はてなキーワード: 公民権運動とは
日本には大学教授や研究者を適切に評価するシステムが無いため、多くの人は下記のタイプと接する機会が多かった😭
あと、日本の平均賃金から見たら、大学教授や研究者の賃金は、べつに低いとは言えない。むしろ上位を占めている。
職業 | 年齢 | おおよそ の月収 | ボーナス 等 | おおよそ の年収 | 労働者数 |
---|---|---|---|---|---|
航空機操縦士 | 43.1 | 138 | 123 | 1,779 | 4,970 |
医師★ | 41.6 | 97 | 63 | 1,227 | 77,920 |
(男女合計)管理的職業従事者 | 50.2 | 47 | 522 | 1,086 | 6,720 |
大学教授(高専含む)★ | 58.0 | 66 | 275 | 1,067 | 59,530 |
法務従事者 | 49.9 | 68 | 176 | 992 | 21,150 |
大学准教授(高専含む)★ | 48.9 | 55 | 207 | 867 | 39,880 |
歯科医師★ | 40.5 | 60 | 42 | 762 | 15,090 |
その他の経営・金融・保険専門職業従事者 | 39.3 | 46 | 156 | 708 | 16,000 |
大学講師・助教(高専含む)★ | 41.6 | 49 | 108 | 696 | 56,890 |
高等学校教員 | 43.1 | 43 | 163 | 679 | 69,200 |
研究者★ | 39.8 | 42 | 156 | 660 | 118,450 |
輸送用機器技術者 | 40.1 | 41 | 159 | 651 | 191,480 |
小・中学校教員 | 40.3 | 42 | 146 | 650 | 31,200 |
システムコンサルタント・設計者 | 40.4 | 46 | 97 | 649 | 78,730 |
電気・電子・電気通信技術者 (通信ネットワーク技術者を除く) | 41.8 | 41 | 154 | 646 | 285,830 |
そのため、賃金を上げろと言われても、日々の生活や老後のことを考える我々的には、『いや、十分な額でしょ。ナメとんのか?』となってしまい、
ほとんどの人は、大学教授や研究者の賃金を上げることに賛成しなかった
(つか、上記の状況を見続けて、おけおけ!上げとこ上げとこ👌なんて感情にはまずならんでしょ😒)
高学報酬による競争で全体の質を担保するのではなく、個人の情熱と能力と使命感と倫理観だけに全てお任せしてしまった結果、もう本当にどうしようもないことになった
まずはこれ
"民" とか時代劇の殿様かな?っていうスゲー文章だが、2024年の東京大学准教授の投稿である(成りすましでなければ)
アサシン・クリード・シャドウズの問題、いつか鎮静化すれば良いと思っていたが、民が暴徒化しており、お気楽なパブリックヒストリアンたちは口を噤んでいるようなので、Xなるものを稼働させることにした。時々呟く。
そして、これもまさかの2024年の日本の大学教授(わざわざプロフィールで所属と身分を明かしている)の投稿である、うっへぇ~ありがてぇ~~~
PSA: It's not only "white racists" who are angry about the new Assassin's Creed game. A lot of Japanese internet users are angry too. Why?
Check this image for some examples of Japanese netizens expressing their views about Assassin's Creed Shadows.
(お知らせ:新しいアサシン・クリードゲームに怒っているのは「白人の人種差別主義者」だけではありません。多くの日本のインターネットユーザーも怒っています。なぜでしょうか?
アサシン・クリード・シャドウズについて日本のネットユーザーが意見を表明している例をこの画像で確認してください。)
↓
いわゆる "坂上田村麻呂黒人説" や "African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan" (←実話・真実の物語とされている) などは、
それに便乗する白人至上主義者によるアジア人の透明化と文化の盗用(ホワイトウォッシュしながらアフロセントリズムを押つけ、アジア人を透明化する糞ムーブ)、
上記に類するアクション(『日本人は怒ってない』とSNSでお気持ちを勝手に代弁するありがてぇ白人様たち)に対して懸念を持っています
これは、司馬遼太郎氏やカジュアルな歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇のフィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います。
"坂上田村麻呂黒人説" の言い出しっぺは、今から100年以上前、カナダの人類学者、Alexander Francis Chamberlain 氏です。
米国の非営利団体 Internet Archive で原著を確認できると思うんですけど、
氏は『The Contribution of the Negro to Human Civilization』(1911年)という論文の中でこう書いてます。
484 ALEXANDER FRANCIS CHAMBERLAIN
[...]
And we can cross the whole of Asia and find the Negro again, for, when, in far-off Japan, the ancestors of the modern Japanese were making their way northward against the Ainu, the aborigines of that country.
