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はてなキーワード: 恣意性とは

2022-01-14

「寛容な社会を維持するためには、社会不寛容不寛容であらねばならない」

これは不寛容だ、と機械判定できないところに限界を感じる

不寛容判定するのは結局個々の人間であり、恣意性が生まれしまうのだろうな

寛容であるために自己判断で時と場合によっては不寛容になるべきだということになってしまうと、不寛容行使する人は義憤正義快感に酔っているモードになりかねない

それは結局不寛容が行き過ぎてしまって不寛容社会になってしまって、別の人から不寛容判定を受け不寛容に……

あれ?ということはこのロジックは自浄作用があるのか

やるじゃんカール・ポパー

2021-12-31

日本人賃金をすぐにも上げるために、政治が取り組むべきこと

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90662

現代ビジネス記事的外れとは言わないが、日本人賃金を上げようと思うなら、労働生産性よりも最低賃金よりも先に政治が取り組まなければならないことがある。

それは、時間外労働に対する賃金を、すべての事業者法令通り支払わせることだ。

日本人の平均年収2020年に433万円だったと言われるが、この数字には時間賃金が含まれるので、それが上がれば年収も上がる。

そんなことをすれば事業者は基本給を下げたり昇給をやめたりするので、平均年収が上がることにはならないと言う人もいるだろう。それには一理あるものの、短期的には正しくない。短期的には年収を上げる効果の方がよほど大きいだろう。岸田政権任期中の手柄にするにはもってこいである。

企業賃上げ要請したり最低賃金を上げたり生産性を高めたりするような長期的な施策は、そのあとでやればいい。

もし時間賃金のことを先にやらずに長期的な施策をやるならば、事業者に、負担の増加分を時間賃金抑制で調整する抜け道を残しておくことになる。それでは穴の空いた器に水を溜めようとするもので、水位は上がりにくい。

現在時間賃金に関する問題はたくさんある。


【1】 「残業承認制」の問題

時間外労働をするには上司承認必要だという事業所は多い。

この承認制は、従業員時間賃金を得る目的無駄に残ったりするのを防ぐ目的で認められているのだろう。

しかしこの制度があるために、従業員申請を出さずに時間外労働をしたり、実際よりも短い時間申請したりといったことが、日本中で当たり前のように行われている。事業者上司時間賃金の発生を積極的には良しとしないほとんどの環境で、従業員の側から権利を主張することは、実際にはとても難しいのである申請を出さずに働くことを美徳と見なし、従業員同士でそれを推奨し監視し合っている職場さえある。

また、タイムカード等に記録された労働時間の一部を上司勝手に「休憩」していたなどと見なし、時間外労働として扱わないことや、従業員が「自主的に」タイムカード打刻前や打刻後に業務を行うといったことも当然のように行われている。

労働時間の記録と時間賃金計算は、従業員から申請上司承認という、恣意性の介在しうるプロセスを経ずに行われるべきだ。無駄残業抑制という課題については、それぞれの事業者組織体制づくりを通して解決しなければならない。

事業者は、時間外労働実態から離れて、時間外労働として記録する時間コントロールすることで、賃金抑制したり、残業時間が少ない会社として求職者アピールしたりできるのである。そんなことを可能にする制度を認めてはいけないと思う。


【2】 「固定残業代」の問題

求人広告を見ると、「※上記の月給には〇〇時間分の固定残業代〇〇〇〇〇円が含まれます。」のように書かれているものが少なくない。

制度理想はともかくとして、実際には、従業員時間賃金を払いたくない事業者がこの制度を利用している。

月間の所定労働時間最低賃金を掛けて、その金額を超えた部分はすべて固定残業代だということにすれば、時間外労働をさせても賃金を払う必要のない従業員ができあがる。

例えそこまでのことはしなくとも、もともと払うつもりのある給与額の一部を固定残業代だということにすれば、時間賃金いくら抑制することが可能となる。

また事業者にとって都合が良いことに、この制度を利用すれば求人広告給与額を高く見せかけることができるので、就職経験がなかったり転職回数が少なかったりする求職者は、不利な契約であることをよく理解せずに応募してしまったりするのである


【3】 時間賃金は「残業」に対して発生するという勘違い

時間賃金は始業時刻前の労働にも支払われなければならない。早く出社して仕事を始めるのは従業員の熱心さの現れであり自主的な行動だから賃金を払わなくても良いというのは事業者の甘えである

あまつさえ、その時間に朝礼を行なったり、清掃や慈善活動をさせたり、店舗事務所の鍵を開けさせたり、着替えその他の業務準備をさせたりする事業者もいるが、それらが労働に含まれないと主張する余地はない。

残業代」という言葉は誤解を招くので、意識して使わないようにするべきだ。


【4】 労働基準監督署の調査が甘い問題

以前、私がある事業所労働時間の記録の仕方について不満を持ちながら働いていたとき労基署の立入り検査があった。私は状況が変わることを期待したが、何も変わらなかった。

労基署には、できるだけ問題を見ない、指摘しないという姿勢がある。例えば、経営者総務部が用意した「問題のない」記録だけを調べて問題なしと判断したり、慣習になっていることだからと、ある程度の知識があれば気付かないはずはない問題を平然と放置したりするのである

そこには多分、労基署自体問題がある。調査をして問題を見つけ、調査相手対立して問題を改めさせるのは、現実には大変な労力の要ることだ。しかし現状では、そういう行動を取って成果をあげることが職員一人一人のメリットになるような組織体制確立していないのだろう。

それを変えるために必要なのは、先ず国がしっかりした方針を示したうえで、労基署活動バックアップしていくという強い姿勢を見せること、そして、各労基署職員評価基準を変えることである


ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。以上が私の主張です。2022年には日本人賃金が上がりますよう。

2021-09-09

書類送検には罪状の有無は関係が無い

捜査事件は全て送検

警察捜査した事件というのは全て送検される。「調べたがこりゃ事件性が無いな」と判断して捜査を打ち切った場合も送検される。

から起訴根拠になる証拠を集めて事件検察に送る場合と不起訴前提捜査打ち切りで送検する場合がある。

警察権というのは検察起訴権があっての事なのでそうなっている。警察検察から独立して捜査する権限はないのでどんな事件でも最後は送検しなきゃらないんだな。

 

報道恣意性

でもマスコミはその辺の事を説明しないで「書類送検報道をする。事件性があってニュースバリューがある事件場合はそれで耳目を惹く事ができる。

例えば贈賄事件などで送検されたとなれば警察捜査は終わってこれから裁判だという情報ではあるが、タレント嵯峨野竹林踏切からはみ出して写真を撮った、なんてケースでは意味が無い。どうせ起訴されないからだ。

後者のようなケースで書類送検報道をするというのは質が悪いので止めるべきなのだが、ニューバリューが創出出来るって事で無批判にされている。

 

処分意見書の内容を付けろとの批判がある

送検する時に警察処分意見書を付ける。これには

 

1.厳重処分願い度い(起訴を求める)

2.相当処分願い度い(不起訴でもよい)

3.寛大処分願い度い(起訴猶予相当)

4.しかるべき処分願い度い(不起訴相当)

 

と種類がある。4.は犯罪事実なし、時効成立、被疑者死亡、親告罪事件告訴取り下げられた、など起訴できない場合意見だが、警察には起訴権が無く命令出来ないので「貴官然るべく」との意見になっている。

書類送検報道では報道側の恣意性を縮減する為にこの意見書の内容を報じろとの意見があるのだが、一般化していない。一般化していないので警察マスコミ書類送検した、との事実以外を伝えていないようだ。

 

この文章は「香山リカ氏ら書類送付 愛知知事リコール妨害容疑」https://nordot.app/808381768641003520?c=39546741839462401

報道があったので書いてるのだが、同記事中では「書類送付していた」と、いう変な用語を使っている。

起訴を求める意見は付けなかったとみられる」という事は1.の意見書ではないって事だろうが、警察にはっきりとは処分意見書の種類を聞いていないようだ。書類送付という用語書類送検が即ち有罪を示す語感で使われているので苦肉の策だろうか?

