はてなキーワード: ラベリングとは
下の上を味が通過してるだけって感じ。
遊べるから全然大丈夫だと思っていたらついに食べるを忘れて倒れた(倒れたっていっても力が入らなくなる程度だ、出前で回復した)
3匹飼ってたペットの1匹が死んだ。前に増田に書いたから見てる人いるかもだけど知的障害の親に預けたせい。友達に経緯を言ったらソレは増田の判断ミスだよ、っていわれた。そうだね。私もそう思う。
うちの家系は父親も母親も障害者(片方未診断だけどおそらくそう、片方確定)でA(父方)の家の子は〜とかB(母方)の家の子は〜って馬鹿みたいなこと言ってる。離婚してて父親死んで再婚もしてないから父方も母方もねーだろ。お前らの血筋じゃい。
私はどちらの家系からもいらない子扱いされてるんだけど、言葉を借りるなら母方の血が濃い人たちが全員ガイジ。叔父はニート、祖母は叔父を養う係、母は生保で、母方についた兄弟は愛着障害で我慢が効かなくて欲しいもの全部買っちゃう。
そういう人たちに預けたのが間違いだった。
私も障害者だからさ、みんな全人類私よりマシだと思ってたワケ、でも違うんだね。
私が一番マシだった。私が守ってあげなきゃいけなかったのに信頼して旅行なんかに行ってしまった。
ペットホテルに預ければよかったんだけどハムスターってなかなかないから、飼育経験あるなら親でいいかって預けたら殺された。
これは差別発言だけど言わせてね。私は昔障害者施設にいたから、知的障害者と暮らしてたんだ、だから余計言わせてね。
重度はいい、まだわかるから。しょうがないなで済む。だって責任能力ないもん。
でも中度〜軽度知的は生まれた時点でラベル貼っとけ。アイツら自分の意見だけ通そうとする上に自分がいつでも正しいと思ってやがる。
死ねとは言わない。
この投稿を見て少し安心した。自制できている人もいるんだな、って。
自制しているなら、私は完全に共存できる。むしろ一緒に悩んで考えたいぐらいだ。
というかさ。異性愛者だって普通は自制してるじゃん。セクシャリティなんて、全員隠せばいいと思う。
異性愛者だって、たとえばパンツは脱がないで穴を開けて欲しい、それじゃないとやれないとか、
本当は赤ちゃんみたいに扱ってほしいとか、
きもい願望がいろいろあって、それを社会生活では隠して生きているんだよね。
そんなの、よっぽど安心した相手にしか、たぶん人生でよくても数人しか見せなくていいんだと思う。
…と書くと、投稿主は誰にも見せられないことが苦しさの原因になっちゃうわけだけど、
これは各方面からポリコレ棒で殴られることだし、投稿主にも不快な思いをさせてしまうのかもしれないけれど、
投稿主がちゃんとした、自制できる、責任感のある人だと感じたから書いてみると、
小人症の人(体が小さい)とか、知的障害の人(知的な面での純粋さを残している)とかと、
要素を分解して、付き合うわけにはいかないの?
