はてなキーワード: Bメロとは
2,3年に一度の愉悦
ギターが印象的
退廃的でもリズム隊が躍動しているのが良い
2.Fifty's map
melody+i'm lovin
Cメロのガレージバンド感は新しい この路線を突き詰めたミスチルが見たい
3.青いリンゴ
サビはギターが弱いので、音源だと迫力不足の意見もわかるが、このサウンドのスカスカ感を許せるようになったのは大きな一歩
4.Are you sleeping
音源の方が映える曲
5.LOST
クラップをうまく曲調に合わせた
Bメロが良い
サビはベースがいい味を出すが、Cメロではいったん消える。この緊張と緩和が良い。
6.アート
数年後にはブラッシュアップして韻を踏みまくっているのかもしれない
挑戦することが大事
7.雨の日のパレード
アートとの対比でこの曲が活きている
これでいい
ライブでの常套句、リフレクのデモ音源を聴いて、常々弾き語り曲をリリースしてほしいと願っていた。
この路線本当に今後も見たい
天頂バス+跳べ
I♥Uに入っても違和感がない
コード進行がこのアルバムでは珍しくシンプルなのでサウンドのいい意味での荒ぶりが際立つ
「トカオモッチャァ~ウ」「ワキオコッチャァ~ウ」のコーラスとか新しすぎ
個人的にこの曲も弾き語りで聴きたかったが、party is overが弾き語りだったので2曲はいらないかな
ただストリングスは完全なるオーバープロデュースで、このアルバムで珍しくアレンジの意図が理解できない
ただアルバムの流れで聴くと、このデカいストリングスも悪くない気がしてくる
歌詞のLINEをメールに変えればHOMEに入ってても違和感がない
さりげなく入る田原ワウギターが実家感(いつものミスチル感)を生むスパイス
いつものミスチルサウンドと思わせておいてサビ終わりもう一つアクセントを作るコード進行で意表を突く。「優しい驚き」パート2
12.deja-vu
構成はシンプルにAメロ→Aメロ→Bメロ→サビ→Bメロ→大サビなのに、サビ終わりのBメロに音を肉付けすることによって大サビに昇華させ、本来の大サビがアウトロ的な役割を果たしている
はっとした。これは「優しい驚き」
13.おはよう
歌詞の世界観がかなり現実的なのは心象風景描写に長けたミスチルでは珍しい
こんな優しい曲でも間奏でアコギソロを見せてくる。こんなミスチルは見たことがない
優しいのに乾いたアコギの演奏も珍しい。これまでだと秋がくれた切符のように高音ストリングスをこってり入れていただろう
総じて
予想外だったのは4人の音がかなりフィーチャーされていた点。
特にギターとドラムのダイナミックなマスタリングはヘッドホンで聴くと心地いい。
一方弾き語りやラップは初挑戦だが、こちらは今後突き詰めていった音を聴きたい
いわゆる売れ線を聴きたい人には全く刺さらない
バンドが好きでギター始めてTAB譜(ギター専用の楽譜みたいなもん)を買って引いてみると、ギターって全然主旋律じゃないから「あれ?なんか俺が思ってた楽器引いてる感と違うな」ってなりがち。
普通に生きてきてたら見かけたり経験したりする楽器って「ピアノ(ピアニカ)」「リコーダー」とかだと思うんだけど、どっちも主旋律(メロディー)を演奏するので単体で成り立つんだけど、バンドサウンドのギターって割とそうじゃない部分が多いので「なんか、思ったより地味やな……」ってなる。
もろちん、ギターソロが多い曲とかイントロパートとかは「楽器演奏してるぜい!」って気持ちになるんだけど、Aメロ、Bメロあたりはジャーン、ジャカジャカみたいな感じになって「地味やな……」ってなる。
最近の例が上手いこと思いつかんけど、太古のオタク課題曲だと「God knows...」とかさイントロはめちゃくちゃカッコよくてそこはすげー練習するんだけど、Aメロはじまると急にジャーンってなるの若干のテンションの落差がある。
同じく太古の昔、けいおんとかいうアニメが流行ってその中でベースの女の子がめちゃくちゃ人気があってベースが爆売れしてその後メルカリで爆売りされたんだけど、まぁ、アニオタなんかやってるボッチメンがベースなんかやっても全然面白くないだろうしそりゃそうだろと思って見てたわ。
恋人に合わせるあまり自分らしさを見失ってゆく女性を描いたブラックなラブソングである。
歌詞のモデルは大黒の友人。タイアップしたアニメの内容とは特に関係はない。
大黒摩季は作詞時に原作を読み終えておらず、結果として内容にそぐわない歌詞になってしまったことを後悔する旨の発言をしている
君が好きだと叫びたい
『SLAM DUNK』の原作者である井上雄彦の「熱い、とか、汗、のイメージで」とオファーがあり、AメロとBメロの歌詞はすぐにできたが、
この格差よ
今更すぎてもう敢えて誰も言わないけど
ラップって何がよくて聴いてんの?
