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はてなキーワード: 大学病院とは

2017-10-04

まあでもここだけの話、さんざんメンタルクリニックジプシーを繰り返して(都内なのでメンタルクリニックは腐るほどある)、あるとき思い切って大学病院受診してみたらあまり医師のマトモさに驚いた私としては、クリニックはだいたいどこもダメ、どこを選ぼうとドングリの背比べっていう印象(個人の感想です)。

クリニックというか開業医はへんな精神科医ほんと多い。

大学病院医師組織所属していて裸の王様になりにくいので、態度礼節もマトモだし、治療に関しても独自路線に走りにくい。ハズレを引きにくいというか。

ただし、だいたいどこも予約制で待ち時間はほんと長いので注意!

主治医医局人事による異動で2年に1回くらい変わる。

ちなみに統合失調症重症なら初診から単科精神科病院オススメ。。

それと大学病院以外の総合病院精神科は、身体合併症のある患者さんが優先なので、身体合併症のない人がいきなり行っても診てもらえないケースがある。

2017-09-26

anond:20170925234933

横ですけど、保湿は大事っすよ

ステロイド副作用で頬の広い範囲に酒さ様皮膚炎、毛細血管拡張、皮膚萎縮が起きたことがあるんですけど、その治療プロペト塗って様子見るだけでしたもん

(コレはいい加減な医者のいい加減な治療ではなく、一応大学病院皮膚科准教授による治療でした)

プロペトでしっかり保湿して、あとは自然治癒力ゆっくりゆっくり治っていきました

今はもうすっかり元通りの皮膚になってます

2017-09-24

anond:20170923104229

あなたの娘はADHD可能性が高いです。

というのは

決定的証拠はないがあいつはADHDと推測される

といってんのと同じだよ

町医者が「大学病院紹介状書いときますね」といってるくらいの断定

つか俺はあんなの診断だと思ってねーよ

あんなのただのレッテル貼りだって言ってんの

聞きかじりの知識自分の周囲で起きたことの経験だけで適当なこと言ってんじゃねえ

2017-09-19

anond:20170919211015

民間単科精神科病院勤務医開業医はいい加減な人が多いけど、公立病院大学病院にはマトモな人が多いという印象です。

2017-09-13

通院日

朝、シャワーを浴びて頭と体を洗った。

AVEDAのシャンプーを初めて使ってみたのだが、薬草のようなニオイがする。

風呂から出るとグッタリと疲れたので、布団に横になりながら顔のムダ毛を抜いた。

髪の毛を乾かしたあと、2時間ほど寝た。

起きてから歯磨きして身支度を整え、昼すぎに通院先の大学病院へ出発。

病院に着いて受付をすませると、ほどなくして血液検査室へ呼ばれ、尿検査血液検査完了

血液検査の際、最後食事をしたのはいつですか?と聞かれたので昨日の夜6時から何も食べてませんと答えるとビックリされた。

先生からそのような指示を受けてるんですか?」

「いえ、受けてないです」

健康診断とかだと厳密に空腹時血糖値をはかるので夜9時以降は何も食べないで来てくださいって指示が出ることもありますけど、こういう血液検査はそこまで厳密ではないので、先生から指示が出てない限りは朝食とか普通に食べてきて大丈夫ですよ。ウチでは食後4時間以上なら空腹時血糖として扱ってますから

「えっ、そうなんですか」

ここに通いはじめて4年だが初めて知った。

今度から朝ごはん普通に食べてこよう。

検査が終わった時点で、診察予約時間まであと1時間

ボーッとスマホを見ながら待つ。

ようやく診察時間になるが呼ばれない。

私の主治医の診察室だけ異常に回転が遅い気がする。

自動血圧計で血圧を計って気分転換する。

上が96で下が71。

私のテンションの低さを反映するかのように血圧も低め。

そして脈拍数がなぜか113もあった。

1年くらい前もこうなって、検査して洞性頻脈だから心配いらないと言われて、しばらくしてから治ったはずだったのに、また再発?

予約時間から1時間経ったがまだ呼ばれない。

スマホゲーを集中してこなす。

冷房のきいた待合室でずっとスマホを見ているので首の後ろと後頭部が凝って痛くなってきた。

予約時間から2時間、ようやく呼ばれた。

はいはい、ああこれね、問題ないですよー。ああそうですかー。うん、この数値もね、特に問題ないですからはいはい

という流し気味の診察であったが、いつものこと。

先生もたくさん患者さんを診て疲れている。

私はとくに何もしてないけど長時間椅子に座って待っていたせいでくたびれている。

疲れている人とくたびれている人が出会って、とくに検査結果に問題がなければこんなものだろう。

平和の証みたいなものだ。

会計窓口のところでおじいさんが事務員さんに「2時間も待たされてね、○×△…」とクレームをつけていた。

おじいさんのクレームによって会計窓口に列ができているのだが、見えないのか、おじいさんよ。

処方箋お薬手帳を持っていつもの門前薬局へ。

無料で飲める温かいお茶を飲みながらしばし待つ。

薬剤師さんにお加減は変わりないですか?と聞かれたので、調子はいまいちだけど血液検査問題いかスルーされてます旨伝える。

お薬のことで何か質問ありますか?と聞かれるが、do処方歴2年近いし1〜2ヶ月に1度の頻度で通ってるので、さすがにもう聞きたいことは聞き尽くしており、質問特にない。

スーパーのL袋相当のビニール袋いっぱいのお薬を手にし薬局をあとにする。

帰りはマクドナルドに寄って本日発売のチェルシーシェイクを飲む。

あまーーーーーーーーーーーーい!!

