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はてなキーワード: ニューミュージックとは

2017-03-03

聞こえてくる故郷日本」の断末魔

そういうわけで、今の日本殺意の矢面に立たされているのは「日本残滓」ともいえる。というのも最近自公政権おろし発言に、実に納得する。つまり、表面的に彼らがすべてを支配しているように見えるが、実は本当に窮地なのは日本残滓の側だろう。

1980年代昭和時代だが、まだ発展の前半だったので、当時の国民の誰もが残滓と戦っていた。1990年代残滓的なものますます壊れていったが、それは都市部に限ったことだった。2010年代、もはや日本残滓は、政治サブカル手法によって相互エンコ的に結び付きあわないと成り立たなくなってないか

おニャン子」の時代握手券もなければ秋元康氏が支配層とずぶずぶになることはなかった。ニューミュージック洋楽こそ限定的であった。しかし今の日本では、若者音楽離れすらしている。非常識的なCDセールス国策迎合がなければ国民グループは成り立たない。

ネトウヨサブカル風味(あの暴走族らしさも含めて)は特殊だが、日本的市民団体の多くは運動が成り立たなくなっていて、そういう政治団体組合会長左翼趣味をまき散らして云々することはできなくなっている。壁も中身もうすっぺらいサブカルしかない。

新自由主義」の美名のもとに、好景気まがいな豪華列車が全国各地で走ったり、今時ポストヤンキー名乗りをして道路利用者警察から顰蹙を買う連中は、寝台列車を走らせていたり、痛車ラノベ競争が行われていた頃よりはるか日本らしさを失っている。

日本残滓」がモンスターになったものが、あらゆるものを蝕んでいる。というわけだ。1980年代から1990年代ヤンキーつぶしの迷惑オタクが被っていた頃に比べると、今回の右傾化問題はちゃっちすぎじゃん。昔は、その地域の最大の家族一族大金持ちになり支配層になり、色々な産業に口出ししているということだが、今は新自由主義富裕層インフレするというショボいやり口になっている。日本残滓は弱体化している。

この線香花火が消える寸前にブワッと燃えるような感じの「日本残滓の悪あがき」が、2010年代日本なのである非行ネタ消費も、鬱陶しいほどの鉄道拝金志向オタクギャルヤンキー化もそう。全部が、断末魔。あからさまに必死になり癒着しあって虚勢を張っているだけだ。

から虚勢であり、内実がないから、これはしょせん偶像しかないし、前時代論理であり、ネタしかないし、あやかしであって、モンスターなのである。これに終止符を打つ、一種の抵抗を迎えるのが、今われわれ文明社会を信じて生きる都市住民にはあるのではないか

あの問題が第二次自公政権という擬似右翼政権の幕切れで終わる訳がないと思っている。日本社会性にも切り込まれるだろうし、現在人類が(人類が何度も滅んだと言う説もあるため一応。)文明社会始まって以来受け継いできた帝国システムも、そろそろしっかりと「精算」されるはずだ。2017年から2019年はまさに一つの人類伝統東洋小国から終わる時ではないか日本人自ら日本看板を捨てる。


今の日本人2000年代までとはまったく異質で極左的だ。天皇制への疑念も高い。

だが日本で起きようとしている2019年問題とは、まさに“嘗ての中国”が行ったことと親和性が強い。現在台湾中国王朝制度破壊したように。それがわからない「肉屋を支持する豚バカ支持母体となった社会崩壊する。日本故郷もつ私にはまことに不本意だが、肝心の彼らがこうなのだからもうどうしようもないとなかばあきらめている。

2017-01-22

父の癇癪

私の父は数年前、アルツハイマー認知症を経て肺炎で亡くなった。

父は、昔の人によくありがちな典型的癇癪持ちタイプで、気に入らない事があると突然癇癪を起こすのが常だった。

好きなプロ野球チームが、父のお気に召さないプレーなどを示すと「なにやっとんじゃぁっ!!」と晩酌ビール瓶片手にしょっちゅう切れていたし、そのビール瓶を叩き割ってしまって自分で後片付けしていた背中が私の少年時代記憶に焼きついている。