でも元はと言えば耳目を集めやすいからと無批判書類送検を使っていたのが問題なので、ちゃん視聴者説明を図るべきだろう。

処分意見書の種類を報じろとの意見一見最もだが、今度はそこで有罪無罪を印象付けるという問題もある。

 

から起訴相当か起訴猶予か判るのか?

トートロジーのようだが不起訴には不起訴起訴猶予がある。

起訴嫌疑なしや時効成立、親告罪告訴取り下げなどが該る。

起訴猶予は被疑事実明白だが、境遇罪状の軽さ、謝罪示談済みなどの場合…と法律書には書かれているが、実際は罪が重くなくて被疑者に争う姿勢がある、公判維持困難そう、なんか大変そう、警察捜査が緩いけど検察被疑者召喚してやるのも…などの場合起訴便宜制度を利用して何でもこれにしてしまう。

 

それでは事件が不起訴になった場合、不起訴相当か起訴猶予だったのか後から判るのか?というとこれは地方検察庁によるようだ。

書類送検場合、不起訴ですよと教えてくれないので、頃合いを見て電話して確認する。

起訴で終わっていた場合不起訴処分告知書を請求して貰うことができる。(但し検察は色々理由を付けて嫌がるのごり押し請求する)

その不起訴処分告知書には不起訴起訴猶予かが書いてある場合と「起訴をしない処分とした」としか書いてない場合がある。

増田不起訴処分になった東京地検では後者だった。

から被疑事実があったと認められたかどうかは事件を扱った検察所在地による。

 

告訴告発報道コンボでのハック可能

告訴告発があった場合警察捜査しなきゃならない。だから書類送検は必ずされる。

メディア分化されて素人でも影響力があるYoutubeチャンネルなどを持てる昨今では告訴告発とそれををしました/書類送検報道を一人で兼任することも出来る。N国がやっている事なんかは近いだろう。

なので「書類送検報道罪状の有無に関して意味が無い」という事はもっと周知されるべきだし、悪用されうる可能性があるだろう。

2021-08-31

anond:20210831160734

竹中平蔵は悪。だけど規制を緩和するというのは悪ではない。当然、恣意性が強ければ悪の度合いは高まる

規制緩和というのは、政治的には調整が難しい類のもの

竹中平蔵は悪だが、別な誰かがやる必要はある。ただし、恣意的にならないこと、野放図にならないことを調整しながら。

2021-08-17

立憲が得票数を上げる方法

コロナ対策でもモリカケでも、ましてや自民バッシングでもねえ

路上喫煙取り締まりの強化 自治体条例ではなく刑法への盛り込み

公道警備の強化 即時指導執行可能部隊の整備

公道駐車取り締まりの強化 恣意性があると思われないレべルまで頻度上昇

これよ

2021-07-30

anond:20210730135838

そりゃあ人間のやることだからどんなに頑張っても恣意性はあるよね。

からこそ「恣意的でない報道」を目指すよりは「恣意的であることを明示した報道」のほうが結果的には公平になるわけだ。

2021-07-05

anond:20210705074251

そもそも規制派の言うところの『普通』って全然普通に見えないんだよな。

とても彼女達の規制論が「この社会で多くの人が大体のところで共有しているだろう感覚」とは思えない。

だって改めて世の中を見渡してみた時、彼女達の言うところの性的表現に対してけしからんけしからんと青筋立てて規制を訴えている人達がどれだけいるよ?

世の中の大多数はそもそも批判擁護もしないスルー安定の『どーでも良い派』だと思うんだけど、そういう人達勝手自分達側に勘定していない?

彼女達の見ている対立構図はおそらく『好き勝手エロ表現をして社会迷惑をかける異常者』VS『それ以外の普通の人々』みたいになっているんだろうけど、その構図自体が極めて恣意性の高い歪んだ視点だということにどうやったら気付くことができるのやら。

