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はてなキーワード: 旅行雑誌とは

2024-01-31

うちの旅行は、事前に自分プランニングする。

旅行雑誌やムック版みたいなものを見て、ご当地王道観光地やお店をチェックし、日程的に無理のない周り方を考え、ホテルコストに少し幅を持たせつつ選び、家族プレゼンする。

好評な場所や店やホテルを回れるようにプランを変更し、仮FIXプランとしてもう一度家族確認を取り、認識が合ったら店やホテルの予約をする。

予約が取れないと悲しいので、旅行の2ヶ月前くらいにはプラン検討する。

仕事と一緒で、先に情報共有や根回しを行い、認識を合わせておくことが大事だ。

価値観を一致させるというのは、コミュニケーション情報のすり合わせを緊密に行うということだから

2023-05-01

どうも旅行の才能がないらしい

行きたい場所を決める理由が大体「あれを見たい」「あれを食べたい」。

例えば「沖縄にいってソーキそば食べたい」という目的をたてる。いわばこれがメインクエストだ。

だがせっかく沖縄行くってのにサブクエストが全く思い浮かばない。

旅行雑誌を見る。美ら海水族館とか、5月でも遊べる海レジャーとかを見て、値段みて「まぁ…」って感じで終わり。

まぁよく考えたら沖縄そば食いたいだけなんだから近場の沖縄居酒屋にでもいけばいいよねってなって、さっき友人に電話かけて「飲もうぜ」って誘って今から行ってくる。

沖縄旅行はまぁいいかな…

2023-04-07

anond:20230406171736

POPEYEとか BRUTUS(好きじゃないらしいけど)は実質中世的だし派生雑誌casa BRUTUSとかELLE gourmetとかELLE decorとかも別に性別限定した雑誌じゃないと思う

旅行雑誌TRANSITとかCrea traveler とかもあるよ

コンビニで売ってないような雑誌に行けばいいよ

2022-10-24

お母ちゃんと妹と旅行に行ってきた。

先日、お母ちゃんと妹との女3人で2泊3日の北海道旅行に行ってきた。

 

実は日本コロナ感染者が出るすこし前の実家帰省時に(2019年の秋冬)、

来年6月北海道にいこう」という話をしていたのだけど、コロナでまあいろいろ流れていったので、数年来の実現だ。

ちょうど母が仕事をもう辞めてもいいかなという時期になって、たまたた妹もそれまで働いていた職場退職をしたので、

「今行かなきゃ全員の休みは合わせづらいだろう」と提案したのがきっかけだった。

 

妹と話し合って、基本的には母親へのプレゼントとして姉妹2人で払おうと内密に話していたのだけれど、

父が小遣いを一人1万円ずつ、計3万円を母に渡してくれたので食費がそこでまかなえ、

結果的には私たちの大きな負担飛行機代と宿泊費だけで済んだ。お父ちゃんありがとう

旅行支援の直前のことだったのでとても助かった。

※父だけ置いていったのではなく、父は家族や親戚が集うイベントには私が生まれときから基本いない。

 

当初、母は7泊ぐらいして道内の行きたいところ全部まわりたいと話していたのだけれど、

それは私の仕事の都合とか諸々含めてなかなか難しいので

「いやもう1回で全部行ききるのは諦めて、2、3回にわけていくぐらいにしなきゃ!」という説得からスタートした。

札幌美瑛網走十勝小樽と後なんか他にもいきたそうだったけど、そもそも旬の季節は美瑛特に限られてるし、大体私以外誰も運転できないから無謀だろよと。

結果的に、千歳空港からスタートして、札幌小樽をめぐる2泊3日の旅に。

 

2日目の小樽が雨風で見たい物がイイ感じに全て見られたわけではなかったけれど、母が行きたがっていたところは概ね全部行けた。

北海道大学、サッポロビール夜景小樽の街並、ニッカウヰスキー。妹が食べたがっていたジンギスカン、乳のなにか、新鮮な魚貝……。

あと何故かどこに行っても1日1回は道行く地元の人から旅行ですか?」と話しかけられたのも面白かった。関西弁がうるさかったのかしら……。

札幌展望にのぼる方法がてんでわからなくて行き方を尋ねた場所で、なぜかそこを利用していないのにご親切に割引券をいただけたことも有り難かった。

 

旅が終わったあとも母親から「楽しかった」「また行きたい」「私たちがいったあの店が旅行雑誌にもでている」と連日感想が送られてくる。

楽しんでくれたようで何よりだし、私も楽しかった。下手くそでまったく映えない、でも思い出深い写真がたくさん撮れた。

ポニーと一緒のところを撮ってもらったのに撮影である妹の影がポニーの顔ぜんぶ隠してるとか、食べかけのホッケとか。(笑)

