はてなキーワード: 恣意性とは
困惑している。
「ひまそらあかね氏の公約を真っ向から批判してみる」を書いて、一日ぐらい全く動いてなかったので「まあそんなもんだよね」と思っていたら、
昨日突然なんか反応が色々来た。
https://x.com/himasoraakane/status/1805466811674280183
正直なところ、再度言及するのは味を占めている感というか骨しゃぶり感というかがあり、反応するかどうかは迷ったのだが、
こちらの理解不足であった点、さらに疑問の生じた点などあるので、改めて言及していきたい。
なお、今回は政策集note記事(https://note.com/hima_kuuhaku/n/n00a0ba9943d1)に加えてXの投稿もサッと眺めたが、
やはり他の場所で言及している可能性はある。そこはご容赦いただきたい。
①公金チューチューをなくす
これについては、予算決議の時点で公金不正が無くなるように食い止める、という主張と思っていたが、
補助金受領の不正な手続きがあった場合は返還を求める、という対応を強化する内容のようである。
そして、その実現のための具体案が「チェックルームとチェックルールを作」るという内容と受け取った。
ここは私が誤解していた部分である。
確かに、暇空氏はColaboの件で領収書が揃っていないことを指摘している。
それに鑑みれば、現状の補助金の不正な手続きへのチェック体制は不十分と言えるかもしれない。
だが、現状でチェックが全く行われていないかというと、そうではない。
各種補助金の手続きについては、各種補助金の担当部署が管理しており、不備・不正等がないかについても
各種補助金については、その担当部署の方が詳しく、内容の精査も可能だと思われる。
新たにチェック専門の部署を作ることはどれほど有益なのだろうか。
また、現状でチェックが不十分になっている要因についても一考する余地がある。
仮にその要因に「都職員のモラルの低下」があるとするならば、たとえチェックルームを作ったところで
チェックルームのモラルを維持できず、結局チェックは十分に行われないであろう。
各部署が多忙でチェックにリソースが割けないのであれば、その部署の人員を増やすことで解決可能である。
不正が野放しである状態は、新たな枠組みを作ることでキレイに解決、といった類の問題では無いであろう。
既存のルールの中で当該問題が解決しうるという点は、ひまそら氏も同じ見解であると思われるので、
なおこれは揚げ足取りであるが「チェックルーム」の設置には東京都組織条例の改正が必要と思われる。
ひまそら氏が提示している方法では、「議会を通」さないのは難しいだろう。
全ての経済政策には曲りなりにも意図がある。例えばコロナ禍の旅行支援、飲食業支援は分かりやすい。
いわば災害のような不可避的な要因で、収益が得られない業種に対する補助が目的であった。
それでは、ひまそら氏が案として提示する用途限定のクーポンはどうか。
「バズのため」というのは何なのだろうか。
これが「普及のため」などであればまだわかる。例えばマイナンバーカードは適正な利用が広がれば
国として非常に有益であることから、その普及のためにマイナポイントを支給していた。
しかし、例として挙がっているのは「ファミレス」や「映画」である。そして「バズのため」にクーポンを発行するとしている。
一ファミレスのメニューが人気になること、一映画が大きなヒット作となることがあれば、
「バズ」は都政によって生み出され得るものであろうか?
仮に生み出せたとして、都が主導して生み出すべきものなのであろうか?
用途を限定したクーポンについて、その本質は「特定業種の業者への根拠なき補助金」であると思われる。
どれだけひまそら氏が透明性を確保し、どれだけ分野を広げたところで、
その対象業種の選定に合理性が無ければ「趣味に血税を使うな」の声は免れないであろう。
「政治的繋がりがあること」が悪なのではなく、「無駄に税金を使うこと」が悪なのである。
ただ、ひまそら氏の「普段取らない行動もおのずから選択できるような設計、施策」は非常にいい発想であると思う。
同一ブランドまたは同一事業者が経営する店での複数回利用を制限してはどうか。
こうすれば先述の恣意性を緩和でき、また長期的には普段取らない行動を促す効果が期待できる。
「癒着」については、クーポンの対象業者選定段階での、ひまそら氏以外の「癒着」についての疑問であった。
ひまそら氏が独断で業者選定を行うことはまさか無いと思うので、どのように行う予定であったのかを尋ねたかった。
「癒着」が無いことを示すのは、いわゆる悪魔の証明であるため、それを絶対に起こさないのは極めて難しい。
ひまそら氏は「透明化が一番の対策」としているが、それがなかなか難しい。
例えば、文書の残らない談合での口利きがあったとして、どう「透明化」するのか?
都でのアプリ内製化については、他に優れたプラットフォームがある現状において私は不要と考えるが
「東京都がすることに意味がある」という主張は一理あると思う。
ただしこの政策において、ひまそら氏のアプリ設計運用知識が活きる場所は、
これは以前に述べた通り、アプリの設計運営は知事の職務では無いためである。
これも揚げ足取りだが、「深く施策を見ることができる」と意見ツイート内にあったが
これは問題のある発言である。知事は施策を執行する側であり、見られる側である。
この手の誤りは政治家としては致命傷になりかねない。
慎重な言葉遣いをお願いしたい。
ついでに、いろいろと反応いただいた件についても取り上げたい。
なお、反応については要約して軽めの語尾にしている。
・代案出せよ
①問題の存在→②解決策の提示→③解決策の問題の指摘→④代案出せ
上記の流れの④は、②で問題が発生していることを否定できていない。
ただし、代案が無ければ「思いつく限りでは②の解決策が①を解決する最良策である」は間違いではないし、
②の抱える問題が①の問題を放置するほどに大きいか、という比較検討になる。
今回でいえば、「公金チューチュー」は無くすべきであるし、都民への還元策はあってもいいと思う。
何より、外からワーワー指摘するのは簡単だが、実際に作り上げるのは難しいものである。
そこで、今回は①の問題の所在について触れつつ、一部代案も提示した。
代案を提示せず批判に終始している箇所は、公約から文言を無くしてしまった方がいいのではないかと思っている。
これは私はひまそら氏ではないために、なんとも言えない問題。
ただ、立候補して政策を立てている以上は、それについて一考する価値はある。
加えて、支持者が手放しで称賛しているのを見て「いやいや……」と思ったため記事を出した。
その通りかもしれない。が、ひまそら氏はそれを批判しており、約束は守ると公言しているため
実現可能性について疑問がある点は指摘すべきだろう。
そもそも、「現職が公約実現してないから他の人もいい」にはならない。公職選挙法違反関連と同じ。
・こうやって取り上げるのがひまそら氏の利になるからそっとしといて
もし、この記事が政策のブラッシュアップの一助となり、それによってひまそら氏の票が増えるのであれば
それはそれで悪くないことであると考える。
私はひまそら氏の支持者ではないが、アンチでもない。政策が良くなった上で票が増える分には何も問題ないと思う。
加えて、ぶっちゃけた話、この記事にそんなに価値は無い。利にもならない。
この記事を読む層、リンクを見る層、ひまそら氏の意見ツイートを見てキャーステキとなる層はごくわずかであることは自覚すべきである。
少なくとも、ひまそら氏が選挙戦を戦うにあたって取り込まなければならない層は見ない。
その上でなんでこの記事を書いているかと聞かれたら、自己満足としか言いようがない。
・暇空氏がオンブズマンから門前払い食らったのは知ってて書いてる?
