「聞き手」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 聞き手とは

2021-05-06

鏡像を覗き込む

ある人間類型を眺めていて、一体何が起こっているんだろう、と考えている。

何人かいるのだ。「絶対的自分が正しい」と他人を排撃する人間が。そして共通して、正しい、正しくない以前のところでバッティングしていることに気づかない。そのため、彼らの言葉他者に受け入れられない。そして次々に居場所を失う。

どこがバッティングしてくるのか。自他の境界、他他の境界。そんな感じだろうか。

彼らの言動を観察すると、すぐに他者を括る。そしてそのカテゴリ内の人間思考を同一視する。この段階では、自分自分以外と言う形で、世界がくくられているのかな、と思っていた。

が、よくよく言動を追うと、違う。彼らは他者思考を断定する。その断定の基準を見ていると、驚くほどこちから見るその人物思考基準のようなものしか見えない。

サボりたいんでしょ?

→いや、あんたがまさにサボりたいように見えますけど?

有名人にでもになりたいの?

→まさにあなたの行動だよね?

ちやほやされたいんでしょ?

→まぁ、あなたそれ自分で断言してらっしゃるしね?

そうすると、彼ら彼女らの中には、そもそも「個々人の感じ方考え方は違う」と言う発想すら存在しないのではないか、と思えてきた。

思考の内容はともかく、思考なすルートは自他で同一。自分だったらどう思うか、のみが他者に対する判断基準となる。

となると、人間判断はこうなるだろうか。自分自分YES他人自分にNOの他人。あとは、自分認識していない他人だろうか。彼らが自分認識していながらYESもNOも抱かない他人をどう評価するのかはわからない。ただ「人間の発想方法が同一」という推論から引けば、ニュートラル、という評価は生まれづらそうな気もする。

なにがしか議論を前に語り合うのであれば問題はないだろう。問題フリートークだ。彼ら、彼女らの発想に自分が興味を示すことと、他人が興味を示すことの差異を、どれだけ見出し切れるのか。

そういった人たちの話に出てくるのは、とことんが自分のこと、自分のこと。他人の話は、「自分意向に沿う」か「自分拒否反応を示す」の両極端になる。真ん中を聞くことはめったにない。

他者交流は、事前によほどのバイアスを受けない限り真ん中スタートとなるわけだが、彼ら、彼女らには、どうにも真ん中が見えていないのではないか。見えていないものは見ない。見れるはずがない。当たり前のことだ。だから彼らにとっては、会話の中で見えてくるYESやNO「だけ」が極大視されていく。

一方、見られていない人間にとっては、自分の関心の外の話をされても、YESもNOも言えない。そうなんですかととりあえず相槌を打つか、興味ないですと断じるか。そのどちらかしかない……いや、知的好奇心の高い方であれば、「お、そうなんですか?」と食いついていけるかもしれない。

そしてこれは、順番に「小YES」「小NO」「特大YES」と認識されるだろう。基本的にはすべてニュートラルな反応に過ぎないのに。

彼らは、「見聞きしたYES/NO」(本当はどちらでもない)に基づき、こちらにさらなる話を展開してくる。YESであれば自分の味方なのだ。NOはこちらに対する敵対行為なのだ。このくらい単純化されているのかもしれない。

彼らは概して、語る場数を踏む。躊躇しないからだ。それは特有の雄弁さを生む。テーマトークでさえあればいいのだろうが、フリートークにおいても話題が彼ら自身と、彼らに対してのYES、彼らに対してのNOしか手札がない。つまり彼らの言葉には、どこまでも「彼ら」しかいない。聞き手たるこちらは存在しない。できない、とすら言っていいのではないか

故に彼らの批判こちらの芯を食うことは、ほぼない。彼らにとって聞き手とは「彼らの方を見る鏡像」であり、その鏡像を彼らは「他者」として認識する。聞き手たる自分は、以上のように彼ら、彼女らの語る内容を認識せねばならないように思う。

批判自己紹介乙である、と言う。ならば彼らをこう語る自分自身他者を見る目も、少なから勝手鏡像押し付けて語っているのかもしれない。やらないでいられるのか? 自信を持ってうなずけるはずがない。彼らがこちらに彼らの鏡像押し付ける、と言う考え方は、そのまま自分がまさしく彼らに自分鏡像押し付ける振る舞いに他ならないのだ。

次に出会う「彼ら」には、これまで出会ってきた「彼ら」とは少しでも違った対応を取れるようになりたいものだ、と思う。そのための端緒をテキストにあらわした。では、どう振る舞おう。そこをさらに考えていきたい。

2021-05-05

anond:20210505131747

違う。

全ては話を聞こうとしない聞き手問題

あなたの言ってることは、障害者に対して健常者のようなコミュニケーションをとれば人間関係が築けますよと言ってるのと同じ。

2021-04-28

anond:20210428174943

それを行ったら小池都知事だってカタカナ語多用して聞き手に何か言ってる演出するだけで、実は何も言ってない空虚の塊だしな。

水素水営業かいいんじゃないの?進次郎には。

2021-03-28

anond:20210323220429

そこまで言うならいかにBLが「正しくない」ジャンルなのかを説明してあげるね。まあどうせ釣りなんだろうけど。

なんか勘違いしてるかもしんないけど、BLの最大の問題点エロとかじゃないからね。エロあくまで付随的な問題

女性一方的に鑑賞される側におき、客体として消費することはフェミニズムにおいて長年批判対象になってきた。女が、男に都合の良い客体である鑑賞物のように扱われることはよくないことである、という主張は強い賛同を集めてきた。とりわけ、女性差別存在する現状においては。

