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2021-05-03

今日仙台城址に行った!ミニはらこ飯ずんだ餅を食べた!

結局、今日仙台城址に行った。

午前中は雨が降ったりやんだりしたけれど午後からは晴れたので。

西公園から坂道を登って仙台城址まで行った。

道中、通行止めがあったので迂回する事になったが無事到着。

そして久々に伊達政宗像を撮影した。

https://imgur.com/uTfHkWV

のんびりした後はミニはらこ飯ずんだ餅を食べた。贅沢だ!美味い!

https://imgur.com/hzrjV5G

前回書いた日記ブコメで貝ヶ森という言葉を見かけたのでぐぐったら

「鮨・一八」という店が出てきたのでそのうち行きたい!🍣

  

南光台理由は、南光台の辺りに何か所か寿司屋があるから行きたいというのがある🍣

青葉区国分町とか一番町は今、ちょっと近寄りがたいので。

うまい鮨勘に行かない理由は、出来れば行った事がない仙台市内の店に行きたいというのがあるから

ちなみに長町モールでよく食べるんだけれど、今までは映画とセットでよく行ってた。

でも先日の地震の後から長町ムービック仙台が休業中なので、あまりモールには行ってない。

  

宅配だけど、銀のさらについては結構前に食べた。でも一回頼んだのでやっぱり別な所に行きたい!

そういえば言ったかからないけれどお気に入り寿司屋は「仙令鮨」という店で平成までは北辰鮨って名前だった。

ここがマジでとてもお気に入り!🍣

  

先日紹介してもらった亘理町のあら浜というお店にも行きたい。仙台市内にある店は3回程度行った事がある🍣

もう1つブコメであった泉区の鰓呼吸というお店ではマグロ寿司食べ放題だった時期があったというのに知らなかった!くやしい!

今度開催された時は絶対に行く!🍣

寿司以外の話。

仙台駄菓子屋熊谷屋に行った。WUGキャラクター等身大パネルがあったので

撮影していいかお店の人に聞いたらOKを貰えたので撮影した。

https://imgur.com/2gxqokM

駄菓子は色々と買った。みそパンを久々に食べたけれどなかなか美味かった。

  

藤崎デパートの地下で、定義で売ってる三角油揚げ発見してしまったので即購入してしまった。

定義というのは、仙台市の北西にある大倉川(大倉ダム)を越えたあたりの西方寺がある地域

ここで売ってる三角油揚げが美味しいんだけど、藤崎でも売ってるのを初めて知った。

  

宮城県内で行きたいところ。

沢山あるけどそろそろいい加減にキツネ村に行きたいんだよなぁ。

あと気仙沼寿司海鮮丼を食べたいんだよなぁ🍣

気仙沼仙台からいからなかなか行かないというか行くのに気力がいるので気合い入れて行かないとだ。

  

その他

宮城県地震多いけど、俺があった被害は掛け時計がぶっ壊れたよ。

いや2月の時は大丈夫だったんだけどその後も何度か地震あってその度に落下して壊れたよ。

今まで何度も地震があったししょうがないんだけどちょっとくやしい。

ぐぐったら寿司ネタの掛け時計があったのでこれを買おうかなと思ってる。でもちょっと見辛いので悩んでいる。

  

余談?

最近Noteに書かないというかNoteを使ってないのは、あれShiftとEnterで改行しないと

行間が広くなるので面倒というのがあってやってなかった。

2021-04-27

鬼滅の刃」の次は… 小学生が夢中になる「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/dd5c344d2f6f8eabcbd703fbca167740b8e2b3e8

って何で今更銭天堂が

なんかtwitterトレンドにも入ってたけど、twitterオタクが食いつくような内容じゃあ全然無いぞこれ

あくま純粋児童書だぞ

鬼滅に釣られすぎだし、そもそも鬼滅と比べるようなもんでもないだろジャンル違うわ

そもそもアニメは去年からだし原作はそれよりだいぶ前から売れてるだろこれ

2021-03-20

ブタメンを食べた

子供の頃に見かけた覚えは無いのだが、駄菓子屋トークや「だがしかし」などで愛されっぷりは垣間見ていた。

引っ越し先のスーパーで売っていて、おおこれが、と買ってみた。フォークは売り場に置いてあったので、気分を味わいたくてもらってきた。

開けてまず、ギリギリまで入っていて面食らう。値段は下げたいが満足させたい思いが溢れそう。

においがチープでふふってなりつつ湯を注ぐ。あ、これ「ベビースターラーメンってお湯に入れるとラーメンになるんだぜ!」って聞いて想像した麺だ。よくある平たい麺とは違って、まんまるで食べ応えがある。

スープが思ったより本格的で驚く。チープなにおいはどこからきたんだってくらい、ちゃんとんこつゴマがいい。嬉しい。

想像よりしっかりした味で、見た目よりしっかりした量で、なんかすごい。子供のための企業努力恩恵に預かってしまって良いのかという気持ちはありつつ、たまに湧くカップ麺欲はこれで満たせそう。

今ではすっかり常備して、フォークで蓋を留めたりなんかしている。待ちながらサイトを見て、ほぼベビースターとこれだけの会社なのかー、とか、チキンラーメンよりも先に即席麺を作ったのかー、とかを知ったりもした。

食レポ下手なんだけどこんな感じ。長らく名前だけは聞いていた皆の懐かしアイテムが身近になって嬉しい。

2021-03-14

Twitterで見かけたマンガの作者を知りたい

アンドロイドメイドがいて,そのメイドメモリーの中には現実には存在しない番地に存在しない駄菓子屋?か何かが登録されていて,なんでだろうねーとアンドロイドの作者を尋ねるみたいな話

誰か知らん?

