はてなキーワード: スーパーカーとは
と、このエントリで主張したい訳ではありません。本当に容認しているといえるかどうかは、増田を読んでから、ご自身で考えていただきたいと思っています。
どうも、「山道を制限速度でチンタラ走り続けるドライバーは運転が下手」(https://anond.hatelabo.jp/20230912211531)で炎上した増田です。先日は大変お世話になりました。山道の走り方を指南する増田(https://anond.hatelabo.jp/20230913120412)を寄稿していただくなど、大変勉強になりました。
さて、本日は校則違反にまつわる増田(https://anond.hatelabo.jp/20230916165514)が人気エントリに上がっています。炎上した増田に引き続き、ルールを守ることと破ること、そして、その程度と倫理にまつわる話題が、最近の増田では絶えません。ルールを守ることが絶対であるという意見に対し、ある程度柔軟な対応も必要だという意見がぶつかり合っています。
スピード違反に対する警察や企業、そして行政の対応について紹介することを通じ、この問題提起を行うことが、この増田の目的です。
なお、スピード違反の程度や罪の重さについて、この増田で個人的に主張するつもりはありません。私はこの増田で、スピード違反を断罪しないし、擁護もしません。警察、行政、そして自動車やオートバイメーカーの対応をこの増田で紹介しますから、それを踏まえてご自身で考えていただきたいと思います。
なお、コメントやブコメの際は、本文を最後まで、よく読んでからお願いいたします。本文が長く分かりづらい場合は、せめて最後の章だけ読んでほしいです。
スピード違反についてですが、先日炎上した増田(https://anond.hatelabo.jp/20230912211531)でさんざん炎上していたとおり、「1km/hたりともスピード違反をしてはならない」という意見が多く寄せられていました。しかし、炎上していた増田でも触れたとおり、警察は15km/h以下のスピード超過をほとんど取り締まっていません。令和4年の結果では、15〜20km/hの取締が約28万件に対し、〜15km/hの速度超過は200件以下と非常に少ない件数に収まっています。
ちなみに、2017年ごろは100件にも満たない件数でしたが、2020年に入ってから増加傾向にあります。それは、移動式オービスによるゾーン30(通学路などに指定されているような非常に狭い道路で30km/h制限)での取締が行われるようになったからです。おそらく、制限速度40km/h以上の道路では、15km/h未満の速度超過は全く行われていないと思われます。
また、全国の公道では、10km/h程度の速度超過が常態化している道路が非常に多くあります。自動車の運転を少しでもする方なら、この現状をお分かりいただけるのではないかと思います。
スピード違反の話題では、自動で規制速度にリミッターが効かないようにするべき、という意見をネットなどでたびたび目にします。
トラックの場合、大型トラックと一部の中型トラックで90km/hのスピードメーターの装着が法的に義務付けられています。しかし、乗用車やオートバイは、法的な規制はなく、メーカーの自主規制として規制が行われているのが現状です。ただし、自主規制は行政側からの要請で始まる場合が多く、メーカー独自の規制というより、行政とメーカーが一体となった規制であると言えるでしょう。
さて、その自主規制の内容ですが、普通自動車は180km/h、軽自動車は140km/hのスピードリミッターが自主規制で装着されています。現在、制限速度の最高速度は新東名などの120km/h区間なので、スピードリミッターは制限速度に対しかなり余裕がある値となっています。なお、改造によりリミッターを解除することは合法です。
一方、スピード違反につながる過剰なパワーを抑えるための規制については、23年9月現在、軽自動車以外には行われていません。しかし、過去には自動車とオートバイの両方で、自主規制による馬力制限が掛けられていました。
