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2021-03-22

知らぬか

五、天気輪てんきりんの柱

 牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平らな頂上は、北の大熊星おおぐまぼしの下に、ぼんやりふだんよりも低く連って見えました。

 ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行きました。まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜からすうりのあかりのようだとも思いました。

 そのまっ黒な、松や楢ならの林を越こえると、俄にわかにがらんと空がひらけて、天あまの川がわがしらしらと南から北へ亘わたっているのが見え、また頂いただきの、天気輪の柱も見わけられたのでした。つりがねそうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢ゆめの中からでも薫かおりだしたというように咲き、鳥が一疋ぴき、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。

 ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。

 町の灯は、暗やみの中をまるで海の底のお宮のけしきのようにともり、子供らの歌う声や口笛、きれぎれの叫さけび声もかすかに聞えて来るのでした。風が遠くで鳴り、丘の草もしずかにそよぎ、ジョバンニの汗あせでぬれシャツもつめたく冷されました。ジョバンニは町のはずれから遠く黒くひろがった野原を見わたしました。

 そこから汽車の音が聞えてきました。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果りんごを剥むいたり、わらったり、いろいろな風にしていると考えますと、ジョバンニは、もう何とも云えずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。

 あああの白いそらの帯がみんな星だというぞ。

 ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の云ったような、がらんとした冷いとこだとは思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のように考えられて仕方なかったのです。そしてジョバンニは青い琴ことの星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬またたき、脚が何べんも出たり引っ込こんだりして、とうとう蕈きのこのように長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。

六、銀河ステーション

 そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍ほたるのように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃こい鋼青こうせいのそらの野原にたちました。いま新らしく灼やいたばかりの青い鋼はがねの板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。

 するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション銀河ステーションと云いう声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊ほたるいかの火を一ぺんに化石させて、そら中に沈しずめたという工合ぐあい、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫とれないふりをして、かくして置いた金剛こんごうせきを、誰たれかがいきなりひっくりかえして、ばら撒まいたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦こすってしまいました。

 気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座すわっていたのです。車室の中は、青い天蚕絨びろうどを張った腰掛こしかけが、まるでがら明きで、向うの鼠ねずみいろのワニスを塗った壁かべには、真鍮しんちゅうの大きなぼたんが二つ光っているのでした。

 すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供が、窓から頭を出して外を見ているのに気が付きました。そしてそのこどもの肩かたのあたりが、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくて、たまらなくなりました。いきなりこっちも窓から顔を出そうとしたとき、俄かにの子供が頭を引っ込めて、こっちを見ました。

 それはカムパネルラだったのです。

 ジョバンニが、カムパネルラ、きみは前からここに居たのと云おうと思ったときカムパネルラ

「みんなはねずいぶん走ったけれども遅おくれてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」と云いました。

 ジョバンニは、(そうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそって出掛けたのだ。)とおもいながら、

「どこかで待っていようか」と云いました。するとカムパネルラ

「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎むかいにきたんだ。」

 カムパネルラは、なぜかそう云いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうでした。するとジョバンニも、なんだかどこかに、何か忘れたものがあるというような、おかし気持ちがしてだまってしまいました。

 ところがカムパネルラは、窓から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直って、勢いきおいよく云いました。

「ああしまった。ぼく、水筒すいとうを忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれど構わない。もうじき白鳥停車場から。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川の遠くを飛んでいたって、ぼくはきっと見える。」そして、カムパネルラは、円い板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。まったくその中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは、夜のようにまっ黒な盤ばんの上に、一一の停車場三角標さんかくひょう、泉水や森が、青や橙だいだいや緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。

「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ。」

 ジョバンニが云いました。

銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかったの。」

「ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。いまぼくたちの居るとこ、ここだろう。」

 ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指さしました。

「そうだ。おや、あの河原かわらは月夜だろうか。」

 そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。

「月夜でないよ。銀河から光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りいくらい愉快ゆかいになって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛くちぶえを吹ふきながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼めの加減か、ちらちら紫むらさきいろのこまかな波をたてたり、虹にじのようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光りんこうの三角標が、うつくしく立っていたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、或あるいは三角形、或いは四辺形、あるいは電いなずまや鎖くさりの形、さまざまにならんで、野原いっぱい光っているのでした。ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振ふりました。するとほんとうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかがやく三角標も、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたり顫ふるえたりしました。

