はてなキーワード: 助教とは
これは全く同意見。この枠組みは、ブルデューの言うハビトゥスに近いものがあると感じてる。彼らが、友人と議論し、切磋琢磨する過程で身につけたものと、全く同じものは、独学で身につけられないだろうが、しかし、技術的に近いものは身につけられるはず。そう思い、自分も、身につけたい「常識」を毎日勉強してる。大学の勉強もそれに含まれる。ある意味、彼らと同じような「正規の教育過程」を経てないので、その分、なおさらがんばらなければいけないと思っている。
余談になるが、自分のいた研究室の教授は、超自然的な直感で、実験前に実験結果の数値を予想していた。実験すると、たしかにそうなる。他の助教やPhDの理解を超越していた。あれは一種の天賦の才に近いところがあったと思う。
学部生は分かる
「教育」をしっかりやってくれている
大学の設備を使わせて貰ってる費用が授業料だ、と言う人もいるが
企業の外部研究員なんかはそれだけを払って同じように研究している
仮に同等だったとしても、使用料と審査費用を足しても全然授業料に届かない
助教とかはクソ雑務で死ぬほど忙しそうでとてもじゃないけど無理そう
お金(授業料)払ってパワハラ受けながらM2の教育までやってる
マジでなんのためにやってるの
そんでこんな状況にしといて
だの
「論文を軽視している」
金貰って教育しないとかどういう神経してんだよ
この文章は、大学事務員が筑波大学でのある事件について述べているものですが、いくつかの不適切な認識や言動が見られます。
全体として、この文章は、学生に対する負の見方、コミュニケーションの不足、対応の不足といった問題点を示しています。大学事務員としては、より建設的なアプローチと、学生との効果的なコミュニケーション、サポート体制の強化に努めるべきです。
元増田の記事をリライトしました。こちらを読んで、元増田の記事を読むと内容が頭に入りやすいですよ。*元増田記事には書き手の感情的な側面も入っており、オリジナルとしての価値があります。
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大学事務員として、筑波大学の事務員が表明した感情に共感する部分もある。多くの同僚も似たような考えを持っていると感じている。私なら、上司に相談し、より高い立場からの対応を求めるだろう。しかし、奨学金を含む金銭的な問題を一人の担当者が負担する筑波大学の体制には問題があると思う。それに、この件に関わった人の文章表現能力には改善の余地があると思う。
例えば、以下のような表現が適切だろう。
「大変申し訳ないが、アップロード期限を過ぎたため、対応が困難となっている。状況を再度確認するが、例外的な処理が必要となるため、結果をお約束することはできない。ご質問があれば、「◯◯@XXX」までご連絡を。このメールアドレスは送信専用であるため、返信はいただけないが、ご質問は「◯◯@XXX」にお送りいただければ幸いだ。」
学生の窓口対応については、多くの大学職員が同じようなフラストレーションを感じていると思う。優秀なはずの学生たちが、体制に抑圧された被害者だと感じ、ルールを無視して立ち向かう姿勢を見せることがある。これは、教授たちが学生の管理に苦労していることの表れかもしれない。TAや助教などが自己正当化を振り回し、学生のストレスが事務職員に向けられることが多い。学生たちは、社会人としての苦労を理解せず、自分中心に世界を見ていることがある。奨学金などのデリケートな問題に直面すると、面倒を感じて放置し、期限後に慌てる学生もいる。
筑波大学の学生支援については、ほとんどの学生が間違えないような対応が取られていなかった可能性がある。例えば、アップロードURLの連絡において、確認のための返信を求めたり、テストデータのアップロードを依頼したりすることは重要だ。一度の連絡だけでは不十分で、相手が学生であることを考慮し、確認まで行うべきだ。
また、問題が発生した際に、問題を隠蔽しようとする職場の雰囲気は良くない。面倒な案件ほど丁寧に対応し、結果が出なかった場合でも、きちんと終わらせる必要がある。学生が他の窓口に訴えた場合、職員が仕事を怠っていると見なされるリスクがある。問題が解決しない場合は、その理由を論理的に説明し、上層部に報告することが重要だ。