であれば、同性愛差別存在する現状において、ゲイを、女に都合の良い鑑賞物のように扱うこともまた、よくないことだと言わなければならない。これは論理的に当然導かれる帰結だ。

要するに、BLエロいか問題なのではない。マイノリティを客体化し、都合よく消費しているか問題なのだ

とはいえ抽象論だけ言われてもわけがからないと思うので、具体的にどういう点が問題なのか説明してみよう。

何年か前、人工知能学会をめぐる炎上が起きたことがある。人工知能学会という学会が出している学術誌の表紙に、箒を持っている女性ロボットイラスト掲載されたのだ。これはまったくエロではないがフェミニストを中心に猛烈な非難が浴びせられた。

このイラスト批判されたのは、女は男に従属して家事をするものである、という女性に対する偏見ステレオタイプ助長するからだ。もちろん、日本には多くの専業主婦がいる。だが、たとえそれが統計的傾向として事実であっても「女は家事」というのは偏見でありバイアスである。そのようなジェンダーバイアスけしからん、というのが批判側の主張だった。

NHKによるノーベル賞解説記事聞き手役としてキズナアイが選ばれたとき番組構成彼女の振る舞いに対して「男が解説し女はふんふん頷くものだというジェンダーバイアス」「女に理数系のことはどうせわからないという偏見」のような批判が浴びせられたのも記憶に新しい。

ところで、現代において、男同士のカップルには「男役と女役がある」あるいは「挿入する側とされる側は固定されている」というステレオタイプがある。実際に固定しているカップルもいるだろう。しかしそういう問題ではない。問題はそれが偏見バイアス助長するということなのだ。

まり、攻めと受けとを固定している時点で、「女キャラは全員家庭に入って家事をしている/することを希望している」並の偏見に満ちた作品であるということになる。あるいはそれを暗示するのと同じことだということになる。

すなわち、CPの左右を固定している腐女子には、「この作品におけるこの描写ジェンダーバイアスなのでは?」などと物申す資格はない

なるほど女がBLを真似て性犯罪を起こすことは身体構造上ありえないかもしれない。だが女もゲイへの偏見の流布の加害者になりうる。

これはあくまで一例に過ぎない。他にも「『優しい世界』は差別の透明化なのでは?」「非当事者マイノリティセクシュアリティを題材に創作するのは文化の盗用だ」「同性愛かどうかを明示せずに『匂わせ』て視聴者を釣るのはクィア・ベイティングであり搾取だと思う」など、ポリティカル・コレクトネス観点から見たときBLは様々な観点から問題視されうる。

繰り返す。エロ問題ではないのだ。女性文化としてのBL根本的に「正しくない」。

そしてもちろん、「正しくない」ことは「滅ぼすべき」を意味しない。開き直って「正しくない創作でも堂々と存在してよい。それが表現の自由だ」と吼えることもできる。というよりも、そう吼えるしかBLにとって生き残りの道はもはや存在しない。

2021-03-20

それでもブレストなら無罪

佐々木宏氏の発言やそれへの批判について。ブレスト中の発言なら、差別だろうが何だろうが責任を問うのは、非常にナンセンスだ。

よく知られている通り、ブレストとは、集団で良いアイディアを出す方法で、

1. 粗野な考えを歓迎する

2. 批判しない

3. 質より量を重視する

4. アイディアを組み合わせる

等が大事であるとされる。

もっとも、今や「ブレスト」という言葉自体はアホでも知っているので、きちんと方法論通りに実践されていることは、むしろ稀かもしれない。

本人すら、その提案は良いと思っていない

ブレストである以上、一般には、その発言をした本人すら、その提案が良いとは思っていない。

もちろん、全くの粗悪なアイディア提案するわけはない。「欠点はあって当然」「一部に良さがあるかも」というレベルであっても発言し、聞き手はその欠点批判することなく、良さ活かしながらアイディアをふくらませるのがブレストの正しいやり方だとされている。

今回の話題で言うなら、差別的だという欠点自体は後で修正するという前提で、例えば

という程度の考えで、渡辺直美に豚の格好をさせる提案をしても良い。

重要なのは、そのような提案をしたからといって、本人すら、その提案が最終案として良いと思っているとは限らないということだ。

実際、私自身もあえて偏見を混じえた非倫理的提案をすることは多い(その場合、対面コミュニケーションなら、自分で苦笑しながら提案するなど、倫理的問題があるという認識自体は共有しながら発言することが多い)。

ブレストとはそういうツール/ルールであるということが理解されるべきだ。

したがって、ブレストでの発言倫理的責任を問うのは非常にナンセンスだ。

同様に、ブレストでは質が低くても良いという前提で発言される以上、提案内容を切り出して「面白くない」などと質を批判するのは全くの無意味だ。

発言に対しむやみに倫理的責任を問うのは、みたに議員ツイートの通り、「クリエイターとしての仕事に過大な制約を課すことになりかねないし、将来にわたって大きな禍根を残すことになりかねない。」

その場で批判が出たからこそ問題

一般論として、ブレスト発言責任を問うのはナンセンスだと書いた。

一方で、今回報じられた発言には違和感もある。

まず、ブレストを行っていたLINEで、その場でメンバーから批判が出たという点だ。

上で書いた通り、ブレストでは批判を行わないのがルールだ。しかし、今回は批判が出た。

これは、メンバー佐々木氏提案を「粗野で良い」「欠点があって良い」「差別があっても後で修正できれば良い」とみなしていなかったということだ。

まり佐々木氏は「ブレスト中の発言だ」と弁明しているものの、メンバーはそれ以上に影響力のある発言だとみなしていたはずだ。

そのような文脈下で行われた発言として、佐々木氏発言責任に問われるのは理解できる。

言い換えれば、逆説的だが、佐々木氏発言スルーされず、ブレストのその場で批判されたからこそ、その内容には倫理的責任がある。

繰り返すが、だからといって、「一般に」ブレストでの発言について責任を問うのは、非常にナンセンスだ。

党派性安易論点をずらすな!

