「い、いえ、どうもしません。では、私はこれでっ……失礼します」
すると、なぜか紳士はバツが悪そうに話を切り上げ、そそくさと店を去っていった。
これは語り手である俺の推測でしかないが、多分この紳士は宗教家だ。
この町で新興宗教を細々とやってる教祖がいるんだが、そいつと言動が何となく似ている。
逃げるように出て行ったのも、政治家と宗教家が関わるもんじゃないと分かっていたからだろう。
なぜなら政治と宗教という組み合わせはジャガイモの入ったカレーライスのようなものだ。
共に食べられてはきたものの、ジャガイモの存在がノイズになっているのは否めない。
市長は気づかず終いだったが、このまま美味しいカレーライスとして消化した方が幸せかもな。
『最近、話題になっております。児童の箸の持ち方を教育機関総出で指導する件におきまして、市は統制ないし後援をいたしませんことを、ここに表明いたします』
『市としましては児童の、ひいては市民の自由意志を尊重しており、これはコモンズにおけるサンクションにおいても同様です』
『その肯否や妥当性、それら取締においても各コモンズ内で完結するものであります』
随分と回りくどいことを言っているが、要約すると……
『箸の持ち方を指導する点について、市は良いとも悪いとも言わないよ』
『自由ということは市も関係ないから、学校側や現場の大人たちが責任もってやってね』
『箸の持ち方をちゃんとしろだの、それ位でやいのやいの言うなって諍いも市民たちで勝手にやって、皆いい感じに付き合っていってね』
ってところだ。
「なんすかそりゃ。箸の持ち方くらいで、わざわざ記者会見を開いてまでやること?」
みんな呆れると共に安堵していた。
ある意味、“マナー”というものが納まるべきところに納まったからだ。
箸に正しい持ち方があることは変わらないし、持てるに越したことがないのも変わらない。
である以上、ちゃんと持てていない者を気にかける人がいるのも当然だ。
だが箸の持ち方に答えはあっても、それをどれくらい重く見るかには答えがない。
そこまで気にしないって人もいるだろう。
個々人が何に対して、どの程度の思いがあるかなんて把握しようがない。
超能力者にも、ロボットにも、未来人にだって分からないだろう。
それを守ろうとすることで社会は円滑に動くが、ちょっと破ったくらいで根元から一気に崩れ落ちるわけでもない。
箸の持ち方は、あくまでこの社会を渡り歩くための“橋”のひとつでしかないのだから。
学校によっては、市から予算が下りないのを承知の上で、矯正用の箸を配給したところもあるらしい。
ちなみに弟の学校はというと、毎年2~3時間くらい指導する程度に落ち着いたようだ。
有象無象(ガキ共)の箸の持ち方を、その程度の時間で矯正できるとは思えないが、たぶん“学校で指導は最低限しました”ってポーズをとっておきたいのだろう。
「ほぅ、マイ箸ですか」
ただ箸を綺麗に持つ者として、その“趣”を知りたかったんだ。
「え? ああ、割り箸はどうも使いにくくて。この細長いタイプじゃないと、しっくりこないんですよ」
「同じ枕じゃないと眠れない、みたいな感じですか」
「ハハハ、そんな繊細な歳じゃないですよ。箸を綺麗に持てるようになったのは、ここ最近です」
「えっ、本当ですか!?」
市長は驚きを隠せなかった。
あれだけ綺麗な持ち方をしているのに、それができるようになったのは成人してかららしい。
「大人になってからだと、とやかく言ってくる人も周りにいないでしょう。どういう心境の変化で直そうと?」
「ふぅむ……あなたは箸をなぜ“箸と書くか”、なぜ“はしと呼ぶ”かご存知ですか」
「うーん……生憎、不勉強なもので。疑問にも思いませんでした」
「箸という漢字は、素材の“竹”に神が宿るとされ、それが“人やモノ”の橋渡し役であることからきているようです」
「へー、竹に神が。八百万の神なんて概念がありますが、食器にも神が宿っているなんて考えがあったんですね」
「いえいえ、扱う物や振る舞いに対して霊験があるというのは、世界的に通ずる考え方ですよ」
これは現代でも通ずる箸のマナーに関するものであり、ひいては市長が今悩んでいる問題にも繋がるものだったからだ。
「例えば、遠い国の中世。手づかみが当たり前だった時代には、その指に神が宿ると言われていました。食べるという行為は突き詰めるなら神聖なものなのです」
「だからこそ、箸も綺麗に持つことは大事だ、と考えるようになったわけですね」
「とはいえ箸の持ち方は、あくまで“一環”です。自分がどのように見られているか、それを自分がどう考えるかという“在り方”の」
「要はマナーってことですね」
「自由、ということは、あなたは箸の持ち方が汚い人がいても気にならないと?」
「気になりますよ、そりゃあ。でも、その人たちに箸の由来だとか、食器には神が宿っているだとか話しても仕方ないでしょう」
ここまで箸に含蓄があるのに、紳士はあっけらかんと言ってのけた。
自分はちゃんとしようと思うし、ちゃんとしていない人間がいれば気になる、それ以上でも以下でもない。
その答えは、今の市長にとって最もしっくりくるものだったらしい。
「なるほど……中々よい話を聞かせていただきました」
昼飯を買ったが、未だ結論は出ない。
このまま帰れば、何となく判を押して終わりだろう。
最後の抵抗とばかりに、イートインコーナーで昼食を済ませることにした。
「いただきます」
心ここにあらずでも、割り箸を横向きにするのは忘れない。
これが身についたのは市長がまだ市長でなかった頃、政治家を志してからだった。
親の庇護下だった頃は実践の機会がなく、知識として教えられていた程度。
彼の親からすれば、自分の子供が割り箸を使うような食生活を送るなんて想定していなかったからだ。
しかし親の元を離れ、市長に立候補しようとした時、今度は政治コンサルタントによる教育が始まった。
やってきた政治コンサルタントが、開口一番そう言ってきたのを今でも思い出す。
むしろ親の教育よりも、この時の方が身に沁みているかもしれない。
“市民は、世間は、あなたの一挙手一投足を気にかけます。文字通りね”
その時、「さすがに、そこまで気にする人はほぼいないだろう」と思ったが、それを見透かしたかのようにコンサルタントは言葉を続けた。
“もし気にかけられないなら、市民に興味を持たれていないということ。興味のない人間は批難されませんが支持もされません”
批難も支持もされない人間は政治家になれない、とまで言われては従う他ない。
そうして、ありとあらゆる“政治家しぐさ”を学んだ。
その賜物……かどうかは正直なところ実感が湧かないが、いま市長をやっているのは事実だ。
「私自身は構いませんが、子供たちや一般市民の方々に、そこまでさせる意味って……あっ」
にも関らず、この日は久々に箸を割るのに失敗してしまった。
“箸の乱れは心の乱れ”
コンサルタントに何度も言われた、いま考えてみても謎の精神論。
だが割るのに失敗した箸は、「そら見たことか」と自分を指差しているように見えた。
「むぅ、割り箸もどうにかしないといけませんかね……環境問題とか色々ありますし」
市長が八つ当たり気味に環境問題を呟いた時、ふと近くで座っている紳士に目がいった。
男の持っていた箸はどうやら自前らしく、一般的な箸よりもかなり細長く、先端は鋭く尖っているようようだ。
その上で持ち手の割合は申し分なく、箸先もピタリと合わさっていた。
それだけで、彼が箸で食事をすることに並々ならぬ拘りがあるのが分かる。
既に各役所で審査は終わっており、市長の考えうる懸案事項は通過済みだからだ。
市長が七面倒な人格者でも町が廻っていたのは、こういった役員達の努力による所が多い。