2021-02-27

さな図書館の思い出を喋りたい

近畿郊外ベッドタウンの話だ。

その片隅の、さほど大きくない団地に育った。

団地とともにできた集会所の中に、小さな図書館の分室があった。

学校教室一つぶんよりも小さいそこに、子供のころ足しげく通った。

児童書コーナーにあった本はおそらく全部読んだと思う。

漢字がわかるようになると、鉄道ファンの積みあがったバックナンバーをひたすらに読み漁った。

身長が伸びてくると、本棚の上の方にあったソノラマ文庫に手が届くようになった。

クラッシャージョウ世間から十年遅れくらいでドハマりした。

コバルト文庫ソノラマ文庫の並んだ中に、いつごろかロードス島戦記風の大陸が入った。

ライトノベルを読み続ける一生は、この図書館に教えられた。

いつしかさな図書館の蔵書では物足りなくなり、自分で本を買いそろえるようになると、徐々に足は遠のいていった。

やがて団地のものから引っ越すことになり、最後に行ったのはもう二十年も前になるだろうか。

その分室が、閉鎖されると知らされた。

団地から丘一つ越えた向こうの別の団地にある、大きな図書館リニューアルされたというのが主な理由

実際のところは、あの古い団地に人が少なくなっていたのだろう。

私が通った小学校も、もうすぐ統廃合されると人づてに聞いていた。

最終日の今日、いてもたってもいられなくて、車を飛ばして行ってきた。

案の定団地内にはほとんど子供の姿が見えなかった。

商店街も半ば消滅していて、子供だけでなく人がいないのだとわかった。

かつて私たちが群がって、キン消しビックリマンカードダスを買った駄菓子屋はとっくに閉店していた。

緊急事態宣言のため、図書館の中には入れなくなっていた。

入口を封鎖するように机が立てられて、司書さんが返す本を受け付けるカウンターになっていた。

そこに、子供たちがいた。

司書さんとも顔なじみなのだろう、本を返しに来た幼稚園くらいの子供たちの姿を見た。

見れば図書館入り口のドアには、近くの保育園の子から寄せられた寄せ書きが飾られていた。

私が来なくなって二十年以上経ってしまたこ図書館に、通ってくれていた子供たちに、心の中で礼を言った。

の子たちは、自分たちの図書館を失うのだ。

巡回図書館が時折来るとはいっても、図書館があるのとは違う。

図書館は、何かあったときに行ける場所だった。

ただそこにいて、居続けることができる場所だった。

私にとっては、そういう場所だった。

入れないのは仕方がないが、司書さんにお願いして入口から中を覗かせてもらった。

既に本の大半は撤去が進んでいて、本棚の大半は空っぽだった。

ただ、その本棚は、私の記憶にあるものそのままだった。

あの本棚のあそこに、ロードスが置いてあった。

あの本棚の向こうに、鉄道ファンが並んでいた。

あちらの奥にはぴょこタンシリーズが揃っていた。

あの手前にはトーマスが並んでいた。

あの奥には大人向けのやらしいタイトルの本があった。

何十年も前の記憶がひと時に蘇った。

見せてくれた司書さんに深く感謝して、その場を辞した。

たぶん、私は泣いていたのだと思う。

そこは、私の故郷だった。

いままさに、失われようとする、私の心の故郷だった。

あそこで教えてくれた数々を胸に、今の私がある。

あの団地に、あの場所に、私を育ててくれた小さな図書館があったことを、私は生涯忘れまい。

2021-02-24

anond:20210224161237

私もそれだ。ブクマカっておじいおばあの駄菓子屋みたいなイメージのんびりやさしい。

2021-02-09

anond:20210209173507

本日放送夕方アニメ

シャドウバース 2/9(火) 17:55〜18:25

ブラッククローバー 2/9(火) 18:25〜18:55

わしも 2/9(火) 18:00〜18:10

忍たま乱太郎 2/9(火) 18:10〜18:20

ふしぎ駄菓子屋 銭天堂 2/9(火) 18:45〜18:55

2021-01-04

1995年地方まれ増田

俺が幼少期を過ごしたのは山奥と言っていいようなヘンピな場所で、とにかくホントに何もなかった

今でこそ町おこしだとか言ってちょっとしたカフェみたいなものができつつあるが、俺がガキのころにあったものなんてショボい商店ひとつだけ 

入る用事もないから、毎日前を通ってた割に実は何を売ってたのか知らないが、コンビニ、あるいはその劣化版くらいの品揃えの店だったらしい

そんな感じの場所なので当然ガキは全然いない(というか人がいない) 小学校なんて廃校寸前 池にいるメダカのほうが児童より多い

タチの悪いことに近所に児童養護施設があって、そこの荒れたガキどもが結構な数入ってきていた そもそも人が少ないところに施設から流入があるので、比率としては半分くらいが施設児童ということになる

俺の学年は全部で7人だった うち4人がその施設出身 

内訳としては

暴力野郎1(施設出身。本気では殴らないが、殴る頻度が高い)

暴力野郎2(施設出身。背が高く飄々としているが、突然威力の高い暴力を振るう)

暴力野郎3(施設出身。一番マシだが、照れ隠しとして暴利を振るう)

暴力野郎4(施設出身。軽度知的障害持ち。暴力を振るうとき、歯をカチカチと鳴らす癖がある)

暴力野郎5(転校生。虚言癖があるが、暴力に訴える頻度は比較的少ない)

性格の悪い女(転校生。紅一点。一見真面目だが、根が腐っている。)

俺(唯一の良心。親は都会出身インテリ)

四面楚歌だったと言っていいだろ、これは…

まあさすがにこの環境ちょっと異常だったのかもしれないが、しかし多かれ少なかれ地方ってのはこんなもんだと俺は思っている

同学年の友達を作るのはかなり難しい そら6年ずっと同じ教室にいりゃあ多少は気心も知れるが、それだけだ 仲良くなれたと思えたことはない 一度もない

複式学級で一緒になった他の学年の比較的マシなやつら(教頭の息子など)とだけ多少つるみ、基本的にはひとりで過ごした

都会ならこうはなってなかったと思う 40人とかいクラスなら間違いなくもう少し自分に近い人間がいたろうし、そいつと仲良くする中で人並みのコミュニーケーションというものを学べたはず

俺は小学校生活の中ですっかり人嫌いになってしまった 人間なんてロクでもねえ、という意識ができてしまった

なんにもない山の中で、カスみたいなメンバーと過ごす それが田舎に生まれもの宿命

通学路にあるものなんてドブ池とトンネル送電塔くらいのもの 駄菓子屋なんてもの存在せん スーパーコンビニもない なにもない

小学校時代友達」も存在せん

中学ではほぼ全員ポイ捨て万引きタバコ飲酒なんでもござれのバーリトゥード野郎になっていた同級生たちだ そんなやつらと友達になりたくねえ!

