はてなキーワード: ジャニスとは
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
『クイック・ジャパン』『ロッキンオン・ジャパン』以外で、小山田がいじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、
メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、
案の定これを利用して、拡散の元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事で外山恒一氏のnote記事に反論している。
また変な扇動をしかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。
なお、カドカワの記事はフリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」の発売直後に刊行されたもので、
アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。
月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352
きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。
幼稚園のときに、巨人の土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初の記憶ですかね(笑)。土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビで土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。
すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。
普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会も普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。
小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校は身体障害者の人が多いんだけど、特別にクラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校のときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。
小学校のときは成績は良かった。運動会のリーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣の消しゴムも流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲の消しゴムも流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャでカプセルを出すと効率悪いのね。
ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分でスーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)
小学校のときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)。
運動会のリーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。
音楽は幼稚園から。アニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのとき『イナズマン』のLPにサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)
超テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメの再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち』山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャートが信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方別チャートだとフリッパーズ・ギターは四国が全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。
あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆のジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターでボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんがソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフの志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。
中学になると、人当たりが悪くなって。クラスに友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達とクラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としか話さなくなった。
Kはね、体がでかくて、小学校のときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。
同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子にテープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマン・ブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときにウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンがオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときのクイーンかな。
その頃、初めてエルヴィス・コステロ『インペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌のグラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテック・カメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチ・シングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面の音楽にどっぷりいった。
そういうふうにして中学生のときに洋楽を聴いてると、みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。
ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテック・カメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コードの名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。
高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスになっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)。クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドルの写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外の小説を読みながら歩いていたという話をきいた。
ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭の打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校の友達とかいたから。
変な高校でさ。普通、レベッカとかBOØWYのコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭で体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンク、ニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスのコピーやって出てた。授業中はウォークマンのヘッドホンのコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。
小沢は中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときにたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水のジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスのインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学の試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったから一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢は学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)。
※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソード、アルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめに関係する箇所は上記だけなので以降は省略。
読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田は外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身を自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。
そして問題の記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、
自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。
まず第一に、これは小山田氏が、自分がいかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまいますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。
ーーー(省略)
それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりとエスカレートの過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的なことなのではないかと思うのです。このことはむしろ、世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身のイジメ加害経験と真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそもの最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます。高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からのことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。
また、件のブログの反論としては、”自分の判断で「障害者を虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、
フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。
下手したら、「障害者虐待をアピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。
家にいる時間が増えたのでアニメを見はじめたんだけど、いい曲めちゃくちゃたくさんあるよねー。
モータウンやインヴィクタスを彷彿とさせるシャイニーかつ軽やかなソウルで最高!
星々の煌めきを宿した最高のガールズポップ。2話のエンディングで流れてきた時は(1話でもうっすら流れたけど)モニター前で快哉を叫びスタンディング・オベーションを送りたくなりました。
ステイホームでヒマなので自分の好きな感じのアニソンをつらつらあげてみたんだけど、フリーソウルっぽい曲やドラムンベースな感じだったり、完全にディスコだろってのもあって面白い。
皆も好きなアニソン教えてね!
筒美京平のペンによるそこはかとなくラテンフレイバーなアニソンクラシック。
シャイニーなロッキンポップス。Bメロ→サビへの高揚感が最高すぎる。
グレイトなアニソン作家・古田喜昭の手になるブラジリアンサンバなアレンジを施したディスコ歌謡。
小林泉美によるグルーヴィーディスコ。ちょっとKISSの「I Was Made For Lovin' You」っぽさを感じる。
こちらも古田喜昭作品。ヴィヴィッドなシンセサウンドが鳴り響くダンスナンバー、Aメロからサビにかけてのメロディが切なすぎる…。
影山ヒロノブの存在感のある歌声が絡むスウィンギーなジャズチューン。
「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」とタメをはるアニソン・ファンカラティーナ。
田中公平先生のアレンジが最高、と思ってたけど吉井和哉のカバーも良かったのでメロディが好きだったんだなといういうことに気がついた。
ラーバンドのアレンジを下敷きにしたとろけるようなメロウフローター。
ストリングスのアレンジもゴージャスな高橋名人の美声に酔うソフトロック最高峰。
なんとなく切ない気持ちになるのはブルーハーツの「青空」っぽいから?
