はてなキーワード: パガニーニとは
の続き
曲名: Prelude to Madness(Savatage)
https://www.youtube.com/watch?v=DyBCSJQH2zE
曲名: In The Hall Of The Mountain King(Apocalyptica)
https://www.youtube.com/watch?v=VNE7Mt63t2E
Rainbowのことを考えたときにグリーグの 「山の魔王の宮殿にて」を思い出した。
せっかくなので別のバンドを記すことにした。他にもSavatageを中心にして生まれたTrans Siberian Orchestraなども演奏している。
https://www.youtube.com/watch?v=F-WazDQZu0I
Acceptのギタリストがヘヴィに仕上げており、聞いていて気持ちいい。彼はクラシックを取り上げたアルバムを2枚出している。
https://www.youtube.com/watch?v=W8bbodUFUUU
聞いたことがある人も多いだろう「怒りの日」を引用。長尺の曲だが、いかにもな展開でニヤニヤしてしまう。
私はこれ(https://www.nicovideo.jp/watch/so17472785)を思い出してしまう。
https://www.youtube.com/watch?v=rJeBuEjQeoI
聞けばわかるとあのフレーズ以外にもいいアレンジがされていて好き。Fabio Lioneの声も好きだ。
リンク先の楽曲は違うと思うが、Rhapsody of Fireの別の楽曲では、Christopher Leeがゲスト参加していて渋い声を聞かせてくれている。
Jason Beckerの1stソロアルバム「Perpetual Burn」に収録された「Air」がアレンジされ、オーケストラで演奏された動画を紹介したい。
原曲が本当に素晴らしいので聞いてほしいが公式動画はない模様。
曲名: Jason Becker's Air Covered By Konstantin Kokourov
引用: Air(Jason Beckerの1stアルバム「Perpetural Burn」収録)
https://www.youtube.com/watch?v=Vt4YHlSbuk0
さて、Jason Beckerをご存知だろうか。10代でCacophonyというバンドでデビューを果たしたギタリストだ。
ツインリードギターが売りのバンドで、もうひとりのギタリストは、先日Megadethの武道館公演にゲスト参加したMarty Friedmanだ。
JasonはソロアルバムとCacophonyの2ndアルバムを出したあと、Van Halenから抜けたDavid Lee Rothのバンドに参加。
しかし、スーパースターのバンドでこれからというときに、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症してしまう。
バンドのアルバムと2ndソロアルバムを完成させたものの、目を動かす以外の体の自由がなくなった。
それでも作曲活動を続け、2018年にはアルバム「Triumphant Hearts」をリリース。Martyをはじめ錚々たるプレイヤーが参加している。
記事の主旨からは外れるが番外編ということで、その2018年のアルバムから「Valley Of Fire」を。
https://www.youtube.com/watch?v=1gS5ibUPUvg
これでも削ったほうですが、語りたくなってしまった。
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
ピアノやバイオリンは、指の動きが非常に細かいこともあり、ともすると指に相当意識を集中させているように見える。
しかしながらよーく観察してみると、名手クラスのかなりの割合が、指ではなく手、もう少し具体的に言うなら掌全体で、鍵盤や指板を押していることが確認できると思う。
これはある意味当たり前で、素早い動きの中で適切な位置に指を下ろそうと思ったら、指をひん曲げて届かせるより、手の形を崩さないまま手の向きを変えるほうが素早くかつ柔軟に動けて、必要な圧もかけやすいからだ。
…と、思っていたのだが!
実はアマチュアのみならずプロの中にも、「指を捻じ曲げるような」動きを猛スピードでこなしている人が何人もいて、ちょっと仰天している件。
ピアノだと、グーではなくパーをベースに指を動かしていて、「握ったお手玉が即座に落っこちてしまう」動きになっている。
バイオリンだと、親指を思いっきり反らしたままの状態で、指がクネクネ動きまくっている。
もちろん、普通だったらそんな手付きで素早い動きなど到底不可能なはず。
でもできているということはアレか、いわゆる「百万回さらう」ことで指の筋肉を鍛えまくってきたということ?
そりゃ3歳4歳から始めて十数年かければ、それでモノになる人が何人かはいるのだろう。
でも、そういう修行を経て一人前になることが「音楽」なんだろうか?
