はてなキーワード: 不定愁訴とは
長い文章を書いていると途中でぐわッと何かに支配されて冷静でいられなくなる 感情に引っ張られて散漫な文章になる これのせいでブログを書く行為を幾度も断念した まあブログなんて自己満足だから散漫になってもいいんだろうけど、自分の中で他人に出せる文章ラインというものがあり(理想が高すぎるだけか?)それを満たしてない文章は総じてパソコンのドキュメントフォルダに眠らせてしまう 自分の感情から離れれば離れるほど、自我が埋没してなければしてないほど良い文章のように思う 自分の感情がかなり偏っている自覚があり、その偏りに引っ張られていないとき、ああ、まともに文章を書いている……と思う まともに文章を書きたい これも全然まともじゃない すごく引っ張られてる 消えねえ不定愁訴と延々と闘って感じやすさから来る感情の振り幅を捨て切れずにこのまま死ぬのだろうか はいはい いつものやつだ 寝よう
俺の働いてる市の生保受給者は人口の1.5パーセント前後。うちの受診患者を無作為に調べてみても、大体そのあたりの数字に落ち着く。
ところがこれが夜間だと、その割合がぐっと跳ね上がる。
「日中の外来に来てくださいねー」と言っても無駄。次にお会いするのはやっぱり時間外。
午前1-5時あたりは元々患者の少ない時間帯である。生保患者はなぜか、この時間を狙ったかのように集中する。
ちなみに一般人で変な時間に来る人は、ホンモノ(本当に病気がある場合)が多く、こちらも身構えてアドレナリンが出るのだが、
生保だと軽症であることがほとんどで、仮眠時間を取られ体力が削がれる以上に気力が萎えること甚だしい。
時間外のうち救急車で来る人は1-2割だが、生保に限れば4-5割程度になる。
自宅で気分不良?たいがい酒酔いか過量内服、それかいつもの不定愁訴である。酔って転倒する奴も多いな。
週に3回とか普通。日に二回もたまに。
「あそこじゃ十分診てくれなかった」と日に複数施設をハシゴする者も。もちろん全部時間外なのは言うまでもない。
残念、それを決めるのはセンセイたちの仕事です。
きついから入院させてくれ?だってあんた検査も診察所見も全部正常ですやん。
以前救急外来から引き取った生保患者、次の日には勝手に帰ってやがった。
病室に仲間を呼び込んで苦情が来たり、トイレで煙草吸ったりする者も。
生保が診察券を出すところを目にしたことがあるが、財布の中は「○○整形外科」「△△ハートクリニック」「××内科」…と診察券でパンパン。
方々で鎮痛剤や向精神薬を過剰に処方されてるのは明白。
以前、生保の医療費が3倍というニュースがあって、怪我や病気が多いからそのくらいは普通なんて言われてたけど、
ここで、困った人が普通よりちょっと多いだけか、一部の人間が極端な悪さをしているだけで多くの生保患者は日中普通に受診してるんだろ?
