はてなキーワード: 食料品とは
昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。
ちょっと長くなるけどごめん。ピュアな気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。
かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。
地元の小中学校を卒業してからは、家から十キロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。
偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校とかに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラスで大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニのアルバイトに挑戦することにした。同じクラスの女子でアルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。
七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。
60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。
友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。
八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。
その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツとネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリのストラップがひとつ付いていた。
ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかわからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品のバーコードを読み取っていった。
レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。
その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。
ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。
その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服の男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。
Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。
八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃんは小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。
で、私も晴れて、初めてもらったお給料で美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。
入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃんの受け売りだった。「シャンプーはしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。
こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。
それで、次の土曜の昼にコンビニでレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶があいまい)。ちょっとびっくりした。
「増田さん、髪切った?」
どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からもコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、
「似合ってるね!!」
と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。
あの頃は、Kさんが特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。
瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラスの男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさんの目力はダントツだった。
「ありがとうございます…」
途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。
別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆や正月もシフトに入る。試験期間中は休み」という約束を守っていただけ。
月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリの死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。
和やかな日々が続いていた。学校の勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子が可愛い、ということで有名な広島県東部の公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。
その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部の活動が終わった後だった。彼女が自分の机に座っていて、私は自分の椅子をそこに移動させていた。
Mちゃんがカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色の封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。
「これ、あの人からもらった」
とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんがコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。
もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。
「増田さん。これどうすればいい?」
そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。
今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。
