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はてなキーワード: 主従関係とは

2019-02-22

強い女メーカー著作権インターネット

https://ut-vessel.com/2019/02/21/%E3%80%8C%E5%BC%B7%E3%81%84%E5%A5%B3%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%95%86%E7%94%A8%E5%88%A9%E7%94%A8%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%BD%93%E4%BA%8B%E5%8B%99%E6%89%80/

画像引用してブログで紹介したら、著作権者から著作権侵害だと訴えられたでござるの巻。

スクリーンショット違法化の話が出てきて、著作権侵害範囲が拡大されようとしている中でのこの話題

この程度で50万も取られたら、インターネットが窮屈で何もできない!って思うだろうけど、本当それな。

でもさ、まとめサイト叩きで「他人著作権勝手にパクっておいて金儲けしやがって」って言ってた人が多かったように見えたけど、

今回は弁護士側を叩いている人が多いのを見て、非常に興味深いです。

今回のブログ主とまとめサイトって、他人著作物で金儲けしようとしている点では一緒って思っちゃうんだけど、どこが違うのかな。

結局は著作権がどうとかじゃなくて、本質は「金儲けしようとしてるヤツをやっつけちゃえ!」じゃないの?

とりあえずポイントとしては以下の感じかな。

引用範囲内じゃないの?

かに著作権引用範囲内で使用することが認められているけど、主従関係をはっきりしなきゃいけないとか、

引用範囲必要最低限じゃなければならないとか色々とあるみたいだよ。

とりあえず、著作権者からしたら、「何勝手に人の作ったものフリーライドしてアフィで金儲けしようとしてんだよ、この田吾作が」って思っちゃたんだろうね。

★これがNGだったらまとめサイトとかどうなってんだよ

2ちゃんまとめとかの場合引用したテキストが「著作物なのか」が争点になるけど、ただの書き込みに「著作性」がなければ、引用しても問題なさそうね。

ただ、イラストとか詩とかは勝手掲載したらダメよ。

Google画像検索とかどうなってんだよ

画像検索場合特定の条件下で許されてるよ。著作権者ロボット避けしてたり、Googleに消してねって言えば消してくれるそうよ。

★どこに50万の妥当性があるんだよ

本当それな。ここが一番の問題になりそうね。

写真素材サイトとかだと、それが売り物として価格提示してたりもするから、1PVあたりいくら請求しますとかもあるみたいよ。怖いね

★これが許されるなら、適当写真とかイラストとか載せておいて、掲載したヤツ訴えたら金儲けできんじゃね?

うん、金儲けできると思うよ。

それが他の人にとってスクショしてネット上にアップしたいと思わせられるくらいのクオリティならね。

でも、今回みたいにそれで訴えたらめっちゃ叩かれるかもしれないね。辛いね

基本的他人著作物スクショしてネット上にアップロードする行為ってかなりアウトな行為に見えるんだけど、実際に訴えられるとびびるよね。

これがネット上にアップしなくても、スクショしただけで違法化される方向になってるってんだから利用者にとっては面白くない流れだわね。

2019-02-14

連座の是非

連座とは?

連座 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%BA%A7

連座(れんざ、連坐とも)とは刑罰一種で、罪を犯した本人だけでなく、その家族などに刑罰を及ぼすことである

なお、江戸時代までは家族などの親族に対する連座は縁座(えんざ、縁坐)と呼称され、主従関係やその他特殊関係にある者に適用される一般連座とは区別して扱われていた。

 

英語の"Collective Punishment"の訳語として、「集団罰(しゅうだんばつ)」「集団懲罰(しゅうだんちょうばつ)」「集団懲罰(しゅうだんてきちょうばつ)」などの語も使われる。

民族国民全体など、非常に広範囲への連座をも指す用語になっている。

国際法における制限

ジュネーヴ諸条約の第4条約戦時における文民保護に関する1949年8月12日ジュネーヴ条約Geneva Convention relative to the Protection of Civilian Persons in Time of War of August 12, 1949)第三十三条では、紛争当事者被保護者当事国占領国の国民以外。すなわち他国地域占領下にある人間)に対して集団罰を科すことを禁じている。

 

 

歴史を振り返ると、過去には日本でも連座時代も確かにありました。

しかし、近代法律では、連座否定されています

 

個人的には、心情として連座を望む気持ちも分かるが、実務としては連座採用するのは反対の立場です。

しかし、現代日本は、江戸時代を見習って、連座を復活させた方が良いのでしょうか?

ある日いきなり、自分連座刑罰を与えられることになったら、他人のケツ拭いなら納得できないので困りますね。

2019-02-09

anond:20190209113039

からさまに自民党親衛サイトから

自由のはずの芸術がお抱え画家みたいに主従関係で使われてるようで気分が悪かった

Youtubeも中身はいろいろ結託してそうだが表面上は公平な建前を装ってる

2019-02-07

算数で足し算に順序あるのおかしいっていうけど

プログラマ的にはどうなの?

JavaグラマとRubyグラマとHaskellグラマでそれぞれ話し合ってほしい

a + bという式があるとき

2019-02-06

客先常駐って控えめにいって超弩級のクソ&クソな働き方だよね

ノーと言えない。客の個人的な気分に振り回される。精神的な奴隷状態。周りは客だらけだから四方八方どこを向いても主従関係

こんなもん続けられるのはドM人生完璧に諦めきってる人かのどちらかしかない。

2019-02-03

スカイプちゃんねるヤベーやつ図鑑

みなさんは「スカイプちゃんねる」を知ってるだろうか。

スカイプちゃんねるとは、出会い系掲示板みたいなもんで、スカイプID掲載して見知らぬ人と通話を楽しむというもの。やはり、出会いたい男性圧倒的多数で、寂しがりやのメンヘラ女性と、謎の「会議グループ通話やりたがる人たち」と、オンラインゲームやろうの人が残りの内訳だろう。