自動車の場合、馬力競争の激化を受け、1989年ごろから280馬力に出力を抑える規制が行われました。オートバイの場合は80年代の走り屋ブームが問題視され、排気量により細かく馬力規制が敷かれました。オートバイの3ない運動もこの頃です。
しかし、自動車は2004年ごろに、オートバイは2007年ごろに規制が撤廃され、現在は軽自動車以外に馬力規制は存在しない状況になっています。
また、オートバイに関しては1996年に、免許制度の規制緩和が行われています。大型二輪免許を教習所で取得できるようになり、取得難易度が大幅に易しくなりました。その結果、大型二輪免許の保有率が急増し、高性能な大型バイクの販売台数が大きく増加しました。
最後に、自動車メーカーや、オートバイメーカーの対応についてお話したいと思います。前述の自主規制を各メーカーは行っていますが、実際にどのような製品を作っているのか見てみましょう。
スピード違反を助長すると批判されがちなスポーツカーですが、最近はスポーツカーのラインナップが充実しています。トヨタはスポーツカーを5車種ラインナップしているほか、日産は「フェアレディZ」を、ホンダは「シビックタイプR」を新たに発表したことが記憶に新しいですね。いずれも、かつての馬力規制(280馬力)に近い、もしくはそれを越える性能を誇ります。
さらに、高出力化はスポーツカー以外の場合でも最近のトレンドになっています。
例えば、今年発表された新型のトヨタ・プリウスはのPHEVモデルの場合、最高出力は223馬力、0→100km/h加速は6.7秒です。これはスポーツカーである、先代のトヨタ・86/スバル・BRZを上回るスペックです。日産スカイラインの特別グレードである「スカイライン400R」に関しては最高出力405馬力を誇り、これはランボルギーニ・カウンタック(4.8Lモデル、377馬力)を優に越える出力です。スーパーカーでもなんでも無いオヤジセダンなのにですよ。
さらに、オートバイに関してはこういった点がさらに顕著になります。
1990年代、ヤマハ発動機は「ツイスティーロード(=峠)最速」のキャッチコピーを引っさげ150馬力のスーパースポーツバイク「YZF-R1」を発売。カワサキとスズキは市販車最高速バイクの名をほしいままにするべく、熾烈な性能争いを繰り広げました。スズキが送り出した「GSX1300R Hayabusa」のスピードメータは350km/hまで刻まれていましたが欧州で問題視され、300km/h以上出せないようにすることと、スピードメーターは300km/hまで、という自主規制が敷かれることに。ホンダも似たようなもので、「CBR900RR FireBrade」や、「CBR1100XX SuperBlackbird」など、前述のヤマハ・YZF-R1やスズキ・ハヤブサと同じようなコンセプト、性能のオートバイを販売していました。
しかし、こういった出来事はあくまで90年代で昔の出来事。企業の社会的責任が重く問われる令和の時代になり、だいぶ様相が変わりました。オートバイメーカー各社は、「高性能なスポーツバイクは、サーキットを走るために買ってね」という方針にシフトし、カタログにはサーキットを走行するイメージ写真ばかりが並びます。しかし、サーキットを走るためのオートバイにも関わらず、依然としてナンバーを取得し公道を走行できる仕様で販売されています。
私がこのエントリを書いた理由は、速度超過を容認しろ、と主張したいからではありません。スピード違反というルールを破る行為について、それを取り締まるべき警察や行政、そして社会的責任を負うべき企業が、なぜある程度ルーズな対応をしているのか。それを考えてほしいのです。
「ルールは厳しく守るべきだ」と考える人にとって、警察や行政、メーカーの対応は生ぬるいと言わざるおえないでしょう。警察は15km/h以下のスピード違反もバンバン取り締まるべきだし、自主規制のスピードリミッターは義務化して規制速度を下げるべきだし、メーカーは高出力で過激な製品を作るべきではない。そう思うのではないかと思います。
では、なぜ警察は15km/h以下の速度取締を行わないのでしょうか。自動車メーカーやオートバイメーカーは、なぜ過激な製品を作り続けるのでしょうか。そして、それに対して行政は規制をかけるどころか、なぜ規制緩和を行うのでしょうか。
