はてなキーワード: 管弦楽とは
管弦楽編成の楽器が使われてたら取り敢えずクラシックて呼びやがる。バロックもロマンも、アンサンブルも管弦楽もオペラも全部クラシックで一括り。
ジョンウィリアムスもマンシーニもモリコーネも久石譲も素晴らしいBGMを書くけど、それはあくまでムード。映画の一要素であって、それ単体で主題を完結させる音楽作品とは異質なもの。
とは言っても、エヴァ旧劇はバッハの引用なくしてあのムードは成立しないと思うし、ツァラトゥストラを2001年宇宙の旅で知ったという人も少なさそう。
ストラヴィンスキー辺りからの近代音楽は、まあクラシックの範疇にあるんだろう。でも、「クラシック音楽家」のショスタコーヴィッチは映画音楽も書いてたりもする。
ジョプリンは他の何物でもなくラグタイムと呼ぶのが相応しいけど、「クラシック」と言えなくもない?ガーシュインはどうだろう?
ともあれ、何でもかんでもクラシックと呼ぶのはやめて頂きたい。
クラシックやジャズに興味がないという人も少なくはないでしょう。かなり初歩的な内容になりますが、編成について少しだけでも知れば解像度が上がるかもしれません。音楽は調和の芸術ですが、個々の音に分解して耳を傾けてみるのも楽しいのではないかと思います。
バッハやベートーヴェンなど、いわゆるクラシック音楽などの編成。映画音楽もこれが多いですね。弦、金管、木管、打楽器が編成の基本。
弦は小さい方からバイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。
打楽器は……まあ、色々です。スネア、ティンパニ、シロフォン(木琴1)、マリンバ(木琴2)、グロッケン(鉄琴1)、ビブラフォン(鉄琴2)、…etc
ここぞという時に使う持ち替えの楽器というものもあります。フルートの人がピッコロ、トランペットの人がピッコロトランペット、オーボエの人がイングリッシュホルン、他にも色々。
小さい楽器ほど高い音が鳴り主旋律を担当し、大きくなるほど低い音になりリズム隊の担当になります。中間の楽器はそれぞれの橋渡しと言った所でしょう。
弦楽器は和音も出せますが、基本的にオーケストラで使う楽器は単音しか出せません。調和の音楽たる所以でしょう。
楽曲によってはハープやピアノ、その他おもしろ楽器(打楽器による担当が多い気がする)が入ったりもします。サックスは基本入らないのですが、新しめの曲だと使われる事もあります。
楽器ごとに1st、2st、3rd(、4th…)と担当が分かれます。部活などでは、基本上の学年(か実力者)ほど若い数字のパートを担当。ソロは基本1st、曲により2ndが担当。
数字が若いほど高い音を担当し、パート全体で和音を構成します。
ソロパートなど目立てる箇所もありますが、個は埋もれがちかもしれませんね。指揮者に束ねられ、各々が細かく決められた役割のもと調和を目指す編成なのでしょう。
余談ですが、指揮者ってただ棒を振り回しているだけではなくて、コンサート本番に向けて楽団の練習を仕上げる監督の役割も大きいんですよ。
・室内楽
「クラシック」で一括りにされがちですが、オーケストラ以外にも少人数の編成があります。オーケストラが大衆向けの音楽だとしたら、室内楽は音楽が貴族のものだった頃の編成と言えるでしょう。音楽家に演奏させたり、自分らで演奏したり。バッハやモーツァルトが得意とする所ですね。
二人ならデュオ、三人ならトリオ、四人ならカルテット、五人ならクインテット……
編成は色々です。
弦楽四重奏のパッヘルベルのカノンなんかは極めて有名ですね。エヴァの旧劇場版のエンディングで流れた時、感動しました。木管五重奏では、なぜか金管のホルンが入ったりもます。
少人数で個が立つ編成の分、ジャズにも近い側面があるかもしれませんね。
・ジャズ
現代のポップスやロックの原点である、偉大なブラック・ミュージック。
ルーツについては色々言われているようです。その一つに、スコット・ジョプリンに代表されるラグタイムというピアノの曲のジャンルがあります。彼の"The Entertainer"は誰しも一度は聴いたことがあるでしょう。"Bethena"もベンジャミン・バトンで重要なテーマ曲になっていました。
