はてなキーワード: 怨嗟とは
新入社員の一挙手一投足に対する怨嗟がSNSに溢れはじめる今頃になると、毎年思い出す。
いかにもリア充風の見た目で、話題は流行りのJ-POPとワンピースと恋バナ(という名の下ネタ)と留学自慢だけのXくん。
弊社は側から見たらキラキラ系ベンチャーなので、意識高い系の彼は喜び勇んで入社してきたのであった。
しかしXくんは学歴だけはそこそこだけど、仕事が恐ろしく出来ないとんでもないウスノロの無能新卒だった。
例えばXくんに「急ぎなので、○日の朝イチまでに最優先で仕事Aをやって」と指示したら、
「一旦自分なりに考えて先手を打って仕事B・Cをやりました!(ドヤァ」「仕事Aは今から着手で大丈夫かと!」
と○日の前日の夕方に言ってくるような、人智の及ばない常軌を逸した思考回路の持ち主だった。
もちろん肝心の仕事Aは徹夜(するなと言ってるのにする)しても○日の朝イチに当然間に合わないし、優先した仕事B・Cなんて今は必要ない作業。
しかも仕事A・B・Cいずれも提出できるレベルを満たしていない。(100点満点で採点すれば、どれも20点以下とかそれくらい。)
一事が万事この調子。進捗報告も一切しないので、半ば強制的に報連相を促しても「順調です(嘘)」「大方完璧です(大嘘)」といった抽象的な返答で話にならない。
で、蓋を開けてみれば①納期間に合わない、②完成度半分以下、③ギブアップです...後はお願いします!、という鬼コンボを決めてくるので手に負えない。
先の例で言うと仕事B・Cを力ずくで取り上げて、当初の仕事Aだけに専念させてもそれすらも終えられないという有様で周囲の人間はほとほと呆れ返っていた。
自主学習を言い渡すと「はい!」と威勢のいい返事が返ってくるものの、5分後にはクソ小さくしたウィンドウで大学生彼女とのlineとインスタの反復横跳びが始まる。
そんなXくんもいざ会議の場になると、活き活きと「僕が海外で学んできた知識を活かして、この会社のグローバル戦略をサポートしたいです!」だの、
「先輩達の熱い指導のおかげで、自分の日々の成長を実感しています!」だの、何処かから受け売りの大言壮語を壊れたレコードのように毎回並び立てる。
流石に周囲が疲弊しはじめてきたところで、待ってましたと言わんばかりに牙を剥いたのが、弊社随一のパワハラ上司だった。
(ちなみにこのパワハラ上司もたいして仕事はできない。周囲を辞めさせることで物理的消去法にて昇進した生え抜きのウジ虫。)
それからまあ、周囲が引くほどにXくんを詰める詰める。退路を一つずつ潰してって追い込む。崖のギリギリまで追いやって平気でそのまま落とす。
Xくんは「申し訳ございません」という高等語彙を持ち合わせていないので、「ごめんなさい!次は頑張ります!」と毎度、うな垂れていた。
しかし一向にXくんの勤務態度は改善されず、ほとんどウジ虫パワハラ上司のサンドバッグになる日々が続いた。
そんなある日、Xくんが席を立った際につい出来心で、彼のPC画面を覗いてしまった。そこには数個のタブにyahooの検索結果が表示されており、
検索窓には「発達障害 診断」「発達障害 治したい」「発達障害 治療」とかそんな感じの文言が並んでいた。
「いやいや、君が無能なのは障害のせいじゃないと思うよ・・・」と苦笑が漏れた。むしろ彼にとっては障害のせいにできた方がよっぽど楽だったろうな。
話を聞く限り関西にある実家がかなり裕福で、ガキの頃から過保護な母ちゃんと姉ちゃんに面倒な事は全てやって貰って自分は好き放題・遊び放題。
父親の金とコネでそこそこの学校に入って、学生時代はノリと口先だけで上手いこと渡り歩いて来たらしい。現に彼女は途切れないし、ノリが良く友達も多い。
そんな彼も齢23歳にしてメッキが一気に剥がれてしまった。いや、むしろ遅すぎたくらいか。彼自身の為にも中高あたりで一回コテンパンにされるべきだったのだ。
一度も真剣に課題解決をしたことがなかったんだと思う。多分「うーん...」とか言って首を捻れば母ちゃんや姉ちゃん、彼女が全部やってくれてたんだと思う。