仕事は、一人親方看板製作業で、小中学生の頃よく一緒に手伝いに連れて行かれたけど、現場に一緒に入っている他の会社作業員にブチ切れて怒鳴り散らす事も珍しくない人だった。

私はそんな父が別に嫌いだということはなかった。プラモデル作りや釣り音楽レコード鑑賞などそこそこ趣味を持っていた人で、私は釣りには興味は示さなかったが、プラモデルは好きでよく一緒に作ったものだ。父は職人肌のところがあり、プラモデルはとても上手だったし、音楽趣味も古い世代に多い演歌だけじゃなくて、ジャズニューミュージックなどのレコード豊富にあって、その影響で私の音楽趣味も醸成されたようなところがある。

ただ、夕食時は親父がテレビ見ながらいつ癇癪を起こすかわからないので、私や他の兄弟も大急ぎで食べ終えて子供部屋に逃げる日課。

そんな父に寄り添っていた母も大変だった。そんな風に子供が逃げるように食卓からいなくなってしまう事にまで腹を立てた父は母に怒鳴り散らして、「お願いだからもう少しお父さんと会話して」と母から何度も頼まれたりもした。

だけど、私を含め子供中高生大学生と成長するにつれ自分たちプライベート時間が長くなってくると、自宅が仕事場だったから、家の中には父と母しかいない時間が長くなり、ストレスを溜めた母がアルコール中毒になってしまったこともある。

父は母なしでは生活できない人だった。

夜遅く帰宅した私に「お母さんの様子がおかしい」と深刻な表情で訴えてきて、すぐに寝室にいた母の様子を見に行くと、泣き腫らして目も顔も真っ赤にした母が布団の上で一升瓶を抱きかかえて横たわり、「もうイヤだ。死にたい死にたい!」と消え入りそうな声でずーっと呟き、身体を異常なほど震わせていた。

どう考えても、すぐに病院に連れて行かないといけない状態なのに、父にはそれすらも分からなかったのである

それからしばらくは、私たち兄弟は出来るだけ自宅には早く帰って父母と一緒に過ごすようにしたので、母の状態回復の方向に向かったけども、当時は精神科受診する事すらも忌避される時代だったから分からなかったけど、母は多分かなり重度の鬱病のような状態に陥っていたのだと思われる。

その後、子供社会に出て自立し、一人暮らしを始めたりしてからも親には随分悩まされたけど、父が60を超えるくらいになると糖尿病や高血圧悪化して廃業する事になった。ちなみに子供は誰も家業を継いでいない。

そして、父は念願だった美術勉強を始めるなど、廃業して何年かは穏やかな生活が続いた。私も結婚して孫を見せる事も出来た。

だけどそれも長くは続かず、父のアルツハイマーが発覚して、発覚時には医師から発見が遅れたのであと1~2年でおそらく誰が誰だかも分からなくなる」と告げられ、その日のうちに孫の名前が言えなくなっていたのにみんなが気付いた。

徘徊は酷かった。あれは経験者じゃないと分からないと思うが、ほんとに突然いなくなるのだ。そうとしか言いようがない。例えば五分前に御飯食べてた筈なのに、周りにいた人がほんのちょっとテレビに気取られただけでいなくなっているのだ。そして、辺りを探し回ってすぐに見つかればいいものの、結局一晩見つからないこともしばしばで、しょっちゅう警察のお世話になった。

一度、GPS機器をお試しで身体に装着させようとしたけど、「こんなもんいらん!」と嫌がってしまって無理だった。

ただ、廃業してからずっと癇癪だけはなかった。いつのからか、「お母さんには散々迷惑かけたから優しくする事に決めたんだ」としょっちゅう言うようになり、その言葉のとおり癇癪を起こすことは、少なくとも私の知る限りなかったし、一緒にいた母にも聞いた事がない。