全然関係ない話で申し訳ないんだけど、PI(Principle Investigator)で思い出したことがあったので。
自分は氷結無糖を一時期不買しようと思ってた人間ではあるのだけど、某イェール大学の Assistant Professor の人を「助教と呼ぶべきだ」という意見には疑問がある。
アメリカでは「アシスタント・プロフェッサー」のように職位に「プロフェッサー」とついているとPIになれる。 つまり日本の助教とは異なる。
日本には Assistant Professor に相当する職位が無いのである。
そこで、苦しまぎれに准教授(Associate Professor)の昔の呼び方である「助教授」という日本語をひっぱり出してくる慣習が研究者界隈にある(あった?)らしい。
それを「助教の癖に准教授を騙っている! 詐称だ!」と言われることがあるのだとか。まぁ、たしかにそう言いたくなる気持ちは分からなくもない。
もうそれなら最初から「肩書はアシスタント・プロフェッサーです。日本にはアシスタント・プロフェッサーに相当する職位はありません」と言ってしまうほうが誤解がないと思うのだが……。
ある研究室が博士課程入学希望者の受け入れに年齢制限をかけていることがX(旧Twitter)上で話題になっている。賛否両論あるが、ここではタイトルの通り「研究室が博士進学希望者と適切にマッチングするにはどうすればよいか」について考察する。
PIになるためには他のPI候補者に勝る業績が必要である(注1)。業績とは、具体的には論文であり、論文の数と質が共に重要で、それらが多く、また高いほど競争で有利になる。
当然のことながら、論文を発表するには研究をする必要があり、研究をするには資源(ヒト・モノ・カネ・情報)が必要である。ひとたび論文を発表できれば、その論文を元本にさらなる研究費を調達でき、研究に必要なヒト・モノを揃えることができる。また他の研究機関との共同研究を通じて情報を得、さらに質の高い研究を行いやすくもなる。すなわち過去の業績は複利的に作用し、今後の業績にも影響を与える。
これは資本主義の挙動に似ており、業績を複利的に増やしたい場合は投資期間を長くできた方が有利である。すなわち、若年のうちからアカデミア業界に身を置いて、早期に論文を発表できたほうがPIになるには有利である。
年齢制限を設ける理由について、その研究室のWebサイト上に詳しく記載されているが、まとめると以下4点に集約される。
1.過去の経験で、高齢の志望者に本気でPIを目指そうとする気概が感じられなかったから
4.最短で博士号を取得できる年齢(27-8才)から遠ざかるほど、今後のPIとしてのキャリア形成に不利だから
1.についてはあくまで経験論であり、一般化には議論の余地がある(注2)。
しかし2-4については第一章で述べたことも含めて、若年の方が有利であることは一般論としてある程度許容できる。こうしたアカデミア業界の背景から、研究室が受け入れ学生の年齢制限を設けることには一定の合理性が認められる。
大企業であれば、仮に採用者が企業側の求める能力とミスマッチしていることが入社後に判明しても、採用者の配置を転換したり、自社の研修プログラムを通じて長期的に教育を施すことはできる。一方で規模の小さい中小企業やベンチャー企業はそうした余力が大企業ほどはない。研究室の所属人数も多くて数十人程度の小規模組織であり、かつ毎年のように研究費の調達や論文発表が求められる。そのため教育やマネジメントにはあまり余力がなく、学生の受け入れに関しては受け入れ時点でいかにミスマッチを防ぐかがポイントとなる。
しかし非研究職の就職をしてから博士課程に進学を志望する者と研究室のマッチングは難しい。彼・彼女らは研究歴がないため、アカデミア業界の文化や、PIになるためのキャリアパスへの知識が乏しい。そのため行き当たりばったりな研究室選択になるリスクが、ストレートに博士課程に進学した者よりも高い(注3)。また研究室側も、研究歴のない候補者の受け入れはそもそもリスクが高いし、候補者は全国各地の、様々なバックグラウンドの人であるため自分の研究室を広告するにもターゲットが絞りにくい。またアカデミア業界内の知人を介した採用も難しい(注4)。そこでマッチングの成功率を上げるためにも、年齢制限を設けることは有効なように思えてしまう。