たとえば異性愛者だって、「本当はこんな人が理想」という姿があっても、
だいたい理想の人とは付き合っていないわけで。
「異性愛者」「同性愛者」「バイ」「小児性愛者」「アセクシャル」みたいに
ラベリングして分けるためじゃなくて、
いろんな組み合わせが考えられるからなんじゃないかなと思うんだよね。
私は30代女で営業部長をやっている。採用や人員異動で40代小梨女性の年上部下が来ることがあるけど、軒並み地雷で合わない。過去2名ほど入ってきたけど、合わなくて別部署ヘ異動していった。
自分より社会人歴がある人が部下になるなんて、普通にめんどくさいのよ。相手のバックグラウンド考慮して適度にヨイショしたり、出来てないことをやんわり指摘したり、指摘しても直らないからその仕事を巻き取らなきゃだったりでほんとダルい。
でも、おじさん部下は年下上司であっても仕事のスキルで判断してくれるから、初めこそ若干気を遣うものの慣れればちゃんと戦力になってくれる。
40〜50代子蟻女性の年上部下も揉めることはない。出産育児でキャリアギャップが出来ちゃう辛さは分かるし、その分何とか自分のキャリアを築こうと頑張ってくれるので、こっちも改善点を指摘して次の仕事で直してもらってみたいな良いスパイラルが回る。
問題は40代小梨女性なんだよなぁ。40代ともなると20〜30代ほどモチベーションもないし、スキルの伸び代もない。出来の悪い仕事の改善点をいくらフィードバックしても全然良くならない。過去2名のうち、1人はフィードバックしたらパワハラだと騒ぎ、もう1人は指示の出し方が良くない&部長の役職にある人とは思えないとまで言ってきた。冷静に考えてあなたたちの言うことが本当だったらこの部署の業務回ってないでしょ、他の人はそれで業務が回ってるんですけど、って思ったわ。
あんまり個人の属性でラベリングするのが良いとは思わないけど、共通項が40代小梨女性なんだな。憶測でしかないけど、こういう人って私が男性年下上司だったら同じこと言わないと思う。女の敵は女とは言ったもんだよ。
上司は私の仕事ぶりは認めてくれてるけど、どんな部下でも上手く使わないといけないし、文句を言う部下が出てくるのは良くないよね、みたいな事を言ってくる。40代小梨女性の戯言で評価を落とされたくない。
あと小梨に、お子さんいいですねとか私はお母さんになれなかったから…とか言われるのもしんどい。何回も言われて返す言葉も尽きるし、だいたい仕事するだけの間柄なんだからプライベートを話したいわけじゃない。語られても興味もない。そんなのどーでもいいからまともな仕事してくれ。
もうめんどくさいから、この層の人からは私が30代&子蟻&役職有だから僻まれるんだなと思い始めてる。合わない層がいる時点で管理職として未熟なんだろうけどさ、他人を変えることなんて出来ないじゃん。どんだけ言っても仕事出来ないじゃん。無理じゃん。
弱者男性が救われる日は…多分来ない
https://note.com/shota_hatakeyama/n/n0ce13f6c297b
そのブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/shota_hatakeyama/n/n0ce13f6c297b
まずもって、当該記事は【アメリカの】落ちこぼれ層を取り扱っている
多分、「Of Boys and Men:書評」とかだったらホッテントリ入りしてない
自分から、ホッテントリ入りするのにキャッチーな「弱者男性」というラベルをあえて使っておきながら
いわゆる弱者男性と言われると定義が曖昧な感じになりますが、本を読むと低学歴・低収入・未婚という層が弱者男性になるのかなと思います。
その上で
機械(ICT)や途上国の労働力を活用できる高スキル層と、ウーバーの配達員のような低スキル層への労働需要は高まるものの、一般的なホワイトカラーやブルーカラーへの労働需要は弱まり賃金も低下していく、というものです。
(gendai)
男女間の賃金格差は、子供が生まれてから小学校に入る迄ぐらいの間の出産・育児格差に由来している感じ。
(wezzy)
あと、黒人×男性のintersectionalityが特にマズい。
(gendai)
あ、いい解決策を思いついた!沢山ベンチプレスをやって、食事に気を付けて、朝倉未来さんの「強者の流儀」でも読めば、弱者男性も強者男性に変身するんじゃないかな。以前書いたベンチプレスの記事(ドラミングというイノベーション)と、食事の記事(元気に国際教育協力を頑張るためのラクに痩せられる食事術)のリンク置いときますね。