2021-06-29

anond:20210629174755

当たり前だけど、LGBT界隈で運動やってきた人達の中にも

一級市民扱いされるようになれば「上がり」と思ってる人も、そうでない人もいるわけだ。

前者には他のセクシュアリティなんぞ知ったことかって感じのもいるし

特に若い世代ゲイは先人の権利闘争とか知らんから運動バカにしがち)、

後者はその線引きをフェアな範囲で今後も拡げようとしてる。

何がフェアかは視点によって違うわけだが、割と広く受け入れられている基準

そのセクシュアリティが不可避に、または高い確率他者を傷つけたり、

性愛に関する以外の法律を犯すかどうか、だろう。

ズーフィリアは、「聖なるズー」みたいな本が受け入れられるようになったことを考えても

「なんでタブー視してるんだっけ?」という問い直しの機運は生まれつつあると思う。

ペドフィリアは、少なくとも現代西欧社会は、絶対悪ということにした。

どこからペドフィリアなのかは文化時代によって伸縮するが、少なくとも

タブーにした年齢以下の子もの性的自己決定権合意があっても制限しますよ、

ということになっている。

性病出産性的搾取といった重大な帰結につながる余地がある性行為について

まだリスクを適切にとらえたり、嫌なときにノーと言う判断能力責任能力

充分に備えていないから、というのが理由だ。おれはこれは適切な線引きだと思う。

セックスを抜きにしても、法律上はどこの国でも未成年制限行為能力者という

扱いになるからな。

ネクロフィリアは、少なくともわれわれが殺人死体損壊という

性愛とは別のタブーを乗り越えない限り、線引きの内側に入れられることは

ないだろう。

この線引き問題傲慢さや恣意性については

朝井リョウの『正欲』が果敢にチャレンジしようとしたのだが、

多様性賞賛恩恵にあずかれない善良なパラフィリアたちが

世間無理解のせいでひどいめに遭う」という筋に落とし込むために

ペドフィリア絶対悪にする、というまさかまさかの落としどころを選んだ。

「正しい性」と「間違った性」の線引きを批判してる話のはずなのに、

著者自身も「間違った性」という線引きをそのまま使ってしまったわけで

大失敗というほかない。

2021-06-28

漫画表現ってたとえば目のハイライトを消すと失望を表したり長瀞さんの使い方みたいもあるけどそういうお約束がある

目を「3」みたいに描いて視力が低いのを表すのは特定漫画家の作品を見て初めて学べることなのだろうか

そうでなく何も教えられなくて初めて見たときからおのづから理解できてしま表現もあるのか

擬音語擬態語恣意性以上に表象的な必然性を持ってて教えられなくてもたとえば「わんわん」を犬の鳴き声として納得してしまうのと似た現象だろうか

2021-03-24

anond:20210324222427

少なくともコードを把握しつつ反対してるってことは、そのコード自体論理的一貫性疑義を持つ立場からじゃないの。あるいは運用恣意性がある(味方には適用が甘くなる)か。

2021-03-16

anond:20210315235816

優生思想とは平たく言えば「人類品種改良して、より優れた存在にしようず」というものだ。

そして問題だらけ。

1. 恣意性

優生思想における“優れている”という判断恣意的もの

人間には多種多様評価軸があり、客観的に優等/劣等性を判定するのは不可能だ。

評価軸を絞れば客観性はある程度確保できるが、今度は評価軸の選定が恣意的になる。

数学能力が高い人が優等であろうか。それとも身体能力が高い人?遺伝的な疾病リスクが低い人はどうだろう?アーリア人こそ優等だと抜かしたチョビ髭もいたな。

何を以て“優れている”と言えるのか、優生思想における核となる部分は、完全に主観依存しているのだ。

言ってしまえば「○○は優れている」という“お気持ち”に立脚した思想なんだね優生学は。

元増田君が判断した“上位互換”と“下位互換だって、結局は君がそう決めただけなんだ。

「××は優等/劣等である。僕がそう判断した。そして優等は保護される/劣等は駆除されるべきである」という思想があれば、それが批判的にみられるのは当然と言える。

まあ「思想だけ」なら、今ほど批判されることもなかっただろうけど、悲しいか優生思想は(悲惨な)実践を伴ってしまった。

2. 実践大惨事

言わずと知れたホロコーストを筆頭に、優生思想現実での実践悲惨まりない結果を招いた。

実践方法が悪かっただけで思想は悪くないと言いたくても、“お気持ちベースの欠陥思想(なお、この“欠陥”というジャッジも私の主観に依る)じゃあそうもいかない。

3. 優生思想のここがダメ

全部。

思想としてみれば、コアとなる主張が“お気持ちベース

実際にやらせてみれば大惨事

褒めるとこがない。

ちょこっと意見をば

2.ナチスドイツ的な思想じゃないか

ナチスドイツが失敗したのは単純に人種で線引きしたから。

私の考えでは、秀でた能力をいくつも持つ人だけ存在していればいいという考えなので、ナチスドイツの「優生思想」とは少し違っている。

冒頭で自分の考えが「優生思想」なのか怪しいと述べたのはその点である

ナチ人種に基づく優等判断は間違っているが、自分の“秀でた能力”に基づく優等判断は正しい、というお気持ち表明。

“秀でた能力”を判断するのは誰?元増田君?それが人種に基づいた判断に比べて適切である理由は何?というかアーリア人は“秀でた能力”を持ってるから云々はナチも言っとったぞ。

3.人生スペックなんて把握しきれない

→一理あるが、たとえば生まれときから常に介助が必要な重度な障害者などはどう説明を付けようか。

生きていても価値生産しないし、他人の手を一生借りる必要がある点で社会に与える利益マイナスである

強いてギリギリプラスになる要素はと言うならメディアのお涙頂戴ものに使われるのが関の山

もし私がこの立場に立ったら殺してくれとさえ思っていると思う。

全部主観マイナスとかプラス判断も全部君がしてるよね。

ナチのチョビ髭はアーリア人以外全部マイナスとか言ってたけど、それとどう違うんだい?

自分判断は正しい、というところから一歩引いてみたらどうか。

ここまで長々と書いたが、共感してくれる人は自分で言うのもなんだがよほどのサイコパスだと思う。

初マスダ…ども…

ポケモンでバトルに勝つためにいわゆる「6V」だけを「厳選」したことはないだろうか。

バトル用の6V厳選個体ポケモンコンテストでも優れているか

人は家畜植物品種改良を行い、味や病気の耐性がよい、従来型の「上位互換」を厳選している。

品種改良された家畜農作物は食味という点では優等かもしれないが、野生下での生存力は劣等である

これはどうだろうか。「人じゃないから」本当にOKなのだろうか。

肉の美味しさな元増田君は他の人の上位互換かもしれないね



最後

優生思想への反論はね、まとめると至極単純なんだ。

勝手に決めるな!!」

以上。

2021-02-03

天伝の悪口を言う

舞台刀剣乱舞天蒼空の兵〜大阪冬の陣〜をdisる

【前提】これは刀ステのほぼ全演目を時にライビュ時に配信時に現場で見た上で基本的に末満さんとはセンスが合わないと思っているオタクによる悪口である

【おことわり】

・嫌なら観るなについて→刀剣乱舞ファンとして「今度こそは」の期待とか一度追いかけ始めたものから退却できないサンクコスト効果とかで引くに引けないんですよ

・この感染症さな劇場に行くなよ→ごめんて……

(1)長い。中だるみする。ちょくちょく挟まれ殺陣のせいで話が分からなくなる。

しょっぱなからアレですがこれは仕方ないと思う。上演時間ありきで脚本作るから

殺陣については私のアクション適正が低い。アクションを見慣れてない人間って殺陣が始まると

・「とおけんだんしが敵とたたかってるー!がんばえー!」くらいにIQが下がる

戦闘の背景にある対立構造、誰と誰が何故(何を賭けて)戦っているのか等の情報認識できなくなる

・結果として全ての殺陣が「代わり映えのしない場面」に見える

という現象が起こります(個人の感想です)

刀剣乱舞を題材にしている上殺陣特に売りにしてるステで殺陣を減らすわけにも行かないのも分かるのでこれも仕方ないとは思う。アクション適正上げてから来いってね。

(2)台詞が頭に入って来ない

末満さんの詩情が体質に合わない(完)

これに尽きてしまうとは思うんだけどもう少し悪口を。末満さんって滅茶苦茶台詞量多くないですか?一つ一つの台詞も長いし。青空のような人ってなんやねんいいこと言ったような雰囲気で無理矢理まとめんなて。

筆者は小説でも長い台詞や長いモノローグを嫌うのでマジで合わない。長台詞はここぞの一回くらいしか許されないと思ってる。心情の説明台詞モノローグに頼るのならもうそれは物語の形を取る必要はなくて増田で長文語りしとけよって思う。舞台物語をやるのなら、物語の展開からキャラクターの心情を追えるように手を変え品を変え尽力するのが職人仕事だと思ってる。

(3)複数ライン物語を同時並行する割にそれらが交錯しない。一つの物語でやる必要あった?一時間舞台二個やればよくない?って思う。

今回で言うと多分ストーリーラインが二筋あって

①秀頼と一期の「自分は誰であるのか」という物語…秀頼「自分秀吉の作った天下の上のお飾りに過ぎないのではないか自分が本当に秀吉の子であるかも定かではない。自分は本当に天下に立っていていいのか」→太閤から秀吉との繋がりを保証された上で「これはわしの戦だ!」・一期「弟がいてようやく成立する兄としての自己像以外に依って立つところがない」→「歴史を守るのが私の使命だ」(一期の物語誤読してるかも。すまぬ)

弥七真田信繁の「歴史に抗いたい」物語…しにたくヌェ〜〜ってやつ。序盤家康が「お前の知るわしがわしの全てではない」(物語は語り手の視点恣意に影響され、ある事柄完璧に語り尽くすことは不可能)からの諸説の可能性の提示からの決められた物語に納得いかね〜〜俺は後世のお前らの語る歴史のための駒じゃね〜〜俺の闘志を無かったことにすんじゃね〜〜ってやつ

①②って特に相互作用働いてないと思うんですよね

関連性のない複数ストーリーラインが(殺陣や長台詞ガンガン交えて)同時進行するからま〜〜〜〜じで集中力途切れるし作品全体も散漫な印象になる

あと諸説ってめっちゃ連呼してたけどなんかダサい

あと細々したところで家康の戦への欲求とかね。正直家康のあのキャラ付け加州の見せ場作りと三英傑の物語やりましたってアリバイ作りのためとしか思えない。ちなみに戦への飢えについての話は義伝でもうやってんですよ……再利用かよ……

(4)弥七真田信繁の行動原理に納得行かない

諸説に逃げて生き延びればそれで良いってなんか随分控え目だけどそれこそミュのみほとせの信康みたいにコソッと逃げればよくない?弥七が言ってた通り諸説の余裕があるならその余裕に自力で滑り込むことは可能では?史実を守る本能に導かれた刀剣男士にナイナイされちゃうの?そっかあ……

「生き残りたいポン!」「諸説に逃げるポン!」「俺らを助けるオリジナル刀剣男士作るポン!」「だから逸話集めのために刀剣男士斬るポン!」「だから派手にドンパチ起こして刀剣男士誘い込むポン!」って論理の飛躍を感じる。

