はてなキーワード: Bunkamuraとは
本格インドカレー屋で父の誕生日祝いをする予定だったのだが、調理師の家でコロナが出たため営業を自粛することにしたそうだ。数日前にそんな電話が来た。残念だがしかたない。
ところで、ドタキャンになったお詫びに、営業を再開したら本来予約を受け付けていない昼でも、名前を言えば席を開けておいてくれるとのこと。次の機会を楽しみにしよう。ただ、家族の予定が合うのがいつになるかがわからない。
この日は妹とケーキを作り、NHKで古代ローマの特集をのんびりと眺め、桃鉄をやった。古代ローマの番組で特に面白かったのは、壁の厚さから建築物の高さが推測できるということだ。ところで、桃鉄は負けているゲームでいかに挽回するかがこのゲームの楽しみの一つである。
相手の体調が悪くてデートできなかったため、代わりに上野のポンペイ展に行く。ポンペイ展は何年も前にbunkamuraや森ビルでやっていたときに足を運んだが、今回はモザイク画に焦点が当たっている。ここで著名なアレクサンドロス大王のモザイクもポンペイのものだと初めて知った。ジョジョ5部で有名な猛犬注意のモザイク喪服性が床に展示されていた。
ここでは大学生くらいの女性二人連れが、柱に顔と陰茎だけをつけた彫刻を見つけて楽しそうにしていた。いわゆるギリシアのヘルメス柱像なので、宗教的な意味を持つ由緒あるものなのだが、さらし者にしか見えないと笑っていた。女性といえば、当時の女性の地位についての説明も十年前と比べて増えてきた。
他にもやたらと痛そうな産婦人科の医療器具や瑪瑙の指輪もあったが、当時の加工技術の高さがよくわかる。
そうそう、美術館に行く前に、久しぶりにエキナカのカレー屋に寄ったのだが、残念ながらこの店はインディカ米でないことを忘れたまま何ではなくライスを頼んでしまったので、ジャポニカ米が出てきたときにはがっかりした。上野ではビリヤニを頼まないとインディカ米にならない。これが品川の支店と違うところだ。
ここ数日はWORDLEというゲームをやっている。五文字の英単語を当てる遊びで、一致する文字があるか、その位置が合っているかをヒントにして、六回以内に当てる。該当する文字が含まれていれば黄色、位置も正しければ緑で表示されるのだが、これが意外と厄介だ。一度など、含まれる文字はわかったのに単語がどうしてもわからないことがあった。CELEUが含まれていることがわかったので、CRUELかと思ったがどうしてもわからず、母音と子音の並びから適当に当てはめて適当に作った単語UCLERが正解だった。あとで調べると「潰瘍」という意味らしい。
この日は便秘薬をもらいに内科に行った。医師に「長々と酸化マグネシウムを処方してもらっているが、悪影響はないか」と尋ねたが「よほど腎臓が悪くなければ大丈夫」と太鼓判を押された。また、「近頃猛烈に臭いおならが止まらないのはタンパク質の取りすぎか」と聞くと、「三食きちんと食べていれば、現代人の食生活でタンパク質が不足することはそうそうない」とのことだった。
近頃はタンパク質不足を注意する広告ばかり見るのだが、逆の意見は新鮮だった。
確定申告を無事に終える。以前と比べてインターフェースが随分と見やすくなった。しかも、マイナンバーカードとスマートフォンがあれば税務署でパスワードを発行してもらわなくて済むようになっている。大変ありがたかった。
とはいえ、ずっと昔に設定したマイナンバーカードの4桁の暗証番号を思い出すのが大変で、しかも最後になって別の英数字のパスワードを要求されたので、危うく今までの作業すべてが無駄になりかけた。ところで、医療費控除が0円なのに医療費の明細を別便で送れと出てきたのだが、最初に医療費控除にチェックをつけたせいだろうか。0円なのだから明細を出す必要はないはずだが、どうなのだろう。
それはさておいて、作業をしているときに手元の湯呑を見るとヒビに沿って茶の跡がついている。おかしいと思って湯呑に触れるとミシミシ音がする。念を押すために水を入れるとヒビから水滴が出てくる。これではもう使えない。なので確定申告が終わったら近所まで湯呑を買いに出た。家族のものと並べて違和感のなさそうな模様と大きさの湯呑を選んで帰宅。
この日は朝のうちに雨が止むと聞いていたので、美術館に行こうか休もうかとだらだらしていた。結局電車に乗るのが面倒だったので、夕方になって走ろうと決心したのだが、いざ走ろうとすると天気予報が変わって、ヤフーの雨雲レーダーによれば間もなく強い雨が降るという。現に小雨がぱらつきだした。このままでは美術館にも行けずジョギングもできない半端な日曜日になる。それが悔しくて小雨を縫って走った。しかし、雨脚も強くなり始めた中を走るのは寒いので、いつもの三分の二ほど走って引き返した。
ジョギングで財布を落としたことがある。それも二回だ。財布と言っても小銭入れで、そのうちの一回は子供のころ使っていたボロボロのやつなのだが、もう一つはそれなりにいいものだった。買ったはいいが使わなかった小銭入れだ。ただ、入っていたのは千円にも満たず、これといった特徴もないし、警察署に行くために休みをつぶすのも気が進まないのでそのままになっている。
とはいえ、裸のまま小銭を入れて走るのも気が進まないので、落ちない財布を探しに出かけた。最初に考えたのは金属チェーンがついている財布だが、ジョギング用のパンツにはチェーンをつける場所はない。続いて探したのは腕につけるタイプのものだがこれはスマートフォンしか入らない。ウエストポーチは腹に違和感を覚えたまま走ることになるので嫌だ。
結局、チェーン付きの財布にキーホルダーをつけて使うことにした。これならさすがに落としたときの音で気が付くだろう。
それとは別に、無印良品で再生紙の分厚いメモパッドを補充したのだが(筆圧が高くても低くても描けるので愛用している)、帰宅したら親が刑務所で作られたメモパッドを買っていて、それをくれたのでメモパッドが余ってしまった。なぜ刑務所にまで寄ってそこの製品を買ってきたのかといえば、元々妹が布を洗うのに愛用している石鹸が刑務所のものだったのだが、自分が間違ってそれを排水溝掃除に使ってしまったので、補充のために行ったのだ。