「もー!Xちゃんはしょうがないなぁ!」とか言われてね。言動も見た目も年齢の割に妙に幼かったので、二十歳前後までさぞや周囲に可愛がられてただろうが、
流石に仕事においてはそうは問屋が卸さんわけでね。我々同僚にしてみれば身長168cmの3歳児を掴まされたようなものでたまったもんじゃない。
3歳児なら可愛くてチヤホヤもしてやるが、Xくんは23歳児である。アーンや尻拭いまでしてやる義理はこちらにはない。
前述のウジ虫パワハラ上司が立派に昇進できている時点で賢明な読者諸君は既にお分かりかとは思うが、この会社自体が
外はキラキラ・中は肥溜め的な下痢便チャーだったので、事の成り行きを見届けずに俺自身もとっとと辞めてしまった。
っていうか、Xくんレベルの傑物が社長の肝入りで入社できてる時点で終わってるよな。そう、そんな会社に勤めてた俺も同じ穴の狢で終わってるってこと。
その後も退職する人間が続出し、会社運営にもいよいよ支障をきたし始めたというところまでは小耳に挟んだが、以後の流れは知らないしもう興味もない。
さあ、Xくんはどうなったんだろう。今30代前半かな。そのままの会社に生ける粗大ゴミとして鎮座してるのか、ビシバシ転職して方方で疎まれてるのか。
それとも金持ち実家に帰って、家業の役職だけ得た上で仕事せずに親の金で放蕩だろうか。←多分これがカタイと踏んでる。人生って公平じゃないよな、ホント。
「どこ行っても通用しない」ってのは、彼みたいな人物の事を言うのだろうな。天地がひっくり返っても、彼がバリバリ仕事こなしてるイメージが一切浮かばないもん。
人の数倍のタスクをこなせる
生産性の高さというのは私にとってはできる人間の象徴でもあった。
そんなことはない
周囲には当たり散らし、仕事の品質は下がり、朝になると泣くようになった。
このまま行くと多分なにか悪いことが起こる。
KAIZENだ、世界に燦然と輝くTOYOTAウェイ、ウェーイとかふざけてる場合ではない。
そこで今の生活を見直す。
見える化されたタスクはさらに整然と組み立てられ、更に流れはスムーズになった。
この見える化されたタスクリストをこなすのは絶対に60分でありせいぜい数分の誤差に収まるようになった。
しなかった
ここで言う自分の時間というのは、今から例えば一時間自分の独断で何をするか決めていいし決定に影響を与える外部要因も存在しない、そんな時間だ。
世の中にいるワンオペマザーたちが私達がどれだけ辛い思いしてるか少しは思い知ったかよと同じ地獄に新メンバーが到達したことをコールタールよりも粘ついた怨嗟のオーラで出迎える幻影が見えてくる。
生産性を高めるというのは、ある意味で自分を蔑ろにする行為だ。
生産性を高めれば高めただけ、浪費が減る。生産しかしなくなる。
何もせずにボケっとする時間もなくなり、ブラブラと出歩いては路傍に打ち捨てられた謎の軍手の持ち主に思いを馳せることもなくなる。
近所のいたずら猫を追いかけ回すこともなくなり飲み屋でよくわからん泥酔したおっさんと全く中身のない人生談義をすることもなくなる。
酒も飲まない、ギャンブルもしない、遊びにも行かない、誘われても断る、自分の生産性を下げる行為を排除していった私は机の前から動けなくなった。
時間の浪費は罪でありなくさなくてはならない、これが生産性を高めていくということだ。
そう言ってどこかのキャバクラでおいたして黒服に取り囲まれたことも武勇伝にしてしまう、そんな楽しく毎日を過ごすおっさんたちを見下しながら生きていた。
だが今なら思うが結婚もせずに一人でダラダラと時間を浪費しながら生きることがもしかすると人として正解に近いのではないか、と。
生産性が常に100でなくてはならないなどということはなく、0と100の間を常にフラフラとしていて、たまに得られる80以上は自分を褒め、過半数を超えてスコアリングされる20以下はそんなこともあったっけなと翌日にはケロッと忘れる、そんな人生がいいのではないかと。
どうやら俺にはそれらがないようだ。