聴いてるとバブル時代の東京の夜景が見えるような…そんな気にさせるナンバー。
スムースなコーラスに力強いホーンのゴージャスなアレンジ、それらに負けない森川美穂のポジティブで伸びのあるボーカルが最高。
打ち込み主体のアレンジたけどゴージャスに聴こえるキャバレージャズ。
うらぶれたナイトクラブでひっそり演奏されてるようなジャズチューン。間奏のリズムチェンジがカッコいい。
もうひとつ庵野監督作品。プライマルスクリームやジャニスジョプリンみたいなイントロ。
アダルト・オリエンテッドなライトメロウ。ラストショットのルリルリも最高だった。
魔法少女モノ最高峰。悠木碧のカバーはまどかが歌ってるみたいでグッときた。
綺麗なメロと過剰に青い歌詞で最高だったんだけど、ドラムンベースアレンジのリミックスを聴いてさらに好きになった。
オリジナルとは違いストリングスを排除したアレンジでさらに寒々しい印象になっていてちょっと怖かった。
ロジャニコみたいだなーと思ってたらインスタントシトロンの片岡知子が作曲。
物語の内容を踏まえた歌詞と感傷的なアレンジで最高。だいぶ毛色は違うけど「SSSS GRIDMAN」のオープニングもおんなじ引き出しに入ってる。
サンドウィッチ食ったりバッティングセンター行ったりしたパートからの落差たるや。シンプルなアレンジが最高。
静と動の手に汗握るドラムンベース。
ジャンルレス、ボーダレス、タイムレスなナンバー。どこに置いても収まりがわるい感じで最高!
イントロのピアノの旋律から軽く死ねる。しかし井口裕香の声はホントに強い。
ちょっと高中正義入ったギターのイントロから胸の高鳴りが止まらない最高のフュージョンポップ。EDもカッコよかった!
ときめきフューチャーベース。声優の人のボーカルテクすごいなぁと改めて打ちのめされた。
水曜日、JKローリングが「TERF戦争」と題した声明をツイートした。ローリングが「月経のある人」というフレーズを揶揄したり、「トランス・アクテヴィズム」が女性を抑圧しているとするなど、トランスフォビックな発言をツイートして論争を呼んだ直後のことだ。
https://courrier.jp/news/archives/201920/
前々からローリングはTERF(トランス排除主義的なラディカル・フェミニスト)とみなされていた。
TERFと呼ばれる人々はトランスフォビックな発言をしたり、トランス女性は女性の空間(women’s spaces)に属していないと主張したり、ときにはトランスジェンダーの実在を認めることは女性の権利を侵害することだとほのめかしたりもする。
TERFという呼び名は1970年代のフェミニズム理論に由来するが、より広く知られるようになったのはネットの発達した2000年代以降のことだ。
1970年代当時、ラディカル・フェミニストのサークルは、トランス女性を支持するフェミニストと支持しないフェミニストを分ける言葉が必要だという信念を有していた。
フェミニストグループは基本女性オンリーの集まりであり、物理的な意味でも男性とは「別の部屋」を形成していた。ここで物事をやっかいにしたのが「トランス女性」という存在だったのだ。特にラディカル・フェミニストのサークルではトランス女性の受け入れについて激論が交わされたそう。
その際に女性の空間にトランス女性を含めることを反対するフェミニストたちが自称しだしたのが gender critical feminists だ。
初期のジェンダークリティカル・フェミニストたちはトランス女性やノンバイナリーの人々を女性の空間から締め出す運動を始め、トランスの人々に対して暴力的な脅迫を繰り返したりもした。
「生物学的な性別(biological sexes)」を重視するローリングのような人々は、こうした半世紀前のラディカル・フェミニストたちの信念を引き継いでいる。ローリングは「”生物学的な性別””は二種類しかない」と自身のブログでたびたたび強調しているが、これも70年代の残響のひとつだ(ちなみに彼女のこの発言は研究者によって否定されている)。
「生物学的な性別」の神聖視に加え、ローリングはもうひとつ、1970年代において使われていたジェンダークリティカルな論点を繰り出している。すなわち、「トランス女性が女性の空間に入ることで、シスジェンダーの女性の安全が脅かされる」というアイディアだ。
彼女はこう述べている。「私はトランス女性が安全であってほしいと思っています。同時に、生まれつきの女の子や女性たちにおける安全を弱めたくないのです」
TERF的なイデオロギーを持つ人々は性別適合ケア(性別適合手術やホルモン療法など)に反対している。単に女性の空間からトランス女性を排除することだけでなく、トランスジェンダーの人たちからそうしたケアも取り上げようと古くから提唱してきたのだ。