ちなみに、無印良品では前よりも食料品が充実しているようになった印象を受けた。ただ、行ったのが久し振りだから記憶がいい加減な気もする。
ロシアのウクライナ侵攻から数日経つ。できることはあまりないが、いくらか寄付をした。それからウクライナの他にトンガやアフガニスタンをはじめとした地域にもお金を出した。確定申告で帰ってくる額はそれなりにあるのだが、それを全部使って足が出るくらいだった。
月に一度の有給休暇で、メトロポリタン美術館展に行こうとしたのだが、出かける間際になってもタブレットが部屋中を探しても見当たらない。仕方ないのでそれなしで出かけたのだが、後で妹に聞くと洗面所にあったという。理由はよくわからない。
美術展はとてもよかった。巨匠の作品が一人ひとつずつ来日しているといった風だ。フェルメールでさえ来ている。上野にももう一作品来ているのに、である。作品を順繰りに見ているうちに、自分はエル・グレコが好きなのだと再確認できたのはよかった。
ところで、クラーナハのパリスの審判では若いときに気づかなかった特徴があった。まず、ヘルメスがやたら年を取っていること。それから、持っているのが果実ではなく水晶であることだ。このあたりはヌードにばかり気を取られてしまう若いうちにはわからなかったことだ。
ヌードと言えば、クールベの作品はセルライトもある現実的な肉体を描くが、ジェロームは理想化されていると解説に書いてあった。たしかにジェロームの作品で描かれた肌はつやつやでどこかアニメっぽかった。一方のクールベは、水に足を浸そうとする様子がいかにも冷たそうで、そこがユーモラスに感じられた。
イギリス人のブルマーの調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線に脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエのチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。
これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望を喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望の暴走をコントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性像から自由になる手段であり、政治や広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。
前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。
https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu
これは、クラシック・バレエのチュチュの基本的な構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである。
しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代のチュチュとして、次の4つが挙げられている。
短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキ・チュチュより長い。ドガの作品で多く見られる。
これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログの写真では普通、スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。
https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/
http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg
世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201
さて、ウィキペディアのチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュのパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナは下着としてステージ・ショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。
また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエ・ファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュ系である」との記載がある。
要するに、レオタードみたいになっている場合は普通に下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツをはいているわけである。当たり前ではあるが。
ロマンティック・チュチュは1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパンの起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。
また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリルは横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリルの趣味の時代的変遷だろうか?
