はてなキーワード: 主従関係とは
いや夫の軽い言い方以外に意味はないし、原義に戻るにしても「お布施をする人」だぞ?
「あなたの言う男とは『生きる意味のない下等生物』という意味です。あなたは『男』という言葉をこの記事で何度も吐きました。下劣な人間ですね。」
って言われて納得できるの?
秋にやってた「異世界迷宮でハーレムを」って糞アニメ(褒め言葉)があって、まあ、とにかくエロ描写にこだわりました、以上終了、みたいな感じで本当に内容がない上に、キービジュに出てきたハーレム構成員はずーっとでてこず、最終回エンディングで一気にメンバー揃えて、主人公が「よーし、みんなまとめてかかってこーい♡」というすごい作品なのだけど、あれを見返してて、ふと思った。
一般的にハーレムものって主人側に感情移入してこそ成立するもので、ハーレム構成員側に感情移入すると普通に考えたら辛いじゃん。
好きな相手を独占できないし、他の女といちゃついてるとこなんか見たくないし、でもそこまで好きではない男とドライに「主従関係です、ここでのし上がるためにお手つきいただかないとダメなんです
」なんてやってたら興ざめでもある。いわゆる正室のメンタルを安定させる拠り所って「女の中では私が一番格上で他はクソザコ」って認知なんだけど、メインヒロインがそんな性格だと厳しい。
で、最近のキモいアニメファンとしては竿役の男より美少女に感情移入してしまうじゃん。なんか、負けヒロインの処遇みたいなところを真顔で考えてしまう。前世代のエロアニメファンは欲望のままに美少女をオナホ扱いしてればよかったが、最近はなんかそうはいかなくなってる。ポリコレよりもっと違う理由でそうなってる。
ハーレム構成員同士の人間関係が出てくると当然ドロドロになるし、そんなのは見たくない。(School daysじゃないんだから)
ストレスなくエロだけやるという観点では「ハーレムやりますよ」という体裁で、実際には正ヒロインとのイチャイチャに尺を取るというのは結果的に正しかったと思った。
もうハーレムエロアニメは「不徳のギルド」みたいなコメディにするしか成立しないんじゃないだろうかね。あれをハーレムっていったら主人公ブチギレそうだけど。
単純に面白さが足りてない。
アニメ版の丁寧な面白さがなく、ただその場その場のアイディアが羅列されているだけ。
作者なりの知識が作中で生かされている感じも少なく、ただ「ロックをする女の子達の4コマ」以上のモノになってない。
言ってしまえば「バズらないツイッター漫画」ぐらいのレベルで終わり。
事あるごとにぼっちちゃんの胸を強調するような絵や、それに対して他のキャラがいちいち嫉妬しているのもオッサン臭さが強くて無理。
アニメで一部のストーリーが順番を組み替えられているけど、たしかに原作で読むと全体的にチグハグで流れがあまりよくない。
アニメの良い所はぼっちとそれぞれのキャラとの関係性、音楽や青春との関わり方がいい意味で場面ごとに切り分けられて描写されていること。
ペルソナシリーズのコミュのように、今進めている物語がどの部分との関係性が進展しているシーンなのかが非常に分かりやすい。
基本的に一度に大きく関係が進むキャラや状況とは1vs1になれるように世界が融通を効かせてくれている感じがする。
原作だと4コマかつ月ごとの話数が少ない中でなんとか話を進めようと必死になりすぎてしまっていて、今何の話しをしているのかが強調しきれていない。
なによりギャグ漫画であることに意識を引っ張られすぎて必死にオチをつけようつけようとしてしまっていて物語への意識が散漫になりがちだ。
アニメ版では物語を展開しつつ随所の描写の仕方を工夫することでテンポよくギャグを挟むことが出来ている。
これはそもそも青春ロックアニメと4コマギャグ漫画というジャンルの違いによって発生しているのだから仕方ないと言えば仕方ない。
ランチパックの◯◯味に対して、「惣菜パンの形に固執してしまっていて◯◯の良さが消されている」と感じるような状態であり、ぶっちゃけこっちこそがズレている悪なんだろう。
でも自分は名作アニメに対しての原作として高まった期待をぶつけてしまったのでその差に振り回されてこんな事を書いてしまった。
反省している。
ぼっち・ざ・ろっくの原作はアニメと比べれば面白さの密度や創作的な工夫は足りていないが、「承認欲求の強い巨乳のコミュ障がロックをする話」を淡々と読み進める分には密度で圧倒的にまさる。
アイディア先行で肉付けが足りていないが、それは見方を変えれば骨子だけを素早く読み進められているということだ。
ある種の逆転現象によりアニメ版のファスト映画バージョンのようになっているわけである。
それはファスト映画や5分要約には絶対にないもの、純然たる「作者の書きたかった要素だけを抜き出したもの」となる。
ぼっち・ざ・ろっく原作は単純な評価としてはアニメより劣るが「巨乳の陰キャがチヤホヤされる様子を描きたい」という欲望を摂取することの効率においてはアニメとは段違いの強さを持つ。
だが自分はその濃度に耐えられなかった。
それだけの話しのようだな。
自分で書いてるうちになんとなく分かってきた。
平等とか対等な関係で夫婦生活上手くいってるってやつ一人も知らないわ
もちろん新婚は別だぞ
実際問題として、お前ら夫婦で男女平等、対等な関係築いて幸せに生活してますってやついないだろ
だから、主従関係を作れる相手としかその後は付き合ってこなかった
対立していがみ合ってるみたいな時間、交際において本当無駄だからな
だから男女平等訴えてるやつみたら、こいつ男女関係でまともに良好な付き合い出来てないんだなって無視することにしてる
ここだけはマジで徹底しようぜ
そもそも上下主従関係にない相手に対する暴言ってパワハラなのか?