(5)物語恣意性、物語無き物の物語、無かったことにされた物語についての話はもうやってるんだよなあ……

ミュのむすはじとあおさくでやってるんだよなあ……

今作で特に別解を出したわけでもなく、ただ無かったことにされた物/者たちの憤りにスポットライト当てたところで終わってるし

(6)いつもの謎のやついい加減にしてクレメンス

三日月と山姥切国広と結の目となんやかやを巡る時空SFっぽいやつ

ようわからん(完)

基本、作中の本筋に関わらず、また作中で解決されない謎って作品鑑賞のノイズになると思うんですよ。ステはこの謎と三日月の行く末を全作品を通してのサブストーリーにしていますが。

ちゃん考察しつつ追ってればワクワクするんだろうけど。いや連載モノなら○○編をやりながら全体としてはワンピース探したり黒ずくめの組織追ったりするのが普通なので別に刀ステが下手打ってるとは言い切れませんが。

ただね〜〜〜〜やけに難解だし時系列スターウォーズ形式だし末満さんは意味深キーワード大好きだしですっきりしなすぎて私にとってはノイズなんすよ。公式解説本出してくれ。図解してくれ。

そもそも作中での情報開示渋ってファン考察に委ねるのやめてくれ。本能寺再演で左右逆とかキャス変にも意図があるとかそういうのほんといいんで……そういう場外戦が許されるのはエヴァだけなんですよ……

まあ昨今はインターネットSNSのお陰で場外戦が盛り上がりやすくなっているから、そういう作り方もアリ寄りのアリなんでしょうが……

ツイッター考察読んでもいまいちわからんってか読む気も失せるのよ……結の目ってなんなんだよ……

(7)真田十勇士の処理雑すぎワロタ

史実存在してはいけないもの」を登場させたか物語内で回収しないといけないのは分かる。でも集団自決から無駄死にって雑じゃね?てか登場させる意味あった?物語ある刀剣遡行軍が回収したポン!って次作への伏線のためか?

(8)キャラクターが多すぎて登場に必然性がない

これはどちらかというと過去作、悲伝や慈伝への悪口ですね。維伝以降大分気にならなくなった。登場されるためだけの登場シーンが多いし「このシーンは大般若じゃなくて小夜の方が当人性格や来歴踏まえて相応しいだろ」(キャラ適当です)みたいなシーンが頻出してた。

今回はまあ……主人公の一期とそれを支え受け止める弟二振り、一期とシンクロしてアイデンティティに悩む秀頼、一期と秀頼に秀吉のことを話してなんかいい感じにする太閤江戸の終わりに物語を持つ者として江戸を始めた家康対峙する加州、今回の主人公ではないけどシリーズ主人公である山姥切国広という具合でそれぞれに役割があったかな。宗三は必然性に劣るけど、一振くらい作品中の葛藤から距離を置いて渦中のキャラを諌めたり助けたり話を進めたりするゲリラサポーターキャラがいるのは悪いことじゃない。

(9)加州顔濃ッ

ごめんて

ごめんけどキュートでけだるく飄々とした加州というキャラクターからキュートが抜け落ちてただのハンサムになってんだよな〜〜〜〜いや演技は良かったよ全然加州だった

ただ加州っぽい媚びがなかった。まあ主の前じゃないから当たり前だけど

ただただHandsomeになっていた

「愛されっこないよね」とか言われても「せやな……お前は多分愛する側やな……」って言いたくなるくらいハンサムだった

【よかったところ】

ステアラをよく活用してた。クライマックス360度の戦闘を次々見せる場面はとても華麗だった。

弥七が健気でかっこよかった

最後巨神兵みたいな出来損ない刀剣男士のデザインFGOっぽくてかっこよかった

2021-01-22

anond:20210119145221

たんぱくが今や特に意味のない文字の羅列と言うが全ての単語意味のない文字の羅列なんだよ、言語恣意性って面白いよね

2020-12-11

はてなリベラルなどいない

https://anond.hatelabo.jp/20201210074954

一体みんな何と戦っているんだ。見えない敵と戦うのはやめるんだ。

まず順序立てて一つ一つ紐解いていこうか。

例のトップブコメについて

naga_yamas まぁこんなウダウダ書かなくても公立出身者ならあの動物園に通わなくていいってので十分良さはわかるよ。

2020/12/08

この方は「はてなリベラル」ではない。

いやそんなもの存在しないのだが、あえてリベラル的な傾向の持ち主かどうかで考えてもそれには当てはまらない。

別に俺がむりやり強弁しているわけじゃない。本人が自分で言っている。

naga_yamas 2020/12/10

そもそも自分リベラルじゃないのにリベラル代表らしい。クッソウケる

この人をはてなリベラルと決めつけるのは本人に失礼である

過去コメントをさかのぼってみたが、

日頃から一日も欠かさず政治家芸能人一般人差別発言ポリコレ違反監視して、

火が付きそうなら殺到して執拗マッチ擦って正義の炎で責め苛んで処刑快楽に酔いしれるのが娯楽のリベラルの牙城でしょ?

と書いた元増田が想定しているような、差別を過剰にバッシングするような発言は見当たらない。差別批判するようなコメントも見た範囲ではない。

というわけなので、事実として元元増田トップブコメリベラル的な傾向のある人の発言ではない。

元増田はこのブコメが「はてなリベラル」によるものだと決めつけているが、7文字中三文字、つまり42%しかあっていない。

あっているのは「はてなユーザによる発言だということだけである

事実1:元元増田トップブコメは「はてなリベラル」によるものではない。単に、あるはてなユーザによる発言である


例のブコメスターをつけたのはどんな人たちか

元増田によると例のブコメスターをつけた人たちは「はてなリベラル」で「普段差別主義者を罵倒している」ということのようだ。

これは本当だろうか。流石に全員確かめるのは難しいが5人ほどランダムサンプリングして見てみよう。あ、ブコメに星を付けるのは思想信条自由範囲内だと思うので特に思うところはないです。

恣意性排除するため下から順番に10人づつ5人選んだ。全ては無理なので上から100件ほど最新のコメントを読んでいる。

(一応言っておくと公開情報ではあるが、晒す意図はないのでコメントくれたら削除します)

https://b.hatena.ne.jp/leexiang/

初めのスターの人。ほとんどのブクマコメントなし。ブックマークの傾向を見てもどういう人なのかよくわからない。趣味人かな。

https://b.hatena.ne.jp/jou2/

特に差別主義者を罵倒するコメントはなかった。ハンチョウ罵倒されてた。趣味が合いそう。

https://b.hatena.ne.jp/chi-Haya/

雰囲気リベラルよりっぽいコメントもあるけど、特に差別にたいするバッシングコメとかはなかった。

https://b.hatena.ne.jp/ledlizerd/

エンジニアの人っぽい。今回の件について「殆ど当事者が言ってるパターンじゃないのか、それはだめなのか?」 というのは自分も無い視点だった。バッシングコメはない。

https://b.hatena.ne.jp/sm3823/

アツギの例の件に対して批判的なコメントがあったけどバッシングってほどではない。当事者の穏当な意見という感じ。バッシングコメはない。

https://b.hatena.ne.jp/septoot/

二階には突っ込んでほしいがホリエモンが好きそうでナイキCMには批判的な感じ。まあリベラルとは言えないかな。当然バッシングコメはない。

5人見たがリベラル系の人で差別主義者(?)を罵倒していた人は見当たらなかった。5人だとサンプリング数は少ないが、無作為に5人取って全く存在しないのに、残り全員リベラル寄りで差別主義者を罵倒しているなんてことはありえないだろう。