あそこはヤベーやつの温床だ。

普通に暮らしてたら出会えないような人に遭遇する。厳密に言えば、"出会えない"のではなく、"出会いたくない人々"だ。要するに、近くにいても知り合いになりたくないタイプ人種ばかりなのだ。いろんなタイプ品性下劣がめちゃくちゃいる。

から使ってると、ムカつくことが大半だ。が、ごく稀に出会える紳士にさっきの人こんな人だったと話すと笑ってもらえるので、ストレスは消化できる。ネタにもなるのだ。

出会える人は、クズクズクズ、つまんないけど普通クズクズ、いい人、クズクズ……みたいな感じだ。クズの方が圧倒的に多い。しか個性豊か。

若くて女性で、週末の夜に掲載すれば、数秒ほどでスカイプ複数コンタクトメッセージが来る。

判断材料1.「サムネイル

メッセージの内容はもちろんだが、まずサムネイルである程度どんな人か判断できる。サムネイル=その人の美意識センスなのである

寒いやつは、パズドラ的なスマホゲームの画面のスクショメンヘラチックなアニメの絵(しか似顔絵。こいつらはこぞって大学生で、大概受け身)。話すのは無駄

・ヤベーやつも普通な人もいるのは、オシャレにスタイリングできました的な後頭部、白黒で顔がはっきり判断できないがオシャレですよ服装気にしてますよの雰囲気プンプンの写真コミュ力は高め。

判断しにくいのは、特徴のない写真サムネイル自体つけてない人。なんでもない風景サムネも多いが、これも判断しにくい。

幾何学模様や、なんらかのデザインの模様の場合は、根暗メンヘラ率高め。バンドやってるか、RADWIMPS好き。会話はできるが、口調がキモい人が多い。癖が強い。

判断材料2.「コンタクトメッセージ

サムネの次はメッセージの内容だ。

地雷率が最も高いのは、初回メッセージタメ口の人(年齢問わず)。自分がどう思われるか客観的に見られないヤツが多い。20後半でこれはお察し。

・次に、タメ口関西弁野郎。この種は本当に自己中が多い。あと声質が高く、押し付けるような口調が特徴。聞いていて不愉快趣味も考え方も何かダサいヤツが多い。勘弁してほしい。

・おじさん。40代ですけどいいですか という決まり文句がある。加齢臭漂う文章だが、紳士も多い。が、おじさんと話してんのか……と思うと結構萎える。

・短文の挨拶性別年齢の人。プレーン。これも判断しにくい。でも普通の人も多い。普通からといっても、会話のキャッチボールができるとは限らない。超受け身の人もいる。男としてどうなんだと言いたくなるような、会話本当面白くないねボーイも結構いる。

私が優先するのは、とにかくプレーンな人だ。私は特殊な会話がしたいのではなく、ごく普通の会話のキャッチボールがしたい。しかしスカちゃんにおいてはそれが最も難しいのであるプレーンな人といっても、スカちゃんを使うような人に真っ当な人がいるわけがない。8割が、エロいやりとりがしたい、俺の話を聞けよ、話題が一切広がらない受け身の貝野郎なのだから、基本は諦めだ。

ということで本題。

最近の「スカちゃんヤベーやつ図鑑」はこちら。

失恋相談で、「相談のります!」と連絡をくれるも、通話してみたら、24才で1人も彼女なしの童貞人だと発覚。勿論、相談など乗れるはずもなく、最終的には「僕の人生この後どうなるんでしょう」と、童貞の行く末を嘆いていた。その後「前を向いて歩いて行かなきゃダメだよ。もう戻ってきちゃダメだよ」的なメッセージが何通もきた。セックスしてから言えと思った。

・高圧的な態度で、自分大学院生だというのを自慢。適当に受け流していたのだが、主従関係ができたと勘違いした院生君が興奮し始めてエロイプし始めようとする。人の性癖って本当人の数だけありますね。

プロゲーマーウメハラ名前を使う男。アケコンデザインをしてると吹聴。多分、スカちゃん名前検索すれば出てくる。プロゲーマーガチくんのアケコンデザインしたというのを自慢する。こちらがウメハラかっこいい!とかいうと、そお?俺は別に……みたいな態度をしてくる。「格ゲーなら俺プロは無理だけど、セミプロならいけるかもな〜」というのを、聞いてないのに繰り返し独り言で呟いてた。聞こえてるよ。返事しなかっただけだよ。可哀想に。しかもそれで30代後半というお粗末さ。多分、ゲームだけは本当にやってて他の話は嘘だと思う。スカイプの中では誰でもシンデレラボーイ(東京都・30代後半)。

・出だしから「ちーっす」。有休消化だから毎日寝まくってて〜 旅行行きまくったりして飽きたんだよね〜 今日これから昼飯食って〜 などダラダラ一方的自分生活の話をし続ける。喋り方が小汚い。イメージは、コンビニとかで商品金額ちょうどの小銭を雑に店員に放り投げていくタイプの、だらしない体型&服装、安そうなヘアカラー、車の中は駄菓子みたいな甘い匂いさせておけばオシャレだと思ってる低学歴野郎。極め付けは「今日オレの見た夢聞く?パズドラがもっかい流行る夢!」。多分実物も、イメージ通りだと思う。

以上です。

マナーを守って、コミュニケーションを大切にしながら楽しく利用してほしいが、そんなこと彼らには関係ないのである自分さえよければ良いというのを隠さずやっている。

ヤバいやつがまた溜まったら図鑑にしたいと思う。

スカイプちゃんねるヤベーやつ図鑑

みなさんは「スカイプちゃんねる」を知ってるだろうか。

スカイプちゃんねるとは、出会い系掲示板みたいなもんで、スカイプID掲載して見知らぬ人と通話を楽しむというもの。やはり、出会いたい男性圧倒的多数で、寂しがりやのメンヘラ女性と、謎の「会議グループ通話やりたがる人たち」と、オンラインゲームやろうの人が残りの内訳だろう。