PIになるには博士号を所持していることがほぼ必須条件であることから、アカデミア業界では博士号を研究者になるための免許ととらえる文脈がある。かつ博士号は基本的に大学院でのみ取得できることから、大学院がPI養成所としての役割を一部担っている構造もある。そうであれば、大学院がPIの素養の高い候補者を選抜することは自然なことのように思われる。
しかしながら、大学院は本来学問を行う場であり、学問は自由に開かれるべきである。仮に若年であることがPIの素養の高さに繋がるとしても、それを理由に年齢制限を設けることには議論の余地がある(注5)。
タイトルに戻る。第一章・第二章では研究室側の都合を、第三章では博士課程進学希望者の置かれている環境と、マッチングすることの難しさを述べた。この現状でマッチングするには、研究室が年齢制限という方法を、Webサイト上で告知せざるを得ないことはある程度理解できる。そこで議論すべき点は第四章で指摘した。
ではどうすればよいのか。残念ながら明確な答えは導出できなかったが、いくつかの考えを列挙する。研究室側はもう少しマイルドな表現を心がける(注6)。候補者の面談から受け入れまでのプロセスを最適化させる(注7)。候補者を研究員として採用し、雇用契約を結んだうえで給与を支払う(注8)。候補者側は、なるべく事前にアカデミア業界に触れておく(注9)。また両者のマッチングを支援する第三者機関の設立も望まれる(注10)。これらの解決策は、少なくとも部分的には、研究室と博士課程進学希望者のマッチングに貢献するかもしれない。
研究室と博士課程進学希望者のミスマッチ問題は根深く、今回インターネットやSNSによって表面化したものと思われる。同様の経験をもつ者としては、この問題の解決を願ってやまない。
(注1)
業績以外にも本人の将来性や同業者からの評判も採用に影響するが、ここでは割愛する。将来性や同業者からの評判についても若年の方が有利であることはほぼ自明である。
(注2)
例えば高齢の方が職歴があるため、「本気で(ここでの本気というのは長時間研究するだけでなく、他のキャリアの選択肢を捨てた状態も指すと思われる)」研究に取り組まず、研究が失敗すれば前職に復帰するという選択を取れることがネガティブな印象を与えている可能性はある。
一方で博士課程にストレートで進学する学生の数は減ってきている。彼・彼女ら若年者は、博士課程進学と、就職を天秤にかけて就職した可能性もあり、必ずしも高齢であることだけが本気でPIを目指さなくなる原因ではない。また、そもそも博士課程はPIを養成することだけが目的なのかについても議論が必要である。
(注3)
Podcast「いんよう!」でも指摘されている通り、医者はそれ以外の理系学生に比べて、研究に関する知識が乏しいまま研究室や研究内容を選ぶ傾向が強い。それ以外の理系学生は、学部の卒業研究や修士を通じて研究業界のノウハウやキャリアパスを学ぶようであるが、医者は卒業研究もなければ修士もないため学ぶ機会に乏しい。
(注4)
例えば同じ大学の学部生や修士であれば、あらかじめ彼・彼女らを卒業研究や修士で受け入れて、研究活動を共に行うことで博士受け入れ前の摺り合わせが可能である。また候補者も卒業研究や修士で活動していれば、自分に合った研究室の情報が周囲から入ってきやすい。医者(あるいは非研究職)として働いている限りは、そうした情報は入ってこない。
またポスドクや助教以上の採用であれば前所属の教授から推薦書や意見をもらえるが、医者(あるいは非研究職)は業界が異なるため前所属からの推薦書や意見は少なくとも同業者のものよりは効用が乏しい。
(注5)
同様の問題は、医学部入試の女性・浪人生差別が記憶に新しい。医学部は医者を養成する場である一方で、医学を修める場でもある。当時は若年男性の方が医者としての素養が高いと考えられていたため、女性や浪人生の点数を不当に下げていた。秘密裡に点数を操作していたことに加え、学問の自由という観点でも批判が集まった。
(注6)
研究者の研究以外の発言が話題になることは、国内外でしばしば観測される。
(注7)
組織における採用については、Podcast「経営中毒~だれにも言えない社長の孤独~」に詳しい。
(注8)
