はてなキーワード: 差し支えとは
ネットサーフィンしてたら何年ぶりかにスーフリの記事に巡りあった。ご存知の方も多いだろうが、スーフリ(スーパーフリー)とは過去早稲田大学に存在した集団強姦サークルである。極めて悪質にソフィスティケートされた手口で多数の女性を強姦した。何度見ても反吐が出る事件である。
この事件の内容について語ることはもうない。多くの女性が強姦されて傷つき、反省や改心の念が欠片も見られない首謀者はもう出所した。どうせ今でも似たようなことをしている大学サークルや男たちは履いて捨てるほどいるし、それらを完全に排除することはたぶん不可能だ。結局ところ、自衛するしかないのだ(実際、標的にされたのは上京してきて遊び慣れていない、おどおどした女性ばかりだったらしい)。
一般的に、若い男性の性欲は強い。その性欲は、とめどなく溶岩を垂れ流す活火山みたいなものだ。表に出さなくても、性交への関心と意欲は人生のピークにある。とはいえ、いくら性欲が強くても普通の人間は酒や薬で人を無理やり昏睡させたりしないし、ましてや集団強姦なんかしない。あくまで性欲は、集団強姦を起こす一つの要因に過ぎない(しかし、最も重要な要因である。老人男性たちが集団強姦をしないように)。ここで考えられるもう一つの要因は集団心理とリーダーとなる人間である。人間は集団になるとたちまち知能や判断力が低下する。普通の人間が普通じゃないことをするようになる。歴史を調べればわかるように、集団心理によって起こされた事件は極めて多い。リーダーとなる人間は、集団が作られる過程で発生するか、集団を作ろうとする人間のことである。GOサインを出す、指揮系統の頂点となるリーダーが存在することで、完成された集団となる。「性欲+集団心理+リーダー=集団強姦グループ」
長たらしく書きましたが、若い男の性欲は怖いなあと思います。僕自身22歳の男なんですけど、性欲のせいで注意散漫になったり、考えがまとまらなくなったりして「ああもう、やんなるな」とよくなります。仕事に差し支えると困るし、色々と面倒なので、僅かな望みをイソフラボンに託して豆乳飲んでます。ごくごく。
1.あなたには現在夢がありますか。またその中身についても差し支えなければ教えてください。
無い
2.就職活動、就職は、あなたの人生において大きな分岐点となりましたか。
なった
何度かはやり直せるけど無限ではなく有限だと思う
4.あなたの中で「人生が詰んだ、再起不能」状態とはどのような状態を指しますか。またはそんな状態はない、と思いますか。
5.ハイリスク、ハイリターンのある将来を目指したり、夢を追ったことはありますか。その結果後悔していますか。または胸を張って自分の人生を肯定できますか。
ある、後悔はしてない、失敗に終わったから胸を張って肯定はできない
6.近い将来の楽しみ、遠い将来の楽しみはありますか。
ない
7.居心地がよいと感じることができるコミュニティはありますか。それはどこですか。
ない
8.自分の中で、人より劣っていると思った部分があり、それを良くしようと努力をした経験はありますか。
ある
9.あなたがもし今不安を抱えている場合、その中で最も大きく占めているモノは何ですか。
私はめちゃくちゃ恵まれている方だと思うが書いてみる。
ある。
なった。
効く。ただし、ちゃんと修行や勉強を積んで、しかもその分野だけでなくそこから応用や転化できるのが大事。
3と関連してない。
研究者になった。後悔なし。
ある。近くだとドライブして美術館に行ってその街に泊まること。遠くだと家を建てて本棚めっちゃ作りたいとか考えること。
ある。研究者仲間、職場、友人関係、親戚関係、恋人、地域のコミュニティ、サークル。
ある。上手く表現できないけど、仕事への取り組み方や周囲との協力の仕方(協調性がないと思ったから)。
不安はあるけどとくに気にならない。
私は現在大学4年生です。自分の人生のこれからを考えるにあたって、はてなのみなさんにいくつかの質問があります。
質問に関してはできるだけ意識して主観で答えてほしいです。人それぞれ、という答えが1番いりません。
どれか一つの質問でも答えを頂ければ、そしてそう思う理由を添えて頂ければ大変ありがたいです。質問は曖昧な言葉を使う場合もありますが、語句の解釈はあなたの主観に任せます
1.あなたには現在夢がありますか。またその中身についても差し支えなければ教えてください。
2.就職活動、就職は、あなたの人生において大きな分岐点となりましたか。
4.あなたの中で「人生が詰んだ、再起不能」状態とはどのような状態を指しますか。またはそんな状態はない、と思いますか。
5.ハイリスク、ハイリターンのある将来を目指したり、夢を追ったことはありますか。その結果後悔していますか。または胸を張って自分の人生を肯定できますか。
6.近い将来の楽しみ、遠い将来の楽しみはありますか。
7.居心地がよいと感じることができるコミュニティはありますか。それはどこですか。
8.自分の中で、人より劣っていると思った部分があり、それを良くしようと努力をした経験はありますか。
正式な病名じゃなくて不定愁訴みたいなものだから、自分が説明するまでもなく、患者がてきとーにググっても差し支えないと考えたのかもしれん。
あるいはここに書かれていない、医者の神経を逆撫でするような何らかの発言を元増田がしてしまっていたとか……?
まぁ、クリニックの開業医って、王様気取りのえらそーな人が多いから気にすんな。
さて、自分はこれを「テンプレものなゾンビサバイバル」と評したが、これは要所要所のツボは抑えていることを指しているだけだ。
この作品はある意味で「顧客の求めているもの」を提供しているとも言えるし、提供していないとも言える。
どういうことか説明していく。
まず、この映画を“豪華なキャスト”目当てで観たい人は、ぜひ映画館に足を運んで欲しい。
カメオ出演の俳優のために予算を使い果たしたんじゃないかという豪華っぷりである。
主演のマッピーもしっかり絡むので、彼の美声に終始酔いしれることだろう。
逆にゾンビサバイバルものを目当てに観に行くならば、あまり期待しない方がいい。
ゾンビサバイバルもので個人的に好きな箇所は、「パニック状態になって、人間社会が崩壊する前段階」である。
日常が徐々に壊れていくような、でもそれがまだ原型を留めているような段階のことである。
そこを丁寧に、上手く描いたゾンビサバイバルものは、個人的にそれだけでワンランク評価を上げたくなる。
本作も、その前段階にたっぷり尺を使う。
なんと1時間!
いくら自分が前段階が好きだからといって、モノには限度がある。
見せ方も無駄だという印象が強く、ただ登場人物たちがくっちゃべっているシーンが長々と続く。
パンデミックを想起させるニュースを挟んだり、ゾンビになりかけた様子のおかしい人が映るシーンなんてものは申し訳程度にしかない。
ゾンビサバイバルを観たい人は、後半の部分だけ観ても差し支えないレベルだ。
だが、これもある意味でわざとやっている節がある。
『ヴァリアブルオリジナル』の主人公を筆頭に、その他のアニメでも青年役、少年役で彼の声を聴かない日はない。
だからマッピーを目当てに観に行く人にとっては、彼が長々と話しているのはそれだけで至高なのだ。
だが、このマッピーという俳優が、ある意味で作品全体の雰囲気を歪にしている側面もある。
大根というわけではないのだが、これまで声優業ばかりやってきたせいなのか、その癖が抜け切っていない。
或いは、マッピーも実写向けの演技が出来たのかもしれないが、彼のファンはアニメから入ってきた人間ばかりなので、ファン向けの演技指導をさせたのだろうか。
マッピーの発声は本作でもすごくアニメっぽくて、実写向けの演技路線である周りの俳優とは明らかに浮いている。
ヒロインが「バリケードが突破された!」とリアル路線で喋り、周りの俳優やエキストラもそれに合った演技をする中、マッピーだけが雑音が全く無い環境で「ヤバいよ、本当にヤバいよ!?」と言っている場面の脱力感といったら筆舌に尽くしがたい。
これは自分の勝手な憶測だが、この映画の監督は元々コッテコテなゾンビサバイバルを撮りたかったのだと思う。
なのでマッピーの所属する事務所に関係する企業に出資を募ったら、出してきた条件がこの前半のかったるい展開だったのではないだろうか。
或いは広告担当が、俳優を前面に出して集客しようとした結果、それを極端にやりすぎたというか。
映画監督も俳優目当てとゾンビサバイバル目当ての人間をハッキリさせたかったので、前半は開き直って俳優劇場にして、後半でゾンビサバイバルを詰め込んだ、と自分は妄想している。
特に監督のこだわりが感じられたのは、子供のゾンビが出てくることだ。
しかもこの子供ゾンビが……(ネタバレというほどの展開ではないが、個人的な見所ではあるので伏せておく)。
本作のゴア描写は大したことはないのに、レーティングが高めなのはこれが原因だと考えられる。
それでなお“善良な人間からのクレーム”も覚悟しなければならない。
監督も色々譲歩し続けたと思われるが、ゾンビサバイバルのシビアさを表現するため、これは残そうとしたのだと思う。
自分としては、今回でこの監督も注目せざるをえない一人になった。
二つ下の男性の後輩がいる。その彼がわたしのことを好きだという噂を周りから聞かされる。
周りの同期や先輩がこぞって「あいつお前のこと好きらしいよw」という囃し立てに、正直うんざりしている。
わたしに彼氏がおらず、たまに場の空気で「彼氏ほしい」と無責任に口走るのがいけないというのはわかっている。
だけど、じゃあ彼が告白してきたら付き合うかと言われたら、その気は全くない。
彼氏はほしいし結婚もしたいが、お互いそう思える人がいないなら、誰でもいいから無理にしたいとは思わない。
いわゆる「生理的に無理なタイプ」というのは、なんというか本能的なもので、どうしようもないのだ。
わたしのことを誘えないからといってわたしの同期に頼んで4人の飲み会を開いてもらうことで、
味方を広げて断りづらく外堀を埋めてきたり。(ちなみに職場の男性にはだいたい筒抜けらしい)
自分から主体的に話そうとせず、わたしのいうことなすことすべて肯定してきたり。
好みのタイプは? と聞かれ、当時「年上がいいです」と答えたら、
わたしが帰ったあとに周りの人に「○○さんは年下のほうがいいと思うんですよね」と言ったり。(お前になにがわかるんだよ)
こんな酔う価値もない会で悪ノリした同期と先輩がポッキーゲームをやれと言い出し、きつく断ることもできないので
渋々応じたら、あろうことか普通に大喜びしだしたり。(普通こんなきっかけがなきゃできないのかって落ち込むところだろう)
酔っ払いと少人数でカラオケに行くなんてろくがことが起こらないとわかっているのに、断れなかったわたしが悪かったのかもしれないが。
片思いのしんどさは非常にわかる。そのしんどさを周りに理解されたい気持ちはわたしにもある。
だけど、彼のやっていることは「気持ちを伝えたいという行為」ではなく、「片思いしている自分の見せびらかし」だ。
付き合わされるわたしの気持ちはどうでもいいのか。「みじめで恥ずかしいからやめてください」と言わないとわからないのか。
それともどんな方法であれ、アピールし続ければいつか通じると思っているのか。
結論:場合による
https://togetter.com/li/1113766
https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601
この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)
「分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかしな意見の代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから。
たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り無断で引用して差し支えない(他人の机の中にしまわれている黒歴史ノートを無断で引用するのは当然のことながら違法です)。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかいう単語も容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。