なんか安全保障の専門家の人たちからもボロクソにけなされてるんだよな
https://twitter.com/show_murano/status/1498823359831982087
今更、核持ち込みを認めてもメリットは特にありません。トライデントD5+W76-2という殆ど非の打ち所がないアセットがあるのに、わざわざ敵の先制核攻撃を呼び込むような場所に核を置く必要はない。SSBNは大陸に近づけすぎても危ないだけでなので、グアムあたりにいてくれればいいです。
https://twitter.com/show_murano/statu98784651665629186
非核三原則が昭和の価値観なら、NATOの核共有は冷戦の価値観。かつては有用だったが、今は軍事的価値がなくなり、核同盟としての政治的象徴だけが残っている。つまるところ、核使用に関するもっと深い協議枠組みが必要なだけであって、核が日本国内の地上施設にある合理性はない(というかむしろ危険)
敵の核作戦プランナーの視点で考えてみましょう。日本がNATOの核共有を模倣するとしたら、F-35Aに核搭載能力を追加してDCAに改修し、三沢等の日米共用基地にB61−12核爆弾の貯蔵施設を建設して、米軍がそれを管理するという方式が想定されます。→
DCAとしてのF-35Aの能力は、中国や北朝鮮にとって脅威です。ステルス機が一度出撃したら空中で迎撃するのは不確実性が伴いますから、核爆弾の搭載作業が始まる前に、F-35と核貯蔵施設を地上で撃破したいと考えるでしょう。もちろん頑丈な貯蔵施設を確実に破壊するために使うのは核ミサイルです。→
日本にあるDCA配備基地(+核貯蔵施設)が核攻撃されれば、米国は核報復を検討するでしょうが、とりあえず日本は核攻撃を受けます。これは一種のトリップワイヤー戦略ですが、こういう核戦略でいいんでしょうか。→
日本は報復に依存する抑止戦略よりも、損害限定を前提とする抑止戦略を採用すべきであり、核の役割はその位置に付けるべきだと思います。その点において、航空機ベースの核共有は、損害限定にはほとんど役に立ちません。むしろ核攻撃をいったん受けることを覚悟しなければならず、危険ですらあります。
https://news.yahoo.co.jp/profile/commentator/obiekt/comments/16460341197785.a7a7.22872
そもそもNATOの核兵器共有は「侵略してきた敵を自国の上で戦術核兵器で吹き飛ばす」という運用です。敵国の領土に対して長距離攻撃で核弾頭を撃ち込むような運用は認められておりません。
核兵器の共有とは核抑止力の共有ではないのです。例えばもしアメリカが同盟国の領土の上で敵に核攻撃したらどうなりますか? アメリカは敵だけでなく同盟国にも恨まれてしまいます。これを回避するために、アメリカが背負うはずの罪を同盟国が肩代わりして核攻撃を実行するのが核兵器の共有です。自国が自国の上に核攻撃するのだから、自国民の怨嗟の声は自国政府に向かい、アメリカには向かわない。だからアメリカにメリットがあるので、核兵器を渡すのです。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6419592
そもそもNATOの核兵器共有は「侵略してきた敵を自国の上で戦術核兵器で吹き飛ばす」という運用です。敵国の領土に対して長距離攻撃で核弾頭を撃ち込むような運用は認められておりません。
核兵器の共有とは核抑止力の共有ではないのです。例えばもしアメリカが同盟国の領土の上で敵に核攻撃したらどうなりますか? アメリカは敵だけでなく同盟国にも恨まれてしまいます。これを回避するために、アメリカが背負うはずの罪を同盟国が肩代わりして核攻撃を実行するのが核兵器の共有です。自国が自国の上に核攻撃するのだから、自国民の怨嗟の声は自国政府に向かい、アメリカには向かわない。だからアメリカにメリットがあるので、核兵器を渡すのです。
なぜ、みんな黙って従っていられるんだろう。寒くないのか?