Sサイズにしておいてヨカッタ…。

口を中和するために最寄りのスーパー柿の種を買って帰宅

まり運動してないのに妙に疲れた

柿の種をかじりながらTwitterを流し読む。

今日疲れたからはやく寝ようと思う。

2017-09-09

ベビーカーでやや混みの電車に乗ったことがある

ベビーカーでやや混みの電車に乗車したことがある。

乗車率86%。

8時台後半、都内ターミナル駅行。


乗車の理由は、子供の手術入院だった。

生後3ヶ月から大学病院で経過を見てもらっていたけど、主治医に早めた方がいいと勧められ、1歳を待たずに手術することになった。


朝の9時に採血して、それが終わったら他の検査をして、午後になったら入院

検査結果が問題なければ、次の日の朝イチで手術というスケジュール


できるなら電車に乗るのは回避たかった。

最初タクシーで行こうと思っていた。

でも旦那に、平日朝の車移動は時間が読めない。それに事故渋滞が起きたら、確実に検査に間に合わない。

電車なら他の路線に乗り換えできるだろと言われ、しぶしぶ電車を選ぶことにした。


選んだは選んだけど、せめてベビーカー回避しようとして荷物を整理してみた。

患部以外は問題なく、すくすくぷくぷく育った我が子は約10kg。

母子同伴入院のため、2人分の着替えと、入院日数分のおむつ

それからお気に入りおもちゃ絵本を持って、徒歩で30~40分。(最寄り駅までと、ターミナル駅から病院まで)

もし途中で転んだら目もあてられないと考えて、さすがに断念した。


それで朝早く出ようとして、利用可能路線の混雑率をチェックしたら、6時に家を出るよりも、8時台の方がむしろ空いているくらいだった。

季節は真冬

5時台に出ても、居場所はどこにもない。

入れてファミレス

でも電車バス内で過ごす10分でさえ、いつ泣き出すかとハラハラしているのに、あのスペースで3時間も過ごせない。


往生際悪くも調べに調べた挙句、やや混みの電車ベビーカーで乗ることにした。

世間電車ベビーカーに厳しいのは知っていたから、気分は憂鬱なんてものじゃなかった。


少しでも空いている分数車両を、鉄オタさんのサイトで調べ。(めっちゃ参考になった)