そんな父だったのに、亡くなる年に一度だけ癇癪を起こした。

それはお正月二日の日、実家にみんなが集まっていた和室で、おせち料理を囲んで団欒していた時、母が何かを台所まで取りに行こうとして立ち上がったときにふらっとよろけたその時だった。

「こらっ!そこどけ!」

和室が一瞬にして静まり返り緊張が走った。

多分、足を悪くしていた母に対する父の気遣いだと思うけど、にしてもしばらく聞いた事のなかった癇癪。

母のちょうど隣にいたのは私の息子だったが、それまで笑っていたその息子の顔が引きつっていた。

それから、二ヵ月半ほどして、肺炎を患った父は病院で亡くなった。

昨年くらいから、母も同様にアルツハイマー認知症と分かり、今は施設にいるのだが、この前私が訪れた時、母はこう言った。

「お父さんすぐ怒るから一緒にいてあげてね」

父が死んでも涙一つ流さなかった私だったが、何故か涙が溢れて止まらなくなった。

2013-09-01

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル

これまでの記事。

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論


こんにちは。来週の「あまちゃん」を見るのが怖いマスダです。今日インターバルで補足説明や修正をします。


・文章のこと

文章のことを幾人かの方々にお褒めいただいて恐縮です。確かに文章は私にとっては飯の種ですが、別の記事を書いた時には(批判が多かった記事ですが)、文章も幼稚だと批判されたものです。ですから文章の良し悪しも内容に興味を抱くか抱かないか、内容に共感するかしないかで印象も随分違ってくる、そういうものだと考えています。これらの記事を増田で書いているのにはそれなりの事情もあるので、どうぞ私のことは詮索無用にお願いいたします。

業界人かどうか

業界の範囲をどの程度とるかにも拠るかも知れませんが、少なくとも芸能業界とは何の関係もなく生きてきました。ただの一視聴者に過ぎないというのは謙遜でも誇張でもありません。それどころかアイドルオタクでさえないと思います80年代おいても洋楽も聴けばニューミュージックも聴いていましたし、アイドルのことはファンクラブに入っていたアイドル別にして、普段は月曜日に「トップテン」と「夜ヒット」、木曜に「ザ・ベストテン」を見るくらいの関わりしかありませんでした。ここで書いているようなことは既知の情報であって、特に目新しいことを書いているつもりはありません。ただ80年代アイドルのことはかれこれ30年間の蓄積があるわけで、当人たちを含めていろんな人たちが当時について語っています。私は芸能界裏話みたいな、そういう話が大好きなので、好き好んでそういうのに目を通していたらそれも30年分の蓄積がある、ということです。好きな話なので、一度聞いたら忘れないだけです。

・根拠のある話なのか

わりあい根拠のある話を選んで書いています雑誌インタビュー記事やテレビ番組で当人が話したことや、ゴシップ系ではない、書籍や記事を参考にしていて、ソースを示すこと自体はほとんどのエピソードについて可能です。例えば、「秘密の花園」は最初作曲が気に入らなくて松本隆が改めて松任谷由実作曲を依頼した、と言う話ですが、これは旧バージョンの曲も確認しています。なお、この曲を当初、「小麦色のマーメイド」と誤記していました。複数の方のご指摘の通り、「秘密の花園」の間違いです。失礼いたしました。「小麦色のマーメイド」は詞・曲ともに全体として完成されていて、個人的には松任谷由実松田聖子提供した楽曲としては「蒼いフォトグラフ」と並ぶ最高傑作だと考えています。詞、曲、歌い手、微塵も変えられない最高の品質調和した作品なので、これが旋律が後ハメだったらえらいことですね。