あそこはヤベーやつの温床だ。

普通に暮らしてたら出会えないような人に遭遇する。なぜ出会えないかというと、出会えないのではなく、出会いたくない人々だから。要するに、近くにいても知り合いになりたくないタイプ人種ばかりなのだ。いろんなタイプ品性下劣がめちゃくちゃいる。

から使ってると、ムカつくことが大半だ。が、ごく稀に出会える紳士にさっきの人こんな人だったと話すと笑ってもらえるので、ストレスは消化できる。ネタにもなるのだ。

出会える人は、クズクズクズ、つまんないけど普通クズクズ、いい人、クズクズ……みたいな感じだ。クズの方が圧倒的に多い。しか個性豊か。

若くて女性で、週末の夜に掲載すれば、数秒ほどでスカイプ複数コンタクトメッセージが来る。

判断材料1.「サムネイル

メッセージの内容はもちろんだが、まずサムネイルである程度どんな人か判断できる。サムネイル=その人の美意識センスなのである

寒いやつは、パズドラ的なスマホゲームの画面のスクショメンヘラチックなアニメの絵(しか似顔絵。こいつらはこぞって大学生で、大概受け身)。話すのは無駄

・ヤベーやつも普通な人もいるのは、オシャレにスタイリングできました的な後頭部、白黒で顔がはっきり判断できないがオシャレですよ服装気にしてますよの雰囲気プンプンの写真コミュ力は高め。

判断しにくいのは、特徴のない写真サムネイル自体つけてない人。なんでもない風景サムネも多いが、これも判断しにくい。

幾何学模様や、なんらかのデザインの模様の場合は、根暗メンヘラ率高め。バンドやってるか、RADWIMPS好き。会話はできるが、口調がキモい人が多い。癖が強い。

判断材料2.「コンタクトメッセージ

サムネの次はメッセージの内容だ。

地雷率が最も高いのは、初回メッセージタメ口の人(年齢問わず)。自分がどう思われるか客観的に見られないヤツが多い。20後半でこれはお察し。

・次に、タメ口関西弁野郎。この種は本当に自己中が多い。あと声質が高く、押し付けるような口調が特徴。聞いていて不愉快趣味も考え方も何かダサいヤツが多い。勘弁してほしい。

・おじさん。40代ですけどいいですか という決まり文句がある。加齢臭漂う文章だが、紳士も多い。が、おじさんと話してんのか……と思うと結構萎える。

・短文の挨拶性別年齢の人。プレーン。これも判断しにくい。でも普通の人も多い。普通からといっても、会話のキャッチボールができるとは限らない。超受け身の人もいる。男としてどうなんだと言いたくなるような、会話本当面白くないねボーイも結構いる。

私が優先するのは、とにかくプレーンな人だ。私は特殊な会話がしたいのではなく、ごく普通の会話のキャッチボールがしたい。しかしスカちゃんにおいてはそれが最も難しいのであるプレーンな人といっても、スカちゃんを使うような人に真っ当な人がいるわけがない。8割が、エロいやりとりがしたい、俺の話を聞けよ、話題が一切広がらない受け身の貝野郎なのだから、基本は諦めだ。

ということで本題。

最近の「スカちゃんヤベーやつ図鑑」はこちら。

失恋相談で、「相談のります!」と連絡をくれるも、通話してみたら、24才で1人も彼女なしの童貞人だと発覚。勿論、相談など乗れるはずもなく、最終的には「僕の人生この後どうなるんでしょう」と、童貞の行く末を嘆いていた。その後「前を向いて歩いて行かなきゃダメだよ。もう戻ってきちゃダメだよ」的なメッセージが何通もきた。セックスしてから言えと思った。

・高圧的な態度で、自分大学院生だというのを自慢。適当に受け流していたのだが、主従関係ができたと勘違いした院生君が興奮し始めてエロイプし始めようとする。人の性癖って本当人の数だけありますね。

プロゲーマーウメハラ名前を使う男。アケコンデザインをしてると吹聴。多分、スカちゃん名前検索すれば出てくる。プロゲーマーガチくんのアケコンデザインしたというのを自慢する。こちらがウメハラかっこいい!とかいうと、そお?俺は別に……みたいな態度をしてくる。「格ゲーなら俺プロは無理だけど、セミプロならいけるかもな〜」というのを、聞いてないのに繰り返し独り言で呟いてた。聞こえてるよ。返事しなかっただけだよ。可哀想に。しかもそれで30代後半というお粗末さ。多分、ゲームだけは本当にやってて他の話は嘘だと思う。スカイプの中では誰でもシンデレラボーイ(東京都・30代後半)。

・出だしから「ちーっす」。有休消化だから毎日寝まくってて〜 旅行行きまくったりして飽きたんだよね〜 今日これから昼飯食って〜 などダラダラ一方的自分生活の話をし続ける。喋り方が小汚い。イメージは、コンビニとかで商品金額ちょうどの小銭を雑に店員に放り投げていくタイプの、だらしない体型&服装、安そうなヘアカラー、車の中は駄菓子みたいな甘い匂いさせておけばオシャレだと思ってる低学歴野郎。極め付けは「今日オレの見た夢聞く?パズドラがもっかい流行る夢!」。多分実物も、イメージ通りだと思う。

以上です。

マナーを守って、コミュニケーションを大切にしながら楽しく利用してほしいが、そんなこと彼らには関係ないのである自分さえよければ良いというのを隠さずやっている。

ヤバいやつがまた溜まったら図鑑にしたいと思う。

2019-01-18

電子レンジにキレる人

わたしです。

ものすごく便利でありがたいんだけれど、朝の時間のないときなど、複数のことを同時にせざるを得ないときに何度もビープ音を鳴らされるとクッソむかつく。

洗濯物を干してるときに何度も何度もピーピー鳴らされるともう無理。

これが赤ちゃんとかであれば当然話は別だけれど、ただの調理電子機器に何度も何度も呼び出されると、機械を使っているんじゃなくて、機械に使われてるような気がしてくる。

モノとの主従関係の逆転という意味では、AIがーとか言う前に、既に人間は被コントロールされる存在になりかけてるんじゃなかろうか。

何度も通知がなることで助かっている人もいるんだろうけど、一定数通知音にうんざりしている人もいると思うので、ディスプレイをうまく使うとか、通知の少ないモードを用意するとか、そんな電子レンジが出るといいなー。もしかしてもうあるのかな。

