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はてなキーワード: 「道」とは

2018-09-26

anond:20180926114919

動詞「回る」は五段活用だが、名詞「道」にくっついて「回り道」という一つの名詞になる

同じように「イキる」が「オタク」にくっついて「イキりオタク」になることには何の問題もないのではないか

2018-08-16

アニパロコスプレもただの楽しいお遊びだったのに、「道」的なものにする人が出てきていらんお作法が出て来てるんだな

単純にクソ

2018-06-12

anond:20180612032633

機能移転とか「道」とかガバガバ設定増えてきたと思うがな

あと最近の評判の良さは完全にでんでん現象

2018-06-11

日本に入るとどんなもの「道」になるというんだから

ロックロック道になったり、アニメアニメ道になったり、保守保守道になったり、リベラルリベラル道になってたりするのかな

2017-11-29

出産前後あんまり知らなかったこ

出産の時の痛みはよく話にあがるのですが、それ以外はあまり聞かなかったので印象に残ったことをメモしてみました

いきんだ時にうんちも出たらどうしようと不安になり助産師さんに聞いたら、出てもサッと取ってくれるとの事で安心しました

出産が終わったら痛みとはお別れかと思いきや、会陰切開の痛みと母乳マッサージの痛みが襲う大スペクタクル

会陰切開どころか尻穴まで裂けてしまったので先生が丁寧に縫ってくれたのですが、抜糸まで1週間。うんこをするのには苦労しました(尻が裂けているので)

入院最後までドーナツクッションがないと座れませんでした

出産後2~3日でおっぱいサイズが3ランクほどUPしますが、同時に乳が張って泣くほど痛いです

さらに乳を出す「道」を作るため、助産師さんが力いっぱい乳をマッサージしてきます。その場にいたママさん全員が痛みで絶叫していました

自分は乳の出も良く、赤ちゃんの吸いも良かったのでトラブルはありませんでしたが、中には乳首ダメージを喰らうママさんもいます

あれだけ出ていたお腹は徐々にもとに戻るような感じですが、もうお腹はいないんだなと思うと少し寂しい気持ちになります

2017-10-07

ウィキペディア車輪の項目が、秀逸と聞いて。

最近ウィキペディア車輪の項目を眺めた。

車輪の再発明、という言葉は知っている。

しかし、車輪自体歴史などについては、曖昧としたまま、あー、はいはい、既にあるライブラリー関数を使えって言うプログラマーのアレでしょ。

数学でも哲学でも、先人の知恵を有効活用しようよ、と。

Googleさんのセリフ巨人の肩の上に登ろーよって言う。

  

なんだけど、車輪って、舗装された道路存在したときに、とてつもなく威力を発揮するとあった。

(まー、鉄道におけるレールのような話か。デコボコ道だと、いまいち車輪付きでも、その便利さを利用しきれないってことだった。キャタピラってもんが、あるが。)

中国ローマ皇帝が、「道」・「道幅」・「水はけの良い道」について規格の統一をさせたってのは歴史画期的なこととして歴史教科書書いてあるが、大事みたいだね。

今の日本ならば、アスファルト舗装された高速道路のような片側二車線の道路と、田舎の砂利道や住宅街の入り組んだ細い道とでの自動車が出せるスピードを考えて見たらいいだろう。

  

似たようなこと、今、流行ビッグデータとか人工知能コンピュータ世界に改めて、考えてみたい。

コンピュータにおける舗装された道路とは、何だろうか。  

人工知能が利用しやすい形、あるいは、プログラミングがなされやすフォーマットでの

データ形式で保存されることが、期待されているようだ。

囲碁世界では、棋譜が残されていて、そこから人工知能自己学習をさせた。

適切なフォーマットへと変換された後でだろうが。

ディープラーニングという手法で。

(アバウトな理解だけれど、もちろん、始めは人間が教えて、その後に人工知能vs人工知能でも、自己学習をしていたようだが。)

これからパソコン理解やすい形に、データが格納されていくと、

本当に、あっという間に、あらゆる仕事がかわるんだろーなと。

人工知能による翻訳とか期待されているが、これからも、単純作業よりも、少し複雑なルール仕事人口知能に置き換わっていくのかーってことを、

なんとなく、車輪説明想像出来た。

  

2017-06-30

https://anond.hatelabo.jp/20170629234043

出典『老子道徳経

(中略)

馬王堆帛書では「大器免成」であり大器に完成はないという意味だった。本来前後の句とともに「道」は無形無限のものであるということを表していた。

大器晩成 - ウィクショナリー日本語版

馬王堆帛書ってなんじゃらほい。

馬王堆帛書

1973年12月、馬王堆三号漢墓から出土した帛書(はくしょ)で、12万余字に及ぶ厖大な量である。帛とは絹のことで、紙が普及するまでは竹簡木簡などの他に絹が使用されていたことを証明している。絹は保存が困難で伝来するものは稀であり、重大な発見となった。内容は、天文星占に関するもの医学に関するもの、陰陽五行に関するものなどで、これらは前漢・文帝の12年(紀元前168年)の遺物とみられている。これに書かれた文字は、「篆書から隷書に至る過渡的な段階にあるもの。」といわれているが、「篆隷中間書というはっきりしないものではなく、正しく整形した一書体に定着した新書である。」との見解もある。

馬王堆帛書とは - ウィキペディア小見出し辞書 Weblio辞書

まり馬王堆帛書老子道徳経いちばん古いの?