Wikipedia英語版のballetの記事でバレエの歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。
まず、バレエの起源はルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。
17世紀の頃は、女性の衣装は重たい生地と膝丈のスカートで構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャーに制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面から数インチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンなスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀の絵画だ。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg
19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体のラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg
そして20世紀、バレリーナのスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである。舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀の作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年の写真を貼る。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg
画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。
さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである。
ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装も存在しているらしい。確かにbunkamuraに食事に行ったとき、バレエの衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッションの衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。
ブックマークのコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケートな話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。
僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガの作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。
エドガー・ドガがバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサーは現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサーは薄給で生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサーを娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスのバレエ界から男性ダンサーはいなくなり、フランスのバレエは低俗化することになる。
もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在を表現しようとしたドガの作品の価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサーの意志だったのか、と。そして、女性が身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか。
もちろん、過去のことだからわからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代の文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的に判断したかの判断は難しい。とはいえ、過去の人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。
しかしながら、現代に生きる僕らは、自分が主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代の文化に支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分のフェチの起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。
身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係でパワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。
スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易に善悪を論じることが困難だ。バレエも例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情や欲望と混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。
今までこうした社会的な側面から女性のファッションの歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装そのものの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である。
何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術やスポーツに励む女性に性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。
今回の調査では、見せパンの起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。
そこから、メイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスやバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマーに回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。
とはいえ、しばらくは休みたい。自分の欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化は妖怪に名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的なものとして把握できるようになった。
つまり、増田に欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的な意見、ねちっこく不快だという否定的な意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝の言葉を述べたい。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg
三月二十五日(水)
地味な作業が続く。おそらく明日はもっと地味な作業を一日中続けることになる。今のうちに英気を養っておこう。そのため夕食に加えて、香ばしいベーグルを食べた。
COVID-19はどんどん大ごとになってきており、首都の封鎖までまじめに検討されている。気が重いので、ニュースも必要最低限を追うにとどめ、ツイッターでの評論家や素人の議論はほとんど無視している。このままだと、懸念していたとおりに美術館を全部閉めることになってしまうだろう。やはり今週末のうちに出かけておこう。金曜日の職場帰りなら土日の外出自粛にはかぶらないし、バンクシーは横浜市内なので小池都知事の管轄外だ。冗談はさておき、今のうちに気晴らしをしておかないと、今以上の危機の際に平常心を保っていられない。これで図書館まで営業を取りやめられてしまったら、目も当てられない。家にこもって久しぶりにcivilization 6でもやるべきか。
で、ますます風俗どころの話ではなくなってきているが、そもそも自分が本当に行きたいのだとはあまり思っていない。実際に行くよりも、行ったところを空想するほうがずっと好きだということもありうる。性的な自由というか放縦さは、自分の中では無制限の自由のシンボルになっていて、だから仕事中にしんどくなったときに人妻ヘルスで二人のおっぱいを同時にもみもみすることを思い浮かべてやり過ごすのだ。実行したところで自分のようなタイプは、まず初対面の人間二人を前にして、確実にアウェイに感じるだろう。こうやって自分の風俗に対するスタンスをメモしてみると、自分の本当にやりたいことが見えてきてありがたい。