…違う、そうじゃない…。。。
で〆てるから、これもう確信犯的に、捕捉されやすいキャッチーなタイトルで日本と全然関係ない書評書いて
リベラル勢が
みたいに言うの面白いよね
「女性の苦境を火に油を注ぐ形で政治的主張のために搾取している」とは言わんのにさ
炎上上等の活動だって、議論が深まっ太郎ってばかりに正当な闘争とするのに
男の場合は「そう言ってしまう」のはなんでかを自分の胸に問うた方が良いよね
どうしてそうラベリングしたいのか
こんなん(あなたの活動は苦境の搾取)を、フェミニズム活動や障碍者の活動、LGBTの活動辺りにぶつけたら差別だとトンデモ炎上しそうだけど
男相手だと許されるのよ
ナチス(①過去の一部)はいいこと(②過去の評価の一部)もした(③という事実をここで話すという事の意義と、何に対してか不明)
①は実在したと人間の記録にはあるし②は人間がもってる評価基準でラベリングするなら同系統として「いいこと」になりえる行動も含まれている
その前提をもってこれから行動をするか発言をするかという意図なくしてこんな話を出してくる必用はない
朝ごはん食べる時や顔を合わせた時の挨拶、業務報告やメモを取るときに「ナチスはいいこともした」とつぶやいたりして、その発言には意図はなく事実を述べただけだ、という事があるわけがない
なので「その文脈を持ち出す時点で意図していることが逆張りだったり人と違う事をいって場を荒らすためだけの目的であること」なのが明白なのでダメ
パレスチナ人虐殺してる(①現在の一部)イスラエル(②現在の一部)は評価のしようがない
現状発生していることなので「よかったかどうか」を判断できない
「よいことであるかどうか」は結果によるという評価基準のみが一致している
それがどういう評価を得るのか現状の予想だけでは見解ごとに異なる
なのでいいも悪いも現時点で存在してない
同列で語るなら
イスラエル(①話題にあげている時点の呼称)が パレスチナ人虐殺した(②過去の評価可能な1例)1例について、自分はよしとする評価をした(③自由な発想や評価)が、それはAUTO(何に対してか不明)か?
どちらにも言えることは「何に対してか」が不明なところだ
人類に対してとか地球に対してとかいう事に意味がないのはナチスの例の「発言の目的」についてと同じでダメだろう
ダメというか意味がないことをつぶやいてるだけなので、絡まれたくはない
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
私は同性愛者の、身体の性別も心の性別も女です。私の恋愛対象は女性で、現在同じく女性の彼女(いわゆるパートナー)がいます。
カミングアウトはしたりしなかったりです。
(プレッシャーに感じる人もいるだろうから実際は本当に数人にしか言ってない気がします。あといざという時に連絡とか命に関わるかもしれん極一部の会社関係者くらい)
あくまで一個人の、同性愛者という側面をもった一人の一般人の愚痴として残しておくために書きます。
かなり私情もあるし、全員が全員そうだという風には捉えないでほしいという前提で読んでもらいたいです。
元からそういう要素があるから興味をもっていたわけでもなく、当時お互いに別のロボットアニメにハマっていたのでその延長で見ていました。
「同性婚ありでフラグ乱立ってすごいね」とか「最後めちゃくちゃご都合主義だったな!」とか、思うところはあれど、一緒にプラモなんか作りながらかなり楽しんで見ていたと思います。
グッズ収集やアニメ外の情報を積極的に得るほどのファンの人に比べたらいわゆるニワカだったと思いますが、最後は「スレッタとミオリネが結婚して終わったのか」という認識で見ていました。
私が公式の謝罪文とともにTwitterで見たときはすでに大炎上していました。
炎上しているものだからてっきり「実はどちらかが人外で女ではなかった(性別がなかった)」とかそれくらいのことが起こったのかと思ってました。
いやいや、だとしても2人が幸せならそれでいいじゃん?でもまぁ、そらはっきり「女性同士」を明確にしてたもんなぁ、モヤるよなぁ……と。
しかしいざ読み解いてみると「初稿の紙雑誌で結婚と明記したけど間違いです。二人の関係は想像にお任せします(要約)」
え?それだけ????