出土資料としては、郭店一号楚墓から出土した残簡(郭店楚簡)が最古である。それに次ぐものとして馬王堆漢墓から出土した2種類の帛書(『老子帛書』甲・乙)がある。

老子道徳経 - Wikipedia

じゃあ最古である郭店楚簡では大器晩成はどうなってるの。

郭店楚簡『老子』は、「大器晩成」(第四十一)を「大器免成」(大いなる器は完成することがない)に作る旨が述べてあり、これは腰巻にも紹介してあるから、本書の「売り」の一つなのかもしれないが、蜂屋前掲書によれば、帛書乙本が「免成」であって(帛書甲本は缺字)、楚簡は「曼城」となっているという(p.199)。もっとも、「曼」は「無」に通じ、「城」は「成」の通假字とのことだから、「免成」と「曼城」とは同義なのであろう。

http://d.hatena.ne.jp/higonosuke/20140412

どっちにしろ完成はしないわけだ。

「『大器晩成』の句はとくに有名であるふつう、『大人物の完成には時間がかかる』として、不遇な人を励ましたりするのに使われるが、それは『老子』の真意ではない。『晩成』ということばは、文字どおりには『できあがるのがおそい』であるが、前後の句との関係で考えると、むしろいつまでも完成しない、その未完のありかたにこそ、大器としての特色があるということであろう。できあがってしまうと形が定まり、形が定まれ用途も限られる。それでは大器でなかろう。」

金谷治老子』(講談社学術文庫1997年)136-137頁

http://cgi.shinkyaku.com/p.cgi?130317a/40

総合すると、晩成だろうが免成だろうが「大器は完成しない」が真意だが、もちろん老子は「完成しないかダメだ」と言っているのではなく、「完成しないからこそ大人物なんだよ」という意味合いになるのだろう。

そもそも、該当部分ってまるごと「故建言有之」だから「昔からこう言われてるよね」という引用にすぎなくて、老子自分自身言葉で語っている(いやそもそも老子存在自体が怪しいけど)のは「上士聞道 勤而行之 中士聞道 若存若亡 下士聞道 大笑之 不笑不足以爲道」、つまり(追記:自分なりの解釈を書いていたけどやっぱり難しいので削除するね)みたいな話で、それの例示なんだから「大器にはこれと決まった形がないんだから完成することもない」といったところなんだろうね。

2017-06-29

大器晩成意味

増田で『老子』もしくは『魏書』を引いている投稿があったので、久しぶりに『老子』の原文に触れた。

大器晩成」っていつも疑問で、漢代以降の「大人物(あるいは大事業)は時間をかけて完成するのだ」的な解釈でもいいんだけどさ。

最近、古い文字資料が出てきて「大器免成」と書かれてて、「大器」は成立することを免れる、だから成立しないのだ、なんて逆の解釈することもある。

この新解釈は耳目を引きがちだが、それゆえに、取ってつけたような印象を受ける。

老子の原文、「大器晩成」がある辺りはおんなじような文構成になっている。

明道若昧。進道若退。夷道若纇。上徳若谷。大白若辱。廣徳若不足。建徳若偸。質眞若渝。大方無隅。大器晩成。大音希聲。大象無形


明るい道は暗きがごとし。

道を進んでいるようで退いている。

高い徳は谷のように深く。

大いに白いものは辱(よご)れているように見え、

広い徳は、足りていないように見え、

剛健な徳は、愉しんでいるように(怠けているように)見え

質実は渝(うつろからっぽ)のように見える。

大きな四角には隅がない。

大きな器は晩成する。

大きな音は、その音が聴こえない。

大きなカタチは姿が見えない。

この辺りの文章は、ものすごく良いモノや大きいモノは、それゆえに逆のようにも見える(あるいはそのように見えない)、という文脈だ。

特に大器晩成のあるところは、

A大きすぎる四角は、それゆえに四角く見えず隅がない。

B大きすぎる音はそれゆえに聴こえない。

C大きすぎる物はそれゆえに見ることができない。

という流れ。

これを踏まえると、「大きすぎる器は、それゆえに完成しているように見えない」とするのが妥当なのではないだろうか。

から「晩成」でも「免成」でも良いような気がするんだ。

出来あがるのにめちゃくちゃ時間がかかる⇔いつまでたっても完成しない って、意味が通ずるよね。

ここでむしろ重要なのは、出来あがるのに時間がかかるorいつまで経っても出来ない……ように見える! じつは大器! ってところなんじゃないだろうか。

大きな器は、大き過ぎるあまり、出来あがっていないように見えるのだ。そう考えるのが文脈的ではないだろうか。

これを踏まえて現代的に譬えると「器のでかいやつは、器がでかすぎるあまり凡人にはなにやっているか伝わりにくい。あるいは、アホみたいな振る舞いに見える」とでもなるだろうか。

「晩成」か「免成」か、の議論だと大きな器が成立するかしないか、すなわち大人物は成功するかしないか議論が向きがちだ。

しかし原文の文脈に照らすと、大器は一見すると器として成っていないように見える。

(徳のある、あるいは「道」に沿う)大人物は一見してそのように見えない、とも読み得るのではないかというのが本増田のいいたいところだ。

2017-06-02

AlphaGoの衝撃
(これはカケツも泣くわ)

AlphaGo VS AlphaGo

https://deepmind.com/research/alphago/alphago-vs-alphago-self-play-games/

いやあ、スゴイ。衝撃。これはカケツも泣くわ。

常識ほとんど根底から覆される。

碁だけではなく、大げさに言えば、ヒトとは何か、人「間」とは何なのかを問い質されているかのようだ。

碁がわからない人にもなるべくわかるように書くとですね。

まず、間合い、みたいなものほとんどない。

普通は、というか今までの人間常識では、いきなり接触するのではなくて、少し間をあけて近づくのが常識

一間とかケイマとか。

そういうのがない。いきなりフルコンタクト。(Games 1の10手目、12手目ナニコレ?)