パンピーがいうところの「小学校クラスにいたヤベーやつ」だけで構成されたクラス、というか学年に俺はいた あの環境友達を作るには自分自身も不良になるしかなかったが、俺は規範意識が強いのでそうはなれなかった

なーんか地方がどうこうって話じゃない気がしてきたぞコレ 俺のツキがとことんなかったって話じゃないか同級生のヒキが悪すぎた でも一個下は全員境界知能みたいな感じで、一個上は特大の暴力野郎がいたし、なんかこう詰んでた気がするな

なんなんだマジでこの人生

俺はスタンドバイミーに全然共感できなくて、それは幼少期に友達になれる人間がいなかったからだ スタンドバイミーもけっこうヤンチャなガキどもの話だけど、やつらには知性の輝きが多少はあった 俺のとこのやつらにはなかった…

都会で育った奴がコミュニケーション能力とか学習意欲とかの話してるとすげームカつくんだよな

コミュニケーションをとりたいと思えない、全く異質な人間だけに囲まれて幼少期を送ってみろ

自分以外の全員が勉強は嫌だ、ダサいキモいと言いまくっている環境で過ごしてみろ 俺はたしか小学校1年生のとき勉強が好きなくらいだったが、中学年になるころにはすっかり勉強嫌いになっていた

同調圧力もあるし、そもそもの授業がクソつまらんというのもある ほとんどひらがなで書かれた教科書すらマトモに読めない、マジで大丈夫かって感じのやつしかいなかった 授業の進みがメチャクチャ遅かった そらつまらんわ

もうダメだ俺は

田舎に生まれたのが憎すぎる

俺も都会に生まれ文化的な幼少期を送りたかった もっとちゃんとした人間になりたかった

あの環境で育ってみろ あの環境で育ってみろ あの環境で育ってみろ あの環境で育ってみろ!!!

2020-12-27

ネット基地外たちのオフ会に潜入した話

ちょっとブログ副業でしようと育ててた時の記事ネタSNSとかでイカれた主張を繰り返すフェミ系とか集スト対策集会みたいなのに怖いもの見たさで潜入したことあったけど

ここやTwitterで狂ったように男はおぞましいとか男性性がとか女性性の押し付けがとか男女別姓がとか喚き散らしてたキ〇ガイ女とかキチ〇イババアとか、俺が架空身分で慶〇出身一流企業に勤めて起業したベンチャーエリート経営者ですみたいな身分を装って話てたらさ、今までの男社会により女らしさの押し付けで苦しんで死にそうだとか喚いてたのは何だったんだとばかりに

リリカルなのはのシュテルみたいな貞淑さと女らしさ丸出しな仕草に変わってて、あまりの変わり身の早さにそっちの方が異常さを感じて戦慄した思い出がある

あと、集スト対策系とかは、全員が全員お前は〇〇のスパイだ!とか言って罵り合うだけの不毛な場がほとんどだったけど

女とかがきた途端に、今までお前ノルマン人みたいなアルミ鉄兜着て電磁波攻撃ガーとかスパイガーとかシャッターアイランドみたいなこと言ってたのは何だったんだとばかりに

途端に常識的になってトイレから出てきたらティンホイルハット外してやたらなれなれしく女を二人きりにして連れ出そうとしてたのがマジで吹いたわ

そういう経験を実際に見てきたので、本当のキチガ〇なんて、精神病院にinされて駄菓子屋ラムネ菓子一気食いみたいな量の向精神薬で無理矢理大人しくさせられて

薬の副作用で3~4年後くらいには「ウッ」とか言いながら心不全で静かに息を引き取るみたいなレベル人間以外では、大体詐病なんじゃねえの?って思うんっスよね

まぁ〇チガイと言っても一言医学的に色々あるから、そうじゃないのも基地外範疇に入ったりするんだろうけど

ちなみに辞めた理由はてなが誇るスーパーキチ〇イの低能先生hagex刺殺事件を起こしたか

ここまで書いたらピンと来たキチガ〇に襲撃されちゃうのかな?って思ったけど、あんレベルのキ〇ガイうそういないだろうし、狭いはてなピンポイントで見てるのなんていないだろうなーって思う

2020-12-10

地方から上京してきた田舎出身共働き夫婦公立中を叩く理由

公立中はその地域コミュニティのもので、中央区日本橋にある寿司屋蕎麦屋、ハンコ屋の倅とかも普通に区立中に入学する。

特に東雲とか晴海に住んでる全国転勤型のキャリア官僚とかは子供私立入学させても転勤になる可能性が高いので中央区立の銀座中とか晴海中、佃中、日本橋中に入る家庭は多い。

また、区立中の親は地域の店やってるとこの子供とか普段同じ地域に住んでて道歩いてる同じ年齢の子供を持つ親ばか

その公立中を叩きまくるということは、そもそもその地域コミュニティに馴染めていない、つまり地域から転入してきた上京地方である可能性が高い

東京地元実家があってずっとそこに住んでいるような人は、駄菓子屋のXXさんのところの息子が区立XX中通ってる、とか床屋さんとこの〇〇ちゃんは××中通ってるみたいに

ご近所さんや同じお店で同じような買い物をする家庭の子供の話ができる。

当然治安の悪い壁に落書きだらけの地域公立中はクラスもそういう地域で育った子供が多いのだから荒れてるかもしれない。

公立中は動物園から私立、って言ってる人は貧困層の多い地域に住んでて治安いか私立子供を出さざるを得ない事情がある人、としかならないのに

開成とか灘、麻布早慶みたいなトップ私立中高一貫校と「私立中高一貫校」という超おおざっぱなグルーピングをして上から目線になってしまうのは、人の性としてはしょうがないことだろう

また、地方出身共働き家庭の場合仕事が忙しいために面倒な地域のつながりは無視して教育私立中高に丸投げしたいというケースが非常に多い。

2020-12-08

anond:20201031120336

主観を避けて、客観的分析してみたいと思う。

この増田道央出身1990年代まれであれば、おそらく1985年から1996年までの東大入試のことは何も知らないに違いない。

東大といっても、1960年代1990年代2020年代では全く以て意味が違う。ネット上に大量にアップロードされているので、時間があれば1985年から1996年入試までの東大理系数学問題を読んでみるとよいだろう。後期のいくつかは、完答を想定していないのではないかと思わせるものもあった。

かつての東大生ならedition text+kritikのMusik-Konzepteを読めたのである。これは嘘ではない。実際に読んでいた東大生が私の知人で、名前は伏せさせていただくが、その方は還暦を過ぎた。今の東大生はどうだろう?櫻坂46を聴くのが関の山ではないだろうか?

