はてなキーワード: 大学病院とは
おでこに粉瘤らしきものができてて、前から気づいていたのだけど
少しずつ大きくなったているようなので、時間を調整してネットで近所の皮膚科を探していった。
ホームページにはどちらかというと自費診療の美容皮膚的なことに力を入れてっぽかったが、対応する疾患の中に粉瘤もあったし、良性腫瘍をとるなどの小手術もやると書いてあったので、そこで取れるもんかと思ったのだ。
もう10年以上前だが、耳たぶの付け根に粉瘤ができたことがある。当時は“粉瘤”という言葉すら知らず、なにかデキモノができてるなあと思ってたらある日、炎症をおこしてしまい、とんでもなく膨らんでめちゃくちゃ痛かったので、当時住んでた場所の近所の、ジジイがやってたボロい皮膚科に駆け込んだ。
すると、ジジイ、見るなり“これはまず膿を出さなきゃダメだな”というなり、麻酔もかけずにメスで切開しやがって、その瞬間涙が出るほど痛かった。
膿がでたらスッキリして痛みはかなり引いたのだが。
今はさすがにそんな野蛮な処置するジジイ医者はいないのだろうと思うが。
で、それが粉瘤というものだと知り、根絶するには手術が必要だとわかり、でもそのジジイには不信感しかなかく、当時割と近くに大学病院もあったので、紹介状無しで飛び込んで選定療養費まで払ってそこでバッチリ取ってもらった。
で、今回の皮膚科。最近できたとこっぽいし初診ネット予約可だしと思って行ってみたのだが、でてきたのはホームページにのってるやり手っぽい院長ではなく、やる気なさげな中年男性な医者で、見るなり、患部を触るでもなく“多分粉瘤ですね、すぐに取らなくてもいいけど取りたい?、じゃあうちじゃ今、ちょっと手術できないんでね、紹介状書くから〇〇クリニックに。詳しくはそっちで相談して”って、なんじゃそりゃあああ!
ふざけんな。
増田は1年目を市中病院で2年目を大学病院で研修している研修医。いわゆる襷掛けコース。今大学病院で働いていて不満爆発なのでここで愚痴る。
・研修医がローテートする前提での業務じゃない。医者が多すぎる
市中病院では科によってはローテートする研修医に業務を依存している。例えば外科や救急科などは人手不足の傾向があるので研修医も重宝されて業務が与えられる。それに当直なんかは、ほとんどの病院で研修医に業務を依存している。しかし、大学病院では違うのだ。研修医が居てもいなくても業務が回るようにしている。なので、研修医がローテートしたところで見ているだけのお客様対応になってしまうのだ。それにそもそもの医者が多いため手技なども研修医に回ってこない。市中病院ではCV挿入は1〜2年目研修医の仕事だが、大学病院では3〜5年目の医者の仕事になるのだ。
一つ前と被るが微妙に異なるので解説する。市中病院ではこの程度の仕事なら研修医にさせるか等の文化がある。しかし大学病院ではそのような文化がないのだ。これは上記の研修医がローテートする前提がないのと、医者が毎年変わることも起因する。指導する側もある程度年月が経てばこの病院の研修医にはこれぐらいの仕事を与えようという感覚があるが、大学病院では毎年医者が代わるため指導側も研修医への対応の感覚を掴んでいないのだ。そのため、業務を自己完結して研修医に仕事を振れないのだ。
大学病院には50人程度研修医がいるが、能力やモチベーションのばらつきが大きいのだ。それにそもそもが大学病院はハイポ思考の医学生が集まる。そのため、研修医に業務を振るのがリスキーなのだ。指導する側が研修医の能力モチベーションを見極めてから徐々に仕事を振っていくスタイルになるし、前の研修医のモチベが低いと次の子にも仕事を与える気が失せるのは仕方ないだろう。
・制度がかたく柔軟性がない
タイトル通りなんだが、肛門周囲膿瘍で手術して、出血多量で運ばれて尻の穴が一つ増えた。
もともと下痢気味体質なのが災いして、肛門の中に膿が溜まった。ここまでは仕方ない。問題はここから。
まず排便が難しくなった。排便時にも当然痛みがやってくる。そして座る、歩くという普通の動作すらできなくなってきた。
会社に這っていったのは良かったが、午前中で体力が尽きて帰宅。駆け込んだ駅前の肛門科で初老の医者に尻の穴をほじくられてついた診断名は「肛門周囲膿瘍」だった。しかもその病院では処置ができないから別の医者に紹介するという。
その日のうちに別の医者に行ったら、また尻の穴をほじられた。1日2回もほじられて、さらに痛みは増した。