それから、関心があちこち飛びまくる。

普通は、というか今までの人間常識では、とりあえず局地戦を何らかの形でまとまらせてから次に行くんですよ。形を作る、というか。暫定的結論をつける、というか。

ここは実利を与えるけど、その代わり外向きの厚み、勢力はもらうよ、とか。とりあえずどっちの石もすぐには死なない形にはする、とか。石通しの繋がりは確保しておく、とか。

それが全然お構いなし。

戦いの真っ最中に、全く別の場所で戦いを起こす。で、そこも途中で放置して次に行く。で、思い出したように前の戦いに戻る。と思えばまた放置

それを繰り返すので、今まで見慣れた形がほとんどでてこない。わけがからない。どっちが勝ってるのかさっぱり不明

で、格言っていうのがありまして。だいたいこういう考え方でやれば間違いないよ、みたいなやつ。

「ツケにはハネよ、ハネにはノビよ」とか「もたれて攻める」とか。

全部無視

この格言っていうのは、何となく理屈じゃなくて感覚的なもので、しっくりくるところがあるというか、少し碁がわかってくると、モノの道理というか、「道」というか、そういうものに感じるようになっているんですよ。今まではそうだったんです。

水は低いところに流れて行く、みたいな感じで。物理でいうとエネルギー保存則的な。細かい経過はともかく、最終的にはそうなるんだよ、という大きな流れがあるように感じてたわけです、我々人類は。

それがどうやら間違ってたんですね。根底から

嘘だったんですよ。まあ、全部じゃないですけど、かなりの面で。

人間感覚なんて全然あてにならない。ということをAlphaGo先生は、つまり神は我々に教えてくれたわけです。

そういう人間感覚っていうのは、最適解ではなく、次善の策なんでしょうね。わからんなりに大コケしないためにはこうしておけばそんなに間違いではない的な。

で、これまではその感覚をより体得している人が強い。達人。仙人。そのレベルの戦いだったわけです。

それが突き詰めれば、穴だらけだった、と。

で、これをもう少し拡大解釈すると、人間社会にも適応できる可能性に気づくわけですよ。

まりですね。

空気を読みつつ、間合いを取りながらの人間関係は決して最善のコミュニケーションではない、とか。

つのことを形にまとめる前に、その時々でもっと重要と思うことにあれこれ同時に手を出していくというやり方の方が良いかもしれない、とか。

多分、高次元能力を持った人はそれが良いんでしょうね。実際そんな気もするし。

いろいろ手を出す、と言っても、脈絡無いわけでは無いんですよ、ホントは。遠いところで実は関連があって、今手を出しているところも、実は遠い場所での事柄とうっすら関係している。だから、ここはあえて結論を出さずに、先に別の事業を進めておく。その進捗具合によって方向性を変える、という柔軟性がいるんでしょうね。

それで、やっぱり違うと思えば、これまでの労力は無視して大きな投資もあっさり捨てる。サンクコストは気にしない。

さらに敢えて踏み込んで例えると、

理解できない能力の者から見ると、パーソナリティ障害だったり発達障害ADHDみたいに見えることもあるんでしょうね。

しかしたら、発達障害的な特性って能力さえあるなら最適な行動様式なのかもしれないですよね。

まあ、あってるかどうかはともかく、そんな様々な由無し事を、問い直し、突きつけてくるだけの衝撃がAlphaGoにはありますね。

そらカケツも泣くわ。

で、なぜこのような人の常識を問い直すようなことが、チェス将棋でなく、碁で起こるかというと、それこそが碁というゲームの奥深さ、面白さだと思うわけです。

まり宇宙の縮図、というか宇宙のものなんですよ。

で、それに目をつけたGoogleは本当に正しい選択をしたと思います

これからこの50局は様々な解釈をされていく黙示録的なものになっていくんでしょうね。

ああ、すごい世界になったものだ。

2017-01-29

こんな学生、まってます

記事を書く前に

先に述べておきますが、例の増田には完全に同意します。

しかしながら、「その逆をやれよ」というのは少し酷だとも思いますし、

私は人間の不完全さを信じているので、このような形で日記を書こうと思います

はじめに

就活生の皆さん、お疲れ様です。

もうとっくに始まってる人、決まっちゃった人、最近始めたばかりの人、もっとからだと思ってた人、色々いると思います

はいわゆるクリエイター系の会社で働いている者ですが、自分経験やこれまで出会ってきた学生さんのことを思い出しながら、


こんな学生、ほしいです


と思われるケースをいくつか紹介したいと思います

調べる癖がある

知ってますか?