確かに「今更訂正の必要ある?誰が見ても結婚だと見紛うような表現だったよね????」とは思った。
いや別に左手薬指に指輪つけるのが唯一の結婚の証とか言わないし、結婚の形なんか千差万別だからどうでもいいんだけどさぁ。
あそこまでお膳立てして最後指輪つけてって、たぶん誰もが想像する結婚のイメージだったと思う。
それを今更なんで言葉で訂正しなきゃいけないの????と思った。
だから炎上もそういう困惑と、結婚に特別な感情がある人たちの悲しみだと思ってたし、実際そういう人もいっぱいいたと思う。
あとオタク的な感情?として「公式から明言される結婚てワードに意味があったのに!」とか「他の恋人候補の可能性が芽生えたこと自体が嫌!」とか。
もちろん、そう感じている人を否定しないが。
そもそもインタビュー記事の訂正は公式発表を読み解く限りは「(本編でめちゃくちゃ濃厚かつほぼ確な匂わせはしたけど)言葉や設定として明確に結婚とは用いずに視聴者の想像に任せたかった。でも何かミスって結婚ていうやつが出ちゃったから訂正します」だと私は受け取ったんだけども。
「いやあんだけめっちゃ丁寧に描いてて今更想像にお任せしますは無理あるって」ってのは一旦置いといてさ。
むしろそこまで丁寧に描いたからこそ、公式ですら確定演出だと思ってチェックすり抜けたんだと思うけどさ。
それだけのことでしょ?????
それだけというと、結婚をめちゃくちゃ特別に思っている人に申し訳ないけど。
でも別にスレッタとミオリネの結婚の可能性は否定されてないよね????
むしろあんだけ描写してて、外部インタビューの訂正で結婚の二文字が消えただけでそう思うの??????
フィクションにおける同性愛とリアルの同性愛は違うし、むしろそこは混同してほしくないけどさ。
二人の結婚は否定されてると思えないし、解釈の可能性が広がっただけで別に同性愛者の私は当然否定されていないです。
それどこ情報なんだよ。
「同性婚と確定させずに、後から可能性を広げた事自体がダメ」はわかるよ、なんとなく。
日和ってそうやってぼかすことってあるよね。商業的に仕方ないとか、某国や宗教への配慮とかでさ。
でも今回は確定でそれに該当すんの?
これ本当に「間違った情報を訂正しただけ」だったらとんだ思い込みの的外れじゃないの?
疑いで止まってる人はまだいいよ。そうに違いないって言い切ってる人が普通に怖いよ。
これが一番わけわからん。
中には「一話で同性婚を匂わせておいて」とか言ってる人もいたけど、お前本編ちゃんと全部見た????
最終的に同性婚エンドだったかもしれないけど、途中はむしろ逆ハーレムくらい色んなとこでフラグ立ってたよね?
別に最初っから百合アニメとか言ってなくね?コミック百合姫で連載してたか?????
何度も言うけど、本当にただチェックミスで本来明言を避けていたものが世に出てしまったから訂正しただけならとんだお門違いの言いがかりじゃん。
あとそもそも水星の魔女って別に教育アニメでもなんでもないよね????
なんでそこまで求めるの????
頼んでねえよ。
同性婚じゃなくてどっちかがグエルあたりと結婚してても喚いてそうな人が確実に混じってる。
同性愛がテーマの一つとしてあったとしても、それに配慮したり、ましてや啓蒙するアニメだったかな。
個人的にはむしろ「性別も立場も関係ないよね」がテーマの総合的な群像劇だと思ってたし。
この界隈っていう言い方もくくりもおかしいのかもしれないけど。
理解を求めるって他者に過度の配慮を求めるのと違うと思っているんだけどな。
マイノリティっていうくらいだから珍しいなら驚いていいし、何なら私は明確に実害がないのなら理解もいらない。
というかどんな理由があれ、理解がなくとも実害がなければ放っておくのが人生大多数じゃないのか。
なんでみんなそんな自分だけ配慮を求めて被害者になりたがるの?