給与を支払う一般企業やポスドク以上の採用においては、採用にあたって年齢制限を設けることは比較的受け入れられている。また大学においても、特殊事例ではあるが防衛医大は大学でありながら学生に給与を支払うシステムであり、応募資格に年齢制限を設けている。
(注9)
医学部には卒業研究がないが、自主的に研究室に通うことは可能である。またいくつかの医学部は学生を研究室に一定期間配属する実習をカリキュラムに組み込んでいる。
(注10)
一般企業であれば転職支援サイトやリクルーターが仲介してくれて、候補者と採用側のミスマッチのリスクを下げることができる。大学院進学において同様のサービスは存在しない。
口にしたのが問題だっただけで、同業者の大部分は同じことを考えていると思う。
自分だったら上司に相談して、もっと上の立場から対応して貰うかな。
そもそもの話として金、それも奨学金に関わる案件を一担当者が抱え込んでしまう(べきだと考えさせてしまった)筑波大学の学生支援体制がよくないと思うね。
ただ、そうはいってもこの人の文章表現能力が低かったのは間違いないかな。
「誠に申し訳ないのですが、アップロード期日を過ぎての対応は難しくなっております。
こちらとしても再度状況を確認してみますが、例外的な処理となってしまうため、ご期待に添えるかは保証いたしかねます。
大変申し訳無いのですが、こちらのメールアドレスは送信用となっておりますので、ご質問等を頂いても気づけないことが多くございます。繰り返しとなりますが、今後このようなご質問等は「◯◯@XXX」に送っていただけたら幸いです」
まあGPTに書かせてもえーんやけど、都度作成するよりはパーツ毎に分割して組み合わせたほうがいいかなあ。今回の場合後半部分はメールソフトのテンプレ記録機能に入れちゃってもいいかも(outlookの署名機能とか)。
この人は今回口にしちゃったわけだけど、大学で働いてるほぼ全員が同じような「自分の恥を晒すだけのピーピーワーワーに人を巻き込むなよ」と考えてはいるはずだよ。
めっちゃ頭がいいはずの学校ですら、タテカンだの自治会だのが暴れ回って変なことになってることから分かるように、大学生って基本的に「自分は体制から抑圧されている被害者だ。被害者側なのでルール無用で巨悪に立ち向かうことでしか権利は得られない」みたいな吹き上がりかたしてる所あるからね。
まあこれは大学教授連中がとっちゃん坊やの集まりでしか無くて、そいつらに人生で一番の遊びたいざかりを管理させようって無理をしてるのが問題なんだけどさ。
ぶっちゃけ教授まで行くと色々諦めや割り切りで上手く捌いて落くれるんだが、TAや助教辺りが自分の狭苦しい価値観に基づいた自己弁護を正義感と勘違いしてブンブン振り回しては余計な火種の元を振りまき、表向きだけそれに媚びへつらった学生のストレスが大学事務へと突き刺さることの多いこと多いことよ。
まあ所詮学生なんて、郵便局のバイト経験さえあるかどうかで、社会人としての苦労なんてまともに理解せず、世界の皆が自分のパパママだと思って接してくるような輩の群れだからねえ。
その中には色々面倒くさいのもいるし、ましてや奨学金とかの生々しい話になると、考えるのが面倒くさくなってダラダラ放置した挙げ句、期限過ぎてからパニック起こして泣きついてくるようなのも中にはいるわけ。
それに対して「言うだけお前の恥になるだけだから、黙ってこっちの作った穴埋めシート通りに必要事項を書いて、あとは運良く滑り込める可能性があったらいいなで諦めて勉強に戻れよ……」と言いたくなったことはいくらでもあるよ。
こっからは想像なんだけどさ、筑波大学の学生に対しての対応が「99.9%の学生が間違えないようなやり方」まで行ってなかった気がするんだよなあ。
たとえばアップロードURLの連絡だけどさ、これ「ちゃんと届いたかどうか念のため返信してください」「テストデータをアプロードしてみてください」みたいなことはやった?
一回連絡したっきりで「返信不要です。返信してこないでください」は結構リスキーだよ。
社会人同士でさえ、メールアドレスや電話番号の打ち間違いだったり、メールが迷惑メールフォルダに入れられたりはあるわけですよ。
まして相手は学生で人生経験が少ないんだからさ、送れているかの確認までやって始めて連絡が完了したって考えるぐらいでいいんじゃないかな。
あとこれも想像なんだけど、こういった案件が起きた時に握り潰して泣き寝入りさせる方向に動かせるような空気がこの職場にあるっぽいよね?