という声が聞こえてきそうである。そうであればよかった。
俺の通常外来に来てる生保患者の大半が服薬もきちんとしてないし、予約した時間に来ないし、とにかく病気に対する意識が薄い。
それを指導するのがお前の仕事だろ、って?ええ。頑張ってましたよ、これまではね。でももう飽きた。
いままで何してたの、って感じの人ばっかだし。慎ましい難病患者、貧困患者、高齢者、なんてのは幻想。
もうこいつらに必要な医療といったら、疫病の感染源にならないとか、不慮の事故で死なないとか、その程度っしょ。
Y本病院みたいに囲い込んでカテーテルの実験台にしたとか、いいじゃん。もうどっかで囲い込んでくれ。そして外に出さないでくれ。
俺が助けたいのは善良な人間なんだ。ちゃんとした人たちのためなら、当直明けの勤務だって頑張れる。でももう無理。
てなわけで今年いっぱいで辞める旨を院長に伝えてきた。病理、放射線、臨床検査などの、診察のない部門での再出発を考えてる。
どの職場でも人間関係でトラブって3年くらいで辞めることになる。
と思っていたが
3年くらいごとに冬季鬱っぽくなって仕事を休みがちになっていることに気がついた。
今の職場は9割リモートな上に超絶ホワイトなせいか、体調不良で半休頻発でも文句を言ってくる人がいない。
にもかかわらず、出社して隣や向かいに人がいる環境だと、みんなが自分にイライラしていて、いなくなって欲しいと思っているのではないか、と考えてしまう。
ついでに、眠いだけかと思ってたら、謎のむくみとか急な体重増加とか突発的な低血糖症状とか怒りやすくて不機嫌になりやすいとかも出ていた。
人間関係のトラブルが根本原因で辞めてると思っていたが、そうじゃなくて、身体のどこかがおかしくて思考力も落ちて無駄に悲観的で、その結果職場の人当たりにもミスが出て、体調悪いし頭回らないしの結果もういいや辞めちゃえと早計な判断をしちゃってたんだろうか。
なんでそこで意固地になるかなあ
まあ別なら別でいいんだけど、津波の場合は被害が発生すればその基準が不適切だったことに気づけるけど、放射性物質の場合はその基準が不適切だったことに気づきにくいわけよ
健康被害であったり生態系に何らかの悪影響があった場合でも、生き物ってのは複雑なので、問題の原因切り分けが難しいわけ
死に至る病を発症させるのであればすぐ気づけるけど、不定愁訴レベルの変化であれば、仮に処理水がその症状に対して明確な因果を持っていたとしても、原因として特定されづらいわけ
突然気持ちが落ちて感情が上がらない、さめざめと泣いてしまう、という時期が少し前にあった
本当に気持ちが上がらない、物理的に上がらないという感覚 重くて持ち上がらない
PMSとか更年期のホルモンバランス的なものだったのかなと今は推測
最近はそこまで落ちることはない
婦人科で薬もらって飲んでる
貧血は30年くらいずっとヘモグロビン値10いかないかなりの低値だった、健診ではかならずひっかかる
疲れやすく怠惰なのはもはや自分の性格と体質だと思っていたので、貧血であることに不都合を感じていなかった
市販の貧血薬をずっと飲んでいたのだが改善せず、だからこそ体質だと思ってたが、タンパク質と海外の鉄分サプリをとるようになったら半年で普通の値になった
貧血じゃなくなってようやく、ずっと怠い感覚が貧血由来だったと自覚した
その後、栄養関連のものを読み漁り、いろんな栄養素サプリを単品でとったりしていた
健診での血液検査、婦人科での血液検査をやって、鉄不足貧血とビタミンD不足は診断出てたから、日光浴なんかもするようにした
結局、自分じゃ何が不足してるのかなんて気づけないもんだなと振り返って思う
なので不定愁訴的な症状で困ったら
日光浴
がいいんじゃないかなと
未だに興奮して眠れない記録魔の自分がすることはやはり記録することだった。
時間による記憶の喪失が愛しい者を失うことの感慨さえも洗い流してしまうなら
それは人にとって救いであり、希望なのかもしれないが私はそう思わない。
私の猫が死んだという事実は私が生きている限りにおいて永遠に記憶されるものであって欲しい。
死んだ瞬間は悲しくなかった。
実を言うと今も悲しくはない。
死んだ瞬間はその事実に気づき、やはり死んでいる、生き物ではなくなり