音楽の基本は間違いなく歌なのだが、指の筋トレと歌を結びつけることで音を表現するのは恐ろしく大変だと思うし、そんなの「本来やらんでもいい苦労」なのでは?と感じずにいられない。
まあ、ラフマニノフやパガニーニとかの超絶難しい曲だと、手付きグーの延長では弾けそうにないくらい、むちゃくちゃな指の動きを要求してくることは想像に難くないので、そういうのに備える鍛錬みたく捉えることはできそうだけど。
ピアノ→吹奏楽なのでマジでクラシックか昔のクラシックを吹奏楽リメイクしたものしか聴いていなかった。
パガニーニの20番(正式名称がわからないけどcmにも使われている)とか聴いただけで射精する。
音階が綺麗すぎるし、何だろう、本当に綺麗なんだよ。
語彙無いなぁとは思うけど、本当にそれに尽きるというか。
大学に入って、これまでの吹奏楽をやめてバンドサークルに入った。
ぶっちゃけバンドなんて俗物だと思ってたし、今でもそう思ってる。
自分は限りなくそれに近く、近くありたいと思っていることがわかってしまった。
教えてもらったものは、今売れているものなんて全く入っていなくて、むしろ逆行しているようなものばかりだったけど、全てとんでもなくかっこよかった。
全ての人が好きになるもの、全ての人が気になるものって、必ず誰かの思惑が働いていて、信用ならないと思ってしまって。
音に加工なんかしなくたって、極論エフェクターなんか使わなくたって、音楽って成立するし、かっこいいものはかっこいいんだ!と思った。
音楽はもう懲り懲りだと思った。
でもまた音楽がやりたい。
かっこよくなくても、下手くそでも、どうしてかわからなくても、音楽がやりたい。
こんなところでしか形にできないのだから、実際に形にできるわけがない。
でも続けたい。
カッコ悪くても何か形になる音楽がやりたい。
高校時代の青春をギターの練習にささげ、ヤング・ギターを読んで教則ビデオを見ては「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤に明け暮れる日々を送るギター・ヲタクだった現在40代の私にとって、
この4名が一緒のステージに上がって演奏するというライヴの情報を見たときはまさに目を疑った。仮面ライダーで言えば初代とV3とストロンガーとスーパー1が一緒に登場して戦うような豪華さなのである。
スタンディング席10,000円というチケット代に昨今の物価上昇の流れを感じながらも私は数ヶ月前からこのステージを心待ちにしつつ、ついに迎えた4/7、定時ダッシュの18:00で会社を上がり、そのまま一目散にお台場のZepp Tokyoへと足を運んだ。
これから綴るのはそんな私からの、ヒーローたちへの拙いラブレターである。
今回出演する5人の中では最も若く、私もインタビューで姿をチラッと見たことある程度の存在だったトシン・アバシ。当然音は一切聞いたことが無い。
8弦ギターを高く構えて演奏するスタイルを見て、「恐らくものすごいテクニカルで複雑な演奏をこなす人なんだろうな」と思っていた私の予想そのまんまの人だったので、何も新しい衝撃はなく、かと言って印象的なメロディがあるわけでもなく、ただただ早く終わってくれとしか思えなかった。
強いて言えば低音弦で鳴らすヘヴィコードがとても心地よく聞こえたくらいだろうか。
アバシの黙々とした独演会のラスト曲で共演したヌーノ。曲が終わってアバシが去り、残ったヌーノはユーモアあるMCで客席を温めてそのまま「Get The Funk Out」を畳み掛けた瞬間からもう会場は雰囲気が一転!「そうそうこれが聞きたかったんだよ」というオッサンオバサン大歓喜!
EXTREMEの「Pornograffitti」ツアーからかれこれもう25年は使い続けているであろうギター、WashburnのN4。無塗装で手垢だらけのボディ、もはや何回交換したのだろうか分からないネックの先に伸びた印象的なリバースヘッド、そのギターを腰の位置まで低く構え、細く引き締まった体で長い髪を細かく振り乱しながら、リアピックアップL-500特有のトレブルな音を、爪を黒く塗った細長い指を駆使してカリカリと弾き出すそのヌーノのスタイルは、25年前から全く変わっておらず、我々ギターキッズにとって永遠の憧れであり、ヌーノといえばそのN4を携えたスタイルこそがアイコンなのである。
ヌーノもおそらくファンのそういった思いをきちんと分かっているのであろう。ドラマゴッズの頃はほんの一時期だけ肥えていたこともあったが、昨今はさらなるワークアウトを続けてとても50歳とは思えない体型を維持している。
要は我々はそんなカッコいいヌーノが懐かしい曲を弾いてくれさえすれば良かったのだ。そしてそんな期待に100%応えてくれるかのように彼はEXTREMEの代表的なギターソロ部分をつなぎ合わせたメドレーで私を満足させてくれた。ありがとうヌーノ!
