はてなキーワード: ヴァイオリニストとは
女性向けのなろう小説を死ぬほど読んでいるBBA参上。ファンタジーで世界観もしっかりしててこれは良かった!!数々をどうぞ。流石に良品だったので書籍化されております。
ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~ https://ncode.syosetu.com/n4293cy/
給食のおばちゃん異世界を行く https://ncode.syosetu.com/n2254en/
おねがい、かみさま ―運命があなたを呪うなら― https://novel18.syosetu.com/n9596hn/
書籍化はされてないけど佳作。
まず、「中小にいる優秀な院卒」の例の話をしていないです。院卒であることが必須ではない仕事をしている院卒の話をしてます
修士や博士が必須のプロジェクトがあります。そのようなプロジェクトで実務に携わる人は、通常全員院卒です。修士や博士が必要なプロジェクトには、高度な専門知識や研究能力を必要とする分野のプロジェクトがあります。例えば、化学の基礎研究開発やAIの基礎理論研究などです。
しかし、一部の開発研究では、院卒(修士や博士を持つ者)と熟練技術者(学士やその他の学歴を持つ者)が共同で行うことがあります。
また、以下の2つの条件を満たすプロジェクトは、通常院卒であることが必須ではありません。
院卒は自分の学位に見合った仕事をすることが大切です。そうしないと、仕事に興味ややる気を失うかもしれません。自分の能力を発揮できないかもしれません。ただし、自分の意志で違う分野に挑戦したい場合は、この限りではありません。
この話をしている時に、『中小企業と大企業の院卒労働者の能力の違い』について言い出すのは、話が繋がりません。それは、学位と仕事の関係とは関係なく、単に企業の規模による差別をしているだけです。
例えば、長距離ランナーは、自分の得意な競技に出場することが大切です。短距離に回されたりすると、自分のスキルが必要とされなかったり、やる気がなくなったりする可能性があります。ただし、自分の意志で短距離に挑戦したい場合は、この限りではありません。この話をしているときに、無名のクラブと有名なクラブのランナーの能力の違いについて言うのは、話が繋がりません。それは、ランナーのスキルと競技の関係とは関係なく、単にクラブの知名度による差別をしているだけです。
同様に、ヴァイオリニストは、自分の得意な楽器を演奏することが大切です。ドラム演奏に回されたりすると、自分のスキルが必要とされなかったり、興味を失ったりする可能性があります。ただし、自分の意志でドラムに挑戦したい場合は、この限りではありません。この話をしているときに、無名のオーケストラと有名なオーケストラのヴァイオリニストの能力の違いについて言うのは、話が繋がりません。それは、ヴァイオリニストのスキルと楽器の関係とは関係なく、単にオーケストラの知名度による差別をしているだけです。
推しているVが伸びねえなあ、でも数字関係なく継続可能な限りは活動を楽しんでほしいし、推したいという話。
「良いものはほっといても売れる」なんて夢物語であることは、多くの人が同意するだろう。
というか、商売では売り込みとか、そっち系の戦略だって立派な実力の一つとも言える。
少なくともそれは、VTuberの世界にもしっかり当てはまると思う。
一口にVTuberと言っても色々いて、その中には楽器演奏を売りにするVもたくさんいる。
その殆どがピアノかギターだが、中にはフルートやサックス、クラリネットといった管楽器、中には津軽三味線とかもいたり。
そんな楽器演奏Vでも、自分のイチオシはヴァイオリンを弾くV。
ロックギタリスト兼ベーシストをリーダーに、アコギ弾き語り系シンガーとプロヴァイオリニストという、なんとも異色の3人組のユニットとしてデビューしたメンバーの1人で、
クラシックの上質な音をベースにしつつも、ポピュラー系の曲調にマッチするカジュアルな表現を志向したスタイル。
これが、以下の演奏の通り聴きやすい上に非常に気持ちいい音なのだ。
ちなみにクラシックを弾くとこんな感じ。
おわかりいただけただろうか?