2018-10-21

anond:20181020130536

補助的な役割女性ばかりが担わされている、という主張には一見「おっそうだな」って思わされてしまうけれど、よく考えると釈然としない。

疑問その1、聞き手が男ならいいのか

レースクイーンとかラウンドガールみたいに本当に「添え物」でしかなくて、なくしてしまってもたいして問題ない役割は確かにあると思う。でも教養解説番組聞き手ってそういうのとは違うでしょう? 視聴者の疑問を代弁したり番組進行したり論点整理したりって(増田も認めているとおり)きわめて重要役割だと思うのよね。

「語り手と聞き手」っていう形式をとるコンテンツ媒体関係なく無数にあるし、インタビューやある種の対談もこの形式と含められると思うので(語り手と聞き手が適宜入れ替わるEテレの『SWITCH』とかね)、この形式じたいには普遍性がある。つまり聞き手存在じたいは許されるし、それどころか、なくしてしまうことはできない、つまり誰かが担わなきゃいけない役割なわけだ。実際、キャスティングによっては聞き手のほうがギャラがずっと高いなんてこともザラにあるだろう。

これを女性やらせるなという主張は、聞き手男性にだけやらせておくのが妥当聞き手という場から女性排除して男性に独占させろという主張になってしまう気がするんだが……。「男女比1:0にしろとまでは言ってない、せめて1:1にしろと言っている」ならば「去年は福君だったじゃん」で決着ついてるけど、そうではないらしい。ハテ?

疑問その2、聞き手は「下」なのか

女性がこれまで長いあい従属的立場に押し込められてきた、っていうフェミニズムの主張に異論はない。不公平差別の結果としてそうなってしまっているのは是正されなければならないと思う。しかし、千田先生もそうだったけど、このケースを「語り手が上、聞き手が下」っていう単純な上下関係主従関係に当てはめてしまっていいのか。

語り手+聞き手形式は多くが「知る者が知らない者に知識を与える」っていう進行をする以上、両者の理解度に勾配があることがそもそも大前提だが(じゃないと成立しない)、それは必ずしも主従関係立場上下意味しない。聞き手がイニシアティヴをとるケースや年長者や社会的立場が上の人が聞き手立場をとるケースからもわかるように、野球バッテリーのようなイーブンな分担であって、どっちが偉いとかいったものではないはず。

両者の理解度に勾配があることが前提と書いたけれど、それはまた、聞き手がアホであることも意味しない。相対的に勾配はあるが、それは語り手のほうが(そのテーマに関しては)高い位置いるからで、聞き手あくまでも視聴者代表位置づけるならば少なくとも「平均的な人物像」を想定しているはずで、「相槌だけ打たされてアホ扱いされるのはいつも女」という主張は通りにくい気がする。

別のところでも書いたけど、こんなふうに、もともと上下関係などない役割にわざわざ上下関係を作り出して「女を下に見ている!」と問題視するケースは枚挙にいとまがないけれど、これって「性役割再生産」などではなくむしろ「新しい差別生産」なんじゃないかな。(別のところ:https://anond.hatelabo.jp/20181018000112

2018-10-06

ツイッターで見かけるSM方面の人(基本的に主側)。何故高確率で面倒くさい人ばかりなんだろうか。

どう面倒くさいのか上手く言えないんだけど、ツイートの文面がイチイチ高尚な雰囲気を醸し出す書き方をしている。

(例:「乙女の柔肌は叩かれる度に夕焼けの様に赤く染まっていく…。」「私はこの主従関係特別な事はしていません(中略)私だからなせるのです」等)

あと性格の面倒臭さが文章から伝わってくるぐらい、回りくどい書き方をしてて、見ているコッチが渋い顔をしてしまう。

やっている活動のものは、プレイ写真も上がるので、とてもスケベなのでつい見てしまうんだけども、それでも文章とセットで見るハメになるので若干見ることに対して辟易な気分になる。

そんな書き方するなら、いっその事、官能小説家にでもなればいいのではないのか。自身経験もあるし丁度いいのでは。

もう少しストレート普通に書けないのか……。

2018-09-12

anond:20180912085815

ありていな話、「わかりやすエンターテインメントフィクション」は前近代的価値観でないと成立しにくい

たとえば、私的問題に対する司法権力を無視した暴力による解決、私情による復讐での殺人近代的な企業ビジネスライク上下関係にはない濃密なロマン性を持った主従関係所属集団敵対しているゆえ結ばれない男女……等々

おかげで、それらを描いた作品を作ろうとすれば、時代劇とか異世界ファンタジーになるのが通例

現代劇でその手の要素を描こうとしたら、「現代に生きてる前近代侠客アウトロー世界」ぐらいしかないのだ

現実生活においてはとっくに、ヤクザや不良や暴走族を嫌う人間の方が多数であろう

高倉健任侠映画深作欣二の実録ヤクザ映画若者の基礎教養みたいなもんだった60~70年代に比べれば、ヤクザも不良もエンターテインメント世界においても随分と隅っこに追いやられた方だと思う

しかしながら、フィクション世界において現代においてなおヤクザが都合良く使われているのは、みんな心の奥底では「近代自由平等ってつまんない、前近代的暴力性や主従の束縛などがあるほうが”ドラマとしては”面白い」と思ってることの証左