そんでそんな自己中をヨイショしてる人権活動家やどっかの大学の先生は何?????
偶然マイノリティに属してるからそれを免罪符してるだけのヤバい人間がいるのやめてくれないか。
それはさすがが実害を誘発しかねない。
ラベリングは悪っていうけど、どう考えてもヤバい連中が属するグループには近寄りたくないよね????
しかもそういう人たちってなんで、当事者でも「いや私はそうは思わないです」って人間は無視するわけ?????
当事者だから差別意識がないとも、言ってることが正しいとも言わないけど。
ビアンて公表してないTwitterで同じように呟いたらどっかの大学の先生?から「こうやってクィアベイティングが広がって当事者が軽視される」って空リプきた時は笑ったわ。
軽視どころか眼中にないよ。
その空リプ飛ばしてる相手が当事者って発想すらないのに、適当にくっちゃべったら社会的地位のある肩書が貰えるのかって思ったよね。
あとこれは完全に個人のお気持ちだけど創作の同性愛に口出さないから、創作の同性愛描写を守りたい時だけ現実を言い訳にするのもやめてくれ。
普段BLでメス堕ちとか言ってる人に急に同性愛の擁護サイドに立たれても反応に困る。
そんな回りくどくしなくても、はっきり自分が嫌だと思った感情を大事にして言葉にした方がいいよ。
発言に箔を持たせるために現実のマイノリティをよくわからんソースにして出さなくたっていいと思う。これは本当にごく一部の人だけど。
どうせこの日記も匿名だしマイノリティ内のヒエラルキーで負けて意見のひとつにもカウントされないんだろうけどな。
せめて残しとくわ。
案の定、私のこの投稿がなにかの印象操作だと指摘する声があるね。
同時期に同性愛カップルの日記?が投稿されたのが原因でもあるのかな。
匿名で書いているいる以上証明は無理だけど別人だし、私はただの片親育ちの関西人アラサー女だよ。
自分が匿名でこの気持ちを書いた以上、この言葉は自分にも返ってくるのであまり言いたくないんだけど「ほらなー」って気持ち。
マイノリティ内外問わず、一定思想への忖度だと邪推されてしまうのなんでだろうな。
マジョリティに媚びてるとか、そういうことしてるから舐められるとか、男や腐女子がなりきって書いてるとか。
な?
当事者だって言ってもどうせ意見は受け取り手の意思で取捨選択されて無かったことにされてるでしょ?
まぁネットの情報鵜呑みにしてる方が怖いし、それは匿名な以上お互い様だし。
それ言い出したら私も「私を疑う人は皆、都合の良い情報を取捨選択している」ってブーメランになっちゃうし。
匿名だからそうだろうな、とは思っていたし、匿名で書いた以上そう思う人も出てくるだろうなって思って書いたし。
最近は匿名じゃなくとも、マイノリティ内で謎ヒエラルキーが出来てる気はするけどね。
みんなマイノリティ界のジャンヌ・ダルクを担ぎ上げようと必死よ。
こういう人らは観察能力と言語化能力が弱くて誰かに決めてもらうのは好きだけど、
別に管理されるの好きじゃないと思うし、なんならこういう施設ではみ出てしまうタイプだと思うぞ
だからこそ『自由に出られる』なんて文言をつけることが出来るんだね (ガチマゾならつけません)
なんでもいいから居場所を求める心理は最近理解できるようになったが、
洗脳されたい(物事をかわりに決めてほしい、ラベリングされたい)という感情はまだ理解できない
たとえば、ひろゆきのようなどうしようもないレベルの人物をあがめたり、
実家やパートナーがゴン太の勝ち組の作家が描く、弱者の当事者風エッセイやノンフィクション風エッセイを過度に称賛したり、気持ちを重ね合わせたりね
(某所で)多少の文字数でもって何らかのharmを論証することは不可能であるという術中に嵌まっている者が多い(必要なのは個別の問題であり、ディティールである)。ただ、それ以上に、「自由」至上主義者に、それ以外の価値との調和を求めても無理な話であろう。
