はてなキーワード: お茶の水とは
メモ。
https://x.com/bozu_108/status/1813170714322870567
https://x.com/bozu_108/status/1813164657630409184(TikTokからの転載)
「なんしようと」の判別ができる
https://x.com/bozu_108/status/1813155364008841405
https://x.com/bozu_108/status/1813154105797583025(全て画像)
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A型とはこんな人
https://x.com/bozu_108/status/1813150330773029018(画像)
https://x.com/bozu_108/status/1813146556024996089
坊主とは
ポケモンGOのやり過ぎで坊主バークビになりました。新宿虚無僧バー、お茶の水BARスジャータ営業中。1日店長募集中!ご希望の方はDMかhidarihidari2000@yahoo.co.jp迄バー垢
@bozu810
民間では許容されてるけど公営では許容されないことはいっぱいあるからねえ……
片方の性別に限定した飲食店とか、基本無理だし、ミッション系の学校やお寺付属の幼稚園なんて腐るほどあるけど、公立校でそれやったら違憲だし。
(だから男女別学も、宗教と同じで私立ではOKだけど国公立ではNGってことにしたほうがいいと思う。お茶の水女子大や奈良女子大を私立化 or 共学化しよう)
ただ、両性に平等に身長を聞いているなら、形式面では差別ではないので難しいところ。
(女性の方が男性よりも相手に身長を求める傾向が強いのは、民間で自然に生じた偏りに過ぎないので、制度が平等なら文句をつけづらい。夫婦別姓の問題も、民法は「夫婦の姓を統一しろ」としか書いていないので、民間では女性の方が改姓しがちだが制度上は女性差別にはあたらない、という理屈で裁判に負けまくっているので)
これ https://b.hatena.ne.jp/entry/s/trafficnews.jp/post/127759
関西人が亀有行くのが難しいという嘆きに対して「老害じゃね?」「スマホで乗換案内見ろ」と好き放題な罵倒がされているが、はっきり言って亀有を含む、JR常磐線の綾瀬~金町に行くのは東京もんでも難しんだよ!
増田は東京の西側ばかりで活動していて、ある日仕事で亀有の隣の綾瀬に行くことになった。だが路線図を見て行き方が判らなくなってしまった。
何故なら乗換駅のJR北千住駅には綾瀬~金町に行く各駅停車のホームが無いのである。
実は常磐線は列車線と緩行電車線の複々線になっており、各駅停車が走る緩行線は綾瀬で地下鉄千代田線に直結している。
当然北千住のホームの場所が問題となる。普通はこういう時は北千住駅手前で地下鉄が地上に出て常磐線に並んだホームで乗り換えできるようにするじゃない?
ところが北千住ではそうならないで地下にホームがあり、その地下の北千住駅を管理しているのは地下鉄なのだ。途中駅なのだから当然だ。
だから「JR常磐線各駅停車の北千住駅は無い」というとても奇妙な事になっている。
乗換駅がJRと地下鉄の接続駅じゃなくてその次の快速以上が止まらない綾瀬が両社線の接続駅なんて無茶すぎる。
渋谷とか新宿以西でばかり活動していた増田はこんな無茶な構造になっている事は知らなかった。
この構造は千代田線乗り入れ開始で出来たのだが、綾瀬、亀有、金町の人らは激怒したらしい。
それまで例えば亀有から上野は一本で行けた。だが乗り入れ後は北千住で乗り換えで、更に地下の地下鉄ホームから高架の常磐線ホームに階段で上がる必要があり、やたらと時間と体力を食う。更に当時は地下鉄路線がまだ少なくて都電が現役だった頃だ。地下鉄で都心に直通出来るメリットも少なかった。
常磐線には
・特別快速
・普通
・快速
・各駅停車
という列車種別がある。普通は各停→普通→快速→特快の順で速くなると思うわな。
しかも各停は地下鉄に直通するから行先が違うという複雑怪奇さである。
快速っていうのは各停の駅を飛ばすから快速らしいのだが、走る線路が違ってこっちは地下鉄に入らない。
昔は「普通」は機関車の曳く客車やボックス席車で、「快速」は通勤電車だったので何となく判り易かったみたいだがJRが全部通勤電車にしてしまったので訳が判らなくなった。これも関西人じゃなくても混乱するポイントだ。
因みに普通は列車由来なのでトイレがあるが快速はトイレがない。ならば便通の方が適当ではないのか?