衣食足りて礼節を知るというけれど、あくまエンターテインメントとしては、平和時代になったからこそ、むしろみんな前近代的ものを楽しく思うのさ

南米スラム街みたいな貧困生存競争現実世界だったら、逆にヤクザエンタメとして楽しむ気なんかせんだろ

2018-09-04

関空連絡橋のタンカー衝突の件で

会社関空連絡橋に衝突したタンカー「宝運丸」所有会社である日之出海運のHP鯖落ち

http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1536051013/

282名無しさん@1周年2018/09/04(火) 19:15:57.43ID:CdSW5uAc0

同業者だけどこれは完全に関西エアポート側の引き起こし人災


もともと関空タンカーマン行きたくない場所ナンバーワン

完全に主従関係タンカー絶対服従

関空向けジェット燃料積む前にはわざわざ人が立ち入って危険タンク掃除をさせられる

着桟とか停泊ポイントとか揚荷役の手順とかルールとかおそらく日本で一番厳しい理不尽ルールオンパレード


タンカー普通台風避難の時は積荷の油満載で錨を打つ

そっちのほうが重たいから走錨事故も起きにくい


13時から暴風圏に入ってたのに12時まで揚荷役させるなんて鬼畜の極み

たった1時間じゃまともに避難もできない

積荷がないから走錨も起こりやす

事故起こして当たり前


これで日之出海運が責められるのはあまりに酷い

2018-08-23

anond:20180822231202

普通ソープなんかでも嬢は「個人事業主」で「自由恋愛」としてやってる扱いやぞ。

主従関係のある従業員として扱うと管理売春から違法だ。

そういう建前でやってる。

2018-08-06

anond:20180806133322

犬→主従関係結んじゃう?

鼠?→ハムスターなら可愛いよね。でもなぜ語尾が変わらないのか

猫→逆に噛まれたことあるんだよなぁ。猫に。

2018-07-16

anond:20180716231015

そう思って差し支えない

二次元で妹モノが多いのも同様の理由

メイドモノが流行ったのも主従関係マウント取れるからだね

2018-06-30

anond:20180630211034

海外でもdadとかmomとかペットに言わせてるでしょ。

あれって主従関係表現以外の何ものでもないが。

海外ペット像と日本ペット像の違い

海外は例えば犬に何か言わせるにしても

humanをhoomanとミススペルしたりして

子供のような舌足らず感を出すミームがあるけど

飼い主をmasterと呼ばせるようなことはしない

 

日本だとペット動物

「ご主人様」と飼い主を呼ばせる傾向がある

例えねこのような上下関係希薄ない動物でもそうで

そこに人間文化的主従関係の延長が見て取れる

2018-06-16

anond:20180616095137

 法律の話をしたいのなら『個人的認識』ではなくて法律裁判例を調べるといいですよ。これを基準にして考えないと『世間的』とか『時代』とか意味がないですし危険です。もし自分でも画像を貼るなら『世間的には完全にOK』だからではなくて法的根拠を持ってやるべきだと思います

その上で当該記事を見てみました。よかったら参考にしてください。

論点著作権法上の引用32条)に当たるかどうか。

前提:引用要件重要なのは主従関係必要性区分性・出所の表示。

チェックした記事https://sakihuwahuwa.hatenablog.com/entry/gotoubun41

結論出所の明示以外は基準合致しているように見える。

主従関係

 ・明らかに自己感想が主となる著作物である

 ・画像単独で鑑賞が可能とするには、十分小さいので問題無い。

  藤田嗣治絵画複製事件http://kida.biz/law/court601017ne2293.html

 <参考>

 ・増田の『絵が無いなら見ない』というのは『絵がなければ理解しにくい』という意味なら、それこそ引用必要性があるとなる。絵を見せるのが専らの目的となっている場合引用にならないが、その判断あくま要件合致しているかどうかが基準

必要性

 ・感想対象となる人物及びシーンを引用している。

 ・漫画文章と絵が一体なものであるので、セリフとともに絵を引用するのは合理的である

  脱ゴーマニズム宣言事件地裁判決http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/663/013663_hanrei.pdf

 <参考>

 ・引用画像の分量に明確な基準を示した判例はない。主従関係などの要件を満たしているなら『引用必要最小限度のものであることまで要求されるものではない。』としている。(脱ゴー裁判

 ・ただし id:nyaaat さんのコメントのように20〜30行という弁護士見解は目安として合理的だと思う。しかいくら本文が多くても『あらすじ』など創作性が無い文章では『自己著作物が主』とは言えないのでダメ

 ・増田は4000字に一枚というが、主従関係必要性文字数よりも意味を重視する判断が多い。脱ゴー判決文(第三 当裁判所の判断/4 原告カット採録被告書籍の読者に対して与える効果)などでも、分量より意味必要性)を重視しているのは明らか。

出所の明示(48条)・明瞭区分

・各画像、文末などには表示が無い。

タイトルに『作品名』がある。作品名でも表示とすることができるが、タイトル記載があることが『明示』と見なせるのかの問題がある。

タイトル記載があるから明らかという考えは、認められる可能性もゼロでは無い。しかし脱ゴー裁判では『カットの欄外に出典が表示 』されていることを明瞭区分性の根拠の一つとしており文中での表示が望ましいと思う。

<参考>ちなみに初期のヒドデ氏なんかがやってた、漫画コマの切り抜きは、引用要件に全く当たらないので単なる無断転載。今回の記事とは問題が別。

以上

余談:ちなみに自分も『ぺたぺた画像貼り感想ブログ』を書いてます画像引用の詳しい記事を書いているのでよかったら参考にしてください。でも、自分も『初期のヒドデ氏』みたいな転載や『あらすじコピペブログ』を無くしたいと思って書いています。そういう意味で考え方は近いと思うのですが。

http://kato19.blogspot.com/2015/05/cyosakukenanime.html

追記

感想対象となる人物画像からOKってのは広すぎでは。』kido_ari さん

 脱ゴー判決文の『4 原告カット採録被告書籍の読者に対して与える効果/(四) その他の採録箇所/(1) カット1』には 『原告漫画の特徴に関する記述理解を助けるものである 』と記載があります

 感想批評)を読むにあたり、言及する登場人物文字だけで記載するより、参考資料として画像を合わせて提示したほうが明確になります意味は少し違いますが、そういう点で判決文の『理解の助けになる』と同じ文脈理解できると解釈しました。(もちろん否定する判例があれば別ですが私には見つかりませんでした)

 また同『8 原告の主張について』にある『一般著作物引用は、右1で示した引用要件を充たす限りにおいて、引用著作物の著者が必要と考える範囲で行うことができるものであり』との記載があります。これは地裁判決ですが参考になると思います。(これを明確に否定する判例を知っていれば教えていただけると幸いです)

2018-06-04

anond:20180604112245

増田のソレを親子間のものだとすると、親子間で性的虐待のある家庭とそうでない家庭はそうでない家庭の方が圧倒的に多いのだから問題ないのでは?