勿論暴言はそれはそれでよくないと思うけれど、「パワハラ」かというと何か違う気がする
例えばゼレンスキーがプーチンに対して「ぶっ殺してやる」と言ったらそれはパワハラなのか?
https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/foundation/definition/about
このサイトだと、
「職場のパワーハラスメントとは、職場において行われる①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの3つの要素を全て満たすものをいいます」
女子プロゴルファーの大西葵とそのキャディーがアース・モンダミンカップで起こした騒動が連日ニュースになっている。
先日の報道では女子プロゴルフ協会が喧嘩両成敗的な処分を下したが、それについての大西葵プロが公開した謝罪文は全く反省の色が見えず「私は悪くないけど変なキャディーを雇っちゃったことは反省しています」といった自己愛、自己憐憫に満ちた内容だったことでさらに炎上しているようだ。
そもそもこの騒動、YouTubeでも当時の動画が公開されているがキレて騒いでいるのはどちらかというと大西葵プロの方で、キャディーはそれをなだめているように見受けられる。もちろんこれは騒動の中のほんの一部だろうしこれだけで判断することはできないが、それでも大西葵プロに全く非がないと思う人は少ないだろう。
これだけ連日騒がれるような騒動を起こしておいて今尚、自分は悪くないといったスタンスを発信し続ける大西葵プロは特殊な人間なのだろうか。いや、そうではないと思う。
男女の格差が未だ著しい日本では日々ジェンダーフリーが叫ばれている。確かに日本女性の地位向上は重要な課題だろう。しかし格差の是正を急ぐあまり、それはときに女性に厳しく接することをも制限してしまっているのではないか。
ルックスがよく、人気もある貴重な女子プロゴルファーを失いたくない協会は、角が立たないよう所属プロの問題行動を諌めることなく喧嘩両成敗的な処分を下した。この調子だと個別の事情聴取でも彼女の行動を強く咎めるようなことはしなかったのだろう。結果として大西葵プロは「自分には問題はなかったのにキャディーのせいで処分を受けた」と本気で思い込み、前述の常軌を逸した謝罪文の公開に至ったとしても不思議ではない。
社会的にも女子プロというのは貴重な存在だ。その分野の第一線で活躍している女性がいるということはイメージアップにもつながる。それはとても良いことだ。しかしそのために男性を蔑ろにすることははたして正しいのだろうか。
今回の騒動、最初の報道はそれは酷いものだった。「キャディーが暴言を吐いて職務を放棄した」という一方的な内容である。可愛そうな女子プロと問題行動を起こした荒くれ者のキャディー。そんなイメージを植え付けるのには十分すぎる偏向報道だった。
この報道のやり方に問題があったのは明確だ。しかしながらその情報を受け取る私達も男と女という性別バイアスによってその情報を精査できていなかったのではないか。
髭モジャの熊みたいな男の横でかわいい女の子が泣いている。悪いのは男に違いない、この男がひどいことをしたに違いない。かわいそうな女の子。男を許すな。みんなで叩け。
キャディーだった「男性」はプロゴルファーの「女性」に対して強く当たったはず、というジェンダーバイアスを通してこの報道を見ていなかっただろうか。
無意識的に、「悪いのは男性で被害者は女性」という固定観念にとらわれてはいなかっただろうか。これは裏を返せば「男性が強く女性は弱い」という価値観の表れでもある。しかし実際には女性である大西葵プロが雇用主、男性キャディーは被雇用者という主従関係で、この騒動の際にその場で大西葵プロがキャディーを解雇したことからもその力関係は明白だ。
正直、すべてのマスコミにジェンダーバイアスの是正を求めるのは無理だと思う。地上波TVならともかく、スポーツ新聞や週刊誌のモラルが高まる日が来るとは思えないしそれらのコアユーザーもそんなことは求めていないだろう。
しかしいつまでも「女性だからきっとこうに違いない」「男性だからこうでなくてはならない」といったような固定観念を捨てられなければ日本では性差問題が解決する日は来ない。
物流会社の事務員なんだけど会社がRPAツールを導入するってんで定型作業を自動化しろって話しでRPAプログラミングをやらされてたんだわ。
1、実務の合間にやらないといけない
現場がクソ忙しい時に悠長にデバッグとかやってられん。あとデバッグみたいな作業は見た目何もしていないように見えるからここぞとばかりに仕事振られたりする。
