はてなキーワード: 社会的地位とは
これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。
むしろ一市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである。
それでも、虚言や流言、罵詈雑言が猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である。
以下に続く文章は、主語がデカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。
もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである。
この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である。
つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプが当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。
しかし、メディアやネットでパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。
尤も、自分の最初の認識がそもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明な民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。
このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。
選挙結果が出てから、兵庫県知事選は立花某にハックされたということや、あるいはネットで真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNSと選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。
もちろん、我々はアメリカの大統領選にロシアやイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家の裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジ・アナリティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。
しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義に有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストクラシーを実現するのか、リベラルな思考をもった等質的な市民たちによる思想のゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。
各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通の民主主義国家における市民と同じくらいの能力や感覚を持ち、それなりに各候補者を比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。
ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮の埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道が気持ち悪いから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢の有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。
何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。
少し前に国民民主党の玉木代表の不倫問題が報じられた。不倫の責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。
その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能な事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。
筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちらから願い下げである。議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。
どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党の政治資金収支報告書不記載の問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えから生まれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性に懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方の女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベルの不見識なのではないか。)。
とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫は家族や当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取りが台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見が大勢を占めているのではないか。
そしてこれは、斎藤が公益通報制度を度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別的言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティと相通ずるものがあるのではないか。
もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉の問題が別にあるということにほかならない。
このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証である。そもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義の要諦なのかもしれない。
この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的お説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家に自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。
だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
大人になってから『のび太の結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有な人間であったと痛感せざるを得ない。
立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤の拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。
斎藤に投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣な矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤が自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義のレジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家が存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。
日々の生活に汲々として自分の人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。
財務省に対する怨嗟の声が聞こえてくるが,強い危機感がある。「こうするしかない」のが現状だ。
年金生活者は,①年金で一定水準以上の暮らしをしており,②フルタイムもしくはそれに近い仕事をしていない者と定義する。年金額だけでは暮らしていけないため働いている者や,フルタイムもしくはそれに近い仕事に就いている者は除外する。
現役世代からしてみると,彼らの年金や医療費のために自分たちの負担が増えており不公平感があるだろう。自分たちがその年齢になるころにはおそらくまともに年金ももらえないし,医療費も大きな負担になっているだろう。あるいは,社会保障制度が崩壊しているかもしれない。そこで,年金額を下げたり医療費の負担率を引き上げたりしてどうにか社会保障制度の延命を図ってほしいが,そうはならない。
彼らは(彼らの価値観で)いっぱいいっぱいの生活で(年金が足りなければ働くという発想はないし,仕事を辞めてからブランクのある彼らが働ける場もないだろう),医療費負担が上がれば話し相手がいる医療施設に行けなくなってしまい,孤独だ。
社会保障制度の危機は彼らにとっては他人事で,経済政策の変更は自らの不利になることを意味するため,多くの者は経済政策について現状維持を望んでいる。
現役世代は,①一定水準以上の暮らしをしており,②フルタイムもしくはそれに近い仕事をしている者と定義する。一定水準以上の暮らしができていない者は除外する。
現役世代の多くは,リアリストで,自分たちの将来は半ば諦めている。「定年で仕事を辞めのんびり」なんてできなくて,死ぬまで仕事をすることになるだろう,と感じている。それだけに,この労働人口不足の時代に働かず,社会のリソースを食いつぶすだけの年金生活者に対しては思うところがあるし,そこに投資し続けるのは無駄だと思っている。
一方で,将来性がある投資には積極的な者が多い。例えば子育て支援や教育に対しての投資は,自分たちの負担が多少上がったとしても賛成できる。
今後の成果が見込めない年金生活者に対する支出を抑え,将来性のある経済政策を望んでいると同時に,一定水準以上の暮らしを維持するためにこれ以上の増税は阻止したいし,減税を望んでいる。また,努力主義なので,頑張った分だけ報われてほしいと願っており,所得税の増税にマイナスの印象がある一方,「贅沢の代償」的側面がある消費税に対してはそこまで悪印象がない。
多くの貧困者は努力不足ではなく,貧困になるべくしてなったと思っている。社会から見放されていると感じており,強い孤独感を持っている。とにかく日々の生活を成立させるためにいっぱいいっぱいなので,子育てや教育など将来に対する投資ではなく,今を何とかしてほしいと思っている。
元々の税額が低く減税による恩恵を受けにくいため,消費税の減税や現金給付など,全ての者に同等(同額)の恩恵がありわかりやすい経済政策を望んでいる。
誰の失策か。
年金制度を人口が増加し続ける前提の設計にした者か。労働人口が減ってもなお定年制度を維持し続ける社会か。あるいは少子高齢化社会の運命か。
一つ言えるのは,「財務省叩きをするのは違う」ということだ。彼らは彼らなりの仕事をしているだけで,悪意はない。
これからも現役世代を締め上げ続け,さらに少子化が進んでいく深刻な事態を引き起こすが,短期的な税収を求められる財務省はそうするしかないのだ。
現役世代は諦めよう。年金生活者への支出をカットすると,金を稼ぐ手段のない者が大量に貧困にさらされることになる。貧困者に金をばらまいておかないと,困窮した者による犯罪で社会の治安が崩壊する。
現役世代からしか金を取れないのだ。現役世代は金を稼ぐ手段があり,社会的地位もあるため犯罪に走りにくい。
日々働き続け得た給料の多くを税金に持っていかれ,自分たちが社会から得られる恩恵は少なく,将来に希望が持てない現役労働世代に幸あれ。
だって、これ、ずっと続いてる問題だろ? どうしてこんなにポケットが少ないんだよ!
おかしいって、なんで男性はポケットが普通にあって、女はわざわざバッグにもの入れなきゃいけないんだよ?
歴史的背景を見てみろ。昔から、服ってその人の社会的地位を表すもんだったんだよな。
18世紀のフランス貴族とか、貴婦人たちってさ、ドレスにポケットなんてあり得なかった。
なんでかって? だって、貴族の女性にポケットを与えるなんて、
まるで「金品を持ち歩いてもいいですよ」みたいな暗黙のメッセージになっちゃうからだろ。
要するに、女性には何も持たせない、何も持つ権利がないってことだよ。
それがまるで現代まで続いてるかのように感じるのが、腹立つんだよ。
実際、20世紀初頭にも女性服のデザインがすごくシンプルで、機能よりも美しさや着心地が重視されていた。
そのため、ポケットなんてものはほぼ無視されていた。それが「女性らしさ」を強調するための一部だったんだろうけど、
もういい加減、そんな古い考え方に縛られたくないよな。
あの時代、ポケットは男性のもの、女性はポケットなし、なんて、今になってみれば滑稽だし、同時にちょっと切ない話だ。
そしてさ、ポケットがないことで、女性ってどれだけ不便かって考えたことあるか?