ブコメを見ていると、天皇家自民党議員への侮辱ならOKなんだろうという批判が★を集めている。

所詮はてなとはいえ個人的にはこんなに愚かな論点ずらしが共感されているのは呆れる。

当然、天皇家であれ自民党議員であれ、ブレスト中なら侮辱してもOKである。それが集団による創造・発想のためには必要だ。

この問題をただの党派性として済ませるのは非常に不快だし、何様なんだと思う。

アイディア創出のための方法論と真摯に向き合っている人もいるとを想像して、この問題について考えてほしい。

それでもブレストなら無罪

佐々木宏氏の発言やそれへの批判について。ブレスト中の発言なら、差別だろうが何だろうが責任を問うのは、非常にナンセンスだ。

よく知られている通り、ブレストとは、集団で良いアイディアを出す方法で、

1. 粗野な考えを歓迎する

2. 批判しない

3. 質より量を重視する

4. アイディアを組み合わせる

等が大事であるとされる。

もっとも、今や「ブレスト」という言葉自体はアホでも知っているので、きちんと方法論通りに実践されていることは、むしろ稀かもしれない。

本人すら、その提案は良いと思っていない

ブレストである以上、一般には、その発言をした本人すら、その提案が良いとは思っていない。

もちろん、全くの粗悪なアイディア提案するわけはない。「欠点はあって当然」「一部に良さがあるかも」というレベルであっても発言し、聞き手はその欠点批判することなく、良さ活かしながらアイディアをふくらませるのがブレストの正しいやり方だとされている。

今回の話題で言うなら、差別的だという欠点自体は後で修正するという前提で、例えば

という程度の考えで、渡辺直美に豚の格好をさせる提案をしても良い。

重要なのは、そのような提案をしたからといって、本人すら、その提案が最終案として良いと思っているとは限らないということだ。

実際、私自身もあえて偏見を混じえた非倫理的提案をすることは多い(その場合、対面コミュニケーションなら、自分で苦笑しながら提案するなど、倫理的問題があるという認識自体は共有しながら発言することが多い)。

ブレストとはそういうツール/ルールであるということが理解されるべきだ。

したがって、ブレストでの発言倫理的責任を問うのは非常にナンセンスだ。

同様に、ブレストでは質が低くても良いという前提で発言される以上、提案内容を切り出して「面白くない」などと質を批判するのは全くの無意味だ。

発言に対しむやみに倫理的責任を問うのは、みたに議員ツイートの通り、「クリエイターとしての仕事に過大な制約を課すことになりかねないし、将来にわたって大きな禍根を残すことになりかねない。」

その場で批判が出たからこそ問題

一般論として、ブレスト発言責任を問うのはナンセンスだと書いた。

一方で、今回報じられた発言には違和感もある。

まず、ブレストを行っていたLINEで、その場でメンバーから批判が出たという点だ。

上で書いた通り、ブレストでは批判を行わないのがルールだ。しかし、今回は批判が出た。

これは、メンバー佐々木氏提案を「粗野で良い」「欠点があって良い」「差別があっても後で修正できれば良い」とみなしていなかったということだ。

まり佐々木氏は「ブレスト中の発言だ」と弁明しているものの、メンバーはそれ以上に影響力のある発言だとみなしていたはずだ。

そのような文脈下で行われた発言として、佐々木氏発言責任に問われるのは理解できる。

言い換えれば、逆説的だが、佐々木氏発言スルーされず、ブレストのその場で批判されたからこそ、その内容には倫理的責任がある。

繰り返すが、だからといって、「一般に」ブレストでの発言について責任を問うのは、非常にナンセンスだ。

党派性安易論点をずらすな!

ブコメを見ていると、天皇家自民党議員への侮辱ならOKなんだろうという批判が★を集めている。

所詮はてなとはいえ個人的にはこんなに愚かな論点ずらしが共感されているのは呆れる。

当然、天皇家であれ自民党議員であれ、ブレスト中なら侮辱してもOKである。それが集団による創造・発想のためには必要だ。

この問題をただの党派性として済ませるのは非常に不快だし、何様なんだと思う。

自身仕事に対する社会的な制約が増えると危機感を感じている人もいることを想像しながら、今回の報道について考えてほしい。

2021-03-11

anond:20210311193326

学歴の例を取った場合でもマウントと呼べるのは②までで、③と④はマウントに該当しないと思うけどなぁ。③と④を気に食わないと感じるなら、それは発話者ではなくて聞き手コンプレックス問題だと思う

2021-02-18

anond:20210217173707

いや、あれをブラックジョークとして開陳できる頭を問題にしてるんであって聞き手読み手問題じゃないんだよ

フェミに対して穏やかに話そうは禁止なの!

https://note.com/takamatsunana/n/nb1ae53a18af9

だめだめだめ。こういう書き方するの一番ダメなの!