コンビニを休むようになった。それまでは試験期間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金は好きな音楽や漫画や雑誌に使っていた。
美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。
高二の梅雨時だった。Mちゃんがコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。
そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。
Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。
Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品やホットスナックや炭酸水やビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はい、お久しぶりです!」と作り笑いを返した。
昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。
それから、Kさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。
その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。
馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色のラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。
次の日、コンビニでレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズとTシャツのラフな格好だった気がする。
「はい。変えました」
「うん、うん。変わってるね」
「どーですか?」
「似合ってるね!」
この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計の金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんがカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。
Mちゃんの気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。
でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんがレジの三番目に並ぼうとしていた。
ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。
でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。
ほかに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。
「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」
「……兄さん警察呼ぶよ」
「呼べ!!」
「……」
おじさんが退散すると、Kさんもバツが悪そうにしていた。ほかの子が応援に来たので、私は向こうのレジに行った。
もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。
Kさんに手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。
何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。
・増田さんはよく動いていてすごいと思う
・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい
・今年中に引っ越すのでその前に
・興味があるならメールがほしい
当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子者タイプの男子だった。
そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。
ある夜、その彼氏とKさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさんの圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。
もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。
Kさんは雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分は相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。
高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。
当時、高校を出た後の進路は美容の専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校に入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクやファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。
自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。
その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。
入学試験のちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニの駐車場に入った私を呼び止めた。
「お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日も寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はい、めっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。
その時、Kさんが「増田さん。俺、今日で最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日でコンビニは最後だから。じゃあ、元気で」と、Kさんは自転車に乗った。
私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはいい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。
あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社の契約社員のポジションを探そうか思案している。