わからんのよ。
和太鼓だけのアルバムそんな何十分も聴いてられんのと同じようなもんで。
和製ラップがダメで本場のはいいとかってことではない。英語のは尚更「ただの音」だわ。
音楽からメロディ抜いてみようって誰かが思いつくまでは、わかる。アバンギャルドな、実験的なアーティストが。でもそれが世界中の若者をとりこにする一大ジャンルになるというのはさっぱりわからない。
あと個人的に、Dragon Ashをなかなか超えられない。
Dragon Ash Feat. Sugar Soul "Garden"
Real Love-Mary j. Blige
Dragon Ash「Deep Impact feat. Rappagariya」
この辺が頂点だった。
IKUZONEがなくならなければ・・・もっと続いていたと思う
ラップは死んでない。
うたでしゃべっていい、ということがこれで解放された。
YOASOBI「アイドル」 Official Music Video
https://www.youtube.com/watch?v=ZRtdQ81jPUQ
なんで消えたんだこれ。。。
この話の続き(いまさら)
へーあのうた世界一位になったんだすげーなーと思いつつ、モヤるはモヤる
聞きなれずに聞いた最初は、いろんな音源がバラバラに聞こえてまとまり感がなかったし、
何度か聞いてようやくひとつにまとまって聞こえるようにはなった後では、既存の楽曲のAメロBメロCメロ普通の流れでシンプルなほうが気持ちイイのではと思う
B小町の他の誰かなのか他の芸能人なのか漠然とした世論なのか曖昧に混ぜてるぽいやつ、
アニメのストーリー内で全く出番がないB小町その他ぽい雰囲気を持ち出されても「アニメの内容に沿ってる」感じはしない(もしくはミスリーディングに見える)
むしろアイドルのネガティブ部分の具体的な実体(芸能界の裏話、黒い話)をこれでもかと並べ、
ガチのストーカーまで出してくる本編と雰囲気が一致しなさすぎに思う
あるいはアイドルという語から湧く一般的なイメージ像を謳ってるだけなのかもしれないが、
いやそれまで歌ってるアイドル像の一般論ぽいのと全然関係ない具体的場面なとこに飛ぶけど、なんでいきなりストーリーに寄せるんですか、となる
アイの成長物語としての歌なのに、ストーリーでアイをいきなり殺してどうする、と怒ってる原作未読の増田がいたが、
歌詞の世界観的には、アイ視点のアイと、アイ以外の視点で見たアイをダブらせて、ミステリアスな感じにしたいのかもしれないが、
ぶっちゃけ原作のアイにそういうとこあんまない(アイはすぐ死ぬし、その後も芸能界裏話をアクアがぶった切る痛快サスペンスもどきだし)
ので、漠然としたアイドルについてのイメージソングなのかマンガのストーリーなのかアイのお気持ちなのかで判断に困る
イメージソングならラストにルビーアクアをぶっこむのどうよって思うし、
アイのお気持ちの歌なら原作未読増田の言ってることがすごく妥当な意見で、つまりアニメの内容がダメって話になる
それで、なんでこうなるのかなと思ったんだけど、
耳で聞く音楽じゃなく、動画で見るの前提の歌で、ストーリーの本体はビジュアル側で請け負ってるからなのかなと
音楽が音だけで独り立ちしてない(する必要がない)、無茶な打ち込みで耳がついていけなくても、映像がストーリーを作ってるから、目でついていける。
同様に、歌詞もまたストーリーを背負ってないし、イメージを背負ってもない
MVとして、映像の修飾みたいな感じで捉えてればいい
私は40代のおっさんで、長いことDTMをやっていて、ボカロも初音ミク発売日に買って、オリジナル曲もニコ動で「殿堂入り」したことあるし(野尻抱介氏の「南極点のピアピア動画」でもタイトルをぼかして取り上げられた)、自主制作アルバムを作って即売会で売ったこともある。
さて、タイトルだ。
でもめちゃくちゃバズってるのでモヤモヤするのだ。
先日5chのDTM板のSynsisizer Vという合成音声のスレを見てたらこういう流れがあった。
Synthesizer V Part5
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/dtm/1678885927/
【推しの子】主題歌のYOASOBI『アイドル』のテトSVのカバーが100万再生超えてるんだが…
もしかしてSynthVの楽曲で100万再生超えたの初めてじゃね?