彼の曲を「クラシック」ではなく「ラグタイム」と言えると、ちょっとかっこいいかもしれませんね。
さて、ジャズの編成について。
トリオやカルテットなど、少人数でのセッションとビッグバンドに大別されます。
ドラムス、ウッドベース(オーケストラで使うコントラバスと同じものです。弓は使わずピッチカートだけで弾く場合が多いですね)、エレキベースなどのリズム楽器、トランペット、トロンボーン、アルトサックス、テナーサックスなどのメロディー楽器。あるいはボーカルも。ピアノとエレキギターは万能です。
それぞれから一つずつ以上選ぶのが基本です。ベーシックな編成としては、ドラムス、ベース、ピアノ/管楽器/ボーカルのトリオでしょうか。
しかしジャズは自由な音楽です。リズム隊のベースやドラムにもよくソロが与えられますし、何ならメロディを丸ごと担当する事だってあります。
変わり種でフルートやバスクラリネットという楽器なんかも使われたりします。
大きなクラリネットにサックスみたいなウツボカズラがついててかっこいいんですよこの楽器。ジャズの奏者ではエリック・ドルフィーが有名です。
色々な編成を聴いてジャズという音楽の懐の深さを感じるのもまた一興でしょう。
そして、ビッグバンドについて。ビッグバンドといえばグレン・ミラー。youtubeで色々聴けると思います。どれか一つくらいは耳に覚えがあるでしょう。『茶色の小瓶』や『アメリカン・パトロール』なんかが特に有名ですね。
編成としては、ブラスバンドに近いかもしれません。金管はトランペット、トロンボーン、木管はクラリネットとバリトン〜アルトサックス、リズム隊にピアノ、ベース、ドラムス。オーケストラ同様に、1st、2ndが割り振られます。
少人数でのセッションのライブ感に対して、比較的まとまりのあるサウンドと言いましょうか。予定調和的ではあるかもしれませんが、足並み揃った音の厚みや迫力はまた魅力的なものです。
偏見ですが、中高の吹奏楽部員上がりはビッグバンドかオーケストラに入りがちな気がします。
ジャズの魅力の一つに、キンキンと鳴り響く金管のハイトーンがあります。メイナードファーガソンや、エリック宮城なんかが有名どころでしょうか。「すごい!かっこいいなあ…」となるものですが、こればっかりは実際に自分で楽器をやってみないと凄さが中々分からないものでしょう。
余談ですが、ビッグバンドのトランペットは2ndがソロを吹く事も少なくありません。1stもハイノートで疲れているんでしょうかね。
ジャズにはフュージョンというジャンルもあり、T-SQUAREやウェザー・リポートなどが代表的でしょうか。今はあまり流行りではありませんでしたが、EWIやリリコンという電子管楽器が使われていました。ジャズがスノッブで肩肘張った音楽ジャンルに思われるかもしれませんが、案外ミーハーな所もあるかもしれませんよ。
・吹奏楽
日本の部活ではこれ。たまに間違えられますが、「ブラスバンド」はサックス+金管楽器(+パーカッション)の編成なので、実は異なるものです。サックスも金管楽器なんじゃないか?と思われるかもしれませんが、楽器の素材ではなく音の出し方による分類のため、木管楽器になります。
ブラスバンドにはスーザフォンやコルネット(ほぼトランペットです)、バリトンやアルトホルンなどマイナーな楽器が使われたりもます。
さて、本題の吹奏楽。
基本的にはオーケストラから弦楽器が丸ごと抜け落ち、管楽器にユーフォニアムとサックスが入ります。「吹奏」楽たる所以ですね。
管弦楽曲の吹奏楽編曲では、弦楽器が担っていた主旋律をクラリネットが代わりに担当している印象があります。しかし、弦と管ではやはり表現が異なります。特にピッチカートという弦を弾く演奏法は、管楽器でいくらスタッカートを強調した所で別なものです。にもかかわらず、指揮者に「ピッチカートっぽく弾いて」なんて無茶振りをされる光景はままあるような気がします。