・一方の視点に立ち過ぎていないか

そのきらいはあるかも知れません。例えば中森明菜の項目で、結果的に松本伊代を悪役みたいに描いてしまったのですが、彼女テレビ番組という公開の場所ではっきりと明菜を「嫌い」と言ったのは事実で私はそれに強い反感を覚えますが、松本伊代には松本伊代の言い分がおそらくあるでしょう。明菜にも社会的意識が欠落した言動がしばしばあったのは事実で、90年代末期には公演を巡って、公演は中止される、チケットは払い戻されないという詐欺まがいの事件も起こして、当時の所属事務所社長から芸能界に置いていてはいけない人」とまで言われているのですから松本伊代なりの正義感からすれば許せないことがあったのかも知れません。ただ意地悪な人だったら松本伊代もあんなに友人に囲まれるはずもないですから。そうした欠落を踏まえても、明菜不世出パフォーマーとして評価している、評価せざるを得ないというのが私のスタンスです。芸能界に置いておくかどうかは事務所社長が決めるのではありません。民衆が決めるのです。一方で舌足らずに書いてしまった点もありました。研ナオコ聖子を「挨拶もしないで」と批判したことについて、それを批判的に書いたのですが、もちろん「挨拶をしない」のは社会的には批判に値することですから、そこだけを抜き出せば研ナオコの言い分も必ずしも間違っているわけではありません。しかしその状況を踏まえれば、言いがかりに近いと私は判断したのですが、状況を書くのを忘れたので一方的に聖子の肩を持っているように見えたかも知れません。芸能人が何百人と集まっている大きなパーティーで、おそらく聖子は顔出しだけでもと頼まれたのでしょう、わずか数分、会場にとどまって、皆に手を振って、義理を果たすとそのまま退出しました。スターにはよくあることです。これを個々人に挨拶をしていない、と難癖をつけるのは、別格のスターである聖子であるがゆえにやむを得ない行動についても理解を受け付けない、依怙地さが目立つ態度です。似たような話はよくあって、例えば山口百恵テレビドラマに主演していた頃は過密スケジュールだったのでどうしても百恵中心の時間配分になりますベテラン共演者がそれに不満を抱いて降板した、ということがありますが、そういうことを「先輩を蔑ろにした」みたいに処理されても、だからと言ってどうしようもない話です。だから研ナオコのあの批判は小姑根性のくだらない批判だと私は思いました。同年、研ナオコ紅白に久しぶりに出演していますが、声はガラガラで、歌手として鍛錬していないのはみえみえ、聖子に難癖をつけるようなくだらないことに気を使っているならその前にプロ歌手としてやることがあるだろうに、その点、いつまでも衰えない聖子はさすがに立派だとの思いを強くしました。これについては名前は出していませんが、同じく聖子ファンである作家林真理子が激しい口調で研ナオコを同様の趣旨で批判しています

酒井法子を取り上げていないのはどういうことですか

チャーリーはよほどノリPが好きなのかもしれませんが、80年代を通しで見て、本当にここで名前が挙がっている人たちよりも酒井法子が実績を残したと思いますか?私だって涙を呑んで、南野陽子を7位にしたのです。酒井法子ランキングで取り上げていないのは彼女の生い立ちのせいでもなければ事件のせいでもありません。80年代アイドルとしてはそういう評価しか下せないからです。彼女90年代にむしろピークが来ました。女優として本当に傑出した、才能あふれる人だと思います大河ドラマはいろんな人が北政所を演じていますが、私は彼女が演じた北政所が歴代の中でベストだと思っています。だからこそあの事件のことは残念でしたが、それでも立ち直って復帰して欲しい。そう強く願うくらい、酒井法子を評価しています。それでも80年代アイドルとしては、ベスト16の中に入れるわけにはいきません。

女優フォローしないのか

しません。女優としてアイドル的な人気を得た人としては、伊藤かずえ沢口靖子富田靖子などがいます世代の性(さが)で、今でもこの人たちが出てくるとすごく嬉しいですね。「ナースのお仕事」では伊藤かずえばっかり見ていました。沢口靖子の「科捜研の女」は欠かさず見ています沢口靖子彼女も年相応に老けてきましたが、老けたなりにありのままの姿をさらすことを選んでいるようで、撮りようによっては皺も隠せるのにしていませんね。それでいて今なおあの美しさ。ほれぼれします。でも、「ザ・ベストテン常連というのが一つの判断基準なので、彼女たち女優プロパーは対象外です。

森高は?宮沢りえは?