例えば大手企業に務めるクリエイターが何かを知りたいと思った時、どうやって調べるか。

それぞれの企業門外不出知的財産庫があると思います

違うんですよ。

グーグルを使うんですよ。Googleをね。


別に企業研究しろ」と言っているわけではありません。

例えば、あなたに分からない事がありました。

「なんでだろう?」と思いました。

そこですぐに調べる。グーグルさん教えて。

これが出来れば素晴らしい人材です。


人が持てる知識には限度があります

経験なら尚更、記憶なら更に範囲を狭めます

しかし、今はネット時代

何でも転がってる現代ですが、そのネットの海は広大で、

的確にほしい情報を掴むのが逆に難しい程です。


そんな「ネット知識」という名の引き出しを自在に扱えるなら、

それは「あなた知識」と呼んでも差し支えがないはずです。

この引き出しを操れる量と速さがあなた武器になります


あえて言おう、ググレカスと。


2つ以上の目線を知っている

主観客観ユーザ開発者品質納期、見栄えと見易さ。

何をとっても、事柄が2つあれば目線も2つあります

人が二人いれば、目線も2つ以上あります


何かを取捨選択する時、或いは2つのパーセンテージという天秤を上下させる時、

あなたは双方の目線に立ち、どちらも尊重し、その上で判断を下さねばなりません。

ゲームであれば、多くの(そして旬の)ゲームプレイしなければ「鋭いユーザ目線」は培われないでしょうし、

多くのゲーム製作しなければ「鋭い開発者目線」は培われないでしょう。

経験が深ければより鋭く、経験が多ければより多角的物事を捉え、判断する事が出来ます


あなたクリエイターを志すのなら、多くの目線を身に着けなさい。

ゲームであれば、体力ゲージのUI一つをとっても多くの目線は磨けます

・そのゲージは見やすく、直感的に「現在の危なさ」が分かりますか?

世界観見合い、美しく、意匠のあるデザインですか?

ゲームを進行する上で邪魔にはなりませんか?

あなたならどう変更を加えますか?


人事担当が多くの経験を求める理由がわかりますか。

何かを判断する材料として、「経験」が活きるのです。

全ての経験武器になります。今すぐ"何か"をやりなさい。


やりたい事がある

どういう作品を作り、世に送り届けたいのか。

自分がどう成長し、どんな作品を作れるようになりたいのか。

どんな部分に関わりたいのか。なぜそれを魅力的だと感じるのか。なぜ憧れるのか。


これから自分がどうなりたいのか、その「道」が明確な人は、どんな面接突破します。

成長したいと思い、その手段を調べられる人が大成しないわけがないですからね。


「何を作りたいのか」「どうなりたいのか」が明確になる頃には、『道』も作れるようになります

しかし、仮としてゴールを設定してしまっているうちは、『道』は明確化されません。

「とりあえずアニメ作りたいから、ゴールは監督だな」みたいな感じではダメです。

あなたが真に「やりたい」「なりたい」と思えなければ、『道』は見えてこないからです。

今できる事で、自分が目指すゴールは何かを探して下さい。

それが見つかれば、それはあなたの支えになります


最後

文脈からお察しの通り、私はゲーム業界クリエイターをしている者ですが

例の増田には大変共感しました。

しかし、クリエイターからこそ彼のにじみ出る優しさが理解できますが、

業界経験の浅い人(就活生)たちには酷な書き方かもなあ、とも思いました。

そこで、まだまだ重鎮とはとても呼べない私ですが、このような形で日記を記した次第です。

この日記が一人でも多くの学生のケツに火を付ける事になれば幸いです。

あと、関係ないですがウメちゃんの公演がビビるぐらいタメになったので、是非観てください。


当たり前を当たり前に出来る人って、少ないんですよ。当たり前ですけど

2016-10-23

宇多田ヒカルファントームが期待外れでせつない

全米1位とか、母親になって更に声がよくなったとか、世間の持ち上げが半端ないことに違和感を感じるのはわたしだけでしょうか?