中高生の部活で弦楽器を扱うのが難しい(幼い頃からやっていないと人前で演奏するレベルになるのは難しいという風潮?傾向?があります)という事情のもと、部活では管弦楽ではなく吹奏楽が多く採用されているのではないかと思います。
しかし、吹奏楽独自の編成を活かした曲があまり書かれておらず、オーケストラやジャズ、ポップスの吹奏楽版編曲が多く演奏されがちな気がします。それって別に吹奏楽編成でやる必要なくない?となってしまうので、吹奏楽らしさを活かした快活で明るいサウンドにしようとの苦心が見られますが、どうにもダサい方に転んでしまう印象を受けます。
悪口のようになってしまいましたが、吹奏楽にも独自の良さはあるはずです。コンクールでもよく使われる曲を作っている樽屋雅徳という方は、吹奏楽編成のための曲を書いているので、興味があればぜひ。
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
今年もコロナ対応であちこちの音楽コンクールが「録音審査」になりそうだ。
去年は吹奏楽、管弦楽、合唱、アンサンブルなどありとあらゆるコンクールが録音審査になったが、その影響で録音・編集特需が起き、コロナで大打撃を受けた音楽業界の貴重な食い扶持として機能した。
具体的にはパートや人ごとに単独で録音し、それらを繋ぎ合わせ、細かい音程や音量や音質をレコーディングエンジニア側で調整し、あたかも1つの録音作品として作ることだ。
各コンクールには審査規定で「一発録りで、無編集なこと」というのがあるが、機能していない。何千何百とあるコンクール参加団体全ての録音に立ち入ることは物理的に無理だからだ。
そのため、金がある学校や団体は、そのツテをたどって芸能事務所や音楽会社にコンクール対応を依頼する。もちろん箝口令は全方位的に敷いている。
https://twitter.com/ukstudio/status/1118420632985686018
やんちゃ事務所でひとつ、しょうもないことを思い出したので書く。
高校時代、部活はオーケストラに所属していた。そこで定期演奏会をやることになったのだけれど、それを開催するお金がなかった。そこで、スポンサーを求めて地元のお店や企業を回って部員が営業することになった。演奏会のパンフレットに広告枠をもうけて、そこにお店や会社の名前を載せる代わりにスポンサー料をもらう仕組みだ。小さな枠は5000円、大きな枠は3万円とか。今振り返ってみるとなぜ部員がこんな外回りの営業みたいなことをやらされなければならないのかと思うのだけれど、吹奏楽部や管弦楽部はどこもそんな感じらしい。
学区ごとでチームを組み、店や会社のリストを作って、自転車でいろんな店や会社を駆けずり回った。パン屋、居酒屋、床屋、パン屋、整骨院、病院、工場、会社などなど。そんなある日、警備保障会社を訪ねた。いつもは三人だったけどその日は二人だった。どうやって事務所まで入ったのかはあんまり覚えていないんだけど、通された事務所がちょうどこんな感じのやんちゃ事務所だった。もう既に嫌な予感しかしなかった。
事務所に通されるなり社長っぽいおじさんに説教された。どんな内容だったかはそんなに覚えていないし納得の行くものでもないが、要約すると「高校生のよう分からん遊びになんで俺らが金を出さなきゃならんのだ、カエレ!」というものだった。連れは怒られてることにキレ気味だったが自分はもうこの場から逃れたい一心で謝るしかなかった。
会社を出ていく階段のときにも「なんでお前謝ってんだよ」って連れに怒られた。帰って親にこの話をすると、「お前は進学校の学生だし、オーケストラというものは興味ない人からしたらよく分からないからなんとなくムカついたんだろう」と言われたので、そう思うことにした。
ところで、最近転職しようとして通された会議室っぽい部屋もすごくやんちゃ事務所っぽかったので、なんとなくやる気をなくして帰ったのも思い出しました。
