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はてなキーワード: ヨウコとは

2024-03-27

anond:20240327123335

ライブハウス武道館ヨウコソ!」

ライブハウス武道館ヨウコソ?!」

「…ココは東京だゼ?(苦笑) オッケーイ!!」

イメージダウン、イメージダウン、イメージダウンダウンダウン…

2024-01-20

anond:20240120154049

ライブハウス武道館ヨウコソ!

ライブハウス武道館ヨウコソっ?!

…ココは東京だゼ?(苦笑)

オ、ケーイ!!

イメージダウン,イメージダウン,イメージダウン,ダウン,ダウン♪…

2023-10-26

ザ・ファブル 2期の感想

短かった・・・

ヨウコ殺し屋オトコ連中の中では弱かった・・・腕力

覆面オッパイは良かった。(出し過ぎ?)

タコ社長とも何ともならんし、3期はないかなー

2023-05-23

漫画家は判りやすい、判別やす名前って大事だわ。

ヤマモトヨウコとかヤマシタトモコとか全然判んねえんだよ女漫画家カタカナと4文字熟語みたいな漢字ばかり使いやがって。絵も似てるしホント見分けつかない。女漫画家ってこういうのばかり。ホント検索しにくいの何とかしてくれ。

押切蓮介押見修造に間違われた話とかマジだと思うわ。ホント漫画家は判りやすい、判別やす名前って大事だわ。

2023-05-15

anond:20230515115822

ヨウコより強い男がうようよ出てゲームヴァラン崩壊してるし


ヨウコタコ社長とくっ付いたらハッピーエンドで【完】だな。

2023-02-12

anond:20230212105151

ライブハウスSNSヨウコソ!!

ライブハウスSNSヨウコソ!!

…ココは増田だゼ?(苦笑)

オ・ケーイッ!!

イメージダウン,イメージダウン,イメージダウンダウンダウン♪

2023-01-26

anond:20230126205954

ライブハウス武道館ヨウコソ!

ライブハウス武道館ヨウコソ!

(苦笑)ここは東京だゼ?!

オッケーイ

イメージダウン,イメージダウン,イメージダウン,ダウン,ダウン♪

2022-06-26

子供と会話しろと言われても子供の使う用語がわからない

たまに子供と話す時間ができた時に、近頃あったこととか好きなものとかの話をしようとしても、カトウ君とかヨウコちゃんとか言われても関係性を知らないし、『○○の××』『△△が□□』ってバンドアニメ名前みたいなのを言われても最近のよくわからんネーミングは聞き取ることすら難しいし、それらをいちいち尋ねてたらイライラしだすし、かと言ってわからないままピントのずれた相槌を打っててもイライラしだすし、最終的に子供が気遣って「まあいつも通り」だの「別に」だのしか返さなくなってきて、こんなんもうどうすりゃいいのよ。

2022-04-05

anond:20220405132630

ライブハウス増田ヨウコソ!!

イメージダウン、イメージダウン、イメージダウンダウンダウン♪

2021-08-05

小山田圭吾いじめ問題月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)の記事の一部書き起こし

クイック・ジャパン』『ロッキンオンジャパン』以外で、小山田いじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、

メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、

案の定これを利用して、拡散元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事外山恒一氏のnote記事反論している。

また変な扇動しかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。

なお、カドカワ記事フリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士世界塔」の発売直後に刊行されたもので、

アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。

月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352

きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。

幼稚園ときに、巨人土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初記憶ですかね(笑)土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビ土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。

すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。

普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。

小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校身体障害者の人が多いんだけど、特別クラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校ときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。

小学校ときは成績は良かった。運動会リーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣消しゴム流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲消しゴム流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャカプセルを出すと効率悪いのね。

ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分スーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)

小学校ときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいタイトルで作文書かれてね(笑)別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいついかにして迫害たかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃん印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)

運動会リーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。

音楽幼稚園からアニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのときイナズマン』のLPサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)

テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメ再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャート信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方チャートだとフリッパーズ・ギター四国全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。

あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆ジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフ志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。

中学になると、人当たりが悪くなって。クラス友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達クラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としかさなくなった。

Kはね、体がでかくて、小学校ときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。

同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子テープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマンブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときクイーンかな。

その頃、初めてエルヴィス・コステロインペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌グラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテックカメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチシングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面音楽にどっぷりいった。

そういうふうにして中学生のとき洋楽を聴いてると、みんな馬鹿自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。

ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテックカメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コード名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。