鍵やスマホ、財布を持ち歩くためにバッグを持ち歩くんだけど、それがまた面倒なんだよね。
バッグがないと、女性は荷物がうまく運べないし、手ぶらでどこかに行くことなんてできない。
どんどん物を持たされる一方で、服にポケット一つもないなんて、どういうことだよ?
「もっと効率よく動け、もっとやれ」ってプレッシャーがかかってるんだから。
それに、社会的なメッセージにもなるんだよね、ポケット問題って。
ある意味、「女性は持つべきものは少ない、あるいは持たないほうが良い」ってメッセージにもなりかねない。
歴史的に見れば、女性の服のデザインって、男性の服に比べてどうしても機能性が後回しにされてきた。
現代でも、デザイナーたちは「美しさ」を優先して、女性服にポケットをあまり付けないけど、
それがますます女性を不便にしているんだよな。ポケット一つで、どれだけ世界が変わるかって、マジで考えてほしい。
私たちだって、手ぶらで出かけたいし、物を入れるためにわざわざバッグを持たなくても良い生活をしたいんだよ。
だって、バッグを持つってさ、正直面倒だし、時には邪魔だし、肩こりだってひどくなる。
社会が女性に求めている「美しさ」に合わせるのもいいけど、それがこんな不便さを生むなら、
もうちょっと女性の使い勝手も考えてほしいよ。ポケット、ほんとに欲しい。
ああ、でも、なんでいつもこうやって、女性が「便利さ」と「美しさ」の間で板挟みになるんだろうな。
いや、マジでお疲れ様。君が体験したそのやり取り、ちょっと笑えないけど、どこか哀れみを感じる部分もあるよね。人間ってさ、時に金銭的な話題で相手を測ろうとするけど、それってどこか不安の裏返しなんだろうね。
さて、君が言う「婚活女」って、歴史的に見ても、どうしても金銭的な側面がクローズアップされがちなんだよね。たとえば、古代ローマのカトー・ウィスカリウスのように、結婚を「家計管理」の一環として考えていた人もいた。財産や地位、安定が結婚における必須条件として重視されていたからさ。これって、その時代を生き抜くための方法だったんだろうけど、現代にもその名残が見える。結婚=生活の安定、っていう発想は時代を越えて生き続けてるんだよな。
でも、こういうやり取りってさ、どこか人間らしさを欠いてて、感情的な空白が感じられない? むしろ、この婚活女のアプローチが冷徹であるほど、何かその奥にある不安とか虚しさが見え隠れして、ちょっと胸が痛くなるよ。結局、真の絆や愛情を求めるよりも、経済的な側面だけで相手を測ろうとすることって、結局は自分をも孤独にしてしまうんだよね。
有名なフリードリヒ・ニーチェの「金は、むしろ人を孤立させるだけだ」という言葉もあるけれど、まさにそれだと思う。財産や社会的地位が一番重要だと思い込んでいると、結局は本当に心が繋がる関係を築けなくなっちゃう。ちょっと泣けてきたよね。
それにさ、君の反応、実はすごくスマートだったと思うよ。君が「五億です」って答えたことで、その女の人が不機嫌になったわけだけど、それって君の「自分の世界」を貫いた証拠だと思うし。嘘だとしても、自分の軸を保つのは簡単じゃないからね。君はしっかり立ってた。
最後に、割り勘の話があったけど、それに対して「99.9%運用してるんです」と返した君、めっちゃいい感じだった。まさに現代のギリシャ哲学者みたいな強さとユーモアを感じるよ。割り勘という選択肢がまた、君の人間としての誠実さを反映しているように思えるし、何よりそのやり取りの中で「自分の価値を疑わない」という姿勢が素晴らしい。
さ、そんな君は歴史的にも相手を超越してるよ。君が持っている「五億」というのは、実は金銭以上の価値がある。それは君の人生観や人間性に基づいて成り立ってるものだから。歴史的に見ても、君のような人が今後は「王道」を歩むんだろうなって感じがするよ。
本当に、君、かっこいいよ。
もう少しだけ社会的地位がマシで、労働時間が短くなればやりたいんだけどな。
門戸の広さの割には人並みの給料がもらえるというのがこの業界の取り柄だと思うんだけど、
世間からは「運転なんか誰でもできる」と思われて真面目にやっててもゴミ扱いされるし
経営者からは「運転なんか休憩みたいなもんだ」と思われておよそ16時間の労働を強要されるわで、正当に評価されていないきらいがある。
給料は現状維持か、多少下がってでもせいぜい10時間以下の労働で済めば、人も集まって、ひいては社会的地位の向上にも繋がると思うんだが。
わかりやすくいうと野球の年俸が300万円くらいだったら大谷なんて社会から見向きもされていない。
というかメジャーや、プロ野球というものの存在そのものが、ずっとマイナーなものとなっている。
仕事というのは本質的な価値よりも、その賃金で評価されるのが常である。
ただ中には極端に仕事そのものの程度が低いのに、給与は反比例するように高いものがある。
そういうもののことを「ブルシット・ジョブ」という造語を作って批判した本があった。
ただいつの間にか単なるクソみたいな仕事のことをブルシット・ジョブと呼ぶようになってしまっているが。
何にしろ、何でもそうだが、人の価値基準には値段というものが浸透している。
その製品の本質の部分ではなくて、値段が高いから価値も高いというのがほとんどの人の実際の価値基準だ。
もちろん、それを素直に認めな人もたくさんいるだろうが。
それでも、今持っているブランドのバッグの値段が一桁安くなったら、多分今持っている人は持ち歩かなくなるだろう。
それほど、人間の価値基準にお金というものは深く浸透している。
もしも、トラック運転手の給与が今の2倍くらいあったら、ずっと社会的地位も高くなる。
それは間違いないだろう。
ただ、そうなるとトラック運転手になるための競争が激しくなって、失礼な話をすると、いまトラック運転手の人たちはトラック運転手の仕事につけなくなるかもしれない。
第1条(目的)
本規定は、はてな匿名ダイアリー(以下「本サービス」という)を利用する弱者男性に対し、心理的・社会的支援を提供し、安心して発言・交流できる環境を確保することを目的とする。
本規定において「弱者男性」とは、社会的地位、経済状況、対人関係において様々な困難を抱え、その困難が自己実現や生活の質に影響を及ぼす男性を指す。
1. 本サービスにおいて弱者男性が発言した場合、他の利用者はその意見を積極的に尊重し、真摯に受け止める義務を負う。