こうして振り返ってみると、人間の怒りとか説教なんてものは合理的だったり理性的じゃなくって、単に相手の顔を見てなんとなくイラッとしたからとか、直前に引いたガチャが大外れだからだったとか、直前の会議で上司にしこたま怒られて虫の居所が悪かったとか、そんなテキトーなのがほとんどなのかもしれないと思った。
面白そうなので私も書いてみようか。東日本の公立学校卒→東大理Ⅰのケース。
・家庭環境
電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校の事務員、同居する伯母は小学校教師。そういう家庭だから学業に対する意識は高かった。
田舎町なので私立小中学校などというものはなく、受験は高校から。
小学校入学前からそれなりに頭は良かった記憶がある。特に算数が得意で、数の理解も早かった。
両親が共働きなので、朝保育所に預けられて、放課後は母の知人が預かってくれていた。この養母のような方には今でも感謝している。
・小学校
選択肢も何もなく近所の市立小学校へ入学。国語算数理科社会はまあオール5。伯母の影響で音楽の成績も良好。体育は3。典型的な頭でっかちで、いじめられっ子になるという定番コース。大人になってから「ごく軽度のADHDだったのでは?」と言われたことがある。
うちの小学校には、4年生になったら全員部活に入ること、という不文律があった。男子はソフトボールかサッカー、女子はミニバスケットボールか合唱、しか選択肢がない。4・5年生の間はなんとか回避していたが、6年生では避けきれずサッカー部に入部。運動が得意じゃなくコミュ障な上に「6年生なのに新入部員」で、部のしきたりも知らずあからさまに浮いていた。今から思えば入るもんじゃなかった、のだが、そういう「自分には向かない世界」を早く知ることができたとも言える。
自宅近くにそろばん塾があったので、小1の時に親の勧めで入塾。かなりさくさくと習熟して、市内の競技会(というものが当時あった)では上位の常連だった。但し、それなりに上達してくると飽きる悪癖があり、塾も徐々にさぼりがちに。小6で辞めた。お山の大将になるのはそれなりに簡単でも、世の中にはもっと上の人がいる、ということを子供心に知らされる。
運動が苦手なことを懸念した父により、同僚が運営に携わっている剣道の同好会へ入門させられる。中3までの間、道場には週2回真面目に通ったが、練習は不真面目で大して上達もせず。
・中学校
選択肢も(ry)市立中学校へ。成績は相変わらず。部活動のバリエーションは増えたが結局のところほぼ全部運動部で、剣道部に入って万年補欠。帰りに学校近くの駄菓子屋でゲームやって帰ってくる生活。
英語塾に行った他には学習塾の類は行かず、自宅での勉強のみ。この頃までは「学校で課された科目」だけ順調にこなしていたと思う。
高校はいわゆる進学校しか考えてなかった。地方の常で、歴史ある県立高校が偏差値的な意味でトップ、私立はすべり止め扱い。模試では毎回トップ争い。
受験はすべり止め無しで本番一発。直前に風邪を引いて親は心配していたが、合格圏内には入った。
・高校
進学校なので、近隣中学校の成績上位クラスが集まってくるため、何でもありな小中学校とはかなり雰囲気が変わる。校風はリベラルで、校長先生もその校風に沿ったユニークな方だった。
部活動は管弦楽部に入部。やっと運動部の呪縛から解き放たれる。管楽器は中学校のブラスバンド経験者が占めているため、素人は必然的に弦楽器担当。ヴァイオリンを弾くことになった。相変わらず不真面目に練習して、東大でもオケに4年間在籍したがその後はぱったり。
2年生で文系・理系のコース分け。私は理系クラスへ。成績は高校でも順調だったが、伸び悩みも出始める。そんな頃に、部活の1学年上の先輩からの勧めでZ会に入会。当時の地方在住高校生で、難関大志望の人は大半が入会していたと思う。教科書レベルを超えた難問・良問で鍛えられた。おかげで授業中は講義はスルー、ひたすら問題集を解くことに集中。部活後に家へ帰って夕飯を食べたら深夜までZ会に取り組む生活が続いた。