この動画の6分あたりから見てほしいの。

https://www.youtube.com/watch?v=LYKaEOu4lXk

感情極振りで過激発言をする人っていうのはまっとうな努力をすることが嫌いなの!

簡単にすぐ成果が欲しいの!

ツイッターで騒いでるフェミさんは表現能力が極端に低くて、人になにかを伝えるという行為のものを舐めてる人間が多いの!

から時間をかけて表現力を高めようという努力をするのが嫌なの!

何か言われても言い逃れができるツイッターにしがみついててnoteを書くことすらろくにしないの!

クラブハウスでイキってた人たち、note書いたらだいたい不評なの!

文章が下手で過激言葉で煽ってるだけで中身がないことがばれちゃうからなの!

阿吽の呼吸で通じ合う仲間内しか話が通じないからなの!

本を作るときも他の人のツイートをパクッって改ざんしたりして水増ししないと文章が書けないの!

他人表現にはケチつけるけど自分表現に気を遣うみたいなのは嫌なの!

から「穏やかに言っても聞いてくれない」か「聞き手バカ」ということにしたがるの!

努力するのが嫌な怠け者なの!

たまたま適当にやってたらある程度うまくいったやり方にしがみついてるだけでもう軌道修正できないの!

そんな人たちに「穏やかに話そう」=「穏やかに話しても伝わるように工夫したり表現力を高める努力をしよう」っていうのは死刑宣告と同じなの!

あの人たちに死ねっていってるのと同じなの!

あの人たちは努力ができないのに承認欲求けが暴走してるからああなってるの!

努力ができない人たちに努力しろっていうのはハラスメントなの!

努力ハラはやめるの!

2021-02-12

 無性に自分普段考えていることを他人に聞いて欲しくなる時がある。

見えている世界メタ的に記述しようとしている時はとくに症状が激しい。人間は、社会は、世界はどうの、という話だ。

私は対外的には寡黙な人間で話し方も上手ではないので、あまり話し手として求められることはない。

から聞き手としての役割を求められることが多かった。聞いてもらうと安心すると言われ、気をよくした私は愚痴の吐き捨て場のような役割をしていた。中には話が止まらない人間も多く、壊れたラジオのように話人たちをどうやって(機嫌よく)止めるかが長年の私の課題であった。

そんな毎日を過ごしていたので、ここ数年でますます話すのが苦手になった。

本を読んでいるときも、「一方的に話をされている」感が強くて、読めなくなりつつある。

そうするとますます妄想がかってしまい、正しく思考できているのかわからない。

2021-02-09

隗より始めよ」の応用

塊より始めよ 問題解決枝葉末節からではなく複数の小問題解決する問題の塊から始めること

魂より始めよ まずは真剣な思いを持つことから始めること

鬼より始めよ 桃太郎物語をあえて鬼の話から始めることで目的意識聞き手と共有すること

愧より始めよ まず己を恥じるところから始めること

蒐より始めよ まずは情報や道具を集めるところから始めること

槐より始めよ 庭に木を植えるときにまずエンジュを植えること

2021-02-05

anond:20210205082613

そういえば、最近〇〇なことがあってね。

わたしって〇〇だからさ、つい〇〇しちゃって〇〇になっちゃたのよ。

まぁそれは大変ねぇ。

〇〇なら〇〇しちゃってもしかたないわよぉ。

みたいな、最近あったことに起きた感情の動きを説明し、聞き手はそれに共感を示す。

大切なこと共感してもらうことなので、同じようなことを何度話してもOKなところが、

この会話構文の強み。

情報伝達、情報共有のみが目的の会話構文では、一度伝えたことは繰り返し伝えることができず、

話しのネタがすぐに枯渇する。

2021-02-01

「うっせぇわ」への反応を考える

「うっせぇわ」という曲が話題らしい。

かなり大きなヒットとなっているらしく、ついには近くのラーメン屋にその音が流れだす始末である

その時は、

「あのサビの不協和音とかが聞き手にとって良いアクセントになっているのだろう」

と、

音楽素人風情がもやしを頬張りながら感じた程度であったが、どうやらそれどころではなさげな感じだ。

その現状は

・高い再生

地獄コメント欄

SNSでの煽り

・5chでのマイナス評価

曲名の改変による罵倒

等々々が物語っている。

特に問題となっているのは歌詞らしい。

かなり直接的かつ攻撃的にみえものであり、厨学二年生的な全能感と痛々しさに溢れているような歌詞である

大学生自分ですら「こういった時期あったなぁ」とか少しノスタルジックになってしまった。

歌詞を見る限りは、

いわゆる難関大学卒業した「社会優等生」がルサンチマン拗らせてコンプ発症しました

といった感じのシチュエーションだろうか?

もしくは、

いじめられっ子が内心でマウントをとって自尊心を満たしている

あたりだろうか?