「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。」ジョバンニは云いました。

「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云いました。

アルコール電気だろう。」カムパネルラが云いました。

 ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光びこうの中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。

「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」カムパネルラが、窓の外を指さして云いました。

 線路のへりになったみじかい芝草しばくさの中に、月長石ででも刻きざまれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いていました。

「ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか。」ジョバンニは胸を躍おどらせて云いました。

「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまたから。」

 カムパネルラが、そう云ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの花が、いっぱいに光って過ぎて行きました。

 と思ったら、もう次からから、たくさんのきいろな底をもったりんどうの花のコップが、湧わくように、雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです。

2021-03-06

女性が少ないと言われる職業

学歴必要官僚か?と思ったら35%もいるらしい。

じゃあ、医学部差別問題もあったし医者か?と思ったらなんだかんだ21%もある。

なら、ニュースで定期的にある経営幹部かな?と思ったら15%で年々急増加しているとのこと。

もしかして現場仕事かな、と思ったらやはりそうだった。

クレーン運転手建設機械運転手電線敷設員、ボイラー技士、船長航海士鉄道線路工事員は0.数%

女性比率1~3%程度の現場仕事は山ほどあるらしい。

2020-12-06

パートナーとしての土木技術者ICBM施設建設

1940 年代後半から 1950 年代前半、土木技術者は、今日技術者と同様の問題経験していた。しかし、1950 年代と 1960 年代の一時期、これは変化した。大陸間弾道ミサイル(ICBM)計画運用計画が始まったことで、ミサイルの地上環境の設計者は、ミサイル設計者と一体となって仕事をしなければならないことが明らかになりました。

第二次世界大戦後、空軍ドイツ科学者採用し、ドイツのV-2ロケット備蓄品を捕獲してミサイル開発に着手した。1953年8月ソ連が熱核爆弾実験成功したと発表するまでは、資金不足がその努力を妨げていた。突然、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領は、ソビエトに追い抜かれないようにICBMの開発に向けた大規模な努力を求めた。空軍の Bernard Adolph Schriever 少将は、ミサイルとその地上支援を開発するための努力の先頭に立った。

ICBMs

1.5段のアトラスと多くのサブシステムを交換可能な2段のタイタンの2つのICBMの開発がほぼ同時に開始され、知識ベースを広げ、最短時間兵器を完成させるための競争活性化させました。ICBMの開発と開発へのプレッシャーは強烈でした。推定 13 年かかっていた作業が、5 年以内に達成された。このことは、空軍土木技術者にとって大きな意味を持っていた。時間的な制約よりも重要なのは兵器システムの開発において、地上環境が後回しにされていないという事実であった。"飛行機は最低限の地上支援があれば飛行できるが、弾道ミサイルは適切な発射設備がなければ意味がない」というのが、このプロジェクトを主導した民間技術者の一人である空軍研究開発司令部弾道ミサイル部(BMD)民間技術部司令官ウィリアムレオンハード大将見解である

用地選定

ミサイル特殊要件圧縮されたスケジュールは、建設作業のあらゆる面に影響 を与え、まず候補地の選定プロセスに着手しました。空軍エンジニア工兵隊の代表者建築家エンジニアファームメンバー、BMDの職員構成される数十人の調査チームが、アトラス計画だけでも250以上の候補地を調査するために、全国に散らばっていました。チームはネブラスカ州からジョージア州まで、ニューメキシコ州からニューヨーク州までを調査しました。候補地の適合性を判断する際に使用された厳格な基準には目を見張るものがありました。深さ174フィート、直径52フィートミサイルサイロ、幅40フィート、深さ40フィートの発射管制センターサイロ、2つのサイロをつなぐ人員トンネルケーブルウェイを建設するためには、厳しい土壌と地質条件が必要でした。さらに、距離要件は、サイロがその支援基地から少なくとも18マイル人口25,000人以上の町から18マイル以上離れていなければならないことを意味していました。また、互いの距離は7マイル、人が住んでいる住居から1,875フィート公道から1,200フィートでなければなりませんでした。サイトへの公共アクセス道路は、大型のミサイル運搬車収容しなければならなかった。技術基準評価された後、最終的なサイト選択は、サイト経済的実現可能性に依存した。サイト選択され、承認されると、作業を開始することができた。