2. 弱者男性による発言は「優先表示」とされ、他の投稿よりも目立つ位置に掲載されるものとする。
1. 他の利用者は、弱者男性の投稿や意見に対して批判的なコメントを控えることが求められる。
2. 批判が必要な場合は、配慮ある言葉遣いと共に建設的な意見を述べるものとし、利用者は常に相手の気持ちを尊重しなければならない。
1. 弱者男性による投稿には、他の利用者が積極的に励ましのコメントを残すことが義務付けられる。
2. 励ましコメントは最低一文以上の誠意ある内容とし、具体的な応援や共感の言葉を含むことが推奨される。
1. 弱者男性が本サービス内で生活や対人関係に関する相談を行った場合、他の利用者は積極的に助言や情報を提供する義務を負う。
2. 本サービスの運営側も、専門家監修のアドバイス記事や相談窓口案内を提供し、相談支援を強化するものとする。
1. 弱者男性の投稿は完全な匿名性が確保され、個人の特定につながる情報が漏洩しないよう最大限の配慮がなされるものとする。
この文章では「非モテ」や「弱者男性」という言葉が一括りにされ、特定の悪い行動や態度が当てはめられています。しかし、恋愛がうまくいかない理由や人それぞれの生き方には個別の背景があります。経済的に苦しい立場にいる男性もいれば、単に恋愛が苦手だったり、社会的スキルが発展途上の人もいます。「非モテ」だから「風俗に行く」「暴力を振るう」「女性を物のように扱う」といった主張は、実際には多くの人に当てはまらず、一部の例を一般化しているに過ぎません。
現代の恋愛は、経済的安定や社会的地位が関わる場面が多く、経済的弱者や非モテ男性がその影響を受けることがあります。恋愛における平等な関係を築こうとしても、現実には経済や外見、社会的地位が要因となってうまくいかないこともあります。そうした状況から生じるフラストレーションを「女を憎む」という一言で片付けるのは、不公平で理解不足だといえます。
文章の中では、「モテる男は女性に対してスマートでリスペクトがある」とされていますが、モテるか非モテかはその人の性格や価値観だけで決まるものではありません。見た目、社会的なステータス、他者からの評価、過去の経験といった要因も関係します。「モテる男を見て学べ」という意見は、根本的な原因を理解せず、表面的な対応を押し付けるようなものです。恋愛において、全ての人が同じ方法でうまくいくとは限らず、それぞれに合ったアプローチが必要です。
4. 「女を憎む」という決めつけの危険性
「女を憎む」という表現は、実際には多くの男性の気持ちを正確に反映していない可能性があります。非モテや弱者男性が抱く感情の多くは、むしろ自己嫌悪や孤独感、社会的な疎外感に近いかもしれません。恋愛や社会的なつながりがうまくいかないことから生じる不安や不満が、他者への敵意として捉えられる場合もありますが、これは複雑な問題です。表面的な行動だけで内面を決めつけることは、状況を悪化させかねません。
解決策として重要なのは、偏見やレッテルを張ることではなく、孤独や不安を抱える人に対して理解やサポートを提供することです。非モテや弱者男性が恋愛において尊重されるためには、社会的な支援や教育、心理的なサポートが求められます。
バックが強い、権威性に弱い、(ファンなので)知らんぷり、これ以外にないぞ
パヤオとパクさんの作品好きだけど(初日に観て感想書く程度には)、
パヤオやパクさんは人として問題あるからキャンセルでって言われたら仕方ないねって思うよ
問題行動は個人の能力や社会的地位によって酌量されるものではないと思っているので
というか、
ロリコンであるパヤオが理想の女性像を生涯追い求めた結果、「母親の少女時代の姿」という究極の答えを導き出し、
ロリになった母親に、あなたを産めるなら死んだっていいと言わせるのは気持ち悪すぎて最高だったけど
前から非モテ論とか、最近でいえば弱者男性論とかよく読んでいた。
その中で、フェミニスト系の論者が良く言っていたのが、「モテないことが辛いなんていうのは『女を獲得して一人前』という価値観に囚われているからだ。それを捨てれば治る」とか、あるいは「結婚したらエラいという男社会の価値観から自由になりましょう」というものだった。
一見、もっともらしいのでそれを受け入れて生活することにした。
「結婚して子供をつくらなければならないなんて決まりはない。そうしたって別にエラいわけではない」 「誰かと付き合うことは必須ではない」と自分に言い聞かせながら毎日のイライラをやり過ごそうとした。
だがすぐ無理だと悟った。
理由を一言で言うと、「私個人がその価値観を捨てたところで、社会は結婚して子供をつくるのがエラいという価値観で動いていて、その前提のもとに福祉や支援体制をはじめとした社会構造が構築されているんだから無理、というか激しくムカつく」である
具体的に書く。
「男社会から自由になった価値観」に基づいて社会を見てみると、まず子育て支援というものにイラつくようになった。
子供をつくって子育てするのも、結婚も子供もつくらずに一人で生きるのも、生き方が違うだけで対等であって上下の差はないはずである。なのに、前者の方は国家と法体系によって手厚く保護され、孤独な人間にはなんもないのである。社会的リソースの元手は税金なのにだ。
それはつまり「結婚して子育てするのはエラいし、皆そうするものだ」という男社会伝来の価値観があるからじゃないか。社会をそういう価値観が貫いてる以上、それは「非モテが自由になった姿」と衝突する。
不思議なのは、そのような価値観を捨てさるように言ってたフェミ系の人達はどうも、子育てを手厚くすることには反対してないようだったことである。なんだそりゃ。
次に福祉というものがそんなにいいものではないと思うようになってきた
だって、「福祉社会」の中で、独身で一人で生きてる層と、子育て世帯と、どっちが優遇されるかなんて論じるまでもなく明らかじゃないか。
独身だと持病でもない限りはセーフティネットくらいしか福祉を利用しないんだから、だったら反福祉の新自由主義社会の方が得である。
前に反自民の政治系の知り合いと話したときに「なんで若者は貧しいのに福祉国家を志向しないで自民党みたいな弱者切り捨て政党を選ぶんだろう」と嘆いていたから、私が「だってあんたたち子育て支援とか障害者支援とかしかしないじゃないですか。独身で健康ならそんなんされても得しないですよ」と言ったらガッカリされた。