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634 05/18(木) 15:29:34.31
1億再生っていうから聴いてみたけどここのと同じようなゴミ曲ゴミ歌だった
なんであんなのがウケてんの?
今のJ-POPって低質すぎだろ
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636 05/18(木) 15:32:33.79
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637 05/18(木) 15:39:54.92
悲しいけどこういう感覚になったら音楽なんてやめた方がいいんだろうな
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639 05/18(木) 15:56:29.05
反面教師乙
5chの専門板なんて私含めて全員老害だと思うんだけど老害が老害を老害だと罵倒する非常によく見る光景・・・それはおいておいて、私はこの634ではないしゴミ曲とまでは思わないが、なんでウケてるのかは本当にわからない。
その後こういうレスがあった。
オリコンのストリーミングランキングでは先日既に1億回を超えていたYOASOBI「アイドル」がYouTubeでも1億再生を超えた
この曲のどこがいいか分からない、なぜこれほどまでにウケているのか理解出来ないと言ってる人がいたけど
自分が見た範囲ではこの曲のヒットを裏付けるように作曲家やライターはこの楽曲の作りに驚嘆してるよ
そのうちの一つを紹介
これほどまでに世界中で恐ろしいほど聴かれている「アイドル」の何がすごいのか。このコラムをずっと読んでいただいている熱心な読者様ならおわかりだろう。“イントロと間奏らしいものがない”、“中低音ブラス”、“語尾をキュッと締める歌唱”……といった、“ポピュラーミュージックの世界的トレンド”や“K-POPの魅力”として取り上げてきたものが数多く入っているのである。いわば、ポピュラーミュージック、ダンスミュージック、アイドルポップス、アニソン……、J-POPセオリーと海外ポップトレンド要素がすべて詰まっているという、掘れば掘るほどよくできている怪曲なのだ。
BLACKPINK的なアラビアンな雰囲気のメロディと、『カルミナ・ブラーナ』的な、いや、Linked Horizon的と言った方がわかりやすいか。迫り来るのはアラビックスケールを使用した不穏かつ荘厳な合唱パート。リズムと音が緻密に練られたAメロからの、REAL AKIBA BOYZによるPPPHを入れたBメロからの転調サビ。ダブステップ的なダウナーラップパート。落ちサビを挟んで、半音下げに転調するという暴挙。と思えばそこから一気に1音上がってラスト昇天。ようやく現れた後奏はそのままハッピーにと思ったら、冒頭の不穏な合唱パートがクロスしていくという最後まで息つく暇ない展開。これだけの情報量があるのに3分半ジャストというコンパクトにまとめた恐ろしい手腕。最初はあまりの性急な展開についていけず、ついついリピートしてしまうのも現代トレンドだ。
・不穏かつ荘厳な合唱パートを最新の手法のアニソンに取り入れるセンス
・暴挙に近い転調を繰り返す
この辺がポイントらしい。
なるほどな。
合唱部分(後述)含めてアレンジやメロディが斬新か、と言われるそうでもないように思うのだけど
「繰り返される転調」
米津玄師の「KICK BACK」でも突然3度上に転調したり戻ったりを繰り返すんだけど、若い人がそういう転調の箇所ですげーみたいな反応する動画結構見たことあるし、効果は抜群ぽい。
この転調の多様、2010年以降のボカロP中心に流行りだした手法なんだよな。
AからBに転調するときは両方の調に共通するコードを挟み込んだりII-Vという安定したコード進行の「型」を使って転調したりする。ガチガチのお約束を駆使して繰り出すのが「あるべき転調」だった。
でもそういうお約束を一切しない転調を突然繰り出して、しかも何度も繰り返すのが最近の流行り。
この脈絡ない転調は実は小室哲哉がヒット連発してたころにもやっていて、作りためたストックをコピペでつぎはぎしただけ、みたいな言い方されてたこともあり、音楽をやってる人からはウケがとても悪かった。特にテクニックや知識がいらない手法なのでプロっぽくなかったのだ。
でも実はそれこそ、プロが敬遠するからこそ新しいサウンドだった。
2010年以降のボカロムーブメントは若いアマチュアクリエイターが牽引したこともありその新しいサウンドに気づいためざとい若手がこぞって使い始め爆発的に流行る。
それがYOASOBI「アイドル」でも多用されている。
他の要素、例えば不穏なコーラスだって、アニソンレジェンドの「残酷な天使のテーゼ」でもやってたし斬新かと言われると?だ。斬新であるとするとこの転調手法しかないと思う。
ちなみに「残酷な天使のテーゼ」のこのコーラスはアニメ中の「使徒が敵」ということから、グレゴリオ聖歌風というか、宗教風のモチーフを借用してきたんだと思う。この曲はどうもあんまりアニメの内容しらされない中作ったぽいので数少ない与えられたモチーフだったんだろう。
一方、「アイドル」のほうは、この不穏のコーラスは作品と脈絡がなくちぐはぐに感じる。
この曲は【推しの子】という作品を深く理解して合致した内容がウケてる理由でもあり、歌詞は原作を読み込んだ上で作り込んだと思わせるものなんだけど、このコーラスは作品とさほど脈絡がない。
サスペンス展開の不穏さあるし、一応曲中でこのコーラスの声でヲタ芸っぽい合いの手を打ち出す箇所もあるので繋がりは出来てはいるけど、この合唱風コーラスの必要性はあまり感じない。あきらかに浮いている。
じゃあなぜこんなコーラスを?と思うんだけど、Ayaseは今回どうも本当に狙ってアニソンのトップを取りに来てる野心があるっぽいのだ。
だからこそトップ・オブ・ジ・アニソンの「残酷な天使のテーゼ」をモチーフにして、あえて取り込んだんじゃないかと思われる。
まあ今更そんな転調なんて当たり前ですよ、と言われるんだろうけど。
そういう老害おっさんが見逃してる、ちょっとした「新しいこと」の膨大な積み重ねが「斬新さ」を生み出しているんだ。
他に私が気づいていなさそうなこの曲の新しさを指摘してもらえればありがたいです。
昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。
これを読む前に注意してほしいのは
だ。
YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。
そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。
偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。
その重要な過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。
この物語が評価されている大きな要因としては、まず推しの子に自分がなるっていう第一話のインパクトとコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。
これ自体は別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程をスキップしているので作品としての完成度が低下している。
たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家の仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか?
また、アクアとルビーの父親に関する伏線が第一話だけっていうのもつらいポイントではある。
どうしてもそこからのストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーがアイドルを目指すとか、主人公が父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い。
1クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。
「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!!?」
初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。
それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。
まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。
もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。
音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。
「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。
Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。
ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。
初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。
正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。
しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッション、リズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽のトレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。
Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。
「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは
・繰り返される転調
と
だ。
一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後のCメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める。
まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップに気持ちよくハマっている。
この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。
・イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い
・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい
・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い
・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い
・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい
・Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。
・Bメロの”触れることない言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい
・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。
・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい
・Cメロの”もういや「だって疲れたんだって」”の「だって疲れたんだって」のリズムがすごい。
ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである。
次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について
これは説明がとても難しい。
と
・なんでも歌える歌手
の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。
まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。
とりあえず例を列挙する。
米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。
実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。
ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。
りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?