実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容の専門学校を卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載の営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんがサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。
「お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんはちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日の約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。
この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那のカバンに付いているぬいぐるみのストラップを眺めていて、思うところがあった。
とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。
ちょっと話してみたい。昔の話だ。
若い頃、都内の繁華街にある飲食チェーンで店長職を務めていた。今はもう会社を辞めて実家に帰り、細々と親の仕事を手伝ってる。農業を営んでるから、食料品という意味では繋がってる。
あの頃はまだ30代半ばで、男が乗っている時期だった。心も体も無理がきいて、若者の考えもなんとか理解できて。懐かしいなぁ。今では50代が近づきつつある。
守秘義務とか一応あるから、どこの飲食チェーンかは言わない。読んでるうちにわかるかもしれないが。できればそっとしておいてほしい。
何の話をしようか迷ったが、『人』の話がいいだろう。何人かに絞って話がしたい。皆、よくも悪くも思い入れがある。三人だけ挙げよう。
もちろん仮名だ。雰囲気で名付けている。背は低めだったかな。危なっかしいけど、素直な子だった。だが、ある事件を機に店を辞めてしまった。
大学二年生で、MARCHクラスの大学に通っていた。やんごとなき方々が通いそうな大学名だった。私は専門学校出なので、大学生と聞いただけで眩しい感じがした。
彼は夕方~夜のメンバーだった。クローズまで残ることもあった。ところで、ある従業員I氏との折り合いが悪く、さらにスダ君が好きだった女子店員TさんがI氏と交際していることもあってか、勤務中に不安定な感じになることがあった。若さというものだ。
閉店作業中にI氏と諍いになることがあったらしい。マネージャークラスのアルバイト従業員の場合、連絡日誌を付けるのだが、そういう報告をみかけた。
実際、迷ったものだ。I氏は当時、二十代前半のフリーターで、付き合っていたTさんは大学四年生だった。I氏はほかの女子アルバイトにも手を出していた。時には、新人クルーを無理やり自分のビッグスクーターに載せて、当店の近くにあるラブホテルに直行することもあった。
相関図
I氏 ⇔ Tさん ← スダ君
↓
当時は2000年代の半ばだった。男のそういう行為も甲斐性のひとつとされた時代だ。迷惑行為ではあったが、相当の戦力だったため目を瞑らざるを得なかった。
ある年の秋、閉店数時間前だった。いつもだと、店の目の前にある事務所でシフトを作ることが多いのだが、この日ばかりは実店舗で指揮を取っていた。どんな時間帯にもインして、店舗の運営状況を確かめねば……という意識もあったが、正直この日は気分だった。
夜9時頃、スダ君がお店にインしてきた。この日は3時間半のシフトだ。だが、様子がおかしい。足早にタイムカードを切ったかと思うと、店の奥にあるシンクに手をかけてうずくまるように立っていた。
ほかのアルバイトも「様子がおかしいのでは?」と察していた。私は、スダ君と仲のいい大学生ふたりに事情を聴くように指示した。こういう時はこれでいい。私が聞いても真実を答える保証はない。聞き取りするとしたら彼らの後だ。
大学生ふたりが聞き取ったところによると、スダ君が事務所に入った時、こんなことがあったらしい。
・運悪く、スダ君が入ってきた音に気が付かずに目撃することとなった
・過去にもスダ君の目線からみてそうなのでは、と思うことがあった
これには悩んだ。どう対処すればいいのか。店を預かる者としては判断に迷うところだ。というのも、I氏もTさんも、はっきりいって当店の最高戦力(I氏はマネージャークラス、Tさんは接客専門職クラス)であり、辞めてもらっては困る。困るのだ。ただでさえ人手不足なのに。
本来は免職処分とすべきだ。事務所を本来の目的以外に使うな、とは言わない。待機時間に学校での課題を片付けたり、シフトを上がった後にお喋りをするとか、そういう使い方をしてもいい。少しくらいは。
ただ、過去においては、休憩室で飲み会を催していたクルー3名をまとめて免職処分にしたことがある。線引きが難しい。
結局、I氏もTさんも当店に残すことにした。I氏は「次やったら辞めさすぞ」と何度もクギを差したうえで、出勤停止の処分とした。Tさんは、大学卒業まで残り数か月だったのもあり、比較的温情のある処分をした。※思惑までは書かない。自分なりにバランスを取ったつもりだ。
スダ君には、「人生いろいろあるけど挫けてはいけない」「あなたはひたむきだから。きっと報われる時がくる」など精一杯フォローしたものの、冬になるまでには店を辞めて、同系列チェーン店に移籍した。確か、そこの店長から電話があって、「面接に来たけど、彼どんな子?」と聞かれたから、「ひたむきでいい子です。ちょっと心が弱いところもありますね。でも、戦力になりますよ」と答えた。今でいうリファラル採用だった。
それから約一年後、あの時スダ君から聞き取りをしてくれた大学生から連絡があった。スダ君が、移籍した先の系列店でマネージャークラスにランクアップしたという。私もその店に行ってみたところ、確かにスダ君がいた。社員と同じ服装でキビキビと働いていた。あの頃とは雰囲気が違う。人間として成長したのだ。
それからすぐ、私も遠方の店に異動になってしまって、スダ君を見ることはなくなった。今はどんな人間に成長しているのだろう。いい男になっているだろうか。そんな未来を願っている。
この子は、いわゆるプレーヤータイプの極致だった。ほかの繁盛店から移籍してきた子で、クルーとしての実力は折り紙付きだった。POSでの接客もキビキビとこなすし、サービスレベルは最低限以上だし、料理を作るオペレーション作業も人並み以上にできた。
どんな分野でもマルチに活躍できる子だった……ただし、現場作業に限っての話ではあるが。残念ながら、性格であるとか、人格であるとか、気質であるとか、そういうところに問題のある子だった。
話は逸れるが、圧倒的美人だった。街を歩いていたら男は皆振り返るし、雑誌でモデルをしていたとして不思議ではない。そういうルックスの子だった。
ただやはり、性格に難があった。気に入らないクルーに雑談を振られても冷たい態度を取ったり、無視することがあった。相手のことをミカンの皮くらいにしか思っていないのだ。
ある時だったか、フナモトさんの接客の現場でこんなことがあった(※当時は、女子で厨房に入る子は極端に少なかった)。母親と子どもふたりがレジに並んでいて、子どもがおもちゃ付きセットの説明を求めた。店内のカウンター横には、おもちゃの反則セットが豪勢に飾ってあった。※フナモトさんmaidになる。