クラシックとポピュラーで、ベースになる音の質が殆ど変わっていない。
ここから、この人はどんな曲でもクラシックの奏法の応用として、リズム感を変えたり装飾を適度に加えた音作りをすることで、
あらゆるジャンルでヴァイオリンの魅力が一番引き立つ表現を目指していることが見て取れる。
まさに正統派ヴァイオリニストとして、楽器の持ち味を十分に活かし、ジャンルに囚われない表現を追求していると。
他にヴィオラも弾けばギターで弾き語りもするし、最近はオタマトーンもお気に入りと、なんでも楽しもう!という柔軟でサービス精神あふれる姿勢にも好感が持てる。
好きなアーティストがYUIと坂本真綾ということで趣味もいい。
とはいえ、ソロのチャンネルを開設して1年ちょいであることを踏まえても、数字については…という感じ。
これだけ実力があっても数字にならないのがVTuberの世界というか、楽器の実力が必ずしも数字に結びつかないのはまあ知ってたというか。
でも音楽家としては間違いなく真っ当な活動なので、数字は関係なくこれからも推したいし、何かの拍子で有名になればいいし、ならなくてもいいし…と思っていたり。
俺には別に扱うことは無理なんだわ…
スクールアイドルは薄給を賄うために見えないところでAV出演しているようにしか思えなくなったから見なくなった。
アバン先生はフローラ様と婚約してるのに浮気したいから勇者の家庭教師を隠れ蓑に現地妻と浮気しまくってたとしか思えなくなった。
長門有希は文化祭でベースを弾いたことでヴァイオリニストに目をつけられて浮気するようになったというキャラ崩壊を俺の脳内で起こしてしまった。
でも、それなら徹底的に隠してくれよ。
俺の大事な作品やキャラを穢すようなことを可視化しないでくれよ。
やらかしたらお前らが出費して声優取っ替えして収録し直して再放送して負の印象を上書きするくらいの罰を受けてくれよ。
知るか。
二度とこの業界に戻ってきて欲しくなかったよ。
「もし二十年後に君の演奏を聴いたとしても、私はそれが君の演奏だと思い出せるだろう」
◇
2019年の5月、モントリオール国際音楽コンクールが主催するジュニア音楽家のためのコンサートが開かれた。
名前は村田夏帆、当時11歳である。小柄ながら卓越したヴァイオリンテクニックを有する彼女は、このコンサートでの演奏曲目をヴィヴァルディの『冬』としていた。コンサートの当日、疾走感と柔らかさを交互にもたらす複雑なメロディーは三楽章に渡り、十分余り続いた。演奏が終わった時、彼女は微笑んでいた。
熟練した室内楽オーケストラとの共演は、完全に成功を収めたのである。
演奏が終わると、司会者が壇上にやって来て、フランス語にて彼女の演奏を讃えた。司会者を前に、恐らく村田夏帆はフランス語を解してはいない様子ではあったが、真摯な表情で司会者の言葉に向き合っていた。
演奏を無事に終えた安心感と、そして異国の言葉で賛辞を向けられる緊張感。その二つをない交ぜに、彼女は生真面目な表情で司会者の言葉に耳を傾けていた。
そんな時である。
オーケストラの面々の表情が瞬時にして緊張感を帯びた。
ピエール・アモイヤルは、フランスのヴァイオリン界における重鎮中の重鎮である。
伝説的なヴァイオリニストの一人と言っても良い。かの魔術的なヴァイオリニストであるハイフェッツが寵愛した唯一にして最高の弟子であった。
壇上にいた何人もの音楽家たちが慌てて居ずまいを正し、貴賓席でゆっくりと立ち上がる初老の男性に向けて視線を注ぐ。「本当にアモイヤルが来ているのか?」と言わんばかりに、椅子に腰かけていた数人の音楽家が僅かに腰を上げて、会場の奥へと探るような眼差しを向けた。
ただ一人、村田夏帆だけがその緊張感を共有していなかった。彼女にとって、アモイヤルは音楽界の重鎮ではなく、単にチャーミングな笑みを浮かべた初老の男性の一人である。とは言え、彼女は著名な音楽家の一人からコメントを受けるとあって、程よい緊張感を含んだ表情で男性へと視線を向けた。アモイヤルは微笑んでいた。
アモイヤルはまず、オーケストラと小さなヴァイオリニストの素晴らしい演奏を讃えた。その後、彼はゆっくりとした英語で少女に向かってメッセージを紡ぎ始めた。
とアモイヤルは言うと、続けた。
「もし20年経って君の演奏を聴いたとしても、あの時聴いた音だとすぐに思い出せるだろう。