この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。
汚れた君は嫌いだ
君を汚したあいつも嫌いだ
この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。
こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。
でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。
あとこのタイプの歌手は一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。
歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプの歌手は歌い手文化にそぐわない。
自分が共感できる曲だけを歌うことでその問題を解決してる人もいるっぽいけれど。
なんでも歌える歌手の例を挙げる。
・ikura
・Ado
・yama
・suis
ヨルシカはナブナの個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。
これらの歌手は限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。
YOAOBIのコンセプトは”小説を音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。
「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。
あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女は死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。
さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものだからだ。
ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自に解釈することに成功している。
この作品自体をどことなく俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公やヒロインに感情移入するのではなく、どこか客観的な視点から物語を淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことなく人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。
これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。
もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。
“制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。
今回の場合は
・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)
・”推しの子”のOPに要求される、アイドルソングライクな(コールが差し挟まれるなどの)要素
この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。
この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。
「アイドル」の歌詞は原作「推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。
医者の主人公のところに推しのアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す
というものだ。
そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループに所属していた女性だ。
「アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。
1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。
ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。
問題はその後だ。
我々はハナからおまけです
お星様の引き立て役Bです
全てがあの子のお陰なわけない
これはネタじゃない
からこそ許せない
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。
一見、最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスはマジですごい。
Vtuberの歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子とマッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。
たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプの女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。
先ほどの話に戻る。世の中には
・どんな歌も歌うことができる歌手
の二種類が存在する、と言った。
の二つがあるのだ。
そして「アイドル」という曲は”とある人間にしか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的な体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身の体験)をベースに紡がれているからだ。
ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。
そんな私の嘘がいつか本当になること
信じてる
恵まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロの歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことなく空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。
あるいは、
【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。
【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースから「もっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用
とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。
「アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬の経験がある歌い手のほうが歌声に説得力が増す。
しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。
「アイドル」を完璧に歌える人間は存在しないかもしれない、とか思った
2022年はずとまよの年だった.
Spotifyでたまたま聞いたミラーチューンをきっかけにハマった.ジョギングが趣味なんだが,聞きながら走ると最高に気持いい.気の乗らない事務作業をしているときや家事をするときにちょうどよい.(私の頭脳では)歌詞が理解できないのもいい.よくわからない外国語の一種として聞き流せる.
昔はこうじゃなかったんだ.大学受験のときや部活の試合の前はミスチルを聞いていたし,初恋のときはサザンを聞いていた.大学時代は日向ぼっこしながらつじあやのを聞くのが好きだった.コブクロをカラオケでよく歌っていたし,失恋したときはスキマスイッチのマリンスノウを聞いて一人で泣いていた.
今では違う.もう昔聞いていた音楽は聞けなくなってしまった.ゴリゴリのベースがないと物足りないし,Bメロで曲調が変わらないと飽きてしまう.ACAねさんの謎ラップがないと皿を洗えなくなってしまった.歌詞と自分の人生を重ねるのにも疲れてしまうので,メッセージ性の強い曲は食傷気味だ(ずとまよの歌詞にメッセージ性がないという意味ではない).チェンソーマンの2話EDではめちゃくちゃ興奮してしまって,YouTubeで海外の反応を何度も見ている.要はずとまよ以外の歌を聞けなくなってしまったのだ.
ずとまよの曲は一通り聞いてしまった(綺羅キラー最高ですね!)ので,他の歌手を探したいが,誰かおすすめがいれば賢人たちに教えて欲しい.
ちなみに,夜系でくくられる人は一通り聞いた.YOASOBIは群青が好きだし,ヨルシカは僕は音楽を辞めたが好きだ.要するにジョギングに合うような疾走感のある曲が好きなんだろうか?