ってかその問題は親子間という忖度どころか命令のものがある主従関係において発生するものから違うんじゃねえか。

ハンバート・ハンバートとドロレス・ヘイズに於ける穏やかな関係を想定してるんだが。

2018-05-18

妻の良いところ2.3つ

当方30代中盤。アラフォーにも片足突っ込んでいるけど、最近ようやく結婚をした。

付き合って4年。

これが結婚の決め手、とはいわないけど容姿性格の良い部分というよりはもう少し感覚的な部分でいいなぁ。と思える所を纏めてみた。

メンタルコンディションの波が少ない。

女性男性に比べてホルモンバランスとやらに支配されていて、自分でもコントロールしえない感情メンタルの浮き沈みがあるみたい。やっぱり長く付き合っているとその辺の傾向というのを察したり、歩み寄ったり、時には理不尽に感じて衝突したり。というのを今までお付き合いしていた女性とは度々あった。男性側の私も毎日いると日頃の観察の賜物か、月のモノに対してそろそろだな。PMS症状かな?車やお酒に酔いやすいか最中かな?みたいなのを感じたり出来てくるのだが、今の妻は、もちろん全くないとは言い切れないが限りなく少ない。

洗濯をしていて、下着がソレ用だな。今そうなのか。とか、夜の営みの前の際に知ってそうなのか。と思うくらい。

この部分の良い所は私の精神的な負担減、という事ではなくて、常に会話や、特に話し合いをいつも通り冷静に意見交換できる所が助かっている。えっ、この単語でいきなりキレます?とか、先日は大丈夫だったのに今回は白熱したら投げやりになります?みたいな事がない。助かりますありがとう

・多少の女友達、少数の男友達がいる。

この場合友達定義は2人、もしくは多くて4人以下で飲みやご飯に誘ったり誘われたりして行ける関係である。とする。

もちろん子供が産まれたりしたら外出頻度から関係性は変わるし、結婚して男性と2人でご飯不貞判断が問われたり等はあるが、私達は結婚したばかりなので未来はまぁ置いておこう。

ここのポイントとしてはコミュニケーション能力もそうなんだけど、人の話を聞けて、たまに起こる、友人から意見やここがおかしいよ、と言われた時に対応できるか。という所がある。

仕事金銭による主従関係があるし、夫である私は甘えからつい頑なになったりもする。友人とのコミュニケーションの中で頑固を突き通さず、そういう考えもあるのか、と思える寛容さと柔軟性を持てるか。その辺は友人と良好な関係を築きあげられるかのポイントとして重要だと思う。その辺を築ける友人が複数いると、多様な意見価値観を共有が出来て、妻自身精神面の成長も望めるし、私としてもそうあると嬉しい。安心できる材料と考えている。団体の友人で飲むと深い話ができなかったり役割が変わるので少数に限らせてもらった。

あとは男性友達も少数いるのは嬉しい。

もちろん実際の関係性は男女間になると正確な所ではわからないが、若いうちに(といっても30は超えているが)男性からアプローチや罠をいなせる経験はあった方が今後の為にもいいと思うけどね。ありがとうね。

・今を生きている

たまにはもう少し先を見たりもして欲しいけれど、今の自分と今の私を基準判断をしてくれていると感じる。

つい起こってしまいがちなのが、諍いの際に、あの時○○って言ってたよね?、とか○○をしていたじゃん、また同じ事を!?みたいな事を言われるのを過去、様々な女性経験して来た。

実際、その出来事って諍いの際にお互い話し合って終わりとしたはずだったり、自分自身もその当時に悪かった部分もあるな。よし、反省して、次は起こらないように変わろうと努力して、それでも起こってしまう事ってある。言った事に関しても数年前に言ったであろうそ意見は、その後の様々な経験を経て考え方が変わったり、もはや逆の意見になっていたりもするし。

もちろん人道的に擁護できないような極悪非道な事を繰り返す事が仮にあった場合はおいては私が悪い、それはね。

そういう事が妻にはないのが助かっている。ありがとう

あとは他にも喜びタンクが貯蓄式、とか色々あるけどこの辺にしておこう。

ちなみに嫌な所は?と聞かれたら良い所同様に瞬時に2.3は思いつくので.その辺は持ちつ持たれつだよね。結婚生活はまだ始まったばっか。今後ともよろしくね。

2018-04-09

anond:20180409090754

怪しいのは主従関係だけじゃん。

そこはいまどき文章量だけで主従を判断するのはナンセンスだよねってことで。

明らかに全文引用する必然性があるから漫画村とは違うよね。

2018-02-04

友情コンビ萌えな方のCPに対するツイ見てわかりみしかなかった……

これ。これなんですよ、女オタクやっててずっとある違和感…!!

こっちは単純に男同士の熱い友情とか家族愛とか主従関係かにくそ萌えたり憧れたりしてるわけですよ。

でもそういう奴らは二次創作では多くの場合CPにされている。

CPではない作品を求めてキャラ2人の名前検索しても8,9割はCPかな…(稀に友情ものが見つかると五体投地する)

自分は腐も見れる人種なので飢えが極まるとジェネリック的にCP作品摂取しているためCP作者の方々には常々申し訳なく思っている。

あと「AとBの関係が好きで…」とか言っちゃうと「ABいいですよねー!(CP的な意味)」みたいに返ってくる確率が高くてうかつに口に出せないという。

そうじゃなくて…!恋愛関係じゃなくても人は助け合ったり互いを思い合ったりぶつかったりするでしょ?!それがいいんですよ!!