高い家賃が払えない底辺社畜な俺は、1時間以上かけて郊外の始発駅から都心の終点まで通勤している。
空調装置がばっちりなリッチな路線と違って、貧民な俺ごときが使っている路線は窓を5cm~10cm程あけて換気するというアナログな方法をとっている。
これがもう本当に寒い。なんせ、電車の速度で風が吹き込んできやがる。
風速があがれば、体感温度は著しく下がるっていうアレだ。
ダウンを着込んで、車内でもマフラー手袋をしてできる限りの対策をしているが、
ここ数日の寒波でもう限界だった。怒りのあまり、こうして増田に怨嗟を書き散らしている。
寒いっていうのは人の精神を著しく破壊するということを実感している。
冬になっても窓開けを強要するのはやめてほしい。
コロナにかからなくても別の病気になりそうだ。というか体温を犠牲にするのはコロナ対策の観点からもあんまりよくないんじゃないかと思うのだが。絶対に免疫機能が落ちてる。
そもそも、電車は数分に1回、快速や急行でも数十分に1回はドアが開くわけで、
窓を開けて常時換気する必要が一体どれほどあるのかと。
少し前、途中駅からのってきたおっさんが、5cm程度開いていた窓をぐっと限界まで下げたあげく
無敵の人は私
本性的特質と環境との状態にきっかけが重なった結果、万が一の偶然に私は加害者になりうる。
無敵の人に殺されるのは私
宝くじは買わないと当たらないわけじゃない、拾っても当たる。換金しなければ意味はない。何をいってるか分からないがそんな理由で被害者になりうる。
無敵の人は不運
加害者がその立場に立つのは偶然であり人格の瑕疵欠損を意味しない。
私は殺されたくないし殺したくない。避けるべき悲劇だ。悲劇的偶然をどう避けるべきか。
貧困、傷病、規範意識、暴言、暴力、恐怖、窒息、嘔吐、処方薬、ロープ、ネクタイ、怒号、ペン、社用車、その他
ひとり旅。
覚えた現地語ははい、いいえ、おはよう、こんにちは、ありがとうだけ。生存本能を刺激して社会的孤独に恐怖感を刷り込むことが目的だった。助けを求め、それに答え助けてもらえる体験が、帰属社会への防衛的攻撃性を軟化させた。
遺書。
結構昔からの友達に、色々ちゃんと自分で考えるタイプで、波長が合うし尊敬してるタイプの子がいるんだけど、その子の様子が最近ちょっと変わっていて。
何かというと、所謂『能力主義は正義か?』的な話(成功は本人の努力によるものではない的なやつ)と、フェミニズムにすごい傾倒してて。
こうやって、特に"フェミニズムに傾倒"って書くのは実はかなり抵抗がある。
というのは自分自身そういう考えを持ってるし、そもそもこうやって"フェミニズム"って日本語で書いた時、それが何を指すのか今はすごい曖昧になってしまってるからだと思う。
※ここでいう"フェミニズム"は、所謂揶揄されるときに使われる"行き過ぎたツイフェミ"みたいな意味ではなくて、女性の人権を守ろうとする考え方や運動、つまり本来の辞書的な意味のフェミニズムです。
そういう"真っ当な"ものだと考えているなら、なんで"傾倒"なんて言葉を使うのかというと、そうとしか言えない状態に友人が見えたからで、それがこんな長々と文章を書いて自分の考えをまとめようとしている理由でもある。
---
その友達は昔から本当によく考える人で、ともすれば面倒臭い人なんて扱いを受けることも多かったそうだが、こちらも"自分の頭で考えずに生きるなんて"、という方だったのですごくウマが合った。
ウマが合うといってもずっと一緒につるんでいたわけでなく、中学の時から接触が増えたり減ったりしながら、社会人になった今でも繋がってるといる感じ。
で、最近電話で話し込む機会があったんだが、そしたらなんか友達がその、ちょっと変わっていた。
能力主義は正義か?という話も、フェミニズムも、今ある当たり前を疑うという話ではあるし、それ自体に自分もアレルギーがないどころか、特にフェミニズムについてはかなり友達と似た意見を持っていたはずだ。
ただなんだろう、自分の頭で考えていたはずの友達の口から、インターネットやそこらで聞き飽きたような話がつらつらと出てくるのには結構な違和感を感じてしまった。
能力主義のあれそれやフェミニズム的な話を"聞き飽きたような話"と書くのもすごく抵抗があるが、じゃあ例えばそれが何かというと、エリートへの怨嗟、結婚制度は家父長制を助長するであるとか、現状に対する特権側の無知厚顔さであるとか…。
それらの主張や感じ方自体に反対かというと、そうでないどころか自分も同じような考えを持っていさえする。
だから、所謂"ウワッフェミニズムの人だ!(笑)"みたいな気持ちには当然ならなかったし、途中までフンフンそうだよな的な気持ちですらいた。
のにも関わらず、だんだんと違和感が大きくなっていった。だって、あまりにもその、聞いたことあるし思ったことある話だから。
いやそりゃ、同じ問題について課題意識を持ってるんだから、同じことを考えるのは必然だろうというのもわかるし、それはそうだと思うんだが(例えばフェミニズムじゃなかったとしても)。
ただ、あまりにもその単語の全て、怒りの方向性、結論、雰囲気(としかいいようがない)などがあまりに既視感のあるもので。
似たような人間が同じ本を読んで感想を熱く語っているような、そんな印象を受けた。
で、じゃあその何が問題なのか?というと、それでその友達がものすっっごく生きづらそうだったのと、自分にも同じ生きづらさについて思い当たるところがあったというところ。
いやさ、フェミニズムなんて女性の生きづらさに対する考えや運動なんだからそれを意識すれば大変なのは当たり前で、でもそれに無関心、無知で生きるよりよっぽど良いだろと思うし、それは別に間違ってないとも思う。
ただその"フェミニズム"的考えが本当に全部自分のものなのか、考えたほうがいいなと思った。
別に自分の原体験じゃなくたって、他の人の怒りに同調することは全く悪ではないし、実際日本はジェンダー格差がやべ〜のは事実だし、それに怒ることはマジで大事だと思う。
でも、そういった考え方や感情のどこまでが本当に自分のものなのかを間違えたり、わからなくなると、なんというか現実までそれに歪められてしまって、目の前の人間や現実をそのまま受け入れられなくなってしまう気がする。
"よく考える人である"はずの友達をあらためて客観的に見た時に、あまりにも『能力主義は正義か?』とかフェミニズム的な考え…イデオロギーを外からガッツリインストールしてしまって、それに雁字搦めになっているように見えた。
そこで改めて自分や"フェミニズム"というものを顧みてみると、やっぱりかなり思うところがあった。
今のツイッターの"フェミニズム"ってさ、まぁあくまで自分の観測範囲内であることは先に強く言っておきたいけど、こんな感じじゃん:
・みんなが個々で色々考えて言っているように見えて、そのベースにはある程度共通のイデオロギーがある(ように見える)
・そのイデオロギーは別に特定の有名人一人の考えではないが、複数人拡散力の強い人はいる(本の著者やSNS上のインフルエンサーなど)
・対抗勢力めいたものがいる(その雰囲気を帯びた投稿にめちゃめちゃ噛み付くユーザとか)
・程度の差はあれ、現実の認識がそのイデオロギーに影響されている
これってさ…この特徴って、フェミニズムだけじゃないインターネット上の"運動"でよく見かける気がしないか?