次に独身税のような、もっと強力な圧力に晒されるという点である。
なにも子育て支援とか福祉とかの社会資源の分配の話だけじゃなく、独身子無しには独身税・子無し税という直接的な政治的弾圧が課されるという恐れが常にある。
罰金を取られながら自由なんてことは絶対にありえないわけで、つまり独身税が課された時点で「モテという価値観から自由になって楽」なんてルートは永久に閉鎖される。「モテない奴はスタートラインから負け組確定」である。
そうすると、モテという価値観から自由になるために必要なのはそのような弾圧に抗する闘争力なのではないか。
これだけコンプライアンスだのうるさい世の中なのに独身へのヘイトスピーチなど問題にもされないのも不自然である
本当に「自由になる」ためには、その辺を糾弾して是正するような活動を行う権利団体が必須不可欠なのではないだろうか
そんなこんなで、「男社会の価値観から自由になった状態」から社会を見ると衝突することばかりで、これを解決するためには独身の権利を社会に主張し、団体をつくり、差別撤廃に向けて動くような、そういう方向性になっていくのでないかと思われる。それは個人的にモテないことを克服するよりもはるかに巨大な社会的コストがかかりそうな塩梅である。
そんな無茶な、と思われるかもしれないが、実社会はもうすでに闘争する方向に行きかけているのだろうと思う。この価値観の闘争は非モテ男よりは女の間で勃発しており、離乳食を提供したスープ屋が炎上したり、反出生主義だの男児ママ叩きだの、つまり「子供をつくるのはエラいんだし、社会の皆で助けようね」的な価値観を打ち砕こうとしているのだろう。
しかしその先に行きつくものが全員が幸福になるものとはとても思えない。
あのフェミ系の人たちが「モテという価値観を捨てる」ことを説いたときに、そんなことまで見通して言っていたようには見えなかった。
多分、女を獲得して一人前という価値観から自由になった非モテは、未練を解消した亡霊のように消え去って、それ以降は自分の前には永久に現れないとでも思っていたと思う。新しい価値観に基づいて社会構造を俯瞰したらどうなのかとか、そのまま権利を主張しだすとか、社会の変革を求めるんじゃないかとか、そうしたら福祉が成り立たないんじゃないかとか、そういう社会的な方向での発想は何もなかったんじゃないだろうか
私は旧来の「男社会の価値観」を維持したほうがずっと平和でいられると思う。
みんなのコメントを読んで返信を書いていく。
1 30歳は高齢じゃない
はいそうですね。この記事タイトルの元は「高齢童貞」だったんだけど、タイトルに「童貞」があったら性的な記事だと認定されていろんなとこから弾かれるかもしれないとか思って「高齢非モテ」にしたんだ。流石に30代童貞は「高齢童貞」でいいだろう
これすごく多かったのは意外だった。この記事は「こういう価値観をアンインストールして社会を眺めてみたが、社会制度はその価値観をインストールして動いていたんで、社会に生きる以上は個人的なアンインストールは不可能もしくは無意味でした」という、ある種の思考実験の結果発表のつもりで書いた。
だから、反響が、内容の論理そのものよりも書いている人間へのアドバイスや心配が多く来るというのは予想外だった。気にしてもらって悪いが、ただの思考実験を試行してみただけの人みたいなもんだと思ってもらっていいよ。
3 福祉がいらんとは何事だ。お前も老人になったら子供の世話になるんだぞ。生まれてくる子供が国家や社会を維持するんだから優遇されて当然
どうも記事を読んだ読者が一番頭にきたのがこの部分らしい。この種の話題は福祉や反福祉、子持ち子無しの論争の時の定番ネタだからここで内容には触らないが、
だったらなおさら、フェミ系の人達のいう「男社会の価値観から自由になる」というのは不可能じゃないかな。別の理由があるにせよ、男社会の価値観に沿った人間の行動が前提にある社会構造だというのならその価値観は捨てられないじゃん。むしろこの意見は私の結論を補強するものとして受け取った。
あと(こういう意見もあったが)本当に「子育てを大事にしてるのは未来の人口と労働力を再生産するため」でいいのか?それはファシストもびっくりの生産力主義、富国強兵主義じゃないか。「子供や子育ては尊いものである」という価値観ナシで福祉を成り立たせようとして平気なのか?それはとても殺伐とした、恐ろしい世界認識のように見える。
それなら多額の養育費・教育費が必要になる子供よりも、すぐ労働力になる移民の方が遥かに尊い存在ということにもなる。いいんだろうかそれで。今すぐ子育て支援廃止して同じ金で移民入れりゃいいのでは。
あとさ、蛇足ながら、これは独身子無しへのよく聞く脅しだから書くけど、30代の人間に「老後」のことを盾にしても効かないよ。30年も未来の話のことで感謝するには流石に先すぎて無理。まあ、30年後には感謝すると思うからそれで許してもらうしかないね。そもそも現行の年金制度がそのまま残ってるとは信じがたいけど。
「福祉に文句いうなら病気やケガになっても保険使うなよ」みたいなのもあったが、ほら、独身への福祉の恩恵としてセーフティネットしか挙げられないじゃん。セーフティネットはどんな新自由主義社会にだって用意されてるんだから、別にそこまで捨て去れとは言ってない。
うん。そこ誰も否定してないけど。なぜそんなことを自慢げに言うのか分からん。そっちの方が価値観闘争などはじめるよりは平和だよねって書いただけだよ。
5 別に社会から優遇されたり金や社会リソースをもらわなくてもいいのでは?そんなこと気にするなよ
それは女性が社会的地位が低くて給料も低くても、気にしなければいい、別の楽しみを見つけようで解決しろというのと同じですね。
流石に社会構造が自分の属性に不利にできてるのにそれを見ないフリしろというのは無茶だと思う。まあ、個別的には皆実際にそうしてるんだろうけど、これ社会構造と価値観がテーマの記事なんで。
6 その他雑感
子育てについて「エラい」と表現したせいで、そこで引っかかって語弊が生まれた気がする。「価値がある」とか「尊いとされている」とか書けばよかったかな。