なぜ、世の中ではルールを軽視するかのようなルーズな対応が取られているのか。それを考えることは、盲目的にルールを守ること以上に価値があることだと私は考えます。ルールを守ることこそが絶対の正しさだと考える方が一定数いらっしゃると思いますが、なぜ世の中は、その絶対的な正しさにまっすぐ向かっていかないのか。その理由を考えた先に、ルールと倫理の本質が見えてくるのではないでしょうか。
イカ天出身バンドという括りがよく分からんかったけどエンタ芸人みたいなもんか。
ロキノン系とかオルタナとかよく言うけど、ほぼ意味をなさない括りなんじゃないかと思う。
スーパーカーもサカナクションも相対性理論もフジファブリックもKING GNUもミセスもオルタナならもう何でもありじゃん。
それはオルタナ系しか聴かない奴の考えだと言ったらそうなのかもしれんけど、じゃあオルタナティブではないハードロック?とかって何なんだよって思う。
このサウンドはナンバガからの系譜が〜とか語ってる人見るとウゼ〜〜〜死ね!とも思うし、ちょっとかっこいいとも思う。音楽を体系的に聴きたい気もするし、頭でっかちになってしまったらって不安にもなる。
フォローしてる音楽に詳しそうな人が最近「今の若者はギターロックなんか聴かなくってさァ!そんなのはオッサンばっかでさァ!」とか自意識の垣間見える自虐を繰り返すようになった。
はてな匿名ダイアリーでもたまにオマエはオッサンに違いない!とか若者のフリするなよオッサン笑みたいなのを見かける。単純に全方位に絡んで構ってもらおうとするゴミだからそうなのかなと思ってたけど、やっぱり老化にはそういう作用があるのかなって思った。過剰に年齢というか世代を気にする感じというか。
性能調整、BoP(Balance of Performance)に関して話すならBoPの成り立ちを話すべきだと思う
BoPの考え方は今世界中でGTカーレースの主流になってるFIA-GT3規格から始まってる
これは様々なメーカーのスポーツカー・スーパーカーの市販車をベースにしてレーシングカーを作る規格で、自動車メーカーがチームやドライバーにレーシングカーやパーツを売って商売にしている。
ターゲットはジェントルマンドライバーで分かりやすく言えば金持ちレーサー向け。
そんなGT3へのメーカーのカテゴリー参入の門戸を広げるため、フェラーリやポルシェ、ランボルギーニのようなスーパーカーから、日産GT-Rやベントレーコンチネンタルみたいな車重激重のドデカ重戦車みたいな車両も全部ごちゃ混ぜで走らせる為に全車の性能をバランスを取るBoPという考え方が生まれたわけだ
ジェントルマンドライバーだって自分の乗りたいお気に入りのマシンを買ってレースしたいだろうしね
個人的にはどちらかというとショーというよりもBoPに関してはかなり商業的な側面はあると思う
自動車メーカーがより長くコミットメントしてくれるような制度がBoPなんだよ
ルマンのハイパーカーだってBoPが無ければあんなにメーカーが参入しなかったし、プジョーみたいな自動車メーカーがへんてこデザインマシンを持ってきてもある程度同じ土俵で戦う事が出来るわけだ。
https://anond.hatelabo.jp/20230817155314
近くに他の研究所の人や工場勤務の人も使う会社の食堂があってそこを使ってる。
ただ5分ほど歩くので、弁当を持ってきたり近くのコンビニを使ったりする人もいる。
自分のグループは食堂利用者が多く何人かでまとまって食堂を利用していているが、グループによっては1人で来ている人もいる。
ある日、自分のグループの女性部下が他グループの女性も一緒に昼飯に行ってもいいかと連れてきた。
女性部下と他グループ女性は歳が離れているが、女性同士のコミュニティもあるのかと快諾。
しかし後日、実は他グループ女性は食堂で工場勤務(部が違うので接点はほぼ無し)の男性から付き纏われていたらしいことが分かった。
最初はたまたま隣の席に座って雑談をしたのがきっかけだったらしいが、毎日隣の席に座る、食堂に来る時間をずらしても待ち伏せ(早めに来て入り口にいるらしい)、しばらく研究所内でコンビニ弁当にしたものの、挙げ句の果てに帰りの通勤バスで話しかけられるようになってしまったらしい。