それはマジでよくないよ。
面倒な案件ほど丁寧にきっちり対応して、「努力はしたけど駄目でした」できっちり折り目つけて終わらせないとあとが怖いよ。
たとえばこの学生が他の窓口に泣きついて「あーでもまだギリ間に合いますよ―。とりあえずコレとコレだけ今すぐ伝えてもらえますか」って対応されたらさ、「おいおいアイツが仕事サボってるだけじゃねーか」ってすぐにバレるからね。
金とクレームは上までドンドン上げていって、対応が完全に不可能である理由を論理的に説明できないと危ないよ。
相手が学生だからとりあえず蹴り飛ばしておけばあとはパパママが叱ってくれるだろなんて考えちゃ駄目。
むしろパパママが弁護士で怒って殴り込んできたらどうすんのよ……。
仕事で曖昧にして逃げればいいのは時間が解決するものだけで、今回みたいな法っておいても一生解決しないものは早めに折り目をつけておかないと燃え広がる一方かな。
社会人のパートナーがいるかと言う率は、あからさまに賃金との相関関係がある。相対と言うより絶対値で350万円あたりに閾値があるので、若い人の給料がそこを超えられるように社会構造を改善する。
例えば、休日出勤が多くても給与が高いとか、給与が低くても平日夕方遊びに行けるような時間で終わるとかだと、婚姻率が良いという調査結果がある。
そこで、取り急ぎ、平日何日かはそのままどこかで遊んで帰宅できるような時間帯に帰れる日があるようなぐらいまで軽減すると恋愛しやすいと言う例がある。
そのため、学生時代に恋愛をすることを推奨すると言う方法がある。
これは結局金の問題にはなるんだけど、一人暮らしができると恋愛しやすいのと言うのが明らかなのだそうで。ただこれは転勤を嫌がるとか家賃の高騰とか色々と逆風が布言えて現実的ではないかもしれない。
昔よりも地縁血縁が薄くなっている中で、さらに社内恋愛も減っている助教で出会いが無い。
そこで、地域スポーツクラブとか、趣味の団体で若者向けの出会いの場を作ろうという動きをやっている所はある。
結婚をしようと考える時に、経済的な理由が一緒に存在すると結婚しないまま過ぎてしまう、と言うこととがあるらしい。それも結婚式の費用とかではなく、同居するにあたっての引っ越し費用だとか、そう言う現実的な費用。
昔は、結婚した直後はお互い生活レベルが若干下がっても、一緒にいられるからいいよねみたいなところがあった。
しかし、現在は結婚によって生活レベルが落ち場合には、落ちなくて済む条件が整うまで待ちましょうということになって、そのまま過ぎてしまい分かれてしまう、と言うことがあるとのこと。
そこで、新婚夫婦だけが格安で借りる事ができる安い住宅などを整備した自治体があり、それが結構な婚姻率と出生率を達成して話題になったりしている。
結婚すると言うことがどういうことなのか、リアルにイメージできない環境の人が増えている。例えば核家族化などで親戚づきあいが減っているとか。
一方で、特殊な事例ばかりがメディアなどで伝わり、インターネットでは離婚報告などは多く話題になる一方で、マジョリティの普通に結婚生活をしている人の情報が出てきにくい。
そこで、結婚を考えているカップルに、先輩夫婦をメンターとしてアサインして交流させるということをやっている自治体がある。
結婚するとお金が出る自治体や、転居に補助金が出るところ、婚活パーティーや結婚相談は実はかなり行われている。そんなに積極的に宣伝してないケースが多いけれども。
アトピー仲間みたいなので苦い思い出を話す。自分がわりとトラウマになってることがあって。
あるとき、顔にとんでもない皮膚症状が出て大学病院で診てもらうことになったわけ。
で、とんでもない症状だったから、最初は助教が診てくれてたのに途中から教授が診ることになったわけ。
でさ、患部にステロイド塗れって言われてるから、受診の日もいつものようにステロイド塗っていったら、教授が「うわぁ、ベッタベタだな!」とか心底嫌そうに言ってきたわけよ。
そこで初めて「あれ、もしかして皮膚科受診日は薬を塗ってない状態で診てもらうもんなのか??」って気付いたの。アホでしょ。
それで次の受診日は何も塗らずに行ったら、その教授が「前回はグッチャグチャで訳わからなかったけど、まあ少し良くなってきてるね」って言ってきて。
教授って立場は誰にも忖度しなくていいから、人によっては本音がダダ漏れになるんだなと。
