はてなキーワード: イヤフォンとは
大体これってアニメでは問題ないけどゲームだとダメって人も多くて、おそらくそういう人は声優に演技じゃなくて朗読をして欲しいんだと思う。
俺は昔放送部だったんだけど、アナウンスや朗読は文頭から文末まで抑揚を付けず、右肩下がりになだらかに読む方が良いと指導されてた。
強調したいところをちょっとだけ声の高さを上げて読む必要はあるんだけど、それを意識しすぎて声がうねる様な読み方にしてはいけないってのが鉄則だった。
こういうのってNHKのアナウンサーへの指導をベースにしてて、実際に地域の放送部合同での合宿とかでNHKからアナウンサーの指導役的なポジションの人を招いて指導を受けたりしてた。
なんでそんな事になるかというと、当時は放送部にとっての大会=NHK放送コンクール(今はどうか知らん)だったから。
審査基準がNHK関係者のそれだから、当然普段の指導もそれに合わせるよね。
地域による指導傾向の差もあったとは思うんだが、少なくとも俺達が受けた指導では朗読する際に『演技は禁止』が鉄則だった。
情景を伝える為にある程度の抑揚は必要だとしても、『演技』というほど主観的であってはならない。
放送部のそれは文章を読み上げるテクニックを競うのであって、演技力を競うのではない、ってのが放送部における朗読の指導だったんだ。
どうしたって演技が入ると抑揚が強くなって文章がうねって聞こえる様になり、単純な聴きやすさでは劣って聞こえる傾向あったしね。
ゲームでの声優さんの演技が合わないって人も、これと似たような事なんじゃないかと思うんだ。
声優さんがやってるのはあくまで朗読じゃなくて演技だから、どうしたって抑揚が強くなって文章としては聞きにくくなるんよ。
演技関係はほとんど分からないけど、演じる際に聞き取りやすさを最優先するかって言ったらそうではないだろうし。
それに加えて声優さんの演技の為に作ったキャラ像と自分の中でのゲームキャラの解釈が合わないと、違和感はより強くなるだろう。
特にその声優さんが得意とするパターンの演技に聞こえたなら、その声優さんの色でキャラが塗りつぶされたと感じる人もいるんじゃないだろうか。
そういう人にとっては極力演技はいらないから、セリフを聞きやすく読み上げて欲しいんだと思う。
ただ、だからってそれを理由に声優さんにヘイト向けるのは違うよね。
役者に対して演技の質を云々するならともかく、「お前の演技なんからいらんから朗読だけやってろ」って言ったら相当な侮辱でしょ。
そもそも声優さんはこういう演技してくださいって言われてやってるだけだし、それを制作側が嫌だって言うなら宮崎監督みたいに素人連れてくればいいだけ。
そっちの方が売れるならそっちを選ぶでしょ。
需要があるなら、そのうち自分の好みに合わせて聞こえる音声をAIが変化させるスピーカーとかヘッドフォン、イヤフォンみたいなのが出てくるでしょ。
https://immersivefort.com/attractions/detail/?id=ov809i4f_f0p
要するにオープンワールドのNPCストーキングを楽しめるアトラクションだよ。参加者は三角巾みたいなのを配られて口を覆い、アトラクションの間は会話禁止になるよ。NPCから参加者は一応不可視であるという設定だよ。
入場料6800円に加えてザ・シャーロックの別料金3500円がかかるよ。
要するにNPCストーキングなんだ、ということに気づくまでは若干右往左往することになるよ。ホームズに付いていけばストーリーを追えるけど、ストーカーの数が多いし狭いし、ホームズの移動速度が早いしで全部追いかけるのは大変だと思うよ。
そもそも、ストーリーはあるけど、あんまり気にしなくていいようになっているよ。というのも、前述の理由によりホームズをストーキングするのは大変なんだよ。だからストーリーにあんまり関係ないモブキャラをストーキングする人が多くなると思うんだけど、そういう人たちを置いてけぼりにしないようにする必要があるからだと思うよ。多分、気になるNPCを追いかけたり、NPCの多い場所に居着いたりするほうが楽しいと思うよ。