いま、Musik-Konzepteの近刊はなんだろうか?各自検索してみればよいだろう。そこで取り上げられている存命作曲家ほとんどを、もう日本人は消化できない。日本は没落したのだ。

東大日本最高の最高学府で、なおかつ日本最高のエリートを揃えることができたのは1990年までだ。それ以降は下る一方でしかない。下っていけば、道央増田ですら乗り越えられるハードルになるのは当たり前である。あと30年たつと、東大でも吹奏楽合唱トライするのが限度で、フルオーケストラは書けなくなる可能性が極めて高い。新実徳英さんや柴田南雄さんは、かつて、書けた東大生であった。

東大がどこまで下るのかは東大生の間でもわかっていないが、日本新生児が60万くらいになるまでは下るだけの存在である。上ることはない。

これは田舎だと普通にある話だが、楽器のレッスンの片道数時間は当たり前であるピアノのレッスンに片道5時間なんてことをやっていた私のような存在も、もう過去のものになりつつあるし誰も信用はしないだろう。途中下車で降りて、駄菓子屋さんによってお菓子を買うなんてことをやっていた。その土地にはコンビニがまだなかったのである

2週間の滞在のためのビザを取るのに片道4時間30分もやったことがある。特殊ビザなので、渡航地域限定されてしまうが、各自で察していただきたい。

何をするにも片道数時間経験を持つ学生は、有能な人が多い。最近は、片道数時間教員もいる。その方は、退官されたが優秀な方であった。道央増田も、文面を読む限り優秀な方であることは間違いがない。専門書をバイトして買う、というのが引っ掛かったので、いろいろと調べてみたが、ハーツホーン、松村マックレーン、ジェイコブソンあたりなのかもしれない。(ゲルファントではないだろう)

この道央増田の怒りを鎮めるには、東大よりレヴェルの高い大学を作るしか方法がないのだが、日本にそのような財力は、ない。いずれ理III以外の東大生の学力は、2040年代には全ての地方大学医学部学生能力を下回るだろう。2020年代末期の理III以外の偏差値は、おそらくは単科医科大のすべてを下回っている。

今の学生は与えられたことはきっちりやってくるものの、それ以外が全くないので、国際競争に耐えられるかどうかは疑問である1990年までの東大は、賛否両論はあれど、何とか耐えられたのである

(追記 20.12.2020)

今、人口統計を調べてみたら、この道央増田出身地より、私の出身地の人口のほうが少なかった。これは調べるまで分からなかった。ただし、交通網は私の出身地のほうが勝っているため、バス電車目的地に着くことは当然ながら容易である

道央増田出身地近辺を調べてみると、私の出身地近辺も同様の問題が発生していた。

まず「潰れる本屋である。私のところは4軒もつぶれて、2軒の新規が入ってきたが、品揃えは元に戻らない。大学生を想定する書籍は今もなお少なく、元通りにならなくなってしまったジャンルもあった。

その次は「教育水準の低下」だ。大学進学率が上がっているのに下がることなどあるのだろうか?田舎ではこれは頻繁に起きている。私の中学校の進学率は、全盛期の1/10である。ここまで減ることは想定していなかった。

(追記 21.12.2020)

教材格差講義格差がなければ、田舎地方児童はどこまで飛びあがるのだろうかという問題は、実は1990年代から提起されている。1990年の時点では「どうやっても田舎者や地方人が勝利することなどない」という主張で世論は一貫していたが、この問題危惧する教育者はもういた(一部の東大生が杉浦の解析入門を読めなくなったため)。2035年には、この問題が表面化しているに違いない。

(追記 22.12.2020)

私は愚痴るだけの人間ではないので、解決策を挙げておく。国内の全ての公立学校に、偏差値クラスの併設を義務付けることではないだろうか?昭和時代なら一笑に付されたのだろうが、今はYoutube配信された映像Raspberry Pi 400で視聴することが日本国内ではどこでも可能である。これなら、通学2時間に耐える必要はない。

(追記 03.01.2021)

北海道の某道央バス会社はちゃんと行きと帰りでしっかりと2つバス停を用意してくれている。これは素晴らしい。私の故郷はもうそれもできなくなってしまい、片側に1つあるだけだった。