つまり、性行為するときも皮膚科診察に行く時と同じように軟膏は塗らなくていいんだと思う。
人文系研究者のハシクレ(そろそろ若手じゃなくなりそう)として補足しておく。
文系、特に人文系では博士論文の執筆がキッチリ3年で終わる人は少ないし、博士課程にいられる年限を使い果たしてしまう人も多い。しかし、東大をはじめとした多くの大学では「博士課程単位取得退学後3年間のうちに博士論文を出して防衛できたら、課程博士と見なす」という運用をしている。
したがって、最近よく見る経歴は、「◯◯大学大学院博士課程単位取得退学、博士(◯◯学)」というもの。これは単位取得退学したあとに博士号を取得した、という意味。
実際に単位取得退学で助教や講師のポストをゲットした人は最近でもたまに見かける。増田の同年代で2~3人くらい(あくまで増田の観測範囲なので、実際はもっと多いだろう)。まあ、そういう人たちは和文論文だけじゃなくて、英語論文(分野によっては+英語以外の外国語論文)書いてたし、下手な博士より論文数多かったけどね……。博士号取得者を蹴落として任期付きポストをゲットした単位取得退学者も知ってる。純粋に業績が多ければたまに博士号取得者ではなく単位取得退学者が選ばれる場合があるということ。
このように、形式上は単位取得退学でも応募できる公募は今でも多い。JREC-INで文系の公募を見てみると、「博士号取得者、あるいは、博士の学位を取得した者に相当する能力を有すると認められる者」っていう募集条件が書いてあることがあるけど、後者が単位取得退学を指している。こういう条件の公募、普通に東大でもまだ出てるからね。ただ、条件に書いてあるからといって選ばれるかというと、よっぽど卓越してない限り厳しいんじゃないかしら。
(修士号しか持ってなくても業績が卓越してれば採用されるというのは、みんな大好きユーリィ・イズムィコa.k.a.小泉悠センセが示しているところだと思う。彼はそもそも博士課程に入ってないはずだけど、ロシア軍を分析するアカデミックな著書を何冊も出してたら東大の専任教員にまで上り詰めた)
とはいえやはり、博士号持ってない人への風当たりは強まっている。一部の宮廷や有名どころの国立大学では、常勤ポストの募集にあたっては人文系であっても博士号を要求しているし、学振PDや海外学振は10年くらい前から文系でも博士号必須になっていたはず(逆に言えば、40代以上の文系研究者の中には、博士号なしで学振PDやってた人が大勢いるってこと)。
ただし、博士号持ってない人への風当たり、というのはあくまで若手の就職市場でアカポスに採用されるかどうかという話で、もう就職しちゃったセンセについては博士号の有無とかあんま気にしたことない……博士論文以降ロクに論文書いてない人より、単位取得退学で面白い論文や著書いっぱい書いてる人の方がエラいじゃん? というのが文系の感覚だと思うんだが、どうだろう。池内恵センセくらい業績があったら、博士号の有無なんてもう誤差でしょ誤差。
ただ、外国で博士号獲った人についてはやっぱり一目置くかも。はてな界隈で有名な人だと北村紗衣センセとか。博士論文というのはだいたい1冊の本になるくらいの分量のものを書くということなので、それを外国語で書いてる時点ですごいよ。特にアメリカだと博士課程では厳しいコースワークがあるから、あれをくぐり抜けたってことだもんね。
最初に「文系、特に人文系」って書いたけど、「文系」と「人文系」は違う。「文系」は「人文系」と「社会科学系」に分かれていて、文学とか哲学とか歴史学とかは人文系、社会学とか政治学とか経済学とかは社会科学系、ってことになってる(あくまでもこれは日本の話。国によって分類は違う。たとえば歴史学を社会科学系に入れる国はヨーロッパにはいくつもある)。「単位取得退学」はもともと文系全体でよくある経歴だったけど、今ではほぼ人文系に限られてる印象。上で書いた単位取得退学でポストをゲットした人たちも、観測範囲ではみんな人文系。
ただ、法学・政治学は20年くらい前まで学士助手という制度があったので、学歴という点では人文系以上にガラパゴスだったりするのだが……学士号しか持たずに教授になってらっしゃる人たちが何人もいる分野です。はてな界隈で有名な人だと木村草太センセとか大屋雄裕センセとかね!
