妊で防げるようだけど、私にも移ってるかもしれない、何歳まで生きられるのかな。毎月薬代5万円?そんなの無理だ、払っていけない。私まだ21なんだけど?なんでこんな思いしなきゃいけないわけ?身体障害者手帳の交付が受けられるんだ、、そんな重大な病気なんだ、怖い。こんなこと家族にも相談できない。どうしようどうしようどうしよう。
エイズだったら死のう。
この結論に至った。私のAmazonの検索履歴は練炭やらロープやらで埋まった。
彼にもHIVの検査を受けるように促した。行政がやっている無料のHIV即日検査の日程が運良く近かったのでそちらに行ってもらうことにした。
そして私は検査を受けに行った。
いやでもそういう行為の際は避妊はしているしワンチャン?移ってない可能性?ありませんかね?などと思っていたが、婦人科での血液検査の結果、梅毒が陽性、HIVは陰性であった。
というのが一連の流れである。
現在は投薬を開始している。初めて梅毒治療のための抗生物質を飲んだ時、副作用で発熱してとてもしんどかった。
ここからは一連のことを経験した上での私の感情と皆様へのお願いです。
男同士で風俗行くノリってなんなんですか?
全然理解できないです。1人で行ったらいいじゃないですか。なぜ誰かを誘う必要があるんですか?私みたいになるリスク考えてないですよね?誰かを誘うってことはそういうことですよ。正直彼氏を誘った上司にも謝りに来て欲しいくらいです。ほんとに誘われて行ったのか自分から行ったのか知りませんが。
そして彼氏、彼女がいるのになぜ風俗に行くんですか?私では不満足でしたか?それともたまには違う女の子を経験してみたくなりましたか?サイトなのか店での写真なのか知りませんが、連れられて行ったとか言って結局は自分の性欲を解消させる相手を、この子がいいかなーとかって選んだんですよね?想像するだけで吐き気がします。どんな女の子を選んだんですか?私より可愛くて胸が大きくて細い子でしたか?ただでさえない自信が、なんならコンプレックスを抱えている見た目への執着がより強くなって毎日とても辛いです。そしてあなたの軽率な行動で一生消えない傷を負いました。あなたと別れたとしても次の恋愛に進むことも私はできないし、進むにはこのことをいつかは話さなきゃいけませんよね。果たして梅毒感染歴のある女と付き合いたい、結婚したいなんて男性はいるでしょうか?私には結婚願望もありますし、子どももいたら楽しいかもしれないと思っていました。でも今回の件でそういった理想を抱くことさえ難しくなりました。責任取れないですよね?どうしてくれるんですか?
大抵の方はしてるとは思います。思うんですが、どうかどうか検査を忘れないでください。そして何かに引っかかった場合は必ずお休みを取ってください。
そして風俗利用者の方、あなた達こそ必ず性病検査に行きなさい。そんなに頻繁に行くわけじゃないから、まさか自分が、そう思ってどうせ行ってないですよね?行ってください。性病は無症状のものもあります。知らない間に撒き散らしてる可能性だってあります。(決めつけて申し訳ないですが男の人ってなかなか病院行かないですよね。なんなんでしょうあれ。)
私のように普通に生きてる人間が突然理不尽に心も体も傷つくことになります。
そして医者、梅毒と性器ヘルペスは似ているようですね。だとしても誤診は勘弁してください。視診だけでなくきちんと検査をして診断をしてください。どうかお願いします。
かなり長くなってしまいました。
お付き合いしてくださった方、ありがとうございました。それでは。
時々メッシュインナーがバズるけれど過度な期待はしてはいけない。
あの機能性インナーが真骨頂を発揮するのはいくつかの条件がある。
などである。
しかし、よく勘違いされたり、使用者が喧伝してる場合さえあるががメッシュインナーを着ても汗の不快さはなくならない。
メッシュインナーを着ているからといって汗を大量にかいてもサラッとしてるなどということはありえない。
わかりやすくいえば何も着ていないハダカの状態で大量に汗をかいた場合に感覚的には近い。
さらに夏場はメッシュインナーとその上に着るアンダーウェアの間に空気の層が出来るので風が吹かないとかなりつらいものがある。
ゆえに工事現場などで着用されているファン付きのベストなどとは相性がいいとも言える。
ファンにより絶えず風が送られている状態などはメッシュインナーの効果を発揮しやすい状況にある。
あと比較的に風が常に当たっている状況である自転車でのアクティビティ時などでも威力を発揮しやすい。
それ以外の状況では夏場の大量の発汗時に快適に感じる要素は少ない。
基本的には冒頭にかいたように登山時に汗冷えしないためのアイテムである。
あまり運動をしない人にはピンとこないかもしれないが冬場に、登山・自転車・ランニングなどで大量に発汗した後の汗冷えはかなりつらい。
いま「後」と書いたがアクティビティを実行している段階ではそれほど問題はないのだ。
山を登っている、自転車で峠を登っている、その状態では身体が発熱していて問題は大きくならない。
しかし例えば自転車での峠の下り、べっちょりと濡れたアンダーウェアが直接皮膚にあたっている状態で峠下りの風をモロに受けると体温が急降下する。
それまで火照りきっていた身体が急速に冷まされいっきに冷え切る。
そのような状態を避けるための、直接濡れきったアンダーウェアと触れない層を作るためのメッシュインナーなのである。
以上、ちょっと的確に説明できていない部分も多々あるがメッシュインナーに対してザックリとしたイメージを持ってもらうための文章を書くとこうなる。
増田は38才の女エンジニアである。プログラマではない。基盤エンジニアとかいうやつだ。
プログラムを書いたりする大学を卒業し,新卒から15年ぐらい転職もせずで働いている。
かつては、一つのプロダクトを終電まで調べたりして、ふむふむなるほどして顧客説明したり、動作させてみたりして
まあそれなりに充実して働いていた。
タイミングがいいのか悪いのか、コロナが流行っていたため、リモートワークで復帰した。
幸いにも、配置換えなどなくエンジニアとして復帰させてもらえた。
やりたいこと,調べたいことは山ほどあるのに、時間がないのである。
夜の打ち合わせには参加できない。
じゃあ寝かしつけてからやればいいと思うが,子供は寝ない、、、。
子供が悪いとか産まなければよかった,とかそう言うのではない。
子供は可愛いし、生まれたことで知ることができたこともたくさんある。
だからそれを後悔しているわけではない。
単純に、みんなどうやってるの?と言うのが知りたいのだ。
雑誌に載る『IT会社で輝く女性』みたいなのは、おおむね営業職ばかりの印象を受ける。(偏見だったら申し訳ない)
しかもこの歳になると、責任のある立場になること、役職を持てと要求され始める。
どうしろっちゅーねん。
と言う愚痴。
「毒親」という言葉が流行っているようだ。これは、明確な定義はないもののおおむね「子供にとって毒になる親」のことを指すようだ。
自分で自分のことを毒親ですと名乗る人間はいないだろうから、子供が自分の親を指して毒親と呼ぶのだろうが、またいつもの他責思考だろう。 都会に生まれていたら大学に行けていたとかも同様だ。(ちなみにMARCHは大学ではないから)
これでは毒親という言葉があまりに無意味だから新しい定義を与えたい。 すなわち、「子供にmRNAコロナワクチン(毒チン)を打った親は毒親」である。
では、どのような人間が毒親になりうるだろうか。 おれは、ワクチンを打つ人間の心理についてこれまで分析してきたが、 自分ではワクチンを打たないのに子供に打ってたら狂人なのでこれは除外すると、自分が打ってることは条件になりそうだ。
その上で、どのような人間であれば子供にワクチンを打つだろうかと考えると、おれは、境界知能人間であれば子供にワクチンを打つと思う。 これは、子供にワクチンを打った人間が境界知能だと言ってるわけではないから、馬鹿のみなさんはいちいち発狂しないように。
なぜ、境界知能人間は子供にワクチンを打つといえるのか。境界知能について扱った記事によると境界知能人間には以下のような特徴がある。
https://dot.asahi.com/articles/-/190840
マルチタスクが苦手
分からないことを分かったふりする
深く考えることが苦痛
エルキュール・ポワロになったつもりで、このような特徴を持つ境界知能人間Aを思い浮かべよう。Aはあくまでも想像上の人物である。ポワロは推理にこのような手法を用いる。