過去の巨匠であるハイフェッツ、オイストラフ、ミルシュタインがそうだった。そのくらいあなたの『声』はとてもユニークだ」
会場からは拍手と共に微笑が漏れた。それはアモイヤルの英語がお世辞にも上手ではなかったからかもしれない。あるいは、その賛辞が、コンクールで優秀な成績を収め続けているとは言え弱冠11歳の少女に述べるには、あまりに本格的に過ぎたからかもしれない。
いずれにせよ、村田夏帆は通訳の女性の声を通し、アモイヤルの賛辞を聞き届けると、微笑みを浮かべた。
そんなこんなで、モントリオールにて開かれたジュニア演奏家のためのコンサートは成功裏にて幕を閉じ、彼女は日本への帰国の途に就くこととなった。彼女は、学業の傍らヴァイオリンを演奏し続ける忙しい日々へと舞い戻っていくことになる。彼女のヴァイオリニストとしての物語は、2022年の現在に至ってもまだ続いている。
◇
客観的に言えば、この時の村田夏帆の演奏には些かの粗もあったと言えよう。
そのような感想を抱く音楽愛好家は決して少なくはないだろう。才能があるヴァイオリニストであるとは言え、やはり彼女は11歳の女の子なのであり、十分なキャリアを積んで技量に磨きを掛けてきたベテランのヴァイオリニストに比べれば、見劣りする部分は(多くはないにせよ)存在する。
彼女の演奏は、過去の偉人たちと同様、独特の『声』を持っている。そのことも同時に明らかなのだ。
弦に当てる弓を僅かに傾け、切ないまでの叫びを上げるヴァイオリン。
その響きには、明らかに音楽に対する愛と、そして、時代を超えて人の耳を捉え、心の奥底に触れる繊細なタッチが同居している。その音を聴くことができる喜びは、時代を超え、人の心を超えていく。我々はそんな彼女の『声』を耳にできることをきっと喜ぶべきなのだろう。
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
そういうの初めてだからちょっと恥ずかしいけどこれからも少しずつやっていこうと思う
動画を撮るにあたって狭い部屋の模様替えなんかをした
YouTubeとかInstagramで色んな人の見て思ったんだけどさ
今ってその筋の一流のプロよりさ
中途半端なユーツーバーの方が再生回数も登録者数も何十倍も多いんだね
娯楽性が強かったりイロモノで単純に目をひくようなのが結局は有名になるんだよね
庄司紗矢香と葉加瀬太郎じゃ葉加瀬太郎の方が有名で人気もあるだろうし(数の話)
まあ別にいいんだけど
俺は庄司紗矢香にも葉加瀬太郎にも人気ユーツーバーにもなれないし
好きな事こつこつやってくさ
当然コルピクラーニだよな!
というのは不動の前提知識として、にわかに注目されているらしいのが、バンドリ!に最近加わった、Morfonicaとかいうバンド。
えー、女性声優でヴァイオリン弾ける子なんていたっけ?と思っていたら、例によって「逆に考えるんだ、ヴァイオリニストが声優やってもいいさと考えるんだ」ときやがった。
だからお芝居は百歩譲ってノーコメントだけど、個人的にこの人の弾き方も音も、あんまり好きじゃないんだよなあ。
とびっきりのトッププロはともかく、そうじゃない多くの日本人ヴァイオリニストにありがちな「小手先の奏法から始まり、百万回さらって成功した人」というか。
それだけ「作り物を極めた」努力は本当に凄いけど、同時にそれは死屍累々の道であり、何より音楽の原点である歌からかけ離れたアプローチと言う意味でも真似すべきじゃないと思う。
そういうのにリスナーも敏感なのか、ポルノグラフィティの名曲、メリッサのカバーは相当否定的な評価みたいだし。
まあでも、ヴァイオリンが印象的なアニメ系の楽曲は色々あるし(微妙に古い例ばかりで申し訳ないがこれとかこれとかこれとか)、どうカバーされるかは期待しておこうと思う。
これも「生暖かい目で見守る」ということになるか。
なぞなぞです!
正解はお昼よ!
もうまたうかうかしてたらこんな時間でバーチーバーチーって言って騒いでる場合じゃないわ。
うかうかしているついでにお腹まで減ってくると言う、
頭使ってっからよ頭を。
そう自分に言い聞かせたいぐらい引き出しの中のチョコをちょこっと頂きたいところだけど、
ここは我慢の助よね!
じゃないと美味しい美味しいビールランチのルーヒーの値打ちが下がっちゃうわ!