ただ他グループ女性も大事にしたくないので退勤は同じグループの人と時間を揃えたり、昼は自分のグループと一緒に来たりしているらしい。
そして先日、お盆になり出社人数が減った状況で自分と他グループ女性だけで食堂に行った。
そして他グループ女性が先に席に座っているとお盆で空いた状況にも関わらずその隣に座る男性がいて、これが噂のと思いつつ、自分が他グループ女性の前に座って「知り合いですか?」と聞くとその男はお盆を持って別の席に移動した。
他グループ女性は別にセクハラをされている訳でもないので大事にしたくないと言っているのでこれ以上何かする訳でもないが女性は大変だなと思った話。
ズバリ金でしょう。
相手のストライクゾーン(価値基準)を探ることが先決→期待外れの施策はいくらやっても効果がないから。
この男性が副業して金を稼ぎ、スーパーカーで通勤すればナンパの成功率が高まったでしょう。
なので下方婚の問題は、現代社会でいかに金を稼ぐか?という経済問題に置き換えることができます。
まだ3億円を稼いでいない日本人は、経済や投資の知識が不足している可能性があるでしょう。
【追記】
増田の仕様で、タイトルのタグは10文字以内じゃないとダメでした。
最初はタイトルに [コミュニケーション能力検定] と書きましたが投稿したら [コミュニケーション能] と11字目以降が削られていたので タイトルにつけるタグを [思考実験] の4文字に変更しました。
1960-70年代は景気は良かったが
ヤーの子がよく暴れ、テレビでは洋画放映、読売ジャイアンツが強く、沖縄米軍系のフィンガーファイブ、野球チームジャニーズのフォーリーブス、スーパーカーブーム、ドリフターズ、スポコン、魔法使いアニメなどとわりとお伽噺な文化
大臣が佐藤栄作と田中角栄だしたぶんアメリカ風の政策だったんだろう
しかし70年代にはガンダムやタモリのようなマニアっぽいコンテンツが現れ、パソコンも現れ、いわゆるオタク文化が栄えていく(やや官僚ぽい文化だ)
60−70は今思えば景気が良かったのになんで荒れた?と思うと公害問題など分かりやすい大きな不正問題のスピンだな
一方、現代は円安だが社会問題が見えにくく敵がよく分からなくされている
LGBTや同性婚や夫婦別姓、SDGSなんぞ小集団問題が話題にされ、大きな不正はメディアに出ない
でもまあいうなら、現代の公害は派遣会社と節税商品(保険不動産)だろうな
バブル崩壊もそのせいだ
いわゆるクラシック音楽は他人の書いた曲を演るけど、コピバンも同じ事なのにバカにされがちというか、お遊びとして片付けられがちなのって何なんだろうね。
カバー歌手とかもちょいちょい流行るけど、どうにも一過性のブームになりがちに見える。
答え出ちゃったな。
ベートーベンやバッハに原曲もへったくれもないし、曲を書く事とプレーヤーがそれをやる価値が分かれてるのか。
あんまり知らんけど、古典落語や歌舞伎の「型」の話もそういう事を言ってるんだろうか。
クラシックは誰に向けて書いたのでもない曲をプレーヤーが各々解釈するけど、バンドは自分らで書いた曲を自分らでやる事に重きが置かれて、人の曲の演奏だけやるのは片手落ちみたいな扱いになるのかな。
バンドメンバーが自分たちの音を考えた上でフルオーダーした曲を他人がやってもね、みたいな。
おれの場合は単に慣れが大きい気がする。初めて聴いた音源を親だと思う習性があるから。
その辺の話だけで説明のつく事でも無いような気がする。
じゃあいわゆるシンガーソングライターではない、歌うだけの歌手はただのカラオケ野郎なのかよ?って事にもなるし。
自分もそう思ってる節が無い訳でもないが……
もっと突っ込んだ話をしていくと、メインカルチャー、サブカルチャーと差をつける理由って何よ?みたいな所に行き着きそうな気がする。
クラシックとかいう雑な括りをするけど、管弦楽(等)と言い換えれば別に古い事がアイデンティではないのだし、今だっていくらでも曲は書かれてる。
ロキノンの内省的な歌詞とかだって、100年後の10代も 同じ事考えてそうなもんだけどね。
時流だけで決まらないのなら、それぞれを分かつ要素が何かある?