一番ましな場所に乗り込むために、駅構内図を見ながら、頭の中で何度もシミュレーションした。


当日。

スムーズホームまで辿りつき、目的電車を待った。

定刻通りにやってきた電車は、想像していたより混んでいる印象だった。

パッと見た感じ、ギリギリ入れるかな…というくらい。

でも、これを逃せば次はもっと混んでいる。

もうどうしようもないから、すみません連呼しながら乗り込んだ。


乗り込んだ瞬間、周囲の視線ベビーカーに集中したのがわかった。

いたたまれなくなって、誰に言うでもなく小声で謝り続けていたら、逆側のドア付近に立っていた初老サラリーマンと目があった。

その人は手招きをして、真ん中は危ないよって言いながらベビーカーの前の方を持って、うまいこと角に収めてくれた。

ありがとうございますって伝えたら、お母さん大変だねえって言って次の駅で降りていった。


ベビーカーが収まったすぐそばに、ゲームをしてる若いサラリーマンがいた。

画面は明らかにモンハンだった。

熱中してるみたいだったか声かけタイミングがなくて、ずっと謝りそびれてた。

どうしようかと悩んで、何駅か過ぎてチラッと見てみたら、いつの間にかゲームをやめて窓を見ていた。

どうやらそっぽを向いたまま鞄につけていたキーホルダーを揺らし、うちの子あやしてくれているようだった。

その人はイヤホンをしていたので会釈でお礼を伝えると、ペコッと頭を下げてくれた。

ついに駅について降りようとしたら、ホーム側にいた人が、何も言わずベビーカーを降ろすのを手伝ってくれた。


あんなに悩んでたのに。

ブラウザのタブをいっぱい開いて、何日も何日も調べたのに。

気がついたら、病院までの通い慣れた道を歩いていた。

まるで魔法催眠術でもかけられた気分だった。


助かったと思いながら歩いているうちに、通院中のいろんなことを思い出した。

大学病院に行くたび見知らぬ人に話しかけられて、こんなに小さいのに病院通いなんてかわいそうと言われたり。

その人の元気な孫の昔話を聞かされたり。

手術を親に知らせたら、赤ちゃんが手術して本当に大丈夫なの?って聞かれたり。

万が一が起きた場合の免責事項が書かれている、手術用と全身麻酔用の同意書に署名したり。

病院から出た直後に、宗教の人に話しかけられたり。

保険勧誘に会ったり。

公園で数回しか会ったことなママさんに、麻酔猛毒だって書いてある謎の紙を渡されたり。


そんな記憶と、電車で助けてもらった出来事がグチャグチャに混ざって、頭がいっぱいになった。

しばらく目と鼻を熱くしたまま歩いていたら、ベビーカーの方から大人顔負けのおならの音がした。

わず笑って、それで熱いのが一気に消えていった。



ベビーカー論争を目にすると、魔法のような出来事と、あの立派なおならの音が一緒になって返ってくる。

この体験を元に、電車ベビーカーについて良いの悪いのと語るつもりはない。

子供がしゃべるようになって、おならをすると「ブーした」と報告するようになったから、なんとなく思い出話をしたくなっただけ。

子育てしていると心配事がつきないけど、最終的に子供が元気ならそれでいいかとなってしまう。

ただできるなら、あの人たちにもっとちゃんとしたお礼を伝えたかたかな。

2017-08-28

医学部において大学選びの基準って何がある?

留学の充実度  国立私立  実家から距離  田舎にあるか都会にあるか

大学の規模  将来働きたい場所  憧れ  関連病院数  単科かどうか  大学病院の大きさ

何がありますかね?

2017-08-23

医師長時間労働問題の根源

医師の働き方がしんどそうすぎて見ていてつらい

https://anond.hatelabo.jp/20170822153603

300床ほどのしょぼい市中病院で働いている医師として意見してみたいと思う。

有給どころか盆休み・土日すらまともに休めず30連勤だよと自嘲気味に語る医師ゴロゴロいる。

ただ、そんな中でも年間100日も働かずに平均的なサラリーマン以上の生活をしている医師もいる。

医師の偏在

問題医師の偏在にある。都心医師が集中して、地方医師がいないとか言うことではなく(それもあるけど)、楽な勤務(バイト)に医師が集中して、きつく責任の重い常勤にはなりたがらない。

正月の日直とか9時〜17時の勤務(実際は前後時間ほどオーバーするが)1日で20万のバイトとかもザラにある。常勤で働くよりも旨味のあるバイトを週に半分ぐらいしたほうが収入休日も手に入るという異常な状態が続いている。そんな状態からこそ、初期研修2年+後期研修3,4年を必死で働いて、専門医を取ればバイト三昧で楽な仕事を選ぶ医師が増えているんだと思う。

なぜ責任がなくて楽なバイトのほうが収入がいいのか?

それは市中病院悲惨経営実態にある。市中病院診療報酬改定でかなり経営が苦しくなっている。24時間365日の救急指定をうけないと成り立たないところも多い。ただ、常勤医だけですべてを回すのは無理なので外来業務バイト医を雇う必要がある。昔は大学病院上納金を納め、医師派遣をしてもらうこと多かったが、今は初期研修医制度が導入されて大学の残る医師が少なくなり、医師派遣が期待できなくなった。なので市中病院は自前でバイト医を用意しないといけない。

医師派遣業者というハイエナ

そんなバイト医をどこから連れてくるか?医師派遣会社からである。この会社が本当にクソ。法外に医師バイト料金を釣り上げている。1日のバイト20万円とか常識ハズレな値段を平気でつけてくる。市中病院はなんとしても休診することができないので(1日でも休診すると救急加算がつななくなり下手すると数千万の損になる)、どんなに値段を釣り上げられても要求を飲むしかない。また、医師派遣会社ピンハネ具合もすごい。常勤医師を紹介してもらうだけで数百万円を仲介料としてとっていく。

そんな医師派遣会社はどうやってこんな強大な力を持つようになったか

医師は初期研修医が終わるとバイト自由にできるようになる。その頃を狙ってダイレクトメール医師向けのWEBサイト(○3,○経メディカル、○are netなど)からバイト募集広告を乱れ打ちしてくる。「楽なバイトですぐに稼げます」みたいなどうみても地雷のような広告文句を使って取り込んでいく。広告の通り実際に楽な業務大金が稼げることがわかり、ハマってしまった医師は抜け出せなくなる。

バイト医が全員が悪いわけではないが、バイト医の診察能力は恐ろしく低いことが多い。責任のない仕事をしているので、誰から診療内容がおかしくても指摘されず、自分では正しいと思いこんでいる。自分のやった診療結果を知ることなく消えていくので、とんでもない医療をしていることが多い。いざというとき医療賠償保険も充実しているので裁判沙汰になっても困ることはない(バイト元の病院は大変困るが)。

とりあえず、日本から医師派遣業者が消えれば、医療業界は格段に良くなると思う。

とは言え、市中病院外来単位バイト料がいいのは大学病院給料が低いことも関係している。昔は大学から派遣されてきた医師の稼ぎどころとなっていたのだ。市中病院バイト料が安くなると、大学勤務している医師家計には大打撃となるだろう。

今日外来診療していて慌ただしく患者さんを診ていたが、隣の診察室のバイト医はスマホばかりいじって患者ほとんど見ていない…。(バイト医の診察能力が低いことがわかっているので看護師簡単に処理できる患者しかさない)

色々事情はあるが、今の医療制度は狂ってるとしか思えない。

2017-08-22

(追記あり)医師の働き方がしんどそうすぎて見ていてつらい

追記

多くの方々に見ていただきありがとうございます

エントリ末尾に返信というかコメントを残しています

ここから本文

友人の医師の働き方が異常で見ていてつらい。

もちろん教員SEや一部の公務員などほかにもひどい業界もあるけれど、特に、人の命を預かる仕事で、これほどひどい状態なのは、将来患者になりうる自分やほかの人々のためにも看過できない)。