文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフの研究では、英語版とロシア語版を照らし合わせて登場人物の名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。作者に許可を取る必要もない。
それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。
現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは、
という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手の二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。
しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石の作品中における接続詞の使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法の分析じゃないからコーパス使えないことはわかるけど、「有害な表現のフィルタリングのため」という目的で用法を研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究とはいえないんじゃないんですかね。ふつうそういう研究なら、「○○新聞のデータベースで××年分の記事を検索して調べました」とか「pixivのデイリーランキング上位20作品を平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組を分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリングを情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……
「pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。
一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイトも自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。
しかし、ここで問題になってくるのは
ということだ。
それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivのアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか。
※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトにアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者(創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します。
たとえそれが個人的な談話であっても、社会学や文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活の愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学や文化人類学の調査で来ているので、皆さんの発言を研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワークの経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対に論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。
だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学や文化人類学の研究なら普通は発言者をボカす。社会運動の指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。
仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代の図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔で記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会は激おこだった)。
これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞の投書欄を分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄に実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。
ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民が食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係の史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。
インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿を分析し発言者を特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象が著名人であるとかなら別だけど(twitterで右寄りの発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想を研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだから(レイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。
それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性は全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者が特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。
=何が言いたいかというと、確かにあの論文は研究倫理に反するけど、それは同人小説を研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。
何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表のプロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系だと学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答でボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会の判断とかで弾こうぜ。
あとこれ多分M1の学生の研究に助教と准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。
社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳が拡散されてる。
http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758
マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?
いちおう言っておくと、
ってこれ全部別の話だからね。
正直、腐女子が研究者や研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子を面白いオモチャとしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情を否定したいわけじゃない。ただその感情の根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。
研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。
文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい(だって書誌情報、つまり引用元の出典は脚注で示しているんだから論文の最後にリストとして挙げる必要はないでしょう? もちろん脚注にきちんと文献情報載せない場合は文献リストが必要ですよ)。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。
これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。
いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会の研究倫理はおかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。
こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。
ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。
お医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手が医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手の文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。
こういう研究をするときには調査される側の同意が必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限は調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。
でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的に関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館で雑誌のバックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスをポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。
医学論文でもカルテ調査するなら患者本人には(直接的には)迷惑かからず、それを氏名つけて公表したあとに患者本人に影響出る可能性が出てくるわけで"根本的に違う"というのがよくわからん。
カルテって、出版されたり、数万人の会員がいるSNSにアップロードされたりしてるんですか? 根本的に違うってのはそういうことです。当たり前ですけど、二次創作小説でも「作者が誰にも見せずにしまっているもの」「数人の親しい友人以外には見せていないもの」を引用するには許可が必要だし、無断で引用したら大問題ですよ。
会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?
少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!
(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌に掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)
研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店や図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。