元増田が前提としていた事実存在しないということがわかった。

事実2:元元増田トップブコメスターをつけたのは普段差別バッシングしているリベラル寄りの人たちであるという事実はない。

5人で力尽きた。暇だったら他の人も見てみてくれ。結構漫画好きの人多いなあと思った(小並感

トップブコメにが差別的だと「はてなリベラル」はインチキ

元増田がなんであん記事を書いたのか深堀してみよう。

元増田によるとはてなブックマークはてなリベラルの牙城なので差別的なコメントトップに来たら「はてなリベラル」がインチキであるということになるらしい。

前々からはてなリベラルが軽々しく口にする「差別反対」には違和感があったんだけど

まりはこういうことなんですよね。

 

この連中が「差別反対」って書いたり口にしたりする時、負荷を全く感じてないでしょう。楽しげですらある。

それはインチキなんですよ。

自分自身が差別したがる人間で、「差別反対」って言うのはその自分の心を戒める覚悟の取り組みなんだってことがわかってない。



元増田がそういう課題を感じているというのはいいことだと思う。

想像力なく安易差別反対といっている人がいるんじゃないかという懸念というのは理解できる。実は自分自覚なく差別をしてしまう(またはしてしまっている)側にまわる可能性があるという想像力がなく、苛烈バッシングを「差別をした人」に対してしている人は存在する。そういう人は相手が「差別をした人」であることを免罪符にして過剰なバッシングをしているが、それではただの憂さ晴らし私刑である

相手が「悪くて」自分が「正しい」と信じているときほど人は残酷なことをやってのけるものだ。そして実際に自分差別なんかしないと考えている人が実際には差別をしていたりする。

でもね、この話そもそも前提がおかしいのではないかと感じている。

元増田は多分普段から特定の誰かのブコメ、もしくは複数差別反対を旗印に誰かをバッシングするブコメに対して、「こいつらは単に誰かを叩いて憂さ晴らししたいだけなんじゃないか」というような違和感を感じていたのではないか想像するそいつらの顔は笑っていただろう。実際文章から喜々として叩くようすが伝わってきただろう。だがしかしであるそいつらは「はてなリベラル」でも「はてなサヨク」でもない。単に「特定の誰か」なんだ。

そいつらがたとえ何らかのグループを名乗っていたとしても、だ。(多分名乗ってないだろうが)

でも元増田ラベリングした。なぜなら楽だからだ。

「彼らはあちらがわ」「我々はこちら側」と考えるのは簡単で、楽だ。

なぜなら、自分意見とちがうやつら、なんとなく嫌いなやつら、偉そうな奴ら、そんな奴らと話したりなんとかうまく折り合いをつけたりするのはとっても面倒くさい。実際ストレスだ、そんなことはなるべくやりたくない。

でも心の中で線を引いてしまえば、「アイツらはあちら側だからだめなんだ」と考えればそれで済む。うまくやることなんか考えなくていい、ただ敵対すればいい。あれこれ考える必要もなくなるし、不快な思いをする必要もなくなる。

でもそれはあんまりよくない。なんで良くないのか、俺の考えでは主に2つ理由がある。

ひとつめは、人間は全員違うということだ。

なので人間人間に線を引こうとすると、やろうと思えばどこにでも線を引けるということになってしまう。

人間は弱いので、そのとき自分の都合のいいところに線をひく。

ラベリングは必ず恣意的に行われるのだ。

そうすると、どういう人間が出来上がるかというと、外野から見ると昨日と今日で言っていることが違うダブスタ野郎になることになる。

まさに元増田のきらいな、「自分暴言差別ではないけど、政治家差別発言はぶっ叩く」というような人たちもこれと同じである

この場合自分のことを「差別をしない人たち」とラベリングして政治家とか叩く相手を「差別主義者」とラベリングしているのである。端的に言ってクソである

元増田はどうだ? 自分に都合のいい線引きをしなかったか

ふたつめは、単にそれが「事実ではない」ということだ。

あちら側とかそちら側とかそれを分ける線というのは存在しない。フィクションだ。

あるとすれば、自分と「その他」を分ける線があるだけだ。

結論

はてなリベラル」なんてもの存在しない。

はてサ」も存在しない。

ネットウヨク」も「パヨク」も「トランプ支持者」も存在しない。

はてなをやっているリベラル系の思想を持ったひとなら存在する。

はてなをやってるリベラル批判してる人なら存在する。

はてなをやってる差別主義者をボロクソに叩くくせに自分の子供は私立中学に通わせて公立学校を「動物園」呼ばわりするする人なら存在するかもしれない。

2020-11-07

anond:20201107053636

実在モデルを使った広告は、露出が多くてセクシー表現にしてもOKなのに、2次元萌え絵だとNGになる。

つきつめると、その理由がよく分からない。


女性のうち少数派ではあるけれど、今回のアツギ企画に出てきたイラストを好きだという人も存在する。

これが多数派のやっていることならば、身体露出セクシー表現も「女性主体性」と許容されるのに、少数派が同じことをやったら「性的消費」「男に媚びている」と叩かれる……。



追記

一口写真と言っても、女性向けの下着広告と、男性向けのグラビアは、ぱっと見てわかるくらいに表現技法が違う。

ただそれも結局、「女性のうちの多数派が受け入れているセクシー表現OK。それ以外はNG」という恣意性を含む。つまり女性多数派が受容している性表現セクシー、それ以外は倫理的に許されないエロ表現と叩かれるのだ。

結果的に、少数派はいものごとく、自分の好みに適合した表現をつぶされる。その上、「性的消費」「名誉男性」という汚名まで付けられるんだよ。

2020-10-30

anond:20201029220350

まずオフェンス面としては「言葉による定義」や「その定義に当てはまるもの社会的有害性のエビデンス付き証明」ぐらいは必要ですし、

ディフェンス面としては「同じ定義に当てはまるもの社会に大量にあったりはしないかのチェック」ですとか、「エビデンス恣意性がないかのチェック」ぐらいはしておかないと討ち死にリスク高まるでしょう。

本来大学でそういう議論の作法勉強するもんなんだけどね。

現代日本人の過半数大卒なはずなのに、こういう理解ちゃんとできてる人が少なすぎる。

 

まぁこういう傾向って規制派・フェミニストというよりは、右左にかかわらず「先鋭化しちゃってる層」の共通の特徴だと思うわ。

右側で言うなら街宣右翼

  

自分の考えが「完全な正解」だと思い込んでるから他人の話に耳を傾けず、仮に本を読んだとしても自分の都合のいいように解釈する。

批判されても自分は完全に正しいと思い込んでいるか相手の話を聞く前から間違っていると決めつける。だからそもそも真面目に話を聞こうとしない。

批判してくる奴は知性もしくは知識が低いと決めつけるから、「勉強しろ」としかいわない。

なお読むべき本など、どう勉強すればいいかは答えない。

2020-10-29

フェミニストの話が食い違う理由

フェミニスト表現規制話題で新作が出ました。

https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2004043.html

今度はこの江口寿史っぽい女性イラスト問題だと。

 

1.「とぼけている」という頻出問答

イラストを見た感じ、露出度は高いですが、まあイケイケ感ある夏の水着と言う感じで、

卑猥描写18禁的な描写がないことはどの立場の人も同意できると思います

実在女性がこの格好で夏の海岸などを歩いても逮捕されることは無いでしょう。 

 

では何を問題とするのか。

どのような論陣を立てて当該イラストを取り締まるのか。

これは規制の側に立つ人へ説明を求めて良いことですし、規制側に説明責任があります

はてなでの陣営トップコメントは以下のような物でした。

 

tobaritooth

別に私は元の看板問題だとは思わないけど、美人かどうかじゃなく生々しさの問題だってことぐらいは理解できるよ。

つかみんな理解してるのにすっとぼけてるだけだよね。

2020/10/29

この「とぼけている!」という怒りの声は

この種の規制問答で規制フェミニスト陣営から繰り返し出てくる特徴的な物です。

 

声高く何かを糾弾し、

その問題点や規制根拠を尋ねられたフェミニストサイドはしばしば

理解できるはずだ!なのにとぼけている!」と激昂の声を上げてきました。

ポイントは、主張の根拠論陣について質問された時に返答がこうなるということです。

 

Q.「あなたの主張の根拠わからん説明を求める」

A.「理解できるはずだ!なのにとぼけている!」

 

このやりとりはあまりにもしょっちゅうます

これはなんなのでしょうか?