科目としては数学と化学は得意で、トータルでは学年トップクラスだったが、物理が苦手で平均点+α程度。これはまずい、と対策…した筈なんだが具体的な中身を思い出せない。結局教科書に沿って、一番最初の力学から復習したんだっけかな? 3年生になる頃までには苦手意識も解消。
中学生の頃からパソコンで遊んでいたので、大学は最初は東工大第5類を考えていたが、周囲からの「行けるなら上行っとけ」というプッシュで東大理Ⅰを目指すことにした。Z会にも東大コースがあるのでそちらを開始。模試は毎回A判定なので、これならいけるかなと。
センター試験の自己採点は720点ぐらいで、足切りはクリアできただろうと。当時の東大入試は、1次と2次の成績が1:4の比で加算されるので、ぶっちゃけ1次は足切りさえクリアできればオーケー、レベル。(理Ⅲは知らん)
2次試験は、前期は東大理Ⅰ、後期は東大理Ⅰの出題形式がちょっと特殊なので、トラディショナルな形式の京大工学部を受験することにした。大学受験も私立すべり止め無しの舐めプ。
初日に、得意な筈の数学で大問6問中1.5問しか解けず「これはやべぇ」と焦る。理Ⅰの合格ラインは2.5〜3問。残りの化学・物理・英語で取り返すしかないので、宿に戻って総復習。幸い2日目は好調で普段よりよく出来た感触。かつて苦手だった物理もきっちり得点源にした。
結果、現役で一発合格。
・その後
地方のお山の大将は、東大生の一部であるスーパーマンを見て我が身の程を知るわけで。いろいろあってどうにか卒業、就職してエンジニアやってます。
別に号泣するとかじゃないけど、ただ彼女のことをぼーっと考えて時間だけが過ぎていく。
ていうかそんな親しかったわけでもない。中高一貫の女子高で同級だっただけだ。
私は自分で描いた拙い漫画をせっせと刷ってコピー本にして地元の小さなイベントの端っこで配ってるようなオタ女で、同じようなオタ女たちとよくつるんでたけど、彼女はとびきり美人で性格も社交的だったから、そういう子が集まる派手めなグループにいた。
高校になっても私は受験組、彼女は附属大推薦組で、選択授業が被ったことはほとんどない。
唯一の接点が管弦楽部。でもこれは学年の4分の1くらいの子が所属するような大所帯だったから、そのなかでもやっぱり仲良しグループはあって、そこでも私は彼女とつながりはなかった。
ただ、彼女は目立つ子だったけど、少し要領が悪いというか、世渡りが苦手というようなところがあって、一度だけ、見かねた私が半ば強引に手助けしたようなことがあった。助けっていうほど大げさなものではなくて、普通にクラスメイトが困っていたら皆するようなことだったけど、それでも彼女は恩義を感じたのか、たまに話しかけてくれるようになった。彼女は優しい。
それでも、そのころの私たちには中高生にありがちな、グループの体裁みたいなものがあったから、話すときはなんとなく二人きりになったときだけだった。彼女は私のしょうもない話によく笑ってくれた。その顔がすごくかわいいので、私はくだらない持ちネタを繰り返した。彼女が笑うと満足した。
一緒にどこかへ遊びにいったりしたことはついぞなかったけど、彼女は地元の楽団にも参加してて、あるとき私を誘ってくれた。
大きなコンサートがあるときは、人数確保のために楽団員が知人を紹介することができるシステムだった。チェロ(私の担当楽器)が足りなくて、よかったらきてくれない?なんて言われたら行ってしまう。ふたを開けてみれば私しか誘われていなかったので、ちょっとした優越感でニコニコしてしまった。たぶん本当にチェロの人員だけが足りなかったからだろうけど、彼女から選ばれることは得意な気分にさせた。
彼女はバイオリン(とても上手)なので練習は別々だったけど、最後の合わせでは一緒に帰った。電車で座って、それまででいちばん長くしゃべった。私はそのとき彼女に外部受験して地元を離れることを話し、彼女は私に子供が好きで音楽の先生を目指していることを教えてくれた。
そうして私たちはそれぞれ進学し、二年の冬に彼女は亡くなった。
葬儀はご家族だけで執り行われて、私たち卒業生は母校でお別れ会を開いた。