二次創作が研究対象になるなんて前例がなく誰もそんな想定をして書いてない。これは前例がないことだということを頭に入れていきなり研究の場に引き釣り出されて心の準備が追い付かない人の気持ちも憂慮してほしい。
前例はあります。
今手元にないんで間違ってたら申し訳ないんですが、2004年に男性向け作品での美少女表象を研究した本が二見書房から出ていて、バッチリ同人誌も引用されてたような。手元に確実にあるやつで確認すると、2009年に創刊されたコンテンツ研究系の学術誌に載ってる尾道の聖地巡礼史を論じた研究では、聖地巡礼同人誌が引用されてます。探せば同人誌を引用した研究はもっと出てくるんじゃないかな。コンテンツ研究だと痛絵馬の分析とかもやってるし、そこまでおかしな事態じゃないです。この辺の学術動向知ってれば「前例がない」なんて発想こそ出てこないですよ。何を今更。
まあ、素人さんがそういう学術動向知っとけ、って無茶ですよね。でも、これでわかったと思うけど、学術って開かれているけれど閉じられた世界なんです。興味のないことには誰も目を向けない。同人誌も同じです。女性向けの島中に置かれてるマイナーCPの薄い本なんて、理屈の上ではコミケ来場者全員に買う機会があるけど実際に買うのはごくごく一握りでしょ? はっきり言って今回の論文だって似たような位置づけなわけですよ。知らない場に引きずり出されて不愉快に思うのはよくわかるし、同情もしますけど。
あとこれ言うと揚げ足取りになっちゃうんであまり言いたくないんですけど、『アララギ』とか『白樺』だって同人誌だし(ていうかあっちが元祖)、そういう意味での同人誌ってたくさん研究で参照されてるし、CiNiiで「同人誌」で検索かけたら戦時中の誰も読んでないようなマイナー文芸同人誌を詳しく紹介するみたいな論文がヒットするわけですよ。同人作品だから引用しちゃいけないとか研究の場に引きずり出してはいけないって言われても、それどこの星のルール? っていう感じがします。明治文学研究とかルール違反の百貨店や~。
これ発表してから2ヶ月近く経って、いろいろ考えましたが、やっぱり私は研究倫理には反してないと思いますね。人に不愉快な思いをさせることがすべての局面において研究倫理に反するわけではないし、やっぱり引用の権利は厳然としてあるので、そこを突っぱねるのは筋悪かな、と。
先週の土曜日、体調が優れなかった。
頭痛、悪寒、眠気、だるさ、節々の痛みなど、風邪かと思ったが熱はなかった。
仕事が溜まっていたので出社してデスクワークをしていたが、薬を飲んでも体調が変わらず、夕方には帰宅した。仕事は終わらなかった。
翌日曜日、月曜日の仕事に差し支えてはいけないので風邪薬を飲んで寝ていた。
趣味の予定はキャンセルし、車を出すことになっていたので友人に謝罪のラインを送った。
月曜日、朝から体調が優れず、休もうかとも思ったが、先週からの仕事が溜まっている状態では業務に支障が出るので、風邪薬を飲んで出社した。
昼前になると薬の効果が切れたのか、頭痛、悪寒、強烈な眠気とだるさに襲われた。同僚に無理を言って1時間もらい、仮眠をとった。少し回復したので取引先に出向く。なんとかこなせたが、同僚と先方に気を使わせてしまった。
火曜日、午前中休みをもらって病院へ。疲れからくる体調不良だと言われ、点滴を打ってもらった。
体調は良くなったが医者からの進言もあって午後も休みをもらって帰宅した。
会社の同僚に仕事を引き受けてもらい、申し訳ない気持ちと情けない気持ちでいっぱいだった。
夕方、妻が帰宅したので休みをもらったことと病院で疲れが原因だと言われ点滴を打った旨を伝えた。
「いつから具合悪いんだっけ?」
「あー、あれかな、あたし前にコーヒーやめたじゃん?」
「うん」
「その時頭痛とだるさが2週間くらい続いたんだけど、それかな?」
「毎朝コーヒーは飲んでたよ?」
「こないだカフェインレスのコーヒーもらったんだけど、ちょうど土曜からそのコーヒーにしたんだ」
「え?」
「だってもったいないじゃんせっかくもらったのに。あたしは飲まないけど」
「自分はカフェイン抜いて体調悪くなったのに、俺に言わないで勝手に変えたの?」
「気づかないでしょ。気づいてなかったじゃん」
「体調悪くなってたの知ってたよね?」
「だから?」
「え?」
という会話のあと、残ってたカフェイン入りのコーヒーを自分で入れて飲み、寝た。
水曜日、一応風邪薬を持って出社。前日までの体調不良が嘘だったかのように普通だった。迷惑をかけてしまった先々にお菓子を持っていき謝罪した。
その後、体調に変化はなかった。
量が多く、起こすのはめんどくさいので概要だけ。
https://www.youtube.com/watch?v=sAdWcZEtGrw
あ、冒頭の土屋正忠議員、「テロ準備行為だ」の不規則発言に一切触れない姿勢。心底軽蔑します。
25分の質疑の間に立法事実が「テロ行為の抑止+条約の批准」(by安倍晋三)から「条約の批准」に変わりました。例の、3つの事例、化学薬品で大量殺人を狙って、原料の一部を入手、飛行機をのっとり、高層ビルに突撃させるための航空券を予約、都市インフラを麻痺させる目的でのコンピュータウィルスの開発に着手、という3つの事例については3月時点で山尾議員に立法事実にはなりえないことを指摘されていましたので、佐藤正久議員が桜井よしこ氏に述べていた事例が取り締まれるか否かについての質疑。
産経掲載、桜井よしこ「古代の化石のようなことを言い続けることと、民進党の支持率の低迷は無関係ではない」記事。リンクは張らない。
佐藤正久参院議員(自民)は、テロリストが水源に毒を入れて多くの人を殺害しようと企てたとしても、現行法では実際にテロリストが水源に毒を投げ入れなければ逮捕できないと指摘する
この古代の化石どころか、法的知識が皆無といってもいい事例はどうやら自民党内での説明資料で共有されているものらしく、それについて山尾議員が、殺害しようと企てて、毒物を入手した場合、殺人予備罪が適用できる、摘発できるものを摘発できないと印象捜査するのはやめてほしい、と訴える。山尾議員の質疑にもまともに答えられていなかったので、別に不要とも思いますが、一応付け足しておくと、これ多分、刑法第15章、第142条、147条の飲料水に関する罪に未遂罪がないことを言ってるんでしょうが、目的が殺人である、と明言してるわけで、大臣は毒物が致死性であることなどが要件として必要だといってたけど、別に毒物の毒性について詳細な認識が無くても、枝野さんの質疑において、林局長の答弁にもあったように、未必の故意は当然認められるので、殺意を持って毒物を飲料水に流すことを事前に察知できていたのなら摘発できないなんてことは当然無いです。どうやって事前に計画を知るのかは知らないですけどね。とりあえず自民党内部の法曹の人間はこの事例の公開に疑義ははさまなかったのかな?
さらに、ラインが令状なしの開示を22件やっていることを公表しているけれども、令状があるから大丈夫なんていえるのか、と聞いているのに「令状がないと強制捜査はできないから大丈夫」という答弁をされる金田さん。もうね、ほんとね。でも大丈夫、経読みの立法趣旨、立法事実を途中で変えるのは、精神保健福祉法でもすでにやったよ!金田さんだけじゃない。でもひっくり返してからも3日ぐらいは質疑したけどね。これはひっくり返った当日に採決。もうほんと好き放題だな。
今日も質疑の概要、資料の事前のアップ、ありがとうございます。
条約の要請について整理を求めた上で、予備行為をもってTOC条約を締結するように調査せよ、と平岡秀夫法務大臣時代の質疑を持ち出して、石破茂議員が、「政権が変わったからといって、ころころと態度を変えるな」という旨の主張をしていることに対して、当時の刑事局長が平岡大臣の意向を受けてやっていかなければならないといっているが、その調査の結果はどうだったのかを質疑。林局長は復命の前に平岡大臣が辞任したので、結果というものは存在しない、とおっしゃる。平岡さんの秘書の件は痛恨ですね。
さらに組織的身代金略取等の罪は、組織性の問題については、予備でも共謀でも変わらない(だってこの罪は組織的犯罪の罪だから)が、予備は2年以内、共謀は5年以内となってることを大臣に問いただすが、答えるのは井野俊郎法務大臣政務官、なぜか組織性と結果の重大性について答える井野さん、大臣も当然答えられず、林局長が答弁、組織的身代金略取等の予備罪は存在しないと答弁。これよくわからんけど、たぶん林局長のほうが正しい。
組織的犯罪処罰法の中で規定されている組織的な殺人等の予備罪は、2項として営利目的等略取及び誘拐の積み(営利の目的によるものと限る。)とされて二年以下の懲役と規定されていますが、身の代金略取等予備罪は刑法第228条3項でこれまた2年以内とされているので、そこを勘違いしたのかなと思う。かつて、身の代金略取等が無かった頃は、営利略取等の中で、身の代金略取を読み込んだ判例もあるようですが、刑法225条2が成立した後は、営利略取等の中に身の代金略取等は入っていないと思われるので、刑法第225条の営利に限り組織的殺人等予備罪は適応されないのかなとは思う。これもまぁ当然必要なら予備罪を用意すればいいので、共謀が必要だという論拠にはならないと思うけど、少なくとも、量刑のアンバランスに関するものとしては枝野さんの時の減免規定による整理よりは筋が悪いとは思う。
ああ枝野さんの質疑もっと聞きたかったわ。
TOC条約が要請する、既遂や未遂とは違うということをわざわざ整理しているが、推進行為、アメリカの例で言えばovertactのようなものを予備ではダメだとは書いていないし、立法ガイドは、各国の法体系を覆すような法整備をしてはならないとしていることを冒頭で指摘する(これが緒方さんがやるんだろうと私がおもってたとこ)。その後、「組織的犯罪集団の認識が、構成要件として絶対必要で、条文上明らかで、将来にわたっても解釈が変わらない」ということを明確に確認する枝野さん。維新のアリバイ修正は無意味だけど、この答弁は一応ちょっと意味があるかもしれない。捜査段階での歯止めにはならないけど、裁判段階では、多少の影響を持っているということだとおもう。威力業務妨害、信用毀損の特異性について駆け足で整理する。信用毀損はまさに表現行為の規制であり、実行されていない信用毀損は内心の問題、というのは前回質疑。今回は主に威力業務妨害について。威力の定義、共謀の段階で威力業務妨害が判断できない場合が多いことを指摘。「犯人の威勢、及び人数、並びに周囲の状況より見て、被害者の自由意志を制圧するに足る犯人側の勢力」をどうやって共謀段階で把握するのか。特に、威勢、周囲の状況はむりでしょうね。計画でわかるのは人数ぐらい。マンション建設、基地建設、原発の再稼動を止めようとする反対運動、参加者は、どこまでやる気かはいってみないとわからない、誰もわからない。でも多分参加してる人は犯罪の明確な意思はないけれど、未必の故意はある。林さんは、あらかじめ定められた計画にしたがって、犯罪実行の具体的かつ現実的な合意がいるから大丈夫、という。これって前回の、組織的犯罪集団と、外部の人も含めて、計画を知らない人がいてもいい、実行部隊との関係を多分意図的に混同してるので、当然枝野さんに、混ぜるな危険といわれる。さらに、マンションの反対運動、基地反対運動の人たちの結合の基礎としての共同の目的は何か、と聞く。
枝野
「マンション建設の反対運動の、基地反対運動の、あるいは、環境を破壊するなんたらの反対運動の結合の目的はなんですか」
林
「まさしく委員が質問のなかで言われたことがまさに、共同の目的に当たります。マンションの建設反対、あるいは環境の保護、とかそういったものが共同の目的になろうかと思います。」
枝野
