はてなキーワード: 介護士とは
「国家や社会の存続ガー」とか「お前の年金や介護ガー」とか、いちいち押し付けがましい輩だ
だってそんな利他的な動機でガキこさえる女なんか今時いねえわけじゃん
まして介護士なんかにならなくて済むように、あるいはこんな国にしがみついてたらそのうち破滅だからって、せっせとガキに教育仕込んでるわけでしょ
それで言ったら無償化やら補助やらで文系博士がいくら増えたって意味ないし、とっとと社会に出てもらった方がいいぐらいだ
俺は医師会や旅行業界みたいに、子持ちが子持ちのエゴ丸出しでいったい何が悪いんだとは思うが
「 女性はITなどの理系能力が得意な人より 感性と共感の能力を必要とする仕事を得意とする人が多い 」
言及記事主だけどこの部分だけは現代の教育界では明確に否定の方向に向かってるのよ。OECDがやってる国際学力調査TIMSSだと日本の男女は理系科目の成績差はあれど今の現状ほど女性が理系職につかないほど明確に成績差はないんだわ。で、昨今の理系職労働力不足の対応としていわゆる「リケジョ」の開拓に高等教育界は必至なわけだ。
https://gendai.media/articles/-/88240?page=3
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r01/zentai/html/honpen/b1_s00_02.html
まあ現代は経団連の会長が「夫婦別姓にして!」って要望するぐらい経営側は日本の優秀な中等教育の成果を活かして女性にも労働市場に出て欲しいけど、受け手の一般社会は元記事のようなコンサバな結婚観とか女性は理系が向いてないみたいな考え方がメインなんで上手くいってない印象かな?後ツリーにある「皆が稼げる職業にはつけない」はその通りだけどなぜそこに男女差がつくのかは「女性に働く気がない」だけで説明つくかな。そもそも一般社会が「女性は働かない」「みんなハムスター」って最初から仕事で評価する気がないわけで、そこから仕事の評価を得るのは大変よ。まあほとんどの一般的な能力の女性はハムスター化えらぶかもね。例外は「看護師」「介護士」みたいな伝統的に女性の職業として確立された分野か、わいのいるITみたいな新興産業完全実力主義な業界でコード一発書けば男女関係なく評価えれる業界に仕事する気ある女性は流れるだろうなあ。評価えるの楽だもん。私は「ハムスター」って思われてる上司に自分の業務成果アピールするのはIT以外では自信ないわw。まあこれは卵が先か鶏が先かみたいな話だけど一般的な能力の女性が「女も家族の将来に責任を持つ、女も稼いで家族を養う、自分の機嫌は自分でとる」はしばらく先かなと思った次第。一般的な男女とも望んでないのよ。
例の婚活レポ見たけど最終的に結婚に至った男性も人によっては「介護士?小説書いてる? キモっ無理無理~~」
作者ご本人も人によっては「イラストレーター? その年で? こういう夢みがちな人はちょっと・・・」だろうから
やっぱ相性だなと思いました
賃金は人の役に立ってる度合いとか、大変さによって決まるものではない。
その職を得るのがどれだけ大変かによって決まる。
仕事できなさすぎてパワハラ食らって鬱病患って1年休んでた爺さん公務員が図書館や市民課に異動させられて毎日ぼーっとしてるだけなのに年収800万以上もらえてるのは、地方公務員というなりたくてもなかなかなれたい仕事に就くことができたから。
眼科でコンタクトレンズバイトばっかりやってる医者の年収が1000万超えてるのは、医学部に入るのがそもそもめちゃくちゃ大変で、そこから最低6年の時間を奪われ、医師国家試験にも受からないとなれない仕事だから。
かたや、保育士や介護士は望めば誰でもなれる。バカでも軽く受かる資格があればいい。だから年収が低い。専門卒やFラン卒がボリュームゾーンでしょ?
ご苦労様。
自治体同士は、災害時の支援協定などが地域防災計画に明記されていることが多いから
増田みたいに派遣されたり、という活動は、特に四の五の考えるまでもなく、自動的に動き始めることができる。
一方、社協はどうなんだろうね。社協のネットワークはやっぱり期待されるべきだろうかね。
集団移転をすべきなのか、
なんとかならないのだろうか。
本来は、こういう起こるべき事態を想定して、地域防災計画に事前に災害対応と復旧のシナリオが描かれてないといけない。
その場で答えを考えようとする余裕は、発災直後の現場のリーダーや行政職員にはないと考えるべきで、
その前提で、いざというときに自動的に決まったことを運用できるよう、ありとあらゆる判断基準を決めておくことが本当は計画で一番大切だった。
いざというときの現場の判断にかける負担を少しでも減らすのが計画というものの本質だから。
まるで老々介護だし、このままで持つとは思えない。
事前にこんなことがわかっていれば、何をやったかを考えると、、
例えば、保健師や介護士の派遣とか、そのテーマで考えてみても、
孤立した地域に踏み止まっている老健施設や老人福祉施設に一人や二人派遣してもほとんど力にならず、意味ないってわかる。チームを派遣する余裕もない。
支援によってベーシックニーズを満たすという優先目標が達成できるかどうかを先に考えるべき。
神戸の行政の方々が、能登の現実をみて、都市型の集中管理型が通用しないといって、くじけてしまった、というのはわかるんだけど、
でもだからといって「送る」「派遣」型の支援は無理ありすぎじゃないか?