ところでさ、
演奏家の人がこぞってヴァレンタインデーコンサートをやってるのがバレバレなんだけど、
色香漂う川井郁子先生のバイオリン聴きに行きたかったなぁ~って悔やむに悔やみきれない感じで、
最近ぜんぜん聞けてないから久しぶりにリサイタルでもって思うのよね。
私も昔弾いていたよしみ、
といっても3日で辞めちゃったから弾けるも何もってレヴェルなんだけど、
心なしか心惹かれるヴァイオリニストが使ってるヴァイオリンってストラディバリウスが多かったりするのよね。
これもストラディバリウスが持つ魔力なのかしら?惹き寄せられちゃうわ。
分からないけど。
でね、
確かに聞き比べてみたらストラディバリウスの音の方が古い臭いような気もしないような気がするけど、
新しいヴァイオリンと、
それらのストラディバリウスパイセンとの音色とは確実に違うのよね。
って言ってみたりすると分かってる体裁になるじゃない。
よく分からないけど。
なんだかんだ言って日本にストラディバリウスは40丁ぐらいあるっていうから、
そんでね、
いつも千住真理子さんはストラディヴァリウスのデュランティのご機嫌を伺ってあげると大変お喜びになるの。
であと、
ライブ中のMCのおしゃべりでストラディバリウスを専門に狙う窃盗団ガイルって話をされていて
本当にそんなストラディバリウスだけを狙う窃盗団なんているのかしら?って思っちゃうけど、
まるで名探偵コナンのバーロー的な世界観の話しにも思えちゃうのよ。
要は演奏者の箔と先入観とがもたらすシナジーつまり相乗効果だと思ってるわ。
でもはっきりと違うのは
男性の奏者と女性の奏者とでは骨格や筋肉のしなやかさが違うので
どちらかと言うとそういうのでの音の差って言う方が大きいらしいわよ。
へーって思っちゃった。
そうは思わない?思うでしょ?
でも一番正直なところはヴァイオリンを弾く弓の具合で音が違ってくるって言うから
だけどその松脂のおかげで真剣に弾いていると弓から煙が出たりする時があるから、
ビルボードとかブルーノートとかの照明に透かされて薄暗い中だと結構弓から煙が出てるのよく見えるわよ!
見てみてね!
うふふ。
オレンジネーブルとピンクグレープフルーツを買ってみたので、
搾って炭酸割り、
試してみてよって一言言いたい感じまだ飲んだことない人にはね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ちょうど今読んでいる夏目漱石の「創作家の態度」に、そこら辺のご都合主義的に歪められた世界観に気付いてしまった読者の心理が書かれているところがあったので参考までに。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/1102_14956.html
>>これは小説ではありません。事実だとして、あるものに書いてありましたが、私は単に自分に都合のいい例として御話を致します。
以太利イタリーのさるヴァイオリニストが旅行をして、しばらく、ポートサイドに逗留とうりゅうしておりました時、妙齢の埃及エジプトの美人に見染みそめられまして親しき仲となったそうでございます。ところがこの男は本国に許嫁いいなずけの娘があるので、いよいよ結婚の期が逼せまった頃、ポートサイドを出帆して帰国の途に上りました。ところがその夜になると、船足で波が割れて長く尾を曳ひいている上に忽然こつぜんとかの美人があらわれました。身体からだも服装も透すき通っておりますが、顔だけはたしかにその女だと分るくらいに鮮あざやかであります。ただ常よりは非常に蒼白あおしろいのであります。この女が波の上から船の方へ手を伸して、舷ふなばたを見上げながら美くしい声で唄うたをうたいました。それが奇麗きれいに波の上へ響くので、船の中の人はことごとく物凄ものすごい心持になりましたが、やがて夜が明けると共にかの美人はふっと消えました。やれやれと安心しているとその晩またあらわれました。そうして手を伸して、首を上げて、波の上を滑すべって、船のあとをつけて、いかにも淋しい声で、夜もすがら唄をうたいます。それから夜が明けると、またふっと消えます。そうして夜になるとまた出ます。そのうち船がとうとうネープルスへ着きましたので、かの音楽家はそこで上陸致して、自分の郷里へ帰ると、手紙が来ております。差出し人はと見ると、ポートサイドにいる友人で、かねて自分と彼の女との間を知っているものでありました。すぐに開封して見ると、あの女は君が船へ乗って出帆するや否や、海の中へざぶざぶ這入はいって行って、とうとう行き方知れずになったとありました。