Aは2020年、mRNAという新技術が応用されたワクチンが開発されることを知った。彼には、ワクチンが体内で留まるために利用されているLNPの問題は想像も出来なかったし、そのワクチンによって抗体を作ることが免疫にとってどういう悪影響を与えるかも理解出来なかった。彼はそれ以上考えることをやめ、コロナワクチンについての嘘の宣伝文句である「打ったあと抗体を作ったら体内からは消える」「打ったら集団免疫が得られる」を信じて、SNSなどで絶賛した。
Aは幼少期より、知能が低いが故に劣等感を持っており、また、自己肯定感は低かった。Aは決して自己主張をせず、親や先生に従順に従った。コロナワクチンについて、国の方針に対して反抗するハンワクと呼ばれる連中の存在は彼にとって許しがたいものであり、この点からも彼にはコロナワクチンを打つ以外の選択肢がなかった。
Aは2021年夏に1回目の接種を受けた。この時、強い副作用が出て発熱したが、「こんなに強い副作用があるならば効果があるに違いない。この様子だと2回目はもっと強い副作用が出るかと不安だが、これで集団免疫が得られるならば我慢しよう」と思い、疑うことはしなかった。
しかしご存知のとおり、集団免疫は得られなかった。Aはその後、国に騙されるがまま3回目も接種したが、ここで完全にファされた。体調は悪くなり、頭は冴えなくなり、仕事にも差し支えるようになった。
小児へのワクチン接種開始された時、多くのまともな親は疑い目を持った。しかしAは、免ファと脳ファを受けた上、仕事にも忙殺されていた。その中で、子供にワクチンすることの是非を考えることはAにとっては難しいことであり、また苦痛なことでもあった。そこで、その苦痛から逃れるために、Aは自身の子供にワクチンを打った。
以上より、別のXやYが境界知能であったとした場合でも、やはり子供にワクチンを打つことがわかった。
ここまで考えて、彼らを毒親と呼ぶのは少し勿体ないことに気づく。なぜならば、毒親という言葉は、子供に毒を打ったことしか含まないからだ。
むしろ「聖親」と呼ぶ方がふさわしい。聖というのは、植松大聖の聖である。 植松大聖は2016年に知的障害者を抹殺した。ここには、知的障害者は生きるに値しないという思想があった。
植松大聖が知的障害者を生きる価値なしとしたのは、彼らが社会の役に立たないためであるが、この範囲はあの事件から8年経ってより広がったように思う。 技術の進歩によって頭の悪い人間がもともと担当していた仕事は大幅に減った。 その結果、境界知能人間は現代においては、社会に役に立たず、大聖の理論によると屠殺すべき対象になった。
そして、境界知能の親は境界知能の子供に毒チンを打ったのだから、これは大聖の意志を継いでいることになる。これが、おれが彼らを聖親と呼ぼうとする理由である。
飲食店のホールで平日の日中に働いているんですけど、この時間帯って人員そんなに雇っても仕方ないですから大体同じ人数人で回してるんですよね
んで、よくご一緒する方が2人いらっしゃるんですけど、お二人ともまだ小さなお子さんを育てながら働いていらっしゃるママさんなんですよ
こういう属性の方々によく起こるのが、お子さんの急な発熱で出勤できなくなるというトラブル。
ママさんもお子さんも本当に大変だろうな……といつも心配に思いますし、そうでなければ普段は私の方がご心配とかご迷惑とかお掛けしてる立場ですから、あまり深く考えることなくどうぞご自愛ください!と思ってます
ただなあ……現状一番の不安は、両方のおうちのお子さん方が同時に熱を出して、ママさん方がお二人とも来られなくなる日が出ないとも限らないところですよね
いや、これで責められるべき人は誰もいませんからね!病気になってしまうのは仕方がないですし、それが小さなお子さんであれば尚更
問題は、私自身が昔からそういう「レア不運」を何故か拾ってしまいがちな体質だということであって……寒くなってきて免疫も落ちますし、体調不良に悩まされやすい季節が始まりつつありますけど、次の春までにそういう事態に巻き込まれないよう祈るしかない…
子育てしながら働くすべてのママさん本当にお疲れ様です!私は子供どころが初婚も遠いですけど、皆さんのこと応援してますからね〜!
それと職場へ
「予定があるから出勤できない」と事前にちゃんと伝えて希望休を出していた私へ真っ先に朝イチの代打を頼みに来るのやめてください
推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。
2000~2001年の話です。そのとき生まれた娘は健康に育ち独立して離れた場所で生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手と再婚しました。
前情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。
当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分を説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉も右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない。体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。
この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。
とにかく妊娠をきっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職。
田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担で病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。
というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしかも赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。
「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ちは微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリの人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者に気遣いの言葉をかけるようにしている。
ホルモンバランスが不安定で誰にも会いたくない状態で病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。
こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。
8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。
その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミはゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミは自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンをキレイにしてから朝ご飯を作った。
夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKのボーナスタイムという知識はあったらしい。
それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものをトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。
そして臨月。お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠期間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。
そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院に入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)
朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。
夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明で子どもの心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生や助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。
原因不明の心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。
いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較的若い人は穏やかに、経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。
入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。
退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社に申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院の荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?
退院日なんて入院する前から決まってた。しかも出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置は医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」
全然わからない。苗字も体調も体型も仕事も生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものをほとんど失わず、健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間でゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。
結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。
帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元で結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひときわ寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームもドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしまう新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊をウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。
さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーにアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんからの指導の甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。
夫は沐浴とか『これは父親の役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。
ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場で子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。
夫には結婚前から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務の地獄に落ちていた。闇金だ。
それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれて半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。
この時、社会問題化していたものの、今のように銀行は個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK。債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。
正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲーム。こちらから話しかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラーと電子音ならしてネットに繋いでいた時代。世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的に社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。
それと専業主婦の立場に居心地悪さも感じていた。自分のお金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつや趣味の雑誌を買うのも躊躇していたのだ。
自分の稼いだお金で子供の服を買ったときにちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要なものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。
あと外に働きに出て、ある程度自分の裁量で物事を決め、今後の見通しが立てやすい作業は子育てに比べてとてもやりやすかった。
そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦で食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。
こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。
遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバンに商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリがこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。
その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。
家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系に登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。
そこからは自分の実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分だけがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電や生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代の貯金から出していたので異論はでなかった。しかしプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。
若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。
いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。
夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さらに離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観で判断すると、子どものために養育費は請求するべきだったかもしれない。
長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。
でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対許さないと思っている。