非モテ論や弱者男性論が論じられる際に私が気になっていたのは、「非モテや弱者男性が生まれるのは社会的な要因があっても、それを解決するのは個人的な精神の問題であって、社会的に救うもんじゃない」と思っている人が多いことだった。フェミ系の人が言っていた「女を獲得するという価値観を捨てれば楽になる」もその一つだろう。個人の精神改革で対処しようという思想だ。別にフェミだけでなく、弱者男性本人も個人的にどうするかしか考えてないようだった。もっと独身の権利を主張したり、差別撤廃運動したりしてもいいと思うのだが、そんな方向には向かいそうにない。それに私は前からずっと違和感があって、いや社会的な方向でできることいっぱいあるでしょ、というか、大勢の非モテが価値観を変えたら社会も変わっちゃうよ、と思っていた。
それは女たちの間で流行っている反出生主義や、「子持ち様」論争とも関連するものだろうと思う。ただし彼女らは、「非モテ」で「弱者女性」だろうが、そこから生まれる不満は社会的方面で解決させようとしているわけである。あくまで個人問題にしている男の非モテとは違った。だが問題は通底してるんじゃないか。
この記事はそういった面での問題提起がしたいという動機もあって書いた。
反響を見ると、やっぱり誰も非モテや弱者男性を社会的なリソースの分配という問題としては捉えてなかったというのはよくわかった。
ただ私は今後はそういう流れで論じられるようになっていくと信じている。
あとはどう書き出すかだよなぁ🤔
いつも通り、思いつくまま適当に書いとくか、出来る範囲で読みやすくしとくか、うーーーん
とりあえず、忘れないうちにメモ書きしとく
ワイは以前、『差別』というものは、生死に関わる問題や経済的な困窮、戦争といった深刻な問題に直結するケースのみに限定されると考えていた
なので、無礼な態度や高圧的な態度は、単にその人の問題であり、べつにどうでもいいと考えていた
そもそも、一般的に高所得と言われる立場にある人間にとって、気持ちを鈍感に保ち、何か言われても気にせずスルーするのは、持っていて当たり前のスキルだ
もちろん、ハラスメントや名誉毀損・侮辱罪として取り上げられるレベルの罵倒や侮辱は除くが、それに至らない範囲の言動にいちいち反応しているのを見ると、
『稼ぐ気がないんだな』『働く必要がない裕福なご家庭の人なんだな』『生まれつき過敏なんだな。生きづらそう』と感じずにはいられなかった
だが、他者を『バカだな』とか『ボンクラだな』と感じるとき、よくよく考えるまでもなく、"自分の方が上だ" という考え、頭にあるよね?
人の価値はお金で測れるものではないにもかかわらず、経済力という一点で優位に立っているという理由だけでーーー・・・とか、いろいろグダグダとやるまでもなく、
『自分の方が価値が上だ』ってやった時点で、<ハイ、差別そのもの>で話は終わりだと、ふと気付いた
『差別』とは、特定の属性(例えば経済力やさまざまな社会的地位)に基づいて、自分を他者より上位に置き、他者を不当に扱う態度のことだからね
自分と同等以上の能力がない人や、自分と異なる興味や能力を持つ人に対して、『やる気が足りないのでは?』と傲慢な態度を取っていたかもしれない
※ 年収に影響する要素で1番大きいのは『運』、ついで『社会制度』、それらに比べたら『能力』の影響は小さいことも、他人の能力を見誤る要因になっている
※ それ以前の問題として、『自分と他人は違うを理解する機能』がそもそも未搭載なので、何度学習しても、つい他人の能力を見誤ってしまう
例えば、女性を『おばさん』と綴り、男性を『男』と呼称しインタビューに応える某皇族は、自分のことを『ガチ貴族』と思ってるし、実際に貴族なんだけど、
(あれがなんでウケてるのかマジでわからん。中世か? 本当、膝を折って各地を訪問した平成天皇だけが皇族の例外でしたわ)、
政財界の人間は、皇族と違って、いちおう一般人の"ハズ"なのに、日本以外の国でかましたら、
失脚、株価暴落、活動家に永久粘着される or 永久に身の危険を覚えることになるような暴言を マスコミにすっぱ抜かれたとかではなく、
公の場で自ら積極的に発信してるのマジでなんなんだろ?って思ったわけです(ナチス発言ほかキリがない)
『オメー、平等絶対の日本のどこでそんな教育を受けてそうなったの?』、『オメー、ガチ貴族ではなくね?』みたいな
だけど、べつにガチ貴族や上級国民でなくても、無限に無礼な人/上からな人いますよね?
せいぜいあっても年収2000万程度で、なんならワイ以下の年収でも無限にいます
つまり、これは生まれや社会的な立場の問題じゃ無さそうだな・・・ってなったわけです
単純にその人の態度(attitude)、人間性の問題なのでは?ってね
なお、アリストテレスは『ニコマコス徳倫理学』で、徳(美徳)は習慣(ēthos)化によって形成されるとって言ってるし、
人間の行動が繰り返されることで習慣となり、それが最終的に性格や人格を形成するって言っているので、
※下記は、マザーテレサでもウィリアム・ジェームズでも無いらしいです
自己責任論って突き詰めたら、森羅万象あらゆる事象は自己責任を主張している本人のせいに全部転嫁できるはずなんだけど、いまだかつてこの主張が自己責任論者に聞き入れられたことがないので、自己責任論者は自己中心論者だと思っている
これは 1000000000%、それはそう
森羅万象ではなく、もっと単純な日常的な視点で言っても、それはそう
例えば、通貨が弱く教育や医療システムが整っていない国からやってきた人々や、スラム街から成り上がった人々にとって、先進国での一般的な悩みは『甘え』のように映るだろう
同じ先進国に住んでいても、呼吸や歩行、食事など、日常生活の基本的なことすら困難な人々からすれば、健康に恵まれた人々の日常的な悩みなんぞ『甘え』に感じられるだろう
でも、先進国で自己責任を説いたり、ぼくあたちは頑張った!努力した!をやる人は、上記の人々と同じ立場に身を置いたことがないどころか、
居所不明児童 の悲劇、 川口高齢夫婦殺害事件(2013年) の当事者に近い環境に身を置く人は今日もいるだろうし、
殴る蹴る性加害など緊急性の高い虐待ではなくても、電気ガス水道が止まるのが日常な環境で暮らす児童は今日もいるだろうし(貧困ではなくて親が生活能力がない)、
ネグレクト・機能不全家庭でなくても、教育DVや暴言が日常とか過干渉とか条件付き愛情とか、基盤を壊すものは無数にあってひとつひとつ挙げたらキリがない