知っている。「オンズブズブマン」というパワーワードが誕生したのを忘れはしない。
オンブズマンにも問題があり得るが、これは調査される側である知事が口出しする内容ではない。
ただし重ねてになるが、この辺りの補助金の実績報告後の調査という点は、ひまそら氏は公約としては織り込んでいないと解釈している。
すなわち、補助金の実績報告時にしっかりチェックをする、という仕組み作りを目指しているようである。
この点、支持層でも誤解している方はいらっしゃるのではないだろうか。
ヘイトスピーチ……
それはご指摘の通り。お恥ずかしい。
人格否定はしていないと思う。「口が悪い」は言ったが、これは支持層も共通見解なのではないだろうか。
他にもアイコンの件など思うところはあるが、可能な限り政策に関連するところに話をとどめたつもりである。
以上である。
ひまそら氏の性格からして、セルフ二番煎じである当記事をどれだけ誰かがひまそら氏に見せたとしても、
ひまそら氏がタッチすることはないと思われる。
したがって凸は控えることを推奨したうえで、この記事を締めたい。
最近Xのトレンドに「ひまそらあかね」関連のワードがほぼ常に張り付いている。
一応知らない人のために書いておくと、ひまそらあかね氏は2024/7/7の都知事選立候補者。
一般社団法人Colaboの会計不正問題などをはじめとする社会問題に積極的に活動しており、
いわゆる「闇を暴く」系の行動力・発言力が何倍もあるバージョンと表現すればいいだろうか。
その行動力の高さから支持する人も多い一方で、口の悪さにも定評があり、
また「琴葉茜」を彷彿とさせるオリジナル(と称する)キャラクターを使用していることもあいまって
多数のアンチを生み出している。
当然ながら上記で追及されている人権団体の支持者からも忌み嫌われている。
そんなひまそら氏だが、先日「政策集」と称するnote記事を公開した。
https://note.com/hima_kuuhaku/n/n00a0ba9943d1
この記事に対する評価は、「やはりひまそら氏は素晴らしい!!」と手放しで称賛する声、
「こんなの政策じゃない」ととりあえず否定する声、とだいたい二極化である。
私は後者寄りなのだが、ひまそら氏の公約への否定の声は、中身のどこが問題であるのかを触れた
そこで、当該公約についての問題点を指摘しようというのが本記事の趣旨である。
批判内容について、他の場所ですでに追加の説明があるということもあり得るが、そこはご容赦いただきたい。
①公金チューチューを無くす
これがひまそら氏の最大の過去の功績であり、最大のテーマであろう。
「公金チューチュー」とは、要するに団体が不正に都から金銭支援を得ることなのだが、
それらの「公金不正問題を追及」できるのは「僕だけ」とした上で、「探し出して駆逐する」という内容である。
「公金チューチュー」は無くすべきであると思うし、その駆逐は都民にとって有益なことでもあると思う。
第一に、知事は会計監督権を有するので、いわゆる「公金チューチュー」の洗い出し・修正指示自体は可能であろう。
しかし、「公金不正問題を追及するのはしがらみのある既存の政治家には難し」い中、これらの問題に歯止めをかけることは可能であろうか。
知事の権限による予算案の再議については、地方自治法第176条に定められており、
議決から十日以内であれば再議に付することが可能であるが、出席議員の3分の2が賛成すればその議決は確定する。
すなわち、ひまそら氏が「公金チューチュー」を無くすためには、少なくとも
必要がある。これを実現するだけの人をひまそら氏は集められるだろうか?