※ 本文は2017年の、西日本地方都市のそれぞれ異なる自治体で働く3人のアラサー医師聞き書きです。

自分が聞いた時点である程度脚色されているだろうし、きわめて一部のものしかないことはご留意ください。

規則で長い勤務時間:待機・当直・日直

まず、病院によって大きく違うだろうけれど、待機や当直について。

自分の友人は月に3-4回、当直がある。

これは、最初は夜出勤して翌朝帰るシフトのことかなあ、生活リズム狂ってたいへんだなあ、と思っていたけれど、聞いてみると、1日8時半から働いて、そのまま当直で病院に残り、なにもなければ宿直室で眠れるけれどそんなことはなくて何度もたたき起こされて診察・処置する。

そのまま朝を迎えて、ふつうカンファレンス(ほかの業界で朝会・朝礼に該当するものらしい)があって、そのまま日中勤務して、夜帰る。もちろんトラブルと遅くなる。

ただ、別の大学病院に勤めている友人のところでは、当直翌日は、半休とりやすい(もちろん有給)とかもあるけれど、それは恵まれている、という口ぶりであった。

待機というものもある。これは月に5-6回ほど、夜間や土日のオンコール体制のこと。

土日のオンコール体制24時間。土曜の朝から日曜の朝までとか。お酒も飲めないしすぐ出勤できる場所にいないといけない。

そして、呼ばれなければ、勤務時間とはみなされないので給料は出ない。

これの呼ばれる頻度は5回に2回ほど?

日直は、土日にふつうに働きに出ること。これは月2回ほど。代休はない。

一週間にどれくらい働いているんだろう・・・

裁量のなさ:業務量の不安定

そして、普段の勤務は、平和であれば早く帰れる日もあるけれど、患者さんの数や救急車や急患の状況によってはかんたんに22時を超えるし、時間だけでなく自分計画をたてにくい。

こうした振り回されやすさ、自分裁量のなさはつらいと思う。

ちなみに、看護師さんもまたたいへんで尊敬する仕事ではあるけれど、かれら(注:某文化により、平仮名のかれらは男女を含む)はシフトが組まれているので超過勤務が続くことは医師ほどではないと思う。

これだけでも異常な労働時間拘束時間だと思う。

勤務時間が長く、かつ裁量の少ない仕事は高いストレスがあるとは聞く。

こういう過労・睡眠不足になりやす状態で適切な判断ができるだろうか。

ぼくら一般市民患者のためにも医師労働環境改善必要だと思う。

ハラスメントの起こりやす

時間だけではない。

人の命を救う聖職者とみなされており、暗黙の裡に自己犠牲が求められ、また称賛される。そこでは医師健康生活を守るという当たり前のことも自分勝手、ととられやすい。

有給はとりにくく、退職時にまとめてとると、ずっと陰口を言われる。

医局人事での転勤も多い。医局から抜けると、この地域で働けると思うなよ、と言われる(とはいえ、こう言われたけれど実際には働き口を見つけた友人はいるとのこと。日陰になるけれど)。

また、上司資格取得などに影響しているため、明示的にも暗黙的にも要求を断りにくくパワハラがおきやすい(これは大学などのアカハラと似ている部分はある?)。

患者さんも、命がかかっていることもあり感情的だったり、反発的なひとも珍しくはなく、コミュニケーションコストが大きい。

年齢を重ねての多浪や再受験が多いほどに憧れの職業であり、また、患者さんから先生はたくさんもらっているんでしょ、と思われるというのもある。

原因

これはなにが原因でどう解決されるべきだろう?

上記の聖職扱いされやすいのと労働組合が動きにくいのもある?

これは、転勤の多さや、労働者経営者あいだの連続性があり対立しにくいというのはあるかもしれない。

はいえ、いま調べてみるといろいろ活動している団体もある。

2009年設立された全国医師ユニオン

http://union.or.jp/

(機会があれば応援したいし手伝いたい)

医労連ちょっと政治的活動にお熱の様子。

http://irouren.or.jp/lines/

きつい状況にある医師のみなさまはうまく使ってほしい、と外野ながら思う。

ほか、職種別にタテワリな組織IT投資への無理解ITリテラシーの低さからなる非効率さはありそう。こういうところに入るコンサルティングシステムベンダー、たいへんそうだけれど期待。。プラクティスとか知見、知りたい。

むすびに

こういう状況をみていると、医療崩壊もそら起こるし、夜間に救急車も受け入れられないのもわかる。

お金がなくて増員が見込めない現在、どうやったらいいんだろ。夜間は診療報酬めっちゃあげるとか?