(中略)
ここに、こんな切な恋がある。これをどう云いあらわしたらば、云い終おおせるかとの試問に応じて出来上った答案と見なければなりません。世の中へ出て行って、どんな恋があるか探索して来いと云う命令に基もとづいた、報告書と見ては見当が違います。したがって客観的価値の少ないものができたのであります。真と認められないものになりました。だからこの話を聞くと、マグダの結末ほどには、はあなるほど、こうもあろうとか、こうあるかも知れないねと云う気にはなりません。しかしながらその代りに、ごもっともだ、こうもありたいね、こうあれかしだと云う気にはたしかになれます。あれかしと云う語は裏面に事実じゃないと云う意味を含んでおりますから、つまりは嘘だと云う事に下落してしまいます。この下落が烈はげしくなるととうてい読めなくなります。馬鹿馬鹿しくなります。
例たとえば今の話しでも、もし船のあとを跟つけるものが、幽霊でなくって、本当の女が、波の上をあるいて来て、ちょいと、あなたとか何とか云って手招ぎでもしたらそれこそ奇蹟きせきになります。幽霊ならば、有るとも無いとも証明ができないだけで済みますが、生きた人間が波の上を歩いては明かに自然の法則を破っております。いくら、かくあれかしと思ったって、冗談じょうだんじゃない、おのろけも好い加減にした方がよかろうと申したくなります。人を馬鹿にするにもほどがあらあね、まるで小供だと思っていやがると本を抛なげ出すかも知れません。
(西遊記、アレビヤン・ナイト、もしくはシェーヴィング・オブ・シャグパットのようなものの面白味は別問題として論じなければなりません)して見ると私が前段に申した意味が自おのずから御明暸になりましたろう。すなわちいかな主観的な叙述でも、ある程度まで真を含んでおらんと読みにくいものである、そう截然せつぜんと片っ方づけられるものじゃないと云う事であります。この幽霊のごときは極端の極端の例であるから、積極的に真を含んでおらんとも云えましょうが、むやみに真を打ち壊しているものでないと云う事だけは、さきの説明で明らかでありましょう。しかも読んで馬鹿馬鹿しくならんのは全くそのお蔭である以上は、真の分子がいかに叙述の上に大切であるかが分るでありましょう。 <<
彼の話の主題は別のところにあるのですが、つまりは「ある程度のつじつまがあっていないと、人は没入することができない」ということではないでしょうか。
西遊記やアラビアンナイトについては別問題としているわけですが、完全な創作世界のお話であっても、その世界の中でのつじつまがある程度あっていなければ読むのが馬鹿馬鹿しくなる。
会場北人限定のチラシで案内してたのね。
で次もまた行って聴きたいなぁって思ったので、
超ラッキー!
色々な見聞を広げようと、
いろんなヴァイオリニストさんのコンサートやライブに行ってみてるんだけど
ファン層というかなんというか、
そういうのになんか眉間にしわを寄せちゃいそうな、
うーん嫌だなぁって思うことあったりなんかして、
まあこんな話も朝からなんだけどさ。
FC優先チケットってどうしても顔見知りが増えちゃうじゃない。
増えちゃうじゃないって言っても、
実際増えるのよ。
でもう仕方ないから顔見知りの人が席隣の場合になるときもあって、
せっかくだし最低でもあいさつはしておこうかなって
ビックリしちゃったわー!
どちらかと言うと
それに群がってるファン層が嫌で
アーティストさんから離れちゃうってのはこういうことなんだなぁって。
うわー!って思っちゃったわ。
またツアーが始まるんだけど、
それ思うと憂鬱よね。
まあとりあえず、
とか言っちゃって
愚痴っちゃったけど。
楽しんでくるわ。
うふふ。
朝ご飯ぬきです、と言うか
なんか買い損なっちゃったというかタイミングが悪かったというか。
そんな感じね。
お昼は食べれるかしら。
直で食べる方が圧倒的に多いけどね。
冬の水分補給も忘れないようにね。
意外とガチ忘れがちよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
というか午前中は怒濤のなんやかんやであっと言う間に過ぎてしまったわ。
お昼ご飯は
本当はニューヨークの街の人たちがやるように、
やっぱりこういうのは出来たて作り立て巻き立てが一番なのよね!
わかる?
それはさておき、
昨日スマホいじってたら、
下に出てくる広告でその人のチケットあるよ!って出てきてたので、
即ゲットよ。
ソルトレイクシティ公演はソールドアウトだっただけに嬉しいわ!