「これらは全部ね、相手方見れば業務なんですよ。マンション建設するのは、業者に取ったら業務なんです。基地を建設するのは、国交省、防衛省に取ったら業務なんです。環境破壊になる建設、国土交通省なのか、農水省なのかわかりませんけど、そこにとっては業務なんです。それらをやめさせることをのものが、これらの団体にとっては共同の目的そのものなんです。そのために、デモをやったり、座り込みをやったり、いろいろなことをやるわけです。多くの人たちはそのことが業務妨害にあたるかどうかなんて意識しないでやっている。まさに実際に行ってみないと、威力業務妨害罪の境目を越えるかどうかは、組織を作った段階では誰もわかんないんですよ。実際にやってみたら行き過ぎてしまった。刑法としては当然未必の故意は認められますよ。だから危ないんですよ。共同の目的自体が業務を止める、あえて言えば業務を妨害することなんですよ。妨害という法的な評価が入るのは適正な範囲を逸脱したときですけど、それは実行してみなきゃわからない。計画のほうには、具体的な計画ということで未必の故意を否定はできないだろうけど、それだけではダメだというかもしれないけれど、(組織的犯罪集団の認定に際しての)共同の目的には未必の故意で足りるんじゃないですか」
林
「マンションの反対が共同の目的であっても、その共同の目的を達成するためにさまざまな手段があると思います。何も業務妨害という形での、法定刑に当たる行為、それを手段として、必ずその手段でなければ、参加しないと、そういうことでなけらば、犯罪実行が共同の目的となっているというわけではないわけであります。」
枝野
「まさに本質が出てきました。いろんな運動の仕方があります。マンション建設が一番いいかもしれない。基地だと多くの国民の皆さんが、私関係ないわって思っちゃうかもしれない。しかし近くに高層マンションがたつ、日当たりの問題が出る。これは反対だ、と自治会で話し合う。デモとか座り込みとかやると、威力業務妨害になっちゃうかもしれないから、それはやめておこう。こういう萎縮効果があるから、少なくとも威力業務妨害罪のようなものは外す、あるいは未必の故意では足りない、明確に犯罪の実行目的がなければならない、せめてそういう話にしていかなくちゃならない。そういう段階に行く前に終局して採決してるから怒ってるんですよ。」
労働運動では、団体交渉は、威力業務妨害、偽計業務妨害に外形上区別がつかないので、労働組合法で明確に除外されている。こういう立て付けにしている理由は、まさに区別がつかないからで、なぜわざわざ除外規定とかを設けているかというと、どうみても労働組合は、(テロ等準備罪での)2条の団体に該当するからでしょうと。労働組合は、明確に除外されているが、類似の反対運動などは、当然同様の混同を生む、という話をして終了。ここんところも、もっと時間があればなぁという感じ。実行の手段は複数ある中で、その中のとりうる手段の一つが犯罪の場合、捜査に着手するのかどうかとか、当然発生する疑問だけど、どうするんだろう。
もうこれ金田さんでは、安倍さんか菅さんが言い出した「一般の方々は捜査の対象とならない」は覆せないんだから答弁不能。
警察庁の官房審議官に、警察が、一般人を捜査の対象とすることはないのかについて延々と聞くものも、必要な情報収集をするだけだから、テロ等準備罪とは関係ないと答えるだけ。当然金田さんの答弁の否定はできない、ということしか確認できない。ひたすらにわかりにくく、「捜査範囲は法務省の答弁どおり」(これ汎用性高い)でかわしていく。逢坂さんの、「警察法2条に定める情報収集の対象者に法令上限定はありますか」という質問はうまかったけど、当然まともには答えない。まぁ逢坂さんのスタイルはこの短いのには合わないね。
実際の組織的詐欺事件とし立件された事例から、事後的に組織が認定されていったことをもって、嫌疑を持って、どこまで対象の範囲になるのかということについては捜査側の恣意性がどうしても消えないだろうと。林さんは、捜査の対象については、とうぜんどういう計画で、どういう合意があったかということを調べていくことになる、リアルタイムに現在行われている犯罪に限らないという旨を答える。井出さんは、今までの捜査とは、証拠の量、質がぜんぜんかわってしまうから危ないっていってんですよ、という話。そのあと、合意に関わった場合の離脱の判定はどうするのかということを整理。共謀共同正犯からの離脱でも個々の事件において、別々に判断されてきたが、整理すると、離脱するものが、ほぼ全員に対して、離脱の意志を伝えなければ、離脱したことにはならない、という答弁。当日、まぁ臨機応変にうまくやってくれ、ぐらいの感じで、集まれよ、といわれた人の離脱について議論した後、特定機密保護法でも配慮規定がついた上に、国会の中にいちおうチェック機関がある、通信傍受も立会い条件は消えて、拡大はされたが、それでも一応配慮規定はあるし、令状の歯止めはある。GPS捜査については、最高裁判決が出るまでに少なくとも10年間任意捜査で使っていたような警察が、果たしてこの法律のような規定が無い状態で、適正に任意捜査ができると思えない、という話でしめる。
上西小百合さんは、公安を警察から外せ、という主張に対する、権限の濫用はない、警察の監視強化は不要とした金田大臣に、自分の名前を勝手に使ってた風俗店だかの捜査で、警察が、上西さんとなんか関係ないのか、としつこく聴いた上で、マスコミに上西さんの名前を出してご注進をしていた例をひいてから、警察がまともにやれるとは思えないというような主張。金田さんをひとしきり馬鹿にした後、答弁させる。金田さんは一応冷静に交わした後、時間切れのなか、丸山穂高議員が院外からわざわざやってきて採決を促す役割をやることは、維新が国にとって害悪にしかなってないことを示していて恥ずかしい、という主張。まぁご本人はサボっておでかけとかされて、除籍されたわけだけど、民進党に頭を下げて、5分でも欲しい、というような形でもらったみたいですが、心を入れ替えられたのかな。
この藤野さんの質疑はよかった。安倍さんの立法事実と、金田さんの立法事実が答弁する日によって異なり、こんな不確定な立法事実にもとづいて立法することは許されないことを指摘。流出した、日本在住ムスリムの監視、その家族に至るまで、イスラム系テロの候補者として、身体的特徴や口座情報、金銭の出納状況まで精細に調べていることについて、警察に今もやっているのか、と聞く。当然警察庁は、捜査に差し支えるからという理屈で答えない。国連の委員会の中で、宗教や人種に基づいて、予断を含んだ捜査が行われている実態についての改善指示が出ていることを政府に答弁させる、など、筋道もよかった。
また休日に赤旗を配っていた公務員を29日間、朝から晩まで、捜査員が延べ170名、ビデオ等で監視していた件で、最高裁で被告勝訴になった事例。この公務員と接触した人の身体的特徴を記録、氏名等を調べようと、行動確認をしていた件について。
藤野
「警察が動き出したということは、ターゲットになった人だけじゃなくって、その人に接触した人についても、捜査の対象になっている。一般人は捜査の対象とならないとおっしゃっていますが、警察が目をつけた人の知り合いだったら、警察にマークされて行動確認される尾行される。大臣、この資料で明らかじゃないですか」
金田
「そもそも一般の方々という言葉を私ども使ってまいりましたが、使用される文脈でその意味は異なると思いますが、我々はテロ等準備罪の捜査の対象とならないという文脈においては、組織的犯罪集団とかかわりの無い方々、言い換えればなんらかの団体に属さない人はもとより、通常の団体に属して、通常の生活を送っている方がたという意味で用いております。そして捜査というのは犯罪の嫌疑があるものに行われるものであって、その被疑者と一定の関係を有するものから事情を聞く、というような場合、その事案の解明に必要な限度において、捜査が行われることはありうるんですけれども、特段の理由が無いのに、被疑者でない人物の行動監視を行うことは想定しがたい。あくまで被疑者の嫌疑を解明するために行われるものであって、その人物を被疑者として行われるものではありません。したがって一般の方々がテロ等準備罪の被疑者として(NEW)捜査の対象となることはないのであります。」
この被疑者は最高裁で無罪になった一般の人だと思われるけど、共産党シンパだったから監視対象になったわけね。共産党員と接触すると、監視の対象になりますよ、という話ですよね。この件も、志布志事件も、和歌山の選挙に行こうっていう話でも、大垣の市民監視事件でも全部警察は謝罪していない。そんな組織に、共謀罪を与えたら、どんな人権侵害が発生するかわからんよ、という話。
いきなりやってきて今までの議論の内容をくさし始め、維新の修正内容を盛大に宣伝する。どうぞ、巣におかえりください。
土屋理事が動議するも、紙、マイクを野党理事に抑えられて、動議の内容、鈴木委員長の整理も全部聞こえなかったけど、与党議員起立。国重徹議員が、付帯決議を読み上げる。速記がとまる。また議事録の捏造が確定する事案ですなぁ。聞こえなかったけど、速記はとまったし、与党議員もなんかしらないけどずっと立ってたし、可決したみたいね。
書き溜めと推敲に思った以上に時間がかかったんで、とうに旬が過ぎた話題になるが
「『ウソをウソだと見抜ける人でないと難しい』という格言はもう賞味期限切れ」という意見に同意の声 - Togetter
趣旨には賛成も違和感。「嘘を嘘だと自分だけがたとえ見抜けたとしても、その他大勢の見抜けない人に結局巻き込まれて、自分も含め事態は悪化する」が現代においては事実だと感じる。自己責任の限界を言ってる
2017/01/28 13:12
これを見て痛く共感し、かつて自分がいた勤め先のことをありありと思い出したので、熱量が冷めないうちに書き残しておく。
大元の発言は、ただのひろゆきの責任逃れの詭弁でしかないが、これは何も2chやインターネットの中だけで起きてるんじゃなくて、
Post-truth時代においては社会のどこでも当たり前に起きていることなんだぞ、という警鐘と自戒を込めて。
※本エントリは、退職エントリ・ブラック企業自慢・詐欺まがい商法・愚痴日記のキメラとなっております
細かく書きすぎて特定される事や、業務上知り得た機密情報の線引き、やれ営業妨害だ名誉毀損だになると面倒なので書き方は一部婉曲し濁しているが、
前職は水廻り設備全般の保守点検業をやってる会社だった。無料マグネットシートの広告をよくポスト投函してくるあれ系列会社の小規模版と思って頂いて差し支えない。
ご多分に漏れず「水のプロ集団」をスローガンに、トイレや台所排水詰まりの24H対応承ります、を謳う、よくある地元中小企業だ。
そこでの何が気に入らなかったのか。起こったことを順に箇条書きにすると、
イソジン溶液に含まれるヨウ素の茶色を、酸化還元の化学反応で無色透明にすることは、小中学生の自由研究レベルで再現可能だ。
ビタミンC錠剤、レモン汁(キャンディも可)、魚飼育用カルキ抜きなどを放り込んでやれば済む話である。
参考:http://cs.kus.hokkyodai.ac.jp/tancyou/vol.47/iromagic.htm
が、現実に目の前にあったのは、そんな理科実験で素直に「すごーい!」と感動しちゃう事務社員たちと、
目の前の箱でその販売会社の名前をググれば検索候補に「マルチ」「インチキ」がすぐ出るような詐欺師集団を、平気で社内に招き入れる重役と、
その事実を蚊の消え入りそうな声で辛うじて主張しても結局誰一人説得できない、何の現状も変えられない自分だった。
全てを殺したいくらいに腹が立った。
そんなものにGOサインを出す上司たちも、騙されて買ってしまった上で笑ってる部長も、人のためを思っての事なら詐欺っても無罪かい!それで済んだら警察要らんわ!とツッコミ入れたいパートにも、
義務教育と大学で学んできたのに、そんな現状を何一つ覆せない、全面対決の構えで公に訴え出る覚悟もない、傾聴してもらえる程の信頼すら得られていない自分自身も。
分からずに招き入れてたとしたら、水のプロ集団()失格もいいところだし、
分かった上で招き入れてたとしたら、無知な下っ端に買わせて搾り取ってやろうというそれ以上のドクズ確定、
どちらに転んでもプロとして、人として終わっている。
ただ一人だけ、そんな会社に30年来勤続し続けた最古参のC社員(仮名)が残した自嘲気味な言葉が今も強く残っている。
「ウチは確かに『水廻り仕事を承る集団』ではある。けど、今の現状はお世辞にも"プロ"集団 とは言えんなぁ」
なお、そのC社員は課長職までは上れたが、会社規定に基づいた役職定年により主査となり、管理職手当が無くなる事実上の減給降格の上、
パワハラ課長の属する部署の窓際に飛ばされ、24h緊急対応の出動要員として待機を命じられる人事異動を受けた。分かり易い追い出し部屋である。
もうやる気ないならさ、早急に「水の反社会的団体」か「水のチンピラ集団」に改名してくれませんかね?