恋愛になるとちょっと意味合い変わるじゃん!今回はそれじゃないんですよ!!

それもいいけど信頼とか尊敬とか忠誠とかいった別な感情もまた尊くて…拝みたい…!!

ということをなかなか咄嗟に上手く説明できなくて「アッ…ウ…そ、そうですね…」みたいな反応になってしまう。

しかしコレを表で言ってしまうと、CP民のみなさんから距離を置かれそうでなかなか言えない。

ファン同士の交流はそういうの関係なくしたい。それとこれとは別なんや自分が誤解されてなければそれでいい。

なので今は絵とか語りとかでそれとな〜くコンビ萌え派の空気演出してる。

今いるジャンルはそのへん汲み取ってくださる方が多いのが救いではある。

行く所によってはマジで理解得られなくて苦しいときもあったりしたな〜

というか最近SNSとかで自分意見を細かく発信できるようになっただけ良くなったのかも。

自分が正しく発信してれば理解してくれる人が見つけてくれる確率上がるからね。いい時代だ。

いいんよ、CP想像するのはもちろん自由だよ。場合によっては自分もそっちもたしなむ。

でも絶対恋愛に発展しない関係性にこそ、くそ萌える

RT数とか見ると意外にそういう人種も多いのでは。これを機にもっと認知されてくれ〜〜!!(合掌の絵文字

2018-01-13

この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven Beethoven.jpg 基本情報 別名 楽聖 生誕 1770年12月16日頃 出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン 死没 1827年3月26日(56歳没) オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン ジャンル 古典派音楽 活動期間 1792 - 1827 ベートーヴェンのサイン ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。 目次 [非表示] 1 生涯 2 作風 2.1 初期 2.2 中期 2.3 後期 3 後世の音楽家への影響と評価 4 芸術観 5 思想 6 人物 6.1 名前 6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー 7 死因また健康について 7.1 聴覚障害について 8 親族 9 弟子 10 代表作 10.1 交響曲(全9曲) 10.2 管弦楽曲 10.3 協奏曲、協奏的作品 10.4 室内楽曲 10.5 ピアノ曲 10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 10.7 宗教曲 10.8 歌曲 11 著作 12 伝記 13 脚注 14 参考文献 15 関連項目 16 外部リンク 16.1 録音ファイル 16.2 伝記 生涯 ベートーヴェン(1803年) 1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。 1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。 1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。 20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。 1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。 40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。 1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。 作風 初期 作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。 中期 1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。 中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。 これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。 後期 1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。 後世の音楽家への影響と評価 ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。 ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。 中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。 一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。 芸術観 同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。 ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。 思想 ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。 また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。 政治思想的には自由主義者であり、リベラル進歩的政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。 その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。 人物 身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。 基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。 当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。 潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。 性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。 師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。 パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。 テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。 交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。 聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。 死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。 これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。 メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。 彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。 パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。 コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。 名前 原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。 日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。 姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。 vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。 偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。 ベートーヴェンフリーメイソンリー 詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照 死因また健康について 慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。 ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。 1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。 聴覚障害について 難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。 耳硬化症説 伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。 又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。 先天性梅毒説 「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。 鉛中毒説 上載の死因また健康についてを参照。 メッテルニヒ政権説 ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。 有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。 デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。 完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。 親族 祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版) フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。 祖母:マリア・ヨゼファ 父:ヨハン 母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。 弟:カスパール・アントンカール 甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。 弟:ニコラウス・ヨーハン 同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。 弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。 弟子 カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。 フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。 ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。 ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。 アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。 代表作 詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照 交響曲(全9曲) 第1番 ハ長調 op.21 第2番 ニ長調 op.36 第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13] 第4番 変ロ長調 op.60 第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13] 第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12] 第7番 イ長調 op.92 第8番 ヘ長調 op.93 第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13] 管弦楽曲 『レオノーレ』序曲第1番 op.138 『レオノーレ』序曲第3番 op.72b 序曲『コリオラン』ハ短調 op.62 交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91 『命名祝日』序曲 op.115 『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113 『献堂式』序曲 ハ長調op.124 協奏曲、協奏的作品 ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12] ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61 ロマンス第1番 ト長調 op.40 ロマンス第2番 ヘ長調 op.50 三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56 合唱幻想曲 ハ短調 op.80 室内楽曲 弦楽四重奏曲(全16曲) 第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1 第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2 第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3 第10番 変ホ長調(ハープ) op.74 第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95 第12番 変ホ長調 op.127 第13番 変ロ長調 op.130 大フーガ 変ロ長調 op.133 第14番 嬰ハ短調 op.131 第15番 イ短調 op.132 第16番 ヘ長調 op.135 弦楽五重奏曲 (全3曲) ヴァイオリンソナタ(全10曲) 第5番 ヘ長調 『春』 op.24 第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47 チェロソナタ(全5曲) ピアノ三重奏曲(全7曲) 第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1 第7番 変ロ長調『大公』 op.97 その他の室内楽曲 ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17 六重奏曲 op.81b 七重奏曲 変ホ長調 op.20 管楽八重奏曲 op.103 ピアノ曲 ピアノソナタ(全32曲)   第8番 ハ短調『悲愴』 op.13 第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13] 第15番 ニ長調 『田園』 第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2 第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53 第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13] 第26番 変ホ長調『告別』 op.81a 第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106 第30番 ホ長調 op.109 第31番 変イ長調 op.110 第32番 ハ短調 op.111 その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等) 創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34 創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35 『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78 『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80 創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76 ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120 アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57 幻想曲 op.77 ポロネーズ ハ長調 op.89 7つのバガテル op.33 11の新しいバガテル op.119 6つのバガテル op.126 バガテル『エリーゼのために』 WoO.59 本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 歌劇『フィデリオ』 op.72c 劇付随音楽『エグモント』op.84 劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113 バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43 オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85 カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112 別れの歌 皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87 宗教曲 ミサ曲 ハ長調 op.86 ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]  修道僧の歌 歌曲 アデライーデ op.46 汝を愛す 鶉の鳴き声 新しい愛、新しい生 口づけ 追憶 懺悔の歌 モルモット(旅芸人) 連作歌曲集『遥かなる恋人に寄す』 op.98 曇りのち、快晴 著作 『ベートホーヴェンの手紙』 外山楢夫訳、新しき村出版部、1926年。 『ベートーヷンの手紙』 中西武夫訳、啓明社、1928年。 『ベートーヷン書翰集』 中西武夫訳、啓明社、1930年。 『ベートーヴェンの手紙』第1編、鈴木賢之進訳、音楽世界社〈楽聖書簡叢書〉、1936年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫 2579-2581〉、1940年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎選訳、岩波書店岩波文庫〉、1950年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫〉、1957年、改訂増補版。 - 附:

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

Ludwig van Beethoven

Beethoven.jpg

基本情報

別名 楽聖

生誕 1770年12月16日

出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン

死没 1827年3月26日(56歳没)

オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン

ジャンル 古典派音楽

活動期間 1792 - 1827

ベートーヴェンのサイン

ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。

目次 [非表示]

1 生涯

2 作風

2.1 初期

2.2 中期

2.3 後期

3 後世の音楽家への影響と評価

4 芸術観

5 思想

6 人物

6.1 名前

6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー

7 死因また健康について

7.1 聴覚障害について

8 親族

9 弟子

10 代表作

10.1 交響曲(全9曲)

10.2 管弦楽曲

10.3 協奏曲、協奏的作品

10.4 室内楽曲

10.5 ピアノ曲

10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

10.7 宗教曲

10.8 歌曲

11 著作

12 伝記

13 脚注

14 参考文献

15 関連項目

16 外部リンク

16.1 録音ファイル

16.2 伝記

生涯

ベートーヴェン(1803年)

1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。

40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。

作風

初期

作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。

中期

1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。

中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。

これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。

後期

1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。

後世の音楽家への影響と評価

ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。

中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。

芸術観

同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。

ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。

思想

ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。

また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。

政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。

その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。

人物

身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。

基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。

当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。

潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。

性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。

ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。

パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。

テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。

交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。

聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。

死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。

これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。

メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。

彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。

パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。

コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。

名前

原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。

日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。

姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。

vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。

偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。

ベートーヴェンフリーメイソンリー

詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照

死因また健康について

慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。

ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。

1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。

聴覚障害について

難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。

耳硬化症説

伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。

又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。

先天性梅毒説

「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。

鉛中毒説

上載の死因また健康についてを参照。

メッテルニヒ政権説

ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。

有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。

デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。

完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。

親族

祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版)

フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。

祖母:マリア・ヨゼファ

父:ヨハン

母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。

弟:カスパール・アントンカール

甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。

弟:ニコラウス・ヨーハン

同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。

カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。

弟子

カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。

フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。

ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。

ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。

アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。

代表作

詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照

交響曲(全9曲)

第1番 ハ長調 op.21

第2番 ニ長調 op.36

第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]

第4番 変ロ長調 op.60

第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]

第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]

第7番 イ長調 op.92

第8番 ヘ長調 op.93

第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]

管弦楽曲

『レオノーレ』序曲第1番 op.138

『レオノーレ』序曲第3番 op.72b

序曲『コリオラン』ハ短調 op.62

交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91

『命名祝日』序曲 op.115

『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113

『献堂式』序曲 ハ長調op.124

協奏曲、協奏的作品

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61

ロマンス第1番 ト長調 op.40

ロマンス第2番 ヘ長調 op.50

三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56

合唱幻想曲 ハ短調 op.80

室内楽曲

弦楽四重奏曲(全16曲)

第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1

第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2

第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3

第10番 変ホ長調(ハープ) op.74

第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95

第12番 変ホ長調 op.127

第13番 変ロ長調 op.130

大フーガ 変ロ長調 op.133

第14番 嬰ハ短調 op.131

第15番 イ短調 op.132

第16番 ヘ長調 op.135

弦楽五重奏曲 (全3曲)

ヴァイオリンソナタ(全10曲)

第5番 ヘ長調 『春』 op.24

第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47

チェロソナタ(全5曲)

ピアノ三重奏曲(全7曲)

第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1

第7番 変ロ長調『大公』 op.97

その他の室内楽曲

ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17

六重奏曲 op.81b

七重奏曲 変ホ長調 op.20

管楽八重奏曲 op.103

ピアノ曲

ピアノソナタ(全32曲)  

第8番 ハ短調『悲愴』 op.13

第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13]

第15番 ニ長調 『田園』

第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2

第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53

第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]

第26番 変ホ長調『告別』 op.81a

第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106

第30番 ホ長調 op.109

第31番 変イ長調 op.110

第32番 ハ短調 op.111

その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)

創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34

創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35

『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78

ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79

創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80

創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76

ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120

アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57

幻想曲 op.77

ポロネーズ ハ長調 op.89

7つのバガテル op.33

11の新しいバガテル op.119

6つのバガテル op.126

バガテル『エリーゼのために』 WoO.59

本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。

オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

歌劇『フィデリオ』 op.72c

劇付随音楽『エグモント』op.84

劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113

バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43

オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85

カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112

別れの歌

皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87

宗教曲

ミサ曲 ハ長調 op.86

ミサ・ソレムニス ニ長調 [12] 

修道僧の歌

歌曲

アデライーデ op.46

汝を愛す

鶉の鳴き声

新しい愛、新しい生

口づけ

追憶

懺悔の歌

モルモット このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2017-12-19

anond:20171219091156

仕事上で主従関係のある相手シティホテルに誘ったって、セクハラパワハラだけどね。

性的な魅力を全面に使ってものし上がりたい人がいっぱいいて、それで仕事取れればOKっていう世界にいる人は、根本的に感覚が違うと思うよ。

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