日本アーティストで好きなの宇多田ヒカルぐらいだしアルバムで聞かない曲なくて全ていいって思うのも宇多田ヒカルぐらいだった。

からひっさびさにアルバム出るとかだいぶテンション上がったし絶対買うわ!て思ってたけどいざ視聴してみたら…あれ?なんか、あれ…?て思っちゃった。

みんな母親になって声が更に良くなったっていうけど、「道」とか声透き通り過ぎてなんかあれ?てなった。

曲も聴けば聴くほど癖になるってとこまでいきそうにない。

でも世間では絶賛されてるからわたしの嗜好が変わっただけなのかな…初めてアルバム買わなかった。

なんか悲しい。またあの頃のヒッキーに戻ってきてほしいな。。

2016-02-10

地獄「道」のはなし

大勢の人の助けをかりたのに、

最後最後まで大切な人に迷惑をかけ、

多くの人を裏切り自殺してしまった俺は、

無数に存在する地獄のなかでも比較的軽い、

「道」という地獄行きが決定した。

その地獄は、ただひたすら道を歩くこと。

鞭でたたかれるわけでもなく、

目玉を抉り出されるわけでもなく、

ただひたすら、道を歩く。

この道は乳白色でやや温かみをおびた道で、

それ以外はうすいミドリの壁がひたすら続いている。

歩くぐらいどうってことない、そう思うだろう。

辛いとしても、足が痛いとか、無限に続くからだ、

とか、安易想像をめぐらせているんだろう。

地獄はそんな甘くない。

この道を歩いていると、

俺の今まで生きてきた20年間で

人に与えられた優しさ、ぬくもり、愛情

たった今目の前にあるように思い出してしまうのだ。

俺が生まれときの両親の喜ぶ顔、

生まれたての俺を抱きしめるばあちゃんのぬくもり

初めて歩いたときの俺を、親父が感動して写真をとる姿

受験反抗期だった俺に、

美味しい夜食を作ってくれたかあちゃん。

辛いとき励ましてくれた友達

いつも俺の身を案じて、

最後最後まで俺のそばにいてくれたアイツ。

言い出したらきりがない、みんなからもらった愛情

全部、全部、思い出してしまうんだ。

俺の身体に、その瞬間の感動がよみがえってしまうんだ。

なんで

なんで

なんで俺は自殺なんてしてしまったんだろう

なんで

なんで

なんで俺はみんなの優しさに気づかなかったんだろう

優しさを、裏切ってしまったんだろう。

出来ることな・・・

けど

どれだけ生きたいと、生き返りたいと、願ってももう返れない。

俺は死んでしまった。

ここは、この地獄は死んだことを後悔させる地獄なんだ。




いつまで歩けば終わるんだろうか。

いつまで歩けばこの悔しと後悔をぬぐえるんだろうか。

その先に、何があるんだろうか。

果てしない、

果てしない、

道が続いてゆく。

2015-12-22

堯觀乎華。華封人曰、嘻、聖人。請祝聖人、使聖人壽。堯曰、辭。使聖人富。堯曰、辭。使聖人男子。堯曰、辭。

 荘子は先秦(戦国時代)における最も特異な思想家のひとりである

彼は孔子を祖とする「儒家」の人々が強調する仁義道徳をこざかしい人

間の作為として排斥し、あるがままにあること――「自然」を愛し、何

ものにもとらわれることのない精神的自由の境地――「道」世界にあ

こがれをよせた。しかも彼はその思想を、彼一流の風刺皮肉や寓言に

託して表現したのである。その著『荘子』の中の「天地篇」にあるこの

話も、そうした彼の「寓言」の一つとして読むべきであって、むろん史

実ではない。

 

 その昔、聖天子として聞こえの高かった堯が、華の地方に巡幸された

ときのことである。その地の関守役人がうやうやしく堯の前にまかりい

で、ご挨拶を申し上げた。

 

 「おお聖人さまよ。謹んで聖人さまの将来をお祝し致します。まずは

  あなた様の御寿命の幾久しくあられますように。」

 

 「いやいや。」

 

 堯は思慮深げに微笑みをたたえながら答えた。

 

 「わしは寿命を望もうなどとは思わぬものじゃ。」

 

 「ならばあなた様の御富のますます豊かにあられますように。」

 

 「いやいや、わしは富を増やそうなどと夢考えてはおらぬのじゃ。」

 

 「なればあなた様の男の御子たちが、いよいよ数多くあられますよう

  に。」

 

 「いやいや、それもわしの望まぬことじゃ。」

 

 「はてさて。」

 

 関守役人はいぶかしげに堯の顔をうちみやりながら訊きかえした。

 

 「寿命と富と男子の多いことは、誰でもの望むことでござりましょう

  に、あなた様だけがそれをお望みなさらぬとは、なんとしたことで

  ござりましょう。」

 

 「さればさ、男子が多くあれば、中には不出来の者も出てきおって、

  かえって心配の種になる。富めば富むで余計の仕事が増えようし、

  寿ければ、辱を残さねばならぬような羽目に遭うことも多くなろう

  というものじゃ(寿ければ則ち辱多し)。この三事、いずれも我が

  身の徳を養うには無用のものといわねばならぬわい。」

 

 それを聞く関守役人の目にはありありと失望・軽侮のいろが現れた。

彼は堯に聞こえよがしにこう呟いた。

 

 「ちぇっ、やくたいもない。堯は聖人と聞き及んでいたのに、今の言

  い草じゃ、たかだか君子くらいの値打ちしかない男と知れた。子供

  が多くともそれぞれに分相応の仕事を授けてやれば、何の心配もあ

  るまいし、富が殖えたら殖えたで人に分け与えてやるならば、何の

  面倒もあるまいに。本当の聖人というものは、鶉のように棲み処を

  選ばず、ひなどりのように無心で食らい、鳥の飛んで跡なきがごと

  く自由自在であるべきもの世間がまともであれば、皆人とともに

  その昌えを楽しむがよし、まともでなければ、我が身の徳を修めて

  隠遁するもよし、千年もの長生きをして世間がいやになったその時

  は、仙人となってかの白雲にうちのり上帝の郷に遊ぶもよい。病・

  老・死の三患に煩わされることなく、身は常に殃なしとすれば、寿

  くともなんで辱の多いことがあろうものか。」

 

 こう言い捨てて関守は踵をかえした。見事に虚をつかれた形の堯は、

ハッと気を取りなおして後を追いかけ、

 

 「待たれい。今しばしお手前の話を承わろうではないか。」

 

 と声をかけたが、かの人は、

 

 「えい、うるさいわえ。」

 

 と一喝したまま後を振り返りもせずに、どこともなく姿を消した。

 