だが、彼女は冷たい様子で「ポケモンです。種類はこちらから」とメニューを指さすだけだった。そのお子さんが十秒ほど迷っていたところ、フナモトさんがローファーの先でコーヒーシロップやストローが入ったラックを何度も蹴り飛ばすのが見えた。
またある時などは、夜の店内におばあさんがテイクアウトの注文後、「お水を持ち帰りでくれませんか」と言ってきた。フナモトさんはマニュアルどおり「お水は持ち帰りができません」(※衛生管理上の問題。お客の家で水が品質劣化した場合など)と答えたところ、おばあさんは「車にいる孫が薬を飲むので……水がほしいんです」とのこと。
さて、こういう時はどうすべきか。一応、会社のマニュアルには、接客については「ルールに準じつつも、自分らしい接客スタイルを求めてください。お客様のためになる接客を。迷った時はマネージャーに指示を仰ぎましょう」といったことが書いてある。
フナモトさんはおばあさんに告げた。「その子がカウンターまで来るなら用意できます」と。なるほど、機転が利いている。おばあさんが了承したところ、フナモトさんが水を用意してカウンターの前にいるおばあさんに水を届けた。
しかし、おばあさんは水を取って、そのまま車に戻ろうとしたのだ。フナモトさんが一瞬早かった。おばあさんの二の腕を掴んで、水泥棒をガードしたのだ。
船「ダメっていいましたよね!?」
婆「いいでしょ。やめて!」
船「ダメって言ったよな、おい!?」
婆「ちょっと!」
船「おい!! ……お廻りさん呼びましょーか?」
婆「……」
さすがに堪忍したのか、おばあさんは諦めて外の渋谷通りに留めてあった車に歩いていった。私はその様子を観ていたけど、どっちもどっちだと感じた。フナモトさんはお客様ファーストではなかったし、おばあさんにしてもジュースを買えばよかっただけのことだ。別に水でなくてもよかった。
私だったら、「本来は衛生管理上の問題があり認められませんが、今回はお薬の事情があるということで持ち帰りを認めます」と言っていただろう。マニュアルに反する行為ではあるが、これなら上の人間が観ていたとしても申し開きできる。
三つ目になるが、フナモトさんが専門学校を卒業する半年前のことだ。店内のポジションを替わりたいという要望があった。弊社では、漢字表記だと接客専門職とでもいうべきランクがあり、それに選ばれるとお洒落な制服を着ることができる。昔懐かしい、アンナミラーズの制服にちょっと似ている。
だが、それはフナモトさんのわがままに過ぎなかった。本人から理由を聞いたところ、「可愛い制服だから、最後に着てから卒店したい」とのことだった。当然却下したのだが、それに激昂したフナモトさんは「だったら店を辞めます!!」と宣言して、マネージャールームのパイプ椅子を立った。そのまま事務所を出て行き、二度と連絡してくることはなかった。残りのシフトはバックれてしまった……。
約二週間後、別の系列店から「フナモトさんという子が面接に来ているけど、どんな子ですか?」という問い合わせがあった。ちょっと迷った挙句に、こんなことを答えたかな。
「一本筋が通った子です。いい方に働くこともあれば、そうでないこともあります」
と告げた。嘘は言っていない。確かに嫌な別れ方はしたけれども、かつての仲間だ。応援はしたい。少なくとも、ほかの店への移籍を妨害したくない。
人格者じみたことを書いたけれども、保身のためでもあった。フナモトさんとは過去に二度、ホテルに行ったことがある。お店の公式飲み会があると、私はいつも若い子だけの方がいいだろうと思って(一万円を置いて)早めに帰るのだが、その時は最後の方まで残っていた。
宴も酣(takenawa)ということになって、二次会に行こうと幹事が言い出した後で、フナモトさんと帰り道が一緒になり、いろいろ話すうちに飲み直そうということになった。私はまだ三十代だったので、いろいろと抑えることができなかった。
フナモトさんの見た目はクールビューティといったところだが、いざ一緒に寝てみると情熱的なところがあった。やはり、体のいろいろな部分が柔らかかったのを憶えている。そういう体験が二度あった。
それで、上の段で電話を受けた時は、フナモトさんが暴走したらよくないことになるのでは……!? という懸念があった。そうはならなくてよかった。
思い返すと、これも懐かしい記憶だ。あの子は今も元気にしているだろうか。健やかであってほしい。
この子も鮮烈だった。当時は大学生。独得な雰囲気の子で、普段はボーっとしているかと思えば、厨房でのオペレーション中は熱気に満ち満ちていた。閉店時のクローズ作業も抜群に早かった。
難点があるとすれば、マイペースなところや、人を怒らせる発言をするところや、常識のなさだった。ある時などは、冗談だと信じたかったが、早朝の開店作業中に「今日は気合いを入れるためにビールを飲んできました!!」と宣言していた。
今でいうところの、発達障害というやつだと思う。そうでないならパーソナリティ障害か。医師ではないので判断はできないが。
さて、そのワタベ君だが、大学三年生のある時に「マネージャーになりたい」と言ってきた(※説明が遅れたが、正社員の仕事をするアルバイトをいう)。確かに、作業能力的には余裕でマネージャークラスだった。しかし、彼の発達障害的な言動は、他のアルバイト仲間の間では賛否両論だった。マイルールに対して過剰適応なところがあり、それが特に若い高校生クルーとの間に軋轢を生んでいた。
当時のマネージャー全員に賛否を聞いたところ、半々ということになった。これは低い数値だ。普通は八割以上が賛成する。そして、ワタベ君本人に対して「貴君の意に添いかねる」という意思を告げたところ、なんと……彼は弾けた。バックレたのだ。
フナモトさんと違って、自分のシフトはちゃんと消化していったが、店長である私に何も告げずに店を辞めた。ほかのアルバイト仲間には辞めることを伝えていたらしい。なんということでしょう……(劇的ビフォーアフター)。
でも、これでよかったのだ。こういう極端な行動を取る人間は管理者として相応しくない。彼がマネージャーになっていたとして、またどこかで軋轢を生んで誰かが店から消えてしまうような、そういう事態になっていたに違いない。
それから、約七ヶ月が経った頃だった。なんと、ワタベ君がお店に戻りたいという(ほかのマネージャーから聞いた)。なんでも、そのマネージャーにワタベ君が電話をかけて「就職活動が終わったので店に戻りたい」という旨を伝えたらしい。
これは、社会人でいうところの根回しに相当する行為だ。ワタベ君は成長したかもしれなかった。直球ストレートではなく、カーブを覚えた的な意味で。ワタベ君やるなぁ……。
実際、この時期はとんでもない忙しさだった。スタッフの頭数があまりに少なく、基準に達していない人でも雇わざるを得ず、それがまた現在のクルーとの摩擦を生むという悪循環だった。さすがの私も、相当な日数出勤することになった。時間外手当はゼロだった。名ばかり管理職というやつだ。
話が逸れた。数日後、ワタベ君とマネージャールームで面談をしたところ、次のような意見があった。
・もうマネージャーになりたいとは思わない
・これまでは申し訳なかった
・週に四日以上必ずシフトに入る
まあ、バックレではあるが、これからちゃんとするならいいだろうということで、ワタベ君を再雇用することにした。
しかし、私が人を見る目がないのは皆様すでにお分かりのとおりだ。本当に見る目がない。この会社でも、最終的にはエリアマネージャー(部長級)までは行けたのだが、そこでさらに上のクラスの人達と揉めごと(本部長クラスのセクハラ関係)を起こしてしまい、最終的には理不尽な降格処分(店長に戻れ!!)を突きつけられ、会社を辞めることにした。
さて。ワタベ君は普段はマジメだった。しかし、稀に凶悪な面を見せることがあった。ある日の早朝、お店の目の前に食品資材を搬入するトラックが停まっていた。ワタベ君は、せかせかと動いてトラックドライバーと協力し、荷台から野菜ジュースやコーラのシロップタンクやPotatoを下ろし、店内に運んでいた。
だがある時、見てしまった。トラックドライバーの目を盗んで、ワタベ君が野菜ジュースが50本ほど入ったビニル巻きの段ボールを――丸ごと盗んでいるのを。一瞬の早業だった。私でなければ見逃していたね。※一応、どうやって盗んだのかは伏せる。同様の行為を防ぐため。
その時ほど、自らの人を見る目のなさを恨んだことはない。ワタベ君はすでに雇用三ヶ月目だったし、彼がいなければ深夜と早朝のシフトが回らない。困った事態だった。当時の私には、見て見ぬ振りしかできなかった。
それから、ワタベ君は大学卒業まで店に在籍した。発達障害はやはりそのままで、ほかのアルバイト仲間との小競り合いが度々起こった。実は、ある時期から人手不足は解消していて、別にワタベ君には辞めてもらってもよくなっていた。クビにしようかと思ったことがある。しかし、性格や人柄が悪いとしか思えない彼が、多くのスタッフから嫌われながらも、一部のスタッフには懐かれているという現象を目の当たりにして思い留まった。
なぜ、そんな判断をしたのか? 彼は本当に悪どい人間なのか、と思ったのもあるが――今風の言葉でいえば「多様性」だ。彼は確かに、社会人以前に人として未熟なところが多くあった。だがしかし、一部の得意分野においては紛れもなく輝いていた。だったら、嫌なところには目を瞑ろう。それが当時の私の判断だった。
風の噂だと、新卒時点での彼は、都内の某区役所で地方公務員としてのキャリアをスタートしたらしい。東京生まれの東京育ちだから、やはり地元が一番ということだろう。彼も、元気でやっているといいのだが。
以上で終わりになる。
当時を振り返ってみて、間違いだったと思われる行動は多々ある。どれだけ後悔しても足りない。でも、それも人間だ。迷いながら進んでいくしかない。
ところで、満たされない心というのは、すごく大切だと思う。当時も今も、満足できる仕事をこなすというのは、とてもとても遠いことだと錯覚していた。
成長していくためには、これまでの自分を一人ずつ殺害していく必要があるのだと30代の頃は思っていた。朝が来るから起きるのです、みたいな当たり前のことだと思っていたけど、違うんだな。
人生が満たされなくても、自分は自分なのだ。理屈も何もない。ただ、それだけだ。だから、店長として飲食チェーンで働いていた頃の失敗だらけの自分も、今では受け入れられる。そういう情けない私まで含めて私なのだ。再確認できてよかった。
家賃はいきなり何十%も上がらないけど、食料品とか30%くらい値上がりしてるのザラにあるので、
エンゲル係数高い世帯は大変じゃないかな。インスタント麺とか298円が370円位(税抜き)とか。
野菜も高い。キャベツ1個300円位する。150円位が普通だったから100%値上がりだ。
なぜか納豆は値下がりしてきた。輸入原料のはずなのに。3パック入り100円切ることが多い。製造メーカーは大変だろう。
そういう意味からは日本酒とか焼酎とかビールとか海外ウイスキーとかはあんまり値上げしないで頑張ってくれてるように思う。
でもどう考えても値上げしないと対前年利益率ダウンだから時間の問題かな。円安だし。ウイスキー買いだめしとくべき?
タイトルどおりだ。あの事件から5年以上が経った。心の傷も癒えてきた。そろそろ増田で語ってもいいだろう。予防線で悪いが、あまり長文を投稿することはない。読みにくい箇所はテキトーに読み流してほしい。
悪いけど、思い出したくないことだから、わりと書き殴らせてもらう。推敲はほぼしない。
花見シーズンの日曜日だった。当時は地元の市役所に勤めてて、労働組合主催の新人歓迎会だったんだが、皆でレジャーを楽しんでいた。組合のお金で遊びに行けることもあって、幹事連中は食料品やお酒をガッツリ買い込んでた。
標高でいえば1kmはあるだろうか、そんな高い山にテニスコートとかサッカー場がある公共施設があって、そこのテニスコート(クレイコートだった)でみんなでテニスをしたり、森林公園を散歩して遊んでたよ。羽高湖だったかな。懐かしい。
メンバーは、比較的若手の職員が20人ほどだった。そこまで詳しく覚えてない。昔のことだしな。で、昼が近づいてきて、さあ湖に行ってバーベキューだ、という時になった。当方はテニスを満喫して気分が高まっていた。といってもスポーツやるようなタイプじゃないし、なんなら今風の言葉でいうとチー牛とか言われるタイプの人間になる。
すでに誰かが管理棟からバーベキューセットを借りてきてるのが遠目に見えて、テニスコートの前面道路を横断しつつあった。それで、さぁメシの準備だというところで、テニスのボールが自分のすぐ目の前に飛んできて、右を向くと同期の女がラケットを振ったと思ったら、その子がしゃがみ込んで、胸を押さえて、そのままクレイコートに倒れ込んだ。
自分は捉え切れてなかったんだが、テニスのボールが胸のあたりに命中したのだ。当たり所が悪くて、こんなことになってしまった。
当時二十代だった自分は、大慌てで声を出して、その同期の子に駆け寄った。ほかの集まりの参加者は遠目から見てる感じで、何人かがこっちに小走りできていた。
自分はすぐに、見様見真似で心臓マッサージを始めた。焦っていたので呼吸の確認はしてない。マッサージは、その子のTシャツと厚手のトレーナーの上からだったが、何とかなるだろうと思っていた。近づいてきた人の中にひとりだけ40代ほどの女性がいたから、「代わってくれ」と言ったけど、首を横に振ってるような、なんとも言えない様子だった。
その後も心臓マッサージを続けたけどダメだった。意識を失ってる人って、間近で見るとマジで人形みたいだった。呼吸がなくても生きてるのはわかるけど、でも異常に脱力していて、本当に人形みたいだった。
厚手のトレーナーが邪魔なのか?? と思ったから、脱がしてシャツだけにして、消防の講習で習ったのを思い出しながらマッサージを続けた。でも、ぜんぜん意識が戻らない。テニスコートの入り口を見ると人がまばらだった。まずいと思った(※焦っていたからわからなかったが、みんな対応に走っていたのだと信じたい)。
人工呼吸をやるしかないと思って、さっきの40代ほどの女性を見た。傍に人だかりが増えていた。その女性は、めっちゃビビった様子だった。諦めて視線を同期の子に戻して、人工呼吸を始めた。気道は確保したが、医療関係者じゃないからできていたかは不明だ。
何回か人工呼吸をした後に、また心臓マッサージに戻って、「戻れ、戻れ」と口ずさんで、三回目の人工呼吸をしようとしたところで、「おい」という別の男の声が聞こえて、AEDを持って来ていた。
「やってくれん?」
と自分が言うと、「やり方がわからんけえ。お前がやるんど」と言い返された。自分もやり方はわからなかったが、AEDの箱を開けると、何やら説明の音声が始まって、同期の子のシャツを脱がせて、下着の横に電極パッドを嵌めて……。AEDの指示どおりにはやれたと思う。いや、わからんけど。やれたとは思う。で、真横や真後ろを見たら、もう参加者全員がこっちを見ていて、どうしようかと思っていたら、救急車じゃなくって、管理棟の人が乗った軽バンがテニスコート内に入ってきた。
施設の職員に同期の子を渡すと、軽バンの後部座席を倒して、横に眠らせるみたいにしてバンの後ろ扉が閉まって、そのまま全力ダッシュで車は走って行った……。(追記 救急車じゃないのか?と自分も感じたが、固定式の車止めの幅の関係で、救急車が施設内に入れなかったのが理由になる。書いてなくて申し訳ない)
この時、周りからはどう思われていたんだろうか。それはわからない。わからないということにしたい。みんな、今日はもうこれで終わりだな、みたいなどんよりとしたムードだった。自分に声をかける人はいなかった。いや、元々親しい人が参加してなかったのもあるが。
次の週からは、針のむしろみたいな感じになった。視線でわかるんだ、同じ階の男性職員は自分を見てクスっと笑ってるし、女性はあからさまに自分のことを避けてる。それが仕事上のコミュニケーションにまで影響していた。
イベント用品を取りに行く小間使いすら任せてもらえないし、何人かで集まって会議のセッティングをする際もハブられるようになった。連絡や報告も、口頭でのやつはあまり回してもらえない。
苦しかったのは、ある時だったか、エレベーターで書庫にあるファイルを運んでいて、職場近くまで下りた時だった。エレベーターの扉が開いた時に聞こえてきた。
「あいつキスしてたよ」「変態みたいだった!!」「ハアハア言ってたって……まじキモイ」「ブラまで取ろうとしてたって」みたいな自分に関する噂が直接、聞こえた。30代ほどのやや上の世代の職員が噂をしていた。あの時ほど救命活動を後悔したことはない。
あの時、無理をしてでもあの女性に代わってもらえばよかった、と当時は思っていた。そうすれば、こんな思いをせずに済んだのに。
結局、同期の子は命は助かったけど、しばらく入院が必要になったと聞いた。その子が復帰するまでの間に、自分は会社に行けない状態になっていた。事故から三週間くらいだったか?
当時、憂鬱を通り越してうつ病寸前になっていた。メンタルクリニックにこそかからずに済んだが、有給を半分ほど使ったところで、市役所を辞めると職場長に伝えて、それから二度だけ人事課に出勤すると、離職の手続きが終わった。AEDのことは上の人には言わなかった。なんかもう、どうでもよくなっていた。人間が信じられないという気持ちだ。わかるだろうか。
今は、市役所があったのと同じ広島県の東の、さらに端っこにある中規模工場で働いている。相当地味な仕事だけど、自分には合ってる。自分は優れた人間じゃないけど、父親や祖父が優れていたためか家にお金はある。つまんない人生になったけど、老人になった後はそれを頼りにしたい。
今日、自分が伝えたいことがひとつだけある。確かに、法律とか倫理とかいう観点からすると、自分の行いは正しいし、あの市役所の連中は間違ってる。今でも惨めな気分だ。でも、それは理念のうえでの話であって、現実は違う。
現実世界だと、自分みたいに見た目がいまいちなヤツは、イジメを受けたり(あいつキッショとか職場で言われたり)するわけだろう。それが現実だ。だから、状況を見て判断する必要がある。
自分は、あの同期の子を助けたいと思った。だったらあの時、自分じゃない誰かに託さないといけなかった。助けようとしてはいけなかった。それだけだ。
嫌な話を聞かせてしまって申し訳ない。でも、死ぬまでにはどこかで話したいと思っていた。当方、はてなは好きだけどブログは開設していない。ここしかないと思った。
SBI証券のクレカ積立を導入するために三井住友カードを申し込むことにした。
以下の内容は、導入にあたって検討したことを備忘録として書き連ねたものである。
来年の新NISA施行後は毎月10万円(年間120万円)を投資予定
内訳
近所のスーパー(ローカルチェーンを複数店ローテーション)の食料品購入で約1万円程度
三井住友カードが対象で、ポイント付与率0.5%~5%。ただし、2%以上はプラチナカードが条件なので、自分にとっては縁がない。
自分にとっては、ノーマルカードの0.5%かゴールドカードの1.0%のどちらかが対象となりえる。
また、クレカ積立の上限は月間5万円。
新NISAが始まっても月間5万円は変わらないはず。
『つみたてNISA「月10万」でもクレカ上限「月5万」という意外な障壁も』
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamaguchikenta/20221213-00328153
ノーマルカードの場合(ポイント0.5%)、年間3000ポイントもらえる
ゴールドカードの場合(ポイント1.0%)、年間6000ポイントもらえる
三井住友カード(ノーマル)は年会費0円なのでデメリット無しで3000円分得できる。
三井住友カードゴールドは年会費5500円なので、差し引き500円分だけの得になる。ただし、年間100万円使用すれば年会費0円になる。年会費0円にすることは、100万円修行と言われている。
『三井住友カードゴールドNLの100万円修行で解脱に至るための曼荼羅』
https://honeshabri.hatenablog.com/entry/smbc-card-mandala
クレカ乗り換えのメリット・デメリットを評価するために、現在使用しているクレカ・三井住友カード・その他調べたクレカを比較した。
現在使用しているクレカはこれのみ。ポイント還元率の高さと年会費0円のみに惹かれて契約して今に至る。
ちなみに旧REXカード(REXカードlightと統合する前)の還元率は1.75%(のちに1.5%)だった。
年会費5500円だが、年間100万円使用すれば年会費0円になる。
基本還元率0.5%と低いが、年間100万円利用で10,000ポイントの還元あり。
年間100万円ジャスト利用と仮定すれば還元率1.5%になる。
『三井住友カード ゴールド(NL)および三井住友カード ビジネスオーナーズゴールドの特典条件である年間100万円のご利用には、どのようなものが含まれますか?』
https://qa.smbc-card.com/mem/nyukai/detail?site=4H4A00IO&id=1871
基本還元率0.5%。
Amazonでのショッピング還元率1.5%(プライム会員2.0%)
その他還元率1.0%
還元率だけを見れば私が保有するDelight JACCSカードより優秀だ。それに私はAmazonを利用している。2022年で約5万円分利用、2021年で約8万円分利用だ。
しかし、私は福利厚生倶楽部を通じてAmazonギフトを額面の約2%引きで購入している。以下参照。
【福利厚生倶楽部】リロクラブでAmazonギフト券を安く購入する方法まとめ
https://otoku-pc.com/fukiri-amazon/
それにAmazonプライムも利用していないので、Amazonマスターカードを導入する利点はない。福利厚生倶楽部でのAmazonギフト券(正確にはEJOICAセレクトギフト)の購入にはかつてクレジットカード支払いができたが、現在はできなくなっている。しかも、支払いには手数料(210円)が必要になった。一度に高額のギフト券を購入することで手数料の損失を小さくしているが、今後さらなる福利厚生倶楽部のサービス改悪があったら、Amazonマスターカードの導入を考えている。
ポイントは、Pontaポイントまたはdポイントに変えられる。
どちらもコンビニ・飲食などで使えるが、Pontaもdも持っておらず、個人的に積極的に使うサービスはないのでポイント利用はやや面倒。
現在利用しているDelight JACCSカードがさらにサービス改悪したら、リクルートカードに乗り換えるかもしれない。
還元率が1%を超えるカードはほとんどない。ゴールドカードでも1%以下がほとんど。
楽天カード・イオンカードなど特定のサービス名(会社名?)を表すカードなら、カード名に含まれているサービスの利用で1%超えるものもある。とはいえ、特定のサービスに大きく依存していないので、自分に適しているカードは見つからなかった。
Amazonマスターカードのイシュア(クレジットカード発行会社)は三井住友カードだが、この手の提携カードはSBI証券のクレカ積立の対象外。対象は三井住友カードのプロパーカードのみ。
三井住友カード以外にも、ゴールドやプラチナのカードを調べてみたが、年会費がかかるくせに基本的な還元率は高くない。コンビニやファーストフード店で還元率が高くなるとアピールしていることがやたらと目についたが、ゴールドやプラチナを持ってる人は利用するのか? クレジットカード会社としても、安っぽい印象がつくからイメージダウンになる気がするのだが。公式Webページでゴールドやプラチナのお洒落な雰囲気を醸し出しながらも、コンビニやファーストフード店のロゴが出てくるのに違和感がある。それとも、金持ちはそんなことを気にせず庶民と同様に安い店に通い、ポイントをちまちまと稼ぐのを好むのだろうか。そうなのだろうな。ビルゲイツだって、マクドナルドでクーポンを使うんだから。
100万円修行をするには、家賃や公共料金の支払い全てで支払方法を変更する手続きが必要になる。それをしてなお、100万円に届かない可能性もある。冒頭に述べたように、毎月のクレジット支払い額は8万円~9万円程度だからだ。修行のために金を浪費しては本末転倒だ。
ちなみに、SBI証券のクレカ積立は修行の対象外だ。クレカ積立が修行の対象だったらよかったのに。
Amazonギフト券を購入して年間の支出額を無理やり100万円までに引き上げる方法もある。しかし、前述の通りAmazonギフト券は福利厚生倶楽部で購入(クレカ支払い不可能)しているので、そのメリットがなくなってしまう。また、Amazonでの買い物額は安定しておらず、家電やPCなど高額の買い物をすれば年間で10万円を軽く超えることもあるが、そうでなかった昨年は5万円にとどまっている。食料品などでAmazonで取り扱っている商品の改悪があれば近所のスーパーでの購入にシフトすることも多く、2023年はさらに買い物額が減ることも考えられる。Amazonギフト券の使用期限は10年だが、修行のために何年もAmazonギフト券を購入し続けていたらギフト券消費のために買い物という、これまた本末転倒な事態に陥る可能性もある。
さらに、修行に失敗したら0.5%という低い還元率に甘んじるだけでなく、年会費5500円を負うことになる。
以上により、私にとって100万円修行はリスクが高いので、三井住友ゴールドカードは採用しない。
採用するのは三井住友カード(ノーマル)であり、クレカ積立のみに利用する。
ただし、将来の私の支出状況の変更によっては、ゴールドカード導入は十分にあり得る。
他にも、各種クレカや証券会社のサービス変更によっては、その都度柔軟に対応していく予定である。
いろいろと調べて長々と文章を書いたが、結果的にやるのはこれだけだ。得するのは、来年以降に年間で3000円だけ。今年稼げる額はもっと少ない。調査とこの文章の執筆に10時間近くかけたが損したとは思っていない。労力の割に稼ぎは少ないが、最新のポイ活(ポイント活動)情報を得られたからだ。
参考
https://honeshabri.hatenablog.com/entry/poikatsu
金持ちであるほど、みみっちく金を稼ぐことが好きなように思える。ポイ活以外でも、NISA・iDeCo・ふるさと納税はその典型的な例だ。たとえ少額でも、金持ちは金を確実に稼いでいるから金持ちなのだろう。一方で、貧乏人は着実に稼げることを軽視してギャンブルを好む。パチンコ・競馬・宝くじなどの公営ギャンブルはその典型例だ。
投資においても差は顕著であり、金持ちはS&P500連動などの着実なインデックスファンドを積立投資して、ドルコスト平均法によりリスクを小さくしている。積極的に金を稼ぐことよりも、インフレリスクに対処することを目的にしている。一方で貧乏人は、FXやビットコインなどギャンブル的な商品を好む。株式投資でも、テンバガーを夢見たり短期的な取引を繰り返したりとギャンブル的な運用をしている。
貧乏人は一発逆転を夢見ている。金持ちは一発逆転など夢見ずに、着実に稼げる金を積み重ねている。貧乏人と金持ちの差が広がるのも当然のことだろう。前述したが、ビルゲイツはマクドナルドでクーポンを使っているのだ。
もう一つ私に持論がある。それは、貧乏人は情報収集と判断が遅いということだ。例を挙げると2万円分のマイナポイントだ。今年2月の期限間際にマイナポイントを求めて役所に群がったのは貧乏人であることに間違いないだろう。金持ちは早々にマイナポイントをもらうか、もらわないにしてもすぐに決断して、期限間際であわてることなどなかっただろう。
その観点で言うと、私のクレカ積立をするという判断は、まさしく貧乏人相応のものだろう。SBI証券のクレカ積立は2021年6月30日に開始したからだ。あまりにも判断が遅すぎる。クレカ積立という制度があることは前々から知っていたが、対象のクレカをもっていないことと還元率があまり高くないことで深く調べることを放棄してしまったのだ。来年に新NISAが始まり投資額も増やせるようになるからどうしようかと考えたときに、ようやくクレカ積立を思い出して今に至るというわけだ。理由を述べたとて判断が遅くなったことには変わりないので、自身への戒めのためにあえて恥をさらす。
私は金持ちになるつもりはない。稼ぎは今のままで十分だからだ。しかしながら、情弱で判断の遅い貧乏人にもなりたくない。私は情弱ではないと漠然と思いながら生きていたが、この投稿内容をまとめるうちにその自信はなくなってきた。私が漠然と持っていた知識が少なかったり古かったり間違ってたりしていたことを自覚したからだ。ソクラテスの「無知の知」ではないが、情弱は情弱であることを理解できないのだろう。
情報は一度収集したら終わりではなく、常に変化することを改めて自覚した。今現在、私が最新だと思っていることをここにまとめたが、すぐに古くて使えない情報になるだろう。それどころか、古い情報・間違った情報をすでに書いているのかもしれない。指摘や批判もあるかもしれないが(無かったとしても、個人的な備忘録だからそれはそれでよし)、それが自分自身の知識向上になったり今後の金(ポイント)儲けにつながるだろうから、その期待も込めて拙い文章だが投稿することにする。
ひっさびさにスーパーのパック寿司冷やかしたらクオリティ下がりすぎてびっくりした