(そして、我々はアジア全土を横断して再び黒人を見出すことができる。遠く離れた日本では、現代日本人の祖先がその国の先住民であるアイヌに対して北上を進めていた時に。)
THE CONTRIBUTION OF THE NEGRO 485
the leader of their armies was Sakanouye Tamuramaro,
(彼らの軍隊の指導者は 坂上田村麻呂 であり、有名な将軍であり、黒人であった。)
Full text of "The Contribution of the Negro to Human Civilization"
まぁこんなこんな感じで唐突に 『坂上田村麻呂 は黒人である』 と論文の中で言い出してるんですね。
そして、この論文の記述を 全米黒人地位向上協会(NAACP) の設立者の一人である W・E・B・デュボイス氏 が、『The Negro』(1915年)にもしたため、
As rulers and warriors we remember such Negroes as Queen Nefertari and Amenhotep III among many others in Egypt; Candace and Ergamenes in Ethiopia; Mansa Musa, Sonni Ali, and Mohammed Askai in the Sudan; Diaz in Brazil, Toussaint L'Ouverture in Hayti, Hannivalov in Russia, Sakanouye Tamuramaro in Japan, the elder Dumas in France, Cazembe and Chaka among the Bantu, and Menelik, of Abyssinia; the numberless black leaders of India, and the mulatto strain of Alexander Hamilton.
(統治者や戦士としては、エジプトの多くの中でもネフェルタリ女王とアメンホテプ3世、エチオピアのカンダケとエルガメネス、スーダンのマンサ・ムーサ、ソンニ・アリ、モハメド・アスカイ、ブラジルのディアス、ハイチのトゥサン・ルヴェルチュール、ロシアのハンニバロフ、日本の坂上田村麻呂、フランスの父デュマ、バントゥ族のカゼンベとチャカ、アビシニアのメネリク2世などの黒人を思い出します。また、インドの無数の黒人指導者たち、そしてアレクサンダー・ハミルトンの混血の血筋も挙げられます。)
The Negro
さらに後続の米国黒人公民権運動で活用されたり、歴史フィクションのアイデア元になった歴史があります。
そのため、一部の児童向けサイトや教師向けサイトでYASUKEと共に今も見掛けることが稀にあります。
For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood
日本人ならそんなことわざは無いこと知っていると思うんですけど、ググると色んなところで見掛けます
Why do Afro-centrists claim that the first samurai warrior was a black African? | Quora
https://www.quora.com/Why-do-Afro-centrists-claim-that-the-first-samurai-warrior-was-a-black-African
弥助(YASUKE)は、取得難易度が高い日本語を解する多言語話者の黒人の方で、しかも剛力で恵体、世が世なら・・・と言うとても優秀な方だったみたいです。
弥助はえらい人の覚えがめでたく、織田信長は彼を大変気に入って、連れて歩いていたようです。彼は道具持ちを任され、わざわざそのことが記録にも残っています。
頭が良くて体格もいいとかカッコイイし、本来であれば正当にその実力が報われて欲しかったし、彼がヒーローして描かれるフィクションが作られるのは共感できます。
というかフィクションであれば、もっとアフロサムライやキンバリーみたいな肌の色が濃い侍や忍者が増えて欲しいですね。
(最近のゲームでは Rise of the Ronin みたいに、主人公の人種を自由に設定できるオプションがデフォだけど)
ただ、史実では、さまざまなことが重なって、弥助は一般的に武士(侍)ではありませんでした。そもそも、有力武将や宣教師などでは無かった為、ほとんど記録には残っていません。
わずかに残される記録(ネットでも確認できる)からわかることは、下記くらいです。
『ゆうて、一部の歴史オタク が 弥助は武士(侍)って言ってるだけでしょ』『時代劇でもよくフィクション入るじゃん』って思うでしょ?🤔
それが、どういうわけか、YASUKE の 英語版の Wikipedia 見ると、日本のアカデミアのお墨付き貰ってるのとか、参考文献に引っ張ってきてるのよね。それも京都大学とかの
ZINBUN は査読付き学術誌と京大で紹介されてるんですけど、その中でこんな風に書かれてます。
Perhaps more extraordinary is that Yasuke’s story does not end here. Retained as an attendant by Nobunaga, he later accompanied him into battle against the rival lord Akechi Mitsuhide (1528? - 1582) who upon defeating Nobunaga at Horyuji, spared the African and subsequently released him.