そこで区切りがついたつもりだったのに、その後しばらくして、飲み会で入ったお店で流れているBGMが、あの、彼女と参加したコンサートの演目だと気づいたとき、すごく動揺してしまった。お酒が入ってたからかもしれない。
それから度々、突然彼女のことが心に浮かんで、とても寂しくてやりきれない気持ちになってしまう。心が体の真ん中から徐々にずれていって、そのままどこかにいってしまう。誰かを亡くした人ってみんなこんな気持ちを抱えて日々生きてるの?こういうのどうやって乗り越えてるの?寂しくて仕方ない。
卒業式も寂しかったけれど、これからみんな別々の道でそれぞれ元気にやっていくんだという信頼や希望のようなものがあったから、こんなどうしようもない悲しみだけではなかった。こんな私でも日々をあれこれなんとか過ごしているのに、彼女はどこにもいなくて、なにもしない。働いたり遊んだりしないし、バイオリンを弾かないし、笑ったり泣いたりしない。もうなにも作らないし、生まないし、何にも干渉しない。そんなことがあるだなんて思いもしなかった。あの、音楽室で隣に座って笑っていた人間が、この地球のどこにもいない。頼むからみんな長生きしてくれ。
彼女との記憶なんてこれだけで、でもそれだけをずっと繰り返し思い出してしまう。彼女のご家族はお別れ会で初めて拝見したし、グループにいるときの彼女とは関わりがなかったので彼女と共通の友達はいないし、誰とも彼女の話をできなくて、ここに書いてしまった。文字にしてたら落ち着いてきたから、明日からまた静かに日々が過ごせそう。表現の自由はすごい。
ていうか読み返すと自分のことばっかりでめちゃくちゃ気持ち悪い。彼女のご家族のほうがずっとずっと寂しいでしょ。お風呂入って寝ます。
ちょっと前に仕事の都合で遠隔地に異動となり、練習に行くにも移動時間がえらいことになったので、今は別の団体を探しつつ、たまに他団体の助っ人に行く程度。
10年以上の活動を通し、当然そのオケの美点も欠点も見えてきたわけだが、欠点と言っても、当時は特に移籍する(というか逃げ出す)ほどの強い理由にはならなかったため、なんとなくそこで弾き続けてきた。
しかし、そこをやめてから他団体の演奏を聴いたり、スポット参戦で合奏する機会が増えた結果、昔は違和感程度に感じていたオケの欠点について、だんだん怒りがこみ上げてきた。
良い思い出もある反面、その部分については「よくもやってくれたな」という気持ちが収まらない。
そしてその欠点は、恐らく日本中のアマチュア団体で散見されることだと思ったので、苦言として書き置くことにした。
問題となったのはただ一つ、吹奏楽癖の抜けない管楽器に尽きる。
とにかく木管も金管も、管弦楽という音楽がどういうものなのか、真面目に考えたことある?とツッコみたくなる吹き方なのだ。
そりゃ中学高校、人によっては小学校高学年から毎日のように練習してきたんだろうから、その貯金で演奏技術は色々と身に付いていると思う。少なくとも大学で始めた弦の人よりは。
でもねえ、だから何?って感じなんだよ。
それだけの積み重ねがあって、そんな無神経で無節操な音しか出さないんなら帰ってくれよ。
反感を買うのを承知で言うと、オケは弦の縄張りなんだよ、人数だけじゃなく音楽的にも。少なくとも現在頻繁に演奏される曲は全部そうだと思っていい。
つまり、弦が主体で音を出している(だから弦の音符の数は管楽器より遥かに多い)所に、管楽器が彩りを添えるようになっているのは、ハイドンから現在に至るまで不変なの。
例えるなら「ケーキの主体はあくまでスポンジであって、そこにクリームやフルーツがあるの!」って話。
それが何だ、「こっからソロ、私が主役としてガチで吹く」ということしか頭にない木管・ホルン、「ずーっと休符…はいここ4分音符あるから吹く、せーの!」という音しか出さない金管。
どっちも、「自分が登場するまで、弦を主体とした皆が、どんな物語を紡いできたか」を全然意識してねーじゃん。
ハナから「そんなのかんけーねー」という音で吹いて、それがどれだけ場違いかも分からない、それが気にならないことが信じられない。
オーケストラ舐めてる?