森高アルバムは全部持っていて(森高作詞の才能は本当にすごい。松任谷由実は「あんな中学生みたいな歌詞印税貰えていいわね」と評しましたが、作為を感じさせず強烈に印象を残す作詞力は並の芸当ではありません。大槻ケンジと同じくらいの天才だと思います)、宮沢りえちゃんは「ぼくらの7日間戦争」以来のファンで、児ポ法的には危険なあの写真集も未だに持っていますが、イメージ的には90年代スターです。「ザ・ベストテン常連でもありませんし。

・どこまでやるんだ?

一応の目安として第8位の斉藤由貴まで順繰りに書こうと思っていましたが、小泉今日子を書いていて、熱意が足りないように感じました。小泉今日子は好きか嫌いかで言えば好きですし、おカネを払って彼女の作品を買ったことも何度もあるんですよ。でも聖子明菜に対して程、思い入れが無いのも事実です。だから書いていて、愛よりはテクニックに頼ったところがあります。で、正直言って中山美穂についてはなおのこと思い入れがありませんし、工藤静香に対してはむしろネガティヴな印象があって、対象に愛情が無いのに論評を書くのも苦痛ですし、なにより失礼だと思うんですよね、当人に対してもそのファンに対しても。で、中山美穂工藤静香飛ばして、斉藤由貴まで取り上げようかと考えています


では、もうしばらくお付き合いくださいませませ。

2013-08-22

時代を見ていたものにとって

聖子明菜、このふたりはやはり1位と2位で納得。

ふたりの全盛期にベストテン見てた自分としては

第2期アイドル黄金時代の比ではないと思う。

堀ちえみ早見優松本伊代など

ニューミュージック旗手たちが楽曲を手掛けていたのも

当時ものすごく驚いたものだけれど。

まさか佐野元春松田聖子に、中島みゆき工藤静香に書くなんて、

あの頃は音楽の豊かな時代だったな。

2010-06-12

AKB商法って

おニャン子の時は普通に、多数の視聴者

夕ニャンで呼びかけて発売日にCD、じゃない、レコードを買わせて

ヒットチャートの順位を自分たちが動かしてるぞ!っていう

快感をファンに覚えさせて、とにかくレコード出せばヒット、っていう状況を作ってたわけで

少数のオタによるAKB48内での争いをさせるという今のやり方は

むしろ規模縮小な気がしないでもない。

今思うとあの頃はテレビ番組の影響力がまだ強かったし

夕ニャン見てたのも団塊ジュニアあたりの世代?でとにかく数が多かったから

メンバー間の争いをそこまで演出しなくても、おおざっぱな

既存のアイドルやらニューミュージックやら、売れてる音楽おニャン子って構図で

一人1枚買わせるだけでも十分商売になってたんだから凄いなあ。

バカな時代だったなというべきか。

2009-06-06

三木道三一発屋としてからかわれている件

http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51259975.html

たまに定期的にこういった話題が出るんだけど、そのたびに三木道三ファンとしてはいたたまれない気持ちになる。

そもそも「一発屋をからかう」とはどういうことだろう?