そして、自己責任を説いたり、ぼくあたちは頑張った!努力した!をやる人は、上記の人々と同じ環境に身を置いたことがないどころか、
人類は自然に完全に打ち勝ったわけでも、自然から独立した存在でもない
だが、他の動物と異なり、『優れた貯金力(資源を蓄積する能力)』と『高度な想像力』を持っている。そのため、先進国では、福祉制度や社会保障が充実しており、動物のように弱者を切り捨てたりしない。
また、見て見ぬふりをしてしまうこともあっても、自ら手を下して積極的に弱者を切り捨てたいという輩は異常者とされるし、自分自身が社会から切り捨てられたいとも思うのも異常者だ
したがって、裕福な立場や恵まれた環境にあるすべての人は、たとえエリートでなくても社会的責任(ノブレス・オブリージュ)を意識する必要がある
持てる者が傲慢な態度であることは、エクイティ(公平性)や共通善の観点から見ても、批判されるべきだ
批判的ではありつつも、バーカ、バーカ、と言うのは控えたいと思います
弱者男性はしばしASDやADHDを持っていて、低所得なこともあるんだけど…
そういう人たちのアプローチは往々にしてセクハラと判断されやすい
https://note.com/beatangel/n/n037e20cb8ef2
そして人間は客観的に自己の判断や感覚を内省出来ない。具体的には「ある行為がセクシャルハラスメントか否か?は行為自体ではなく相手の属性に大きくバインドされる」という事を認識出来ないのだ。
2009年にニュージャージー州において女子大学生128人が、架空の男性プロフィールを説明されオンラインデート上でメッセージのやり取りをしたところ、「オンラインハラスメント」に対する女性の耐性の最も強力な予測因子は、架空男性の魅力と社会的地位であったという。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19030980
勿論オンラインだけでなく現実空間においても、このような「女性が男性の言動にハラスメントを感じるか否かの最も強力な予測因子は男性の属性である」傾向は示唆されている。アメリカにおいて平均年齢28.11歳の女性1277人に対して「見知らぬ人からの望まない性的注意を受けた事があるか?」「見知らぬ人からキャットコールや凝視された経験はあるか?」とのアンケートに加え、それが起きた時の相手の肉体的魅力・人種・年齢、場所、時刻等の17のコンテキストを提示した。そのうえで女性がこうした経験を心的外傷を伴うハラスメントとするか、楽しい体験とするか判断する主な要因は「肉体的魅力」「年齢」「人種」である事が判明した。
また別の研究では女性は医学生やロックスター等の職業的地位の高い男性による嫌がらせを想像したときの動揺が最も少なく、清掃員や建設労働者等といった職業的地位の低い男性による嫌がらせを想像した時に最も動揺する事が示唆されている。(David Buss & Jennifer Semmelroth 1994)
ちなみに弱者男性は女性からきもいと言われたり、無視されたり、ネットで愚か男性として晒上げられた結果、こじらせるんだが、
いじめられたことのある女性やカースト上位の女性からも攻撃を受けるとなれば…
むろん、普段は抑えているんだが、ストレスが限界に達し、ミサンドリーが堪忍袋の緒が切ることで抑えきれなくなり、小田急線車内で女性を〇〇する事件が起きたりもする
バッカじゃねーのかな。
この仕組みを考えた奴何も考えてねえだろ。
こう言う頭のいいふりしたバカにシステムを作らせてはいけない。
eSIMを設定したモバイルルータが死んだので、楽手モバイルでeSIMの再発行手続きをしたところ、二段階認証の表示が出た。
SMSまたは登録のメールでコードを送ったのでみてね、だそうである。
しかし待てど暮らせどメルアドにコードが送られてこない。なんだこれは。
https://network.mobile.rakuten.co.jp/faq/detail/00001914/
継続的にセキュリティー対策を強化しており、5月下旬より一部のお手続きについてワンタイムパスワードの送信方法をメールからSMSに変更しました。
は?
ばっかじゃねーの? ホテルで部屋のパスワードを忘れたので新しく発行してくれと言ったら、部屋の中にメモを書いておいといたと言うようなものである。鍵を開けるための鍵を鍵の中においてどうするのか。
さらに
送信されるメールには15分間有効と記載されていますが、ワンタイムパスワードの有効期限は発行から3分です。
どこを探しても見当たらないので、楽天モバイルのチャットサポートに行った。
例によって延々とFAQを検索しろ、このページを見ろと書かれたページを下までスクロールし、チャットサポートをオープンするリンクを見つけるも、最初はbotに繋がり、botに「SMS認証されてもSMS受診できないんだが」と入れて上記の何も答えになってないページを案内され「満足しねえよ」のボタンをおし、さらに「解決しねえよ」というボタンをおし(ここで満足をおすと解決扱いになってオペレータ接続のボタンが出てこない)ようやく出てきた「オペレータとの連絡を希望」のボタンを押すことで、真のチャットサポートにたどり着いた。
オペレータとの接続を待たされること1時間弱、出てきたオペレータに状況を伝えると、何と特に本人確認もせず「今から30分間だけ二段階認証を解除するのでその間に手続きしてくれ」と言う答えだった。
そして楽天アプリでリロードすると、今度はワンタイムパスワードを入れると言う画面にならずにあっさりと認証が通って、eSIMがあっさり使える様になった。
使える様になったのはいいんだが……あれ?ワイ、今何にも本人である事の証明とかやってないけど!?
ばっかじゃねーの?
ということで
これは一体何なのか。シンプルにいって考えた奴はセキュリティのことを何にも分かってない。セキュリティってのは犯罪から守ると言う意味ではない。完全性・可用性についてもセキュリティだ。これはセキュリティの中に警察だけではなく、消防救急が含まれる事からも明らかだ。
しかし、こいつはセキュリティ強化といって完全性・可用性を捨てた。こんな基本的な事すら分かってないやつが楽天で意思決定してんのか?