地上設備設計建設担当した技術者が直面した困難の一つは、ミサイルとその支援構造物作業が同時進行で急ピッチで進められていたこであるミサイルの準備ができたときには、発射設備を準備しなければならない。ミサイル自体必要設計変更が設備の変更に反映されてしまうため、ほぼ戦時中の緊急性の高い状況下での工事余儀なくされていた。

サイロ建設

ミサイルの保管モード、発射モードミサイル分散度の多様性技術者作業に影響を与えました。例えば、アトラスDの一部のモデルは、サービスタワーで露出した垂直方向に保管されていましたが、他のモデルは水平方向に保管され、風雨から守られていました。アトラスEは半硬化構造の中で水平に保管されていました。アトラスF、タイタンI、IIはすべて、硬化サイロに垂直に格納されていました。

サイロ建設は膨大なエンジニアリング作業でした。例えば、カンザス州シリング空軍基地では、エンジニアアトラスFミサイル収容するために12個のサイロ建設しました。作業は深さ40フィートの掘削からまりました。これが管制センターの基礎となり、トンネルサイロの上部を接続しました。その後、サイロの下部の残りの部分は、開 発部からさらに1.5m下で採掘されました。サイロ自体を構築するために、作業員はスリップフォームプロセス使用しました。フレームサイロの壁から約140フィート上に上がったところで、1時間に約14~16インチの速度でコンクリート連続的に打たれました。作業員は昼夜を問わず、1つのサイロにつき、わずか6日間で500トンの鋼材と5,000立方ヤードコンクリートを打設しました。完成時には、アトラスの1つのサイロには、15階建ての構造用鋼製ビル1棟の重量約1,500トンに相当する複合質量が含まれていました。

電力供給

打ち上げ施設に電源を供給するために、エンジニアディーゼルエンジン原子力燃料電池電池ガスタービン、商用電源との様々な組み合わせなど、いくつかの代替案を評価しました。電源は、信頼性が高く、無停電で、打上げ施設内で自己完結するものでなければなりませんでした。また、核爆発による地上衝撃によって引き起こされる非常に高い加速度を吸収できるか、ショックマウントに取り付けられていなければなりませんでした。システムイニシャルコスト運用保守コストの両方が評価されました。サイトへの動力供給には、信頼性の高い旧型ディーゼルエンジン選択しました。システム設計では,水や流入空気の加熱など,装置から発生する熱を可能な限り利用しました.典型的アトラスサイトでは,各プラントに1,000kWのユニットが4基ずつ設置され,ミサイルクラスターを支えていました.

サイロ上部ドア

サイロオーバーヘッドドア設計は、エンジニアリングのジレンマを生み出しました。300平方フィートの開口部を覆うドアは、極端な天候、核放射線、過圧、構造的な反発からミサイル保護し、ミサイルの発射と誘導に影響を与えないこと、発射合図後30秒以内に完全に開くこと、ミサイルカウントダウン手順の中で連続した項目として動作すること、などが求められました。また、クロージャの構築、完全な組み立て、設置、フィールドでのチェックアウトを可能にするように設計されていなければなりませんでした。シングルリーフ設計やロールアウェイ設計のようなそれぞれの潜在的設計には、それを考慮から排除する独自特定欠点のセットがありました。最終的に、ダブルヒンジ、ダブルリーフフラットドアのデザイン採用されました。2つの半分の間の中央の亀裂の問題は、ドアの特別なくさび設計と、さらシール性を向上させるためにネオプレンガスケットとステップメッシュ使用することによって解決されました。

サイトアクティベーション

様々なミサイルサイト建設アクティベーションに関与する多様な要素をすべてまとめることが、サイトアクティベーションタスクフォース司令官仕事であった。彼は、親コマンド関係なく、与えられた基地弾道ミサイルサイトアクティベーションプログラムに参加しているすべての空軍の要素に対する作戦上のコントロールを与えられました。主に土木工学諜報機関キャリア分野から来た司令官は、現場支援施設住宅建設を指示し、建設監視提供し、サイトの設置、チェックアウト、戦略航空司令部への転換を管理しました。土木機械電気技術者、低温工学、熱応力、衝撃実装専門家資金管理者、広報担当者、議会調査官への説明役などが求められた。要するに、彼らは空軍のためにそれを実現させた人物だったのです。1961 年までに、彼らはアトラスミサイル 120 発のアトラスミサイル11 基地に、タイタンミサイル 54 発のタイタンミサイルを 5 基地配備していた。