 

同時に、実家で過ごしているときとはまた違ったかたちで母の年齢を感じる(逆に年齢の割に元気なところもあったけど笑)時間にもなった。

北海道は、母が死ぬまでに行きたいと話していた土地ひとつだ。

でっかい地平線が見たいらしいけど、それは今回の旅では見せてあげられなかったので次回はぜひ良い時期の美瑛に連れて行ってあげたい。

あとは主に海外に行きたいらしいけど、

海外は……円安がこのまま加速するならもう来世にお願いして、私たちは死んだあとの母がその土地で生まれ直すことを祈るしかない。

 

子どもを産んで孫を見せることも親孝行ひとつだと思うけど、

そういうことに恵まれてこなかった分、こうやって仕事はしつつだけど気軽に旅行へ行くことはできる。

コロナになってから基本的実家の近場でしか過ごしてこなかったので、久しぶりにとても良い時間になった。

 

2022-10-15

旅行雑誌とか動画とか好きだけど

いざ本当に旅行に行くとあんま楽しくない

どうしたもんか

旅行雑誌とか動画とか好きだけど

いざ本当に旅行に行くとあんま楽しくない

どうしたもんか

2021-02-19

anond:20210219194916

旅行雑誌かな。

ちょっと高めの旅行雑誌だと、よっぽど興味ある国や地域のじゃないと買わないから、バックナンバー見られるんなら暇つぶしいくらでも見てられそう。トランジットとかああいうの。

2021-01-13

北東へ向かう男1

男は北東へ向かって歩き続けていた。そちらの方角の方が人も車も少ないからだ。

少し上り坂を超えたところでコンビニ看板が見えた。

道路脇には片方にだけ歩道がありその横はススキが所々生えていて風に強く流されている。

男はパーカーポケットの中で拳を作りポケットの角に押し付けるように腕をこわばらせた。

コンビニに入りまっすぐ雑誌コーナーへ向かい適当旅行雑誌を手に取り広げた。

しばらくすると右斜め前に黒いセダンが停まるのがガラス越しに見えた。運転手は小太りで角刈り、柄もののセーターを着ていた。ドアを閉めたがマフラーからは寒さのため排気ガスが白く登っている。エンジンがかけっぱなしなの確認すると男は本を棚に戻し店を出るとさっき停まった車の前を通り中に誰もいないのをフロントガラスから確認すると乗り込んでバックで方向転換し県道を北東へ走らせて行った。

男は一つのことを除いて何も考えなかった。いや、一つの目標を達成するために頭の中ではあらゆる方法を考えていた。その目標を果たせるなら手段は選ばないことはもう決めていた。

2020-03-16

今、増田広告に旅色ってweb旅行雑誌が出て来たけども。表紙を飾る女優さんも、辛いよな。自粛ムード過ぎでしょ〜

2019-12-28

高いけど、別に食べたいと思わないもの

あくまで一個人の好みだから文句は受け付けない。

別にマズイとは思わないが、「高いカネ払う価値が無い」「お歳暮にもらっても、全然嬉しくないもの」を列挙。

増田民の「高いけど、別に食べたいと思わないもの」をレスしてくれ。

カニ

グルメ番組旅行雑誌で「冬はカニ!」と宣伝してるが、淡白なだけで、別においしくない。というか、食べる手間がひどすぎる。

フグ

身は淡白別においしくない。キモは美味しいのかも知れないが、死にたくない。

マツタケ

マツタケよりシイタケエノキマイタケを旨いと思う自分は、味覚異常なのか?

別に香りなんか、どうでもいい。

から香りマツタケシメジ」というから、味は大したことなかったのでは?

メロン

自分メロンよりミカンが好きだ

ウニ

ウニ臭いのはミョウバンのせい。ミョウバンの無いウニは旨いが、産地に行かなければ食べられない(東京では食べられない)と聞いてるが、本当なのかどうか。

高いものでは牛肉は大好きだが、別に黒毛和牛」なんかでなくても「オージービーフ」でもいいのだが。黒毛和牛100グラム食べれるより、オージービーフ200グラム食べれる方が嬉しい。