東大卒女医さんが自殺でもしないと変わらないのかもしれないけれど(現代社会への皮肉)、そうなるまえになんとかしたい。ひとまず、こういう現状を知ってほしく書いてみた次第です。

もちろん冒頭に書いたように、ほかの業界、ほかの職種にはもっともっと低い報酬社会的地位で劣悪な労働環境のもとにいる日とも多くいるとは思うし、それらも併せて改善されてほしいし、応援しています

勝手尊敬しているmedtoolz先生がご見解を書いていただけないか・・・

追記

主語が大きくて、「医師」ではなく「勤務医」についてでは、とのことでほんとそのとおりだと思う。ただ、指摘があったことを残すためタイトルは訂正しません。

この開業医との格差などどうするべきなのでしょうね。


辞めればいいじゃん、というコメントは、ミクロで見れば正しいのですが、医師個人問題だけではなく、ぼくら一般市民が受けることができる医療にも影響があるので本質的解決にはつながっていません。


また、するどい指摘としては、これを医療政策学者の津川友介氏など制度設計解決を試みる案もあるとのこと。

少子高齢化が進み経済的にもうまくいっていない現代日本では、医療費増加で医師を増やして解決することは難しいと思う。

保守的業界団体などからは反対されるかもしれないけれど、医療費抑制するためにもすすめてほしい・・・一般市民はなにができるだろうか?

ポジティブ医療費抑制を狙う政治家応援したい(誰かいたら教えてほしい)

https://anond.hatelabo.jp/20170822181512

2017-08-18

エンジニアになり損なったうつ病

20代前半、休学中、プログラマ都内ベンチャー企業インターンで働く、いまはReact専業のフロントエンドエンジニア。もともとはサーバーサイドエンジニアだったが日本フロントエンド事情は予想外にレベルが低かった。そのために参入障壁が低く、しかしその割に給与が良いので思い切って転向した。

キャリア形成という意味では無問題に進んだというよりプラスに働いただろう。外人ばかりのチームに最初は戸惑いを感じていたが英語でのコミュニケーションにも慣れ、自分でもこの決断に正しさを感じている。いや、いたはずだった。

1年近くの歳月がたって、何も出来なくなった。うつ病の再発だ。突然の出来事というわけでもなく、ただただ諦観けが波のように押し寄せてくる。最初仕事中の傾眠、次は職場での嘔吐。いまはリモートワークを中心に働いているが、朝も夜も熱にうなされているように体がだるく意識が正常を保たない。

おかしな夢を見ているだけだと思いたい。

自分が3年以上うつ病なのも、パニック障害持ちなのも、睡眠障害があるのも、仕事ができなかったり、不可思議ないらだちで何もできなくなるのも、全てが夢ならいい。

期限限界まで休学をはさみ、秋から復学という段になっていよいよと日常生活を送るのすら困難になってきた。食事への意欲の減退もプログラミングへのモチベーションの低下もこのごろは著しく、何をやっても自分ダメだという自己肯定感の著しい低下を感じている。

入院して良くなるならそこに力を注ぐのも悪くないだろう。しかし本当にうまく行くのだろうか。投薬治療では何も良くならなかった。

キャンパスの中で動けなくなり、自己喪失したまま雨に打たれながら多量のSSRIを飲み、死ぬ気で家に帰ったあの日大学へ通うのを諦めたあの日から何か変わったのだろう。

昨日、地元の小さなメンタルクリニックから都内大手大学病院に転院した。医師との一時間近い面談の結果、近々入院して脳に電気けいれん療法を施すのが良いだろうという結論になった。統合失調症ではないという医師見解けが救いだが、きっと怖いのだと思う。脳に電流を流すという行為への言い得ない恐怖。記憶が飛ぶかもしれないという避け得ないリスクと、そうと知った上でそれを飲まざるを得ない窮地、怒りと悲しみが複雑なキルトパッチのように編み込まれ感情を抱えている。

生き残る手立ては他にない。エンジニアとしての腕や力量、情熱、そんなものは病の前には塵のようなものしかない。人間は突然死ぬし、生きるのは難しい。

各位、強く生きて下さい。

2017-08-11

https://anond.hatelabo.jp/20170810231836

これは小児科受診し、通常の小児科から小児科脳神経外科を併設している病院への紹介状を書いてもらうのが正解な気がする。

頭を強く打って脳挫傷や硬膜下出血を疑う場合CT(もしくはMRI)で検査する必要がある

成人の脳神経外科場合乳幼児にどれくらい放射線を使っていいか検査最中にどうやって動かないようにすればよいか不慣れな場合が多い。

なので、小児科脳神経外科の両方がある病院(たいてい大学病院)で見てもらう方が良いが、初診料がかかるので通常の小児科から紹介状をもらう必要がある

まり小児科がクソ

2017-08-01

https://anond.hatelabo.jp/20170730210229

不眠症以外はほぼ落ち着いてる状態で月2回のカウンセリング(= 通院?)って多くない?