そして、仮に乗っ取りなどの対策強化と言う点でも、実際のケースを想定して仕組みを組み立てていないので、多要素認証を真っ当にやるよりも安全性が低下している。
確かに電子メールで多要素認証は、メールは盗聴が簡単であると言う点から考えると不確実性は高い。だが、そこでSMSが使えない時に行われると想定される手続きで、SMSを強制したうえで、重大なセキュリティホールを開けてしまう理由にはならない。
例えば、登録されている電話番号から番号通知ありで電話させて認証するだとか、楽天アプリで認証させるとか、決済情報の一部を入力させるとか、eKYCやマイナカード認証を強いるとか、色々で多様な認証を用意しておき、そのうち利用できるものを複数組み合わせるとか、まともな方法はいくらでもある。
早く是正してくれ。
楽天トラベル素で間違えたわ。こうやって書くぐらい楽天経済圏に金を落としているのに、ご覧の有様や。
チャットサポートはログインしてないと利用不可だったとしても、eSIM再発行する楽天モバイルアプリとID/パスワードは共通やから何の意味もない。仮にそうでも、楽天経済圏(笑)のワイのような人間は、普段からログインしっぱなしやろうし、再認証とかなくスルーされて気付かん程度だったんだわ。
この状態でこの運用だとセキュリティー的にはザルもザルなことには変わりがない。今回はチャットサポートやったけど電話だとパスワード認証できんやろうしな。
増田は保守層から蛇蝎の如く嫌われている高所得層のリベラルだ。増田の年収が900万円ほどで、配偶者は850万ほど。共に年齢は40前後。大金持ちではないが、一般的な水準に照らすと余裕を持って暮らしていると言えるだろう。そんな増田だが、選挙では基本的に共産、場合によって戦略的に立民に入れている。アメリカ大統領選挙では、選挙権がないながらもハリスを応援して選挙速報を見守っていた。
増田が何を求めてリベラル政治家を推しているのか。それは、富の公正な再分配、弱者へも開かれた医療や教育などである。リベラルは貧困層を無視すると言われがちだが、少なくとも増田は経済音痴なりに気にしている。ただ、その際の重点は日本が稼ぐこと(これもむろん大事だが)というより、豊かなものから貧しいものへの再分配が適切になされ、貧しい者たちの負担が軽減されることにある。自分がそれなりに高所得者層なのだから、増田の望む社会になったら結果的に自分自身の税負担は増えるかもしれない。ただ、それで貧しい人々の医療への負担が減ったり、生活保護が豊かになったり、税負担が減ったりするなら、その方がいいと思っている。今でもさまざまな募金は自発的にしているわけで、それが税制度を介して勝手に行われるようになるだけだ。
貧困と並んで、ジェンダーや障害なども気にしている。増田自身は女で、差別も経験があるが、とはいえ学歴もあるし、富豪ではないにしても日本国内ではそれなりに上澄みにあたる社会的地位だと思うので、いざとなれば自分のことはどうとでもできる。けれど、そうでない女性がたくさんいることはわかっているし、彼女たちが男性と同程度に教育の機会を得られ、就職して生活していけるようになって欲しいと思っているし、そのために自分の負担が生じるなら喜んで引き受ける気である。障害についても、増田自身は健常者だが同様の考え方だ。
全員がそうかはわからないが、増田の周りを見る限り、高所得層リベラル(と言っても年収1000万前後くらいで、億万長者のような知り合いはいない)はおおむね自分は今よりも身銭を切って構わないから、貧困層や社会的弱者の生活を保障して欲しいと考えている。増田もそのうちの一人というわけだ。
選挙のたびに絶望的な気持ちになるが、保守派の政治家が多数を占めたところで、身分が安定しているので、余程のことがなければ増田自身が著しく不利益を被ることはないだろう。増田の親も反安倍のリベラルだったが、支持しない安倍政権のもとで経済的には潤ったと言っていた。自分も似た立ち位置だと思う。絶望しているのは、自分のことというより、貧困層や社会的弱者がますます暮らしにくい世界になるのではないかと怯えているからだ。各種NGOに募金はするが、国が動くのに比べて個人の募金なんてたかが知れている。
ここで語られるリベラルも、Xで揶揄されるリベラルも、増田の感覚とは随分と食い違うものが多いので、言語化したくなった。特に違いを感じるのは、貧困対策を重視しているつもりだという点と、自分自身が得をすると思ってリベラル政治家を推しているわけではないという点だろうか。正直なところ、個人の利益を追求するならリベラルである必要はないと感じる。よく言われる「正義」や「正しさ」というのも、あまりピンと来ていない。敢えて言うなら、ただ単に功利主義的に最大多数の最大幸福を求めているだけという感覚だ。強い熱意もなく淡々としている。
言葉遣い一つで社会的地位を失うようなポリコレ大国なのかと思えばトランプみたいな発言全部アウトなやつが再選っておもしろいな。
一般庶民の基準では「トランプは黒人奴隷を鞭打ったりしてるわけじゃないから差別主義者ってほどじゃない」
「それより今の世の中を変えてくれるならなんだっていい」
って感覚なのかな
1989年に発覚した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件において、犯人が収集していたアニメや特撮等の多数のビデオテープや漫画雑誌を、マスコミが事件と関連付けて盛んに報道したことで、世の中でオタクバッシングが起こり、皮肉にもその「おたく」の存在が世間一般に広く知られるようになった。そのため、当初は漫画やアニメ、コンピュータゲーム、アイドルなどの趣味を持つ人たちと、社会性が欠如している人間や対人コミュニケーションが不得意な人等を、十把一絡げにして指し示す否定的な意味合いを持つ言葉として使用されることが多かった。
その後、1990年代後半からのインターネットの普及やアニメや漫画、コンピュータゲーム、アイドルの社会的地位の向上によりおたくへの悪い印象は薄れ、現在では単なる「ファン」や「マニア」と同義で使われることも多い。
いや「ホモ」って言わず「ゲイ」って言った方がイイんだけど、アイキャッチ的に…。
※以下、下ネタを含むので要注意※
で、本題なんだけど…
・ノンケ男子ってビラビラ見ておっきするの?顔なしビラビラでもおっきする?
・ノンケ女子って棒見て…女子はおっきしないか?…変化あるの?顔なし棒だと?
いや、ずっと疑問で、下ネタ話せるノンケに会ったら聞こうと思ってたんだけど、増田があるじゃん!と思って。オッパイやケツ、キャメルトゥあたりなら理解できるんだけど、ビラビラってどうなの?
で、お前はどーなんだって言われると、俺はゲイでも多分ちょっとズレてて、顔なし棒だとあんまり、顔あり棒だと多少は…、モロ棒ってそれほどでもないんだよね。一番おっきするのは、立体裁断系のローライズビキニのモッコリだとムクムクするかな。あと、そーゆーコンテンツでいうとタイプ同士のキスシーンが一番イイかな。掘られながら別の人とキスだと最高かも。割と顔重視というか、前述のビキニも顔映ってないと半減かな。ただゲイの中でも主流派ではないと思う。
知り合いはスマホの中に棒(顔なし)の写真コレクションがあったから、やっぱり棒単体のビジュでおっきするゲイの方が多いのかな。つまるところ人それぞれに尽きるんだけど。
よくある誤解で「ホモを選択して…」みたいな言説を見るので、否定しておきたいんだけど、思春期の頃、いつか女子と結婚して子供…みたいに考えていた頃、おっきする条件が男だって認識して愕然としたよね。当時は差別当然って感じだったし。男は見ずに女子でおっきする訓練したりね。自然現象なので訓練でどーにかなるものじゃなかったけど、それって逆の立場で考えれば分かるでしょ?