ぼっち・ざ・ろっく!第8話の作中で演奏された楽曲「あのバンド」が好評を博している。
これは演奏に至るまでのアニメの話運びと演出・描写の素晴らしさによるところが大きいが、
実はこの楽曲の歌詞も物語に深みを与えるような内容になっている。
https://www.youtube.com/watch?v=L2i0i9gWE00
歌詞の1番では、“あのバンドの歌”に対する“わたし”の忌避感がつづられている。
今まさに“列車が来る”“踏切”を前にして“背中を押すなよ”と懇願するような
恐怖感(巻き込まれたら〇んじゃう!)にも近しい拒絶反応である。
そんな怖い音から逃れるため目を閉じ耳を塞ぎ、自分の鼓動だけを聞いてやり過ごす。
2番では、しかし他の人は“あのバンドの歌”をとても好意的に受け入れていて、
それを拒絶している“わたしだけが”異常なのだという自己認識が示される。
この世から“わたしが放つ音以外”が無くなれば、こんな疎外感に苛まれないのに。
そうやってまた目を閉じ耳を塞いで、殻に閉じこもる。
ラスサビ前のBメロでは一転して“わたし”が“列車”に乗る側となる。
これは“わたし”が音を出す側になるということだが“乗客はわたし1人だけ”。
1番の状況と立場が反転していると推測するなら(そして2番の自己認識のとおりなら)、
他の人々は“踏切”のそばにいて、つまり“わたし”の音は拒絶されるのだろうと仄めかす。
ラスサビでは、そんな悲観的な状況に“目を開け”て向き合っている。
自分が“孤独”なのは間違いなくとも、自分の音を“孤高”に鳴らし続ける。
これまでは受動的に聞いていた“鼓動”も、自分の音として能動的に“確かめる”。
もう他の誰がどんな音を鳴らそうと“わたしが放つ音以外”には耳を傾けない。
「孤独な自分を受け入れ、他人に拒絶されても自分の音楽を追求する」という意志を歌っている。
字面としては全く同じフレーズが、1番2番ラスサビでそれぞれ違った意味になるのは
プロ作詞家の技巧であり素人女子高生が書けるわけねーだろ、というツッコミは置いておく。
ここで述べたいのは、もしこの歌詞をぼっちが書いたものだとしたら物語としてどういう意味を持つのか、だ。
ぼっちは第2話において青春コンプレックスを刺激する歌は無理だと吐露しており
これは1番2番の歌詞の内容と符合する。普段の(これまでの)ぼっちの心情だ。
ラスサビ前Bメロで歌われる、自分の音楽が他人から拒絶される予感と不安は
第4話において陰キャな歌詞を書いてもよいものか逡巡してたことと一致する。
その気持ちを払拭し背中を押したのは喫茶店でのリョウの言葉であり、ラスサビは
そのリョウの言葉を受け止めたぼっちからの返答だと解釈できる。
すなわち「私も、自分の個性を捨てずに音楽をやっていく覚悟をしました」という決意表明である。
ぼっちの個性とはまさにぼっちであることだが、ぼっちというあだ名=”孤独の称号”を与えたのも
面白いのは、このラスサビに秘められたメッセージは(喫茶店で会話した当人である)
それを踏まえると、第5話でリョウが「ぼっちの書いた歌詞みてたら浮かんできた」と
あえて言葉にしたことにはメチャクチャ重みが増して尊みが爆発する。
さらに続く場面で「ほめてつかわす」と言ってスキンシップまでしてるのも
ぼっちが歌詞に秘めたメッセージをきちんと受け取ったことを暗に伝えており
そしてもう1つ、第6話の路上ライブ。
何を演奏するか完全に委ねられていた状況においてぼっちはこの曲を選んでいる。
ダンボールかぶってた初ライブと違い、初めて観客に面と向かって演奏する不安のなか
何故この曲を選んだのか。
それは自分がこの詞に込めた覚悟をウソにしないため、その想いで自分を奮い立たせるためではないか。
ぼっちを表立って助けるシーンの乏しいリョウだが、音楽に向き合う姿勢についてだけは
誰よりもぼっちの支えになっているのだ。
上掲の公式MVで使われている、踏切の前で振り返るリョウのイラストも、それがぼっち視点だとすると
2人が同じく踏切の前に立っている=音楽性を共にする仲間である、ということが示唆される。
いくら老いぼれオワコンバンドでもいい曲書くかもしれないから。
で、肝心の曲、聞いてみたわけだけど、微妙すぎんか?