2020-12-03

anond:20201203155006

ホッホッホ…駄菓子屋さんの外にあるやつみたいな屋外用フリーザーもいいものですよ…

2020-11-29

anond:20201129153944

光造形もピンキリだと思うけど

Togetterにまとめがあったと思うけど、FDMと違って積層痕はなくなるけど、出力が曲がることはある

FDMでも筐体のフレームなどの剛性が強く、精度が高ければ積層痕はできるけど、棒とそれが貫通する穴などは図面通り機能するように仕上がる

(もちろん、そうなるようにパラメータの設定を試行錯誤する必要があるかもしれんけど、良いプリンターほど調整の手間はかからないはず

未だに3Dプリンターでこれ買っとけば大丈夫と言いづらい状況がある気がする。

どれを買っても出力に大失敗する可能性が排除できていないと思われるから

いわゆる普通プリンターならこんなことはありえない

エプソンだろうがキャノンだろうがHPだろうが、多少の差や不満はあるかもしれないが、どれを買っても印字結果はあまり変わらない

寧ろカートリッジ商法だのインクコストの方を気にしたりする

しかし、3Dプリンターは、まあ原理的に仕方がないわけだが、どんなに高価な機種を買っても目を離してた隙に、

気が付いたら失敗して出力されていた、という3Dプリンターユーザーあるあるがなくならない気がする

から助言しづらい、助言しても自己責任ということになるから

自分だったら、どの機種が良いか、よりもまず予算を決める

15〜20万ぐらいだったらどうか、5万以下ならどうか、みたいな目安を決める

そこからまず機種を絞る

国内Amazonを見ると中国人サクラが目立つ

ここで困るのは、サクラがあるから駄目な製品だろう、と思ってしまいがちだが意外と良いものもあったりするw

もちろん、サクラがある製品はやっぱりゴミも当然ある

サクラの中にサクラでなさそうな日本人レビューがあったら、それも読んでみる、でも、読んですぐに信用してはならないw

全部サクラは避けた方が無難ではある

でもある日、日本人勇者がそれを購入し、自分ブログレビューで、

ゴミだと覚悟して買ったが意外と使えたし良かったので2台目も買った、

みたいに書くこともあるからバカにならないw

もう何を信用すればいいんだ…、というカオス3Dプリンター市場

秋葉原のパーツやジャンク購入ではないが、完全にギャンブル駄菓子屋精神必要

とんでもない詐欺製品が届かない等)を抜かせば、多少の損失は甘んじて受ける覚悟必要

Amazonレビューより信用できるのは個人ブログTwitterなどのSNSでの批評であろう

特に大手メーカー企業研究所に勤務している人などは葉に衣着せないレビューを書いてくれることがある

どんな高価な3Dプリンターを買ってもこういう大失敗をする、

怪しい激安中3Dプリンターを金を溝に捨てるつもりで買ってみたが意外と出力はまともだったので2台目を買うことにした、

などサクラではない、まともな評価を読めるし、その人が何をどうやって作ってるかも参考になる。

あと英語圏3Dプリンターレビューサイトがあったはず

基本的3Dプリンターも同様で値段相応だし、激安すぎて写真でも作りが華奢な3Dプリンターゴミだったりするけど、

安い中国製品でもフレーム金属とかでしっかりしていて、それも精度良く加工された部品で作られていれば、

それなりの出力をするはずである

あと、自分で組み立てるとかも地獄を見ることがあるみたいだけど、

完成品の3Dプリンター買っても試行錯誤の日々が続く気がする、

というか俺は続いた、ときに苛々しながら試行錯誤してた

最近大病したりしたんで埃被らせてるけどw

出力に失敗しても中途半端な出力結果を無理矢理補修する能力とかそういうのも求められる気がする

プラモデルとか屋根壁の補修みたいな知識が生きたりする

ホームセンターにも大金を落とすようになる、ホームセンター大事

とズラズラ書いて思うのは、やっぱ3Dプリンターは万人向けじゃないよねw

エプソンのシャッチョさんが、台湾中国みたいな3Dプリンターは作らないんですか?の質問に、

うちは産業用の3Dプリンターは開発するけど一般ユーザー向けはやりません(儲からないし)

みたいな回答してたけど、やっぱり正解だわ、うん

こういう怪しいガジェットみたいなものは、中国台湾アメリカベンチャーとか、

変なもの変な会社しか売れないわw

3Dプリンターで何か作るのは楽しいけど、もの中途半端なだけに「沼」があると思う

なんかこのシート設置すると出力が成功する確率が上がるみたいだけど高いなー、

でも、導入したら散々待ったのにゴミが出力されてたみたいなストレスから解放されるんだったら買っちゃえ、

って買ってみて、最初はうまく言ってたんだけど、なんかシートが熱に弱いみたいで、

使ってる途中でベースの熱で柔らかくなってしまったんだろうか、

出力結果をスクレイパーで取るときに、シートにスクレイパーがぶっ刺さってしまい、

シートは破けるわ、ベースは傷つくは、FMDはこんな感じばっかだったよなあ

でも、アメリカ製のPrusaとか精度は良いはずだけどね

自分もPrusaと同じぐらい精度高いの15万で買ったはずなんだけど

光造形にしても結局積層していくことには変わりなさそうだし、

うっかり目を離した隙に大失敗がなくならなそうなんだよね

からワンフェス?とかで他人に売る品質にするのはちょっと難しいのではと思ってる

自分が使うだけだったら当たり前だけど問題ないんだけど

でも、光造形だったら問題なさそうだけど、FMDは気温にも左右されるんだよなあ

特に今みたいな冬の時期はフィラメントが急激に固まるので

あと、自分も光造形安いのでいいから買いたいなあと思ってもいるけど、肝心のレジンが高いよねー

フィラメントレジンもどこでどうやって製造しているかよく分からんのが多いし、

台湾なんかの植物から作ったので無害ですも信用ならんので、

あんまり口に入れるものは作るべきでない気がしたり、笛とか

でも、楽しいよなー、ものづくりは楽しい

体調とか生活が落ち着いたらまた作りたいよ

あ、あと光造形は出力した後の後処理が面倒だったと思うんだよなあ

プログラミングと違って物理は大変だよなあ

まあ、プログラミングも大変だけど

2020-11-08

anond:20201108023912

単なる商売上のマーケティングミスだよ

わざわざ駄菓子屋に酒・煙草を陳列したり

わざわざ原宿クレープ屋にぬか漬けを陳列したようなもん

担当者商売人として致命的なアホだったという話

anond:20201107053636

単に「駄菓子屋店頭にわざわざ酒・煙草を陳列するな」て話だろ

(酒・煙草エロい雰囲気画像をいっさい禁止しろとは一言も述べてない)