モブキャラであってもNPCを追いかけるのは結構難しいよ。狭い暗いに加えて、人が多くなるとNPCの姿が見えなくなるし、マイクが無いので人が多くなると音が吸収されてセリフが聞こえなくなるよ(ホームズは多少拡声していた気がする)。冬だから参加者の服がモコモコしてて視界を遮るから、本当は夏のほうが楽しいかもしれないよ。
迷惑ファンが紛れ込んでるとさらに難易度が上がるよ。NPCか否かは「三角巾の有無」「発話の有無」「服装」で見分ける必要があるんだけど、「普通に喋ってる三角巾を外したコスプレ参加者」はNPCと区別がつかないよ。勘弁してほしい。最初の10分間くらいは気づかずに迷惑ファンをストーキングしてたよ。
同行者と一度はぐれると合流は困難なので、お互いソロ活動したほうが楽しいかもしれないよ。特に、三人以上ではぐれず行動するのは、狭いし暗いしで厳しいものがあるよ。
ある……と思うんだけど、いかんせんお値段が強気だよ。とはいえ、キャストがいっぱい必要で、旧ビーナスフォートの建物をまるごと専有している上に、収容人数の上限が低そうなので、今の価格帯でも実は経営的には難しいのかもねと想像するよ。日本語に強く依存した演し物だからインバウンド客も望めないしね。
イベントが別の場所で同時進行する演劇みたいなものなので、時計もイヤフォンもないのにどうやってイベントの同期を取ってるんだろうとかそういうのはとても気になるし、稽古も大変だろうなあって思うよ。それぞれの人生経験に基づいていろんな楽しみポイントがあるんじゃないかな。
ゲームのNPCストーキングと同じで、全体の流れを把握したあとでストーキングしたほうが楽しいと思うので、いっそチケットを2回分買って2周したほうが楽しいんじゃないかな。
週末の午後、渋谷発の電車に乗ったんだわ。20分ほど乗車するから真ん中へんの吊り革に掴まった。
前に座ってたのは若い男性(Aとする)で、同じドレッドヘア、似たファッションの連れの男性(B)と二人並んで仲良くイヤフォンをシェアしてる。
席空かねえかなと思いながらダラダラとツイッター(Xか)見てたら10分くらい経って、A Bの両隣が空いた。
私がAの隣に座ろうとした途端、BがぐいっとAを引っ張って私とAの間を空けたんよ。
その時は深く考えなかったんだけど、もしかして隣になるのを避けられた……? キモいオバとか思われたわけ……? えっえっ髪も顔も普通に整えてるし服も(去年ユニクロで買ったやつだ)匂うとかないはず。ジロジロ見てたわけでもないよ……!? オバさんって外見だけで避けられたのか……!? おおー!散々「キモおぢ」とか言ってた末の未来が拓けた気がした。普通に傷ついた。
追記:
ネタっぽい書き方をしたが私自身は「おぢ」「キモい」なんて語彙は決して使わない。
書いたきっかけは、先日、同級生男と交わした会話から。同級生と一緒に歩いてた時、すれ違った女性が綺麗だったので、今の美人だよねと言ったら「女の顔なんて見ないよ」と言う。ツッコミ入れたら「この歳になって女性に視線を向けるとあらぬ誤解を生む、意識して見ないようにしている」と言うので驚くと同時に世間に流通する「おじさん叩き」言説を思い、そんな生きづらさまで背負っとるんかいと思ったところだった。似たような経験(?)をしたことを奴に伝えたかったが暫く会う機会がないので増田に書いた。
老人の写真を選択してクリック、老人の写真を選択してクリック、不要な写真をすべて削除、老人の写真を選択してクリック、クリック、削除削除、そうやって、ひたすらに老人の写真を選別する仕事。
老人の写真にも優劣がある。老人が何をしているのか、見る人にはっきりと動作が伝わる写真は良い写真。他の写真と動作が被っている写真は避ける。そうやって、優れた写真を5枚選び、それ以外はすべて消す。これを繰り返して四時間が経過すると、本日の業務が終わる。
最初は楽な仕事だと思ったが、問題は、その退屈さと、無意味さにある。