こんな都合の良すぎる広告ってあるかしら?
今までで一番私にハマった広告だわ。
せっかく頑張ってチケットぴあはチケットあるよーって言ってくれたのに、
まったく世の中擦ったもんだわ。
でさ、
もう私間違えて、
この大根すったもんだしといて!って言いそうになっちゃったわよ。
この勢いだけは認めて欲しい。
もうみぞれ鍋するのにどんだけ大根すり下ろさなくちゃいけないのよ!って
すったもんだだわっ!
うふふ。
なんだかツナがパサついてたけど、
まあ許容範囲よね。
知ってた?ツナで思い出したんだけど、
ネットオークションとかでは
ツナ缶作ってる所の人も熟成した方が出来たてより美味しいって言うもんだから
説得力あるじゃない?
リンゴもいい加減食べきりたいけど皮を剥くのが面倒くさいんだけど、
とピコ太郎さんのようには行かないわよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
美容院が朝早くから早朝に開店してると思ったら今日は平日なのね。
もうそんな時期なのねーって。
まあそれ以下でもそれ以上でもないんだけど、
ところでさ、
早々に諦めました!
そんな中、
いつも応援している人とは違う人なんだけど、
いろいろな見聞を広げるって意味で、
違う人も聞いてみた方がいいのかしら?ってことで行ってみたの。
まあなんというか
妖艶なお姉様という感じで、
もうストラディバリウス日本に何台あるんだよ!って話なんだけど、
若いヴァイオリンとそういった年季の入ってるベテランヴァイオリンの聞き比べなんてしても、
分かりゃしないんだけど
ベジータに言わせたら、
ストラディバリウスのバーゲンセールだな!!!って皮肉言われちゃいそうよ。
実際何台あるのかしらね?
でもよくよくまた見てみると、
貸与されてるものもあれば、
自己所有されてる方も居たりして、
自己所有って凄いわよね。
ストラディバリウスだけを狙う窃盗団に狙われてる話をするのがとても面白いわ。
ほんとかよ!って思うけど、
まるでミケール・ハインツの作品ばかりを狙う窃盗団の話を思い出すわ!
そんなこと言ってる場合じゃないのよ、
うふふ。
休日の日は決まってちょっと遠いけどお気に入りのパン屋さんに行くのよ。
実家にはプランタでミントが勝手に生えてるので奪ってきちゃいました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ミーハーだけど、羽生結弦がGPシリーズでやっている「ニジンスキーに捧ぐ」の元ネタが見たくて、プルシェンコのDVDを買った。
いやーすごいの何のって。完璧な演技とはこういうのを言うんだろう。羽生結弦じゃなくてもフィギュアスケートやってる人ならみんな憧れると思う。もはやプルシェンコ本人ですら再現不能ではないかと思われる若き日の超絶技巧の数々。そしてこの頃は20代前半ぐらいだったのか、若くて肌も美しい。(見るとこはそこじゃないか(^-^;)
あと、エドウィン・マートン(元は英語なので読み方が正しいかは不明)というヴァイオリニストと共演しているんだけど、音楽もやたらとカッコいい。プルシェンコ以外の人の演技も収録されているんだけど、アクロバティックな演技の数々を音楽がさらに盛り上げている感じ。
私はあまり動画が好きじゃなくて、たとえ気に入っても一回見て終わりにしがちなんだけど、これはプルシェンコの演技だけ選んでリピートして見たよ。アマゾンで売ってるので、フィギュアスケートが好きな人にはお勧め。
私の好きなヴァイオリニストの方の、
でさ、必殺物販コーナーで
めちゃ嬉しい~!
大事にするわ。
それでさ、
一言何か言いたいんだけど
なにか気の利いたことを言いたいわよね。
そんなことを考えてたらあっという間に終わっちゃって、
緊張するしね。
胸がいっぱいだしね。
ドキがムネムネよ!
ただ一つ言えることは、
その人、
でも、きっとありがとうは分かってくれたはずよ!
うふふ。
牛乳をかけていただくわ。
食べたあとの牛乳が甘くて美味しいのよねっ!
私の祖父が生きてた頃は、
牛乳かけご飯とか、
荒技してたけどあれって美味しいのかしらね?
少し興味津々よ。
二番煎じよりやっぱり一番煎じが美味しいわよね~。
二番煎じまでにしてるわ。
それ以降は限りなく透明に近い緑よ。
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!