阪神大震災当時のインフラ復旧にも尽力し社会貢献したことがご自慢らしいが、公共の福祉改善1件で他の違法行為諸々がチャラになるなら
山口組はとっくに日本最大の慈善事業団として表彰されてるわ。理由が面子の張り合いとはいえ、災害時は地元へ我先に物資押し付けするからな
消費者センター案件かと思って調べてはみたが、通報して立件に動いてもらえるのは
が証明できないと難しい、とのことだった。今回の場合、参加はあくまでも任意で強要はされていないし
参加者のリストを作ってる時点で充分気持ち悪いが、かといって不参加者に何か不利益が降り掛かったわけでもない。
よくよく考えると、脳内で吹き上がってキレてたのは自分一人だけで、即決買いしちゃうバカ部長はともかく、
科学根拠には疎いようなママさん女性陣は「すごい商品ね」と口では褒めながら、結局誰一人買ってなかった気がする。
必ずしも正しい知識がなくとも、そこまでカネかける価値がある物かの真贋をジャッジする知恵はあったのかもしれない。
そんな事も知らないのかと、無意識のうちに内心見下している自分がいたことは大いに反省すべきだろう。
結局「上から下まで揃いに揃ってこの程度のリテラシーじゃ、この会社も先は長くないな」と見限りを付けて、適当に愛想笑いしながら
内心だけで舌を出しさっさと転職活動を検討するのが一番だったのだろう。俺も実際そうしたしな。少し空白期間を作ってしまったが
参加者を報告させてた当時の社長は、何の成果を挙げたのかよく分からんまま在任3年ほどで退任し、
浄水器を騙されて買っちゃったバカ部長が後釜に就いて社長になってた。今はCSR活動の一環として、
会社向かいの公園ゴミ掃除や花壇の水やりを行ってのうのうと社会貢献していらっしゃるらしい。へー偉いですね(棒)
なお、会社名検索したところ、アルゴリズム変更でネガティブワードのサジェスト汚染が表に出にくいように
修正が加わったGoogleとYahoo!の結果は平和だったが、bingの方に「会社名 ブラック」が候補に出てた模様。
表立った事件報道もされてない段階の標準サジェスト候補に「ブラック」が出る時点で、普段からどんだけ
人に恨まれる会社経営やってるのかお察しだが、ニュースにも出た名だたる本場ブラック企業の実態に比べれば、
ここの小物ぶりなんてせいぜいが「ダークグレー企業」程度のものだろう。
なお、退職前にメールでこっそり「ブラック名指しされてますよ、なりふり構わないなら"逆SEO"なんてモノもありますよ」
ってこっそり業務改善提案を提出してどう出るか様子を伺ったところ、個人的観測範囲で2015年6月頃までは
「ブラック」が上位に来てたのが、「カイシャの評判」というen転職系列のレビューサイトに、それはそれはもう
綺麗な桜色の美しい書評が沢山寄せられて検索結果が変わっていた。分かりやすっ。
参考:削除跡地
ある会社員です。平日は9:00から18:00、または週に3日程度2時間ほどの残業を経て20:00頃まで勤務し、土日祝日を休暇として過ごしています。尚、周囲の社員も概ね同様です。
そして傷病に掛かる規則で定められた療養期間、若しくはそれと異なる規則で定められた期間ののち、彼らは退職します。
彼らが休職に至る経緯に加え、私が勤務に伴う交流や体験、観察により得た情報と、インターネットやマスメディア、就職以前の求職活動で得た情報を照らし合わせると、どうやら弊社では日常的に「ハラスメント」的な現象が発生しているのではないか、という考えに至りました。
それと同時に、社内ハラスメントと類似した現象が発生する、とある環境を想起しました。
この環境の想起は言葉通り思いつきに過ぎないものの、これに擬え改めて以上の情報を再整頓すると、今まで不規則で捉え難かった様々な現象について一定の規則性を見たと感じることができました。
記事を書くにあたっての調査や統計などを行なっていないため、主観的な文章です。
これはある会社員が書いたブログ記事です。よって「だ」「である」ではなく「思った」「感じた」の文章です。
以上をふまえ、楽しんで頂けたら嬉しいです。
セクハラ、モラハラ、アルハラなど、ハラスメントを示す様々な言葉を目にすることから、その発露の形態によってハラスメントの捉え方が細分化されていることを私は知っています。
しかし、そのようなディティールを得られずとも、今般そのシルエットを観察し、全てのハラスメントは「不適切な役割の強要」であると捉えることができました。
ハラスメントを「不適切な役割の強要」と捉える考え方に基づき、シミュレーションを行ったのはRPGという環境です。
●RPGとは
RPGはロールプレイングゲームの略称であり、遊戯の一形態です。
日常会話の中では、フォールアウトやファイナルファンタジーなどのビデオゲームを指すことが多いのではないかと思いますが、ここではテーブルトークロールプレイングゲーム(TRPG)を指します。
実際のところ、私にはTRPGを遊んだ体験がありません。ですので、TRPGのプレイヤーよりもだいぶ不細工になりますが、以下の通りその概略を記載します。
●TRPGの概略
TRPGは複数人の参加者との対話(セッション)により進行するゲームです。紙や鉛筆で記録を取りながら、ダイスなどを用いて様々な選択を行い、ゲーム、物語の結末を目指します。
まず1つめはゲームマスター(GM)と呼ばれる進行役です。GMは他の参加者(プレイヤー、PL)に様々なノルマを課したうえで、ダイスの目を読み、彼らのセッションを解釈し、結果として反映させることでその達成を助けます。
次に、ルールブックです。これはそのゲームがどのような規則に従って進行するべきか記載された冊子です。GMはこれに則りノルマを課し、PLもまたこれに則りGMの課したノルマに応えようとします。
最後に、キャラクターシート(CS)です。これにはPLの担うべき役割や特性が記載されており、役割に応じた技能、スキルを行使することができます。
TRPGと労働には多くの類似点があります。なぜなら経営者や管理者もまた、法律や社則等の規則に基づき労働者へノルマを課し、彼らの役割や特性を活用しながらその達成を助けるものだからです。
異なるのは、TRPGは参加者がカタルシスを経て物語の決着をみることを目的とするのに対し、労働は参加者が社会貢献の対価として金銭等の利益を得ることを目的としている点です。
しかし、これはハラスメントのシミュレーションを行うにあたっては些細なことです。
このとき、とあるGM(ときにはPL)を併せて想像すれば、誰もが彼のせいでゲームを楽しむことができないと判断し、プレイを放棄したいと考えるでしょう。
彼はルールブックに違反し、CSに記載されていない役割をあなたに求め、その役割を行使しないと見ればあなた方のセッションを歪めた上で結果に反映させます。
労働の場に置き換えると、経営者ないし管理者は規則に違反し、労働とは無関係の役割を労働者に求め、その役割を行使しないと見れば評価を歪めた上で待遇に反映させることになります。
冒頭の「不適切な役割の強要」がこれにあたり、この一部ないし全ての過程こそがハラスメントであると私は考えました。
ハラスメントの渦中にあるとき、労働というRPGの参加者の1人である労働者は適切な利益を与えられていると言えるのでしょうか。そして、給与はその利益として換算して差し支えないのでしょうか。
RPGであれば、ゲームを放棄することで不適切な役割を強要されることから解放されます。この場合、ゲームの結末を見ることは叶いませんが、この達成をハラスメントの不快感よりも優先するべきとはあまり思えません。
しかしながら、労働者にとって労働は生活を維持するための資金を得ることを1つの大きな目的としています。また、社会的地位や自尊心など、生活の志向を決定づける様々な指標にも影響を及ぼします。
労働はRPGのひとつのサブシナリオに過ぎませんが、それと同時に、退場やコンティニューの叶わないメインシナリオである生活を左右する、重要なサブシナリオでもあるのです。
●CSを持たない人
なぜ彼ら、ないし我々は不適切な役割を参加者に強要してしまうのでしょうか。
RPGを楽しむとき、生身の自分が剣を持って戦う必要はありません。ルールブックにもそのような記載はありません。
RPG上で剣を持って戦うために必要なものは、あくまで剣を持って戦うキャラクターのCSです。
CSはRPGを楽しむプレイヤーの分身であり、さらに言えばプレイヤー自身に剣が干渉しないようゲームと現実を隔てるパーテーションです。
もちろん、RPG上でキャラクターが得た財宝を実際に手にすることもまたありませんが、自分の操作するキャラクターがRPG上で成果を出せばプレイヤーとしても満足を得られるものです。
参加者がどのような特性を労働力として提供するのか提示し、他の参加者がルールに従ってそれを承認しなければ、本来労働というゲームを進行することができないはずです。しかし、これを持たないままでのゲーム進行を可能にする方法があります。
CSの代わりに、実際に剣を持って戦えばよいのです。
戦うためには相手が必要になりますから、CSを持った参加者に対しても剣を持って戦うことを要請すれば良い、ただそれだけのことです。
●我々は何をするべきなのか
適切なCSを整備することは円満なゲームプレイを行うには心強い武器となりますが、CSを持たない人と対峙するにはあまりにも無防備です。
ハラスメントと対峙するとき、我々は何をするべきなのか。ハラスメントを安全に回避することは可能なのか。
残念ながら私にはまだわかりません。
ただひとつ思いつくとすれば、我々自身が剣を持って戦うことを我々一人ひとりが望まないことが、長期的な目で見たとき、ハラスメントを回避する方法のひとつになりうるのではないかということのみです。
増田が好きだ。読むのも、書くのも。
ブクマが増えることは単純に嬉しいし、読み物として面白いものも多い。
しかしその裏には、ブクマがつくと思って書いたにも関わらず、0ブクマで終わったエントリが幾つもあった。
このエントリは、2017/4/1時点で増田に現存する136万エントリを分析し、増田におけるバズを科学したものだ。
ここから先は、定量的・定性的な分析をもとに、増田におけるバズを解明していく。
少々長くなるが、お付き合いいただければ幸いである。
「はてな匿名ダイアリー」の名が示すように、書き手がわからないという点が一番の特徴だ。
匿名ゆえに固定ファンをつけることができないため、「エントリの価値のみによって評価される」という稀有な場所といえる。
2006年9月24日に始まった増田だが、近年のエントリ数は年々増えており、2016年度には23万エントリの投稿があった。
年間のエントリ数が増えているというのも特徴であるが、ブクマ数が増えている点にも注目したい。
2007年度では「0.799」だったエントリあたりのブクマ数は、2016年度には「3.726」まで向上している。
これは、増田の認知度が上がり、読み手が増えたということを示している。
また、SNSを中心に発達した「Like(ブクマ)」文化により、ブクマへの心理的障壁が減ったことも影響していると考えられる。
どちらにせよ、過去と比較するとブクマを集めやすいサービスになったといえる。
蛇足であるが、「トラックバック」は過去の遺物になりつつあることも今回の分析から明らかになった。
2008年度のエントリあたりのトラックバック数は「0.474」という数値を記録していたが、これは年々下がり、2016年度では「0.133」になっている。
トラックバックというブログ文化は過去のものとなり、SNS文化である「Like(ブクマ)」に置き換えられたとみて良いだろう。
一万分の一。これが、1,000 ブクマ以上のエントリの割合である。
140万弱のエントリに対し、たったの143件しか存在しないこれらのエントリは、バズったと呼んで差し支えないであろう。
その中でも、3,000以上のブクマを獲得した6つのエントリについては、増田における伝説だ。