なんかもう「このケーキのクリームやフルーツはこうあるべきだから、その通りになるように全力を尽くす、ケーキはまあよろしく焼いといて」みたいな事をしている。
その結果、ケーキとクリームの味がケンカしようが、上に乗っけたフルーツの重みでケーキがクリームもろとも圧壊しようが気にしないとか、本当にそんな仕上がりになっているのだ。
これが
「そんな音でお膳立てされて、どんな音で入ればいいんだよ。もっとちゃんとやってくれないとこっちも困るんだけど」
という文句だったら全然いい。それは責められて当然であって、頑張らないといけない所だから。
「そんな不味いケーキじゃ、どんなクリームやフルーツを合わせたって美味しくならないから」みたいな話だし、それは「このケーキはこういう味と食感で攻めてきたか、そしたらクリームの味付けは…フルーツの切り方は…」という意識と気遣いがあってのことでしょ。
勿論、上の文句に当てはまらない、本当に上手な人もたまにいる。
でもそういう人は、漏れなくプロのレッスンを受けて研鑽を惜しまない人で、吹奏楽上がりというだけの人は大概ダメ。
信じられるか?社会人になってからレッスンでオーボエを始めた人が、技術面はともかく、音楽面では中学からの吹奏組よりセンス良い音してるんだぜ?
吹奏組は全員「ヘビが出てきそうな音」がチューニングにおけるデフォルトである。お前そのヌメヌメした音でソロ吹くのかよ?そうじゃないならソロの音でA出さなかったら意味なくね?そもそも合ってるように聞こえねーし。
一方、個人レッスンやってる人は本当に合わせやすい音を出してくる。聞けば「やっぱりぶら下がった音とかじゃなく…」と言っていて、全くその通りという感じだ。というか、綺麗な音で吹いてくれたら弦の人間は何も文句言わない。この感覚も、吹奏上がりには理解されないんだよなあ…当たり前だと思うんだけど。
23年生きてきて、自分なりに「趣味」を定義すると、以下の通りである。
①人間は、「趣味」というものを持ち、仕事のしない休日に私費と時間を投じて、それをやるらしい。
②「それについての事柄が好きだ」と初対面の人の前で言ったときに、ネガティヴなイメージを持たれないものでなければ、「趣味」とは認められない。
③「趣味」を持つ人間は、「趣味」を持たない人間より高尚な人間とされ、仕事がうまくいったり、友達ができたり、恋人ができたりしやすいらしい。
ぼくの趣味について、ぼくが好きなことと言えば、「昼寝すること」と「風俗に行くこと」であるが、当然、それは②にあてはまらず、「趣味」とは言えない。
昼寝が趣味だと初対面の人の前で言えば、怠惰な人だと思われるだろうし、まして風俗に行くことが趣味だと初対面の人の前で言えば、誰も近づかなくなるだろう。
かといってぼくは、「昼寝すること」と「風俗に行くこと」以外に休日にしていることはほとんどない。
しかし、「趣味がない」といえば低俗な人間だと扱われることは確実だろう。
現に、趣味の話になったときに、てきとうに他の話題を持ち出しその場を凌いできたぼくは、仕事もうまくいっているとは言えないし、当然友達も恋人もいない。
ぼくは中高生時代、吹奏楽部で楽器を演奏し、大学でも管弦楽のサークルで楽器を演奏していた。
もちろん入部したからには、懸命に練習したが、その理由は、楽器が「好き」だからではなく、合奏でミスをして「恥をかきたくない」からであった。
中学時代に吹奏楽部に入部した動機も、「先輩の演奏する姿が格好いいから」とかではなく、母の勧めがあったから、という、「好き」とは程遠い理由であった。
部活の同期が、どの作曲家が好きだとか、どの曲が好きだとか、そういう話で盛り上がることはよくあったが、ぼくはそういう話にまったく興味が持てなかった。
次の合奏でミスをしないこと以上に、音楽に対しても興味をもてなかったからである。