まあなんにしても、他人の曲に乗っかるだけのやる気ない奴は本家の劣化コピーにしかならない。
ぼっち・ざ・ろっく観て楽器始めようとは思わなかった。過去にギター買って弾かなかったから。
でも邦楽を色々聴いた。高校の頃割と好きだった事変とかサカナクションとか、元ネタのアジカンとか。
そっからナンバガミッシェルスーパーカーフジファブリック、有名どころ色々をざーっと聴いた。
鬱病の皆さんに人気のシロップとかアートスクールにも期待したけど、そこはあんまりハマらんかった。私は音楽には鬱ではなく躁を求めているのかもしれない。
バンドサウンドはかっこいい。しっとりしたのも悪くはないけどやっぱり多動でバキバキなのがいい。
閃光少女のアウトロは最高だし、あんまり歌詞に耳を傾けない自分にOMOIDE IN MY HEADのシンプルな言葉が妙に刺さった。
一人でシコシコとピアノ弾いてるんじゃ一生辿り着けない場所だ。ピアノにはピアノの、ギターにはギターの領分がある。
センチメンタルピリオドのギターソロがかっこよすぎて思わずギターを買った時の高揚を思い出してみた。
ネットで譜面探していざ弾こうとしたら、当たり前だが遠すぎる道のりを知って早々に挫折した。
基礎練とかかったるいし、「出来る」ではなく「やりたい」に動かされていたかったから、最初からそれだけをやってたかった。
やっぱり考えを改めて、「出来る」からやっていこうと教本を1ページから進めた。
難所とネタにされているFコードも、なにくそと思って抑えられるようになった。指の皮も少しは硬くなった。
難所は超えたと思っていたら、AだかBだかの方が難しかった。退屈な練習曲をやるのもバカバカしくなってきた。
その辺でギターに触らなくなって、引っ越す時にメルカリで売った。結局「やりたい」を見失ってしまった。
youtube見たら初心者が0からこの曲練習して〇〇日みたいな動画がよくある。
そこそこ弾けてる人もいれば、絶妙にリアルなレベルの下手さで努力の限界を見てしまった気分になる事もある。
私も頑張れば弾けたかもしれない。でも頑張らなかったから後者にすらならなかった。
今思えば別にバッキングをしたいのではなくソロを弾きたかったんだから、もっと別な練習をすれば良かったのかもしれない。
そもそもアコギ向けの教本だった気もする。6弦ベースを買うコテコテのやらかしをした喜多郁代さんを笑えない。
あとあんな退屈な練習を耐え抜いた喜多郁代さんは凄い。彼女の決意の前に退屈なんて言葉は無かったのかもしれない。
それを孤独に耐え抜いた後藤ひとりさんはもっと凄い。というか全てのギタリストは凄い。
まあかといって私の初期衝動が偽物だったとはサラサラ思わないけど。
経験者なら分かると思うが、一度やっていた楽器を再び始めるというのはかなり億劫だ。
いくら強い憧れを抱いていても、練習は退屈だ。特に最初なんてロクな練習ができない。
それでも最初は誰だってメキメキ上達する。その喜びを糧に退屈な練習を耐えながら、ようやく憧れに少し近づいていくんだと思う。吹奏楽部でトランペットやってた時もそうだった。
世の中卓球が好きで好きでたまらない星野裕やボールと友達になれる大空翼ばかりじゃないし。
私のギターにはまだまだ勢いよく上達する余地はあった気もするけど、また一からはな…という気持ちは否めない。ギターへの敷居の高さ(原義)もさることながら。
それでもロックを聴き漁った今、楽器欲は再燃している。というかベースに惹かれている。
忘れられないの(サカナクション)のベースソロが滅茶苦茶かっこよかったから、懲りずに憧れてる。
真っ新に生まれ変わって一から始めて首の皮一枚繋がったどうしようもない人生を生きたいって訳。
いきなり憧れに近づこうとしても息切れするのは覚えた。
バンドに入るでもなくリズムをひたすら刻むのは退屈かもしれない。ベースギターとは本来そういう楽器だ。
でも別に「本来」にこだわらなければいけない訳でもない。最近じゃ割とスラップベチベチの曲も結構あるし。
ギターみたいなコード弾きも実は出来ちゃうらしい。クラシックギターみたいにしっとりしつつ、ベースらしい色気もあってオサレな感じ。
でも私がやりたいのはやっぱりバキバキの音楽なんだよな。それもかっこいいけど。私はブレてばかりだ。