読者も三木道三がどういった人物か詳しくは知らない人も多いと思うので、先ずはWikipediaリンクを張っておきたい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E9%81%93%E4%B8%89

1990年代初頭というとまだバブルの余韻をひきずってトゥナイトとかでお立ち台ギャルTVに出てた頃。

クラブというと六本木の高級クラブが世間一般常識の頃に、アンテナの高い若者に支持されていたクラブミュージックレゲエヒップホップグランジだった。

(もちろん他にもロカビリーとかテクノとか、それぞれ好き好きはあったけどとにかくファッションミュージックTVで全く取り上げられないほどマイノリティだった)

関西ではいろんなミュージックが試されていたけど、その中でも三木道三の歌う「ド演歌レゲエスタイルは飛び抜けてうまかったんだ。

当時の関西がそうだったのか、今で言う「フィーチャリングなにがし」だったり「コラボレイトなにがし」だったり、仲間や後輩と一緒に組むスタイルも、関西クラブシーンを熱くさせたし社交性や面倒見の良さが評価された。

この頃の三木道三インディーズレーベルを知らない人は、ニューミュージックが好きならきっと損してると思えるくらい、すばらしい楽曲を提供してくれてる。

(「MIKI-FM 1997ヘルス」とか「MIKI-FM 1998メガヘルス」とか)

そのご「キミにミキ」みたいな楽曲メジャーでも提供できたらひょっとして三木道三って全国でも通用するんちゃう??っていう関西の人たちの期待もあって、三木道三メジャーレーベル契約を交わす。

三木道三はやってくれた。きたいどおりに「Lifetime Respect」という名曲を生み出した。

今までマイノリティだった関西クラブシーンはこの曲を一斉にFM802リクエストする。

もともとが名曲なので、FM802で聞いた他のリスナー三木道三のファンになってリクエストはさらに伸びる。

(ちなみにFM802とは関西圏のFMラジオアイドルの曲は一切流さないという関西音楽ファンにとっては聖地のようなラジオ局

あとのシナリオは皆さんもご存じ、三木道三は変に肩肘を張ったのか名曲を生み出せずその後はヒットに至らないわけだが、

関西クラブミュージックシーンで三木道三ほど音楽に貢献した人を誰一人悪く言わないのに対して、カウントダウンチャートを上からとりあえず聞いてる「自称」音楽通に限って一発屋三木道三をバカにする両極端な土壌が出来てしまった。

ここから僕は「そもそも一発屋とは何か」というのがわからなくなってしまった。

そもそも、なぜ、みんなは一回でも「音楽的表現の流通」に成功した人を笑うの?

なにを笑ってるの?可笑しいのは「音楽」なの?「表現」なの?「流通」なの?

音楽芸術から商品に貶めたのは他ならぬバイヤーなのは周知事実だけれども、

そもそも音楽商品として扱ってきたのは消費者なんじゃないの?

バイヤーはその期待に応えるのは人類歴史上連綿と続いてるだけじゃないの?

音楽を上から下まで「売れる」商品を集めてるだけで満足してるのは消費者で、

そういう行為が「日本レゲエ」っていう音楽的文化を殺してるのに気付いていないの?もしくは気付いてるけど黙認してるの?

(べつにここがレゲエじゃなくても「日本ロック」でもなんでもいい)

欲しくなければ買わなければいい。

流行ったからつられて買って、あとになって「一発屋一発屋」とからかう創作活動のどこに未来はあるのか。

一発屋一発屋」というけど一発でも当たった凄い人をお前達は尊敬しあがめよ、とは言わない。

中には自分も2発目、3発目と当てるように努力してる人も居るだろうし、そうでなくても一発当たった人はやっかみの対象になるのも理解の範疇だ。

だけど、三木道三ほど日本音楽文化にレゲエという要素を取り入れて貢献した人に対しても、メジャーレーベルでしか評価できなくて、その評価が一律「一発屋一発屋」というからかいがほとんどな現状を見ると、良質な音楽との接触の機会を自ら狭めているのはこういった「カウントダウン上から下までそろえておけば大丈夫」な層なのかもしれない。

2007-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20071231214318

そりゃまともなアーティストはこんなどうしようもないイベントに出ようなんて思わないだろ。

今考えれば紅白ステータスだった時代から出場を拒否していたフォークニューミュージック系のアーティストは先見性が高かったんだな。

 
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