言われたのは「ウチで手術できるかどうかはわからないけどとりあえず座薬と抗生剤痛み止め出しておくわ」。
尻を抱えながら家に帰った。横になっても痛い。更に痛みが増した。痛みで眠れなかった。
翌朝、病院に駆け込んだらすぐ呼ばれて、尻の穴に麻酔を突き刺された。悲鳴を上げた。そして膿を破いて取り出してくれた。ついでにチューブもつけてくれた。
これでよくなる…と思ったら、今度は排尿ができなくなった。
力を入れても尿が出ない。
病院の医者が顔色を変えて「夕方まで様子を見ましょう」とのたまう。そうこうしてるうちに尻から血を噴き出した。ケツから火ではなく血をふいた。
医者が再診したが時すでに遅し。止血剤も効果はなかった。再び激痛にのたうちまわる。
医者はとうとう治療を諦め、救急車を呼んだ。町医者から大学病院に運ばれた。
翌日には退院することができた。
そして数日後、尻の穴がもう一つ、側壁といえば良いのか空いていることに気付いた。
私の尻には二つの穴がある。
一つの穴は排泄のため。
もう一つは膿をひたすら垂れ流す魔物となっている。
終わりだよこの人生。
「俺の行ってる病院の効率悪いところ」の話だなこれ。通院先に要望を出せばいいんじゃないの。
大学病院だと診療科ごとに予約制だったりそうじゃなかったりする。予約時間通りに診てもらえる診療科もあるが、ほとんどの診療科は待ち時間が長い。
クリニックの場合、予約制かそうでないかは事前に公式サイト(あれば)を見れば分かる。
医者に直接「また来るの面倒なんで電話じゃダメなんですか」って聞けば?
私の通院先の大学病院は直接受け取りか後日郵送か選べる。
担当医引き継ぎでそんな困った経験がないので増田の意見がよく分からない。
主治医制を導入していない病院や診療科もあるが、それで困っことは今までない。
自分の通院先の場合、同じ病院内の別の科にかかるときは紹介元の医師が紹介先の医師に詳細な紹介状を書く(電カルに記入する)からそんなに困らない。
命にかかわる確認事項なのに「もっとサクッとしろ」という感覚が理解できない。薬の受け取り時間すら惜しいならOTCを積極的に利用して、病院の受診そのものを減らしてはどうか。
クレカが使える病院をかかりつけ病院にすればいいと思うのだが。
「○○という病院が多すぎる」って、まるでドクターショッピングしてる人みたいだ。
そんなに新しい病院にかかり続けるってどういう状況なのか。
共働き。
職場の健康診断で卵巣近辺に影がある。と言われて、クリニックをさんざん盥回しさせられたあげく、
リンパに転移もがっつりしてて、もう手術の適応ではない。なんだそうな。
はあ?としか言えんかったね。
そのうえで、今だに自覚症状はほとんどなく、言われてみたら腹が張ってるかな?という程度らしい。
始まった抗癌剤の副作用の方がはるかにデカい。食欲不振、手足のしびれ、便秘。。。
その副作用も一週間ほどでなくなり、仕事も休んで家でゴロゴロ。
つまるところ、増えるデキモノらしい。
ほいで、ガン死とは何か?
いまんとこ、どれにもあてはまってない。
ほんま、いつ誰が罹る、ところから、どういう進行するのか、ひたすら最悪なガチャ回してるみたいな病気やで。
ひたすら、主要臓器に転移しないこと。癌自体が膿んだり出血しないこと。悪液質にならんこと。抗癌剤が効いてくれること。を祈る毎日です。
花粉症なので3ヶ月に1回ほど定期通院してる。
先月末にコロナを発症し近所の耳鼻咽喉科に行った話や、コロナの鼻や喉の症状は一昨日くらいにようやく治ってきた話をした。
「蓄膿症になってないか診てみますね」と言われ、鼻の穴に何度もスプレーをして(あれってなに?麻酔?)、細長い器具を鼻の穴から喉の奥まで挿入。
アアアアアアア………、あああああああー痛い🥹🥹🥹
大人だが涙目になった。痛いってことはスプレーは麻酔ではなかったのか。
器具を入れた状態のままで「スンスンと鼻で匂いを嗅いでみてください」と指示されたが、痛みによるショックで指示に従うまで30秒くらいかかってしまった。
コロナとかインフルの検査をするときに鼻から突っ込む検査器具と同じ系統の痛みですわ。
子宮頚がん検査、子宮体がん検索もそうだけど、体内の臓器に細長い器具を挿入する検査が自分は死ぬほど苦手だと分かったよ。
さすが処女だよ。もう永久に処女でいいや。挿入は痛いってインプットされちゃったから。
ちなみに胃カメラや大腸がん検診はまだ受けたことないけど、たぶん同じように辛いんだろうね。