ところで、公募条件に「外国で出された博士に相当する学位」という謎の文言があることがある。外国で出された博士、ならともかく、外国で出された博士に相当する学位って何だよ。
実はかつての日本同様に博士号は功成り名遂げた大物が書くものという文化がまだ残っている国があって、具体的にいうとロシアとかそのへんの旧ソ連諸国。あのあたりでは博士候補(カンジダート・ナウク; кандидат наук; kandidat nauk)っていう学位があって、これがPh.D.に相当する。博士候補論文は大学院に進んで数年かけて書くやつで、実質的に博士論文。博士候補号を持ってればロシアでは准教授になれる。ロシアに留学して博士号獲った、って言ってる人のかなりの割合が、実は博士候補号の取得者だったりする。まあ、ロシアのカンジダート号は他国のPh.D.と同等っていうのはよく知られてるから、別に嘘じゃないんだけどね。
ところでウクライナでは2014年7月にこの博士候補制度をPh.D.に置き換える制度改正を始めて、2020年には全廃したらしい。うーん、ロシアとの縁を切って西欧と共通の制度に置き換えるなんて、2014年にいったい何があったんやろなぁ(棒読み)(時期的に完全な偶然というのもありそうだけど)。
“博士課程単位取得退学、博士”これは課程博士と同じ扱いです。3年の課程を修了し学位論文間に合わずに退学した場合も、3年以内に学位論文が出れば課程博士となるのです。
厳密には、「◯◯大学大学院博士課程単位取得退学、博士(◯◯学)」のすべてが課程博士というわけではありません。単位取得退学から10年後に博士号取得したら論文博士ですし。なので、経歴を見るか(たとえば、2022年に単位取得退学して2023年に博士号獲ってればほぼ確実に課程博士)、あるいはCiNiiで博士論文を検索するかしないとどちらかはわからないですね。
色んな理由があるので一概には言えませんが、本人の博士論文の構想が壮大すぎる、とか、書き上げる前にポストゲットできたから退学しました、とか、そういう場合が多いんじゃないでしょうか。課程博士論文を書き上げた人の経歴はみな似通っていますが、博論を書き上げられなかった人はそれぞれの理由があるものです。
そんな人、少なくとも最近は聞いたことないですけど、いつの時代の話ですか? 何がしかの業績(必ずしも論文という形である必要はないです。たとえば安藤忠雄センセみたいな場合)がなければ大学のポストには就くことはできません。もちろん霞が関から元官僚がゴリ押しされたりすることはあるかもしれませんが、それは業績なんも関係ないし……
この議論ならストレートで論文博士の東浩紀はそれだけで尊敬されても良さそうだけど学者からも石投げられてるし結局空気なのかな
東浩紀センセは、デリダ研究で博士号を獲った俊英だから叩かれてるんじゃなくて、彼の政治的意見を気に食わない人が多いから叩かれてるんでしょ。博士号獲った人は尊敬に値するけど、それはそれ、これはこれですよ。海外で博士号獲ってる人の意見に同意できないとか、日常茶飯事だし。
またまた続報です
早いもので私もM2になりました。碌なデータがないもののB4の時よりかはまだ希望が持てる(精神的には、修論的には知らん!)という状況です。
元々所属してたラボの面白い話が聞こえてきたので、おととしから今までの簡単な話ををまずここに書きます。
おととし
面倒見がよく、成果をバンバン出していた任期付きのスタッフが出ていく。
5月くらい
面倒見の良かった助教、過労でダウン
のちに退職
去年度の話
ワイが出て行った直後に、週例ミーティングでパワハラジジイにキレたやつが現れた
教授室の机を思いっきり叩いて部屋を飛び出したらしい。その後何も言われなくなったそう。
TOEICで前研究室の先輩にばったり遭遇。少し話したがジジイが激化したらしくだいぶメンタルをやられていた。
冬の中間報告会にて
中間報告会は傘下の他研究室と合同で行うのだが、ジジイが別研究室Drの報告にケチをつけたらしく傘下の准教授がブチギレたそう。また客員教授も加勢するというカオスなことになったらしい。
院試に落ちた理由は同期曰く、院試休みを与えずずっと実験させてたようなものだったからだとか