2、本番環境とか開発環境とかない。ぶっつけ本番で稼働→失敗→デバッグを繰り返さないといけない。
これは自動化する仕事によると思うんだけど、実際に現場で使うデータをRPAプログラムに投入しないとそもそも要件がわからないことがある。データの特性というか、物流事務なんかだと8割がシステム化されているけど2割は荷主や配送先のわがままで特徴的なデータの不備があって、それに対応するのが事務屋の仕事なんだけど、そういう面倒な作業を自動化しろとか言ってくる。そもそもRPAなんてシステム化のスコープ外の面倒な事務を(金をかけずに)自動化することが目的だから当たり前なんだが。
そうすると要件の洗い出しとかできない。ベテランのオペレーターにはそういうの全部頭に入ってるからマニュアルとか作ってないことが多い。実際新人に教えるときもぶっつけでやらせてわかんなかったら聞けみたいな世界だし。
3、(2)みたいな事象があるからソースコードがぐちゃぐちゃになる。ぶっつけ本番でプレッシャーがある中実行してその場凌ぎの改修して保守性皆無
RPAツールってWindowsのUIをいじって業務を行うプログラムを作るんだけど、結局今どの画面を開いているのかとか、どのエラーが出ているのかとかプログラム上で管理できない。既存のソフトウェアUIがたまたま運良くRPAツールと相性が良ければいいけどそうじゃなければめちゃくちゃやりづらい。特にIBMのPCOMMとかはツールとの相性が悪くて地獄だった。
書かなくてもわかると思うけど、業務で操作するソフトのUIが変わった瞬間にそのRPAプログラムはゴミになる。
(4)に関係するんだけど、RPAプログラムが立ち上がった時のパソコンの状態によって処理速度にムラがあるので、プログラム上このステップまで進んだらウィンドウはこの状態にあるだろうと仮定してプログラムを作ったところ、実際100回のうち99回はそうなんだけど、1回だけ処理がもたついてその状態にならなかったからバグって処理が停止する。みたいなことがある。
もちろんツールではウィンドウが操作可能になるまで待機、みたいなのはあるけど操作可能、全面にある、みたいな粗い粒度でしか状態管理できない。
7、こう言うのをちょっとパソコン得意とかEXCEL VBA かけますみたいなやつにやらせることの矛盾
うまくいくわけない。(4)(6)のところでウィンドウの状態管理とそれに起因するバグについて書いたけど、こういう時RPA担当は一般のプログラミング言語でいうsleepで職人芸的に時間調整するんだぜ?こんなのもう(3Dリアルタイム)ロボットプログラミングでしょ。
結論を言うと2022年の馬鹿みたいに複雑化した物流の事務(そしてそれは主に荷主と物流会社の主従関係によるわがままに起因しているのだが)をRPA化するのは無理だしもうやりたくないね。
昨晩鬼滅のアニメ遊郭編最終話を観て、自分は原作未読なので内容にけっこう衝撃を受けて他の人の感想を見るためTwitterを開いたら内容そっちのけで新CVの話題で持ち切り、声優の名前がトレンド入りしてた。
おそらくほとんどの人が既に原作を読んでいて展開を知っているとはいえあんなストーリーを見せられてまず出てくる感想が声優なのかぁ…と若干がっかりした。
アニメじゃなくて洋画でも感想を見たくてタイトル名で検索したら「ゴーンガールも面白かったしロザムンドパイクの選ぶ脚本に外れなし!」ってツイートばっかで、「いやその映画観てないし鑑賞中はそのキャラはそのキャラであってあんまり誰が演技してるとか意識しないしなあ…」と思った。
以前松重豊さんがテレビで「観客は面白い話を見に来ているのであって、自分の演技を見に来ているなんて思うのはおこがましいのかもしれませんね」という趣旨のことを言っていて私もその感覚に近い。俳優や声優は架空のキャラを現実世界に出現させるための依代のようなものであってほしい。
私がやっているオンラインゲームでも親友キャラ同士の声優に実際に仲がいいらしい二人を使ったり、元ネタが共通するドラマで吹き替えをやった声優をキャスティングしたりといったメタネタが割と多くて、声オタじゃないので「はぁそうですか…」という感想しか出てこないんだけど皆は喜んでるし声優の話で盛り上がってる。
昨今のコンテンツってそういう「知らなくても楽しめるけど知っているとニヤっとできる」要素がコンテンツの隠し味じゃなくて主要な売りのひとつとして作り手側にも消費者側にも求められてる気がする。まず作品があっての演者という主従関係は逆転してほしくないし、皆もっと現実世界を離れて作品内で完結した要素で構成された感想書けばいいのに…と思う。