(さらに驚くべきことに、弥助の話はここで終わりません。信長の従者として残された彼は、後に信長と共に、ライバルの大名(rival lord)である明智光秀(1528? -1582)との戦いに参加しました。光秀は法隆寺で信長を破った際、このアフリカ人の命を助け、その後解放しました。)
Excluded Presence : Shoguns, Minstrels, Bodyguards, and Japan's Encounters with the Black Other
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/71097/1/40_15.pdf
Horyuji(法隆寺)かぁ。あと、さすが魔王ノッブ、1万を超えたとも言われる大軍勢を前に、自刃することなく弥助と共に立ち向かっちゃうぜ。諦めたらそこで試合終了だもんな(白目)
更にこれに加えて、日大の教授が、いろんなところで、弥助は日本で最も有名な外国生まれの武士(侍)となった、
弥助は本能寺にいて伝令の役割を担った、弥助の最後の使命は首を守ることだったとか、いろいろ言って回ってますからね
African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan |CNN
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
そんなわけで、YASUKEの件も、司馬遼太郎氏やカジュアルな歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇のフィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います
文字数制限に引っ掛かったから続く → 日本のアカデミアは本当にどうしようもないところにまで来ている・2
これは、日本でいえば一部の人が司馬遼太郎の作品を事実として信じているのと似たようなもんなんだけど、
黒人公民権運動で利用されてきたっていう歴史からか、なんかちょっとノリが違うのよね
『白人によって歴史が消された』『日本の恥の文化が存在を消したのかもしれない』ってガチ目になる人もいるわけよ
そういう人に対して無礼なことや傷付けるようなことは言わないであげて欲しいね
10人いたら1人は知ってるってレベルの浸透ではないけれど、ブラックサムライはアメリカ黒人の公民権運動に利用されていたという背景がある
だから、一部の児童向けの本やサイトや教師のサイトや本の下記が書かれてたりすることがある
For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood
ブラックサムライは、突然、人類学者のアレクサンダー・フランシス・チェンバレンが、
『The Contribution of the Negro to Human Civilization』(1911年)の中で、
アイヌと戦った軍隊の指導者の坂上田村麻呂は黒人であったと言い出したこと
そして、20世紀半ばのアメリカでの公民権運動においても、黒人の歴史的な偉業を強調するために、
この『坂上田村麻呂黒人説』が利用されたことが発端となっている模様
もっと詳細なのあったけど、どっかいったのでwiki貼っておく
増田でなんて検索掛けたらいいかわからんけど、数年前誰かが書いてたからそっちのが詳しいかもね
日本の学者や研究者を名乗る人がYASUKE肯定した結果、それを根拠にして、日本の人種差別主義者ガーとか英語コミュニティでコメント付いてる例
However, a recent, widely shared post from Japanese historian Yu Hirayama argues that Yasuke was indeed granted samurai status by Nobunaga. Hirayama cites Yasuke’s stipend, housing, and sword afforded him by Nobunaga, but acknowledges that Nobunaga’s enemies did not view Yasuke as a samurai.
(しかし、日本の歴史家である平山優氏による最近の広く共有された投稿では、弥助が実際に信長から侍の地位を与えられたと主張しています。平山氏は、信長が弥助に与えた俸禄、住居、そして刀を根拠として挙げていますが、信長の敵対者たちが弥助を侍とみなしていなかったことも認めています)
↓ 対するコメント
racist in Japan and racist in the rest of the world get to work hand-in-hand now
(日本のレイシストと世界のレイシストは、今、手を取り合って働く)
https://www.polygon.com/24204308/assassins-creed-shadows-yasuke-samurai-ubisoft-controversy
While there’s some question as to his exact role, Yasuke was a real person and, as a Japanese scholar has recently pointed out, there’s no doubt that he was a samurai, which is a social status that can encompass a variety of duties.
(弥助は実在の人物であり、日本のある学者が最近指摘したように、彼が武士であったことは間違いない。)
https://metro.co.uk/2024/07/23/ubisoft-apologies-assassins-creed-shadows-doesnt-say-21281545/
この炎上の根本原因は、アジア人蔑視、アジア人の透明化、そして日本文化の軽視だろ
実際のところ、『アフロサムライ』や『キンバリー』、Netflixの『弥助』、『Rise of the Ronin』のような時代劇ゲーで主人公を黒人にできるオプションなどは、
だから、この問題を『主人公が黒人であること』だと逆張りでミスリードするのはやめろ
つか、増田はいつもの逆張りでも、ガチで『サムライの中には黒人もいたはずだ』『白人によって歴史が消された』『もしかしたら日本にもいたかもしれない』と
信じてる人たちもいるわけ。それは長年にわたり、一部の人々の間で下記の言葉が信じられて来たからだ
For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood
この言葉や歴史観は、子ども向けのウェブサイトや書籍、教師向けの資料にも掲載されてたりする
これは、一部の人が司馬遼太郎の作品を事実として信じているのと似た現象なんだけど、アメリカの黒人公民権運動で利用されてきたっていう歴史がある
そのため、本心で下記みたいになる人もいる
Where Are The Black People in 'Shogun'?