Bメロ、これまた無難、まあこのAメロならこんな感じのBメロになるよなって展開。
サビ、くっそびみょう
なんでこんな映えないサビ持ってくるんだよ。
Aメロ、Bメロが無難に刻む感じなんだから、サビをのびやかに展開すればまだ多少耳に残るところを、
なぜかまだ刻む感じで続けてて、結果全然頭に残らない。どうしてこうなった?
で、ラス、最後の締め方の投げ槍っぷりよ、ひどすぎるだろ。
髭男みたいなトリッキーな曲がかけないのは仕方ないとして、いくら才能の枯れたBUMPでももう少し心に残る曲を作れると思うんだが。
春季、SPY×FAMILYが覇権をとれたのは1/3くらい髭男のOPのおかげだと思ってる。
定型詩のような歌詞・メロディ構造があるから、心地よく聞こえるのだろうという考察
恐らく、車輪の再発明になるだろうけど、調べるのが面倒だったので、論を構築しておく
各小節は、①と②で韻を踏んだ上で、③でオチをつけるような構造になっている
Aメロと同様の構造をAメロ’で再現(構造を同じにする=マクロ的に韻を踏む)してBメロにつなげる事で、①と②で韻を踏んで③にしたのと同じ構造にしている
①ミセモノの君が 見せる 愛を
②ニセモノの僕が 似せる “I”と
①バケモノの指が 示す愛の
③綺麗な歌を歌いましょう いびつな手が空を向く
Bメロ(第二節)も、Aメロと同様に2小節構成であり、やはり各小節内は①と②を足して③でオチをつける構造になっている
また、前述のとおりAメロ・Aメロ’を受けてBメロでオチをつけるフラクタル構造になっている
第一小節も「遠い街の鉄塔の」「足元に揺れる花が」という名詞節と、「煙と共にちぎれたのは きっと少し先の話 」と動詞節?で分割されているのがお洒落な感じを受ける
第二節(Bメロ:サビ前=AメロとAメロ‘をBメロで纏める:二小節構成)
①遠い街の鉄塔の
②足元に揺れる花が
③煙と共にちぎれたのは きっと少し先の話
①イツワリだと叫ぶもの
②イツワリに気づかぬこども
③それをかき乱すケモノ
サビ(第三節)も2小節構成であり、各小節は①と②で韻を踏みながら③でオチをつける構造は変わらない
また、AメロとBメロでの抑圧をサビで開放する役割があり、A+B⇒サビという構造になっている
①嗤え、睨みつけても
②嗤えないよ だから、
③僕の心臓も ニセモノだったらよかった、 のに。
二番(2章)も一番と全く同じ構造であるが、サビに入る前に間奏が入ることで聞いている側が飽きないようになっているところが音楽的に楽しい
①欺くために生まれたなら
②僕も欺いてくれよ
①ソノママで良かったのでしょう
②ソノママを拒んだのでしょう
③綺麗な歌を歌いましょう いびつな手が牙を剥く
第二節(Bメロ:サビ前=AメロとAメロ‘をBメロで纏める:二小節構成)
①宝石で着飾るほど
②顕になったバケモノ
①痛くないよ、とうたえど
②君になりたい、とうたえど
③その感情 似ていない 似ていない すべてがニセモノ
3番(ラスサビ、三章)は、サビのみではあり文章数は少ないものの、構造自体は一番・二番との類似性が高い
第一節・第二節はこれまでのサビと同じ構造だが、一番盛り上がる第三節は①+②⇒③の構造ではあるが、全体を統括するようなメロディになっている
また、マクロ的に言えば、一番と二番で同じ構造が来たところを、三番のラスサビでオチをつけるという構造であり、これもフラクタル的である
第3章(3番=ラスサビ)
①綺麗で醜い愛を
②終わらせてよ、さらば
③花の種をさがす手が、君の雨を拭うとき
①─今日はきっと素敵な日だ。
全体的に同じリズムや構造が続いており、統一感があるために聞いていて「整っている」と感じる展開になっているのだと思われる
こうした定型詩のような構造が聞きやすさ・心地よさを生じさせるのだと考えられた
以上、
私の増田投稿は、本来オモチャに過ぎないが、君たちのオモチャではないよ。あつちへ行つてくれ。私は、もう、ねむい。