いずれにせよ、自分には歌詞中の人間が

「ちっぽけな自尊心を可愛げのある語彙で必死で満たす、

嘲罵された、あるいはそう思っているだけの人間

であるようには感じた。

なんとなく思うのは、

「この曲に気づいてはいけない」

ということである

内容自体は、尾崎豊amazarashiなどが

若者の苦しみなどを各々の文学的センスに包んで提供してきた「それ」に類似したもの

かもしれない。

しかし、この曲が圧倒的に違うのは

「汚く品のない歌詞

とでも言うべきその短絡的表現、そしてレスバトルでのマウンティングのような直接性にある。

まり相手からすれば

「私を見ろ」

と喚いているだけなのかもしれないのだ。

こうなったらどうしようもない。

同じ土俵に立つ(反応する)時点で相手目的は達成されてしまうからだ。

あとはダラダラと付き合って自尊心の充足を待つしかない。

もし無視しようとしても、あの奇天烈音階のサビと尊大発言否が応でも

「何言ってんだコイツ

とか

「手前よりまともだわ」

とか

「そんな時期だよねw」

とか

反応してしまう。

しかも大抵は相手にとって嘲笑侮蔑となりかねない反応である

共感する人たちからすれば気に食わないものであり、荒れるのは必至だろう。

延焼する野次馬もやってきて、更に注目する人が増える。

どんどん騒音は賑やかになる。

そうして「あの子」は色んな人に見てもらえる。

歌い手の方は歌詞バックグラウンド共感し、若者として歌ったのかもしれない。

しかし、その歌詞一般的な「お約束」を踏みにじるかのような逸脱したものだった。

故にたった今、自分たちはこの曲に踊らされている。

軽蔑し、嘲る位なら無視すれば良かったのに。

自分としては、「してやられた」としか言いようがない。

視聴回数を増やし、広告役として貢献してしまうことで

不本意とはいえ結果的に答えてしまっているのだから

何と思おうが、その喧騒に加担してしまっては誰も彼もが後の祭りなのだろう。

出来れば、この曲が内包しているだろう社会構造的な問題

前向きに考察してくれる人が増えることを祈るばかりである

複雑な気分の日記となってしまった。

2021-01-26

『うっせえわ』への批判が増えてきた

筆者は20代半ば、いつになったら名実共に大人になれるかと思案したりはするものの、まかり間違っても子供を名乗れるような歳ではない。

うっせぇわ/Ado https://youtu.be/Qp3b-RXtz4w

Adoの勢いは止まることなく、17歳最後の日である10月23日メジャーデビュー曲「うっせぇわ」を発表。楽曲を手がけたのは、Adoカバーしていた「邪魔」、「馬鹿」などでも知られる、2020年最も躍進したボーカロイドプロデューサー・syudou。Adoハイテンションかつナイフのように尖りまくったボーカリゼーションによって、毒っ気ある低音から耳を突き刺すハイトーンまで歌声自在に使い分け、鬼気迫る迫力で圧巻の歌唱を聴かせてくれた。意外にもチェッカーズPsysalia Psysalis Psyche彷彿とさせる隠れキャラのようなフレーズを忍ばせる言葉遊びの妙。ど頭から内に秘めた思いを叫ぶ〈正しさとは 愚かさとは それが何か見せつけてやる〉というパンチラインが頭から離れない。強烈なインパクトを持ったこ楽曲は、YouTubeにて2000万回再生突破した(12月24日時点)。

__Ado歌い手としてヒット連発 「うっせぇわ」「レディメイド」…ボカロ音楽J-POP架け橋となるか より引用

(https://www.google.com/amp/s/realsound.jp/2020/12/post-680013.html/amp)

私のオタクTLでは、昨年から各所で流行していたこの曲。

今月半ばくらいまでは、『うっせえわ』、Ado共に賞賛する声の方が目立っていた記憶がある。ファン彼女の曲を好意的に思う層の目にしか留まっていなかった、というのも大きいと思う。

それが、ここ数日でガラリと様変わりした。

ツイッター検索サジェストは「うっせえわ 共感性羞恥」「Ado 嫌い」など否定的もので埋め尽くされ、YouTubeMVコメント欄でも批判、中には中傷に近い発言散見されるようになった。

きっかけは、先日のミュージックステーションへの電話出演だったのではないか。私はそう睨んでいる。

上司母親も、「子供大人になったことがないけど、大人子供だったことがあるんだから、分かるわけないなんて偉そうに」「子供大人を敵視していればいいから楽だよな」と散々な言いようだった。どちらも60近い年齢だ。

常識を押しつけてくる敵__大人を詰って罵って、憂さ晴らしするための歌が、一般の人々に、大人の耳に届いてしまったのだ。ああもハッキリと色濃い悪意を向けられては、大人もいい気はしないのだろう。

そりゃあ、創作物に大して抱く思いは自由だ。頭に浮かぶ感想まではどうしたって妨げられない。

でも別に、18歳の作者の見える場所で、痛い曲とか出来損ないの歌とか言わなくてもよくない???

創作されたものに対して、聞き手がどんな感想を持つの自由だ。第一メジャーデビューした彼女プロミュージシャンなのだから否定的意見も飛んでくるだろうし、必要なら受け止めなければならない。

それでも、作品批判するときには最低限の敬意を持たなければならないと私は思う。作者への敬意を欠いた非難は、もう誹謗中傷となんら変わらないのではないか

とはいえ、私も社会人になって数年経つから、『うっせぇわ』に共感できるとは言い難い。というよりもこの歳になって、『うっせぇわ』に感涙している人間がいたらちょっと驚く。

元々優等生でなかったのもあるが、自分より年上の大人に敵意はそこまでない。というか深い怒りや悲しみという感情自体エネルギー溢れる子供だけのものなような気もする。25を越えると怒ったり悲しんだりする余裕も体力もない。もちろん元気な25歳も30歳もいるのだろうご、少なくとも私は、あなたが思うより健康ではない。