このような人々のさらなる誤解をさらに深めるような無意味な逆張りはやめろ
anond:20240724130753 anond:20240724183209 anond:20240724193537 anond:20240724215021 anond:20240724215021
anond:20240724211603 anond:20240726211114
追記があったので。キミがnoteで逆張りをおやんなさいanond:20240726185220
143条以下を見ると様式については制限があるけど、内容については制限がない
すると公職選挙法は候補者間の公正なルールと方法による弊害(勝手に道路とか乱立させて貼ったりするとか)を防止するための規定なんじゃないかな
内容について規制しないのは政策の主張が選挙の根幹であるし、これを制限すべきでないって考慮もあるのかも
その辺は全体の構造や立法過程、事例判断とか観てないからなんともいえないけど
ただその場合はやっぱり選挙ポスターについては内容が大事で規制すべきでないって元の話と整合的な気がする
その上で猥褻物陳列罪は内容についての規制だけど選挙ポスターの内容とは無関係で、いわゆる間接的付随的制約として及びうるとは思う
ただその場合も選挙ポスターだと猥褻な政策を訴える候補者はけしからんだとかの可能性もあるし、表現の価値も高いと考えると合憲化のハードルは低くないと思う
あと確かに地方の選挙で碌でもない手法のようにも思えるけど、性道徳による規制っていう刑法でも疑問視される行為についてカウンターとして過激な表現によらなきゃいけないのも事実なんじゃないかな
公民権運動では過激な表現が用いられてて、それと同視するわけではないけど、多数派が少数派の表現について見るときには簡単に考えずに規制を行う側は慎重さが求められるんじゃないかな
ぶっちゃけコロンブスがそんな批判されるような奴だなんて知らんかったわ。気になったからChatGPTに聞いた。
評価が変わった偉人や英雄の例を以下に挙げ、それぞれの以前の評価、現在の評価、そして評価が変わった原因を説明します。
クリストファー・コロンブス (Christopher Columbus)
- 以前の評価: アメリカ大陸の「発見者」として賞賛され、探検家や冒険家の象徴。
- 現在の評価: 植民地化と先住民に対する残虐行為の象徴として批判されることが多い。
- 評価が変わった原因: 植民地時代の負の歴史(先住民の虐殺、奴隷化、搾取)に対する認識の変化と、それに基づく再評価。
トーマス・ジェファーソン (Thomas Jefferson)
- 以前の評価: アメリカ独立宣言の起草者、第3代大統領として民主主義の象徴。
- 現在の評価: 奴隷所有者としての側面や、個人的な矛盾が強調されるようになった。
- 評価が変わった原因: 人種問題や奴隷制度に対する現代の感覚が変わり、歴史的人物の持つ複雑な側面が再評価された。
ウィンストン・チャーチル (Winston Churchill)
- 以前の評価: 第二次世界大戦におけるイギリスの英雄、ナチス・ドイツに対する勝利に貢献した指導者。
- 現在の評価: イギリス帝国主義の象徴として、植民地政策や人種差別的発言が批判されることが増えた。
- 評価が変わった原因: 帝国主義の批判と、チャーチルの発言や政策の再検証による評価の見直し。
マハトマ・ガンディー (Mahatma Gandhi)
- 以前の評価: インド独立運動の父、非暴力主義の象徴。
- 現在の評価: その思想や行動に対する複雑な視点が増え、一部の人々からは人種差別的な発言や行動が批判される。
- 評価が変わった原因: ガンディーの南アフリカ滞在時の発言や、女性やカースト制度に対する態度が再評価されたため。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (Martin Luther King Jr.)
- 以前の評価: アメリカの公民権運動の象徴、非暴力抵抗の指導者。
- 現在の評価: 公民権運動の功績は評価され続けているが、個人としての問題や欠点もより注目されるようになった。
- 評価が変わった原因: 公開されたFBIの調査資料や、個人のスキャンダルに関する報道。
ナポレオン・ボナパルト (Napoleon Bonaparte)
日本人だとどんな例があるんや?