最近、社会人サークルで楽器を演奏しているが、楽器を演奏することは「好き」ではないことに、改めて気づいてしまった。
大好きな昼寝と風俗の時間と私費を割いてまで、それをするほどの価値があるとは、とうてい思えない。
「好き」ではない仕事を平日にやった上に、「好き」ではないことに休日の大半を費やす生活は、苦痛以外の何物でもない。
「正規雇用で働き、趣味を持ち、恋人(配偶者)がいる」という、世間が有象無象の圧力をかけて推奨する、20代前半の生き方を真似しようと試みてきたが、最初から無理だったのだ。
平日の仕事で疲れ切ってしまい、休日を体力と寂しさを回復させるためだけに使う人間など、プライベートで誰も話そうとも思わないのだ。
求人倍率高いといわれるITばかり回っているにも関わらずこの結果のため、相当人間に好かれない人間だと自覚。
管弦楽の学生主体のサークル。4月には担当する楽器に新入生を迎え入れ、パートは4年と2年と1年の3人体制に。
6月と12月に演奏会を開催する。6月の演奏会は4年生は就活のため抜けるのが通例。
12月の演奏会に向け、学校楽器が足りないということで業者からレンタルしたが、2コ下の後輩の根回しが足りず、幹部(3年)に伝わっていないことが判明。根回ししていることを前提に業者との契約を「サークルの名義で」してしまった僕は幹部からの信用を失う。
誰に言わなければならないか、誰が誰に言ったかを常々確認しながら物事を進めなければならないのは骨が折れる。
こういうバランスのとれた人間関係が構築できず、思い込みで動きすぎるのが就活でも見抜かれているんだろうな
リーダーシップとって動いても失敗することが多い
どうしろっていうんだ
当時はそもそも古典派以降の、要するにクラシック音楽というカテゴリーで主流になっている曲を全然知らなかったし興味もなかったし、そこでやたら沢山音符を弾かされる、管弦楽というジャンル自体が自分の手に余るものだった。
クラシック音楽の凄さが分かってきたのは、しばらくオケを離れて、就職して数年後に社会人オケに入ってからだったかな。
そこでやっと必死に作曲家のことやスコアを勉強して、とてつもない世界があることに気づいたという・・・。
つまり、自分は楽器を手にした年齢だけはとても早かったけど、あとは色々遅い。笑っちゃうくらい遅い。
それでも好きになったクラシックを、出来る所を見つけて続けているだけなのだ。
だから4歳から始めているとか、出来れば訊かれても答えたくないわけで。
メンコンやチゴイネルワイゼンはやっていて当たり前、ラロもクライスラーもスプリングソナタも四季も楽にこなせるレベルまで、かなり短期間で叩き上げてきたメンタリティってそういうもんなのだと思う。
強烈な自負と自意識がなければ無理というか。
妙に迫力も出ちゃうし、何より自信溢れる態度で、モテても全く不思議はないし。
それでも4歳からやっている人相手ならそれなりに敬意を示すんだろうけど、逆にそれくらい早くから始めていてメンコンも弾けないどころか、バッハのコンチェルトやヘンデルのソナタを勢いでやっつける程度では、軽く見る理由にしかならないと。
何しろあっちは指板のどこでも快適にフィンガリング出来て、かつ上級のボウイングと音造りが出来るのに対し、こっちはそこそこハイポジションで弾けて、初歩の重音とヴィブラートがせいぜいだったわけで。
今だから分かるけど、とんでもない差だと思う。
そしてあの頃からかなりの年月が経ち、ようやく古典派やロマン派の歌い方が分かってきた今だからこそ、メンコンというドイツ前期ロマン派の名曲を完璧に、かつ最高に楽しく弾いてやり返したいのだ。
このままやられっぱなしで、中途半端で終わらせてたまるか!と、やっと奮起できた感じ。
それに、そこまで弾けたらもっともっと楽しい領域が待っていると思うから。