 

 

2.フェミニスト側が考える「説明

結論から言うと、

双方の考える「他者への説明で満たすべきライン」が大幅に異なるためにこれが起きています

 

規制側・フェミニスト側の人達

「これを見て私の感情マイナス方向に動いた」ということで社会的アクション理由説明に十分だと考えています

「生々しい」とか、「なんかエロい気がする」とか、「キモい」とか、「オタクがこれ見てシコってそう」とか、

そういう瞬間的にハッとする心の動き。

 

ですからそのアクションに対して、同意されなかったり、反論されたり、根拠説明を求められたりすると、激昂します。

「え?なんでか説明して?」

とぼけている!」

明らかに相手とぼけている、私の心を無視して踏みにじっている、というわけです。

 

私の気持ちが現にある。

なのに賛同しないどころか説明を求めてくる。

この相手は私の心を否定している、許しがたいほど不誠実である

から怒る。

  

 

3.質問側が求めている「説明」 

ですが、説明を求めている側はそういうことを聞いてはいないわけです。

感情の動きは誰にでもあります

イラストを見れば何らかの心の動きは万人にあるでしょう。

そこがあるとかないとかを争われているのではないわけです。

 

かくいう私だってたとえば宇崎ちゃんの絵は下手糞な気持ち悪い絵だと思います。忌憚のない意見って奴っす。

しかしこの個人的な「気持ち悪い」のような嫌悪感と言うのは

そのままで他者通用するような何かではありません。

「私は宇崎ちゃんが嫌い、あの絵がキモい。」「ふーん、あなたはそう感じるのね」そこまでの話です。

 

社会的運動をして、宇崎ちゃんの絵を取り締まろうとか、降ろさせようとするならば、

そういう個人的情動を取れたてそのまま未加工で大声で叫んだって駄目で、

「なぜそれが社会的に許されないのか」という論理的説明理論武装必要になります

規制を唱える人達説明を求められているのはこの論理です。

 

まずオフェンス面としては「言葉による定義」や「その定義に当てはまるもの社会的有害性のエビデンス付き証明」ぐらいは必要ですし、

ディフェンス面としては「同じ定義に当てはまるもの社会に大量にあったりはしないかのチェック」ですとか、「エビデンス恣意性がないかのチェック」ぐらいはしておかないと討ち死にリスク高まるでしょう。

 

そうやって規制の為の論理を立てて、

それを規制に反対する側の人達論理チェックされて、

反論されて、再反論して、ディベートになっていくわけです。

  

 

4.話の噛み合わなさが常態化している

しかし昨今のネットで活発なフェミニスト陣営と言うのは

「私の心にネガティブな動きがあった」で説明が終わりです。

論陣構築の能力意志ゼロ

 

宇崎ちゃんの件では厳しく説明を求められたせいで渋々ながら論理構築を試みて、

陣営トップの知恵者達によって「環境セクハラである」だとか「献血自主性の問題である」だとか後付け論拠が次々示されましたが

建付けが甘いのですぐ破れ、また別の誰かが頑張って新しい論拠を立てたので大挙して引っ越したけどまたすぐ破れ、

陣営全体で酔っぱらったヤドカリのような右往左往を呈することになり、

論理より先に「気持ち」があったのは明らかでした。

 

今回の香港の絵にしても、

「生々しいだろうが!」と頑張ったって、

そう感じる人もいるし、感じない人もいるし、そんなの人それぞれなんです。

 

更に、1000歩譲って社会万民満場一致で「この絵は生々しい」と同意されたと仮定して、

生々しいから何なのですか。

「生々しい」と「道に貼ってはいけない」を繋ぐ論理が全く提示されていません。

 

tobaritoothさんがこの絵を生々しいと感じた。

それは誰も否定しません。争う必要意味もない領域です。

tobaritoothさんが嘘をついているとか、tobaritoothさんの感性おかしいとか、そんなことも言われてないわけです。

 

ただ、

Q.「あなた感性気持ちは分かったけど、それで何が問題なの?規制の為の論陣はどうなってるの?

A.「あきらかに生々しいだろう!とぼけている!

 

これは絶望的に話が噛み合っていません。

  

 

5.まとめ 

tobaritooth

別に私は元の看板問題だとは思わないけど、美人かどうかじゃなく生々しさの問題だってことぐらいは理解できるよ。

つかみんな理解してるのにすっとぼけてるだけだよね。

2020/10/29

この発言問題点をまとめると以下の通り。

 

1.「生々しい」という感想自明ではなく定量的でもなく、そもそも立場の異なる相手との議論に適さない。

2.そのような言葉を選んでしまう・同意されないと怒りだしてしまう点で自己他者境界あいまい

3.仮に「生々しい」ことに同意を得たとしても、肝心の「生々しいもの規制するべき」の論理ゼロ

 

要するに

他者通用する論理を扱う気が最初からなく、

自分感情内面体験を何よりも尊重し、

他者もそれに従うべきだと純真確信している。

 

自分不快の意は疑いようがなく正しく、

その表出はただ「不快である!」で説明終わりで、あとは周りがいいように計らってくれるべきで、

不同意されたり質問をされたりしたら「まだわからないのか!」「とぼけている!」。

 

このライフスタイルで通るのは幼稚園児と独裁者だけです。

 

 

6.この人達の苦しみの原因

tobaritooth さんにしてもよく読めばかなりおかしな言い方をしていて

別に私は元の看板問題だとは思わないけど、美人かどうかじゃなく生々しさの問題だってことぐらいは理解できるよ。

実は看板の絵が問題なのか問題じゃないのかはっきり言おうとしていません。

 

規制論議をぶち上げるたびにさんざん根拠説明を求められては言葉に窮してきたため、

「これこれこうで問題である。したがってこの絵は社会から排除すべきである!」という大上段で対決する知性や気迫をもった規制論者やフェミニストは半ば絶滅して

規制をするとかじゃないし~」「問題だとは思わないけど問題だし~」

のようなクネクネした振る舞いが増えてきているように思います

 

個人的にはこの人達意識的であるとか悪意があるという印象は持っていなくて(太田弁護士を除く)、

自他の境界あいまいであるとか、

自分感情客観的に捉える能力がないとか、

そのために感情が動くたびに大問題が起きたと感じてしまうとか、

そのために”大問題”を他者に通じるコード言語化することが出来ないとか、

そのような煩悶真剣に苦しんでおられると思います。 

 

しかしこの種の人達社会思想が包摂してしまうことはむしろ

この人達の苦しみの原因を助長する動きしかしないのではないでしょうか。

そしてこの種の人達を取り込むことは、フェミニズム自体パブリックイメージ議論能力を下げるという形で

最終的にフェミニズムにも祟るであろうことはほとんど予知できることです。

適していない人には「あなたは別の科へ」と敢えて参加を断る勇気こそ学問としてのフェミニズムを守る道ではないでしょうか。

 