もちろん、日本人の例もあります。以下に、評価が変わった日本人の偉人や英雄の例を挙げます。
豊臣秀吉 (Toyotomi Hideyoshi)
- 以前の評価: 戦国時代の英雄、農民から天下人に成り上がった出世の象徴として評価された。
- 現在の評価: 朝鮮出兵や高圧的な統治政策、晩年の暴政などが強調されるようになった。
- 評価が変わった原因: 近代の歴史研究の進展や、戦国時代における倫理観の変化。
織田信長 (Oda Nobunaga)
- 以前の評価: 戦国時代の革命児、革新的な統治者、天下統一の基盤を築いた英雄。
- 現在の評価: 過激な政策や宗教弾圧、暴力的な手法が批判されることが増えた。
- 評価が変わった原因: 史料の再評価や、信長の行動の道徳的側面への注目の高まり。
昭和天皇 (Emperor Hirohito)
- 以前の評価: 戦後日本の復興と経済成長を象徴する象徴天皇、戦時中の役割は曖昧にされた。
- 現在の評価: 第二次世界大戦における戦争責任やその役割に関する議論が増えた。
- 評価が変わった原因: 戦後の歴史研究の進展や、公文書の公開、戦争責任に関する社会的な議論の深化。
徳川家康 (Tokugawa Ieyasu)
- 以前の評価: 江戸幕府を開いた名君、平和と安定をもたらした統治者。
- 現在の評価: 統治初期の抑圧的な政策や、反対勢力への冷酷な対応が強調されるようになった。
- 評価が変わった原因: 歴史研究の深化と、彼の政治手法に対する現代の視点からの再評価。
福沢諭吉 (Fukuzawa Yukichi)
- 以前の評価: 明治時代の啓蒙思想家、「学問のすすめ」の著者、日本の近代化に貢献した教育者。
- 現在の評価: その思想の一部が欧米中心主義や差別的であるとして批判されることがある。
- 評価が変わった原因: 近代化に伴う欧米化の影響や、その思想の背景にある差別意識の再評価。
山本五十六 (Isoroku Yamamoto)
時々「世界ではこんなに「ポリコレ」疲れが起きてます!もうポリコレはお終いです」みたいなのがバズっては一切何ら社会に影響も与えることなく消えてくけど
無理さの内訳を分けるとこれも色々あるけどさ
ドイツやフランスの極右ですら、「LGBTの権利」みたいなのを前面に押し出してイスラム教に対抗しているし
アメリカの保守派ですら、公民権運動の全否定みたいなことはやらないし黒人票とかを意識しているわけで
そして日本に住んでる我々ですら、十数年前のテレビ番組をYoutubeで見て「うわーこれ今じゃ放送できないね笑」みたいな態度を取る訳でしょ
その「笑」だよ
テレビ番組じゃなくても何でもいいよ、喫煙描写でもパワハラでも何でも
十年前の出来事を今思い返しただけでちょっと引くみたいな態度を持ってる時点でもうポリコレの影響受けまくってるじゃん
単に「昔はよかった」なのか、文化・信教に基づくものなのか、明確にレイシズムやエスノセントリズムに基づくものなのか
アンチポリコレ、アンチフェミ、アンチ人権を唱える人たちですら実際には配慮の土台に立っているということは意識しないといけないよな
その上でどうしたいのか
ガタガタいう女を張ったおしたいのか
映画「ドリーム」でも、自らの立場で人種差別・性差別と闘いながらも、「公民権運動」とは距離を置く黒人女性達の姿が描かれている。
政治活動というのはいつだって功罪ともにあるもので、そこに身を置くなら、「嫌われる勇気」を持たないことには立ち行かなくなるんじゃないだろうか。
政治活動って要するに「広告」なんだよね。そこに興味を持たない人々に対して、興味を持ってもらうよう誘導するのが目的なんだから。
https://anond.hatelabo.jp/20200311165317
~中略~
だからこそ代理店の制作者は、1ミリでも多く、見る者の目を楽しませる努力をする。
広告の枠を超えて世の中全般を動かせるような言葉を発信できないか苦悶する。
さらにこう続く。
それは「数値化」だ。
~中略~
すると何が起こるか。
~中略~
「『心が女』なら女湯入れる」は誤り トランスジェンダー当事者訴え:朝日新聞デジタル
つまり『調整』して浴場の施設管理者に「ペニス付いてる女性も女湯に入っていいよ」と言わせれば全く合法的にペニス付きトランス女性が女湯に入れるんだ。
これ凄いよ。「男体持ちが女湯に入るのは違法」と法律でキッチリ決められてると勘違いしてた。
まだ一弁護士の見解で、実際は訴訟が起きて判決が出るまで分からないのだろうけど。
「番頭さんにペニス付き女性だと告げたら女湯への入浴を拒否された。明らかに『LGBT理解増進法』に違反する差別だ!」と騒いで吊るし上げれば、裁判するまでもなく施設管理者が折れて「ペニス付きでも女湯に入っていいよ」と『調整』してくれて堂々と入浴できる可能性はあると。
過去いろいろな座り込み運動と呼ばれる行為が行われていたが必ずしも24時間座っていたわけではなく、24時間座ることが定義ではない
(3011日もの長い時間をアピールするなら、日中くらいはいてほしいのは分からんでもない)
公民権運動としての座り込みのもっとも初期の一つが1939年(所和14年)アメリカアレクサンドリア図書館の座り込みは