そうだ、金曜日にベトナム料理を食べようとして調べたのだが、bunkamuraのそばにはベトナム料理屋が二件あるらしい。二つともすぐそばの雑居ビルの六階にあるのは面白い偶然だ。食べログの情報を信じるならば片方は日本人好み、もう片方は本格派らしい。本格派のほうが面白そうなので、そちらに向かうとしよう。
それにしても本当に娯楽施設が全面閉鎖になったらどうしようか。ずっとためらっていたアマゾンプライムへの加入も検討してもいいかもしれない。一応docomoユーザーなので、無料券をもらっているのだが、面倒くさがってまだ手続きをしていない。自分は必要がないならやらないという無精者だ。
今思い出したが、今日は職場でランチ会があった。以前はパクチーを名物にしていた店だったのだが、それがつぶれていつの間にかパスタ屋になっていた。期待していたよりも麺がもちもちしていておいしかった。ただ、十数人で押し掛けたのに台所を一人で切り盛りしていて、大変そうだった。普段はそれほどお客さんが来ないのだろうか。
小説の執筆は、日曜日に再開するつもりだ。再開したら、日記をここで書くのも取りやめるかもしれない。
追記。
三月二十六日(木)
起きたときにまたもは片頭痛、加えて吐き気があった。大分収まったが、まだ具合が悪く、ひとまず午前休をもらった。
思い当たる理由は特にない。強いてあげれば、非常に不快なニュースを増田経由で見てしまったことだが、海外の翻訳サイトであり、フェイクニュースである可能性も否定できない。実際カテゴリを見るときわものばかりで、大いに疑わしい。事実だとしても、自分が取れる対処としては特にない。
増田は、自分の感情を整理して公開するにとてもいい場所だと思うが、垂れ流し状態というか、自分の負の感情を吐き出すというか、他人に八つ当たりしているようなトピックもあるので、そうしたものからは適度に距離を置きたい。
三月二十四日(火)
今日は頭痛にならなかったのでよかった。ただ、仕事中に同僚から声をかけらえることが多く、ついぞんざいな対応をしてしまった気がしたので、あとで少しフォローを入れておいた。というか、いつもよりも丁寧に接した(つもりだ)。
帰宅すると思った通りに妹がいない。妹はコロナウイルスのためにテレワークを導入しているのだが、職場まで遠いので普段はそれなりの距離を歩いている。一日に七千歩ほどだそうだ。その分がなくなって運動不足になることを嫌がり、朝はジョギング、夕方にはテニスをしている。それだけの元気が一体どこから来るのか、自分にはよくわからない。自分だったらきっと本を読んで過ごすことだろう。
休みに行く美術館を昨日いろいろと検討したが、ツイッターで出てきた広告によればバンクシーが近所に来るらしいので、そこがいいかもしれない。九月まで開催しているとのことだが、早めにいかないと混むのが目に見えている。しかもチケット制だから、どんどん予約が取りにくくなるはずだ。できたらここ二三週間のうちに行きたい。bunkamuraのほうは金曜日に仕事帰りに行けばいいだろう。エゴ・オブスクラは六月までやっている。焦ることはない。
それよりも、オリンピック延期に伴って、また美術館側が判断を慎重にしてしまい、一度開いた美術館を閉めてしまうのではないかということが心配だ。そういうことも考えられるので、できたら今週の土日に二か所くらいは足を運んでおきたい。で、バンクシーは横浜なので、帰りに有隣堂に寄ってハヤカワSFコンテストや新潮ファンタジー大賞の受賞作、それから漫画を数冊購入することにしよう。久しぶりに図書館を使わずに済ませる。それから、ふとベトナム料理が食べたくなってきたのだが、これは金曜日の仕事帰りに行けばいいだろう。
しかし、これだけ大ごとになってくると、風俗に行く気も萎えてくる。客観的に見てリスクは非常に低いと思うのだが(性病のほうがよほど危険だ)、単純にやる気がなくなってくる。いや、そもそも道徳的に行くべきではないと判断している自分がいて、だから金曜日の帰りは美術館に寄ろうと決断している面もある。そのあとにバニーガールバーかおっぱぶくらいには寄ってしまうかもしれないが(いや、さすがにそんなことはあるまい……)。あとはウイルス潜伏させたまま、祖父母に会って感染させたりしようものなら、とんでもない罪悪感があるだろう。