2020-10-22

anond:20201022164218

定義あるだろ増田が言ってるのって「定義から恣意性排除したら俺が勝てないだろ」ってことだよね

2020-08-24

理系だが人文系学者の主張の恣意性を知りおののいてる

やれと言われた勉強以外一切やらずに無知教養なまま大学卒業した。

語学以外の文系単位なんて10も取らなかったと思う。

から文系学者が何やってるのか全然知らなかった。


で、最近まり無知教養だと人間との会話が成立しないことに気付き、本とか読みだした。

ちくま文庫とか講談社学術文庫とか中公文庫とかそういう系の。

それで思ったんだが、人文系学者が書く本、めちゃくちゃ親切じゃん。サイエンスライターはともかく理系学者が書く本は死ぬほど不親切なのに。


でも、親切で分かりやすものは、分かりやすいように情報が切り取られ体系立てられた恣意的ものだ。

そりゃあまあするする頭に入ってくるが、それお前どうなのみたいな主張が多すぎる。

そもそも結論があり論理があるというか、真実の究明よりも持論の証明目的に喋ってると言うか、へー、それが学問なんだ、みたいな。

正しいものが正しいんじゃなくて、偉い先生が言うそれっぽいことが支持されてる状態死ぬほど驚いた。


いや法学とか工学とか実学系はあれだが、理学部文学部ぐらいは真理の究明を目指してくれたっていいのに。

っていうか、工学部が兵器作るのは一発アウトなのに、文学部左翼とズブズブなのは良いんだ。

文系アカデミック世界、全スルーで生きてきたので、適当に足を突っ込んでみてあまりのあれさにおののいている。

そんなもんなの?

2020-04-29

コロナで図らずも社会学ジェンダー学界隈の恣意性がはっきりしたな

そんなの自殺数で分かってたじゃんと言うのは置いといて、

コロナでは明らかに男のほうが死にまくってんのに、自称男女平等論者はだんまりだよな。

現に可哀想被差別者である黒人に関してはそこそこ盛り上がってんのに、男性と言う視点には絶対にならないよな。そりゃそうだよな。だって男はお前らが大好きな可哀想被差別者じゃないもんな。

災害で(男性比較して)年寄が多く、筋力も弱い婆さんが多く死んでると言うことですら「差別だ!」と喚く界隈が、コロナバッタバッタと男が死んでることにはだんまりなのはほんとに笑うわ。

2020-02-09

フェミお気持ち連呼しとるけどさぁ

フェミ議論ってさぁ

であるがゆえに

気持ちが不当に害されていること

それがいちばん問題であるってのが

前提だからさぁ

「お前のお気持ちじゃねえか」

って指摘したところで、

「そうですけど?」

「今はじめて気づいたの!?驚愕)」

「男たちの前時代的な無自覚に呆れる」

ってなるに決まってるじゃん?

恣意性排除マナーの土壌から

お気持ちじゃねえかって指摘して

勝ち誇ったつもりになってもさぁ

議論の出発点が違うんだから

ちょー不毛じゃん

お気持ち議論しちゃいけないのは何故かっていう

わかりやす理由をいっこきめてさぁ

お気持ち暴走しちゃったやついたら

そいつになげかけるっていう

そういう理由をさぁ

繰り返し口酸っぱくして言うほうがいんぢゃね?

2019-11-14

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件

日本大学特に文系学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系学者達は自分たち存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。

だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端研究専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン一般特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系研究基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。

パンドラの箱が開いた

本題に入ろう。最近、1つの書評論文東大言語学研究室発行の紀要に出た。

田中太一日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=53475&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

書評された本は『認知言語類型原理』(京都大学出版会)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2

著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学准教授中野研一郎先生

 

普通書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後ちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。

こうすればあなた博士になれる

一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分オリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。

そして博士論文原稿は、3~5人の審査委員審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文大学に提出していいか審査する二次審査最後論文が完成し、大学に提出された後、博士学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。

ミサト:おめでとう!

アスカ:おめでとう!

レイ:おめでとう。

シンジ:僕はここ(アカデミア)にいてもいいんだ!

研究人生のフィナーレではないが、1つのピーである。こうやって研究者の能力お墨付きを与えるのが大学存在意義の大きな一部分だ。

要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学准教授になったようだ。周知の通り、大学終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。

 

博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生2014年度に京大を定年退官して、2015年から中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。

日本語に主語目的語、態、時制、格、自動詞他動詞はいらない?

さて、超大物お墨付き博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからいかパス。3節「日本語に存在しないとされるものから見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分から引用がある。

日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリ妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。

(『認知言語類型原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)

昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579

主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型原理』は、ミニマリスト断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。

「音象徴」の名の元に蘇る亡霊

これは熊倉千之氏の「音象徴理論に基づいているそうで、熊倉氏は、

膠着語にかんして、「イメージイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。

(これも田中 2019: 309から禁断の孫引き

熊倉千之 (2011)『日本語の深層〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』東京: 筑摩書房.

とのこと。

近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性原理否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣名前は、音と意味関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴基本的オノマトペ擬音語擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかあくま傾向性言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、

「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。

知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、

「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)

と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴

日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)

そうだが、書評子は、ここに鋭く矛盾を見て取る。

この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである同音異義語存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)

かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、

日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味機能通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)

と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。

そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、

1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年帰国後、東京家政学院大学教授1999年金城学院大学教授2007年退職

[wikipedia:熊倉千之]

という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学言語について言語学界とは関係なく自由思索著述をしている人のようだ。そういう独自言語論を唱える文学思想研究者はよくいるけど、普通言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型原理』もその類の本だったなら、東大言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ

驚愕の主張の数々

他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。

日本語では論理的命題を表すことができない」(田中 2019: 305)
日本語は英語を含む近代ヨーロッパ標準諸語に翻訳できず、また近代ヨーロッパ標準諸語も日本語に翻訳できない」(中野 2017: 268)
科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語(やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理的根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。」 (中野 2017: 268)
日本語の「伝聞」というコミュニケーション様態においては、伝えられる内容は、伝える者によって「主体化」されており、したがって、その「主体化」された内容の真偽判断に関わっては、「権威」が必要となる。伝える者に「権威」が伴っていない場合、伝えられる内容は真と判断されない。」(中野 2017: 16)

しつこいようだが、これで5年前に京大博士号が取れたのだ。

ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!

ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後激辛書評論文大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型原理』は、博士論文審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た

2019-10-17

積極的自由消極的自由字面だけで誤読マン多すぎて嫌になる

anond:20191016163058だけど、ちょっとブコメ誤読マン多すぎない? なんで? 3つくらい具体例を示してるのに何でそういう理解になるの?

こんな基礎的概念をいちいち説明するのアホらしいんだけど、消極的に~をやりたくないっていう自由消極的自由積極的にやりたいことやる自由積極的自由ではありません

行動を制約されず好きなことをできるのが消極的自由で、そもそもその行動のためのリソースを得られる、自由物質的基盤を手に入れられるっていうのが積極的自由です。

自由に書きたい本を出版したい! 国家検閲されたり出版禁止されたりしたくない!」という要求消極的自由を求めているいっぽう、

「確かに検閲はないけど紙の値段高すぎて自由出版できる状況じゃないじゃん! 政策的介入してもっとお値段下げてよ!」というのは積極的自由を求めている。

「好きなところに住みたい! 強制移住なんてさせられたくない!」というのを問題にするのが消極的自由で、

「確かに住居選択の自由保証されてるけど特定エリアしか水道引かれてなくね? 実質的に選ぶ自由がなくね?」というのを問題にするのが積極的自由

お小遣い範囲でならどんな本を買ってもお母さんは関知しません」が消極的自由で、

「でもお小遣いが月額500円じゃ新潮文庫も買えないじゃん! せめて3,000円ちょうだい!」が積極的自由

「好きなイラストポスターに描いても検閲されない日本自由の国!」は消極的自由保障されている状態だけど、

「でも好きなイラスト自由に描くためには画材を買うお金がいるよね。イラストレーターの給料が安くて自由に絵を描けない……」という状態ならば積極的自由が損なわれている。