加えて、これは「公金チューチュー」が織り込まれた予算案を否決するための必要条件である。
知事には予算案の提出権限があるが、それを通すためには議会の承認を得る必要がある。
それができずに知事と議会で膠着状態が続けば、当然ながら困るのは都民である。
Colaboについてひまそら氏が記事を公開し始めたのが2022年9月、いわゆる「WBPC」の4団体へと拡大したのが同年12月である。
一団体にこれだけの時間をかけていると、「駆逐」にはどれだけの時間を要するのであろうか。
当然、一次資料の入手しやすさ、話題性が高いことによる引き延ばし戦略などもあろうかとは思うが、
どの程度の期間で精査を完了するかについては、是非スケジュールを出していただきたいものである。
さらに、ひまそら氏は公金不正問題に関して、「抜本的改革」を行うとしているが、
その具体的な内容については触れていない。
現状では、予算については監督権を有する知事と、その補助機関である監査委員・監査事務局、
それにもかかわらず、暇空茜氏が追及している問題については、これまで取り上げられることが無かったのは
何に起因しており、「第二、第三の暇空茜」を生み出さないようにするためにはどうすれば良いのか。
「のり弁」のない公文書の開示は確かに一つの手段とはいえるだろうが、それが「抜本的」であり、
必要十分であろうか。
還元そのものは良いとは思うのだが、いくつか問題点を指摘したい。
地域振興のためにデジタルクーポンを発行している自治体は多数存在する。
例えば、兵庫県養父市では市民1人あたり3,500円をのデジタルクーポンを支給している。
(これはカードを利用したもので、ひまそら氏が挙げているアプリを利用したものではないことは留意が必要)
他にも「デジタルクーポン 自治体」で検索すれば、プラットフォームが多数ヒットする。
このことからも、デジタルクーポンの発行自体はなんら目新しいものではないと言えよう。
ひまそら氏は、「映画どれでも1回無料チケット」や「ファミレスどこでも家族一人につき千円チケット」
映画に興味が無い人は映画を見に行かないであろうし、健康に極めてうるさい人はファミレスに行かないであろう。
映画、ファミレスは「多くの人が喜ぶであろうもの」として挙げたのであろうと推測される。
これがたとえば「ジム」や「エステ」、「釣り用品」など、よりニッチなものになればどうだろうか。
これら全てに喜べる都民はどれだけいるだろうか。
であれば、用途を限定せず、都内の対象店舗であれば何にでも使えるクーポンとした方が良いのではないだろうか。
わざわざ用途を限定したクーポンを発行することに合理性はあるのだろうか。
たとえ広いジャンルの決定であっても、必ず恣意性は生じるものである。
このような恣意的な決め方では、利用者のみでなく、企業からも不平不満の声があがることが
容易に想像可能であるが、どのように対応する予定なのだろうか。
なお、ルール策定において「利権癒着防止」を行うと掲げているが、
その具体的な方策についてはやはり述べられていない。
ひまそら氏は自身の経験を活かし、「東京都クーポンアプリを設計運用」すると述べている。
まず、地方自治法149条に規定される職務には該当しないと思われる。
また、地方自治法142条は、知事が自治体の請負人となることを禁止している。
恐らく法的な抜け道のようなものはいくらでもあるとは思われるが、ご教示を願いたいところである。
システムの設計運用の仕事自体を否定するつもりはさらさらない。必要な仕事である。
ひまそら氏の肝入りの政策だからこそ深く入り込みたいという考えも分からなくはない。
だが、それが知事としてあるべき姿なのか。
知事が公共工事最前線でショベルカーを運転していたら、その仕事がどれだけ素晴らしいものでも
「知事が何をやっているんだ」と思うであろう。構造としては同じようなことだと思う。
先述したが、そもそもアプリについては既存のプラットフォームは複数存在している。
はっきり言えば車輪の再発明である。これらのプラットフォームに勝るような新奇性・安全性を
担保できるのであろうか。
また、「ソーシャルゲームの設計・運営」と「クーポンアプリの設計運用」は大きく異なるように思われる。
この点については特に疎いので強い言葉は避けるが、経験は活きるとしても
それほど簡単に応用が利くものであるかは、専門家諸氏に伺いたい。
③政治献金の一切を受け取りません。
ただし、掲げる政策としては弱いように感じられる。
しかし、これによって「癒着」が無くなるかといえば話は別である。
他の都議会議員が献金を受け取っていれば「癒着」が生まれる可能性はある。
この可能性をどのように消すのか。「公金チューチュー」の項でも述べたが、
また、ひまそら氏は裁判のためにカンパを募っているが、これは紛れもなく献金である。
もちろん政治活動のための献金ではないため政治献金とは言えないが、
知事としてカンパに申し込んだ人に利する行為をすれば、紛れもない「癒着」といえよう。
ひまそら氏には、カンパに申し込んだ方々に利する行為は決してしない、と明言をお願いしたい。
なお、上記カンパの募集をしているひまそら氏が、自己財源で政治活動を行えるのかは
疑問の残るところではあるが、批判すべき内容ではないだろう。
一点目は、ひまそら氏を否定する方々へ。
気に入らない候補者だからといって、頭ごなしに否定するべきではない。
それができないなら黙っておいた方がいい。
二点目は、ひまそら氏を支持する方々へ。
さすがに盲目的に肯定しすぎではないか。私が批判した内容は一回でも頭に浮かんだのか。
この記事の内容を見て、じっくり考えてみてほしい。
私も的外れな批判をしているかもしれないので、もしもそうであれば指摘してほしいし、
真っ当だと思えば支持者として批判してほしい。
それができず、「小池/蓮舫/石丸陣営の仕込んだサゲ記事だ!」というのであれば、もう何も言うまい。
三点目はひまそらあかね氏へ。
政策の策定にあたって恐らくリーガルチェックはかけているとは思うが、
本記事での批判については、YouTubeやらXやらnoteやらでぶっ叩いていただいても構わないので、
疑問を解決する方向なり、方針を修正する方向なりで動いていただけると幸甚である。
普段の口の悪さを2段階ぐらい下げていただけるとよりありがたい。
その上で、これまで否定こそあれ、批判が少なかったことには警戒心を抱いていただきたい。
今の支持者だけでは選挙に勝てないのは明白なのだから、より支持層を広げなければならないが
その下地ができていない。政策を見てくれてさえいないのだから。
顔を見て、かっこいいとかかわいいとかその容姿を魅力に思う気持ちと、性器を見てエロいと思う気持ちって、言葉が違うだけで大差ないのではないかと思ってる。
言葉の違いが認識を変えさせてるという哲学の話じゃないが、なぜ座頭相撲とか公唱制度やってた国がここまでエロという概念をこしらえてそこに忌むべきものとしていろんなのを突っ込んで公然と言えない空気にしたかというと、
公然と水着の女やグラビアアイドルを見ていいなと思うことはよくて、海外のヌーディストビーチを裸体鑑賞目的で行ったら変態と思われることには、どうにも恣意性を感じるというか。
でこまん事件みたく性器ひっさげて表現の解放を主張するのは過激派的だとしても、刑法175条の緩和を謳うならエロ漫画テイストの性器が見える構図の裸体に性器部分だけモザイクかけたパネル貼った街宣車で選挙活動するぐらいのことはあってもいいんじゃないか。
もちろんこれすら「良識」ある人間としては抵抗を感じてなかなかするのが正しいことと思えない部分があるが、この良識感覚自体なにか誰かの都合で、サブリミナルナッジ理論そのほか無意識に作用する社会的手法を意図的に使われた刷り込みに感じる。
ありがとう。こういうこと↓を考えていてすでにほかのトラバでも一度書いた通り
だから、合致しているとはどういうこと?そりゃ常識的には「わかる」から変なこと言ってる自覚は大いにあるけど、突き詰めればそういうことになると思う。
推論規則の「一覧表」があるとして、あるマスの記号列とあるマスの記号列の関係それ自体を厳密に記述することは可能なのか?
「書き換えられる」というような関係ならば、それを「書き換える」という概念をまだ持たない宇宙人などに、感覚によった対面のレクチャーではなく、「記号列」で伝えることは可能なのか?