あと、当分海外は無理だろう。特に欧米方面は人種差別問題がある。不確実な状況が続く中で、犯人探しをしてしまう心理というのは誰にでもあるものだが、わざわざ心がすさんでいるところに足を運ぶこともあるまい。平時であっても、自分が旅行した時は街の人々は概して親切であったが、失礼な態度を取る人間はゼロではなかった。そういう目に合うのも社会勉強なので、いい経験にはなったのだが、留学中の後輩はさぞ大変な思いをしているのだろう。
今日の夜のティータイムはアーモンドクッキーともなか、それからミルクティ。
それにしても、ここで日記を書くの、いつまで続けるんだろう。小説が書けなくなったのでその気晴らしにいいのだが。
頭が痛い。
軽度の片頭痛と目の奥の痛みが定期的にやってくる体質なので仕方がないのだが、原因は寝不足な気がしてならない。昨晩、本格的に意識が飛んだのが朝の三時だったのだから、睡眠時間は当然足りていない。
なんでそんなことになってしまったのかといえば、日曜日に布団にもぐりっぱなしだったからなのは間違いない。一応ジョギングをして身体を動かしはしたのだけれど、朝の七時から正午まで横になっていては体内時計がおかしくなるし、眠れなくなるのも当たり前だ。そろそろ、土日の過ごし方を失恋以前に戻す頃合いだ。
さいわい、コロナウイルスで閉館していた美術館も徐々に営業を再開している。密閉した空間で大勢の人間が近距離で会話をするという条件がそろっていなければ大丈夫なのではないか、みたいな理屈らしい。ひとまず、bunkamuraの超写実絵画か、原美術館のエゴ・オブスクラに足を運んでみようか。正直なところ、超写実絵画はあまり好みではない。ごくごく少数の作品を除けば技巧に走りすぎていて、なぜ異様に細部を再現する表現を選んだのかがあいまいな作品が多いと、勝手に思っているからだ。しかし、もしかしたら自分の好みの作品に出合えるかもしれず、わざわざその可能性を閉ざすこともないだろう。原美術館のほうは森村泰昌の作品を展示しているが、出会ったのは数年前、上野で彼がクラーナハのユディトか誰かに扮していた写真だ。記憶に残っているのだし、自分のアンテナには引っかかる要素があるのかも。気力と体力が金曜日を過ぎても残っていたのなら、久しぶりに行ってみたい。
別に映画を観に行ってもいいし、現に「ミッドサマー」がすごく気になっているのだが、最近心身が本調子ではないため、わざわざ具合が悪くなりそうなものを見に行くリスクを冒すこともないだろう。学生時代の自分はもっと芸術至上主義だった気がするが。わざわざ不快になりそうなものばかり見たがっていた。
ところで、昨日心配していたようには、仕事中にソープランドのことばかり考えてしまうといったことはなかった。だが、寝不足のせいでホルモンが乱れたのか、理由のない不安があった。作業をしているうちに消えたが、規則的な生活を守ることの優先度はもっと高くしていきたい。
この、風俗に行く空想のことを少しばかり恥じている。本当のところ、金曜日の夜はそこに行きたいという思いもないわけではないが、たぶん早く帰りたくなってしまい、そうすることはないだろう。土曜日や日曜日の場合は一度家を出ないといけないのだが、そのハードルも高い。そして、結局行くか行かないかをうだうだしながらベッドの中で過ごしてしまう。馬鹿げている。一発抜いてしまえばそれで収まる話なのに。自分は名前のわからない、匿名の女性に触れたいのではない。なぐさめてほしいのでもない。セックスができるかどうかについてを過剰に恐れているから、自分の男性的機能を確かめたいだけだ。勃起するかどうかが不安なのだ。その不安を抱えたままだと、いざ風俗嬢に対面した時に気分が悪くなってしまうだろう。自分がしたいのはそういうことではないはずだ。完璧な勃起なんて、通常のセックスでも、そうそう見られないのではないか。
本題に戻ると、失恋直後の何も考えられない状態だったからこそ、何の抵抗もなくマットヘルスに行けたのに違いない。情けない声を挙げながら精子を漏らすことができた。でも、本音ではやっぱりちゃんとした恋愛がしたいのだ。ただ、まだ踏み出す勇気が出ないだけだ。失恋から一か月が過ぎて、とりあえず正常に仕事ができる心理状態になっているし、彼女のことを思い出してももうほとんどつらくないので、前に進んでいるのは確かだ。だから、焦らずに夜食のお団子を食べて幸せをかみしめよう。今日のお団子はこしあんのきめが細かくて好きだった。
そうそう、突然だが、同僚と水曜日にランチ会を開くことになった。以前と比べて、他人と雑談するのが苦痛ではなくなってきたのもまた、うれしいことだ。
ところで、ツイッターに移行して以来、こうしてある程度のまとまった文章の形で日記をつける習慣をなくしていたのだが、切れ切れにならない思考の跡が残るのも悪くない。ただ、ツイッターでつぶやいたものとも重なるので、二度手間になっている気がしないでもない。あるいは、最近小説を書けなくなっているので、その代償行為なのかもしれない。
何回増田で同じことを聞けば気が済むんだよ
東京生まれ東京育ち東京在住歴35年だけど地元から繁華街にわざわざ出かけるのはなんか目的があるとき
六本木ならおいしいメシを食いに行くときとかマックカフェ併設のマクドナルドに行きたくなったとき、あと新国立美術館や六本木ヒルズ、ミッドタウンでなんかイベントやってるとき、ちょっと溜池山王まで歩いてそのまま国立国会図書館に行ってもいい
渋谷ならメシ、Apple Store渋谷、丸善ジュンク堂、BUNKAMURAとかウィンドウショッピングとか、モヤイ像に挨拶したり、あとは原宿青山表参道外苑前代官山恵比寿までそのまま歩いて行ったりもする
新宿はなんでもあるだろ
メシ、紀伊國屋書店新宿本店、伊勢丹新宿本店、世界堂本店、新宿御苑、バルトで映画、ビックロ、小田急百貨店、小田急ハルク、京王百貨店、都庁の展望階に意味なく行ってみる、地下街を歩く、ゴジラに挨拶、疲れたら新宿野村ビルの半地下休憩スペースで休憩だ
新宿→小田急沿線に住んでるから東京に出る=新宿に行く、大分冷めたけど写真が趣味だった時は西口のカメラ屋街をうろうろしていた。あとみんなが出てきやすいからオフ会の街だった。
渋谷→今行くならBunkamuraで何か展覧会とか見に行くくらいかな。10代の頃ライブハウス通うのにハマって道玄坂の方とかも居たしNHKホールでライブ見る事もあるし音楽の街ってイメージ。あとラブホ街があるね、幸和ってところに適当に入ってみたらたまたまヒノキ風呂の部屋で楽しかったよ。
六本木→新国立美術館のイメージしかない。それ以外にあまり縁が無いところ
せっかくだから他の街の印象も書いてくよ
上野→美術館と動物園の街、横浜に住んでた時はアプローチしにくかたっただけど上野東京ラインが出来て気分的に近くなった、しかしその後小田急沿線に引っ越したのでまたアプローチしにくくなった。
秋葉原→私にとっては自作PCの街で再開発がされる前は8時くらいには目ぼしい店もしまってすぐに暗くなる街って印象だった。その後飲食店が増えて郊外のどの場所から出てきても不公平感が無いから新宿と並んでオフ会で良く使う街になった、まあリナカフェに入り浸るtwitterユーザーだったってのもある。JRの駅にほとんどくっついた様な形でRemmって言うビジネスホテルの少し良い奴みたいなのあるけどあれのレインシャワーは好き
御茶ノ水→長い付き合いの友達が明大に通ってたから微妙に縁がある、椎名林檎が「リッケン620頂戴 19万も持ってない御茶ノ水」って歌ってたように楽器屋街でもある、あと定額音楽サービスに入ってからは足が遠のいてるけどジャニスって言う有名なレンタルCD店がある
銀座→各県の物産店が集中してる、個人的には高知県物産店と鹿児島県物産店(場所的には有楽町だけど)がお気に入り。あと高級ブランドショップの本店があったりするからそういう用事でも行くかなあ。個人的には八重洲のあたりと含めてもうちょっと開拓したい所。
日本橋→三越と高島屋の本店がある。高島屋で月初めにプレミア焼酎の懸賞をやってるからたまに応募しに行く(当った事は無い)、あとエレベーターガールが居たりするのと年季の入った建物がやっぱり本店って感じがする。
表参道→銀座と似ているのかな、高級ブランドショップ街がある。渋谷にも銀座にもApple storeはあるけどなんとなく表参道のを使う事が多い。冬の時期だと福井県物産店で水ようかん買ってく事が多い。
新大久保→まあコリアンタウンなんだけど最近はイスラム系の店が固まって出来たりその他モロモロの地域のエスニック料理屋あったりと混沌としている。路地裏の変な料理屋にふらっと入ってみるとカルチャーショックを味わえる、そして時々大当りの店が見つかる。
品川→アンミラがある、あのアンミラがある。実家住まいだった頃は京急で東京に出る事が多くてここで降りて何かすると言うよりは乗り替えのための場所。でも東京に出る=とりあえず品川に向うだったので結構印象深い場所。
書いてみると結構あれこれ上がってキリがないので山手線内だけでとりあえず打ち切る。池袋とか目黒・恵比寿も入れたかったんだけどあんまり印象が無い(あそこら辺も掘り下げると楽しいんだろうけど)
これだけ細々と上げられるのは東京都外に在住してるからかもしれない、それでも9割の用事は町田なり横浜なりに出れば済むんだけど……
やっぱり百貨店にしろ同人誌ショップにしろPCパーツ店にしろ東京の特定の街にある本店に行った方が売り場が広いし探しやすいみたいなのがあるのよ。