人間が短期間記憶に保持しておける数字は4つ程度らしい。5枚の写真とその動作をすべて記憶するのは当然無理で、いちいち動作の重複がないかを確認すると手間が増える。しかし、あらかじめ選ぶ動作を5つ決めておきスロットを用意、想像上のスロットを埋めるように写真を選ぶことにより、写真の選別を余計な確認抜きで進められる。このような効率化を数カ月にわたって強力に推し進めた結果、作業は究極に退屈なものとなった。
無意味さは、写真が誰にも必要とされていないことに由来する。写真は、オフィスビルの清掃を撮影したものである。ビルの管理会社に清掃の証跡として渡される。その場に立ち会ったことはないが、熱心に清掃の様子を確認したり、他のビル管理会社とトレーディングしたりはしないだろう。この写真はすべて無意味なもので、作業は指示書に記載されているから実行されているだけ。
そして、退屈さはあなたを殺す。
退屈を凌ぐために、当初取り組んだのは、考え事をする、であり、この文章はその試みの一環として作成されたものがベースになっている。しかし、どんなに慣れた、単純な作業とはいえ、短期記憶の一部は常に写真選別の状態に専有されている。まともな文章を組み立てるのは難しいし、結果、生成された文章を記録する術もない。修行と思って心を無にするほかなかった。
しかし、実は世の中に同じ悩みを抱えている人は大量に存在する。今、私が作業している、この広いオフィス、作業場にも沢山いるだろう。彼らは一体どうしているのか? そう、彼等はこっそりラジオを聞いているのである。
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しかし、見えないイヤフォンの、更にステルス版を名乗っているにも関わらず、このイヤフォンはどう考えても見える。これでは無理だ。次に、メガネにスピーカーが付いているものを検討した。
目がいいのでメガネは掛けていないが、退屈を殺し返すためならメガネも掛ける。
オーディオグラスは数年前にいくつかのメーカーから発売されたが、いま、有名なメーカーで継続されているのは、Huaweiだけのようだ。
面倒なのでリンクは貼らないが、これはかなり良い。普通のメガネのように見える。一度注文までしたのだが、よくよく商品画像を確認すると、フレームにHuaweiと大きなロゴが入っていたので、これは駄目だ、とすぐキャンセルした。
結論だが、このメガネには眼鏡屋とコラボしたバージョンが存在しており、そちらのモデルならロゴは見えないし、度も入れられる。
①
上島竜兵が死んだ時、特別大ファンというわけでもなかったのに何故か家でオンオン泣いた。その時はわからなかったけど、私は上島竜兵が生きているだけで社会の懐の深さを勝手に感じていたんだと思う。バカがつくほど(おそらく)優しくて、優しいが故に少しポンコツでも生きていける世の中の余裕を私は彼に見出していて、だから彼の芸風を見ても辛くなることがなく、ケラケラと笑って見れたんだと思う。社会のシステムだけではこぼれ落ちてしまうかもしれない、とびきり優しい人は、生きているだけで社会そのものが本来持ちうる懐の深さや余裕を証明していた。その人が、おそらく世の中で最も辛い自死を選んだことに完全に打ちのめされたんだと思う。
②
「くもってら ドーナッツ 食べたくなったけど
チバユウスケが書いた「誰かが」の歌い出しには、そういう世の中にまだあるかもしれない懐の深さや暇を感じる。ドーナッツを見て「なんでこの穴空いてんだ、かわいいな」と、思える世の中にある一瞬の暇や余裕を感じる。このワンフレーズを聴くだけで元気が出る、大好きだ。「誰かが」でチバはその後、こう宣う。
「誰も教えてくれない でもわかっていることがある
誰かが泣いてたら 抱きしめよう それだけでいい
誰かが笑ってたら 肩を組もう それだけでいい」
なんだよそれ。信じられないくらいシンプルな話に落ち着いて、子供っぽさすらある。でもその子供っぽさに私はこの1年間、本当に随分支えられた。エブリバディ・ニーズ・サンバディーって言ってくれたから、駄々をこねれたこともあった。
③
「涙がこぼれそう」も大好き。私はこれをただの酔っ払いの曲だと思ってる。だってあまりにも見覚えのある光景が多すぎるから(笑)。夜中に泥酔して、ロータリーで寝っ転がってて、転んだ拍子に口とか切ってるんだよ。立ち上がりたくねー、てかここどこだよとか思ってると男女が横でキスとかしててマジで情けなくて泣けてくる。夫くーん、ここどこ〜迎えに来て〜とか電話したくもなる。んで、気づいたら朝になってて、おっしゃ!帰るか!って。覚えがあまりにもありすぎる。
チバが死んで、多くの人がこれを追悼ソングに選んだ。でもこれは、チバが酔っ払いのことをかっこよく歌ってくれたもの。私にとってはそう。
④
そもそも、私はあまりうるさい曲が好きじゃない。Birthdayだってミッシェルだって、学生の時にちょろっと聞いたけど、はまらなかった。なのに、youtubeディグで、民生の「世界の終わり」をみつけて、心がブルブルと震えて、アベフトシのことを知り、解散ライブの映像を見て、知りもしないバンドの聴いたことのない曲でポロポロ涙が出た。
⑤
思えば、うるさい曲を好んで聴くようになったのは、大人であることを求められるようになった社会人になってからかもしれない。
⑥
「息もできない」は、世界の終わりのライブ映像を狂ったように見続ける私に、10年来のマブが「これも好きなはずだ」と教えてくれた。そして、完璧にBirthdayにハマった。ほんと、今年「息もできない」を狂ったように聞いた。Aメロの文字数に比べると、Bメロの文字数は極端に少なくて、その言葉少なさを保ったままサビに駆け抜けていく。
⑦
チバユウスケが作る歌、特にbirthday以降は、すべてがシンプルな話に帰着していく。そこが好きだ。大人になったことや忙しさを盾に、正当な理由ばかりが上手くなっていく中で、取りこぼしてしまいそうになる単純なことを思い出させてくれる。歩いて家に帰る夜道、お風呂に入っている時、大音量でイヤフォンから「アイラブユーは最強、愛し合う姿は綺麗」とチバが叫んでくれる。
⑧
チバがインタビューで大きい愛と小さい愛の違いを問われた時の回答が好き。
「愛だけで何もかもが作られていればいいなとは思うけど。それは無理なんだよ。無理なのは知ってるんだけど、それでも愛で行こうよ、と俺は思うけどね。(中略)いろんなところにポツポツと愛があるじゃない。それがあればすごくいいことになるっていう風に思っただけ。マジックの人がいて、そこにロウソクがあってさ、パチン(指を鳴らす音)ってやったら、火がついたのよ。小さな愛って、ちょっとそれに近いっていうか。なんか“おぉ〜”と思って。違うかな(笑)。」
6、7年前のこと。
当時、私は大学を1年休学し、アルバイトで貯金を貯めては発展途上国に旅に出るという生活を送っていた。
いわゆるバックパッカーという奴で、当時はうだつの上がらない大学生を中心にとても流行っていた。
国民からの支持も厚きプミポン国王陛下(大変偉大だった。名前の響きも良い)がまだご存命であらせられた頃の微笑みの国で、途上国と言っても過ごしやすい場所だった。
主な活動拠点であった首都バンコクにはそこら中にコンビニがあるし、バンコクでなくても観光地ならそこら中にコンビニがあった。
短距離の移動も楽で、自動車やバイクやトゥクトゥクなんかのタクシーが車道を(適宜信号を無視しながら)縦横無尽に行き交っていた。
足に自信があればレンタル自転車でも移動できたし、自信がなくてもレンタルエレファントに騎乗することによってなんか自分がとても偉くなった気分にもなれた。
だが、長距離の移動は辛かった。
何十キロも移動する場合、貧乏学生に与えられた選択肢は乗合バスか国有鉄道の2択になる。
私はこの1年後、南国フィジーで偶然出会った黒人と雰囲気でビガップするまで乗合バスというものを食わず嫌いしていたのでタイで乗ったことはない。乗り込んだら最後、ギャングが鮨詰めになったファベーラっぽい場所に連れて行かれるような気がしていたからだ。
なので国有鉄道ばっかり乗っていた。
国有鉄道は大変安価で、バンコクから国中に放射状に線路が伸びていたっぽい。バンコクのなんか名前の長い駅からどこへでも行けるし、どこからでもバンコクに戻れた。
だだ、乗り心地は酷かった。
座面も背もたれも材質不明の硬い何か(プラスチックっぽい)で長時間乗るとケツが割れる。
窓はいつも半開きなくせになぜか換気能力が低く、どの車両に乗っても独特の臭いがした。しかもこの窓は出入り口でもあった。車両が駅に停車すると野生の物売りたちが華麗な身のこなしで窓から乗り込んでくるのだ。なので泥とか砂とかがいろんなとこについてた。
最も難儀したのは、夕方夜にかけて、バンコクから地方に向かう鉄道の車内である。
一つ考えてほしい。我々日本人は、夜にへとへとで電車に乗りこんだものの、座席が空いていなかったらどうする? 観念して空いている場所に立つか、次の電車を待つかするだろう。
タイの疲れた人々はどうだろうか。そんな非効率的なことはしない。
何故なら、電車には床があるのだ。そして疲れているのだ。疲れている人は、座るか、寝るのだ。
そう、電車の床に座って、寝るのである。それも、スペースがあればあらゆる場所に。
座席の肘置きはもちろん、座席の下に潜り込んで疲れを誤魔化す。始発のバンコクならまだスペースに余りもあるが、途中の街から乗り込もうものなら、扉をあければもうみっちみちである。
しかも、地方に行くほど駅が減る。1時間停車しないということもあった。つまり、長時間、めちゃ揺れる車内に、みちみち。
私はその日の夕方、とある観光地から別の観光地に向かう鉄道に乗り込んだ。そして、普通に行き先を間違えた。
動揺を押し隠して途中下車し、優しい駅員の指示のもと折り返しの電車を待った。折り返しの電車が来るころには、空は暗く、月が輝いていた。
やたら笑顔の駅員にはにかみながら、私はやってきた車両に乗り込んだ。
扉を開けると、わぁ……人がみっしりしていたぁ……。
足の踏む場もないほどの人の密集具合に、育ちのいい小学生ほどもあるバカみたいにでかいリュックを背負っていた私は、車両にいることさえ不可能なのではないか思った。
行き場所を失い、半分外みたいな場所に追いやられた私は、そこが電車の連結部であることに気づいた。(賢いので)
日本の電車の連結部は大抵、人間がおっこちて線路脇のゴミにならないように何かしらで覆われている。だがその車両は違った。
連結部の左右は吹き抜けで、端的に言うとめちゃくちゃ危なかった。
だが、私の居場所はそこにしかなかった。私は肩の荷を慎重に下ろし、それに腰掛ける形で車両入り口の扉に向かい合った。バランスを崩すとそのまま車両から脱落する可能性が大いにあったので、足を広く開き、腕は胸の前で組んだ。RPGのボスみたいな座り方だな、と思った。
それからしばらく、私は連結部の主だった。
どれぐらい動的不動の時間が過ぎたか、12、3歳の少年が、扉を開いて入ってきた。
続きはまた今度書く。
さて、続き。
少年の年齢は私の推測である。見慣れた日本人ならともかく、他人種の正確な年齢など私にとっては一目見て分かるものではない。
ただ、少年は成人男性の顎ぐらいの身長でスポーツ刈りだった。よれよれのシャツを着て、よれよれのズボンを履いていた。
少し話は逸れるが、私がタイを訪れ、タイ人と出会って抱いた強い印象の中に『なんか目がキラキラしている』というのがある。これは漫画的な表現ではあるけれど、これが一番適切な表現だと信じている。涙袋のせいだとか二重がどうこうといった美容的なことは知らないので詳しくはわからないが、タイ人の多くはどことなく目が大きく、それでいて黒目が抱き込んでいる光がたくさんあるように見えたのだ。今昔の写真で見返すとそんな風にも感じないのが不思議だが、とにかく、当時の印象としては、大人から子供まで、とにかくキラキラした瞳を持った人間が多く、特に子供たちはだいたいキラッキラだった。屈託のないとか、卑屈な感じじゃないとか(実態はともあれ)そんな感じだったのだ。ちなみに、現地でインド人もたくさん会ったが(外人にスーツを仕立てさせる押し売りが流行ってたっぽい)特にそんな印象はなかった。
さて、話を戻すと、その少年もまた瞳がキラキラしていた。表情は特に無かったと思う。連結部は車両の光で明るく、顔はよく見えたはずなのだが、今思い出せるのは瞳の印象だけである。