おわりに

この記事では、この大規模な取り組みに関わった人々が直面した様々な工学課題について簡単に触れただけです。その規模の大きさは今でも注目に値するものであり、土砂、岩石、泥の総量は3,755万立方ヤードに及びました。これは、ロサンゼルスからピッツバーグまでの深さ10フィート、幅10フィートの灌漑用水路に相当します。現場使用された鋼材は、サンフランシスコからワシントンD.C.までの鉄道線路建設することができました。当時、全国ニュース誌は「ミサイル基地建設計画ピラミッドティンカー・トイの演習のように見せている」と述べていますアメリカ土木学会は、ICBM施設建設プログラム1962年の "Outstanding Civil Engineering Achievement of the Year "に選出した。同様に重要なのは、この取り組み全体が、空軍土木技術者に対する見方の転換点となったことです。空軍技術者自分たちプロフェッショナリズムに対する尊敬認知度の向上を求めていた時期に、ICBMプロジェクトでの彼らの仕事が道を切り開いたのです。

2018-10-03

anond:20181002235244

大人について

昔はどうやら自分クズらしいと気づいても逃げ道がアルコールギャンブルあたりの依存症になるしかなくて、

結局クズらしく行動してクズレッテル貼られて人生そのまま終わってたんだけど、

今はみんなまともな行動指針ができてて、生まれつきクズにせよ状況からくるクズ化にせよ、精神医学が役に立つかもという状況になってきた。

自分にとってここに居ることはクズかな、クズじゃないかな、あたりを模索しながらギリギリを歩くと一番高給が得られる。

ギリギリを攻めない生き方もある、でもそれが必要なのは今じゃないか自分はそうしないだけ、って大人は多いよ。

あるいは、その人にとっては慣れており余裕(ただし知らない間に万能性は失って専門特化している)。

からみればそういう感じ。憶えておくといい。

 

うつ病について

うつ病はなってみればわかるけど普通に身体症状がつらい。

体が1日15時間~20時間くらいの睡眠要求して、

睡眠が足りない時間は全部貫徹状態で起きているから、

頭痛貧血、吐きそう、今すぐ地面に倒れ込みたいし

それが無理ならしゃがみこみたいなどのグルグル回る状態

とにかく体調不良オンパレード

ただ、おまけに入眠時不眠もついてきたりいろいろあって、

うつ病経験していない人から

どうせ長期休暇だと思って遊んでてちゃん自己管理してないんでしょう

(たしか健康な人からみれば健康的な生活を送れるはずの状況だし、

その上で「疲労」や「生活リズムの崩れ」と全く同じ症状を訴えているので詐病っぽい)といわれる病気

とにかく健康人間だと不可能(退屈や空腹で)なくらいに

時間を寝て過ごしてるというのが一つの見分け方になるかもしれない。

それもずっと起きて見はるのほとんど無理だから証拠にはならず、みんな混乱するんだが。

健康な人でも寝だめは効かないことは常識にしてほしい)

他の症状としては、「私のようなクズ自殺しなければぜひ実行しようさあ飛びこめ」

という命令文が頭の中に湧くため、鉄道線路が怖くて見られないとか。

これも「死にたいー」程度に要約してしまうと、若いあるあるしか見えないが

(鬱の人は全部説明できる気力がないから「しにたい」の四文字で言いがち)、

普通レベルではなく、脳という臓器の不調なので身体症状に近い。

 

新型うつでも身体症状は出ていることが多い。

薬を飲んでも辛いけど、いつかは治る(場合もある)。

副次的に、食事おかしくなる。

時間おかしいし味覚や栄養吸収もおかしくなるので、

鉄分ビタミンBなどの疲労向けサプリを取って長期化を防いだりしないといけない。

以前とうってかわって清潔にかまわなくなるので、皮膚病やアレルギーにもなりやすい。

 