高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスなっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)クラスにいるときは、Kとしかさなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドル写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外小説を読みながら歩いていたという話をきいた。

ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校友達かいたから。

変な高校でさ。普通レベッカとかBOØWYコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンクニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスコピーやって出てた。授業中はウォークマンヘッドホンコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。

小沢中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水ジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったか一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)

※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソードアルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめ関係する箇所は上記だけなので以降は省略。



読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。

そして問題記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、

自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。

小山田圭吾問題の最終的解決|外山恒一|noteより

まず第一に、これは小山田氏が、自分いかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。

ーーー(省略)

それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりエスカレート過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的ことなのではないかと思うのです。このことはむしろ世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身イジメ加害経験真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそも最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオンジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。



また、件のブログの反論としては、”自分判断で「障害者虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、

フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。

下手したら、「障害者虐待アピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。

2021-05-27

anond:20210527115035

昭和っ!しょわ、しょわ、しょわ、しょわ、

しょーわッ!♪

(「ライブハウス武道館ヨウコソ!」「ライブハウス武道館ヨウコソ?」「(苦笑)ここは東京だゼ?!」「オケーイ!」イメージダウン、イメージダウン、イメージダウンダウンダウン♪)

2020-08-07

よっしゃ6人クリアした!あれ、ヨウコさんいないんだけど?

調べたらどうやら主人公宝石箱に入れなければいけないらしい

マジかよ。また5人やりなおしか

2018-03-06

きみがそば

いなくちゃ

生きてけない

なんて

そんな女の子

好みじゃないもの

memo

ノゾミ

リサ

シノ

名前忘れたC学生

名前忘れた3重の子

匕ロコ★◎

名前忘れたパチンコの子

合コン東京

マイ★◎

K★

ヨウコ

キャバクラの子

人妻

名前忘れた先輩★

セイコ★

おばさん

名前忘れた鎌倉の子

名前忘れた用賀の子

高座渋谷★◎

高円寺南恩★◎

ミサ

楽天

ソフトバンク

パン屋

着物

ミラ

エステ

つ7

や2.7

12

3月11日 会食1件。きみの家まで迎えに行って、ふたりで僕の家に帰った。☆

3月12日 きみの職場に迎えに行って、テラス食事ビールを飲んだ。☆

3月13日 きみの友人が吐いてしまって、介抱が終わるのを待ってきみの自宅に。☆

3月14日 コンビニにきみが来て、バイクでぼくの家に帰った。映画を見ながら、寝てしまった。

3月15日 近所のRestaurantで食事をして、コンビニで買い物をして、それから服屋めぐり映画の続き。☆

3月16日 お互い別の飲み会帰り。いったんぼくの家に寄ってから、きみの自宅へ。ジムで少し運動してから寝落ち。☆



☆五

はいつ逢えるんだろう。

2016-06-06

[]小野不由美「月の影 影の海(十二国記)」

3,4回目の再読。10年ぶりくらい。

前半はすごく鬱屈してるけど、普通女子高生が異世界理不尽に慣れて悟るっていうのを描くにはこれでも少ないくらいなのかも、と思った。

逆にこれだけのボリュームで、異世界孤独に置かれた普通女子高生の心の変化・成長をよくぞ描けたと感嘆する

前半のストレスを吹き飛ばすように3/4くらいからはすごくカタルシスのある展開になる

図南の翼と違って王だとわかった後も少しお話が続くのがうれしい

けど、やっぱりちょっと物足りない気はしてしま

続刊で語られてはいるんだけど

物足りないって思わせるくらいがうまいのかなあ

最後の一文は何度よんでも鳥肌立つ

漢文調の最後の記録も、こんな冒険歴史書になるとたったこんだけになっちゃうんだなあとか、

もしそうなら中国の歴史書もめっちゃ簡単に書かれてるけど、ほんとはめちゃくちゃドラマあったんだろうなあとか、

そういえばキングダムも著名な戦いの後に、シンプル歴史書に書かれてる一文だけを載せたりしてるなあとか、

いろいろ思った。

あと今回読んで初めて思ったのは、

・ジョウユウって冗祐ってかくけど、オウムの上祐が饒舌なのに比べるとこっちは対局だなあと思ってなんかおかしかった

ネズミキーキャラになってるのはゼノギアスハマーとつながるところあるなあ

あと記憶違いとしては

ネズミヨウコにいい待遇でいいよって言われるけど自分普通にべんきょうできればいいんだって断るのは別の巻だったか

ってのがあった

うーんやっぱりおもしろいなあ

図南の翼含め世界観をある程度知った上で読むと、言葉が通じてるのも王の素質だし、苦労はあったとはいえなんだかんだでそれがいい巡り合わせにつながるのは鵬翼だったのかなあと思う