オジー・オズボーンの「no rest for the wicked」や「No More Tears」の頃は歴代オジーギタリストの流れを汲む印象的なリフとよく練られたギターソロで、私もよくコピーして練習していたザック・ワイルドの曲。
ソロ時代のザックといえば「Pride&Glory」こそが至高であり、その作曲センスとギタープレイがさらに輝きを増しているように私には見えたが、そこから何があったのだろうか、Black Label Societyなるバンドを組んでからというものの、知性がゼロのギタープレイヤーに成り下がってしまった。
かつての「Miracle Man」のようなスピーディかつメロディアスなギターソロは存在せず、適当にチョーキングしている以外はペンタトニックスケールをフルピッキングしているだけ。ダサい、ダサすぎワロタ。ZZTOPを意識してるのか長いあごひげも汚いだけだし、時折モニタースピーカーの上に立ってゴリラのモノマネをするのも「俺はこれだけアホになったぜ」と言っているようでかつてのザックを知る身としては寒くて痛々しくて仕方なかった。
彼に関してはとにかく「Pride&Glory」の頃のスタイルに戻って欲しいとしか言えない。よくあんな曲とスタイルでレコード契約が持続できるなと思うほどのダメダメっぷりである。
今回の5人のなかで誰が一番好き?と聞かれれば私は即座にスティーヴ・ヴァイと言う。中学3年生で「Passion And Wafare」を聞いて以来、未だに私のスマホの音楽ライブラリではこのアルバムがヘヴィローテーションしているし、私が今メインで使っているギターもIbanezのJEM7Vだ。
過去にヴァイ先生の来日公演は見に行ったこともあるし、ライブ・アルバムやライブDVDはすべてチェックしているうえに、YouTubeもかなりチェックしている。
したがってこれまでのGENERATION AXEのツアーでどんな曲を演奏していたのかについては知っていたのだが、そのうえで今回はどう私たちを驚かせてくれるのだろうというのが一番の期待だった。
ザックに「エイリアン」と紹介され、のっけからヘヴィな「Bad Horsie」という意外な選曲だったのが嬉しかった。しかし、使われているのはあのミラーギター。全弦1音下げ+6弦ドロップCという変則チューニングのこの曲にあのミラーギターを使っているということは、すなわち今日は「Building The Church」をやらないという意味でもあったのだ。これはちょっと残念だったが、ひとまず「Bad Horsie」の重厚な音を堪能することにした。
その後は「Racing the World」が続いたが、今回の短い時間で聞きたいのはコレジャナイ感は否めなかった。アメリカツアーでは「Now We Run」もやってくれたそうだが、そういうのが聞きたかった。
そして「Tender Surrender」。ライブでこれほど映える曲はない。何百回と聞いている曲だが、それでも聞くたびにブルっとくるものがある。そこからは「Gravity Storm」もやったがこの選曲もやはりコレジャナイ感があった。
あともう1曲やってほしいというタイミングでヴァイ先生はあっさりとラストのイングヴェイへとバトンタッチをした。最も思い入れのあるのがヴァイだっただけに、今回のセットリストはちょっと残念だった。
実は私、生でイングヴェイのライブを見るのは今回が初だった。ただ、古くはWOWOWのライブ中継や、DVD、YouTubeを通じてイングヴェイのライブはさんざんチェックしているので、どんなライブをする人なのかはとてもよく知っている。
まさに「王者」の呼称にふさわしい、自信に満ちた堂々たる立ち居振る舞いで、とにかくピロピロピロピロと弾きまくり、3秒に1回はギター回しをし、5秒に1回はピックを投げ、10秒に1回は片足上げをするイングヴェイの変わらないスタイルが私は昔からずっと好きだった。
冒頭から赤い照明にドライアイスのスモーク。そのスモークの中から登場するイングヴェイ。もう最高!