「慣習的な規範を選別したり忌避する向きも確かにあります。ですが、そもそも文化に基づいたルール自体は社会において必要なものですよ。でなければ法律でガチガチに縛るしかありませんので」
「もちろん箸の持ち方を法律で縛ろうなんて話はしていませんよ。いま話しているのは、法律のように強制力はなくても守った方がいいルールがあり、それが間違いなく社会を回す上で不可欠だという話をしているんです。それを手助けするのも政治の役割ですよ」
そして、それでも市長が渋った場合は、彼を言いくるめる理論武装も済ませてある。
「箸の持ち方を好きにさせろって人も他のマナーを守る時はあるでしょう。その他の常識、文化、マナー、規範といったものによって、快適に社会生活を遅れている側面もあります。そこにきて箸の持ち方だけ好きにさせろというのは理屈じゃないでしょ」
「あー、分かった、分かりましたよ、分かっていますよ!」
「いえ、どうしても判を押さないというのなら構いませんが、それ相応の理由は必要かと。でなければ他が納得しませんので」
「そうですねえ……」
「……昼時なんで、飯食ってきます」
「……そうですか、ではその間に考えをまとめてきてくださいね」
いつも利用する市役所の食堂を通り過ぎて、市長は外で店を探し始めた、
「さて、どうしたものか……」
そうして十数分、あてもなくフラフラしても考えはまとまらず、結局コンビニで適当なものを買うことにした。
市長自身、この件をなぜここまで渋っているのか上手く言葉に出来ずにいた。
ただ、この件が政治的に動くという事実と、それが後は自分の判の一つで決まるという状況。
そのことが、どうしても喉に引っかかって飲み込めなかったんだ。
「やっぱり私が、市政がどうこうするようなものでもないと思うんですよねえ」
あくまで市政がやることは、授業で使う矯正用の箸を作るための資金を出すこと。
市長が声を大にして「みんな箸は持つべきだ」なんて言うわけではない。
秘書はそうも言っていたが、自分の意志で判を押して、相応の金を出す以上はそうもいかない。
だがイエスにしろノーにしろ、今の市長にはどちらも言える気概がなかった。
「はー、やれやれ。ある意味で尤も重要なのに、尤も簡単な仕事なんですよね。政治システムのバグだと思うんですよ。放置せずデバッグすべきです」
「その話、何回目ですか。もし本当に問題と考え、解決すべきと思っているのなら、ここでおっしゃらず議会で“デバッグ報告”してみては?」
「他に優先したい議題があるとかで、スルーされるのがオチですよ。いち市長の意見なんて、上は都合のいいときしか聞いてくれません」
「でしたら、せめて目の前の書類と戦ってください」
最近の市長はというと、これといった目新しい政策を打ち出すこともなく、良くも悪くも“市長らしいこと”に従事していた。
だが、その状態はいわば休火山のようなもので、政治魂が噴火するのは時間の問題といえた。
「えーと、なになに……『授業に使う矯正用の箸を、大手メーカーに受注・依頼するための予算』……」
「義務教育で箸の持ち方……」
「予算的に問題ないので、後は認可だけ……市長、いかがしました」
少なくとも、呟いたダジャレを自嘲する程度には落ち着いていた。
「いや、箸の持ち方についても賛成派、ということにはなると思います。私自身、箸はちゃんと持てていますし、ちゃんと持てた方がいいとも思っています、けれども……」」
市長の歯切れは悪かった。
いつもの強弁は鳴りを潜め、ひとつひとつ言葉を選ぶように喋っている。
「幼少時代、親に厳しく指導されましてね。ちゃんと持てるようになって良かったと今は思いますし、親の教育にも感謝はしています、けれども……」
「なにか嫌な思い出が?」
「そりゃあ当時の心境を顧みると、決して愉快とは言えませんよ。意味すら分からない歳で親に言われるがまま、慣れない食事を強要されるわけですから。大好きなひじきの煮物を、ちびちびと時間をかけて食べていた時は妙に悲しかったのを覚えています」
「その教育の賜物、“反動”というべきなのでしょうか。私の中では箸を正しく持つことへの信念と同じくらい、それを相手に求めることへの抵抗感もあるんです」
その歴史を背負っている市長も、この件ばかりは普段の向こう見ずな姿勢を正すしかなかった。
「市長のお気持ちは理解しますが、皆が皆そう思うわけではないですから」
「むしろ“逆”かと。誰が、何に対して、どう思っているか分からないからこそ様式に則り、規範を形作るのです。でなければ人々は何を正しいと思い、行動すればいいか分からなくなります」
しかし、市長一人が頭を抱えたところで、書類の段階では突っぱねることも難しい。
箸の持ち方を授業で徹底的に教えるというニュースは市内に轟き、そして他の学校も見切り発車気味に真似しだしたんだ。
そして広がりを見せると授業内容は最適化されていき、次第に抱えている欠点も見えてきた。
「あの、矯正用の道具とか、専用の矯正箸とかあった方が授業も捗ると思うんですが」
「そういえば、そうですね。こういう専門的な授業って、それ用の教材とか準備するものなのに。予算の都合とかでしょうか」
「知らなかったんかい……」
箸がこの国に定着してからかなり経つが、それを助けるための補助ツールが普及したのは割と最近だ。
だけど今まで、そういった意見が出てこなかったのには理由がある。
嘘だと思うなら、行きつけのスーパーで普段は利用しないコーナーを巡ってみるといい。
パッと見だと、こんなもの何に使うんだって商品が並んでいるように見えて、実際はちゃんとした使い時あるものばかりだ。
箸を正しく持てている大人は、小さい頃から家庭での教育や、周りの環境などによって補助具なしで身につけた。
矯正用の箸が既に必要のない立場で、経験上そんなものがない前提で生きてきたので、存在を認識できない。
それを考える時がきても、矯正用の箸というものが存在し、それを使った方がいいなんて発想が出てこない。
当然、ガキは自力で箸を正しく持とうって気概がないので矯正用の箸なんて興味外。
そのため、今まで矯正用の箸を用意した方がいいという、考えてみれば当然の発想が出てこなかったんだ。
しかし、いざ用意するとなると、これが中々に大変だった。
俺はその足跡を把握できていないが、たぶん箸の矯正そのものより過酷だろう。
なにせ箸の持ち方について、これまでは個人の問題、せいぜい小さな枠組みでの課題だった。
そんな中で巷にあった矯正用の箸は、ないならないでどうにかなる代物で、実際どうにかしてきたという現状もある。
そもそも正しく持てている人間には必要ないし、正しく持てるようになれば必要なくなる物だ。
それを学校規模で用意しようとなるとメーカーに依頼し、ほぼ一から作り始める必要があった。
当然それなりの資金も必要なので、政治レベルで金を動かさなければならない。
市長がこれまでにやってきた政策を顧みれば、書類にただ判を押すだけでは済まないだろう。
この授業での様子は市内の新聞でも取り上げられた。
俺はそのことを、行きつけの喫茶店で知った。
あの時の会話を弟が聞いていたのかと気づいたのも、この時になってからだった。
「ハッ、時代だなあ」
「時代、ですか? むしろ、こういうのを厳しく指導しないのが現代だと思うんですが」
喫茶店のマスターと、常連客のタケモトさんも丁度その話題で盛り上がっていた。
「いやいや、オレから言わせりゃな、しっかり指導してこなかった時の“ツケ”を払わされてるのが今の若い世代なんだよ」
「と、言いますと?」
「箸の持ち方はな、現代社会の最前線にいる大人たち9割が従っていれば“環境が矯正”してくれるんだよ」
「箸の持ち方に限ったことじゃなく、常識とかマナー全般にいえることだがな。それを守ってる奴らが多くいれば、大抵の奴らは自分も守らなければって意識する」