上司の空いたグラスに酒を注ぐのも、焼き鳥を串から外すのも別にどうでもいい。それで人間関係が円滑に回るようになるのなら、ヒステリック拒否するほどのことでもない。

たぶん、大人になったからだ。子供ときは許せなかったのかもしれないが、記憶はだいぶ薄れてしまった。前述したように、私の親世代には「子供大人になったことがないけど、大人子供だったことがあるんだから、分かるわけないなんて偉そうに」語る者もいるのだが、忘れているから分からない、子供気持ちもきっとあるのだろう。

ここからは余談かつ個人的意見にはなるが、『うっせぇわ』の語り手(歌い手主人公?)は中高生でもよかったような気もする。あの語り手は恐らく社会人だと思うのだが、社会人として見たときに少し子供っぽいきらいはある。自分大人に分類されるだろうに、(歳の離れた人間を指しているであろうとはいえ)同じ大人にああまでヘイトを向けているというのは少し幼い、もしくは不自然であるかもしれない。

あの語り手の無敵感も、自分天才豪語する自信も、中高生特有のものに見える。私もかつては自分特別存在だと思っていたが、今では黒歴史だ。凡庸大人自分万歳

秘密基地子供たちが隠れてヒソヒソやっていた大人悪口。突然、外に出て大人の目に触れたから、こんなに燃えしまったのではないか

それがどうした。見て見ぬふりしてやろうぜ。私たち大人だろ。

生意気にも歯向かってくる子供がムカつくのは、容易に想像できる。子供は「大人は分かってない」と喚くが、むしろ子供こそ大人を分かっていない部分もあるだろう。経験していないから。

しかし、『うっせぇわ』は語り手こそ社会人で描かれているか違和感があるけれど、子供の子供による子供のための曲だ。大人MV中傷コメントをしていく必要はない。

こんな記事投稿したら、年上の大人には叩かれ、子供たちからは分かったような顔をするなと言われてしまうのかな。

結論中傷に近い批判をしたいなら検索避けするか2chですべきではないでしょうか。

2021-01-23

anond:20210123124551

どっちかと言うと話をする側が聞き手能力に頼りすぎってことなんじゃ?

2021-01-21

将棋大判解説聞き手のように、明らかにされるべきことを質問させていただきます

医者を増やそうということにならないのはなぜですか?

2021-01-20

IQ20代、30代に共通した謎の気持ち悪い雰囲気あれなんなんだろね

ここはITエンジニアが多いから言わんとしてるニュアンス伝わると思うけど。

ナイトプールに足繁く通うような若い女から金でもなければ虫けらみたいに嫌悪されるのが必至の独特の気持ち悪さ。

高専ロボコン風というか、高校生クイズ決勝風というか。とにかく気持ち悪い。

あと早口だけじゃなくて、声質という生来的な要素も共通してるから驚く。

声色自体は低いのに聞き手には高く聞こえるというか、威厳がないあの感じ。

2021-01-13

anond:20210113004001

このパターンだと、あんまりミラーリングしても・・・と思うね。

話し手の側の方が空回りしている場合は、聞き手が拾いきれなくても、仕方ないのでは?

anond:20210110123006

この手の「共感力不足」問題対応策は割とはっきりしている。「感情説明することが難しい」の話でもあったけど。。。

1つめのポイントは、「相手の話をちゃんと聞くこと。復唱できるくらい、そのまま聞くこと」

ブコメにもあるけど、「おうむ返し」は最強の共感ツール

なぜか。

そもそも話し手が話した言葉は、話し手本人にとって一番心地よい言葉

なので、そのままの言葉が返ってくると、自然に「うんうん」となる。

ちなみに、「おうむ返し」に失敗するパターンでよくあるのが、「聞き手が、勝手表現を変えてしまう」時。

聞き手が、自分フィットする表現に置き換えちゃうと、話し手にとっては心地よくない表現になってしまう。

復唱って、出来るようでできないんだよ。自分の中でついつい表現を変えちゃうから

大事なのは、頭の中の反応は一旦脇に置いて、ただ、「相手が言った言葉ちゃんキャッチし、再生する」こと。

そして、自分なりの表現に変えないこと。

2つ目のポイント。相槌も有効だ。

コミュニケーションが上手い人は、相槌の大事さを知っている。

から、相槌を丁寧に使う。

「おうむ返し」で全ての言葉を言わなくても、相槌で「ちゃんあなた言葉を受け止めましたよ」というメッセージを返すことで相手安心する。

相手感情に合わせて、相槌の言葉や声の出し方を調整すると、相手の反応も良くなる。

試してみると面白いよ。

3つ目のポイント。「自分意見なんて、ほとんど言わなくていい」んだ。

コミュニケーションでは、ニコニコしてうなづいているだけの方がむしろ有効

なぜか。

自分意見、というのは、ある意味自分相手の「違い」を浮き彫りにするもの

そして、「自分と違う人」であることを示す言葉を聞けば聞くほど、お互いの心が離れていくものなんだ。

から意見を言う量」や「意見の強さ」をコントロールすることが大事

相手と違うことをわざわざ確認する必要はない。

相手を変えたいのだとしたら、正面から意見をぶつけるのは、一番成功から遠い行為だ。

政治家の会食がベストとは言わないが、直接意見をぶつけるよりよい方法は他にいくつもある。

4つめのポイント感情表現感覚表現をつけて返事をする。最初は実感がなくてもよい。

今日寒いですね」「このご飯は美味しいですね」「ご飯を作ってくれて、ありがとう

気持ちとか感覚言葉は、明らかな嘘や思いつきでない限り、相手と共有しやすい。

単純だけど、

寒いですね」「うん、寒い

「美味しいね」「うん、美味しい」

楽しいね」「うん、楽しい

これだけでも、相手と同じ(ような)感覚をかなり深く共有することができる。

厳密には錯覚かもしれないが、それでもコミュニケーション上は有効だ。

人間動物なので、自分と同じような感覚を持ち、自分と同じような考え方をしている、

と感じられる相手と親しくなっていく。

敵味方をはっきりさせて、味方どうしで群れを作る必要があるから当然だろう。

から、「相手と同じという感覚」が拡大するようにすることが大事

2021-01-10

anond:20210109213515

色々考えていて、興味深いな。

これ、一から考えるのは、結構大変だったんじゃない?