本エントリでは、1,000ブクマ以上獲得可能なエントリを「バズ」と定義する。
FacebookのLike数もバズを計測する数値であるといえるが、今回の分析においてブクマ数とFacebookのLike数には相関はないということが判明した。
そのため、今回のエントリではブクマ数のみをバズの定義に利用することとした。
なお、流行語大賞となったこのエントリが49,500Likeを獲得して歴代最多のLike獲得数であるが、ブクマ数は2,300弱と少々物足りない。
また、このエントリのように、10,000Like以上も獲得しながらも300ブクマ程度にとどまっているエントリもあり、Likeを集めたからといってブクマ数が増えるわけでもなく、その逆も然りといえる事実が観測された。
これは増田ユーザとFacebookユーザは大きく異なるということを明らかにしたものといえよう。
1,000以上のブクマを獲得するエントリと、500程度で止まってしまうエントリでは何が違うのだろうか。
定量的な観点からみると、「ブクマの付くタイミング」がその違いを示していた。
ブクマ数1,000を超えるエントリの多くは、投稿後3日目以降のブクマの割合が多い傾向にある。
特に、ブクマ数3,000を超える6本エントリのうち5本は、総ブクマ数の50%以上が投稿後3日目以降に付けられたブクマであった。
中身を見ていくとSEO的に強いものが多く、特定の検索ワードにおいてGoogle検索結果の1ページ目に出てくるケースが目立った。
つまり、情報的な価値が高く、ホットエントリ入りが終わった後でもPVを伸ばすことができたエントリが、バズるエントリといえる。
(この部分については後述する)
これらに対し、ブクマ数500程度のエントリにおいて投稿後3日目以降にブクマがつくケースは稀である。
ホットエントリ入りするなどして一時的に注目を集めたものの、それ以降にPVを集めることができないのだ。
自身の経験からも、ブクマ数500程度で終わったエントリは、ホットエントリから外れた後にブクマがついたことはなかった。
このことからも、ホットエントリから外れた後にPVを集められるかという点が、増田におけるバズの重要な要素になる。
なお、ブクマ数50程度のエントリになると二極化する傾向を示す。
後者の場合は何らかのトリガーになる事象があると思われるが、基本的には例外ケースといえよう。
増田は平日に書かれることが多く、土日は相対的にエントリ数が少ない傾向を見せた。
年度によっても異なるが、土日の投稿数は平日の10%減くらいとなっていた。
これは推測であるが、仕事のストレス発散の道具として増田が使われているため、平日の投稿が多いのであろう。
その反面、1件以上のブクマがつく確率は平日「12%」程度、土日は「13%」程度と明らかな差異を見せた。
また、午前4時台が他の時間帯と比べて圧倒的にブクマが付きやすいという結果が出た。
1ブクマ以上つく確率は「15.8%」と高く(最低は14時台の「10.0%」)、平均ブクマ数も「3.83」(最低は16時台の「2.11」)と他の時間帯よりも高い数値を見せた。
人が寝る時間に書かれたエントリは埋もれにくく(4時台の投稿数は全体の「1.14%」とかなり少ない)、朝の情報収集タイムで読まれるため伸びやすいのであろう。
これらを考慮すると、「土日の早朝4時ごろ」に投稿することが、バズを生む上では重要そうであるといえる。
なお、平日18時〜19時に書かれたものは、埋もれやすい、ブクマされにくい、平均ブクマも少ないの三重苦であるためオススメはしない。
ここにはわかりやすい相関が見られた。
つまり、呟きのような短文ではなく「きちんとした文章」の方がブクマされる率が高いのである。
これらは、1,000ブクマを超えるものの中に「呟き」のみのエントリが含まれない点にも現れている。
反対に、8,000文字を超えていてもブクマ数を伸ばしているエントリも多くみられた。
この点から見ると、「読ませる文章」さえ書けていれば、文字数の長さとブクマ数に影響しないといえる。
ブクマ1,000以上、500以上、50以上のタイトルの平均文字数は20文字程度と、大きな差異はみられなかった。
上述のような定量的な分析だけでなく、ブクマ数ごとにランダムに抽出した500件のエントリを読み、定性的な分析も行った。
予断を避けるため、ブクマ数については事前に確認せず、自分の初見の感覚(といっても、知っている記事も勿論含まれていたが)に従って下記の評価を行った。
また、一般的な大卒程度の文章力があれば十分であり、プロのライター程度の文章力は不要であるという結論となった。
とはいえ、文章力が高いからといってバズるわけではないという点は心に留めておく必要がある。
釣りタイトルも含めれば、バズらなかったエントリの中にも良いタイトルは多数あった。
しかし、タイトルが良かったからといってブクマ数が伸びるわけではなく、内容の方が重視されていた。
このことは無タイトルのエントリがバズるケースがあることからも明らかである。
とはいえ、バズるエントリの多くはキャッチーなタイトルを兼ね備えており、注目を集めるためにもタイトルにこだわった方が良いと思われる。
文章力やテーマ選定、ジャンルではなく、「情報の希少性が高い」ものにブクマが集まる傾向がみられた。
例えば、通常生きていると関わることのない「中の人が語る」系のエントリはバズる傾向が高かった。
また、「〜〜50選」や「〜する方法」などのエントリもバズる傾向にはあったが、これらの場合はその情報の希少性および信憑性に左右されていた。
とはいえ、特殊な経験を必要としないため、狙ってバズらせる場合はこのパターンが一番近道に思える。
テーマを絞り、希少性の高い意味のあるエントリを書けば良いだけだ。
なお、マイナーすぎるテーマの場合は一切バズっておらず、「一定数以上の人間が興味を持つテーマにおける希少性の高い情報の提示」が重要であるといえる。
私が行った各エントリの総合評価とブクマ数には一定の相関が認められた。
1,000以上のブクマを獲得したエントリの多くに4or5の評価をつけており、0ブクマや50程度のブクマのものには1や2の評価をつけていた。
多少の偏りはあるとはいえ、500件のエントリを客観的に評価した結果、大衆値であるブクマ数と相関が見られたのは驚きの事実であった。
上述の分析結果をもとに、増田ユーザのペルソナを検討してみると意外な結果となった。
普段は批判ばかりしているように見えるが、「良いものは良い」とちゃんと評価できる人たちであった。
これまでの分析結果をまとめると、下記を満たすことができればバズを作ることができると考えられる。
なにやら当たり前の結果になってしまったが、多分そういうことなのだろう。
今年になって株価がずいぶん下がったところで「もうそろそろ上がるんじゃないの?」と思って買ったクチだから、ギャンブルの一種といって差し支えない。つまり経営者には何の文句もない。ちなみに株主総会自体、行くのが初めて。問題のある会社の株主総会だからこそ、面白そうで行ったのだ。
株主総会とは、株主と称される人が経営者と称される人に対する愚痴を言い、通り一遍の説明やおわびを返して受け流す儀式なのだな、と理解した。
株主の主な意見のひとつは、「経営者側の再建に対する意気込みが感じられない」というもの。まあ、俺にとってはそんな精神論はどうでもいい。
他に「経営者は無能だが、従業員に責任はないので、雇用は守ってほしい」という意見も多かった。従業員の持株会がまあある程度議決権をもっているので仕方がない。これも俺にとってはどうでもいい。確かに経営者は無能なのだろうが、生え抜きの元従業員を経営者にしてしまう日本的慣行の結果なのだから、従業員を路頭に迷わせないため雇用を守れという話と根は一緒である。経営者もバンバン切って外部の経営のプロを入れ、従業員もバンバン切って経営再建してくれたほうが俺にはありがたい。雇用を守る社会だからこそ、無能な経営者も生まれているのである。まあ、ムダに従業員をクビにして社会不安が助長されたりするのは嫌だけど。
俺の経営者に対する希望は、株価を上げることだけ。高度な技術や防衛の技術が海外に流出する懸念があるとかなんとか言って、モラルハザード的な政府支援でも勝ち取ってくれれば万々歳。以上、株主総会【見学】レポート。
そんな弊社では以下のようにSVNを使いこなしている
Excelでドキュメント作成することがメイン業務といっても差し支えないがない。
それらのドキュメントをSVNで管理するのだが(今流行りのバージョン管理だ)
その際に hogehoge設計書_20170313.xlsx のように日付をファイル名に含めることになっている。
こうすることで以前のファイルを別ウインドウで開きながら作業できるし、
ディレクトリを見たときにひと目で最新のファイルがどれかわかるからだ。
ちなみにドキュメントには必ず 「更新履歴」 というシートが作成され
全ての変更の履歴はこのシートに集約される。
入社したばっかでまだ何もわかっていなかった頃先輩に
「ファイル名に日付をつけて管理していますがそれってSVN使う意味あるんでしょうか?」
と尋ねたことがある。
答えはその日一日不機嫌な先輩の表情で察した。
あの頃に比べて僕も成長した。
今では何も考えずに hogehoge設計書_20170313_2.xlsx をコミットできる。
2. SVNが本当に最新か常に疑う
SVNで作業していると他の作業者と編集しているファイル名が被ってしまうことがある。
そのため作業時にはチャットで 「今から◯◯のファイルを触りますが大丈夫でしょうか?」 と聞くことになっている。
作業終了時には 「◯◯を触ってコミットいたしました!」 と報告することになっている。
先輩方は忙しいため上記の確認/報告をしないことが多々ある。
たしかに実際最新じゃないことがよくあるのでなるほどと思った
今では作業前にコミットログを見てコミットされていないことを確認してから
「このファイル触っていましたよね?コミット済みでしょうか?」 と確認するようにしている
コミットしていないと決めつけるのは失礼なので、
飽くまでふんわりとコミットしたかどうかを確認するのがコツだ(これも成長した結果だ)
場合によっては
「僕がコミットしておきましょうか?」
と付け加える。
こうすることで最新版のファイルがメールで送られてるくるシステムだ。
ちなみに僕の肩書は
だ。
思えばずっと甘やかされて育ってきた。
以下、かなり長い自分語りが続くので注意。
先に今現在の話をしておく。
現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身である。クズと言っても差し支えないだろう。実家が田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額を仕送りとして貰っていた。
私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。
特に母は本当に私に優しく接してくれた。
私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。
当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。
母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。
私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかごちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である。