「なるほど、行動の規範を形作る。それが“環境の矯正”ですか。逆に言えば、ルールを守らない人間が多くいれば、守ろうとする人間も減ると」
「なのに、箸の持ち方を気にするなだの指摘するべきではないだの。そうやって表面的に意識だけ変えようとしても、ふさわしい持ち方自体は変わらんわけよ」
「まあ、そうですね。その、“ふさわしさ”を求められる場面ってのも依然ありますし」
「だから箸は正しく持てるに越したことはないんだよ。なのに、やらなくてもいいって環境を蔓延させて、結局は必要だから授業でみっちり教えるハメになってる」
「ちゃんと持てた方がいいって思わせる環境が出来ていれば、わざわざ授業で教えなくてもよかった、と。だから今の若い世代は“ツケ”を払わされてるってわけですね」
「しかも、しっかり指導されてこなかった世代が、今は指導する立場になってるわけだから、その“ツケ”は利子つきだぜ」
話の発端になった俺がいうのもなんだが、箸一つでよくここまで話を広げられるなと感心する。
「つまり、アレだ。オレがタバコを喫煙所でしか吸わない、というか吸えないというべきかもしれんが、それも“環境の矯正”があるからだよな」
「健康被害っていう大義名分があるだけで、マナーって枠組みで見たら同じだって。それを嫌に思う奴がいるから、矯正するための環境ができんだろ」
「私も煙は吸いますが、さすがにそれは強弁が過ぎませんか」
「分煙を徹底して、周りに迷惑をかけていない喫煙者だって周りには忌避されるだろ。箸をちゃんと持ててないやつだって周りには迷惑をかけてないが、同じくらい忌避されて然るべきじゃないか」
まあ、タケモトさんの場合、箸の持ち方がどうというより、嫌煙家が憎いだけなんだろうけど。
でも、この“ツケ”という視点は、割かし的を射ているような気もした。
こうして、弟の学校で箸の持ち方が徹底的に教えられることに。
「まず、一本目の箸を鉛筆を持つ時みたいにして。この部分が動かないよう固定させるのがベスト」
「鉛筆の持ち方って?」
「じゃあ親指の付け根と、薬指の第一間接で支えてみて」
「それって鉛筆の持ち方です? ちょっと違うような」
「分かりやすいよう似てる持ち方を例にしただけで、今やってるのはあくまで箸の持ち方なのを忘れちゃダメですよ。あと話が逸れた分だけ授業が延びていきますからね」
「う、バレてたか……」
大人たちほど拗らせているわけではないが、その分ガキ共は感情に忠実だ。
以前から正しく持てている生徒にとっては分かりきったことをやっていて退屈。
できない生徒も完璧とはいかずとも何となく使えているレベルではあったから、わざわざ授業で矯正されるのは億劫。
箸の持ち方よりも、生徒たちのやる気のなさが難度を押し上げるといえた。
「手首は寝かせないで、2本目の方は親指と人差し指と中指で持ってみて」
「先生の中指が立ってる」
「それが正しい持ち方なんですか? それとも今の心境に対するジェスチャー?」
「すいません、先生も練習中で……みんなで一緒に学んでいきましょう」
しかも弟のクラスに至っては、教える側もマトモに持てていない状態。
先生は上手く教えられないしで、余計に生徒の意識は高まらないしで授業は難航した。
尤も、ちょっとマジメにやっただけで矯正できないからこそ、この手の問題は苦慮するのだが。
「おい、タオナケ。また超能力が暴発してんぞ。この世の箸全て破壊する気か」
「私、言われたとおりやってるんだけど、箸先がズレてムカつくのよ」
「タオナケは下側の支えが甘いから“クロス箸”になるんだよ。親指を動かしすぎてる。動かすのは基本的に人差し指と中指だけでいいんだよ」
いくら説明した所で、こういった矯正は最終的に日々の積み重ねしかない。
だが問題は、その“積み重ねる価値”を皆が理解しきれないことにあった。
ちゃんと箸を持てている側も、本質的な部分は説明できなかったから尚更だ。
「私、疑問なんだけど、この持ち方って本当に“正しい”の? 確かに、これだと小さいものは掴めるけど、大きいものとか無理でしょ」
「そういう場合は、箸で適度な大きさに切り分けるんだよ。少しずつ食べていく方が行儀よく見えるし」
「あと、満腹感も増して間接的なダイエットにもなるぞ」
「私、太ってないと思うんだけど、それは遠まわしな“デス&バースト宣言”かしら」
「で、デス&バーストってなに?」
「僕も知らない。話の流れ的に、体重に関することじゃないかな」
「いや、たぶん体重じゃないと思う」
「なんでそう思うんだい?」
「箸の持ち方(スタイル)を他人にどう思われようが気にしてこなかった奴だぞ。そんな奴が自分の体重(スタイル)を気にするか?」
「い、言われてみると確かに」
「さすが、マスダは目の付けどころがシャープだね」
「……キイィ!」
「おい、タオナケ。俺たちの箸まで壊すなよ」
そして、これも弟たちだけの話では終わらない。
このやり取りを学級内でやっているということは、教員達の耳にも必然的に届いた。
つまり、今度は教員や保護者の間で箸の持ち方談義が繰り広げられることになる。
「子供達が箸の持ち方ひとつで揉め事を起こすのは、授業での教育が不十分だからですよ」
「教育が必要なのは一理ありますが、この件はどちらかというと我々の管轄外だと思うんですよねえ」
「給食の時間だってあるわけですし知らん顔とはいかんでしょ。あれだって、ただのランチタイムではなく教育の一環ですよ」
モメるのは決まっていた。
しかも、弟たちより年上で知識も語彙も多く、コミニケーションの妙も理解できる同士だ。
そのグダグダっぷりは俺たちの時の比じゃない。
「やはり家庭科の授業等で、しっかりと時間をかけて教えるべきでは? 一時間、二時間とはいわずワンシーズンくらい」
「箸の持ち方だけでワンシーズンですか? 他にも教えたいことがあるのに」
「なんだったらオールシーズンあってもいいですよ。将来、料理や裁縫は避けられても、食べるために使う箸は今後も確実につきまとってきます」
「うーん、でも個人の資質もあると思いますし。同じことを無理やりやらせるのは、昨今の潮流を無視しているといいますか。みんな違って、みんないいの精神でいきませんか」
「多種多様な人間がいる中で社会を回すためには、時に同じことが求められる。それを学ぶための義務教育、その場所としての学校でしょうが」
大人たちは一回りも二回りも歳を重ねているから、当然ながら箸を使ってきた回数も遥かに多い。
その分“拗らせレベル”が高まっているんだ。
そんな中で繰り広げられる談義は、俺たちのディベートもどきや、弟たちの口喧嘩とはワケが違う。
「まあ、先生が渋る理由も分かりますよ。生徒に箸の持ち方を教えるためには“必要条件や十分条件”が必要ですからねえ」
「……私としましては、箸の持ち方ひとつで他人にとやかく言わないよう教える事の方が大切だと思っていますので」
「道徳の授業でマナーの大切さを教えているのに、箸の持ち方は自由にしろでは通らんでしょ。子供はそういう不合理に敏感ですぞ」
彼らは長く生きてきたが故に、箸をちゃんと持ててない人をより多く見てきた。
今でも矯正せずに生きてきている人もいたりする。
それを気にする時も、気にしないようにする時もあっただろう。
だから箸の持ち方について、腹に抱えているものは若者よりも熟成されている。
「先生の言ってることは、箸の持ち方を直す気がない人間のポジショニングトークでしかないんですよ。それの何が悪いのかと逆切れする術でも教えるっていうんですか」
「うーん、この歳になって箸の持ち方で説教なんてくらいたくなかった……」
しかも彼らは教育者という看板を背負っている手前、その日限りの雑談で片付けられなかった。
そして結局の所は、俺自身この件について心根ではどうでもいいと思っていたりする。
どうせ、このやり取りも今日だけで終わるんだ。