まずは、そこに敬意を表したい。

ブコメシチュエーション

ご飯を作ってあげたときに「美味しいよ」とか「ありがとう」の前に「鶏肉ももからむね肉にしたんだね、さっぱりとした味になっているね」とか言われたらそりゃモヤモヤするよ

について、あなた

ご飯食べてる時は他に色々考えているはず

と書いた。

「美味しい」とか「今は7時だ」とか、いくつか案を書いてくれている。

この後、聞き手脳内で起きる処理について、説明をしてくれた、と理解している。

それで大丈夫だよね?

ここからは僕の意見を書くね。

今回の説明には、気になる点が1つある。

ご飯を作った人、奥さんの話が出てきていない、ということ。

もちろん、ここに題材に出てきた奥さんがいるわけではないから、推測以上のことは書けないんだけど、書かれていないのは事実

その意味で、

そもそも奥さん気持ち言葉キャッチして、キャッチしたことを示すプロセスが抜けている」ように見える。

話し方講座なんかに行くと「おうむ返し話法」を教えてもらう事が多い、という事は知ってるかな。

知識としては知ってるかもしれないが、少し説明を読んで欲しい。

相手言葉を復唱する事の効用はいくつかあるけど、今回はそのうち1つを説明する。

相手言葉を受け取りました」という事を相手アピールする、という事だ。

実際には「おうむ返し」オンリーだとリズムが崩れるので、相槌のバリエーションを増やす練習などもするんだけど、目的は同じ。

どちらも相手言葉を聞き、ちゃん相手存在を認めている、とアピールする事に使える。

今回のシチュエーションでまず行うべきは、

相手気持ち言葉キャッチしたことを伝えること。できれば、相手気持ちを受け入れて反応すること」だ。

コミュニケーション言葉を使って、もっと深い情報(感情など)を伝え合うものからだ。

相手気持ちを確実に特定するのは難しい。

からこそ、「ベタに」感謝気持ちを伝えるのが定番パターンとしておすすめだ。

あなたの頭の中で起きたことを話すのは、もっともっと後だ。

まずは話しかけてきた相手に合わせて、適切な反応を返すのが先。

注意点がある。

この順番を無視して、いきなり自分の反応を話さない、ということだ。

相手立場で考えてみよう。

自分から話をした時に、相手がそれをキャッチすることなく別の言葉を伝えてきたらどうだろう。

やってみるとわかるけど、無視、もしくは拒絶されるのと感覚的にはあまり変わらない。

こんなことをするとコミュニケーションが壊れかねないのは明らかだ。

もちろん、自分の反応を話すことそれ自体問題ない。

大抵の場合相手が話していることを、きちんとキャッチした後が良いだろう。

具体的には、相手が話したい気持ち言葉がある程度出切ったあたりで、すれば良いと思う。

もちろん、質問されているなら、質問に答えれば良い。

上記説明で納得してもらえたならば、嬉しい。

2021-01-09

anond:20210108201417

ある程度聞き手の反応を想定したほうが説明やすいんだよ

やる夫で学ぶディジタル信号処理」みたいなのが理想

まぁそのレベルに達していないのがほとんどだから不満なんだろうけど

2021-01-07

産声ってどんな役割があるの?

産声がない出産=死産という訳ではなく、仮死状態で生まれて産声がない場合もある

「産声がない出産です」→「死産です」という表現があるが、死産じゃない場合もあるから聞き手に親切な表現ではない

産声っていったいなんなんだ。どんな役割があるんだ。呼吸をするなら別に泣かなくてもいいじゃないか

赤ちゃんが産声をあげるのは、

訳のわからん異世界召喚されたショックとか

寒いとか

なんか精神不安とか

そういう気持ち的な問題で産声をあげてるんだと思ってたけどちがうのか?

息を吸ったりはいたりするだけなら、別に泣かなくてもいいと思うが

赤ちゃんの心境を客観的に考えたら帝王切開でも普通分娩でも、羊水の中の世界から異世界召喚されたら誰だってパニック起こして泣きたくなるわ

ちなみに自分が産んだ子ども看護師が取り上げたときに「泣いてないけどすぐに泣かせますから!」って言われて遠くに連れていかれて、カンガルーケアもできなかったから、オギャアオギャアみたいなの聞いてなくて

私は私で胎盤出したり、会陰縫われたりしてたから我が子のことを気にする余裕がなくて、しか子供が私から遠くの位置にいたし、なんかめっちゃ動いてたのは見えた。泣いてたのは泣いてたけど産声ではもうなくなってた(?)

の子どもは産まれた瞬間は産声なかったけど、看護師処置したあとに産声あげたのかな。

産声ってなんなんですか。絶対に泣かなくちゃいけないんですか。

赤ちゃん第一声は産声以外じゃダメなんですか?

