プロパイダメールがオプションのプロパイダを契約していた為、とある題材を元にしたドメインを取ってメールサーバのみで数年運用している。
そんなドメインのメールアドレスに『このドメインは私が有効活用します、だから下さい』というメールがきた。
推測できるメールアドレスだったとはいえ、そんなメールが来る事に驚いた。
とりあえず、何年も使用しているため移行できない旨を伝えても、やる気がないだけと返してくる。
譲り受けられないのは此方が悪いと思っているらしく、ひたすら暴言を吐いてくるし催促もしつこい。
メールアドレスをブロックしても他のフリーメールアドレスから出してくるしつこさ。
結局、このメールアドレスで登録している情報をすべて他のメアドに変更する羽目に。
ツイッターである人がよくリプライをくれるのだけど、その人の言っていることがいつも理解できない。なんというか、世界の違いを感じる。
ってことを知人に話してみたら、「そういうやつはブロックしちゃえばいいじゃん」と言われた。うーん、でもなあ。
たとえば理解できた上でうざいとか邪魔と感じた場合なら、私は何の躊躇もなくその人をブロックするだろう。でも理解できない場合はブロックしたくない。理解できないままにブロックしてしまうことは、なんだか怖い。
似たようなところで、「理解できない人」「世界の違いを感じる人」をはなから「相手にしない」人をよく目にするけど、それもどうにも私にはできない。たとえばカルト教の信者だろうが教祖だろうが、はてなブックマークでスパム行為をはたらく人だろうが、快楽殺人者だろうが、モンスターペアレントだろうが、ネット右翼だろうが、なんであっても理解したい。理解しないままにしておくことがすごく怖い。
それが架空のキャラクタだったりしたらたぶん平気なんだけど。でもその人が現実にいる以上、私がその人と相対することもありえるわけで、そのとき「その人が何を考えてるのかわからないこと」「行動を予測できないこと」を想像すると怖くてたまらない。
飽きないなあ、知能が低いとそんなもんなんだろうけど
新幹線の中でうとうとしていたら、少し離れた席で子供が甲高い声をあげていた。
父母が「しー。しー。」と言うと一瞬収まるが、またすぐに声を上げる。そばの席の人は睡眠はあきらめざるを得ないだろうなと思いつつまどろんでいると、隣の席の会話が聞こえた。
隣に2人組の男性が座っており、会社の先輩後輩か、年の近い上司部下といった間柄に見えた。
年下「小さい子、大変そうですね。デッキにつれて行ったらいいのに。」
年上「いやー。金払って乗車してるわけだしデッキってのも。。」
年下「あー。まー確かに。」
年上「誰も悪くないけど、誰もが不幸な状況ってあるよね。」
一瞬間があって
年下「プハッww。なんて返していいかわからないですww。」
トンネルに入りノイズが増え、子供の声も男性たちの声も少し遠くなったところで私は眠りに落ち、次に気が付いたときは東京に到着するアナウンスが流れていた。
ここで例の一連のものを書いたって天井が知れているのは誰がどう見ても明らかなんだから、効果がわかった時点で次進めないとアホかと思われるよな。
プリンはすごい。
「プディング」から日本語になる際になる際の偶然なのだろうが「プリン」としたものがプリンという呼び名になっている。
もし奈良時代くらいに「プリン」が日本語として定着していたならば、現在ではハ行の音韻の変化に従い「ふりん」と発音されていただろう。
嫌アあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!「ふりん」いやああああああああああああああああああああああ「不倫」!やああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああわあああああああああああああああああああああああああああああああああ
こんな何度も出尽くした話なのにブコメの勢いが凄くてウケたw
いや、多分セレブ感、よりもよっぽど「身内感」なのが強いと思うよ。
それこそFacebookとかの繋がりだけでやっててくれればいいけど、
テレビやらニュースやらで身内同士の繋がりで次はだれだれーみたいなことされても