などと内心クダラナイことを考えていたが、実際この時の雰囲気を形容するなら大体そんな感じだったんだ。
しかし俺が迂闊だったのは、この日で終わるはずだった四方山の話を自宅でしていたことだった。
文化やマナーの話を持ち出したことも、箸の持ち方について言及したことも安易ではあったが、この点には勝らない。
なぜなら、自宅であるということは“弟が近くで聞き耳を立てている可能性”について見積もる必要があったからだ。
己の油断を嘆くべきなのか、弟の口の滑らかさに怒るべきか。
思春期だというのに、兄弟部屋を分けてくれない両親の教育方針を恨むべきなのか。
“後の祭り”の語源は、最も盛り上がる時間である“前の祭り”との対比からきているらしい。
そう考えると、ここからの展開はあながち慣用句ではないかもしれない。
「……なーんてことを兄貴たちが話してたんだ」
当然、弟のフィルターを通して語られているから話に繊細さなんてものはない。
「正直、俺はどうでもいいと思うが、ちゃんと箸を持てるに越したことはないよな」
「私、ちゃんと持ててないけど、うるさく言われたくはないわ」
「タオナケの言い分も分かるよ。でも、それを気にする人がいるってのも分かるだろ」
「私もそれは分かるけど、“気にする気にしない”と“善い悪い”は別でしょ。ちょっと箸の持ち方に癖があったとして、それでアンタに迷惑かかるわけ?」
「ちゃんと持ててないのに開き直って、気にする側を心の狭い人みたいに言うのは違うんじゃないか?」
「“みたい”じゃなくて、実際その通りでしょ。別に悪いことじゃないんだったら、それは気にする側の問題よ」
「おいおい、さすがにその言い草はないよタオナケ。ちゃんと箸を持てていない立場で、気にする方が問題とまで言ったら傲慢だよ」
「傲慢ですって!? 箸をちゃんと持てるのが、そんなに偉いの!?」
「そうだ! オレこそが最強の“ゴーマン”だ!」
「シロクロ、お前は傲慢の意味を誤解しているし、その持ち方はクセがどうとかいう次元を超えてる」
モメるのは決まっていた。
しかも、俺たちより年下で知識も語彙も少なく、コミニケーションの妙も理解できない同士だ。
そのグダグダっぷりは俺たちの時の比じゃない。
「この持ち方が正しいのは箸が食べ物を掴む食器としての役割があるからだ。その持ち方で支障ないって言ってるが、それじゃあゴマや小豆をつまめないだろ」
「そのあたりは掬い上げるような取ればいいんすよ」
「そんなことするんだったらスプーンでいいって話になる。刺し箸で食べる奴もいるが、それもフォークの方がいい。逆さ箸や合わせ箸とかだって衛生的に問題があるからだ。マナーとかそういうのを抜きにしても分かるだろ」
正しく持てている側だからポジショニングトークをしたいわけじゃない。
箸に限らず正しいのには理由があるが、個人的に無視していいこともあるだろう。
けれども“無視していい前提”で語ってくるなら、それはさすがに違うと言っておかなければならない。
でなければ、まるで正しい側が間違っていると認識されかねない。
「確かに、カジマのその持ち方は箸の機能をロクに使えていないね。数ある食器の中から箸を使う以上、ロクに機能を活かせていないのは合理的じゃない」
「それにマスダは作法を抜きにしてもと言ったが、実際は作法も大事だぞ。もし親戚が亡くなったとして遺骨を壷に入れる時、そのクセだらけの持ち方で本当に支障がないと思っているのか」
「えー、味方がいない。タイナイとウサクもそこまで言えるほど上等な持ち方じゃないっしょ!」
「まあ、それは確かに」
「む、よほどのことがない限り、他人にとやかくいわれる筋合いはないぞ」
「この持ち方は僕らの勝手だ」
「おいおい……」
でも直さずに生涯を終えられるなら、それはそれでいいとも思っていたりする。
たまに指摘された時にブーたれて切り抜けられるなら、そっちの方が遥かに楽なんだ。
だから“そんなの個人の勝手だろ”とか、“他人にとやかく言われる筋合いはない”と便利な言葉で突き放したがる。
「箸の正しい持ち方を教育したり、喚起したりするのは抜本的ではない。正しく持てていない者が現状たくさんいるのだから、システム側が現代の人間に合わせるべきだ」
「……なんだか含みのある言い方だな」
「だって個人レベルの問題を大局的な施政から解決しようってのは、むしろ遠回りだろ」
それに、皆やいのやいの言う割に“最も大きな理由”を隠そうとするのもヤキモキした。
「今さら箸の持ち方を矯正するのは面倒なんだよ」って言いたがらないんだ。
改めて考えてみると、俺たちティーンエイジャーの段階で1万8千回くらい食事をしていることになる。
その内の何割くらい箸を使っていたかまでは分からないが、1日に1回は使っていると見積もって約6千回。
いざ箸の持ち方を矯正するにしても、この6千回を取り戻すのは生半可なことではないだろう。
これの意味するところは、身も蓋もないことをいえば“面倒”という言葉に集約される。
だけど彼らがその言葉を使わないのは、それでは罷り通らないであろうと思える程度の通念はあるからだ。
事故で指を失ったとか、のっぴきならない事情で出来ないとかではない。
ただただ使いこなすのが難しい、今さら矯正が面倒くさいから、そのままでもいい理由にすがるんだ。
「音を立てるほど勢いよく啜るのは、麺に汁が絡んだ状態で口に運ぶためだ。物事には理由がある。その理由を無視して、従来のやり方を抑え込む方が愚かだ」
「えー、でもそれを気にする人がいるってのは分かるでしょ」
「個人の気にする気にしないレベルで是非を求めたら社会は回らん。何が正しいか間違ってるかも分からず何もできなくなる」
こういった法律に縛られない、慣習的な何かを俺たちは漠然と“かくあるべき”と思っている。
だからこそ、その“かくあるべき”を常識だとか文化だとか、作法という言葉で簡潔にまとめられるんだ。
「理屈が伴っているかどうかが重要なんだよ。米を炊く時だって、研ぐ段階から軟水を使うだろ」
「え? 米を洗う時にも市販水って勿体なくないすか」
「米は洗ったり研いだりする際にも水を吸うだろ。本当に勿体ないと思っているなら、最初から最後まで水道水を使えばいい」
「あー、なるほど」
「お前アレだろ? 座って用を足せと周りに言うくせに、流す時に蓋しないタイプだろ」
「逆だ、逆」
しかし、こういったルールの“延長線”を誰がどのように引いているのか、そして妥当なのか。
実際には誰も把握していなくて、共有できているかも怪しかった。
なので話を掘り下げようとするほど墓穴にハマりやすく、誰も出られなくなってしまうわけだ。
それでも概ね見解は一致していたから、さして険悪にはならなかった。
「そりゃあ似非マナーとか、古臭いルールは無くなってもいいさ。でも、全てがそうじゃないだろう。箸の持ち方だって変わらない」
だけど話題が箸の持ち方になった時、なんだか雲行きが怪しくなってきた。
切り出したのは俺だったが、これは七面倒なことになると言ってから気づいた。
この時、ラーメンを食べている彼らの手元は三者三様だったんだ。
「えー、箸の持ち方くらい自由でいいじゃん」
「そりゃあ、まあ、ちゃんと持てた方が行儀は良いかも知れないけどさ」
「箸の持ち方ひとつで窮屈になる社会が良いとは、とても我は思えん」
「オイラ、この持ち方でも支障ないし」
「お前の持ち方は、さすがにクセがありすぎる」
「えー! “箸の持ち方くらい自由でいい”って、さっき言ったじゃん」
俺みたいにちゃんと持つべき派、多少なら構わない派、どんな持ち方でもOK派……
それを直すべきか、指摘するべきか等など。
皆その持ち方で、食事を数え切れないほど行ってきたんだ。
つまり、この議論は人生の一部をかけているに等しいといえ、それ故にみんな必死だった。
よく連れ立つ仲間達と、自宅で軽い昼食を摂っている時だった。