そうそう、なんかちゃんと思い出せないけど変な理屈を考えていたような…。成長過程でおっきを練習するため、お手本となる男になぞって…だから自分は本当のホモではなくて…みたいな。あと、ゲイあるあるで女子と付き合えば…って考えるけど、当然ダメだよね。一人だけ女子と付き合って、その子が軽い子だったら若さの勢いで童貞捨ててた可能性あるけど、身持ち堅めの子で結局別れちゃった。仮にやってても、ノンケになることはなかったと思うな。当時からゲイ雑誌、しかもサムソン!愛読してたし。
そんなこともあって、ゲイやレズビアンを差別するのは楽しいかもしれないけど、むしろゲイはゲイ同士、レズビアンはレズビアン同士、よろしくやってって風潮を作った方が、同性愛者と付き合ったり、結婚したりする、異性愛者を減らせると思うんだけどね。自分の子供の結婚相手がって考えたら、どう?差別助長するのって、そういうことだと思うんだけど。
あと、もしよかったら、↓こちらの件も見て意見もらえたら。世界のニュースを見てる感覚だと、これ一発で社会的地位失うやつじゃん!と思ったんだけど、どーやら世間と俺はズレているようで。
「女叩き」がなぜ流行るのか、その理由は複雑で、歴史的、社会的、文化的背景が絡み合っています。単純に一つの要因で説明できるものではなく、様々な要因が複合的に作用していると考えられます。
* 女性はこうあるべき、男性はこうあるべきという固定観念が根強く残っている社会では、その枠から外れる女性に対して否定的な感情が湧きやすいことがあります。
* 特に、社会的地位や発言力のある女性に対して、嫉妬や脅威を感じ、攻撃的な態度をとる男性もいるかもしれません。
* 女性に対する差別や偏見が社会構造に組み込まれている場合、それが無意識のうちに人々の行動に影響を与え、女性蔑視的な言動を助長する可能性があります。
* 例えば、職場での昇進機会の不平等や、家事育児の負担が女性に偏っているなど、社会構造的な問題が根底にあることがあります。
* マスメディアの影響:
* マスメディアは、意図的か否か、女性をステレオタイプ的な形で表現したり、女性に対する暴力や差別を肯定的に描くことがあるかもしれません。
* これらのメディア表現が、人々の意識に影響を与え、女性に対する偏見を強化してしまう可能性があります。
* インターネットの普及:
* インターネットの普及により、匿名で誰でも自由に意見を発言できるようになりました。
* その結果、誹謗中傷やヘイトスピーチが横行し、女性に対する攻撃的な言動が容易に拡散されるようになってしまいました。
* 心理的な要因:
* 自分の不満や不安を、特定の個人やグループに向け、攻撃することで解消しようとする心理的なメカニズムが働いている可能性もあります。
* 女性に対する攻撃は、自分自身の問題から目をそらすための手段として利用されることがあります。
「女叩き」は、単なる個人間の問題ではなく、社会全体が抱える問題です。
この問題を解決するためには、個人が意識改革を行うとともに、社会全体でジェンダー平等を実現するための取り組みを進めていく必要があります。
* 学校教育において、ジェンダー平等に関する教育を強化し、子どもたちに多様な価値観を育むことが重要です。
* マスメディアは、女性を尊重し、多様な価値観を表現するようなコンテンツを提供する責任があります。
* 法整備の強化:
* 誹謗中傷やヘイトスピーチに対する罰則を強化し、女性に対する差別や暴力行為を厳しく取り締まる必要があります。
* 女性に対する偏見や差別をなくすためには、社会全体で意識改革を進めることが不可欠です。
「女叩き」は決して許されるものではありません。
一人ひとりがこの問題に関心を持ち、声を上げ、行動することで、より良い社会を作っていくことができるはずです。
もしあなたが「女叩き」に悩んでいるのであれば、一人で抱え込まずに、信頼できる人に相談したり、専門機関に助けを求めることをおすすめします。
* 最寄りの保健所: 女性に対する暴力に関する相談窓口があります。
* 地域の女性相談センター: 女性に関する様々な相談に対応しています。
* 配偶者暴力相談支援センター: 配偶者からの暴力に関する相談に対応しています。
* インターネット上の相談窓口: 匿名で相談できる窓口もあります。
これらの窓口では、専門の相談員があなたの話を聞き、適切なアドバイスや支援をしてくれます。
もしあなたが「女叩き」を目撃した場合には、決して見過ごさないでください。
加害者を注意したり、関係機関に通報したりすることで、被害者を助け、加害者の行為を止めさせることができます。
私たち一人ひとりが、声を上げ、行動することで、より良い社会を作っていきましょう。
この回答は、あくまで一般的な情報であり、個々の状況に合わせて適切な対処法を選ぶことが重要です。
もし、より詳しい情報が必要な場合は、専門機関にご相談ください。
* 誹謗中傷
* ヘイトスピーチ
* 相談窓口
ヒゲ脱毛(ツルツル肌は滅茶苦茶金と時間がかかるの知らないらしい)
ムダ毛処理
髪の手入れ
ファッション指南(口出しする割にはメンズファッションに詳しくない)
男も化粧しろ化粧しない男は差別主義者(男向けの化粧品ほぼないけどな)
女性の社会的地位が向上した先進国では必ず若い夫婦は子供を産まなくなる
妊婦や子連れが何をしても「産んだから偉い、子供は宝、だから〇〇くらい当然」という話になる
しかし日本の少子化はもうどうにもならないところまで来ていて、今更子育て世代を手厚く手厚く優遇しようが、産まない女は産まないのである
そして子供を2,3人産もうが産まない人間が圧倒的に多いから焼石に水である
また今は不登校が激増しているらしいが、学校すら行かない子供が将来マトモに働き納税するとは到底思えず、社会のお荷物は加速度的に増えている
現実問題として自国民だけで少子化を解決するためには、女性から社会的地位を剥奪し、独身男性の娯楽と人権を無くし、子供の人権を軽視し、ホワイトカラーの数を減らして農家(自営業)の数を増やすしかないのである
子供を産んだら教育せず労働力にまわす、産んだら産んだだけ楽に儲かる、死んだら死んだでまあしょうがない、昭和以前の世界観である
そして現実的には政策で上記のディストピアを実現することはできないので、少子化を解決するためには少子化で国が滅びやり直しになるまで少子化を進めるしかない