世の中には隠れてこっそり楽しむのが正しい消費スタイル商品あんだよ

淫夢DVDが平然とスーパーで売られて嬉しいか

2020-09-30

友達万引

小学生のに時、友達駄菓子屋に行って出てきたら、そいつが服の中から万引した菓子を出してきて自慢し始めた。

返して来いと言ったらきょとんとしてた。

常習的に万引をやってたみたいで俺みたいなことを言う奴は初めてだったらしい。

返してこないなら友達の縁を切っ切ると言ったら今更返せないと言い訳してた。結局、それきり疎遠になった。

中学は校区が別だったけど、お調子者で誰からも好かれる奴だったから時々噂は流れてきた。

そいつが薬物に手を出して廃人同様になっていると高校の頃風の噂で聞いた。

あの時もっと何かできなかったろうかと今でも思う。

2020-09-12

人生初のペヤング体験レポ

名前だけは知っていたが今まで一度も食べたことがなかった。

九州の片田舎に生まれ育ったけど、スーパーでは見かけたこともなく、その存在を知らずに育った。

10代後半にインターネットに触れ、そこで初めて「ペヤング」というカップ焼きそばがあり関東では覇権を握っているのだと知った。

20代後半から関東に移り住むようになり、ペヤングを手に入れられる環境になったが、元々インスタントを食べる習慣がなかったので機会は訪れなかった。

そして10年の月日が流れて今日

なんとなくその気になり、雨が降る中コンビニペヤングを買ってきた。

さて、ペヤングはいったいどんな味がするのか。

クワクしながら早速食べてみます

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完食。

うん。…うん。

なんていうか、思ってたより特徴がなかった。

飾り気のない素朴で単調な味だ。

子どものころ駄菓子屋50円ミニカップ焼きそばがあったけど、あれと同じ味がした。

食事一種というより駄菓子寄りの立ち位置なんだと思うけど、それにしては量がちょっと多いので後半飽きてくる。

あと冷めて麺同士が引っ付きだすのが早い気がする。

これならUFOのほうが圧倒的にうまいと思うけど、まあこういうのは思い出込みでの人気なんだろうから多くは言うまい

ごちそうさまでした。

2020-08-31

8月31日

8月の終わりが近づくたびに思い出すことがある

8月31日の朝、ラジオ体操が終わった後に近所の団地の公園に行くとあの子がいる

違うクラス同級生で、笑うと黒目がちになる女の子

普段は話すことも遊ぶこともないけど、いつのから8月31日だけは朝から日が沈むまで二人で遊んだ

近所の駄菓子屋に行ったり、公園の生ぬるい水道で足を冷やしたり、別の公園の滑り台を滑ったりしているうちに

さっきまでは焦がすほど熱かった風が涼しくなり、公園の灯がともり始めるころには、団地の公園に夕餉の匂いが漂い始める

二人で並んでブランコに座って、何を話すでもなく、ただゆっくりと揺れるブランコの上で8月31日が終わることを惜しむ

の子ブランコを降り前に立ち、黒目がちの笑顔で「じゃあね」と言う

続いてブランコを降りながら「うん、またね」と小さく応える

走って帰って行くあの子背中を見ながら、また来年かなと帰路についた

次の日、2学期が始まった学校へ行き、廊下の突き当たりにあるあの子クラスの前を不自然に行き来する

覗き見た教室に姿を見つけられず、どうやら今日はいないようだと戻る廊下で「えみちゃん引っ越したんだってね」と話す声が聞こえた

直感的にあの子だと気づき、初めて知った名前のあの子引っ越したことを知る

どこへ引っ越したのかも、そもそも団地の子だったのかも知らないが、もう会えないと思うと悲しくなった

9月中旬長野県安曇野から手紙が届く

の子からだった

けろけろけろっぴ便箋には、引っ越しの日、最後にどうしても遊びたかったと書いてあった

出発を夜にして欲しいとおかあさんに頼んで、友達見送りもないまま長野へ出発したそうだった

知らない土地から届いた手紙には期待したような言葉はなく、なんて返事を書けばいいのかわからないまま、机の小さな引き出しに忍ばせていたその手紙もどこかへ行ってしまった

数年前の8月31日にfacebook友達申請が届いた

見覚えのない名前に誰だろうと通知をクリックすると、思い出のあの子によく似た子供と映る、あの黒目がちの笑顔があった

2020-08-22

anond:20200822011543

何、それはそういうお店か駄菓子屋地元では有名なところだったのか?

2020-08-03

俺の姉は強かった。

俺は5人家族、3兄弟末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。

対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。ここでは、そんな姉の話をさせて欲しい。

我が家学歴コンプレックスを持つ母とそんな母に言いなりな父に育てられ、母は俺達が幼い頃からいい大学に出て、良い会社就職するんだよ。」と教え込んでいた。兄は幼い頃からの子達よりも優秀で、褒められてばかりの少年だったので母は自慢に思っていた様で、その頃兄と同等程度の学力を発揮していた姉を小学校1年生の頃から塾に通わせ、学校の授業の範囲を先取りする形でどんどん吸収させ、兄より優秀な娘を作ろうとしていた。また、ロングヘアも可愛らしい服も似合わないと笑われた過去トラウマとしていて、それの当て付けの様に姉の髪を伸ばし、可愛らしい服を着せていた。姉はそれを従順に受け入れていたし、身内の贔屓目もあるが姉はかなりの美人であった為、幼少の頃の姉は俺にとって「可愛いお姉ちゃん」だった。

転機が訪れたのは、姉が小学校4年生、俺が小学校1年生の時だった。よく一緒にケーブルテレビ放送されていたスラムダンク兄弟3人で観ていた俺達は、3人で地元バスケチームに入りたいと両親に相談をした。

父は「スポーツを習うのは良い事だ」と賛成していたし、母もスポーツに興味を持った俺達を喜んでいたが、入部を認めて貰えたのは俺と兄の2人だけ。姉は「お姉ちゃん大事な塾があるからそんな暇無いでしょう。」と却下されてしまった。その時姉は「それもそっか、塾と被るもんね。」と笑っていたが、その後子供部屋に戻った時、ボロボロと目から涙を零して「行きたくて塾行ってる訳じゃないのに。」と泣いていた。俺はそこで初めて、姉の本心を知った。兄はそんな姉を見て「母さんを説得しようか。」と声を掛けていたが、泣きながらも姉は「いい、無駄やと思う。」と首を振っていた。

それから姉は、塾をサボる様になった。塾の時間に外に出て居るものの、友達の家で遊んでいる事を俺は知っていた。姉の友人の弟もまた、俺の友人であったからだ。でも俺はそれを両親に報告もしなかったし、姉に知っている事も言わなかった。しかし、なんだか俺は悪い事を姉と一緒に隠しているつもりになってしまって、落ち着かなかった。

からはいつも、姉が居ない事について電話が来ていたらしい。父がよく連絡を受けていたらしいが、父にも思う事はあったのか母には姉が塾をサボっている事を伝えていなかった様だった。悪い事は、父も一緒に隠していたのだと思うとなんだか安心したが、偶々その日家に居て塾からの連絡を受けてしまったのは母で、母は全てを知ってしまった。そして、帰宅した姉の髪を掴んで家の柱に顔を打ち付け、殴り、11月の寒空の下、ベランダに締め出した。姉は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していて、兄も俺も助けてやりたかったけど、母はそれを許さなかった。あの日、父が母を説得して家の中に入れてやるまでの3時間程度の間、俺と兄は母がトイレに行った隙にこっそり姉にカイロを渡す程度しかしてあげられなかった。