逆に言えば普通に生活するなら家のある駅と都心を往復してるだけで大抵の用は済むんじゃないかな、東京のどのあたりに住んでるのかは解らないけど。
気が向いたら山手線外編も書く。
E子が念入りなフェラチオの後「瞬間湯沸かしケトル、ラジオ体操第二」と明るい声で言い、騎乗位になってベニスを垂直にヴァギナに差し込み変なラジオ体操を始めたのには困った。たーんたたたんたんと口ずさみ腕を振り上げダンベルを握るようにガッツポーズになり、腕をぐんぐんと曲げて重力を掛ける度、ペニスと下腹部にぎんぎん来た。止めてとE子に懇願した。高校、大学と体操選手だったE子の引き締まった身体に消化器ランプのように固定されていた乳房も揺れた。ひどい。下腹が痛いやら快感に堪え切れないやらでじゅっじゅっと射精した。それからコンドーム付けてないことに気が付いた。E子は沸きましたと言って僕の胸に乳房を押しつけてのしかかり笑いながらキスした。ひどいよ。ぐったりした。E子はしばらく身体を僕にぴったりと押しつけているのかと思ったら突然半身を起こして、ワッフルも上がりましたと言ってた。この女どういう頭しているのだろう。
先月夕立の中ショッピングバックを抱えて渋谷の古ぼけたラブホテルに入ったときもそうだった。エアコンを切って汗まみれのセックスをした。裸になるとE子の恥毛が全部剃られていたのでどうしたのと聞いてみた。浮気女の罰に剃る男がいることを思い出したが、E子は水着でマン毛がはみ出ないようにしているだけ、体操やった頃はいつもパイパンだったと言う。頬を擦り寄せるとざらざらとした感触がある。性器は広がった感じで奥まで見えた。酸っぱい果実のような匂いがした。汗と性器の出す粘液でシーツを汚した。悪いことをしたような気もした。そろそろ時間だとも思った。雨止んだみたいだよと僕が言うとE子は今日は子供の迎えは母に頼んであるから大丈夫と言って僕にのし掛かった。体力は僕の二倍くらいありそうだし、そのセックスに僕一人では耐えられない。萎えていると彼女は僕から降りてこんなのそそられる?と言って仰向けになり自分の右足首を手で持って引き上げ足先を頭の後ろに回して首に引っかけた。柔軟体操というよりヨガみたいだった。E子は両足やると完成と言って左足首も首の後ろに回しその両足首を結ぶように組んだ。脚が長く身体が柔らかいからそんなこともできるのだろうけど、完成した物は無毛の女性器を殊更に押し広げた淫猥な女の肉体だった。興奮した。そのまま僕はべちゃべちゃとE子の性器を舐め回し第二ラウンドに向けてペニスが勃った。でもE子が脚を解いてからは普通のセックス。というより何かの運動かもしれないけど。
瞬間湯沸かしケトル、ラジオ第二体操で結局中出してしまったので妊娠するんじゃないかとそれから数日気になっていた。妊娠したらしたでいいけど子供は僕の子供だろうか。考える内に奇妙な体操を思い出して笑った。
次の週まだ暑さの引かない夕方E子と代々木公園を散歩した。ミニスカートの上から尻に触るとリアルな感じがしてノーパンであるのがわかった。僕もE子もいい加減発情して木陰に潜んだ。傍からはただ抱き合っているだけに見えただろうけどセックスしていた。僕はジーンズとトランクスを降ろして硬直したペニスを出し座位でE子に差し込んだ。性器の感触に浸りながらキスした。またコンドームを忘れた。もうどうでもいいや。E子は自分の意思で性器の中を動かせるのだろう。ペニスが吸い込まれるような閉めつけるような刺激があって十分もしない内に射精した。ペニスを抜くと少し血が付いていてた。E子は平然と生理と言った。ハンカチで拭いて立ち上がるとE子は鞄のなから生理用具と専用のパンツを取り出して履いた。子供は産まれない。
E子との関係はそう長く続かなかった。一緒にいると高校生気分で楽しかった。E子は僕より年上だろうけどまだ三十代前半だろう。秋になり連絡が途絶え自然に関係は終わってしまったみたいだし、僕は僕で区の図書館の司書の子と付き合い始めていた。セックスが上手な子ではないけどいろんな本を読んでいて話が楽しい。クリスマスは今年はこの子と過ごすのだろう。
Bunkamuraでその子と映画を見終え東急の前で信号待ちしていると小学生六年生くらいの娘を連れたE子に会った。娘はE子のミニチュアみたいにくりっとした感じだった。E子が僕に気付いた。E子は帽子を被っていので僕は一瞬誰だろうと思った。あらK君とおばさんぽく呼びかけ、僕といる女の子を見た。体操クラブのコーチが新入部員の身体を吟味する目だ。元気だった?とE子は聞いた。元気だよ、E子さんは元気? 引っ越して買い物中なのよ。家が片づいたらまた電話するわねと言い残して娘とデパートに入って行った。司書の女の子は僕らの関係には気が付かないだろう。説明するとしてもどうしていいかわからない。