こういう部分を補助するために周りに「介護者」が(できればだが)必要になる。

大人子供もずっと無理なところを歩いていると

疲労が蓄積してポキっと折れることがある。

折れた先がうつ病で済んだらまだ御の字。

もっとひどい(高額な治療必要しか回復しない)病気もたくさんある(そのうちのいくつかは先に挙げた)。

単位回復に努めよう。

骨折と同じことで、無理をさせるどころか入院したっていい病気なんだ。

介護者も無理させるとひきずられて鬱になるので

家庭全体、親戚全体を巻き込んでシステム再構築すべき。

 

で、まわりに鬱の人がいても、その一番の原因は「システムであることが多い。

個人が「甘やかす」必要はないが、「治療に協力する」必要はある。

とりあえずはなるべく丁寧に喋ってあげてほしい。

「おまえだけ休ませるのは無理」とか「逃げるな」とか「絶対こい」、「絶対やれ」「なんでやっておかなかった」とかは言わないであげてほしい。

鬱の人にとってこれらの言葉常人にとっての「死んでもかまわないからやりとげろ」「やらなければおまえの死体をひきつぶしてミンチにしてやる」くらいの意味になってしまうので。

いままで平気に通じていた冗談なども、これらの頑張れ系の指示だけはうつ病後は冗談として通じなくなり、死刑宣告になる。

こっちだって別にミンチになんかしたくないのに死ぬほど怯えられ避けられるのめんどくさいだろうし、

そこだけ気をつけてあげて。

あとはちょっとゾンビっぽいくら雰囲気なだけで普通人間だよ。

学校卒業受験就職なんかも二の次治療してる人なんで、

自分たちの生きている「普通時間感覚」に合わなくてもほうっておいてあげてほしい。

あとは、ハードでない遊び、カラオケやおしゃべり会などに本人が行きたがるようなら

今日休んだのに遊んでいいのか」などと先生みたいに問い詰めずに、

暇をみて誘ってあげてほしい。

たぶん休んだことでようやく20時間寝られたんで動けるうちに楽しさを補給しておきたいんだろうとおもってほしい。

 

若い人へ

自分が鬱になりかけかなとおもったら甘やかすことはしていいとおもうよ。

とりあえず詐病も使えない本当のうつ病になるまえに、

サボる口実として詐病くらい使っていいと思う。

サボりいくらい疲れやす自分を受け入れてあげてほしい。

あなたたちがテレビや周りであたりまえに目にしているのは、

芸能人選手や子持ち主婦などの体力エリートスーパーエリートですぞ

あるいはビルから落ちても死なないアニメキャラ

心の面でも神経がワイヤー製の人くらいしか

最初からおもてに出てこない(あたりまえ)。

あなたたちは心も体もそう頑丈にはできていない。

特にスマホラインアプリなど)で「みんな」に「自分」が筒抜けになるのは実際、人類が未経験な、キツい体験だ。

今の若い人は、かわいそうなことに、

スマホを介さない友人はどうやっても手に入れられない。

スマホに隷属した状態で友人を選ぶ人ばかりだ。

そうなると友人のペースと自分のペースをなるべくあわせないといけないと思い込むようになる。

そして自分は人より体の弱いクズかもしれない、ついていくために無理しないといけないがんばらないといけないとわりと早くに思い込まされる。

(友人は交代で一人ひとりちゃんと寝てたりクズな面があったりしますが、それがずれていてまとまりがないため、

きっちりした人ほどずっと自分フォローに回らないとという誘惑に負けて過労につきすすんでしまう)

 

30くらいまでは神経は発達途中とおもっていい。

とりあえず介護者のアテは握っておいたほうが良いです。

2017-09-21

電車と呼ぶのではなく、車両みたいな男女別のトイレ(建前)ということにしよう

足元の案内やドア、車体にトイレ入口にある性別を示すマークをつけておけば、男女の振り分けはほぼ確実に出来て、異性間の接触は無くなるだろう

加えて男性女性用にそれぞれに優先スペースを設ければ、現在主流のものは作る理由ほとんどなくなる

男女混合のものは少数の、身体的な接触をしない男女ペア性的マイノリティの利用できる分の数があれば十分

一編成に3つほどトイレがついていれば、男女(とLGBT平等に、鉄道線路上を動くトイレを使って目的地まで運ばれる機会が提供されると解釈する余地が生まれ

つまるところ電車線路上を動くトイレであるという体を取れば性別ごとに分乗することができ、その結果平等でありながら痴漢にかんする心配は軽減されうるだろう

 
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