憲法21条だとかFirst Amendmentの話をしたいわけでもないくせに「表現の自由」とラベリングして、無用の混乱を捲き起こしているのが本邦Civil Libertalianの一番の害悪ではないだろうか。「表現の自由」の保護は当該表現が持っている価値に依存することになるし、公権力による規制と私人の活動については分けて考えねばならないという、憲法解釈上当然の話が通じないのはそのせいである。
むしろ、あらゆる私生活における放縦に対して公権力による規制も、言論ないし行為による批判も許容されるべきではないというリバタリアンの観点※が背後にあるのだろう。もっとも、たいていの者はここまでラディカルな想定※※はとっておらず、自己にとって好ましい放縦は規制も批判も許容しない、というものであろうが(そこがまた了解困難なところであり、真面目に取り合うべきではない)。
個人的に疑問を感じるのは、真面目に上記のごとき「自由」論に立てこもっても、逆にその価値を共有しない者を説得することが難しいという点にある。現実の規制廃止論として役に立ってくれないのではないかと思うのだが。リバタリアンにあらざる者に、リバタリアニズムを受け入れろと言っても無理な話である。
※リバタリアンといっても色々な考え方や基底となる価値があることは重々承知の上。a libertalian viewという趣旨。
※※たとえば合衆国のリバタリアンは、シートベルトの着用強制も認めないことがある。「馬鹿やって死ぬのも自由」というわけである。そこまで(本気で)突き詰めている者を説得することは難しい。価値観の対立であり、神々の争いだからである。
□ 3 □ 7 8 □ □ □ □
7 □ 2 □ □ 4 □ 8 □
□ 8 □ □ □ □ □ □ □
5 □ 3 8 2 9 □ 6 □
□ □ □ 3 6 1 □ □ □
□ 6 □ 5 4 7 □ □ 3
□ □ □ □ □ □ □ 9 8
□ □ □ 2 □ □ 5 □ 4
□ □ □ □ □ 8 6 7 □
これ。
追加ルールは対角線。
中心を通る対角線上にも同じ数字が並ばないというやつ。
普段なら超難問もそれほど苦労せず解けるレベルなのだけど、上級とラベリングされたこの問題が解けない。
問題を入力すると解いてくれるページもあるんだけど、次の1手が”仮置き”ってなってて何の参考にもなりません。
次に入力できるマスと、その理由を誰か分かりやすく教えてくれー
ちなみにこれは解いてる途中で行き詰まったときの手で、出題時は以下の通り。
ここから解きはじめてつまづいた部分だけ教えてもらってもいいです。
□ 3 □ 7 □ □ □ □ □
7 □ 2 □ □ 4 □ □ □
□ 8 □ □ □ □ □ □ □
5 □ □ □ 2 □ □ 6 □
□ □ □ 3 □ 1 □ □ □
□ 6 □ □ 4 □ □ □ 3
□ □ □ □ □ □ □ 9 □
□ □ □ 2 □ □ 5 □ 4
□ □ □ □ □ 8 □ 7 □
人間関係に疲れてしまって、そこには何も残らないかもしれないという不安だけが残ったので仕方がない。書くか。という細い支柱がにょきにょきと生えた。掴まるものがそれしかないので私はそれに触れることにした。
人間を整理する。近づきすぎた花のうちどちらかを摘む作業と同一視したい。
A…友人。今回一番派手に揉めた。怒らせた。失望させた。裏切ってしまった。
C…友人。受け止めてくれたと思っている。だけど実情は違うのかもしれない。
D…友人。Aの隣で私を叱ってくれた。でもどうしたらいいかわからない。
E…友人。話をしてくれた。信じてくれたならいいのに。
F…先輩。彼は私の何であるつもりなのだろうか。定義とは、実情より優先されるのだろうか。
右手の指輪と左手のヘアゴムが絡むほど祈ったら、きらりと光った薬指だけがいやに大人びていて気色が悪かった。私はまだ大人ではありたくなかった。
Bと喧嘩した。