私、双極性障害手帳2級)の抑うつ期だけど、いつも月1通院だよ。

向精神薬はだいたい30日まで処方可能から新薬のみ14日間縛りアリ)、よっぽどの急性期でない限り周りの人は月1通院だなあ(大学病院からかもしれないけど)。

それだけ忙しく働いてる人なら、通う労力も考えたら月1通院で十分だと思うんだけど……。

ましてや寛解してるなら2〜3ヶ月に1回でもいいくらいでは。

2017-07-22

家族って大事でしょう」が分からない

二十歳ぐらいのころ(今から十数年前)母親から言われたフレーズだけど、未だに咀嚼できていなくて困ってる。

とか色々思ったけど、当時40代母親が、病んで風俗にはまって会社も行けずに某大学病院から大量のステロイド投入されて結局精神面での悪化しか効果確認できず果ては余命数ヶ月の患者しかいない療養施設に島流しされた(過酸化水素とおかゆと排泄物臭いがする施設だった)夫の喪主立派に務めて、今考えると本当に大変だったろうし当時高校生だった自分は(上記疑問点もあって)正直全く手伝えていないところか、本当に迷惑しかかけてなかった。

その後結局増田教科書通りに浪人留年を繰り返してさら母親に対し負担をかけた。

やっとの思いで就職が決まったときに言われたのがタイトルにあるフレーズで。まぁ増田自身問題が多々あるのは認めるが、その上で増田は「家族って大事でしょう」が分からない。

しろ「家族」って、一緒にいる人を精神的に不安定にする枠組みに見えるんだが

2017-07-12

https://anond.hatelabo.jp/20170708211354

私も10代のころから30代前半の今まで婦人科と付き合ってきたけれど、この人の気持ち分からん

10代のころに婦人科に行ったのは、摂食障害体重が減りすぎて無月経になったからだし、PMS生活に支障をきたすほど酷いけれど生理痛病院に行くほどでもない。

先生の言う通りにして治らなかったら、それは仕方のないものとして諦めて受け入れて、症状と付き合っていく方法を考える自分からしたら、なんとかしようとあがき続けるから民間療法にハマるのでは?と思えてならない。

西洋医学的に治療して治らないものを、効果実証されてない民間療法に頼って治る可能性は低いでしょう。

治らんもんは治らん。分からんもんは分からん

ただそれだけなんじゃないかと思うのだがねぇ。

まあ、そんな私の婦人科ライフから言えることは、婦人科先生って漢方薬好きな人が多いよなあということ。

月経受診したときも、PMS受診したときも、つい最近不正出血受診したときも、「西洋医学検査・診断・治療 + 漢方薬」という組み合わせだった。

いま大学病院婦人科にかかってるんだけど、大学病院先生がマジメな顔して「証」を診たりするんだよね。

あれは、女性のほうが西洋医学的な治療対象にならない不定愁訴が多いからではないかと推察しているのだが、どうだろうか。

2017-06-28

https://anond.hatelabo.jp/20170623192826

最近トイレの個室内の貼紙に「フタは閉めてからしましょう! フタを開けた状態で水を流すとウイルスが飛散します!」って書かれてるのをよく見かけるようになった。

今までこの貼紙を見かけたのは、通院先の大学病院マクドナルド駅構内トイレなど幅広い。

ウイルスは、ノロウイルスが名指しされていることが多いかな。

でも複数ある通院先の病院にすべてこの貼紙が貼ってあるわけじゃないし、貼紙が貼ってある病院でも平気でハンドドライヤー強風で水分とウイルスを撒き散らすやつ)が設置されてたりして、なんか対応統一されてない感が半端ない

ういういい加減さを感じ取って、自分もフタを閉めずに水を流している。すまんな。

2017-06-11

まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

40歳の節目。私は乳がんになった。

素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。

幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。

乳がんは罹る人も多い病気負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。

でも全然カンタンではなかった。

家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。

判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。

手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。

今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。

もっと早く気づくことができれば・・・
「あの時あの治療選択していれば・・・
「友人家族もっと接するべきだった・・・

いろんな後悔が今も心に残っている。

こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみて下さい。

ピンク東京タワー、突然の不安

ほんの些細なこと。

10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。

私:「綺麗だねー。今日はなんでピンクなんだろうねー」

携帯検索をする夫。

夫:「今日ピンクリボンデーらしいよ。乳がん認知を上げる目的だって
私:「乳がんねー。」

その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。

それから1ヶ月が経った頃、

朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。

???

違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。

まさか。。。乳がん?」

ピンク色の東京タワーピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。

ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。

夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。

大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安かられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。

しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。

人間不安ときは都合のいい方の考えに飛びついてしまものだ。

私は、

「なんだ大丈夫だ。良かったー」

と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。

翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。

考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。

今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。

一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がん検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったか検討がつかない。

よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。

サイズも小さいし、しこりも動くから問題はないと思いますよ」

そういって若い女性医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。

その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。

診断は

「乳腺線維腺腫」

違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。

乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常生活に戻った。

大丈夫でしょう」という自分安易判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。

大いなる油断、取り返しのつかないミス

それから2年、私はしこりことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。

日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日

その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。

しかし、その夜、全てが一変する出来事が起こった。

夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。

暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。

しこりが大きくなっている。。。」

私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。

夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。

とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」

との回答。

しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。

乳がん専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。

大学病院では当日は難しいため個人病院だった。

まずは触診。先生の無表情さが不安掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。

終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。

もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。

幸いにも大学病院ではすぐに乳腺外科の診断ができた。

視触診
マンモグラフィー
乳腺エコー
CT
血液検査
マントーム生検

これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。

「これらの検査結果は来週に」と先生。

この一週間は今まで感じたことのない長さだった。

死への恐怖心
来ることが当たり前に思っていた未来が来ないかもしれない喪失感
気を使わせてしまっている夫、子どもたちへの罪悪感
不安なく健康暮らしている人たちへ理不尽嫉妬心
色々な感情が目まぐるしく移り変わり心身ともに疲弊していた。