 荘子はこの寓言によって、「儒家」的聖人である堯と対比しつつ

「道」世界に生きる自由自在人――「道家」的聖人の姿を示唆しよう

としたのである

 

2015-09-04

うんこ我慢道

さなから胃腸が弱く、良く腹が下っていた。

もちろん今でも良く腹を壊す。深夜に泥酔してラーメンを食した翌朝など酷いものである。どのぐらい酷いかと言えば、ここに書けないほど酷い。

小学生の時分は、なぜか「大の方のトイレに入ると自動的コミュニティ晒し者にされる」という厳格なしきたりがあり、大きな方をぶりぶりっと出していると、トイレの壁をよじ上って誰かしらが覗いて来たり、偉大なるウンコマン誕生、登場を大勢で迎える。というのが流行していた。

もちろん、俺もその偉大なるウンコマンとして降臨したこともあれば、尊大なるウンコマンを迎えたこともある。

やがて中学生になり、異性への興味が花開く年頃になると、さすがに男子ウンコマンへ対する興味、情熱も薄れていくのだが、今度は授業中に腹が痛くなってしまった場合、好きな異性の目の前で「ちょっとトイレに……」と手を挙げて行くのが恥ずかしいという、なんだか今の日本人が忘れてしまった、恥じらいにも似た初々しい事態に直面するのであった。

そう言えば、中学教師に「ウンコに行きたい」というと「あと10分で終わるから待てないのか」と言われた記憶があるが、そもそもウンコを我慢出来ないからわざわざ手を挙げているわけで、終業まで待てる奴が「ウンコしまーす!」と手を挙げるわけが無いのである。思い出したら腹が痛くなって来た。

そうした甘酸っぱい春色の青春も終わりを迎え、受験の後、俺は男子校入学するわけであるが、男子校と言えばもともと肥溜めみたいな場所であるので、つまりウンコみたいなものである

休み時間、授業中に関わらず、勝ってくるぞと勇ましく、大手を振りながらウンコをできる環境に「これが大人ってやつか」としみじみ感じ入ったものである

そんな糞まみれのうんこ時代を過ごした高校生であるが、友達も居たし、彼女も居たし、いつでも気兼ねなく脱糞出来る余裕からか、胃腸の様子も少しは良かったように思える。

そして高校を無事にノー漏れ卒業し、死にたいくらいに憧れた華の都大東京上京することとなる。

3年ぶりに女性と同じ屋根の下で学ぶことになった専門学校であるが、もはや18年毎日行われた胃腸との対峙、対決の結果により向かうところ敵なしとなっていた俺に死角は無かった。

ただ、死角は無かったと言っても、腹は痛くなるので、この頃より将来の夢は「家で出来る仕事」となる。

また、このぐらいの年になると、車に乗って何処かへ行ったりと、遠出をすることが多くなるが、その時は、さすがの玄人である俺もかなり困った。電車のようにその駅ごとにトイレがあるわけでは無い。

冷静に自分の腹具合と相談しなければ、腹腹時計が爆発し、車中脱糞という壮大な悲劇と、ちょっとした喜劇が待ち構えている。

そんな時には、気管支炎喘息の症状を活かして多目にもらっておいた、リン酸コデインが役に立った。

この鎮咳剤は、基本的には咳を鎮めるためのものであるが、もうひとつ作用として、下痢止めがある。医者に処方される際に「便秘になる作用もあります」と言って処方されることの多いこのリン酸コデインであるが、正露丸も効かないロシア以上の胃腸を所持する俺に効く唯一の下痢止めと言っても過言ではない。

正確には、万年下痢なので、コデインを飲むと、その便秘作用と相まってなぜか丁度良い状態になる。という素晴らしい効果なのであるウィリアムバロウズ小説に出てくることもポイントが高い。

閑話休題

そうこうするうちに、あっという間に30歳を過ぎた。

ということは、もうこの胃腸との付き合いは30年を超えるわけであり、30年も毎日己の胃腸と向き合っていれば、それはもう健康問題どうこうというよりはもう「道」すなわち「タオである

脂っこいものを食せば下痢になる。これはもう宇宙自然普遍的法則、そして根源的実在であり、衆目の前で漏らして迷惑をかけないというのは、道徳的規範はもとより、美や真実の根源なのである

30を過ぎた頃から「屁だと思ったら実だった」というちょっとした逆転現象が起きることが多くなって来たように思える。

ベテランだと思っていたウンコ我慢道も、まだまだ知らないことばかりである

頑張って生きていこうと思う。

2015-03-30

http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/4350821.html

の、ドイツ語はよくわからないのでいいとして、フランス語おかしかった。

要するに、北海道を「北」と「海」と「道」にわけて単語を当ててもフランス語の響きにならない。冠詞がないとフランス語にならない。「のーるめーるりゅ」じゃなくて「りゅどらめーるでゅのーる」でないと(ドイツ語として意味が通ってるのかどうかは知らない。英語冠詞について適当言語なので、ノース オーシャン ロード、でふつう英語の響きになっている)。あと、「Rue」はどっちかというと街の小路とかの意味で、北海道の道にあてるならアベニュールートかなぁ。でも、そういうのをきちんとやろうとすると、2ちゃん的な面白みなくなるなぁ。