数年前の認識ではタマゴ1+海鮮9の10貫で安くて600円弱ぐらいだったの。
それがこの前、閉店前で元値それぐらいで半額だった寿司をよく見ず手に取ったら
太巻き2
稲荷2
タマゴ
だった。値段とマグロだけで10種寿司かとおもったら8個だし過半数は魚介類じゃないじゃないか。魚にいたってはマグロだけだし。
そりゃ売れ残るよな…でも半額ならいいかと買いました。そこまでは別に日記に書くほどのものじゃなかったんだ。
だけど、いざ食すぞと目の前で改めてみてみると…マグロがめっっっっっっっっちゃ細い。
全体的に小さくなっているのは想定の範囲内だったけれど、「お前、正方形になったほうが安定しないかい?」って寿司を心配してしまうほどの、なぜ長方形にこだわるのかわからないほどの形だった。
思わず寿司についてた醤油挿し、そうあの魚型のアレ。ランチャームだ。あれをマグロにかざしてみた。
お、おいおいおい…横幅…ランチャーム未満じゃねぇか…。
ネタの種類もサイズ悲惨になってなおこの価格域。食料品の家計圧迫はここまで来たかと感慨深かった。
そして翌日、どうしても気になって近所のもうひとつのスーパーに向かった。
こちらはもう少し大きめで高めのスーパーで魚介類の取り揃えが良く、10種寿司はやはり600円弱だった記憶があった。
が…やはりこちらもタマゴ以外は魚介類をクリアしていたが、10種から8種に減っていた…。エビがすこし大きめになって横向きに設置することと、ラベル下が記憶よりスカスカになっていたことで2貫分のスペースをごまかしているようだった。
あぁ、私が愛したパック寿司は死んだのだ。回転寿司以下と揶揄される10種のパック寿司。タマゴと人工イクラで水増しされつつも10種という二桁の幸せを楽しんだパック寿司。マグロイカはレギュラーの主砲とし、ハマチやサーモンでどう打線を作るか毎回悩んだパック寿司…。
半額寿司がめったに手に入らないからと売り場すらスルーしている間に、存在そのものが消滅してしまった…。
中堅回転寿司でキャッキャするブクマカにはわかるまい。お魚はお高いのだと。
ギリギリ摂取していた贅沢なパック寿司は死に、サバ缶は値上がり+不漁で手が届かなくなった。ロシア産のシャケも死んだ。
魚肉ソーセージもすさまじい勢いで減量+減本数+値上げした。イワシが豊漁とのことだがイワシ缶まではまだ波及していない。
いや、いいのだ。随分前から魚はほぼ存在しないものと意識していたのだ。今更なのだ。悲しみは。増田はいいのだ。
増田の食生活ではなく、ただただ、あのスーパーのパック寿司というものの変質が悲しいのだ。値上がりもせずシュリンクという形で消え去った10種のパック寿司。あれは増田にとって文化だった。スーパーの象徴であったし、庶民の寿司の象徴だった。
これからの令和キッズ、令和の庶民の子にとってのスーパーの寿司、それがあの10種のパック寿司でなくなったことがただただ悲しい…。
事の始まりは私が一浪の後大学一年生として入学し同じゼミのクラスと幾つかの講義でかぶっている彼くんと知り合った
彼くんは大学近県のそこそこ大きい都市出身で土地勘もあったので遠方から引っ越してきた私は色々教えてもらった
私と彼くんの共通の趣味があったのもあり二人で色々行動しているうちにゼミの飲み会などで冷やかされるようになり
満更でもなさそうな彼くんと翌日から付き合うことになった
彼くんにも言っていなかったが私は双極性障害があり大学受験で現役時失敗したのは低下していたのも過分にある
身の丈に合わない大学に入れたのは躁状態だったからで飲み会の連続の日々も付き合い始めの時も躁状態だった
彼くんは童貞だったので色々な事を試したがったしセックスが好きな私もそれに応じた
しかし自分の家庭にちょっとした事件が起きたで突然鬱が訪れてしまった
彼くんは立派な理解ある彼くんになった
ありとあらゆるわがままを聞き試し行為に全て応じ寝込む私にノートと食料品を届けた
私は運転免許を取った彼くんの送迎で精神科にかかり治療をはじめた
結局その鬱が落ち着いたのは就活も見えてきた頃だった
彼くんが大学時代に打ち込んだのは私の看病だったのでESもスカスカだった
躁になって万能感に溢れた私は1を100に膨らませた捏造ESを増産し彼くんのESも代筆した
結果私はそこそこ流行っていた業界に彼くんはなぜか斜陽がわかりきっている業界に入社した
私は業界の流行のせいもあって血気盛んな人と触れ合う機会が増え後の旦那くんと知り合った
旦那くんは学歴も家柄も堅く自己紹介の段階から稼ぎそうだと思っていた
入社四年目に彼くんの斜陽産業が大打撃を受ける自体になり彼くんはスキルも人脈もないまま失職した
彼くんには失職してからのやさぐれた態度やネガティブな言動についていけないと伝えた
その後旦那くんとお付き合いを始め旦那くんの家族とも会ったり順調に進んでいった
結婚式は旦那くん家たっての希望で古風だったものの私は大満足だった
新婚生活中に旦那くんの幼馴染が長く統合失調症を患いその姿を見ても仲良くしていたと知った
旦那くんは仕事のために上京し私は理解と金のある旦那くんと都内一戸建て専業主婦生活を手に入れた
理解ある彼くんがYoutubeチャンネルを持っていると聞いたのはつい先日だった
その道の有名人の動画やTwitterにコメントしては無視されているようだ
見識が狭く知識も足りていないので的外れな事ばかりなのは流し見でわかった
私としか付き合っていないだろうに世の中の男女について話していたのには失笑した
でもセックス三昧だった頃と同じ口癖を聞いて少し悲しくなった
岸田文雄首相とウクライナのゼレンスキー大統領が、24日にオンラインで行われたG7首脳会議の前に、任天堂のゲーム「サーモンラン」を一緒にプレイしました。このゲームは、仲間と協力して敵を倒すアクションゲームで、両首脳はウクライナ侵攻を続けるロシアへの対抗姿勢を示すとともに、友好関係を深めることができました。
岸田首相は、ウクライナへの支援を強化するために食料品や医薬品などを提供することや、キーウ訪問の可能性についても話し合いました。また、ロシアのプーチン大統領もゲームに誘ったが断られたことを明かしました。プーチン大統領は、「サーモンラン」ではなく「テトリス」が好きだと言ったそうです。
G7首脳会議では、新たな対ロシア制裁や第三国のロシア軍事支援停止などの方針が確認されました。岸田首相は、「G7として団結してウクライナへの支持を表明したい」と述べました。
→コスパ悪いことに気づく
→電車で行ったのにキャリーバッグ持って行ってない&ロクに商品の説明見ずに買ってる
冷蔵庫の食材が尽きそうなので駅前の青空市のタイムセールで割引額の高いものを買いまくる
→悪くないけど全品一つずつ買うならもっと好きなものを自由に買ったり割引率高いやついっぱい買ったら良かったのに(一人暮らしで限界あるからあんま買えないのも分かるが)
→1ドリンク制とテーブルチャージを後出しで云われて肉先に頼んでるからキャンセルできないといわれ死亡。一週間経ってもまだ悔いてる。肉はしょっぱいけど美味しい。頼む酒はホッピーとかで良かったかも。
→食料品を買うはずが値上げすでにされてるのを知りテープとワックスとコンディショナーを買う。テープとワックスはまだ許せるがコンディショナーを一番高いの(1700円)買って考えるのをやめたのが許せない。しかもコンディショナー切らしてると思ったらまだあった。同じ値段で2リットルくらい買えるだろコンディショナー。