また、その一覧表を作った本人がそに一覧表に基づいてある記号列を演算規則に基づいて書き換えたつもりになってたが、上記に書いた「常識的」という意味で、間違った規則の適用をすることもあるだろう。酔っぱらっててぬとねの区別もつかなくなってるみたいな状態だったりとかで。
推論規則を作った定義者すら、その一覧表をできないとき、その一覧表は推論規則を示したものとしての「意味(解釈ではない)」を持つのだろうか?
誰も空を見るものがいなくなったとき空は青いのかの話じゃないけど、誰もそれが推論規則の表であると認識しなくなったら、それは本当に推論規則なのだろうか?ただの「絵」でしかなくなっていないか?
あとは、概念が「数学的実在」なるものとしてあって、数学はその実在的な概念を発見したものだというなら、推論規則なり定義というのはそうした実体を指示する記号に相当する。
これはアメリカというような「固有名詞」が、アメリカと呼ばれる国であるあれを指すという単なる約束に基づいてるのに比べれば、うえで言うような記号は、実体そのものを記号を並べる順番や位置という関係性によって表現しようとしていることと、指示する約束という恣意性を兼ね備えているんだよね。その表現は実体を指示するにあたって本当に一意で「約束」を抜きにしても厳密なのか、情報の羅列として実体を一つに絞ってるのかって話になる。
関連性を定量化する試みは、道徳的・政治的優先順位を暗黙裡または明示的に仮定しており、客観科学などではない
Google崇拝厨はこの手の議論をあまり理解してない気はする
しかしこのような政治的偏向が確実に存在している検索エンジンの方が、SNSで検索するよりもはるかに(偏向度合いについては)マシである可能性がある
確かにGoogleは自分たちのやっていることを「政治だ」と正直に言わずに、客観科学であるようなフリをし続けるだろう
しかしSNSでは「いいね」「シェア」という拡散のための仕組みが組み込まれており、情報を中立的に扱うのと逆を行っている
「人気なものは価値がある」という前提では、政治的偏向がどこまでも悪化するだろう
検索してもなかなか出てこない情報の中に、検閲されたものがたくさん存在する
しかもただ検閲されているだけではなく、事実として信頼できる情報源である場合がある
結局、調査にエネルギーを費やさずに、ダラダラと本能に従ってネットサーフィンするのでは洗脳されるだけなのだ
SNSにも良い点はあり、シャドーバンの仕組みさえ存在しなければ、すべてのポストを検索できるということだ
イーロンマスクがTwitterを買収する前までは、私は登録するだけでシャドーバンの対象にされていた
SNSの悪い点は、ロシアンファイアーホースと呼ばれるように、複数の情報源を捏造して大量投稿し、特定の情報を信じさせようとする点である
こうなると、Xでポストを検索しても、似通った意見がざっと目につくようになり、ユニークな意見や事実は封殺されるかもしれない
コミュニティノートも、事実がなんであるかを判別するためのヒントとして機能する可能性はあるが、どのポストにノートをつけるか、誰がコミュニティノートに参加できるかという点に恣意性がある
要するに、私には「インターネットを良い場所に保ちたい」という願望があるが、インターネットサイエンスや諜報機関が何をしているのかについての歴史をもっと学んでおく必要がある
続き
2022年4月の県民からの申立を受けて、2023年8月30日に苦情処理委員が県教委へ提出したもの。
県民の申立についてと、これを受けて苦情処理委員が調査に基づいて県教委へ勧告した内容が記されている。
勧告書には、平成13年度(2001年度)に同様の勧告があった経緯についても記載されている。
これに対する当時の県教委の報告書における「今後の方向性」は以下のものであった。
県教育委員会としては、 将来にわたって共学化を進めていくという立場に立ちながらも、 本県の数少ない別学校は、 多くの県民の強い支持があること、 各学校の主体性を尊重する必要があることなどから、 早期に共学化を実現するという結論には至らなかった。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/josi/index.html
女子差別撤廃条約は、男女の完全な平等の達成に貢献することを目的として、女子に対するあらゆる差別を撤廃することを基本理念としています。具体的には、「女子に対する差別」を定義し、締約国に対し、政治的及び公的活動、並びに経済的及び社会的活動における差別の撤廃のために適当な措置をとることを求めています。
条約全文
https://www.gender.go.jp/international/int_kaigi/int_teppai/joyaku.html
第10条
締約国は,教育の分野において,女子に対して男子と平等の権利を確保することを目的として,特に,男女の平等を基礎として次のことを確保することを目的として,女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとる。
(c) すべての段階及びあらゆる形態の教育における男女の役割についての定型化された概念の撤廃を,この目的の達成を助長する男女共学その他の種類の教育を奨励することにより,また,特に,教材用図書及び指導計画を改訂すること並びに指導方法を調整することにより行うこと。
勧告要旨の1点目について、確かに条文では男女共学を奨励しているが、その目的は「教育の分野において,女子に対して男子と平等の権利を確保すること」とある。
半世紀前の世界で女子の教育機会が限られていた時代の条文であり、県内外に共学別学さまざまな選択肢がある現代の埼玉県において、この条文を根拠に目的が達成されてないと主張するのは無理があるように思う。
勧告要旨の2点目について、管理職・教職員の男女格差是正は必要だが、共学化に結びつける論拠には乏しい。
男女別学との因果関係はあるかもしれないが、この目的で共学化を主張するのは論理が飛躍している。
他にも勧告の詳細では他県の状況などを列挙しているが、いずれも共学化の主張を補強するに足るものではないように思う。
埼玉県男女共同参画推進センターが主催するイベントに毎年出場しているらしい。
第21回 With You さいたま フェスティバル出展参加団体紹介
https://www.pref.saitama.lg.jp/withyou/event/report/r4/21th_fes_dantai02.html#kyougaku
代表者氏名 清水はるみ 会員数 100人 所在地(活動拠点) 鶴ヶ島市
2001年9月、私たちは「埼玉県内のすべての公立高校を男女共学に」をめざして、「共学ネット・さいたま」を設立しました。
2000年3月に「埼玉県男女共同参画推進条例」が施行され、「男女混合名簿の使用」と「別学校の共学化」を求める市民からの苦情申し立てがなされたのを契機に、共学化の運動を推進していく市民運動の母体として、様々な活動に取り組んできました。
WebサイトやSNSアカウントなどは存在しないようで、どういう論拠をもって共学化を推進しているのかはわからなかった。
10月12日に提出したという要望書も見つからず、公開されていないと思われる。
団体名・代表者名で検索すると、ジェンダー平等の各種活動への賛同者として登場しており、苦情処理委員への申立者と同じ論拠で共学化を推進しているように見受けられる。
7項目に渡って勧告書の問題を指摘し、主にダイバーシティの観点から別学の意義を主張している。
女子別学を肯定するのか否定するのか、文脈が判然としない記述である。
7番目の項目は簡潔に一文のみで、勧告書の無茶な主張を一蹴している。
最後に、埼玉県立高校の管理職や教職員の格差等については、県教育行政の問題であり、今回の共学化とは趣旨を異にするものである。
勧告書の問題点を指摘し、別学の意義を理路整然と説明しており、おおむね納得できる内容に思える。
ただ部分的には根拠に疑問があり、特に6番目の項目はやや感情が先走っているようにも見受けられた。
別学出身者とりわけ男子は、社会に出ると、定型化された男女の役割という概念から抜け出せず、社会生活に支障を来す、あるいは四囲に悪影響を与える等、問題が生じるとでもいうのであろうか。もちろん、そのような調査結果などはなく、そのような実情にもないというのが一般人の感覚であろう。
今日においてこそ、高校教育における別学の有用性が認められ、再評価されるべきである。別学の存在意義は誠に大きいものといわなければならない。
12月20日に開始。発起人は浦和高校関係者(在校生・卒業生とそれらの保護者)有志とあり、県内の別学・共学の高校がずらりと参画メンバーに名を連ねている。
現在(1月8日)時点で1万5千を超える賛同者が集まっている。
Change.orgサイト内とX上で賛同者のコメントを見ることができるが、対象の別学在校生・卒業生以外にも、共学出身者や県外出身者など広い層から賛同を得ているようだ。
賛同者のコメントの多くは当事者および社会への影響を懸念するものであり、理知的なものであるように見える。
特に関係者以外からのコメントは実感のこもった真摯なものが多く感じた。
一方で首を傾げるコメントもそこそこ見られるのが気になった。
勧告書の内容や経緯を誤認しているもの、卒業生が個人的な思い出のみを根拠に感情的に反対を叫んでいるものなど。
中には何故かLGBTQやフェミニストを敵視・蔑視し対立を露わにするものもあり、ナンバースクール出身の品位も矜持もないものかと残念に感じた。
そもそもの議論の出発点や経緯が共有されてないようにも思えるので、署名の説明に勧告書と意見書のリンクでもあればいいのにと感じた(今回私がこの記事を書くことになった動機)。
勧告書の主張は根拠に乏しく、到底賛同を得られるものでないように思える。
しかし勧告書が提出され議論の俎上に載せられた以上、正しく議論が行われるべきである。
浦和高校同窓会の提出した意見書、およびオンライン署名の活動は意義あるものだと思う。
追記:そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。