外界を認知し変化させることのなくなった物体に変化した、そう認識した。
だから後悔はなかったのかもしれない。
医学は専門ではないがわからないなりに病院に行き、母と二人で注射器での薬の経口投与を繰り返した。
本人がどれほど嫌がろうとも。
猫の体調が悪いと気づいたのは一ヶ月ほど前からだった。
食事後に餌を吐くようになり、吐いた餌を食べたり食べなかったりした。
3日ほどで病院に行くことになった。
猫の体調が悪化するのと逆に自身の長年の体調不良は回復していった。
糖分を取らなければもろもろの不定愁訴が解消していったのだ。
2年以上に渡る体調不良は米を取らない。その一つの行動から回復していった。精神科にも通った。薬の効果も実感している。
しかしながら生まれてきた中で思い出せる限りの長い期間常に自身は体調不良だったのではないかと気づいた。
薬理的な効果以上に炭水化物を取らないことが自身の体調に寄与していることは明らかであった。
猫に話を戻そう。
とにかく彼女は餌を食べられなくなった。
異物を飲み込んだのではないかと判断した医者は様子見の生徒剤の投与後、内視鏡による異物摘出を試みた。
その時点に至るまで二週間ほどがすでに経過していたと記憶している。
また、気管挿管の際にミスをしたのか、呼吸音が異常になっていた。
次にしたことは猫を飼い始めた時にノミ・ダニの薬とワクチンを打ってくれた看護師に連絡することだった。
彼女らはすぐに来てくれ、この食事が良い。だの、この時期に猫が吐いてしまうのはよくあること。だの、医者は変えた方がいい。だの、と違う立場で自由な意見を述べた。
親切にしてくれたし、変化が必要かもしれないと、私は彼女らの言葉を聞き、近くの病院に医者を変えた。
今思うに、この判断は貴重な時間を空費するだけに過ぎなかったと考えざるを得ない。
やはり、医者を変えたあとも猫は吐き続けた。
次の病院で行われた治療は元の病院とは種類の違う吐き気止めとステロイドを繰り返し投与だった。長い二週間だった。
彼女は嫌がった。苦しいので当たり前だ。餌も飲み込めず、後に水すらも飲み込めず苦しがるほどの猫に経口投与を繰り返した。
しかしながら呼吸音はステロイドにより落ち着いた。そのように思えた。
ただ、嘔吐は二週間の間に違う餌に切り替えた努力も虚しく、変化がなく無駄だった。
私は調べうる限りの症例を聞いたが、最後にガス性のイレウスではないかと聞いた際にはっきりとそうでない理由を伺うことはできなかった。
このままでは食事ができずに死にますよ。そう伝えると彼の助手である女性の看護師は二次診療専門の病院を提案した。
この病院でのカルテは渡すので、治療データがこちらより豊富な元の病院から二次診療専門病院に連絡をつけるようにと言われた。
元の病院に連絡すると少し驚いた様子であった。
事実上、さじを投げたと言ってもいいだろう。
二番目の病院からでも出せる診察依頼を出すことなく、元の病院に戻したので少し呆れていたのかもしれない。
しかし私はそんなことはどうでも良かった。
20万円ほどの少ない蓄えも底をつき始めていたが、友人に借金してでも治療を完遂させようと考え、友人にもその旨を伝え、了承を得ていた。
そこからは彼女なりの治療プロトコルに従わないので苛ついているような反応を返すノミ・ダニの薬を売ってくれた看護師に話を聞いたり
死んだ場合どうすれば良いのかを考え始めたり、たまに来る母親に猫を見てもらったりした。
モノになったのだ。席を立ち、ジョナゴールドの発泡スチロール箱を見てやはり実感する。
眠っているのではないことは知っている。もう彼女は外界に何ら影響を与えることを許されないのだ。
ただただ衝撃だけがある。
元の病院の男性の医者ではなく、別の女性の医者が対応してくれた。
彼女は胸にあるしこりと、胸水が気道と食道を圧迫していることに気づいた。
猫はここでも抵抗した。麻酔なしでは胸のしこりを生検することはできなかった。
また彼女は、胸水の原因を特定しようと試みたが確実にリンパ腫が原因であるとは判定できなかった。
もしくは、今の胸水を専門医に判定させる。
私はCTを受けさせることにした。
そして初診を予約できたのがそれから三日後だった。