2019-06-17

一人旅に飽きた

30代後半の独身男。

長いこと彼女はいないし友達結婚子育ての真っ只中で遊んでくれない。

結婚は諦めて一人で楽しめる趣味を探してたところ国内旅行にハマり全国を一人旅するようになった。

最初ベタにただ観光して美味いものを食べるってだけで楽しかったが、次第にどこに行っても同じに感じて飽きてきた。

旅行雑誌に載っているような観光地なんてたいていしょぼいし、グルメだってわざわざ行かなくてもそれなりの金払えば地元でも食べられる。

一人旅もっと楽しめる方法を知りたい。

きっと俺と同じ孤独中年が多いであろう増田諸君の知恵を借してくれないか

旅行中という固定観念に囚われないものや、現地の人たちと交流できるようなものがいい。

2018-12-13

母の事は大好きだけど、母のようになりたくなかった話。

母は専業主婦だった。

自営業の父と、父方の祖父母田舎ではあまり裕福では無いが、ごく普通の家だった。

私は一人っ子で、甘えん坊の私は幼い頃から専業主婦の母にべったりだった。

はいつもおやつ手作りしては、学校から帰った私に食べさせてくれたし、食事も品数が多く、テーブルいっぱいに乗っていた。

父はというと昭和思考典型的父親で、仕事から帰れば王様のように食卓に付き、用意されたビールを飲み、母は常に甲斐甲斐しく世話をしていた。

祖父母子供があまり好きではなかったのか、子供の頃何かしてもらったとか、良い思い出が無い。いつもテレビを見ては文句を言っている姿しか記憶がない。

我が家では外食嫌いの父と祖父母のせいで、母はいつも家族全員の食事を作っていた。

私が生まれて初めて焼肉店焼肉を食べたのは、19の時だ。それくらい外食したことがなかった。

から母はたまに私を連れ出して、クルマで40分の自分実家に連れて行った。母は免許を持っていなかったので、倍以上の時間をかけて、バスを乗り継いで。

母方の祖母は一人で定食屋を営んでいたので祖母アジの開き定食を食べるのを楽しみにしていた。

学校友達レストランに行った話余りにも羨ましそうに話していたのもあり、あまり外食できなかった私へ、少なからず罪悪感があったのかもしれない。

母は、近所の田舎特有のしきたりや、慣習にあまり良い顔をしていなかった。七五三には家に近所の人を沢山呼び、祝い酒を振舞うなどのアレだ。だから私の七五三は誰も呼ばず、家族だけで寿司を食べた。

古い考えや慣習に囚われていた田舎の中から見たら少し異質に見えたのかもしれない。

当然、祖父母はいい顔はしなかった。

そんな母の考え方は私も好きだったし、私も受け継いでいると思う。他所他所、家は家。というスタンスだ。

だけど、高校の進路相談の時、私は先生に進学はしないときっぱり告げた。

母は驚いていた。ずっと母がやんわりと敷いたレールを歩んできたと言う自覚は、少しずつだがあった。このまま母と同じような人生を歩むのではないかと言う恐怖があった。

母の事は好きだが、母のように家の為に全てを尽くし、行けもしない旅行雑誌を眺め、溜息をつく生活など耐えられない。そう思った。

今思えば、母が自分趣味らしい趣味をしていた所を見た事がない。おやつの時に作っていたお菓子作りは、趣味だったのだろうかもわからない。

高校在学中に公務員試験を片っ端から受験し、奇跡的にひとつだけ滑り込む事が出来た。家族は喜んでいたが、母は複雑そうな表情だった。我が家はさほど裕福では無かったので、家計を助ける為にも私は早くから働きたかったのだが、母は私を大学に行かせたかったようだった。