Aに相談した。すっかり別れる気でいたから、きっとその気で話して、その翌日にCにも同じような話をした。AとC、彼女らは態度さえ違えど私の幸せを考えているのだと言って、私の恋人に別れを告げることを賛成してくれていた。
その翌々日、Bと会った。好きだと思った。もしかしたら好きではないのかもしれない。それは常に胸の中にあって、姿を見たときにも自分を疑った。でも別れることなんてできないと、強くそう思ってしまった。アドバイスでどうにかなる柔軟さを世界に置いてきてしまっていた? どうだろう。今となっては、という話になる。
私は散々話した別れ話の構想をなしにすることをAに告げた。彼女は怒った。当然かもしれなかったが、血縁以外で初めて明瞭な怒りを投げかけられて、私の頭の中はゆっくり真っ白になって、そこまで怒ることだろうかと思った。彼女が常々言っていた言葉を盾にして自分を守ろうとした。
そしてすべての思考が同じような緩慢さで停止した。
ゆっくり失われる世界の詳細と相反するように「私」と「他者」の境目が、気持ちいいほどはっきりりとしていくあのセンセーショナルな心象風景は衝撃的だった。
地平線すら脱落した白い世界で、「私」だけが太いマジックペンで縁取りされて、あらゆる色彩の侵入を阻んでいるさまを、当事者の私すらもなぜか他人事のように見ていた。
わたしという人間が誰かの意志を無下にすることがまるであるべき形みたいだった。
彼女が私にくれた言葉はもったいないほど長く、それらはスクロールするにつれどんどんとつらそうになっていた。
そして恥ずかしいことに、そこで初めて彼女を傷つけたことに思い至った。悲劇のヒロインに身を沈めようとしていることを痛烈に批判されていると感じた。(AとCからすれば、というかすべての友人と呼称していた人間たちはみなとっくにそう思っていたのかもしれないが)
Dが、ひどく憤慨していた。傷つけた、というよりはひどい迷惑をかけたのだと思う。
私も泣いたし、彼女を泣かせるような関係を持っていたのだから。
この中で一番長い関係を持っていたのに、固定化されてだんだん固くなっていた関係は割れてしまったのだろうか。もう水はひび割れから抜けていくしかないのだろうか。
Cは何も言っていなかったが、Aの返事を受けて私から急いで謝罪のメッセージを送った。Cはあなたの人生だからどうも思っていないというある種ひどく軽く透明な返事をくれた。
悲しく、安心した。不注意で鍋を触って赤くなった指先を溜息と一緒にさっと冷やしてもらえたような印象を与える言葉選びだった。
後にこの印象はひどく揺らぐことになるが。
私はすっかり複雑化した友人関係の中で声を上げないことを選んでいたから、話ができて本当に、心から嬉しかった。あえてひどい言い方を憚らなければ、餌を与えられた気分だった。
彼女はフラットに、やさしい言葉をくれた。豊かでやわらかい言葉を使う人だと常々感じていたから、変わらない感触をくれたことに対して私はひどくわがままに解釈してやさしさを受け取っていた。
愛おしかった。
そのあと、Aから話したいと連絡をもらった。いつも私は与えられてばかりいる。
嬉しくて、でも何を話したら正解を選ぶことができるのかなんてことばかり考えてしまって嫌になるうえに私にとっては以前話したことがすべてだった。
すべてだったから、これ以上どんな言葉を発することが正しさと結びつくのかは理解できなかった。
これが今までの出来事だ。
そしてもう一つ同時に進んでいて、書かなければならないと思ったことがある。
書かなければ抱えきれないと思ったことがある。
私のための文章に、さらに自分勝手が混ざることを注として付さなければならないと思うほど横暴な話である。
主人公はFだ。
彼は、この話の中で私が唯一男性三人称を用いる相手で、私という人間に様々な側面から好意を抱いたままの異常な感性の持ち主である。
Fは今回の件については全くの外野であったはずだった。
