はてなキーワード: 怨嗟とは
前々から増田やブクマカに対して誹謗中傷および暴言を吐いて気炎を揚げている増田がいることが気になっていた。
直近だとこの人は自分がわりと人間のクズであることを自覚した方がよいとかね。
トラバやブコメによると、どうも「国語力増田」と呼ばれている人物らしい。
前は特定の団体や人物に対しての怨嗟を撒き散らしブコメしたブクマカに対して追記で物申すスタイルだったのが、どうも最近になって対象が増田になっている傾向があるように思うえてきた。
その芸風はそのままにバズったり目についた増田に便乗している形だ。
何でなんだろうなーと分析して気づいたが、どうも開示リスクがあることに気づいたっぽい?
国語力増田のスタイルは相手に対して罵詈雑言を喚き散らし中傷する長文を書き殴ることにある。
実在の人物や団体はエゴサする可能性あるだろうしブクマカもある素性を出していれば同定可能性が認められ開示が通る可能性は高い。
また訴訟や開示だといった話でなくとも、はてな匿名ダイアリーでは「言及された当事者から削除の申し立てがあった場合、発信者への意見照会を経ずに削除を行う」といった規則があり、文中でidが言及されりブコメが引用された場合は、当事者が削除申請したら記事が消去される仕組みになっている。
翻って増田を対象にすれば互いに匿名の為そういった心配はハナからしなくていい。5chのレスバで名無し同士が死ねだの殺すだの言っても殺害予告や名誉棄損にならないのと同じだ。
そこで、うーんと考えて閃いた。
「だったら自分の投稿内容と個人情報を紐づければいいのでは?」
まず投稿内容を非公開/公開に切り替えられる投稿サイトを選び実名でアカウント登録する。また個人情報の塊であるFacebook等もリンクしておく。
そして先ず非公開で投稿しておき、同じ内容を増田でも投稿する。これを1セットにすることを習慣付けておき繰り返していく。
そうやって垂らした釣り竿にダボハゼの如く噛みついてきたら反撃開始だ。
非公開にしていた投稿を公開設定に切り替え、その投稿に対して為された言及だとして開示請求をかけ名誉棄損なり名誉勘定侵害で損害賠償請求すれば良い。
上記の増田から例を引けば文中のアウトワードを上から拾っていくだけでも
・脳まで腐りそう
・知能が低すぎ
・おまんこパワー
・バカ
と錚々たる単語が並んでいる。ただの単語でこれなのだから文脈でアウト判定を食らう箇所もあるだろう。実際、増田が比較として挙げた暇空はそうやって開示を通し訴訟しているわけだからな。
こっちは国語力増田が食いついてこなければずっと非公開にしたままでいいのに対し、向こうは検索で見つけることさえできない。
また非公開にしてたのを公開に切り替えて罠にハメたんだと言い張ったところで、それを証明する術はない。
表示される投稿日時は他サイトの方が先かほぼ同時だし、数多あるアカウント群の中から特定のアカウントに目星をつけて切り替えのタイミングを見張ることなんて原理的に不可能だからだ。
昔まとめサイトに無断でまとめられることを嫌ったネット民がアフィ剥がしのDMCA砲を打つため投稿する画像をnoteでも公開しておくという手段を用いてたことから思いついた。
とある投稿への返信を書いていたら元投稿が消されてしまったので供養がてら。
ただ、社会に余裕が無いってのは違うと思う。
社会ではなく、社会規範とかノルム的なものが厳しくなっただけじゃないか。
核家族化が進み、表面上だけのやり取りしかできなくなった世界。
自分も身の回りに車椅子の親戚や、アムウェイに入れ込んでいるオバさんや
特別支援教室の級友と直に触れ合うことで、どういうものか初めて理解できた。
外国人も同じ。アメリカ人も、韓国人も、中国人も、インド人も、フィリピン人も
直接触れ合って初めて、どういうものかのサンプルが一つずつ作られていく。
もちろん、それだってn=1を集めていくことでしかないけれど。
いまの世の中、15年ほど前にインターネットが終わってからますます実体験の重要性が増した。
インターネットの、いかにキャッチーであるかだけを競う世界では悪意がはびこるのは当然。
そういう意味で、会社でも何でも"生の経験"の奪い合いが起きているように思う。
だって、経験させてくれないじゃない。社会が。親が。学校が。世間が。会社が。
危ないから辞めなさい。お前にはまだ早い。怪我をしたらどうするの。
失敗したら、その親を、学校を、組織を、政治を、会社を徹底的に非難する。