加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。

神さまはいないのか・・・

疲れ切った私たちにやってきた結果は優しいものではなかった。

「左胸に3cmの悪性腫瘍。99%の確率乳がん

診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。

先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。

何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。

我を取り戻した私は、

「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。

結論は手術。

私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。

女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘選択した。

その日から長い闘病生活が始まった。

入院の前に待っているもの

医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。

まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。

ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。

次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。

母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。

母は言葉を失い、暫く無言が続いたあと母自身を責めた。

「ごめんね・・・、ごめんね・・・、ごめんね・・・

と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。

親の前ではやはり自分子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。

でも悲しみのスパイラルに入るわけにはいかない。

絶対に治すから

できるだけ不安を与えないように力を込めてシンプルに伝えた。

友人関係の難しさ、心無い一言、ひび割れ関係

仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。

私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。

仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると

「大変ね~、大丈夫??本当に心配だわ」

という反応。

「え?それだけ?」

特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。

更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。

中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。

私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベル男性結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。

から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那愚痴家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。

由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。

由美にも率直に

乳がんになった。これから長い治療に入る。手術は正直こわいけど頑張る」

と伝えた。

ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。

するとA子は

「なにも腕や足がなくなるわけじゃないんだから胸くらい良いじゃない。」

と言い放った。

彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。

死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。

ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。

私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。

これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。

遂に手術

家族不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブ感情を抱えながら私は手術に挑む。

スケジュールが出た。

手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘選択したために術前の化学療法はなし。

手術2日前から入院となった。前日から食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。

手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由リンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。

乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。

でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。

翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。

わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。

術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。

7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。

そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。

抗がん剤治療・・・これから始まる本当の治療

左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分身体から目を背けたくなる時期もあった。

でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。

気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。

期間は3週間を1クールとして、8クール複数抗がん剤を組み合わせての実施

抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。

ここでも家族存在が私の心を強く支えてくれた。

抗がん剤治療想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。

覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。

クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。

クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。

それにしてもケアグッズも高い。

まり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がん治療以外にかかる金銭負担も大きい。

クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。

いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。

こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。

楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。

抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。

化学療法を無事に終えた私は最後治療放射線治療に入ることになる。

永遠に続くと思われた治療・・・遂に・・・

放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。

放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。

ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。

手術をしてから半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。

毎日毎日通った病院乳がん発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。

検査ときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。

この先生に出会えたことは私の幸運だったと思う。

お陰で私は現実と向き合い、治療目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう

「これでがんは完治」

そう言えればどれだけ幸せだろうか。

がんとの戦いはここからが始まりといってもいいかもしれない。

一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。

「一生がんに怯えて生きていく」

こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。

「がんをうまく扱って生きていく。」

家族献身的な支え。そして我慢我慢を重ねた闘病生活

そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。

最初からこの心があればなぁと今では思うけど、

乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。

がんで失ったものを取り戻す旅

手術が終わって一年が経った。本当に激動の一年だった。

今の私の生活はどうなっているか

幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。

リンパ節を取った左手は、日常生活にはなにも支障はない。

抗がん剤副作用だった爪の異常や関節の痛みも治まった。

ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のとき帽子を被るようにしている。

左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。

胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。

変わった事と言えば、食生活生活習慣が改善したこと。

以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事抗酸化作用の高い食品をメインにしている。

そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活リズムを整える意味で意外と気に入っている。

家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。

夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。

先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。

親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。

こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。

「私から全てを奪った乳がん

手術前後治療中は頭の中にはこの考えしかなかった。

でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。

あなたには絶対に「この後悔」はしてほしくない

どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。

乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。

もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・

早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスク存在しない状態治療が終わっていたと思う。

親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。

私の弱さゆえの判断ミス。これに尽きる。

10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がん自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。

乳がん女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。

2017-06-06

自律神経失調症、だったとしたら分かる気も。

正式な病名じゃなくて不定愁訴みたいなものから自分説明するまでもなく、患者がてきとーにググっても差し支えないと考えたのかもしれん。

あるいはここに書かれていない、医者の神経を逆撫でするような何らかの発言元増田がしてしまっていたとか……?

まぁ、クリニックの開業医って、王様気取りのえらそーな人が多いから気にすんな。

精密検査しなきゃならんような病気なら紹介状だけもらって総合病院大学病院にかかろう。

http://anond.hatelabo.jp/20170605213154

2017-06-04

父の癌

一昨日の夜、22時09分、父は他界しました。最期呼吸不全でした。苦しかっただろうに。

それは私に取っては唐突だった。

4月に父と義理の兄と三人でゴルフを行く約束をしていた朝、急に父から行くのが難しいと言われた。

胃が痛くて、眠れなかった。地元病院胃潰瘍と診断されていた。

その日は残念ながら、義理の兄と二人でいくことにした。

そして4月後半。仕事鎌倉に行っていると、母から電話がなった。

父が貧血気味で、急遽、大学病院に運ばれたとのこと。しか最初内視鏡で癌があると言われたらしい。

とは言え、父は71歳。癌が見つかることぐらいありうる。癌は昔と違って治る病気だ。

とりあえず、貧血もあって父は入院することになった。

そして数日後。急遽、主治医先生家族だけ呼ばれた。ちなみに主治医先生は30歳の背の高いイケメン

まずはCTの結果を見せられ、癌の状態説明される。癌は胃から十二指腸に向かっているそうだ。胃の出口を幽門と言うのだが、そこが癌のせいで固くなり、食べ物が腸に流れない。そして出血がひどい。