なんて出来もしない事を空想してばかりで、カラテを疎かにしてジツばかり追い求めていては身につくものも身につかない。
とにかく「出来る」と「やりたい」の間で上手く揺れ動きながら、それでもやっぱり初期衝動を大切にしていけば、今度は…なんて甘い事を考えてる。
まあまた諦めてしまっても別に人生終わる訳じゃないし、やっぱりやってみようかな。
自分が好きな女性のエロ漫画家が居るんだけど、その人の同人作品が「イケメンが純情な少女をコマす」という展開の作品を描くようになってきた。
エロ漫画に出てくる竿役は、商業エロ漫画だと冴えない主人公が主流だけど、最近はキモいデブが竿役だったりしてる。同人はキモデブ率が高い。
なんでキモデブが竿役になりやすいか?というとキャラとして動かしやすいから。
基本的に作品に出てくる男キャラは何かしら動かないといけない と宮崎駿監督は言う。
パズーやアシタカのように奮闘することが男キャラの存在理由で、動かない男キャラというのは作品では存在できないのだ。
キモデブが竿役として登場する場合は、彼には何か特殊なチカラがある。
最近で言えば催眠術を使える だとか 女の子の何か弱みを握って脅迫できる とか。そういう、なぜ女の子をコマせるか?という理由が描かれて作品にリアリティが生まれて読者の没入度が高まる。
特に、弱みを握ってゆする、とか悪いキャラクターだと女の子のキャラも映えて作品として価値が高まる。
女の子が体を許す理由に「イケメンだから」では納得が低いのだ。
おそらく女性読者からすれば「イケメンだから女は抱かれる」というのは十分な理由になるんだと思う。しかし男性読者は納得できない。
説明すると、例えば、男性が好きなものとして「自動車」がある。あるいは高級腕時計でもいい。
自動車はエンジンの排気量や最高速度などのスペックで語られる。高級腕時計もムーブメントや各パーツの詳細なこだわりがある。
つまり「なぜこの自動車・時計には価値があるのか?」ということが分からないと男は納得しないのだ。
花はただ「美しい」というだけで存在の理由になる。エンジンのスペックもムーブメントの生産技術もない。
咲いているだけで価値がある。
イケメンというのは女性からすると「花」なのだ。何も言わずに作品に登場するだけで良い。女の子の体を蹂躙してもゆるされる。
男からするとイケメンというのはエンジンを積んでいないスーパーカーのようなもので、それに何の価値があるの?と不思議に思う存在になる。
男受けするイケメンを描こうとして、催眠術が使えるイケメンを登場させるのももんだいがあって、万能すぎて逆に冷めてしまう。バランスの問題があるのだ。
イケメンだけどココが抜けてるとか、イケメンだけどコンプレックスがあるとかそういうマイナス要素を加えてキャラを作ることが多い。
冒頭の作家さんも、商業エロではそういう感じで抜けたイケメンを描いていたりする。
でも個人の同人誌では趣味前回でイケメンを登場させていて、ちゃんとイケメンの使い方を理解した上でそういう作品づくりをしてるんだと思う。
人生で男が手に入れるべきものリストです。今の時代にこれら全て手に入れるのはとても大変です。高校に入るまでには知っておき、準備しておきたいですね。
・平均+200万以上の年収(新卒で国内大手メーカーが良い。外資は避けた方が良い。起業して成功、転職して給与アップ、終身雇用崩壊などは中年ニートやうっかりベンチャーに入っちゃった馬鹿の負け惜しみです)
・妻(結婚相談所やマッチングアプリは負けです。学生時代の恋人と結婚してこその愛です)
・子供(2人が良い。3人以上いると1人1人のリソースが薄くなります)
・車(国産ミニバンが良い。スーパーカー?家族でキャンプとか行けませんよ?)
・関東圏郊外の戸建て(生活費、教育環境、職場、将来の地価など様々な要素を考慮すると地方と都心の中間の住宅街が良い。マンション?集合住宅ですよ?)
Spotify等に入ってる「ストレスMAXの時に歌う曲」プレイリストから抜粋しました。
だいたいの曲はカラオケでもよく歌います(歌えるとは言ってない)けど、カラオケ用のプレイリストは別にあります。
なるべく1アーティスト1曲縛り。
この曲良いよ!とかあったら教えてください。
気が向いたら追記するかもです。
みんなが運転中に歌う曲も教えて欲しいです!