「袋麺を作るだけで、妙に自信満々だった時点で怪しく思うべきではあった」
「何でだよ。おいしいだろ」
「余計なアレンジをしても美味いのは、そもそもが美味いからであって、決して貴様の手柄ではない」
「まー、タイナイの気持ちも分かるよ? どこぞの情報サイトでレシピ見かけて、試してみたくなったんでしょ。でも、オイラ達を巻き込まないでほしい」
仲間の一人にタイナイって奴がいて、こいつの調理したインスタントラーメンが賛否両論だった。
まあ、“賛否両論”という表現をするときは、大抵“否”の割合が多かったりするんだが。
「基本インスタントラーメンは、袋に書かれてる通りに作るのが一番いいのだ。メーカーが商品開発に試行錯誤して、この通りに作ることを想定して世に出したのだから」
「茹で時間に関しては工夫すべきだろうけどな」
「なぬっ?」
それを皮切りに、インスタントラーメン談義が始まった。
「器に移して、テーブルに持っていく間にも麺はスープを吸い続ける。それを計算して、早めに火を止めた方がいいんだよ。もしトッピングをするなら尚更だ」
「いや、ちゃんと茹でるべきだよ。小麦粉はしっかり熱を入れないと消化吸収しにくいんだから」
「その指摘は的外れだ。基本インスタントラーメンは油揚げ麺だから、既に熱を加えてある状態だ。極論、茹でずに食べても問題ない」
「えー? それはさすがに……」
「あくまで極論だと言っただろ!」
交わした内容は、突き詰めれば突き詰めるほど、どうでもよいものとなっていった。
「インスタントで洗い物が増えると、なんか嫌じゃないっすか? だからオイラは鍋に入ったまま食う」
「それだとスープが飲めないだろ」
「レンゲを使えばいいじゃないっすか」
「洗い物が増えてるぞ」
「というか、スープなんて飲むべきじゃないよ。あれにどれだけの塩分が含まれているか、それに溶け出した油も……」
「そんな健康面まで気にするなら、もうインスタントラーメン食べない方がいい」
そうして熱を帯びた議論は、茹で過ぎた麺のようにグダグダになっていく。
「もしかしてタイナイはあれっすか? ヌーハラとか言い出すタイプ?」
「なんだよ、そのイメージ」
「なあ、ヌーハラってなんだ?」
「ヌードルハラスメント。麺をずるずる啜る音が不快だという指摘だ」
「なんだそりゃ。落語の蕎麦しぐさとか見たことないのか。あれは文化、むしろ音をたてるのがマナーだろ」
「そこまで言い出すと、些か主語が大きすぎる気もするけど」
昔々、どのくらい昔かっていうと、フォークが二又しかなかった時代。
この頃のフォークは使い勝手が悪く、上流階級の人々すら未だ手づかみが基本だった。
育ちのいい奴等ですらそんな具合だから、庶民の慣れ親しむスパゲティは言うまでない。
もちろんフォークなんて縁のないものだし、四又に改良して食べやすくしようなんて発想自体ない。
今ある形へと発展を遂げ、食器として磐石なる地位を得るには長い年月と潮流が必要だったんだ。
価値観のアップデートが行われ、紆余曲折を経て、フォークはより便利な食器として進化していったのである。
その理由は様々だが、“より行儀良く食べるため”という背景があったことは確かだろう。
“食器のあり方と作法”は、ナイフで切っても切り離せない関係といえよう。
いや、より厳密に言えば“使わない方がいい”というべきか。
俺たちの国で使われるニホンの棒。
そう、箸だ。
紆余曲折あるフォークとは違って、箸の姿形は代わり映えしない。
最初からほぼ完成されている、と前向きに解釈することも出来るだろう。
それで長年、口へ食べ物を運ぶ橋渡し役を担っていたのだから大したもんだ。
実際、この細長い棒は多機能だ。
幅を自在に調節して食べ物を挟みこんだり、適当な大きさに切り崩すこともできる。
ちょっとした調理器具として利用もでき、素材を混ぜたり、料理を取り分けたりといった使い方もある。
大体の食事は何とかできる、非常に汎用性のある食器といえるだろう。
まず、持ち方からして厄介だ。
一本目(上側)の箸は鉛筆と同じ要領で、親指と人差し指と中指で持つ。
二本目(下側)の箸は親指の付け根あたりで挟みつつ、薬指をあてて固定する。
このとき、箸先がピッタリ合っているのが肝要だ。
後は下の箸を動かさないようにしつつ、上の箸だけ動かせばいい。
これで小さい豆を易々と掴めるようになれば一人前である。
……ハンバーガーの“逆まわし開け”みたいな説明になってしまったが、言い訳させてくれ。
実際、箸を正確に持てている人は本場でも多くないんだよ。
そして箸の機能上、この問題はフォークみたく本数を増やすことでは解決できない。
にも拘わらず“食器のあり方と作法”ってヤツを、俺たちは箸を使う時にも意識しなければならない。
ある意味、箸の持ち方より厄介な点は“こっち”だと思う。
これから話す『箸にまつわる出来事』も、ひどく単純で複雑だったといえよう。
こういってはなんだが、当時の母はシックスティーンを倒すためだけに戦う復讐マシーンと化していた。
それは偏に、シックスティーンが母から大事なものを奪っていったからだ。
もちろん、復讐を果たしたとしても、失った身体が戻ってくるわけではない。
だが後ろ暗い感情ではあっても、それが母の背中を押してくれていたんだ。
父からすれば、それがどこか儚げで、酷く痛ましく見えたのだという。
まあ、邪推するなら“個人的な理由”も多少は含まれていたんだろうけど。
「俺もネガティブな感情そのものを否定する気はないよ。なんだったら、復讐も否定はしない。そういったものは、綺麗事を超越した先にあるものだから。そこまで否定してしまったら、本当の意味でヒトじゃなくなる」
「じゃあ、あなたは私にどうしてほしいの」
「それは、ちょっとズルい言い方じゃない~?」
「……ごめん」
「ま、分かるけどね。要はポジティブな理由で生きられるなら、それに越したことはないって話でしょ」
なにはともあれ、父との出会いで母の復讐心は徐々に薄れていった。
いや、薄れたというよりは“これからやりたいことが他にもできた”というべきか。
今までは復讐心でハイオク満タンだったけど、他の燃料でも十分に動けるようになったってことなんだろう。
その燃料がエコなのかは知らないが。
「確かに毎週は面倒そうだね」
「機械に詳しい人が近くにいたら、行く頻度を減らせるんだけどね」
「それって……分かった。頑張って勉強するよ」
「いやらしいこと考えてない?」
「考えてないよ」
「だ、大丈夫。慣れてみせるさ」
こういうやり取りを聞いている時に感じる痒みって、科学的になんていえばいいんだろうな。
固い誓いを交わしてから後日の戦い。
「え……もう終わり?」
いや、あまりにも“あっけなさすぎた”んだ。
母が今まで戦ってきた中で、最も手ごたえの無い戦いだった。
もはやシックスティーンに、マトモに戦える機械は作れなかったのである。
この時にいたシックスティーンのロボットは、どれも子供のように小さな人型だった。
「……ムカつく」
いくらコストがなかったとしても、四足歩行のロボットなどはいただろうだし、そっちの方が勝負になったはず。
つまり、これは同情を買おうと、わざと弱いロボットをよこしたってことだ。
母は、そのことにすぐ気づいた。
「あなたたち、自分たちが何をやったか覚えてる? そもそも、なぜこんなことになっているか分かってる? 本当に分かっているなら、少なくとも“こんなこと”はやらないでしょ!」
だが、しかし、それでも。
もし父と出会っていなければ、シックスティーンは跡形も無く消え去っていただろう(物理的な意味で)。
いくつかの元所属チームが新たな企業を起こし、今も密かに活躍してるって話をたまに聞くくらいだ。
そして母と父はというと……これは言うまでもない。
非業な出来事に翻弄された母が、それ故に父と出会い、今はこうなっている。