一般の単語のため他の多くの一般的な用語と同様に厳格な定義は存在せず多くの定義があるが
おおよそ纏めると、伝統とは、過去に行われた習慣や物等を指し、ある世代から次の世代に教えられることによって、現在も相続されているソレ
いずれも何年以上立たなければ伝統ではない という定義はなない
(世代間で継承されたそれを伝統と呼ぶんだから、親子2代で伝統たりうるんだけれど、3代くらいは続いてほしい)
(世代間の交代が1年毎に行われる学校とかだと数年で伝統になったりもするs)
伝統に訴える論証
「それは〇〇の定義により伝統ではないから~」という伝統でない事でもって否定するのではなく
伝統であることはその主張の正しさをなんら保障しない。伝統ではなく明確なエビデンスをもってその主張の正しさを証明せよ
https://ja.asayamind.com/squanto-true-story-native-american-behind-first-thanksgiving
(和解後)
両者は彼らの関係について批判を受けた。エックフォードはナイーブまたは寛容すぎると非難され、ブライアンは偽の日和見主義者であると非難されました。
彼女は特に、何年にもわたって人種差別の顔であった後、彼女が和解の顔であることに憤慨した白人から批判を受けました。
エックフォードは、ブライアンが本来あるべきほど自分の過去を所有していないと信じており、彼女があまりにも注目を集めているのではないかと疑い始めました。
何も和解できてなかった。
友情は育まれなかったし、許すことも無ければ許されることも無かった。
沖縄の基地問題がまったく好転しないのはまさに本土の人たちの寄り添わなさに由来してるのに、まるで現地の反対派に問題があるから寄り添わなないとか言うの因果関係を逆転させて自らの立ち位置を免責して一方的に断罪する傲慢さを感じる。
まあ、沖縄県民を二級国民扱いしてあからさまに差別するのはまずいと分かっているんだろうが、自分たちが行動しない原因を沖縄県民や基地反対派に求めてる点では似たようなものなので、自分が差別主義者であると認めないような冷笑家仕草だから余計たちが悪い卑怯者だよね
公民権運動の際「いやー、黒人差別はどうかと思うけど、あんな過激な行動では支持したくなくなっちゃうなー」とか抜かしてるのと一緒だよね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221007104350
ここのブコメ、ここまで来てまだ増田を『基地賛成派』と決めつけたり『冷笑』と言っているブクマカが多くて嫌になる。
俺様の心に響かなければ0点とし、気に入らない弱者を身内で笑い合うために問題解決を邪魔する冷笑系。トランプ支持者に寄り添えと言ってきた者達は、隗より始めようとは決してしない。彼らはいつもダブスタ。
この増田とそれに賛同する人って、要は沖縄に基地を作るのは揺るぎない絶対の正義であって、反対するのは基地外のパフォーマンスって思ってるわけでしょ?だから「24時間365日の座り込み以外認めない」ってこと?
例えば公民権運動で人種隔離をやめさせるためのレストランでの座り込みを閉店時もやっていたか?って話。ひろゆきやこの増田には「なぜ」座り込みをやっているのかが理解できてないからお門違いの議論しかできない
反対派の目的を批判してるんじゃなくて、せっかくの努力を自分たちからドブに捨てていることに気が付いていない愚かさを悔やんでるんだろ。
ここまではっきり問題点指摘して、野次馬を味方につけることを意識して受け流せって対応方法も示して、どう見ても反対派に好意的じゃないか。
本来どうでもいいはずのただのツッコミ(ひろゆきもそれを大問題だとしてはいない)に対して、受け流せず批判を全て敵視して、
捨てるべき戦場を主戦場に自分たちからしてしまった。せっかくの努力が無党派層には逆効果になってしまう。もったいない。もう少し賢くやれよ。
これが元増田の主張に思えるが。無関係な他人としては最大限に好意的だろ。
この問題に関心もなく当事者意識もない奴が偉そうにアドバイスして何様なんだろう…基地賛成ならなおさら沖縄の負担の問題に関心持つべきだろうに。てかそもそも座り込み=24時間ずっといるべきなの?違くない?
のような努力してるのだから同じ努力をしない野次馬に発言権などない、みたいな考え方。
精神論的な努力を尊び、それへの批判を許さないのは戦争末期の旧軍と同じメンタリティで、それをこそアップデートすべきだと思うぞ。
それだけで野次馬(支持なし層)を敵に回すし、努力するならそれが効率的か・目的達成に有効な努力かを常に問い直すのが令和流のはず。
少なくとも若手の社会人ならそういう努力の仕方を叩きこまれてるはずだから、昭和流の精神論努力批判を許さない集団が支持されることはあまりないだろう。
そもそもそれを認めると、右派が「努力」している案件を左派は批判できなくなるしな(左派は揚げ足取りしかしないて言っている人の感覚はこれと同じ)。
指輪物語はアメリカの黒人公民権運動と同時期なので、まず原作のエルフは白人だろうと思う