関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトのスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達はほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである。母親に泣きついたりしていた。
母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園を卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲームが人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。
そんな小学校低学年を送った。
中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独な生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。
悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。
高学年になると、県内の進学校目指して中学受験の勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的に勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強は苦痛だったが我慢してやれていた。
この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。
小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ。矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである。友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…
そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種のいじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。
無事志望校に合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベや漫画を読むのではあるが、一つの作品やキャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。
相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。
この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiでパラパラマンガ的アニメーションを作れるソフトが配信されていたのだか、これが使いこなすと結構なクオリティの物が作れる。これをインターネットに投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモは一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立である。クオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。
あまりにやめようとしなかったので、ついにそのDSiは永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。
一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。
中2のときに初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかいう根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。
そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活は女子の方が多いのだが、部のほかの男子は女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。
こういう学校のことは、親にはあまり話さなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。
高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的に勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ち悪いからだ。
まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である。部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。
ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。
そういえば中高生のときは携帯やスマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEとかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。
親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である。自炊などもってのほか。仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである。友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。
少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、
着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす
偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう
風呂入る順番と時間に文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)
などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。
あまりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである。喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。
最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。
ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である。過去が孤独だからだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心と尊大な羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。
さて、どうしようか。
コンテンツを作るには”教養”が確実に必要になるということが、実際に”教養”のないコンテンツに触れて最近理解できた。
ここで言う教養とは、学問や文化の面だけでなく「人とはどういう生き物か」を理解することも含む。
「教養のないゲームって何?」で実際に具体例を出すと確実に何やかんや言われるのでぼかすが、とりあえず一つの例のゲームについて書く。
そのゲームはまず、他国との戦争や反乱を長年描いてきたシリーズの一つであった。しかしそのゲームは、他国と戦争をしている状況としては、あまりにもキャラクターの言動が軽すぎた。
「軽いって何?」と言うと、キャラクターが戦争を背景としたセリフを言えないのである。”戦争にもかかわらず甘っちょろいことを言ってしまうキャラ”というわけでもなく、
そのキャラの個性を押し付けんがための言動を、TPOを弁えず言わせてしまうのである。”影が薄い”という個性を伝えたいがために、そのことだけを伝えるだけのキャラクターになってしまったりね。
その個性もわかりやすくラベリングされたものが多く、”個性”と銘打つにはあまりに薄い(厨二病・ヤンデレ・地味など)。個性どころか属性の擬人化と言っても差し支えはないレベル。
あとそのゲームはセリフ運びが非常に下手だった。言い方は非常に悪くなるが、対人経験の薄い気持ち悪いオタクが考えたようなセリフをキャラクターが喋るのは苦痛でしかなかった。
公式側が二次創作のノリをそのままするような感じで、目も当てられなかった。
二つに、「作者以上に頭のいいキャラは生まれない」という金言が示すように、”頭のいいキャラ”が実際ゲームをプレイしてる側からするとあんまり頭が良くなく、説得力に欠けていた。
そのキャラはまぁいわゆる軍師という設定ではあったが、やっていることは力押しの強硬のみである。ゲームという都合上、どうしても戦いの舞台は整えなければならないが、
それにしたってもっとやりようはあっただろうと思う。そしてその強硬策に関して味方のキャラクターは「流石です!!」みたいな脳みそがないような称賛の嵐である。
頭のいいキャラが頭が良くないので、当然頭の悪いキャラはもっと頭が悪くなるので、キャラクターに対する理解・共感・感情移入・掘り下げそのすべてが困難になってしまっている。
アニメだと「アクションの作画が作り込まれてて凄かった」ゲームだと「レベルデザインが作り込まれてて、かつアクションも爽快感があって面白かった」など、教養がそのコンテンツの面白さを
決定づけるとは(ほぼほぼ言えるにしても)必ずしもそうだとは断言できない。しかし、それはシナリオを全く無視した場合である。シナリオ面での面白さは、登場キャラクターへの共感から
初めて生まれるといっても過言ではないと思っている。そしてその共感とは、キャラクターの背景・性格・葛藤・行動によって湧き出るものである。”教養”とは、キャラの共感を得るために必要なのである。
馬鹿に背景は考えられない。馬鹿は表面的にしか人物の性格を測れない。馬鹿は葛藤しない。馬鹿は考えと行動があべこべであり、そのことを葛藤することも当然ない。
そして一番面白くないのが、それが売れてしまったばっかりに、公式側がそのシリーズの教養が感じられないタイトル以降を前面に押し出すようになってしまったことである。
作る側も馬鹿ならと言った所だろうか。そりゃ教養のある人間だけがゲームを作ってるわけじゃないし、それしか認めないというわけではないよ。ただ、自分の好きなシリーズがそんな姿になってるのが
俺はとにかく悲しいしむかつくんだよ。かつての姿とはかけ離れすぎている、自分の愛するシリーズが、死にながらさも生きているような様を見せてくるのはしんどい。そうだね、俺が年を取ったんだ。
ついていけない人の方が少数派なんだろうな。シリーズとしての形が変わるのは最早仕方のないことだとう。しかしエフラムはそんなこと言わない。せめて、せめて過去作へのリスペクトは忘れないでくれ。
しかしながら、「その逆をやれよ」というのは少し酷だとも思いますし、
私は人間の不完全さを信じているので、このような形で日記を書こうと思います。
もうとっくに始まってる人、決まっちゃった人、最近始めたばかりの人、もっと後からだと思ってた人、色々いると思います。
私はいわゆるクリエイター系の会社で働いている者ですが、自分の経験やこれまで出会ってきた学生さんのことを思い出しながら、
こんな学生、ほしいです
と思われるケースをいくつか紹介したいと思います。
知ってますか?