やがて、両親が離婚した。原因はまだ幼かった俺に説明は無かったが、兄と姉は知っている様だった。でも姉は「知らない方がきっとお前の為だから」と言っていたし、兄は「両親がお前には教えないと判断したなら、俺もお前には言えない。」と言っていたので、理由は知らないままであるが、兎に角離婚した。そして、俺達兄弟は父に引き取られた。母は少し離れた場所引越し、1ヶ月に1度程度会関係になった。

母の引越しが行われた日。母が出て行ったのを見送った姉は、そのまま一人部屋を得ていた兄の部屋へと向かった。俺も暇だったので何をしているのかと着いて行くと、姉は兄に「ねえ、お兄ちゃんの着れなくなった服ちょうだい。」と言い出した。「男の服だからお前が着ると変だよ。」と言う兄はそれでも、持っていてもどうせ着れないからと姉に小さくなった服をあげていた。いつか、俺が大きくなったらお下がりで貰おうと思っていた服もその中には混じっていて、姉はそれを嬉しそうに受け取るとリビングで着替えた。女の子らしい、可愛らしい服ばかりを着ていた姉が、男の子の格好をしているのにそれはそれは強烈な違和感があったし、見ていた父も何事かと首を傾げた。

次に姉は、そんな父の所へ行って「髪の毛切りに行きたい」と言い出した。父は了承すると姉に美容室代を渡して、姉は通い慣れた地元美容室へと一人で出掛けて行った。リビングでそれを見ていた俺についでと言わんばかりに父はお小遣いをくれて、「これで駄菓子屋美容室の隣にあった。)行ってお菓子買って、姉ちゃんとわけっ子して2人で帰っておいで。姉ちゃんの事待っとくんぞ。」と言った。俺は了承してウキウキ駄菓子屋自転車を走らせ、駄菓子を沢山買って店の前で姉が美容室から出て来るのを待っていた。

店の前に出て20分くらいだろうか。美容室のドアが開く音がして顔を向けると、そこには男の子の服を着て、髪をすっかり短く切った、ジャニーズ風の雰囲気髪型になった姉が立っていた。「え、そんな切ったん?」「うん、長いの嫌やったっちゃん。てか何でおるん?」と会話をしている相手は姉なのに、見たことも無い姿にやっぱりなんだか違和感があった。離婚を機に、姉は塾も辞めたらしい。「ホントはずっと塾も長い髪も嫌やったっちゃんね。男子の服の方が動きやすそうやし、かっけーしさ。」と笑った姉は、何だかいつもより楽しそうだった。

中学生になった姉は、優秀な兄と比べられるストレス、兄が優秀な分同等の価値を求められるストレスから段々とおかしくなっていった。ちょっと悪い人達と一緒に居るようになって、学校サボる様になった。髪を染めてピアスを開けて、知らない人みたいになっていった。偶に会う母と姉の関係は冷え切っていた。理想とは真逆を進み始めた姉を母は受け入れられなかった様で、居ないものとして扱うようになってしまったし、姉は「元々ね、うちと母さんは理解し合えんのよ。やけん仕方ないね。」と笑い飛ばした。結局姉はそのまま中卒で社会に出た。

俺が高校生になった頃。よく姉が仕事休みの日に家に連れて来る女の子が居た。その子と姉は休みの度に会っているようで、なんだかやけに親しげだった。

姉は俺のテスト期間や週末に休みが被ると、よくご飯に連れて行ってくれて、多少値が張る店でも俺が好きそうな飯がある店によく連れて行ってくれていた。その日は個室タイプ居酒屋ランチ営業に2人で行っていて、聞けるのはこういう時しかない、と思って俺は口を開いた。

「ねえ、姉ちゃんってレズなん?」

姉は驚いた様に目を開いて、暫く迷う素振りを見せた後静かに首を振った「違うよ、でも、最近連れて来るあの子と付き合ってんの。」そう零した姉に、俺は首を傾げた。女と付き合ってるならレズなんじゃないの?そう言おうとした俺に姉は「今からね、お前がびっくりする話すんね。でもお前にしか言わないから皆には秘密ね。」と続けた。

話によると、姉は性自認が人と少し違う人だった。でも、性同一性障害という訳でもないし、自分が女であるというのは理解している。でも、自分が女だという事に強烈な違和感があり、だからといって男なのかと聞かれればそれも違和感がある、所謂性自認がどちらでもない人」だった。後で調べた話、こういう人をどうやら「Xジェンダー」と呼ぶそうだ。

そして、姉はレズビアンではなくて、性自認がどちらでもない関係上、女も男も異性であり同性。そして、自分とは違う人達という認識で、そこに差を持たない生粋バイ・セクシャルだった。でも、男と付き合うと女である事を強く求められるけれど女と付き合うと自分のままでも受け入れてもらえるからと、女性と付き合う事が多いのだと話していた。

その頃の姉は奇抜な髪色に、耳と顔に沢山のピアス。そしてやっぱり、男性物の服を着た性別も年齢もよく分からない様な見た目をしていて、「そういう格好もわざとなん?」って聞いた。そしたら姉は「女を押し付けられたちっちゃい頃の反動。分かんない、反抗期なんかな。」と煙草を片手に笑っていた。俺は姉を「姉ちゃん」と呼ぶのを辞めた。友達みたいに、名前で呼ぶようになった。姉はそれに気付いたみたいで泣きそうに潤んだ瞳で一言「弟のくせに生意気」と言った。

そんな話から3年後。姉に珍しく彼氏が出来た。親や兄の前では特に触れてなかったが、彼氏の紹介を終えた姉は俺の部屋に来て「あんね、彼氏ね。うちの性自認理解してくれる人なん。」「女の子やなくてね、うちのままで居ていいって言ってくれたん。」と嬉しそうに笑っていたし、性自認を打ち明けられない息苦しさと、女性と付き合うことによる周囲から偏見の目に晒されていた姉の言葉に俺は夜じわじわと一人で寝る前に泣いた。幸せになって欲しかった。姉は派手な見た目と素行から誤解をされがちだったが、いっぱい我慢して来た人だった。そして、誰より優しい人だった。自分を殺してでも、周りが求める理想従順である努力を、ほんの幼い頃から出来る人だった。ふたつしか貰わなかった大好きなクッキーを、「兄ちゃんと弟にあげるから」と食べずに持って帰って来る様な姉だった。人の為に、が出来る人だった。反発の仕方が分からなくて、反骨の仕方が上手くいかなくて、すっかり周りからは「グレたヤンキーのどうしようもない娘」だと思われていたけど、俺にとっては大好きで大事で、自慢の姉だった。