東京大学と東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学「ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義はTwitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判のツイートはヒットしない(Twitterの検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評はAmazonのレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである。講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。
本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名の形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学の講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学「ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。
まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。
1. 媒体:現地で行う音声形式の講義では記録に基づく批判が困難であるという点。
2. 受け手の資質:講義の対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しかも批判に割くだけのリソースを持っていないという点。
3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。
4. コミュニティ:この講義はボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティを形成する役割を同時に担っており、コミュニティと批判との相性が悪いという点。
以下、これらの点を順に見ていく。
書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画で配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまいやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったからである。
この講義は主として東京大学の教養学部の学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想や概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点からの検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義を批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義そのものが大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである。
ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。
まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲を評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである。
「テマティスムは、作家のメッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ、作家と作品の細部から、作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマを抽出し、作品の価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)
さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師は提唱している。以下に書籍の抜粋を示す。
「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)
「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)
つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。
もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、
①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること
②個別の楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること
③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること
である。しかし書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師の言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚を思考の俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能だからである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由な評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉が賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。
現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバムの作成やちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティを積極的に提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体はマイノリティたる若者を鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義を批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかしコミュニティを形成するとはそういうことなのである。
「ボーカロイド音楽論」の講義が書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙や政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしまう未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。
強い言葉で言えば、
「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別の楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」
である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配は杞憂であってほしいが)。
筆者がこの講義や書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。
1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別の作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。
2. 「思考の俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考が必要なぱて講師の感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。
3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的でしか「思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れなものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能な手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法の限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。
注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンスの書籍『利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体の利他行動も、種や遺伝子を主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身の生存や繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないからである。(遺伝子は自然選択の対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択の対象として観察可能なものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て「個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。
正直言って俺も胡散臭いと思っているし、信用もしていない。
理由は簡単。マナー講師の奨めるマナーというものが一般的ではないように感じるため。
マナー講師が独自のマナーを作ってそれを流布しようとしている。
だが少し待ってほしい。
恣意的なものというのは果たしてマナー講師のマナーだけだろうか?
本題に入ろう。
掻い摘んでいえば助詞の使い方についてであり、文法規則のことだ。
例えば、次のような文章があるとしよう。
一般的に正しいのは1。
では2はどうだろうか?