そう思うと感慨深い気もするし、この話から復讐は虚しいとか教訓を得られなくもないが、俺から言えることは一つだけだ。
思春期の息子に、親の馴れ初め話は勘弁してくれ。
実際のところ、母の戦いがシックスティーンにどれほどの打撃を与えたかはハッキリしていない。
だが歴史の一ページを切り取るならば、この時シックスティーンは明らかに勢いを失っていた。
やることなすこと上手くいき、それだけで本が一冊書ける成功のノウハウが、現在では“しくじり”の見本市と評価されている。
前向きに解釈するにしろ、せいぜいリバウンドした人間のダイエットプログラム、メガネをかけないメガネ売りってところだ。
結局は客体、実績ってことなんだろう。
この戦いの有り様は、シックスティーンの栄枯盛衰を象徴していたのかもしれない。
その状況を何よりも痛ましく思っていたのは、シックスティーンでもラボハテでも、ましてや母でもなかった。
「やめろー!」
で、この時に現れた奴が、まークサい言い方をするなら母の“運命の相手”ってやつだ。
つまり俺の父だな。
「なに考えてるの! 危ないじゃない」
「危ないのは君もだろう」
「はあ?」
この頃の父は、なんというか……その……義侠心に溢れた若者というべきか。
根っこの善良な部分は今でも変わらないとは思う。
ただ、それを現実や他者とすり合わせるプロセスを、若気の至りでスキップしちゃうというか。
だからこそ、母が己の身体をいたわらないこと、復讐の不毛さ、企業間のしがらみ等など。
その辺りを全部ひっくるめて、いてもいられなくなったらしい。
「私の身体はほとんど機械だから、多少の衝撃はなんともないの」
「でも、心が傷つくだろう!」
自分の父親だから、あまり悪く言いたくはないんだが……クサいセリフだなあ。
「心が傷つく……」
だが意外にも、その言葉は母の心に響いた。
父がそういうセリフを真顔で言える若者だったように、母も同程度には若者だったらしい。
ただ、今となっては黒歴史らしく、この時のことを嬉しそうに語る母の横で、父はバツが悪そうだった。
あの時の父の絶妙な顔は、「バツが悪い」で画像検索したらトップで表示されるレベルだろう。
波長が合うってやつなんだろうか。
「君は人間でもあり、ある意味では機械ともいえる。個人的な復讐のために、サンドバッグのように機械が作られる。それを壊すのは何ともないのかい?」
「そっか、確かにそうだね。シックスティーンを倒すことばかり考えてて、そんなことを考えたこともなかったな」
父と言葉を重ねる度に、母の心境に緩やかな変化がおきていた。
“自分をヒトに戻してくれた”
この頃の思い出を、母はそう語っていたが、やはり父はどこか居心地が悪そうだった。
で、それを聞いている俺はもっと居心地が悪い。
すまないが、このあたりのやり取りは甘さと酸味に加えて痒みが伴うので省略させてもらう。
語り手として不甲斐ない限りだが、やはりティーンエイジャーの息子にはキツい。
「お前を倒すためにオレは生まれた! だから、お前を倒すことができる!」
戦うこと、目の前にいる“この個体”を倒すこと。
母に怪我を負わせたために廃棄されたロボットは、ここにきて母を倒すために生まれ変わった。
シックスティーンは人だけではなく、利己的にロボットの運命まで翻弄するんだ。
しかし、それでも詰めは甘かったといわざるを得ない。
今この場にいる母の覚悟を、シックスティーンは甘く見すぎである。
「確かに表面は固いけど、中身はどう? 間接部にも配線はいっぱいあるでしょうね」
「そこを狙うことくらい予測済みだ! 素手で引きちぎれるほど、俺のコードはヤワじゃないぞ!」
母は両腕を振り上げた。
「なにっ!?」
データには存在しない攻撃方法に、大型ロボットの対処が遅れる。
その隙を逃さず、母は攻撃を加えた。
「な、なんだそれは! 知らないぞ」
「今まで使える場面が無かったからね」
高速機動と空中旋回を可能とするブースター、日常生活において全く必要のない超音波ブレード。
戦いのために準備をしていたのは、何もシックスティーンだけじゃない。
この時、母の身体は医療用に施されていたパーツはなく、もはや完全に戦闘用だった。
「調理器具とかって、良いもの買っても持て余しがちよね。よく料理をする人でも、使う包丁は3種類くらいで落ち着くんだって」
「なんだ、何の話をしている」
「“専用包丁を使えるキカイがあって良かった~”って話。あなたのAI(お頭)で理解するには、ちょっとハイコンテクストだったかな」
「……侮るな! まだ左腕が動く」
「根性は認めるけれども、時間だから今日は終りね。お金には困ってないけど、1玉70円のキャベツは見過ごせないの」
その後もシックスティーンは大型ロボットの改良を重ねたが、いつも勝てそうで勝てなかった。
それもそのはず、母の体にはラボハテの最新技術が根付いている。
レギュレーションの問題はあったが、立場も状況も違う母にとっては関係のない制約。
同程度の実力なら、よりアドバンテージがあるか、足枷の少ない者が勝つのが道理だ。
世間一般から見れば、母の体は枷だらけかもしれないが、この戦いにおいては誰よりも自由といえた。
ちょっと本気を出せば勝てるだろうと思っていた相手に勝てないのだから。
“血を吐きながら続ける悲しいマラソン”みたいな表現を聞いたことがある。
最初に言い出した人が誰かは知らないが、たぶん本当に血を吐いたわけではないのだろう。
そんな地獄のようなマラソンが、マラソンといえるほど長く続くわけがないからだ。
母の復讐によって、シックスティーンは金という名の血を吐き続けるしかない。
しかし、血がなくなるまで走り続ける根性なんてシックスティーンにあるわけもなかった。
かといって、「もうやりたくないです」と言ってやめられる戦いなどない。
これは血がなくなるかどうかという戦いではなく、母の気が済むかどうかの戦いだ。
「おや、始めてみる新型ですね」
その機体の姿は、遠くから見ても分かるほど異様だった。
例えるなら、鉄腕アトムのプルートゥと、ポパイのブルートを足して2で割った感じだ。
ガワだけは人型っぽく見せてはいたが、体格は明らかに人間離れしている。
その見た目がハリボテでないことを母は察していた。
「いよいよ、本気を出してきたってところね」
あのバカでかいロボットの裏で、頭を抱えているシックスティーンが見えるようだ。
穏やかではない状況ながら、母はどこか嬉しそうだった。
ちなみに、この時に戦ったロボットこそ、現在では近所仲間のムカイさんである。
もっとも、この頃はムカイさんって名前じゃなく、製造番号の下2桁ケタで呼ばれていたらしいが。
この“大型ロボット”に対し、母は初めての苦戦を強いられた。
今までは遠慮があったものの、もはや多少の怪我はさせてもいいと開き直ったのだろう。
レギュレーションがあるので全力というわけではないが、今まで母が戦ってきたロボットとはワンランク違う相手だった。
その強さは、機体の耐久力はもちろん、極めつけはそのAIにあった。
これまでの母の戦闘パターンをインプットしており、的確な対処を可能としている。
しかもこのAI、何を隠そう、母を誤爆をした時に使われていた人格データと同じである。
もちろん、人に大怪我させた曰くつきのAIなのだから、通常なら体裁よく破棄されるものだ。
だが母に精神的ダメージを与えるために復元し、対専用機として魔改造を施したのである。
この戦いは何度も行われ、その度に母は獅子奮迅の活躍を見せた。
その振る舞いは、昨今の急激な技術革新に対する人々の期待と不安、その二つを象徴するようであった。
興味の度合いや好き嫌いはあれど、世間はその活躍に視線を向けざるを得ない。
望むと望まざるに関わらず、母は一躍“時のヒト”となったのである。