やっぱり山古志式の全村民避難や三宅島全島民避難のやり方が安全だし、時間や人のリソースをきちんと生かせる。
一般ボラの立場からみても、支援したい人が陸の孤島と化している能登の奥のほうにいけない、という状況を打開するには、支援されるべき人を連れてくるほうがまし。
地域コミュニティごと、施設ごと、まるごとその単位で連れてくる、ということを最初から地域防災計画に予定しておいて、
平素から地域住民とコミュニケーションをとっておく、ということになるんだろう。
ただ、かつての山古志式のリーダーシップは、平成の大合併前の小さな自治体で首長が地域住民と顔の見える関係を築いていたからできた、ということも改めて思う。
だからこそ国は市という今となっては大きくなりすぎた行政単位でなく、地区防災計画という形での防災も平行して進めてきたところだったが、北陸では果たしてどうだったか。
*被災者に寄り添う支援であるべきだ、という意見がトラバであった。ただ、その支援によってベーシックヒューマンニーズが満たされないなら、そうあるべきだという理想にうっとりしたいだけの単なる自己満足じゃないかい?
→嫌味な言い方だったかもしれないが、そうも言いたくなる。
https://anond.hatelabo.jp/20240121103729
eternal_reflection なんと言うか国家公務員的な意見だなぁって。計画に集団避難を記載して平時にコンセンサスを得るってのもかなり理想論だと思う。結局そこで集落と調整する事をやらない人の意見だよね。人間相手だから難しいんだよ…
というブコメもあった。そうだね。頭でっかちだとは思ってるよ。
高齢者の2次避難は実際のところ、実は解決のしやすいタスクの部類。もっと難しいのは生計をもつ世代。生活者。地域の人間関係が社会的にも経済的にもより強い世代。
高齢者は生計の切断を無視してでも対処しうるけれども、働く世代はそうはいかない。例えば、地元の取引先があるのに、それを差し置いて自分だけ避難できない、といって車中避難を続ける被災者の言葉を紹介するニュースを目にしたとする。イメージとしては漁港の箱詰工場のひとだとか、除雪作業員でもなんでもいいんだけど、自分が逃げたら他の関係する取引先に影響を及ぼしたり、地域の状況がより悪化したりするひとってたくさんいるよね。
昔、近所の木造ボロアパートに一見すると普通にしか見えない、身なりの綺麗なおばあさんが一人で住んでいた。
ただ、そのおばあさんは精神疾患か認知症のどちらかがあるらしく、定期的に発狂したような叫び声をあげていた。
介護士か看護師かが定期的に訪問して暮らしているようだったが、ある日、室内で孤独死したらしく救急車で運ばれていった。
その雄叫び発狂おばあさんは施設に入ることを拒んでいたらしい。
高齢になって施設に入らず一人で生きることのリスクを、あのおばあさんは教えてくれた。
X見てると結構発達障害とか自閉症の子供持ってる親が「思い描いてた人生ではなくて悲しい、健常児の親子を見るとつらい。我が子も健常児だったらこうじゃなかったかもしれないのに」みたいなことをよく言ってて、ああ、きょうだい児じゃないとそういうのを未来の家庭の像として持てるんだ、世界違うな〜みたいなことを考えてしまう
それが悪いのではなく、自分の場合そう思うのがたまたまその人たちよりも20年くらい早かっただけなんだよね。あー、普通の家なら、花火大会もお祭りもいけたんだろうな。ディズニーも家族で楽しかったんだろうな。でも自分にはこんな弟がいるから何もできないんだなってずっと思ってた。
子どもの頃から今までずっと弟って本当にとにかくはやく死んでほしくて、弟がいてよかったなとか、同じ障害者に理解があるとか全然ない。障害自体の特性などは理解してるけど、知ってても手助けしたいとかないし、ごく当たり前に優生思想になった。迷惑すぎるから。
こんなん断種しとけと思うし、当たり前に自分自身もその遺伝子があるわけで、弟以前に自分が死にたい。結婚とかも全然したくなく、親はのんきに子供は可愛いとか言うけど、自分は子どもが生まれたらどうあれ即日養子に出して血は残したんだから勘弁しろよという感じ。
アレになるかもしれないタマゴを恐怖に苛まれながら育てなければならない苦痛しか、子どもや子育てに抱けないんだよ。かわいい子どもってよその家にしか存在しないから、自分のウチにいる子どもというもの自体が非常に気持ち悪く、いつ異常が出るのかと疑心暗鬼で狂いそうになるのが容易に想定できる。
でも、そういう現実を知ってるからこそ子どものない人生って選択肢が早期からあったので、その「障害児の親」ルートを回避できるというのは利点と言えば利点なのかな。
産んでしまうと取り返しがつかないし、その子どもが大人になったところで、まともな仕事なんか回ってこないんだよね。弟は今も倉庫作業員みたいな仕事で、職場ではおそらく周りから馬鹿にされていてそのことで親に当たるようになった。弟の同級生で早くから療育を受けていた自閉スペクトラム症の子は介護士になり、介護施設で掃除員をしてる。人前に出せないから。当然周りの介護士からは疎外されており、やはり親やものに当たる、と。
それでも、それをずっと見ていれば、自分とは違って子どもがほしいと思う人であっても、心構えができるんだよね。「健常児子育てでない現実」を見てるから、早いうちに諦めもつく。
いわゆる「絵本の中のあたたかい家庭」は二度と来ないなというのを理解した状態がスタート地点なわけで、かえって成長などをより前向きにとらえられるかもしれないけど、健常児家庭しか知らない人からしたら本当に想像との落差が大きいんだと思う。
初めから知っていて理想が低かったり全てを諦めるのと、何も知らず幸せな未来を思っていたらいきなり終わりがないトンネルにぶち込まれるの、どっちがいいんだろうな。もちろん、1番は何も知らず理想のまま子育てができることではあるんだけど。