違和感を覚える?そうだろうね。
でも、2が間違っているわけではない。
それはただ読み難いというだけに過ぎない。
そもそも我々が「は」を「が」と同様にしない理由はあるのだろうか。
はっきり言おう。
そんなものはない。
ええ、その通り。だからこそ世の中のルールというのはおおよそが恣意的である。
にもかかわらず、恣意性であることに気づいていない人が大半なのは悲しいことだ。
しかしこれは悪いことではない。寧ろ必要なことであり通念がなければ社会は成立しない。
だからこそ必然性のない恣意性を我々は教育として受け入れ、それを是として正しいと認識する。
緩やかな洗脳。必要悪。それは洗脳と呼べばそうであろうし、常識と呼べば好まれる。
だからこそマナー講師を糾弾するというのは同時に、自分の洗脳に対する嫌悪でもあるはずなのだ。
世はSNS全盛期。
人々は情報に踊らされ、偏った情報に洗脳されている人々を笑う。
洗脳されている奴らを洗脳されていることに気づいていない奴らが笑う。
拙い文章ながらブクマやコメントをいただきありがとうございます。
そしてコメントにおいて何点か気になるものがあったため追記しました。
君は自分が思ってるほど頭良くないし作文も上手くない。もってまわった言い回しを全部切って文量を半分にすると頭良くなるし作文も上手くなる。騙されたと思ってやってみな。
まず、これは頭が「良い」や「悪い」の話ではありません。
そのため本文の内容を理解できたのであれば感想として「頭が良い」「頭が悪い」といったものは出てきません。
何故なら本文が示す意味は準拠するものを問うからであり、意味を理解したなら「そもそも頭が良いとは何か?」といった感想になるはずです。
つまり「分かりやすい文章を書けた方が”頭が良い”のならば、その分かりやすさはどの程度の知能を基準とするのか?」という問題です。
本題と言いつつ本題ではない部分だけど、文法的に通じることと同じ意味として通じることを混同している。愛の告白をする時に「僕は君は好きだ」なんて言ったら十中八九「じゃあ誰が嫌いなの?」って返されるよ。
その上で「じゃあ、どうしてそれを”混同”と呼び、差異を認めるのか?」といった話です。
ただ例として出した文章が分かり難いといったことは否めず、それは完全にこちら側のミスと言えるでしょう。
すみません…。
問題は、それら「が」と「は」が同じではないとして、では何故同じではないのか?という話です。
本文を書くきっかけは、部下と言語についての話をしたことでした。
私は言語学や記号論を学んでおり、当時はそれらが時代の潮流に乗り、栄えた時代でもありました。
そこで私がジェラール・ジュネットやマリー=ロール・ライアンを持ち出して話をしたところ、ポカンとした表情を見せられ、
じゃあロラン・バルトについてはどう思うのかと聞きました。
すると彼は「それってガンダムのキャラクターですか?」と笑って尋ね、私は愕然とし、構造主義としての思想はもはや廃れてしまったのか?
「犬も猫も同じ」と言われて、どういう状況を想定するのが正しいのだろうか。
「動物が好きで、特に犬が好きだけど、猫も好き。犬も猫も同じ」と言うなら、「確かに同じだ」と思うかもしれない。
一方、キャットフードを犬に食べさせて「犬も猫も同じ」と言っていたら、犬の健康上問題があるし、虐待にもなりうる。
一般に、「AもBも同じ」という言葉には、そういう恣意性が必ず残る。
「犬と猫は違う」と言われて、どういう状況を想定するのが正しいのだろうか。
「キャットフードを犬に食べさせてはいけない」と説教する時に言う、「犬と猫は違う」という言葉は、慈愛のこもった意味を持つだろう。
一方、「犬は人間の相棒だけど、猫は害獣だ。猫はいくらでも虐待していい」と言い放つ人間の言う「犬と猫は違う」という言葉は、決して許してはならない差別の言葉だ。
一般に、「AとBは違う」という言葉には、そういう恣意性が必ず残る。
性道徳や性秩序の維持などを含む社会法益を守ってるつもりなんだろうが、モザイク修正のないものを頒布することによってこれを害すること(あるいは、モザイクがあることによって法益が守られること)に合理的な説明はできないはず。根拠がないから。
そうであるにも関わらず、この法の存在によって、成人向け表現を扱う業界が払っているリスクが大きすぎる。今回捕まった女もそうだが、当局が目をつけたらいつでも引っ張れる恣意性があるのはヤバい。松文館裁判もそういう感じだった。
日 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
01 | 2590 | 286207 | 110.5 | 46 |
02 | 2800 | 286395 | 102.3 | 41.5 |
03 | 2271 | 246565 | 108.6 | 36 |
04 | 2271 | 253246 | 111.5 | 43 |
05 | 2617 | 280907 | 107.3 | 44 |
06 | 3147 | 346327 | 110.0 | 45 |
07 | 2795 | 311520 | 111.5 | 44 |
08 | 3123 | 334100 | 107.0 | 43 |
09 | 3462 | 358795 | 103.6 | 43 |
10 | 2690 | 322336 | 119.8 | 46 |
11 | 2630 | 324664 | 123.4 | 48 |
12 | 3089 | 327769 | 106.1 | 43 |
13 | 3065 | 310485 | 101.3 | 43 |
14 | 3055 | 309481 | 101.3 | 42 |
15 | 3395 | 372902 | 109.8 | 47 |
16 | 2854 | 278621 | 97.6 | 39 |
17 | 1917 | 181388 | 94.6 | 39 |
18 | 1791 | 225530 | 125.9 | 41 |
19 | 2616 | 279356 | 106.8 | 41 |
20 | 2594 | 261121 | 100.7 | 43 |
21 | 2957 | 295717 | 100.0 | 43 |
22 | 2248 | 242794 | 108.0 | 44 |
23 | 2467 | 255632 | 103.6 | 41 |
24 | 1922 | 198205 | 103.1 | 41 |
25 | 1960 | 203982 | 104.1 | 42 |
26 | 2198 | 235352 | 107.1 | 44 |
27 | 2628 | 278552 | 106.0 | 43 |
28 | 2481 | 252332 | 101.7 | 42 |
29 | 2362 | 289387 | 122.5 | 41 |
30 | 2484 | 255316 | 102.8 | 42 |
1月 | 78479 | 8404984 | 107.1 | 43 |