初診の前に血液検査を行うことになった。
血液検査の結果、異常は特に無いように思えたが猫白血病ウイルスが陽性であった。
こうなると寛解はしない。高額な医療費を請求されて生きられるのは半年から一年程度。
そういった認識があった。
友人とは相談した。
つねづね私は話していた。
単純な功利主義だけでは世の中回っていかないが、重度のケアが必要な猫を一匹救うより、未だに健康を保てている猫を二匹救うべきだと。
友人と私は話し合ったが明確な答えは出ず、それでもざっくりとした方針をなんとか決定した。
飼い猫はまだ4歳前後であることから、一度治療に成功すれば5年以上の生存の見込みがある。
そのためにならば50万から最大100万円程度の治療費を貸し付けることは容認できる。
しかしながら、一年の延命治療のために高額な費用がかかるのは私自身の考えからは外れてしまうこと。
つまり、リンパ腫など予後が悪い病状の場合は安楽死、ないし積極的な治療を放棄することを決定した。
初めてあった時から肩に登ってこようとし、私の無茶な要求にも反抗しようとすることはほとんどなかった。
左耳の部分が腐ったのか落ちており、付け根は膿んで肉が露出していた。
さくらねこというのだが、猫は避妊処理の後のリリースされると耳の先をカットされる。
メス猫は普通左耳の先をカットするが、彼女には左耳がなかったので右耳をカットされていた。
彼女は飼い猫以上に友人であった。
自分の鼻をすぐに舐めたがる犬のような猫であった。
その癖意地を張ってウェットフードを食べない頑固な猫だった。
時に一緒に眠り、また、顎をブラシで撫でてやるとゴロゴロと音を鳴らした。
肉付きはよく、4.4キロほどあったと思う。
話を戻すが治療方針を決めて二次診療専門の病院の初診に向かった。
母親に車を出してもらい向かった先でしたのは、元の病院の女医の話す内容とほとんど変わらない内容の説明を受けることだった。
また、治療方針として、胃ろうをして欲しいと言うと彼は自身が胃ろうは好きではないと話した。
ここでは結局治療をすることはなかったし、進展はなかったので詳しい話は省略する。
初診料として8500円ほどを支払い、帰路についた。
それからまた3日ほど経った日、水を飲んでも吐くようになった。
このままでは保たないと判断したので、点滴で水分だけでも入れてもらおうと元の病院に連れて行った。
体調が悪いこと、胸水を抜くのは抵抗されたので難しかったこと、9月1日にCTを取りに行く前にもう一度点滴を受けて万全の状態にすべきであることを女医は告げてきた。
次の日、つまり昨日(8月30日)その瞬間は訪れた。
呼吸音が異常ではあったが、それほど異常の度合いが高いわけでもなかった。
しかし母親が突然来訪し、ちゅーるを持ってきた。友人と話していた自分は母親と話すことになり、もう一匹の猫にブラシをかけるなどの世話を始めた。
帰ってものの十分程度で発作的な呼吸が始まった。
初めて失禁し、のたうち回った。
夜間病院に連れて行くかどうか、20分ほど思案した後、母親を呼び戻した。
母親が到着したのは35分程度後だった。
それまでに、死んでしまい、死後硬直が始まった時のためにダンボールとタオルは用意していた。
車で来てくれた母親に事前に電話した動物病院に行くようにお願いをし、移動を初めて20分ほどで呼吸音がなくなったことに気づいた。
助手席から降り、確認したがすでに瞳孔は開きっぱなしで力の全く入らない死体になった猫がそこにいた。
動物病院に行くのはやめ、大きいディスカウントスーパーに向かうことにした。
保冷を始めるためだ。
私はもう次の準備を考え始めていた。
アドレナリンが出て興奮していたのもあるが死体を腐らせる訳にはいかないと思っていたし、覚悟はしていたからだ。
スーパーに向かい、発泡スチロール箱の有無を聞き、もうなさそうだとわかると氷だけを買ってそこを出た。
23時になっていたのでコーナンなども空いていない。
家の近くにあり24時間開いているスーパー玉出に向かうことにした。
普段から無愛想なおじちゃんに声をかけるとそこになかったらないと言われたが無事キレイな発泡スチロール箱があった。
おじちゃんに礼を言って車で自宅まで移動し、母親と別れ、友人と話をした。