「どんな性教育をしようが親御さんの自由です」が消極的自由で、

「でも事前に歪んだ情報が入ってくるような環境だと私がやりたい性教育ができなくなる」というのは積極的自由を求めているわけ。

こう並べれば、なんで消極的自由の方が重視されるべきか、なんで元増田要求積極的自由とみなされるか、ってのもわかるでしょ。

積極的自由重要だけど、それは消極的自由のほうが重要だって認めた上での話でしょ。

現代自由主義では、消極的自由保護だけだと実質的自由が制約された状況(=積極的自由がない状況)が改善されないので、積極的自由保護していくべきだと主張することが多いし、私もそれを支持する。

場合によっては、比較衡量のうえで、大きな積極的自由を獲得するためにささやか消極的自由犠牲にすることもありえるだろう。

でも、原理原則としては、消極的自由の方が積極的自由よりも重い。

最初増田でも書いたように、国は俺に六本木ヒルズに住めるだけのカネを補助すべきだ、と主張したら頭がおかしい人だろう。この場合、俺が六本木ヒルズに住むための物質的基盤は保障されていないので、俺には六本木ヒルズに住む積極的自由がないことになる。でも、それを問題だと思う人なんているわけがない。

しかし、もしも、合法的居住家賃も毎月きちんと払っているのに、国が俺を六本木ヒルズから追い出したらどうか? それはひどい、住居選択の自由侵害している、国家権力の横暴だ、とみんな怒るのではないか。これは俺の消極的自由侵害されている状態で、それは多くの人に不公正だという感覚を抱かせるだろう。

多くの場合は、六本木ヒルズじゃなくて義務教育とか女子教育とか最低限の住居とかそういったものが賭け金になっているから、積極的自由必要だ、と主張されることが多いんだけど、こういう極端な例を考えてみると、消極的自由原則的に保護されないといけないけど積極的自由はまあ程度問題だよなという話になる。つまり消極的自由の方が重い。

これが消極的自由積極的自由の違いだ。行動や動機積極的消極的かなんてこれっぽっちも関係ない。

なので、

いや、なんとなくおかしいというか、例示の文脈恣意性を感じる。献血にくる人を増やしたいから人気漫画コラボするって献血のあれは、どっちかと言ったら積極的自由って概念に入れるのが正確じゃないかと。

まり公的機関性的イラスト掲示したいと思う積極的自由は公の場で性的イラストを見せられたくないという消極的自由に劣後するわけね。筋の悪い議論

お色気イラストで客を呼びたい、なら積極的自由に、子供環境性的刺激を持ち込まないで欲しい、なら消極的自由になるような(´-`)既特性なんかも考えると視点によってがらりと変わるよね

詭弁原理原則としては同意するが、当該問題への適用が雑。掲示は明らかに他者広報(干渉)する目的でされているか積極的自由ともいえるし、これを差別表現とする立場なら見ることを強制されないのは消極的自由

アホかこいつ公共の場所で性的表現披露したいって方が積極的自由範疇だろ、猥褻絵画を見たくないがなんで積極的自由の追求になるんだ

積極的自由消極的自由”解りやすく言うと「やりたい放題やる」自由と「遮断したい」自由ね。でもそれ精神年齢とかで個人差あるモノだから間尺合う人とだけ付き合いたい

このへんのコメントは軒並み、問題文を理解していませんね、零点、でおしまい漢字は正しく書けてるみたいだから部分点はあげようかな。

追記

anond:20191018033934

ていうか現実問題積極的自由を実現するのって非効率だしものすごいリソースがいるよね。

幸福追求権を幸福権に変えることが可能かどうか考えてみればわかる。

義務教育なんて積極的自由の最たるものでしょ。日本社会における消極的自由を実現するためには日本語の読み書き能力とか日本社会についての基礎知識とか計算能力とかそういったもの必要で、それを叩き込む――つまり自由を実現するためのリソースを与える――のが公教育役割

言論の自由実践するためには表現を世に問うための読み書き能力必要だし、職業選択の自由実践するためには望みの職業に就くためのスキルとかが必要だよね。

政府批判をしても逮捕されない、自由に好き勝手言える、といった消極的自由保障されたって、日本語の読み書きが全然できない人とか日本社会の仕組みを全然知らない人とかは実際問題としてその自由を使いこなすことができないじゃん。だから最低限の消極的自由だけじゃダメ積極的自由必要なんだよ――というのが現代自由主義では割と受け入れられている考え方だと思う。

積極的自由恩恵は俺もお前もこの社会に生きるほとんどの人が受けているんだよ。

ただ、上で書いたようにあくまで程度問題。「女だから十分な学力を持っていても医者になれない」とかは直接的に職業選択の自由侵害されてるから問題になったけど、そもそも大学に行けるほどの教育を受けてないか医者になる道が最初からなかった、というのが問題視されることは少ない。医者になる気があって能力もある人間性別理由に選ぶ機会を奪われるのは消極的自由侵害から絶対にあっちゃいけないとみんな考えてるわけだけど、医者になれるだけの能力を育てる機会を持てなかったかそもそも選ぶ機会そのものがなかったというのは積極的自由が欠如していたということだから問題になりにくい。でもこれも直接的に奪われるのとは違った形で自由を持っていないともいえるよね。ではどこまで国家が介入するべきか? どのくらいの不自由までに国家責任を負うべきか? というのが、現代自由主義でよく議論される点。

我々法学徒は民法最初に出てくる「悪意」で、あっこの世界字面字面通り読むと単位がもらえないんだなーと理解する(理解できないと単位を落とす)が、一般人はそういう洗礼は受けていないので

文学部卒ワイ「なるほど~~~~~~~知らなかった~~~~~~~」

誰かも書いていたが、下手に理解できる日本語なのがいけない

英語でもnegative libertyとpositive libertyだからこれ以外に訳しようがないんだよね……

句点毎に改行入れるのはわかるけど読点に改行入れる人って(´・_・`)しかも全部の読点に入っている訳でもなければ、句点との差や話の区切りの見やすさにつなげる訳でもない

流石にこの文章を読んで読点での改行の意図をご理解いただけないのであればずいぶんと日本語の読解力が、その、なんというか、必要最低限に届いておられない方なのだなという感想しか湧いてこないですね……

前の記事でもこの記事でも増田自身程度問題とわかっていながらその線引きを増田正義における絶対的に正しいものと仮置きして喋ってるように見えるからいかんのでは?

程度問題って書いてるのは「積極的自由をどこまで保障すべきか」なんだけど私そこの線引きに関して何か断言したっけ? 義務教育絶対保護されるべき積極的自由だと主張したけど、そのほかの論点では特に断言とかしてないよね。

まあ、「何が消極的自由で何が積極的自由か」とかそういう話では線引きした上で断言したけど、私そこに関しては「程度問題」って言ってないよね。大丈夫? ちゃん日本語読めて議論の流れ追えてる?

2019-08-03

anond:20190803140114

展示の内容に恣意性はあるかもね

その点では左翼側も批判されていいのかもしれないけど

しか問題あくまで展示内容が不適切かどうかでしょう

本来それらは個々の作品の論評から具体的に論じられなければならないもののはず

現状の批判は、そこを指摘できずにあいまいなまま雰囲気糾弾してる人がほとんど

なんとなくこんなのアートじゃないとか、こんなの認めないとか

そういうふんわりした理由政府が口を出すことまで正当化してるネット言論レベル低いと思うね

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