記事では、列車種別ごとに別路線のように描くのは、昭和中期の国鉄5方面作戦がどうこうと鉄オタ好みの説を書いているが、そうじゃなくて戦前の昭和初期の電車網築造に遡るのだ。
まず、京浜東北線。東海道線が東京、東北線が上野で分断されるのに対してこれらを直通して、更に東北線の方は尾久に車庫を作って列車線の方は車庫の向こうを回る形にした。すると途中の駅が違ってくる。そしたら別路線として案内した方がいい。
山手線。これは大正の終わりから環状運転を始めた。田端~東京~品川は東海道線と東北線だが跨って走る上に渋谷の方に曲がっていくからこれも別路線扱いで案内した方がいい。
中央線と総武線。複々線にしたのだがこれのキモは秋葉原駅で、中央線のお茶の水から分岐して秋葉原で立体交差、総武線の始発だった両国に繋ぐ路線を建設。
地上2階くらいを走る京浜東北線の上を跨ぐために街の上に高架を作るというのは当時は先進的であった。しかも秋葉原駅の東側(今のTX入口やロータリー、アキバヨドバシ)には貨物の荷捌き場と舟運用の堀があり、それを跨いで地上6階くらいの総武線ホームに直通するためのエスカレータもあった。
当時エスカレータは銀座の高級デパートくらいしか設置されていなかったのに駅に設置されるというのは相当に革新的に写ったと思われる。
また、御茶ノ水駅の前後と代々木駅、新宿駅には乗越線を築造した。
お茶の水の前後で一本づつ乗越しして、これによりお茶ノ水で東京駅方面と両国方面の乗客が同じホームの反対側で乗り換えが出来るようになった。
新宿も山手線と総武線(中央線の各停)が同ホームで乗り換えが出来るようにした。
今もあるあの便利な乗り換えが出来たのは戦前なのだ。工事量が2倍に増えるが当時の当局は利便性を優先した。「立体交差のダイナミックさ」に取りつかれていた感じがしなくもない。
こういう感じで、
に大正末~昭和初期に複々線の同じ線路を走る電車を別路線として案内するのが一般化した。そして駅名表にもその電車が止まる駅だけ表示するようになったので、実はかなり古い方式なのだな。
因みにだが、その別路線扱いの電車をそれぞれ違う色に塗るというのは昭和30年代後半に始まった。
更に路線が増えてきた営団地下鉄がその方式を拡張して、電車だけじゃなくて駅もテーマカラーで統一して、乗換案内を色で示すようになると、これは大変判り易い上にサインシステムとしても優れていると絶賛され、各国の地下鉄も同じ方式をやり始めた。
今はどこの国の地下鉄も路線ごとのテーマカラーで統一されていてありふれたサインシステムだが、そのオリジナルは東京の交通営団で、更にそのオリジンは国鉄で、その国鉄は昭和初期の別路線扱いの案内法をもっと判り易くする為に路線別カラーを始めた訳なのだな。
だから「亀有に行くのが判り難い」というクレームは叩き潰すんじゃなくて、先祖が始めた判り易い路線別システム、サインシステムの流れに反する退化だなと考えないとダメなんじゃないかと思うところだ。
2018年のお茶の水女子大のトランス女性の受け入れが一番大きいだろう。
あの時、反発する側が持ち出したIFだったはずの「心が女と称するおっさんが女湯に入りたがったらどうする」が、本当に入れろと集団で求めているように受け取られた。
増田でも何度も「なぜそんなに女湯に入りたがるんだ」と批判の書き込みがされて、そのたびに「批判側が言ってる空想だから」と説明したよ。あまり効果なかったけど。
当事者がだれも求めてないのに、LGBT問題に詳しいと称するコンサルタントが自治体や企業に食い込んで暴走始めてから
税金を差別を盾に我が物顔で浪費したがる集団と思われるようになって「そんな無駄金使うな、少しはわがまま我慢しろよ」と言われ出した。
この誤解を解消する手順を踏まずに、「理解促進法」なんて拙速に通したのがとにかく最悪の展開。
結局、政府もバイデンも政治的ポーズにしか気にしてなくて、当事者が実際に生きやすくなるかなんて意識の外だったということでしょう。
ガイドラインが機能していれば、複数医師が1年かけて診断した「本物」となりすましは別なんで、後者はどんどん逮捕しちゃってください、と言えたんだけどね。
【追記】
ブコメ "男女で分かれていないトイレを求める声は当事者から聞いてたよ"
当事者が共用を増やしてと求めていたら、2017年に、いくつかの府県が「LGBT専用トイレ」を推進するって言い出したんですよ。レインボーカラーに男女半分ずつのマークを付けて。
橋下徹「トランスジェンダー専用のトイレや更衣室を設けていくことには賛成。」 https://twitter.com/hashimoto_lo/status/836089493136396288
デパートや空港や公立高校でも何か所かレインボーマークのトイレが作られました。
さすがに当事者が専用施設が欲しいわけじゃない、誤解を生むと申し入れてなくなりましたが、SNSなどではLGBTが要求したと思われて批判されることになりました。
浪人が決まり、お茶の水の予備校にも馴染んできた7月のこと。同じ高校のモテない女友達5、6人で居酒屋へ行ったことがある。当時誰もが18、19歳で、私ともう1人以外は大学生になっていた。当時はまだ年齢確認が甘かったが、明らかに高校生の風貌の集団が入店してきたらそりゃ誰でも警戒するだろう。一杯目から梅酒を「そのまま」でオーダーし怪しまれたのか、飲み物が到着する前に店から追い出された。結局そのあとは通い慣れたファーストキッチンで遅くまで駄弁ったんだよね。
あれから15年が経った。私は受験に失敗してFランへ進み、普通に雇われの人生を送っている。彼女達は軒並み旧帝大を院まで出て華々しく社会人デビューしていたが、無職になってブラジルへ飛んだり、大河ドラマ作ったり、外銀で死ぬほど働いて死んじゃったり、慶應で教えてたり、SODでデビューしたりとかなり幅の広い人生を送っている。
15年前、夜の繁華街に放り出されたまだ10代の私たちのことをたまに思い出す。それぞれが大学に進んでからすぐに会わなくなっちゃったし、もうあのメンバーで顔を合わせることはないんだろうな。