重い過去がある人に対して

重い過去がある人に対して、どんな反応すればいいかからない。

昔仲良くしてた女の子母親事故で亡くなった。その年の夏休みに二人で彼女のおばあちゃん家にお泊まりすることになった。気晴らし旅行みたいなものだったと思う。とにかく悲しいことは忘れて、ぱーっと遊ぼう!みたいな。(実際めっちゃ遊んだ映画プール遊園地など) 私はなんとか彼女に安らぎを与えたくて(そんなの無理かもしれないけど)、とにかく無邪気に振る舞った。空回りしてたかもしれないけど、重い空気にしたらせっかくの精神回復旅行台無しになってしまう。私は彼女の心の安寧であり、家族以外のなにか悲しいことを忘れられる場所でもあるのだ。そんな自負をもって旅を楽しんでいたのだが、やはり時折お母さんの話題がちょろっと出る。そのたびになるべく感情を下げないように「ふーん」「そっかあ」「そうだったんだね」と差し障りのない返答をしていた(じゃないと私のほうが悲しくて涙が出てしまいそうだった。彼女のお母さんによくしてもらってた)しかし帰りのお土産コーナーで「これね、お母さんが好きだったお菓子なの」とスフレ差し出されて、いつもの通り「そうなんだね、そっかあ……」と返答したら、ちょっと怒ったように言われた「なんでお母さんの話題を出すと急に冷たくなるの。別にわたしはお母さんのこと、悲しかっただけじゃないから」そこでハッとした。気を使いすぎていたのかもしれない。話すことで思い出す優しい記憶もあるのに、私は全て彼女の母=死んでしまったという事実しか捉えられていなかったのだ。小学五年生の夏だった。小説にかじりつく本の虫である私は、親のいない主人公登場人物が出てくる本をいくつも読んできたはずだった。そんな彼らに共感し(ちなみに私の両親は生きている)、そんな彼らが一番嫌がるのは「同情」だということも知っているつもりになっていた。しか人間って複雑だし、小説みたいに上手くいかない。あのときは「ごめん」と謝ることしかできなかった。

 彼女の母の葬式とき、本当は身内しか入れない控え室みたいなところに入れてもらってボードゲームをしてた。私だけじゃなくてクラス女の子も7.8人呼んで皆でワイワイやっていた。内心(葬式って悲しむべき悼むべき静かなところであって、こんなに馬鹿騒ぎするのはおかしいんじゃないの)って同級生に引いてたんだけど、彼女にとってはそんな馬鹿騒ぎでもしてないとやってられなかったのかもしれない。一歩引きすぎてたのかもしれない。そこで私がいの一番に盛り上げて彼女不安をどうにかして紛らわせることができたら一生の友になってたかもしれないが、正直彼女を見るとお母さんを思い出してテンションがぶち上がれない。

 葬式で配られたハンカチがあった。ご丁寧に葬式に出席した同級生全員に配られた。しかし私はそれを使うことはできなかった。ある日、学校給食時間馬鹿男子牛乳か何かをこぼしてハンカチを取り出した。例の葬式引き出物だった。しか彼女の目の前で。でも意外なことに彼女は笑った。「あ、それうちのお母さんのだ」「……悪かった?」「いや、使ってもらったほうが嬉しい。棚の奥にしまわれるより」私は完全に引き出しの奥に詰めていた。なんか、こういう考えないクラスメイトの行動のほうが、彼女にとっては嬉しいんだな──と、彼女と一番心の距離が近いと思っていた私は嫉妬のような不思議感覚を持った。だってあの旅行に誘われたのは私だけだったのだから。そして、「あぁ、これが『いつも通り接して欲しい』ってことなんだなあ」って思った。私は考えすぎていた。今まで読んだ小説サンプルになんとか状況を整理して、一番適切な行動、役割を全うしたいと思っていた。なぜなら彼女と私は親友で、親友がなにか危機的状況にいるとき相棒が助けなければならないからだ。しかしそれは、「同情」にも似た、そして、同情よりもたちのわるい「計算」をして彼女を支えたつもりだったのだ。

 葬式馬鹿騒ぎしたクラスメイトも、葬式ハンカチ日常で使う馬鹿男子も、「計算」なんてこれっぽっちもしてなかった。「いつも通り」だった。むしろ私はその場の空気を冷やしてしまっていたんじゃないか。私は感動しいである。感動もの小説ドラマ映画は大体感ポイントで泣く。感情豊かだと自負していた。だから相手気持ちも分かる気がしていたのだ。今年お互いに成人の日を迎え、年賀状も届いた。しかし、毎年返せずにいる。

重い過去がある人に対して、どう接するのがいいのだろう。よく小説漫画にあるのは、聞き手はてなを浮かべて「だからなに? おまえがおまえであることに変わりはねえよ」ってさも当たり前みたいな雰囲気を醸し出すやつだけど、あれを柔らかく伝える瞬発能力はない。お家に帰って反省会すれば出てくるかもだけど。人の死に構えすぎなのか。でも人が死ぬのは悲しいことだし……実際に身内が死んだ経験がないから分からない。自分の親が死んだときどんな反応をされたら心が逆立たないのか考えても、今の時点では「……そっかあ」という差し障りのない返答が精神衛生上いいんじゃないかと思う。分からない。

2020-12-23

anond:20201223212558

どうせ解説が男ならそっちの方が立場が上で女は聞き手とかケチつけるに決まってんだから

最初から受け入れない方がマシ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん