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2020-05-20

anond:20200520093929

普段はジジババ相手に呆けた駄菓子屋集会ごっこやって効きもしない苦めのラムネ出して遊ばせといてその金7割を国から掠め取っといてよく言うよ

とかは?

2020-05-16

昔々の夏休み

誰よりも大きいカブトムシクワガタを捕まえる事に兄弟で執着していた。

前日に砂糖水を仕掛けラジオ体操が始まるまでに虫を回収して回る。ラジオ体操の後に行く奴もいたな。

あるあるだけど楽しかっただろ。

子ども自転車で行ける範囲カブトムシがいそうな場所は全て網羅していたが、昭和ベビーブーム二世から昆虫採集キッズ人口は多く競争率はとても高かった。

これもあるあるだと思うが、行ってはいけないと言われる所も皆各所にあったと思う。俺の近所では捨てられたような無人の小さな神社だった。

いかにもおどろおどろした、初期のゲゲゲの鬼太郎ばりの神社で昼間でも暗い。その辺りは国道けが新しくできて開発は進まずほったらかしの土地にその神社けが残っていた。行ってはいけない理由は、今思えばヤンキーが集まったり浮浪者が寝泊りしていたのだと思う。

あんな恐ろしい所にカブトムシがいようが誰も近寄らないに決まっている、という事で俺たち兄弟カブトムシ欲しさにその神社に行く事にした。

兄が言い出した事だ。畏怖の念と言うのはまさにこれで、兄ちゃんすげえと心の底から尊敬した。後にも先にもこれ一回だが。

まずは明日夕方砂糖水を仕掛けに行く。

恐ろしさと期待と今まで味わった事のない高揚感で2人とも落ち着かなかった。

増田兄弟の大冒険

最大のカブトムシ

まさかの新種発見

その高揚感はすぐ親にバレた。何を企んでいるのかと父に詰められ兄は速攻で口を割った。

親に黙って、子どもだけで行ってはいけないと言われる場所に行く事がどれだけ危険か、と言う事を真剣説教された。両親の前で悪巧みがばれ項垂れる子ども2人に笑いを堪えながら父は言った。

よし、じゃあお父さんも一緒に行こう。

うそ!もう百人力だ!すげえ!

お母さんお弁当作って!

何で?!お弁当なんかいらないでしょう!

楽しい行事には弁当がもれなく付いてくると信じていたあの頃。

お父さんと兄ちゃんがいるならもう何も怖くなかった。

次の日の夕方がやって来た。その日は言われなくても宿題をやり、母の言う事も聞き、いつもより多めに入れてます砂糖水を用意して父が帰って来るのを待った。母は蚊取り線香を用意した。

父が帰って来て思い出したように、ああそうだった、よっしゃ、行くか。と言うと俺たち兄弟戦地に向かう兵隊の様に緊張した。

忘れ物がないか確認しながら、父の車に乗り込む。


5分で着いた。

まりの近さに子どもの俺でも拍子抜けしたが、暗くなりかけた夕方神社コウモリが飛んだりカラスが泣いたり、充分に子どもを震え上がらせた。

あっという間に蚊に刺されれる。父のすぐ近くに隠れドキドキしながら砂糖水を仕掛ける。

そしてそのドキドキはあっという間に、地面に落ちているエロ本に向けてのそれに変わっていた。

見た事のない体勢の裸の女の人の写真や、きゅうりを持った物凄いおっぱいの女の人の絵。きゅうり??

帰りの車ではあの女の人の写真や絵で頭がいっぱいで、カブトムシ鬼太郎神社の事はどうでも良くなっていた。兄も黙りこくっていたからそうに違いない。

それでも家に帰れば、明日カブトムシへの期待が膨らんできた。ラジオ体操前に行って、捕まえたカブトムシをみんなに見せたい。エロ本ももう一度見たい。

父が、ラジオ体操前って朝早すぎるだろと難色を示し、まぁ朝だし思ったほど荒れている訳じゃないしと母に言い、結局明日の朝は兄弟2人だけで行く事になった。

兄も俺もエロ本の事は口に出さなものの、エロ本をもう一度確認したい気持ちは同じで、カブトムシもいっぱいいるかも知れないし早く起きて行こうぜと張り切った。

エロ本カブトムシの力は強く兄が俺を起こしたのは4時。両親は熟睡中。コソコソと着替えていると母が寝ぼけながら、え、もうそんな時間ご飯は?と聞いて来た。帰って来てから食べる!と言い残し2人で自転車立ち漕ぎして神社に向かった。

まだうっすら明るいだけの神社はやはりおどろおどろしていたが、エロ本カブトムシには勝てない。

神社の前に自転車を止める。2人とも黙って早歩きで神社敷地に入って行く。

奥の方からコンコンと何かを叩くような音がした。兄と顔を見合わせる。幽霊がでるとか、怖い人がいる感じの恐ろしい音ではない。キツツキ?

少し進んで覗き込むと、砂糖水を仕掛けた木の前に着物を着たおばあさんがいた。普通ならここでひっくり返るところだが、俺たち兄弟にはそれが岩崎(仮)のおばあさんだとすぐに分かった。

岩崎のおばあさんとは近所の駄菓子屋岩崎のおばあさん。いつも着物を着ている。令和平成着物と違って、昭和のおばあさんの着物はマジもんだ。生まれからずっと着物を着ている人だ。何色とも言えない、茶色いような緑のような灰色のようなよれよれした着物をいつも着て、駄菓子屋岩崎で俺たちにお菓子を売るおばあさんだった。絶対オマケをしない、騒ぐと怒る、商品に触ると怒る、子ども相手商売には向いてないおばあさんだった。

岩崎のおばあさんはぶつぶつ言いながら白い人形を木に打ち付けていた。

岩崎のおばあさんにはビビらなかったが、その人形を木に打ちつけている行為が訳がわからず、恐ろしくなって兄とまた顔を見合わせ黙って逃げ帰った。

家に帰ると両親が起きて来て、早いねカブトムシは?と聞かれたので、岩崎のおばあさんがぶつぶつ言いながら白い人形を木に打ちつけてたかカブトムシは採れなかったと素直に言った。

母が父に、あそこ新しいお嫁さんとすごい仲悪いらしいからねぇーとニヤニヤして言ったのを覚えている。

エロ本には後ろ髪を引かれたが、なんとなくそ神社に行く事もなく夏が終わった。

それから何年か経ち、きゅうり意味がわかり、カブトムシも飼わなくなった。

駄菓子屋岩崎もなくなり、そのあとにはこの近所には全く似つかわしくない洋風の立派な家が建った。

2020-05-11

人間、やる気次第で変われるんだよ

駄菓子屋やってるんだ。

「ひさしぶりー」って女子小学生が来たのよ。斎藤さん知ってる?言うから知らない。って答えたの。

アプリを出してさ

ちんこみせてください!」っていってたの。すごくない?6年生ののりにビックリよ。

全然照れないのな。

この前まで

100円だから10円のお菓子買えないよおおおおとか泣いてたのに。

2020-04-28

ポイントカードやろうかな

駄菓子屋なんだけど

10連続できたらメダルプレゼント

初回はサービスで1回押すとくるらしい。

11個枠作ればいいんやね。

2020-04-24

anond:20200424141237

子供のころ近所にこういう店があったけど、食品は鮮度が落ちるのが早くてどうしても在庫が古くなり、スーパーには太刀打ちできなかった。

子供たちからも、あそこでパン買ったらカビ生えてたとか噂されて敬遠されてた。

駄菓子屋みたいに日持ちのするものとか、角打ちのできる酒屋とか、ターゲットを絞らないと厳しいと思う。

2020-04-21

近隣の学区の駄菓子屋

自分が通っていない近隣の小学校の近くにある駄菓子屋

ものすごいアウェー感と、それと同時にレア感?みたいなのなかった?

あと、おそらくそ付近学校の生徒と思われる連中と一緒になったときの、ちょっとした緊張感っていうの?

2020-04-15

anond:20200415110313

お疲れ様です。駄菓子屋代わりですね。学校も一律停めないで、8割削減でも続けて欲しいと思います。が、今は恐怖の声の方が勝つので難しいですね。学校ぐらいはあと一ヶ月で戻ると思って頑張りましょう。

2020-04-14

ババァ駄菓子屋ギャンブル

一回10円の新幹線ゲーム最後に出てくるマッチ箱ババァに渡すと50円分のお菓子と交換できた

あと一回10円の玉ガムでも最大100円分のお菓子と交換できた

あれはギャンブルではないのか?取締の対象になるのか?

2020-02-14

失恋

オナニーを覚えた中学2年生の春。僕はクラスメイト女子全員をおかずにし、さてどうしようかと考えていた。

ゴールデンウィーク初日。母が家の掃除をしているとレコードが出てきた。父と母はそれを売ることにしたらしくリビングに置いていた。

僕はその中からなんとなく1枚を手に取り恋に落ちた。

木の実ナナだ。

ギッチラ舟歌という7インチで、若かりし木の実ナナジャケットだった。

僕はそれに恋をしてしまい、その7インチをこっそり部屋に持ち帰り抜きに抜いた。

一年間。僕はその木の実ナナジャケットで抜いた。

そして脳内若い木の実ナナを連れ回した。

駄菓子屋。区民プール豊島園ゲームセンター

しか射精した後はどうしようもない現実がやってきて、僕は泣きながら過去に向かって射精した。

ある日の世界の車窓からスイス登山鉄道が紹介されていたので、僕は木の実ナナをそこに連れていき抜いた。

でもその日の夢に木の実ナナが出て来て、「もうこれ以上はやめてほしい」と泣かれてしまった。

僕が何も言えないでいると木の実ナナ登山鉄道に乗ってマッターホルンに消えていった。

目覚めると僕は泣いていて、夢精していた。

あの日僕は木の実ナナジャケット古道具屋に売り飛ばし、何かとんでもない大犯罪を犯したような気持ちになり、しばらく暗い気持ちで過ごした。

先日嫁に「大失恋したことある?」と聞かれた時このことを思い出したが、さすがに打ち明けることはできなかったので適当ににごした。

2020-02-12

anond:20200212020737

の子供はお小遣いもらったら駄菓子屋に行って、このお金でアレが買える、コレが買える、アレとコレが欲しいけどお金がこれだけしかいから買えないとか考えながら、近所のお兄ちゃんお姉ちゃんに教わりながら買い物の仕方、お金の使い方を学んだ。

駄菓子屋コンビニになったけど、今の子供達は、子供だけでコンビニその他お店に行ってはいけません、買い食いしてはいけません、無駄使いしてはいけません、お小遣い貯金しましょうで全く消費者としての訓練を受けないまま大人なっちゃう。

若者お金を使わなくなったっていうけど、そういうふうに教育してきたんだから当たり前だと思うんだよね。

2020-02-02

旅行して思うのは「ほんとに人すんでるんだ」ってこと

この前、伊東にいってみた。電車に乗りつつちいちゃい湾がいっぱいあってかわいい半島だなって思った。

熱海からだんだん建物は少なくなるもののみっちり人が住んでる感じがして、なんか鼻の奥がつんとなった。

なんとなく伊東の手前で降りてみた。改札はちゃんとしたやつじゃない。駅前駄菓子屋があって子供がだべってていいなって思った。

2020-01-13

ふつーの「結婚して子供2~3人」って家に育ったけどそれふつーのやつじゃないな

ありがとう、お父さんとお母さんありがとう、って思う。なんか時代背景とかあると思うけど思春期の子供を3人かかえるって大変だと感じる。

ほんとありがとー。いろんなひとにもありがとー。そう思う、駄菓子屋大滝のおばちゃんとか。小学校給食のおばちゃんごみ捨ての手のなかったおじさん。私が不器用でいやだった工作の授業のときかくまってくれた保健室先生

いろいろ優しい人がいたので私は出来る限りの優しさでいきる。がんばる。

2020-01-10

精神問題があるときに見れるゲーム番組

最近有吉ぃぃeeeee!や勇者ああああ等ゲーム番組が増えたけど、病んでいる時に見れるのはやはりゲームセンターCXだけだな、と思う。

CMが怖い精神なので、色んなコーナーがある番組だと疲れてしまう。

特にゲストが出る番組だとなんかもうヘトヘトになる。

アイドル芸人さんの出会いの場、みたいなコーナーはもうよくわからなくなる。クラスのチャラいけどそんなにイケてはいない男子女子カップルに「今から俺たちセックスするから、お前そこで座って見てろ」って言われて見てる…みたいな絶望感。もちろんそれに興奮する場合もあるのだろうが、自分にはその火種を燃やす力は無いようだ。

ゲームセンターCXは良い。絵面の変化が少ないのもそうだけど、何より有野課長がキレない人なのが良い。

課長はすごい。ドMの鏡である。たまに、うわー!ってイライラをぶちまけても何故か愛らしい雰囲気になるのは有野課長凄さだと思う。

たまに菅さんがキレるのと、なかなかうまく進められずに焦るADさんを見るときばかりは当事者の気分で考えてしまって辛くなるけど、それも有野課長がなんとなく和らげてくれるから安心する。

あとは、あの有野課長特有のやんわりした関西弁。強い。濱口さんも似てるけど、やはり濱口さんは課長よりイケイケだからキドキしてしまう。課長と二人でやってるマイクラ見てても、芸能界での交友関係の広さが言葉の端々に見え隠れする…イケイケ…怖い…。

あとは有野課長ドヤ顔おもしろ発言をしないのが良い。ちょっと自信なさげだったり。そんで、何か言えば何かしら反応してくれるスタッフさんたちが良い。笑い声が聞こえると、あーよかった…となぜか安心する。

最新シリーズ自分より若い人が増えて見てるのが辛くなってきたので、古いシリーズDVDを延々と流している。もうこれは病んでると言うか拗らせてるだけだが…。

ありがとうゲームセンターCX。

ありがとうスタッフさん。

ありがとう有野課長

追記

もう一つ、課長のいいところ。

子供と仲良く無理なく遊べるところ。

たまゲーで子供と遊ぶ課長のシーンを見てると泣きそうになる。

自分あんなに無邪気で可愛い子供に生まれ変わって、課長駄菓子屋で遊びたい…と思う。

近所の気のいいおっちゃんみたいに「普通」に大人にも子供にも接することができるのはすごいなぁ、と思うし、見ていてほっとする。

2019-12-12

小学校プール道路際にあった。その狭い道路を挟んで、布団やさんがあった。

少し角を曲がれば、道は狭いけれど住宅街で、駄菓子屋さんもあったんだ。

その布団屋さんに話を戻すけど

色とりどりの布、綿も選べる。そこで母と私は父と3人分の敷布団を注文しました。色違い生地

うちなおせばずっとつかえるくらいにいい綿。ほしたらいつもふかふかになった。

でもマットレスにした。マットレスは正直冷たいけど(部屋を暖房しようね)

けさ、裁ちばさみでそれを切りながらお店に並んでいた色とりどりの布、

元気で若かった母のこと

ふかふかの出来上がった敷布団に満足そうに寝転んでにこにこしてた父の顔を思い出して

なんだかとても悲しくなった。

それだけの話。

2019-10-31

小学4年生の時、同級生女子からいじめられた話

なにがきっかけだったかは覚えてない


けど気がついたらM子の友達になっていて、家に遊びに行かされるようになっていた

友達というよりボス子分みたいな感じ


M子は父子家庭で、アパートに住んでいた

別れた母親には姉が居たそうな

から、何かと一緒に居たがり、姉になってほしいとも言われた


はじめはM子の家で強制的に遊ぶことを強要されて

嫌々遊んでいた


皿洗いや洗濯と言った家事を手伝わされたこともある

人前ではいい子で、学校では話題の中心になるような存在だった


そんなM子が影でトイレとかで私を殴ったり蹴ったりしていたことなんて知る人はいなかった

ただ、人前ではいい子で影では豹変することをクラス女子も知っていて

中には私を心配する子もいた。先生に言うことはしなかったけれど。


M子は塾に通っていて、終わるまで前の公園で待たされたこともあった


駄菓子屋万引をさせられそうになったこともある

その時は断固拒否した


お小遣いを貰ってなかった私は、お金が欲しいから両親から貰ってこいと言われ

家に置いてあった10円玉貯金箱から100円分くらい渡したこともある

我ながらそんなちっぽけな金額で満足してたんて、可愛いものだったけれど

からお金を盗んで渡す、という行為が嫌だった覚えがある


一番嫌だったのが、M子とのキスだった

何がいいのやら、M子は私と家で遊んだとき、帰り際にキスをねだった

単なるキスからディープキスまで、こうするんだと言われながらキスをした

今でもその感触は忘れない、憎悪する経験


おまけにその当時は何やらわからなかったが、M子はセックスがしたかったのだろう

布団を敷いて、「どっちがいい?」と聞かれ、何のことかわからない私をほうって

シャワーを浴びる真似をした

服は着たまま、横になるよう言われてM子が上に乗ってきた

キスされ、股間を揉まれちんぷんかんぷんな私の態度に飽きたのかそれでお終い


はたまた、ひとりエッチ方法も教えようとして

服は着たまま、股間に手をあててうつ伏せのまま、さすると気持ちいいと言われた


ある時は、トイレをしているところを見たいと言われ

小便をしているところをまじまじと見られた

ふとももをさするといいとか言われた


胸も揉まれて、まだ硬いなとも言われたこともある


一緒に風呂に入って、入った後飲むと美味しいとか言われたり


またある時、今度は母がいる時M子が遊びに来て

ちょうどお昼時、いい子を発揮するM子は、母の手伝いをして褒められていた

そんな時私はトイレで早く帰ればいいのにと涙目だった


ある時、私の家に遊びに来たM子

誰も居ない時は入れちゃ駄目と言われていたのにも関わらず

入れてしまって後悔していた

何の拍子か、M子に死んで欲しいと包丁を向けられて

怖かった私はなんとか収めようと、何故か長かった髪を切っていいからと言い、M子を納得させた

そして、M子に髪をショートにざく切りにされ

帰ってきた母に驚かれた


そこでなにがあったのか尋ねられた私は、M子にいじめられていることを母に伝え

から学校へ、学校からM子の父親へと伝わり、父親がM子と一緒に謝罪しに家に来た

そして、両親は離婚し私は転校した


両親は中学校になるころもとに戻り

M子はどこかへ引っ越したことが同級生から伝え聞いた話だった


いじめはよくあるけれど

性的いじめ体験話は聞かないので私の実体験をここに記す


今年36になるけれど、誰かを好きになったことが30までなかったし

このいじめのことを克服出来るようになったのも近年になってから

いじめじゃなくてDVだと思ってるけど

同じ境遇の人が居れば何かの力になれるかと思って書いた

2019-10-17

あのひとたち、最終的には駄菓子屋にある5円チョコの穴を潰すための聖戦を始めるんじゃないかという恐ろしさがあるんですけどさすがに気のせいだと思いたいですね。

2019-09-16

故郷を思い出したので自分語りしてみる。

ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。

静かな入り江からさな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。

最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去ホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。

ただの個人経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。

この日記結論はこうだ。

かに東京人間想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会再生産されているということ。

自分東海地方の海沿いの寂れた漁師町に生まれた。

名古屋まで電車で1時間半以上、文化的施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。

2軒の本屋万引き被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。

1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らし年寄り趣味でやっている畳屋と宝くじしか無かった。

街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。

家族母親と母方の祖母のみ。

高卒で一度も町からたことのない母親は、漁師相手にする場末スナックで働いて自分を育てた。

同じ町で漁師をしていた父親フィリピンパブ出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親離婚した。

それより前には「キミの父親不倫をしているんだ」と小学校の同級生母親から聞かされた。

相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。

最後父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。

その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。

こんな家庭環境は、東京自分が属するコミュニティでは聞かない。

なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。

親が大卒同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。

自分博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。

あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面通底していた。

さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。

世代職業漁業水産加工町工場自動車修理で、小中学校教諭公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。

スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。

町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。

クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。

そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックフィリピンパブギャンブルセックスくらいしか聞いた限り思いつかない。

かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。

ギャンブルパチンコ電話投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元暴力団が元締めをする高校野球賭博流行っていた。

暴力団偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車スウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである

まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力ギャンブルだった。

そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会フラクタル図形のように構成していた。

小学校の頃には駄菓子屋コンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。

暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。

そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。

小学6年生のとき教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。

メガネは弱いもの象徴で、勉強議論をするような人間排除対象だった。

文革かって感じ。

反対に、野球が上手いか、足が早いかケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。

動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思合意感情とその時の雰囲気で決まっていた。

そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除対象となる。

真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。

授業中には廊下自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族野良犬があらわれる。

トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。

教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。

一方で登校している生徒にとっては、校則フーコーパノプティコンも真っ青な規律自動化させるもので、髪型男子坊主女子は肩まで。

他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。

校則を破らなくても、目立てば排除対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。

そして積極的に学んだり考えることが嘲笑対象であったので、そこでもやはりセックスしたことがあるかとか、バイク知識があるかとか、そういう分かりやす尺度ヒエラルキー構成されていた。

授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分地元も同じだった。

テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベル勉強に対する姿勢で、将来は男子工業高校女子商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。

ここまでは自分ライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。

はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。

ただ、地元の話は中々難しい問題はらんでいる。

ここからは冒頭に述べた「社会再生産」について触れたい。

さて、経緯は知らないが、自分幼稚園の頃にIQテストを受けた。

そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親コメントをもらったらしい。

大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分都内海外の全寮制の学校小学生のうちから預けようとした。

だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。

当時のことはよく覚えていて、理由友達と離れたくなかったから。

その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。

ただ、結論からいえば、自分結果的に完全に故郷を捨てた。

小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。

早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員時間図書室でひたすら本を読んだ。

そのうちに、自分生活する社会根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会存在することを知った。

哲学思想系の本はもちろんのこと、西洋美術画集建築写真集に心を揺さぶられたし、マーラーCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。

めちゃイケを好むふりをして、自分加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。

そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方公立トップ校だった。

他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由ものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。

通っていた高校地元から電車を乗り継いで1時間は掛かる。

入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会社会階層自分は組み込まれたと自覚した。

同級生の親の職業は、医者弁護士会計士大企業社員ばかりだった。

誕生日には名古屋デパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。

彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォード留学中とかそんな話も当たり前にあった。

幼い頃からピアノバイオリン書道バレエスイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。

彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアル人間とできたことだった。

そして何より彼らは、自身解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。

もちろん性やギャンブル暴力ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体享受するだけでなく、思考対象としても話題を取り上げることががあった。

高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。

今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。

ただ、当時の自分には、その選択肢はなかった。

なぜなら、受動的に与えられたその社会自分のすべてだったから。

母親母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。

自分たまたま自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。

なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから

自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。

パチンコ新台や、友達奥さん不倫をして旦那相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。

もちろん、そういった社会自分経験したような)を否定する理由はどこにもない。

ただ、自分故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会適応しきった人々である

有り体にいえば、将来の選択肢存在すら意識できないのが自分体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのもの封建的否定される強い構造を伴っている。

からこそ、自分田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。

もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会存在することを予期している人も稀にはいることだろう。

幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身好転させるにはあまりにも遅い場合が大半である自分は思う。

そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。

それくらいに共通言語がもはや異なっている。

母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。

一方で、開成筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的自分が望んだ社会享受してその上に今も生活を営んでいる。

それは誰でもそうであるように、最後最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである

自分依拠すべき地域地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである

そして同時に、自らの強みは故郷がない事であり、海外に出ることも辺境の地に赴くことも、自分さえ許せば可能となり得る。

今朝の夢に現れた、小さな漁船はきっと自分自身だったのであろう。

2019-09-04

anond:20190904145134

搾取ってどんなの想定してるんだ

例えば近所のコンビニスーパーも1000万超えてる

おばあちゃんがやってる駄菓子屋とかは1000万超えてないだろうがそれを搾取と言うのかという話で

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