例えば大手企業に務めるクリエイターが何かを知りたいと思った時、どうやって調べるか。
違うんですよ。
「なんでだろう?」と思いました。
そこですぐに調べる。グーグルさん教えて。
これが出来れば素晴らしい人材です。
的確にほしい情報を掴むのが逆に難しい程です。
そんな「ネットの知識」という名の引き出しを自在に扱えるなら、
あえて言おう、ググレカスと。
何かを取捨選択する時、或いは2つのパーセンテージという天秤を上下させる時、
あなたは双方の目線に立ち、どちらも尊重し、その上で判断を下さねばなりません。
ゲームであれば、多くの(そして旬の)ゲームをプレイしなければ「鋭いユーザ目線」は培われないでしょうし、
多くのゲームを製作しなければ「鋭い開発者目線」は培われないでしょう。
経験が深ければより鋭く、経験が多ければより多角的に物事を捉え、判断する事が出来ます。
あなたがクリエイターを志すのなら、多くの目線を身に着けなさい。
ゲームであれば、体力ゲージのUI一つをとっても多くの目線は磨けます。
・そのゲージは見やすく、直感的に「現在の危なさ」が分かりますか?
どういう作品を作り、世に送り届けたいのか。
どんな部分に関わりたいのか。なぜそれを魅力的だと感じるのか。なぜ憧れるのか。
これから自分がどうなりたいのか、その「道」が明確な人は、どんな面接も突破します。
成長したいと思い、その手段を調べられる人が大成しないわけがないですからね。
「何を作りたいのか」「どうなりたいのか」が明確になる頃には、『道』も作れるようになります。
しかし、仮としてゴールを設定してしまっているうちは、『道』は明確化されません。
「とりあえずアニメ作りたいから、ゴールは監督だな」みたいな感じではダメです。
あなたが真に「やりたい」「なりたい」と思えなければ、『道』は見えてこないからです。
今できる事で、自分が目指すゴールは何かを探して下さい。
文脈からお察しの通り、私はゲーム業界でクリエイターをしている者ですが
しかし、クリエイターだからこそ彼のにじみ出る優しさが理解できますが、
業界経験の浅い人(就活生)たちには酷な書き方かもなあ、とも思いました。
そこで、まだまだ重鎮とはとても呼べない私ですが、このような形で日記を記した次第です。
この日記が一人でも多くの学生のケツに火を付ける事になれば幸いです。
あと、関係ないですがウメちゃんの公演がビビるぐらいタメになったので、是非観てください。
当たり前を当たり前に出来る人って、少ないんですよ。当たり前ですけど
数年前、大学4年だった俺
憧れの企業の採用試験をどんどん通過していった(結構選考が多かった)
その企業は夏休みを利用してまるまる1ヶ月インターンシップを行うところだった
地方在住だった俺は社宅を貸してもらいそこに住んで会社へ通った
1ヶ月後、俺は通過した
やったな俺!あと一息だ!
インターンでは1ヶ月もいたし部署の皆さんにかなりお世話になった
ここで一番お世話になった人をMさんとしよう
Mさんはかなりいい人で俺のことを気にかけてくれていた
インターンの結果も、部署の人間全員が俺の評価を記入して提出するんだそうだけど
Mさんがちょっと偉かったし声が大きかった(発言力という意味)のもあって、部署のみなさんが協力してくれて俺の評価はほぼ全員が最高点をつけていたらしい
これはもう相当なヘマをしない限り受かるだろうと思ったが結果はダメだった
最終面接で落ちた
まぁ就活なんてこんなもん…凹んだけど切り替えた
さすがにやべえと思い卒業式の翌日にハロワに行って地元の企業を紹介してもらいすんなり採用となった
東京に出たいという思いはあったけど就活で破れてしまったし働かないとまずいしということで働いていたある日
インターンで俺を見ていてくれた
最終で落ちるとは思ってなかった、もったいないから是非うちに来い
1年遅れだけど大丈夫と言ってくれた
ありがたかった
そのまま話はトントン拍子に進んだ(がスピード自体はゆっくりだった)
ついに面接してくれるという話になった
合否はどうなりますかと聞くとその場で「内定だよ」と役員から言われた
やったー!俺!ついに東京で働ける!
嬉しかった
Mさんも喜んでいた
実はこうこうこういう経緯で~辞めたいのですが…
1年も働いていない俺のことを気遣ってくれた
俺の苦手なことをわかりやすくまとめた資料もくれた(今も大事に持っている)
「ごめんやっぱナシで!」
いつもの明るい感じで軽く言われた
固まった
理由を聞いたところ
最終面接で落ちた人間は以後2年間採用できないルールがあるとのこと
流れはこうらしい
Mさんは俺が欲しい
↓
外資なので色々ややこしいがなんとか面接までいった(ここすげー恩着せがましかった)
↓
内定出した
↓
人事に上げたら「この人去年最終で落ちてるのでNGですよ」と一蹴された
とのこと
色々考えて更に泣いた
・俺が原因じゃなかった事
・誰もがそのルールを知らなかった事
・面接や事前の顔合わせなどすべてがそもそも無駄だったという事
・勤続1年(365日)未満だったので失業保険がおりない事
・転居するつもりだったので部屋を解約手続きをしてしまっていた事
・出るとこ出て訴えると言ったら「お前この先この業界で働きたいなら目立ったことすんな、あとで痛い目見るぞ」と脅された事
・そっちまで行くからせめて謝罪してくれと言ったら「仕事に差し支えるからやめてくれ」と言われた事
まじでクソだと思った
3日間位ボーっとしていた
何もかも嫌になった
そのうち訴えるのも嫌になった
何がどういう五分やねん
こっち完全に被害者やろ
そのうち何もしたくなくなってもう忘れることにした
色んな人に忘れて次に行ったほうがいいよと言われた
まだ若いんだからこれからのことに時間を使ったほうが有意義だと言われた
たしかにそうだと思った
そこでガンガン成績を出した
プライベートではそうでもないが仕事はまず他人を信用しなくなった
どいつもこいつもMさんみたいな調子の良いことばっかり言うクソみたいなやつばっかりだと思って働いている
実際そんなことないけどそう思ってないとこっちの気合いが切れてぬるくなってしまいそうで怖かった
今も怒りはある
済んだ事だと笑っていいのは俺だけだと思う
あの人が俺にやったことは変わらない
本当にあの事件は腹立たしい
未だにちゃんとした謝罪はもらえていない
面接依頼顔も見ていない
会ったら殴られるとでも思ってんのかな
んなもんで済むわけないじゃん
失ったものは返って来ない
※ちなみに最後の面接までに何度か東京に来ていたし、課題のようなものを出されて真面目に取り組んだりもしていた。
内容は言えないけど、俺が提案したやつがそのまま実際に採用されてたことがあった。
気のせいかもしれないけどまじで怪しいと今でも思ってる。