その中に既に黒人がいると、一つの見方として、奴隷輸出国の黒人のフォエデラティ貴族?と思えなくもない
それを狙ったものならまさに原作破壊だな(それともキング牧師ぽいのか、見てないので分からない)
映画作品のポリコレが、原作のポリコレと異なるのは雪の女王でもそうで、女王は人攫い(みなしヴィクトリア女王)から善人(みなしエリザベス2世)に変えられ、攫われたカイ少年は消え、証券取引所を示唆したような凍った湖もなく、モノを歪曲して見せる悪魔の魔法もない
さらにオラフ(みなし宗教改革のペーテルソン)というキャラが出てくる
組織的な大作映画で、社会問題を指摘していた原作を破壊するのは、もはや悪魔の魔法に近いわけだ
映画はもはや二次創作物の類だが、そうと気づかない視聴者が多いだろうから、原作ファンが煩いのは当然だろうな
最近、赤松健候補をレドマツ呼ばわりするのがニガーと同種の深刻な差別問題だという主張が頻繁にされていて、酷暑の残酷さに心を痛め後遺症を心配するところなのだが、「ニガーを当事者が言うのはOKだが外部が言うのはダメ」という言説はちょっと違うので一言言わせてくれ。
この「罵倒文句を己らの呼称として使うようになる」っていうのはアメリカの伝統なんよ。
Yankeeは元々北部のアメリカ人の事で、主に南部人(デキシー)が使う罵倒語だった。
ところがこれを北部の連中は気に入ってしまい、自分らの事をヤンキーと自称するようになった。NY州の大リーグチームはNYヤンキースだ。今ではアメリカ人=ヤンキーという使い方も一般的だ。
一方外国がヤンキーという場合は大抵が罵倒語だ。でも当のヤンキー達は気にせず使い続けた。
日本の『アルプス一万尺』はアメリカの愛国歌、ヤンキードゥードゥル Yankee Doodleの歌詞を勝手に改変したものだ。
元は独立戦争に先立つフレンチインディアン戦争時に参戦したアメリカ植民地軍を揶揄した歌だった。
軍服も揃えておらず統率も取れていない、キビキビも出来ないアメリカ人達を正規軍人の英国人達が嗤った歌詞だ。
doodleとはダラダラテレテレしてる、ボケっとしてる、暇なのでイタズラ描きするってな意味だ。特別な日にGoogleロゴが特別なモノに変わるアレもdoodleだがこれは最後の意味のイタズラ描きって意味だな。
そんなアホアメリカ人が手入れもちゃんとしてるか判らん鉄砲持ってテレテレタラタラやってきたよ、あーあ。ってな感じの歌なんだな。
「いなかっぺのキョロ充が街に行った。羽付き帽被っただけでダンディのつもりだ。イカしてるねぇ神聖モテモテ王国だねぇ」
ところがアメリカ人たちはこの侮蔑的な歌を気に入ってしまった。それで自分らの歌としてしまったのである。
独立戦争で歌われ演奏され、独立後の米国軍の行進曲にしてしまった。
ペリーが日本にやってきた時に上陸後は鼓笛隊の演奏で行進したのだが、その時の曲はヤンキードゥードゥルだったのだ。
こんな風に建国の初めからしてこうなので、「罵倒語を気に入って使い始める」というのは後にアチコチで見られるようになった。
思いつく限り列挙してみたい。
The blackとかblack manとか使われていたが、肌の色を直接に示すので差別的だった。特にトイレやバスの座席、施設の入り口の区分けなどで「black」「colored」と書かれていたので猶更である。
だが公民権運動で「ブラック イズ ビューティフル」のスローガンが使われると当事者のプライドと結びつき、やがてblack musicなど一般化された。
南部の白人の事で、農作業で首が赤く灼けた様をからかった語で、保守退嬰的、閉鎖的、進取の気性が無い、低学歴、民度が低い、反国家的など酷い意味が凝縮された罵倒語。
それは「なんでも自分らでやる」というライフスタイルへの愛着と自負で、南部の農家は食料の入手から機械の手入れ、家の修繕、家具の作成、車の修理や改造など、何でも自分でやる。これは日本の農家なども変わらない事で、全体的に器用貧乏だったり詰めが甘かったりするが都会の人間からすると広く何でも出来るスーパーマンみたいに見えるものだ。
以前、トラクター会社が機械部分をブラックボックス化して信頼性を上げる代わりにメーカーじゃなきゃ修理できないようにしたら大炎上した事があった。https://jfaco.jp/column/2435
「レッドネックスタイル」を理解していなかったのが原因だ。これは米国では結構大きな問題になり、欧州の「修理する権利」と結びつける形で法制化が進んでいる。
日本メーカーやアップルが欧州の「修理する権利」で叩かれて電池交換や社外インク可能にさせられているが、この背景にもこの「何でも自分でやりたい」というマインドがあるのを忘れてはいけない。金と財産権の問題にしか見えないのは飼い慣らされている為だ。
だから今では米国外で何でも自分で作ってみる、直してみるのを動画にしているDIY youtuberなどもレッドネックを自称している。
Queerは元々罵倒語で変なやつ、男性同性愛者(婉曲)とかの意味だったのだが、意味が逆転されてポジティブな意味になった。