そんなにしんみりはしなかったが、衝撃はあったと話をし、故人の話をしてくれたりしたが、騒音が気になりほどほどで話は終わった。
風呂に入ったが猫を何度も風呂に入れたことを思い出し、喪失感を感じてすぐに出た。
もう一匹の猫を膝の上に乗せていると少し眠たくなったので寝たがやはり一時間ほど寝れずにこれを書いている次第だ。
これから葬式をどうするか考えないといけないし、行動している内、考えている内は悲しくなることはないだろう。
この文章も一時間半ほど書いて疲れたのでこのあたりで筆を置くことにする。
死ぬ前に考えた。
自身は無神論よりの不可知論者ではあるが、猫が死んだらどうなるのかと。
自分は肉体と精神に関しては唯物論的な思考でいるので肉になるのだと考えた。それでも悲しくはなかった。しかし救いはなかった。
私は幸いにも救いを必要としていないのだろうけれど、なぜ宗教が必要とされるのかは少しわかった気がした。
思うに愛別離苦、別れは経験であり、自身の糧にするべきで背負っていくべきものだ。
死は絶対で覆すことはできない。それはあらゆる命にとっての救いでもあるのかもしれない。
引きこもりは半年程度、ニートはトータルで2年程度であろうか。
現在30過ぎ。
10代後半にパニック障害になり、色々治療もしたし、一般バイトもしたし、就労支援系の作業所にも行ったし、障がい者雇用も経験した。
でもどこにも居着けなかった。体力がないし、根性もないのだ。
ただ、分かっていただきたいのは「ただ、手を小招いていただけではない」ということだ。
このままではいけないという思いの中、さまざまな事に結果はどうあれ挑戦してきたと思う。
けど、現在もぱっとしない。就労A型作業所に頑張って通っているが、週5はたとえ5時間だろうが厳しいと感じている。
毎日へとへとだ。多分このまま一般就労に戻れず就労Aでこうして頑張って薄給をもらうのだろう。
色んなことに挑戦して、打ちのめされる経験をする中で、自分の人生を行きようとする光のようなものが消えていくのが分かる。
よく「底付き体験」という話があるが、底の近くで浮き沈みを数回やると「あの頃よりはマシ」みたいな気分もかなり薄れてくる。
急に無理やり50秒水中に引きずり込まれるのと40秒引きずり込まれるのと、35秒引きずり込まれるのを何回か繰り返してるイメージ。
もう正直30秒だってごめんだ。そんな気分になってくる。毎回息を吸えるようにならなきゃ50秒の経験を有益だなんて思えなくなる。
ずっと渦中にいる人間には分かっていただけることを願っている。
毎日、しんどい。寝ても眠いし、何をしても疲れる。どこか悪いんだろうけど、血液検査や尿検査では特に何も見つからない。
この不定愁訴というやつは他人には理解されづらく、非常に孤独である。
誰も私の体感している日々の体のだるさやや不調を同じように体感することができない。
近しい人ですら「そんなに横になってたら余計しんどくない?」等言われる。
わからない。でも動けないんだ。何をしても疲れるんだ。
怠けている訳ではないんだ。ずっとずっと頑張って色んなことをこの体でやってきた。
体調不良を、騙し騙し生きてきた。
もう16年向精神薬を飲んでいる。それも当事者じゃない人は「その薬のせいなんじゃない?」という。驚くことに他の科の医者までいう。
必要最低限にしてもらっているつもりだし、精神科医がいいと言えば減らすよう努力もしている。
闘病8~9年くらいで、藁にもすがる思いで他の科にかかることも面倒になってきて、ただじっとしんどいのを休む、寝るという普通の対応でやり過ごしている。
治療も色々なことを試してきたつもりだ。でも効果があって健康にならなければ「試してきた 」という「努力」が実ったことにはならない。少なくとも一般社会に出て話をしているとそういう認識なんだろうなと感じる。
長患いや障がいがある人生は、不便だったり、毎日体がしんどいことももちろんつらいが、それを本当に体験しているのは自分だけだ、という当たり前のことが孤独でつらい。
分かれ!というつもりは無い。ただ日々を生きているとどんどん取り残されていって「何もしていない」気持ちになるのが虚しくて悲しくて書いた。長くなってしまい申し訳ない。