少年は私を見ると、なんか言った。タイ語は全くわからなかったので、私は唯一知っているタイ語で挨拶をした。
「サワディカ」どこでも使えて便利な挨拶だった。
すると少年は少し笑って、挨拶を返してくれた。浮かれた様子はまったく無かったので、彼にとっては電車の連結部で見知らぬ外国人がふんぞり返ってる状況など慣れたものだったのかもしれない。
私は気が楽になって、アイフォン(当時はオンボロの5を使っていた)を取り出してイヤフォンを耳に入れると、昨日ホテルのWi-Fiでダウンロードしていたアニメを見始めた。
画面に青白い顔でピンク色の制服を着た女子高生がウロウロしたり電気をつけたりするオープニングが流れ出すと、少年が近づいてきてそれを覗き込んだ。
私は少年の顔を見た。少年は、驚きとか、興奮とかそういう表情を浮かべてはいなかった。ただ、じっとアニメーションを見ていた。私は途中からイヤフォンのコードを抜いて、音量をあげた。
そのオープニングが終わると、別のアニメのオープニングを流した。それから、アイフォンに入れていた日本のアーティストのMVや、ディズニー映画のミュージカルシーンなんかをいくつか再生した。
私は映像を流し見しながら、少年を見た。少年はだいぶ負担のかかりそうな首の角度で、画面を凝視していた。
海外の反応集みたいな大きな反応を期待したが、そういうものはなかった。だが、私には分かるような気がしていた。幼い頃、実家で兄が怪物と戦うゲームを遊んでいた時、たぶん私もこんな風に画面を凝視していた気がする。
しばらくして、私は再生するのをやめて、アイフォンをしまおうとした。少年に見えるように持っているのが普通にしんどかったからである。
すると、少年がなにやらそれを止めた。
まだ何かが見たいのかと思ったが、どうやらそれも違う。自分の写真を撮ってほしいということを身振りやら表情で伝えてきた。
そんなことならとカメラを向けると、少年はポケットから小さな箱を取り出した。
それはたばこだった。
真っ黒な内蔵の写真が雑にプリントされた、やたらグロテスクなパッケージのタバコである。当時、タイのたばこは全て買う気が失せるようなパッケージをしていた。(今もかもしれない)
私は少しだけ衝撃を受けた。少年は明らかにタバコを吸っていい年齢ではない。タイではそういうものなのかもと思ったが、そんなわけないなとすぐに思い直した。
が、一介の腐れ大学生で、この国のことを何も知らない観光客である私には、目の前の未成年喫煙を止めるような義務も、権利もない。
少年は慣れた手つきでたばこを取り出すと火をつけて、口元に持っていって、動きを止めた。
どうやらポーズが決まったらしい。私は写真を撮り、それを見せた。
少年は素人のブレブレで光の加減も適当な写真を見て、口の片方だけを上げるやたらニヒルな笑い方をした。私も真似した。
それが気に入ったのか、少年は私にタバコの箱を差し出した。吸うか? ということらしい。
私は普段タバコを吸わない上に、未成年からこんなものを勧められるとは、などと色々と迷ったが、こんな経験も貴重だろうと一本いただいた。
少年にライターを借り、私はタバコに火をつけた。そして一口吸った。普通の煙たいタバコだった。
私と少年は少しの間、揺れる車両の連結部で煙をふかした。吐いた煙もタバコの先から出る副流煙も、すぐに飛ばされていった。
少年は私がたばこを吸い終わるのを待って、吸い殻を引き取ってくれた。そして、車両の外に放った。私はポイ捨てとかが嫌いな人間だったが、それをここで誇示してもしょうがないなと思ったのを覚えている。
私は車両に戻ろうとする少年の肩を少し叩いて、アイフォンの内カメラを見せた。一緒に写真を撮ろうという意思表示である。
少年は少し照れくさそうにしていたが、写真を撮る瞬間だけ何故かすごいハードボイルドな顔をしていた。たばこを吸っている写真を撮らせたり、なにかそういうのが流行っていたのかもしれない。
私は車両連結部の主に戻った。
私は時折車両の揺れによって荷物経由でケツを叩かれてバウンドしながら、ぼんやりと思った。