うっせーよ、としか思えん。
同棲している彼女が「今晩姉と飲みに行く」と言って出かけていった。だいたい3時間くらいしたら帰ってきた。
リビングで話をしていると、彼女が集合時間に間に合わなかったよと言った。じゃあ「遅れる」と送ったメールを見せてくれと俺は言った。
そしたら「他のメールを見られたくないから見せたくない。」「疑われると気分が悪い。」と言い放ってそそくさと自室に戻っていった。
嘘ついていることが自明な上に理由が最高に稚拙。(証拠を提示しろという要求にお前の感情なんてどうでもいいんだよ。)これ以上詰めたところで話が進まないと思ったのでとりあえず放置した。
俺からしたら「1人で外出したんだから証拠付きで何をしたのか説明する必要がある。」と思っている。できないならやましいことがある、という結論になってしかたない。
この後は、奴のSuicaから姉と会う予定の場所への移動履歴が残っているのか調べるところ。
お互い隠し事はしないようにしようよ。ほんとそれだけ。
それまとりくすでもなんでもねーし
Love Piece Club - どぶろっくと痴漢の関係
http://www.lovepiececlub.com/lovecafe/mejirushi/2014/08/19/entry_005292.html
話題になっていたので読んだ。
タイトルにタレントの名前が入っているので、人は集めやすいだろう。
下ネタ系芸人の“どぶろっく”と性犯罪の代表格“痴漢”という組み合わせもいい。
前半は自身の痴漢体験談と「なぜ痴漢は痴漢をするのか」という話。
興味深い話ではあるが、下世話な話を期待している人間にははっきり言って退屈だ。
その結果、適当に流し読みされて、間違った解釈をされるハメになる。
的を外した反論などを受けることも少なくないらしい。
話題になったテキストには、よくあることだが……。
特に“膜”についての話が話題となっている。
田房氏曰く、
「彼らにとっては、自分が相手に加害を加えているというよりも、 自分の世界、自分の半径1メートルを覆う膜のようなものの中に、女の子が入ってきた、という感覚なんだ」
という。
引用している書籍で取材されている強姦加害者は1人だけで、ケースとしては不十分だ。
それ以外では筆者の経験と取材を論拠としているが、自己完結の域を出ていない。
「感じ」「感じた」という仮説的表現を多用していることが、その印象をより強調する。
それでも妙に説得力が感じられるのは、筆者の秀でた表現力が故だろう。
連続して「あの感じ」を使用するくだりは、映画を思わせる迫力すら感じさせられた。
続けて“どぶろっく”について。
ここで筆者は『もしかしてだけど』の例として、次の二つを挙げている。
「電車で前に座ってる女が白目をむいて寝ているが、もしかして、俺の股間を見て失神したのではないか」 「夜道で前を歩いてた女が、こちらを振り返って急に歩くペースを速めた。もしかして、俺を招くために部屋を片付けたいんじゃないのか?」
『もしかしてだけど』を観たことがある人なら分かると思うが、
ここで用いられているネタは『もしかしてだけど』の中でもかなりエグい。
これらのネタは、全体の後半で用いられることが多い。
ソフトな『もしかしてだけど』に飽きてきた観客に向けられたカンフル剤的な役割を果たすためだ。
それがメロディも歌声もない言葉だけの状態で表記されているのだから、
どぶろっくを知らない人には印象が良くないだろう。
事実、Twitterでは、どぶろっくを知らない数人の方々が不快感を示していた。
YouTubeで公式動画が公開されているから、URLで紹介しても良かったのではないだろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=qj3bCb4a_9w
「そんなどぶろっくがこんなに老若男女に大人気なのは、 痴漢などの性犯罪に関する知識が日本の世の中に浸透していないことの表れである。」
“膜”の論理を用いて、筆者はどぶろっく人気をこのように評している。更に、