ネトウヨとか、スピリチュアルとか、陰謀論とか、そういう、「自分の頭で考えれば良いのになぁ」って感じの人達。
↑の箇条書きのテーマをフェミニズムからこれらに読み替えてみてほしいけど、どれでも結構当てはまると思う。
まぁ、だからどうなのかと言われると、少し困る。
ジェンダー格差は現実の切実な課題としてそこにあることも、それを自分が問題に感じることも変わるわけじゃない。
ただ、少なくともインターネットで多く繰り広げられてる"フェミニズム的なもの"については、↑のような要素や部分も少なからず有るようには感じる。
人間というものがなんらかのイデオロギーを持って活動しようとすると、多かれ少なかれ似たようなことになるのかもしれないな、とも。
だから、これもどこかで聞いた話だが、"その怒り(じゃなくてもいいけどなにかの強い感情、そして多くの場合は怒り)は本当にあなた自身の怒りなのか?"というところがわからなくなったら、一旦距離を置くというのも(その人自身の人生にとって)良い選択肢なのではないかな、と思う。
別にインターネット上のフェミニズム自体を全く否定するわけではないし、拡散力がある以上その手の運動にとってインターネットの活用は不可欠だと思う。
具体的に名前が浮かぶアカウントも、普通に応援したいというか頑張れ…とは思っている。でも、俺は一旦離れようかな、という感じ。
こんだけつらつら書いて結論弱?!って感じだが(笑)、自分が信じ込んでるものについて、リアルで他人の挙動を見せられたのは結構衝撃だったし、それをみて自分にも思い当たるところ(振る舞いもだけどそれより特に考え方について)があったのも衝撃だったし、それを整理するのに分量が必要でした、という感じだ。
その友達も変わらず俺の大事な友達なので、別にそのイデオロギーめいた部分以外は変わってないし話してて楽しいし、同じ考えを持つことを強要されだすとかしない限りは(そしてそういうことはしない人だとは思う)、仲良くしていきたいと思う…(書いてて改めて思うけどほんと陰謀論の人とかに対する感じ方だな…)。
ちなみに自分の振る舞いや考え方で特に思い当たったのは、同性パートナー(男)への評価の仕方がなんか、毒されてるな(あえてこういう日本語を使う)と思った(し実際相手から微妙に指摘された)という感じです
こういうちょっとした違和感が重なっていた所に、ドーンと友人の挙動を見せられたのがトリガーになった感はある
蛇足にしたのは本編でしていたイデオロギー云々の話に、自分の個人的な話(特に属性)を入れると話が発散しそうだなと思ったので…
男でフェミニズム?モテたいの?とかよく言われるけどゲイだと結構色々思うところはある。
ただあんまりこの話をするとそもそもフェミニズムは女性の権利の回復の話であって(勝手に男のものにするな)、みたいな話にもなるし、別にその話をしたいわけじゃないのであまり脱線させたくなかった
JRが下記の2項目を実現すると発表するまで日記を書こうと思う。
ここで毎日怨嗟を上げているようになっているのは自覚している。
JRが全ての駅をバリアフリーにさえしてくれたらというのは幾度となく思ってしまうからだ。
また、距離無制限で運賃を半額にしてくれたらいいのにとも思っている。
それは狭かった世界が大きくなるのと同じ事だ。
諦めなければいけなかったことが出来るようになる。
運賃の件に関しても半額になれば生活が大変な障害者にとって楽になるというのがある。
たったそれっぽっちのことを願っているだけだ。
JRがそれを叶えてくれるまでこうして書きたいと思っている。
JRは莫大な利益を上げている。それをバリアフリーへ還元するのは当然の義務。
JRがやらないと他の鉄道会社もJRがやらないから出来ないと言う口実が出来る。
障害者が最も利用するのは電車だ。それを半額にするのは当然の義務。