だが、この流れが永遠と続くはずもなく、いずれどこかで塞き止められる。
それは母の復讐心が薄れたとかではなく、“無関係だが無関係ではない”箇所が要因だった。
痛快な展開も、こう何回もやられては慣れる。
そして、“慣れ”は“飽き”となる。
これが時代劇とか異世界チートものなら、それでもいいのかもしれない。
ヒトは人の心があるが故に、赤の他人へ向ける“興味の量”が決まっている。
センシティブなお題目で、傍観者の関心を引くのにも限界があるんだ。
そんな幾度も繰り返される戦いが10を超えたあたりで、さすがに観客の熱も冷め切っていた。
「マスダさん、私どもの方からこのような提案をするのは心苦しいのですが、何か別の要求はございませんか」
だが、この頃になると世間の注目度も落ち着き、スポンサーも離れたがっていた。
そんな中で、安くないロボットを作り、その度に破壊されて平然とはいかない。
その額は、初めから莫大な賠償金を払っていた方が遥かにマシ、そう思えるほどだったという。
「私の気が済むまで、そちらの都合は関係なく続けると。正式に契約も交わしましたよね」
「ですが、このままだと我が企業も回らなく……」
「だから、それは“そちらの都合”でしょ」
しかし、母はその申し出を断った。
傍から見れば意固地になっているだけに見えるが、そうではない。
母は、自分をこんな目に遭わせたシックスティーンを許す気はなかった。
その恨みは、機械をサンドバッグに見立てて晴れるようなものではない。
そして直接の原因ではなかったものの、ラボハテ側にも多少の痛みは与えたかった。
そのための一計が、この大掛かりな催しだったのである。
自分を苦しめた企業のクダラナイ催しに、今度は企業自身が苦しむ。
「私の怪我は、両社で行われた催しが発端なんですよね」
「はい、おっしゃる通りです。テナントを奪うための戦い、という体で……」
「その戦いに参加させてもらえないでしょうか」
「ええっ!?」
みんな困惑していた。
この催し自体、もはや中止という方向で両社共に意見が一致していた。
それを再開するどころか、被害者が自ら乗り込みたいと言い出したのである。
自分をこんな目に遭わせた、いわば死地といえるような場所なのに。
クダラナイ茶番の幕を、自らの力でもって閉じる。
それこそが、自分が前に進んでいくのに必要なケジメだと考えていたんだ。
「いや、しかし、この戦いはロボット同士によって行われるもので……」
無理筋だったが、ここまで押しが強いと断るわけにもいかなかった。
自分たちの過失でこうなった以上、被害者の要求は飲まざるを得ない。
まあ、莫大な賠償金だとか法外な訴えをされるよりはマシだという打算もあったのだろうが。
『企業同士の争いに巻き込まれた少女が、機械の身体に生まれ変わって戦いを終わらせる』
……なんていうストーリーは傍から見れば分かりやすく、極上のエンターテイメントそのものだ。
もちろん実在する被害者を、そのようなストーリーで消費しようとする姿勢について疑問視する声もあったが、大局的には肯定的な声が多かった。
企業側にとっても、“本人たっての希望”という建前があり、信頼回復のため催しを再開できるのは願ったり叶ったりだった。
母はシックスティーンへの復讐という名目のため、一応はラボハテ側のチームとして参加。
ラボハテ側に味方ロボットもいたが活躍はないに等しく、実質一人で全滅まで追い込んだ。
観客からすれば怒涛の展開に見えるだろう。
以前、説明されたように、この戦いにはレギュレーションが設けられている。
対して、母のスペックは周りのロボットよりワンランク上だった。
更にロボット側が、母に万が一のことがないよう更に武器の威力を下げていたのである。
母がそうしろと言ったわけではないが、相手はこの件で大怪我を負った被害者。
手加減や忖度とまではいかずとも、技術者の間で遠慮や気負いがあったのかもしれない。
機械が情報処理に時間をかけている間に、母は既に間合いを詰めて攻撃を行っている。
母の容態が回復してから間もなく、親族や仲間たちが見舞いに駆けつけた。
「マスダ、目が覚めたんだな!」
「あの時、もっと引き止めてれば良かったって……」
「これからツラいだろうとは思うけど、生きててくれて本当に良かったよ」
みんなの悲喜こもごもな反応に対し、当人は意外にも落ち着いていた。
寝ていた頃の記憶がないから実感が湧かなかったのと、今の身体も不便ではなかったからだ。
技術革新の賜物というべきか、なんだったら生身の頃より快適とすらいえた。
だが、そう前向きに捉えてはみても、ふと頭をもたげてくる虚無感は否定できなかった。
あまりに精巧に出来ていて、パッと見は依然そのままヒトの身体。
機械の手足だが、しっかりと“触れている”感じがする。
だが、それは“触れている”という電気信号を変換し、擬似的に感覚を再現しているだけ。
その小賢しさに、かえって苛立ちを覚えた。
触れている感じがする、そう感じている自分の手足が、人間のそれではないという現実。
大事なものを失った時に「半身を失った」と形容することがあるが、母の場合は文字通り失っていた。
その喪失感は計り知れないだろう。
それでも毅然としていられたのは、“これからやりたいこと”を既に決め込んでいたからだった。
だが、自分の身体が機械と認識するたびに、この時の出来事を思い出し、暗い影を落とすだろう。
その度に打ちひしがれ、気にしないように振舞う日々なんて、想像するだけでも耐えられなかった。
過去を変えることも、忘れることもできないならば、せめて過去を清算しなければならない。
母の無機質なボディは、怒りの炎で熱を帯びていた。
しばらく経った後、『ラボハテ』と『シックスティーン』の責任者が一同に介し、謝罪や賠償などの話をつらつらと述べていた。
しきりに身体をまさぐりながら、母はこの話を“とんだ茶番だ”と思っていた。
医者らしき男(後に主治医だと判明)が言っていた推測と、概ね同じ内容だったからだ。
いずれにしろ、この権はプログラムのミス、AIのバグとして片付けられる。
もし、わざと緩い識別認証を作っていたとしても、その証拠は『シックスティーン』が握っている。
主治医の男は、いつかそんなことを言っていた。
その証拠を暴き出す、なんてことをするつもりはなかったし、母もできるとは思っていない。
だが何らかの、“別の形”で、この報いを与えなければならない。
その思いは揺るがなかった。
「あの、ひとつ、お願いがあるんです」
「……分かりました」
あくまで個人的な推測でしかないと念を押して、男は話を続けた。
「この両社が行っている戦いにおいて、勝負の決め手とは何だと思いますか」
だが、一企業がテナント戦争で国家戦争レベルの武器なんて使ったら大問題だろう。
そして耐久を上げすぎれば、決着が一向につかない。
この戦いはプロモーションの側面もあるため、多少の競技性を持たせる必要があった。
そのためには、ほどほどの威力、ほどほどの耐久力でなくてはならない。
技術的なアプローチをしすぎるとウケが悪いから、レギュレーションを設けているってわけだ。
「じゃあ、何が勝負の決め手になるんです?」
「瞬発力、反応速度でしょうね」
反応が早ければ攻撃までのタイムラグも減るし、回避もしやすい。
武器の威力や耐久力で差をつけられないなら、的確な攻撃こそ重要になってくる。
では、その反応速度を上げるには、どうすればいいのか。
「方法は色々とありますが、最も効果的なのは識別コードの単純化でしょう。複雑な処理を介さなければ、対象をスキャンしたと同時に攻撃が開始できます」
だが、それは敵や味方はもちろん、スキャンした対象を大雑把にしか判別できないことを意味する。
あの時、あの場所に母がいなかったとしても、いずれ誰かが被害に遭っていただろう。