社会に出るまでの道筋は兄が示してくれた。でも、人に優しくする方法は、いつだって姉が示してくれた。

半年後、姉は彼氏同棲を始めて家を出た。寂しくて、荷造りする姉の手伝いをしながら、昔話を2人でして、引越しの前はアルバムなんか俺が引っ張り出してきて、あんな事あったこんな事あったと話して2人で泣いた。随分派手な見た目になった姉は、それでもやっぱり昔のままで「うちの事受け入れてれてありがとう」と嗚咽混じりに告げた。髪が長くて可愛らしい服を着た「可愛いお姉ちゃん」は、見た目が変わってしまってもやっぱり美人で、俺にとっては「かっこいい兄弟」にランクアップしただけだった。姉は泣き腫らした顔で翌日旅立った。俺はその日、寝る前にまた一人で泣いた。

姉には幸せになって欲しかった。やっと姉が、姉のままで居られる環境に旅立てた事が自分のことの様に嬉しくて、次会った時にもっと男みたいになってて、俺よりよっぽどイケメンになってたらどうしよう。なんて再会を楽しみに思っていた。

思っていたのに。

2年後姉はボロボロ状態で帰って来た。

髪を伸ばして、派手な色もやめて、ピアスだって全て外して、綺麗めな女性の服を着て、パンプスなんか履いていた。一人称は「私」になっていた。父には「やっぱ私さ、実家が好きだわ〜!嫁に行けんでごめん!」とか言って笑い飛ばしていた姉は、荷解きをする為に戻った自室で1人で泣いていた。

「びっくりした、めちゃくちゃ女になってて。」

だって、そうしろって言われた。隣に並ぶの恥ずかしいってさ。」

嗚咽混じりに聞いた話はあまりに酷い話だった。

彼氏が姉の性自認を受け入れてくれたのなんて嘘だった。姉と付き合いたいが為に理解者のふりをしていただけで、同棲開始直後からである事を求められ、髪は伸ばし黒く染め、持っていたメンズユニセックスの服は捨てられた。一人称も、喋り方も矯正させられ、前の喋り方が出ると「気色悪い」と詰られた。

「お前みたいな厨二病メンヘラと付き合ってやってんだから」と姉に言い聞かせ、2年間ずっと都合のいい存在として消費されていたらしい姉の話は、俺の心にずっしりのしかかって来るなにかがあった。姉には幸せになって欲しかった。姉にはありのままの姿で生きていて欲しかった。泣いて帰って来てなんて欲しくなかった。

俺は財布から金を抜いて姉に渡した。「俺、お前のショートヘア大好きだったよ。かっけーもん。」

俺のお下がりの服は、体格差から姉にはかなり大きかったけど、それでも小さいサイズのものを選んで貸した。あの日から10年以上経って、姉は今度は兄ではなく俺の服を着て美容室へ向かい、長い髪の毛をすっかり短くして来た。ツーブロックまでした姉を俺はあの日と同じ様に駄菓子屋で待ちたかったけど、駄菓子屋改装して雑貨屋になっていたから、雑貨屋で姉の部屋に飾るアクセサリースタンドを買って、袋を提げて店の前で待っていた俺に姉は「お前もおっきくなったね」と笑った。やっぱり中性的な姉は美人だった。

俺は5人家族、3兄弟末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。

対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。しかし、俺は幾らだって言いたい。俺を優しいと言うけれど、その優しさは姉から貰ったものだった。優しくて、生きづらくて、それでも決して誰かを悪く言わない強い姉だって、昔から兄と同じくらい自慢の姉だった。

歳をとってもできる仕事というのは何があるかねぇ

タバコ屋、宝くじ売り場、駄菓子屋掃除婦…

自営業が多いんかねぇ。

店持たないとダメかな。

2020-07-22

この前見た夢

めちゃくちゃ大きい駅?あるいは空港?の中にいた。ひとけはなくガランとしていて、全てが黄土色みたいな鈍い色の金属で出来ていたけど、建築自体近代的でとにかく沢山のエスカレーターがあった。

エスカレーターを登っていくと、最初駅ビルチックにオシャレなお店が入っているのだが、階層が上がるにつれて狭く、裏路地のような、倉庫か何かのような空間になっていく。徐々にエスカレーターの踊り場に物が放置されているようになり、得体の知らないガチャガチャマシン掃除道具を掻き分けてドアを開けると駄菓子屋なんだか雑貨屋なんだかわからない怪しいお店がギッシリ並んだ通路に出る。

私はこのガチャガチャ友達にあげたら喜ぶかもしれない。と思っているのだけれど、何が入っているのかは全くわからない。

ずっと登っていくと急に屋外に出た。巨大なコンクリートの塀しか見えない、埃っぽい道。その塀の一つに穴が空いているのを見つけて潜り込むと、中はだだっ広く、隕石が落ちていた。正確には地面にポカリと穴が空いていて、夢の中の私が「そうか、隕石が落ちたんだ」と思っていた。その穴は全く底が見えず、近寄るのは得策ではないな、と思って私はまた歩き出した。

塀の中には川も流れていて、川沿いの道は意外と綺麗に整備されていた。住宅街のようなものも見えたが、あまりにも遠くて陽炎っぽい。その歩道を歩いている時、誰かが向かいからやってきて、「溺れている人がいる」と言った。見ると確かに誰かが川で溺れている。川の水は泥水と言って差し支えないほど濁っていて、最初に見た時よりずっと川幅が広くなっていた。水量も増しているように見え、汚い白い泡がぐるぐると渦巻き状になっていた。

気づいたら私は川で溺れている人になっていた。それはちょっと酷くない?と思って、まあそういう時は起きちゃえばいいんだけどね、と夢の私が言ったので、私も目を覚ました。

2020-07-02

駄菓子屋生写真を買ったら焼いてあった

生ってフィルムじゃないのか

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