ちなみに蓄膿症にはなってなかったみたいで一安心だった。その後、二時間くらいは鼻から喉にかけて器具を挿入された痛みと違和感が残ってた。
何が言いたいかと言うと、私はチキンで痛みに弱い。挿入は痛くて怖い。なるべく挿入されたくない。
大学病院から帰ってきたらグッタリ疲れ切ってしまった。ご褒美に吉野家の親子丼をテイクアウトして帰ってきた。
これが(少なくとも自分の味覚では)ツユダクで鶏肉もふんわり柔らかくてかなり美味しくって、少しメンタル回復した。
そのあとは気づいたら昼寝してた。
ここ最近は悪夢ばかり観てたのだけど、このとき見た夢は楽しい夢だった。
ずっと夢の中にいたかった。
なんていうか圧迫感っていうか 体を折り曲げるとテニスボールを挟んでいるような違和感があって それでまぁ我慢できなくてかかりつけ医のところに行ったんです
そうしたら難しい顔されて あれよあれよという間に大学病院に連れて行かれて腫瘍ができてるから手術するよって
それで取ったんです 腫瘍
わたしどうしても腫瘍っていうのが見てみたくて 必死にしつこくお願いして見せてもらったんです 腫瘍はなんというか モッツラレラチーズをカマンベールチーズ色にして赤い血を浴びせたようなそういう見た目でした
そんで 中に何が入ってるか調べるっていうんで それも見せて欲しいって言ったんです
そうしたらね まあ面倒そうに口元ひん曲げながら銀色のトレーに中身を入れてずいっと差し出してくれてね 中には髪の毛の束と小さな歯か骨のカケラが入っていました
わたしが元母親(縁切りしているのでこう呼びます)のお腹の中に入っている時にもう一人双子がいて その子を吸収しちゃったんだそうです それか皮様嚢腫を吸収したかとかなんとか
お医者さんは10秒ぐらいでもういいですよね、ってすぐ引っ込めて捨てちゃったかしたんですけど
文字に起こすとなんだか呪物に使う道具みたいで気持ち悪いですけど
不思議なんですけど ただの髪の束と骨か歯かも分からない白いカケラでも 姉だと思うとそれはもう愛おしいものにしか思えないんですよ
アレが歯ならきっと片手で抱っこできる程度の小さな赤ちゃんだった
あんなに愛おしいものはきっとこの世に一つとしてなかったと思います
わたしは子どもは産みませんが 子どもは好きなので 姉だったものだって勿論好きだと思うのです
話は変わりますが わたしの育った家庭は機能不全とまではいかなくても 薄暗くて ジメジメしてて 周囲の人間たちも地域も いつも理由をつけて犠牲者を作る事を生き甲斐にしている様な人たちで
当然仲良くなんてしたくないのですが 両親(母はぎょろっとした目と厚い唇がマンボウに似ています 父はいつも家にいませんでした)は悪意に疎くそれに気づかず それよりもわたしが子どもらしく外で元気よく遊ばないのにイライラしている様でした
ですがわたしが感じた事を口に出せば親はきっと自分たちを包む悪意に気づいてしまうでしょうから わたしはただ黙っていました そうする他ありませんでした 誰も傷つけたくはなかったし 言っても分かってもらえないだろうと思っていましたから
わたしはただ窓際のサボテンみたいな色をしたボロボロのソファに座って 窓の外の太陽が沈んで一日が終わるのをじっと待っていました 灰色生地にチューリップが刺繍されたカーテンが揺れもしなかったのを覚えています
檻のない牢獄みたいでした
でも あの時姉が あのモッツラレラチーズのように小さくまとまった姉がそこにいたと思うと なんだかあの頃のわたしが救われるような気がするのです あの頃のわたしにはそれだけでよかったのに 誰かが側にいてくれたらそれで
わたしが取り出さなければ 産まなければ死ぬこともなかったカケラを
(彼女は生きていないのだから死にもしないという人もいらっしゃるかもしれませんが 彼女は生きていました わたしには世界を見たいように見る権利がありますので、ええ)
普通人間は胎の外に出てから年齢がカウントされますが それでは彼女はおそらく30分も生きていない事になるので わたしと同じ20数年+1歳ということにします
そんな歳月を 一緒にいることすら知らないまま過ごし 取り出してしまってから知るなんて と なんだか胸がつまります
数年前に家族とは全員縁切りを済ませたつもりだったのですが またお別れを重ねるとは思いませんでした
姉はきっと可愛い子だったでしょう 写真の一枚も撮られなかったわたしと違って わたしの代わりに産まれてくれたらよかったのにと思いますが
姉なのでそうもいかなかったんでしょう
優しい姉です 自慢の姉です