この電車は、私が乗り込んだ駅から、まだどこにも停車していない。私が乗り込んだ駅にはあの少年はいなかった。つまり、彼はどこか遠くからずっとこの電車に乗っているのだ。連結部で少しの時間を過ごしたが、親や兄弟と思しき誰かが様子を見に来ることも無かった。時刻はとっくに夜だった。平日だった。少年の様子は、何も特別なものではなかった。
あの子は家から離れた場所に働きに出ているのだろう。と結論づけた。
翻って白状すると、私は就職活動から逃げるためにバックパッカーをしていた。
ただし、当時の私は反省などしなかった。今もしていない。自分がやっていることは間違いじゃないし、こういうことしていたからこういう経験ができたわけだし。
だが、瞳だけはキラキラで、貧乏な風体の、サラリーマンみたいな貫禄の少年に、思うところがないわけでは無かった。
少年と自分を比較して、自分の子供時代を評価していたことにも気づいた。
意味のないことをした。と思ったと同時に、何かとても価値のあるイベントに参加したような気もした。
それから、電車はいくつかの停車地を経て、私を目的地へと運んだ。
電車を降りる時、さりげなく少年を探したが、彼は見当たらなかった。
私は何故かさらに少しだけ気分が良くなり、意気揚々と宿を探すことにした。
宿を探すのにはさらに1時間近くかかり、しかも宿のベッドで南京虫と格闘することになったため、私は激怒した。
結局、特に何かを伝えたい話ではない。
この前食べた激辛料理のおかげで、まだお腹の調子が悪い。明日は図書館でまったり過ごそうと思ったのに休館日だ。上の階のクソ女は細心の注意を払います〜って描いた手紙をよこしてきたくせに変わらずうるせーし。舐めてやがる。憂鬱
そんなクソったれな時にピッタリな映画を観る。ウィズネイルと僕だ。
流石英国。なんで人間性も含めて最底辺、だけれど憎みきれない奴を描くのが上手いのだろう。今の私に刺さりまくりだ。色々書きたいけどいかんせん騒音ノイローゼになりつつあるのか集中力は無いし変な焦燥感はあるはでとてもじゃないけど書ける感じがしない。今もイヤフォンで音楽を聴いて気を紛らわしているけど、いつクソ女の頭の悪さが分かる話し声が耳に入ってくるのか考えてしまって休まらない。
この前食べた激辛料理のおかげで、まだお腹の調子が悪い。明日は図書館でまったり過ごそうと思ったのに休館日だ。上の階のクソ女は細心の注意を払います〜って描いた手紙をよこしてきたくせに変わらずうるせーし。舐めてやがる。憂鬱
そんなクソったれな時にピッタリな映画を観る。ウィズネイルと僕だ。
流石英国。なんで人間性も含めて最底辺、だけれど憎みきれない奴を描くのが上手いのだろう。今の私に刺さりまくりだ。色々書きたいけどいかんせん騒音ノイローゼになりつつあるのか集中力は無いし変な焦燥感はあるはでとてもじゃないけど書ける感じがしない。今もイヤフォンで音楽を聴いて気を紛らわしているけど、いつクソ女の頭の悪さが分かる話し声が耳に入ってくるのか考えてしまって休まらない。
(;-Д-) 四泊五日で三万八千円、他に着替えなんかの入院セットパックや、院内自販機で毎食ごとに買ってた飲料水もあるから、四万六千円くらいになるんか?
テレビはカード買わんかったけどWi-Fiはあったからネットいけるし持参のイヤフォンで動画は視れた
初日の昼過ぎが手術だったので朝と昼メシは無しで夕食から、最終日は朝メシのみ、あとはオヤツ無しの一日三食(一度も同じメニューは無かった!おかわりはできない)
風呂なしがいちばんツラかったかも、院内と廊下までは涼しいんだが病室が暖かいめにしてあるので暑かった、シャワーはあったけど割り当て日が週に二回だけで予約が通らないと入れない、三日目の日中に入れたけど更年期障害のホットフラッシュのバイオリズムがアタって入浴後にも汗だくなってた…仕方なく売店で身体拭きウェットティッシュのデカいやつを買ってワキやら膝裏やら耳裏首筋やらチンやら拭きまくってしのいでた
…まぁ最短日で退院できてよかった、けど二週間後に尿路に入れたチューブ抜く手筈が始まるからまだオワってないんだなコレが
マンドクセ