しか肝臓転移が見られる。つまりステージ4。余命は半年と告げられた。

この時、初めて人生で気絶した。父の癌を宣告され、あまりにショックだった。一緒にいた母と姉に聞いたところ、1分半ぐらいの気絶だったそうだ。

ちなみに主治医先生は、本当に丁寧に説明してくれた。ショックを最小限にしようという配慮は、とても感じられた。

2017-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20170530050128

総合病院大学病院に行くのをお勧めする。

そして自分の症状を詳しく言えるようにしておく

・目が回るようなめまいか、ふわふわするようなめまいか、急に目の前が暗くなるようなめまい

・いつ頃、あるいはどんなときめまいがするか。朝か昼か夜か。食後か空腹時か。仕事前に多いか仕事中に多いか

・禁句は「この検査はやった」同じ検査でも技師医師の腕前で見つからなかったものが見つかる

めまいで気を失うだけでは、心臓・血管か脳か呼吸器か代謝系かどこに問題があるのか絞れない。

原因が見つかるまで病院を変えてみるしかない。

http://anond.hatelabo.jp/20170530050128

まず、出来る限り記録をとりましょう。

医者に症状を言っても大げさに言ってるだけと思われたら、問題無いと言われるだけです。

エビデンスを固める意味でも、頻度や時間を記録することが大切です。


めまいがして眠ってしまったということは、症状としては失神と言えるかもしれません。

失神が起きる病気としては、

起立性低血圧

神経調節性失神

低血糖症

等いろんな病気が考えられます

参考)

http://www.j-circ.or.jp/guideline/pdf/JCS2007_inoue_d.pdf

生活仕事に支障が出ている限り、それは問題あると断言できますので、

近所の内科・循環器内科大学病院への紹介状を書いてもらう等してもらいましょう。

2017-05-24

ドクハラは言い過ぎかもしれないけれど・・・

とんでもない病院に足を踏み入れてしまった話

どうか同じ被害に合われる人が出ませんように・・・

医師とクリニックが特定できる情報は省いています

 

初診でクリニックに足を踏み入れた瞬間、直感にわかった。

「あ、ヤバイ病院に来てしまった!」と。

 

確かに清潔感はあるけれど、なんだか居心地の悪い、寒々とした雰囲気の受付と待合。殺風景なわけではない。絵や観葉植物は一応飾られているのだが、なぜか温かみを全く感じないのだ。高級感はあるが座り心地の悪いソファに、昼光色の青白い照明が降り注いで余計に寒さを強調する。

初めての場所なので緊張しているせいかとも思ったが、後から理由がはっきりした。ここの院長には「病気で弱っている患者さんを温かく迎えよう」という気持ちが微塵もないのだ。こういう患者に対する本音は待合にはっきりと表れるものだ。

 

待っているのは自分だけ。

 

ヒーリングミュージックテレビもない、ただぶっきらぼうな空調の音だけが壁の向こうから響いてくるところで、混んでいる様子もないのに15分も待たされ不安Maxになってしまった。予約制とは書いてはなかったが、やはり事前に電話した方が良かったのだろうか。

まだ大学病院ゴミゴミした待合で待たされる方がマシだと思ってしまった。待ち時間は長く騒々しいが、これほど余計な緊張を強いられることもあるまい。

一応本棚には雑誌らしきものや、パンフレットの類も置いてあって、それで時間をつぶせということなのだろうが、全てが無駄なくキチンと並べられていて、まるで許可なく触れることを禁じられているかのような様相である

 

そんな不安自分の前に登場した、仏頂面で威圧的医師。「おはようございます今日はよろしくお願いします」と立ち上がって頭を下げたが、返事もなく、ニコリともしない。

あれ、何か気に障ることを言ったか?いや、こういう人なのだろう、気のせいだ、などと思い込むことにした。

年齢不詳医師は冷たく「どうぞ」と言い放ち、壁の向こうに消えた。

初診の患者に対してなにがどうぞなのかと聞きたくなったが、そこはこちらから察することにする。

診察室に入れと言っているのだと解釈し、医師の後を追う。

 

診察室は普段から世話になっているクリニックとそう変わらない。

ただ、受付や待合のこれ見よがしな高級感との間に妙なギャップがあるのだ。だいたい、クリニックの内部なんてよほど特殊処置をする部屋を除いて、テイスト統一されているのが普通だと思うのだが。

ああそうか、ここの院長はとにかく外面を気にするタイプなのかもな、などと勝手分析してみる。

 

具体的にどんな診察を受けたのかを書くのは差し控える。

言えることは、かなりの「コミュ障」だったということだ。

 

(続く)

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