「「どぶろっくを笑う世界」には、痴漢などの性暴力は存在しないことが前提になっている。 同じ世の中にそういった被害は実際にあるのに、その被害とどぶろっくは別々のものと認識されていて、 観ている人たちの中で、まったくつながっていない。」
今年の4月になって“膜”と『もしかしてだけど』を結び付けた人とは思えない。
自らのことを棚に上げて、よく言えたものだ。
そして筆者は、
「性犯罪者のことを「異常者」「一生治らない病気」「性欲によるもの」と片付け、 社会全体で無視し、代わりに間違った認識だけを広めているためにその実態を知る機会がない。 つまりは性犯罪というものと性犯罪被害者に対してもマトモに向き合ってないということである。 そして社会全体が「女性に対しての侮辱」に対して徹底的に鈍感なことが、どぶろっく流行を力強く支えている。」
と結論付ける。
「社会全体が「女性に対しての侮辱」に対して徹底的に鈍感」であることは否定しない。
が、その理由として、『もしかしてだけど』の流行だけを用いるのは、些か無理がある。
そもそも、
「例えば、お笑い芸人がギターを持って 「老人の家に孫のフリして電話して助けを求めてみたんだ もしかしてだけど 間違えて俺の口座に振り込んでくれるんじゃないの」 と歌っても、面白くないし不謹慎だしお笑いとして成立しない。 それは、「オレオレ詐欺」という犯罪が実際にあることをみんなが十分に知っていて、 その犯人はこういう発想で犯罪をしているということがパッとつながるからだ。 そして同時に「老人に対する侮辱」も感じ、不快な気持ちになる。」
「女子中学生が痴漢に遭って「マジ痴漢ってなんなの?! ムカつく!」と言いながら、 どぶろっくを見て笑っている、という状況は異常だと思う。」
などの記述から察するに、筆者は演芸に関してまったくの素人だ。
古典落語の分野を見ても、『穴泥』『置泥』『締め込み』『出来心』など、
現代の若手芸人たちも、犯罪を取り扱ったネタを幾つも発表している。
例えばおぎやはぎは、「俺さぁ、結婚詐欺師になりたいんだよねェ」とのたまい、
結婚詐欺師になるための方法を二人で思案する漫才を作っている。
筆者は立川談志は「落語は人の業の肯定である」と言ったことはご存じだろうか。
女子中学生のくだりも同様だ。
痴漢を経験したことによる恐怖と怒りを、笑いが超越する可能性を完全に無視している。
それが果たして異常だろうか。
我々は、我々が経験した哀しい経験を、世の中の全ての作品に反映しなくてはならないのか。
不幸にもそうなってしまった人もいるだろう。が、そうじゃない人もいるだろう。
そういう人たちは異常というのだろうか。
だが、その感情を正当化させるために、“演芸”という他ジャンルを荒らすようなことをしてはいけない。
最後に、重箱の隅だが、
私も2008年にどぶろっくの「男の妄想」芸を観たときから、面白いと思って笑っていた。どぶろっくが好きだった。 だけど、2011年から痴漢に関し調べるようになり、今年の4月に「刑事司法とジェンダー」を読んで、 やっとどぶろっくと自分が遭っていた痴漢被害がつながった。 10代の頃からあんなに痴漢に遭っていたのに、どぶろっくを観ただけでは分からなかった。
「どぶろっくが好きだった」という人が、
「やっと」「どぶろっくと自分が遭っていた痴漢被害がつながった」という表現を使うだろうか。
別にいいんだけど。
普通に考えて鬱になって会社辞めた様上にこんな屑な醜態晒してるクズに里親の資格は与えないだろ。
金がなくなったとか言っていきなりプロミスに金借りに行くほど親戚付き合いも何も無いみたいだし。
まともな仕事もしてないみたいだし、奥さんも空想の人物みたいだし、空想離婚とか。。。(まあ、空想結婚の時点で養子もらえないか。。。それも空想だからな。。。)
お前アホだろ。。。
得したいなら余った金を大損覚悟で何処ぞの株にでも突っ込めよ。
互助だ。
そりゃ特することもありゃ損することも在る。
だけどそれはギャンブル的な損得は無く、あくまで「保険」の意味での損得だ。
アホみたいなインフレが起こった時には貯金ではどうしようもない。それに対しては給付金を上げる。
アホみたいなデフレが起こればそれ程給付する必要がない、それに対しては給付金を下げる。