■子供産まなくてよかったです、マジで /20230604131352(209), ■家買う派を説得するのを助けてくれ /20230627173049(132), ■嫁のご飯の食べ方が変で困っている /20230613214051(124), ■学食のソロ女性には話しかけていいのか。 /20230619100802(116), ■闇バイトバカにされてるけどZ世代からすれば時給1000円で命売ってるやつらのほうがバカだよ /20230614143801(82), ■いい感じの地方都市に移住したい /20230623200235(81), ■この条件だと仮定してお前ら結婚する?? /20230617225158(78), ■県営公園での「水着撮影会」 絵面がめっちゃキモいんだけど(追記) /20230609110346(74), ■隠れた名曲アニソン教えてくれ! /20230620140223(71), ■子供を残すことは人間の本能だって言う人が不思議 /20230607231943(63), ■カスタマーサポートだけど、開発チームに敬意が持てない /20230629233830(61), ■公園クレーマーの俺が公園クレーマーの考えてることを書くぞ /20230607162734(59), ■20代既婚女だけど子供は産まないと思う /20230606154326(58), ■夫になんとなく不満を感じている。その正体が分かった気がした /20230627134726(57), ■子育て、やってみたらとっても楽しかったんだ!この楽しさを知らせたい /20230609063417(56), ■綺麗事じゃない世の中の真理が描かれてる作品を教えてくれ /20230608163830(56), ■株を買ったことのないやつと投資の話で全く意思疎通できない件 /20230607174710(54), ■日本単独野営協会 公式サイトの差別表現について /20230614174810(51), ■大学無償化の年齢差別がヤバい マジでやばい /20230621172603(51), ■陰口たたかれてて草 /20230627233850(51), ■自分は恩恵を受けといて、それ言う? リスト /20230605204840(50), ■元推しに子供生まれた報道で吐くほど泣いた元オタクの呪詛 /20230426173820(49), ■家事って適当で良いんじゃなかったのかよ /20230616142515(49), ■日本で真面目に生きてれば貧困になんてなるわけない /20230626183201(48), ■ /20230619230120(46), ■賃貸マンションに入れてはいけない客 /20230609174500(45), ■「マッチングアプリ」と同じイントネーションの言葉ってなくない? /20230612094820(44), (タイトル不明) /20080226120600(43), ■AV女優が子供にバレエを教えたらいけないのか /20230628114724(43), ■三十路のおじさんだけどコミュニケーション能力上げる方法教えてくれ /20230615192053(41), ■職員旅行で派遣のおっさんが「旅館の冷蔵庫の飲み物は高い」って言ってコンビニで飲み物買ってきてドン引きした…みみっち過ぎるだろ… /20230612193928(41), ■タッチパネル式食券機を作ってる連中ってバカなの? /20230626204826(41), (タイトル不明) /20230621013350(41), ■「バグる」を人間に使う人ってファミコンやったことないでしょ /20230602201126(41), ■刑法175条撤廃を要求する論理(憲法21条への違反、恣意性・曖昧性への /20230613103158(40), ■日本の女優は水着撮影から逃れられない /20230612091139(40), ■賃貸マンションに入れてはいけない客・タトゥー入ってる人編 /20230616150339(39), ■喪女が童貞と結婚したが速攻セックスレスで死にたい /20230613221752(39), ■中国がわりとやばい件について /20230611231950(38), ■かみさんに浮気された /20230608190201(38), ■「出版業界ってなんで売れる商品を作らんの?」って思うんだが俺って変? /20230623115015(38), ■妻に対する文句を吐き出したいんだけど、そういうのってどこで吐けばいいの? /20230625224232(37), ■ドラクエの戦闘に納得いかない /20230602064346(37), ■家事にフリーライドしてくる系夫 /20230628151516(36), ■ヨッピーの育児エントリーが苦手(追記しました) /20230621100841(35), ■スライドドアっていうほど必要か? ※追記アリ /20230608161846(35), ■世界の大失敗政策=女性の社会進出 /20230601110312(35), ■国や都市名がそのまま物の名前になってるもの /20230616221020(35), ■リベラル、左派の人達が最終的にどこまでやるつもりなのか分からないのが怖い /20230609173551(34), ■少女漫画を理解する心の広い俺 /20230616132131(34), ■派遣のおっさん、京都旅行でお昼に天下一品が食べたいと言い出す…旅行にまで行ってチェーン店行くか?? /20230606163132(34), ■健常者から見たADHD/ASDのウザいところを書く /20230621230631(34), ■弁護士俺、注意喚起したいことがある /20230531234800(34), ■氷河期世代はどんだけ不幸か、下の世代はわかってない /20230615183923(34), ■面白い漫画を教えてくれ /20230630160239(34), ■「お天道様が見てる」、「漫画の悪役になっちゃう」←悪行を働かないためのこの自意識 /20230611115720(34)
それを言い出すなら「イラクの3バカ」祭りから説き起こしましょうか?
本当の、真のっていう言葉の恣意性は、はるか昔に指摘されてるわけでねえ。
比較が重要なところで「絶対」を持ち出す時点で「落第」。自由権規約からやり直し。
も一つ言えば、この手の理屈は悪意を表明しているだけにも見える。
プロジェクトの達成基準は事前に掲げられていて成否判定は明確に決まるようになっている・・・訳ではないのか?
「政治からの圧力でスケジュール優先させた結果、いくつかの懸念の声を封殺した」という反省があるのなら(チャレンジャー号のこと?)、なおのこと解釈の恣意性が出るような曖昧な基準にはなっていないはず。だからいま対外的な広報として成功・失敗を明言できないのは完全に政治の話だと思ってるし、そんなことに手こずってるJAXA自身が政治への脆弱性を如実に見せていて残念としか言いようがない。
あと、荷物(ペイロード)を予定の軌道に届けられたら成功、正常に飛行ができず荷物を喪失したら失敗
って「成功でも失敗でもない」ケースが多すぎて、まったく使い物にならないんだが。「今回のケースは判定基準のける『順延』のケースに該当します。計画続行中のためまだ成否判定を出すフェーズではありません」とか言ってくれた方がまだ納得できる。それはそれでムービングターゲットだという非難は出そうだが・・・
眠いので、何かネットフリックスで再生して、音だけ聞きながら目を閉じて、面白そうだったらちゃんと見よう、と思うじゃないですか
本当はナイブズアウトとか見たいんだけど、俺は断然字幕派で、しかし英語力が低いので、洋画を音だけ聞いても多分1割も話がわかんない
なので、まあ邦画でも見っかあ!となったときに、ちょっと前に話題になってた「花束みたいな恋をした」が目に入る
俺は恋ってそもそも嫌いなんで(理由:顔や体型がキモくてモテず、恋愛にコンプレックスがあるから)、流行ってた当初からもうエンガチョボックスにインして、無視してたんだけど、しかし、"マジでどうでもいい"ではなく、"エンガチョ"というのがポイントなんですよね
俺にとって、そもそも、「花束みたいな恋をした」は、"道に落ちてる軍手"ではなく、"道に落ちてるフレッシュな人糞"だったんだ
ゼロじゃなくてマイナス、見る前から反感を覚えるタイプのものだった
己と向き合うっつうかさあ!