たとえば、マサチューセッツ大学教授のジャニス・レイモンドは1979年に著した悪名高い "Transsexual Empire: The Making of the Shemale”(https://wezz-y.com/archives/63653)において、ヘルスケアなどをカットするなどの措置によってトランスジェンダーの人々を「道徳的に根絶すべきだ」と書いている。
こうした反トランス的な感情は、トランスジェンダーの人々にネガティブな影響をおよぼしつづけてきた。アメリカでは、保険会社が何十年にもわたって性別適合ケアを拒絶してきたし、医師たちもトランスやノンバイナリーのひとびとにHRT(ホルモン補充療法)を提供することを敬遠してきた。そうした状況が変わったのはここ数年のことだ。
2017年まで「性同一性障害」はアメリカのDSM(精神医学会の精神疾患の診断と統計マニュアル)において精神疾患として分類されてきたが、2018年に削除された。WHOも国際疾病分類から「性転換」の項目を撤回している。
ローリングは声明の中で、レイモンドと同様の指摘を行った。彼女はトランスジェンダーの若者に対して性別適合ケアを制限すべき理由として、HRTのあとで「脱移行(detransiton、性別適合ケアを受けたあとに以前の性別に戻ろうとすること)」をしたがる人々が増えている問題をあげている。一方で、性別適合ケアがトランスジェンダーの若者たちの自殺率やうつ病の罹患率を下げていることは証明されているのだが。
TERFはトランス女性を「本当の女性」とは考えておらず、トランス男性を「本当の男性」とみなしてはいない。ノンバイナリーの人々の実在も信じていない。
トランス女性を女性の空間にいれるべきではないのなら、トランス男性についての扱いはローリング的にどうなのか。
「皮肉なことに、ラディカル・フェミニストはトランスジェンダーを排除しきってはいません。彼らはトランス男性をフェミニズムのなかに含めています。なぜなら彼らは女性として生まれたからです」
かなり侮蔑的な発言だ。トランス男性が女性の空間に属している、と断言するのは彼らが「本当の男性」ではないと暗に指摘し、彼らのジェンダー・アイデンティティを貶めるようなものだ。
こうしたふるまいは”皮肉なことに”、「生物学的な」理屈でもって女性差別を行うミソジニストの振る舞いと通底している。
また、こうした発言は「自分は誤った性別に”生まれ”てきた」と感じているトランスの人々に、性別適合処置が絶対的に必要なのだという誤った考えを植え付けることにもつながる。すべてのトランスジェンダーの人が、自分の身体や性別で快適に過ごすために医学的な処置を受ける必要はない。
近年のアメリカにおいてはフェミニストやクィアコミュニティにおいてトランスに対する包摂の動きが高まりつつある。一方で、ローリングの住んでいるイギリスはそうした変化に遅れていると指摘されてもいる。
https://slate.com/human-interest/2019/12/rowling-transphobia-tweet-radical-feminism-discourse.html
保守大国イギリスでは、トランスジェンダーに対する反感が根強い。2000年代に入ってもトランスジェンダーに融和的な法律が制定されようとするとラディカルフェミニスト団体が猛烈な抗議をしかけてくるほどだ。「ジェンダークリティシズムの本場」の異名は伊達ではない。
ラディカル・フェミニズムそのものは第二派フェミニズムの副産物であるとされる。その流れを汲むジェンダークリティカル・フェミニストたちの問題はラディカルであることではなくて、その価値観が50年前から更新されず、社会の現実と乖離しつつあることだ。
60年代70年代の日本のフェミニストたちが学生運動に同調しきれなかったように、結局オールドで分断的な価値観の行き着く先は古き悪しき家父長制の存続だ。
やっほー 増田だよ!
9割日本製だったものが、10年後に9割海外製ってやばない?ワァオ!
Lagenaria 消しゴムの話ではなかった
わろた!
zeromoon0 読みにくいよ!
ごめん!慣れてないんだ!
どうすれば見やすくなるかな?
あとzeromoon0さん好きだよ(顔見たことないけど)!
zeromoon0 読みにくいよ!/国の話にしたいからざっくり国ごとにまとめたほうがいいと思う。日本製 テレビ(Panasonic)洋服(ユニクロ)……米国製 買い物(Amazon)スマホ(Apple)とか。
ありがとう!やっぱりzeromoon0さん好きだ!