そうしたら、組織はどうしたって人を守る方向に動かざるを得ない。
だから若くて優秀な人間は海外に逃げる。若手もすぐ会社を辞める。経験させてくれないから。
老害と、就職氷河期のゾンビどもが雁首揃えて椅子を抑えて、自分の業務を抱え込むから。
なあ、そろそろ少子化だの若者の怨嗟の声だのの、元凶と現況が分かってきた頃合いじゃないか。
子育てにカネをばらまくとか、休暇を増やすとか的はずれなことやってないでさ。
別に、どこかの学者のように、姥捨山へ連れて行けといっているわけじゃない。
汚い言葉を使っていると心が汚れていく気がする。
あのどうにもならなさ、地獄への導入。修羅道や等活地獄に落とされるような感覚。こちらが落ちてくるのを地獄の門番が手ぐすね引いて待っている。
やるせなさや無気力が、日々の心地よさや日常の楽しみを奪っていく。他者から奪うことでしか生きられないのか。ただそこにあればいいのか、何を感じたいのか。
一度にすべてを変えようとするとうまくいかない。一度で変えようとするのは自分の人生への冒涜である。現在の1秒の自分よりも、現在を形作った過去の蓄積の方がずっと自分だ。
どうして自分は現在の自分になったのか。なってしまったのかではなく、なったのかと考えたい。なってしまった自分を愛せないときに、自分は自分になってしまったのだという。
誰も否定されたくないものだ。生きてきた日々を。正語はそれを変える一歩目である。煉獄で絶望と怨嗟に包まれた状態では容易に己の手で脱出することはできまい。
だから誰かに助けてもらいたいものだ。天は自ら助く者を助くという。天はどこにもないように見える。だが実は、そこここに溢れている。気がついていないのかもしれない。
もしも変えたいのなら気がつかなければならない。すると光が差し込まれ、すでに輝き出している。
地獄の思い出は捨ててしまってもよい。生きていくには不要なものだ。捨てるという強い意志。前に行きたいというどこからともなく現れる渇望。
それ以前の、そういう意志や渇望を得ようとする戦い。そこに身を投げようとする決意。耐えることは美徳ではない。
耐えることが美徳とは、驕り堕落した者たちの自己防衛による詭弁である。耐えさせているのが彼らだ。何よりも逆襲を恐れている彼らなど恐るるに足らずである。
人を愛せるのか。人から愛されたいから、愛されない恐怖が身を襲う。どれだけ人にやさしくできるか、どれだけ人を愛せるか、最後の希望はそこかもしれない。
結末はここではない。闘志を得て突き進む者たちを人は応援し、誰よりも愛すものだ。捨ててしまえば手放してしまえばもう心は軽い。
攻略Wikiに「低レアも活躍するから育成した方がいいよ!ただしこいつらは例外な!」って、
名指しで育成非推奨されていたワイの推しに、将来スキンが来ることを知って小躍りしている。
艦これで推しが公式から干されてゲーム中では2016年から追加要素が全くなく、
アニメ一期で背景モブとして出たことに小さな幸せを感じていたら、
円盤ではピンポイントでそこだけ消されて、アニメ出演がなかったことにされる。
一方で姉妹艦は大小さまざまなゲーム外コラボやグッズでの描き下ろしが大量供給、
アニメ二期ではゲームでの看板キャラを差し置いて、主役に大抜擢され、
連動して改三まで実装し、水着グラまでご用意されると言う徹底した優遇ぶり。
祟ってやる。
祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる
うざすぎる
あまりにもうざいという気持ちが先走ってしまい世代で雑にくくってしまったので補足すると、すべての氷河期世代がというわけではなくて
インターネットで「いかに自分たちがかわいそうで、これからの未来においても見捨てられ続ける運命にあるか」みたいな怨嗟の声を垂れ流しつつ、自分よりも下の世代に対してドロッとした視線を送ってくる連中がうざすぎる
まあ確かに時代という観点からすると生きていく上で理不尽に耐えざるをえなかった人が相対的に多かった世代であることは事実であるとは思うんですけど、
あなた方が苦労した若かりし頃、我々はまだ生まれてなかったり赤ちゃんだったりなわけですよ
我々が何か氷河期世代に対して迷惑をかけたんでしょうか?まあ社会保険料くらいは使ったかもしれないけど今は人並み程度には納める側になってるからそこは勘弁してくれよ
ちなみにその手の方々は理由はよくわからないんだけど「氷河期世代」ではなく「ロスジェネ」というワードを好むので簡単に識別できる