んーいやあれは昇山するときの旅の話か・・・

今回は昇山じゃないから、いろいろ途中で騙されたり襲われたりしたのか

書いててよーやく気づいた

あとこれまで読んだことあったのは挿絵がない本だったから、今回挿絵ありのを読んでいろいろと新鮮だった

2013-03-30

from HOMINIS

私の名前ユリ江戸川ユリ

誰か私の書いた文章を読んでくれていますか?

ここはとても白くて、とても安全場所です。でも、自由だけがありません。

友達ヨウコは、もう友達では無くなってしまいました。

ここには、私のように集められた同じ年齢の子供達がたくさん生活しています

性別区別されずに教育を受けていますが、それでもやっぱり女の子女の子同士で仲良くなります。もちろん、気になる男の子だってます

ここは、能力減衰の無い144年の限界寿命を設定するための、共生施設だと習いました。選択的に細胞周期抑制タンパク質を食べて、カルノシンを出す生き物を、首の後ろに共生させています。カレル、と施設の人は呼んでいます

このカレルは、そんなに大規模にクローニングできないそうです。だからIQが150以上で、器質的に欠損のない人間を選んで共生をさせるんだと習いました。

普通の人の2倍の寿命を得るのだから有意義仕事をするのだと教わっています。でも子供はその重要な意義を、崇高な理念を理解することができないので、まずこの共生施設で準備しているのだと教わっています

自分が恵まれていると言うことはなんとなく理解できます

この施設でうまくカレルと共生できるように準備をして、教育を受けて、意義のある仕事をすることが、この世界全体にとってとても良い事だというのも、理解できます

でも、自由がありません。

友達ヨウコは、前まで友達だったヨウコは、タキくんという男の子が好きでした。みんな良く勉強が出来るタキくんが好きで、でも私は別の子が好きだったから、ヨウコとは仲良くしていました。

先週、ヨウコはタキくんに手紙を渡すんだと張り切っていました。そういった抜け駆けのようなことはとても厳しく禁止されています。ふさわしくないからだそうです。そして、ヨウコは見つかって、罰を受けました。しばらく勉強を受けられなくなって、最初共生用の管理食事に戻されていました。

戻ってきたヨウコは、やっぱりヨウコだったけれども、でももう友達ではありませんでした。タキくんのことも、私と話した色んな話も、全部忘れてしまったみたいでした。良くないことは良くないんだ。ふさわしくないことはもうしないんだと言っていました。もうあまり話すこともなくなりました。

しかに、ふさわしくない行動は、良くないと思います

意義のある仕事をして、みんなに感謝されて、他の人よりも優れているのだから、他の人が幸せになれるように、重要仕事をして、その結果たくさんのお金や、なにより長い人生を送れることが恵まれていると言うことは判っています

でも、嫌なんです。

長い寿命を得るためにカレルを付けるのも、カレルを付けたか有意義仕事をするのも、必要なことだって事は判っています

でも、カレルの為に、自分人生を思い通りにさせるのは、嫌なんです。

から、私はカレルを剥がすつもりです。

外は自由なんだと聞いています

ヨウコ友達だった頃に話していました。外は自由に仕事を決めて良いし、自由にパートナーを選べるし、好きな服も着れるんだって

いままで病気になって、別の病院入院した子達は、戻ってきませんでした。代わりに、新しい子が来ていました。病気になったから、可哀想だけどカレルを外して、新しい子に付け直したんだって言っていました。

私は、次のリネン当番の時に、自分でカレルを剥がすつもりです。リネン当番は一人になれるし、リネン室は鍵がかけられるから

どうなるかはわかりません。

から、この文章を書き残しておこうと思いました。

うまくいけば、きっと私は外で自由になれると思います。失敗したときのことは、怖いので考えないようにしています

でも、このままだときっと、私は江戸川ユリじゃなくなると思うんです。

ユリって名前も、きっと意味が無くなってしまう。先生とか、研究員の人とか、そうやって呼ばれるようになってしまう。名前は持っていても、それは名前を持っていないのと同じです。

私の名前ユリ江戸川ユリ

恵まれていても、自由がないのは嫌なんです。

私の書いた文章を読んだ人は、だから、思い出して下さい。

誰か、読んでくれていますか?

 
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