「ロボットの反応速度を上げるために、わざと誤爆上等の作りにしていたってことですか!?」
「何度も言いますが、これは自分の推測でしかありません。何らかのバグ、設計ミスという可能性も大いにあります」
というより、真実がどうあれ“そういう結論”にしてくるに違いない。
そんなことを言ってしまえる企業に、誰も金なんて払いたくない。
それは企業側も分かっているだろう。
取り返しのつかない状況になったのなら、せめてマシな言い訳をして傷を浅くするしかない。
最も深い傷を負った母にとっては、堪ったものではないだろう。
いま自分の中でフツフツと煮えくり返る腸すら、機械に取って代わられている。
そのことを思うと、尚さら怒りが湧いてきた。
「ですが医療関係の技術はラボハテが専攻していたので、マスダさんの治療は我が社の主体で行い、金銭面での補償についてはシックスティーンが……」
そこから、医者らしき男は詳しい補償や母の容態について説明を始めたが、まったく耳に入ってこなかった。
この時、母の頭の中はシックスティーンへの暗い情念で溢れていたからだ。
「知らない人の方が少ないでしょう」
少し前、この時期を『技術革新の最前線をひた走る者達が選別され、誰の目にも明らかになる頃合い』だと語ったのを覚えているだろうか。
その象徴的な存在こそ、この『ラボハテ』と『シックスティーン』という二つの企業なのである。
「『ラボハテ』と『シックスティーン』はですね、とあるテナントを巡って争いの真っ最中だったんです。マスダさんが事故に遭った、あの場所近くですよ」
「テナントの奪い合い? 私がこうなったことと、どう関係あるんですか」
逆に言えば、開拓者になれれば旨味も大きいってことだ。
後に続く企業が爪あとを残そうとしても痛くも痒くもない。
なんだったら、その爪を折ることも、己が力とすることもできる。
この時点でツートップだった『ラボハテ』と『シックスティーン』も、そのことは良く理解していた。
隙さえあれば確保しておきたいし、少なくともライバルには持っていかれたくないわけだ。
だが、そのために泥仕合じみたマネーゲームに興じるのは割に合わない。
そうして、自社の機械を戦わせることにしたのだった。
このやり方は話題性もあり、お互い自社のプロモーションにもなる画期的な協定といえた。
「ニュースで見たことあります……それに私は巻き込まれたってことですか」
「普通なら考えられません。両社の戦闘ロボットたちは、味方ロボットや人間を攻撃しないようにしつつ、相手のロボットだけを狙うようプログラムされていますから」
通常なら、射線上にいたとしても人には誤爆しないよう作られているはずだった。
「原因は“コレ”です」
母はその布切れに見覚えがあった。
「それは……っ」
その活動で身に着けていた腕章だった。
どうやら、タイムセールに気をとられて着けたままだったらしい。
「これに描かれたマークが原因で、戦闘ロボットがマスダさんを敵だと勘違いしたのでしょう」
その腕章に描かれた絵は、『ラボハテ』と『シックスティーン』のシンボルマークを重ね合わせたものだった。
たぶん、それぞれの企業を皮肉る意図があってのデザインだろう。
「それでロボットが誤認した……っていい加減すぎませんか!?」
「何らかのバグか、それとも……」
何か思い当たる節がある。
「“それとも”……何です?」
「いえ、個人的な推測なので……むやみに混乱を招くだけです」
「……邪魔だなあ」
その壁の中で何をやっているのかは見えず、ただ轟音が頻繁に聴こえてくるのみ。
大規模な工事なのかと思ったが、そのために人が集まっているとも考えにくい。
判然としないが、いずれにしろやるべきことは決まっていた。
母は怯むことなく、人の波を泳いでいった。
観衆が何を見ているかなんて興味はない。
だがルート上にある横断歩道橋を渡らないと、目的地まで酷く遠回りになってしまうのである。
この時に自分がした判断、一連の出来事を、母は今でも夢に見ることがあるらしい。
息を切らしながら横断歩道橋を渡っていた時、遠くから何者かの声が聞こえた。
「そこにもいたか!」
「え?」
その声の主がいる方へ振り向くと、視界に広がったのは目映ゆい閃光。
その光に包まれた瞬間、凄まじい衝撃が走ったような気がした。
それが気のせいなのか気のせいじゃないのか確認する間もなく、そこで母の意識は途切れた。
次に目覚めた時、母がいたのは病室だった。
「おはようございます、マスダさん」
気を失う前の記憶から、かなりの大事故だったことが推測できる。
シチュエーション的に手足の一本でも捥げているんじゃないかと不安だったが、どうやらあの閃光と衝撃は記憶違いだったのか。
「どこか、身体に異常は感じませんか?」
「ええ、特には……」
「……ん?」
「なに……これ」
思わず、手で口を押さえた。
「なんか、固い……」
自分の腕を、まざまざと擦ってみる。
肌の質感は柔らかかったが、強く握ってみると鉄のような芯があるのが分かる。
母は、その言葉の意味を何となく理解できてはいたが、それでも聞き返さずにはいられなかった。
「あの、これ私の身体なんでしょうか?」
「どう答えればいいか……」
だが、しばらく考えて無理だと思ったのか、歯切れが悪そうに言った。
「……少なくとも、半分は」
技術革新の最前線をひた走る者達が選別され、誰の目にも明らかになる頃合いだった。
もはや個々人がどうこうしようという幻想は打ち砕かれ、伏兵や道化の付け入る隙なんてものもなく、記録や記憶に残ることすら適わない。
それでも尚もがこうとする者達も、いるにはいた。
「皆さん、来年の2月14日、この町にも施策される条例は悪法です! 我々は断固として反対します!」
その中で未だ情熱に溢れていたのは、未来を憂う若者、意識が高めの大学生達だった。
彼らは何らかの目標を持って勉学に励み、若いうちから自己投資を積み立てている真っ最中の人種。
なのに、それが下手をすれば無駄になるかもしれないとくれば、焦るのも仕方のないことだ。
蠢く価値基準を掌握するのは、現在進行形でトップにいる組織のみ。
自分たちの与り知らぬところで変動していく情勢。
社会現象という、目に見えないけれど確かにあるように思える存在。
どうにかできるものなら、どうにかしたい。
「あいつら、またやってるよ」
「やる気スイッチ的な?」
だが多くの人々にとって、その活動はもはや冷笑の対象でしかなかった。
何の権威も持たない烏合の衆が喚いて、現状を打破しようとするフェイズは疾うに過ぎていたからだ。
当時の風景を知る両親でさえ、この出来事を断片的に語るのみである。
たぶん実を結ぶかどうか以前に、そもそも大したことはやっていなかったのだろう。
当人達も、この活動に労力を割くつもりはなく、漠然とした焦燥感を発散させたかっただけなのかもしれない。
嫌味な言い方をするならば、政治社会に関心ありますよというポーズだった。
「あの、これ何時ごろ解散するの?」
この活動に参加してはいたものの、どちらかというと仲間の付き合いで仕方なく、人数合わせで立っているだけ。
傍観者を気取って冷笑するほど無頓着でもなかったが、正味やってることに大した思い入れもなかった。
「できれば3時までには帰らせてね。タイムセールに間に合わなくなる」
「待ってくれよ、マスダ。タイムセールは5時までって話だろ」
痺れを切らした母は、いち早く抜けることにした。
何らかの意義ある行為か、安く買える用品か。
比べるものではないのだろうけど、それでも選べというなら迷いなく後者を選ぶ。
もし俺がその場にいても、たぶん同じ行動をしていたと思う。
しかし、この時の判断が、まさか後の不幸を生むことになるとは誰も思わなかっただろう。
それは母にとって間違いなく事件であると同時に、俺たち家族にとって重要なターニングポイントともいえた。