ところでクリスマスの予定はあるの??ワオ
新宿→小田急沿線に住んでるから東京に出る=新宿に行く、大分冷めたけど写真が趣味だった時は西口のカメラ屋街をうろうろしていた。あとみんなが出てきやすいからオフ会の街だった。
渋谷→今行くならBunkamuraで何か展覧会とか見に行くくらいかな。10代の頃ライブハウス通うのにハマって道玄坂の方とかも居たしNHKホールでライブ見る事もあるし音楽の街ってイメージ。あとラブホ街があるね、幸和ってところに適当に入ってみたらたまたまヒノキ風呂の部屋で楽しかったよ。
六本木→新国立美術館のイメージしかない。それ以外にあまり縁が無いところ
せっかくだから他の街の印象も書いてくよ
上野→美術館と動物園の街、横浜に住んでた時はアプローチしにくかたっただけど上野東京ラインが出来て気分的に近くなった、しかしその後小田急沿線に引っ越したのでまたアプローチしにくくなった。
秋葉原→私にとっては自作PCの街で再開発がされる前は8時くらいには目ぼしい店もしまってすぐに暗くなる街って印象だった。その後飲食店が増えて郊外のどの場所から出てきても不公平感が無いから新宿と並んでオフ会で良く使う街になった、まあリナカフェに入り浸るtwitterユーザーだったってのもある。JRの駅にほとんどくっついた様な形でRemmって言うビジネスホテルの少し良い奴みたいなのあるけどあれのレインシャワーは好き
御茶ノ水→長い付き合いの友達が明大に通ってたから微妙に縁がある、椎名林檎が「リッケン620頂戴 19万も持ってない御茶ノ水」って歌ってたように楽器屋街でもある、あと定額音楽サービスに入ってからは足が遠のいてるけどジャニスって言う有名なレンタルCD店がある
銀座→各県の物産店が集中してる、個人的には高知県物産店と鹿児島県物産店(場所的には有楽町だけど)がお気に入り。あと高級ブランドショップの本店があったりするからそういう用事でも行くかなあ。個人的には八重洲のあたりと含めてもうちょっと開拓したい所。
日本橋→三越と高島屋の本店がある。高島屋で月初めにプレミア焼酎の懸賞をやってるからたまに応募しに行く(当った事は無い)、あとエレベーターガールが居たりするのと年季の入った建物がやっぱり本店って感じがする。
表参道→銀座と似ているのかな、高級ブランドショップ街がある。渋谷にも銀座にもApple storeはあるけどなんとなく表参道のを使う事が多い。冬の時期だと福井県物産店で水ようかん買ってく事が多い。
新大久保→まあコリアンタウンなんだけど最近はイスラム系の店が固まって出来たりその他モロモロの地域のエスニック料理屋あったりと混沌としている。路地裏の変な料理屋にふらっと入ってみるとカルチャーショックを味わえる、そして時々大当りの店が見つかる。
品川→アンミラがある、あのアンミラがある。実家住まいだった頃は京急で東京に出る事が多くてここで降りて何かすると言うよりは乗り替えのための場所。でも東京に出る=とりあえず品川に向うだったので結構印象深い場所。
書いてみると結構あれこれ上がってキリがないので山手線内だけでとりあえず打ち切る。池袋とか目黒・恵比寿も入れたかったんだけどあんまり印象が無い(あそこら辺も掘り下げると楽しいんだろうけど)
これだけ細々と上げられるのは東京都外に在住してるからかもしれない、それでも9割の用事は町田なり横浜なりに出れば済むんだけど……
やっぱり百貨店にしろ同人誌ショップにしろPCパーツ店にしろ東京の特定の街にある本店に行った方が売り場が広いし探しやすいみたいなのがあるのよ。
逆に言えば普通に生活するなら家のある駅と都心を往復してるだけで大抵の用は済むんじゃないかな、東京のどのあたりに住んでるのかは解らないけど。
気が向いたら山手線外編も書く。
ブコメの。
上記
上記
はてなブックマーク - かつて喪女だった伝説の歌姫、ジャニス・ジョプリンの同窓会
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時(このあたりが出所でいいのかな。よくわからん)
私は他の人とは違う! と高らかに宣言したのに、その行き着く先が椎名林檎ファンだったりする。
典型から逃れるとき、典型から逃れたい人が陥る典型みたいなところに行ってしまう人が多い。
椎名林檎ファンにそれが多い。他にもある。男だったら週刊少年チャンピオンファンに多い。
お前は他の人と違うんだろ? なんで林檎ファンなんていうある種の典型に堕すのだ。なぜ折角ドラゴンボールの宇宙から逃れたのにバキを読むのだ。
とはいえ「他の人とは違う!」の流民の旅は苦難続きである。どこに行っても同類がいる。「他の人とは違う!」と宣言する同類がいる。