今年
ワイの一個下の台だった女子がやめた疑惑(研究室サイトから名前が唐突に削除)
とんでもないことになってました。
今のラボの新入生から聞いたところ、パワハラジジイの件は噂になってるらしくほぼ知らない人いないという話だった。
沈みゆく泥船だと予感はしていたものの、ここまでひどくなるとは思わなかった…。
まずもってあの吊し上げがかなり異様だったからな。
あの事件のときに、日本歴史学協会(色んな歴史系学会の寄り合いみたいなやつ)が「日本中世史を専攻する男性研究者による、ソーシャルメディア(SNS)を通じた、女性をはじめ、あらゆる社会的弱者に対する、長年の性差別・ハラスメント行為」を糾弾する声明文出してたんだけど、俺にはめちゃくちゃ異様に感じられた。
http://www.nichirekikyo.com/statement/statement20210402.html
日歴協の声明って、過去のを見ればわかるけど、「学術会議問題で政府を批判する」とか「建国記念の日に反対する」とか「貴重な遺跡を保全してくれ」とか「ロシアのウクライナ侵略に反対」とか、そういう、何といえばいいかわからんけど「大きな問題」に対する声明が多かったんだよね。賛否は別にして、こういった問題になら、学会の寄り合いがわざわざ声明を出すのもわかる。
http://www.nichirekikyo.com/statement/statement.html
でも、呉座への糾弾だけ、公人ではない個人に対する攻撃で、なんだか異様なんだよな。呉座のやったことが良いか悪いかといえばそりゃ悪いけど、日歴協に日本学術会議とか建国記念の日とかウクライナ戦争とかと並んで声明出されるレベルで悪かったか? って言われると、そこまででもねーだろ、バランス失してないか? って思うよ。万引き犯に向けて発砲してるみたいなやりすぎ感がある。
考えてみてほしいんだけど、たしかに呉座は知名度もあって、大河ドラマの監修に抜擢されたりしてたけど、たかがテニュアトラック助教やぞ? 終身雇用でも何でもない助教のやらかしで、歴史学界全体がこうも右往左往する必要があったのかね。直接の雇用者である日文研が右往左往したのはまあわかるけど、何であそこまでの蜂の巣をつつくような大騒ぎになったのかがまるでわからん。
ネット上で害悪垢を運営して、見ず知らずの他分野のテニュア持ち准教授を誹謗中傷してました、なんて、見聞きしてきた中ではもっとやべーやついるしな、程度の感じ。同じ分野の若手研究者に圧力かけて発表済みの論文を修正させようとしたり単著で剽窃やら出典捏造やらをやらかしたりした教授(ちなみに女性)はのうのうと逃げおおせて「あいつヤバいんだよね」と陰口叩かれながらも世間ではそこそこ名の知れた研究者として通ってるし、そういうの見てると呉座へのオーバーキルがますますわけわからなくなる。
学振落ちたとか、受かったとかの話が研究者界隈、大学院界隈で散見される時期になりました。
DC1は研究室移動の関係で提出までたどり着けず、D1のときのDC2は指導教員との不仲でこちらも提出までたどり着けず、そしてD2のDC2は提出までたどり着くも不採用でした。不採用だった結果に「研究者に向いていないのかも」と感じている人も大勢いると思います。私もそうでした。
学振は落ちましたが、結果として、私は今、大学で研究者として働いています。任期付きですが、助教です。
学振不採用だった結果、もちろん落ち込みましたが、そのお陰で(?)別の奨学金をもらって、留学しました。その奨学金は日本の機関のものではなく、留学先国のものでした。そのとき、もちろん日本の奨学金にも出しましたがすべて不採用。「日本では評価されないけど、あの国では評価してもらえるんだ。もう日本には帰って来なくてもいい。」と思って日本を出たのを覚えています。
結果として、色んな縁があって日本に戻ってきて、日本で研究者をしています。
日本では評価されなかった私の研究も、今では科研費をいくつか貰えています。この先も科研費が貰えるのかわかりませんが、日本の学術を取り巻く厳しい環境に、再び日本を出ようかと思っている今日この頃です。