1985年のバロウズ著『Queer』の日本語は『おかま』だ。この題は訳者の山形浩生が付けたのか?ちょっと意味が違うと思うのだが。つーか、1985年でも男性同性愛を一緒くたにおかま呼ばわりはしてなかったんじゃないか?どうも腑に落ちない邦題だ。
Wikipediaには頭でっかちな事ばかり書いてあるが、実際はドラッグクイーンとかのワザとらしい性的倒錯仕草をクィアとよんでたのが、マジのトランス女性などが世間に認められるようになると(イスラエルのDana Internationalなど)弾き出されて「LBGTに収まらない性的違和」を是認する意味になったとう感じだ。
この辺の変化、日本だと90sドラッグクイーンの代表格井原秀和円奴S(まるやっこスーパー)が女性目指すようになったのが象徴的。90sのクィアポジティブ化は米国のハウスシーンと共にあった。
ロバには馬鹿、間抜け、グズ、ウスノロ、ノロマ、うすらバカ等の含意がある。
勘違いしてはいけないのは、当初の民主党は南部の農民が支持層の保守政党で黒人奴隷解放に大反対していた。民主党、共和党共に今と支持層、支持地域が逆転しているのである。
大統領選で、そんな南部の民主党出身の大統領候補、アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)をスマートで都会的な北部の共和党の議員たちがjackassと詰って呼んでいた。jackassは雄ロバの事だが、馬鹿、間抜け、グズ、ウスノロ、ノロマ、うすらバカ等の意味もある。
これをレドマツさんじゃなかった、アンドリュー・ジャクソンは気に入ってしまい、「アンドリュー・ジャッカスです(観客ワハハ)」とか自陣の象徴として使ったのである。
それでその後もそのうすらバカでグズで間抜けの象徴であるロバを大統領選で使うようになって今に至るというわけだ。
ビデオチャットで「いい女やな~」「ぎゃ!ちんこある罠や!」っていうイタズラが元々なんだけど、すぐに生えてないなら興味ないっていう増田みたいなのが増えてtrapは売りに。
これはアメリカの伝統関係あるだろうか?3%ぐらいは関係ある気がする。付いててお得だし。
1987年のブライアン・デ・パルマ『アンタッチャブル 』では主任捜査官エリオット・ネスがガサ入れでヘマした所を記者に写真に撮られ新聞のトップ記事にされ、その記事をオフィスに貼るシーンがある。
これもアメリカの伝統があっての事なんだろう。屈辱に耐えるのではなく、「侮辱を気に入る」のだ。それが先人がしてきた事だから。
という訳で単にいつの間にか意味が逆転してしてしまうのではなくて、アメリカの場合「侮辱を気に入る」「恒久的に自分の表象にする」というコードがあるのだ。単に悪口を逆手にとって「○○ですが何か?」というのと違うのはその語をずっと使うって事だ。逆手に取るのとは違うマインドなんである。
だからニガーを当事者だけが言ってもいいというのはこのアメリカ的伝統の過渡期にある可能性があって、そのうち普通に使われるようになるかも知れないって事である。
だったら差別語は何言ってもいいんだな、とか言って差別発言で炎上して失職したり家が突き止められたりというバカが出るのもネットの常である。
私、最初は『ボディポジティブ』って色々な体型の女性を積極的に採用してメディアに出していこう!(太めの体型に限らず、頭が大きいとか手足が短いとかの一般的に『美しいとされない容姿』全般を含む)
…という、社会や企業に対する要請の事かと思っていて、それは良い事じゃんと思っていたんだよね
それがモデルや俳優といった特別な分野だけじゃなくて、一般企業の事務だの営業だのの職として採用する場合にも広がっていけばいいと思っていた
だけど調べてみたら全然違うじゃん
https://adv.asahi.com/keyword/14486886
「ボディポジティブとは、ありのままの身体(ボディ)を前向き(ポジティブ)に愛そうというムーブメントのこと。」「ボディポジティブとは自分の「ありのままの身体」を受け入れる考え方」
だってさ……『愛そう』とかそういう話だったの!?社会や企業に向けて訴える政治運動じゃなかったの!?思ってたのと違った。
(『ボディニュートラル』というのも見てみたけれど、こっちもやっぱり『自分』が主軸にある事には変わらないのでやっぱり好きになれない)
ポジティブになろう、自分を好きになろうって、常日頃周りから自尊心を削られ続ける女性達個人に対して要求するなんて、あまりにもグロテスクじゃない?
女性個人が自分の身体を「受け入れ」たところで、周りから差別され続ける状況は何ら変わりませんけれど!?あまりにも無意味だし虚しい。
「自分の身体を好きになろう」で解決する問題ならば人種差別も奴隷制も存在してねーし公民権運動も要らなかったよ
違うでしょ、本当の意味でボディポジティブを語るならば主軸は『自分』じゃなくて『他人』にすべき
何故、「他人の容姿を笑うな」と、世間に向けて言っていかないのか。女性個人に押し付けようとするのか。
そうすれば自分を好きになるなんていともたやすいし、自己肯定感なんぞ自然に生まれるよ
希望に溢れていたかのように見えた『ボディポジティブ』の実態がこのような、自己責任論にまみれた上っ面の精神論の押し付けだったなんてあまりにもがっかりだ