前半は知らない曲もあったが、中盤からは「イングヴェイといえばこれでしょ!」という曲ばかりでうれしかった。お決まりのパガニーニからの「アダージョ」からの「Far Beyond The Sun」はもちろんのこと、なんと「Trilogy」も爆速で演奏してくれた。
途中、例の「バディヌリ」を演るも、キーボードのストリングスがまったく聞こえず、これでどうやって演奏を合わせるんだろうとそのあまりのアンバランス具合に思わず笑ってしまった。また、片足上げキックの高さが以前よりも随分低くなってしまっていたが、53歳という年齢を考えればそれも致し方ないだろう。イングヴェイはこれでいいのだ(笑)。
また、意外にうれしかった選曲がオーケストラとの共演曲である「Fugue」。当然バックにテープを回してのイングヴェイ独演会ではあるが、ずっとバンドの音が続いてきたうえでこのようなサウンドは良いアクセントだった。
ラストはヴァイ先生との共演による「Black Star」!個人的にはこの曲が今回のピークだった。まさかギターのハモリありの「Black Star」が生で聞ける日が来るなんて夢にも思っていなかったのし、その曲をヒーロー2名が一緒に演奏しているというのがもう感涙モノだった。
さぁ最後5人揃って…のはずが、最初はFrank Zappaの曲だろうか?知らない曲が始まり、弾いているギタリストもイングヴェイを除く4人だけ。あれ?イングヴェイは?このまま出てこないの?と不安になったところで「Highway Star」が始まり、ここぞとばかりにイングヴェイ様が再降臨。もう本人も分かっているんだね。どういう音楽なら自分が一番かっこよく振る舞えるかってことが。
しかし、リードギタリストが5人も揃って一斉に音を出してしまうと、聞いている方は「うるさい」としか言いようがない。とてもじゃないがじっくりと演奏を聞くのは不可能で、ただあの5人が一緒のステージに立って演奏しているという感動を味わうのが精一杯である。
かくして長い長い3時間半が終わり、会場を出たら時計は22:30前になっていた。足は棒のようになり、膝や腰にも痛みが来てしまったが、それでも私のギター人生において一生の思い出とも言える素晴らしいステージだった。この企画で来日公演を実現させてくれた全ての人々に感謝をしたい。
よく分かったね。お察しの通りバイオリン。
今はオケと室内楽やってる。オケはブラームスとベートーヴェンの交響曲が好きかな。室内楽はアイネクレベルのごく簡単なのを遊び程度に。
チゴイネルワイゼンもモーツァルトもヴィオッティもフランクも無伴奏のホ長調もやったことないのに、身の程知らずもいいところだと我ながら思う。
ましてやパガニーニの協奏曲やネル・コル・ピウなんて、体の自由が効く年齢のうちに弾けるかどうか。
でも、どうしても弾きたい気持ちが抑えられなかった。特にシャコンヌは昔から好きで好きで、殆ど恋焦がれていたと言っていい。
パガニーニはとんでもなく難しいけど、それ以上に極上のカンタービレに惹かれてしまう。
大学の先輩方はエチュードでローデを弾いたり、パガニーニのカプリスやチャイコの協奏曲に憧れる人達だった(ただし冒頭しか弾いてるのを見たことない)。
甘くしなやかかつドラマチックな音を出す彼らは、つい適当に勢いだけの荒っぽい音で弾きがちな自分を全く評価しなかったけど。
75
74 バルトーク 協奏曲、ヴィエニャフスキー エチュードカプリース
73 ヴィエニャフスキー 協奏曲第1番、イザイ無伴奏Vnソナタ、ハチャトゥリアン 協奏曲
69
66
58
56 ヴィターリ シャコンヌ
55 フランク、フォーレ、ブラームス/ソナタ、ローデ/カプリス(~67)
51 バッハ/無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティ―タ(~69)
50 バッハ/協奏曲1番(a-mall)、クロイツェル・エチュード(~60)
48 バッハ 2つのヴァイオリンのための協奏曲(第1ヴァイオリン)
47
46 ヴィヴァルディ 調和の霊感より第6番第1楽章a-moll、カイザー・エチュード(~54)
ザイツ協奏曲は圏外
ご覧の通り、偏差値45以下は載っていない。
まあ、これより下のレベルは、早い人だと小学校上がる前にクリアしてしまう(そして中学校上がる前にメンデルスゾーンをやってしまう)し、クリアすると歯牙にもかけない人が殆どだからだろう。
今年は3月まで仕事忙しいけど、春になって暇になったら、アラフォーの手習いとしてバイオリンを再開しようと思う。
高校の時、バッハのコンチェルトを弾いて卒業したんだけど、その後学生オケやアマオケをやるうちに、再び先生にきちんと付いて、もっとソロの腕を磨きたくなったので。
でもいきなりは絶対無理なので、より演奏が容易な曲で鍛えてからになると思うけど、調べた感じだと
バッハ無伴奏のホ長調→ヴィオッティのコンチェルト→モーツァルトのコンチェルト3番→モーツァルトのコンチェルト4番→フランクorフォーレorブラームスのソナタ(ローデ併用)→ヴィターリのシャコンヌ→ブルッフのコンチェルト1番→ベートーヴェンのコンチェルト
と、ここまでやってやっとメンデルスゾーンらしい。
ちなみにラロとかスコットランドとか、チャイコやブラームスのコンチェルトはもっともっと難しくて、究極的にはパガニーニをエチュードにしつつバルトークのコンチェルトになるのだそうな。
ウヘァって感じ。バイオリンどんだけ奥深いんだ。
そしてこれらを高校までにやってしまうプロはどんだけさらってるんだ。