一番~三番の最後の文を見ると「○○、のに(後悔)」「××たんだ(過去~現在の確認と諦め)」「△△だったよ(過去からの決別)」といったニュアンスが香るようになっており
後半になるにつれて物語=心境が変化していくことが察せられるようになっている
(84) 【期間限定公開】TVアニメ『小林さんちのメイドラゴンS』ノンテロップオープニング映像 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=bEb4xT8lnYU&list=RDCMUCpGY2vcoKXf7K6tFzsbSv7w&index=1
今期はやはり圧倒的にこれになるよね。基本、聞いても飽きないってことなんだけど、これは最初に発表されてから100回みてるけど飽きないね。楽曲もアニメも飽きない。
実写PVにひっぱられがちだけどゴスペルのような歌からラップに入り王道のサビ。ラップは全員くちの動きがあっててすげえ。
声優さんのスーパーちょろゴンずもすごくがんばっててこの曲や前作のOPもカバーしてて気合入ってるしな。
(84) TVアニメ「平穏世代の韋駄天達」ノンクレジットオープニングムービー - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=6xsg8M7UDk8
今期はクール教信者関連が3作も同時にアニメ化という異常事態になってます。本作は、ミスチルのニシヘヒガシヘなイントロに、YOASOBIのMONSTERなAメロに、呪術廻戦EVEなBメロにサビがくっついて総タイム4分ないという取り回しのいいカロリーの高い曲です。歌詞もアニメに合ってるし、アニメもキモくていい感じ。
EDのナナヲアカリの「雷火」もニューウエーブでよかった。音楽もセンスもタダモノじゃないアニメで本作のダークホースではありますね。
(84) TVアニメ「カノジョも彼女」ノンクレジットOPムービー/ネクライトーキー「ふざけてないぜ」 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=hk1wJaZx5tE
聞いていくとどんどんかっこいいが高まっていくんだよね。シンプルなロックにみせかけて細かいしなあ。ギターリフがゴリゴリでいいです。
サビのウシロ走り
サビ直前でアニメが止まってサビはじまると同時に背景の灰色の花にいっせいに色がつくところ
EDのイントロのピアノがアニメのラストに重なって余韻残しつつEDに入るのがとてもいい
オリジナルは全然違うなんかシンセっっぽいのはいってるし・。。
サビの直前で走り出す感じの演出すき
リアタイでみてたのもあるけど
だんだん成長していくとこがい
歌全体かわいい
すべてがかわいい
イントロのエレキぎゅいぎゅいぎゅいーんにあわせて太陽が光る演出すき
奪え全てこの手でに合った絵すき
サビ直前の、明日へと手を伸ばすう~チャッ!ってところで手をぐっとにぎりしめるのカラオケで同じことやっちゃう
サビの光をあたえてってところでみんながてをのばしてそれが船につながる操り人形の糸みたいになってるの好き
静止画を下からなめるようにみていくだけだけど歌の荘厳さ、静謐さと合ってる
イントロのエレキぎゅいぎゅいぎゅいーんにあわせてアドベンジャーのヘッドライトが光るのがすごく好き
つづけてイントロのドラムがまさに機関車の動く音のように車輪が動く絵とあわせてくるのもすごく好き
ほいくえんのときだった
これをきくと日曜がおわる感じがしていやだった
あと絵がリアル調でティコ感があんまなくて地味でつまらんなーと思ってた
歌はすごくいい
最初幕が開くように魚の群れが左右に泳いで視界が開いて、そこにティコがとびこんでくるのめっちゃ好き
サビ直前で音楽にあわせてナナミのいろんなシーンがでて最後わらうの好き
町並み見下ろすところすき
全体的に本編とあんまあってないけどすき
イントロに合わせて雲が踊るのすき