しかし、CとF、そして私と恋人のBは同じ団体に所属しており、半年ほど前に私とBが揉めたことをきっかけに連絡を取り合っているようだった。その流れでCからFに今回の件が伝わったようだった。
その事実については私は問題だとは認識していない。Cが私によってもたらされた悪感情を消化するための手段は誰にも阻まれるべきではない。
Fは、Cから話を聞いたことを隠して、私にメッセージを送ってきた。
正直、(これまでも自分や相手に対して自己表現と防衛のために必要な修辞を伴いながらも可能な限り正直に記述してきたつもりだが、この件に関してはより剥き出しな「感情」を用いて、)部外者が不必要な口を突っ込むことがひどく不快だった。
Fの記述曰く、
「Cは半泣きだった」
「Cを責めないであげてほしい」
ということだった。
調子のいいことばかりだった。
Fの、まるで訳知り顔という態度も、本当はCが参っていたのか、それとも話しぶりがFに誤認させるようなものだったのかわからないという事実も。確かめられていないが、とにかく双方の印象が異なるのは非常に不快だった。
2人とも自分が正しいような顔をして、どちらかは確実に嘘をついているのだから。それがたとえ誤解だとしても、誤解のまま私という私ーB関係の当事者兼CーF関係の部外者とのコミュニケーションをとることを選んでほしくなかった。
これまでの経験上、2人とも印象や偏見で話すことがないとは言い切れない。だからこそ「嫌」だった。
Cについては、たとえCとFの記述が両方正しいとしてもその内情が一部理解できた。ひどく衝突して怒りを向けたAと今の私が向き合えないと知って、逃げ道の役割を自分から引き受けてくれたのだとしたら、本当にひどいことをしたという自覚は生まれる。そしてCの苦しさはある程度察するものがある。
ただ、一つだけ。C自身が「私に責められた」という内容の発言をしたのなら、それは、当時の私の発言がひどく拙い故だったのだろうが、本意ではないことだけは知らせたいと思った。
Fについては、普段から私が関わった事実の誤認が激しいという印象を受けていた。
私とFの関係性を「友人」というラベリングを行うことで実情を無視してひどく親しげに振舞うその姿勢は、普段の人間活動の上では真人間には見えているギャップも相まって恐ろしい精神的な問題を持っているのではないかと邪推してしまうほどだ。(もしかすると、私という観測用レンズがひどく歪んでいるのかもしれず、その可能性は決して低くないが)
とにかく、彼とCについての問題は解決するにしても慎重な対応が必要だと思ったし、本質から外れていると思った。
話は以上だ。
私が悪い。これだけは覆しようのない事実として私は認識している。
ゆえに、これが成立したままで遍く問題が解決すれば万々歳なのだが、そう思っている。
それでは、また明日。
明日が来る私より。
[B! 差別] おじさん構文、働かないおじさん…「おじさんは叩いていい風潮」の危険性。社会学者が指摘する中年男性のイメージと現実のズレとは | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい
あれは本来夜職やパパ活界隈で相手のおじさんから送られてきたメッセージを晒したりして共有されていたもの。
年下の女性に合わせた(つもりの)下心を伴った書き方がキモい・痛々しいといういわば「キモおじ構文」とか「パパおじ構文」とでも呼ぶべきものだった。
(なのでテレビで朝から面白ネタとして紹介したりしていいの?という疑問もある)
ちなみにおじさんというと40、50代からをイメージするかもしれないが若い女性視点なので30代からおじさんである。
それが今では世のおじさんみんなああいう書き方をしてるかのように誤解が広まって無関係なおじさんが被弾している。かわいそう。
年上のおじさんと日常的にやりとりする人なら知ってると思うけど彼らはあのような書き方はしないし男性は絵文字もあまり使わない。
その点おばさん構文はまた異なるんだけどここでは割愛。