そんで、まあプレビューを見るわけですよ
ネットフリックスにおけるプレビューっていうのは、よく分かんなくて、なんか本編をテキトーに2分くらい切り出して、こんな感じやで〜ってのを見せてくれるやつなんだけど、見るたびにシーンが違ったりして、見せられるシーンもよく分かんなかったりして、全体的によく分かんねえの
花束…のプレビューもまあよく分かんないシーンだったんだけど、そのよく分かんない2分くらいの間でも、十分に不快だったのだった
まずね、男の名前が"麦"らしいんだけど、こっからもうハナに付きますねえ!
うおーーー いや いるか いるんだよ いるにはいるんだけどさあ なんかこう、なんつうか、サブカル映画の主人公の名前が都合よくそんなちょっとハズしたオシャレネームになるわけねーだろ
田舎の出なんだろ?だったら弘大(こうだい)とか亮太(りょうた)になるハズなんだ コウダイとリョウタだったら俺の田舎に2人ずついるからよお 許してやるわ
リョウタなんていいじゃん響きもさあ 耐えてんじゃん これがゲンキくんとかだとちょっとワンパクすぎるけど、リョウタはまだサブカルの文脈にのりうる
何?麦って
ナメてんのか?
堪え難い マジでムカつく
そんで女も絹ですか 絹はまあ、いねえけど、個人的には、単体としては許せる
でも麦と絹って組み合わせになってくると話は違うなあ!くせえんだよーッ
イケてんだよーッ! でも実際そんなにイケてるわけねえだろ
俺はせめて亮太と唯くらいにしとけって話をしている 唯も田舎に3人くらいいたからよ〜っ
麦と絹にするな コモン・センスとして、それはダメだろ サブカル大好き男女の名前が麦と絹なわけがない ありえない
この一点だけでホント5分くらい文句を並べ続けられると思う マジで受け付けない 殴るなら顔だな、という気持ちになる
そんでなんかさあ、夜の飲み屋街で、麦クンと絹チャンがさあ…… ああ〜マジで許せんこれ 麦くんと絹ちゃんじゃないだろ ありえないんだ
亮太と唯がさあ、夜の飲み屋街で、押井守がウンヌンつって意気投合、みたいなシーンなんだけど、なんか、女の子の方がトイレットペーパー両手にもってんのね
そういうのがムカつくんだよな〜ッ 知らねえけどさあ なんか、アレだろどうせ、「わたしたち、出会ったときトイレットペーパーなんか手に持っててさあ、締まらなかったよね〜!」みたいなコトなんでしょ
殺すぞ
恣意性が目につくんじゃ
いや文脈知らないけどさあ 文脈知らないからこれ以上文句言うのはやめとくか……
で、なんか押井守がどうこう言ってさあ!
知ってますよ押井守!おおかみこどもの雨と雪(?)の母親描写がキモくて炎上してた人でしょ! 的な、イジワルな言及をしたいんだけど、よく考えたらべつに作中でも押井守の評価はいったん置いとくとして、居たねえ!みたいなノリだったな ムカつく〜 居るなよ
そのあとなんか、キモい東京の地名出して会話してるシーンがあって俺は限界を迎えた キモい東京の地名を出すな 耳が腐るからよ
スニーカーがお揃い!みたいな謎シーンでプレビューは終わった どーでもええんじゃ
真のサブカルオタクなら、スーパーセンタートライアルで買った1800円の靴を履け! それが本当のサブカルチャーってことだろ 超マイナーだぜ〜 俺以外誰も履いてない
とにかく全体的に許せないが、さすがにエアプで批判するのは良くねえから、本編も見てやるかあ!と思って再生押したら、イキナリ、デカデカと「テアトロ東京」みたいな配給会社の名前が出てきて、俺は本当に「ウグッ!」とうめいて再生をやめた
テアトロ東京のこと何も知らねえけど、イチバン嫌いなタイプの社名だ なーにがテアトロじゃ テアトルだっけ? 梅田にもそんなんがあったなあ!
俺も行ったよ!彼女とさあ、なんか、イタリアのエクソシストのドキュメンタリー映画見に行ってさあ!
覚えてるセリフがいっこあるぞ!"Vattene, Satana!”
サタンよ、出ていけ!
俺はこの先、見切ることができるんだろうか?
できなくてもいいや という気持ちがある
それがお互い幸せだろう
私としてはとても良いものを読めたと感じました。
私にとって今までの石川さんの印象は、「その場その場の気分で動きすぎていたり、周りに振り回されすぎていて、本人にそのつもりはなくても狼小僧みたいになってた」というものでした。
なので、失礼ですが私は今まで石川さんのツイートは読む価値がないと感じていました。どうせ次の瞬間には言ってること変わってるし、何よりちゃんと本人が考えて発言してるように思えなかったから。簡単に言うと、誰かに操られてるロボットのように見えてました。でも、今回の一連のツイートを見ると、ある程度人間らしさを感じられました。本当に自分の感情と向き合おうとして困惑されているような感じ。リベラルにありがちな「結論がガチガチに固定されていて無理やり理屈を合わせる」といった感じがなくて好感が持てるものでした。
今回のツイートを見る限り、石川さんは矛盾した感情を抱えながらそれに向き合おうとすることができる人なのだと感じます。
ただ、そういう状態をTwitterで垂れ流しにするとろくなことがない。例えばゴンのような人間によって都合の良いところだけ切り取られて晒される。そして、すでにTwitter上での石川さんのイメージはそういう切り取られたものがメインになっていると思います。そういう思考の整理はTwitter上ではなくブログなどで行った方が良いと思います。ブログなら、ゴンのように都合の良いところを切り取って仲間から良いねをもらおうとするあさましい人間は逆にその恣意性を問われますが、Twitterだとやりたい放題です。
そして、その切り取りに対してまたいちいち弁明したり対抗して・・・それってあまりに無駄じゃないかと思います。「ブログだと読んでもらえない」「Twitterだと切り取られて不愉快」と思うならそれはただの甘えでしょう。いい加減なんでもかんでも自分の思い通りに受け取ってもらえると思うのはやめて、自分の気持ちを正しく伝える場を選んだり、伝える方法をちゃんと考えてほしい。そういう努力すら嫌だというなら社会運動のリーダーをやろうとなんかしないでほしい。
石川さんの周りのお仲間が石川さんのことを本当に大事だと思っているのであれば、石川さんの「よく考えたい」「どちらにも居場所がない」と感じる気持ちも尊重してくれるだろうし、我々に賛同しないならお前に価値はない」と言い出すようなら逃げ出したほうが良いと思う。