ということを思いつつやってみた。ちょっと適当なのもあるけど。

まちがいただしい(多分)
北海道 ノル・マリン・リュ Nord Marine Rue (北の海の道)アベニュー・ド・ラ・メール・デュ・ノール Avenue de la Mer du Nord
青森ブル・フォレ Bleu Foret (青い森) ラ・フォレ・ブルー la Foret Blue
秋田オトムナル・シャン・ドゥ・リ Automnal Champ de Riz (秋の田)リジエール・ア・ロトン Rizière a l'Automne
岩手 ロシュー・マン Rocheux Main (岩でできた手)マン・ロシュー Main Rocheux
宮城 パラタンシャトー Palatin Chateau (宮殿の城)パレ・ロワイヤル Palais Royal
山形モンタニャール・フォルム Montagnard Forme (山間の形)フォルム・ド・ラ・モンターニュ Forme de la Montagne
福島 ジョワイユーズ・イル Joyeuse Ile (幸福の島)イル・ド・ラ・ボヌール Île de la Bonheur
新潟ヌーヴェル・ラギューヌ Nouvelle Lagune (新しい潟) (たぶんあってる)
石川 ピエルーズ・リヴィエール Pierreuse Riviere (石の多い川)カイヨー・ド・ラ・リヴィエール Caillou de la Riviere
富山 リッシュ・モンターニュ Riche Montagne (富んだ山)ラ・フォルチュン・ド・ラ・モンターニュ la Fortune de la Montagne
福井 ジョワイユー・ピュイ Joyeux Puits (幸福井戸)ル・ピュイ・ド・ボヌール le Puits de Bonheur
山梨モンタニャールド・ポワール Montagnarde Poire (山間の梨)ポワール・ド・ラ・モンターニュ Poire de la Montagne
長野 ロン・シャン Long Champ (長い野)(たぶんあってる)
岐阜 フルシュ・オ・コトー Fourche au Coteau (丘にある分かれ道)(よくわからない)
栃木マロニエ Marronnier (トチノキ)(たぶんあってる)
群馬 トゥルポー・ドゥ・シュボー Troupeau de Chevaux (馬の群れ)(たぶんあってる)
茨城シャトー・デピーヌ Chateau d’Epine (茨の城)(たぶんあってる)
埼玉プロモントワール・デュ・ロワ Promontoire du Roi (王の岬)(なぜ王)
東京 エスト・キャピタル Est Capitale (東の首都)キャピタル・ド・レスト Capitale de l'Est
神奈川 ディヴィーヌ・ポム・ドゥ・リヴィエール Divine Pomme de Riviere (川の聖なる林檎)(よくわからない)
千葉ミル・フォイユ Mille Feuille (ミルフィーユ…じゃなかった、千の葉)(たぶんあってる)
静岡カルムコリーヌ Calme Colline (静かな丘)コリーヌ・トランキル Colline Tranquille
愛知 フィロゾフィ Philosophie (哲学)ラムール・ダンテリジョンス l'Amour d'Intelligence
三重トリプル Triple (三重の)(たぶんあってる)
兵庫アルスナルArsenal (兵器庫)(たぶんあってる)
滋賀リサント・ジョワ Nourrissante Joie (栄養のある喜び)(よくわからない)
大阪グランドパント Grande Pente (大きな坂)(たぶんあってる)
京都キャピタル Capitale Citadine (都市首都、もはや何が何だか)キャピタル capitale
奈良 ポム・ボンヌ Pomme Bonne (良い林檎)ボンヌ・ポム Bonne Pommeだ
和歌山シャンソン・ジャポネ・ドゥ・モンターニュ Chanson Japonais de Montagne (山の日本の歌)(たぶんあってる)
鳥取 シャス・ドワゾー Chasse d’Oiseau (鳥を獲ること)(たぶんあってる)
岡山コリーヌ・モンタニャール Colline Montagnard (山間の丘)(たぶんあってる)
広島 ヴァスト・イル Vaste ile (広い島)グランド・イル Grande Île
島根 イリエンヌ・ラシーヌ Ilienne Racine (島の根)ラシーヌ・ド・リル Racine de l'île
山口アントレ・ドゥ・モンターニュ Entree de Montagne (山の入り口)アントレ・ア・ラ・モンターニュ Entreé à la Montagne
愛媛エマーブル・プランセス Aimable Princesse (愛らしい姫)プランセス・エマーブル Princesse Aimable
徳島モラル・イル Morale ile (モラルの島)イル・ド・ラ・モラール Île de la Morale
高知 オー・アンテリジャンス Haut Intelligence (高い知性)(たぶんあってる)
香川 ヌイユ Nouille (麺類)(たぶんあってる)
福岡 ジョワイユーズ・コリーヌ Joyeuse Colline (幸福の丘)コリーヌ・ド・ボヌール Colline de Bonheur
佐賀 スュポール・ド・ジョワ Support de Joie (喜びのサポート)(たぶんあってる)
宮崎 パラタンプロモントワール Palatin Promontoire (宮殿の岬)カップ・ロワイヤル Cap Royal
大分グランドディヴィジョン Grande Division (大きな分割)(たぶんあってる)
長崎 ロン・プロモントワール Long Promontoire (長い岬)ロン・カップ Long Cap
熊本ウルス・ヴレ Ours Vrai (本物の熊)(たぶんあってる)
鹿児島 イル・ドゥ・ファオン Ile de Faon (子鹿の島)(たぶんあってる)
沖縄 コルド・オ・プレヌ・メール Corde au Plaine Mer (沖にある縄) (たぶんあってる)