仕事は楽しかった。頑張れば認められるし、給料も出る。何より給料が入り、今まで出来なかった事が出来る事や物が買えるのが嬉しかった。

私は母を初めてのボーナス食事に誘った。

会話は、私の仕事、近所の事、テレビの事。

話していて、ハッと気づいた。

母の世界は、こんなに狭かったのか。と。

話題が、テレビ家族と近所しかないのだ。

私は幾度も母に働きに出るように勧めてみたが、父やボケ始めた祖母理由に首を縦に振る事はなかった。

帰りの車内で、母は不意に私を羨ましいと言った。

私は何も言えなかった。

母の事は大好きだし、感謝もしている。だが、私は母のようになれないし、なりたいとも思わない。

母の生き方否定するつもりもない。その権利もない。

家に居ても暇だとぼやく母に、私は実家にある私が集め続けたマンガや、小説を読んでみたらどうかと言ってみた。

私は結構オタクなので、昔から買い集めたゲームマンガ小説がたくさんある。

母は苦笑いをしながら読んでみる。と言った。感想を聞いた事は終ぞなかった。

あれから、十年近く経った。私は結婚し、子供にも恵まれたが、仕事は続けている。

もちろん、趣味ゲーム漫画アニメも買う。酒も飲む。お互いの趣味に口は出さない。

家事は夫と半分ずつ。子供が熱を出せば交代で休む。

母とは真逆人生を歩んでいるとは思う。もちろん、家族の事は大好きであるが、自分趣味人生も楽しみたい。

両親は、今や孫に会うのが趣味かのように毎週家に来る。

たまには、母と二人で旅行へ行きたい。いつも断られてしまうのだが、来年こそは、旅行プレゼントしたい。

母の事は大好きだけど、母のようになりたくなかった話。

母は専業主婦だった。

自営業の父と、父方の祖父母田舎ではあまり裕福では無いが、ごく普通の家だった。

私は一人っ子で、甘えん坊の私は幼い頃から専業主婦の母にべったりだった。

はいつもおやつ手作りしては、学校から帰った私に食べさせてくれたし、食事も品数が多く、テーブルいっぱいに乗っていた。

父はというと昭和思考典型的父親で、仕事から帰れば王様のように食卓に付き、用意されたビールを飲み、母は常に甲斐甲斐しく世話をしていた。

祖父母子供があまり好きではなかったのか、子供の頃何かしてもらったとか、良い思い出が無い。いつもテレビを見ては文句を言っている姿しか記憶がない。

我が家では外食嫌いの父と祖父母のせいで、母はいつも家族全員の食事を作っていた。

私が生まれて初めて焼肉店焼肉を食べたのは、19の時だ。それくらい外食したことがなかった。

から母はたまに私を連れ出して、クルマで40分の自分実家に連れて行った。母は免許を持っていなかったので、倍以上の時間をかけて、バスを乗り継いで。

母方の祖母は一人で定食屋を営んでいたので祖母アジの開き定食を食べるのを楽しみにしていた。

学校友達レストランに行った話余りにも羨ましそうに話していたのもあり、あまり外食できなかった私へ、少なからず罪悪感があったのかもしれない。

母は、近所の田舎特有のしきたりや、慣習にあまり良い顔をしていなかった。七五三には家に近所の人を沢山呼び、祝い酒を振舞うなどのアレだ。だから私の七五三は誰も呼ばず、家族だけで寿司を食べた。

古い考えや慣習に囚われていた田舎の中から見たら少し異質に見えたのかもしれない。

当然、祖父母はいい顔はしなかった。

そんな母の考え方は私も好きだったし、私も受け継いでいると思う。他所他所、家は家。というスタンスだ。

だけど、高校の進路相談の時、私は先生に進学はしないときっぱり告げた。

母は驚いていた。ずっと母がやんわりと敷いたレールを歩んできたと言う自覚は、少しずつだがあった。このまま母と同じような人生を歩むのではないかと言う恐怖があった。

母の事は好きだが、母のように家の為に全てを尽くし、行けもしない旅行雑誌を眺め、溜息をつく生活など耐えられない。そう思った。

今思えば、母が自分趣味らしい趣味をしていた所を見た事がない。おやつの時に作っていたお菓子作りは、趣味だったのだろうかもわからない。

高校在学中に公務員試験を片っ端から受験し、奇跡的にひとつだけ滑り込む事が出来た。家族は喜んでいたが、母は複雑そうな表情だった。我が家はさほど裕福では無かったので、家計を助ける為にも私は早くから働きたかったのだが、母は私を大学に行かせたかったようだった。

仕事は楽しかった。頑張れば認められるし、給料も出る。何より給料が入り、今まで出来なかった事が出来る事や物が買えるのが嬉しかった。

私は母を初めてのボーナス食事に誘った。

会話は、私の仕事、近所の事、テレビの事。

話していて、ハッと気づいた。

母の世界は、こんなに狭かったのか。と。

話題が、テレビ家族と近所しかないのだ。

私は幾度も母に働きに出るように勧めてみたが、父やボケ始めた祖母理由に首を縦に振る事はなかった。

帰りの車内で、母は不意に私を羨ましいと言った。

私は何も言えなかった。

母の事は大好きだし、感謝もしている。だが、私は母のようになれないし、なりたいとも思わない。

母の生き方否定するつもりもない。その権利もない。

家に居ても暇だとぼやく母に、私は実家にある私が集め続けたマンガや、小説を読んでみたらどうかと言ってみた。

私は結構オタクなので、昔から買い集めたゲームマンガ小説がたくさんある。

母は苦笑いをしながら読んでみる。と言った。感想を聞いた事は終ぞなかった。

あれから、十年近く経った。私は結婚し、子供にも恵まれたが、仕事は続けている。

もちろん、趣味ゲーム漫画アニメも買う。酒も飲む。お互いの趣味に口は出さない。

家事は夫と半分ずつ。子供が熱を出せば交代で休む。

母とは真逆人生を歩んでいるとは思う。もちろん、家族の事は大好きであるが、自分趣味人生も楽しみたい。

両親は、今や孫に会うのが趣味かのように毎週家に来る。

たまには、母と二人で旅行へ行きたい。いつも断られてしまうのだが、来年こそは、旅行プレゼントしたい。

 
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