あ、大都会と山本彩の六甲おろしだけは現状YouTubeでないと聴けないです。失礼しました。
このリストは深夜テンションで暗い部屋のなか音楽聴いてひとりニヤニヤしながらスマホでポチポチ入力してたんですが、今考えたらSpotifyのプレイリストを公開してURL貼付け…はユーザー名見えちゃって嫌なんで、Google Sheetsにコピペしてウェブに公開すれば良かったですね。深夜テンション怖あ。
一旦コピペしちゃえば後はZapierとかで公開したリストの更新も自動化できそうです。他のサブスクとの統合もできそうですね。
はてな匿名ダイアリーをご利用の皆さん、お久しぶりです!
↑の元増田です!
皆さんお待ちかね!「Pixelの録音アプリでヒトカラを文字起こししてみた」の回答編をお送りしまぁす!
(ワー)
(パチパチパチ)
(マッチャンカッコイー)
ありがとー!みんなありがとー!
えー、記事投稿の直後から今日までですね、霊界・神界・魔界・並行宇宙・情報統合思念体などなど、各方面から大変たくさんの反響を頂きましてですね、今回めでたく、回答編をお送りできる運びとなりました!
本当に、本当にありがとー!みんな拍手ー!
(パチパチパチ!!)
(マッチャンダイスキー!!)
俺もみんなのこと大好きーー!!!
(ギャアアアアアア!!!!!)
(ウルセエエエエエエ!!!!!)
まだ問題を読んでない人は、ぜひ読んでみてねー!
じゃあ早速いっちゃうぞー!
心構えはー!?
(アノォーニマァースユゥーーニヴァーーース!!!!)
オッケーいってみよー!!
Official髭男dism - Pretender
ONE OK ROCK - Wherever you are
Neil Young - After the Gold Rush
ちなみに、地球の人たちは誰も答えてくれなかったよ。
俺は今を愛してる。
バーイ。
車オタクからの知名度は無いものの、意外とマニアックなエンジンを作っていたのがドイツの巨人フォルクスワーゲン。
フォルクスワーゲンのスポーツモデル等には、VR6エンジンというV型6気筒エンジンが搭載されていた。このエンジンは挟み角が15度程度しかない鋭角V型エンジンで、V型エンジンにも関わらずエンジンヘッドは1つのみ。V6エンジンながら、擬似的な直6エンジンという、マニアックなシロモノだった。
このようなレイアウトを取ることで、エンジンの長さや幅を圧縮することに成功。フォルクスワーゲンは、六気筒エンジンをコンパクトに横置きすることに成功したのである。色物エンジンに思われるかもしれないが、合理的に設計されたエンジンなのだ。
このエンジンが搭載されたモデルの代表格といえるのが、フォルクスワーゲン・パサートR36である。3.6LNAのVRエンジンは約300馬力を発生。このパワーは6速DCTと、フォルクスワーゲンの4WDシステム「4モーション」でタイヤに伝えられる。スポーツモデルには見えない控えめなルックスと確かな動力性能を持つパサートR36は、まさに「羊の革を被った狼」と呼ぶにふさわしいモデルだ。
しかし、これだけでは終らない。フォルクスワーゲンはこのVRエンジンをベースに、W型12気筒エンジン(通称WR12型)を開発する。
このWRエンジンは、VRエンジンを直6エンジンに見立ててV型に配置したエンジンだ。Vが2つ連なるため、W型エンジンと呼ばれる。
このエンジンはアウディ・A8やフォルクスワーゲン・フェートン、ベントレー・コンチネンタルGTなど、複数のラグジュアリーモデルに搭載されることになる。しかし、このエンジン搭載車種で最も特筆するべきなのは、フォルクスワーゲンのフラッグシップSUVであるトゥアレグだ。
W12が搭載されたトゥアレグは、パサートR36と同様に控えめなルックスながら、その心臓はスーパーカー顔負けの450馬力を発生。まさに怪物そのものだ。生産された台数は全世界で500台。そのうち100台が日本に入ってきている。
ちなみに、このW12トゥアレグは中古車市場で200万~300万程度で流通している。国産車とあまり変わらない値段で、2000万超のラグジュアリーカーの質感を味わえるスーパーSUV、W12トゥアレグ。中古車市場が高騰する昨今で、狙い目の1台といえるだろう。