やってみたところ、やっぱりドイツ語ほどかっこよくない。結局、構造英語と似てるからあんまおもしろくないのかも。ドイツ語は何でもかんでも一単語にしちゃうところが厨二病的にいけるのかなあ。シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ

2014-09-09

金閣寺」と「道」

父親に教えてもらった、おすすめの本と映画

うちの父親は自分趣味子供押し付けない人だった。

それが子供の頃の自分にとっては寂しく感じたから、

小学生ときにしつこくねだって聞き出したのがこれ。

金閣寺読みかけたけど最初らへんで挫折

道もまだ見てない。

マジレスしてくれたんだなあと今思う。

アルマゲドン見て俺が感動してたのに「アメリカ礼賛だからいまいち」ってケチつけてきたのも、それなりに映画とかに傾倒したことがあったときの「かぶれ」が残ってただけなんだろうと許せるようになった。

グミ・チョコレート・パインを読んでて思わぬところで道が出てきたから思い出した。

グミチョコ中学生高校生くらいのときに読みたかったなあ・・・

教師のノスタルジーに付き合って山田詠美とか原田宗典とか読んでる場合じゃなかった。

2014-06-23

ブログ孫子 計篇

炎上とはブログ大事である

記事の死活がきまることは、ブログの存亡の分かれ道であるから、よくよく熟慮しなければならない。

それ故、五事を考え、七計を較べて、取るべき行動を求めるのである

五事とは、一に道、二に天、三に地、四に将、五に法をいう。

「道」とは、上はブロガーから下はROMに至るまで心を一つにし、生死を共にすることである

「天」とは、時事に通じて素早くネタにし、それによって世論を制することである

「地」とは、ネットユーザの総意を見極めて、これによって批判されないことである

「将」とは、知識があり、ダブスタを用いず、PVを稼ぎ、物事に言及することを恐れず、しかし軽々しく首を突っ込まないブロガーのことである

「法」とは、法律を守って、逮捕されないことである

これを知る者は勝ち、これを知らない者は炎上する。

どちらのブログ「道」に適っているか

「天」の時「地」の利はどちらが得ているか

「将」たるブロガーはどちらが有能であるか。

「法」はどちらがよく守っているか

Twitterフォロワー数はどちらが上であるか。

ブクマはどちらが多いか。

論理の正しさはどちらが明白であるか。

私はこの七計を以て、ブログ同士の論争の勝敗を知るのである

ブログ詭道である

故に、仕事をしながら遊んでいるふりをし、好きなものを嫌いなように言い、地元にいて旅行しているように見せ、出張しながら自宅にいるようにして、リアル特定されないようにするのである

釣りを仕込んで敵を誘い出し、嘘を混ぜて煙に巻き、相手に反論があれば備え、有名人を相手取るのは避け、わざと怒らせて混乱させ、あるいは煽てて油断させ、粘着して疲れさせつつ、親しいブロガーが離れるよう仕向けるのである

計ること多き者は勝ち、少なき者は勝たず。

ましてや計ることが無い者は言うまでもない。

2014-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20140207203431

誰だったっけ?

武道「道」を悟るのはすげー回りくどいことだ。

悟りたいだけなら寺で坊さんになるほうが早い。

っていった武道家

2013-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20131111120129

キルラキルは、わりとオタクの文法が分かっている人向けの作品だから

そんな広く勧めるべきものじゃない気がする。

 

日本人はなんでも「道」にするって言うけど、もう既にアニメアニメ道的なところが

あって、教養が無いと十全に楽しめない作品ってのが多くなってるよな。

2013-10-06

いやいや、君みたいな育ちの悪い低俗カスと一緒にされちゃ困る

http://anond.hatelabo.jp/20131006154332

すぐ「道」みたいな話にして無限ストイックさを要求する世界は確かに俺も嫌だが

なんで創作の道なんかに入ったかってそりゃ創作が好きだからだよ俺は。

金が欲しかったら大卒でちゃんと就活したっての。

自慢じゃないがそれなりの大学だったんだ俺は。


プロ同業者の悪口ばかり言ってる?

そりゃお前と同レベル人間が類は友を呼んでるだけだろ。

なにくそみたいな気持ちはそりゃあ強いに決まってるが

レベル嫉妬を燃やしたり不用意に人の悪口ばっか言ってるような人間はろくな末路にならない。


まあ全部が間違ってるわけではなく、

仕事が嫌いで金だけが目当て」という人間

水準スレスレなりにある種の継続性を発揮するのはその通りだと思う。

一度もパッとしないのに長く生き延びてるロートルはだいたいそのタイプだ。


たぶん元増田はパッとしないレベル同業者までとしか付き合いがないのだと思う。

あと、このタイプは大体下層家庭の出身で、親の価値観教養レベルが低く、品がない(たいていは学歴も)。


金さえあれば満足でその先を考えられない人間は何の世界にも居るし

そういう人間を卑下しようとか排斥しようとまでは思わないが、

代表面なんかされたらさすがに「死ねカス」と言わざるを得ない。


俺の会った限りでは

一流に近い人ほど仕事情熱というか謎のコダワリがあって、

神秘思想というか宗教臭い発言も増える。

仕事嫌い!」「カネカネ!」なんて言ってるのはせいぜいマイナーメジャーまでだろう。

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