「他の人とは違う!」を本当に実践したら、多分すごく孤独だ。ジャニスジョプリンみたいに苦しんで、笑顔だけが青空に溶け込んでしまってそのまま消え去ってしまうような、そんな寂しい湖水地方の風のような孤独。
うんやっぱりそうだ。文章書いていた最初は椎名林檎やチャンピオン(IKKIでもいいのだが)に行き着く人をある種バカにしていた。でもこの段落書いているうちに「他の人とは違う!」を無限に突き詰めちゃいけないってことがわかった。どっかでとどめなきゃらなん。
ストライクゾーンのようなものが世の中のいろいろな要素にあって、そのぎりぎりを攻めるってのが気を衒う場合正解なんだろう。だから結局のところ、だいたい四隅にも人が集まる。
今NHKで彼女の特集がやっている。ファンには本当に申し訳ないがアンジェラアキが嫌いだ。何もかも嫌いだ。大嫌いだ。彼女の歌、同じ歌詞を繰り返すあの歌詞が嫌いだ。彼女のスタイル、ピアノを弾きながら熱唱する姿がなんだか芝居じみていて嫌いだ。あの目をつぶりながら眉間にしわを寄せて歌うあれが、なんとも狙いすぎと感じて胸がひどくざわついて嫌だ。同じく彼女のしゃべり方、得意げにインタビューに答えるあの姿、嫌いだ。言葉の選び方、表情、うなずき方どれをとっても鼻につく。ライブの時のMCも糞くらえだ。写真の前でポーズをとる姿が憎々しい。彼女の服装が嫌だ。とくに袖口。アメリカで音楽に出会い夜ライブハウスに立っていたというエピソードが嫌いだ。彼女のライブとか鹿苑とかの際にいる周りのスタイリストとかのスタッフが嫌いだ。彼らとアンジェラアキがハグしたり握手したり声を掛け合う場面が嫌だ。彼女の眼鏡が嫌いで手が届くのであれば叩き割りたい。東京への彼女の憧憬も理解できない。作曲する時の姿などは最悪である。作曲の際の彼女のインタビューへの受け答えやピアノの弾き方、感性の発露がすべてすべて、嫌だ。遅咲き27歳という年も偶然なんだろうが嫌だ(ジャニスジョプリンの死んだ年ではないか)。そしてアメリカに留学するために音楽活動を停止するっていうのも「いかにも」な感じで反吐がでる。いかにも「アンジェラ」的で嫌悪感に満たされる。ああああああああああどうして私は世代的には彼女にばっちりなのにこのような坊主憎けりゃ袈裟までのようなことを感ずるのだろうか。そもそもそのことを考えるだけで考えるだけで暗澹たる気持ちが湧きあがってきて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
大学入って軽音サークルに顔出してビビったのが、ロキノンジャパンで表紙を飾っているくらいのミュージシャンでも「マイナー」だと思い込んでいる奴に会ったことだった。それも複数名。「自分より音楽詳しい人に初めて会った」って、君が話題に出した固有名詞って、タワレコだったら全店でパワープッシュされてるくらいの奴等じゃん? そりゃ東北地方じゃ学年に一人しかファンがいなかったかもしれんけど、普通に都心部ならメジャーだろ、そんなん。それぐらい想像力働かせろよ。あ、そんなことも想像できない鈍感さだからここにいるのか。はははー。メンゴメンゴ。
んで、そういう奴等と差異化を図ろうとする奴等が挙げる名前も、サブカル野郎御用達の大御所だったりしてね。ふーん、ザッパ好きなの? ウォン・カーウェイの映画で知ったんだー、へー(死ねばー)。へー、最近クラブ通いが楽しい? ふーん。アンダーワールドはアンセムですかー(死ねばー)。ジャズにハマってる? マイルスはやっぱりエレクトリック・マイルス時代がいい? へー(死ねばー)。ナゴム好き? はー。人生は最高なんですか。へー。卓球はベルリンでイベントもやってて凄い? ケニシは神。へー(死ねばー)。スターリン? 頭脳警察? いっぺんでいいからラリーズが聴いてみたい? ジャニスでも行けばいいんじゃん? 東京にいるんだしさ(死ねばー)。へー、ハードコア好き? ナパームデスが凄い? 何、まだ一曲が短いとかいう話はネタに出来るんだー(死ねばー)。プログレ? へー。クリムゾンのブートが凄い? できるもんなら60年代と70年代にヨーロッパにいたかった? へー(死ねばー)。最近ハルヒが熱い? I'veはいい曲書いてる? へー(死ねばー)……みたいな。
勘違いして欲しくないけど、別に個々の音楽が好きなことはどうでもいいのよ。勝手に好きであればいい。好きなものは好きだからしょうがない。
ただ、それを自慢気に差異化ツールに使う割にぬるいアホは全て死ねばいいと思うだけ。マニアック気取るならその場の誰もを置いてけぼりにするくらいわけのわかんないネタを使えよ、と。ぬるいことしてんじゃないよ、と。